立命館法学 一九九五年二号(二四〇号)




中 国 に お け る 選 挙 権 論 (一)
---日本の場合と比較して---

林 来梵






目    次




       一 始  め  に
 選挙権は、憲法構造のなかで特別な位置づけを占めている。一方では、代表民主制のもとで、選挙が、国家意思の形成過程にかかわる重要な機能を果たし、そして、国家権力のあり方によって国家意思の形成手段が規定されているがゆえに、選挙権が必然的に主権原理・代表制と密接な関連をもち、統治機構の有り様に深く関わっている(1)。他方では、選挙権は、憲法に保障されるもろもろの権利の中で、他の権利を追求し保護するための手段としても、特別な意味をもっていると言わねばならない。さらに、この問題と関連して、選挙権は社会的・経済的権利と比べていかに位置づけられるべきなのかについてさえ、議論も見られる(2)。このように見てくると、選挙権は、統治機構と基本的人権とのひとつの結節点をなすものと考えられる。
 選挙権の有するこのような特別な意義は、選挙権の法的性格に対する検討を憲法学の重要課題のひとつとして取り上げることを要請する。日本の憲法学において、戦前から戦後にかけて、すでに選挙権論に関する理論が蓄積されていた(3)。そして、いわゆる「七〇年代主権論争」以後主権論や代表制論に関する研究が盛んになったことをも背景に、一九七七年から一九七九年にいたる憲法理論研究会で、選挙権論についての再検討は、かつて「参政権論」研究の中心的なテーマのひとつとして取り上げられていた。また、一九七九年日本公法学会で行われていた「憲法と選挙」の検討などを経て、八〇年代にいたって、従来の通説としての「二元説」に対する「権利説」からの問題提起や、「選挙権は基本的人権か」という狭義の「選挙権論争」など、選挙権論に関する検討は、さらに活発に、かつ、多角的に展開されていた(4)。
 これに対して、中国では、選挙権の法的性格に関する研究は、憲法学自体の内在する要請からみても、また上述した日本における学説状況と比べてみても、主権論や代表制論についての研究状況と同様に、甚だ貧困であり続けてきたと言わざるを得ない。代表的な高等教育法学教材として使われる、具体的な研究成果を集約する憲法学テキストのみならず、人民代表大会制、さらに選挙制度を主題とする幾つかの著書のなかにおいてすら、選挙権の法的性格を個別的な問題として総合的に取り上げる論究は、あまり見受けられない状況にある(5)。比較的最近に出された李林氏の『立法機関比較研究』でも、「選挙権の性質」を単独の一節として取り扱っているが、外国における従来の学説を、日本の林田和博教授による「古典的整理(6)」と近似する形で紹介するにとどまり、そこには、著者の見解は述べられておらず、中国の学説状況についても一言も触れられていない(7)。そして、実際上、中国では、選挙権の本質についての論及は一般的に、《公民の基本的権利と義務》の枠内においてのみ見られる。勿論、それは極めて素朴な形態をとっているものでしかないのである(8)。
 理論の貧困だけではなく、そうした素朴な形態をとる選挙権本質論自体も、様々な問題点を残している。ここで、とりあえずその典型的な二つを指摘しておく。一つは、本稿の第四章で具体的に検討するところからわかるように、今日の中国では、選挙権は単純明快に「権利」と認められてはいるが、その「権利説」における「権利」の概念構造の中に、なんらかの「公務」、「義務」あるいは「権限」といったものが潜在している、ということである。もう一つは、外国憲法学における選挙権論に対する誤解や不理解である。例えば、前掲の『立法機関比較研究』は、諸外国における選挙権論を四説に分類するにあたって、日本の場合を「個人的権利(自然権)」説を採用する「代表的国」とみなし、その根拠として、日本国憲法一五条一項の条文を挙げている(9)。外国憲法学における選挙権論に対するこのような誤解や不理解は、ある意味では、選挙権論の貧困という状況にも関連しているに違いない。
 こうした中国における学説の状況は、杉原泰雄教授がかつて日本の場合についての指摘を想起させる。教授は「参政権論についての覚書」において、当時の日本で参政権(選挙権)の法的性格にかかわる問題提起はなお学界共通の検討課題にまで高められていない状況について、学者の「法的常識・法的確信」をその一つの要因としてあげられ、「その法的常識や法的確信は、ときには『参政権は、自由権、受益権、社会権とならんで、基本的人権の一類型であり、その権利性については今さら論証を要しない』とするきわめて素朴な形態をとることもある」と指摘されている(10)。こうした指摘は、上で述べた今日の中国における学説状況にも適切に該当するであろう。
 そして、現実的に、今日の中国では、選挙区制問題、直接・間接選挙併用制問題、定数配分の基準問題、そして代表候補者推薦制度の問題、選挙運動規制の問題や棄権の自由への妨害問題、さらに極端な形で顕在化している都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差問題など、様々な選挙問題が存在しており、現行選挙法の抜本的な改正を求める声さえ出ている(11)。畑中和夫教授は中国憲法における基本制度としての人民代表大会制を比較憲法的視点から巨視的に把握されたうえで、次のように指摘されている。「人民代表が人民の意思を正確に表現しているかどうかが、この制度にとって致命的だということになろう。それを端的に示すのが、選挙制度とその現実的運用である(12)」、と。この意味で、上に列挙した選挙制度上の諸問題は、中国憲法体制の根幹にかかわっていると言ってよかろう。
 実は、このような諸問題は、いずれも選挙権の本質に直接的に根ざしているに違いない(13)。従って、それに対する選挙権論からのアプローチが必要不可欠となる。周知のとおり、日本の場合では、七〇年代末以降、具体的な選挙問題に対して、選挙権論の射程内での理論的な検討は、活発に展開するようになっていた(14)。これと対照的に、同じく具体的な選挙問題に対して、中国における理論上の対応は、どちらかと言うと、むしろ、選挙の政治的・社会的機能から論じたり、あるいは政治的・社会的現実に対して安易な妥協をする傾向を端的に示しているといってよい。
 そこで筆者は、すでに行なった中国憲法における主権原理・代表制原理についての検討の結果を踏まえて、今後、中国における都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差問題、いわゆる不平等選挙問題をアプローチするための準備作業として、ここで、中国における選挙権論に対する検討を試みることにする。具体的にいえば、本稿の目的は、次のような四つのことである。
 第一は、従来欠如してきた中国における選挙権論についての学説史の整理および憲法史的分析を試みることである。日本における人民主権的選挙権権利説の研究方法から示唆を受けたこともあって(15)、これが必要だと痛感したのは、今日の中国における選挙権権利説における「権利」の構造の中に、それと相容れない旧憲法学説史的な要素が潜在しているかどうか、潜在しているとすれば、いかなるものがいかなる形で潜在しているかを明らかにしなければならないと認識したからである。
 第二は、日本における選挙権論をめぐる学説史的状況を整理した上で、これと比較しながら、中国における選挙権論の歴史的展開、とりわけ今日の選挙権権利説を再検討することである。その際、日本に蓄積されてきた選挙権論に関する優れた研究成果を吸収するとともに、同じ非西洋社会における、「選挙権論」をめぐる憲法学上の「共通の課題」に対する検討にも触れてみようと思う(16)。というのも、後に検討するように、日本の権利論や選挙権論、特に戦前のそれは、かつて当時の中国の場合に無視できない影響を与えたからである。
 第三は、「選挙権の法的性格」の構造における「権利」と「公務」(あるいは「義務」や「権限」)の対立を絶対視することなく、中国の今日の選挙権権利説における「権利」そのものの構造を入念に検討し、そのなかに「公務」、「義務」あるいは「権限」といったものが「権利」の要素と混在しているかどうかを考察することである。
 そして第四は、以上のことを踏まえて、中国における選挙権論に対する再検討のために、いくつかの具体的な意見を提言しておくことである。

(1) 辻村みよ子『「権利」としての選挙権』、勁草書房、一九八九年七月、九頁参照。
