立命館法学 2000年3・4号下巻(271・272号) 1058頁




タイの新「国営企業労働関係法」の意義と課題


吉田 美喜夫


 

一  は  じ  め  に

  タイの集団的労働関係法における特徴の一つは、労働組合運動において重要な位置を占める国営企業の労働者を民間労働者から切り離し、別の法規制の下に置いていることである。
  このような法状態は、九一年の軍事クーデター直後に制定された「国営企業職員関係法」(以下、九一年法という)の制定によりもたらされた。それ以前は、国営企業の労働関係も七五年に制定された「労働関係法」(以下、七五年法という)の適用下に置かれ、ストライキの禁止を除けば、民間の労働者の場合と同様に、労働組合の結成や団体交渉を行うことができた。しかし、九一年法により国営企業の労働者は民間労働者から切断されるとともに、労働組合の結成が禁止された。そして、労働組合としての性格を否定された「協会」(samakom=association)の結成と当局に対する「請願」を行うことができるに過ぎなくなった(1)
  長年に亘ってタイの労働組合運動の中心は国営企業の労働組合によって担われてきたため、国営企業において労働組合の結成を禁止する九一年法の制定は、タイの労働組合運動全体に大きな打撃を与えた。実は、この点にこそ九一年法の狙いがあったのである。そして、九一年法は労働者の基本的な権利を侵害するものであるだけに、制定直後から法改正の要求が労働側から提起され続けてきた。さらに、国営企業は民営化という大きな変動の中に置かれている。このような中で、九一年法の改正問題は一つの政治問題であった。この解決は容易ではなかったが、やっと二〇〇〇年二月一六日、九一年法を廃止し、新たに「国営企業労働関係法」(以下、二〇〇〇年法という)が制定されたことにより一応の解決をみた。ただし、二〇〇〇年法は国営企業における労働組合の結成を認めたものの、民間の労働者と国営企業の労働者を別の法規制の下に置くという法状態は維持された。
  本稿は、二〇〇〇年法の制定過程と内容を検討することにより、二〇〇〇年法の意義とともにタイにおける労働基本権の課題を明らかにすることを目的とする(2)

二  国営企業の意義と民営化問題


(1)  国営企業の状況
  国営企業に関する労働関係法が適用される国営企業の状況は以下のとおりである(3)。九一年法が適用されていた時期ではあるが、最近のデータということで九七年の数字をみると、五九の国営企業があり、通信、上下水道、エネルギー、運輸、その他の五つの分野に分けられる。とくに、前四者のインフラ分野では国営企業が支配的な地位を占めている。これらの企業の多くは順調に運営されているが、独占ないし半独占体であり、大きな資本投資や補助金を必要とする存在であるとともに、オープンで自由な競争を妨げているとみられている。なお、経済における国営企業の位置についてみると、たとえば九六年においてGDPに占める国営企業投資額は五・六%である(4)
  国営企業で雇用されている労働者数は、九七年で約三二万人である。これはタイの全労働者数である三、〇八二万人の一・〇四%に相当する。また、労働者数トップ・テンの国営企業だけで全ての国営企業労働者数の七割を雇用している。なお、国営企業では年功序列による昇進と「終身雇用」が一般的であり、民間の平均値より教育水準、給与、勤続年数もかなり上回っている(5)
  ところで、九一年法により国営企業では労働組合の結成が認められなくなったが、実質的には「国営企業職員協会」(以下、「協会」という)という法認の形態で組織を温存してきた(6)。そこで、このような協会も組合と同視して組織率をみると、九五年の場合、民間も含めた全国平均では五・六%であるが、国営企業の場合、四二・九%、民間の場合、三・八%であり、国営企業の労働者は高い組織率を達成している(7)。そして、九五年末には一二万人のメンバーを擁する四三の協会が「国営企業従業員連合」(State Enterprises Worker's Relations Confederation=SERC)を結成した。この組織は、組合禁止立法の廃棄を要求することや、九七年二月には他の民間の組合代表とともに「新憲法」草案に対する要望書を提出するなどの運動に取り組んだ。そして、この要望書提出の運動の中から国営企業従業員連合や地区グループ代表を構成メンバーとする「労働運動連絡調整委員会」(Coordinating Committee for Workers Struggles=CCWS)が生まれた。これは九七年以降、活発な運動を展開している。また、既存の五つのナショナル・センターと国営企業従業員連合は将来の組織統一をめざしており、九七年五月二六日に四五名の代表が集まり、‘Labour Assembly of Thailand' を創設した(8)
  なお、上記の組織統一については、その後の九七年に発生した経済危機に伴う組合への攻撃の強化の中で「タイ労働会議」(Labour Congress of Thailand=LCT)内の委員長派と書記長派の対立が発生し、結局、後者が脱退して、新たに「タイ中央労働会議」(The Central Council of Thailand=CCT)という九番目のナショナル・センターが二〇〇〇年一月半ばに結成・登録された(9)。これにより、タイ労働組合運動の分裂は拡大した。
  いずれにせよ、上述のように国営企業の労働者は組織を温存しているだけでなく、連合化を図り、新たな運動への準備を着々と進めている。

