立命館法学 2000年5号(273号) 474頁




「国家の国際犯罪」としての侵略

− 法典化の歴史的および理論的検討 −


木原 正樹


 

目    次

は じ め に

第一章  「国家の国際犯罪」法典化の前提としての戦争違法化
  第1節  戦争違法化以前における「国家の国際犯罪」の主張
  第2節  戦争違法化を契機とする「国家の国際犯罪」概念の萌芽
  第3節  侵略に対する制裁と「国家の国際犯罪」に対する刑罰の混同

第二章  侵略に関する「国家の国際犯罪」と「個人の国際犯罪」の外形的分化
  第1節  「個人の国際犯罪」処罰としての戦争指導者処罰の実現
  第2節  「個人の国際犯罪」の前提としての「国家の国際犯罪」
  第3節  「国家の国際犯罪」処罰の一形態としての国家元首の処罰

第三章  「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度と集団安全保障体制
  第1節  集団安全保障体制を利用する国際法委員会諸提案
  第2節  「国家の国際犯罪」に対する処罰と集団安全保障体制上の制裁の関係
  第3節  「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度創設の妥当性

お わ り に


 

は  じ  め  に

  従来、国際違法行為に対しては、国家責任法が適用されてきた。この国家責任法は、ホルジョウ工場事件判決で「約束の違反が適当なかたちで賠償をなす義務をともなうことは、国際法上の原則である」と述べられたように(1)、原状回復義務またはこれに代わる賠償義務に帰着するという法であった(2)。すなわち、従来の国際違法行為は、一般に国内私法上の不法行為に類するものとして取り扱われてきたのである。しかし、第一次世界大戦後、戦争違法化への大転換が始まった当初から、多くの国家が侵略を国際違法行為ではなく「国際犯罪」と呼んできた。これは、一九二七年の国際連盟総会で「侵略戦争は国際犯罪である」という趣旨の第三委員会決議が異論なく採択されたことに示されている(3)。このような国家実行を背景として、侵略に対する国際法上の取り扱いをめぐり様々な主張がなされた。その際、侵略等の「国際犯罪」については、ホルジョウ工場事件判決のいう「約束の違反」の場合とは異なる国際法上の取り扱いをすることが前提とされていた。
  ところが、第二次世界大戦後は、「国家の国際犯罪」としての侵略についてはあまり議論されないまま、ニュルンベルグ裁判および東京裁判において「個人の国際犯罪」としての「平和に対する罪」の処罰が実現した。そのため、侵略が「国家の国際犯罪」に該当するのではないか、という問題については未解決のまま、現在までに、「人類の平和と安全に対する犯罪についての法典草案」第一六条「侵略の罪」が作成され、さらに、国際刑事裁判所規程に関するローマ条約が採択されるに際して第五条1項(d)「侵略の罪」が含められた。「国家の国際犯罪」の問題については、一九六〇年代以降、国際法委員会による国家責任法の法典化作業において議論されてきた。この法典化の作業は、ようやく一九九六年、国家責任条文草案全六〇条および二つの付属書につき、国際法委員会による第一読が終わるという区切りを迎えた。この草案には以下の規定が含まれており、侵略等の行為が「国家の国際犯罪」とされ、これに「単なる国際違法行為」とは異なる特別な効果が付加されている。

第一九条(国際犯罪および単なる国際違法行為)
  2  国際違法行為であって、国際社会の根本的利益の保護のために不可欠であるためその違反が国際社会全体によって犯罪と認められるような国際義務の国による違反から生じるものは、国際犯罪を構成する。
  3  2に従って、かつ、効力のある国際法の規則に基づいて、国際犯罪は、特に、次のものから生ずることがある。
    (a)  侵略を禁止する義務のように、国際の平和及び安全の維持のために不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反(4)
        ・・・
  4  2に従って国際犯罪に該当しない国際違法行為は、単なる国際違法行為を構成する。
第五二条(特別の効果)国の国際違法行為が国際犯罪である場合には、
    (a)  原状回復を得る被害国の資格は、第四三条(c)及び(d)が規定する制限に服さない。
    (b)  満足を得る被害国の資格は、第四五条3が規定する制約に服さない。
第五三条(すべての国の義務)国が犯した国際犯罪は、他のすべての国に対して次の効果を生じさせる。
    (a)  犯罪によってもたらされた状態を合法的なものとして承認しないこと
    (b)  国際犯罪を犯した国が犯罪によってもたらされた状態を維持することを支援し又は援助しないこと
    (c)  (a)及び(b)が定める義務の履行に当たって他の国と協力すること
    (d)  犯罪の効果を除去するための措置の適用について他の国と協力すること。

  しかし、一九九八年から特別報告者となったクロフォードは、その第一報告書において、第五二条および第五三条の効果が実質的に従来の国家責任法の枠を越えず、「国家の国際犯罪」の特別な効果としての内容に乏しいことを指摘している。さらに、この点を主たる根拠として、クロフォードは、「国家の国際犯罪」に関する規定全部の削除を提案しているのである(5)。この提案に従って、国家責任条文草案の第二読が行われ、二〇〇〇年一二月現在、「国家の国際犯罪」の定義に関する第一九条は、「国際社会に対する本質的な義務の重大な違反」に関する第四一条に改められている(6)。そのため、二〇〇一年に予定されている新しい条文草案の採択に際しては、「国家の国際犯罪」に関する規定全部が削除される可能性もある。
  では、今日の実定国際法において、侵略が通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」に該当する、という考えは存在しないのだろうか。これが本稿の問題意識である。

(1)  Chorzo´w Factory (Germany v. Poland), Jurisdiction, PCIJ, Ser. A, No. 9, p. 21 (Judgement of July 26, 1927) (hereinafter cited as Chorzo´w Factory).
(2)  G.I. Tunkin, Theory of International Law, pp. 385, 391, (translated by W. Butler, 1974);I. Brownlie, System of the Law of Nations:State Responsibility, Part I, pp. 32-33 (1983).
(3)  League of Nations, Official Journal, Special Supplement, No. 54, pp. 155-156 (1927).
(4)  同条項には、その他の「国家の国際犯罪」として、「人民の自決権を保護するため」(b)、「人間を保護するため」(c)、および、「人間環境を保護し及び保存するため」(d)に「不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反」が挙げられている。
(5)  J. Crawford, First Report on State Responsibility, A/CN. 4/490/Add. 3, pp. 4-6, 10, paras. 82-86, 101 (1998).そのため、第五二条および第五三条を削除し、「『被害国』とは、国際違法行為が国際犯罪を構成する場合には、すべての他の国」という第四〇条3項を修正し、対世的義務(obligations erga omnes)違反の場合を明示する規定に変え、さらに、第一九条も削除することを提案した。Id., p. 10, para. 101.
(6)  U.N. Doc. A/CN. 4/L. 600. なお、新しい条文草案の詳細に関しては、別稿に譲る。


第一章  「国家の国際犯罪」法典化の前提としての戦争違法化



  第1節  戦争違法化以前における「国家の国際犯罪」の主張

  十九世紀から二〇世紀初頭にかけての国際法の学説においては、戦争にさいして、交戦国のいずれを正、不正とすることはできず、双方を平等とみなければならない、という無差別戦争観が主張されていた(7)。これらの学説も理論上は、自助の手段として(8)、あるいは、国際紛争を解決するための最後の手段として(9)、戦争の合法性を認めることを主張していた。しかし、無差別戦争観にたつ以上、それぞれの国家が何らかの根拠に基づいて自国の行っている戦争の合法性を主張すれば、交戦国双方を平等とみなければならなくなる。そのため、実質的には、あらゆる戦争を合法としていたのと同じであった(10)。但し、戦争の遂行方法だけは実定法上の問題とされ、個人の戦争法違反の処罰については法典化されつつあった。すなわち、国際慣習法上、戦争慣例の違反について、各国はその権力内に入った敵国民を処罰する権能を認められてきたところ(11)、十九世紀中葉以降、こうした戦争慣例が多数国間条約上の戦争法規となっていった。具体的には、一八五六年の「海上法の要義を確定する宣言」によって中立法違反の法典化が始まり、一八六八年の「四〇〇グラム以下の炸裂弾及び焼夷弾の禁止に関するセント・ピータースブルグ宣言」によって交戦行為規制の法典化が始まった後、第一回(一八九九年)および第二回(一九〇七年)ハーグ平和会議により、各種の戦争法規が整備されていったのである(12)。しかし、第一次世界大戦前の実定国際法上、戦争当事国による戦争の遂行自体に対する責任については問題とされず(13)、戦勝国が戦争の結果として領域等を獲得することを合法としていた(14)。そのため、どの学説にも「国家の国際犯罪」概念は存在せず(15)、その法典化も議論されなかったのである(16)
  これに対して、十八世紀以前の時代には、無差別戦争観とは逆に、戦争を正戦と侵略戦争とに分けるべきであるという正戦論が支配的であったといわれている(17)。そのような主張のなかでもグロティウスの理論は、戦争を処罰戦争と侵略戦争とに分けた点で、「侵略者処罰の基盤(basis)を形成した」と評価されることがある(18)。また、正戦論全体を「国家の国際犯罪」概念形成への動きの一環として捉えるものもある(19)
  確かに、グロティウスは、「戦争を行う正当な理由としては、侵害が加えられたこと以外に、何がありえよう」と述べたうえで(20)、戦争の正当原因として、自己防衛、財産の回復とともに、処罰(punishment)を挙げた(21)。また、戦争による処罰の対象となる侵害行為を「犯罪(crime)」とし、この「犯罪」は重大な不正のみに局限することも主張した(22)。このように、自己防衛目的、財産の回復目的で行う戦争も容認されていたものの、それ以外の場合で容認されるのは、「犯罪」という重大な不正に対する処罰戦争である、とされていたのである。さらに、「犯罪を行った国家はまさに犯罪行為を行ったそのことによって、他のすべての国よりも下位に落ちてしまったとみなしうる」と主張し、一種の擬制によって「犯罪」にあたる戦争と処罰戦争の区別を正当化した(23)。したがって、グロティウスは、言葉だけみると「国家の国際犯罪」の主張を行っていたと考えられるかもしれない。そして、これにより観念上は「侵略者処罰の基盤」が形成されたといえるかもしれない。
  しかし、グロティウスの理論において、正当原因を有しない戦争は「愛の法(the law of love)」または「自然法(the law of nature)」によって禁じられるだけである(24)。したがって、「犯罪」にあたる戦争と処罰戦争の区別も、あくまで自然法によるものでしかない。一方、実定国際法についてのグロティウスの理解は異なる。というのも、グロティウスは「主権を有するものによって正式に宣言された戦争は、結局実定国際法上ではすべて合法的なものとして取り扱われうる」と述べているからである(25)。このように、グロティウスの理論は、あくまで自然法上の戦争の区別を正当化するための理論でしかなかった(26)。そのため、グロティウスは、戦争が合法とされる理由についてのみ主張し、「犯罪」にあたる戦争や重大な権利侵害を「国家の国際犯罪」として特別に取り扱うことを主張したわけではなかったといわざるをえない。
  その後、無差別戦争観が支配的な状況になってからも、正戦論が主張されることがある。例えば、二〇世紀においてもケルゼンは、「権利を侵害された国家は国際法秩序が定めている『制裁』を執行する」と述べ、「『制裁』には、復仇と戦争とがある」と主張した(27)。しかし、この理論においても「国家の国際犯罪」概念が成立する余地はなかったといえよう。なぜなら、この理論は、国際法の強制力を肯定するために復仇または戦争を強制履行のための措置、すなわち執行として、統一的に把握しようとしただけだったからである(28)。換言すれば、この理論は、復仇だけでなく戦争も「制裁」に含めることで、国際法上の執行の存在を肯定し、国際法の法的性質を肯定するという理論にすぎず、制裁の対象となる国際違法行為を他の国際違法行為と区別しようとする理論ではなかった。そのため、この理論も、侵略が特別な取り扱いをされる国際違法行為であるという認識がなかった点で、「国家の国際犯罪」の主張とは異なっていたのである。以上のような状況からみて、戦争が違法化されていない時代には、「国家の国際犯罪」概念は成立していなかったといえよう。

  第2節  戦争違法化を契機とする「国家の国際犯罪」概念の萌芽

  第一次世界大戦中、同盟国側は、自分達が枢軸国による違法な戦争の被害国であることを内外にアピールしようとし(29)、その手段として、具体的には、未曾有の被害を世界にもたらしたのが枢軸国の国家元首および戦争指導者であることを明確にするため、それらの者の処罰を主張した(30)。この主張は、戦争が犯罪または違法であることを前提にしていたと考えられる。しかし、戦争違法化が始まろうとしていた時点であったために、国家に対しても個人に対しても、戦争を行ったこと自体についての違法性を問うことについては疑問が提起された。例えば、パリ講和会議で米国は、「侵略戦争を実定法に直接違反する行為であると考えることはできないし、中立違反の特別な責任者として、戦争指導者、特に国家元首を刑事責任に問うこともできない」と指摘している(31)。このように、侵略戦争が国際法上違法とされていなかったがために、ヴェルサイユ条約においては、枢軸国の国家元首および戦争指導者の国際的処罰制度を創設することは断念された(32)。この事例からみても、戦争違法化が進展しなければ、侵略国の処罰自体が不可能であり、その対象として「国家の国際犯罪」概念が萌芽することもできなかったと考えられる。
  戦争違法化は、第一次世界大戦後、急速に進展する。国際連盟規約(以下、規約とする)が結ばれ、戦争違法化への大転換が始まり集団安全保障体制が登場した。規約により、「戦争マタハ戦争ノ脅威ハ」「連盟全体ノ利害関係事項」(規約第一一条)とされ、その戦争が紛争の平和的解決手続(規約第一二条、第一三条および第一五条)に反して行われた場合には、これに対して「制裁」が加えられるようになった(規約第一六条(33))。これにより、未だ不完全ではあったものの、手続の面から戦争は制限され、戦争違法化は進展し、集団安全保障体制上の制裁も登場した。まさにこの直後から、侵略は「国際犯罪」と呼ばれ始めたのである。すなわち、規約の成立直後の一九二三年に相互援助条約案、一九二四年にジュネーブ議定書案が結ばれ、これらはいずれも、発効しなかったものの、侵略を「国際犯罪」と呼ぶ条文を含んでいた。すなわち、相互援助条約案の第一条は「締約国は、侵略戦争が国際犯罪であることを確認し、他のいずれの国に対しても自らこの犯罪を犯さないよう厳粛に約束する」と規定していた(34)。また、ジュネーブ議定書案は、その前文で「侵略戦争は国際共同体の構成員を統合する連帯を侵害するものであり、国際犯罪である」としており、その侵略戦争の主体としては国家のみを想定していた(35)。さらに、一九二七年に国際連盟総会は、「侵略戦争は国際犯罪であることを確信し、すべての侵略戦争は現在および将来において常に禁止されることを宣言する」という内容を有する第三委員会決議を採択したのである(36)
  しかし、これらの実行は、いずれも、侵略を行ったことについての具体的な法的効果について言及したものではなく、国家を主体とする「国際犯罪」の帰結は不明であった。確かに、第一次世界大戦直後は、規約が結ばれ、戦争違法化へ大転換し、集団安全保障体制が登場したものの、不完全なものであったため、その促進と強化こそが最重要課題であった。まさにその促進と強化のために、相互援助条約案は、侵略等を「国際犯罪」と呼び、連盟規約第一〇条と第一六条の適用を容易にしようとしていたと考えられる。それは、前文で「締約国は、国際連盟規約の第一〇条および第一六条の適用を容易にする目的で相互に援助するしくみの概要を定めることを望みつつ、以下の規定に同意する」と規定したことからも明らかである(37)。また、ジュネーブ議定書案は、正式には、「国際紛争平和的処理議定書」と名づけられているように、国際紛争を解決するために戦争を行うことを禁止し、戦争以外の方法で紛争を解決することを目的としていた。そして、その目的を達成するために、「連盟理事会は、侵略に対する制裁を遅滞なく適用するよう、締約国に命じる」(第一〇条5項)と規定したうえで、「連盟理事会のみが、制裁の適用を中止することを宣言しうる資格を有する」(第一四条)と規定していた。このように、国際連盟による集団安全保障体制を強化しようとする規定を多く含んでいた(38)。しかし、侵略等に対する処罰についての規定は含んでいなかった。むしろ、侵略戦争を行った国についても、領土保全においても政治的独立においても、ともに侵害されてはならないと規定されており(第一五条2項(39))、カール・シュミットは、国内刑法上の刑罰に類した責任が課せられないことが明示されていた、と解釈した(40)。したがって、ここでも、戦争違法化の促進および集団安全保障体制の強化のために侵略を「国際犯罪」と呼んだにすぎないのである。さらに、一九二七年の国際連盟総会での第三委員会決議採択も、国際連盟が、相互援助条約案およびジュネーブ議定書案の内容を確認したにすぎない。したがって、これらの実行は、国内法上の民事責任に類した責任が課せられる国際違法行為と区別して、侵略を「国際犯罪」と呼んでいたわけではなかったのである。要するに、これらの条文案は、戦争違法化の促進および集団安全保障体制の強化に影響を与えようとしていただけなのである。
  ところが、その影響は、それだけにとどまらなかった。というのも、一九二〇年代から一九三〇年代にかけて、侵略を「国際犯罪」と呼ぶ学説も登場し、さらに、その学説に基づいていくつかの学会で「国際犯罪」の法典化も提案されたからである。但し、侵略を「国際犯罪」と呼ぶ国家実行が始まる以前にも、学説上抽象的には、他国に対する違法な武力行使を通常の国際違法行為と区別し、これに「刑罰」という通常の国際責任とは異なる法的効果を科す、と主張され始めていた。すなわち、一九一〇年、インターノーシャは、「国際法典案」を発表し、「他国の征服・虐待という国際法違反を犯した国家には、他のすべての国家の力(strength)により、その消滅をも含む刑罰(penalty)が科されなければならない」と主張した(41)。これは、抽象的には、「他国の征服・虐待という国際法違反」を他の国際法違反と区別し、「すべての国家の力(strength)により」、「刑罰」という通常の国際責任とは異なる法的効果を科すことを主張していた。したがって、抽象的にではあるが、他国に対する違法な武力行使を処罰する制度の法典化を主張したものといえる。しかし、当時は、自助以外の「刑罰」を具体的に主張することは困難であった(42)。なぜなら、一九〇七年にポーター条約が結ばれ、戦争違法化の兆しがみえ始めたところであり、集団安全保障体制も登場しておらず、戦争以外で国家が実力を行使しうるのは自助(self−help)の場合に限られていたからである(43)。インターノーシャも、「すべての国家の力」を結集する方法に関しては、「目的を共通にするすべての国家は、自発的統合体である国際社会を形成する」と主張していただけであった(44)。この点から考えると、政治的に、共通の目的を有する諸国家が世界的な国際機構を形成することを想定し、これによって「処罰」を現実化しようと主張していたともいえる。そのため、この「国際法典案」では、他国に対する違法な武力行使を処罰する制度の法典化が主張されたと同時に、集団安全保障体制が必要であるという政治的理念が法的な「処罰」という表現を借りて語られていた、と理解できる。その結果、「国家の国際犯罪」概念は、少なくとも具体的には萌芽していなかったといわざるをえない。そのことは、具体的な文言として、そこで「刑罰」の対象とされた「他国の征服・虐待」が「国際犯罪」とは呼ばれず、他の国際法違反と同様に「国際法違反」と呼ばれていた、ということに端的に示されている。
  これに対し、侵略を「国際犯罪」と呼ぶ国家実行が始まってからは、その影響を受けて、具体的な「刑事責任」を念頭におきつつ、侵略が通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」に該当し、通常の国際責任とは異なる法的効果が生じる、と主張されるようになった。例えば、イーグルトンは、国際判例には懲罰的損害賠償を容認するものはないことを認めつつ、そのことだけで国際責任に刑罰的性質を含めうることまで否定することはできないと述べ、「刑事責任」を科すべき国際違法行為は存在する、と主張したのである(45)。また、ペラは、一九二五年の著書の中で、「国家の『刑事責任』は、国際法においてすでに存在しているのであり、この新しい種類の責任を認めることは国際法の実効性の向上にとり大きな意義を持つであろう」と主張した(46)。また、一九三〇年の著書の中では、「国家は独自の意思を持つのであり、したがって、犯罪を行うことができる(47)」と主張した。そのうえで、「国際法は国内法と同じ道をたどって発達しなければならない」という前提に立って、「国家の『刑事責任』はどうしても国際法のなかに登場しなければならないのであり、また、それを適用する分野も拡大するであろう」と国際法の発展形態を予測したのである(48)。さらに、サルダーニャ(49)、カロヤニ(50)、ドゥ・ヴァーヴル(51)等の学者も、侵略等の「国際犯罪」に対し、国家の「刑事責任」を認めることを、以下のように主張した(52)。すなわち、国際法が原始状態にあった最近まで、国際法は国家の「刑事責任」を知らなかった。しかし、最近では国際法は大きく前進した結果、国内法との類推が可能となり、国家の「刑事責任」が国際法に現れ、侵略国にはこの「刑事責任」が科されるようになった、と主張したのである。したがって、ペラ等は、具体的に、侵略国には国内法上の「刑罰」に類した「刑事責任」が科されることを念頭におきつつ、国内法上の民事責任に類する国際責任が課される通常の国際違法行為と、侵略とを区別すべきであると主張していたといえる。このように、ペラ等が侵略国に対する国家責任へ国内刑法を類推したのは、同時期に侵略を「国際犯罪と呼んだ相互援助条約案等の実行に影響されて、侵略が「国際犯罪」という元来は国内刑法上の概念に該当すると考えたからにほかならない。したがって、相互援助条約案等の国家実行は、侵略が通常の国際違法行為とは区別される「国家の国際犯罪」に該当するという国際社会の認識を示しており、ペラ等の主張に反映されたと理解できる。この点から考えると、これらの学説は、現在の「国家の国際犯罪」概念(国家責任条文草案第一九条3項(a))同様、国際社会の認識を反映するために、通常の国際違法行為とは具体的に異なる法的効果を伴う「国家の国際犯罪」に侵略が該当すると主張していたのである。そのことは、相互援助条約案等の国家実行による戦争違法化の進展と時期を同じくして、これらの学説が侵略を「国際犯罪」と呼び始めたことに、端的に示されている。すなわち、ペラは、その一九二五年の著書の冒頭で、「侵略戦争は犯罪であり、これ以上戦争は許されない」と述べ(53)、この著書に寄稿したサルダーニャ(54)、カロヤニ(55)、ドゥ・ヴァーヴル(56)等の学者も、侵略等を「国家の国際犯罪」と呼んだのである。以上により、これらの学説は、国際社会の認識を反映して、侵略が通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」に該当し、これには通常の国際責任とは異なる特別な法的効果が伴うと主張しており、「国家の国際犯罪」概念はこれらの学説において萌芽したといえよう。
  さらに、これらの学説は、各種の学会における「国際犯罪」の法典化の提案として具体化された。そのような「国際犯罪」の法典化の提案としては、@一九二五年の第二三回列国議会会議で採択された「侵略戦争の犯罪性と国際抑止措置としての機関に関する列国議会同盟決議」と同付属書(以下、列国議会同盟案とする(57))、A一九二六年に国際法協会が作成した「常設国際刑事裁判所規程草案」(以下、国際法協会草案とする(58))、B一九二六年の国際刑法学会による「国際刑事裁判所に関する国際刑法学会要望決議」(以下、要望決議(一九二六年)とする(59))と一九二九年に同学会が作成した「国際刑法典案」(以下、国際刑法学会案とする(60))、C一九二八年の国際刑法学会による「国際刑事裁判所規程草案」(以下、規程草案(一九二八年)とする(61))と一九三五年に国際刑法学会で発表された「世界的抑止法典案」(以下、改正刑法学会案とする(62))、および、D一九四六年のペラの著作に掲載されている「国際刑事裁判所規程草案」(以下、ペラ規程草案(一九四六年)とする(63))と「世界的抑止法典案」(以下、ペラ法典案(一九四六年)とする(64))が、代表的なものとして挙げられる。そのうち、列国議会同盟案の原則9は、「処罰される国家犯罪」として、最初に侵略戦争(the international crime of aggressive war)を挙げているほか、他の四つの提案も、すべて、侵略が「国際犯罪」に含まれるように規定されており(別表1参照)、国家を主体とする「国際犯罪」の内容も明確になっていた。したがって、相互援助条約案等の国家実行の影響を受けて、これらの提案でも、侵略が通常の国際違法行為ではなく国家を主体とする「国際犯罪」に該当するとされていたのである。さらに、これらの提案は、侵略を行ったことについての特別な法的効果、すなわち「刑罰」として国家に対する制裁を具体的に列挙していた(別表2参照)。以上により、明らかに、これらの提案には、侵略が通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」に該当し、これには通常の国際責任とは異なる特別な法的効果が生じることを明文化した規定が含まれており、「国家の国際犯罪」概念の萌芽したペラ等の学説を具体化したものといえよう。したがって、歴史的にみれば、「国家の国際犯罪」概念は、戦争違法化への大転換を契機とする相互援助条約案等の実行の影響を受けた学説および「国際犯罪」の法典化の提案によって萌芽し、現在では侵略を「国家の国際犯罪」とする国家責任条文草案第一九条3項(a)へ受け継がれているのである。