(2) この問題をめぐる議論について、Henry Shue, Basic Rights : Subsistence, Af■uence, and U. S. Foreign Policy (Princeton : Princeton University Press, 1980)、また中国では、張文顕「論人権的主体与主体的人権」、北京『中国法学』誌(以下『中国法学』と略称)、一九九一年第五期など参照。
(3) 辻村・前掲書、一七〇〜一七九頁、また金子勝「わが国における選挙権理論の系譜と現状」、『立正法学』一三巻三・四号(一九八〇年)参照。
(4) 辻村・前掲書の「はしがき」のほか、同書二〜四頁参照。
(5) 選挙制度を主題とするものとして、陳荷夫『選挙漫話』(北京・群衆出版社、一九八三年四月)、王崇明・袁瑞良『中華人民共和国選挙制度』(中国民主法制出版社、一九九〇年一〇月)、都淦編『人民代表大会選挙制度研究』(中国・四川人民出版社、一九九〇年三月)などを挙げることができる。そして人民代表大会制に関する研究成果について、王叔文・呉新平『我国的人民代表大会制度』(北京・群衆出版社、一九八八年)、艾其来他『論我国人民代表大会制度建設』(中国民主法制出版社、一九九〇年一月)、蔡定剣『中国人大制度』(北京・社会科学文献出版社、一九九二年八月)などが代表的なものだと思われる。
(6) 林田和博『選挙法』、文斐閣、一九五八年一月、三六〜四〇頁参照。
(7) 李林『立法機関比較研究』、北京・人民日報出版社、一九九一年一月、四一〜四五頁参照。
(8) 蕭蔚雲・魏定仁他編『憲法学概論(修訂本)』、北京大学出版社、一九八五年一〇月、二八七〜二八八頁。中国人民大学法律系国家法教研室編『中国憲法教程』、中国人民大学出版社、一九八八年六月、二九五〜二九六頁。魏定仁編『憲法学』、北京大学出版社、一九八九年七月、一七六〜一七七頁。許崇徳『中国憲法』、中国人民大学出版社、一九八九年四月、四〇四〜四〇五頁など参照。
(9) 李林・前掲書、四二頁。
(10) 杉原泰雄「参政権論についての覚書」、『法律時報』五二巻三号(一九八九年)。
(11) 王玉明「関於修改我国選挙法的理論探討」参照。『政法論壇』誌(中国政法大学学報)、一九九三年第三期。
(12) 王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』、第二章「人民代表大会制度の比較憲法的検討」(畑中和夫執筆担当部分)、法律文化社、一九九四年六月、五二頁。
(13) 辻村みよ子「選挙権の本質と選挙原則」参照、『一橋論叢』、第八六巻第二号。
(14) 杉原泰雄・前掲論文、辻村みよ子・前掲書のほか、山本浩三「選挙権の本質」、『公法研究』、四二号(一九八〇年)、吉田善明「政治的権利---選挙権の再検討---」、《Law School》、二一号、同『議会・選挙・天皇制の憲法論』に所収、日本評論社、一九九〇年五月、九七頁以下など参照。
(15) 杉原泰雄教授は選挙権理論における従来の通説的な見解に対する再検討を提唱されるにあたって、選挙権論に関する「学説史の整理、参政権にかんする憲法史的分析・・・が不可欠となる」と指摘されている。杉原泰雄・前掲論文参照。これにこたえる辻村みよ子氏の一連の研究成果は注目に値すると思われる。辻村・前掲書、六六〜一九七頁など参照。
(16) 山下健次教授は、中国の憲法現象を検討する場合、「単なる彼我の相違・異質論に終始することなく、現代中国の憲法現象の歴史的位置づけを明確にするとともに、共通の課題をもつ現代諸国家の憲法現象として検討の対象としなければならなるまい」と指摘されている。王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎]前掲書、山下健次執筆担当『序文』部分参照。選挙権論について、同じことがいえる。アメリカのJ・ネイサンは、一九世紀末から、政治的権利の考え方について、日本はかつて中国に強い影響を与えた、と論じている。Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, Columbia University Press. N. Y, 1986、 PP. 129〜130. 邦訳:斎藤恵彦・興梠一郎『中国の人権---その歴史と思想と現実と---』、有信堂、一九九〇年一二月、一七二〜一七三頁参照。版面あわせ

       二 日本における選挙権論
(一) 諸学説の内容---二つの選挙権論に関する学説整理を手掛かりとして---
 (1) 周知のように、林田和博教授はかつて日本における「戦後の選挙法研究の出発点(1)」ともいわれる著書である『選挙法』において、選挙権の法的性格に関する近・現代の学説を、((1))「個人的権利説」、((2))「公務説」、((3))「権限説」、そして((4))「二元説」に分類され、それぞれの内容を説明された(2)。ここで、今日の研究成果(3)も踏まえて、その内容を紹介しておく。
 個人的権利説は、「自然権説」とも言われるように、そもそもロック、モンテスキュー、ルソーなどの近世自然法学者によって唱えられたものである。彼らは、自然法の立場から国民主権を主張し、国民はすべて主権の行使に参加する権利を有し、その選挙権(投票権)は人間が生まれながらにして持つ自然権に属するものとする。特にルソーは、個人から構成される全市民が主権の行使に参加する当然の権利をもっているとして、そのことを「国家が一万人の市民からなっていると仮定しよう・・・国家の各構成員は・・・主権の一万分の一を分有しているのである(4)」とまで主張していた。こうした個人的権利説について、林田和博教授は次のように指摘される。「純粋に個人主義的な自然法学説のこのような選挙権の観念が民主政治の啓蒙的理論として歴史上重要な役割を果たしていることは明白であるが、しかし、これは自然法学説の担うべき一切の批難を甘受せねばならない(5)」、と。
 公務説は、選挙権を国家が国家目的のために与えるものとする国家主義的実証法学説のものである。この学説は、もともとフランスの一七九一年憲法および一七九五年憲法制定期において強調され、その後数十年間支配的であった。しかし、公務説の理論はドイツ国法学の国家法人説において「選挙人団」という機関概念とともに巧妙に構築されたことによって、より発展させられた。特に、P・ラーバントの学説において、その理論は頂点をきわめる。彼が、国家法人説の立場から、国民は選挙において国家機関として国家の行為を遂行するのであるとし、「『選挙権』は、主観的な、個人の利益に基礎づけられた権利ではなく、ただ憲法の反射であるにすぎない(6)」、と説いたのは、あまりにも有名である。
 権限説について、最も影響力をもったのは、G・イエリネックである。彼はP・ラーバントと同様に国家法人説の立場をとり、国民は選挙において国家機関となり、「選挙する権利」を持たず、個人がこのような権利をもっているかに見えるのは法の反射にすぎないと主張する。しかし、P・ラーバントとは異なって、「個人は国家の職務を行うことによって国家機関となり、そして機関としてはいかなる独立した権力ももたず、国家の権限を持つだけである(7)」とした上で、こうした「権限」に伴う個人的請求権を認める。
 以上のような「その内容の複雑性を示す、果しのない選挙権論争」の「結論」として、林田教授は次のような「二元説」を提示される。「選挙の目的は確かに国家のための国家機関即ち議会の創造である。しかし、それ故に選挙人は選挙人として国家の機関に止まるものでなく、議会の創造のための不可欠の人的手段である。従って、選挙権は国家の機関としての活動の許容(Zulassung der Ta¨tigkeit )に止まるものでなく、政治的に困難な闘争の下に獲得された、選挙人の国家意思の形成に参与する権利(Befugnisse)である。このように、選挙を国家のための公務(Funkion)として、また、選挙権を公法によって与えられた主観的権利(subjektive Berechtigung)として分離、区別するとき初めて問題の妥当な解決に到達し得る。」「要するに、一方、選挙権の公務的性質を否定し難いとしても、他方、選挙権は立憲制における国民の法意識の中では明かに国民の権利として存在する。それは憲法によって必ず保障される個人的公権であり、消極的な国民の自由権(基本権)を守るための積極的な権利(基本権)である(8)」、と。
 林田教授の以上のような整理は、ほとんど世界各国の憲法・国法学における選挙権論の状況を巨視的にとらえられたものではあるが、それまでの日本における学説状況も念頭に入れて取り扱われたに違いない。そして、今日まで提起される選挙権の法的性格に関する整理がほとんどこの林田教授の類型を前提としてなされること(9)、明治憲法時代以来、数多くの日本の学者がこの整理にみられたようなドイツの学説の強い影響を受けていたこと(10)、さらに、この整理における林田教授の「二元説」もその後の「二元説」の展開に大きな影響を与えたということなどから見て、林田教授のこのような「古典的整理」は、日本における選挙権論の歴史的展開を概観する手掛かりとして、無視できない意義をもっていると思われる。
