立命館法学 2000年3・4号上巻(271・272号) 520頁




グローバル化時代のアジアの人権


堤 功一


 

目    次

は じ め に

一  文化相対主義と普遍性

二  近代産業文明と人権

三  国際的関心事項

四  グローバル化と人権

むすび−グローバル化とアジアの人権





は  じ  め  に


  一九九三年のウィーンにおける世界人権会議の準備のためバンコクで行われたアジア地域会合では、人権については普遍性よりも地域の特殊性が考慮されねばならないこと、及び外国からの干渉は避けるべきことが強調された。しかしウィーンの会議では、この二点についてのアジアの主張は通らず、人権の普遍性と国際的関心事項であることが世界的に確認された。
  本稿は、人権の普遍性と経済開発との関係及び国際的関心事項の意味について考え、グローバル化の時代の人権尊重とアジアの人権の観点がどう結び付くのかを探ろうとした、いわば試論というべき一小論である。

一  文化相対主義と普遍性


1  バンコク宣言
  一九九三年にウィーンで国連の世界人権会議が開催された。人権の国際保障の観点から極めて意義のある会議であった。この準備のために一九九一年から四回の準備委員会の会合と、アジア、ラ米、アフリカの三地域で地域会合が開かれた。アジア地域会合は、一九九三年三月タイのバンコクで行われ、「普遍的人権保障に真っ向から挑戦する」バンコク宣言を採択した。その要旨は次の通りである。第一、人権は相対的なものである。第二、人権は国内問題であり、NGOを含め外部からの介入を許すものではない。第三、アジアでは社会権の実現が肝要であり、集団(国家)の権利たる発展の権利が国際社会によって確保されなくてはならない。第四、先進国の人権政策は一貫性を欠いており、援助供与の条件に人権を用いることは不当である(1)
  この採択に当たって、日本の代表はその立場を説明し、「協力と妥協の精神でコンセンサスに加わったが、人権は全人類に共通の普遍的なものであり、正当な国際的関心事項であるとの日本の基本的立場に変わりはない」と言明している。宣言第八項には「人権は普遍的な性質のものであるが、国と地域の特殊性及び種々の歴史的、文化的、宗教的背景の重要性を念頭に、国際的な規範設定の動的で進化する過程の文脈において考慮されなければならない」とあり、その主張の中に普遍性への言及を全然入れなかったわけではなかったが、やはり特殊性の方を前面に出した表現であった。

2  リー・クアンユーの見解
  シンガポールのリー・クアンユーはアジアの代表的政治家と言って良いと思うが、彼は人権に関連して次のような経済発展優先主義の考えを持っているようである。「どの国もまず経済の発展を必要とし、そして民主主義が後を追う。少数の例外を除いて、新興の発展途上国においては、民主主義は「良い政府」をもたらさなかった。民主主義によって経済が発展するということもなかった。」人権や民主主義ではなく、「良い政府」こそが重要である。「良い政府」とは、衣食住、教育、安全を提供し、経済発展を目指す政府である(2)
  この発言は日本の雑誌「諸君」に出たものとのことであるが、人権に対するアジアの態度を示す一つの有力な見解であろう。同じシンガポールの当時外務省局長であったカウシカンがウィーン会議に前後してフォーリン・ポリシー誌に同趣旨を述べた論文を寄せている。その要旨は次のようなものである(3)。「東アジア、東南アジアは新しい現象に対応しなければならない。人権は国際関係の正当な問題となった。国がその国民をどう扱うかはもはやその国が排他的に決定することではない。この二〇年間地域の人権状況は大幅の改善を見ている。しかし人権の西欧的解釈には不満がある。人権の普遍性の神話がアジアと西欧の人権観念のギャップを隠すものであれば有害だろう。経験は秩序と安定が経済成長の前提条件であることを示している。そして成長こそが人権を前進させる政治秩序に必要な基礎となる。西欧の個人主義的エートスとアジアの共同体の伝統のどちらが、そしてアジアのコンセンサス追求型アプローチと西欧の対立的制度のどちらが、発展に資するのだろう。貧困、不安そして不安定が人権の侵害を招く。アジアの国民は人権や民主主義よりも良い政府を要求している。良い政府とは安全と基本的な生活の必要と生活改善の機会を与える実効的、能率的で正直な政府である。抑圧的なアジアの政府が、自由を求める民衆を押さえ付けているイメージがある。天安門事件の時もケ小平の改革で利益を受けた巨大な農民層はほとんど動じていない。人権の中にはまだ解釈に争いがあるものがあり、こういうものについては劇的に対立するより、静かに忍耐強く規範作りを進めるべきなのである。ジェノサイドや殺人、拷問、奴隷制度に厳しく抗議するのは良い。こういう中核的問題には既にいかなる逸脱も許さない合意がある。しかし人権をキャッチ・フレーズにして騒ぐのは止めよう。」
  これはアジアの人権観を明快に示した見解だと思われる。ここで言う「良い政府」はいわゆるグッド・ガバナンス(良い統治)とは少々違うようで、グッド・ガバナンスは教育を普及するなど国民の質を高める方に力点を置くものであろう。ガバナンスとは国民の自己統治能力というようなことである。カウシカンの言う秩序と安定が経済成長に資するということは、その限りでは正しいものと思う。

