目 次
一、日本の「道州制」論とドイツ連邦制
二、連邦制と多元的民主主義
三、連邦制と政策能力
四、連邦制と多極分散型国土
五、結論ー日本での議論への示唆
一、日本の「道州制」論とドイツ連邦制
この小論では、ドイツの連邦制が生み出す3種類の効用の背景に、連邦制の細部設計やそれ以外の要因が作用しているのではないかと考え、制度を支えるそうした諸条件を探ってみたい。
日本で、1999年に地方分権一括法の制定により分権改革が一応実現したあと、残された課題として、自治体での住民参加、議会の活性化、政策評価、地方財政の再建と地方財政制度の改革などが議論されている。
それとともに、「道州制」の提案も引き続き盛んである。47都道府県に代えて10前後の州政府を置くという提案は、1950年代には広域行政や知事任命制復活による中央統制の観点から、また80年代には東京一極集中に対抗する地方のパワーの強化の観点から、投げかけられた。90年代に経済界や読売新聞社が公表した案は、全国を8−12州に再編するもので、おおむね次のような目的を掲げている。@地方政府の行財政能力の強化。これには、州を強化するという案と、300程度に統合された市に大幅な権限・財源の移譲を進め、州は補完行政をおこなうとする案とがある。Aスリムな政府と効率化。これは、府県および市町村の統合、分権による地域の自己決定、国・州・市の役割の整理によってもたらされるとされる。B地方政府への住民の選択と監視の強化を掲げる案もある(1)。もっとも、他の条件が同じならば、県より州のほうが監視しやすいとはいいにくい。
2000年には、政府の経済審議会、自民党の議員連盟、民主党も、それぞれ「道州制」の検討あるいは推進を表明している(2)。
このように最近の「道州制」論は、財政危機のなかで、府県および市町村の同時並行的合併・効率化を狙いとする面も強く、そのこともあってか、外国の例が引き合いに出されることは減ったようだ。従来、比較的よくモデルとされたのはドイツであり、州の権限・財源の大きさを中心に紹介がなされてきた。
一般に連邦制をとる国家はオーストラリアのように面積が巨大であったり、スイスのように多民族社会であることが多い。ドイツは、日本と同じく面積・人口が中規模でかつ民族構成の地域差が小さい国でありながら、連邦制を採用している数少ないケースなので、日本の「道州制」を検討する場合の有力な参考事例となるだろう。しかし、十分に参考にするためには、つぎの3種類の情報が必要である。
@ なぜ、どのような経緯で、ドイツは連邦制をとっているのか。
A 連邦制の長所は何か。長所の実現には、どのような要因や細部設計が働いているか。
B 連邦制の短所は何か。それにどのように対処しているか。
この小論は、Aがテーマである。州政府に大幅な分権をおこなう連邦制の長所を、ドイツの政府系ハンドブックは次のように列挙している。地域的多様性を守ること、連邦と州のあいだで権力分立をおこない自由を守ること、地域という場から市民参加と民主主義を活性化すること、州が改革の実験と競争をおこなうこと、地域ごとの政治傾向を反映し連邦野党も州では多数派となって政府責任を担いうるようにすること(3)。加えて、とくに東京一極集中に悩む日本では、ドイツの多極分散型の国土構造もまた連邦制の産物であると考えられてきた。
これら合わせて6つの効用はしかし、州への地方分権によって自動的に達成されるとは限らない。ドイツで連邦制の長所とされる点はなぜ、どの程度実現されているかを考えてみたい。6つの効用をこの小論では3つのカテゴリーにまとめ、二、三、四、で順に検討することにしよう。
なお、@について触れておくならば、ドイツ連邦制はかなり特別な歴史的条件のもとで形成されたといえる。まず、19世紀、ドイツ統一を目指した領邦国家連合の試みを受けて、1871年に成立したドイツ帝国も、プロイセン州の主導権と他の州の特権を両立させるかたちで連邦制を採用し、州の代表機関としての連邦参議院を置いた。ワイマール共和国で進んだ集権化はナチズムのもとで極限に達したが、第2次大戦後の新憲法(ボン基本法)が連邦制を復活させた。
この制度選択は、連邦制の伝統および民主化の理念に基づいていただけでなく、ドイツが分割占領され、中央政府が消滅したという事情にも由来する。アメリカ、イギリス、フランスはまず各占領地区にいくつかの州政府を設置し、その代表が集まってボン基本法を起草し連邦政府を樹立したのである。連合国による占領地区の分割は従来の州境界と無関係におこなわれ、全国人口・面積の過半を占めていたプロイセン州も分割された。その結果、西ドイツに生まれた11の州は、3つの都市州と1957年に住民投票にもとづきフランスから返還されたザールラント州を除けば、面積や人口において比較的大差ないものに落ち着いた。一方、社会主義の東ドイツで当初設置された5州は中央集権化とともに1952年に廃止されたが、90年の東西ドイツの統一とともに復活した(4)。
また、Bの連邦制の短所であるが、「地方分権の行き過ぎで国家が解体する」といった指摘は見当たらない。立法権の多くが連邦にあること、州法も連邦憲法裁判所による抽象的規範統制を受けうること、民族対立が激しくないこと、政党システムが両極化していないことなどによって、連邦と州のあるいは州どうしの深刻な対立は避けられている。日本から見ると、州ごとに政府や市町村の制度が違っていて、地方自治法の解説書も州ごとにあるのは面倒に思えるが、その点もあまり問題視されていないようだ。
