立命館法学  一九九五年五・六号(二四三・二四四号)




中国選挙制度の法的構造(一)
---その人民代表定数不均衡問題を焦点に---


林 来梵






目    次




始    め    に
  選挙権をめぐる平等の問題が代表民主制にとって極めて重要であることは、説明を要しない。小林直樹教授は、「平等原則」を現代の選挙法をつらぬく諸基本原理の中核と位置づけられており(1)、山下健次教授はそれを「選挙制度にかんして国民主権から導き出される原則の第一」と論じられている(2)
  代表民主制を人民代表大会制に具現化し(3)、かつ、それを「国家の根本的な政治制度(4)」とする中国の場合についても、同様なことが言える。畑中和夫教授はかつて、比較憲法論の視点から中国の人民代表大会制を巨視されたうえで、「人民代表が人民の意思を正確に表現しているかどうかが、この制度にとって致命的だ」として、人民代表大会の選挙制度を取り上げられ、そのなかでとりわけ中国の現行選挙制度における定数不均衡の問題に、具体的な検討の力点をおかれていた(5)
  しかし、古今東西を概観する場合、資本主義国家であれ社会主義国家であれ、選挙権をめぐる平等は、必ずしも容易に実現できるものではあるまい。周知のように、近代立憲国家成立後、各国において選挙権は国民すべての権利とされず、「今日のような選挙権の平等が確立をみるまでには、各国において選挙権拡大のための不断の闘争が展開され、時代とともに各種の制限が漸次撤廃されていった歴史がある(6)」。そして平等選挙、つまり選挙人の投票の価値の平等の場合にいたっては、「今日のいかなる国でも」みずから平等原則をすでに「完全に実現していると断言できない」とも言われている(7)
  中国においても、選挙権をめぐる平等、なかんずく選挙権の平等に関する問題は、深刻でありつづけると指摘されうる。そこでは、日本でも紹介された都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差というような、今日の世界中では異例と見られる「差等(または差別)選挙」(differential voting)の問題は、現在の選挙制度にかかわる最も重要な問題のひとつとして注目される(8)。ここで、留意すべきは、中国におけるこうした格差は、今日のほとんどの国の場合と異なって、従来選挙法によって明文をもって規定されているということである。勿論、現行選挙法制定(一九七九年)以後、この格差は、幾度の法改正によって漸次的に縮小されてきており、特に最近の選挙法に対する部分修正(一九九五年三月)は格差縮小に最も前進的な一歩を踏み出したが、都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の比率は、基本的になお一対四となっている(第一二条、第一四条、第一六条(9))。そして、このような選挙制度と憲法が要請するところの平等選挙原則とのあいだに存在する乖離に対して、学説上、科学的な法的理論による根拠づけが欠如するままにそれを容認する、あるいは正当化さえしようとする見解が、主流となっている。その際、一部の学説はむしろ立法者による法改正に見られる格差縮小の方向にさえ立ち遅れている、というユニークな理論状況もうかがわれる。
  さらに、ここで指摘しなければならないのは、今日の中国では、上述した都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差のほか、実際のところ、差等選挙は、様々な形態で現行選挙法の下に存在している、ということである。そのなかで、選挙制度の現実的運用の場面では、とりわけ、日本のいままでの場合と基本的に同様な選挙区間における代表定数配分不均衡の問題が挙げられる。都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差は選挙法の明文規定によって明らかである一方で、そうした選挙区間における人民代表定数配分不均衡の問題は、むしろ従来完全に見落とされてきたと言えよう。そして前者は次第に縮小されてきており、将来さらに法改正によって是正される行方であるのに対して、後者の方は、いっこう放置されがちという状況にある。
  もちろん、西側憲法の視点からみれば、一党制国家において事実上一票の重みの格差は意味を持たないとされるがゆえに(10)、政権担当の交代可能性を前提としない「一党指導・多党協力」制(11)をとる中国の場合についても事情は異ならないように思われるかもしれない。しかし、すでに触れたように、現実の中国では、差等選挙の問題は選挙制度にかかわる最も重要な問題のひとつとなっており、さらに現行の政党制度や代表民主制にも深く関わっていると言える。従って、この問題の解決は、現行選挙制度の問題には勿論のこと、ひいては、今日の中国における政党制度や人民代表大会制がかかえる課題にも一つの解決の糸口を与えることになろう。
  本稿では、まず中国選挙制度の構造と特質を概観したうえで、西側国家における平等選挙にかかわる問題、とりわけかつて日本で問題となっていた議員定数配分不均衡の問題と比較しながら、中国現行選挙制度下における定数不均衡の法的構造、運用状況およびその歴史的源流を解明する。次に、定数不均衡に関する中国での学説を整理して、これを日本における議員定数配分不均衡問題をめぐる主な判例・学説と比較・検討し、その上でさらに、選挙権権利説の視点および平等選挙理論の構成を重視する立場から、中国における人民代表の定数不均衡問題について具体的な解決を展望する。
  本論に立ち入る前に、次のような二つのことをあらかじめ説明しておきたい。
  (1)  上でも述べたように、本稿は選挙権をめぐる平等問題のすべてを研究課題とするのではなく、単に平等選挙の原則を要請するところの選挙人の投票の価値の平等の問題を中心として取り上げるにとどまる。この問題に関して中国では従来注目されてきたのは、都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の比率の格差であるが、上述したように、実際は、そのほかにも選挙区間における人民代表定数配分不均衡を始めとする多様な差等選挙の形態が存在している。表題において、これらを総じて「定数不均衡問題」と表現しているのは、単にこの概念が日本に馴染みやすいものであるからだけでない。後述するように、中国における現行選挙制度では、都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の比率の格差を含む様々な差等選挙の形態は、いずれも基本的に選挙区間における定数配分不均衡の形態に集約的に立ち現れているからである。そして、筆者は、最近の選挙法に対する部分修正により都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の比率の格差が大幅に縮小されたこともあって、従来見落とされてきた選挙区間における定数配分不均衡問題を、もはや議論の俎上に乗せるべきだと考える。
  (2)  本稿は、中国におけるこうした定数配分不均衡問題を比較憲法論の視点から主に日本の場合と比較検討するものである。というのは、周知のように、議員定数配分不均衡は、かつて長期にわたって日本で問題となっており、これに関して、中国の場合における問題の解決にも示唆的な意味をもつ数多くの判例・学説が積み重なってきたからである。また、この研究を遂行する過程において、筆者自身が中国の場合に存在している選挙区間における定数配分不均衡の問題に気づくことができたのも、日本の場合との比較研究を行なったことによるものである。勿論、日本で問題となっていた衆議院議員選挙の場合における定数配分の不均衡は、かつてのいわゆる「中選挙区制」のもとで生じたものであって、一九九四年初頭における衆議院選挙制度を中選挙区制から小選挙区比例代表並立制に改めることを中心的な内容とする公職選挙法の改正によって、今までの定数是正の行き詰まりは、いちおう回避されることになる(12)。しかしそのことは、現実的には今後衆議院議員選挙で定数配分不均衡は決して生じないことを完全に確保しうるものではないし、ましてその参議院議員選挙の場合における地方区定数不均衡問題は、依然として深刻な状態をつづけている。したがって、中国における定数不均衡に関する研究を深めるためにも、今後なお日本の判例・学説の展開を見守って行く必要がある。

(1)  小林直樹『(新版)憲法講義』(下)、東京大学出版会、一九八一年、一〇三頁。
(2)  山下健次『現代憲法入門』、法律文化社、一九八六年、一九六頁。
(3)  浅井敦教授の研究によれば、中国憲法は、議会制度のすべてを、とりわけ代表制度そのものを否定するわけではなく、代表民主制を人民代表大会制に具現化している。同『中国憲法の論点』、法律文化社、一九八五年、七三頁〜七六頁参照。
(4)  王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』、法律文化社、一九九四年、三〜四六頁。
(5)  同上、四七〜五六頁。
(6)  これについては、阿部照哉・野中俊彦『平等の権利』、法律文化社、一九八四年、二二二頁。
(7)  中国人学者・蔡定剣がそのように述べている。同『中国人大制度』、(中国)社会科学文献出版社、一九九二年、一二一頁参照。また、各国の選挙制度およびその運用実態における不平等選挙についての概観は、さしあたり、川野秀之「定数是正をどう実現するかー外国の事例」を参照。一九八五年三月、ジュリスト増刊・総合特集『選挙』に所収。
(8)  浅井敦・前掲書、九〇〜九二頁。また、最近では、畑中和夫教授の研究は注目に値する。王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎・前掲書、畑中和夫教授執筆部分、五三〜五六頁。
(9)  「全国人大常務委員会関於修改全国人大和地方各級人大選挙法的決定」、一九九五年三月一日付(中国)『人民日報』、三頁。
(10)  川野秀之・前掲論文参照。
(11)  中国の現行政党制度の概観について、近年、新たな理論的整理及び再構成の成果として陳春龍氏の「堅持和発展共産党指導的多党合作的政党体制」が留意されるべきである。呉大英・劉瀚『政治体制改革与法制建設』に所収、(中国)社会科学文献出版社、一九九一年、二九〇頁以下参照。日本では、中国政党制度に関する憲法学からのアプローチとして、浅井敦教授の研究は先駆的であると見られる。同・前掲書、九五〜九九頁。なお、拙稿「中国における人民代表の免責特権条項−人民主権・人民代表制原理の視点から−」第四部分を参照されたい。『立命館法学』、一九九四年第四号。
(12)  理論的には、小選挙区比例代表制の場合では、定数均衡が中選挙区制より実現しやすいことは、確かである。



第一章  中国選挙制度の構造と特質