表1:「国際犯罪」概念の法典化における侵略

「国  際  犯  罪」
列国議会同盟案 侵略戦争(原則9)等
ILA草案 国際連盟の総会,理事会により付託される刑事事案等(第21条)
国際刑法学会案 侵略戦争(第2条1項)等
改正刑法学会案 宣戦布告・宣戦布告のない軍隊による侵攻(第二主題,1章,a・b)等
ペラ法典案('46) 宣戦布告・宣戦布告のない軍隊による侵攻(第二主題,1章,a・b)等
※(国家責任条文草案) (「侵略を禁止する義務」の「重大な違反」(第19条3項,a)等)

※のみは,「国家の国際犯罪」概念の法典化における侵略
ILAとは,国際法協会の略称である(表2〜4も同様)


表2:戦間期の国際刑法典案において国際犯罪に基づき国家に対して適用される制裁

国家に対して適用される制裁
列国議会同盟案/8A (a)外交的制裁:外交関係断絶の警告;有罪国領事の領事認可状の没収;国際協定上の特権の停止  (b)法律的制裁・海外に在留する有罪国の国民の財産差押え;有罪国国民の工業所有権,著作権,美術上の権利,科学的権利およびその他の財産権の停止;関係国の裁判所において当事国として主張することの禁止;市民権の剥奪;  (c)経済的制裁・加害国に適用され,世界経済の実体から切り離すことで,国際経済の結合関係から生じる利益を剥奪すること,すなわち,輸出入禁止(blockade),ボイコット,経済封鎖(embargo),食料品または原料の供給の拒否,有罪国の製品に対する関税の強化,借入金貸与の拒否,違法国の有価証券の証券取引所における上場の拒否,または,通信手段の使用禁止;軍事力の行使(Resortto armed force)
ILA草案/第22条 (国家に対する訴追が裁判所に証明される場合,裁判所は,訴追国に対する以下のものの支払いを当該国家に対して命じることができる)
(a)金銭による刑罰,(b)損害賠償,(c)被告国の行為または懈怠またはその国民の行為,または,懈怠によって生じた損失または被害であることを証明した訴追国の国民に対する賠償の総額
国際刑法学会案/第9条 (a)外交関係断絶,(b)外交関係悪化の警告,(c)外交官および外交職員の特権免除の全部または一部の停止,(d)領事の認可状の没収,(e)国際協定上の特権の全部または一部の停止,?(f)有罪国の在外財産の差押え,(g)有罪国国民の在外財産の差押え,(h)有罪国国民の工業所有権,著作権,美術上の権利,科学的権利およびその他の財産権の停止,(i)有罪国または有罪国国民が他国の裁判所において,訴訟を提起しまたは提起される権利の剥奪,(j)有罪国国民の他国におけるすべての市民権の剥奪,(k)他国による有罪国に対する経済的ボイコット,(l)他国による有罪国に対する経済封鎖(embargo),(m)他国による有罪国に対する原料の供給の拒否,(n)他国による有罪国に対する借入金の拒否,(o)他国による有罪国産品に対する関税の強化,(p)有罪国に対するあらゆる種類の,また,あらゆる方法による財政的援助の禁止,(q)有罪国または有罪国国民の他国領域内における通信,輸送および通商施設の没収,(r)他国または他国国民に生じた可能性のある損害賠償の義務の有罪国への賦課
改正刑法学会案第四主題(一) 1.制裁の機能を果たすことのできる様々な措置,すなわち,警察措置,強制措置,および,厳密な意味での抑止的措置
2.制裁の種類,とりわけ,(a)外交的制裁(警告,外交関係断絶,加害国領事の領事認可状の没収,国際協定上の特権の停止など),(b)法律的制裁(海外に在留する加害国の国民の財産差押えなど),(c)経済的制裁(輸出入禁止(blocus),ボイコットなど),(d)その他の制裁(信託統治地域の施政委任剥奪,軍事力の行使など)
ペラ法典案('46)/第四主題・一章 1.刑事上の制裁,とりわけ,(a)外交的制裁(警告,外交関係断絶,加害国領事の領事認可状の没収,国際協定上の特権の停止など),(b)法律的制裁(海外に在留する加害国の国民の財産差押え,国家自身に課されるものとして,工業所有権,著作権,美術上の権利および科学的権利などの停止,国際連合の裁判部での法的資格の喪失,市民権の行使の剥奪),(c)経済的制裁(加害国に適用され,世界経済の実体から切り離すことで,国際経済の結合関係から生じる利益を剥奪すること,すなわち,輸出入禁止(blocus),ボイコット,経済封鎖(l'embargo),食料品または原料の供給の拒否,加害国の製品に対する関税の強化,国家としての借入金の拒否,違法国の有価証券の証券取引所における上場の拒否,または,通信手段の一部または全部の制限),(d)その他の制裁(非難,罰金,国際機構における代表権の一定期間剥奪,国際連合の主要機関,その他の理事会または委員会などで投票権を行使する際の代表権の一定期間剥奪,信託統治地域の施政委任剥奪,国際連合自体からの一時的または完全な除名,国家領域の完全または一部占領,独立剥奪)
2.安全措置,とりわけ,(a)戦略的な鉄道と要塞の破壊など,(b)軍需生産禁止など,(c)軍備没収など,(d)軍隊の規模の制限など,(e)加害国の効果的な再軍備を防止する財政管理,(f)完全軍縮,(g)国家領域における非武装地帯設置,(h)国家に対する管理の確立,(i)国際連合の名における,管理のための国家領域の各地点における軍団の展開






  第3節  侵略に対する制裁と「国家の国際犯罪」に対する刑罰の混同

  「国家の国際犯罪」に対して科される「刑事責任」の目的と内容は、具体的にはどのようなものだったのだろうか。はたして、「国家の国際犯罪」概念が萌芽した際に、「国際犯罪」を犯した国家に課されるべきと認識されていた「刑事責任」は、実質的にも、通常の国際責任とは異なる特別な法的効果といえるものだったのだろうか。
  まずペラは、「刑罰」の目的として、侵略等を鎮圧し、非難し、その再発防止を達成することを掲げ(65)、そのために、侵略国等に対して、連盟の資金に繰り入れられる罰金、連盟による違反国の一時的占領等の制裁を加えるべきであると主張した(66)。また、サルダーニャは、侵略等の鎮圧、非難および再発防止のために、侵略国等に対して、経済的措置、社会的措置(外交関係の断絶、連盟からの排除等)、軍事的措置(軍事力の行使を含む)が連盟によってとられるべきことを主張したのである(67)。これらの文言をみると、学説上想定されていた「刑罰」は、侵略等の非難、再発防止および鎮圧を目的としていた。また、その内容をみても、規約上国際連盟自体は武力の行使を伴う制裁権限を行使できるとはされていなかったにもかかわらず(規約第一六条2項、参照)、国際連盟自体による軍事力の行使を「刑罰」に含めることを主張していたり、国内法上は「刑罰」に該当する「罰金」を含めることを主張していた。そのため、文言上は、通常の国際責任とは異なる特別な法的効果としての「刑罰」が主張されていたようにみえる。しかし、本質的には、集団安全保障のための措置が主張されていたにすぎない。なぜなら、「刑罰」といっても国際連盟理事会という政治的機関の認定により制裁として発動されるものであり、「世界ノ平和」(規約第四条4項)という目的のために政治的に必要であると認定された場合に発動される措置にほかならないからである。そのため、国連憲章第四二条により、国際連合自体による軍事力の行使も集団安全保障体制に含められた今日からみれば、これらの学説は、「国家の国際犯罪」に対する「刑罰」の創設と集団安全保障体制の強化とを混同したまま「刑罰」の主張をしていた、といわざるをえない。したがって、実際に提案されていた措置は、実質的には、政治的な手続による政治的な措置でしかなかったのである。以上により、これらの学説の文言上、侵略は、「刑罰」という通常の国際責任とは異なる特別な法的効果が科される点で通常の国際違法行為とは異なる「国際犯罪」に該ると主張されており、「国家の国際犯罪」概念はこれらの学説において萌芽していたといえるものの、その「刑罰」の本質は集団安全保障体制上の措置にすぎなかったといえよう。
  これらの学説とまったく同様に、「国際犯罪」に関する四つの提案における「刑罰」も、文言上は、通常の国際責任とは異なる特別な法的効果として提案されていたが(68)、実質的には、集団安全保障のための措置と本質的に異ならない措置が提案されていたにすぎない。例えば、最初の提案である列国議会同盟案は、「侵略戦争防止のための実現可能な(practical)解決をみつける」ことをその目的として決議している(69)。そのうえで、この「国際犯罪」に基づく国家に対する「処罰」として、具体的には、前述のペラ、サルダーニャの提案同様、主として国際連盟によってとられうる経済的、社会的、軍事的措置を挙げていた(原則8.A、別表2参照)。また、その執行については、国際連盟理事会を中心としてその執行を行うと規定していた(原則16、別表3参照)。そして、これらの点は、国際法協会草案を除く、四つの提案に共通するものだったのである(別表2および3参照)。

 

表3:戦間期の国際刑法典案における国家に対する制裁の執行

国家に対する制裁の執行
列国議会同盟案 16.重大な侵略(violent aggression)の場合には,国際連盟理事会が緊急対応のための警察措置(urgentcounter police measures)をとるだろう(will take)。
国際連盟理事会は常設国際司法裁判所の判決の執行に関しても管轄権を持つ。
国際連盟理事会は,上記判決の執行方法を指示するだろう(will indicate)
ILA草案 第37条 刑罰の執行と裁判所の命令 国家に対する判決または裁判所の命令は,各締約国が執行するよう要請される(shallupon request execute)
要望決議(26) 国際刑事裁判所に関する国際刑法学会要望決議」('26)
9.国家に宣告された処罰は,国際連盟理事会を代理する機関(agency)を通じて強制されるべきである(shouldbe enforced)。
10.国際連盟理事会は,処罰を一次停止又は減刑する権利を持つべきである。
規程草案(28) 「国際刑事裁判所規程草案」(‘28)
第68条  当裁判所の判決は義務的な性格を有する。
  上記判決は,宣告された制裁を国に対して適用するために必要な国際的措置をとることを託されている国際連盟理事会に通告される。
ペラ規程草案(46) 「国際刑事裁判所規程草案」('46)
第68条  当裁判所の判決は義務的な性格を有する。
  上記判決は判決を国に対して執行するために必要な措置をとることを託されている(becharged with)国連安全保障理事会に通告される。

 

  このように、「国家の国際犯罪」処罰は集団安全保障体制上の制裁と混同され、文言上は、通常の国際責任とは異なる特別な法的効果が主張されていたものの、実質的には、集団安全保障のための措置と本質的に異ならない措置が想定されていたのである。すなわち、侵略等の「国際犯罪」を犯した国家に「刑事責任」が科されることと、侵略等に集団安全保障体制上の制裁が加えられることとの区別がつかないまま、侵略戦争防止のための実際的な解決のために、「処罰」という名の集団安全保障措置が予定されていたのである。それは、侵略等の「国際犯罪」の非難、鎮圧、および再発防止が「刑罰」の目的とされていたが、集団安全保障体制の目的と異なるかどうかは議論されていなかったためであると考えられる。これは、国家責任条文草案上の「国家の国際犯罪」の法的効果が、集団安全保障体制上の制裁を利用しつつも目的を異にするものとして規定されている(第一九条、第五一条乃至第五三条)のとは、大きく異なっている。このように、「国家の国際犯罪」概念と集団安全保障体制上の制裁の対象とが混同された原因は、当時の戦争違法化が未完成であったことに帰着する。すなわち、規約上の戦争違法化(第一一条乃至第一六条)は、国連憲章上の戦争違法化(第二条4項)と比べて未完成であった。そのため、集団安全保障体制も、現状のように、「平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為」の場合に(憲章第三九条)、軍事的制裁まで行使しうる(同第四二条)ものとして整備されるまでには至っていなかった。しかし、ペラ達は、集団的安全保障体制上の制裁制度という、自助や戦争以外の実力を国家に対して行使しうる制度が初めて登場したことを重視した。その結果、「国際犯罪」に関する学説または提案は侵略等の「国際犯罪」に対して科せられる「刑罰」と集団的安全保障体制上の制裁との実質的な区別をしないまま、「刑罰」が科される対象として、「国家の国際犯罪」概念を萌芽させた、といえよう。
  以上のことをまとめると、第一次世界大戦後に、戦争違法化への大転換が始まり、集団安全保障体制が登場した。これを促進・強化するための相互援助条約案等の国家実行は、「国際犯罪」に関する学説および諸提案を導き、「国家の国際犯罪」概念を萌芽させた。そのなかで、侵略国等の「国家の国際犯罪」を犯した国家については従来の国際法違反国とは異なる国際法上の取り扱いがなされ、その取り扱いは「刑事責任」と呼ばれるという認識が確立した。この認識の確立とともに、少なくとも抽象的には、「国家の国際犯罪」概念は萌芽したといえる。但し、戦争違法化および集団安全保障体制が未完成であったために、その完成・強化をめざすことと、「国家の国際犯罪」特有の法的効果をもたらす制度を創設することとが混同されていた。この混同が解消され、国際法委員会で行われたような、集団安全保障体制を利用した「国家の国際犯罪」特有の責任制度の法典化(国家責任条文草案第一九条、第五一条乃至第五三条)がめざされ始めるには、戦争違法化の完成が必要だったのである。