(2)  民営化の動向
  タイでは国営企業が工業化を推進する上で重要な役割を担ってきた。三〇年代の終わり以降における工業化の初期段階では、主要な企業は国営企業であった。しかし、国営企業は経営的には成功せず、むしろ財政上負担となったことから、五〇年代の終わりには、経済全体を外資導入による民間主導の工業化へと転換するとともに、六一年の第一次六ヵ年開発計画以降、民営化の方針が明確化された。しかし、実際には新設の国営企業が工業化を支えるインフラ部門の整備を担うことになり、国営企業は引き続き重要な位置を占めた。
  七〇年代においても六〇年代の国営企業の抑制方針が維持されたが、七〇年代の終わりに第二次石油危機に伴う民間投資の冷え込みが起きたことから、むしろ「東部臨海工業プロジェクト」に象徴される重化学工業化の担い手としての役割が国営企業に期待された。しかし、そのための資金が政府保証借款の形で確保されたことから、対外債務が一層財政を圧迫することになった。そこで、インフラ部門にも民間資本の参入を進める政策がとられることになった(10)。こうして、八〇年代末からの一〇年で四〇以上の国営企業が民営化され、一〇〇以上あった国営企業が九七年段階の五九にまで減らされた(11)。なお、国営企業の役員のポストが軍部や政党での派閥の勢力争いの道具となっており(12)、そのことが民営化を進展させない事情であるとともに、民営化を必要とする事情でもあった。
  ところで、このような従来の民営化と比べて、今日進められている民営化は性格を異にするといってよい。すなわち、今日の民営化は、第一に、九七年の通貨危機を契機とする国際金融機関などからの融資と関係があるのであって、融資の条件である経済改革プログラムの一環として民営化の実施が求められたのである。具体的には、IMFなどからの総額一七二億ドルの融資の見返りとして、金融の引き締めや金融システムの改善などのほか、国営企業の民営化が提示された(13)。第二に、民営化計画を広範な経済改革努力の一部に位置付け、経済の活性化をもたらす鍵の一つとして取り組まれているのである(14)
  第二の点について敷衍すれば、今日の民営化は、経済のグローバル化の下でのタイ経済の発展に向けた政策展開の一環に組み込まれたものだといってよい。すなわち、八〇年代以降の安価な労働力を利用した輸出主導型の経済発展から、今後は経済の仕組み全体を高度化し、高付加価値の製品の生産へと飛躍しようとしているのである。このような政策の方向を表現しているのが「国営企業改革基本計画」(Reform of State Owned Enterprises Master Plan)である。これは、民営化を実施するため政府が設立した国営企業政策委員会(State Enterprise Policy Commission=SEPC)が策定し、九八年九月一日に内閣で承認されたものである(15)が、この中で、民営化の過程、機構、制度、法的整備など必要なテーマ全般について詳細な計画が展開されている。すなわち、民営化は、タイの企業が国際的に競争できる安定した基盤を提供するため、経済効率を高め、品質の良い製品やサービスをタイ国民に最低のコストで保障することを目標とする。その方法として所有権の移転や使用権協定、合弁企業、経営請負契約、リース、外部委託、契約上のサービス、規制緩和など、現在は国営企業が運営している分野に民間の参入を拡大するためのすべての手段が採用されることになっている。そして、このようにして投資の誘引、経済効率やサービスの質と利便性の改善、政府への財政負担の軽減、この軽減分による保健や教育などの社会・公共投資の強化、さらに資本市場や雇用機会の拡大など、トータルな経済的・社会的な活性化をめざすものである。しかも、国営企業および民営化された国営企業の両方についてコーポレート・ガバナンスや情報公開、評価制度など経営の在り方を国際水準に引き上げる計画も含まれている(16)。そして、実際、電力や電話といった、従来の基幹的な産業分野について率先して民営化が実施に移されている。この意味で、いよいよ本格的な民営化が始まったといえるのである。
  なお、国営企業の労働者団体は一貫して民営化や株式会社化に反対してきた。二〇〇〇年のメーデーでも、国営企業の株式売却への反対が主要な要求項目であった(17)。反対の理由は、民営化に伴い人員削減され雇用を失うことや、相対的に有利であった労働条件を失う可能性があること、さらに株式の売却という方式による民営化を通じて外国人投資家に国営企業が買収され、安全保障や国民生活に悪影響が及ぶ危険性があるからである。そして、ストライキや国王への直訴などの方法も含む活発な反対運動(18)を通じて、@外資との提携はせずに政府は最低でも七〇ー七五%の株式を所有すること、A国営企業からの利益は企業の効率改善のために使用することなどを要求してきた(19)

三  国営企業職員関係法(九一年法)の概要と問題点


(1)  九一年法の概要
  まず、二〇〇〇年法との比較のために必要な限りで九一年法の特徴を概観しておきたい(20)。それは、以下の諸点に要約できる。

  @  国営企業関係委員会の設立
  国営企業の労働関係全般を管轄する「国営企業関係委員会」が設置される。これは民間の労働関係に関する「労働関係委員会」と名称は類似しているが、重要な相違がある。まず、労働関係委員会の場合、委員長と委員は労働社会福祉大臣によって任命される。そして、労使同数の委員とその他の委員で構成され、労働争議の調整と不当労働行為の救済を主要な任務とする(七五年法三七条以下)。これに対し、国営企業関係委員会は、内務大臣が議長に就き、これ以外に大蔵事務次官など、職権上、自動的に委員となる政府委員の他、内務大臣が任命する各同数の経営代表、職員代表、有識者の四者で構成される(九一年法六条。以下、本章の条数は、とくに断りのない限り九一年法の条数である)。問題は、その権限であるが、全国の国営企業に適用される労働条件の基準を定めることができる(一一条)。もっとも、後述する業務関係委員会でも労働条件について審議できるが、その際、国営企業関係委員会が定めた労働条件の基準を考慮に入れる必要があり、さらに財政と関係する業務関係委員会の提案の審議結果に承認を与える権限を有するのも国営企業関係委員会であるから、業務関係委員会による審議の範囲は限定的である。また、国営企業関係委員会は、後述する協会に関する活動などを理由とした解雇または配転に関する請願(二〇条)、および労働組合の執行委員に相当する協会委員の解任が登録官によって命令された場合の終局的な審査機関でもある(四一条)。