  平等選挙の原則は、もともと、現代憲法の諸一般原理によって支えられており(1)、決して選挙制度の全般や、さらに代表制と切り離しては単独に語りうるものではない。後述するところからも明らかに示されるように、中国の場合についても、同様である。したがって、中国における人民代表定数配分不均衡問題に立ち入る前に、まずこの問題と関連する側面から中国選挙制度や代表制の構造及び特徴を簡単に見ておく必要がある。
一  旧ソビエトとの比較から見た中国選挙制度
  中国における現行選挙制度の構造をとらえる場合、旧ソビエトの選挙制度との比較は、ひとつの有効な手掛かりとなる。というのは、ここでの中心的なテーマに関わるものを含めて中国の選挙制度の多くの部分は、はやくも一九三〇年代の中国共産党の指導下で樹立された革命根拠地の時代から、ソビエト制とともに当時のソ連より導入され(2)、今日まで受け継がれてきたからである。
  1  普通選挙制
  現行憲法第三四条は、「中華人民共和国の満一八歳の年齢に達した公民は、民族、種族、性別、職業、出身家庭、宗教信仰、教育程度、財産状況及び居住期間を問わず、すべて選挙権及び被選挙権を有する」と定めており、現行選挙法第三条一項にも、同じ規定が踏襲されている。これらの規定は、今日の中国において普通選挙制がすでに保障されていることを示すものと考えられている(3)
  現実的には、現行選挙法成立直後に行われた、一九八一年当時の県レベルにおける各地方の人民代表大会選挙では、選挙権をもつ者の総数は、すでに満一八歳の年齢に達した総人口数の九九・七%にのぼった(4)。この例にも示されたように、現行憲法と選挙法の下では、普通選挙制が基本的に実現されているといってよい。今日、選挙権をもたない者は、極めて少数であり、さらにその中には、精神病者など無行為能力者も含まれていることが、確かである。
  他方、憲法第三四条の但書及び選挙法第三条二項には、いずれも「法律に基づいて政治的権利を剥奪された者」が選挙権及び被選挙権を有しない旨規定されている。これは、階級的観点による選挙権制限を認める社会主義国家の特有な選挙制度の名残りであるかのように見られる。
  もともと、中国では、いわゆる「社会主義国家」的な普通選挙制は、はやくも一九五四年憲法及びこれに先立つ一九五三年選挙法の下で実現したのであるが、その選挙法は選挙権及び被選挙権をもたない者について、法律によって「地主階級分子」の身分を改められていない者や政治的権利を剥奪された反革命分子およびその他の者を列記している(第五条(5))。しかし、こうした選挙権の剥奪は慣行として一九七九年選挙法の成立までに長期的に行われ、文化大革命時代に、極端な事態が生じたこともあった。
  いうまでもなく、このような選挙制度はソ連の早期の社会主義憲法から受け継いだものにほかならない。ソ連の初期の二つの憲法(ロシア共和国一九一八年憲法およびソ連邦一九二四年憲法)は、「勤労人民」に広汎な選挙権を与えていたが、搾取階級・寄生階級及び旧支配階級に属する数種類の者には、選挙権と被選挙権を認めなかったのである(6)。中国の社会主義憲法の原点とも言うべき革命根拠地時代の「中華ソビエト憲法大綱」(一九三一年、いわゆる「江西大綱」)は、ソ連の一九二四年憲法をモデルにし、初めてこうした選挙制度を導入したのである(7)
  そして、現行憲法の下で普通選挙制を比較徹底的に実現し、それを正当化したのは、「搾取階級は階級としてはすでに消滅した」という現行憲法序文の表現に示された「搾取階級消滅論」である(8)。その背景には、現行憲法制定期に、経済建設の推進にともなう従来の「階級闘争をカナメとする」方針の放棄という共産党の路線転換が行われていたことがある。これも、普通選挙制を掲げたソ連の一九三六年憲法制定時にとなえられていた「階級消滅論」を想起させる(9)
  また、今日の中国における普通選挙制をめぐる重要な論点のひとつとして、むしろ「棄権の自由」とかかわって、かつて日本の浅井敦教授に「驚くほど」と表現された高い選挙率(九七%以上)の背景に存在している「選挙動員」のような問題が挙げられる(10)
  そして、ここで何よりも留意すべきは、中国の現行選挙制度の下で、普通選挙制は、単なる県及び郷の人民代表大会に相当する二つのレベルで採用されているにすぎないということである。これを知るためには、中国の現行選挙制度に関する次の特徴を見よう。
  2  直接選挙と間接選挙の併用制
  現行憲法と選挙法の規定では、各下級の人民代表大会、すなわち区を設置していない市、市が管轄する区、県、自治県および郷、自治郷、鎮というふたつのレベルにおける人民代表大会の代表は、選挙民の直接選挙によって選出されるが(憲法第九七条一項後段、選挙法第二条二項)、各上級の人民代表大会の選挙はその一下級の人民代表大会によって選出されるように、間接選挙制を採用している(憲法第五九条、第九七条前段および選挙法第二条一項)。学説では、「この規定は、わが国の現行憲法が、今なお直接選挙と間接選挙との併用の原則を実行していることを、具体的に示している(11)」と認めるのが、一般的である。
  間接選挙を採用している各レベルの人民代表大会には、具体的にいうと、全国人民代表大会および省・自治区・直轄市の人民代表大会の二つのレベルがあるが、省のレベルの下に区を設置している市、県を管轄する市及び自治州をおかれている地方の場合ではさらに第三のレベルがある。こうした各上級の人民代表大会選挙に存在する多段階間接選挙制も、ソ連における早期のソビエト制から導入されてきたと見られる。ただ、当時のソ連の場合では、内戦収束後の二〇年代においては、各地のソビエトがそれぞれに権力体であるという理念の名残りとして、かつて各級ソビエトが上級ソビエトへの代表を選出するという多段階間接選挙制が維持されていたが(12)、一九三六年憲法によってこのような多段階間接選挙制はついに直接選挙に改められた。これとは対照的に、中国では、多段階間接選挙制は今日まで固守されてきており、その背景には、中国のような大国で全国レベルにおいては直接選挙が法技術的に実行困難であるとか(13)、また、かつて張友漁教授の見解によって示された「国民政治意識立ち遅れ論(14)」というような現実主義的な考慮が横たわっている。
  他方では、一九五三年選挙法では、直接選挙は、単に郷、鎮、市が管轄する区および区を設置していない市にとどまったのに対して(第三条)、現行選挙制度では、それがすでに県レベルまでに拡大されるようになった、ということも見落とされてはならない。また、今日、直接選挙をさらに拡大すべきだと唱える学説も出ており、なかでも、蔡定剣氏の主張は、代表的なものとして注目に値する(15)
  3  相対的な平等選挙
  この点は、本稿の中心的なテーマに関わる論点であるので、後章で具体的に検討することとしたい。
  4  居住点と生産点を混合する選挙区制
  資本主義諸国では、地域に分けて議員を選出するのが従来の伝統であるが、マルクスはかつて、これはプロレタリアートの力量を分割してブルジョアジーの代表の当選をねらうものとして非難したことが周知のところである。早期のソビエト憲法の下で、プロレタリア独裁の理念に基づいて、工場などでの選挙制が採用されていたが、それは、ようやく一九三六年憲法の下で、選挙を階級原則から全国民的原則への転換を背景に、地域単位での選挙にとってかえられた(16)
  中国では、五三年選挙法は選挙区を選挙民の居住状況にしたがって区分する方式をとっていたが(第五三条)、七九年選挙法以降、居住点の選挙区と生産単位の選挙区との混合制が採用された。ただ、七九年選挙法では、生産単位の選挙区割は居住点の選挙区割より優位であったのに対して、一九八六年に行われた選挙法の部分修正を経て、居住点の選挙区割の方は逆に生産単位の選挙区割より優位となるようになった。そして、今日、現実的運用の下で、農村では基本的に居住点の選挙区制、都市では、おもに生産単位による選挙区割の方式が採用されている、という(17)
  こうした居住点と生産単位とを混合した選挙区割の方式、中でも生産単位の選挙区制の採用は、選挙区間における基礎人口数の不均衡をもたらすひとつの要因となっていることが、学説で指摘されている(18)
  5  いわゆる「差額選挙」の制度
  中国では、現行選挙制度を「民主的」な選挙制度と説明する場合、いわゆる「差額選挙」(また「不同額選挙」とも称される)という制度が実行されている点が、よく引き合いに出される(19)
  「差額選挙」は「等額選挙」に対するものであり、両者はいずれも中国における選挙制度論に見られる特有な概念である。七九年選挙法は、選出すべき代表の定数と候補者の数が同一となる、という旧選挙法下での「等額選挙制」を改め、候補者の数は選出すべき代表の定数より多くなければならないと定めてその「差額」を具体的に設けている(現行選挙法第三〇条)。これが、すなわち「差額選挙制」である。いうまでもなく、これによって有権者の選択しうる幅がある程度拡大されることになった。
  旧ソ連と比較する場合においては、この点は、確かに評価されるべきだと思われる。ソ連の三六年憲法の下でさえ、候補者の数が法的には明示されておらず、慣行として定数一の選挙区に一人だけの候補をたてるという「単一候補制」が、長期にわたって定着していた。それを正当化したのは、まさしく「階級消滅論」であった。そして、一九八九年六月の地方選挙においては、「単一候補制」にかわる「複数候補」の実験は、ようやく一部で行われていた(20)
  ただ、指摘すべきは、中国におけるこのような「差額選挙制」の実行により自由的選挙の要素が拡大されたにもかかわらず、現実的に、それが、自由的選挙制度と認められるのに相当する要素をすでに充足していると判断できるかどうかは、なお一定の躊躇を感じさせる。これを理解するために、中国の現行選挙制度を、さらに西側諸国のそれと比較検討する必要がある。
二  中国選挙制度の特質---西側諸国の場合との比較---
  1  協議による立候補の制度
  選挙原理の原点に立ち返ってみれば、選挙というものには、むろん当選と落選の論理的可能性がいずれもありうるわけである。しかし、中国では、現実的に、もし多数の共産党の候補者が選挙で落選することによって、各レベルの人民代表大会で政権担当を維持するために最低限必要な議席を獲得できない場合においては、憲法の原則の一つに掲げられている「中国共産党の指導の堅持」は、いったい実現されうるだろうか。
  かような重大な場面を鑑みるならば、やはり、中国憲法では「党の指導」原則と選挙制度原理との間に一定の緊張関係が内在していることが、見出される。言うまでもなく、この点に関して、中国の現行選挙制度は、特定の政党の候補者に対する当選確保を決して理論的次元において暗黙の前提としていない西側国家のそれとは、決定的に異なっている。
  「党の指導」原則が選挙制度の論理と明白な緊張をなしていることについて、学説は従来、完全に意識してこなかったようであるが、中国の選挙法じたいは、あたかもこのような場面を想定したかのように、様々な制度を設けている。なかでも、協議による立候補の制度は、重要である。
