立命館法学 一九九五年第一号(二三九号)
◇ 研究ノート ◇
校庭への立ち入りと建造物侵入罪
松宮 孝明
設 問
被告人は、夜間、フェンスやブロック塀などで周囲を囲わ
れている小学校の校庭に潜んでいたところを、警察官に発見
された。この校庭には四カ所に入り口があったが、そのいず
れにも施錠はされておらず、うち三カ所の門は人一人が通行
できる程度に開いていた。建造物侵入罪(刑法一三〇条)の
成否について論ぜよ。
目 次
一 問題の所在
二 囲繞地と建造物
三 建造物侵入罪の保護法益
四 ま と め
一 問題の所在
一 本問は、東京高裁一九九三年(平成五年)七月七日判決(判例時報一四八四号一四〇頁(確定))の事案を簡略化したものである(この判決の評釈として、三浦秀・研修五四九号(一九九四)二七頁以下、奥村正雄・法学教室一七四号別冊・判例セレクト'94(一九九五)三六頁がある)。
刑法一三〇条は、「正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し」た者を三年以下の懲役または一〇万円以下の罰金に処するものとしている。そこで、本問のように、建物自体ではなく、囲い(囲障)で囲われた、建物を囲む土地(以下、囲繞地と呼ぶ。)に無断で立ち入った場合にも、刑法一三〇条の罪が成立するのかどうかが問題となる。とくに、本問では「建造物」への侵入があったといえるかどうかが問われることになろう。
ところで、日常用語では、校庭やその他の囲繞地は「建造物」ではない。そうでないと、たとえば校庭を掘り返した者は「建造物損壊罪」(刑法二六〇条)に問われることになってしまうであろう。したがって、我々は普通、校庭に立ち入ることを「建造物侵入」とは呼ばないのである。そしてその場合には、本問の被告人には、せいぜい、軽犯罪法一条三二号の「入ることを禁じた場所」に入る罪が成立するにすぎない。
二 それにもかかわらず、右の東京高裁判決は、このような事案について「建造物」侵入罪の成立を認め、被告人に懲役一年二月の実刑を認めた原判決を維持した。その理由は、つぎのようなものである。すなわち、
「刑法一三〇条にいう『建造物』とは、建物のみならず、その囲繞地をも含み、その建物の付属地として門塀を設けるなどして外部との交通を制限し、外来者がみだりに出入りすることを禁止している場所に故なく侵入すれば建造物侵入罪が成立すると解され、右のような囲繞地であるためには、その土地が、建物に接してその周辺に存在し、かつ、管理者が外部との境界に門塀等の囲障を設置することにより、建物の付属地として、建物利用のために供されるものであることがしめされれば足り」る、と。
このような理由によって、本件の校庭は「建造物」に当たるとされた。しかし、問題は、((1))このような日常用語に反するような解釈が、罪刑法定原則を建て前とする刑法の解釈として許されるのか(形式的疑問)、((2))それを正当化するような実質的な根拠があるのか(実質的疑問)というところにある。本問は、それを問うものである。
二 囲繞地と建造物
一 さて、校庭のような、建物の囲繞地は「建造物」であろうか。現代の通説は、これをあっさり認める。たとえば団藤重光は、「住居」には建物に付属する囲繞地を含むとし、さらに「建造物」について、「これも付属の囲繞地を含むと解するべきである」としている(団藤重光『刑法綱要各論・第三版』(一九九〇)五〇四頁)。今や、この結論を疑う見解はほとんどないといってよい状態である。
もっとも、この圧倒的通説に対して、ひとり植松正は、「判例が工場の敷地でも、門、塀などにより一般の出入りを禁止している場合は、『建造物』の概念に含まれるとしている・・・のには賛成できない」として、「邸宅」の場合を除き、囲繞地は刑法一三〇条の客体に含まれないと解している(植松正『再訂刑法概説II各論』(一九七五)三二二頁以下)。また、一九七四年の改正刑法草案三〇八条一項では、現行法において建物の囲繞地をも建造物侵入罪の客体とする解釈をとることに文理上多少の無理があるとして、住居侵入罪の客体に、囲いのある住居または建造物の付属地が加えられている。これらは、右の通説が、必ずしも普遍的な基盤を持っているものでないことを暗示するものである。
