立命館法学 一九九五年五・六号(二四三・二四四号)




フランスの重罪裁判における陪審制


中村 義孝






目    次




一 は し が き
 現在、フランスに九九設置されている重罪院(Cour d'asises)の一つであるオート・ガロンヌ県(De´partement de la Haute-Garonne)重罪院は、ミディ・ピレネー(Midi-Pyre´ne´es)地方に位置するオート・ガロンヌ県の県庁所在地トゥルーズ(Toulouse)で開かれる。重罪についての専属管轄権をもつ重罪院は、フランス革命以来陪審制度を導入していて、今日では、三カ月毎に開廷される。筆者は、一九九三年六月一四日から七月二日までの三週間にわたって開かれたオート・ガロンヌ重罪院の法廷を傍聴する機会に恵まれた。重罪院での裁判が行われている間、地元紙の La De´pe^che du Midi(ミディ地方速報紙)は、殆ど連日「重罪院」のタイトルの下に、重罪院で扱われた事件の犯罪事実と判決の概要について報道していた。この間、共同被告人も含めて一四人に対する審理が行われ判決の言い渡しがあった。その中には、殺人罪に問われた四〇歳の男性に対して、検察官が一〇年の重罪懲役刑を求刑した事件があった。この事件では、検察官の求刑後一旦休廷して、裁判官と陪審員が評議室に入り二時間近い評議を行った後再び法廷に戻ってきて、裁判所は一四年の刑を言い渡した。
 フランスでは、大革命以来重罪裁判に陪審制度が導入されている。この制度は、一七九一年に採用されてから、幾たびかの改革を受けつつ今日まで続いている。しかし、この制度については、導入以来二世紀にわたって賛成・反対の論争が続いていることもまた事実である(1)。反対・賛成の主な主張は次の通りである(2)。
 反対論の内容は、必ずしも同一のものではなく、あるものは重罪院の機能そのものに関している。また反対論の中には、判決の不平等性を理由とするものもある。それによれば、陪審員が抽選という偶然性で選ばれることにより、同種の重罪がしばしば異なった判決を受けるという不平等が生じることを指摘する。陪審員は、職業裁判官よりも影響を受けやすく、新聞の報道、検察官の請求、弁護人の雄弁は、陪審員の精神に決定的な影響を与えるという主張もある。このことと関わって、陪審による裁判の難点は、感情的になりやすいことが指摘される。また、陪審員は、法的・技術的に無知だと批判されることがある。しかし、今日では陪審員だけで判断を下すのではなく、職業裁判官と一緒に討議して結論を出すことになっているのでこの点の批判は当たらない。
 賛成論も多種である。陪審は民主的な概念であって、世論を表明するごく普通の市民が司法に参加することは最も民主的であると言われる。素人である陪審員は、法的な論理よりも、むしろ公平に気を配り、現実の結果について考える。言い方を変えれば、陪審による裁判は、厳格に法的ではないが、より人間的であり、形式的ではなく現実に近いものであるということになる。また、陪審は、その時の人民の良心を評決の中に表現するものであるとして、人民による裁判(une juridiction populaire)であることを強調する論者もいる。陪審は、最も重大な事件において、法律と時代感覚が完全に乖離するのを避けてきたのであり、したがって、先験的になされた陪審の票決によって、これまでにどれだけの法的改革がなされてきたことだろうとして、社会変化に適合した人民による法創造の重要性を強調する賛成論もある。
 ところで、わが国においては、陪審制度とは「司法手続きにおいて、公平に選ばれた一定数の一般人が陪審を構成して与えられた事実問題について証拠に基づき評決を下す制度、あるいは、事件の事実関係、特に刑事では犯罪事実の有無について有罪か無罪かを陪審員が答申し、裁判官はその答申に基づいて法律的判断をし、また刑を算定して判決を言い渡す制度(3)」だとされる。そして、「素人と裁判官が一緒になって合議体を構成し、多数決で裁判内容を決定する制度(4)」を陪審制と区別して参審制と呼ぶ。