  現行選挙法では、候補者が選挙区(間接選挙の場合では選挙母体)ごとによって決められることになっている。そして、立候補の手続は、まず、((1))各政党・人民団体による共同推薦、((2))各政党・人民団体による単独推薦、((3))一〇人以上の有権者(間接選挙の場合では人民代表)による連名推薦、という三つの方式の候補者推薦から始まるが(第二九条)、西側国家の場合と異なって、候補者名簿が確定されるまでに、共産党が指導している選挙委員会(間接選挙の場合では人民代表大会議長団)が中心となって、推薦団体や有権者の間で討議を繰り返し話し合いを重ねるなど、各方面の協議を行わなければならない(第三一条)。そこで、中国共産党が中心となる各政党の力関係は、そのまま統一候補者名簿に反映することになる。
  ここで、協議による立候補の制度が一つの重要な機能をもっていることが、留意されるべきである。もともと、現行選挙法では、「選挙日に代表候補者についての紹介を停止しなければならない」とする第三三条但書以外に、選挙運動の規制に関する明文規定は、いっさい見当たらない。しかし、現実的には、立候補の段階における協議を経たものであるがゆえに、西側諸国の場合に見られる激しい自由競争的な選挙運動をするのは、やや不自然なこととなる。そして、協議による立候補が中心となるから、自由競争的な選挙運動を立候補の段階に持ち込むのも、不可能に思われている。したがって、協議による立候補の制度は、現実的には、自由競争的な選挙運動に示されるような選挙の自由への要請を解消する機能を果たしていると言えよう。
  自由競争的な選挙運動のかわりに、中国の現行選挙法は、選挙委員会(間接選挙の場合では人民代表大会議長団)や候補者を推薦した推薦団体及び有権者が選挙民集会グループ(間接選挙の場合では代表グループ会議)で候補者を紹介することができる旨規定している(第三三条)。実際の運営では、それはさわやかな雰囲気の中で行われるのが、一般的であり、また、候補者の紹介が不充分、不平等などの実態も指摘されている(21)
  こうした選挙制度の下で、投票にあたって、有権者が、一般的に候補者リストの枠内で代表を選出するのは、自然な傾向となる(22)。そこで、中国共産党が協議による立候補をコントロールすることによって、自ら政権担当を維持するために最低限必要な議席を獲得できるのはもちろんのこと、各方面の候補者の当落をコントロールすることさえできると考えられる。
  このことを微妙に裏付けているのは、西側に理解しがたい「最適当選率調整論」が中国で検討されていることであろう。一部の学説は、かつて共産党が各レベルの人民代表大会で占めている議席が多すぎたとして、共産党が多数の議席を保障できるようにした上で、他の各政党や各少数民族及びその他の各方面の人物を配慮しつつ、彼らに適当な議席を与えるようにすべきだと主張し、なかでも、共産党が自らの議席の比率を全体の五五%から六〇%までに絞りこむべきだという具体的な提案さえ出ている(23)。このような議論を、時には、共産党自身は「多党協力」や「統一戦線」や「各民族の団結」という政治的配慮から真剣に受け止めるのも、否定できないのである(24)
  こうしてみると、中国の選挙制度では、協議による立候補は、そもそも選挙の中核となるべき投票と比べて、同様に重要な意味をもっており、言い換えれば、協議は、投票の機能をある程度において分担したと言ってもよい。その極端な法的状況は、文化大革命時代に見られていた。当時、人民代表大会の選挙は、長期にわたって中止され、ほとんど協議による選出にとってかえられた、という異例の歴史があった(25)
  こうした協議による立候補の制度は、早くも抗日戦争時代の人民解放区で行われていた、中国共産党が発案した「三三制(26)」に見られるが、協議による役人の選出は、さらに科挙以前の古代中国の「郷選」・「里挙」の伝統にさかのぼる。そして、協議による立候補の制度が中国で確立できたのは、中国人の根強い「選挙への不信(27)」によっても説明されうるが、それは、清末立憲君主主義運動以降の中国で展開されていた「近代の超克」の一つの結実とも捉えられる(28)
  ただ、中国の現行選挙制度は、かような協議による立候補の制度が有する独特な機能によって、ある意味での比例代表制の要素を加味されていると考えられる。むろん、それは、西側国家で実行されている通常の意味での比例代表制と異なって、一種の、いわば立候補の段階において、自由選挙の場合における競争原理が人為的に抑制された上で実現した独特な「比例代表制」であると理解されねばならない。
  2  大小選挙区並立制
  選挙制度は、国によって様々に相違するが、西側国家では、世界中の多様な選挙制度を分類する基準として、選挙区のサイズ、議席決定方法及び投票方法の三つがあると考えられている(29)。そして、選挙区のサイズの基準からみて、選挙制度は、理論上、一選挙区あたりの議員定数が一人である場合の小選挙区制、二人以上である場合の大選挙区制の二種類に分けられる。日本では、自らこれまで長期的に存在していた、一選挙区から三人ないし五人までを選出する衆議院の選挙区制を、慣用的に「中選挙区制」と呼んできている。日本のこの制度が、外国では「日本方式」(Japanese System)といわれるほど一定の独自性を帯びるものとして、大選挙区制に属するものに過ぎないとする学説も存在する(30)
  そして現実では、選挙区の大小が、選挙結果に重大な差異をもたらし、代表構成に直接的な影響を与えるのは、周知のとおりである(31)。一般的に、小選挙区制は、多くの選挙区で最大または有力な多数派にとって有利なので、一党優越制または二党制の形成をうながしやすいのに対して、大選挙区制は、一般的な場合において、定数が多くなるほどに、少数派や中小政党が当選者を出しうる可能性が高くなる。こうしてみると、この分類方法は、複数政党制の下での選挙制度を検討する上で、重要な意味をもつのである。
  本章第一節では、中国における選挙区制のあり方を、居住点と生産点を混合する選挙区制と位置づけて論じた。もともと、居住点と生産点による選挙区の区分方式を基準に行う分類は、中国では通常の分類方法となっており、すでに述べたように、それは、社会主義憲法理論の名残りとして一種の体制イデオロギーの色彩を多少とも帯びているものだとも言える。そして、中国では、「一党指導・多党協力」制を「複数政党制」と認識する考え方も存在しているにもかかわらず、より技術的な見地から選挙区のサイズといった基準に従って行なう分類方法は、あまり見当たらない。
  こうした技術的な分類方法およびそれによる憲法学的検討が欠如してきたこともあって、現実で形成されてきた中国の現行選挙区制は、選挙区のサイズといった基準に従って認識されるには、もはや困難な状況になっているのである。まず、多段階間接選挙制が存在しているがゆえに、各上級の人民代表大会の選挙においては、居住点と生産点を混合する選挙区制とともに選挙区の大小というような選挙区制の問題は、そもそも存在していない。そして、県レベル以下の地方人民代表大会の直接選挙において、現行憲法の場合はもちろんのこと、従来の選挙法でさえ、各選挙区の人民代表定数について、明確的・具体的な規定を設けていなかった。ただ、一九八三年三月第五期全人大常務委員会第二六次会議に採択された「県レベル以下の人民代表大会の直接選挙に関する若干の規定」は、「選挙区の大小は、一選挙区ごとに一名から三名まで選出するように従って区分される」(第八条)と定め(32)、この規定は、最近になされた一部修正により現行選挙法の第二二条二項に取り入れられるようになった。西側国家の分類基準からみれば、この制度は、小選挙区と大選挙区を併用しているものとして、いわば一種の大小選挙区並立制ともいえる。
  こうした大小選挙区並立制は、もともと、中国の各地方における人口分布の不均衡構造などの複雑多様な要素に対応するのにメリットがあると考えられるが、しかし、居住点と生産点を混合する選挙区制と複雑に絡み合って、この制度は、都市と農村の一代表当たりの人口基数の不均衡に、一つの「受け皿」を提供しているだけでなく、さらに、実際的運営の現実では、単独にも選挙区における人民代表定数の不均衡をもたらす温床となっている場合もありうる。選挙区の法定主義をとっておらず、選挙区画作業はそれぞれの地方に委ねられていることもあって、一部の地方が不規則な選挙区をつくり出したことによって、各選挙区間における人口の「過大な格差」が生じていると指摘されている(33)
  その背景には、現行選挙制度に、「戴帽」といった制度が存在していることが無視できない。「戴帽」(da`i ma`o、帽子をかぶるという意味)制度とは、中国の選挙業務の中で生まれた俗称であり、下級の人民代表大会の選挙にあたって、上級の人民代表大会が特定の人物を候補者として指名し、同時にその数に応じて当該選挙区(あるいは選出母体)に枠外の定数を振り向ける、という一種のインフォーマルな制度を指している。たとえば第七期全国人民代表大会の場合(一九八八年三月〜一九九三年三月)、その総定数の二九七八名のうち、二二〇人の代表は、すなわちそうした「戴帽」制度のもとにおいて各地方によって選出されたものである(総定数の〇・七四%を占めている(34))。
  前記の「県レベル以下の人民代表大会の直接選挙に関する若干の規定」の草案を討議するにあたって、一部の者は、都市部では地元の候補者だけでなく、「戴帽」制度のもとで上から指名されてきた「各方面の人物」をも選出せざるをえないとして、一選挙区ごとに一名から三名までではなく、一名から五名まで選出するように選挙区を区分すべきだと提案したが、最終に受け入れなかった、という経緯があった(35)
  3  地域代表制と職能(分限別)代表制とを混合する選挙制度
  日本の学説・判例にも示されたように、選挙における議員定数不均衡問題をめぐっては、地域代表制と職能代表制に関する検討は、見落としてはならない重要な論点の一つとなる(36)
  全国を地域的に区分して選挙区を編成し、各選挙区ごとに選挙を行ない、代議士を選出する選挙方法を地域代表制というのに対して、職業の団体から代表を選出するのが、職能代表制の一般的なあり方である。周知のように、今日の世界では、地域代表制は各国の選挙制度の主流となっており、一部の国は、職能代表制を地域代表制を補充するものとして採用している。
  日本では、「国民主権」の下で、全国民の代表機関としての国会については、地域代表制は、専ら技術的な見地からとらえられるにすぎず、そして、社会構造の複雑化や職業団体に対する明確な把握の困難性などを根拠として、同じく技術的な見地から職能代表制を敬遠すべきとする見解が、有力であり続けてきた。
  これに対して、中国の現行選挙制度は、地域代表制と職能(分限別)代表制とを混合する選挙方法を採用していると見られている(37)