3  ウィーン宣言とその意義
  いよいよ世界人権会議が開かれてみると、バンコク宣言に表されたアジアの見解は少数派で、他の諸国の賛同を得ないことが明らかとなった。人権の普遍性と相対性、干渉を許さない国内事項かあるいは国際的関心事項か、の二点が主な争点で、会議は相当にもめたらしい。しかし結局次の点を明確に述べたウィーン宣言が一七一国のコンセサスで採択された。
第一項「これらの権利及び自由の普遍性は疑いがない」
第四項「すべての人権の促進及び保護は国際社会の正当な関心事項である」
第五項「すべての人権は普遍的で……ある」「国、地域の特殊性及び種々の歴史的、文化的及び宗教的背景の重要性は考慮されなければならないが、すべての人権及び基本的自由の促進及び保護は、その政治的、経済的及び文化的制度の如何を問わず、国家の義務である」
  人権の国際的保障が進み始めたのは、一九八〇年頃からである(4)。冷戦後の一九九〇年代になると、東西間のイデオロギーの対立がなくなって、国際社会の関心は市場経済や各国の人権状況の方に一層傾いて来る。冷戦後の、その九〇年代の前半といういわば画期的な時点で、人権について世界の大部分の国が一堂に会し、人権は普遍的なもので、正当な国際的関心事項であるとコンセンサスで宣言し、確認した意義は極めて大であると言って良いであろう。
  アジアも随分頑張って、上記の第五項にもバンコク宣言の地域の特殊性や文化的背景の重要性についての表現が反映されている。ある程度文化相対性の主張が認められたということであろう。ただし勿論普遍性の主張が正面に出て、バンコク宣言に比べれば、主客転倒の形となっている。いずれにせよ、もし今後アジアの国が地域的、文化的相対論を主張しようと思うならば、この第五項を根拠にして行なってみることは可能である。人権は本質的に国内問題であって、干渉は出来ない、という主張をただくり返すだけよりは有効ではなかろうか。

4  その後の中国と米国の見解
  この問題についてウィーン会議の直後の国連総会第三委員会で発言した中国と米国の見解を見てみよう。関連部分の発言は夫々次の通りである(5)
  中国「……世界最大の途上国である中国は、世界の人口の二二%を食べさせることに成功している。……中国はこの一五年間で大きな進歩を遂げた。この進歩は政治の安定、社会秩序、経済の発展に表されている。これは容易なことではなかった。……(中国に批判的な国は)一〇億の人口を持つ国が混乱するのを好むのであろう。……(しかし)公の秩序を危うくするものは国法によって対処されるのである。……世界(人権)会議の後、他国の国内事項への干渉が止むことを望んだ。それは会議の精神に全く反するからである。国家主権の尊重は絶対的原則であることを強調したい。」
  米国「会議の最終文書、ウィーン宣言と行動計画は、世界の異なった多くの地域からの代表の間の妥協の結果であることは明らかである。しかし、その政治的、経済的、文化的システムの如何にかかわらず、すべての国における基本的人権の普遍性という中心的問題点については何の妥協もなかった。」