 この定義によると、フランスの現行の陪審制度は、わが国でいわれている参審制度である。すなわち、現在のフランスの陪審制度は、予審の結果重罪の嫌疑ありとして重罪院に起訴された事件について、三人の裁判官と一般の市民から選ばれた九人の陪審員とが合議体を構成して、そこで犯罪事実の有無だけでなく刑の量定も行う制度である。
 わが国においても、司法の民主化を実現するため、一九二三(大正一二)年に陪審法が制定され、一九二八(昭和三)年から一九四三(昭和一八)年の間、刑事事件について事実判断を行う陪審制度が採用されていた。その後、一九四三年の「陪審ノ停止ニ関スル法律」は、本文で「陪審法ハ其ノ施行ヲ停止ス」と規定し、その付則第三項で「陪審法ハ今次ノ戦争終了後再施行スルモノトシ其ノ期日ハ各条ニ付勅令ヲ以テ之ヲ定ム」と規定している。「陪審法」は、廃止されたのではなく停止されているのであって、その意味で現行法であると言える。また、裁判所法は第三条三項で、「この法律の規定は、刑事について、別に法律で陪審の制度を設けることを妨げない。」と定めている。このような状況の下で、陪審制度について考えることは一定の意義がある。
 わが国でも、陪審制度をめぐって賛否両論があることは周知の通りである。参考までに、近畿弁護士連合会所属の弁護士を対象とした「民衆の司法参加に関するアンケート調査」の報告(5)によれば、答申に拘束力をもたせた陪審裁判に賛成の回答は五〇・一%、答申に拘束力をもたせない陪審裁判に賛成は一九・六%で、逆に陪審制の採用に反対とする回答は一九・〇%である。
 国家の制度は誰のためにあって、それを誰がどのように運営するのかを考えるにあたって、二世紀以上も前に言われた「国民の、国民による、国民のための」ということを今一度思い起こす必要があるのではないだろうか。近代以降、国民主権主義は徐々にではあっても進化してきている。今後益々価値観が多様化する社会においては、国民主権の実現方法を検討し、その内実化に向けた努力を継続することは我々に課せられた課題であるといえよう。
 この課題に照らすとわが国の司法は、立法はもちろん、行政に較べても、国民から最も遠い位置にある。しかも司法の担当者を任命するのは行政権者である。国民の日常の具体的な生活や人権が直接問題とされる場である裁判を国民にもっと近づけるために、司法の民主化について検討をすることは大いに意味のあることである。司法の民主化、司法への国民参加は、多角的に考察されなければならない。裁判官の選任方法、法曹三者の交流のあり方、裁判への職業裁判官以外の専門家の関わり方、現実の裁判に関する情報の提供等多くの観点があるが、ここで取り上げる陪審制度(参審制度)は、裁判官としては素人ではあるが国民主権の主体的な担い手である一般の国民参加による裁判の制度として、司法の民主化を考える上で重要な課題である。
 本稿は、右のような問題意識にもとづいている。筆者は、既にフランスの陪審制度の歴史についてみてきたが(6)、以下では、主としてフランスの現行重罪裁判における陪審制について考察する。

二 陪審制度の歴史
 フランスにおいては大革命が始まった直後の一七八九年八月一七日に、司法制度の近代化の中心的な課題の一つとして、国民議会で陪審制採用の問題が取り上げられた(7)。陪審制を採用する方向を最初に打ち出したのは、一七八九年八月一七日にベルガス(Bergase)が憲法委員会の名で行った報告である。その報告では、「刑事事件においては、訴訟手続きは被告人の利益にも不利益にも行われなければならず、そのためには陪審または同輩による裁判以外にはあり得ない。陪審による判決は理性と人道の願望を満たすことができるのであって、刑事事件においては陪審による手続き以外は認められない。」とされた。この中には絶対王政の裁判に対する批判が含まれていることはいうまでもないが、それを差し引いても今日に通用する真理が含まれていると言えよう。一七八九年一二月二二日にはトゥレ(Thouret)が、国民主権や人権保障のためには近代的な刑事裁判手続きを確立する必要を主張して、ベルガス同様に、刑事裁判に陪審の導入を提案した。