むしろ、ドイツの研究者の批判は、連邦と州の「政策連携(Politikverflechtung)」および「政党本位の連邦制(Parteienbundesstaat)」に向けられている。前者は、連邦の関与の強化をねらった連邦・州間の政策連携が、両者の共同決定方式を超えられず、政策の停滞や固定化を招いているという批判である(三、で少し述べる)。後者の問題は、連邦参議院で連邦与党が少数派になる(与野党逆転する)傾向があり、もともと州の利益を連邦に対して守るための参議院が、野党が与党の法案をブロックするための道具と化し、政策の停滞を招いているという批判である(5)。
もっとも、これら2つの問題は連邦制のもとで当然に起こるのではなく、いずれも連邦参議院が州政府の代表から構成されるというドイツ特有の制度からの帰結であろう。
二、連邦制と多元的民主主義
連邦制がもたらしうる効用として、まず、連邦と州による「垂直的権力分立」(vertikale Gewaltenteilung(6))、地域レベルの市民参加、連邦野党への勢力維持・政権経験の場の提供といった効用がある。つまり、多元的民主主義、参加民主主義への貢献である。
第1に、政治構造の多元化について考えよう。ドイツの州の連邦からの自律性は三、でみるように大きいが、それに加えて連邦参議院が州の擁護者となる。州の内部構造に関しては、州議会選挙での比例代表制、州政府に関する議院内閣制の作用が注目される。
連邦参議院(Bundesrat)は、ドイツ帝国憲法において、25の邦(州)政府の代表機関として設置され、男子普通選挙によって選ばれる帝国議会とともに立法権をもっていた。今日でも、参議院のメンバーは各州政府の構成員またはその代理人であり、アメリカ上院のように選挙によって選ばれるのではない。参議院は、連邦法の法案を提出しうるほか、基本法の改正(基本法79条)、州に関連する連邦法の制定(76、77条(7))、州が連邦法を執行する場合の連邦行政規則の制定(84、85条)、州に関する租税や財政調整制度の規定(106、107条)など、多くの連邦レベルの決定に関して同意権(つまり拒否権)をもつ。参議院はまた、連邦大統領、連邦憲法裁判所、連邦最高裁判所の裁判官の選出にも関与する。
州の内部に目を向けると、州議会選挙においては、連邦議会でと同じく比例代表制・小選挙区制の併用制が用いられ、議席配分は基本的に各政党の得票率に比例し、得票率が5%未満の政党は議席を得られない。比例代表制の効果もあって、各州議会の政党システムは「穏健な多党制」に傾き、CDU・CSU(保守)とSPD(社民)の2大政党に加えて、小政党としてFDP(中道)、緑の党、PDS(旧東ドイツの社会主義統一党が転換したもの)があり、ときおり右派政党(近年では共和党)が進出する(表1)。したがって連立政権になる場合が多く、選挙後に連立の交渉がおこなわれる。与党のパターンは、SPD単独が4州、CDUまたはCSU単独が2州、そして連立政権はSPD・緑の党が3州、SPD・PDSが1州、SPD・FDPが1州、CDU・FDPが2州、SPD・CDUの「大連立」が3州と多様である(1999年現在(8))。政党間競争の程度をみると、ハンブルクやブレーメンで社会民主党が、バーデン・ヴュルテンベルクやバイエルンで保守党が長期政権を握っているが、その他の州では選挙は接戦となり、政権交代は中程度に活発、つまり数年から十数年に一度起こっている(9)。大政党は州の首相またはその候補を先頭に戦うが、同時に連邦レベルの政治状況が投票行動に影響する。連邦の政党本部も、州首相が将来の連邦首相候補になったり、州での結果が連邦参議院の議席配分をつうじて国政に直結するので、熱心である。
なお、州議会のホームページを見ると、メンバーの詳細な紹介があるが、比例代表制の効果もあって、議員の職業構成、性別、年齢は多様化しているようだ(10)。
州政府の構成原理は議院内閣制であり、州議会が首相(Ministerpra¨sident)を選出し、首相が(州によっては議会の同意を得て)大臣(Minister)を選ぶ(11)。州政府は首相と10人程度の大臣から構成され、連立政権の場合には与党間で大臣ポストが配分される。たとえば緑の党が与党に参加すると、環境大臣を送り出すことが多い。議員は行政機構のリーダーとしての経験を積むことができ、そのあと連邦の当該大臣に選ばれることもある。また、政党の位置付けが重要な国であるために、ドイツのテレビニュースで州大臣へのインタビューの場面になると、大臣の名前とともにその所属政党が字幕で示される。(日本では、中央政府が連立政権になっても、そんな字幕はつかないようだ。)
第2に、参加民主主義(直接民主主義)の有力な方法である住民立法(Volksgesetzgebung)が、すべての州で制
表1 州議会の政党別議席数
州 |
選挙の年 |
議員数 |
SPD1) |
CDU/CSU2) |
F.D.P.3) |
GRUNE4) |
PDS5) |
その他 |
Beden−Wurttemberg |
1996 |
155 |
39 |
69 |
14 |
19 |
− |
146) |
Bayern |
1998 |
204 |
67 |
123 |
− |
14 |
− |
− |
Berlin |
1995 |
206 |
55 |
87 |
− |
30 |