(7)  Cf. H. Wheaton, Elements of International Law, pp. 621-633 (6th ed., 1929);R. Phillimore, Commentaries upon International Law, Vol. III, pp. 77-84 (3rd ed., 1885);J. Klu¨ber, Droit des gens moderne de l'Europe, pp. 328-333 (1874);J. Bluntschli, Moderne Vo鴦lkerrecht der civilisirten Staaten, pp. 35-40 (1878);W. Hall, A Treatise on International Law, pp. 61-71 (7th ed., 1917);F. Martens, Das internationale Recht der civilisirten Nationen, pp. 476-478 (1886);L. Oppenheim, International Law;A Treatise, Vol. II, pp. 53-65 (1st ed., 1906);F. Liszt, Das Vo¨lkerrecht, p. 182 (1918).
(8)  この点、リストは、「損害賠償義務は責任履行の第一段階であり、この義務が違反国により履行されないならばそれに対して強制措置をとることができ、具体的には自助行為としての復仇や戦争が重視される」と述べていた。F. Liszt, supra note 7, p. 182. 同旨のものとして、H. Wheaton, supra note 7, p. 630.
(9)  R. Phillimore, supra note 7, p. 77;W. Hall, supra note 7, p. 61;F. Martens, supra note 7, pp. 476-478.
(10)  L. Oppenheim, supra note 7, pp. 59-60.
(11)  山本草二『国際法[新版]』五四五頁(一九九四年)。
(12)  田畑茂二郎『国際法新講  下』二三八頁(一九九一年)。大沼保昭編『資料で読み解く国際法』五五一頁、五六一頁、五七六頁(一九九六年)。
(13)  開戦の手続に関する条約では、唯一、宣戦のない場合が国際法違反であるとされている(第一条)。しかし、法的効果については、宣戦のない場合も含めて、なんら規定されていない。G.I. Tunkin, supra note 2, pp. 391-392.
(14)  当時の国際法につき、ローターパクトの校訂を受けたオッペンハイムの教科書によれば、「国際法は、人道の要求から生ずる限界を除いて、戦勝者の裁量に限界を設けていない」とされている。L. Oppenheim, International Law;A Treatise, Vol. II, p. 603 (7th ed. by H. Lauterpacht, 1952).
(15)  注(7)のホゥイートン以下の学説を参照。
(16)  例えば、ヌスバウムも、この頃の戦争に関する国際法上の発達としては、戦争法の発展、および、仲裁手続の進展による武力紛争の減少のみを挙げている。A. Nussbaum, A Concise History of the Law of Nations, p. 224 (1954).
(17)  田畑茂二郎、前掲注(12)、一七三頁。
(18)  I.I. Lukashuk,”International Illegality and Criminality of Aggression, in The Nuremberg Trial and International Law, p. 122 (ed. by George Ginsburgs & V.N. Kudriavtsev, 1990).
(19)  吉野宏美「国家責任法における『国家の国際犯罪』」『本郷法政紀要』三号、三九二頁(一九九四年)。
(20)  H. Grotius, De Jure Belli ac Pacis Libri Tres, Book II (1646), The Classics of International Law, p. 170 (translated by W. Kelsey, 1964). それ以前は、一般的に、キリスト教の教義に反する行為さえあれば正戦の原因となると考えられていた、といわれている。伊藤不二男「フランシスコ・スアレスの正当戦争論(二・完)」『国際法外交雑誌』五二巻四号、七八頁(一九五三年)、参照。
(21)  H. Grotius, supra note 20, pp. 171-172.
(22)  Id., pp. 488-489, 502-503.
(23)  Id., pp. 465-466.
(24)  Id., pp. 176-179.
(25)  Id., pp. 565-566. 結局、グロティウスは、この正当原因が双方の側に存在しうることを是認せざるをえなくなり、事実上、無差別戦争観に導く契機になったともいわれている。C. Schmitt, Der Nomos der Erde, pp. 133-134 (1950). 山本草二、前掲注(11)、七〇五頁、田畑茂二郎、前掲注(12)、一七七頁。
(26)  例えば、ベストは、「グロティウスの理論は、戦争法の先駆者と評価できる」と述べ、戦争あるいは武力行使に関する国際法上の理論とグロティウスの理論との類似性を指摘するが、「国家の国際犯罪」概念との関連は指摘していない。G. Best, War and Law Since 1945, pp. 28-29 (1994). また、集団安全保障上の制裁としての武力行使とグロティウスの刑罰戦争との類似性を指摘しながら、「国家の国際犯罪」概念との関連は指摘していないものとして、Cf. M. McDougal & F. Feliciano, The International Law of War:Transnational Coercion and World Public Order, p. 414 (1994).
(27)  H. Kelsen, Law and Peace in International Relations, pp. 51-52 (1942).
(28)  Id., p. 52.
(29)  このような連合国のアピールのために、国家元首および戦争指導者の処罰が要請されていった詳しい経過については、大沼保昭『戦争責任論序説』三七ー六九頁(一九七五年)、参照。
(30)  Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction (Memorandum submitted by the Secretary General), United Nations, p. 2 (1949).
(31)  The Report of the Commission on the Responsibility of the Authors of the War and on Enforcement of Penalties;Report Presented to the Preliminary Peace Conference, 1919, AnnexII;The Memorandum of Reservations Presented by the Representatives of the United States to the Report of the Commission on Responsibilities, American Journal of International Law, Vol. 14, p. 138 (1920).
(32)  但し、同条約第二二七条において、前ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世を「国際道義及び条約の神聖を傷つけた最高の犯罪について」国際法廷で裁く規定だけはおかれ、政治的には枢軸国非難の要請は達せられた。
(33)  但し、武力の行使を伴う制裁を国際連盟自体がとることができるとはされていなかった。規約第一六条2項、参照。
(34)  League of Nations, Official Journal, Special Supplement, No. 16, p. 203 (1923).
(35)  Id., No. 21, p. 21 (1924).
(36)  Id., No. 54, pp. 155-156 (1927).
(37)  Id., No. 16, p. 203 (1923).
(38)  Id., No. 21, pp. 25-26 (1924).
(39)  Id., No. 21, p. 26 (1924).
(40)  C. Schmitt, supra note 25, pp. 245-247.
(41)  J. Internoscia, New Code of International Law, p. xxvii (1910).
(42)  この点、リストが「復仇や戦争は、自助行為として重視される」と述べていたことについては前述の通りである。F. Liszt, supra note 7, p. 182.
(43)  J. Brierly, The Law of Nations, p. 398 (6th ed. by C.H.M. Waldock, 1963).
(44)  J. Internoscia, supra note 41, p. 3, para. 13.
(45)  C. Eagleton, The Responsibility of State in International Law, pp. 190-205 (1928).
(46)  V. Pella, La criminalite collective des Etats et le droit penal de l'avenir, pp. 3-19 (1925).
(47)  V. Pella, ‘La repression des crimes contre la personnalite´ de l'Etat', Recueil des Cours (hereinafter cited as RdC)., Vol. 33, pp. 821-822 (1930).
(48)  Id. ペラは、第二次大戦後も「国家それ自体に刑事責任を負わせる機能を有する制裁を重視する」と述べ、この主張を続けていった。V. Pella, ‘Projet de Statut pour la creation d'une Chambre criminelle au sein de la Cour permanente de justice internationale', in La guerre−crime et les criminels de guerre, pp. 57, 63-64 (1946).
(49)  Cf. U. Saldana, ‘La justice pe´nal internationale', RdC, Vol. 25, pp. 408-412 (1927);see also, V. Pella, supra note 46, pp. CXXXIV-CXLV.
(50)  Cf. M. Caloyanni, ‘La cour criminelle internationale', Revue internationale de Droit penal (Association internationale de Droit pena´l), (hereinafter cited as RiDp),, Vol. 5, pp. 261-264 (1928).
(51)  Cf. H. De Verbres, ‘Y a−t−il d'instituer une juridiction criminelle internationale? Et, dans la supposition d'une re´ponse affirmative, comment l'organiser?', RiDp, Vol. 3, pp. 353-370 (1926);see also, V. Pella, supra note 46, pp. XLIX-LI.
(52)  Cf. V. Pella, supra note 48, pp. 57, 63-64.
(53)  V. Pella, supra note 46, pp. 3-4.
(54)  Cf. U. Saldana, ‘La justice pe´nal internationale', RdC, Vol. 25, pp. 408-412 (1927);see also, ‘La justice criminelle internationale', RiDp, Vol. 3, pp. 338-353 (1926). V. Pella, supra note 46, pp. CXXXIV-CXLV.
(55)  Cf. M. Caloyanni, ‘La cour criminelle internationale', RiDp, Vol. 5, pp. 261-264 (1928).
(56)  Cf. H. De Verbres, supra note 51, pp. 353-370 (1926);see also, V. Pella, supra note 46, pp. XLIX-LI.
(57)  ‘Resolution of the Inter−Parliamentary Union on the Criminality of Wars of Agression and the Organization of International Repressive Measures' (Union Interparlementaire, compte rendu de la XXIII Conference, 1925 (Washington)), cited in Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction, supra note 30, pp. 70-74.
(58)  International Law Association, ‘Statute of The Court', in Report of the Thirty−Fourth Conference, pp. 113-125 (1926).
(59)  V. Pella, ‘Voeux adopte´s par le congre`s de Bruxelles', RiDp, Vol. 5, pp. 275-277 (1928).
(60)  A. Levitt, ‘A Proposed Code of International Criminal Law', RiDp, Vol. 6, pp. 18-32 (1929).
(61)  Association internationale de Droit pe´nal, ‘Projet de Statut pour la creation d'une Chambre criminelle au sein de la Cour permanente de justice internationale', RiDp, Vol. 5, pp. 293-307 (1928).
(62)  V. Pella, ‘Plan d'un code re´pressif', RiDp, Vol. 12, pp. 366-369 (1935).
(63)  V. Pella, supra note 48, pp. 129-144.
(64)  V. Pella, ‘Plan d'un code re´pressif', supra note 48, pp. 145-156.
(65)  V. Pella, supra note 46, pp. 3-4.
(66)  Id., pp. 219-220.
(67)  U. Saldana, supra note 54, pp. 408-412.
(68)  この点、国際法協会草案は、「国際犯罪」の内容およびその責任が他の四つとは異なっていた。これは、一九二四年にこの問題が話し合われた際にあまりにも議論が紛糾し草案化できなかったことに原因がある。International Law Association, Report of the Thirty−Third Conference, pp. 74-111 (1924), 参照。その結果、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約第二三一条との類似性からコンセンサスの得られやすかった規定(同草案第二二条等、別表2参照)だけを草案化せざるをえなかったと考えられる。International Law Association, Report of the Thirty−Fourth Conference, pp. 106-112 (1926). しかし、第一次世界大戦後の「賠償」はドイツの支払能力の限界を越える過大なものとなり、第二次大戦の最大の要因になったともいわれている。この事例からみても、少なくとも国際法協会草案のように額の大きな賠償を課すことのみで国家を処罰しようとすることが可能なのか、可能だとしても妥当なのか、が大きな問題となる。にもかかわらず、そのことについては、ほとんど議論されていない。したがって、国際法協会草案に関しては、侵略等の「国際犯罪」の法的効果を法典化するという点では議論が不十分であり、その意義は限定されざるをえない。
(69)  Resolution of the Inter−Parliamentary Union on the Criminality of Wars of Agression and the Organization of International Repressive Measures, supra note 57, p. 70.



第二章  侵略に関する「国家の国際犯罪」と「個人の国際犯罪」の外形的分化



  第1節  「個人の国際犯罪」処罰としての戦争指導者処罰の実現

  国際法委員会が提案してきた「国家の国際犯罪」に関する規定(国家責任条文草案第一九条等)について、現在の特別報告者は、すべて削除するように主張している(70)。特に、「国家の国際犯罪」の法的効果に関する規定(国家責任条文草案第五二条および第五三条)についてはその内容の乏しさを指摘している(71)。「国家の国際犯罪」に関する規定の法典化は未だほとんど進んでいないといえよう。ところが、第二次世界大戦後、侵略等の「国際犯罪」の実行に個人責任を有する戦争指導者については、実際に処罰が実現した例が少なくない。さらに、その処罰についての法典化も進みつつある。ニュールンベルグ国際軍事裁判所条例および極東国際軍事裁判所条例において、「侵略戦争もしくは国際取極に違反する戦争」という犯罪について、戦争指導者を個人責任のみに基づいて処罰するという提案が採用され(以下、このことを「ニュルンベルグ原則」とよぶ(72))、ドイツや日本の降伏に関する文書あるいは一九四七年の各平和条約も、「ニュルンベルグ原則」に従って規定された。その結果、ドイツ軍および日本軍において、平和に対する罪、戦争犯罪および人道に対する罪に参加した「指導者、組織者、教唆者及び共犯者」は、個人責任のみに基づいて処罰されたのである(ニュルンベルク国際軍事裁判所条例第六条、極東国際軍事裁判所条例第五条)。この「ニュルンベルグ原則」は、一九四六年の国連総会決議九五((2))により国際法の原則であると確認された。さらに、侵略の罪(73)等について、「人類の平和と安全に対する犯罪についての法典草案」が、一九五一年に起草された後、一九五四年の改訂作業を経て、一九九六年、第二読を終えて採択された(74)。また、近年、侵略の罪のように「国際犯罪」として認識されるようになったジェノサイド罪、人道に対する罪および一定の戦争犯罪については、その実行に個人責任を有する者を処罰することが実現してきた。安保理は、憲章第七章に基づいて、一九九三年、ユーゴ国際刑事裁判所を設置し(75)、翌年、ルワンダ国際刑事裁判所を設置した(76)。この両裁判所では、武力紛争中の行為について個人責任が追及されたのである(77)。さらに、このことを契機に、侵略の罪(78)、ジェノサイド罪、人道に対する罪および一定の戦争犯罪を処罰するため、一九九四年に国際刑事裁判所規程草案が起草され、一九九八年、国際刑事裁判所規程に関するローマ条約(以下、ローマ条約とする)が結ばれた(79)。これらはいずれも、侵略の罪における戦争指導者等、「国際犯罪」の実行に個人責任を有する者のみを客体とする処罰の実現または法典化である。そこでは、「国際犯罪」としての侵略の実行に責任を有する国家は処罰の対象とされず、国家の「刑事責任」の実現または法典化は取り残されている。このように、第二次世界大戦後は、侵略の罪等の「個人の国際犯罪(80)」を処罰することのみが実現し、法典化されていったのである。
  一方、第二次世界大戦までは、侵略を行ったという事実に基づく訴追または処罰の客体については、国家なのか、個人責任を有する戦争指導者なのか、明確でない状態が続いていた。例えば、一九二〇年、国際連盟法律家委員会(the Advisory Committee of Jurists)は、要望決議を国際連盟第三委員会に提出した(81)。この決議においてなされた三つの提案のうち、二番目の提案は、同委員会委員長デカン男爵(ベルギー)による国際高等司法裁判所(a High Court of International Justice)設置案であった。そして、その第三条には、裁判所は「国際連盟総会または理事会から付託された国際公序侵犯罪(crimes constituting a breach of international public order(82))または普遍的国際法に対する犯罪(crimes against the universal law of nations)を裁く権限を有する」と規定されていた。この裁判所設置案に対しては、「裁かれるべきなのは国家なのか個人なのかが明らかでない(83)」という批判が加えられていた。これは、第一に、この「国際公序侵犯罪または普遍的国際法に対する犯罪」には、侵略行為等のように国家の行為と考えられるものから(84)、海賊行為等のように個人の行為と考えられるものまで含まれうるのではないか、そのため、第二に、当該「犯罪」に基づいて「裁かれる」客体には、国家だけでなく、国家を代表する国家元首等、国家機関としての側面と個人としての側面の双方を有する戦争指導者、および一般国民まで含まれうるのではないか、また、第三に、国家を代表する国家元首等の戦争指導者の国家機関としての側面を訴追・処罰することは国家自体を訴追・処罰することになるのではないか、逆に、国家自体の訴追・処罰は当該国家の国民全体の訴追・処罰と表裏一体なのではないか(85)、という三点が明確でないことに対する批判だったと考えられる。但し、この批判については、それ以上、議論は展開されなかった。法律家委員会のメンバーから「当該犯罪を処罰するための実体法がない(86)」という批判もなされ、これを重視した第三委員会は、「一般に認められる国際刑法が存在していないのに国際刑事裁判所は設立できない」という結論に達した(87)。その結果、この国際高等司法裁判所設置案は、簡単に連盟総会によって否決されてしまったのである(88)
  この「裁かれるべきなのは国家なのか個人なのかが明らかでない」状況は、「国際犯罪」に関する戦間期の学会提案においても変わらなかった。すなわち、戦間期の学会提案における「国際犯罪」には、すべて「侵略戦争」のような「国家の行為」も含まれていたが(一九二九年の国際刑法学会案第二条1項(89)等、別表1参照)、「海賊行為」(国際刑法学会案第三条1項(90)等)のような「個人の行為」も含まれていた。そのため、例えば、一九二六年の国際法協会の常設国際刑事裁判所規程草案第二四条は、「自国民が訴追される場合にも、国籍国が訴訟当事者となる」と規定していた(91)。この規定では、訴追されるのが個人であっても国家も同時に裁かれるという趣旨なのか、当時国際法主体性が認められていなかった個人は訴訟当事者になれず、そのために国家を代理人としようとしたのかが明らかでない。
  ところが、第二次世界大戦後は、侵略の実行に個人責任を有する戦争指導者を処罰することのみが「個人の国際犯罪」処罰として実現し、法典化されていった。まず、第二次世界大戦後の処理に際しては、戦争違法化がすでに完成しており、それを前提として、侵略を行ったという事実に基づき処罰を行うことが提案された。ここで、戦争違法化の完成が前提とされたのは、連合国が自らの武力行使を戦争ではなく、枢軸国の侵略に対する「制裁」として正当化しており、戦争の違法性が確定していたからである(92)。但し、「制裁」を行うという連合国の主張が法的なものであったとすれば、戦間期の学会提案からみて、戦争の違法性だけでなく、「国際犯罪」処罰のための「制裁」も主張されていたと考えられる。とすれば、当該「制裁」の対象が枢軸国という国家であったことから考えて、侵略を行ったという事実に基づく国家の処罰が提案されてもいいようにみえるが、連合国が実際に提案したのは、国家ではなく、枢軸国の侵略戦争の実行に個人責任を有する戦争指導者の処罰であった。そのため、一九四五年のロンドン会議において、フランス代表補佐官グロは、「侵略戦争の開始は、それを行った国については犯罪ということができたとしても、戦争を開始した個人が犯罪を犯したということはできない」と主張した(93)。これは、戦間期の国家実行等からみて、侵略戦争が「国際犯罪」に該当するといえるとしても、戦争は国家の行為である以上、国家が戦争の主体であって、個人としての戦争指導者は戦争の主体ではない、と主張したものと理解できる。この主張を前提として、グロは、枢軸国の侵略戦争の実行に個人責任を有する戦争指導者の処罰が連合国によりなされるとすれば、「現行法を越えることになる」と批判したのである(94)。この主張に対しては、会議のなかで、米国代表ジャクソンが、米国民の考え方や世界の良識は、ヴェルサイユ条約当時から大きく変化していると反駁したのみであった(95)。これは、上記のグロの批判に対して厳密な法的根拠を示して答えたものとはいえない。しかし、グロの主張は受け入れられず、「ニュルンベルグ原則」が採用され、枢軸国の侵略戦争の実行に個人責任を有する戦争指導者の処罰が実現した。すなわち、枢軸国の行った侵略戦争という「国際犯罪」の実行に個人責任を有する戦争指導者の「個人の国際犯罪」としての側面のみが処罰の対象とされたのである(96)
  枢軸国は無条件降伏をしており厳しい管理の対象となったが(97)、その管理の目的は懲罰ではなく実損害をもとにした損害賠償の徴収等であった(98)。そのため、直接国家を対象とする措置としては、従来の国家責任法上の枠内で原状回復およびこれに代わる損害賠償を確保するための措置が行われただけであり、「国際犯罪」を犯したことに基づく枢軸国の処罰は行われなかった。したがって、枢軸国の侵略戦争という「国際犯罪」については、その「計画、準備、開始、遂行、又は以上の行為のいずれかを達成するための共通の計画もしくは共同謀議へ関与」した戦争指導者等の行為に基づく個人責任のみが、訴追・処罰の対象とされ(ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例第六条2項、極東国際軍事裁判所条例第五条)、当該「犯罪」に基づいて「裁かれる」客体は、戦争指導者の個人としての側面のみであり、国家自体の訴追・処罰は、まったくなされなかったのである。
  上記のような処理がなされた実際的な理由については、以下のようにいわれている(99)。すなわち、連合国は、武力行使の目的が、国家全体に対して懲罰を加えて罪のない国民を苦しめることではなく、侵略責任を有する者に対する懲罰であることを強調しようとしていた。そのため、連合国は、種々の声明や一九四三年のモスクワ会議の「ドイツの残虐行為に関する宣言」のなかで、一般のドイツ国民を非難せず、これと区別してドイツの戦争指導者層を非難し、その厳重な処罰を約束した。この点、戦争法違反に基づいて敗戦国の個人が処罰されることは従来から行われていたが、第二次世界大戦後は、戦争違法化の完成に伴い、戦争法違反同様もしくはそれ以上に戦争指導者の処罰が必要であると考えられた。そのうえ、当時は第一次世界大戦直後と違い、個人の国際法主体性も認める主張も増えつつあった(100)。そのため、戦争指導者を個人責任のみに基づいて処罰することについての実際的な抵抗は少なかった。これに対し、国家自体の訴追・処罰は当該国家の国民全体の訴追・処罰と表裏一体なのではないか、という問題については、未だ解決されていなかった。特に、国家自体を処罰するために第一次世界大戦後のドイツに課されたような巨額の賠償を課すことについては、これが一般のドイツ国民まで苦しめて第二次世界大戦に導く最大の原因となったことから(101)、国民全体の処罰を意味すると考えられていた。そのため、一般のドイツ国民を非難しないという約束から、連合国は、国家自体の訴追・処罰を避けたといわれている(102)。このような実際的な事情から、第二次世界大戦後の処理を急ぐ連合国は、国家自体を訴追・処罰せず、枢軸国の行った侵略戦争という「国際犯罪」の実行に個人責任を有する戦争指導者のみを訴追・処罰したのである。
  以上により、第二次世界大戦後の処理においては、実際的な事情から侵略等の「国際犯罪」の実行に個人責任を有する戦争指導者のみを客体とする処罰が実現したにすぎない。そのため、戦争指導者は国家機関としての側面と個人としての側面の双方を有するにもかかわらず、後者の側面のみを訴追・処罰することが行われ、これをめぐる理論的問題については、ほとんど議論されなかったといわざるをえない。とはいえ、第二次世界大戦後の処理という重大な局面において実現した個人の処罰はその後も継承されていき、侵略の実行に個人責任を有する戦争指導者を客体とする処罰に関する法典化も進められた。その結果、現時点では、理論的な問題を避けつつも、実際に「個人の国際犯罪」としての侵略の罪を処罰することが、国際法上の原則として確立したのである(103)