 国民議会において陪審の設置を提案した議員はほかにもいるが、中でもシーエス(Sieye`s)とデュポール(Duport)は、刑事とともに民事裁判にも陪審制の採用を提案している。シーエスは、刑事事件だけでなく民事にも陪審をおくことを主張しているが、民事事件の場合は問題の整理、分析が難しく、また事実問題と法律問題の区別が困難であることも指摘している。さらに、彼の提案の特徴は、陪審の構成を普通の市民だけとするのではなく、その半数を法律家としている点である。デュポールもシーエスと同様に民事にも陪審を設置することを提案しているが、その理由の背景には絶対主義時代の権力濫用に対する批判が色濃くみられる。そして彼は、民事においても陪審をもたない人々には市民的自由が存しないこと、人々の自由を有益なものにするためには民事においても陪審を設置すべきであることを強調し、陪審による判決こそが個人の自由の防壁(le boulevard de la liberte´ individuelle)だと主張している。さらに彼は、ひとたび陪審が確立され、人民自身が司法制度の不可欠な部分を構成するようになるならば、そのときは最早、権力の濫用が行われたり、人民の自由が侵害されたり、制度がその目的に反するように使われたりすることはないと説く。
 それ以後も陪審制の導入に関して非常に多くの提案が審議されたが、一七九〇年四月三〇日に、刑事事件についてだけ陪審を設置することが議会で決定された。この決定を、近代的司法制度の総体的構築の過程で法文化する作業は引き続き行われる。そして一七九一年憲法(九月三日議会で可決、同一四日国王が裁可)は、第三編五章九条で「刑事事件においては、陪審員により受理された訴追またはその権限が立法府にある場合には立法府により決定された訴追にもとづかなければ、いかなる市民も裁判を受けることはない。訴追が認められた後、事実は陪審員によって確認され且つ宣告される。被告人は、理由を述べずに二〇人まで陪審員を忌避することができる。事実を認定する陪審員は一二人を下回ってはならない。法律の適用は裁判官によってなされる。審理は公開され、被告人に対して弁護人の援助を拒むことはできない。適法な陪審によって無罪を宣告された者は、同一事実を理由に再び逮捕されることも訴追を受けることもない。」と定めた。事実の認定だけを陪審に委ねる制度が設置されたのである。憲法は法律の適用を裁判官の任務としていたが、その当時の実体法である一七九一年刑法典は絶対的法定刑主義にもとづいて刑罰を定めていたから、裁判官には刑の量定を行う余地が残されていなかった。
 犯罪の中での重罪の管轄権をもつ重罪裁判所は、一七九一年一月二〇日=二月二五日の法律で、県単位に設置された。そこにおける陪審手続きは、いわゆる一七九一年刑事訴訟法(正式には、「治安警察、重罪裁判および陪審員の制度に関する法律」という名称で、一七九一年九月二九日国王が裁可(8))が規定している。
 一七九一年刑訴法は、起訴陪審(jury d'accusation)と判決陪審(jury de jugement)の二重の陪審を採用する。起訴陪審は八名で構成されて、ディストリクト裁判所でその機能を果たすものであり、治安判事が訴追理由ありと認めた被疑者を重罪裁判所に起訴するか否かについて評議する。判決陪審は、重罪裁判の最終段階を担う重罪裁判所ごとに一二名で構成される。判決陪審の役割は、起訴陪審により訴追理由ありと決定されて重罪裁判所に送られてきた被告人に関わる起訴事実の有無を判断することである。被告人に有利に判断するためには常に三名の陪審員の票で足りると定められているから(同法七編二八条)、逆に被告人に不利な判断をする場合には一〇票の多数が要求されていたことになる。
 一七九一年刑訴法の制度は、そのまま一七九五年のブリュメール刑法典へと引き継がれる。