5  文化相対主義
  法哲学者深田三徳は、「今日、議論されつつあるのは、(徹底した文化相対主義ではなく)人権の普遍性は認めるが、いかなる人権が存在しそれがどのようなものかなどはその社会の文化などによって決まるといった、もっと穏健な見解をめぐってである。これはアジア諸国、イスラム諸国などの政府関係者たちのなかにみられるものである。……これを自由に認めてしまうと、人権相対主義に陥り、人権の普遍性を主張する意味がほとんどなくなってしまうであろう。……文化などの地域的特殊性への訴えを認めるとしても、……国際機関などを含む国際社会のなかで自由な対話・討議を通して十分に了解されうるものでなければならないであろう。その観点からすれば、絶対的権利の制約は是認されえない。……西欧諸国とイスラム諸国、アジア諸国の文化の間に違いがあるにせよ、それぞれの文化のなかには人権原理の根底にある諸価値が潜在している。したがって人権原理をそれらの文化と調和させ、調整することは不可能ではない。」と主張する(6)。この主張は妥当なものと思われる。ただし、人権原理の方に文化を調和させ、調整するのであって、人権原理を文化に調和させるのではなかろう。
  この人権原理とは、「政治権力と市民などとの関係において一定の権利ないし自由が……すべての人に対して平等に一貫して配分されるべきだという規範的要請であ」り、人権原理の根底にあるのは「すべての人を人間として取り扱うべし」「すべての人を人間として品位ある仕方で公正に取り扱うべし」といった基本的原理であるとされる(7)
  「いかなる人権が存在するかはその社会の文化などによって決まる」としても、夫々の文化に人権原理が共通項としてあるのであれば、文化相対性はそれほど大きな問題にならないのではないか。文化と人権の関係を本質的にどう把握したら良いのであろうか。

二  近代産業文明と人権


1  トーマス・フランクの見解
  「個人の自由は西欧の価値か」と題する論文(8)の中でフランクは、まず信教の自由、良心の自由、宗教的寛容などの個人の自治(自由な自己決定という意味か)の思想が西欧社会に生まれたものであるとはいえ、それが実際に尊重されるようになるまでには何世紀もの歴史が必要であったことを、例を挙げて詳しく説明する。例えば、一九世紀前半までは米国でも法や公共性に通じている人が、社会の安定のためには個人の良心の自由を抑えることが重要、と信じているのが普通であったことが指摘され、「今日の共同体的でコンフォーミストの社会はほんの数年前の我々自身の社会に良く似ている」、「今日自由であると言われる欧米も」「最近までは自由ではなかった」と述べている(9)
  大沼保昭も同様に「人権が近代ヨーロッパに生まれ、主張され、実現を求める運動が展開された時、それは当時のヨーロッパに支配的だった広義の文化や支配的なキリスト教の教義と大きく懸け離れていた。それゆえ、人権を主張し、その実現を求めるものは、当時の支配的文化(それはユダヤ人や女性を差別し、有産者や貴族の特権を自明視し、被疑者・被告人への拷問や非人道的処遇を容認する文化であった)を支持する者や有力なキリスト教指導者との激しい論争を繰り広げ、支配的文化やキリスト教教義の再解釈を通じて人権を定着させていったのである。米国にあっても、たとえば人種平等という人権の理念が米国社会に定着するのにどれほど激しい闘いと、既存の支配的文化やキリスト教教義の再解釈を必要としたか、誰の目にも明らかだろう。」と述べている(10)
  この二つの見解が示しているように、欧米で人権がすんなりと発展したのではないのであれば、人権は西欧文化に内在した西欧に特有なものから生まれたのだと簡単に言い切れないであろう。それでは人権の思想を発展させた力は何であったのであろうか。フランクは「都市化、工業化、中産階級の台頭、情報通信革命などの(社会から)独立した変数が……個人の自治に基礎を置く権利への要求をもたらす」とか、「近代の文明が出て来て、都市化、工業化、通信情報ネットワークの必要が市民社会への要求を引き起こし、その市民社会の中では、私的な選択と行動のために大きな区画がはっきりと区分けされている」と説明し、「いよいよ……ダイナミックな経済のイニシャティヴと個人の自治は不可分であることが明らかとなる」とする(11)。すなわち工業化などの近代文明が自由権への要求をもたらしたとするのである。
  国際政治学者佐藤誠三郎も「民主政治、権力抑制、法の支配にはじまり、自由主義、社会主義、共産主義に至るまで……これらが西欧で最初に生まれたことは事実である。しかし一方で、その多くは現在では非西洋地域でも定着しているし、他方で西洋諸国の多くはごく最近まで、これらの「西洋文明の成果」を実現していなかった。つまりそれらは、古典文明としての西洋文明というよりは、近代産業文明の所産なのである(12)」と述べ、また「平等化の進展が意味するものは何かというと、民主主義とか人権尊重というのは、西ヨーロッパで最初に起りましたが、これは西洋文明と直接関係あるものではない。これは産業化、近代産業文明の帰結なのです。ですから西洋以外のところでも、デモクラシーや人間尊重は安定的に成立しえます。……おそらく、産業化が進んで豊かな社会になったときに、人々の要求をそれほど摩擦なく受け入れる形で、社会の秩序が維持できるような政治体制としては、リベラル・デモクラシーしかないからでしょう。……人権保障は、貴族が自分たちの特権を、だんだん強まってきた王様の権力に対して、守るために頑張った結果として作られたものです。……貴族の特権だったものが、万人の基本的人権になり、それがデモクラシーという政治システムと結びついたものがリベラル・デモクラシーなのです。……基本的人権を犯さないことが大前提です。リベラル・デモクラシーは西洋に特有な文化的なものではない、ユニバーサルなものである。それは同じ産業化が、特定の文化的背景がなければできないものではないのと同じことです(13)」と同様の見方を展開した。

