立命館法学  一九九五年第二号(二四〇号)




自由権規約六条と死刑問題 (二・完)


徳川 信治






目    次




四 個人通報審査手続きにみる死刑問題
 自由権規約の第一選択議定書を批准した場合、その国家に属する個人は、委員会に対して、当該国家の規約違反を通報することができる。この手続きは、個人通報審査手続きと呼ばれ、委員会は通報を書面によって受け取り、審査する。委員会は、第一選択議定書を見てもわかるとおり、もちろん裁判機関ではない。したがって通報に対して委員会が出す見解は、判決のような法的拘束力を持つものではない。しかし、本章で検討するように、委員会は締約国が規約に違反しているかどうかを個別具体的に検討して判定を下しており、その見解は内容的には判決に近く、規約の条文の解釈を示す有力な手がかりとなる(1)。特に、委員会は、規約の文言の解釈にあたり、条約法条約三一条にいう「(条約の)趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味」に注意を払う作業を行っている(2)。また解釈の補助的手段として条約の準備作業を検討した上で、規約の解釈を行っている(3)。委員会は規約についてこのように詳細な解釈作業を展開しており、規約の具体的な規準を提示する有力な手続きであると認められる。
 1 死刑と裁判手続きの保障
 死刑の問題が初めて委員会において争われたのは、Mbenge 事件(No. 16/1977(4))である。
 通報者は、ザイール国籍の政治難民としてベルギーに居住していた。通報者は、もともと Shaba 州知事であったが、同地方の侵略に関与した嫌疑により、一九七七年八月に死刑が言い渡された。翌年三月には通報者は、政府転覆の罪で、再び死刑が言い渡された。さらに同月大統領に対する減刑要請も拒否された。
 ところで、通報者は一九七四年よりザイールを出国し、ベルギー政府から政治難民の認定を受けていた。したがってこれら一連の裁判及び死刑宣告の事実は、新聞を通じて知ったのであり、司法当局からの召喚も行われなかっただけでなく、自己あるいは弁護人による弁護も認められなかった。したがって、通報者は、規約一四条に掲げる適正手続きの要件を欠いているとして、六条一項、二項及び四項違反を通報した。
 他方、ザイール政府は、通報者が恩赦法の適用を受けることができること、したがってザイールに自由に帰国することができると主張した。また以前科せられた横領による有罪判決も、通報者に対して大統領恩赦が適用されていると主張した。
 こうした政府の反論に対して、通報者はこれを事実無根であると主張した。その根拠として没収された財産は未だ競売にかけられている上、横領による有罪判決は事実無根であり、政治的意見を理由として有罪とされたと主張した。また恩赦措置は通報者の弟にも適用されたが、実際には再逮捕を逃れるため、コンゴに避難しなければならなかったという点も挙げていた。
 このように本件は、裁判手続きのなかで通報者に弁護の機会が全く保障されていなかったこと、さらには政治的理由によって死刑が科されたことが、はたして六条に抵触しないのかどうかという問題として争われたのである。
 この問題に関して委員会は次のように述べた。
 「まず、委員会は、通報者の二度にわたる死刑判決の言い渡しが行われた際の訴訟手続きが、規約の下で保護される権利の違反を示すものかどうかを検討しなければならない。規約一四条三項によれば、すべての人は、訴訟に出頭しかつ直接あるいは法的援助を通じて防禦する権利を有する。この規定及び一四条に定める適正手続きに関するその他の要件は、被告人が欠席している理由のいかんに関わらず、いかなる場合にも欠席裁判を認めないものと解釈することはできない。実際欠席裁判手続きは、ある場合には適切な司法運営のために許容される。しかしながら一四条に掲げる権利の行使は、被告人に対し、事前にその者の訴訟手続きについて通知するため、必要な措置がとられるべきであることが前提である(5)。」
 このように述べて、委員会は、防禦のための十分な時間及び便宜の保障、自己の弁護人を通じて防禦する機会の保障のためにも、裁判手続きの形式的要件の厳格適用が必要であると判断した。しかしながらこの要件についても、被告人の住所が不明である場合など限界性があるはずである。委員会もこのことを認めながら次のように述べた。
 「しかしながら、本通報に関しては、この限界は特定される必要はない。・・・一九七七年判決には通報者のベルギーの住所が正しく記載されており、したがって司法当局に通報者の住所が知られていたにも関わらず、通報者への召喚状の送付における実際にとった手段について締約国は何ら示していない(6)。」
 こうして防禦の準備のための十分な保障が欠如していることを理由に一四条違反が認定された。その上で委員会は六条に関する審査に移った。
 「さらに通報者は六条違反も主張する。六条二項は死刑判決が『犯罪が行われていた時に効力を有しており、かつ、この規約の規定に抵触しない法律に』よってのみ科されることを定める。これにより、死刑が科される際に適用される実体法及び手続き法の双方が規約の規定に抵触しておらず、かつまた法律にしたがって科されることが要請される。この結果、締約国が一四条三項の関連要件を遵守しなかったことは、通報者に対して言い渡された死刑が規約の規定に抵触して科されており、したがって六条二項の違反であるという結論を導く(7)。」
 こうして委員会は本件を六条二項違反でもあると認定した。しかしながらこの違反認定は、六条二項そのものから導き出されてはいない。一四条で保障される刑事裁判の手続き的問題に委員会の審査の焦点があてられ、その違反性を認定した上で、その結果として六条二項の違反が認定されている。すなわち、死刑そのものが問題とされているのではなく、死刑に関わる手続き問題によって六条二項の違反性が認定されているのである。こうした委員会見解は、一般的意見の内容を具体的にしたものとなっている。すなわち、一般的意見では、死刑の科刑に関わり、規約の規定に抵触しないことを求める(8)。委員会の本件見解では、これをより厳格に適用し、死刑に関わる「実体法及び手続き法」の双方が規約の規定に抵触しないという要件を、六条二項の要件のなかに明確に組み込んだものといえる。こうした委員会の態度は、死刑が「全く例外的な措置」であることを強調し、死刑の科刑を厳格に限定しようとする現れであると読みとれよう。
 他方ザイール政府は、恩赦に関する問題を主張しており、これについても委員会は次のように述べる。
 「次に委員会は、死刑の宣告の後に締約国によってとられた措置が、特に委員会が注目を引いたのは特赦であるが、通報者に対する規約二条三項にしたがった権利侵害に対する実効的な救済を提供するものであったのかどうかを検討しなければならない。二つの判決の不利な要素は、・・・法により施行された特赦により消滅したとはいえない。通報者は期日満了日以前にザイールに帰国した場合のみこの特赦を享受できるとされる。しかしながら、この特赦令の利益を通報者が受けようとしないのは理解できる。というのも、通報者が死刑を言い渡された第二回目の裁判は、特赦が効力を発生するたった約三カ月前に生じたものであったためである。事実、通報者は、特赦措置にも関わらず、彼の兄は迫害をうけていることを示した。他方締約国は、大統領が特赦令の期日満了日以後でも帰国した市民に対しては新しい特赦を発令する用意があると主張する。しかしながらその特赦令の実効性に関する締約国の主張をもってしても、通報者が確信を持って依拠できる法的な保障措置を提供するものではない。さらに、特赦の利益を享受するために、なぜザイールに個人の帰国が必要とされなければならないのかという点について締約国が有効な理由を提示しなかったことも委員会は指摘する(9)。」
 こうしてザイール政府が準備すると約束した恩赦令も、その実効性が疑われ、本件の前述の違反に対する有効な救済措置とはみなされなかった。六条四項が要求する恩赦は、それを発令することによって達成されるのではなく、規約二条三項にいう、権利を侵害された者にとって「効果的な救済措置」でなければならないのである。
 これまでみたように、本件で問題とされたのは、事実上六条ではなく、刑事裁判手続きの保障を定める一四条の要件であった。すなわち、死刑を科すことそのものではなく、死刑判決にいたる法的手続きの保障を委員会は問題とした。死刑を科す際に締約国に要求される義務は、六条二項に述べる、規約の他の規定との「両立性」、ここでは一四条の保障、の要件を満たすことであった。
 ところで、本件事実で問題となると考えられる点の一つが、政治犯に対して死刑を科すことができるのかどうかという点である。すなわち、通報者は、政治的理由によって死刑が科せられたと主張している。この点に関して六条二項は、死刑を科せる犯罪を「最も重大な犯罪」のみに限定している。これら通報者の主張並びに事実と、この六条二項の規定との両立はどのように考えるべきなのであろうか。確かに、政治犯の犯罪行動は、その国の政治体制の変革をめざすものであり、国家体制の根幹をゆるがす行為であるという意味では「最も重大な犯罪」であるといえるかもしれない。しかしながらその「犯罪」は国家に対する行為であり、直接個人に対して影響を与えるものではない。したがって個人の生命に対する権利を直接侵害しない行為である。国家の「生命」に対する権利を侵害するのみである。はたしてこのことが「最も重大な犯罪」といえるのであろうか。
 委員会は、実質的に根拠のない嫌疑でかつ政治的理由による被害が生じているかどうかの判断に関し、証拠不十分として通報者の主張をしりぞけた。こうした判断は、死刑を科せる「最も重大な犯罪」に政治犯が該当することを前提としているように考えられる。しかしながら、委員会は、この見解を出した同じパラグラフで委員会の国内裁判所判決の再審査権限を否定することにより(10)、さらには本件が事実から明白に一四条の保障する手続き的権利の侵害であることにより、政治犯に対する死刑における刑罰の相当性という、より判断の困難な問題を回避したようにも考えられる。
 このように、たとえ死刑そのものの実体的内容の違法性を争うことは困難であるとしても、本件のようにその科刑における手続き法上の違法性を争うことは可能である。その際に援用されるのが、規約の他の規定との両立性を確保するという原則であった。この原則は、死刑の科刑に関わる原則であるが、六条に規定されていない原則の援用を可能にするものである(11)。
 こうした死刑とその裁判手続きに関する事件に関していえば、ジャマイカに関する通報が顕著である。ジャマイカは、その憲法一四節において、「何人も、有罪とされた刑事犯罪に関する場合を除き、その生命を恣意的(intentionally)に奪われない」と定める。しかしながらこの刑事犯罪のうち、謀殺及び反逆罪については、死刑が絶対的法定刑として科せられている(12)。したがって、死刑そのものについては、ジャマイカの法制度上終審であるイギリス枢密院で、これまで、「死刑の継続的有効性は、〔ジャマイカ〕憲法一四節1の規定によって明白である(13)」とされてきた。このこともあろうか、ジャマイカ市民による通報はそのほとんどが死刑判決にいたる刑事手続きの問題に限定した通報であった(14)。