 一七九九年の憲法も、裁判所についてと題する第五編で「施体刑または加辱刑が科せられる刑事事件においては、訴追を決めるのは第一陪審である。訴追が認められたときに、第二陪審が事実を審理する。重罪裁判所を構成する裁判官が刑を適用する。その判決は上訴できない。」(六二条)という文言で規定している。第一陪審は起訴陪審、第二陪審は判決陪審のことであり、実質はこれまでと同様である。
 陪審制度が大きく改正されるのは、一八〇八年に制定され一八一〇年から施行されたナポレオン刑事訴訟法(9)によってである。この法律によって、従来常時開廷であった重罪裁判所は三カ月ごとの開廷に変わり、二重の陪審も判決陪審だけになった。これまで起訴陪審が果たしていた役割は、控訴院の裁判官が担うことになった。現行制度の基本が、ここでできたわけである。
 一八〇八年刑訴法の制定にあたっても、陪審の設置に関して、一七九一年と同様な激しい議論が行われた。ナポレオン自身は陪審制度に反対であったが、コンセイユ・デタにおける制定作業の過程で判決陪審は維持されることになった(10)。一八〇八年刑訴法は、制定直後から多くの修正がなされたが、一九五八年の刑事訴訟法改正まで一世紀半も効力を維持し、その後も大筋において一九五八年刑訴法に受け継がれている。一八〇八年刑訴法は、一九世紀全体と二〇世紀の前半を通じて、司法組織の真の憲章(la ve´ritable charte de l'organisation judiciaire)であったに違いない(11)とさえ言われている。
 一八〇八年刑訴法は、重罪裁判所における陪審を構成するためには一二名の陪審員を必要としている。陪審の票決の原則は、被告人にとって有利にも不利にも単純多数でよいとされているが、同数のときは被告人に有利なものとして扱われる。しかし、単純多数で被告人が有罪と票決されたときは、裁判官(五人)がその点について討議し、陪審の少数意見が裁判官の多数意見で採用され、その結果集まった票が陪審員の多数と裁判官の少数の合計を上回ったときは、被告人に有利な意見が優先することになる。
 その後一八三一年三月四=五日の「重罪院の構成ならびに陪審の答申に関する法律」で、被告人に不利になされる陪審の票決数は八票以上を必要とすると改められた(同法三条)。さらにその後も、この票決数については幾たびかの変遷をみている。
 陪審員に選ばれる要件について、一七九一年刑訴法は、起訴陪審および判決陪審ともに選挙人としての要件を備えた者から選ばれると定めている。選挙人であることが陪審員となることの要件であるということは、今日の目からすれば、いかにも当然であると言えよう。しかし、選挙人としての要件については、一七九一年憲法が非常に詳細な且つ非常に厳しい財産的制限規定をおいている。もともと一七九一年憲法は、市民(二五歳以上の男性)の中でも三日分の賃金に等しい直接税を支払った能動市民にだけ一次的参政権(選挙人の選出権)を認め、代表者の選出権をもつ選挙人にはさらに厳しい財産所有の条件を課していた。
 一七九一年憲法の施行当時、七〇〇万人の市民(男性だけ)の内能動市民は四〇〇万人ないし四三〇万人で、その内選挙人の資格を持っていた者は五万人弱だとされている(12)。こうみてくると、一概に、陪審制度が民主的であるとか国民主権にもとづいているとか言うことはできないようである。だが一七九一年のフランスは、封建制を基盤とした絶対王政の暗闇からやっと抜け出したばかりである。そのような状況のフランスに、今日のように進んだ民主主義からの批判は妥当ではないと言えよう。一七九三年のモンタニャール憲法や一八四八年の第II共和国憲法では、確かに普通選挙(男子だけの)が定められたが、それは一次的なものにすぎず、財産による選挙権の制限は常に復活されていた。フランスで完全な普通選挙が確立するのは第二次大戦後であり、はじめて女性にも選挙権を認めたのは一九四四年四月二一日のオルドナンスである(13)。
 一八〇八年刑訴法も、選挙権者、一定の納税者、公務員、学歴・資格保有者等の中から陪審員が選ばれることを規定している。