  A  業務関係委員会の設立
  各国営企業に「業務関係委員会」が設けられる。議長は経営側が担当するが、それ以外の委員は経営側と協会側から同数ずつ選出される。なお、当該国営企業に協会が存在しない場合、経営側が労働者側の委員を任命する(一四条)。本委員会は月一回以上開催される。また委員の三分の一の要求がある場合も開催される(一七条)。
  業務関係委員会の主要な権限は、経営側が定める就業規則について協議すること、労働条件に関する協会からの請願を審議すること、労働条件の改正に関する協会からの提案を審議することである。この提案が財政と関係する場合、審議の結果は国営企業関係委員会の承認を得なければならない。請願および財政と関係しない提案の場合でも、審議結果を当該国営企業の上級職員および所属する省に提出しなければならない。請願や財政に関係しない提案の審議結果に不満がある場合、請願者または協会は国営企業関係委員会に申立をする権利がある。しかし、それに対する国営企業関係委員会の決定は終局的である(一八条)。

  B  国営企業職員協会の結成
  各国営企業において一つだけ「国営企業職員協会」の設立が認められる(二一条)。協会を設立する権利を有するためには、タイ国籍を有することが要件である(二三条)。協会の会員となるためには、当該国営企業の職員であること、労働組合の組合員でないことが必要である(三〇条)。協会は労働組合と同じく登録しなければならない(二二条)。登録申請は発起人一〇人と職員の一〇%以上の氏名・署名を付し登録官に対して行う(二四条)。しかし、実際に登録が認められるためには、職員の三〇%以上が加入意思を表明する署名をしている必要がある。ただし、この割合に不足している場合、申請から一年以内に充足すればよい。なお、三〇%要件を充足しない場合、協会は解散しなければならない(二六条)。
  協会の権限と義務は、業務関係委員会に請願や提案を提出すること、業務関係委員会の代表を任命すること、福利厚生事業をすること、公益のため資金・財産を配分すること、協会の加入金・会費の徴収をすることである(三三条)。
  なお、協会委員は当該協会の会員である必要がある(三五条)。したがって、部外者が委員になって協会を指導することはできない。

  C  活動規制
  ストライキは禁止される(一九条)。この違反に対しては極めて重い刑罰が予定されている。しかも、単なる参加者でなく扇動者の場合、倍の刑罰が適用される(四五条)。また、特異な規制として、総会の開催が公休日または祝祭休日に限定されている(二八条(21))。
  協会の設立のための活動をしたことなどを理由とする解雇や配転は禁止されている。ただし、解雇や配転を受けた場合も「請願」の形で国営企業関係委員会に対して申し立てることになる。その裁定は終局的である(二〇条)。

(2)  九一年法の問題点
  上記のような内容の九一年法に対して、制定当初から国営企業の労働組合はもとより、国際労働組合組織からも、その導入の一方性および内容が一貫して批判されてきた。それは国営企業の労働者に対して労働組合の結成自体を認めていない点に集約される。つまり、最も基本的な労働者の権利を否定している点である。これ以外の具体的な批判点は以下のとおりである(22)
  @国営企業関係委員会の委員の任命を内務省が行う上、労働者代表の割合も小さいこと、A業務関係委員会は単なる請願や提案などを審議する機関でしかないこと、B一国営企業に一つの協会しか設立できないこと、C協会が連合体を結成すること、および民間企業の組合と合同のナショナル・センターを結成することができないこと、D協会員として各国営企業の労働者の少なくとも三〇%を組織しなければならないが、これは民間の場合には課されておらず、はじめに三〇%で登録されると、後で六〇%を組織しても登録できないこと、E協会は通常の団体交渉手続ではない単なる諮問手続に関与する権限を有するにすぎないこと、F協会や協会委員に対して、協会運営が違法な場合に重罰を予定していること、Gストライキ権が否定されていること、H総会の開催が公休日または祝祭日のみに制限されていること、などである。