34 |
− |
Brandenburg |
1994 |
88 |
52 |
18 |
− |
− |
18 |
− |
Bremen |
1999 |
100 |
47 |
42 |
− |
10 |
− |
17) |
Hamburg |
1997 |
121 |
54 |
46 |
− |
218) |
− |
89) |
Hessen |
1999 |
110 |
50 |
46 |
6 |
8 |
− |
− |
Mecklenburg−Vorpommern |
1998 |
71 |
27 |
24 |
− |
− |
20 |
− |
Niedersachsen |
1998 |
157 |
83 |
62 |
− |
12 |
− |
− |
Nordrhein−Westfalen |
1995 |
221 |
108 |
89 |
− |
24 |
− |
− |
Rheinland−Pfalz |
1996 |
101 |
43 |
41 |
10 |
7 |
− |
− |
Saarland |
1994 |
51 |
27 |
21 |
− |
3 |
− |
− |
Sachsen |
1994 |
120 |
22 |
77 |
− |
− |
21 |
− |
Sachsen−Anhalt |
1998 |
116 |
47 |
28 |
− |
− |
25 |
167) |
Schleswig−Holstein |
1996 |
75 |
33 |
30 |
4 |
6 |
− |
210) |
Thuringen |
1994 |
88 |
29 |
42 |
− |
− |
17 |
− |
(注) 各州での選挙結果を示す。 |
1) 社会民主党 |
2) キリスト教民主同盟またはキリスト教社会同盟 |
3) 自由民主党 |
4) 緑の党 |
5) 民主社会党 |
6) 共和党(Republikaner) |
7) ドイツ国民同盟 |
8) 緑の党+緑・アルタナティヴリスト |
9) 代替党(STATT Partei) |
10) 南シュレスヴィヒ有権者同盟 |
(出典) Statistisches Bundesamt, Statistisches Jahrbuch
fur die Bundesrepublik Deutschland 1999. |
度化されている。手続きは、まず、@住民請願または住民発案(Volksbegehren)、つまり有権者の一定数以上(12)の署名によって法案を提起する。これを州議会がそのまま可決しない場合は、A住民投票(Volksentscheid)がおこなわれ、多くの州では投票数の過半数の賛成によって法律が成立する。州によっては、法律の成立に必要な投票率の最低限を設けたり、有権者の過半数の賛成を必要条件にする場合もある。予算、手数料、公務員給与に関する事項は、住民立法の対象外とされる。こうした住民立法制度は、西ドイツ時代にはあまり好まれず、隣のスイスの影響を受けたバーデン・ヴュルテンベルク州に存在するくらいだったが、統一後の90年代、旧東ドイツ地域5州がそれぞれ制定した州憲法に盛り込まれたのをきっかけに、西側の州でも順次採用されるに至った(13)。
三、連邦制と政策能力
一般に、地方政府による公共政策の実験や発展を促す要因として重要なのは、地方政府の権限・財源、地方政府内部での長・議会・政党の活動、行政組織の能力、各種団体や市民の参加、他方で地方政府間の競争、中央政府からの統制・誘導などの要因である(14)。
ドイツの州の場合、二、でみたように議院内閣制、政党間競争、市民参加など、政策発展のための一定の条件が備わっている。
また、州の権限もかなり大きい。
ドイツ連邦制の特徴は、アメリカのように連邦・州間で事務権限を明確に配分するのではなく、両者の「事務上の連携」(Aufgabenverbund)が広がっている点にあるといわれる。連携といっても両者の権限があいまいであるという意味ではなく、ひとつの事務(政策)についても連邦が立法権、州が執行権を分担しているという構造を指している(15)。こうした構造のなかで、州がもつ法的権限は3種類に分かれる。
@ 州ごとに憲法を定めている。ただし、州憲法は連邦基本法の原則に合致していなければならない(基本法28条)。
A 立法権は、おもに連邦に属し、具体的には基本法に、連邦に専属する分野あるいは州と競合(ただし連邦が優先)する分野が分類列挙されている(73、74条)。州は連邦参議院を通じてその多くの立法過程に参加する。連邦が大綱的規定を定め、州が細部の立法をおこなう分野として、公務員制度、高等教育制度の原則、自然保護などがある(75条)。州が全面的に立法権をもつのは、文化、教育、警察、地方制度などの分野である。
B 逆に、法律を執行する行政権は原則として州に属し、連邦政府自身が執行機関をもつ国防などの分野は例外的である。連邦法は州が原則として固有事務として執行するが、基本法がとくに定めた場合には委任事務として執行する(83−87条)。
財政関係の基本は、各種の「共通税」収入が連邦と州とに配分され、一定の税源は州に専属し、また財政力の弱い州に対しては豊かな州と連邦から交付金(財政調整)が与えられるというもので、これらは使途の拘束がない州の財源となる(106、107条)。州は、平均で、支出の6割程度を固有の税収入でまかなっている。