2  発展段階論
  「発展段階論は、発展途上国にとって経済発展が優先するという見解である。」「発展途上国ではまず経済発展が重要であり、その目標達成のためには、人々の権利・自由を無視ないし制限してもやむをえない。人権の保障は一定の経済発展を遂げるまで後回しにしてもよい」、あるいは停止されるべきだというものである(14)。リー・クアンユーの上述の見解も発展段階論である。
  発展段階論の主張によれば、何よりも人民を飢えさせず、食べさせることが先決である。だから経済開発優先となる。開発のためには政治の安定、社会の秩序が重要な条件である。また、ある程度強権的なやり方でも、開発のためには政府主導で産業開発、工業化を進めるのが実効的である、というようなこととなる。この最後の点は開発主義や開発独裁と呼ばれ、開発主義のアプローチが実効を挙げることは日本を始め東アジアの国々の場合で経験的に実証されている。しかし開発主義で注意しなければならないのは、その成功には国民の教育程度が高いこと、主導的な立場に立つべき中産階級が既にある程度存在していることなど、政府の優れた指導の他にもいろいろと条件があるように思われることである。開発独裁で政府が主導すれば成功する、という簡単なものではなかろう。経済成長の成功、不成功について、「経済発展の歴史から学ぶことがあるとすれば、それは、すべての違いは文化によって生まれる、ということだろう」という見解もある(15)。文化の違いで成長に成功したり、しなかったりすると言うのである。
  上に紹介したフランクや佐藤の見方は正しいと思われるが、この見方は発展段階論を支えるものとなるのだろうか。どの社会でも産業文明が進めば、人権尊重や自由が進むというのであるから、産業化が達成されれば、人権保障も行われることとなる。途上国の主張とは異なった意味合いではあるが、この議論は一種の発展段階論となって、人権尊重は社会や地域の文化的特殊性よりも歴史的特殊性に基づくとの主張を支えるだろう。人権保障のためには産業化を待てば良い、という主張も成り立つ。他国の人権状況に関心を持つとしても、直ぐには干渉しない、という態度を取る際の説明にもなる。
  この主張に対する人権擁護論者の答えは、我々は待っていられない、というものであろう。特に問題が民族浄化や拷問、強制失踪のような大規模な、あるいは極度の人権侵害の場合は待っていられない。これは当然である。社会によっては経済開発に時間がかかる。一〇年の単位の時間を要する。その上、人権を制約しなければ経済発展できないということもない(16)。また、一般に民主化、人権尊重が進むことは国際平和に資するとされている。人権の保障は当該国民のために良いことなのであるから、ただ待つ、開発の後回しにする、という理由はない。
  その上人権の保障は、国家が国民を守るという基本的要請から来るものである。この基本的観点に立てば、開発優先の発展段階論にはならないであろう。大沼保昭は「近代化とは一面において主権国家の確立にほかならない。……国家権力が近代産業文明がもたらした武器の巨大な殺傷能力を独占すると共に……「個人」に対峙することを意味する」とし、「人権が近代の主権国家と資本主義経済による人間の尊厳破壊に対する最も効果的な防禦手段であったことは……人類の歴史的経験のなかで十分実証されている(17)」と述べているが、これは国家と市場の力から個人を守るという人権の本来の目的と機能の観点からの強い主張なのである。
  たしかに産業文明は国民国家を要求する。「産業資本主義の核たる工場生産の場においては、従業員全体が共通の言語でコミュニケートし、営利組織へのコミットメントを共有することが必要となる。……限定された範囲内に均質な言語・価値観を普及させて人々を同質化させる国民国家の存在が、産業資本主義には不可欠の前提となってくるわけだ(18)。」そして、国民国家の存在は人権保障を必要とさせるのである。