 (2) こうした林田教授の「古典的整理」にしたがって、戦前の日本における選挙権の本質に関する諸学説をながめることにしよう。
 民本主義学説の代表的な学者である吉野作造教授が、「選挙権=即ち人民の参政権を本来人民に固有なる権利と観るの立場から出発しなければならない」と表明し(11)、これは当時において、いわば個人的権利(自然権)説に最も近い学説だといってよかろう。
 一方、選挙権公務説を明らかに主張したのは、穂積八束教授の学説である。彼は、天皇主権を日本の「国体ノ本領」とし、「選挙」は、「本来法律カ国民ニ命シテ行ハシムルノ公務タリ」、「兵役納税ト共ニ、国ニ奉スルノ公務タル」と説いた(12)。
 そして、戦前の宮沢俊義教授は、『衆議院議員選挙法』において次のように述べられている。「衆議院議員の選挙について云えば、選挙人団という一の合議機関が他の国家機関たる議員を選定する行為が選挙と呼ばれる。」「選挙人団、ただ選挙する権限のみを有つ機関である。」「選挙権は決して選挙する権利ではない。その権利の主体は、すべての国家的任命のそれのように、ただ国家のみであって、個人が個人としてさうした権利を有つように見えるのは、ただ法の反射作用にすぎぬ」、と(13)。
 これに対して、より典型的な権限説として理解されうるのは、森口繁治教授の学説であろう。森口教授は「選挙人団」という概念を援用されながら、「選挙が公務である以上、選挙権が権限であることは疑ふ余地を存しない」とか、選挙権は「選挙人が特に選挙との関係に於て有する個人的な権能」と説かれていた(14)。その際、教授は、選挙人名簿への登録請求権や投票委託権など、「選挙人たる地位に於て有する権能」を説明しうる点から見て、G・イエリネックのような権限説を妥当と表明された(15)。
 二元説的見解として、美濃部達吉博士の学説を挙げることができる。博士は『憲法撮要』で次のように述べられている。「選挙権ハ其ノ法律上ノ性質ニ於テハ議員ノ選挙ニ参加スル権利ニシテ且ツ義務ナリ。」「選挙ハ多数ノ選挙人ノ集合的行為ナルヲ以テ、各個ノ選挙人ガ選挙ヲ為スニ非ズシテ、選挙人ハ唯集合的行為トシテノ選挙ニ参加シ、其ノ一分子ヲ構成スルニ止マル。故ニ選挙権ヲ以テ選挙ヲ為ス権利ナリト為スハ正確ヲ失ス、選挙権ハ唯選挙ニ参加スル権利タルノミ。」と(16)。つまり、ここでいう権利の内容は、選挙する権利ではなくして、選挙という公務に参加しうる権利、即ち「参政権」であり、ただし、このような「参政権」は、「主トシテハ国家ノ利益ノ為ニ認メラルル」「機関権能」に他ならない(17)。従って、このような学説にも、同様に国家法人説に基づく権限説の影響を見受けることができる。
 上述したところからもわかるように、日本の戦前においては、右に見た諸学説のうち、国家法人説に基づく学説、とりわけG・イエリネックの権限説の影響を受けた学説が、支配的であった(18)。
 そして、明治憲法から日本国憲法への主権原理の転換にともなって、天皇主権に基づく公務説は勿論過去の学説となったのみならず、公務説に近い立場にたったような権限説も、憲法学説上の支配的な地位を失った。にもかかわらず、国民主権における「主権」の概念を「国家の最高機関意思」と解し、主権主体の問題を国家主権の基礎から切り離すことによって、従来の国家法人説的論法が維持されるとともに(19)、国家法人説を基礎とする選挙権理論も支配的な地位を占め続けてきており、そのなかで、ことに二元説は長い間通説となっていた(20)。
 林田和博教授によって提示されたような二元説は、とりもなおさず、それまでの選挙権理論のこのような歴史的展開の帰結であろう。
 また、戦後の二元説の代表的学者とされる清宮四郎教授は、次のように述べられていた。「選挙とは、選挙人団を構成する国民の多数人が、その協同行為によって、公務員を選定する行為である。」「選挙人として、選挙に参加することができる資格または地位を選挙権という。」「選挙人は、一面において、選挙を通じて、国政についての自己の意思を主張する機会を与えられると同時に、他面において、選挙人団という機関を構成して、公務員の選定という公務に参加する者であり、前者の意味では参政の権利をもち、後者の意味では公務執行の義務をもつから、選挙権には権利と義務との二重の性質が認められる」、と(21)。
 このほか、宮沢俊義教授や芦部信喜教授や野村敬造教授など、数多くの学者は二元説を主張されていたが(22)、いずれも選挙権が権利と公務(あるいは権限、義務)の二重の構造(あるいは性質、側面)をもっていると認めること、また、現行憲法における国民主権を意識しながらも国家法人説を脱却しえない点で共通しており、基本的にいわゆる「選挙権公務説と選挙権権利説の折衷説(23)」の観を呈している。
 そこでは、国家法人説から解放されて、国民主権の立場に基づいて徹底した選挙権理論を構築するということが、憲法学上の重要な課題の一つとして残されていた。
 (3) こうした課題を解決しようとする選挙権論の再検討は、早くも六〇年代末の星野安三郎教授による「先駆的な主権的権利説(24)」によって試みられたが(25)、七〇年代末以降、選挙権論議が活発に行われていくなかで、さらに一つの重要な動向となった。
 ここで、吉田善明教授によって提示された、当時の選挙権理論の学説状況についての新たな整理(26)を紹介して、これを手掛かりに、日本における七〇年代以降の選挙権理論の再検討に関する学説状況を概観してみよう。
 吉田善明教授はまず、日本の七〇年代における選挙権理論に関する学説の状況、とりわけ「日本国憲法の下では、選挙権の性格を公務とする見解はあまりみられず、選挙権を権利とする説が中心となっている」ということをみるとき、林田教授の類型の下で整理することがもはやできなくなるように思われると指摘した。その際、教授は、「問題はその権利説の内容の検討ということになろう」として、選挙権の法的性格をめぐる諸学説を、((1))個人的権利(自然権)説、((2))基本権説、((3))二元説、および((4))権限説という四つの類型に整理した(27)。
 吉田善明教授自身も認めているように、この新たな類型の整理は、林田教授の「古典的整理」をかなり踏襲したものである(28)。後者と異るのは、「公務説」を除去して、「基本権説」をもってそれを補填した点のみである。そしてまた教授自身も認めているように、この新たな類型を整理したのは、「選挙権の法的性格の検討を通して人民主権の立場から説く権利説ないし自然権説とは異なり、国家法人説的側面を強調した二元説とも異なることを確認して基本権説を引き出したことによる(29)」のである。
 それでは、吉田善明教授の整理にいう「基本権説」とは、何であろうか。吉田善明教授は、四説を整理するにあたって、上述した林田教授の学説すなわち林田教授自身がいうところの「二元説」を、「基本権説」の例として挙げたのみならず、さらに自らも「基本権説」を展開して、次のように述べている。「基本権説は、憲法によって保障された選挙権であり、『民主政治を基礎づける不可欠な基本的権利である』とする。つまり、英・米流にいえば、選挙権を Natural Right としてとらえるのではなく、Civil Right ないし Political Right と呼ぶ権利である」、と。
 そして、教授は、こうした「基本権説」は、「自然権説とは権利の性格を異にした政治的権利であるとして、権利性を重要視しながらも、行使の形態をみるとき、社会的職務としての性格(公共性ないし、この点で公務性と呼んでもよい)をもつ点が強調されているところに特徴がある」と言い、さらに「憲法の条項(たとえば四四条)などをみてもわかるように、選挙権を権利だとしても、他の人権とは異なる法律への留保事項が多く存し、選挙権行使の際のやむを得ない制約をともなう場合が多いからである」と指摘している(30)。
 また、このような「基本権説」に近い立場にたった見解として、奥平康弘教授の説を挙げることもできると思われる。奥平教授が長谷川正安教授および浦田一郎教授の選挙権権利説を「自然権説」と理解して批判したことを契機に、これらの学者の間で、選挙権の本質が「基本的人権」か否かをめぐる「選挙権論争」が行われた(31)。その中で、奥平教授は、選挙権(被選挙権)は「憲法上保障された権利であり、したがって法律によって左右されてはならない中核部分があるが、憲法により構成される選挙制度とつき合わされる運命にある権利であると思う」と述べ、「通説が『公務』と呼び『義務』ととらえた側面は、じつは、選挙制度(あるいは広く統治システム)とつき合わされる運命にある選挙権の特性(選挙権の内容)を規定する要素であるにすぎない」と説明している(32)。