二 事実、判例が囲繞地をも「建造物」に含める見解を採用したのは、比較的最近のことである(最大判昭和二五・九・二七刑集四巻九号一七八三頁が、そのリーディング・ケースとされている)。大審院時代には、むしろ消極説が支配的であった。たとえば、大場茂馬は、「建造物なる文字中には到底その付属地所を包含するものと解する能わざれば、我が刑法の解釈としては、これを消極に解するを相当とす」と述べており(大場茂馬『刑法各論上巻・増訂四版』(一九一一)四〇一頁。もっとも、学説には、勝本勘三郎や牧野英一のように、積極説も存在した。勝本については大場・前掲書四〇一頁参照。牧野については、『改訂増補・刑法通義』(一九一〇)二一二頁参照。ただし、勝本は、文理解釈では囲繞地を含まないと見ていたようである。)、判例もまた、もっぱら、囲繞地への侵入行為が「邸宅」への侵入といえる場合にだけ、刑法一三〇条の適用を認めてきた。たとえば、大審院一九三二年(昭和七年)四月二一日判決(刑集一一巻四〇七頁)は、社宅の囲繞地への侵入は「邸宅」への侵入でないとして一三〇条の適用を否定し(みだりに出入りすることを禁止された場所として、当時の警察犯処罰令二条二五号に該当するとした。)、大審院一九三九年(昭和一四年)九月五日判決(刑集一八巻四七三頁)は、住居の囲繞地は「邸宅」に当たるとしてこれを肯定した。逆に最高裁では、一九五七年(昭和三二年)四月四日判決(刑集一一巻四号一三二七頁)は、社宅の囲繞地も「邸宅」に当たるとして一三〇条の適用を肯定したが、しかし「建造物」に当たるとする構成は採らなかった。
また、「住居」についても、大審院はこれに囲繞地は含まれないと解していたようである。たとえば、大審院一九二三年(大正一二年)一月二七日判決(刑集二巻三五頁)は、被告人が住居の縁側にまで達した場合にようやく「住居」侵入を認め、大審院一九二九年(昭和四年)五月二一日判決(刑集八巻二八八頁)は、住居の邸内に侵入した行為を「邸宅」侵入に当たるとしている。
三 ところが、すでに触れたように最高裁は、一九五〇年(昭和二五年)九月二七日の大法廷判決で、突然、積極説を採用する。すなわち、「刑法一三〇条に所謂建造物とは、単に家屋を指すばかりではなく、その囲繞地を包含するものと解するを相当とする」として、工場敷地への立ち入りを「建造物」侵入に当たると述べたのである。そしてその後は、先に述べた、塀で囲まれた社宅敷地を「邸宅」と解した一九五七年の最高裁判決(刑集一一巻四号一三二七頁)を例外として、下級審に積極判例が広がっていく。「建造物」とされた例としては、会社敷地(東京高判昭和二七・一・二六高刑集五巻二号一二三頁)、駅のホーム(札幌高判昭和三三・六・一〇高刑裁特五巻七号二七一頁、福岡高判昭和四一・四・九高刑集一九巻三号二七〇頁。もっとも、山口地判昭和三六・一二・二一下刑集三巻一一=一二号一二二九頁は、囲障のない駅構内は「建造物」に当たらないとしている。)などがある。さらに、最高裁レベルでも、裁判所敷地(最大判昭和四四・四・二刑集二三巻五号六八五頁)、東大地震研究所敷地(最判昭和五一・三・四刑集三〇巻二号七九頁)が、「建造物」に当たるとされている。
「住居」についても、同様の傾向がうかがえる。最高裁判例はまだないが、下級審では、店舗兼住宅の敷地(東京高判昭和三〇・八・一六高刑裁特二巻一六=一七号八四九頁)、寺院の境内(福岡高判昭和五七・一二・一六判タ四九四号一四〇頁)などが、「住居」に当たるとされている。
四 ところで、積極説を支えているのは、「邸宅」と「住居」および「建造物」との間の保護のバランス論である。つまり、大審院のように、「邸宅」の場合は家屋の囲繞地をも刑法一三〇条の客体とし、建造物の囲繞地はそうしないというのでは、保護のバランスを失するというのである(団藤・前掲書五〇四頁は、「邸宅との権衡上」と表現する)。もっとも、大審院の解釈でも、塀などで囲われた囲繞地を伴う「住居」の場合には、その囲繞地は「邸宅」として刑法一三〇条の客体となるので(前述の大判昭和四・五・二一刑集八巻二八八頁)、実質的な違いはない。問題は「建造物」の場合に限られることになる。そこでつぎに、このようなバランス論が、実質的に見て、妥当か否かを検討してみよう。
三 建造物侵入罪の保護法益
一 右のバランス論は、現に住居に使用され、あるいは使用を予定された住居の囲繞地と、工場や学校など、住居としての使用を予定しない建物の囲繞地とに同等の保護を与えるべきだとする価値判断を基礎としたものである。しかしながら、学説の中にはすでに、この前提に異論を唱えるものがあった。