 陪審制度が国民の意見を基盤にしているというためには、その資格に一定の財産をもった者とか、学歴とか資格等を要求することができないのは当然である。普通の市民、国民が、職業裁判官と協力して社会の問題について、人権について真剣に考えてこそ、国民主権が内実化されるのではなかろうか。

三 重罪裁判の予審手続き
 フランスでは革命以来、犯罪は三つの範疇に分けられ、軽いものから順に違警罪(contravention)、軽罪(de´lit)、重罪(crime)と呼ばれる。犯罪の三つの分類に対応して、管轄裁判機関も三種類に分かれる。違警罪を管轄するのは違警罪裁判所(tribunal de police)、軽罪の管轄権をもつのは軽罪裁判所(tribunal correctionnel)、そして重罪の専属管轄権を有するのが重罪院(cour d'assises)である。
 現行フランス刑法典は、一九九四年三月一日から施行されている。それまでは、一八一〇年に制定されたいわゆるナポレオン刑法典が、一定の修正をうけながら効力をもっていた。しかし、いかに部分改正されたといえども、一世紀半以上も前の法律では新たな社会の発展に対応できなくなっていたことは事実であり、また部分改正の結果かえって法典としての統一が保てなくなったことも改正の理由である。したがって、全面改正された現行法典では、社会の発展や新たな犯罪事情への対応がはかられることになった。この刑法典も従来通り犯罪三分類を踏襲している。すなわち、「犯罪は、その重さに従って、重罪、軽罪および違警罪に分類される。」(刑法典一一一ー一条)。「法律が、重罪と軽罪を明確にし且つその行為者に適用される刑罰を定める。規則が、違警罪を明確にし、法律により設けられた範囲内で且つ法律により設けられた区別にしたがって、違反者に適用される刑罰を定める。」(同一一一ー二条)。なおついでながら、条文番号の表示方法が従来とは異なる。一一一ー一条とあるが、三桁目の一は部を、二桁目は編を、そして一桁目は章を意味する。したがって、一一一ー一条は第一部第一編第一章一条の意味である。
 民事裁判においても刑事裁判においても、フランスでは二審制の原則が採られているが、重罪裁判については例外として一審制が採用されている。ただ、重罪院での陪審裁判がなされる前提として、二重の予審が必要的に前置されている。第一段階の予審は予審判事(juge d'instruction)が行い、そこで重罪の嫌疑ありとされた事件については控訴院の弾劾部(chambre d'accusation)でさらに第二段階の予審が行われることになる。そして二重の予審を経てなお重罪の嫌疑ありとされた事件だけが、重罪院で審理されるのである。重罪については、予審は義務的である(刑訴法七九条)。
 以下で、フランス現行刑事訴訟法が定めている重罪裁判の手続きにおける二重の予審についての原則を、刑事訴訟法の規定を中心に考察していく。原文は、DALLOZ ; CODE DE PRCE´DURE PE´NAL, 1992-93 によっている。なお、( )内の条文番号はすべて刑事訴訟法のものである。
 右にみたように、第一段階の予審は予審判事によってなされる。
 犯罪が起こったときに、その捜査および訴追に必要なすべてのことは検事正(procureur de la Re´publique)が行うが、そのために検事正は、彼が所属する裁判所の管轄区域内の警察に対する指揮権を有する(四一条)。捜査の結果、予審を必要とする場合、検事正は予審判事に予審の請求をすることになる。
 予審判事は、重罪に関する第一段階の予審を担当するが、大審裁判所検事局の検事正の予審請求がなければ予審を行うことはできないとされている(五一、八〇条)。また重罪の被害者による付帯私訴付の告訴(plainte avec constitution de partie civile)を受け取ったときは、予審判事は検事正にこの告訴の通知をし、検事正に予審の請求を行わせて予審を開始する(五一、八五、八六条)。なお付帯私訴とは、重罪および軽罪によって損害を受けた者が、管轄権のある予審判事に告訴して、刑事事件において民事の損害賠償を請求することができる(八五条)ことを指す。