 こうした「基本権説」は、もともと、選挙権の本質から「公務性」を除去できないから、二元説としてもとらえられる。しかし、権利一元説と対立する立場を強調しながらも、従来の通説としての二元説とも対峙する点で、この学説は、確かに一つの選挙権説の類型としてなりたつのであろう。特に、吉田教授の場合にみられるような基本権説は、その法実践的な意味からみて、権利一元説と二元説を含む国家法人説を基礎とする諸学説の折衷説、あるいはその中間の立場にたっている学説として位置づけられるのである。ただ、吉田教授の新たな整理が、七〇年代末から現われたひとつの有力な選挙権説を四つの類型から除外しているか、あるいは奥平教授の場合と同様に、自然権説として誤解しているかのようにみえる。それは、すなわち人民主権の立場から主張する選挙権権利説である。
 (4) 上でも触れたように、日本において、最初に選挙権を主権的権利とする見解は、星野安三郎教授によって提起されたのである。選挙権は、自由権や生存権など基本的人権ではなく、主権的権利である。フランス革命における「人及び市民の権利宣言」との関連でいえば、人権的権利は、人の権利であり、選挙権は、主権的権利として、市民の権利に該当する。選挙権について「参政権」の概念が使われているが、それは主権が国民の外にあった場合、主権の構成と運用に外から参加するという概念であり、放棄されるべきである(33)。星野教授によるこのような問題提起は、七〇年代末以降の選挙権論の再検討に対して、先駆的意義をもったのである。
 七〇年代末から八〇年代にかけて、人民主権的選挙権権利説はふたたび杉原泰雄教授を中心とする一部の学者によってより充実した形で唱えられ、やがて有力な選挙権説の一つとなるにいたった。
 杉原泰雄教授は、それまで日本において支配的な地位を占めてきた選挙権説(二元説)の根底に横たわっている国家法人説的思考の問題点を指摘された上で、フランス革命以来の憲法史上における「国民(ナシオン)主権」から「人民(プープル)主権」への歴史的展開の研究に基づいて、「人民主権」原理から選挙権の本質理解と実定憲法解釈論を根本的・総合的に再検討することを提唱された(34)。
 この志向にそった研究成果として、辻村みよ子教授の学説が注目に値すると思われる。辻村教授は、フランスにおける選挙権論の歴史的展開を具体的に検討した上で、日本国憲法のもとでの選挙権を、主権者人民を構成する全市民の、主権行使に参加する固有の権利と主張している。その学説によれば、個人的な権利行使としての選挙において、意思決定能力を有する具体的市民の総体、つまり普通選挙権者の総体は選挙人団を構成し、選挙を通じてみずから主権を行使するのであり、従って、権利の淵源と主体からいえば、選挙権は主権者としての地位にもとづく全市民の権利だというべきであり、その内容は、選挙人資格請求権・投票参加権・投票権・信任権などを含めて選挙の全過程に及ぶ権利と解することができる(35)。
 また、三輪隆教授や金子勝教授や深瀬忠一教授など、数多くの学者はこのような人民主権的権利説の立場にたっている(36)。
 (5) 以上のように、日本での選挙権論の歴史的展開の過程で、多種多様の異なった選挙権説が存在しているが、現在にわたって、それらの争点が徐々に収斂しつつある。深瀬忠一教授によれば、今日、重要な対立として注目すべきは、吉田説などのような新たな二元説と杉原・辻村権利説を中心とする権利(一元)説との相違である(37)。そのうち、後者の学説は、日本国憲法の解釈に導入された「人民主権」論を基礎において展開してきたものとして、注目に値すると考えられるであろう。
(二) 日本における選挙権論議の示唆的意味
 (1) 辻村教授のフランスにおける選挙権論の展開に対する考察によっても明らかにされたように、選挙権論の歴史的展開は、主権論、代表制論と密接に結びついて行われるのであり、様々な異なった選挙権説が往々にして、それぞれの時代における異なった主権原理と結合して登場するのである。フランスの場合においては、二つの主権論(「国民主権(ナシオン主権、nation 主権)」と「人民主権(プープル主権、peuple 主権)」)の対立を反映して、「選挙権公務説」と「選挙権権利説」といった二つの体系の選挙権論が存在したのであり、その中で、「選挙権公務説」と「国民主権」論、「選挙権権利説」と「人民主権」論との間に理論的な結合関係があったのである(38)。これに対して、日本の場合はより複雑な様相をみせているが、基本的には、次のような構図が見受けられる。つまり、明治憲法における天皇主権のもとで、「公務説」や「権限説」は有力であったが、日本国憲法における「国民主権」原理のもとで、公務説の展開形態であるというべき「二元説」は通説の地位を占めたのであり、そして今日、その「国民主権」原理を「人民主権」と解する立場から、権利(一元)説は提示されつつ、次第に有力な学説の一つとなったのである。
 勿論、学説史をとおしてみれば、日本における従来のすべての選挙権説は、必ずしも自覚的に主権原理を前提としているわけではないとも言うべきである。戦前の一部の「公務説」と「権限説」は、天皇主権というよりも、むしろドイツの国法学の影響を受けて国家法人説を基礎としたのである。戦後にわたって、この伝統を引き継いで、多くの二元説は依然として国家法人説を前提として、国民を国家の最高意思決定権限を有する国家機関という意味で「国民主権」を受け止めることによって、選挙権に公務性を認めたのである。
 しかしながら、日本においても選挙権論の展開は主権原理の転換とまったく無関係ではないと思われる。国家法人説を前提とする諸学説でさえ、多かれ少なかれ主権原理を反映したのであり、ただその理論的な結合関係は間接的で、あまりにも不明確なのである。そして、巨視的にみれば、以上のような日本における選挙権論の歴史的展開は、やはり、基本的に主権原理の歴史的展開と並行して行われてきたと思われる。 
 この意味で、我々は中国における選挙権論の展開過程を考察する場合においても、主権原理の歴史的展開に沿って行なうべきである。
 (2) 権利説と新たな二元説という二つの対立する選挙権説の代表的な論者は、いずれも次のような憲法学の課題を提示している。すなわち、今日、日本では、選挙権を権利とする説は中心となっているから、権利説の内容に対する検討は重要となってくる(39)ということである。すでに触れたように、中国でも、社会主義憲法成立以来、「選挙権権利説」は支配的な地位を占めてきたが、「法的常識・法的確信」のゆえに、その内容構造が具体的に検討されてこなかったのである。
 そして、上述したところからもわかるように、日本では、今日の選挙権の法的性格についての再検討のなかで、「権利」と「公務」は、選挙権の性質の内部構造において厳格に峻別され、二つの概念が対照的なものとして把握されているのである。しかし、中国の場合の権利説を具体的に検討するにあたっては、選挙権の内部構造の次元において「権利」と「公務」(あるいは「権限」、「義務」)との対立関係を把握するのではなく、むしろ、「権利」とされている選挙権における「権利」の概念の中に、「公務」(あるいは「権限」、「義務」)が潜在しているかどうかを考察すべきなのである。
 というのは、以下のような理由が挙げられるだろう。上で概観したように、日本では、それぞれの時期において、各々の学説は併存し、拮抗しつつ、時には論争を展開する、ということによって、選挙権の内部構造の次元において、「権利」と「公務」の対立関係は明らかにされたのである。特に長い間に維持されてきた「二元説」は、選挙権の法的性格に「権利」と「公務」との二重構造の存在を公然として認めるから、「権利」の内包に「公務」の概念を混入させることを必要としなかった。これに対して、中国では、本稿の第三章において概観するように、選挙権論の歴史的展開のなかで、それぞれの時期において、多様な学説の間での対決はみられず、選挙権に公務性を公然と認めるような典型的な二元説も支配的ではなかったのである。このことは、かえって、選挙権論で「権利」と「公務」(あるいは「権限」、「義務」)との峻別が曖昧にされがちであるという不幸な結果を招来した。そして、従来、中国の憲法学史において、人権論が欠落しつづけられてきたということ(40)を考えあわせると、今日の中国の選挙権論に、「権利」と「公務」(あるいは「権限」、「義務」)が混淆していることは予想されうるであろう。

(1)  吉田善明『議会・選挙・天皇制の憲法論』、日本評論社、一九九〇年五月、九九頁参照。