  地域代表制についてみれば、現行選挙法は、各レベルの地方人民代表大会における直接選挙の場合においては地域代表制をとっており、各上級の人民代表大会における間接選挙の場合においても、下一級のそれぞれの地方の人民代表大会を選出母体としている。そして、日本の場合と異なって、中国における地域代表制は、単に技術的な見地から是認されたものではなく、現行憲法における人民主権・人民代表制にその原理的根拠をもつと考えられる(38)。全人大の場合でさえ、「全国人民代表大会組織法」は、そのすべての代表は選挙母体ごとによって組織される「代表団」から構成されるとしており(第四条一項)、実際の運営では、そうした各「代表団」の中でも、各地方(省レベル)の地域ごとによって区分される若干の「小組」(グループ)が組織されている(39)。こうした「代表団」や「小組」は、地方を代表する意味において、重要な役割を果たしていることが見落とされてはならない。
  地域代表制の場合に対して、職能(分限別)代表制については、もともと、選挙法上の明確な根拠が存在していない。また、ここでいう「職能代表」とは、中国の学説では「界別代表」(分限別代表)と表現されているように、厳格な意味における各職業団体を代表するものだけではなく、「中共党員」、「民主党派」、「無所属」、「帰国華僑」、「労働組合・共産主義青年団・婦人団体の代表」、「各民族の代表」、「労働者・農民・軍人・知識人・事業者の代表」および「各宗教界の代表」など、広い意味での「各方面の代表」を指しているのである(40)。選挙法の実際的運営において、中国共産党による「労農同盟」、「統一戦線」および「各民族の団結」(いずれも現行憲法に集約されている)などの政策的配慮から、こうした各方面の代表が一定のバランスをとれた当選が、望まれている。その苦心の作業は、上述の「協議による立候補制度」の下で巧妙に行われ、「戴帽」制度も、「各方面の代表」の当選及びその比率の調整を確保する上で、大きな役割を演じている(41)
  こうしてみれば、今日の中国では、いわゆる職能(分限別)代表制は、地域代表制の枠組みの中に入っており、後者を補完する機能をもつものとして注目されるべきである。
  もっとも、こうした地域代表制と職能(分限別)代表制とを混合する選挙制度、なかんずくその職能(分限別)代表制は、複雑かつ多様な国民意思の構造に対応し、少数派の意思を人民代表機関に反映しうる選挙制度として、まったく評価できないものではない。しかし、現実では、この制度、とりわけ職能代表制の実行は、様々な問題を生み出しているのも、事実である。なかでも、各職能(各分限別)の代表の選出が技術的には極めて困難であること、各方面の代表の当選確保とその調整を行なう結果として各レベルの人民代表大会の代表定数が増えており、人民代表大会の運営が困難にさらされる状況が指摘されている(42)。実際のところ、このほかに、地域代表制と職能(分限別)代表制とを混合する選挙制度の運営に伴って「戴帽」制度がつねに活用されることによって、すでに述べたように、選挙区間における人民代表の定数不均衡が必然的に生じてくるという問題点も、無視できないのある。

(1)  アメリカ最高裁判所元長官ウォレンはかつて、投票権をもつ者の間の平等という基準が、代議政体、多数決原理、法の平等保護といった一
般原理により支えられるものであると指摘していた。Reynolds v. Sims, 377 U. S. 533 (1964);戸松秀典『平等原則と司法審査−憲法訴訟研究−』、一九九〇年、有斐閣、一九二頁参照。
(2)  当時の中国の革命根拠地(ソビエト政権)における選挙制度については、日本では、福島正夫教授の研究が、なお重要である。同『中国の人民民主政権』、東京大学出版会、一九六五年、五五頁以下参照。
(3)  これについて、中国では、王叔文教授の見解は代表的だと言える。王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』(土肥道子・林来梵・永井美佐子共訳)、法律文化社、一九九四年、三四頁参照。
(4)  中国人民大学法律系国家法教研室編著『中国憲法教程』、中国人民大学出版社、一九八八年、一七六頁。
(5)  今日まで、中国ではすでに、一九五三年選挙法と一九七九年選挙法が制定・公布されてきたが、一九七九年選挙法は、一九八二年と一九八六年の二回にわたる部分修正を重ねられ、さらに今度の一九九五年三月に行われた第三次の部分修正を経て、現行選挙法となっている。
(6)  これについては、日本では、数多くの研究と紹介が重ねられてきているが、差し当たり、次の三つを挙げておきたい。タウスター『ソ同盟における政治権力II』、前川確三・川口是訳、岩波書店、一九五四年、一五〜一六頁。星野安三郎「選挙権の法的性格ーその学説史的反省ー」、鈴木安蔵編『日本の憲法学』所収、評論社、一九六八年、一八一〜一八三頁。トポルニン『ソビエト憲法論』(畑中和夫監訳)、法律文化社、一九八一年、七頁以下。
(7)  R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, Human Rights in Contemporary China (Columbia University Press, N. Y. 1986), pp. 96〜98.
(8)  呉家麟主編『憲法学』、(中国)群衆出版社、一九八五年、二二四頁以下。
(9)  ソ連の一九三六年憲法に掲げられた普通選挙制に関わる「階級消滅論」について、比較的新しい研究として、塩川伸明「『東』側世界での議会の復権」を参照。『ジュリスト』、一九九〇年五期。同研究に従ってみれば、中ソの間に明らかな相違を見だしうる。特に当時のソ連の場合の「階級消滅論」が、「社会主義建設完了論」や「同質社会成立論」などと共に唱えられていたことは、留意されるべきである。
(10)  浅井敦『中国憲法の論点』、法律文化社、一九八五年、九二頁〜九三頁。関星「試論公民的不参選権」、梓木『民主的構思』所収、(中国)光明日報出版社、一九八五年、一六七頁以下参照。
(11)  前掲の『現代中国憲法論』、王叔文執筆部分、三五以下参照。
(12)  塩川伸明・前掲論文参照。
(13)  中国公式文献「彭真同志在全国選挙試点工作会議上的講話」(一九七九年一二月二七日)を参照。(中国)全国人大常委会弁公庁連絡局編
『選挙工作手冊』に所収、開明出版社、一九九二年、一二二頁以下。
(14)  張友漁『憲政論叢』(下)、(中国)群衆出版社、一九八六年、五頁以下。
(15)  蔡定剣『中国人大制度』、(中国)社会科学文献出版社、一九九二年、一四四〜一四七頁。
(16)  塩川伸明・前掲論文参照。
(17)  蔡定剣・前掲書、一三六頁以下。
(18)  同上など参照。
(19)  葉氏ら「略論差額選挙制度」、(中国)『法学評論』、一九八八年第四期。呉祖謀「我国選挙制度的民主性」、(中国)『河南師大学報』、一九八〇年第四期など。
(20)  塩川伸明・前掲論文参照。
(21)  蔡定剣「競争機制与民主選挙」、(中国)『法制建議』、一九八八年第六期。
(22)  現段階の中国では、投票行為に関する実証的研究や公式的統計資料が甚だ不十分な状況にあると言わねばならない。さしあたり、孟福「不同類型的代表候選人落選情況的調査与分析」一文を参照。(中国)『政治与法律』、一九九一年第二期。
(23)  これについては、重要な学説・提案として、徐炳氏などの学者の研究が存在する。同「政治改革与完善人民代表大会制度」、呉大英・劉瀚『政治体制改革与法制建設』に所収、(中国)社会科学文献出版社、一九九一年、八三頁参照。
(24)  中国公式文献「中央統戦部・全国人大常委会弁公庁関於県級人大、政協換届中党外人士比例下降情況的報告及意見」(一九八七年六月一三日)などを参照。(中国)全国人大常委会弁公庁連絡局編『選挙工作手冊』に所収、開明出版社、一九九二年、一〇五頁以下。
(25)  都淦
編著『人民代表大会選挙制度研究』、四川人民出版社、一九九〇年、六一頁以下参照。なお、注目に値するのは、もともと、一九七五年憲法(いわゆる「文革憲法」)は、人民代表大会代表の選出方法に関して、「民主協議選挙産生」(第三条三項)と規定し、この微妙な文言が、「民主的協議によって選出される」ともとらえられる、ということである。
(26)  抗日戦争時代に、中共は「統一戦線」を掲げ、延安辺区で共産党員、小ブルジョア階級を代表する左翼的な進歩分子、中等のブルジョア階級や開明紳士を代表する中間分子がそれぞれ三分の一を占めるようにする選挙の立候補制度を実施していた。これは、いわゆる「三三制」である。都淦・前掲書、五七頁、福島正夫・前掲書、三七五頁以下。
(27)  近代以来、梁啓超や孫文や毛沢東などの思想には、いずれも「選挙への不信」が横たわっている。そして、かつて毛沢東の「不要迷信選挙」
(選挙を盲目に信用すべからず)という言葉は、あまりにも有名であった。彼の「選挙への不信」については、前掲R. Edwards, L. Henkin & A. J. Nathan, Human Rights in Contemporary China, p. 146以下参照。
(28)  ある意味では、中国の現行社会主義憲法体制が中国の近代以来の「近代への超克」の帰結に過ぎないというべきであるにもかかわらず、従来の中国では、「近代への超克」に関する憲法学・憲法史的アプローチは欠落してきている。これに対して、日本では、樋口陽一教授の憲法学は、中国の場合にとっても、示唆的である。日本における「近代への超克」については、同『自由と国家』、岩波新書、一九八九年、七七頁参照。
(29)  小林良彰『選挙制度』、丸善ライブラリー、平成六年、一頁以下参照。
(30)  小平修『現代世界の選挙と政党』、ミネルヴァ書房、一九八二年、八五頁以下。加藤秀治郎『リーディングス・選挙制度と政治思想』、芦書房、一九九三年、二〇七頁以下。
(31)  小林直樹『(新版)憲法講義』(下)、東京大学出版会、一九八一年、一一五頁。小平修・前掲書、八六頁などを参照。
(32)  「全国人民代表大会常務委員会関於県級以下人民代表大会代表直接選挙的若干規定」は、前掲の(中国)全国人大常委会弁公庁連絡局編『選挙工作手冊』に所収、六七頁以下。
(33)  こうした現象は、かなりのところで現れていると推測できるが、中国での実証的研究や筆者の入手して公式的文献・資料が不十分なので、さしあたり、福建省の場合を挙げることにとどまる。中国福建省人民代表大会公式文献「関於修改『福建省県、郷両級人民代表大会代表直接選挙実施細則』的説明」(一九九三年五月三一日)、(中国)福建省選挙弁公室編『選挙工作手冊』、福建教育出版社、一九九三年、八三頁以下。
(34)  「戴帽」制度の実態については、蔡定剣・前掲書、一四二〜一四四頁以下などを参照。
(35)  中国公式文献「王漢斌同志『関於県級以下人民代表大会代表直接選挙的若干規定(草案)』的説明」、前掲・(中国)全国人大常委会弁公庁連絡局編『選挙工作手冊』、七〇頁以下参照。
(36)  これについては、樋口陽一「利益代表・地域代表・職能代表と国民−最高裁判決のなかの議会制像を手がかりに」、『ジュリスト』、一九八六年五月。なお、渡辺良二『近代憲法における主権と代表』、法律文化社、一九八八年、一六九頁以下。