  第2節  「個人の国際犯罪」の前提としての「国家の国際犯罪」

  第二次世界大戦後、一方で、侵略の「個人の国際犯罪」の側面については、その処罰が実現し、また、処罰に関する法典化が進められてきた。すなわち、侵略の計画・準備・開始・実行・共同謀議に参加したことのみをもって戦争指導者を訴追・処罰することが実現し、法典化されてきたのである(104)。他方、現在、侵略等の「国家の国際犯罪」の側面に関する国家責任条文草案上の諸規定は、削除が提案されている(105)。そのため、今後も、侵略のような「国際犯罪」については、その「個人の国際犯罪」の側面のみが単独で法典化されていく可能性が高い。しかし、戦争指導者の国家機関としての側面の訴追・処罰とは別個に、その個人としての側面のみを訴追・処罰することをめぐる理論的な問題については、第二次世界大戦後の処理以降も、ほとんど議論されていない。このように、「個人の国際犯罪」のみが処罰されるという現実があるが、法理論上も「個人の国際犯罪」と「国家の国際犯罪」は、戴然と区別されるものであろうか。
  この点、「国家の国際犯罪」概念の萌芽がみられる「国際犯罪」に関する諸提案においては、一応、「国家による国際犯罪」と「個人による国際犯罪」が分離され、「国家に対する処罰」と「個人に対する処罰」も分けて規定されていた。例えば、最初の「国際犯罪」に関する提案である列国議会同盟案が、このようなアプローチを採用していた。注目すべきは、以下のような原則2である(別表4参照(106))。


表4:侵略に関する「個人の国際犯罪」の側面と「国家の国際犯罪」の側面

「個人の国際犯罪」の側面と「国家の国際犯罪」の側面の結合
列国議会同盟案 抑止措置は,侵略戦争の準備または開始するための個人または社団のすべての行為に適用されるべきである(原則2)。
※「国際犯罪」を犯した場合には,国家に対する制裁が加えられると同時に,個人に対する制裁(自由刑等)も加えられる(原則8)。
ILA草案 訴追権は国家のみが有する。但し,自国民が訴追される場合にも,国籍国が訴訟当事者となる(第24条)。
国際刑法学会案 国際犯罪を行ったすべての皇帝,国王,大統領,独裁者又はその他の国家元首は本法典においては国家と同様に扱う(第7条Sec. 1)
侵略戦争を行う自国の軍隊に参加する」個人は,侵略国全体に含められていた(第2条1項,第3条2項)
※(第9条 Sec. 1, 2)
改正刑法学会案 ※(第四主題,1章,2章)
ペラ法典案('46) ※(第四主題,1章,2章)

 

  抑止措置は、侵略戦争の宣戦行為のみならず、侵略戦争の準備または開始するための個人または団体のすべての行為に適用されるべきである。

この条文だけからは、「団体」に国家も含まれるかどうかは明らかではない。しかし、この「抑止措置」として、具体的には、国家および個人に対する制裁(原則8A、B)が規定されていた。したがって、この「団体」には国家も含まれ、「国際犯罪」を犯した場合には、国家に対して抑止措置が適用されると同時に、個人に対しても抑止措置が適用される旨が規定されていたと理解できる。また、国際法協会草案を除く四つの提案のいずれも、「国際犯罪」を犯した場合には、国家に対する制裁が加えられると同時に、個人に対する制裁も加えられると規定されていた(国際刑法学会案第九条(107)等、別表4参照)。このような規定から考えると、これらの提案は、「国際犯罪」という「国家の国際犯罪」の側面および「個人の国際犯罪」の側面を包括的に含む概念を用いて、まず、「国際犯罪」を実行した国家または個人を確定し、そのうえで、侵略のような「国家の国際犯罪」の側面と「個人の国際犯罪」の側面の双方を有する「国際犯罪」については、両側面を密接不可分なものとして国家および個人を処罰しようとしていたと考えられる。例えば、侵略についてみれば、まず、侵略の「国家の国際犯罪」の側面が「侵略戦争」という「国際犯罪」とされており、国家の行為がこれに該当するかどうか、が確定される。次に、これが肯定される場合、侵略の「個人の国際犯罪」の側面は「侵略戦争の宣戦行為」および「侵略戦争の準備または開始行為」という「国際犯罪」とされており、侵略戦争に参加した個人の行為がこれに該当するかどうかが確定される。そのうえで、これも肯定された場合には、国家のみならず、個人も処罰しようとしていたのである。したがって、これらの提案では、国家の行為が侵略戦争という「国家の国際犯罪」に該当することが、「個人の国際犯罪」処罰の前提だったといえよう。
  このような侵略を「国際犯罪」とする提案からみても、理論的には、少なくとも侵略のような国家の行為に関与する戦争指導者については、国家の機関としての側面についての責任が存在して、はじめて個人責任が発生するといわねばならない。確かに、第二次世界大戦以降は、侵略についても「個人の国際犯罪」の処罰が実現し、また、処罰に関する法典化が進められてきた。しかし、少なくとも侵略については、ある状況において、国家の行為が「国家の国際犯罪」に該らない場合でもその国家の国民の行為が侵略等の「個人の国際犯罪」に該当しうる、と明示されたことはない。むしろ、侵略の「個人の国際犯罪」についての法典化条約には、その「国家の国際犯罪」が成立していることを前提として、「個人の国際犯罪」の訴追・処罰が可能になることを示唆していると理解できる規定がある。例えば、侵略の罪に関する個人責任を規定している「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」第一六条は、以下のように、侵略行為の主体を国家としたうえで「個人の国際犯罪」について規定している(108)

第一六条
  国家によってなされた侵略の計画、準備、着手又は遂行に、指導者又は組織者として積極的に関与し又はこれを命令したものは、侵略の罪について責任を有する。

この規定からみれば、少なくとも侵略については、はじめに国家の行為が侵略という「国家の国際犯罪」に該当することを前提として、戦争指導者による「個人の国際犯罪」の訴追・処罰が可能となるはずである(109)。したがって、「個人の国際犯罪」としての侵略の罪を処罰する場合には、その前提として、「国家の国際犯罪」としての侵略(国家責任条文草案第一九条3項(a))を行った国家が存在していると考えられる。
  これに対して、集団殺害や人道に対する犯罪等については事情を異にしている。確かに、侵略の場合と同様に、集団殺害や人道に対する犯罪等も、国家機関として行為している者が集団殺害等を行った場合には、国家の行為が国家責任を発生させる。ひいては、「国家の国際犯罪」とみなされるような場合もあるかもしれない(同草案第一九条3項(b)、(c))。いいかえれば、そのような政治家等による「個人の国際犯罪」の訴追・処罰と国家責任が密接不可分であり、「国家の国際犯罪」とも結びつく可能性はある。国際司法裁判所も、「個人の国際犯罪」の訴追・処罰と密接不可分な国際違法行為を行った国家には国家責任の追及が可能であると述べている。例えば、ジェノサイド条約適用事件判決は、以下のように述べている(110)
「裁判所は、第九条にいう『集団殺害または第三条に列挙された他の行為のいずれか』という規定はいずれの形態の国家責任も排除するものではないと考える。また国家機関の行為に対する国家責任が、『統治者』または『公務員』による集団殺害行為について定めた第四条によって、排除されているわけでもない」。
これは、集団殺害行為が国家の行為として行われた場合には、当該国家に国家責任が生じる可能性があることを認めた判例であると理解される。また、武力紛争に国家機関が継続的に関与した場合につき、タジッチ事件判決は、「ボスニア・ヘルツェゴビナ共和国における武力紛争に対するユーゴ連邦共和国(セルビア・モンテネグロ)による継続的且つ間接的な関与は、国家責任の問題を生じさせる(111)」と述べている。これも、国家機関が継続的に関与した武力紛争の一環として、人道に対する罪を構成する行為が行われた場合には、当該国家に国家責任が生じる可能性があることを認めた判例である。これらの判例において、当該国家の国際違法行為が「国家の国際犯罪」に該当するかどうかについてはふれられていないが、その可能性までは否定されてはいない(国家責任条文草案第一九条3項(c))。したがって、これらの判例は「国家の国際犯罪」を犯した国家に対する国家責任の追及可能性を認めたものであると理解することも否定はできない。
  しかし、これらの判例は、あくまで、「個人の国際犯罪」の訴追・処罰と国家責任、さらには「国家の国際犯罪」とが密接不可分な場合がありうることを示したにすぎず、「国家の国際犯罪」に該当するような国家機関による集団殺害行為等が存在していなくても、集団殺害罪等の訴追・処罰が可能であることまで否定したものではない。いいかえれば、「個人の国際犯罪」として集団殺害罪等を訴追・処罰することは、国家の行為が「国家の国際犯罪」(国家責任条文草案第一九条3項(b)、(c))に該当していなくても可能なのである。むしろ、集団殺害罪等は、原則として個人の行為のみが想定されている(「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」第一七条、第一八条(112))。したがって、集団殺害行為等が「国家の国際犯罪」に該当しなくても、「個人の国際犯罪」として集団殺害罪等を処罰することは可能であり、この点で、集団殺害罪等は、侵略の罪とはまったく異なっているのである。
  これに対し、侵略の罪は、国家の行為が「国家の国際犯罪」に該当することが、「個人の国際犯罪」の訴追・処罰の前提となっている。確かに、戦争指導者の国家機関としての責任および「個人の国際犯罪」の前提としての「国家の国際犯罪」の問題は、未解決のままほとんど議論されずに残されている。例えば、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」は、その第四条で個人責任規定が国家責任の問題を損なうものではないことを注意しているのみであり(113)、国家機関としての個人の行為を国家の行為とみなした場合については、なんら規定されていない。また、ローマ条約においても、個人の犯罪として定義のできたジェノサイド罪(第六条)、人道に対する罪(第七条)および戦争犯罪(第八条)と異なり、侵略の罪は構成要件について合意できず、国家機関としての個人の訴追についても未だ規定されていない(第五条2項(114))。しかし、「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」第一六条からみて、戦争指導者が侵略の罪という「個人の国際犯罪」に基づいて訴追・処罰される場合、少なくとも理論的には国家の行為が「国家の国際犯罪」(国家責任条文草案第一九条3項(a))に該当することが前提となっていると考えられる。いいかえると、侵略国について通常の国際法違反とは異なる取り扱いをする可能性が国際法上認められることを前提として、侵略についての「個人の国際犯罪」が成立するのである。したがって、第二次世界大戦後の「個人の国際犯罪」の法典化およびその処罰の実施においても、侵略国について通常の国際法違反とは異なる国際法上の取り扱いをすべきであるという認識は存在しており、この認識を法典化したものが国家責任条文草案第一九条三項(a)であるといえよう。

  第3節  「国家の国際犯罪」処罰の一形態としての国家元首の処罰

  第二次世界大戦後、侵略の「個人の国際犯罪」の側面に基づき戦争指導者を処罰することは実現していったが、国家が「国家の国際犯罪」としての侵略を行った場合に、当該国家の機関として行った戦争指導者の行為を国家の行為とみなして訴追・処罰することは、提案すらなされたことがない。この点、第一次世界大戦後の処理の際には、未だ侵略が「国際犯罪」に該ることは認識されていなかったものの、侵略が行われたことに基づく戦争指導者の訴追・処罰は提案されていた。この提案は、「国家の国際犯罪」としての侵略の処罰をめざしたものではなかったのだろうか。
  第一次世界大戦後の処理に際して、英米等の同盟国は、自分達がドイツ等の枢軸国による違法な戦争の被害国であることを内外にアピールするため(115)、枢軸国の国家元首および戦争指導者の処罰を主張していた(116)。その主張は、戦争を非難する道義的効果が大きくなるように、単にいくつかの戦勝国が処罰するのではなく、国際的な処罰制度を創設し、その制度下で処罰する、というものであった(117)。この主張にこたえて、パリで開かれた第一次世界大戦の講和会議においては、枢軸国の国籍を有する者を国際法廷で処罰することが提案された(118)。しかし、パリ講和会議において、米国代表は、この提案に対して、戦争違法化が始まろうとしていた時点であったために、国家が戦争を行ったこと自体についての違法性を問うことにも、個人の戦争遂行行為自体についての違法性を問うことについても疑問がある、と指摘した(119)。そのため、この講和会議で結ばれたヴェルサイユ条約において、枢軸国の国家元首および戦争指導者の国際的処罰制度を創設することは断念されたのである(120)
  このように、最終的に国家元首および戦争指導者の処罰は実現せず、ヴェルサイユ条約第二二七条により、前ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世を国際法廷で裁くことが規定され、侵略が行われたことに基づく政治的非難が、一応法的な表現を借りてなされたにとどまった(121)。また、国家元首以外の戦争指導者に関しては、「個人の国際法主体性」が認められない以上、戦争指導者を国際裁判所で処罰できないのではないか、と指摘されており(122)、その処罰の提案が有する意義も限定されざるをえない。しかし、パリ講和会議で国家元首の処罰が提案され、ヴェルサイユ条約上規定されたことは(123)、その処罰が実現しなかったことを考慮しても、なお画期的なことであった。
  パリ講和会議においてもアメリカ代表により指摘されたように、従来国家元首は、国家免除の対象とされ、裁判を受けることはないと考えられていた(124)。主権を有する国家同士が互いに裁判を受けることがない以上、主権者としての国家元首も裁判を受けることはないとされてきたのである(125)。したがって、国家自体を処罰しえない限り、主権者としての国家元首も処罰しえないはずであった。にもかかわらず、国家元首の処罰が提案されたのは、当時の国際法上、侵略戦争を遂行する主体は国家自体であると考えられており(126)、侵略戦争を遂行した場合に限っては、国家自体を処罰しうると考えられたからにほかならない。だからこそ、侵略戦争を遂行した国家を体現する国家元首も処罰しうると考えられ、その処罰が提案されたのである。いいかえると、同盟国は、国家を体現する国家元首を処罰することで、侵略戦争の主体である枢軸国自体を処罰しようとしたと考えられる。このように、侵略戦争の主体として国家と国家元首を同視することは、例えば、戦間期の国際刑法学会案においても規定されている(127)