3  自由がなければ発展はない
  フランクの見解の大筋は、産業化が進めば自由や人権尊重が進むというものであった。アマルティア・センは自由こそが経済発展の目的なのであると言う。センの著作の一つから彼の主張の要点を取り出してみよう。「そもそもなぜ経済成長が求められるのか」、「経済開発は人間がもっと生きがいのある、もっと自由な生活を送るための潜在能力の拡大であ」り、「人間の持つ本質的な自由が拡大するプロセス」なのである。また、「公開の討論と論議が我々の社会的価値……の形成と活用で役割を果たすに違いないとすれば、基本的な市民権と政治的自由は社会的価値の出現にとって不可欠なものであ」り、「開発に関する文献でしばしば提議されてきた問いは、根本的に方向を間違えていると見なければならない。民主主義と基本的な政治的、市民的権利は開発の過程を促進するのか、という問いである。これらの権利の出現と強化はむしろ、開発の過程を形成する本質的なものと見ることができる(19)。」とするのが、センの主張の中心テーマである。また、彼は「民主的な形態の政府と、比較的自由な報道のある独立国では大きな飢饉はどこでも一度も起ったことがない。飢饉が起ったのは昔の王国と現代の権威主義的社会、原始的な部族コミュニティーと近代テクノクラート独裁制、北半球の帝国主義者が支配した植民地、独裁的な国家指導者や非寛容な一党支配下にある南側世界の新興独立国などである」という(20)。民主主義に飢餓はないというのは誠に示唆に富む指摘ではなかろうか。
  センの主張は極めて妥当なものと思われるが、彼が方向を間違えているとした「政治的、市民的権利は開発の過程を促進するのか」という問いについて更に考えて見たい。フランクや佐藤が、近代産業文明が自由と人権尊重をもたらすとした時、彼等は同時に自由と人権尊重が産業文明を生むということも言っていたのだと思う。更に言えば、自由がなければ産業化も進まないのである。フランクは既に「ダイナミックな経済のイニシャティヴと個人の自治は不可分」だと言っている。近代産業を支える技術の発達と資本主義の市場経済は、個人の自由な精神活動、自由な経済活動なしに存在し得ない。確かに開発主義の手法は短期的には極めて有効である。短期間の近代化へのテイク・オフのためにはほとんど不可欠の手法と言って良いとさえ思われる。しかし開発主義には限界があり、自由への制約を長く続ければ、競争力を弱め、却って成長を阻害する。テイク・オフの後は自由や人権尊重の方向に政策を転換しなければならない。転換をやらなければ競争に負けてしまう。転換のタイミングとその速さの判断は政治家の資質にかかるのであろうが、その後の成果如何は国民の質の問題となる。いずれにせよ、どの社会でも基本的な進展の結果として、保護を続け自由を制限すれば成長も進まなくなるという段階が来るのである。そうだとすればアジア諸国としても文化的特殊性にせよ、歴史的特殊性にせよ「アジアの人権」を主張する際は、その意味合いを良く考えなければならないであろう。産業化を志向する限りは人権尊重にならざるをえない。
  広瀬善男も「国内政治体制における自由と民主主義の制度的確立なしには、今日と見通しうる将来において、十分機能しうる「市場経済」システムへの(途上国の)組み入れは困難であろう。「開発独裁」は短期的には有効な経済発展のシステムとなりえても、国民の自由な発想の保障を欠く社会は、市場経済の社会基盤を結局はつくりえないからである。」「今日での先進国と途上国間に横たわる「人権」観の南北的断層と葛藤についても、それを乗り越えるためには、経済活動を中心とした「近代化」による普遍的市民利益の向上が途上国によって必要と判断される限り(市場経済方式の一般化の傾向はそれを示すが)、家父長的伝統社会観ないし権威主義的共同体観から個人を中心とした自由社会観への移行へと、途上国自らの人権観の変革努力がなければ可能ではないであろう(21)」としているが、同様の見方を表明したものと思われる。
  同様に、歴史家、経済学者として世界的に知られたハーバード大学名誉教授のD・S・ランデスは、『「強国」論』と訳されている著書の中で、理想的な経済成長と発展を遂げる社会は、個人や企業に機会を与え、独創力や競争を促すが、必然的に両性の平等、差別の撤廃、科学的合理性の重視などの要素が付随し、個人の自由に関する権利が保障される社会であるとの趣旨を述べ、近代化を進めた英国がこれに近かった、「人々の自由と安全の増大こそが、変化の重要な鍵だ」とし、アダム・スミスも「自分の生活状態をよくしようとする各個人の自然的努力は、自由安全に活動することを許されるなら、きわめて強力な原動力であって、それだけで、何の助力もなしに、その社会を富裕と繁栄に向かわせることができる」と言っていることを紹介している(22)