(37)  徐炳・前掲論文。前掲書、八三頁以下。
(38)  中国憲法における人民主権・人民代表制については、拙稿「中国における人民代表の免責特権条項−人民主権・人民代表制原理の視点から−」第四部分を参照されたい。『立命館法学』、一九九四年第四号。
(39)  蔡定剣・前掲書、三四八〜三四九頁、三五四〜三五五頁。
(40)  徐炳・前掲論文。なお、全人大における「各方面の代表」の議席配分について、「歴届全国人民代表大会代表構成和任期情況表」(『全国人民代表大会』、中国民主法制出版社、一九八九年、二六六頁)を参照。
(41)  徐炳・前掲論文。
(42)  同上。

第二章  中国における定数不均衡をめぐる法規範とその現状
一  西側諸国における平等選挙に関する問題の所在---日本の定数不均衡の状況を主にして---
  1  歴史上における不平等選挙
  選挙人の投票の価値をすべて平等に扱うという意味で、今日では、大抵どこでも平等選挙を原則としているが(1)、歴史上、このような平等選挙に対して不平等選挙(「差等選挙」、「差別選挙」あるいは「等級選挙」とも呼ばれる」があり、その形態としては、通常、二つのものがよく挙げられている(2)
    (1)  複数投票制(Pluralwahlrecht)
  この制度は、選挙人の財産、教育、年齢、社会的身分などに応じて、一人一票主義によることなく、一部の者に一人二票或いは三票といったように複数の投票権を認めるものである。この制度は、S・ミルなどにより推賞されたことがあり、いわゆる「大学選挙区」で有名なイギリスやベルギーなどにその典型を見ることができた(3)。この複数投票制は、ベルギーでは一九二一年の憲法改正で、イギリスでは一九四八年の人民代表法の制定によって、ようやく廃止された(4)
    (2)  等級別投票制
  この制度は、一九一八年革命以前のプロイセンがとっていた三級選挙制(Dreiklassensystem)という代表的な例に見られるように、有権者を身分、門地、財産、教育などによっていくつかの等級(階級)に分けて、それぞれの選挙人数の比率に差をつけることを通じて、選挙権の価値を不平等にする制度である。
  こうした等級別投票制は、一九世紀のプロイセンやスペインなどのヨーロッパ諸国で採用されていたが、日本においても大正末年頃まで市町村会議員の選挙や旧貴族院議員の伯子男爵互選規則による選挙にも見られたものである(5)
  2  平等選挙をめぐる今日的な問題状況
  上述したところのような不平等選挙は、いわば意図的な制度として、歴史上次第に姿を消していった。これに対して、今日では、人口動態の変化や選挙区割によって同じ一票の価値が甚だしい差異を生ずること、すなわちより非意図的、あるいは技術的な選挙の不平等は、選挙制度にかかわる最も中心的な問題の一つとなっている。日本で「選挙区間における議員定数配分不均衡」と呼ばれているのが、それである。
  日本の公職選挙法は、選挙区について選出すべき衆議院と参議院の議員の数をそれぞれ選挙法の別表第一と別表第二で定める方式、いわゆる「選挙区法定主義(6)」をとると同時に、衆議院の議員定数配分について五年ごとに直近に行われた国勢調査の結果によって更正する旨明記している。
  公職選挙法制定の際、選挙法別表第一が一九四六年四月の全国人口調査に基づいたように、選挙区間における議員定数の割当てが当時の人口に比例してほぼ均等に行われたと見られるが(7)、その後、人口の大都市部への集中と農山村部の過疎化が進み、人口動態の変化が長期にわたって恒常化したのに対して、選挙法別表更正による定数是正はしばしば怠られていた。そこで、選挙区間における議員定数不均衡がつねに生じ、かつ重大な問題となって、これを理由とする選挙無効訴訟を誘発するとともに、激しい世論の批判をも浴びることとなった。
  衆議院の場合、定数不均衡は一九五〇年代半ば頃からすでに表面化し、一九六三年総選挙時に最大格差が一対三・五五(人口比、以下同様)に達したが、国会が定数を一九名増員し過小代表区の定員を増やすことによって、不均衡の最大格差を一対二・一九まで抑えた。しかし、その後の人口変動状況によって格差がふたたび拡大し、一九七二年末の総選挙時に最大格差は、大阪三区と兵庫五区との間で一対四・九九にまで達した。一九七五年に、二回目の定数是正が国会によっておこなわれ、定数の二〇名増員と大都市部のいくつかの選挙区の分区により、不均衡の最大格差は、一対二・九二となったと見られたが、しかし、この一九七五年の定数是正は、一九七〇年の国勢調査に基づいて行われたがゆえに、その後一九七五年の国勢調査の結果から計算すると、当時の最大格差はすでに一対三・五程度に達していたことが判明した。一九八〇年当時の最大格差一対三・九四(千葉四区対兵庫五区)に対して、最高裁が一九八三年になって違憲状態と判断し、学説の議論を含めて世論と野党の批判もさらに高まった。しかし、定数是正は行き詰まったがゆえに、一九八三年末選挙当時の最大格差は、一対四・四〇に達した(8)。その後、衆議院議員の定数配分不均衡の状況は依然として深刻である。例えば、一九九二年に定数配分規定が改正されたが、その後にこれに基づいて行われた翌年の衆議院議員選挙は、なお一対二・七七といった不均衡の状態を回避することができなかった(9)
  参議院の場合は、衆議院の場合よりも著しい不均衡の状況が存在している。特に、かつて、是正措置が長期にわたってなされなかったため、地方区選挙においては、その最大格差は一対六をこえていた(10)。そして、一九九四年六月に、「八増八減」の定数是正が行われたが、最近(一九九五年夏)の参議院選挙では、最大格差(有権者数)はなお一対四・九九(鳥取選挙区対東京選挙区)になっている、という(11)
  かような選挙区間における議員定数配分不均衡の問題は、単に日本だけではなく、イギリス、アメリカ、旧西ドイツなどを含めて、広く西側諸国の選挙に見られ、今日の選挙制度にかかわる重大な問題の一つになっていると指摘されているのである(12)
  3  西側諸国の不平等選挙問題に対する中国側の認識
  中国では、資本主義国家における平等選挙をめぐる問題点に、比較早い時期に触れたものとして、蕭蔚雲教授の研究成果は、重要であると思われる(13)。そこでは、資本主義憲法の平等選挙と自由選挙の二原則をセットして言及するといった論述方法がとられており、「平等・自由選挙の原則は資本主義国家においても虚偽的なものでしかない」と断言されている。その理由として、主に西側諸国における歴史上の複数投票制と三級選挙制が挙げられている。そして、その今日的状況については、日本とアメリカの「金銭による選挙」の実態のみを指摘するにとどまっているが、そこから、「こうした状況の下に、いわゆる平等・自由の選挙は、その真の実現が極めて難しい」といった結論が引き出されている。
  より詳細な論及として、陳荷夫教授の研究成果は、注目に値する(14)。そこでは、複数投票制と三級選挙制がさらに詳しく紹介されている一方、現代の資本主義国家の選挙について、「平等選挙の原則を乱暴に破壊する現象がなお深刻に存在しており、それは主に次のように現れている。すなわち選挙区割や反民主的な投票集計方法によって、一部の進歩的な政党の候補者は獲得した投票が反動的な政党の候補者の得票より多くなっているが、実際のところ議会での議席がかえって少なくなっているのである」というように指摘された上で、「これはまた、ブルジョアジーが標榜している平等選挙が依然として複数投票制に類似していることを物語っている」と論じられている。
  西側諸国の平等選挙に関わる問題に対する以上のような認識が、いささか時代遅れの観を呈していること、および今日的的問題の所在に対する実証的研究が不足していることは言うまでもなく、それらの認識は、中国における自らの問題の所在に誘発された悩みを、「お互い様」という素朴な気持ちで解消してしまうのに役立つに過ぎないことが、留意されるべきであろう。
二  中国における選挙の不均衡の構造
  さて、中国では、平等選挙に関わる問題は、どうなるか。
  これを解明する前に、学説における中国の現行選挙制度に関する「相対的な平等選挙」ないし「平等選挙の相対性」といった論点をあらかじめ理解しておく必要がある(15)
  中国では、一九五三年選挙法が「すべての有権者は一つの投票権のみを有する」(第六条)と明記し、それ以来、「一人一票」という次元で平等選挙が保障されてきている。しかし、すべての選挙法は同時に、都市と農村、漢民族と各少数民族の一代表当たりの基礎人口数に関して、それぞれ異なった比例を設けており、「有権者の投票の効力が不平等である(16)」ことになっている。これは、つまり学説で言うところの「相対的な平等選挙」や「平等選挙の相対性」のことである。
  すでに見たところ(第一章第一節)だが、こうした「相対的な平等選挙」は、「直接選挙と間接選挙の併用制」などと並行して語られていることに見られるように(17)、法制度の次元で存在しているというべきである。すなわち、中国では、選挙における不均衡は、そもそも、選挙法の明文規定によって「保障」されている、ということである。そして、この制度は、ただ単に、都市と農村、漢民族と各少数民族の一代表当たりの基礎人口数の格差だけではなく、人民解放軍による「単独選挙」区への優遇的な定数配当など様々な不均衡形態に現れている。さらに、この制度は、他のそれぞれの制度と複雑に絡み合いながら、実際的運営の結果として、選挙区間における定数不均衡の形態に集約されるがゆえに、選挙区間における定数不均衡という新たな実態をも生み出しているのである。
  ここでは、そうした複雑な不均衡の構造を整理してみることにしよう。
  1  四つの主な不均衡形態
    (1)  都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差
  選挙法は、都市と農村とで選出する一代表当たりの基礎人口数に格差を設け、かつ、具体的な比率を定めている。
  一九五三年選挙法以来、各選挙法(改正された選挙法を含む)で規定されているその比率は、表(1)のとおりである。
  この表(1)によって、都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差は、一九五三年選挙法以来、次第に縮小されてきている、という基本的な流れが見だされる。もとより、このような都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差は、一九五三年選挙法制定当時、立法関係者が「我々はさらに平等的または完全な平等的選挙へと移行するために完全に必要なのである(18)」と説明されているように、一種の「過渡的性格を内包している(19)」と言われている。