 その代表的な事件を挙げるとすれば、まず Frank Robinson 事件(No. 223/1987(15))が考えられる。
 通報者は、ジャマイカ市民であり、謀殺罪で死刑を宣告された。これに関し、通報者の裁判は、当初弁護人が欠席したまま行われていた。その後通報者に弁護人が付せられたが、その弁護人は、通報者の弁護を拒否し、裁判官の命令にも従わず退廷し、訴訟手続きに参加しなかった。しかし裁判は、弁護人不在のまま継続し、その後通報者は、死刑を言い渡された。これについて通報者は、イギリス枢密院司法委員会(the Judicial Committee of the Privy Council)に訴えたが、ジャマイカ憲法に違反しないとして退けられた。
 こうした事実に基づき、通報者は、弁護人を受ける利益を享受することなく訴訟手続きが進行されたことが、弁護人の被告人弁護辞退によるものだけでなく、代わりの弁護人を選任するための裁判延期要請を裁判官が拒否したことにより生じたものであるとして、一四条三項d違反を主張した。また検事側証人に対する反対尋問や自分の証人の出廷させることができなかったとして一四条三項eの違反も併せて主張した。
 これに対してジャマイカ政府は、次のように反論した。
 「ジャマイカ憲法・・・は、『刑事犯罪の罪に問われた者は、直接又は自ら選択する弁護人によって弁護することが認められる』と定め、これは、規約一四条三項dに定める『直接に又は自ら選任する弁護人を通じて弁護する』個人の権利と同一の権利であると考えられ〔る〕。さらにイギリス枢密院は、前述の憲法規定が弁護人を受ける絶対的な権利を付与するものではないと判断している。すなわち、『いかなる状況においても、弁護人を望む者には必ず弁護人を付せられることを確保するため常に審理を延期する』ことが裁判官に義務づけられているという意味は存在しない(16)。」
 このように主張して、ジャマイカ憲法規定と同一内容を定める規約一四条の違反は存在しないとジャマイカ政府は反論した。これを受けて委員会は、本件見解を決定するにあたり、まず、枢密院がジャマイカ憲法にしか言及しておらず、規約についてなんら言及していないことに注目した(17)。そのうえで次のような認定を行った。
 「委員会の前に提起された問題の主要な論点は、被告が選任した弁護人が理由のいかんを問わず出廷を拒否した場合、締約国が、殺人事件において弁護人による実効的な陳述を提供する義務を負っているのかどうかというものである。一四条三項dがすべてのものに『司法の利益のため必要な場合には、弁護人を付せられ』ることを定めていることを委員会は想起した。また委員会は死刑に関わる事件の場合には弁、護、人、が、利、用、で、き、る、こ、と、が、原、則、であると考える。このことは、自らが選任する弁護人が利用できないことにつき、ある程度通報者自らに責任が帰す場合にも、さらには、弁護人の提供が訴訟手続きの延期を意味することになってもいえることである(18)。」(傍点筆者)
 こうして委員会は、たとえ訴訟手続きが長期にわたることになろうとも、死刑に関わる裁判では弁護人を利用できる保障を行うことが公平な裁判を保障するための原則であると判断した。
 ところで、委員会は、私選弁護人の選定につき「ある程度自らに責任が帰す場合」にも、弁護人を利用できることを保障すべきだとする。このことはなにを意味するのであろうか。特に、私選弁護人の付与に関する解釈が、枢密院と委員会では異なる点が注目されるところである。本件事実でいえば、通報者の帰すべき事由は、弁護人への報酬の支払い能力が欠けていたことと、訴訟手続きを放棄するような弁護人を自らが選任したことである。前者に関していえば、規約一四条三項dが関係する。この規定は、被告人が弁護人への報酬のための十分な支払い手段を有していなくとも、国家が弁護人を付けることを保障しなければならないことを定めている。そのため、前者の問題は、通報者の責任ではなく、国家の責任である。それでは、後者の問題はどうであろうか。確かに、十分な弁護を行える弁護人を選任しなかった責任は、通報者にあるといえる。しかしながら、その弁護人が裁判を放棄した段階で、直ちに「直接に」防禦することが通報者に要求されるのであろうか。この点を肯定的に判断し、かつ「直接に」防禦することが保障されていることをもって問題がないと判断したのが、イギリス枢密院であった。他方、これを否定的に判断し、通報者が新たな弁護人の選任を要求していることに着目したのが委員会である。死刑に関わる事件では、裁判手続きの保障が最大限要請されるべきであると委員会は判断したのであ(19)(20)る。
 こうした弁護人の提供に関する前述の見解に続いて、さらに委員会は次のように述べる。
 「通報者が弁護人を持つための審理延期要請は判事により拒否されたのに対し、検事側の証人出廷のために数度審理延期は許可されたことは、裁判所の前の公正及び平等の問題を生じさせる。当事者間の武器の不平等(inequality of arms)が存在したことにより、一四条一項違反が生じたというのが委員会の見解である(21)。」
したがって、委員会は、死刑に関わる事件においては弁護人が付せられるべきであると考え、一四条違反を認定した。
 以上のように一四条にいう適正手続きの保障を委員会は厳格に求めている。こうした手続き的要件で死刑に対する制限を課しているのである。こうした手続き的保障の厳格適用が六条と関わって検討されたのは(22)、Clifton Wrights 事件(No. 349/1989(23))である。ほぼ事実関係が Robinson 事件同じこの事件で注目されるのは、六条と一四条との関係に関する次にみる委員会の判断である。
 「規約の規定が尊重されていない裁判の結果下された死刑判決は、その死刑判決に対する控訴が利用できない場合には、規約六条違反を構成すると委員会は考える。委員会は、委員会の一般的意見六(一六)で引用したように、死刑判決を法律に従い、かつ規約の規定に抵触しない場合にのみ科すことができるとした規定は、規約において述べられている手続き規定、すなわち独立の裁判所による公正な審理を受ける権利、無罪の推定、防禦のための最小限の保障及び上級の裁判所による再審理を受ける権利を含む規定が、遵守されなければならないということを意味する。本件では、終審の死刑判決が一四条に定められた公平な審理要件に合致しないまま下された。そのため、規約六条によって保護される権利は侵害されたという結論を導かなければならない。
 よって委員会は、・・・一四条一項違反と、そ、の、結、果、か、ら、生、じ、る、六、条、違、反、を明らかにする(24)。」(傍点筆者)
 このように委員会は、一四条の違反が、その結果として六条違反を導くとしている。すなわち、六条二項の「規約の規定に抵触しない」という制限によって、六条二項本来の制限とともに一四条の制限をも引き出すことになり、「二重の保護(25)」を受けることになったのである。以上のような六条二項の制限は、死刑に関わる裁判手続きの完全な保障を求めることになる。
 こうした考え方は、一般的意見に合致するものではあるが、その一般的意見採択の後に選出された Wennergren 委員は、本件の場合のように手続き的に「不満足な」点が存在するとしても、それが六条一項にいう「恣意的」なものでない限り、六条違反であるとはいえないと主張する(26)。すなわち、彼は、死刑に関わる事件の委員会の解釈が、ヨーロッパ人権条約や米州人権条約にはない、「この規約の規定及びジェノサイド条約の規定に抵触しない」という規定を重視し過ぎ、手続き的保障の違反に関しても六条二項の違反認定に固執していると述べるのである。とすれば、委員会は、死刑に関していえば、六条二項にいう規約の他の規定との両立性の基準をことさら重視しているものといえよう。しかしながら、Wennergren 委員が主張するように、六条二項に定める両立性の基準が、死刑の科刑そのものに限定され、適用されるものなのであろうか。死刑を規律する「法」とは、死刑に関する限りいかなる法も含むと解釈され、実体法だけではなく手続き法も含まれるはずである。この点は、先の Mbenge 事件でも確認されている。確かに、一四条で違反が認定される以上、ことさら六条違反、特に六条二項を念頭においた違反、までも認定する必要があるのかという疑問もわかないではない。しかしながら、死刑を規律する六条二項の違反を認定することによって、死刑に関わる手続き的保障を締約国により一層認識させようとする委員会の態度の現れなのではないだろうか(27)。
 このように手続き的問題を、特に死刑に関して重視するという解釈方法は、別に委員会に限ったものではない。死刑という刑罰それ自体が、「冷厳な刑罰」ということもあろう。が、それよりもまして重要なことは、死刑という刑罰を一旦執行してしまうと、死刑囚の生命が永遠に断たれてしまうことにある。生命が断たれてしまえば、もしその者の無実が後で明らかとなるとも、その者に対するいかなる救済もありえない。したがってこうした誤判の可能性を完全に払拭するためにも、国内法においても長きにわたり完全な手続き的保障が承認されてきたのである。こうした国内裁判における実行を遵守して、委員会は裁判手続きの保障を定める一四条との両立性をことさら重視していると言えよう。
 また一四条の違反が六条違反を生起させるという委員会見解のなかでより重要なことは、むしろ死刑が科せられる際の手続き的保障が、デロゲーション(derogation、権利の停止)できないと考えられることである。すなわち、規約四条(28)は、公の緊急事態における権利の停止を定めるが、そうした公の緊急事態においても規約六条のデロゲーションは禁止される。他方、規約一四条のデロゲーションは、規約四条の文言上では認められている。したがって一四条は、場合によっては締約国に課せられないこともある。
 ところで、Wennergren 委員の六条解釈を採用すると、死刑の科刑に併う手続きへの制限は規約六条一項にいう「恣意的な」生命の剥奪かどうかという基準である。彼は一四条違反が直ちに「恣意的な」行為となるとは考えておらず、したがって一四条の要件よりも緩やかな手続き的要件しか六条は課していないことになる。こうした解釈を採用した場合、死刑に関わる裁判手続きの保障の義務に大きな差が生じる。すなわち、一四条違反が認定されてもその結果として六条違反が認定されるとは必らずしもいえないため、規約四条にいうデロゲーションできる状況下において死刑を科刑する場合、一四条に保障する手続きを完全に遵守する必要がないことを規約が認めていることになる。しかしながら、本件委員会解釈によれば、死刑の科刑に関しては、一四条の基準が最低限遵守すべき手続き的保障として援用されている。すなわち一四条の基準は、そのまま六条の基準を構成するのである。したがって六条の下で認められる死刑の科刑は、いかなる状況下においても一四条の遵守が求められる。これによって、死刑に関する手続きは、一四条がデロゲーションできないものとして援用されることにより、手続き的要件の厳格化が一層保障されることになろう(29)。
 さらに今一つ注目すべきなのは、見解が六条違反に対する締約国による救済措置にふれている部分である。