三  国際的関心事項


1  国内問題の相対性
  バンコク宣言を読むと、この地域会合の際のアジア諸国の主張では人権の普遍性、特殊性の問題よりも、人権は国内問題であるからとにかく干渉しないでくれという要請の方が強かったと感じる。確かに人権を守るのは第一義的に国家であり、その意味で国家の主権を制限するのは危険である。しかし一九二三年のチュニス・モロッコ国籍法事件の勧告的意見で常設国際司法裁判所は、「ある事項がもっぱら国内管轄に属するか否かは、本質上相対的な問題であり、国際法の発展に依存する」としている。つまり国内問題の範囲は動くのである。
  人権は正当な国際的関心事項になっており、そのことはウィーン宣言で確認されている。しかし人権が本来国とその国民の間の問題として発展してきたものである以上、国際的関心事項となったと言っても人権に関係があれば直ぐに外国から干渉されるというものではあるまい。ある国がその国民を如何に遇するかは優れてその国内事項なのであり、程度を越えた人権侵害があった時にのみ国際的関心事項となると見るべきではないか。その「程度」は重大な、あるいは大規模な人権侵害があった時、というものではないだろうか。平等な主権国家間にあって、自国民保護の場合は別として、他国内のその国の国民の処遇について干渉することには国家は通常極めて慎重であったし、そのことは今も変わっていない。アジア諸国もそのような干渉を懸念する必要はないのである。大規模、重大な人権侵害を起こさなければ良いのであり、また大規模、重大な人権侵害は単に国際人権保障の観点から問題となるだけではなく、周辺地域の国際の平和と安全にも脅威となる重大な事態となる虞がある。

2  コソボの場合
  国際的関心事項となるその大規模、重大な人権侵害の一つの例がコソボである。コソボの場合は、大量の難民、避難民の発生もあり、民族浄化的な住民の追い立て、虐殺もあって明らかに重大、大規模な人権侵害であった。問題は安保理の決定なしに武力干渉が行われたことである。この点からこのNATOによる武力干渉は国連憲章違反の違法な行為であったと言われる。当時NATOの事務局長であったソラナは、セルビア軍が集まっており惨事が予想された状態で、交渉や政治解決の可能性は閉ざされ、他に方法はなく、やむなくとった全く例外的な、しかし必要な措置であった、という趣旨を述べている(23)。英国はこの空爆を合法とする立場であった(24)。国際法学者の中では違法説が多数のようである。
  安保理の決定なしに武力行使が行われることが濫用されるのは認められない。それで多くの人はこの介入が全くの例外であったというのである。欧米諸国は自分達を共通の歴史的、文化的背景を持つ集団とみなしている。特に冷戦後は欧米は民主主義、人権、市場経済の価値を共有する共同体であるとの意識を高め、これに自信を持ち、この価値が普遍性を持つものと確信している。それで欧州の仲間であるならば、これに従え、従うべきだということになるのではないか。一種の地域国際社会ができており、国連が動かなければ、自分達が動く。民族浄化のような重大な人権侵害には主権国家の中のことであっても自分達国際社会は介入する、との主張が出てくる。自分達の行動には正当性があると思っている。安保理での中国の反対もこれを阻止するのに役に立たないと知っていたら、ミロシェビッチはもっと慎重であったろう。米国の国益というような簡単なことでNATO全体が動く筈はない。北大西洋圏の共同体の国々が正当性のある正義の行動と思っていたから動いたのである。ただし、これはユーロ・アトランティック・コミュニティーという地域国際社会内のことであるから、例外的とされたようなその行動がアジアにまで及ぶことはないであろう。