四  国営企業労働関係法(二〇〇〇年法)の制定過程と内容


(1)  二〇〇〇年法制定の経過と特徴
  九一年法の改正要求は、その制定直後から労働側によって提起されたが、具体的な法改正の取り組みが始まったのは、九二年九月の下院総選挙の結果成立したチュアン政権以降のことである(23)。この政権は、九一年のクーデター後と九二年の「五月事件」後の二度にわたり、文民政権ではあったが選挙を経ずに成立したアナン暫定政権後に成立したものである。チュアン政権は発足して程なく、九一年法を改正して国営企業労働者に労働組合を結成する権利を認めると表明した。
  ところで、以下で二〇〇〇年法の立法過程を把握するために必要な限りで、タイの立法手続について簡単に説明を加えておくことにする(24)。まず、法案の発議権は内閣と下院議員にあり、下院が先議する(憲法一六九条、一七二条。以下、本節では、とくに断りがない限り、条数は九七年憲法の条数である)。そして、下院で承認した後、上院に送付する(一七四条一項)。上院が同意すれば九三条の手続(25)に移行し(一七五条一項一号)、不同意であれば保留して下院に返付する(一七五条一項二号)。修正した場合は下院に返付し、それに下院が同意すれば九三条の手続に移行する。同意しなければ上下両院の合同委員会で審議し、その結果を両院が承認すれば九三条の手続に移行し、いずれかが不承認の場合は保留となる(一七五条一項三号)。そして、一七五条一項二号による保留の場合には、上院が当該法案を下院に返付した日から起算して、また一七五条一項三号による保留の場合には、いずれかの議院が承認しなかった日から起算して、一八〇日の期間が経過した後においてのみ、下院において再審議されうる。この場合、下院が原法案または合同委員会が審議した法案を現有下院議員総数の過半数で可決すれば、当該法案は国会の承認を得たものと見なされ、その後は九三条の手続がとられる(一七六条一項)。
  さて、上述のチュアン政権の下で、九三年から政府の法案を対象にして国会での審議が開始されたが、これは成立に至らなかった。翌年の九四年九月二八日、法案が国会に上程され、下院を通過し上院に送付されたが、大幅に修正されたことから合同委員会が設置された。しかし、その審議中に下院が解散された(九六年九月二七日)ため廃案となった。
  以上にみられるような展開は、その後も繰り返されることになる。すなわち、下院に法案が上程され、採択されて上院に送付されるが、承認されず修正されることから合同委員会が開催され、一八〇日の待機期間に入るか、その間の政治変動で時間切れになり不成立になる、というパターンである。この場合、上院がどのような修正案を出したかであるが、次の二点に集約される。すなわち、@組合の結成は認めない、A要求を提出する権利も認めない、ということである。要するに、九一年法の枠内に留めようということである。その背景には、組合の結成を認めると労働側の力が大きくなり、政府や国営企業の使用者との関係が悪くなる可能性があるとの判断があったと考えられる。
  上院の反対にみられるように、政府の法案は九一年法と異なり国営企業の労働者に労働組合の結成を認めるとともに、要求を提出して交渉できるようにする内容のものであった。では、政府の法案は上院が執拗に反対するほど立派なものであったかであるが、そうはいえない。この点を確認する上で有益な資料として、九六年五月二一日に国営企業従業員連合が法案に対するコメントをILOに求めたことに対して、ILO本部の担当機関が検討して同年八月二日に行った回答がある(26)。これは、逐条的に意見を述べたものであるが、主要な意見は以下のとおりである。すなわち、@国営企業関係委員会は最低労働条件を定めることや業務関係委員会での審議結果に承認を与えるなどの重要な権限を有するが、内務大臣による委員の任命・解任と委員構成からみて、団体交渉を行えるような公平な場とはいいがたい。Aストライキ権が否定されているが、少なくとも、その停廃が国民の全部または一部の生命、安全、健康を危殆に陥れるような不可欠なサービスのストライキに限定されるべきである。B業務関係委員会の選出について、当該国営企業に労働組合がない場合、「国営企業」が委員を任命するとしているが、それが労働者自身を意味しないのであれば、労働者代表は自由に選挙された代表によることを求めているILOの「企業における労働者代表に与えられる保護および便宜に関する条約」(一三五号条約)三条(b)に一致しない。C差別待遇や支配介入に対する保護について不十分であり、解雇されたものの復職の可能性が考慮されるべきである。D一企業一組合しか認めない点は、結社の自由に反する。Eタイ国籍を有するものしか組合を設立できないことも、すべての労働者が団結権を有するという原則に反する。F組織率の二五%要件は、九一年法の三〇%要件より緩和されたが、なお団結権の制約である。G季節労働者や臨時労働者の団結権がどうなるかが不明である。H労働組合の登録にあたり目的要件があり、労働組合の目的が「公の秩序」または「善良の風俗」と一致することを求めている。しかし、これは抽象的であり、登録官に対して、その判断次第で団結に対する不適切な介入となる広範な権限を与えることになる。これは事前の承認なしに労働組合を設立し、活動できるという団結権に反する。I九一年法と同じく登録拒否に対して不服申立を認めているが、大臣に対するものであって、依然として公平な機関への申立を保障していない。また、大臣の解散命令が出た場合、それを停止させた上で公平な機関による審査が保障されるべきである。J組合員は企業の従業員でなければならず、したがって、部外者は組合の役員にもなれないが、柔軟にすべきである。K協会の解散後、残余の財産は、協会の規約で定められた組合か、その定めがない場合、労働者の福祉のための基金に譲渡されることになっているが、分配の定めが規約にない場合、関係労働者の自由に委ねるべきである。L九一年法と異なり連合体の設立を認めた点は改善であるが、設立に五つの組合を要する点は多すぎる。また、民間企業の組合と連合体を結成できるか否かがはっきりしない。組み方は自由な選択に委ねるべきである。M刑罰のうち投獄は違反と釣り合っていないし、罰金も結社の自由に反する規定の違反について定められている。スト禁止違反や非登録組合への参加に対して刑罰が定められているが、これらは団結権に反する。以上である。なお、このコメントは政府に対しても送付された。
  さて、九六年一二月一八日、法案が下院に上程され、九七年七月までに通過し上院に送付された。しかし、上院は大きく修正して採択し、九七年八月八日に下院に返付した。この修正に対し下院は同意しなかった。そこで、合同委員会が設置され、修正を加えて九八年一月七日に下院に返付した。しかし、下院は九八年一月九日、この合同委員会の修正案を否決した。そこで、一七六条一項に基づき、法案は一八〇日間の待機期間に入り、下院は一八〇日後、具体的には九八年七月七日以降、下院の原法案を再提案できることになった。
  しかし、待機期間が経過しても政府は国会の日程を調整して審議を引き延ばし、三カ月後の同年一〇月八日になってやっと法案が再提案された。その際、与党である民主党は、二九条(27)と調和する条項を法案の中に挿入することを求めた。すなわち、一企業に一つの組合しか認めないという法案の内容は憲法で保障する結社の自由(四五条)に反するから、このような憲法上保障された権利の侵害を含む法案には如何なる憲法上の条項がその権限を与えたかを示す条項を含まねばならないというわけである。
  この問題について、下院は「二九条条項」を法案の本文に置くべきであるとしたが、上院は法案の前文に置くべきであるとした。考え方が真っ向から対立したので、九八年九月四日までに、合同委員会は「二九条条項」を法案の前文に入れることを決定した。これに対して、与党は、憲法問題を生ずるという野党の批判や合同委員会の決定に反して、九八年一〇月八日に下院で法案を可決するとき、その条項を法案の本文に加えた。
  この結果、本文に「二九条条項」を加えた法案は、二六二条一項に基づき、憲法の規定に照らして不当に制定されたとして憲法裁判所(28)の判断に委ねる道が開けた。そこで、上院は、九八年一〇月一三日、憲法裁判所に憲法判断を請求した。これに対し、九八年一一月一二日、憲法裁判所は、国会で法案を通過させる手続に当該法案が違反すると判断した。なぜなら、下院を通過した後に修正を加えたので両院が法案を審議する機会をもたず、これは一七六条の手続に違反するからである。これにより、法案は二六二条三項に基づき廃案となった。
  憲法裁判所で法案が廃案とされてから二ヶ月後、国会の新しい会期が召集された。政府は法案を国会に再提案し、下院で九九年一月二〇日に承認された。そして、上院に送付され、そこでILO八七号条約および九八号条約に反する重大な修正が加えられた。そこで、この修正法案は合同委員会にかけられた後、下院で九九年八月五日に否決された。上述の通り、原法案が再度、下院に提出されるには一八〇日の待機期間が必要であり、それは二〇〇〇年二月五日である。その際、上院の見解に何ら注意を払う必要はなく、下院は改正法案を通過させることができることになった。しかし、二〇〇〇年三月四日に最初の上院の選挙が予定されていた(29)。つまり、法案を通過させるにはスケジュール的に余裕がない状態であった。それまでに成立させないと、その機会を失う恐れがあった。幸いなことに、一八〇日の待機期間が終了した直後に、ソマビアILO事務総長が国連貿易開発会議(UNCTAD)の総会(二〇〇〇年二月一二日ー一九日)に出席するために訪タイし、その際、チュアン首相に対して直接、国営企業労働者の結社の自由の回復が重要な問題であることを訴えた(30)。これを受けて、緊急に国会が開催され、二〇〇〇年二月一六日、下院の議決により、二〇〇〇年法が成立した。そして、官報に公布された翌日である二〇〇〇年四月八日施行された。