 「したがって委員会は、締約国は、通報者の釈、放、を、通、じ、て、、通報者が被った侵害に対する効果的な救済措置を講じ、かつ同様の侵害が将来生じないように確保する義務を負っているという見解である(30)。」(傍点筆者)
 この点で問題なのは、委員会がこの認定を行う前に、通報者の事件に関して「知事が恩赦権を行使して、本件を死刑から終身刑に減刑している(31)」事実を確認している点である。規約でいえば、六条四項の恩赦の利益を享受した事件であるとも考えられるが、委員会はそのようには認定しておらず、ただ単に事実としてみただけである。六条四項の恩赦を請求する権利は、適正手続きの下で死刑判決を受けた者が得る権利であり、本件のように手続き的に不備のある事件ではこの六条四項が適用される事件とはならないのかもしれない。つまり、委員会は、本件のように手続き的不備のある死刑判決を違法な生命の剥奪であるとし、その救済は規約二条三項による救済であると委員会は考えているのだろうか。
 さらに同じく謀殺罪で死刑を宣告されたが、Robinson 事件とは異なり、恩赦が付与されることなく、長期にわたる拘留を受けたことを問題とした Clifton Wright 事件(No. 349/1989(32))においても次のように委員会は述べる。
 「死刑にかかわる事件に関して、規約一四条の定める公平な審理のためのすべての保障を厳格に遵守するという締約国の義務は、例外が認められていない。通報者は、一四条違反及びその結果から生じる六条違反の被害者であり、規約二条三項aにしたがって、有罪を受けた後長期間経過しているので、本件では通報者の釈放を与えられるべき、効果的な救済を受ける権利を有する(33)。」
 委員会は、あまり具体的な救済措置を要請することはない。この救済内容は、国家の裁量に委ねられるものであると考えられてきたためである。しかしながら、本件の場合、通報者の生命に関わるものである。もし死刑が執行されれば、その後彼自身に対する彼の権利の救済はあり得ない。しかし、締約国の違反から生じた死刑判決に対する救済は、釈放なのであろうか。この釈放措置の以外に選択の余地はなかったのであろうか。これについて委員会の見解は明らかではない(34)。しかしながら、手続き的保障が遵守されない以上、無罪推定原則など人権尊重の観点から右のような措置となったものと思われる。
 いずれにしろ、一四条に関する手続き的保障は、次の記述をみてもわかるように、絶対的に保障されなければならないのである。
 「死刑に関わる事件においては、特に、裁判を確保できるような状況の下で弁護人がその依頼人の弁護の用意を行えるようにする法的援助を必要とするというのが委員会の見解である。これは、法的援助のための十分な報酬のための規定をも含む。・・・締約国に自国の法制度の見直しを要請する(35)。」
 委員会の先例は、死刑に関わる事件において、規約一四条の保障が絶対的に必要であり、かつ、そのための国内法制度の見直しまでも要請することを示唆する。それほど委員会は、死刑に対して厳しい態度でのぞんでいるのである(36)。
(1) 個人による通報制度に関して、田畑茂二郎『国際化時代の人権問題』岩波書店、一九八八年、二四三ー二六五頁。
(2) ウイーン条約法条約三一条は、次の通り。
 「1 条約は、文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い、誠実に解釈するものとする。
  2 条約の解釈上、文脈というときは、条約文(前文及び附属書を含む。)のほかに、次のものを含める。
   (a) 条約の締結に関連してすべての当事国の間でされた条約の関係合意
   (b) 条約の締結に関連して当事国の一又は二以上が作成した文書であってこれらの当事国以外の当事国が条約の関係文書として認めたもの
  3 文脈とともに、次のものを考慮する。
   (a) 条約の解釈又は適用につき当事国の間で後にされた合意
   (b) 条約の適用につき後に生じた合意であって、条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの
   (c) 当事国の間の関係において適用される国際法の関連規則
版面あわせ  4 用語は、当事国がこれに特別の意味を与えることを意図していたと認められる場合には、当該特別の意味を有する。」
(3) こうした解釈方法も、ウィーン条約法条約三二条に依拠した解釈方法である。ウィーン条約法条約三二条は、次の通り。
 「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため、解釈の補足的な手段、特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。
  (a) 前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合
  (b) 前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」
(4) A/38/40, p. 134 ; CCPR/C/OP/2, p. 76.
(5) Ibid., para. 14. 1.
(6) Ibid., para. 14. 2.
(7) Ibid., para. 17.
(8) CCPR/C/21/Add. 1, pp. 2-3.
(9) CCPR/C/OP/2, p. 76, para. 18 ; なお、ここでの「特赦」とは amnesty を指す。amnesty の公定訳は「大赦」であるが、本件では「特赦」をあてるのが適当と思われる。
(10) Ibid., para. 15.
(11) その例として McGoldrick は、差別を挙げる。McGoldrick, D., The Human Rights Committee, Clarendon, 1991, p. 346, para. 8. 25.
(12) Daly, D., “The Right to Life and Human Dignity : Caribbean Experiences", in Byre, A. D. and Byfield, B. Y., eds., International Human Rights Law in the Commonwealth Caribbean, M. Nijhoff, 1991, p. 143.
(13) Riley v. Attorney General for Jamaica, [1983] 1A. C. 719, at 726.
(14) というよりも、ジャマイカの事例はすべて謀殺罪に関わるものであり、この犯罪が、「最も重大な犯罪」といえるかどうかは、規約においても問題となるのだが、この点については争点となっていない。
(15) A/44/40, p. 241.
(16) Ibid., para. 4. 2.
(17) Ibid., para. 9.
(18) Ibid., para. 10. 3.
(19) 委員会自身も、この権利に関する通報者の濫用については、認めていない。例えば、Henry 事件(No. 230/1987)では、私選弁護人の指示に従って控訴手続き中出廷しなかった。この不出廷による裁判手続きが保障されていないという通報者の主張は受理不能と判断されている。したがって通報者の帰すべき責任の「ある程度」までが、裁判手続きの保障に際して考慮されるだけなのである。Henry v. Jamaica (No. 230/1987), A/47/40, p. 210.
(20) イギリス枢密院と委員会の機能の違いに言及したものに、Antoine, R. M. B., “The Judicial Committee of the Privy Council - An Inadequate Remedy for Death Row Prisoners", 41 I. C. L. Q. p. 179.
(21) A/44/40, p. 241, para. 10. 4.
(22) 後にみるように、Robinson は、恩赦を受けて終身刑となったために、死刑に関わる六条の違反が検討されなかった。
(23) A/47/40, p. 300.
(24) Ibid., para. 8. 7 ; この見解は、その後のジャマイカにおける同種の事例において何度も引用されている。cf. W. W. v. Jamaica(No.254/1987), A/46/40, p. 271, para. 8. 4.
(25) McGoldrick, op. cit., p. 345, para. 8. 25.
(26) No. 232/1987, A/45/40, Vol. II, pp. 75-76 ; No. 250/1987, A/45/40, Vol. II, pp. 94-95.
(27) Nowak は、Wennergren 委員の個別意見に対して根拠がないとする。Nowak, M., CCPR Commentary, Engel, 1993, p. 119, note 81.
(28) 規約四条は次のとおり。
 「1 国民の生存を脅かす公の緊急事態の場合においてその緊急事態の存在が公式に制限されている時は、この規約の締約国は、事態の緊急性が真に必要とする限度において、この規約に基づく義務に違反する措置をとることができる。ただし、その措置は、当該締約国が国際法に基づき負う他の義務に抵触してはならず、また、人種、皮膚の色、性、言語、宗教又は社会的出身のみを理由とする差別を含んではならない。
  2 1の規定は、第六条、第七条、第八条1及び2、第一一条、第一五条、第一六条並びに第一八条の規定に違反することを許すものではない。
  3 義務に違反する措置をとる権利を行使するこの規約の締約国は、違反した規定及び違反するに至った理由を国際連合事務総長を通じてこの規約の他の締約国に直ちに通知する。更に、違反が修了する日に、同事務総長を通じてその旨を通知する。」
(29) Schabas もまた同じ見解である。Schabas, op. cit., p. 110 ; デロケーション下での司法上の保障について、初川氏の指摘される自由権規約の不備は、これによって死刑の場合のみではあるが解決すると思われる。初川満『国際人権法概論』信山社、一九九四年、七〇ー七一頁。なお、Stavros は、デロケーション下ですら、一定の司法上の保障は慣習法上課せられるとする。Stavros, S., “The Right to a Fair Trial in Emergency Situations," 41 I. C. L. Q. pp. 343-365.
(30) A/44/40, p. 141, para. 12.
(31) Ibid., para. 8.
(32) A/47/40, p. 300.
(33) Ibid., para. 10.
(34) Nowak はこの釈放措置を肯定的に記述する。他方、Schabas はなぜ減刑ではなく釈放なのか理解できないとする。Nowak, CCPR A Commentary, p. 119, para. 28 ; Schabas, op. cit., p. 117.