 予審判事は、裁判官の任命について定められる方式により裁判所(tribunal)の裁判官の中から選任される(刑訴法五〇条)。実際には、予審判事は、大審裁判所(tribunal de grande instance)の裁判官であるが、司法官高等評議会(Conseil supe´rieur de la magistrature)の意見を聴いた後、司法大臣(Garde des Sceaux)の提案にもとづいて、大統領の命令によって予審を行うために任命される(14)。重要な大審裁判所においては、複数の予審判事がおかれている(パリでは数十人)が、小さな裁判所では一人だけである(15)。一つの裁判所に複数の予審判事がいるときは、裁判所長が予審ごとに担当裁判官を任命するが、そのために交替名簿が作成されることになっている(八三条)。この裁判官は予審を任務とするが、自分が予審判事の資格で取り調べた刑事事件の判決には関与できない(四九条)。
 管轄権をもつのは、犯罪地の予審判事、犯罪に加わった嫌疑を受けている者の一人の住所地の予審判事および犯罪に加わった嫌疑を受けている者の一人が逮捕された場所の予審判事である(五二条)。
 因みに、一九九〇年現在で、フランス本土および海外県に、控訴院(Cour d'appel)は三三、重罪院は九九、大審裁判所は一八一、小審裁判所(tribunal d'instance)は四七三設置されており、司法官の数は控訴院に一一六四人、大審裁判所と小審裁判所に四四六三人である(16)(裁判所の構成につき、後掲組織図参照)。
 また、予審判事が扱った事件について、一九九〇年に受理した新規事件数は、五三、三五二件(被疑者数は六一、一七四人)である。また、予審判事が決定した件数は全体で五〇、二七七件(被疑者数は七三、六四九人)、その内免訴(ordonnance de non-lieu)が一一、九八八件、重罪の嫌疑ありとして控訴院弾劾部へ移送された事件は一、八〇九件であり、最も多いのが軽罪裁判所への移送決定(二九、五八三件)である(17)。
 予審判事による予審の実質は、被疑者の取り調べであると言うことができる。そのために、予審判事は非常に広範な権限をもっている。
 予審判事は、法律に従い、真実の発見にとって有用だと判断するあらゆる予審行為を行う(八一条)ことができ、検事正もまた何時でも真実の発見にとって有用と判断するあらゆる行為および必要な保安措置を予審判事に請求することができる(八二条)。
 予審判事は、真実発見にとって必要なあらゆる予審行為を行うことができるとされているが、刑訴法は具体的に次のような行為を規定している。
 先ず予審判事は、真実発見のために必要な場所で(九四条)検証と捜索を行うことができる(九二条)。予審判事が検証と捜索の場所に赴くに際しては検事正に通知し、検事正は予審判事と同行する権限があり、常に書記の立ち会いが求められる(同)。
 二つめは、証人尋問である。予審判事は、証人の供述を聴くために執達吏または警察力を行使する者に呼び出し状を交付させて(一〇一条)、書記の同席を得て、被疑者の立ち会いなしに証人尋問を行って調書を作成する(一〇二条)。調書は、供述を筆記した後に証人にこれを読み聴かせ、各頁ごとに予審判事、書記および証人が署名をしなければならない(一〇六条)。
 三つめは、被疑者尋問と対質である。予審判事は、被疑者尋問に先立って、黙秘権、弁護人選任権、弁護人との接見交通権が保障されている旨を被疑者に告知しなければならない(一一四、一一五条)。被疑者の尋問と対質に際しては、弁護人の立ち会いが必要であり(一一八条)、また検事正も尋問に立ち会うことが認められている(一一九条)。被疑者尋問および対質の調書は、証人尋問と同様の方式で作成されなければならない(一二一条)。一一四条および一一八条に違反した手続きそれ自体およびそれ以降の手続きは無効とされる(一七〇条)。被疑者は、この無効の援用を明示的に放棄することができるが、その場合は弁護人の立ち会いが必要とされている(同)。