(2) 林田和博『選挙法』、文斐閣、一九五八年一月、三六〜四一頁参照。
(3) 杉原泰雄「参政権論についての覚書」、『法律時報』五二巻三号(一九八九年)のほか、山本浩三「選挙権の本質」、『公法研究』、四二号(一九八〇年)など参照。
(4) ルソー『社会契約論』、岩波文庫版、一九五四年一二月、八六頁。
(5) 林田和博・前掲書、三七頁。
(6) 山本浩三・前掲論文参照。
(7) 同上。
(8) 林田和博・前掲書、三九〜四〇頁。
版面あわせ(9) 吉田善明・前掲書、九九頁。
(10) 山本浩三・前掲論文のほか、深瀬忠一「選挙権と議員定数配分」、『ジュリスト(増刊)・憲法の争点(新版)』、有斐閣、一九八五年九月、一六二頁参照。
(11) 吉野作造「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」、『中央公論』、一九一六年一月号初出、岩波文庫版(岡義武編)「吉野作造評論集」所収、一九七五年、九二頁以下参照。
(12) 穂積八束『憲法提要』(上巻・下巻)、有斐閣書房、一九一五年五版、上巻:二二〇頁、下巻:四五三頁、四五六頁など参照。
(13) 宮沢俊義『衆議院議員選挙法』、日本評論社、「現代法学全集」第一五巻所収、一九二九年、一五三頁、一七五頁参照。
(14) 森口繁治『選挙制度論』、日本評論社、一九三一年、六七頁以下参照。
(15) 同上、七五頁。
(16) 美濃部達吉『憲法撮要』、有斐閣、一九三三年改訂第五版、三六八頁。
(17) 同上、一五九頁、三七〇頁以下参照。
(18) 例えば、深瀬忠一・前掲論文参照。
(19) 宮沢俊義『憲法の原理』、有斐閣、一九六七年、二八一〜二九五頁。
(20) 辻村みよ子『「権利」としての選挙権』、勁草書房、一九八九年七月、一七三頁参照。
(21) 清宮四郎『(全訂)憲法要論』、法文社、一九七五年四二版、一五一〜一五二頁。
(22) 宮沢俊義『憲法(改訂版)』、有斐閣、一九七六年改訂五版、一五六〜一五七頁。芦部信喜『憲法と議会政』、東京大学出版社、一九七一年、二七〇頁、二八一頁以下。野村敬造『選挙に関する憲法上の原則』、清宮四郎・佐藤功編集『憲法講座』所収、有斐閣、一九六四年、一三〇頁。
(23) 金子勝「わが国における選挙権理論の系譜と現状」、『立正法学』一三巻三・四号(一九八〇年)参照。
(24) 辻村みよ子・前掲書、六頁。
(25) 星野安三郎「選挙権の法的性格」、鈴木安蔵編『日本の憲法学』所収、評論社、一九六八年、一七七頁以下参照。
(26) 吉田善明・前掲書、九八〜一〇〇頁参照。
(27) 同上。
(28) 吉田善明教授は、「たしかに、この諸説も大きくわければ、林田教授が分類したように、個人的権利説、公務(権限)説、二元説としてわけることも可能となる」と認めている。前掲・同書、一〇一頁。
(29) 吉田善明・前掲書、一〇一頁参照。
(30) 同上。
(31) 辻村みよ子・前掲書、三頁、また三九〜四四頁。
(32) 奥平康弘「参政権---最近の学界の動向から---」、『ジュリスト』(総合特集・38)『選挙』、一九八五年。
(33) 星野安三郎・前掲論文、鈴木安蔵・前掲書、一七七頁以下参照。
(34) 杉原泰雄・前掲論文参照。
(35) 辻村みよ子・前掲書、一八〇〜一八四頁参照。
(36) 三輪隆「選挙権の法的性格をめぐる覚書」、『有倉還暦記念・現代憲法の基本問題』所収、一九七九年。金子勝・前掲論文。深瀬忠一・前掲論文参照。
(37) 深瀬忠一・前掲論文参照。
(38) 辻村みよ子・前掲書、一五五〜一六〇頁参照。
(39) 吉田善明・前掲書、九九〜一〇〇頁のほか、辻村みよ子「選挙権の本質と選挙原則」、『一橋論叢』誌、第八六巻第二号参照。
(40) 拙稿「中国における立憲主義の形成と展開---立憲君主制論から『党主立憲主義』まで---」、『立命館国際地域研究』、第三号、一九九二年七月。版面あわせ

       三 中国における選挙権論の史的展開
(一) 清末の「予備立憲」と梁啓超における選挙権の本質に関する学説
 (1) 二〇世紀初頭、列強の侵入によって民族危機がいっそう深まった中国では、立憲君主主義を志向する「予備立憲」がすすめられていた。その中で、当時の清王朝は、日本の明治憲法制定の先例にならって、各国の憲政を理解しかつ立憲理論を吸収するために、二回にわたって日本・ヨーロッパ諸国に大臣を派遣した。そして、一九〇八年八月、政府は、明治憲法を手本として作った「欽定憲法大綱」を公布し、さらに、開明地主および新興ブルジョアの強い要請を受けて、臨時的な国会にあたる「資政院」および地方議会に準じる「諮議局」を設立するために、選挙法規を制定し、中国ではじめての選挙をおこなった(1)。
 その選挙制度には、次のような三つの特徴がある。
 (イ) 極端な制限選挙。選挙権にはいろいろな制限が加えられた。例えば諮議局議員選挙では、選挙権は二五歳以上の男子で、((1))教育その他の公益事業に三年以上従事し、業績顕著なるもの、((2))中等学校卒業以上の学歴を有するか、各級の科挙合格者、((3))文官七品、武官五品以上の任官経験者、((4))県内で五〇〇〇元以上の資本を有する商工業経営者、また同額以上の不動産所有者といった中産階級以上のもの、という条件のいずれにあたるものに限られている(2)。したがって、有権者は極めて少数で、例えば当時の直隷地域では、その有権者対総人口の比率がわずか〇・六二パーセントに過ぎなかったという(3)。
 (ロ) 議員定数不均衡。諮議局の議員は各県を母体として選出されるが、その定数は人口の比例によって決められるのではなく、各地方の科挙の定員の五パーセントを基準にしたのだといわれる(4)。
 (ハ) 複選制の採用。全国の「資政院」の定数が二〇〇とされて、そのうち一〇〇名の議員は皇族、貴族、高官からなる勅選議員によって占められ、残りは民選議員で、各省の諮議局議員の互選によって選ばれる(5)。
 こうした選挙制度を確立した背景として、当時日本に派遣された諸大臣が日本の外見的立憲主義の考え方の影響を強く受けたことは、特に挙げられる。第一回に派遣された大臣載沢氏は、伊藤博文から明治憲法に関する釈明を聞いたとともに、臣民の権利について「それは乃ち法律に定められた政府の所与によるものなり、而るに人民の意のままの自由であらざる」と教示されたことがあるという(6)。そして第二回に派遣された清王朝の達寿氏は、一年近く日本に滞在し、天皇主権的選挙権公務説の代表論者である穂積八束などから指導を受けていた。帰朝報告において、彼は、立憲君主制論を唱え、国民に納税兵役の義務と参政権を付与して国家思想を養成させるからこそ、立憲制は国家を強化する推進力になると説いた(7)。
 (2) 一方、清王朝の「予備立憲」が進められるなかで、当時、開明地主および新興ブルジョアによる立憲運動も、立憲君主主義を下から促進しようとするものとして、活発に展開されていた。近代中国の著名な憲法学者・政治活動家である梁啓超は、すなわちこの立憲運動におけるもっとも有力な指導者のひとりであった(8)。
 梁啓超はもともと、「予備立憲」に先立った「戊戍変法」運動の指導者のひとりでもあったが、清王朝を上から立憲君主国家へと改編しようとしたこの変法運動が西太后による宮廷政変で失敗に終わってから、日本へ亡命の道をたどった。その日本亡命を契機に、彼は日本の学者の影響を受けて、当時の中国では最も精緻な立憲君主制論を構想した(9)。
 その立憲君主制論の理論的基礎には、国家有機体説と国家法人説がおかれている。「国家なるものは一の人格にして統治権の主体たるもの」であり、諸機関による意思と行為を有し、統治権を行使する有機的全体である(10)。そしてこの国家有機体では、「君主も、大統領も、国務大臣も、一切の行政・司法大小官僚も、国会も、選挙を行なう国民も、国家の機関」である(11)。このような学説の中には、その国家有機体説は一九世紀のスイスのK・ブルンチュリ(Johann Kaspar Bluntschli, 1808〜1881)の思想を吸収したものと見られるが(12)、その国家法人説の方は、むしろ戦前の美濃部達吉博士の影響を受け入れたと思われる(13)。それに、そのK・ブルンチュリの思想も、やはり、当時日本の学界を通じて吸収されたのであろう(14)。
 梁啓超は、このように国家法人説の下に選挙を行なう国民を「国家機関」と位置づけた上で、「選挙権とは、義務的性格を帯びた権利であって、放棄できないものである(15)」と論じていた。ここにでも、戦前の美濃部達吉博士による「旧二元説」の影響のあとが見受けられる。ただ、梁啓超は往々にして、西洋の立憲主義の理念を絶対視し、それを基準に当時の中国の国民的状況を見極めて、結局、「程度の幼稚な国民」という自らの極端な認識に悩まざるをえなくなったのである。理論と現実との矛盾を解決するために、梁啓超は当時の中国について、「はじめて立憲を行うときには、普通選挙を採用することは、絶対に不可能であるから、必然的に制限選挙を行うことになる(16)」と説いた。