(35) Carlton Reid 事件 (No. 250/1987), A/45/40, Vol. II, p. 85, para. 13.
(36) Antoine, R. M. B., “Intenrnational Law and the Rights to Legal Representation in Capital Offence Case - a Comparative Approach", Oxford Journal of Legal Studies, Vol. 12, p. 293.版面あわせ
 2 死刑と残虐な取扱い及び刑罰の禁止
 また、死刑は、そもそも「最後の野蛮」ともいわれるほどの刑である。しかしながら六条二項が死刑制度それ自体の存在を認めている以上、死刑そのものを残虐なものかどうかという規約の違反性に関わって問うことはできない。したがって前節では、死刑に関わる手続き的保障を検討し、この保障には両立性の基準から規約一四条が援用されることをみてきた。しかしながら、その手続き的保障が確保されれば、すべての死刑の執行が直ちに規約で認められるというものでもない。死刑の執行に至る条件やその執行方法が規約に抵触しないかどうかという点も又問題となる(1)。ここで問題となるのが、特に残虐な取扱い及び刑罰を禁じた規約七条との関係である。Earl Pratt and Ivan Morgan 事件(Nos. 210/1987 and 225/1987(2))では、死刑の執行に関する状況について七条違反が争われた。
 通報者は、ジャマイカ市民であり、謀殺罪の罪により逮捕された。訴訟手続きにおいて、無実を証明する証人がいるにも関わらず、その証人の出廷のないまま結審し、有罪、死刑が言い渡された。さらに、その死刑を言い渡した判決も書面の形式では三年九ヶ月も遅れた後に提出された。そのため書面審理であるイギリス枢密院への上訴が認められなかった。また死刑執行命令も二度にわたり出され、その後執行停止が行われたが、その停止命令も執行直前まで本人には知らされないという事実もあった。以上の事実に対して、通報者は、無罪を確定させるための機会(イギリス枢密院への上訴)を事実上否定されていると主張して、通報者は、六条、七条及び一四条違反を主張した。
 他方、ジャマイカ政府は、書面による判決文の送付が遅れたのは、他の事件の書類が混入したためであるとしてその過失を一定認めた。しかしながら、三年九ヶ月も判決の送付が遅れたのは、通報者がその請求をそれまで行っていなかったためであり、請求していれば裁判所が書面の判決の送付を行う義務が発生するとした。すなわち、具体的な権利を被告人が主張しなければならないという責任が、合理的な期間に裁判を受ける権利の侵害の訴えを考慮する際には重要であると主張した。通報者に一義的に責任があるとしたのである。
 こうした主張について、委員会はまず、七条及び一四条の違反について受理可能とした。特に、七条に関して次のように委員会は認定した。
 「委員会の前に二つの問題が存在する。まず第一に、司法手続きの長期にわたる遅延が、一四条のみならず、『残虐で、非人道的かつ品位を傷つける取扱い』を構成するかどうかという問題である。本件で生じた遅延が残虐かつ非人道的取扱いを構成しうる可能性については枢密院判決が言及している。原、則、と、し、て、、引、き、延、ば、さ、れ、た、司、法、手、続、き、は、、た、と、え、有、罪、判、決、を、受、け、た、囚、人、に、と、り、精、神、的、緊、張、を、引、き、起、こ、す、も、の、と、な、っ、た、と、し、て、も、、そ、れ、自、体、は、、残、虐、な、、非、人、道、的、若、し、く、は、品、位、を、傷、つ、け、る、取、扱、い、を、構、成、す、る、と、は、い、え、な、い、。しかしながら、他方で、この状況が死刑に関わる事件の場合には、個々の事件の状況を評価することが必要であろう。本件では、委員会は、通報者が司法手続きの引き延ばしによって七条の下での残虐な、非人道的若しくは品位を傷つける取扱いにさらされているという主張を十分立証しているとはいえない(3)。」(傍点筆者)
 こうして死刑に関する長期にわたる司法手続きそれ自体は、個々の事情を考慮することが必要であるとしながらも、七条違反を直ちに構成するものではないとされた。すなわち、判決が出された後、再審の請求などあらゆる救済手段を援用した場合など、裁判の遅延に際して国側に帰すべき事由がない限りは、規約の違反はないとしたのである。このことは、死刑囚としての地位が精神的苦痛を伴うものであったとしても、変わらないとしている。このように、「死刑の順番待ち現象」それ自体は、残虐な、あるいは非人道的な取扱いとはならないとされたのである。
 委員会は、さらに次のように第二の七条の違反性について検討している。
 「七条の下での第二の問題は、執行命令の通知と執行停止命令の通知に関わる。執行命令の通知は、必然的に当該個人に強烈な苦痛を与える。本件では、死刑執行命令が総督から・・・二度にわたり出された。最初の執行停止の決定が通報者に通知されたのが執行予定時間四五分前であったことについては争いがない。委員会は、執行停止命令が出された時間から死刑執行用独房から通報者が離れた時間との間に二〇時間もの遅延があることは、七条にいう残虐かつ非人道的取扱いを構成すると考える(4)。」
 現実に死刑の刑場に連行されるということは、「必然的に当該個人に強烈な苦痛」を与える。この苦痛は、前述の死刑囚監房のなかにいる時よりも、より一層死に直面しているため、比較にならないであろう。したがって執行直前まで、執行停止を知らされなかったことについて、委員会は、残虐かつ非人道的な取扱いであるとした。
 この事件で、委員会は、一般的意見で述べるように、死刑執行に関わって生じる「身体的・精神的苦痛が最も少ない方法で執行」されることを締約国に要求しているといえる。しかしながら、死刑はそれ自体が残虐な刑といわれ、その執行には、必然的に当該個人に対して身体的・精神的苦痛を伴う。その「最も少ない方法」とはどのような執行方法なのであろうか。現実には、規約は、この執行方法について明確に基準を定めているわけでもなく、また委員会もどの方法が最も適当なものであるかについて何も述べていない。この点は依然として国の裁量に委ねられているのである。
 以上のような七条違反の認定を行った上で、委員会は、次のような指摘を行った。
 「死刑問題に関して、規約一四条に掲げられたすべての保障を厳格に遵守することが締約国の必須の義務であるというのが委員会の見解である。本件に関して六条は直接問題とはなってはいないが、すなわち死刑はそれ自体が規約の下で違法であるわけではないが、規約の下で課せられたいかなる義務についてもそれに締約国が違反した場合には科せられてはならない。委員会は一四条三項c及び七条の違反による被害者が救済を受ける権利を有するという見解である。あ、る、特、定、状、況、の、下、で、の、必、須、条、件、は、、減、刑、である(5)。」(傍点筆者)
 このように委員会は、六条に関する違反を直接検討しているわけではない。しかしながら規約の他の規定の違反の下で科せられた死刑は、執行されず、少なくとも減刑させられるべきであることを示唆している。他方前述の Wright 事件は、救済措置を「釈放」とした。この相違は何であろうか。Wright 事件は「有罪判決の後長期に」わたる拘留の存在が釈放になったような記述もある(6)。この相違点は、そこに求められるべきものなのであろうか。
 これまで死刑に関わる事件において七条や一〇条の違反の認定しか得られない事件では、救済措置は釈放とはなっていない(7)。本件事実によれば、判決文の送付の遅延が規約一四条違反を構成した。確かに、本件は上訴が「不当に遅延なく」保障されてはいなかったが、実際には四年後には枢密院に上訴することができ、そこで訴えが退けられている。このように上訴それ自体は本件では保障されていた。したがって本件の主要な問題は、七条違反の問題であるといえる。こうした一四条違反の問題が主要な論点とはなっていない事件では、救済措置は「釈放」ではない。さらに、一四条違反が認定されていない場合には、死刑に関わる事件であっても、六条違反は認定されていない。このことから、六条違反が救済措置を「釈放」にさせるメルクマールであるように思われる。救済措置に対する相違に見られるように、それだけ六条違反の重大性がそこに内在されているだけでなく、それだけ死刑に関わる裁判手続きの保障の厳格遵守を、規約六条二項の「両立性」基準のなかで委員会は締約国に求めているといえよう(8)。
 ところで効果的な救済の問題に関して通報者は、次のような国連経済社会理事会決議一九八四/四〇「死刑囚の権利保護のための保護基準」を引用している(9)。
 「5 死刑は、公正な裁判を保証するためのすべての可能な保護措置を与える法手続きの後に権限のある裁判所によって言い渡すことができる。この措置は、死刑を科することのできる犯罪によって嫌疑を受け又は訴追された者が訴訟手続きのすべての段階で適切な法的保護を受ける権利を含めて、少なくとも自由権規約一四条に含まれるものと同様のものとする。」
 この基準がどのように規約のなかで生かされているのかは委員会見解から明らかになるものではない。しかしながらこの委員会見解をよく検討するとこの保護基準で示された基準で規約が解釈されていることが理解できる。ただこのことだけで委員会が理事会決議を規約の基準の解釈のなかに援用していると判断することは早計であろう。しかしながら、この基準を策定したのは、規約の起草を行い、毎年委員会が報告書を提出している経済社会理事会である。この事実を委員会も無視できないであろう。
版面あわせ(1) 当然、ここでは、量刑の均衡の問題ももう一つの争点として挙げられるが、この点について正面から争い、かつ委員会がそれを取り上げた事例は今のところない。これは後に述べるように明白性が必要であると考えられるためである。
(2) A/44/40, p. 222.
(3) Ibid., para. 13. 6 ; Barret and Sutcliffe 事件 (Nos. 270/1988 and 271/1988), A/47/40, p. 246, para. 8. 4 ; Reid 事件 (No. 250/1987), A/45/40, Vol. II, p. 85, para. 11. 6 ; Reid 事件で委員会は、死刑そのものが七条違反を構成するという主張に対して、「十分立証されていない」(insufficiently substantiated)主張であると認定する。
(4) A/44/40, p. 222, para. 13. 7.
(5) Ibid., para. 15.
(6) A/47/40, p. 300, para. 10.