第七条  第1項
  国際犯罪を行ったすべての皇帝、国王、大統領、独裁者(dictator)又はその他の国家元首は、本法典においては国家と同様に扱う。

この規定により、国家元首が自己の決定に基づいて侵略等の「国際犯罪」を行った場合には、国家が侵略等の「国際犯罪」を行ったのと同様に扱われる。すなわち、侵略等の「国際犯罪」の主体としては、国家と国家元首が同視されているのである。この点、国内刑法上の刑罰においては、犯罪行為者の具体的な人格に対して法的非難が加えられる。これに対し、国際法上、侵略戦争の行為主体とされる国家には抽象的な人格しかないが、少なくとも当時は、国家と同視されていた国家元首には具体的な人格がある。そのため、国家自体を処罰しなくても、当該国家の元首を処罰すれば、国内刑法上の刑罰と同様に、国際法上、侵略国に対して効果的に法的非難を加えることができた(128)。この点からみて、パリ講和会議において、国家元首の処罰が提案されたのは、侵略国自体に対して効果的に法的非難を加えようとしたからにほかならない。したがって、この提案は、国内法上の民事責任に類する責任しか課されなかった国家に対して、国内刑法上の刑罰と同様に法的非難を加えようとした、まさに画期的なものだったのである。
  確かに、パリ講和会議当時は、戦争違法化への大転換がまさに始まろうとしていたところであり、未だ「国家の国際犯罪」概念は萌芽していなかった。第一章で述べたように、「国家の国際犯罪」概念は、侵略が「国際犯罪」であってそれに基づいて国家には「刑事責任」が科される、という認識とともに萌芽したのである。その後、「国家の国際犯罪」処罰の一形態としての国家元首の処罰について特に議論されたことはない。その結果、現在の国家責任条文草案においてもそのような処罰は規定されていない。しかし、パリ講和会議における国家元首の処罰の提案およびヴェルサイユ条約第二二七条は、侵略国に対して国内刑法上の刑罰と同様に法的非難を加えようとした点で、まさに国家に「刑事責任」を科そうとしたのである。したがって、少なくとも思想的には、国家元首の処罰の提案は、「国家の国際犯罪」としての侵略に基づく処罰を提案したものだったといえる(129)。つまり、この提案における国家元首の処罰は、「国家の国際犯罪」としての侵略を処罰するための一形態として認識されていたのである(130)

(70)  J. Crawford, supra note 5, Add. 3, p. 10, para. 101.
(71)  Id., pp. 4-6, paras. 82-86.
(72)  ‘The Nuremberg Tribunal Judgement', American Journal of International Law, Vol. 41, p. 221 (1947).
(73)  「人類の平和と安全に対する犯罪についての法典草案」第一六条。U.N. Doc. A/51/10, p. 83.
(74)  Id., pp. 9-120.
(75)  S/RES/827 (1993).
(76)  S/RES/955 (1994).
(77)  例えば、International Criminal Tribunal for the Former Yugoslavia, Tadic´, IT-94-I-IT(Judgement of May 7, 1997), reprinted in International Legal Materials, Vol. 36, pp. 908-979 (1997) (hereinafter cited as Tadic´).
(78)  ローマ条約第五条1項(d)。International Legal Materials, Vol. 37, pp. 1003-1004 (1998).
(79)  Id., pp. 1002-1069.
(80)  一般に、「個人の国際犯罪」と呼ばれるものには、以下の三種類があるといわれている。すなわち、@国際的関連を有する国内犯罪、A条約又は慣習国際法によって構成要件が定められているが、犯罪人の審理処罰は各国に委ねられているもの、B国際刑事裁判所のような国際機関によって直接に審理・処罰を行うことが予定されているものである。太寿堂鼎「国際犯罪の概念と国際法の立場」『ジュリスト』七二〇号、六七ー七二頁(一九八〇年)、参照。
(81)  詳しくは、J.B. Scott, The Project of a Parmanent Court of International Justice and Resolutions of the Advisory Committee of Jurists, pp. 142-148 (1920) を参照。また、決議の全文(英語および仏語)は、id ;pp. 168-172.
(82)  フィリモアは、「この罪には、独裁者による、正当ではない戦争の開始の罪等が含まれる」と述べた。R. Phillimore, ‘An International Criminal Court and the Resolutions of the Committee of Jurists', British Year Book of International Law, Vol. 3, pp. 79-80 (1922-23).
(83)  R. Phillimore の発言。Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction, supra note, 30, p. 9.
(84)  C. Schmitt, supra note 25, p. 237.
(85)  この点、第一次世界大戦後の「国際犯罪」の法典化に関する諸提案において「国際犯罪」終了後の国家自体の処罰として想定されていたのは、罰金または「海外に在留する加害国国民の財産差押え」のような措置が中心であった(別表2参照)。これらは、国家自体の処罰であると同時に国民全体の処罰ともいえる措置であった。
(86)  Elihu Root の発言。Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction, supra note, 30, p. 9.
(87)  そのため、@現状では、刑事事件は国際手続上で慣例とされている通りに、通常の(国内)裁判所に委ねることが最善であり、A将来、この種の犯罪が国際裁判所の管轄となるならば、その目的のために常設国際司法裁判所に刑事部を設置しうるであろうが、Bいずれにしても、戦争違法化が始まったばかりで「一般に認められる国際刑法が存在しない」現在、この問題を検討することは時機尚早である、という結論を付して、第三委員会は上記の要望決議を総会に提出した。J.B. Scott, supra note 81, p. 744, 745. この点について、フィリモアは、「この要望決議は、連盟総会終了間際になって上程されたこと、および戦争開始または戦時犯罪に関わる遡及的訴追が、連盟総会を介して付託されることを恐れる国が同盟国の中にもあったことなどに影響されて手際良く葬り去られてしまった」と述べている。R. Phillimore, supra note 82, p. 84.
(88)  このようにして、ヴェルサイユ条約成立直後に国際連盟が取り組んだ「国際犯罪」処罰の問題は時機尚早であるとされ、国際連盟においてはそれ以上議論されなかった。その後、一九三四年にユーゴスラビア国王およびフランスのバルトウ外務大臣が暗殺され、国際連盟は個人の行為としてのテロリズムの抑止を目指すこととなった。その結果、「テロリズムの抑止と処罰のための条約案」および「国際刑事裁判所設立のための条約案」が作成され、一九三七年に署名(前者二十カ国、後者十カ国)された。しかし、いずれの条約も「個人の国際犯罪」に関するものであり、また、その批准状況は、前者についてインドが批准したのみであった。詳しくは、小長谷和高『国際刑事裁判序説』三〇ー三二頁(一九九九年)を参照。
(89)  A. Levitt, supra note 60, p. 19.
(90)  Id., p. 20.
(91)  International Law Association, ‘Statute of The Court', in Report of the Thirty−Fourth Conference, p. 120 (1926). ここで、国家が訴訟当事者とされる理由については、小委員会のレポートの中で、@国家は、自国民が国際違法行為を行う際には、自国民と、同一視されることになる(is properly to be identified with)うえ、A国家の方が自国民に代わって十全な弁明をなしうるからである、と述べられている。Id., p. 111.
(92)  大沼保昭、前掲注(29)、一三四ー一五七頁。
(93)  R. Jackson, Report of Robert H. Jackson, U.S. Representative to the International Conference on Military Trials, London, 1945, pp. 295-297 (1949).
(94)  Id., p. 295.
(95)  Id., pp. 299-300.
(96)  参照、ゲ・イ・トゥンキン『国際法理論』三九四頁(安井郁監修・岩渕節雄訳、一九七三年)。
(97)  豊下楢彦「『無条件降伏』と戦後世界秩序」『一九四〇年代の世界政治』三三六ー三三七頁(川端正久編、一九八八年)。
(98)  同上、四〇〇ー四〇一頁。
(99)  大沼保昭、前掲注(29)、特に、二三八ー二四二頁、三三八ー三四五頁。
(100)  田畑茂二郎『国際法新講  上』六六頁(一九九〇年)。
(101)  Cf. E.H. Carr, International Relations Between the Two World Wars 1919-1939, pp. 44-60 (1947). E・H・カー『両大戦間における国際関係史』四六ー六三頁(衛藤瀋吉、斉藤孝訳、一九六八年)。
(102)  ゲ・イ・トゥンキン、前掲注(96)、四〇〇ー四〇一頁。なお、同書によれば、この処理により少なくとも金銭賠償については名実ともにいわゆる「勝者の権利」は姿を消したと指摘されている。
(103)  大沼保昭、前掲注(29)、二七二頁。また、小和田恒・芝原邦爾「ローマ会議を振り返って」『ジュリスト』一一四六号、八ー九頁(一九九八年)、参照。
(104)  山本草二、前掲注(11)、五四六ー五四七頁。ここでは、このような個人責任を有する戦争指導者について、国内法上は適法とされた行為についても訴追・処罰されることを「個人の集団責任」と呼んでいる。
(105)  J. Crawford, supra note 5, Add. 3, p. 10, para. 101.
(106)  Resolution of the Inter−Parliamentary Union on the Criminality of Wars of Agression and the Organization of International Repressive Measures, supra note 57, p. 71.
(107)  A. Levitt, supra note 60, pp. 29-30.
(108)  U.N. Doc. A/51/10. p. 83.
(109)  A. Pellet, ‘Can a State Commit a Crime? Definitely, Yes!', European Journal of International Law, Vol. 10, pp. 432-433 (1999).
(110)  Application of the Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide, (Bosnia and Herzegovina v. Yugoslavia),
Preliminary Objections I.C.J. Reports, 1996, p. 616 (Judgement of July 11, 1996).
(111)  Tadic´, IT-94-I-IT (Judgement of May 7, 1997), reprinted in International Legal Materials, Vol. 36, p. 932-933, para. 606.
(112)  U.N. Doc. A/51/10. pp. 85, 93.
(113)  U.N. Doc. A/51/10. p. 30.
(114)  小和田恒・芝原邦爾、前掲注(103)、七ー九頁、参照。
(115)  大沼保昭、前掲注(29)、三七ー六九頁、参照。
(116)  Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction supra note, 30, p. 2.
(117)  Id., p. 2.
(118)  この会議の詳細については、The Report of the Commission on the Responsibility of the Authors of the War and on Enforcement of Penalties;Report Presented to the Preliminary Peace Conference 1919, American Journal of International Law, Vol. 14, pp. 95-126 (1920) を参照。
(119)  Id., p. 138. 但し、少なくとも、道徳的には、そのような国際的な処罰制度が必要であると米国も認めていた。その理由としては、多様な国籍の戦争指導者について、複数の国民、または、複数の同盟国軍隊の作戦に影響を与える命令を発したことに基づいて裁くためには必要であることを挙げていた。Id., pp. 121-122. これは、アメリカ国内世論が処罰を支持していたためであるといわれている。にもかかわらず、公式には「法律なければ犯罪なし」の原則を強調し、当該処罰の否定へと導いていった。その矛盾や経緯については、C. Schmitt, supra note 25, pp. 237-240 を参照。
(120)  Historical Survey of the Question of International Criminal Jurisdiction supra note, 30, p. 2.
(121)  ヴェルサイユ条約第二二七条は処罰(penalties)という見出しの第七部の下におかれており、刑罰としての性格を持たせる意図はうかがえる。しかし、あくまで「国際道義及び条約の神聖を傷つけた最高の犯罪について」の規定であり、この非難は、法的なものというより、道徳的あるいは政策的なものであった。Cf. C. Schmitt, supra note 25, pp. 235, 237.
(122)  The Report of the Commission on the Responsibility of the Authors of the War and on Enforcement of Penalties;Report Presented to the Preliminary Peace Conference 1919, American Journal of International Law, Vol. 14, pp. 95-126 (1920), p. 135.
(123)  Id., p. 95.
(124)  Id., p. 138.
(125)  この点につき、カール・シュミットは、「ヨーロッパ国際法は、他の承認された国家あるいは他の主権国家の承認された国家首長に対する一国家の国際的な裁判権というものを知らなかったのである」と述べ、その根拠として「同等のものは、同等のものに裁判権を持たず」(Par in Parem non habet jurisdictionem)の原則を挙げていた。C. Schmitt, supra note 25, p. 236.
(126)  Id., p. 237.
(127)  A. Levitt, supra note 60, p. 26.
(128)  M. Chrif Bassiouni, International Criminal Law, Vol. III, pp. 181-182 (1986). 小長谷和高、前掲注(88)、一〇ー一一頁、参照。
(129)  この点からは、侵略を「国際犯罪」の一種とし、「国家の国際犯罪」概念の萌芽がみられるうえに、国際刑法学会案は、国家と国家元首を「国際犯罪」の行為主体として同視している以上、国家元首の処罰によって侵略の「国家の国際犯罪」の側面を処罰しようとしていると理解できる。A. Levitt, supra note 60, pp. 18-32.
(130)  学説上、「国家の国際犯罪」概念が法典化されるとすれば、その法的効果の最も重要なものの一つとして、国家元首等の処罰規定が必要であると主張するものとして、Cf. A. Pellet, supra note 109, pp. 432-433;B. Graefrath, ‘International Crimes and Collective Security', in International Law:Theory and Practice (Essays in Honour of Eric Suy), pp. 239-240 (ed. by K. Wellens, 1998).


第三章  「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度と集団安全保障体制



  第1節  集団安全保障体制を利用する国際法委員会諸提案

  一九七六年、アゴー(イタリア)は、その第五報告書のなかで、以下のような問題を設定し、国際法委員会に提出した(131)。その問題とは、「国家に課せられた様々な国際義務の内容にかかわらず、いずれの義務の違反も単一のカテゴリーの国際違法行為となり、それゆえすべて同一の責任制度(regime)が適用されるのが正当なのか、それとも、複数の類型の国際違法行為となり、それぞれ別個の国際責任の制度が必要なのか」というものであった。この問題に対し、国際法委員会は、同年、まず「国家の国際犯罪」概念の定義規定である国家責任条文草案第一九条2項から4項を起草した。同条は、義務の内容によって国際違法行為のカテゴリーを二種類に分け、一方を「国家の国際犯罪」とし、他方を単なる国際違法行為としている。このように、国際法委員会は、アゴーの問題に対し、「単一のカテゴリーの国際違法行為となり、それゆえすべて同一の責任制度が適用される」のではなく、「複数の類型の国際違法行為となり、それぞれ別個の国際責任の制度が必要」であるとこたえた。この第一九条については、国連第六委員会でも大多数の国が賛成し(132)、「単なる国際違法行為」の国際責任の制度とは区別される「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度の法典化が確認された。但し、この時点では、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度に関しては、ほとんど議論されておらず、今後の規定の仕方を注視するということで同意が得られたにすぎなかった(133)。しかし、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度に関するアゴーの掲案がまったく明らかにされていなかったわけではない。
  まず、以下のように、対抗措置に関する国家責任条文草案第三〇条(134)のコメンタリーにおいて、「制裁」とよばれるものが対抗措置に含まれると述べられている(別表5参照(135))。
「この条文のタイトルには、制裁(sanctions)よりも広い概念である『対抗措置』という文言が採用された。この文言は、国際組織の決定に基づく制裁を含んでいる。これにより、国際社会全体に対して重大な結果をもたらす国際義務の違反に対する反作用すなわち国際組織の決定による制裁は、その現代国際法上の意義に鑑みてこの条文中で許容される」。
このコメンタリーは、「国際組織の決定による制裁」を対象としている。また、別の個所では、そのような「制裁」には「国際の平和と安全の維持の観点から憲章によって確立されたシステムの下で国連が採択し行使する措置」が含まれるとしている(136)。このことからみて、「制裁」の内容としては、集団安全保障体制上の制裁が想定されていたと考えられる。さらに、「制裁」とは「国際社会全体に対して重大な結果をもたらす国際義務の違反に対する反作用」で

表5:国家責任条文草案上の侵略に対する制裁,または,これに代わる法的効果


侵略に対する制裁,または,これに代わる法的効果
アマドール提案  (「国家の国際犯罪」概念は使われていなかったが,当初,国家の刑事責任が認められるべきことが示唆されていた。その刑事責任として,具体的に国家に対して加えられると想定されていたのは,懲罰的損害賠償であった。但し,この提案は,その後,アマドール自ら撤回した。)
アゴー提案 第30条(国際違法行為に対する対抗措置)(コメンタール)  国際社会全体に対して重大な結果をもたらす国際義務の違反に対する反作用すなわち国際組織の決定による制裁は,その現代国際法上の意義に鑑みて,この条文中で許容される。特に,国際の平和と安全の維持の観点から憲章によって確立されたシステムの下,国連が採択し行使する特定の措置は,この制裁に含まれ,本条で許容される。
(ILCにおける発言)  責任の異なる形態を国際法委員会が定義するときには,国連憲章第42条の軍事的措置が,一定の犯罪に適用可能で他の犯罪には適用不可能であることが規定されるだろう。
リップハーゲン提案  第40条(被害国の定義)(コメンタール)  被害国は,組織化された国際社会の枠内でのみ制裁の権限を行使すべきである。
第53条(すべての国の義務)(そのうちの(a)非承認義務,(b)支持・援助の禁止義務(c)相互援助義務,下記第53条参照)
アランジョルイス草案 〈前提〉  第7報告書において,「組織化された国際社会」(→制裁)を否定
〈アランジョ・ルイス草案第3部第19条,第20条〉  第40条3項,第47条を文言通り解釈して,「国家の国際犯罪」に対しては,すべての国が対抗措置をとりうるものとする。但し,その「国家の国際犯罪」に対して対抗措置を発動するにあたっては,@総会又は安全保障理事会による予備的評価とA国際司法裁判所の決定的宣言という2段階の「国際犯罪の存在と帰属の認定」を必要とする。
国家責任条文草案 第52条(特別の効果)  (加害国の「政治的自立の喪失」や「経済危機」または「国家の尊厳の損傷」を考慮して,原状回復請求と満足の請求に付された制限に服しない。)
第53条(すべての国の義務)
国が犯した国際犯罪は,他のすべての国に対して次の効果を生じさせる。
(a)犯罪によってもたらされた状態を合法的なものとして承認しないこと
(b)国際犯罪を犯した国が犯罪によってもたらされた状態を維持することを支援しまたは援助しないこと
(c)(a)及び(b)が定める義務の履行に当たって他の国と協力すること,並びに,
(d)犯罪の効果を除去するための措置の適用について他の国と協力すること。