 前述したように、戦前の美濃部博士は、参政権が「主トシテハ国家ノ利益ノ為ニ認メラルル(17)」と論じていた。このような見解を鵜呑みにしたかのように、政治論的には、梁啓超は、当時の中国と違って西洋の立憲国家では国民が権利(権限)を有しているために国家が強力になるとして、国民が参政権の行使を含めて権利を行使することは、かえって国家の利益になると考えていた(18)。これについて、ある研究者は、「彼の究極の関心は団結力のある強い国家の形成であり、(国民の)参政権がこの目的に貢献できると確信したのである(19)」と指摘している。
 また、梁啓超はK・ブルンチュリの国家有機体説を称賛するにあたって、ルソーの自然権説の基礎にある社会契約論を「陳腐の言」として、それに非難を加えた(20)。そこでは、梁啓超は、国家が有機的存在であるとして、国民の地位と権利を国家から由来するものと考えたのである(21)。
(二) 孫文の「五権憲法」における二元説的選挙権説の思想
 (1) 一九一一年、孫文らによる辛亥革命が勃発することによって、清王朝の「予備立憲」は破綻におわり、結局、立憲君主主義は中国では結実することはできなかった。
 周知のように、孫文は、民族主義・民権主義・民生主義といった三原理からなる「三民主義」を掲げて、「五権憲法論」を展開したのである。そのなかで、孫文は「国家の政治大権」を、国民の政治権力を具体化する「政権」と政府に属する「治権」とに分けて、前者には選挙権(franchise)のほか創制権(initiative)・複決権(referendum)・罷免権(recall)という「四つの権」が含まれるとし、後者の方については、従来の立法・行政・司法の三権分立だけでは不十分だとして、新たに考試権・監察権の二権を加えて五権分立制を構築すべきだと主張している。
 また、孫文は「全民政治」をうたって、中央では代表民主制を採用し「四つの権」を国民大会に属せしめるが、地方では地方自治を実行し、直接民主制をとって「四つの権」を国民に直接に行使させると構想した(22)。
 右から明らかなように、孫文における選挙権は、国民の主権的権利(権力)として位置づけられる。「主権在民」原理に立脚する(23)五権憲法論では、国民の選挙権は、とりもなおさず、国民のもつ「政治の権力」の具体的形態の一つとして把握されうる(24)。
 そして、孫文における選挙権は、創制権・複決権・罷免権と結び付いているのみならず、さらに、地方自治を実行する地方レベルにおいて、国民が単なる議員を選挙するだけではなく、行政官吏さえ選挙することができることを意味している(25)。
 (2) しかし、ここで指摘すべきなのは、孫文が主張するところの「主権在民」は、「人民主権(プープル主権)」への傾斜をうかがわせるとはいえ、本格的な「人民主権(プープル主権)」に到達するにいたらないことである。というのは、五権憲法論では代表民主制が統治機構の根幹にすえられているからだけではなく、孫文自身が一貫して主権が国民全体に属すると主張しているからである(26)。また、五権憲法論に対して、彼の「訓政論」(the theory of “tutelage")は、一種の指導的民主主義の傾向をもって、民権主義における「人民主権(プープル主権)」の要素を滅殺させてしまうこともあるからである(27)。
 これと関連して考える場合、孫文における選挙権を、主権的権利(権力)と把握しうるものの、到底、純粋な権利と理解するのが困難である。孫文は選挙権の本質について直接に論じたことがないが、かつて次のように述べて、一定の考え方を示している。「国民党の民権主義は、いわゆる『天賦人権』なるものと異なって、ただ中国革命の須要に適合するものを求めるのみ。蓋し民国の民権は、唯民国の国民のみこれを享有し、必ず軽々しくこの権を民国に反対する者に与えて、これにより民国を破壊せしめるべからず。詳しく言えば、即ち凡そ真に帝国主義に反対する個人及び団体は、すべて一切の自由及び権利を享有するが、凡そ国を売り民を騙し帝国主義及び軍閥に忠誠をつくす者は、団体であれ個人であれ、いずれもこれらの自由及び権利を享有することを得るべからず(28)」、と。
 孫文におけるこのような考え方の要点は、次のようになる。
 (イ) 自然権説をとるべきではない。
 (ロ) 選挙権を含めてすべての権利は、特定の国家政権(民国)、あるいはこの国家政権を創設するための革命(民国革命)のためにある。
 (ハ) 従って、選挙権を国民に賦与したり、あるいはそれを剥奪したりすることは、可能であり、かつ正当である。
 こうしたことから、多くの学者は、孫文における選挙権の本質に関する考え方を、権利と義務との二重の性質を認める「選挙権二元説」に近いものと理解している(29)。
 ちなみに、孫文の三民主義を正統的イデオロギーとする台湾では、「選挙権二元説」は、今日、依然として支配的見解の地位を占めつづけてきている(30)。
 (3) このように、辛亥革命が立憲君主主義の展開を遮断したこと、その後、長いあいだ、孫文の三民主義が強力なイデオロギーとなったことから、今世紀初頭の中国において、梁啓超らによって導入された国家法人説は、公式的な学説として定着しえなくなり、これに対して、選挙権を主権原理の理論から理解することは、一般的となったのである。
 しかしながら、権利について、戦前の日本における外見的立憲主義的な考え方が当時の中国に対して大きな影響を与えたことは、無視できない。J・ネイサンの実証的研究によれば、一九世紀末から、帰国留学生が大学の教壇を制圧し、また歴代の政府の立法委員会などを独占するようになり、そのなかで、言語的・地理的理由から、日本の影響がとくに強く、ドイツも同様に日本を通すかまた直接に大きな影響を与えた(31)。
 ある国民党の御用学者は、当時受け入れた権利に関する理論を次のように要約している。「憲法上の権利は自然権の理論を基礎とすべきではないということがまず認識されねばならない。いかなる実行可能な権利も法律によって作られたものであるということは議論の余地がない。法律がある権利を認めてはじめて、その権利は法律によって保障されるのである。したがって法律が権利をつくり、またそれを取り消すこともできるのである。法的権利の形式として、憲法上の権利もその例外ではない」、と。このような見解は、民国時代において、基本的に支配的であった(32)。
 そこで、戦前の日本で有力な選挙権説の理論的基礎としての国家法人説的思考も、同様に中国に対して影響を及ばした。もともと、当時、同じく日本に滞在している革命派の汪精衛は、国民主権論に近い立場に立って梁啓超の立憲君主論を批判していたが、同時に、君主専制を打破する有効な理論として梁啓超の「国家主体説」(国家法人説)を評価して、次のように述べていた。「民権を言う者に至りては、尤わけ国家主体説を研究せざるべからず。蓋し盧梭の輩の主張する所の如きは、則ち其の流極は将に民主専制に近し。必ず国家主権の理を知り、然る後民権を語るべし(33)」、と。
 このような考え方と呼応しているかのように、孫文の権利説は、多くの部分において、確かに、梁啓超の見解と共通している。このことは、すでに述べたところから見れば、明らかである。
(三) 社会主義時期の「選挙権=権利」説
 社会主義時期において、中国における選挙権の本質についての考え方は、極めて単純明快であり、かつ、大同小異の観を呈している。それはおもに次のようないくつかの観点にまとめられる。
 (1) 選挙権(被選挙権)は「国家の主人公」となった人民の「政治的権利」であり、あるいは公民の政治的権利である。
 早くも一九五七年当時、中央政法幹部学校国家法研究室によって編著された『中華人民共和国憲法講義』は、「選挙権および被選挙権」を「公民の政治的権利」として取り上げて、次のように説明している。「これは、公民が享有する民主的権利の一面であり、公民が国家の管理に広汎に参加するための最も基本的な権利である。この権利の実現は、すべての権力が人民に属することを具体的に体現するものである(34)」、と。