以上の連邦・州関係の変更は基本法の改正というかたちをとるので、参議院の同意を要する(79条)。
さて、こうした州の自律性は政策の多様性や発展を生み出しうると考えられるが、ここで紹介するのは限られた例である。
州憲法については各州で改正がおこなわれ、改正のおもな問題領域は、前述の住民投票の導入をはじめ、州議会の強化(請願委員会の設置、野党の位置付けなど)、情報、環境、女性など新たな課題への取り組みなどである。他方で、基本法の規定に適応するためや、州間で制度の統一化をはかるための憲法改正も多い(16)。
地方自治法は州の立法権に属する。各州の制度は、伝統にもとづく4種類の議会・執行部関係のタイプに分かれ、市町村長も議会で選ばれる州と住民が直接選ぶ州とがあった。しかし1993−94年に、旧東ドイツの5州は地方自治法制定にあたって民主主義強化の観点から市町村長の直接公選を採用し、これに刺激されて、西側のすべての州でも−長のリーダーシップ強化の意図も加わって−短期間に直接公選への収斂が生じた。住民投票(Bu¨rgerentscheide)制度も、かっては1955年導入のバーデン・ヴュルテンベルク州だけだったが、90年にシュレスヴィヒ・ホルシュタイン州が導入したあと、やはり民主化の波に乗って東側5州の自治法も採用し、そして西側のすべての州に普及した(17)。州による自主的な制度改革がスムーズに進んだわけだが、同時に、東西ドイツ統一が旧西ドイツのシステムを変えた数少ない例の一つといえる。
環境政策の分野では、大気汚染防止、騒音防止およびゴミ処理に関する立法権が、72年に連邦の競合的立法権に取り入れられ、いわば集権化された。しかし、州側は、連邦参議院を通じて法制定に参加し、大規模燃焼施設からの排出規制(Groβfeuerungsanlagenverordnung)や容器包装リサイクル令(Verpackungsordnung)の強化を実現してきた。また、各州は、連邦法の執行を担当する過程で改善を進め、あるいは州独自の法律によってゴミ手数料や地下水利用に対する賦課金等を導入してきた。これを連邦と州との「競争的連邦制」と呼ぶ人もいる(18)。原発についても、98年に成立した連邦の社民・緑政権が廃止を打ち出す以前に、91年には高速増殖炉の建設がノルトライン・ヴェストファーレン州政府(社民党)が許可を与えないために中止され、94年には北ドイツ3州の社民党政権が将来的な脱原発の方針を決めていた。(これとは別に、統一後、旧東ドイツの原発が停止・建設中止された。)
1970年代末までについて幅広く各州の公共政策を比較研究したM.シュミットによれば、保守党政権の州よりも社会民主党政権の州の方が、教育分野、警察分野、そして公共セクター全体に関する支出が大きい。政策の内容面では、とくに教育政策で、社民党は3種類に別れている中等教育の総合学校(Gesamtschule)への統合や、宗派別学校の解消に積極的であり、後者の流れは全国に広がっていった。逆に、両者の違いがないのは、民間経済に関連する交通政策や経済振興の予算、および労使の主要な争点から離れた過激派に対する公務員採用規制等の分野であった(19)。こうした状況のあと、緑の党の参入によって政党システムの幅が広がった。85年のヘッセン州に始まった州レベルの社民党との「赤緑連立」政権は環境政策等をめぐる対立・緊張関係をはらみ、連立の崩壊に至る場合もあったが、緑の党もしだいに現実主義的な姿勢をもつようになり、政党間の妥協によって連立が機能することも多い。その結果、州による政策の違いや実験の可能性も拡大してきた面がある。
ここまでは州の自律性について見てきたが、もちろん全国的な政策調整や、中央地方間の調整メカニズムの必要性も増している。連邦の法や行政規則による統制のほか、多くの連邦・州間委員会や州の担当大臣どうしの会議も置かれているが、担当大臣会議による調整は全会一致制原理のゆえに限界がある。
そこで、「内政改革」のために連邦の関与の強化をねらった1969年の基本法改正で、連邦と州の「共同事務」(Gemeinschaftsaufgabe)、および連邦の州に対する特定補助金制度(91a条、104a条4項)が導入された。こうした中央地方間の政策連携(Politikverflechtung)についても、詳細に関する法律は参議院の同意を要するため、たとえば共同事務に関する計画委員会は、連邦と州全体が同数の票を持ち、決定は4分の3以上の多数決でおこなうこととされた。そのためこうした動きを中央集権化であるとする見方は少ないが、むしろ多数参加者の共同決定に伴う問題として、決定手続きの非効率、連邦が意図する政策革新の阻害、連邦・州の政策の自由度への制約、連邦・州の政策における行政主導の強まりなどの点が批判されている(20)。
四、連邦制と多極分散型国土
ドイツと日本と、どちらがより地域的多様性を感じさせるかは一概に言えない。ドイツへの旅行者が感じる多様性・地域の個性とは、屋根がわらの色の違い、高さ規制された旧市街地にそびえる市役所や教会のスタイル、歴史的な建築と町並み、公園緑地や水辺の豊かなデザイン、古典的名作や地元の魅力的な画家の作品など豊富な美術コレクション、あるいはビール、ワインやソーセージ、チーズ、料理の種類などだが、それが連邦制による政策の多様化の結果だとはいいにくい。これらの個性的な印象の多くは、むしろ連邦の都市計画法(Baugesetzbuch)にもとづく市町村の詳細な規制、州法による文化財の保護(Denkmalschutz)、連邦の道路交通令にもとづき大部分の都市自治体が「横並び的に」導入している歩行者専用エリアなどに由来する。つまり、どちらかといえば全国共通の規制的政策を、州や市町村が熱心に適用することによって、各地の歴史的な多様性や魅力が保存され、かつゆっくり味わえるようになっているわけだ。