あるとされており、「国家の国際犯罪」に対する対抗措置としてとられることが想定されていたと考えられる。この点は、国際法委員会の討議においても、セッテ・カマラ(ブラジル)が、「『国家の国際犯罪』の被害に対する救済が、国連憲章第七章の規定の下で求められることは明らかである」と指摘している(137)
  さらに国際法委員会の討議において、アゴーは、「制裁」に憲章第四二条の軍事的措置が含まれうると述べている(別表5、参照(138))。
「責任の様々な形態を国際法委員会が定めるときには、国連憲章第四二条の軍事的措置が一定の犯罪に適用可能で、他の犯罪には適用不可能であることが規定されるだろう。採択された決議や加盟国の態度に反映されているように、一般に犯罪とされるような国際違法行為が行われたときでも、国連憲章第四二条に規定されている措置の適用を求めないまま関係国は行動を止めてしまう傾向が、国連の実行にはみられるからである。この措置は国連憲章を受諾する際に加盟国により受諾されており、このような規定に躊躇は必要ない」。
  これらのコメンタリーおよびアゴー発言については、二通りの解釈が可能である。第一は、第三〇条のコメンタリーが違法性阻却事由としての対抗措置について述べている点を重視して、これを、集団安全保障体制上の制裁が侵略等の「国家の国際犯罪」に対して発動された場合には国家責任法上合法な措置として評価できるという当然のことを注意的に述べたと解釈するものである。この解釈からは、集団安全保障体制に何も付け加えるものではなく、「国家の国際犯罪」に対する「制裁」についての特別な制度の創設を目指してはいないことになる。第二は、第三〇条のコメンタリーおよびアゴー発言を、国家責任法上、集団安全保障体制上の制裁の発動を義務化することを目指している、と解釈するものである。すなわち、一定の「国家の国際犯罪」処罰のために必要な場合は集団安全保障体制上の制裁を加えねばならない、という制度の法典化を目指していると解釈するのである。この解釈からは、国連の実行からみて、拒否権等により、集団安全保障体制上の制裁が発動できず、憲章第四二条に規定してある軍事的措置も発動できないようなときでも、「国家の国際犯罪」に対しては、当該軍事的措置を含む「制裁」が発動されるようになる。また、この解釈では、憲章第四二条の軍事的措置に関するアゴー発言は、そのような制度も国連の適正な機能として国連加盟国は受け入れるはずである、と解釈することになる。
  前述のように、国家責任条文草案第一九条起草時には、「国家の国際犯罪」特有の国際責任の制度に関しての議論はほとんどなされなかったため、それ以上、アゴーの提案しようとしていたものがどのようなものであったのかが明らかになることはなかった。しかし、アゴーの提案は、国際法委員会および国連第六委員会の討議において、第二の解釈に従って一般的に理解された。すなわち、一定の「国家の国際犯罪」の処罰のために必要な場合は「制裁」を加えねばならない、という「国家の国際犯罪」処罰体制を法典化しようとするものであり、その法典化により、国連の実行上、制裁機能が麻痺していたとしても、侵略等の「国家の国際犯罪」処罰のために憲章第四二条の軍事的措置を含む「制裁」が発動されるようになる、と理解されたのである(以下、アゴーの提案をこのように解釈したものを、便宜上、アゴー提案と呼ぶ)。このように解釈されたのは、当時の集団安全保障体制が機能麻痺していたこと(139)、および第三〇条のコメンタリーの冒頭で「罰を負わせる(inflict punishment)」ことも「制裁」の機能として挙げられていることが重視されたためであると考えられる(140)。アゴー自身も以前より、「国際違法行為に対する国家責任としては賠償が生じるが、侵略戦争に対しては、それのみでは不十分であり、制裁(sanction)も必要である」と主張していた(141)。この主張からみると、アゴー掲案における「制裁」は、賠償のみを目的とするものではなく、侵略に対して適正に対処するためのものであった、と考えられる。そのうえ、国家責任条文草案第一九条起草時にも、アゴーは、集団安全保障体制の機能麻痺について、個別国家による武力復仇の合法性が再び議論され始めるほど、困難な状況であることを指摘している(142)。そのため、アゴー提案が、国連の実行からみると制裁が発動できなかったような場合でも侵略に対して適正な対処がなされるように「国家の国際犯罪」処罰体制を創設しようとするものである、と国際法委員会および国連第六委員会の討議において理解されたことは、アゴー自身の持論および当時の発言にも合致していたのである。
  このように理解されたアゴー提案に対し、アゴーの次の特別報告者リップハーゲン(オランダ)は、「国家の国際犯罪」に対しては、「『被害国』は組織化された国際共同体(organized international community)の枠内でのみ、『制裁』の権限を行使すべきである」と主張した(別表5参照(143))。この主張からは、「国家の国際犯罪」処罰体制が法典化されても、憲章第七章上の要件がみたされない場合には、少なくとも「国家の国際犯罪」に対する「制裁」も「組織化された国際共同体の枠」外となって発動する義務はないことになる。したがって、リップハーゲンは、集団安全保障体制の「枠内での権限」についてしか主張しておらず、アゴーのように従来の集団安全保障体制の外で「国家の国際犯罪」に対する「制裁」発動義務を認めるような制度の創設については主張していなかったといえる。
  さらに、このリップハーゲンの主張は、事実上「国家の国際犯罪」に該当する行為を行っている国家に対して集団安全保障体制上の制裁が発動された場合には当該制裁は「国家の国際犯罪」に対する対抗措置として適法である、との指摘である。この指摘は、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度の法典化は主張していないのだろうか。確かに、この制裁が本来の「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的(憲章第三九条)で発動されるものしか含んでいないとすれば、「国家の国際犯罪」に対する「制裁」を認めても、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度が法典化されることにはならない。なぜなら、警察目的で、事実上単なる国際違法行為に該当する行為を行っている国家に対して制裁が発動された場合にも、当該制裁は単なる国際違法行為に対する対抗措置として適法だからである(国家責任条文草案第三〇条、第四七条乃至第五〇条、参照)。
  しかし、リップハーゲンは、「すでに、国際社会全体が、『国家の国際犯罪』に対する『制裁』の執行権限まで安保理に付与することを宣言している」と述べて、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度の法典化を根拠付けようとしていた(144)。これは、一九八二年までに、「国家の国際犯罪」に対して安保理が執行しうる集団安全保障体制上の制裁の範囲は拡大しており、本来の「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的で発動される制裁だけではなく、「国家の国際犯罪」処罰目的で発動される制裁もその範囲に含まれるようになった、という主張である。そのため、リップハーゲンの主張は、国際法委員会および国連第六委員会の討議において、一般国際法上、単なる国際違法行為に対する対抗措置とは異なり、「国家の国際犯罪」に対する対抗措置には処罰目的での「制裁」も含まれていることを法典化しようとするものであると理解され、議論されていった(以下、この法典化の提案を、便宜上、リップハーゲン提案と呼ぶ)。
  他方、リップハーゲンは「制裁」に関する制度以外に、もう一つ別の「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度に関する提案も行っていた。すなわち、一九八二年に提案した、国家責任条文草案第二部に関するリップハーゲン草案においては、「すべての国家の犯罪を承認、支援又は援助しない義務、およびそのことについて相互に協力する義務」も「国家の国際犯罪」特有の法的効果としていたのである(145)。この一九八二年草案を基に起草された一九八五年のリップハーゲン草案第一四条2項(146)は、そのまま、以下のような国家責任条文草案第五三条へと受け継がれ、その後、一九九六年に、議論なく原案のまま採択された(別表5参照)。

第五三条(すべての国の義務)
    国が犯した国際犯罪は、他のすべての国に対して次の効果を生じさせる。
    (a)  犯罪によってもたらされた状態を合法的なものとして承認しないこと
    (b)  国際犯罪を犯した国が犯罪によってもたらされた状態を維持することができるように支援または援助を行わないこと
    (c)  (a)及び(b)が定める義務の履行に当たって他の国と協力すること
    (d)  犯罪の効果を除去するための措置の適用について他の国と協力すること。

  この第五三条の起草趣旨については、一九九六年の国際法委員会の討議において、起草委員会議長のカレロ・ロドリゲス(ブラジル)が、「犯罪に対しては国際社会の集団的な対応が必要である、との観点から起草された」ものであると述べている(147)。この「国際社会の集団的な対応」については、国際法委員会の討議においても、バランダ(ザイール)により、「すべての国が被害国を助けるために殺到するなどということは、まず考えられない以上、ここで規定される相互協力義務という助力の義務は、場合によってはまったく実効性を失うおそれがある」と指摘されていた(148)。これは、何らかの手段によって「相互協力義務」を実効的なものとすることが、当該義務には不可欠である、という指摘であり、第五三条上のすべての義務に該当すると考えられる。この実効性確保の手段としては、安保理決議によって「すべての国の義務」が負わされ、当該義務が果たされなかった場合には集団安全保障体制上の制裁が発動される、という手段しか考えられない。このように、安保理の拘束力ある決議を利用することの必要性については、国連第六委員会において、オーストラリア、ザイールおよびアイルランド等、多くの国から指摘された(149)。また、リップハーゲンも「不承認義務」および「非協力義務」を安保理決議によって実効的なものとしようとしていたと考えられる。なぜなら、リップハーゲンは国際司法裁判所の「ナミビア問題に関する勧告的意見」(一九七一年)が「不承認義務」および「非協力義務」を起草する基礎となっていると述べているが(150)、この勧告的意見は「国際の平和と安全の維持」に関する安保理の主要な責任を根拠として下されているからである。したがって、このリップハーゲン草案第一四条2項における提案および国際法委員会による第五三条の法典化は、安保理決議によって「義務」が負わされることを前提とするものであるといえる(以下、このような前提のもとで、第五三条を法典化しようとする提案を、便宜上、国際法委員会提案と呼ぶ)。
  以上のように、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度として提案されていたものは、アゴー提案では、「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」の発動を義務化することであり、リップハーゲン提案では、「国家の国際犯罪」に対する対抗措置にその処罰目的での「制裁」も含ませることであり、さらに、国際法委員会提案では、安保理決議によって「すべての国の義務」を課すことであった。したがって、アゴー、リップハーゲンおよび国際法委員会の提案はいずれも、それぞれの形態で集団安全保障体制上の決議または措置を利用することによって「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度を法典化しようとしていた、と考えられる。ところが、アゴー提案も、リップハーゲン提案も、国家責任条文草案上は採用されず、国際法委員会提案については、現在の特別報告者クロフォードにより内容および実効性の乏しさが指摘され、国家責任条文草案第五三条の削除が提案されている(151)。はたして、集団安全保障体制を利用する「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度を法典化することには、どのような問題点があるのだろうか。

  第2節  「国家の国際犯罪」に対する処罰と集団安全保障体制上の制裁の関係

  国際法委員会では、国家責任条文草案第一九条起草時まで、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度に関しては、あまり議論されなかった。しかし、その後、アゴー提案およびリップハーゲン提案に従って、「国家の国際犯罪」を処罰するために集団安全保障体制上の制裁を発動する制度を法典化することはできないという批判が加えられていった。この批判は、主として国連第六委員会において、アメリカ合衆国、ポルトガル、オーストラリアおよびフランスといった国々によって、「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」は、国内法の類推によって国際法上国家に「刑罰」を科そうとするものであり発動できない、と主張されたのである(152)。これは、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁を認めようとすることは、国内刑法の類推によって国際法上も「刑罰」を認めようとするものであるという理解を前提として、国内刑法の類推は認められない、という批判を行ったうえで、結論として、実定国際法上の根拠が無いことを根拠に「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」に反対したものであると理解できる。
  まず、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁を認めようとすることは、国内刑法の類推によって国際法上も「刑罰」を認めようとするものなのだろうか。国際法委員会の討議において、この「国家の国際犯罪」に対する「制裁」が「刑罰」に該るかどうかについての議論は、慎重に避けられてきた(153)。その理由について、アゴーは、「この問題は、まったく用語上の問題(a matter of terminology)になっている」からだ、と述べている(154)。これは、アゴーが、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁を「刑罰」と呼ぶか「制裁」と呼ぶかで「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁が認められるかどうかが決せられるわけではない、と考えていたことを示している。アゴーがこのように考えたのは、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁の具体的内容として想定されているのが憲章第七章に列挙されている強制措置であり、国内法上、個人に対して科される自由刑等ではないからにほかならない(155)。したがって、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁が認められるかどうかは、国内刑法の類推の可否によってではなく、集団安全保障体制上の制裁に含まれるかどうかで決せられるといえよう。
  そこで、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁が認められるかどうかを、国内刑法の類推の可否という観点からではなく、国際法上、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁が集団安全保障体制上の制裁に含ませることの可否という観点から検討する。ここで、安保理の決定の拘束的効果は国連非加盟国には及ばず、安保理決議に基づく制裁を発動することも国連非加盟国に対してはできない。しかし、現在では、ほとんどの国が国連加盟国となってしまったため、安保理の決定の拘束的効果が及ばない場合が存在することは、事実上、無視できる程度にはなってきている。したがって、現実的には、集団安全保障体制上の制裁はすべての国に発動できるといえなくもない。この事実を重視して、リップハーゲンは、「すでに、国際社会全体が、『国家の国際犯罪』に対する『制裁』の執行権限まで安保理に付与することを宣言している」と述べていた(156)。これは、一九八二年までに、集団安全保障体制上の制裁発動に関する安保理の権限は拡大しており、本来の「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的だけではなく、「国家の国際犯罪」処罰目的でも、制裁の発動権限を有するようになった、という主張であると理解できる。はたして、リップハーゲンが主張するように、安保理は「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁の発動機関とされてきたのだろうか。いいかえれば、集団安全保障体制上の制裁は、「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的だけではなく、「国家の国際犯罪」処罰目的でも発動されてきたのだろうか。さらに、国際法委員会掲案の実効性確保には少なくとも安保理決議によって「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を負わせることが必要だが、はたして、安保理は「すべての国の義務」を負わせる目的で拘束力ある決議を採択する機関とされてきたのだろうか。いいかえれば、集団安全保障体制上「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的だけではなく、「すべての国の義務」を負わせる目的でも拘束力ある安保理決議は採択されてきたのだろうか。
  まず、憲章規定をみると、その文言上、集団安全保障体制上の制裁の発動要件には、まず「侵略行為、平和の破壊又は平和に対する脅威」の存在が含まれ、さらにその存在を前提として、「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的で制裁が発動されることになっている(憲章第三九条)。また、拘束力ある安保理決議が採択されるためには、「国際の平和及び安全の維持を危うくする虞」(憲章第三三条)または「侵略行為、平和の破壊又は平和に対する脅威」(憲章第三九条)の存在が必要である(憲章第六章、第七章(157))。これに対して、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁発動が認められるとすれば、そして「すべての国の義務」を負わせる目的での安保理決議が認められるとすれば、その要件には「侵略を禁止する義務のように、国際の平和及び安全の維持のために不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反」(国家責任条文草案第一九条3項(a))の存在が含まれる。さらにその存在を前提として、「罰を負わせるために」(同草案第三〇条のコメンタリー(158))制裁が発動されること、または、「すべての国の義務」(同草案第五三条)を負わせる目的で安保理決議が採択されることが要件となる。両者の文言を比較すると、まず、基本的には共通して「侵略」の存在が要求されているものの、文言上まったく同一ではなく、集団安全保障体制では「侵略行為」が要求されているのに対して、「国家の国際犯罪」では「侵略を禁止する義務違反」が要求されている点で異なっている。それ以外の場合、文言上、両者は大きく異なっている。すなわち、集団安全保障体制では「平和の破壊又は平和に対する脅威」の存在で足りるとされており、これには明らかに「侵略行為」には至らない軽微な行為まで含まれているのに対し、「国家の国際犯罪」では「国際の平和及び安全の維持のために不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反」の存在まで必要とされており、これからは明らかに「侵略を禁止する義務違反」には至らない軽微な義務違反が除外されているのである。さらに、両者の目的を比較すると、「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的か、「罰を負わせる」目的または「すべての国の義務」を負わせる目的かという点で異なっている。したがって、文言上、集団安全保障体制上の制裁の発動要件は「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁の発動要件と異なっており、集団安全保障体制上の安保理決議の採択要件は「すべての国の義務」を負わせる目的での安保理決議の採択要件と異なっているといえる。
  しかし、事実上、「侵略を禁止する義務のように、国際の平和及び安全の維持のために不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反」(国家責任条文草案第一九条3項(a))の存在という要件をみたすような行為が行われた場合には、憲章第三九条の「侵略行為」の存在という要件もみたすはずである。さらに、当該侵略国に対して、集団安全保障体制上の制裁が「国際の平和及び安全の維持又は回復」する目的で発動された場合、その制裁が、事実上、「国家の国際犯罪」に対して「罰を負わせる」機能も果たすことが多いと考えられる。また、集団安全保障体制上、「国際の平和及び安全の維持又は回復」する目的で安保理決議が採択された場合、その決議が国家責任条文草案第五三条に規定されている「すべての国の義務」を負わせる機能を果たすこともあると考えられる。
  このように、集団安全保障体制上の制裁発動または安保理決議の採択を前提とすると、少なくとも事実上は、侵略の場合に限らず、制裁が「国家の国際犯罪」に対して「罰を負わせる」機能を果たすことは多く、また、安保理決議が国家責任条文草案第五三条に規定されている「すべての国の義務」を負わせる機能を果たすこともある。これは、学説および同草案第五三条のコメンタリーによって指摘されている。例えば、ゴウラン・デバは、以下の事例における「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的での制裁の発動要件の認定は、事実上、「国家の国際犯罪」に対する「制裁」の発動要件の認定と一致していると述べている(159)。その事例とは、南ローデシアによる自決権の侵害に対する決議二五三、南アフリカのアパルトヘイト政策に対する決議四一八、イラクによるクウェート侵攻に対する決議六八七、旧ユーゴおよびソマリアにおける人権の大規模侵害に対する決議七八七および決議七三三といった事例である。さらに、グレフラートはこれらの事例を重視して、「独占的に国連が「国家の国際犯罪」に対する制裁を課す役割を果たし、それはすでに国際法として規定されている」と主張した(160)。これは、事実上、集団安全保障体制上の制裁は「国家の国際犯罪」に対する「制裁」としての役割を果たしていることから、一般国際法上も、それ以外に制裁は存在していない、という主張である。
  また、「すべての国の義務」に関する同草案第五三条のコメンタリーは、事実上、「国家の国際犯罪」(国家責任条文草案第一九条)に該当する事例においては何度か、集団安全保障体制上の安保理決議が採択され、「すべての国の義務」(同草案第五三条)を負わせる機能を果たしたと評価している。その事例としては、南ローデシアの一方的独立宣言の直後に採択され、その不承認と非協力を諸国に要請する決議二一六、湾岸戦争におけるイラクに対する義務的な経済的措置の発動を決定した決議六六一、南アフリカのアパルトヘイト政策に対する武器供与等を禁止する決議四一八、三〇一、五六九、および、ポルトガルの植民地に関する決議二一八を列挙している(161)。これらの事例が示すように、集団安全保障体制上の制裁の多くは重大な「平和の破壊または脅威」が存在する場合に発動されており、その場合には、事実上、「国家の国際犯罪」に対して「罰を負わせる」機能も果たしてきたと考えられる。学説上もクウィッグリーやアレチャガによって、侵略および真に平和の破壊または脅威に該当する状況で制裁が発動された場合には「国家の国際犯罪」(同草案第一九条3項(a)等)に対する「制裁」の権限の行使とみなされる、と指摘されている(162)。また、そのような状況では、同草案第五三条の注釈が指摘したように、集団安全保障体制上の安保理決議が「すべての国の義務」を負わせるという機能を果たした場合も少なくない。これらの場合には、「国家の国際犯罪」(同草案第一九条3項)に対する合法な措置であるといえよう。
  但し、これらは、あくまで、「国際の平和及び安全の維持又は回復」する目的で集団安全保障体制上の制裁が発動された場合または安保理決議が採択された場合についての事例である。これらの事例は、制裁または安保理決議が集団安全保障体制上拒否権の行使等によって発動または採択されない場合でも、「国家の国際犯罪」処罰目的のみで制裁が発動される、または、「すべての国の義務」を負わせる目的のみで安保理決議が採択される、ということまで示すものではない。例えば、「国際の平和及び安全の維持のために不可欠の重要性を有する国際義務の重大な違反」(同草案第一九条(a))があり、その違反行為自体は終了したが、「犯罪によってもたらされた状態」(同草案第五三条1項)は残っているような場合を想定してみよう。その場合に安保理決議が採択されれば、「すべての国の義務」を負わせる要件はみたしているが(同草案第五三条)、「国際の平和及び安全の維持を危うくする虞」(憲章第三三条)または「侵略行為、平和の破壊又は平和に対する脅威」(憲章第三九条)は存在していないことになる可能性も十分にありうる。このような場合まで、安保理決議は、有効に採択され、法的効果を有することは示されていないのである。要するに、制裁または安保理決議が憲章に規定されている集団安全保障体制上拒否権の行使等によって発動または採択されない場合でも、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁が安保理決議によって採択された、ということを明示する事例は存在していないと考えられる。
  むしろ、過去の事例からみると、集団安全保障体制上の制裁または安保理決議は、「罰を負わせるために」または「すべての国の義務」を負わせる目的を有することを明示しないようにしてきたと考えられる。例えば、事実上は侵略が行われたと考えられる湾岸戦争においても(163)、発動された制裁が「国家の国際犯罪」に「罰を負わせる」目的を有しているかどうかについては一度もふれられておらず、また、「すべての国の義務」を負わせる目的を明示して安保理決議が採択されたこともなかったのである。現行の国連憲章を前提にするかぎり、集団安全保障体制上、「国際の平和及び安全の維持又は回復」目的ではなく、「罰を負わせるため」であることが明示されて制裁が発動されること、または、「すべての国の義務」を負わせる目的であることが明示されて安保理決議が採択されることはありえないと考えられる。そのため、過去の事例においては、「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的で制裁を発動できない場合または拘束力ある決議を採択しえない場合にまで、安保理に「国家の国際犯罪」処罰目的で制裁を発動する権限が認められているわけではなく、また、「すべての国の義務」を負わせる目的で拘束力ある決議を採択する権限が認められているわけでもない、といわざるをえない(164)
  リップハーゲンの次の特別報告者アランジオ・ルイス(イタリア)は、湾岸戦争やその他の制裁発動を分析した後、実定国際法上「国家の国際犯罪」に対する「制裁」の執行権限が安保理に付与されたことは確認できないとして(165)、以下のように、リップハーゲン掲案を批判した(166)。すなわち、安保理は本来的に付与された権限の範囲内で制裁を発動できるが、それはあくまでも「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的での発動に限定され(憲章第三九条)、法の執行や立法的介入のような目的で発動することまでできるわけではない。確かに、「侵略」(国家責任条文草案第一九条3項(a))に関しては、安保理がその存在および帰属の認定を行いうる。さらに、その認定に従って、「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的で制裁を発動することもでき、その結果、「国家の国際犯罪」処罰または「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を負わせる場合もある。しかし、それは、あくまで事実上、「国家の国際犯罪」処罰または「すべての国の義務」を負わせうるにすぎず、安保理が「国家の国際犯罪」処罰権限または「すべての国の義務」を負わせる権限まで有しているわけではない、と批判したのである(167)。そのうえで、この批判を前提としてアランジオ・ルイスは、「『組織化された国際共同体(organized international community)』が存在すると考えるのは現実的ではない」と述べた(168)。これは、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁を発動しうる「組織化された国際共同体(169)」が、現実の国際社会には存在していないことを指摘したものである。この指摘にあるように、少なくとも実定国際法上、国連は、「国家の国際犯罪」処罰目的で制裁を発動する権限を有する「組織化された国際共同体」とはいえず、また、「国家の国際犯罪」に対して「すべての国の義務」を負わせる目的で決議を採択する権限を有する「組織化された国際共同体」ともいえないと考えられる。
  この結論については、前述した国連第六委員会における批判からみて、アメリカ合衆国、ポルトガル、オーストラリアおよびフランスといった国々も、同意見であると思われる。なぜなら、これらの国々も、結論として、実定国際法上の根拠が無いことを根拠に「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」に反対するものであり(170)、リップハーゲン掲案を実定国際法上、認めることには反対しているからである。さらに、同じく国連第六委員会において、ギリシャおよびフランスは、集団安全保障体制上の制裁の適用は国連憲章の運用としてすでに行われており、しかも、違法行為の効果という観点から運用されていないと批判した(171)。これらの国々も、実定国際法上の根拠が無いことを根拠に「国家の国際犯罪」の法的効果としての「制裁」を批判しており、リップハーゲン掲案を実定国際法上、認めることには反対している。
  以上により、確かに、集団安全保障体制上の制裁が、事実上、「国家の国際犯罪」処罰機能を果たした場合は多く、また、集団安全保障体制上の安保理決議が、「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を負わせる機能を果たした場合も少なくない。しかし、過去の事例においては、「国際の平和及び安全の維持又は回復」の目的で制裁を発動できない場合にまで、安保理による「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁の発動が認められてきたわけではなく、また、安保理による「すべての国の義務」を負わせる目的での拘束力ある決議の採択が認められてきたわけでもない。そのため、少なくとも実定国際法上は、安保理による「国家の国際犯罪」処罰目的のみでの制裁発動も、また、安保理による「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を負わせる目的のみでの決議採択も認められないといえよう。