 選挙権および被選挙権の法的性格に関するこのような考え方は、今日にいたるまで基本的にそのまま維持されてきた。文化大革命が終結して本格的な法学教育が再開された直後、当時において『高等教育法学教材』として権威をもった、呉家麟教授らによって編著された『憲法学』は、「選挙権と被選挙権は、人民が国家の管理に参加するための最も基本的な政治的権利のひとつである(35)」と主張している。その後、北京大学の『憲法学概論』は同様に選挙権および被選挙権を「公民の政治的権利」として、これを「公民が国家の政治生活に参加するための民主的権利(36)」であると述べており、中国人民大学の『中国憲法』もそれを「公民の極めて厳粛な政治的権利であり、人民が国家の主人公となることの重要な体現である(37)」と論じている。
 後述するように、このような論旨は、選挙権(被選挙権)の主体が「人民」であるかそれとも「公民」であるかについて極めて不明瞭な点を残しているが、これらの論説に、いずれも選挙権(被選挙権)を人民(あるいは公民)の国家の政治生活に参加するための「政治的権利」とする見解が見だされる。
 ここで指摘すべきは、右のような学説は、選挙権を人民(あるいは公民)が国家の政治生活に参加する権利とし、これを「人民主権」(人民が国家の主人公となること)と結びつけているが、他方では、選挙権を『公民の基本的権利および義務』の枠組みのなかで「基本的権利」として位置づけている、ということである。従って、そこにいう「政治的権利」の概念は、「社会的権利」、「経済的権利」、「文化的権利」などの概念との類別・対比において意味をもつのである。また、一般的に、中国の憲法学者は、単なる選挙権と被選挙権だけではなく、憲法に定められている公民の「管理の権利」や言論、出版、集会、結社、行進および示威の自由などをも人民の「国家の主人公となる権利」として取り上げている(38)。
 (2) 選挙権が階級性を具有している。
 中国における支配的学説によれば、選挙権(被選挙権)は公民の「基本的権利」のひとつとして、他の基本的権利と同様に、階級性をもっている。選挙権(被選挙権)を含む公民の基本的権利の「階級性」を論証するにあたって、中国では次のような三つの論法がつねにとられている。
 (イ) 「国家による権利賦与」説を理論的基礎とする。
 これについては、香港での中国法研究者の代表的なひとりである張金金金教授は、次のように整理している。「中国大陸の法学界は、マルクス主義、毛沢東思想に従い、『権利』というものは、国家が憲法と法律に基づいて確認したところの、国民がある種の行為を実現する可能性である、と考えている。」「『権利』というものが国家の確認した可能性であるという意味は、国家が認めさえすれば、国民はなにごとも為すことができるということであり、即ち、この権利があるということが国家によって認められなければならず、国民が為すことができないということは、即ち、この権利が無いということにほかならない。」「彼らにとって、国家とは階級的独裁の道具であり、異なった階級に対して異なった権利を授けることしかできない、と考えている。『権利』が国家から授けられたものである以上、権利にも階級性があり、異なる階級は異なった権利をもち、階級を離れた『人権』と言うものは存在しないということになる(39)」。
 (ロ) 「憲法に規定された権利」説を理論的基礎とする。
 これについて、前出の北京大学の『憲法学概論』から代表的な例をみることができる。それによれば、「いわゆる公民の基本的権利とは、憲法に規定された、公民が享有する一部の必然的に不可欠な権益」であり、そして「いかなる国家においても、公民の基本的権利と義務は、いずれもその国の統治階級が当該階級の意思、利益および社会的要求に基づいて、憲法という形式を通じて確認を加えたもの」であって、当然に「その国家制度の階級的本質を反映している(40)」のである。
 (ハ) 「国家の本質」論を理論的基礎とする。
 「国家の本質」という概念は、中国の憲法学における基礎概念のひとつであり、「国家における社会の各階級の地位(41)」のことを指している。前出の呉家麟教授らによって編著された『憲法学』は、この概念装置を手掛かりにして、次のように「権利」の階級性を論じている。「一つの国の憲法は公民にいかなる権利を付与してそれを享有させ、また公民にいかなる義務を履行することを要求するかということは、立法上から公民の国家生活における地位を反映しており、従って国家の階級的本質を体現しているのである(42)」、と。
 以上に挙げている三つの論法によれば、一般的な「基本的権利」は階級性をもっているから、「政治的権利」としての「選挙権」(被選挙権)も当然にそうであると言わねばならない。
 明らかなように、これらの論法の間には、一部の内容が相互共通しているのである。そして実際には、同じ論者がそのうちのふたつ以上の論法をとる場合も少なくない。
 いずれにせよ、中国において、選挙権を含む「基本的権利」の階級性を主張する見解は、支配的地位を占め続けている。そして近年活発に展開されてきた人権論議のなかで、このような権利の「階級性」理論を問おうとする動きも確かに現れてきたが、それはなお一般的権利の性質論にとどまり、個別の権利、例えば選挙権などの階級性については、とうてい従来の学説に対して問題を提起するに至っていない状況にある(43)。
 (3) 選挙権は法律によって制限できるのである。
 一般的にいえば、中国の法学者は、「法律の階級性」理論に基づいて、政治的権利が制限できるものと認識しており、階級性をもつとされている選挙権についても、当然に同様な考え方を示している。たとえば、前出の『中国憲法』は、レーニンの「法律は即ち勝利を獲得して国家政権を掌握した階級の意思の表現である」という名言を挙げて、「従って、わが国憲法が人民に各種の民主的権利および自由を付与して享有させると同時に、法律によって極めて少数の敵対分子の政治的権利を制限することは、まったく必要である」と述べて、現行憲法三四条の但書に定められている、法律による選挙権の制限の趣旨を説明している(44)。
 そして、選挙権の主体に対する制限の形態として、王叔文教授の説によれば、「選挙権の剥奪」と「選挙権の停止」という二つの種類を挙げることができる。前者は現行憲法三四条の但書に規定されたところの、敵対分子に対して行われる選挙権の剥奪を指しているが、後者の方は、即ち、全国人民代表大会常務委員会が制定した「県レベル以下の人民代表大会の直接選挙に関する若干の規定」に定められた、精神障害者および拘留期間における重大刑事事件の被告人の選挙権を停止するという場合をさすのである(45)。そのうち、精神障害者の選挙権を停止する理由について、王叔文教授は、「精神病患者は選挙権および被選挙権を有していないのではなく、ただ行使できないだけだからである」と述べている(46)。
 たが、明らかなように、以上のような諸説によれば、法律に基づいてさえすれば、選挙権は憲法に規定されている「基本的権利」とはいえ、それを制限することができるのである。
 (4) いうまでもなく、上述した今日の中国における選挙権論が、直接的に初期ソビエト憲法の影響を受けいれたものと見られる。周知のように、初期ソビエト憲法は、主権の所在と選挙権の所在を密接不可分にしており、そして階級的観点の立場から搾取階級、寄生階級および旧支配階級に選挙権および被選挙権を与えていなかった(47)。一九三一年に中国共産党の革命根拠地で、ソビエトの一九二四年憲法をモデルとしてつくられた「中華ソビエト共和国憲法大綱」も、主権を政治的権利に帰結してそれを勤労大衆にあるとし、搾取階級および反革命分子が選挙権を有しないと定めていた(48)。この憲法大綱は、いわば「中国共産党政治理論の最初の結晶」として重要な意味をもっており(49)、社会主義時期における選挙権理論の原点もそこにさかのぼると思われる。
 他方では、このような選挙権論は、歴史的に、孫文の「国民主権」論に基づいた選挙権についての考え方とつながっている。具体的にいえば、これは少なくとも以下のような二つの点が特に重要である。(イ)上述したように、社会主義時期における選挙権の概念は、孫文による「選挙権」の概念とは多少異なったものの、主権原理と結びつけて「人民」(孫文の場合は『国民』)が国家の主人公としての権利と理解される点では、後者の場合と軌を一にしている。(ロ)選挙権の制限についても、今日の中国における選挙権論は孫文の選挙権についての考え方と共通するところが少なくない。
 勿論、もともと、孫文の選挙権説も初期のソビエト憲法から一定の影響を受けたように見られるが(50)、しかし、中国における選挙権論の展開には、単なる「横からの継受」だけではなく、「縦からの継承」、すなわち中国自身の歴史的基盤の上における理論上の継承という側面も存在していることが無視できないように思われる。
 この点に関して、J・ネイサンの指摘は、我々に大きな示唆を与えている。彼は右の「中華ソビエト共和国憲法大綱」における政治的権利について、そうした「政治的権利に対する階級差別の原則は、党の国家目的を支持しない国民に対しては政治的権利は認めるべきではないとする国民党の理論を精錬したものである(51)」と指摘している。