(7) 例えば、Willard Collins 事件(No. 240/1987)では、「適当な救済」であるし (A/47/40, p. 219, para. 10)、Barret and Sutcliffe 事件では、「適当な補償の支払い」である (A/47/40, p. 246, para. 10. 1)。
(8) はたして六条遵反ではない場合の死刑に関わる救済が、「金銭賠償」であると認定することによって、「効果的な措置」が保障されているといえるのかどうか問題なしとはいえない。
(9) Ibid., para. 7. 3 ; 邦訳、北村泰三「死刑問題に関する国際文書」熊本法学六一号六六ー六七頁。
 3 死刑と犯罪人引渡し
 これまで死刑に関わる様々な問題を規約六条や規約の他の規定との関係を含めて検討してきた。特に、死刑に関わる問題では、死刑そのものよりも、その手続き的保障や執行方法などによる制限によって、委員会は、死刑の執行をできるだけ防止しようと努めてきた。ところで、近年の国際的な人口の移動に伴い、犯罪人の国外逃亡も増加してきている。国連は、犯罪人引渡しに関するモデル条約を一九九〇年に採択して、犯罪人の引渡しに関する国際ルールを作成し、これによってこの問題の国際協力を促進しようとしてきた(1)。そのモデル条約四条は、次のような規定を有している。
 「犯罪人引渡しは、次のいずれかの事情のある場合には、拒否することができる。
 d 引渡しが求められている犯罪が、請求国の法律により死刑を伴う場合。ただし、被請求国が死刑は科されない又は科されたとしても執行されないことを十分と考える保証を請求国が与える場合はこの限りではない。」
 この規定から考えると、請求国が死刑存置国の場合、被請求国は死刑を科刑しないことを求めることができる。しかしながら、あくまでも「できる」のであり、死刑の科刑からの保護を確保「しなければならない」とはされてはいない。他方、そのモデル条約三条は、次のような規定を有している。
 「犯罪人引渡しは、次のいずれかに該当する場合には、行ってはならない。
 f 引渡しを求められている者が、請求国において、拷問又は残虐な、非人道的な若しくは品位を傷つける取扱い若しくは刑罰を受けた場合、若しくは受ける場合、あるいはその者が自由権規約一四条に定める刑事手続きの最低限度の保障を受けなかった場合、若しくは受けない場合。」
 この条文から判断すれば、引渡し国は、自らが当該個人に対して直接規約違反を侵さなくとも、引渡し請求国内で請求国による規約違反の可能性が存在し、かつそれを引渡し国が知っていた場合には、当該個人を引渡してはならない義務が課せられることになる。他方、規約は、直接引渡しに関する手続き規定をもっていない。しかしながら、規約二条により、規約の権利を「その領域内にあり、かつ、その管轄下にあるすべての個人」に尊重し確保することが締約国に義務づけられている。はたして直接締約国が権利を侵害しなくとも、引渡しにより生起する事実(請求国による規約の権利侵害)に対しては、被請求国である締約国が責任を負い、かつモデル条約のように不引渡しが義務づけられるのであろうか。特に、本稿に関わって、死刑存置国から請求された死刑に相当する犯罪を犯した犯罪人の引渡しを、死刑廃止国は規約の義務との関係で抵触しないとして行うことができるのかどうかという点で問題となる。
 死刑と犯罪人引渡しとの関係が初めて争われたのは、V. M. R. B. 事件(No. 236/1987(2))である。なお、この問題に関する被告国はすべてカナダである。
 エルサルバドル人である通報者は、ビザを取得することなくアメリカからカナダに入国した。そのためカナダ当局により逮捕拘禁された。他方通報者は、移民法に基づく難民申請を行った。しかしながら手続きの結果、通報者は国外退去処分となった。この国外退去処分が通報者の生命に危険を及ぼすエルサルバドルへの追放を意味するとして六条違反が通報された(3)。
 これに対してカナダ政府は、本件の訴えが規約の規定に関する事項を扱かったものではないため、事項的に不両立の事件であるとして受理不能を主張した。本稿との関連した主張は、次のようなものであった。
 「通報者の主張していることは、カナダが通報者を生命の危険が及ぶエルサルバドルや、第三国であってもその後エルサルバドルに追放する恐れのある国家に追放するかもしれないということである。したがって通報者が実際に主張していることは、カナダでの居住許可が交付されなければ規約六条に違反するというものである。これに関してカナダ政府は、規約においては庇護権を定めておらず、したがって規約六条の違反が庇護の拒否から生じるものともいえないという見解である。したがって本通報のこの問題は、事項的に受理不能であると宣言されるべきである。さらにつけ加えれば、通報者の主張するような危険性は根拠がない。というのもカナダ政府は、エルサルバドルに通報者を帰国させないこと、ならびに安全な第三国を選択する機会を通報者に付与していることを数度にわたり正式に述べているからである(4)。」
 これに対して、通報者は、再度六条違反について次のように述べた。
 「国外退去命令が、客観的に自らの生命の危険を生じさせることを再度主張する。さらにこれに関するヨーロッパ人権委員会の先例(5)に言及する。そのうえ、本通報は、庇護権を援用するものではな、い、。庇護権の要請と、個人が主張する規約違反から救済するために講じる一定の措置より生じる庇護とは区別されなければならない。問題にしているのは、国外退去命令ではなく、規約によって保護される特定の権利の侵害である(6)。」
 このようにカナダ政府の主張に反論したが、エルサルバドルに帰国させられることによって生命の危険が及ぶ理由は詳細には示されなかった。
 こうした両当事者の主張を審査した委員会は、次のように述べた。
 「委員会は、第一選択議定書二条〔規約の権利侵害に対する個人の申し立て〕及び三条〔受理できない申し立て〕の条件に合致しているかどうかを検討した。委員会は、庇護権が規約によって保護される権利ではないという見解である。規約六条の生命に対する権利・・・が侵害されていると通報者は主張する。これに関して、委員会は、通報者がこの訴えをなんら立証していないと認定する。規約六条に関して、通報者は、エルサルバドルに追放されるということを仮定した上で生命の危険性を主張しているに過ぎない。委員会は将来起こりうるかもしれないと仮定した規約の権利違反を検討することはできない。さらに、カナダ政府は、通報者をエルサルバドルに追放しないこと、安全な第三国を選択する機会を付与したことを数度にわたり正式に表明している(7)。」
 こうして委員会は、カナダ政府それ自体の行為には規約違反がないとしたのである。本件ではカナダ政府がエルサルバドルへ追放しないことを公式に約束している以上、エルサルバドルへの追放の危険性は庇護権を定めていない規約では問題となりえないであろう。さらに、この将来起こりうるかもしれない現象について、それを何らかの規約の規定と抵触するものであると証明することは困難であるかもしれない。特に、出入国管理に関わる問題、犯罪人引渡しの問題は、その後の通報者のおかれた状況、例えば刑などの適用が、直接追放国の行為ではないため、その予測は内政干渉との問題ともからみ問題となる。この点を争ったのが、次にみる Kindler 事件(No. 470/1991(8))である。
 通報者は、一九八三年にアメリカ・ペンシルバニア州で第一級殺人及び誘拐の罪で起訴され、死刑が求刑された。しかし判決言い渡し前である一九八四年に、通報者はカナダに逃亡した。その後通報者はモントリオールで逮捕された。そこでアメリカはカナダに対し通報者の引渡しを請求した。引渡しに関して、両国間には米加犯罪人引渡し条約が締結されており、その六条は次のような規定であった。
 「請求の理由とされる犯罪が請求国の法律により死刑に当たる場合において、被請求国の法律ではその罪につき死刑を規定していないときは、死刑が科せられず、又は死刑が科せられたとしても執行されないことを被請求国によって十分と認められるだけの保証を請求国がするのでない限り引渡しは拒絶される。」
 ところでカナダは、一九七六年に軍事的犯罪を除き死刑を廃止しており、したがってこの条文の条件を満たしていた。さらに死刑を科さないことを確保する権限は、カナダ犯罪人引渡し法二五節により司法大臣の裁量とされていた。しかしカナダの司法大臣は、本件ではアメリカに対して死刑を科さない保証を求めなかったので、その再審査を求めてカナダ国内裁判所に通報者は提訴したが認められなかった。これにより、通報者は引渡された。
 そこで通報者は、六条、七条、九条、一〇条、一四条ならびに二六条違反を主張した。その根拠として次の事由を挙げていた。死刑それ自体が残虐で非人道的な取扱いあるいは刑罰を構成すること。また「死刑の順番待ち現象(death row phenomenon)」の条件は、残虐で非人道的かつ名誉を傷つけるものであること。さらにペンシルバニア州における司法手続きは、特に死刑に関する限り、裁判の基本的条件を備えていないこと。これに関して、通報者は、一般的にアメリカの死刑を科す際には人種的偏見が存在することを主張した。しかしながら通報者は白人であり、それにも関わらず、自らに対して実際にどのような影響が及ぶのかについてなんら述べなかった。
 これに対してカナダ政府は、通報者が不法入国であるために規約上の権利を享受せず、本件の規約との整合性を検討する必要はないと主張した上で(9)、人的、事項的かつ領域的管轄権のどれにも本件が該当しないと主張した。
 まず事項的管轄権に関して次のように主張した。
 「本通報は、規約の規定と両立しな〔い〕。というのも規約は引渡されない権利を定めていないためである。これに関して M. A. 事件(No. 117/1981(10))で委員会は、『ある国家が他国家に対してある者の引渡し請求を行うことが違法とされる規約の規定は存在しない(11)。』として受理不能の決定を行っている(12)。」
 このように述べて、引渡しにかかる本件の問題は受理不能とされるべきであるとした。また人的管轄権についても、引渡し後のアメリカでの取扱いの問題に対する主張には次のようなものがある。
 「通報者の主張は、実際に生じないかもしれない、あるいはアメリカ法及び当局の行為に関わる将来起こり得るかもしれない事項を推定することによって導き出されたものである。これに関して Leo Hertzberg et al. 事件(No. 61/1979(13))で委員会は『委員会は通報者が実、際、に、権、利、侵、害、が、生、じ、た、か、ど、う、か、を検討する権限を賦与されているだけである。国内法が規約に抵触するかどうかに関して抽象的に検討することはできない。』として受理不能の決定を行っている(14)。」(傍点筆者)