  第3節  「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度創設の妥当性

  実定国際法上、安保理による「国家の国際犯罪」処罰目的のみでの制裁発動も、また、安保理による「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を負わせる目的のみでの拘束力ある決議の採択も認められていないことを前提として、このような「制裁」または決議を認める制度を創設しようとする立法論を認めることはできるのだろうか。一方で、国際法委員会の討議においては、これを肯定する主張もあった。例えば、ルテール(フランス)は、まず、バルセロナ・トラクション事件判決で「対世的義務」(obligations erga omnes)の概念が認められたこと、およびウィーン条約法条約で「強行規範」(jus cogens)の概念が規定されたこと(同条約第六〇条等)により、アゴー掲案における「国家の国際犯罪」に対する「制裁」のような特別な責任(special responsibility)が認められる可能性が生じたことを指摘した(172)。そのうえで、ラテンアメリカ諸国のような小国の保護のために、「国家の国際犯罪」処罰目的で発動される制裁を集団安全保障体制上の制裁に含めることに賛成したのである(173)。他方、この立法論に対しては、そのような制度を創設しようとしても「国家の国際犯罪」の認定およびこれに対する「制裁」の発動の担い手が存在しない、という批判も多数加えられた。しかし、制裁の担い手が考えられないわけではない。第一に、国家責任条文草案第二部第三章上、対抗措置をとる権限を与えられている個別国家が考えられ、第二に、憲章第七章上、制裁発動権限を与えられている安保理が考えられ、最後に、国連の「主要な司法機関」(憲章第九二条)である国際司法裁判所または「憲章の範囲内にある問題」(憲章第一〇条)すべてを扱う権限を有する総会が考えられる。はたして、これらは、「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」発動の担い手といえるのだろうか。また、「すべての国の義務」賦課の担い手といえるのだろうか。
  まず、個別国家が「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を行うとすることは可能であろうか。確かに、国家責任条文草案第二部第三章上、個別国家には対抗措置をとる権限が与えられている。しかし、これに対しては、権限の濫用により、憲章第二条7項に反する国内管轄事項への介入が頻発するおそれが大きい、と批判された。このような批判は、アゴー掲案が主張された当初から、国際法委員会においても存在していた。例えば、カーニー(アメリカ)は、「植民地支配の維持やアパルトヘイトの例にみられるように、国際犯罪を犯した国家に対して第三国が制裁を加える権利を認めることは、大国が小国を脅迫しこれに干渉することを許すのに等しい」と批判した(174)。これは、アゴー掲案における「制裁」の発動は個別国家によってなされる、という前提にたち、侵略以外の場合でも、その濫用のおそれが大きいことを批判したものであると理解できる。この批判では、直接ふれられてはいないものの、侵略に対しては、武力による「制裁」も許されることから、濫用のおそれはいっそう大きいといえよう。さらに、学説上も、「直接被害を受けていない国による復仇(reprisal)が事実上なされ、無秩序な他国への介入が横行する」おそれがある、とコンフォルティが批判したように、「制裁」の発動を個別国家が行うことに対しては多くの批判が加えられたのである(175)
  しかし、国際法委員会の討議のなかでは、このような批判は少数にとどまった。その理由は、国際法委員会内では「国家の国際犯罪」に対する「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を個別の被害国が行うことを排除する、という暗黙の合意があったからであると考えられる。このような暗黙の合意を示すものとして、まず、武力行使を伴う「制裁」の発動については、国家責任条文草案第三〇条のコメンタリーが「一般に、武力の行使を伴う対応の形式については、その適用を最も重大な場合に制限し、かつ、いかなる場合にも適用の決定を被害国以外の主体に委ねる傾向にある」と指摘していることが挙げられる(176)。ここでいう「最も重大な場合」における「制裁の適用」は、「国家の国際犯罪」に対する武力行使を伴う「制裁」の発動に該ると理解できる。このような場合に、被害国に制裁を委ねないとする国家実行に言及しているのである。また、武力行使を伴わない「制裁」も含む「制裁」の発動一般につき、国際法委員会の討議の過程で、タビビ(アフガニスタン)は「国連自身によって許可される場合にのみ」認められると述べ(177)、ジャゴータ(インド)は「国連のような、権限のある国際組織の決定に従う場合に」認められると述べていた(178)。このような発言からみて、暗黙のうちに、「国家の国際犯罪」に対する「制裁」の発動は、安保理、総会または国際司法裁判所といった国連の機関によって可能である、という合意が国際法委員会内にはあったと考えられる。そのため、国際法委員会の討議のなかでは、個別国家による「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を前提とする批判は、少数にとどまったのである。
  次に、安保理についてはどうか。安保理は、リップハーゲンによって、「国家の国際犯罪」処罰目的での制裁の発動機関である、と主張された。確かに、安保理は憲章第七章上、制裁発動権限を与えられており、一見して、「国家の国際犯罪」に対する「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課が可能な機関のように思われる。しかし、はたして、憲章を改正することなく、安保理による「制裁」発動または「義務」の賦課を認める制度を創設しようとすることが国際法の望ましい発達として認められるのだろうか。以下、この問題を二つに分けて検討する。すなわち、第一に、国連の実行からみて、拒否権等により集団安全保障体制上の制裁が発動できないような場合にも、制度上、安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する義務を負わせるようなものが創設できるのだろうか。第二に、政治的機関である安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する法的権限を認めることは妥当なのだろうか。いいかえれば、安保理は「国家の国際犯罪」処罰を適切に実施できる機関なのだろうか。
  まず、制度上、安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する義務を負わせるようなものが創設できるのだろうか。この問題は、アゴー提案に関連して議論された。というのも、アゴー提案は、国際法委員会および国連第六委員会の討議において、国家責任法上、集団安全保障体制上の制裁の発動を義務化し、「国家の国際犯罪」処罰のために必要な場合は集団安全保障体制上の制裁を加えねばならないという義務を安保理に課そうとするものであると理解されたからである。
  確かに、現在では冷戦が終了して安保理の機能が復活したといわれており、拒否権の行使による安保理の機能麻痺が深刻であった冷戦期とくらべ、安保理の権限行使は活発になっている。そのため、安保理が任務を果たせる場合も多く、「国家の国際犯罪」に対する集団安全保障体制上の制裁発動を義務化し、安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する義務まで負わせる必要性は小さくなったと考えられる(179)。しかし、コソボの事例のように、今日でも、拒否権の行使によって安保理が任務を果たせない場合は依然として存在している。したがって、たとえ義務化の必要性が小さくなったといえるとしても、必要でなくなったということはできない。そこで、今日でも、義務化の可否は問題となりうる。
  集団安全保障体制上の制裁については、憲章第七章が規定しているが、同章には制裁を発動する義務を安保理に課すことを認めうるような規定は存在しない。むしろ、安保理の認定による制裁発動についても五大国には拒否権が認められており(憲章第七章、第二七条)、制裁を発動しないことについては五大国に完全な自由裁量が認められている。また、この拒否権によって、五大国には、自国に対して制裁が発動されることはないことが保障されている。そのため、アゴー提案に従って、国家責任条文草案上、「国家の国際犯罪」処罰のために必要な場合は集団安全保障体制上の制裁を加えねばならないという義務を安保理に課す制度を創設することは、拒否権の否定を意味する。したがって、憲章を改正しない限り、この制度の実効的運営は不可能である。
  このような疑問があることは、国家責任条文草案第一九条起草時の国際法委員会の討議においても、カーニー(アメリカ合衆国)により指摘されていた。すなわち、カーニーは、「特別報告者の主張しているような試みは、国連憲章の平和と安全の維持機能を補おうとするものであり、実現不可能である(180)」と批判したのである。これは、アゴー提案について、集団安全保障体制自体を改善して補うほかないことを「国家の国際犯罪」処罰体制の創設によって行おうとするものであり、実現不可能であると批判したものである。さらに、このような疑問を考慮して、リップハーゲンは、集団安全保障体制の義務化を否定し、従来の集団安全保障体制の枠外に「国家の国際犯罪」に対する「制裁」についての新たな制度を創設することを表面上否定した(181)。その結果、国連第六委員会においてリップハーゲン提案は支持され、ギリシャ、日本等、アゴー提案に反対して国家責任条文草案第一九条への意見を留保していた国々まで、リップハーゲン提案以降は同条に賛成するようになったのである(182)。このような経緯をみても、憲章を改正しない限り、制度上、安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する義務を負わせるようなものを創設し、実効的に運営することは不可能である、といわざるをえない。やはり、拒否権の行使等、集団安全保障体制の欠陥は、憲章の改正により、集団安全保障体制自体を改善して補うほかないといえよう。
  次に、政治的機関である安保理に「国家の国際犯罪」を処罰する法的権限を認めることは妥当なのだろうか。いいかえれば、安保理は「国家の国際犯罪」処罰を適切に実施できる機関なのだろうか。この点については、政治的な機関である安保理に、「国家の国際犯罪」の法的な認定権限、および、「すべての国の義務」の賦課権限を認めることはできないという批判が、国際法委員会内、学説上および国連第六委員会において、多数加えられた。例えば、国家責任条文草案第一九条の起草時には、国際法委員会の討議において、鶴岡(日本)が「国家の国際犯罪」の定義規定について「政治的規定と法的規定との境界線にあり、政治的論理と法的論理との相違により、国連憲章の規定との衝突のおそれがある」と批判した(183)。この批判にあるように、憲章に従えば安保理は政治的裁量権を行使できるはずなので、安保理が憲章に衝突しない範囲で「国家の国際犯罪」を認定し、これに対する「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を行う以上は、その認定や「義務」の賦課は政治的なものにならざるをえない。そのため、学説上、例えばドミニセは、安保理の排他的権限による集団安全保障体制上の制裁の発動には「政治的思惑による介入」の危険があることから、安保理を「国家の国際犯罪」の認定、「制裁」発動および「義務」賦課の機関とすることは危険であると指摘した(184)。同様の理由から、クウィグリーやハッチンソンも、安保理を「国家の国際犯罪」の認定、発動および賦課機関とすることに反対した(185)。また、国連第六委員会においては、日本が、以下のように指摘した。すなわち、この「制裁」の執行権限を認めることによって、国際連合の機関、特に安保理の制裁権限が憲章の制限を越えて拡大するおそれがあるうえ、政治的組織である国連機関、特に五大国が拒否権を有している安保理は、構造的に公平な司法的判断を行うには適していないことから、この危険は特に深刻である、と指摘したのである(186)。同様に、同委員会において、オーストラリア、ギリシャ、ポルトガル、スウェーデンおよびアメリカ合衆国といった国々も、安保理が、警察目的ではなく「国家の国際犯罪」処罰目的で集団安全保障体制上の制裁を執行することは危険であると主張した(187)。これらの批判からみて、安保理による「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」発動または「すべての国の義務」の賦課を認めようとする考え方は、立法論としても認めることは困難であると考えられる。
  このように困難であるのは、制裁および拘束力ある安保理決議が、集団安全保障体制という憲章上の制度の枠内で発動されてきており、国際法委員会による法典化によって「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度に利用しようとするには実質的には憲章上の制度に新しい制度を付加する必要があったからであると考えられる。国際法委員会によるこのような制度の創設が困難であることについては、国際法委員会の議論においてトムシャット(ドイツ)が「国際法委員会は、憲章上の制度まで扱う新しい制度を創設できない」と指摘している(188)。これは、国際法委員会による法典化のみで憲章上の制度に新しい制度を付加することは不可能であるため、そのような制度の創設にまで踏み込む国際法委員会の諸提案の法典化は困難である、という指摘である。この指摘にあるとおり、集団安全保障体制上の制裁を利用して「国家の国際犯罪」特有の国際責任の制度を法典化しようとする国際法委員会の諸提案は実現困難であるといわざるをえない。
  さらに、総会または国際司法裁判所による「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を認めようとする立法論を認めることもできないと考えられる。確かに、総会は「憲章の範囲内にある問題」(憲章第一〇条)すべてを扱う権限を有し、国際司法裁判所は国連の「主要な司法機関」(憲章第九二条)である。しかし、総会には安保理よりも多数の国の利害対立があるうえ、拘束力ある決議をすることが不可能であるという短所があり、国際司法裁判所には強制管轄がないうえにその判決までに時間がかかりすぎるという短所がある(189)。これらの短所を考慮して、デュピュイは「『国家の国際犯罪』を認めることは、合意的なものにとどまる国際裁判の不充分さ、および、拒否権により麻痺させられた安保理の機能の不充分さ、および、すべての国の政治的軋轢により麻痺させられた総会の機能の不充分さとを強調するという結果になる」と述べている(190)。また、国連第六委員会においては、オーストラリア、ギリシャ、ポルトガル、スウェーデンおよびアメリカ合衆国といった国々によって、安保理、総会または国際司法裁判所も、「国家の国際犯罪」に対する「国家の国際犯罪」処罰目的での「制裁」の発動または「すべての国の義務」の賦課を行いうる機関とはいえない、という批判が多く加えられた(191)。この批判がいうように、国際法委員会の諸提案に従って、「国家の国際犯罪」に対して「制裁」を発動したり、「すべての国の義務」(国家責任条文草案第五三条)を賦課できるような「十分に国際社会を代表し、公平な国際機関として一般に信用され、かつ、受け容れられるような機関は国際社会には存在していない」のである。したがって、「国家の国際犯罪」特有の国際責任制度の法典化に関する国際法委員会の諸提案は、安保理、総会および国際司法裁判所の短所を無視したものであり、立法論としても実現困難であるといえよう。