  そして、もう一つのことが、表(1)をとおして留意されるべきである。すなわち、こうした都市と農村の一代表当たりの基礎人口数の格差は、一九七九年選挙法の第二次部分修正(一九八六年)を区切りに、それ以前の選挙法においては、全国人民代表大会レベルから県人民代表大会レベルまで次第に縮められているが、今度の第三次部分修正(一九九五年)を経た現行選挙法では、各レベルが一律にして一対四に整えられた、ということである。こうした修正の理由について、立法関係者は、次のように述べている。「四十数年以来、なかんずくここ十数年の改革・開放以来、我が国の政治、経済、文化はすでに大きな発展を遂げ、都市と農村の間での人口の比例にもかなり大きな変化が生じているがゆえに、新たな状況に応じて農村と都市の一代表当たりの人口数の比率を縮小すべきである。そこで、草案(今度の第三次修正案のこと、そのまま全国人民代表大会常務委員会で通過された−筆者)は、省、自治区と全国との二つのレベルの人民代表大会における農村と都市の一代表当たりの人口数の比率を、従来の五対一、八対一から四対一に改め、自治州、県、自治県が依然として四対一を維持して変えないことにした(20)」。
  しかし、この釈明では、なぜ、いままでの「段階格差方式」を「均一格差方式」に変更したのかについては、説得のいく説明がつかないと思われる。もともと、従来の公式的説明や学説は、かつての「段階格差方式」の理由についても何も説明をして来なかったが、後にまた触れるように、一対四の「均一格差方式」は、直接に三〇年代初頭の革命根拠地時代の選挙法令に溯る。そして、従来の「段階格差方式」が人民代表大会制の「民主集中制」の趣旨とあいまつ「中央集権主義」の志向に呼応していたものであるとすれば、今度こうした「均一格差方式」が確立しえたことには、ここ数年地方権力がそれほど台頭してきたことがその背景にあるかのように、推測されうる。
    (2)  漢民族と各少数民族との一代表当たりの基礎人口数の格差
  中国は多民族国家であることは、周知のとおりである。今日、中国には、漢民族や多数のいまだ確認されていない少数民族のほかに、五五個の少数民族が存在しており、その多くは漢民族と雑居している。一九九〇年に行われた第四次全国人口調査の結果によれば、漢民族が全国総人口の約九一・九%を占めているに対して、各少数民族の総人口は約八・一%しか占めておらず、そのなかで、人口三七六、八三七人(当時全国人民代表大会の一代表当たりの平均人口数)以上の少数民族は、わずか二三個であり、人口一三〇、〇〇〇人(当時都市部における全国人民代表大会の一代表当たりの基本人口数)未満の少数民族は二四個となり、人口一、〇四〇、〇〇〇人(当時農山村部における全国人民代表大会の一代表当たりの基本人口数)未満の少数民族は、さらに三七個にのぼっている(21)。そこで、各ベレルの人民代表大会選挙において各少数民族の代表を選出することを確保するために、一九五三年選挙法以来、各選挙法はいずれも、少数民族への代表定数配分を格別に配慮する原則を定めている。
  (イ)  全国人民代表大会選挙の場合
  一九五三年選挙法は、少数民族から選出すべき全国人民代表大会の代表定数を一五〇人と明確に規定し、この定数以外に、少数民族の有権者がさらに代表に当選できるとした(第二四条)。一九七九年選挙法は、この定数法定主義を放棄して、全国人民代表大会代表の選挙においては、全国人民代表大会常務委員会が各少数民族の人口数及び居住状況などの事情を踏まえて、各少数民族の定数を各省、自治区、直轄市の人民代表大会に直接に配分し、人口が特に少ない民族でも、少なくとも一人の代表を有する(第一五条)旨などを規定していた。その後の各修正は、いずれもこの規定を踏襲してきたのである。
  そこで、次の表(2)(22)のごとく、従来、全国人民代表大会において、少数民族の代表定数は、総定数に対してかなり高い比率を占めている。第七期全国人民代表大会の場合を例にとって見れば、第四次人口調査(一九九〇年)の結果から計算すると、その代表定数配分当時における漢民族と少数民族の一代表当たりの人口数の格差は、全体的に約一対二となっている。そして、人口が特に少ない民族でも少なくとも一人の代表を選出すべきという原則から計算すると、その最大格差は、約一対一九二(漢民族対人口が最も少ない「赫哲族」)にも達している。
  (ロ)  各地方レベルの人民代表大会選挙の場合
  選挙法は、少数民族の一代表当たりの基礎人口数が、基本的に、当該地方の人民代表大会の一代表当たりの基礎人口数の基準を下回るようにするという原則を、示している。一九五三年と一九七九年の二つの選挙法では、いずれも、一地域内に集居する同一の少数民族の総人口が当該地域の総人口数の一〇%以上となる場合は、その一代表当たりの基礎人口数は当該地方の一代表当たりの基礎人口数の基準に相当すると規定するが、一〇%未満の場合は、当該地方の一代表当たりの基礎人口数を下回るようにすることができる(ただし、二分の一を限度とする)と定められている。第一次修正では、この一〇%の総人口数基準は一五%に改められたが、区域自治を実施し、かつ人口が特に少ない自治県において、省ないし自治区の人民代表大会常務委員会の決定を受けて、二分の一の限度をさらに下回るようにすることができる(第一六条)と定められている。そして、第二次修正は、一五%基準をさらに三〇%に改めたとともに、少数民族の人口が五%未満の場合では、二分の一の限度を下回るようにすることができ、一五%から三〇%の間の場合では、当該地方の人民代表大会の一代表の基礎人口数の基準を「適当に」下回るようにすることができると定めている。この第二次修正の規定は、今度の第三次修正によって、基本的に踏襲されている。
  以上のような代表定数配分における少数民族への配慮原則に関して、さらに次のような二つの点を説明する必要がある。
  第一に、こうした少数民族への配慮原則の実施は、大いに職能(分限別)代表制の運営と結びついている。そして、全国人民代表大会選挙の場合においてはもとより、各地方レベルの人民代表大会選挙の場合においても、今日各民族の雑居傾向が進み、多くの少数民族の有権者が漢民族の有権者と同一の選挙区を構成することになり、また、選挙という極めて生々しい現実の場面で、このような定数配分における少数民族への配慮原則が実現可能となりえたのは、やはり「戴帽」制度や「協議による立候補」制度が大いに機能しているからである。
  第二に、都市と農村の一代表当たりの人口数の不均衡の場合と異なって、こうした漢民族と各少数民族との不均衡は、中国では従来、学説や世論の批判の的となったことがあまり見当たらないばかりか、将来「永久に維持される」べきとみるような見解が、有力である(23)。日本でも、畑中和夫教授は、この制度を、「平等を機械的平等と解するのではなく、『合理的区別』による実質的平等の志向として容認できるところであろう」と指摘されている(24)。そして、上述した、各少数民族が定数配分の優遇を受ける同一の地域における総人口数の基準が変化してきたところからも、こうした漢民族と各少数民族との不均衡は、都市と農村との不均衡の場合とは逆に、次第に拡大してきているという傾向が伺われる。
    (3)  人民解放軍による「単独選挙」区への優遇的な定数配当
  中国では、選挙権及び被選挙権の要件についての欠格条項は、もともと西側諸国では一般的に政治的中立性を求められる軍人の場合には適用しないのみならず、逆に軍隊は特殊な有権者として、各レベルの人民代表大会の選挙において、いずれも代表定数の優遇的な配当を受けることになっている。言うまでもなく、この制度も、革命根拠地の伝統に由来し、さらに旧ソ連におけるソビエト制度の本来の発想にさかのぼる。
  一九五三年選挙法は、「人民武装部隊」に対して、全国人民代表大会選挙の場合では六〇名(第二二条)、省レベル人民代表大会選挙では三名から一五名(第一五条)、市レベル人民代表大会選挙では二名から一〇名(第一七条)、そして県レベル人民代表大会選挙では五名(第一二条)、それぞれの定数を明文をもって規定していた。一九七九年選挙法は、人民解放軍単独選挙区制度を導入し(第五条)、その後の一九八一年六月の第五期全国人民代表大会常務委員会第一九次会議で採択された「中国人民解放軍の全国人民代表大会及び地方各級人民代表大会の代表を選挙する方法(25)」によって、人民解放軍が自ら単独選挙区を構成・区画する制度が定着した。各レベルの人民代表大会の選挙における人民解放軍の定数については、全国人民代表大会選挙の場合では、選挙法が全国人民代表大会常務委員会によって決められるとしており(現行選挙法第一五条一項、二項)、各地方レベルの人民代表大会の選挙の場合では、上の「方法」が各駐屯所在地の各地方レベルの人民代表大会常務委員会の決定に委ねられると規定している(第四条二項)。こうした制度の下に、人民解放軍への優遇的な定数配当は、現実ではつねに人口比例主義をはるかに逸脱して行われており、普通の有権者との間に大きな格差を招来している(26)
  全国人民代表大会における人民解放軍の従来の議席と総定数を占める比率は、次の表(3)(27)のとおりである。
 一九八三年にはじめて公表された情報により、人民解放軍の人員総数が一九八二年時点では約四二三万であり、その後一〇〇万を削減されたところからすれば(28)、上の表(3)からわかるように、単なる全国人民代表代の選挙の場合でも、人民解放軍と普通の有権者との一代表当たりの人口格差は、つねに二ケタ以上に達している。そのなかで、特に、七〇年にの「文革」や八〇年代初期の対ベトナムのいわゆる「自衛反撃戦」など軍隊の役割が重要視される時期に、人民解放軍へ配分された定数は、端的に急増し、驚くほどの格差を生み出していることが明らかである。
  こうした人民解放軍への優遇的な定数配分によってもたらされた極端な不均衡に対して、従来の学説はあまり議論をしてこなかったが、ただ、ある学者は、「この種の不平等は、軍隊が我が国の政治生活における地位に規定されている」と指摘している(29)。なお、こうした人民解放軍による「単独選挙」区への優遇的な定数配当の措置も、分限別代表制の運営によって実行可能となるのである。
    (4)  選挙区間における定数不均衡
  上述したところからも明らかなように、以上のような不均衡の諸形態は、一般的に選挙法上の「原則」とされており、ほとんど職能(分限別)代表制を通じて実現されている。しかし、職能(分限別)代表制の原理じたいは、地域代表制に加味されたものとして、地域代表制の運営を通じて実行されているにほかならないから、結局、その不均衡の諸形態は、つまるところ、選挙区間における定数不均衡の形態に還元され、後者の場合によって集約されているのである。
  そして、すでに触れたように、これらの不均衡を確保する法制度は、ほかの様々な制度と複雑に絡み合って運営された結果、現実では、また新たな定数不均衡の要素を選挙区の間で生み出している。したがって、選挙区間における定数不均衡は、一つの単独な不均衡形態として、重要な意味をもっていると言うべきである。
  しかし、上にも述べたように、従来の学説は、都市と農村の一代表当たりの基本人口数の格差などの不均衡をつねに重要な論点として取り扱っているのに対して、選挙区間における定数不均衡をほとんど見落としてきている。