たとえば、前野育三は、一三〇条の「客体が異なれば、法益、行為等について説かれていることも異なるのではないだろうか」という疑問を提起し(前野育三「客体が公の建造物である場合における住居侵入罪・不退去罪の特殊性について」静岡大学法経研究一七巻一号(一九六八)七六頁)、関哲夫は、「多元的保護法益論」の名の下に、「住居」についてはプライバシー保護の意味での「住居権」(「他人が一定の領域へ立ち入り、または滞留することを許容し、あるいは許容しないことを決定する自由」)を保護法益と解すると同時に、他方で、官公庁などの公共営造物では、「官公庁における個々の職員が、その営造物の利用目的に従って平穏かつ円滑に業務を遂行しうること」を保護法益と見る(関哲夫「住居侵入罪の保護法益・序説」早稲田大学大学院法研論集二四号(一九八一)一六七頁)。それはまた、この場合の建造物侵入罪の違法性を「業務妨害罪」的なものと見る立場につながるものでもある(前田雅英『刑法各論講義』(一九八九)一三九頁は、「建造物侵入罪と威力業務妨害罪は、一部で法条競合の関係にある」と述べる)。
もっとも、「業務妨害罪」的な捉え方に対しては、夜間人の働いていない建物への侵入は建造物侵入罪にならないことになりかねないとする批判がある(山口厚「刑法一三〇条前段にいう侵入の意義」警察研究五六巻二号(一九八五)七九頁、中山研一「住居侵入罪の再検討」前田達男ほか編『労働法学の理論と課題』(一九八八)二五三頁)。しかし、この批判を展開する山口厚も、官公庁の建物については、住居の場合と異なり、住居権の行使が建物の目的等により事実上または法的に制約されることを認める点で、同等の保護を否定する見解と見られる(山口・前掲七九頁。同旨中山・前掲二五二頁)。そして、本問で重要なのは、このように、プライバシー保護の機能を有する「住居」や「邸宅」と同等の保護を他の建造物に認めることには多くの異論があるということである。プライバシー保護の必要が大きいからこそ、塀などで囲われた住宅敷地に立ち入る行為を重く処罰する実質的根拠があるのであって、そのような根拠を持たない建造物敷地を住宅敷地と同等の保護に値すると見るのは、悪しき形式論である。言い換えれば、大審院時代の技巧的な形式解釈は、詳細にみれば、実質的妥当性のあるものであったといえるのである。
二 ここで一三〇条の保護法益をめぐる「平穏説」と「(新)住居権説」の争いに触れておこう。「平穏説」とは、住居や建造物などの刑法一三〇条の客体の中で営まれる私生活や業務活動などに着目し、これらの機能を果たすために必要な「事実上の住居の平穏」を、一三〇条の保護法益と解するものである(団藤・前掲書五〇一頁)。古い「平穏説」の中には、これを一種の公共的法益と見るものもあったが(小野清一郎・刑事判例評釈集五巻(一九四九)三〇四頁、八巻(一九五〇)三〇四頁。中山・前掲二四二頁参照)、最近では、建物利用の平穏という機能面に着目するものが出てきている(関・前掲一六八頁、前田・前掲書一三九頁)。「(新)住居権説」とは、他人が住居・建造物などの一三〇条の客体に立ち入り、または滞留することを許容し、あるいは許容しない権利を、一三〇条の保護法益と解するものである。戦前は、この「住居権」は家長にだけ存在するとして(大判大正七・一二・六刑録二四輯一五〇六頁)、夫の出征中に妻の承諾をえて姦通目的で家屋に立ち入った行為に対し、住居侵入罪の成立を認めたものがある(大判昭和一四・一二・二二刑集一八巻五六五頁)。しかし、近年では、このような家父長的な「住居権」の解釈を離れて、個人主義的な「事実上の立ち入り・滞留許可権」と定義し直すことで「古い住居権説」の問題点を克服しようとする「新住居権説」が有力である(平野龍一『刑法概説』(一九七七)一八二頁)。しかし、いずれにせよ、「(新)住居権説」は、「平穏説」に比べて、より形式的な性格のものであることに変わりはない。
三 さて、本問で注目されるのは、これら保護法益をめぐる争いと一三〇条の客体の解釈の関係である。前述した一九五〇年の最高裁大法廷判決(刑集四巻九号一七八三頁)は、囲繞地が建造物に含まれる根拠について何も述べなかったが、最高裁一九七六年(昭和五一年)三月四日判決(刑集三〇巻二号七九頁)は、その根拠を「平穏説」に求めた。すなわち、「建物の囲繞地を刑法一三〇条の客体とするゆえんは、まさに右部分への侵入によって建造物自体への侵入若しくはこれに準ずる程度に建造物利用の平穏が害され又は脅かされることからこれを保護しようとする趣旨にほかならない」と述べたのである。