(2)  二〇〇〇年法の内容と特徴
  二〇〇〇年法は、九一年法の改正という形式ではなく、それを廃止した上での新しい法律の制定という形式がとられている(三条。以下、とくに断りがない限り、本節の条数は二〇〇〇年法の条数である)。その内容と特徴は以下のとおりである。

  @  形式的側面の変化
  まず、形式的な面からみると、九一年法は五六箇条から成っていたが、二〇〇〇年法は九七箇条となり、条数がほぼ倍増した。次に、法律の名称も変化した。九一年法の場合、条文の中では「職員」という定義規定の中で「職員」と「労働者」の両方(31)が適用対象になることは表現されていた(九一年法四条)が、法律名では「国営企業職員関係法」となっていたため、適用対象に「労働者」が含まれないと誤解される場合があった。それを防止するため、二〇〇〇年法では広く「職員」と「労働者」の両方を含むように「国営企業労働関係法」という名称が採用された。そして、担当大臣が内務大臣から労働社会福祉大臣に替わった。さらに、立法過程で問題となった「二九条条項」は本文(四条)に入れられた。元々、憲法三五条(家宅捜索からの自由(32))と憲法四五条(結社の自由)は法律による制限が認められているが、四条では、本法がそれらの権利を制限する規定を含む法律である旨を定めている。

  A  労働組合の結成の承認
  最大の変化は、九一年法が「協会」の結成を認めただけであったのに対し、二〇〇〇年法が「労働組合」の結成を認めたことである(四〇条)。しかも、一〇以上の労働組合が集まって「労働連合」を組織できることになった(七〇条)。そして、この労働連合は七五年法に基づいて結成が認められている労働者団体協議会−一五以上の労働組合または労働組合連合(複数の労働組合で結成できる。七五年法一一三条)によって組織される団体(七五年法一二〇条)−に加入することができることになった(七二条)。したがって、立法過程での論点であった国営企業と民間企業の労働組合が連合体を結成することの是非については、認める形で決着がついたのである。ただし、個々の企業レベルでは、あくまで一企業一組合に制限されていることにかわりはない(四〇条三項)。また、登録が必要であることや登録官の権限は七五年法の下にある民間の労働組合の場合と同じである。そして、競合して登録申請があり、合同が成立しない場合、組合員数が多い方が登録され、同数の場合には、抽選で一組合に絞られる(四六条)。
  組合を結成する場合、最初は一〇人の発起人と一〇%以上の労働者の署名があれば登録を申請することができる。ただし、一年以内に二五%の労働者を確保する必要がある。これが達成できないと、労働組合の登録申請は却下されたものとみなされる(四三条、四五条)。二五%という組織率要件は−法案段階の三五%より率が低められたものの−維持されている。また、組合員であることと国営企業の従業員であることが不可分であり、組合役員も部外者が就任できない(五六条)ことから、引き続き組合は企業内に封じ込められた。
  季節労働者や臨時労働者の団結権がどのような扱いを受けるかについては、全労働者の二五%以上を組織する必要がある旨を定める規定(四二条)によれば、時々の仕事に従事する労働者、予期しない仕事に従事する労働者、季節的労働者およびプロジェクト型の労働者は、二五%という割合を数える際の労働者に加えてはならないことになっている。つまり、一国営企業で一つの組合にだけ代表権を認めるという二〇〇〇年法において、代表権のある団結体であるか否かを判定する対象から彼らは除外されることになる。したがって、彼らは組合員になること自体が否定されているわけではないが、彼らだけで組合を結成することはできないことになる。また、組合員の国籍問題については、設立者になるにはタイ国籍が必要である(四一条)が、組合員になる資格については、タイ人でなくても良い。なぜなら、それを禁止する条項はないからである。したがって、たとえばビルマ人やラオス人が国営企業で雇用を確保すれば組合員になることができる。
  団結権の行使に対する保護が手厚くなった。すなわち、労働組合の設立を申請すること、組合員、組合役員、業務関係委員会などの委員であること、訴えの提起や関係機関への証拠の提出、証言を理由として労働者を解雇すること、または労働ができなくなるような結果となる行為をすること、さらに、組合への加入の妨害、組合から脱退したり各種委員会の委員を辞めさせること、組合に加入させないため金銭・財産を提供すること、労働組合の運営を妨害したり介入すること、組合員になる権利の行使を妨害することなどは禁止される(三五条)。このような保護は、七五年法における不当労働行為の禁止(七五年法一二一条)の範囲と比較した場合、七五年法と同じく組合結成に向けた準備活動までは保護の対象に含まないという限界はあるものの、組合の設立手続および各種委員会の委員であることを保護する点では充実した。しかし、集会の召集や請願の提出、要求書の提出、交渉などが保護の対象から除かれている点では、範囲が狭められている。