 こうしてカナダ政府は権利侵害の主張そのものが実体のないものであり、したがって通報者が規約違反の被害者であるとはみなされないと主張した。
 また領域的管轄権の主張についても次のように述べる。
 「通報者の主張は、カナダ以外の国家の刑法及び司法制度に関連するものである。これに関して H. v. d. P. 事件(No. 217/1986(15))で委員会は『規約の締約国の管轄権内で生じた主張に関してのみ通報を受理し審査することができる』としている。規約は管轄権外で生じた事項に対して国家に責任を課してはいない(16)。」
 このように管轄権について争った。最後にカナダは次のように述べる。
 「通報者は、アメリカで直面するであろう取扱いが規約の権利を侵害するという主張を立証していない。これに関して、死刑を科すことそ、れ、自、体、は、、規約の下で違法とはされていない。死刑の言い渡しとその執行との間が長期に渡ることに関しても、有罪を受けた囚人がすべての控訴手続きを追求する間に生じる拘留期間がどのように規約違反を構成すると判断されるのか理解に苦しむ(17)。」
 こうして死刑の順番待ちの期間それ自体も、控訴という通報者自らの選択によって引き延ばされたものであり、そこになんらかの国家の干渉があったわけではなく、したがって規約違反を構成しないと述べたのである。
 これを受けて委員会は次のように受理可能性について検討した。
 まず、「規約六条が、締約国に対して、その管轄権内で死刑の言い渡すことにつき、制限的な権限しか付与していない(18)」という点に委員会は注目した。すなわち、「自国管轄権内」での「締約国自身」の行為が規約六条の下で規制される。しかしながら、「六条の下で認められる権限の範囲が、他国における死刑執行が予期される中での生命の喪失までも認めるものなのかどうか(19)」は検討されなければならないとした。
 これを受けて事項的管轄権に関してカナダが引用した事例の原則を確認した上で、委員会はそれでも「規、約、の、範、囲、外、に、あ、る、事、項、そ、れ、自、体、に、関、す、る、締、約、国、の、義、務、は、、規、約、の、他、の、規、定、に、関、連、す、る、こ、と、に、よ、っ、て、ま、だ、存、在、す、る、かもしれない。すなわち、通報者は、引渡しそれ自体が規約に違反していると主張しているのではなく、むしろ、引渡しによる結、果、関連するある特定状況が、規約のある特定の規定との問題を生じさせ得るということを主張している(20)」(傍点筆者)として、よって本通報を事項的管轄権を理由に排除されないとした。
 次に、領域的管轄権に関して、「規約二条は、締約国に自国の領域内にある者の権利について保護することを要請する。もし、ある者が合法に追放あるいは退去を命ぜられ、その後他国の管轄権内で権利が侵害されることについては規約の下では一般に責任を負うことはない。・・・しかしながら管轄権内にある者に対してある決定を行い、その結果が必然的かつ予測可能なもので、かつそれが他国の管轄権の下ではあるが規約の権利が侵害されることを意味する場合、締約国自体が規約の違反を行っていることになりうる。・・・結、果、が、予、測、可、能、な、場、合、に、は、、た、と、え、そ、の、結、果、が、後、に、生、じ、る、こ、と、が、な、か、っ、た、と、し、て、も、、締、約、国、に、よ、る、侵、害、が、現、実、に、存、在、す、る、こ、と、を、意、味、す、る、ことにな(21)」(傍点筆者)るとして、領域管轄権をも認めた。
 こうして委員会は、ある規定それ自体に対しては違反していないがその規定が他の規定と関連することによってその他の規定の義務の違反を認定するという解釈を採用している。さらには委員会は、締約国に対して、合法・不法入国にかかわらず、その管轄権内にある者を、自らの権限で他国領域内ではあるが、そこで規約の権利が侵害される状況におき、かつ、その侵害の可能性を予測していた場合には、締約国の行為自体の規約違反性を認定し、その行為の中止が義務づけられることを指摘したのである。これら委員会見解は、Aumeeruddy-Cziffra 事件(No. 35/1978(22))で委員会が広範に人権保障を確保するために出した解釈方法を確認するものである。
 またいわゆる「死刑の順番待ち現象」に関して、委員会は Pratt and Morgan 事件(Nos. 210/1987 and 225/1987(23))の見解を引用して、「長引く訴訟手続きそれ自体が残虐な、非人道的かつ品位を傷つける取扱いに該当するとはいえ(24)」ず、「このことは個々の事件の状況を評価することが求められるが、死刑に関わる事件における控訴及び再審理にも適用される(25)」とする。すなわち「司法制度が刑事事件の再審を定める国家では、合法的な死刑の言い渡しと救済手続き完了の間に存在する遅延は、刑の再審理のために必要なものである。したがって死刑の順番待ちの状態で、かつ厳しい拘留制度の下で長い期間拘留されることがあったとしても、・・・必ずしも残虐な、非人道的かつ品位を傷つける取扱いを構成しない(26)」のである。しかし、委員会は個々の事実によって検討されるべきであることを指摘する。さらに、委員会は、「死刑の執行方法は特に七条の下で問題を生じるかもしれない(27)」ともした。
 こうして委員会は、規約六条及び七条の下で問題が生じる限り、本通報が受理可能であると決定した。
 しかしながら、カナダ政府は受理可能の決定後においてもその受理可能性に対して再検討をせまったので、本案でも受理可能性の問題が検討されている。それだけ慎重な審査を要した事件であるといえる。特に、この死刑それ自体の行為は、当事国の行為ではなく、またアメリカの裁判所の死刑判決も未だ出されていないことを考慮して慎重に期したのかもしれない。
 さらには、死刑存置国であるアメリカとは、四六〇〇キロも国境を接していること、他国で行われた犯罪は、犯罪者あるいは被害者がカナダ市民でない限り、カナダの裁判制度では起訴されないということ、が理由として考えられる。カナダ政府が何度も主張したように、死刑に相当する重大な犯罪を犯した犯罪人にとって、安全地(safe haven)になる可能性があり、さらに、自国住民の安全とその保障が脅かされる恐れが大きいのである。こうした、国民の安全の確保という問題と、犯罪人の人権の保障(カナダにおいては犯罪の免罪)との関係をどのように考えるべきなのかという問題が本件で提起されており、この点を考慮することをカナダ政府は委員会に求めたのである(28)。
 これらの主張を受けて委員会はまず規約と犯罪人引渡しの関係について次のように受理可能性判断で下した原則を確認する。
 「管轄権内にある者を締約国が追放する場合で、かつその結果規約の下での権利が他国の管轄権の下で侵害される危険性が真に存在する場合には、締約国それ自体が規約の違反を犯すことになりうる(29)。」
 そのうえで委員会は次の二点を検討することとした(30)。
 一、生命に対する権利を保護する六条一項の要件は、カナダに対してその管轄の下にある個人を、アメリカへの引渡しの結果死刑を宣告され、規約六条と矛盾する環境の下で生命を失う真の危機(すなわち、必然的でかつ予測可能性な結果)にさらされることを禁止しているのか。
 二、カナダがある一定の軍事的犯罪を除き死刑を廃止しているという事実は、カナダに対して引渡しを拒否し、あるいは米加犯罪人引渡し条約に定められているように、通報者に死刑が科せられないようにアメリカからの保証を要請することを求めているのか。
 まず六条に関して、これまで見解の先例や一般的意見で確認してきたように、委員会は死刑全体を廃止することを希望しているものの、規約六条は死刑廃止を義務づけている訳ではなく、制限を課しているのみであるとした。
 次に六条の制限は、「最も重大な犯罪」である。これについても、次のような委員会見解がある。
 「そのうえで、六条一項が、最も重大な犯罪に対する死刑の科刑を禁止していない六条二項を併せて読み込まなくてはならないことに委員会は注目した。・・・もし、Kindler がカナダから国、外、退、去、さ、れ、る、こ、と、を、通、じ、て、、ア、メ、リ、カ、に、お、い、て、六、条、二、項、の、違、反、の、真、の、危、険、性、に、さ、ら、さ、れ、る、の、で、あ、る、と、す、れ、ば、、そ、の、事、実、に、よ、っ、て、カ、ナ、ダ、は、、六、条、一、項、の、下、で、負、う、自、ら、の、義、務、に、違、反、したことになるであろう(31)。」(傍点筆者)
 すなわち、アメリカは、死刑存置国であるため、規約の基準の適用については六条二項が適用され、六条二項の違反性が予期し得る限りにおいて、カナダによる追放それ自体が六条一項に基づいて規約違反となると委員会は解釈したのである。しかしながらアメリカに追放されると、真に六条二項違反の可能性が生じるのであれば、カナダの規約違反を構成するが、「通報者は、謀殺罪に問われているのであり、これは明らかに非常に重大な犯罪である(32)」とした。よって、委員会は、六条二項に課せられた制限に合致しているかどうかを通報者及びカナダ政府の主張に照らして検討し、退去に関する手続き的保障を確認した上で、「六条一項の下で生じる義務によりカナダが通報者の引渡しを拒否することが必らずしも要求されるものではない(33)」とした。
 第二の問題では、カナダが死刑を廃止しているとしても第二選択議定書には批准していないことに委員会は注目している(34)。したがって死刑廃止によって引渡し条約上の義務が免除されるわけではないとした。しかしながら本件のような場合には、「引渡し条約上の裁量を行使する際には、死刑を廃止している国家は自国が採用している政策に十分配慮することが原則として期待されている(35)」とした。
 このように六条六項が死刑廃止への道筋を出しているものの、本件の場合には、死刑廃止の政策を採っていることに対して十分に配慮することが「期待」されているに過ぎないのである。とすると、それは六条が死刑廃止を行わない保証を求めることまで要求していないことを示すことになる。委員会も、適正手続きが保障されており、恣意的あるいは即決による追放決定が行われておらず、また通報者に係る状況には例外的状況と判断される要素がないこと、謀殺罪に問われた者に対して安全地を提供してはならないという公共の安全への配慮によって決定されたものであるために、問題はないとしている。