(131)  R. Ago, 5th Report, Yearbook of International Law Commission (hereinafter cited as YbILC), 1976-II, Part One, p. 24, para. 72.
(132)  UN. Doc. A/C. 6/31, A/C. 6/38.
(133)  この点は、ラマンガソアビナ(マダガスカル)が、以下のように述べたうえで、同条に賛成したことに端的に表れている。すなわち、ラマンガソアビナは、「国際責任のレジームの評価は、国連憲章第七章と同様に、準備される履行手段の有効性にかかっている」と主張した。そのうえで、まだ第一九条の有効性が明らかになっていないため、同条に間違った期待を持つべきではなく、同条はこれ以後の規定により補充されねばならない、と述べたのである。Ramangasoavina, YbILC, 1976-I, pp. 75-76, paras. 23-26. 但し、これは、直接には、第一九条についてではなく、その前身であるアゴー草案第一八条について述べられたものである。R. Ago, supra note 131, p. 54.
(134)  一九七九年に、アゴーによって提案された草案第三〇条の表題は、「制裁の正当な適用」というものであった。しかし、何人かの委員によって以下のような批判がなされた。すなわち、「国際違法行為に対する被害国の復仇行為一般についての違法性阻却事由を規定する以上、国際組織との関連なくして国がそれ自身の判断で一方的に措置をとる場合をも含み、さらに強制措置ではない行為も含むものとしなければ、その立法趣旨を達しえないはずである」「『制裁』は、国際組織(特に国連)のとる強制措置、特に武力行使を伴うもののみを連想させる用語であるので適切でない」という趣旨の批判がなされたのである。Vallat, YbILC, 1979-I, pp. 61-62. paras. 19-20;Jagota, YbILC, 1979-I, p. 61. para. 18;Razafindralambo, YbILC, 1982-I, p. 223. para. 38. この批判に答えて、アゴーも「制裁」という文言には拘泥せず、「返報措置」または「対抗措置」で替えられるのであれば異議はないと述べた。R. Ago, YbILC, 1982-I, p. 63. para. 31. その結果、同条のタイトルは、「国際違法行為に対する対抗措置」となったのである。この過程からも、アゴーら当時の国際法委員会の委員が、少なくとも対抗措置の中心としては、集団安全保障体制上の制裁を利用する措置を念頭においていたことが判る。
(135)  YbILC, 1979-II, Part Two, p. 121.
(136)  Id., p. 121.
(137)  Sette Camara, YbILC, 1976-I, p. 68, para. 7.
(138)  R. Ago, YbILC, 1976-I, pp. 66-67, para. 45.
(139)  田畑茂二郎、前掲注(12)、二三〇ー二三二頁、参照。
(140)  YbILC, 1979-II, Part. Two, p. 120.
(141)  R. Ago, ‘Le Delit International', RdC, vol. 68, pp. 527-531 (1939).
(142)  R. Ago, YbILC, 1979-II, Part One, p. 42. 但し、個別国家の武力復仇については、アゴー自身否定している。また、国際法委員会全体としても否定している。YbILC, 1979-II, Part Two, p. 42.
(143)  YbILC, 1985-II, Part One, p. 13, para. 10.
(144)  W. Riphagen, 3rd Report, YbILC, 1982-II, Part One, pp. 45, 48-50.
(145)  Id, p. 48.
(146)  W. Riphagen, 6th Report, YbILC, 1985-II, Part One, pp. 13-14.
(147)  C. Rodrigues, YbILC, 1996-I, p. 183.
(148)  Balanda, YbILC, 1982-I, p. 221, para. 25. この危惧の理由である「国際の平和と安全の維持」に関する国連憲章の手続に委ねることの非現実性や困難さについては、ルテール、バルボサ、マレク等、多くの委員から指摘された。Reuter, YbILC, 1985-I, p. 94, para. 15;Barboza, id, p. 132, para. 35;Malek, id, pp. 147-148, para. 5.
(149)  UN. Doc. A/C. 6/37/SR. 48, p. 3;A/C. 6/37/SR. 51, pp. 3-4;A/C. 6/40/SR. 28, p. 8. この点、フランスは、この義務と中立権との抵触を指摘した。UN. Doc. A/C. 6/37/SR. 38, p. 6.
(150)  リップハーゲンは、不承認義務(第五三条(a))が「武力による威嚇又は武力の行使から生ずるいかなる領土取得も合法的なものとして承認してはならない」という「友好関係宣言」(一九七〇年)第一原則中の規定から示唆をえたものであると述べたうえで、そのように述べている。W. Riphagen, supra note 144, p. 48, paras. 7-8.
(151)  J. Crawford, supra note 5, Add. 3, pp. 4-6, paras. 82-86., p. 10, para. 101.
(152)  アメリカ合衆国、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 17, paras. 8-12;A/C. 6/38/SR. 47, paras. 67-68. ポルトガル、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, para. 17. フランス、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 26, para. 4;A/C. 6/38/SR. 41, para. 26. オーストラリア、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 27, paras. 17-19;A/C. 6/38/SR. 50, paras. 53-54.
(153)  B. Graefrath, ‘Responsibility and Damages Caused:Relationship between Responsibility and Damages', RdC, vol. 185 pp. 58-61 (1984).
(154)  R. Ago, 2nd Report, YbILC, 1970-II, pp. 182-183, para. 18.
(155)  G.I. Tunkin, supra note 2, pp. 402-404.
(156)  W. Riphagen, supra note 144, pp. 45, 48-50.
(157)  この点については争いがある。森肇志「国際連合安全保障理事会の拘束力ある決定の範囲」『本郷法政紀要』三号、二八七頁ー二九〇頁(一九九四年)。しかし、少なくとも憲章第三九条の認定があれば、拘束力ある決定は可能である。
(158)  YbILC, 1979-II, Part. Two, p. 120.
(159)  V. Gowlland−Debbas,”Security Council Enforcement Action and Issues of State Responsibility, International and Comparative Law Quarterly, Vol. 43, pp. 64-66 (1994). また、中谷和弘「国家の国際犯罪に対する対抗措置の分析」『法学教室』一六一号、三三頁(一九九四年)、参照。
(160)  B. Graefrath, ‘A Specific Regime of International Responsibility of States and its Legal Consequences', in International Crimes of State, pp. 164-168, (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989).
(161)  UN. Doc. A/51/10, p. 169. これらの事例の多くは、前述した、集団安全保障体制上の制裁が発動され、「国家の国際犯罪」処罰を果たしたといわれる事例と同一事例である。Cf. V. Gowlland−Debbas, supra note 159, pp. 64-66.
(162)  J. Quigley, ‘The International Law Comission's Crime−Delict Distinction:a Toothless Tiger?', Revue de droit international de sciences diplomatiques et politiques, Vol. 66, pp. 137, 133 (1988);E. Jimenez de Arechage, ‘Crimes of Sates, Ius Standi, and Third States' in International Crimes of State, pp. 255-256, (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989).
(163)  J. Crawford, supra note 5, Add. 2, pp. 5-6, para. 65.
(164)  このことは、学説上ではアナッカーが指摘している。C. Annacker,”The Legal Re´gime of Erga Omnes Obligations in International Law, Austrian Journal of Public and International Law, Vol. 46, pp. 158-159 (1994).
(165)  湾岸戦争における制裁等の分析については、G. A−Ruiz, 7th Report, UN. Doc. A/CN. 4/469, pp. 26-32.
(166)  G. A−Ruiz, 5th Report, UN. Doc. A/CN. 4/453/add. 3, pp. 14-15.
(167)  Id, p. 14. さらに、アランジオ・ルイスは、複数の委員から、処罰目的での制裁を安保理が執行することが適切ではないという批判が加えられていたことも指摘している。YbILC, 1994-II, Part Two, pp. 142-146.
(168)  G. A−Ruiz, supra note 165, pp. 26-32.
(169)  YbILC, 1985-II, Part One, p. 13, para. 10.
(170)  アメリカ合衆国、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 17, paras. 8-12;A/C. 6/38/SR. 47, paras. 67-68. ポルトガル、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, para. 17. フランス、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 26, para. 4;A/C. 6/38/SR. 41, para. 26. オーストラリア、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 27, paras. 17-19;A/C. 6/38/SR. 50, paras. 53-54.
(171)  フランス、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 26, para. 5. ギリシャ、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, paras. 11-12.
(172)  Reuter, YbILC, 1970-I, p. 187, para. 5.
(173)  Id, p. 188, para. 6.
(174)  Kearny, YbILC, 1976-I, pp. 76-78, paras. 27-40.
(175)  B. Conforti, ‘Measures Available to Third State Reacting to Crimes of State', in International Crimes of State, p. 266 (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989).
(176)  YbILC, 1979-II, Part Two, p. 116, para. 5.
(177)  Tabibi, YbILC, 1979-I, pp. 60-61, para. 12.
(178)  Jagota, YbILC, 1979-I, p. 61, para. 15.
(179)  J. Crawford, supra note 5, Add. 2, p. 5, para. 65.
(180)  Kearny, YbILC, 1976-I, pp. 76-78, paras. 27-40. さらに、「国際犯罪を扱おうと一歩踏み出す前に、委員会は、何が可能で実行でき受容可能かを考える必要がある」と主張した。
(181)  YbILC, 1985-II, Part One, p. 13, para. 10.
(182)  ギリシャ、UN. Doc. A/C. 6/37/SR. 40, para. 47. スウェーデン、UN. Doc. A/C. 6/37/SR. 41, para. 12. 日本、UN. Doc. A/C. 6/37/SR. 46, para. 19.
(183)  Tsuruoka, YbILC, 1976-I, p. 78, paras. 3-4. この時点では、国家責任条文草案第一九条は、アゴー草案第一八条として議論されていた。
(184)  C. Dominice, ‘Legal Questions of International Crimes', in International Crimes of State, pp. 262-263 (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989).
(185)  J. Quigley, supra note, 162, pp. 128-129;D.N. Hutchinson, ‘Solidarity and Breaches of Multilateral Treaties', British Year Book of International Law, Vol. 59, p. 203 (1988);S.T. Bernardes, ‘Problems and Issues Raised by Crimes of States:An Overview', in International Crimes of State, p. 278-279 (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989);P.M. Dupuy, ‘Implications of the Institutionalization of International Crimes of Sates', in International Crimes of State, pp. 182-183 (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989);B. Simma, ‘Injury and Countermeasures', in International Crimes of State, p. 305 (ed. by Weiler, Cassese & Spinedi, 1989).
(186)  日本、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 21, para. 8. オーストラリア、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 27, para. 20. スペイン、YbILC, 1982-II, Part one, p. 17.
(187)  アメリカ合衆国、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 17, para. 9. ポルトガル、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, para. 17. ギリシャ、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, paras. 11-12. オーストラリア、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 27, para. 20. スウェーデン、YbILC, 1981-II, Part One, p. 78.
(188)  Tomuschat, YbILC, 1994-I, pp. 102-103, paras. 13-14.
(189)  アランジョ・ルイス特別報告者により、「国家の国際犯罪」に対する対抗措置には、国際司法裁判所による認定も必要であるとする提案がなされたこともある。G. A-Ruiz, 7th Report, U.N. Doc. A/CN. 4/469/Add. 1, pp. 2-4. しかし、国際法委員会の討議において、山田(日本)は、この案では「国家の国際犯罪」の場合にその認定がなされるまで対抗措置がとれなくなることについて、「被害国は、このような煩わしい制度を避けて、単なる国際違法行為であると主張して直ちに対抗措置をとる可能性が高いうえ、逆に、許されるべきではないことだが、加害国がこの措置に訴えることにより被害国の対抗措置を送らせることも可能となる」と批判した。さらに、バウエット(イギリス)、ペレ(フランス)およびトムシャット(ドイツ)は、国家がすべて国際司法裁判所規程第三六条2項の強制管轄権を認めるという仮定は非現実的であるという趣旨の批判を行った。UN. Doc. A/50/10, pp. 119-127, paras. 304-319. これらの批判のため、国際法委員会は、この提案を採用せず、「もし、広く支持されれば、第二読の時に立ち返るべき提案のうちのひとつ」とするにとどめた。Id., p. 166, para. 8.
(190)  P.M. Dupuy, ‘Observations sur le crime international de l'Etat', Revue generale de droit international public, Vol. 84, p. 486 (1980).
(191)  アメリカ合衆国、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 17, para. 9;A/C. 6/33/ SR. 40, para. 2. ポルトガル、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, para. 17. ギリシャ、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 23, paras. 11-12. オーストラリア、UN. Doc. A/C. 6/31/SR. 27, para. 20;A/C. 6/38/SR. 50, para. 55. スウェーデン、YbILC, 1981-II, Part One, p. 78.


お  わ  り  に


  国際法委員会の諸提案に従って「国家の国際犯罪」を法典化することが実現困難であることにつき、ヴェイユは以下のように述べている(192)。すなわち、国際法委員会の諸提案に従って、「国家の国際犯罪」を法典化することは、国際法秩序それ自体に対する信頼性の崩壊をもたらすようになる」と批判したのである。これは、国際法委員会の諸提案に従って、集団安全保障体制上の制裁を利用する「国家の国際犯罪」特有の国際責任の制度が法典化されれば、実定国際法上認められず、しかも各国の支持も得られない制裁発動が認められることになる、という指摘である。そのうえでヴェイユは、「こうした未来の国際社会の法を現在において創造しようとする試みは、開けるべき鍵穴に到底合いそうもない鍵を作ろうとする危険な試みである」とも述べた。これは、現状の国際社会において「国家の国際犯罪」を法典化することは危険である、と批判したものである。確かに、国際法委員会の諸提案に従って「国家の国際犯罪」特有の国際責任の制度を法典化することは実現困難であるうえ危険でもあり、このことは、現在の特別報告者クロフォードも指摘している(193)。しかし、ここまで検討してきたように、国際法委員会の構想に対する批判は、国家責任法上「国家の国際犯罪」特有の国際責任の制度を法典化することを否定すべきである、という点に集中している。すなわち、「国家の国際犯罪」の定義規定である国家責任条文草案第一九条自体が批判され、否定されようとしているわけではないのである。
  クロフォードは、その第一報告書のなかで、現状の国家責任条文草案からみて、国際法委員会の諸提案に従って「国家の国際犯罪」を法典化することが実現困難である原因をいくつか指摘している(194)。そのなかで、クロフォードが重視しているのは、「国家の国際犯罪」特有の法的効果が規定されていないこと、「国家の国際犯罪」を認定する機関が規定されていないこと、および、国家責任条文草案第一九条3項であまりにも多くの類型を「国家の国際犯罪」として並列に列挙されていることの三点である。それ以外に、国家責任条文草案第一九条2項および3項における「国家の国際犯罪」の定義があいまいであることも指摘しているが、この欠点は「国家の国際犯罪」特有の法的効果または「国家の国際犯罪」の認定機関を規定すること、および、「国家の国際犯罪」の例示の明確化によって補うことが可能であると述べている。
  このような指摘をしながらも、クロフォードは、侵略について従来の国際法違反とは異なる取り扱いをすべきであるという認識が存在すること、および、そのような従来の国際法違反とは異なる取り扱いをすべき侵略を「国家の国際犯罪」と呼ぶことについては、批判していない。むしろ、国家責任条文草案第一九条の前身のアゴー草案第一八条において、まず侵略が「国家の国際犯罪」に該当する、と規定されていたことを(195)、現第一九条よりも内容が明確であった、と評価している(196)。また、国家責任条文草案第一九条3項の規定する「国家の国際犯罪」の類型のなかで、環境破壊に関する同条項(d)については、これを規定したために「国家の国際犯罪」の定義規定がさらにあいまいになったと批判しているが(197)、侵略に関する同条項(a)についての批判は加えていない。さらに、従来の国際法違反とは異なる取り扱いをする類型を認めるのであれば、「国家の国際犯罪」という文言を変更しても意味がないことも指摘している(198)。したがって、クロフォードは、国家責任条文草案第一九条2項および3項(a)の規定自体を否定しようとしてはいないのである。
  にもかかわらず、クロフォードが同条項まで削除を提案したのは、「国家の国際犯罪」特有の法的効果が規定されていないこと、および、「国家の国際犯罪」を認定する機関が規定されていないことを重視したためであると考えられる。また、アゴーおよびリップハーゲンも、「国家の国際犯罪」特有の法的効果を重視したからこそ、そのような法的効果を含む国際責任制度を提案したと考えられる。
  確かに、現時点では、明文上は、「国家の国際犯罪」概念は、「個人の国際犯罪」として侵略の罪を法典化することおよびそれを処罰することの前提として存在しているとしかいえないであろう。しかし、戦争違法化への大転換が始まった第一次世界大戦後に侵略は「国家の国際犯罪」に該当するという考えは萌芽した。その際、「国家の国際犯罪」特有の法的効果であると考えられていた「刑事責任」制度の主張は集団安全保障体制の完成または強化の主張と混同されていたにもかかわらず、侵略は通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」であるという考えは萌芽したのである。さらに、第二次世界大戦後は、「国家の国際犯罪」特有の法的効果に関する議論はないままであったが、侵略についても「個人の国際犯罪」が処罰され、その法典化が進められた。その結果、侵略が通常の国際違法行為とは異なる「国家の国際犯罪」に該ることを理論的前提として、その特別な法的効果として、「個人の国際犯罪」としての「侵略の罪」に基づいて個人が処罰されることが国際法上確立したのである。これらのことを考慮すると、「国家の国際犯罪」としての侵略を規定する国家責任条文草案第一九条3項(a)は、侵略が「国家の国際犯罪」に該当するという、戦争違法化後の一貫した認識を反映したものにほかならない。そのため、少なくとも侵略に関しては、「国家の国際犯罪」が存在するという考えが、今日の国際法上確立しているといってよく、クロフォードも示唆したように、今後も、国家責任条文草案内外において「国家の国際犯罪」としての侵略に関する法典化が続くはずである(199)。したがって少なくとも、侵略が「国家の国際犯罪」に該当するという考えは、国際法上の原則となっているのである。

(192)  P. Weil, ‘Towards Relative Normativity in International Law', American Journal of International Law, vol. 77, pp. 413-442 (1983).
(193)  J. Crawford, supra note 5, Add. 3, pp. 7-9. paras. 89-92.
(194)  Id., Add. 1, pp. 3-6, paras. 48-51.
(195)  R. Ago, supra note 131, p. 54.
(196)  J. Crawford, supra note 5, Add. 1, p. 4, para. 49.
(197)  Id., p. 4. para. 49.
(198)  Id., Add. 3, p. 7. para. 87.
(199)  Id., pp. 9-10, paras. 97-99.