州の立法権のもとで地域特性が保全されている例を探すとすれば、まず法定休日だろうか。連邦法が定める「ドイツ統一の日」(10月3日)を除けば、休日は州法の管轄である。それでもほとんどは共通で、州によって違うのはキリスト教関連のいくつかの休日だけである。
さて、多極分散型の地域構造は、2つの側面に分けて説明するのがよいだろう。国土全体での大都市の分布、および州のなかでの中小都市の分布である。両者を生み出すメカニズムは異なっている。
第1に、大都市の分散的な分布は、都市人口の順位を見るとよくわかり、ベルリン347万人、ハンブルク171万人、ミュンヘン124万人、ケルン96万人、フランクフルト65万人、と続いている(1995年)。日本、イギリス、フランスのような、首都への過度の集中は起こっていない。(もっとも、ドイツは市町村合併があまり進まず市域が狭いので、実際の大都市圏の人口はより大きい。また、最大の大都市圏はルール工業地帯からケルン、ボンに至るまとまりで、人口50−100万人の都市を5つ含む多核的な構造をもち、全体の人口は1000万人規模に達する。)
こうした分散的な大都市の分布は、州のもつ政治行政権、連邦政府機関の全国各地への分散にもよると思われる。一例として、外国企業がドイツに投資しようとする場合、企業誘致を行うのは各州の経済省であり、企業の連邦銀行への各種届け出も各州の中央銀行(連邦銀行の下部機関)経由でおこなうことになっている。州政府はまた、技術研究開発、インフラストラクチャーの整備などを進め、地域振興補助を得るためにEU委員会と直接交渉する(21)。なお、すでにドイツ帝国時代にも、ルール工業地帯や最大の港湾都市ハンブルクから遠く離れた東ドイツ地域に首都が立地し、他方で南ドイツのミュンヘンが芸術の都として栄えていたのであるが、敗戦によりベルリンが首都機能を失い、そこから連邦銀行はじめ大企業が脱出して西側地域に移転し、国土の分散的構造がさらに強まった。
それでも、州間の経済格差は存在する。州による工業化水準の違い、80年代の北部重工業地帯の停滞と南部の州での先端工業発展による南北格差問題、90年代の旧東ドイツ地域の復興課題に対しては、財政調整制度(Finanzausgleich)が大きな役割を果たしてきた。この制度は、財政力の弱い(住民1人当たりの税収が平均以下の)州に対して財源を再配分するもので、基本法107条のかなり詳細な規定にもとづき、つぎの3種類の方法で実施される。@連邦・州の共同税である売上税の州取得分をまず州の人口比で配分し、うち4分の1以下の部分は、財政力の弱い州に追加配分する。A財政力の強い州から弱い州に、州間財政調整(La¨nderfinanzausgleich)のための一定額を交付する。B財政力の弱い州に連邦が連邦補充交付金(Bundeserga¨nzungszuweisungen)を交付する。表2に
表2 州に関する財政調整(1995年,単位100万マルク)
州 |
財政調整総額 |
州間財政調整 |
連邦補充交付金 |
Baden−Wurttemberg |
− 2,803 |
− 2,803 |
− |
Bayern |
− 2,532 |
− 2,532 |
− |
Berlin |
+ 7,951 |
+ 4,222 |
+ 3,729 |
Brandenburg |
+ 3,477 |
+ 864 |
+ 2,613 |
Bremen |
+ 2,689 |
+ 562 |
+ 2,127 |
Hamburg |
− 177 |
− 117 |
− |
Hessen |
− 2,153 |
− 2,153 |
− |
Mecklenburg−Vorpommern |
+ 2,749 |
+ 771 |
+ 1,978 |
Niedersachsen |
+ 1,637 |
+ 452 |
+ 1,185 |
Nordrhein−Westfalen |
− 3,449 |
− 3,449 |
− |
Rheinland−Pfalz |
+ 1,242 |
+ 229 |
+ 1,013 |
Saarland |
+ 2,212 |
+ 180 |
+ 2,032 |
Sachsen |
+ 6,270 |
+ 1,773 |
+ 4,497 |
Sachsen−Anhalt |
+ 3,999 |
+ 1,123 |
+ 2,876 |
Schleswig−Holstein |
+ 250 |
− 141 |
+ 391 |
Thuringen |
+ 3,650 |
+ 1,019 |
+ 2,631 |
(注) 州間財政調整については、+は支払いの義務、−は受給する権利を示す。連邦補充交付金については、+は受給していることを示す。
(出典) Statistisches Bundesamt (Hrsg.), Datenreport:Zahlen und Fakten uber
Bundesrepublik Deutschland, Olzog Verlag, 2000, S. 239.