 次に委員会は七条の検討に移っている。死刑に関連して七条を解釈する場合には、「この規定は六条二項を含む規約の他の規定に照らして読まれなければならないとしている。したがって、死刑それ自体は、六条二項により、七条違反を構成しない(36)。」とする。したがって「死刑の順番待ち現象」が七条違反を構成するかどうかが問題となる。この点について委員会は、「死刑の順番待ちにおける厳しい監視下におかれた長期間にわたる拘留が、残虐な、非人道的若しくは品位を傷つける取扱いであるとは一般にはいえない(37)」とした。さらに被告人が援用し、かつ注目されるヨーロッパ人権条約の下で出された Soering 事件判決との関係についても、「本件事実とは区別される重要な事実がある(38)」とした。すなわち、通報者の年齢、及び精神状態が異なること、また死刑の順番待ちにおける刑務所内の条件が異なることを挙げて、Soering 事件の事情とは異なるとしたのである。他方、死刑の執行方法についてはどうか。ペンシルバニア州における死刑は、末期患者の安楽死に関連して主唱された苦痛を最小限にする注射による方法(lethal injection)によって執行されているとカナダ政府は述べた。これを受けて委員会は、死刑執行方法についても七条違反は存在しないとした。これによって本件は、規約違反が存在しないとされた。
 このように Soering 事件を援用したとしてもそこに現れた「死刑の順番待ち現象」やその期間の長さそれ自体によって規約の違反が問われるわけではないとしたのである。
 こうした見解に対しては、西欧諸国出身委員を中心に鋭い批判が浴びせられた。Wennergren 委員(スウェーデン)、Pocar 委員(イタリア)、Chanet 委員(フランス)、さらに Aguilar Urbina 委員(コスタリカ)や Lallah 委員(モーリシャス)による批判は、いずれも六条一項と二項との関係に関して、委員会見解は誤った解釈を行っているとするものであった。例えば、Wennergren 委員は、「起草過程において、死刑は『例外』とか『必要悪』とみられていたのである。したがってこうした起草背景の下に、六条一項に掲げる基本的規則を広義の意味で、他方死刑に関する六条二項については狭義に解釈されるべきである(39)。」と主張したし、Chanet 委員は、「六条二項は、死刑をまだ廃止していない国にのみ適用されるものであり、したがって死刑を既に廃止した国家にこの条文の適用を禁ずるものである(40)」と主張する。すなわち、カナダが死刑を廃止する第二選択議定書に加入していないものの、法律で死刑を廃止している以上、「死刑を廃止していない国」にカナダは該当せず、六条二項の適用はないとする。さらに、カナダの犯罪人の引渡し後に通報者に生じ得ると予期できる事態、本件では通報者が死刑に処せられること、の責任についても、引渡し行為がカナダに帰属する以上、カナダに帰属し、したがって本件ではカナダが六条一項に反することになる、と主張したのである。
 このように国内法によって死刑を廃止した国における六条一項と二項との間の関係が問題となっていたのであるが、この問題は、事実上国際的な死刑廃止の動向を促進させることよりも、死刑廃止国の国内の治安の問題を考慮して、解決されたのである(41)。しかしながらこの問題は、Ng 事件(No. 469/1991(42))で再燃したのである。
 この事件は、Kindler 事件と事実概要がほぼ同じである。違いは、引渡し先がカリフォルニア州であることと、カリフォルニア州の死刑執行方法が青酸ガスによるものであったことである。
 通報者は、六条、七条、九条、一〇条、一四条及び二六条違反を主張した。というのもカリフォルニア州法で定められている青酸ガスによる死刑の執行が、それ自体が残虐かつ非人道的な取扱い若しくは刑罰を構成するからであるとした。あるいは死刑の順番待ちの条件は、残虐な、非人道的かつ品位を傷つけるものであると主張した。さらにカリフォルニア州の裁判手続きは、特に死刑に関する限り裁判の基本的な要件に合致しないとも主張した。これに関して通報者は、アメリカには、人種的偏見が死刑を科す際に影響を与えているからであると主張した。
 これに対してカナダ政府は、ほぼ Kindler 事件と同じ主張を行っていたが、本件特有の問題である、青酸ガスによる死刑執行の残虐性について次のように述べた。
 「死刑の執行方法に関して、カリフォルニア州で採用されている青酸ガスによる執行が規約あるいは国際法に抵触するという証拠は存在しないと考える。さらにいえば、通報者にこの執行方法が適用されることに関して何らかの異なる結論が導かれるような特殊な状況が本件に存在するとはいえない。またガスによる執行がおこなわれたとしても、経済社会理事会によって採択された決議一九八四/五〇、すなわち死刑囚の権利保護のための保護基準に違反するとはいえない(43)。」
こうして青酸ガスによる執行も、カナダは残虐な執行ではないと主張した。
 これを受けた委員会は、Kindler 事件で示したように、本請求の本案を審査することによってのみ、六条及び七条の範囲を鮮明にし、死刑に直面した引渡しに関する事件に規約及び第一選択議定書の適用可能性を明確にすることができると述べた。
 そのうえで次のように本件特有の問題について述べる。まず六条二項が死刑それ自体を禁止していないことを述べた上で、七条に関する一般的意見が「生じうる身体的・精神的苦痛が最も少ない方法で執行されなければならない(44)」と述べている点に注目した。
 「本件では、通報者は、青酸ガスによる執行が長時間にわたる苦痛を与えるものであり、できるだけ迅速に死に至らしめるものではないことを示す詳細な情報を寄せた。それは青酸ガスによれば一〇分以上にわたるものである。締約国はこの主張に反論する機会があったにも関わらず反論しなかった。むしろ青酸ガスによる執行を明示的に禁止している国際法規範がないことにその主張を限定させた(48)。」
 「これらの情報を下に、もし通報者に死刑が科せられたならば、行われる青酸ガスによる執行は、『できる限り精神的・肉体的苦痛の少ない』という基準に合致せず、規約七条の違反を構成すると委員会は考える。したがってカナダは、執行されれば七条違反とみなされる方法で執行されることになることを合理的に予測できたにも関わらず、通報者は執行されない保証を求めあるいは受け取ることなく、通報者を引渡した。よってカナダは規約の下での義務に違反する(46)。」
 このように述べて七条違反を確認した。しかしながら今度は、これまで六条違反の問題について反論した委員だけでなく、青酸ガスによる執行が七条違反となると認定したことに対して反対する委員がでてきた。死刑にかかる「残虐さ」の基準の設定がかなり困難であることを示していよう。
 ところで、犯罪人引渡しに関するモデル条約を今一度思い起こすことが必要であろう。このモデル条約は、残虐な取扱いや刑罰にかかる場合には引渡しが禁止されていたが、死刑については、引渡しの適否が締約国の裁量に委ねられていた。この条約がその名のとおり国連が作成したモデル条約であることから考えると、死刑の科刑をしない保証を求める義務が国際社会において未だコンセンサスを得ていないといえよう。こうした事情を多数意見は考えたものと思われる。
 したがって規約六条の問題について、第二選択議定書に加入していない限り死刑廃止の問題が問えないことを多数意見は考えている。しかしながらその際に適用されるのが、六条二項である。この点は少数意見によって厳しく指摘されたように、二項自体はその適用を「まだ死刑を廃止していない国」に限定している。この記述をどう解釈するかの争いになったといえよう。その際に出されるのは、一項の持つ意味である。生命に対する権利を「固有の権利」と謳った一項は、死刑の事実上の復活に対して、なんら規制することのない、死刑復活という点について問題としない基準なのだろうか。このことが問われた事件でもあるように思われる。しかしながら、本件では、死刑復活の問題に立ち入る前にみなければならないことがある。すなわち、アメリカ(引渡し請求国)にどのような基準を適用させるのかという点である。これは、被請求国がひきうけた規約の義務なのか、あるいは規約そのものの義務なのか、である。この点多数意見が後者の見解であるのに対し、少数意見は前者の見解を採用しているように思われる。少数意見は人権基準の低下のための規約の援用禁止を定める規約五条を強調し、これによって六条二項がアメリカにも適用させられないとする。カナダが国内法ではあれ死刑廃止を行っている以上、六条二項はいかなる場合にも適用できないとしているのである。
 また七条の残虐な刑罰の点についても、いかなる死刑執行方式が残虐なのか、基準を与え、かつ最適な方法を示すのは困難であることを本件は示している。そもそも死刑それ自体が、生命の剥奪であるが故に残虐なのである。
 したがって実際に六条一項と六条二項との関係、さらには残虐な方法に関する具体的な基準については、死刑に関連する六条及び七条のそれぞれの実体的内容にかかわるものだけに、委員会のなかでもまだ論争が続くように思われる。
版面あわせ(1) これを解説したものに、森下忠「犯罪人引き渡しに関する国連の模範条約」警察研究六四巻一号二七ー四二頁。
(2) A/43/40, p. 258.
(3) 難民申請手続き及び国外退去決定手続きに関して、裁判手続き、政治的意見の保障や差別禁止の違反も主張している。
(4) Ibid., para. 4. 3.
(5) 委員会決定のなかではその先例を詳細に述べていない。
(6) A/43/40, p. 258, para. 5. 1.
(7) Ibid., para. 6. 3.
(8) 14HRLJ307 (1993)
(9) Ibid., para. 4. 2.
(10) A/39/40, p. 190.
(11) Ibid., para. 13. 4.
(12) 14HRLJ307 (1993), para. 4. 4.
(13) A/37/40, p. 161 ; 邦訳『国際人権規約先例集』東信堂、一九八九年、二〇四ー二一〇頁。
(14) 14HRLJ307 (1993), para. 4. 2.
(15) A/42/40, p. 185.
(16) 14HRLJ307 (1993), para. 4. 3.
(17) Ibid., para. 4. 6.
(18) Ibid., para. 6. 5.
(19) Ibid.
(20) Ibid., para. 6. 1.
(21) Ibid., para. 6. 2.
(22) A/36/40,p. 134 ; CCPR/C/OP/1, p. 67 ; 邦訳『国際人権規約先例集』一〇六ー一一六頁。参照、拙稿「自由権規約無差別条項の機能(二・完)」立命館法学二三四号五三ー五八頁。
(23) A/44/40, p. 222.