  地方レベルの人民代表大会選挙で現れている「選挙区間における定数不均衡」については、上(第一章第二節第二款など)にすでに触れておいたが、ここでは、第七期全国人民代表大会の場合(一九八八年三月〜一九九三年三月)における選挙区間における定数不均衡の状況を例に取り上げてみることとしたい。
  あらためて言うまでもないことだが、全国人民代表大会選挙の場合においては、間接選挙になるのであるから、そこでいう「選挙区」は、厳密な意味では、各省、直轄市、自治区及び人民解放軍の人民代表大会のことを指しているのである。ここでついでに、本稿で「選挙区間における定数不均衡」という場合の「選挙区」概念には、やむを得ずこのような間接選挙の場合における選挙母体のことも含まれるということを、断わっておきたい。
  こうした「選挙区間における定数不均衡」を検証するために、まず、次の表(4)(30)を見よう。
  次の表(4)を見れば明らかなように、各省、直轄市及び自治区の人民代表大会が全国人民代表大会代表を選出するにあたって、それぞれの選出母体の間には、一代表当たりの基本人口数が異なっているのである。その最大格差は一対四・八八(チベット対広西)となっており、最小格差でも一対一・五二(チベット対天津)に達している(31)。ここで留意すべきなのは、このような選挙区間に存在している格差は、都市と農村の一代表当たりの基本人口数の格差などを内包している、ということである。というのは、後者のような格差は、単に各選挙区(選出母体)の内部に存在しているが、この選挙区間における定数不均衡の格差の中核部分は、まさしくそうした都市と農村の一代表当たりの基本人口数の格差などの不均衡の下で生じた結果から形成されているからである。
  しかし、それだけではなく、そうした選挙区間に存在している格差には、また、都市と農村の一代表当たりの基本人口数の格差など法制度で確保されている不均衡の以外の要素、つまり、選挙法の実際的運営のなかで生じている、日本の選挙区間における議員定数配分不均衡の場合と同様な意味での格差が含まれている、と推定されうる。これを実証的に検証しようとすれば、当分の間は、絶望的ともいえる資料不足の状況に直面することになる。しかし、ほんの一部の例にすぎないが、次の表(5)(32)の資料は、多少、その実態の一端をうかがわせている。
  この表(5)に示されているように、各選挙区(選出母体)の「選出すべき代表の定数」は、実際に配当された代表定数との間で、一定の偏差が存在しているのが、明らかである。特に、こうした偏差の幅は、各選挙区(選出母体)によってそれぞれ異なっていることが一目瞭然であるが、そのような偏差の幅の格差には、やはり、恣意的な定数配分によって生じた「選挙区間における定数不均衡」の要素が隠されていると思われる。例えば、最大格差をなしているチベットと広西は、いずれも少数民族が集居している民族自治区であり(33)、しかも、当時、それぞれの都市と農村の人口が当該地方の総人口を占める比率はかなり接近している(34)ことから見る限り、その一対四・八八は、基本的に非制度的な選挙区間における定数不均衡にほかならないと考えられる。
  2  中国における定数不均衡と日本の場合との比較
  中国における定数不均衡と日本の場合のそれは、いずれも平等選挙原則に関わる重要な問題として、なかんずく選挙区間における定数不均衡の場合において、一定の類似性を伺わせている。
  しかし、一概に類似していると言えるとしても、両者が具体的に相違していることは、余りにも明らかである。
    (1)  上で述べた中国の場合における四つの形態に順番をつけて言うならば、第一形態から第三形態までは、同じく実定法の明文規定によって原則的に保障されている。これとは対照的に、日本の場合では、議員定数配分は選挙法別表に明記されているものの、議員定数配分の不均衡は、法的に容認されうるものではないのである。つまり、日本の場合では、選挙区の法定主義原則が、時の人口変動状況に基づいて選挙法別表を更正することを妨げておらず、むしろ選挙法じたいが一定の年限ごとにその更正を行なうことを立法者に義務づけることとなっており(衆議院議員選挙の場合)、議員定数配分不均衡は、単に人口変動が進む中でこの更正義務が怠られる場合においてのみ生じてくるものにほかならないのである。要するに、中国の場合では、第一形態から第三形態までの不均衡は、法制度の次元で存在しており、第四形態における一部の不均衡も、そうした法制度の次元で存在している不均衡を結実したものにすぎないのに対して、日本の議員定数不均衡は、もちろん、かつての衆議院議員選挙の場合での中選挙区制と参議院議員選挙における都道府県を一区画とする選挙区の制度の場合で生じているものではあるが、それ自体法制度として存在しているものではない。
    (2)  日本の議員定数不均衡の最大格差は、衆議院の場合では一対三以上、参議院の場合ではかつて一対六以上の状況が恒常化しているが、これは、最大格差であるから、ただ一断面的なものに過ぎない。これとは対照的に、中国の不均衡の格差は、例えば第一形態では、長期的に全国ベレルでは一対八、省レベルでは一対五、県レベルでは一対四となっており、今度の法改正によってすべて一対四となるが、これらは、いずれも不均衡の最大格差ではなく、画一的な格差基準である。そして、上の例で挙げた一対四・八八という中国の場合における選挙区間の最大格差は、日本の場合から見ると確かにそれほど驚くべきものではないが、しかし、そこにおいては、第一形態などの格差を内包していることが留意されるべきである。このように考えるならば、中国の場合の定数不均衡は、日本の場合より複雑かつ重大な状況にあると言わねばならない。
    (3)  日本において、現行法の下では、議員定数不均衡が生じているにも拘らず、立法者がこれを是正しない場合、どのようにして選挙人の選挙権を救済するか、という点についての救済制度は確立していないが、憲法制度としての違憲審査制などは存在しているから、司法救済の道はなお残されている。しかし中国では、選挙訴訟制度は存在しているものの(現行選挙法第二八条)、それは単に選挙民登録に関わる選挙権の救済を目的とするものにすぎず、また、違憲審査制が元来存在していないこともあって、定数不均衡に関わる司法救済は、不可能な状況におかれていると思われる。
    (4)  すでに触れたように、日本の選挙区間における議員定数の不均衡は、主に、経済高度成長にともなう人口の大都市部への集中といった人口動態の変化が進行するなかで次第に深刻な問題として現れてきたものであるが、中国でも、ここ十数年以来の「改革・開放」政策の遂行によって、沿海地方への人口の流動が進み、やがて無視できない社会問題となっている。しかし、もともと、居住・移転の自由は、現行憲法に明記されておらず、現実でも人口戸籍の管理制度によって制限されているのである(35)。上述したように、選挙法では居住点と生産点を混合する選挙区制が採用されているが、出稼ぎなどのようなの場合において、選挙民は、移転先の居住地や職場ででなく、戸籍所在地で有権者として登録されることとされている(36)。こうして見れば、選挙区間における定数配分は、人口の流動の結果を含む実際の人口状況がかなり無視された上で行われていると言える。勿論、選挙法は、選挙民が選挙期間に外の地域に出ている場合において、選挙委員会の同意を経て、書面によって他の選挙民に投票を委託することができると定めている(第三八条)が、しかしながら、このような「委託投票」制度は、ただ単に普通選挙に関わる問題を対処しうるものとしても、平等選挙に関わる問題を円満に解決することができるものではない。この人口の流動の要素を考え合わせれば、中国における選挙区間における定数不均衡には、さらに複雑かつ深刻な問題が含まれていると言わねばならない。
三  中国における定数不均衡の歴史的源流
  1  革命根拠地時代における定数不均衡---旧ソビエトの選挙制度の継受---
  一九三一年の「中華ソビエト共和国憲法大綱」(「江西大綱」)においては、「プロレタリアートだけが広汎な農民ならびに勤労大衆をみちびいて社会主義に向かって進むことができるのであるから、中華ソビエト政権は選挙の時においてプロレタリアートに特別の権利を与え、プロレタリアート代表の比例定数を増加する」と明記されており(第四条)、選挙法は、具体的に次のような方法を定めている。
  第一に、郷レベルのソビエトでは、労働者居住民は一三人、他の居住民は五〇人、県属市レベルのソビエトでは二〇対八〇人であり、省属市レベルのソビエトでは一〇〇対四〇〇人、中央直属市レベルのソビエトでは五〇〇対二、〇〇〇人、おおむね一対四の比率をなしている。間接選挙によるソビエト以上の場合でも、都市居住民と農村居住民の一代表当たりの基本人口数は、各レベルとも一対四となっている。この「均一格差方式」に現れている一対四の比率は、社会主義時期に長期的に定着してきた「段階格差方式」の時代をへて、今度の選挙法部分改正(一九九五年)によってそのまま回復されたような観をわれわれに与えている。
  さらに、第二に、この中華ソビエト共和国時代には、紅軍代表は定数配分において、一般居住民の場合と一対一〇の比率でいっそうの優遇を受けている(37)
  しかし、このような都市居住民と農村居住民の一代表当たりの基本人口数の不均衡制度は、その後の抗日戦争時期になると、参議会制度を基軸とする辺区の人民民主政権の下で廃止されることになった。そこでは、「普通・平等・直接・無記名投票」が掲げられたように、平等選挙が、うたわれていたのである。だが、その一方で、少数民族に優遇的な定数配分という制度が確立され、今日にいたるまでに引き継がれてきた(38)。なお、当時では、平等選挙の例外として、専門以上の学校と一〇〇人以上の産業工場職員の二重投票権が認められ(「陝甘寧辺区条例」〔一九四二年〕第一一条)、実際に複数投票制が存在していたのである(39)
  周知のように、中国の革命根拠地法令は強くソビエト・ロシア法令の影響を受けており、選挙制度についてもそうであった。中華ソビエト共和国時代における選挙の不均衡制度は、明らかにソビエト・ロシアから継受されたものと見られる。初期のソビエト憲法の時期(一九一八年〜一九三六年)には、一代表当たりの基本人口数については、全ソビエト大会選挙では、都市は二五、〇〇〇人、農村は住民一二五、〇〇〇人、州レベルのソビエトでは、都市は五、〇〇〇人、農村は二五、〇〇〇人、県レベルのソビエトでは、都市は二、〇〇〇人、農村は一〇、〇〇〇人、ほぼいずれも一対五の格差が設けられていた(40)。「江西大綱」時期の一対四の「画一格差方式」は、ここに由来するに違いない。そして、陝甘寧辺区時期に掲げられた平等選挙の原則も、一九三六年ソビエト憲法における新しい選挙制度の確立から影響を受けたと考えられるのであろう。