ABによる財政調整の流れを示しているように、この制度は合理的であり、かつ州どうしの自主的調整の側面ももつが、それだけに豊かな州の不満の種であり、連邦憲法裁判所への提訴も絶えない。以上は州の使途を拘束しない財源、つまり日本で言う一般財源であり、これとは別に、連邦は州や市町村の重要な公共投資などを促進するために、州に対して補助金を与えている(基本法91a条、104a条(22))。
第2に、州内部での多極分散型地域構造は、中心地システムを基礎とする地域整備(Raumordnung)政策によるところが大きい。根拠法は1965年の連邦地域整備法であるが、地域整備計画を策定し中心地を指定するのは州である。中心地(zentraler
Ort)とは周辺の地域に各種のサービスを提供する都市であり、これを計画的に分散配置し育成することで、都市と農村の格差を小さくし、住民の生活条件を整備しようとしている。中心地は上位、中位、下位と階層的構造を成し、その整備目標は各州の地域整備担当大臣が集まる会議において決められてきた。たとえば上位中心地(Oberzentrum)には百貨店、大競技場、大学病院、大学、幹線道路、多目的ホールその他の社会資本を整備すべきであるとされている(23)。日本では国も県も公共投資の重点地域を設定せず(できず)、市町村間で国の事業や国庫補助金の獲得競争(競争に勝つ条件は政策アイデアおよび地元国会議員等を通じての働きかけ)を促してきたが、合理的なドイツの方式は対照的である。
とくに大学は上位中心地に立地するという地域計画上の指針と、大学を建設・運営する権限が州にあることによって、地方分散的に設置され、大都市圏から離れた人口5−10万人の都市にも置かれている。たとえば、バーデン・ヴュルテンベルク州は60年代、地域振興の観点から周辺部のコンスタンツ市やウルム市に大学を新設した。
また、多くの州では、内部をいくつかの州政府管区(Regierungsbezirk)に分かち、内務省の出先機関として、地域レベルで州の政策を統合する機能を与えている。州政府管区にはふつう議会は置かれず、その長は州政府によって任命される。
五、結論ー日本での議論への示唆
以上に述べてきたことをまとめると、ドイツ連邦制の利点を生み出しているのは、単に16州への分権ということだけではなく、連邦制度の細部設計、さらに選挙制度、地域計画などの要因でもあるといえそうだ。
筆者は日本での連邦制の是非については迷っているし、都道府県を前提とした地方分権改革がおこなわれた直後にその統廃合を検討することは無理があり、現実にも反対が強いと考える。いずれにせよ、仮に「道州制」を構想するにしても、慎重で合理的な制度設計が必要だろう。諸提案にあるように、47の都道府県を8−12の州に統合し、一定の権限と財源を委譲するだけでは、連邦制の効用の十分な発揮は期待できず、かえって他の弊害を生むおそれがある。
確かに、上位の地方政府の数を減らして集約すれば、@公務員や議員の削減ができるだろう。(しかし、サービスの低下や代表性の弱まりなどのデメリットのおそれもある。日本の人口当たり公務員数は、すでに先進国のなかで最小レベルにある(24)。)A地域間調整をつうじて公共投資の重複が防がれ、ほとんどすべての府県が横並びで大規模なリゾート計画を進めたり空港建設を追求したり、あるいは本州四国間に3本もの連絡橋の要望が出て取捨選択できなくなるような現状が改善されるかもしれない(もうかなり手遅れだが)。また、B州の固有財源を増やし中央政府からの補助金を減らすことで、州は自己責任で政策を選択するようになり、かならずしも必要でない補助事業に手を出すということはなくなるかもしれない(ただしこれは現在の都道府県体制でも可能である)。このように政府や政策の効率化をおもな目標に据えるならば、「道州制」(連邦制)はひとつの処方箋になるだろう。
しかし、ドイツの連邦制は効率以外の利点をもたらしている。それらは日本の「道州制」によってももたらされるだろうか。
@ 政治的多元性には、中央地方間の権力分立と、州内部あるいは州間の多様性に由来する多元性とがある。前者は、連邦・州間での憲法上の詳細な権限・財源配分、連邦における州の代表機関である連邦参議院などの制度に支えられている。権限・財源配分のシステムは日本でも参考になるが、連邦参議院はその積極的な役割とともに問題点(一、)も指摘されており、また元来ドイツ帝国の特性に由来する制度でもあり、日本ですぐにモデルにすることはむずかしい。他方、ドイツの州間の水平的調整システムは興味深い。
後者の政治的多元主義は、地方分権から自動的に生み出されはしない。ドイツのような比例代表制、住民投票制度、議院内閣制が促進要因になる。ちなみに、比例代表制の要素を含む選挙制度は、小選挙区制が常識であったイギリスでも、労働党政権のもとで1998年に導入された地域議会(スコットランド、ウェールズ、ロンドン)において採用されたのである(25)。
州政府の執行部の構成は、アメリカのように知事が直接公選される方式と、ドイツ、カナダ、オーストラリアなどのように首相が議会によって選ばれる方式とがある。日本で後者の議院内閣制をとることには、州大臣となる政治家の訓練、与野党の緊張関係の確立などのメリットがあるが、その障害になる条件もある。第1に、憲法が地方自治体の長の直接公選制度を明記している。この制度は多党相乗りの与党体制を生み出してもいるが、70年代の革新知事や90年代のユニークな「無党派」知事の当選を可能にしたのもこの直接公選制度である。長の直接公選を維持するとすれば、公選された知事が州議会の承認を得て州議会議員や官僚出身者を大臣に任命するという方式になるだろうか。第2に、府県議会の選挙制度(小選挙区に都市部の大・中選挙区を加味)にもよって、大都市圏以外の県議会では自民党や保守が圧倒的多数の議席を占めている(26)。今のままの議会選挙のもとで議院内閣制を導入すると、結局多くの州では自民の単独政権が成立し、ユニークな知事の出現可能性が減ることになるだろう。
日本での「道州」政府の制度設計は、比例代表制を加味した議会選挙によって議会での政党化・多党化と多様な人材のリクルートをはかり、知事の直接公選による統合力を維持しつつ、行政各省のリーダー(大臣)には有能な議員も就きうるようにするのが適当だろう。また巨大化した地方政府に対して、住民投票制度によって参加の可能性を広げる必要がある。
なお、現在の都道府県のままでも、こうした制度改革を検討することは有意義だろう。