 さらにいえば、今日の社会主義中国における選挙権論は、単なる孫文の学説だけではなく、梁啓超のような立憲君主主義に基づく選挙権論さえ克服していないかもしれない。というのは、上述したように、孫文と梁啓超との間にも、一定の理論上の継承関係が存在しているからである。
 そこで、我々は、今日の中国における「選挙権=権利説」を検討するにあたって、さらにその「権利」の構造に立ち入って、そこにどのような旧学説の要素が受け継がれてきているか、またその「縦からの継承」によって、今日の中国の「選挙権=権利説」にどのような理論上の問題点がもたらされたかを具体的に解明しなければならないであろう。

(1) 拙稿「中国における立憲主義の形成と展開---立憲君主制論から『党主立憲主義まで---」『立命館国際地域研究』第三号、一九九二年七月参照。
(2) 羅志淵『近代中国法制演変研究』、台北・正中書局印行、一九七六年、一五〇〜一五一頁参照。
(3) 浜口允子「清末直隷における諮議局と県議会」、『中国近代史論集---菊池貴晴先生追悼論集』、汲古書院、一九八五年、一九四頁参照。
(4) 菊池貴晴『現代中国革命の起源---辛亥革命の史的意義---』(新訂版)、巖南堂書店、一九八一年、一八一頁参照。
版面あわせ(5) 同上。
(6) 張晋藩・曾憲義『中国憲法史略』、北京出版社、一九七九年、五一頁。
(7) 長井算巳「清末の立憲改革と革命派」、『歴史学研究』、二〇二号、岩波書店、一九五六年、参照。
(8) 菊池貴晴・前掲書、一七七以下参照。
(9) 梁啓超が日本亡命を境としてその前後の思想が変化したことについて、市古宙三『近代中国の政治と社会』、東京大学出版会、一九七一年、二六一頁参照。
(10) 梁啓超「中国国会制度私議」、『飲氷室文集』所収、台湾中華書局、中華民国五九年、巻二四、三頁。
(11) 梁啓超「憲政浅説」、前掲・『飲氷室文集』、巻二三、三五頁。
(12) 梁啓超「政治学大家伯倫知理之学説」(節録)、李華興ら編『梁啓超選集』所収、上海人民出版社、一九八四年、三九四頁以下参照。
(13) 楠瀬正明「清末における立憲構想---梁啓超を中心として---」、『史学研究』、広島史学研究会、一九七一年、参照。
(14) 梁啓超が読んだK・ブルンチュリの著書は、当時の早稲田大学で訳されたものだと推定されうる。梁啓超「政治学大家伯倫知理之学説」(節録)、前掲・『梁啓超選集』、四〇頁参照。
(15) 梁啓超「開明専制論」、『新民叢報』、一九〇六年、第七三期以下連載。邦訳:西順蔵ら『清末民国初政治評論集』、平凡社、一九七九年、二六五頁参照。
(16) 同上。
(17) 美濃部達吉『憲法撮要』、有斐閣、一九三三年改訂第五版、一五九頁、三七〇頁以下参照。
(18) Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, Columbia University Press, N. Y. 1986, P. 139. 邦訳:斎藤恵彦・興梠一郎『中国の人権---その歴史と思想と現実と---』、有信堂、一九九〇年一二月、一八五頁参照。
(19) Hao Chang, Liang Ch'i-Ch'ao and Intellectual Transition in China, 1890-1907, Cambridge : Harvard University Press, 1971. P. 201.
(20) 梁啓超・前掲「政治学大家伯倫知理之学説」(節録)。
(21) 前掲:Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, P. 128. 前掲邦訳、一七一頁参照。
(22) 孫文の五権憲法論について、宮沢俊義・田中二郎『立憲主義と三民主義・五権憲法の原理』、一九三七年、一〇六頁以下、また、小林直樹『憲法政策論』、日本評論社、一九九一年、二五〇〜二五四頁など参照。
(23) 孫文の「主権在民」についての見解は、孫文『三民主義』、金井寛三訳『三民主義』(3)、改造社、一九七七年、一三八〜一三九頁、一四五頁のほか、孫文「中華民国建設之基礎」、池田誠『孫文と中国革命』、法律文化社、一九八三年、四一〇〜四一一頁など参照。
(24) 柯進『国父主張的考試制度輿選挙制度研究』、台北・正中書局印行、民国七九年、九一頁参照。
(25) 孫文「五権憲法」、金井寛三・前掲訳『三民主義』(3)、二六七頁。
(26) 孫文「五権憲法」、金井寛三・前掲訳『三民主義』(3)、二六八頁。
(27) 孫文の「訓政論」と、孫文以後の国民政府による「訓政国家」の実践について、西村成雄『中国ナショナリズムと民主主義』、研文出版、一九九一年、九一頁以下参照。
(28) 孫文「中国国民党第一次全国代表大会宣言」、『孫中山選集』(下巻)、北京・人民出版社、一九五六年、五二六頁参照。
(29) 柯進・前掲書、九〇頁、九二頁など参照。
(30) 柯進・前掲書、八七頁〜九一頁参照。
(31) 前掲:Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan ,P. 129. 前掲邦訳、一七二頁参照。
(32) 前掲:Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, PP. 129〜130. 前掲邦訳、一七二〜一七三頁。また、W. Y. Tsao, The Constitutional Structure of Modern China, Carlton, Victoria : Melbourne University Press, 1947, P. 57.
(33) 楠瀬正明・前掲論文の注釈(27)参照。
(34) 中国・中央政法幹部学校国家法研究室編著『中華人民共和国憲法講義』、高橋勇治・浅井敦共訳、弘文堂、一九六六年、三一三頁。
(35) 呉家麟編著『憲法学』、北京・群衆出版社、一九八五年、三六七頁。
(36) 蕭蔚雲・魏定仁『憲法学概論』(修訂版)、北京大学出版社、一九八五年、二八七頁。
(37) 許崇徳『中国憲法』、北京・人民大学出版社、一九八九年、四〇四頁。
(38) 呉家麟・前掲書、三六四頁。蕭蔚雲・魏定仁・前掲書、二八〇頁。許崇徳・前掲書、四〇〇頁以下。王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』、法律文化社、一九九四年六月、七三〜七四頁。そのなか、前掲の蕭蔚雲・魏定仁『憲法学概論』では、選挙権を含む「公民の政治的権利」が「一つの極めて重要な基本的権利」とされていることに注目。
(39) 張金金金『中国法制之現状及改革』、香港・明報出版社、一九八八年、二〜三頁、邦訳:鈴木敬夫「現代アジアの法思想(九)・張金金金(Chang Shin):『中国大陸における人権概念』(1988),Hong Kong)」、『札幌学院法学』、第六巻第二号、一九九〇年三月、七九〜八〇頁、参照。
(40) 蕭蔚雲・魏定仁・前掲書、二六六頁、二八七頁。
(41) 呉家麟・前掲書、一一五頁。
(42) 呉家麟・前掲書、三五六頁。
(43) 鈴木敬夫・前掲邦訳のほか、同「人権の主体と主体の人権---張文顕教授の所説にふれて---」、『札幌学院法学』、第一〇巻第二号、一九九四年三月、また、畑中和夫監修「中国人権論(一)(二)完」『立命館法学』、第二二二号以下連載、参照。
(44) 許崇徳・前掲書、三九八〜三九九頁。
(45) 王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎:前掲書、三八〜四〇頁、七三〜七四頁(いずれも王叔文執筆担当部分)。
(46) 王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎:前掲書、七四頁、王叔文執筆担当部分。
(47) 星野安三郎「選挙権の法的性格」、鈴木安蔵編『日本の憲法学』所収、評論社、一九六八年、一八一〜一八三頁。また、トポルニン『ソビエト憲法論』(畑中和夫監訳)、法律文化社、一九八〇年、七〜八頁参照。
(48) 前掲:Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, P. 96. 前掲邦訳、一二九〜一三〇頁。
(49) 同上。
(50) 前掲:Human Rights in Contemporary China, by R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, P. 97. 前掲邦訳、一三〇頁。
(51) 同上。