  B  要求提出と交渉の承認
  九一年法では「請願」ができるだけであり、協会は直接当局と交渉する地位になかったが、二〇〇〇年法では要求を提出し、雇用条件協約を締結する権利が保障され(二五条)、九一年法より前進するとともに、この点は民間の場合と同じになった。しかも、要求を提出できる対象である「雇用条件」には、雇用・労働条件はもちろんのこと、「雇用の終了」も明文で含まれている(六条)から、九一年法の場合にあった問題、すなわち雇用の終了は請願などの対象にならないという問題(33)は解消した。そして、交渉が行われないか、交渉の結果、合意に至らなかった場合、つまり協約が締結されなかった場合、「労働争議」が発生したものと見なされる(三〇条)。この段階になると、民間では、まず仲裁に付した上で、それが不調の場合、ストライキに移行できる。しかし、二〇〇〇年法ではストライキに移行できず、後述の国営企業労働関係委員会の強制仲裁によって決着がつけられることになる(三一条、三二条)。ストライキが禁止されている点は、七五年法の適用下に国営企業が置かれていたときと同じである。異なるのは、七五年法の下では、国営企業で労働争議が発生した場合、労働関係委員会の裁定、それに不服の場合の大臣への上告という二段階の手続が定められていたこと、および二〇〇〇年法では財政問題に関わる国営企業労働関係委員会の決定は内閣の承認が必要とされている(三二条)ことである。

  C  国営企業労働関係委員会の設置
  九一年法における国営企業関係委員会は、二〇〇〇年法では、名称に「労働」という言葉が入り、「国営企業労働関係委員会」になるとともに、構成員および役割も変わった(八条)。すなわち、従来の「四者構成」ではなく、委員長となる大臣の他、政府委員三名、使用者委員五名、および労働者委員五名から成る「三者構成」となった。また、その労働者委員は、労働組合の委員長の間で選挙により選ばれた者から大臣によって任命されることになった。さらに、この委員会は九一年法での国営企業関係委員会と同じく「雇用条件」の基準を定めることができるが、その場合、「最低の雇用条件」を定めることができることになっている(一三条)。これは、前述のように、「雇用条件」について各国営企業での交渉を認め、交渉が成立すれば各国営企業で個別の協約を締結することを認めているからである。この他、前述のように、労働争議を仲裁するという新しい役割を担うことになった。

  D  業務関係委員会の設置
  各国営企業に「業務関係委員会」が設置される点や理事会が決定した理事が委員長となる点は九一年法と同じである。しかし、委員長のほか、労使同数の各代表の数が三人以上七人以下であったものが、五人以上九人以下に増員された。何人にするかは国営企業が定める。労働者代表は労働組合の提案に基づき当該国営企業の組合員の中から国営企業が任命する。労働組合が存在しないか解散している場合、当該国営企業が労働者代表の選挙を手配することになっている(一九条)。労働組合がない場合、九一年法では国営企業の理事会が委員を任命することになっていた。したがって、労働者代表の選出方法については改善が図られたといえる。さらに、労働組合の結成が認められ、労働条件の交渉も可能になったので、本委員会の役割も変化した。すなわち、従来の「請願」や「提案」は労働組合が要求として提出できるため、本委員会には紛争を解決する方法を追求すること、就業規則の改善について審議すること、苦情について協議すること、「雇用条件」の改善について協議することなどが割り当てられた(二三条)。以上からみて、業務関係委員会の協議機関としての性格が一層明確になったといえる。

  E  総会開催日の自由化
  草案段階では、九一年法と同じく、総会の開催が休日または公休日のみに限定されていた。これは民間にはない制限であり、労働者側から廃止要求があった規制である。最終的には、草案にあった四九条三項は削除され、二〇〇〇年法では総会はいつでも開催できることになった。そして、労働日に集会の開催ができることとの関係で、組合役員については、集会やセミナーなどに参加するために休暇をとる権利が認められ、参加した場合、労働したものと見なされることになっている(五九条)。