A 政策能力については、強力で巨大な州政府への期待はある。しかし日本の府県もすでに大きな財政・行政力をもっているし、また必要とあれば府県の協力で広域的なプロジェクトを進めてもいる(たとえば、関西学研都市、関西新空港)。いったいどのような政策を進める際に現行の府県が力不足であるかを明確にして、議論する必要があろう。他方で、上位の地方政府の数が47から10程度に減ることの効果はどうか。戦後の日本の都道府県では、とりわけ革新(左派)知事、個性的な無党派知事、意欲的な官僚出身知事等が新しい政策を導入してきた。今日では、日本の47知事の大部分が保守・中道・中道左派の多党相乗り与党に支えられ、また半数以上が中央官僚出身者であるなかで、例外的な数人の知事が大胆な政策発展の口火を切ることが多い。上位地方政府の数が減れば、そうした実験のおこなわれる確率も減ることにならないだろうか。80年代以降の日本では、多党相乗りによる政策転換の停滞を、自治体間の相互競争・横並びや、ときおり知事や市町村長の直接選挙がもたらすダイナミズムで補ってきたと思われるのである(27)。
これは結局、現在の都道府県の政策能力に不足があるとして、その原因を国からの統制や府県の弱さに求めるのか、あるいはむしろ府県内部の政治にも問題があると見るのか、という論点である。前者であれば連邦制が解決策になるが、後者であれば@の面での制度改革が重要になるだろう。
また、県レベルの地域での特殊な問題に州は熱意をもって取り組めるか。沖縄の米軍基地問題は「九州州」で十分に代表され配慮されるだろうか。原発の立地が州単位で検討されるならば、県単位の反対ができなくなって立地しやすくなる可能性と、どの州でも大都市部の意向が作用して抑制が働く可能性と、両方あるだろう。
B 人口・経済力の分散についても、確かに東京の政治行政機能を州に移すならば一定の効果はあるかもしれない。しかし、企業が集中する動機には、東京圏における顧客規模の大きさ、専門技術者の層の厚さ、外国企業とのリンクといった要因もある。これらの要因が連邦制によって大きく変化するとは思えない。他方で、これまで地方圏の県庁所在都市は、農山村地域からの人口流出が県外に向かわないように受け止める「ダム」の役割を果たしてきて、おおむね人口増を示している(28)わけだが、この県都の機能が州の首都に「吸い上げられる」おそれがある。州内部で地方の拠点都市の振興をはからなければ、北海道で札幌への人口集中が進んでいる(29)ように、「州都」への一極集中化のおそれもあろう。地域計画に関する州の役割は、ドイツでは大きい。
また、ドイツは地方分権をしつつも各州に財源確保を全面的に委ねるのではなく、連邦レベルの財政調整システムを発達させている。
以上3点のほかに日本での道州制論で気になる点は、まず、C 「連邦制」という表現を用いない場合が多いことである。活発な政治主体たる州への大胆な分権化を構想するのであれば、国際的な標準用語を用いるべきだろう。もっとも、単に府県を統合し効率化する意図であれば、連邦制という表現を避けるのも理解できるが、それならば連邦制における地方政府の呼称である「州」(state)もあまりふさわしくない。
D 90年代の提案には、300程度に統合された市町村に権限を移し、州の役割を小さく設定しようとするものもある。これは「一層制」に近い地方制度案だが、国と市町村の中間レベルの地方政府の役割は、人口規模の大きい国では不可欠のように思える。
E ドイツは人口8200万、面積36万平方キロで16州に分かれている(ただしうち3つは首都圏であるベルリン、およびハンブルク、ブレーメンの「都市州」)。スイス、アメリカ、カナダなどとも比べるならば、日本を10に分かつのでは、州の面積・人口規模が大きくなりすぎるのではないか。仮にドイツと同じ平均面積になるように州を設けるとすれば、日本でも14州程度が適当という計算になる。人口がドイツの1・5倍あり、細長く伸び、山脈で分断された日本の国土を考えると、もっと州を細分化しなければ無理を生じるように思える。
(1) 道州制論については、坂田期雄編『地方自治の論点101』時事通信社、1998年、64−73頁。同67頁に、90年代に日本青年会議所、PHP研究所、読売新聞社などからそれぞれ出された提案がまとめてある。
(2) 毎日新聞(大阪本社版)、2000年6月6日。
(3) Tatsachen u¨ber Deutschland(日本語版連邦政府新聞情報庁編『ドイツの実情』), Societa¨ts−Verleg,
1996, S. 181. ドイツの政治システムの全体については、K.v. Beyme, Das politische System der
Bundesrepublik Deutschland, 9. Aufl., Westdeutscher Verlag, 1999;W.
Rudzio, Das politische System der Bundesrepublik Deutschland, 4. Aufl.,
Leske+Budrich, 1996(この論文では、3. Aufl., 1991 を参照した。);大西健夫編『ドイツの政治』早稲田大学出版部、1992年、平島健司『ドイツ現代政治』東京大学出版会、1994年が詳しい。村上弘「ドイツの政治システムと行財政改革」『季刊行政管理研究』78号、1997年、同「ドイツの政治制度」田口富久治・中谷義和編『比較政治制度論』新版、法律文化社、1999年もある。なお、この論文で法律関係の情報は、全般的な概説書である、O.
Model/ C. Creifelds/ G. Lichtenberger, Staatsbu¨rger−Taschenbuch, 27.
Aufl., Beck, 1994 をおもに参照した。
(4) Rudzio, a. a. O., S. 331-333;Beyme, a. a. O., S. 366-369.
(5) Beyme, a. a. O., 373-377.
(6) U. Andersen, Bundesstaat/Fo¨deralismus, in:U. Andersen/ W. Woyke(Hrsg.),
Handwo¨rterbuch des politischen Systems der Bundesrepublik Deutschland,
Leske+Budrich, 2000, S. 79.