四  グローバル化と人権


1  グローバル化とは
  グローバル化とは国家主権の枠を越えて人の活動が地球大に及んで行くことであり、市場の場における活動や「市民社会」の場で顕著に認められる。原洋之介も「間違いなく各国政府が制御しえない経済取引の領域は拡大している。資本主義の疾走を国家の力で統制して国民生活の安定を守るという二〇世紀後半のシステムは明らかに衰退しつつある。人々が経済活動の自由を求めるかぎり、資本主義のグローバル化は避けられない動きであろう」と見ている(25)。この傾向は一九八〇年代辺りから、特に冷戦後に、そして先進国において著しい。各人は自分が属する国の国民であるという意識と同時に、グローバルな市場やグローバルな市民社会にも属しているという意識を持つことになる。しかし国際社会における国家の役割は本質的には変わっていない。グローバル化、脱主権国家の時代と言っても、それは限られた分野の現象であって、政治、軍事、安全保障の分野で国家主権の機能は変わっていないし、多くの場合ものを決め、実行するのは国家である。国家主権はまだ極めて重要である。これは主権者が国家にのみ人民(人民自身が主権者である場合が多いが)に対する強制力を認めているところからくる。すなわち人々を強制して動かすのは国家(と国連などの国際組織)だけなのである。
  ところでこれはグローバル化についての筆者の見解なのであって、グローバル化という進行中の現象についてすべての論者が共通の見方をしているわけではない。「グローバル・トランスフォーメーションズ」という本ではグローバル化についての見方を、超グローバル化論、懐疑論、変容論の三つに分けている(26)。グローバル化が進んで行って国家主権は終わるとするもの、別に新しいことではなく国家が許す範囲で国際化が進んでいるだけで特別なグローバル化などないとするもの、かつて無いほど地球大に相互関係が進み国家権力はなくならないけれども変容するとするものの三者である。この分類によれば上記の私見は懐疑論と変容論の中間に位置するものだろう。

2  グローバル化と人権の国際保障
  人権の保障は国家による侵害から国民を守る自由権の保障から始まった。自由権の保障の中にはその国の社会における差別から少数者を守ることや国家以外の者による侵害から個人を守ることも入る。経済権や社会権の保障は主として市場の暴力から個人を守ることと理解できるだろう。ここで注意すべきことは個人を守るのは国家であるということである。国家の中で人間の尊厳を守るものはつまるところ強制力のある国家以外にはない。あるいは国家が作る国際組織もその任務の範囲で人権を保障することができる。その強制力は結局国家主権から来ているものであって、現在の国際社会にはそれ以外の強制力はない。
  グローバル化する市民社会の中で、社会による差別などの人権侵害から個人を守ることや、グローバル化する市場経済の暴力から個人を守るため経済権、社会権を保障することも、やはり国家によるしかない。グローバル化は市場や市民社会の活動が国家主権の枠を越えて行われることであるとすれば、グローバル化の中の人権保障は夫々の国家別々では仲々はかどらないかもしれない。そして国家以外の保障としては国際保障の制度があるだけである。人権の国際保障が進むようになったのは前述の通り一九八〇年代から冷戦後のことである。また、グローバル化が顕著に進み出したのも八〇年代から冷戦後のことである。この時期の合致は全くの偶然ではないだろう。人権については同じ頃から各国内、国際の両面でNGOの活動も活発となって来ている。このNGOの活動は市民社会のグローバル化を反映するものと見て良いだろう。すなわち人権の国際保障システムは、国際社会から見れば国際的公共価値を守るものであるが、グローバル化に対応するものという機能も持っている。くり返しになるが、グローバル化でNGOがいろいろ活動するけれども、実際の人権保障は国家が独自に、あるいは国際保障のシステムの中で、行うしかない。他に保障のメカニズムはない。そして自由権は、個人の自由と平等を国家自体からの、及びグローバル化する市民社会の中での、侵害から守るものであり、経済権と社会権の主な機能は国家がグローバル化する市場の暴力から個人を守るところにある。一般的に言えば社会福祉、社会保障なのであるが、人権の言葉で言えば社会権、経済権の保障ということになる。人権の国際保障システムは、この国家による保障を補うグローバル化時代の保障メカニズムというべきものである。このようにして、人権の保障にもグローバル・スタンダードと言えるようなものが出来て来るのではなかろうか。このスタンダードから大きく外れると、国家はいろいろな国際競争に負けることになる。
  本年秋の国際人権法学会報告で、窪誠は既に一九六〇年代に発効していた欧州社会憲章が、権利内容及び適用監督の強化拡大の点で、効果的に動き出したのはやっとこの十年ほどの一九九〇年代になってからであり、この背景としてはグローバル化と東欧諸国の加盟の二つの要因が挙げられる、との趣旨を述べていたが、これはグローバル化に関連するタイミングの点で極めて興味深い指摘であった(27)
  ここで少々付言したいが、国家による保障といっても中央政府によるものばかりではない。グローバル化時代の人権保障に有効な手法は地方公共団体レベルでの活動であると思われる。グローバル化する市場は、人々の自由な経済活動を要求し、その結果貧富の格差拡大や競争の敗者増などの問題が出て来る。これに対処するのが社会権、経済権の保護であるが、国家による保障の場合も問題の所在に近い地方レベルの方が多元的で適切な対処を行うことができるであろう。市民社会における活動も、国家の保護も、グローバル化の時代にはできるだけ地方レベルで行うのが効果的ではなかろうか。