  それでは、その後、社会主義時期に入ってからにも拘らず、一九五三挙法以来、いったん抗日戦争時期の辺区で廃止された都市と農村との一代表当たりの基本人口数の不均衡制度は、なぜまた回復されて今日までにいたったのであろうか。これについては、様々な理由が即座に考えられるであろう。しかし、そのなかで、中国の歴史的風土に根差している特有な思考は、根底において、ソビエトから継受されてきた「社会主義法」の理論と重なっている、ということも見失われてはならない。これを念頭におきながら、旧中国における不平等選挙の歴史的源流を溯って見よう。
  2  旧中国における不平等選挙
  今世紀初頭、中国では、立憲君主主義運動は清王朝の下で進められ(41)。そのなかで、一九〇九年末、地方議会に準じる「諮議局」が各省で成立した。その諮議局議員選挙は、すなわち中国における最初の選挙である(42)。諮議局の議員は各県を母体として選出されるが、その定数は人口の比例によって決められるのではなく、当時各地方の科挙の定数の五%を基準にしたのだといわれる。その各省諮議局議員定数は、次表のとおりである(43)
  この表(6)に示されているように、当時、教育程度が高く、文明開化が進んでいる地方は割り当てが多くなり、僻地は少ないようになっている。人口比例主義ではなく、教育程度に基づいて代表定数を配分するというこのような考え方は、今日にいたるまでに無視できない影響を与えてきたと言うべきであろう。社会主義時期における都市と農村の一代表当たりの基本人口数の格差は、まさしくこの原点にもさかのぼるように思われる。
  その後の国民党政権時代にも、都市と農村の格差を設ける選挙制度は、存在していたのである。一九三六年の「国民大会代表選挙法」は、地域代表制と職能代表制の並立制を採用し(44)、その中で、職能代表選挙の場合では、農民組合と労働組合のそれぞれにほぼ均等な代表定数を配分している。この制度に対して、当時、中国共産党所属の法学者である張友漁教授は、「これは外見では恰かも平等であるが、実際では極めて不公平である。なぜなら、農民と労働者の人口をもって基準とすれば、農民は労働者より何倍も多いからである」と指摘していた(45)
  しかし、同じ張友漁教授は、一九五三年選挙法に回復された都市と農村の一代表当たりの人口数の格差制度について、それを「合理的」なものとして説明し、もしこの制度がなければ、「人民代表大会は農民代表大会に化することになる」とまで論じていたのである(46)

(1)  小林直樹『(新版)憲法講義』(下)、東京大学出版会、一九八一年、一〇五頁など参照。
(2)  例えば、小林直樹・前掲のほか、より古典的研究として、林田和博『選挙法』もそうである(有斐閣、一九五八年、二七頁以下)。
(3)  林田和博・前掲のほか、小平修『現代世界の選挙と政党』、ミネルヴァ書房、一九八二年、四六頁以下参照。
(4)  小平修・前掲。
(5)  小平修・前掲、四八頁。
(6)  林田和博・前掲、一〇二頁。
(7)  実際のところ、当時も一対一・五一という多少の不均衡が存在していたという。野中俊彦「議員定数不均衡問題」、『ジュリスト』(増刊・総合特集)、28338(一九八五年三月)。
(8)  以上の内容に関して、本稿は、野中俊彦・前掲論文のほか、清水睦「現行選挙制度の問題点」(同上所出)などの資料を中心に参考した。
(9)  長尾一紘・松原光宏「判例回顧と展望(一九九四年・憲法)」、『法律時報』、一九九五年四月臨時増刊。
(10)  辻村みよ子『「権利」としての選挙権』、勁草書房、一九八九年、二四一頁以下。
(11)  読売新聞(大阪)一九九五年七月七日、三頁(一三版)、関係記事。
(12)  川野秀之「定数是正をどう実現するかー外国の事例」、『ジュリスト』(同上所出)、など参照。
(13)  呉家麟主編『憲法学』、(中国)群衆出版社、一九八五年、蕭蔚雲執筆担当、二〇〇頁。蕭蔚雲ら『憲法学概論』(修訂本)、(中国)北京大学出版社、一九八五年、蕭蔚雲執筆担当、三七三〜三七四頁。
(14)  陳荷夫『選挙漫話』、(中国)群衆出版社、一九八三年、一一六頁以下。
(15)  例えば、許崇徳らによる『選挙制度問答』では、中国の選挙を「平等選挙」として論じながら、その相対的性格を認めている。ただし、そこでは、「平等は相対的である」という一般論から、中国における今日の相対的な平等選挙を合理化する論法も、採用されている。(中国)群衆出版社、一九八〇年、五四〜五五頁。また、蔡定剣『中国人大制度』、(中国)社会科学文献出版社、一九九二年、一二三頁以下。
(16)  蔡定剣・前掲、一二四頁。
(17)  蔡定剣・前掲のほか、王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』(土肥道子・林来梵・永井美佐子共訳)、法律文化社、一九九四年、王叔文執筆担当、三三頁以下。
(18)  小平「関於《中華人民共和国全国人民代表大会以及地方各級人民代表大会選挙法》草案的説明」、(中国)『新華月報』、一九五三年第三期。
(19)  浅井敦『中国憲法の論点』、法律文化社、一九八五年、九一〜九二頁。中国の通説的見解でも、同様な考え方を示している。
(20)  中国公式文献「関於修改《中華人民共和国全国人民代表大会和地方各級人民代表大会選挙法》的決定(草案)和修改《中華人民共和国地方人民代表大会和地方各級人民政府組織法》的決定(草案)的説明」(顧昂然)、全国人大常委会法制工作委員会弁公室、一九九四年一二月二六日印刷。
(21)  「四次全国人口普査各民族人口数」を参照、(中国)国家統計局編『中国統計年鑑(一九九二)』、中国統計出版社、一九九二年、八三〜八四頁。
(22)  「歴届全国人民代表大会代表構成和任期情況表」(全国人大常委会弁公庁研究室編『全国人民代表大会工作手冊』、中国民主法制出版社、一九八九年、二六六頁)を参照した上で作成したものである。
(23)  許崇徳主編『中国憲法』、中国人民大学出版社、一九八九年、三五三頁。
(24)  前掲王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』、畑中和夫執筆担当、五四頁。
(25)  (中国)全国人大常委会弁公庁連絡局『選挙工作手冊』に所収、開明出版社、一九九二年、一八頁以下。
(26)  蔡定剣・前掲、一二四頁、一三一頁など参照。
(27)  同様に、前掲の「歴届全国人民代表大会代表構成和任期情況表」を参照した上で作成したものである。
(28)  これについては、平松茂雄『中国人民解放軍』、岩波新書、一九八七年、一頁以下参照。
(29)  蔡定剣・前掲、一二四頁、一三一頁。
(30)  表中の「総人口」と「配分された代表定数」の二項目に関する資料は、当時全国人民代表大会常務委員会による「七届全人大代表名額分配案」(即ち第七期全人大代表定数配当案)から引用したものである。同資料の所出は、蔡定剣・前掲、一三三頁によるものである。
(31)  なお、他の一部の選出母体がチベットに対する格差について、後出の表(5)を参照。
(32)  表中の「総人口」、「都市人口」及び「農村人口」の三項目に関する資料は、第七期全人大期間中の一九九〇年に行われた第四次全国人口調査の結果によるものである(前掲・『中国統計年鑑(一九九二)、八七頁所出)。表中の「選出すべき代表数」は、第四次全国人口調査の結果のほか、第七期全人大当時、全人大常務委員会によって定められた、都市部と農村部の一代表当たりの人口数を一三万人対一〇四万とする基準に従って算出したものである。ここでは、中国側の公式資料の制限より、少数民族対漢民族の間での格差などの不均衡要素をやむを得ず除いているが、表(4)を見ればわかるように、定数配分当時、「中央分配」、すなわち「戴帽」制度による配分の二二二名の定数(そのなか二二〇名が当選)のほか、少数民族にも七五名の別枠定数が存在しているから、ここでの「選出すべき代表数」には、それほど偏差がないと考えられる。
(33)  もちろん、格差を左右するもうひとつの要素として、一九九一年当時広西は総人口四、二九四万人のうち、少数民族人口が一、六六四万人で、三八・八%を占めているのに対して、チベットの方は、総人口二一三万人のうち、少数民族人口が二二一万人で、九六・三%という極めて高い比率を占めている(前掲・『中国統計年鑑(一九九二)』、六六頁参照)。しかし、こうした両地方の少数民族の構成状況に基づいて、全人大常務委員会はもともと、少数民族への別枠定数でその適当な調整を行いえると考えられる。
(34)  表(5)の数字で計算すると、都市と農村の人口が当該地方の総人口をしめる比率(%)では、広西は、それぞれ一二・九と八七・〇三、チベットは、それぞれ一二・三二と八七・六八であり、極めて近いものであることが明らかである。
(35)  中国における人口の都市への流入および憲法上の対応について、西村幸次郎『中国憲法の基本問題』(成文堂、一九八九年、一三四頁以下)のほか、前掲王叔文・畑中和夫・山下健次・西村幸次郎『現代中国憲法論』、同教授執筆担当、一四三頁以下参照。
(36)  (中国)全国人大常委会弁公庁連絡局による選挙法に関する『問題解答』の関係部分を参照。前掲・『選挙工作手冊』、一四二頁以下。
(37)  中華ソビエト共和国時期の選挙制度について、日本では、福島正夫教授の古典的研究は、なお重要なように思われる。同『中国の人民民主政権』、東京大学出版会、一九六五年、五五頁以下。
(38)  陝甘寧辺区の選挙制度についても、日本では、福島正夫教授の古典的研究は、同様に依然として重要な価値をもっていると言うべきである。前掲書、二〇〇頁以下参照。
(39)  福島正夫ら編訳『中華ソビエト共和国・中国解放区選挙法令資料ー中国革命根拠地法制資料第二集』、社会主義法研究会発行、一九六七年、八七頁以下。
(40)  これについては、日本でも中国でも、多数名の研究が残されているが、さしあたり、Julian Towster, Political power in the U. S. S. R. 19171947. 邦訳前芝確三・川口是『ソ同盟における政治権力』、岩波書店、一九五四年、七一頁以下参照。
(41)  これに関しては、拙稿「中国における立憲主義の形成と展開−立憲君主制論から『党主立憲主義』まで−」を参照されたたい。『立命館国際地域研究』第三号(一九九二年七月)。
(42)  これに関しては、拙稿「中国における選挙権論−日本の場合と比較して−」を参照されたい。『立命館法学』一九九五年第二号・第三号連載。
(43)  菊池貴晴『現代中国革命の起源ー辛亥革命の史的意義ー』(新訂版)、巖南堂書店、一九八一年、一八一頁参照。
(44)  張国福『民国憲法史』、(中国)華文出版社、一九九一年、三六四頁以下参照。
(45)  張友漁「我們需要怎麼様的国民大会ー国民大会組織法和代表大会選挙法」(一九三七年)、同『憲政論叢』(上冊)に所収、(中国)群衆出版社、一九八六年、九頁。
(46)  張友漁「関於選挙法的幾個主要問題」(一九五三年)、同『憲政論叢』(下冊)に所収、(中国)群衆出版社、一九八六年、四頁。