五  二〇〇〇年法の意義と今後の課題−結びにかえて

(1)  立法の評価
  九一年法の制定により、労働側が長年に亘って要求してきた労働基本権の回復がかなり実現した。すなわち、国営企業の労働関係が七五年法の下にあった場合との重要な相違は、「一企業一組合」「二五%要件」に集約できる。これらは、いずれも労働基本権に対する重大な制限には違いないが、これらの規制のためだけであれば、九一年法を廃止して七五年法の改正で対応することも可能だったといえる。そうだとすると、問題は、なぜこのような改正に向かわなかったかである。結論的にいえば、二〇〇〇年法の狙いは、引き続き国営企業の労働関係を七五年法とは別の法規制の下に置くことにあったと考えられる。
  ところで、一般に、ある立法が如何なる理由によって行われたかを確定することは困難な課題である。この点に関し、浅見教授は、労働立法もその一部をなすタイの労働政策の規定要因を経済的理由より政治的理由に求めている。すなわち、首相の権力基盤がどこにあるかによって、それを補充したり強化したりする観点から労働政策が立案されたとの分析をしている。言い換えれば、労働政策は治安対策上の配慮や政権の支持基盤の在り方によっても大きく左右されたのであって、単に経済合理性だけが決定要因ではないとする(34)。この指摘で重要なことは、「経済決定論」に立つことはタイの労働立法の正確な理解につながらないとする点である。
  このことに留意しつつ、二〇〇〇年法制定の要因について、以下のように考える。
  第一に、九一年法の制定の狙いは、タイの労働組合運動の中心的な勢力である国営企業の労働組合を弱体化する点にあったのであるが、前述のように、彼らは、労働組合としての存在は許されなくなっても、「協会」の連合組織を結成し、国際的な労働組合運動と連携しつつ、九一年法の廃棄だけでなく、憲法改正問題などにも積極的に関与している。このような状況は九一年法を制定させた理由が存続していることを意味する。
  第二に、国営企業の労働関係を七五年法の適用下に置くためには、当然、九一年法の廃止と七五年法の改正が必要になる。それには、いっそう本格的な合意形成が必要となる。今回の立法でも七年余を要していることからみて、そこまでやりきるだけの時間的、能力的な余裕が政府にはなかったと考えられる。
  第三に、前記のような立法の経過をみると、政府は国会手続や憲法問題など様々な方法で法律の成立を妨害ないし先延ばしをしてきたといえる。国営企業に限らず、労働組合を積極的に育成しようとする意欲は政府に乏しく、二〇〇〇年法についても、法改正の政治的意思は薄弱だったといえる。とくに上院は二〇〇〇年三月に選出される以前の場合、国王の任命によって構成され、軍関係者を含む保守層を中心とする労働者の権利に対して好意的でない勢力によって占められていたから、一層、法改正に消極的だったのである。
  第四に、そのような中で立法に至った背景には、国際労働組合組織(35)や国営企業の労働側が、九一年以来、九一年法の問題をILOに粘り強く訴え、政府に抗議の手紙を出し続けてきた事実がある。また、このような国際的な批判があるにも拘わらず、余りにも明確な団結権の否定の状態を維持することは、グローバル化の中で経済発展を維持する上ではマイナスである。政府としては法改正に消極的であるが、右のような圧力や国際的要因が背景となって限定的にその要求に応じたといえる。
  第五に、民営化との関係である。すなわち、民営化すれば、その企業の労働関係は七五年によって規制されるから、民営化を推し進める政策を立てている状況の下では、急いで九一年法を改正する必要はないといえる。しかし、民営化には多くのタイプがあり、完全に政府の手から離れることにはならない国営企業も多い。また、一気に民営化されるわけではなく、段階的に行われる。したがって、九一年法を必要とした事情は民営化によって直ちに解消するわけではない。そこで政府としては、立法はしたくないが、民営化が進行している下では、新法は適用対象がいずれ縮減するし、施行しても短期間となる可能性があるので、大きな意味を持たないと判断し、立法化を容認したと考えられる。この意味で二〇〇〇法の制定と民営化とは関係がある。
  以上のようにして、結局は民間の労働関係と国営企業のそれとを別個の法規制の下に置くという在り方が維持された。これは、基本的な団結権を承認しながら、法形式的に民間と別立てにして民間にはない団結への規制を加え、そのようにして団結力がかつてのようなレベルに回復することは許さない、という政治的な意思が働いた結果であると考えられる。

(2)  残された課題
  最後に、二〇〇〇年法の制定を前提にした場合、タイの集団的労働関係法には、次のような課題があると考える。
  第一は、国営企業の労働者の労働基本権を回復するため、まずもって九一年法以前の段階の法状態に戻すこと、すなわち、彼らを七五年法の適用下に置くことが必要である。別個の法規制の下に置くこと自体が、自ら選択した組織に加入できるという団結権に反するからである(36)
  第二に、七五年法自体の改正が必要である。ここには、さらに二つの問題が含まれている。一つは、七五年法自体が、九一年法が制定されたと同じ背景の下で改悪されているので、これを改正する必要があるという点である。たとえば、団体交渉手続において助言するアドバイザーの登録の義務付けやストライキ実施に組合員の過半数支持を要件とした点がそれである(37)。もう一つは、七五年法の立法段階から含まれていた限界を解決するということである。たとえば、組合設立活動に対する保護の欠如、組合役員の従業員要件、公務員の組合加入禁止、組合設立者の国籍要件、違法ストに対する科罰、連合体結成への過度の要件などである。要するに、七五年法も含めた労働団体法全体の改正が必要である。すでに改正に向けた議論が開始されているが、実際に改正されるまでには相当時間がかかるものと思われる(38)
  第三に、このような法律の改正以上に重要なことは、法律の実行である。このことは労働保護法についてとくに当てはまる(39)が、労働団体法の場合も不当労働行為の発生の防止などについては同様のことがいえる。問題は、二〇〇〇法制定への政府の消極的姿勢をみると、行政に余り期待できないことである。したがって、労働者自身の自主的な努力が必要である。その場合、労働組合はもちろんのこと、それ以外のNGOなどの組織による評価・監視活動が今後は一層重要になると考えられる(40)