む    す    び−グローバル化とアジアの人権

  経済が開発され、産業の近代化が進むにつれて、その社会のグローバル化も進む。これまで述べて来たとおり、これは大筋において人権尊重の伸長を伴うものである。それがことの成り行きであるとすれば、アジアの国々にとっても他の国にとっても、アジアの人権の普遍性、特殊性を特に主張する必要はないことになる。いずれにしても、大規模あるいは重大な人権侵害の場合は内政問題不干渉を主張することなどはできない(政治的には、これが問題の核心なのかもしれないが)。それ以外の場合は、人権伸長の方向性さえ確保されていれば特に問題とすることはないだろう。上述のとおり、経済開発を助けることが人権保障につながる。開発援助は、平和と繁栄の促進にも資するし、大いに意義のあることとなる。アジアの人権、人権の文化的、地域的特殊性は大きな問題ではない。ただしこれからいよいよグローバル化する市場に入って行く、あるいはグローバル化する市場が入って来るアジア諸国夫々にとっては産業化は容易な問題ではない。成功は簡単ではないが、「東アジアの奇跡」が続いてアジア諸国は相当程度成功するであろう。しかし成功すれば成功したで、更にいろいろな大問題(例えば環境や過剰供給力の問題など)が出て来る。その際問題の本質を正しく理解していれば、人権尊重の関連においても適切な判断ができるであろう。基本的には産業化と人権尊重は同方向にあり、上述のリー・クァンユーの見解は短期的にしか妥当しないのである。

(1)  阿部浩己『人権の国際化』(現代人文社、一九九八年)八八頁。
(2)  深田三徳『現代人権論』(弘文堂、一九九九年)一四〇頁。
(3)  Kausikan, B.,”Asia's Different Standard, Foreign Policy, XCII (1993) pp. 24-41.
(4)  今井直「国連の人権保障システムの展開と機能」一九九八年一〇月一〇日報告、国際法学会。また、今井直「国際関係における人権ー歴史的展開」『国際問題』四七三号(一九九九年八月)六四ー七三頁参照。
(5)  A/C. 3/48/SR. 42, pp. 20-21, 及び SR. 43, p. 3.
(6)  深田、前掲書一三六ー一三七頁。
(7)  同一〇七頁。
(8)  Franck, Thomas M.,”Is Personal Freedom A Western Value?, American Journal of International Law, XCI (1997) pp. 593-627.
(9)  同六一六、六〇八及び六一八頁。
(10)  大沼保昭『人権、国家、文明』(筑摩書房、一九九八年)三一四頁。
(11)  フランク、前掲論文六二三ー六二四頁。
(12)  佐藤誠三郎「文明の衝突か相互学習か」『アステイオン』No. 45(一九九七)三三頁。
(13)  佐藤誠三郎「文明の衝突を越えて」、添谷芳秀編『二一世紀国際政治の展望』(慶応出版会、一九九九年)三一一頁。
(14)  深田、前掲書一三七頁。
(15)  ランデス、D・S・、竹中平蔵訳「『強国」論』(三笠書房、二〇〇〇年)四八三頁。
(16)  深田、前掲書一三八ー一四二頁参照。
(17)  大沼、前掲書二九四ー二九五頁。
(18)  原洋之介、『アジア型経済システム』(中公新書、二〇〇〇年)三七頁。
(19)  セン、A・、石塚雅彦訳『自由と経済開発』(日本経済新聞社、二〇〇〇年)三四〇、三四二、三三一ー三三二頁。
(20)  同一七二ー一七三頁。
(21)  広瀬善男『二一世紀日本の安全保障』(明石書店、二〇〇〇年)二〇〇及び二三五頁。
(22)  ランデス、前掲書一六二ー一六三及び一六五頁。アダム・スミスの引用は大河内一男監訳、中央公論社「国富論」より。
(23)  Solana, J.,”NATO's Success in Kosovo, Foreign Affairs November/December 1999, pp. 114-120.
(24)  英国代表発言、安保理第三九八八会合、一九九九年三月二三日。
(25)  原、前掲書九頁。
(26)  Held, D., McGrew, A., Goldblatt, D. and Perraton, J.,”Global Transformations, Polity Press, 1999.
(27)  窪誠「欧州社会憲章の現代的意義」二〇〇〇年一一月二五日報告、国際人権法学会。