これは、一九五〇年判決は何も根拠を示さなかったけれども、消極説に立っていた大審院の形式解釈を覆すには、実は、「平穏説」のような「実質的」考慮を持ち出すことが必要だったということを意味する。これがあるからこそ、条文の形式的な制約を乗り越える解釈が「妥当」だと感じられるのである。ここでは、機能的な「平穏説」こそが、「建造物」概念を拡張する役割を果たしていたということができよう。また、ここからは逆に、どのような広大な土地であっても囲障設備さえ設ければ常に「建物に接してその周辺に存在する土地」として「建物の付属地性」を獲得するというものではなく、「建造物侵入罪の保護法益面からの内在的制約」があるとする調査官の解説も出てきたのである(松本光雄『最高裁判所判例解説刑事篇・昭和五一年度』(一九八〇)三七頁注(三)参照)。
ところが、その後最高裁は、再び「住居権説」に回帰する。最高裁一九八三年(昭和五八年)四月八日判決(刑集三七巻三号二一五頁)は、「刑法一三〇条前段にいう『侵入し』とは、他人の看守する建造物等に管理権者の意思に反して立ち入ることをいう」と解し、本問のもととなった一九九三年の東京高裁判決(判時一四八四号一四〇頁)もこれに従って、「同罪の保護法益については、管理権者が当該建造物をその意思に基づいて自由に管理支配し得ることであると解するのが相当である」と述べている。
これは、具体的には、実質的な平穏侵害が認められないことを理由とする可罰的違法性不存在の主張をしりぞけるための判示であるが、これによって、同時に、保護法益論と一三〇条の客体の解釈との関連が切られてしまったことが注目される。これはつまり、「住居権説」が、その形式性のゆえに、それだけでは住居権の対象となる客体を画定できないにもかかわらず、囲繞地を建造物とする「実質」解釈は、確定判例として、もはや動かなくなったと見られていることを意味する。要するに判例は、二つの保護法益論を使い分けることによって、一方で概念を拡張し、他方で可罰違法阻却の抗弁を封じるという、本来矛盾する二つの課題を、相前後して遂行したのである。
四 しかし、その結果として実務では、本問のように、校庭に潜んでいただけで、居住者のプライバシーも学校の業務も害しなかった行為にまで、軽犯罪法違反ではなくて、最高三年の懲役を規定する建造物侵入罪が認められるまでに至った。もともと、わが国の建造物侵入罪の法定刑は、ドイツやフランスその他の欧米諸国と比べて高すぎる傾向をもっているが、その矛盾は、このような「建造物」概念拡張によって、一層大きくなったといえよう。それは、形式解釈ばかりでなく実質的妥当性からみても、問題をはらむものである。
四 ま と め
建造物の囲繞地への立ち入りもまた「建造物」侵入罪となるとする今日の圧倒的な通説は、それほど長い歴史をもつものではなかった。むしろ大審院は、文理を尊重して、「邸宅」以外では、囲繞地は一三〇条の客体に含まれないと解していたのである。これに対しては、保護のバランス論を理由とする批判が展開されたが、このバランス論の自明性に対しては、学説の中にも異論があった。そこから見れば、大審院の解釈は、プライバシー保護の機能を営む住宅囲繞地に対しては厚く、そうでない建造物に対しては薄くという形で、結果的には「多元的法益論」の趣旨にかなったものであった。
逆に、囲繞地を「建造物」に含める最高裁の積極説は、その根拠を、「平穏説」などの実質説に求めることになったが、積極説が判例上固まると、実質的考慮による可罰違法阻却の抗弁を封じるために、判例は形式的な「住居権説」に戻っていった。同時に、これによって保護法益論と一三〇条の客体の解釈との関連性は、再び、失われたのである。
このような判例の立場は、本問のような校庭への立ち入りに関して、その矛盾をあらわにする。居住者のプライバシーや建物の機能を害さない立ち入りを、条文の形式を超えて一三〇条で重く処罰することは、もはや形式的にも実質的にも正当性を持たないであろう。したがって本問では、軽犯罪法一条三二号の罪が成立するにすぎないものと解する。この点で、大審院判例の立場が、再評価されるべきであろう。