(1)  タイにおける国営企業の役割、経済的位置、九一年法の背景および内容については、拙稿「タイの国営企業と労使関係法」立命館法学一九九六年第五号(第二四九号)一二五二頁以下参照。
(2)  本稿を執筆するにあたり、タマサート大学のヴィチトラ教授、シリポルン助教授、ILO/EASMAT(バンコク)の高木君代上級専門官には有益な解説や資料提供を受けた。この場を借りて感謝の意を表する。なお、本稿は二〇〇〇年度文部省科学研究費補助金(課題番号一一六二〇〇五八)に基づく研究の一部である。
(3)  国営企業の状況については、The Royal Thai Government,"Reform of State Owned Enterprises Master Plan", 1998(以下、MPという), pp. 3-4 参照。
(4)  『タイ国経済概況(一九九八/九九年版)』(バンコク日本人商工会議所・一九九九年)三四〇頁参照。
(5)  浅見靖仁「タイにおける開発主義と労使関係」日本労働研究雑誌四六九号四一頁参照。また、幹部職員の中には首相より高額の給与を支給されているものもおり、その減額が課題となっている。海外労働時報二八〇号一五頁参照。
(6)  七五年法の下で設立されていた国営企業の労働組合は清算手続の後、消滅し、その財産は九一年法に基づき設立される当該国営企業の職員協会に委譲されることになっている(九一年法五五条)。
(7)  浅見・前掲論文四一頁参照。
(8)  以上について、バンティット・タナチャイセータウット/末廣昭・浅見靖仁編「タイの経済危機と労働問題」(二)労働法律旬報一四五二号三八頁以下参照。
(9)  海外労働時報二九五号一五ー一六頁参照。
(10)  末廣昭・安田靖編『タイの工業化  NAICへの挑戦』(アジア経済研究所・一九八七年)一一〇頁以下参照。
(11)  MP, p. 2. ただし、ここで一〇〇以上という国営企業の数は、そのピークであった六〇年の一〇二以外にはない(末廣・安田編・前掲書一一五頁参照)。したがって、一〇〇という数字の中には、政府が全額出資するか過半数の株式を所有する狭義の国営企業以外の、株式所有が過半数に達しない広義の国営企業も含まれていると考えられる。
(12)  末廣・安田編・前掲書一二三頁参照。
(13)  海外労働時報二七八号五頁参照。ただし、九九年一〇月からIMFの融資は受けていないので、融資の条件であった民営化も急ぐ必要はなくなった。海外労働時報二九三号一六頁参照。
(14)  MP, p. 2.
(15)  これに先立って、政府は国際的なコンサルティング会社を選定し、基本計画の素案の作成を行わせたという。前掲『タイ国経済概況(一九九八/九九年版)』三三九頁参照。
(16)  MP. p. 5 ff.
(17)  海外労働時報二九八号一三頁参照。
(18)  海外労働時報二九三号一五頁参照。
(19)  海外労働時報二八六号一六頁参照。
(20)  本法を検討した論稿として、前掲・拙稿「タイの国営企業と労使関係法」一二五二頁以下、本法の邦訳として、拙稿「タイの国営企業職員関係法」立命館法学一九九九年第四号(二六六号)九二一頁以下参照。
(21)  過去、就業時間中に総会を開催し、これが事実上ストライキの意味をもったことから設けられた規制である。
(22)  ICFTU書記長 Bill Jordan からILO事務総長宛の書簡(一九九九年一〇月一一日付)、山田陽一「タイ軍事政権による国営企業労働組合の侵害」季刊労働者の権利一八九号一〇頁など参照。
(23)  以下の経過については、主として Wichitra Foongladda"phraraatchabanyat reengngaan ratwisaahakit samphan phoo. soo. 2543"(『仏暦二五四三年  国営企業労働関係法』)(2000, Bangkok)、ICFTU, Internationally−recognised Core Labour Standards in Thailand, Report for the WTO General Council Review of the Trade Policies of Thailand, Geneva, 15 and 17 December 1999)、前掲・ICFTU書記長 Bill Jordan の書簡、海外労働時報二七九号一五頁など参照。なお、九六年末までの経過については、前掲・拙稿「タイの国営企業と労使関係法」一二八五頁以下参照。
(24)  現行憲法である九七年憲法とそれ以前の本稿の検討課題に対応する時期の憲法では立法手続に関する条文の位置は変化しているが、内容に基本的な違いはないので、九七年憲法に即して説明する。なお、九七年憲法の邦訳として、『仏暦二五四〇年(西暦一九九七年)タイ王国憲法』(タイ経済パブリッシング・一九九七年)がある。
(25)  九三条は国会で可決された法案に対する国王の署名と官報への告示により法律となる旨定めている。
(26)  ILO, ILO's Comments on the Draft State Enterprise Labour Relations Act, 2 August 1996.
(27)  憲法二九条は以下のとおりである。「第一項  本憲法で保障されている権利および自由の制限は、特に本憲法で定められている目的および必要な範囲でのみ、法律の定めによる権限なしに行われ得ず、かつこれらの権利および自由の本質が否定的な影響を受けるものであってはならない。第二項  第一項でいう法律は一般的に適用されねばならないのであって、特別の事例もしくは特別の人間に対して適用されてはならず、かつこれらの法律を公布する権限を与えた憲法上の規定が明定されていなければならない。第三項  第一項および第二項の規定は、法律の規定の権限により定められた規則または規程に準用されるものとする。」
(28)  違憲立法審査権を有する機関で、最高裁裁判官、最高行政裁判所司法官、法学・政治学分野の学識経験者などから構成され、審議中の法案も対象にできる。九七年憲法一七七条、二五五条参照。
(29)  従来、国王による任命制であった上院が九七年憲法により選挙で選出されることになった。この選挙の状況について、東田幸夫「上院議員選挙の教訓」所報(バンコク日本人商工会議所)四五八号一頁以下参照。
(30)  Manager Daily 17. Feb. 2000.
(31)  「職員」は、事務労働か現場労働かに関係なく、採用時に「職員」として採用され、就業規則の適用下で良好な労働条件を享受する。これに対して、「労働者」はこのような条件を享受しない、その他の従業員である。
(32)  当局による組合事務所の調査が可能であることから、本条と関係する。
(33)  この指摘について、和田肇「タイ労働法の特徴」名古屋大学法政論集一四一号八一頁参照。
(34)  浅見・前掲「タイにおける開発主義と労使関係」三四頁以下参照。
(35)  これには、ICFTU、AFL・CIO、ITS(国際産業別組織)の一つであるPSI(国際公務員労働組合連盟)などがある。
(36)  ILO, Memorandum of the International Labour Office on the Draft Labour Relations Bill of 1999 of Thailand, 1999.
(37)  後者は当然の要件にみえるが、タイの労働組合運動の実態からすると、ストライキを抑制する意味がある。拙稿「タイの労働関係と労働法の課題」季刊労働法一七四号五一ー五二頁参照。
(38)  すでに、このための作業が労働社会福祉省で進行中である。そして、九九年には新たな労働関係法の草案が提案された。海外労働時報二八一号一八頁参照。また、これに対するILOの評価については、ILO, op. cit.
(39)  九八年に労働保護法の全面改正が行われた。本法の概要と条文の翻訳として、拙稿「タイの新労働保護法」立命館法学一九九九年第六号(二六八号)一五六三頁以下参照。
(40)  たとえば、近年タイで注目されているのが、SA(Social Accountability)8000 という国際基準である。これは、「経済的優先権に関する会議」(The Council on Economic Priorities=CEP)が作成した基準のことであり、結社の自由と団体交渉権を含む労働者のコアとなる権利を遵守の対象にしている。海外労働時報二九三号一七頁およびSGSーInternational Certification Services のホーム・ページ参照。