(24) Ibid., para. 13. 6.
(25) 14HRLJ307 (1993), para. 6. 4.
(26) Ibid.
(27) Ibid., para. 6. 8.
(28) Ibid., para. 8. 8.
(29) Ibid., para. 13. 2.
(30) Ibid., para. 14. 1.
(31) Ibid., para. 14. 3.
(32) Ibid.
(33) Ibid., para. 14. 4.
(34) Ibid., para. 14. 5.
(35) Ibid.
(36) Ibid., para. 15. 1.
(37) Ibid., para. 15. 2.
(38) Ibid., para. 15. 3.
(39) Ibid., Appendix B.
(40) Ibid., Appendix E.
(41) カナダ最高裁では、多数意見は国民感情において引渡しが許されるかどうかの点を検討している。他方、反対意見は、カナダがこれまで国際的な会議の場で死刑廃止ついて行ってきた態度から、国際的約束を破ることになるとして引渡しを認めないと述べる。[1991] 2R. C. S. 779 ; また Schabas は、この最高裁判決がアメリカ人を追放することを決定したことに対して失望の意を表明しつつも、少数意見には期待を持つことができ、特に第二選択議定書に批准すればこうした判決は出せないと述べる。なお、この論文は、規約人権委員会に通報される以前のものではあるが、たとえ通報したとしても、委員会見解は同じになると Schabas は予測する。Schabas, W. A., “Extradition et peine de mort : le Canada renvoie deux fugitif au couloir de la mort", Revue Universelle des Droits de l'Homme, Vol. 4, Nos. 3-4, 1992, p. 69.
(42) 15HRLJ149 (1994)
(43) Ibid., para. 10. 5.
(44) CCPR/C/21/Add. 3, para. 6.
(45) 15HRLJ149 (1994), para. 16. 3.
(46) Ibid., para. 16. 4.版面あわせ

       五 まとめにかえて
 規約六条の起草過程を概観すると、厳格であるといわれた人身の自由を定める権利についても、規約は明確な基準を示している訳ではなく、その内容の多くを国家の裁量に依存していることが理解できる。各締約国に認められる評価の余地(自由裁量)は、当該人権概念が各国間でどの程度コンセンサスを得ているかに依存しているのである。
 自由権規約六条起草過程を概観とするとそれは「法律にしたがって」という規定によってあらわされる。その規定は、一方で罪刑法定主義という原則を表す文言であると確認されつつも、他方でソ連が起草過程で発言したように国内問題に介入させないことをねらった文言でもあった。死刑の科刑を制限することに各国は同意しつつも、死刑制限のための実体的内容を審議する際には多くの国家が消極的であったのである。他方で、容易にコンセンサスを得やすい手続き的権利によって死刑を制限しようとした。
 こうした起草過程を反映して、規約人権委員会は、実施過程において手続き的権利の厳守を締約国に求めてきた。これによって事実上の実体的権利の保障をはかろうとしてきたように思われる。
 以上のような検討から次のような点が指摘できるであろう。第一に、自由権規約六条は、死刑という刑罰に対して明確に生命に対する権利に反する制度であるとして廃止を義務づけているわけではない。しかしながら、その六項で廃止への道筋が規約の精神であることを示している。すなわち、即時的に死刑廃止が締約国に対して義務づけられている訳ではないが、確実に廃止に向かうための措置を締約国に要請しているのである。こうして死刑廃止の展望は、全世界に共通する普遍的なものとして承認されたのである。したがって締約国報告書審査手続きでは、回を重ねるごとに、死刑が科される犯罪を減らしたり適用範囲を狭めたりする措置を講じているかどうかを委員会は質問している。この委員会が要請する死刑廃止への措置は、刑法の改正に限定して要請しているものではない。委員会も、死刑廃止そのものが困難な問題であることを認めている。したがって死刑廃止に至るまでの間、死刑に該当する犯罪を減少させるための社会的経済的な基盤の整備をも含めた措置をも要請している。しかしながら、死刑の復活や導入に対する態度が委員会としてまだ明らかではない。これまで学説や委員会委員の個別意見は、死刑の復活・導入を規約は禁じていると解釈する。死刑復活・導入の動きがみられる現在、この点についての委員会が今度とる態度如何では、死刑廃止に関する規約六条解釈を大きく変えることになろう。
 第二に、死刑存置を採用したとしても、死刑を科すことのできる犯罪は、「最も重大な犯罪」であり、かつこの概念は、死刑そのものが全く例外的な措置であるように厳格な解釈を義務づける。規約人権委員会は、これを「故意による生命の喪失」であるとし、ジャマイカの事例がそうであるように、謀殺罪を考えている。その他「最も重大な犯罪」については委員会は、明示していないものの、犯罪防止・被拘禁者保護に関する第六回国連会議は「その他の極度に重大な結果を伴う故意の犯罪」を挙げた。委員会はこうした犯罪について個人通報手続きで審議したことがなく、明確ではないが、イランに対するコメントから判断すれば、この種の犯罪は考慮していないように思われる。さらに「最も重大な犯罪」と死刑との関係は、当然その犯罪とその刑罰との比例性、あるいは相当性を要求する。しかしながら、その評価権限は、主要には国内裁判所にある。自由権規約は、この国内裁判の内容に、規約人権委員会が介入できない仕組みをとっている。したがって、この比例性の原則をもって規約違反を通報したとしても、それが認められるのは、軽微な刑事犯に対する科刑といった明白な比例性の違反が存在しない限り、困難であろう。
 第三に、仮にもし死刑を廃止することが困難であったとしても、死刑に関わる裁判などでの手続き的保障及び死刑の執行方法は、国家の完全な自由裁量によって決定されるものではない。規約六条二項は、それのみでは十分な規定であるとはいえないが、「規約の他の規定と抵触しない」ように、すなわち他の規定の基準の発展に依存する「両立性の基準」を厳格に遵守させることによってもまた死刑制度に対する制限を課している。この手続き的保障の要件や非人道的な執行方法の禁止は、死刑の廃止そのものではないため即時的に実施されなければならない。この義務は、規約六条の義務の遵守に関わるものであるため、デロゲーションできない、すなわち規約が唯一規約の権利の実現を停止することを認める公の緊急事態の時ですら、厳格に遵守されなければならないのである。この点、一四条の手続き的保障がデロケーションできると解される点に問題があった。しかし、六条二項の両立性の基準により、一四条の基準がいかなる事態においても最低限保障されるべきものとされた。もしそれが保障されない場合には、無罪推定原則により死刑囚の釈放が要求され、また非人道的な取扱いの場合でも減刑等が規約人権委員会により要求されている。
 ところで第四に、規約人権委員会は、実施過程において死刑に関連した新たな問題を抱えることとなった。すなわち、引渡し請求国が死刑存置国である場合に死刑に相当すると思われる犯罪人の引渡しは、死刑廃止国とって規約違反となるかどうかという問題である。この問題は、引渡し国において、死刑廃止という人権保障上の問題と、引渡し国国内の国家の安全の確保という問題の対立をどのように調整するかという困難な問題を生じさせる。本稿で見た事件では、引渡し請求国内で死刑に関わる手続き的保障や残虐な取扱いの禁止の保障が行われている限り、引渡しには規約違反性はないとされた。カナダが第二選択議定書を批准することによって死刑廃止を国際的に約束したものではなかったことが、こうした問題を生じさせたともされる。しかしながら、はたして第二選択議定書の批准によって、この問題が解決つくのかどうかは、未だ通報がないため明確ではない。
 以上のように考えると、死刑廃止は、生命に対する権利尊重の延長上に位置づけることができよう。しかしながら、国際法が国家の合意を前提とする以上、国家の安全・治安維持を脅かす犯罪及び状況よりも、個人の人権保障を優位にさせることが困難であることをも示しているように思われる。
 確かに、フランスがヨーロッパ死刑廃止条約(ヨーロッパ人権条約第六議定書)を批准する際に、死刑存置論者が、「刑罰制度は国家主権の『基本的』な表明である(1)」と述べたように、刑罰制度それ自体は、国家の自由裁量の問題であり、かつ主権に関わる問題であるといえるのかもしれない。しかしながらこのことはむしろ人権の問題が国際的関心事項となりつつあることに目を向けなければならないであろう。また市民社会の発展によって死刑が廃止されてきた歴史的事実も見なければならない。先進国、文明国における刑事制度において死刑は残虐なものとして非難されつつある今日(2)、はたして日本に対して規約人権委員会が死刑に関わる問題をコメントにおいて言及し、最終的に死刑廃止に言及したことは、越権、あるいは規約の解釈を超えるものである(3)と言い切れるのであろうか。
 日本に関して言えば、日本が未だ死刑に相当する犯罪が一七にものぼり、そのなかの外患罪が絶対的法定刑として死刑を定めていることは、死刑という刑罰が「極めて例外的な措置」であるといえるかどうか疑わしい。さらに、死刑囚が、帰すべき事由もなく長期にわたり独房に閉じこめられたままにおかれていることについても、これまでみた規約人権委員会の見解から規約違反性が指摘される。
 こうした規約違反性の指摘に対して誠実に対応しない現在の日本政府の態度は、死刑廃止が現実に一般国際法上において義務的になった時期を待つまでもなく、国際社会において「名誉ある地位」はおろか、人権後進国となるに違いないであろう。

(1) Debre´, M., Journal Officiel de la Re´publique Francaise, De´bats de l'Assemble´e Nationale, 21 juin 1985, p. 1875. 同様の主張に、池田茂穂「国際人権規約と我が国刑事司法規定との関係について」時の法令一〇五五号三三ー三四頁。
(2) Desch, T., “The Concept and Dimention of the Rights to Life", O¨sterreichische Zeitschrift fu¨r o¨ffentlisches Recht und Vo¨lkerrecht, 36 (1985), p. 110.
(3) 三谷紘「B規約人権委員会による対日審査について(二)」刑政一〇五巻五号五〇頁。

 本稿は、平成六年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究の成果の一部である。