(7) 連邦法の立法手続は次のとおり。政府提出法案はまず参議院に送られて参議院が賛否の態度を決めたのち、連邦議会で議決される。連邦議会提出法案はそのまま、また参議院提出法案は連邦政府によって連邦議会に提案されて、議決される。そのあと基本法を改正する法律、執行を州が担当しかつ執行の細部を定める法律、州が経費の4分の1以上を負担する法律、連邦と州の租税配分を定める法律などについては、参議院の同意を必要とし、同意が得られなければ不成立となる。実際には、法律案の5−6割が、参議院の同意を必要とするものである。参議院はその同意を必要としない法律に対しても異議を述べることができるが、連邦議会はこれを決議によって却下することができる。
(8) Beyme, a.a.O., S. 376. 各州政府の連立パターン、大臣リスト、年間の主要事件は、Aktuell:Lexikon
der Gegenwart, Harenberg Verlag(年鑑)などでみることができる。各州の政治制度は、J. Hartmann
(Hrsg.), Handbuch der deutschen Bundesla¨nder, 2 Aufl., Campus Verlag,
1994.
(9) Rudzio, a. a. O., S. 335-336.
(10) ドイツの市町村議会では、比例代表制のもとで候補者個人の選挙運動の負担が小さいために、自営業者だけではなく、弁護士、医師などの専門職や、公務員、教員・研究者、主婦、学生などが幅広く議員になっている。村上弘「ドイツと日本の市町村議会」『立命館法学』245号、1996年を参照。
(11) Rudzio, a. a. O., S. 337. 詳しくは、Verfassungen der deutschen Bundesla¨nder,
6. Aufl., Deutscher Taschenbuch Verlag, 1998 に収録の各州憲法を参照。ベルリン、ハンブルク、ブレーメンの3都市州では、州政府の長は市長と呼ばれる。
(12) ノルトライン・ヴェストファーレン州、ヘッセン州などでは5分の1以上、バーデン・ヴュルテンベルク州では6分の1以上、バイエルン州、ニーダーザクセン州などでは10分の1以上。ザクセン州が住民提案と住民投票の請求要件を分け、後者について「有権者45万人(ただし有権者の15%を超えてはならない)以上」と定めるのは、州の人口が減りつづけてきたためだろう。
(13) Verfassungen der deutschen Bundesla¨nder, S. XXVIII, および各州憲法を参照。
(14) 村上弘「日本の地方自治と政策発展」水口憲人・北原鉄也・秋月謙吾編『変化をどう説明するか地方自治編』木鐸社、2000年。
(15) Andersen, a. a. O., S. 80. 連邦・州の関係については、Rudzio, a. a. O., S. 342-352.
また、廣田全男「ドイツの行政制度」土岐寛・加藤普章編『比較行政制度論』法律文化社、2000年、100−104頁にも説明されている。
(16) Verfassungen der deutschen Bundesla¨nder, S. XXV-XXX.
(17) H. Wollmann, Kommunalpolitik−zu neuen (direkt−) demokratischen
Ufern?, in:H. Wollmann/ R. Roth (Hrsg.), Kommunalpolitik, Leske+Budrich,
1999. 地方自治の動向については、廣田、前掲論文、113−116頁にも説明されている。
(18) G. Mu¨ller−Brandeck−Boquet, Von der Fa¨higkeit des deutschen Fo¨deralismus
zur Umweltpolitik, in:V.v. Prittwitz (Hrsg.), Umweltpolitik als Modernisierungsprozeβ,
Leske+Budrich, 1993.
(19) M.G. Schmidt, CDU und SPD an der Regierung:Ein Vergleich ihrer
Politik in den La¨ndern, Campus−Verlag, 1980, S. 75, 110-111, 130.
(20) Andersen, a. a. O., S. 84;Rudzio, a. a. O., S. 352-357;A. Benz,
Deutsche Fo¨deralismus, in:T. Ellwein/E. Holtmann (Hrsg.), 50 Jahre
Bundesrepublik Deutschland, PVS Sonderheft 30, Westdeutscher Verlag,
1999, S. 141-143. これに対する修正的見解は、A. Benz, Rediscovering Regional Economic
Policy:New Opportunities for the La¨nder in the 1990s, in:C. Jeffery
(ed.), Recasting German Federalism, Pinter, 1999.
(21) 織田正雄・金森 治『ドイツビジネスガイド』有斐閣、1996年、157、166頁。Benz,
ibid., p. 182-184.
(22) H. Ma¨ding, O¨ffentliche Finanzen, in:Andersen/Woyke, a. a. O.,
S. 411-413. 中村良広「ドイツにおける州間財政調整再編への始動連邦憲法裁判所判決(1999・11・11)とその意義」『自治総研』2000年10月号。
(23) 森川洋『ドイツ−転機に立つ多極分散型国家』大明堂、1995年、109−133頁、国土計画協会編『ヨーロッパの国土計画』朝倉書店、1993年、71−73頁。
(24) データは、総務庁『行政管理・総合調整白書』を参照。
(25) T. Wright, The Britisch Political Process:An Introduction, Routledge,
2000, p. 84, 307-309;Independent, 5 May 2000 (http://www.independent.co.uk).
(26) 村上弘「相乗り型無所属首長の形成要因と意味−国際比較を手がかりに」日本行政学会編『年報行政研究』30号、1995年。
(27) 村上、前掲論文(注14)を参照。
(28) 3大都市圏以外の県庁所在市の人口変動(1990−95年)をみると、減少したのは前橋、和歌山、長崎、・覇の4市のみで(最大値は長崎の−1.3%)、31市で増加、1市で横ばいとなっている。
(29) 北海道の人口15万人以上の市の人口変動(1990−95年)をみると、増加は札幌(5.1%)、旭川(0.4%)、帯広(2.6%)、苫小牧(5.8%)、減少は函館(−2.7%)、釧路(−3.1%)、小樽(−3.8%)であった。
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