 予審判事は、さらに必要に応じて、召喚状(mandat de comparution)、勾引状(mandat d'amener)、収監状(mandat de de´po^t)、逮捕状(mandat d'arre^t)を発することができる(一二二条)。
 召喚状とは、在宅の被疑者に対して指定された日時に予審判事のもとに出頭することを命じる令状であり、勾引状は警察力に対して被疑者を直ちに予審判事の前に連れてくることを命じる令状である(同)。収監状は刑務所(e´tablissement pe´nitentiaire)の長に対して被疑者を受け取りこの者の留置を命じる(同)。しかし、予審判事は、尋問をした後で且つ犯罪が軽罪拘禁刑(peine d'emprisonnement correctionnelle)またはそれより重い刑にあたるときでなければ収監状を発することはできない(一三五条)。
 逮捕状は、警察力に対するものであり、被疑者を捜査し且つ被疑者を留置場(maison d'arre^t)に引致することを命じる(同)。勾引状および逮捕状の執行に際しては、午前六時以前および午後九時以後は市民の住居に立ち入ることは認められない(一三四条)。
 これらのすべての令状には、当然ながら被疑者を特定する事項を明示し、令状を発した裁判官が日付を記載して署名しなければならないが(一二三条)、勾引状、収監状および逮捕状にはその他に被疑事実の性質と適用すべき法律の条文が記載されなければならない(同)。
 予審判事は、召喚状により出頭した被疑者を直ちに尋問するが、それができないときは二四時間に限って被疑者を留置場に留置することができる(一二五条)。しかし、二四時間を超えては留置できず、それに違反したときは不法監禁の罪に問われる(一二六条)。
 予審判事は、予審が終了したと判断したときは直ちに、訴訟記録を検事正に引き渡す(一七五条)。被疑者および付帯私訴原告の弁護人には、訴訟記録の欄外にそのことを記録して口頭で、あるいは書留郵便で予審の終了が通知される(同)。
 右のような予審の取り調べを行った結果、予審判事が、事実が重罪も、軽罪もまた違警罪をも構成しないと認めたとき、犯人が不明のときまたは被疑者に充分な嫌疑が存在しないときは、予審判事は決定で免訴の言い渡しをする(一七七条)。免訴の決定がなされた被疑者に対しては、新たな証拠が現れない限り、同一事実について予審の取り調べを行うことはできない(一八八条)。新たな証拠にもとづいて予審の再開を請求する必要があるかどうかの決定は、検察官だけの権限とされる(一九〇条)。
 事実が、違警罪を構成すると認められるときは事件を違警罪裁判所に移送する決定をし(一七八条)、軽罪を構成すると認めるときは事件を軽罪裁判所に移送する決定をする(一七九条)。これらの場合には、予審判事は訴訟記録をこの決定とともに検事正に送付し、記録を受け取った検事正は遅滞なく当該裁判所の書記課にそれを送付しなければならない(一八〇条)。
 予審の結果、事実が重罪を構成すると判断されたときは、控訴院の弾劾部で第二段階の予審手続きがとられる。この場合には、予審判事は、訴訟記録および証拠の目録を検事正から控訴院検事長(procureur ge´ne´ral pre`s la cour d'appel)に速やかに送付すべき決定をする(一八一条)。
 予審判事のすべての決定に対して、検事正および検事長は決定の通知の日から五日以内に控訴院弾劾部に対して控訴することができる(一八五条)。
 付帯私訴の申し立て、保釈、司法統制処分(controle judiciaire)の取り消し、未決勾留、釈放要求、軽罪裁判所への移送にあたっての勾留に関する決定に対しては、被疑者も控訴することができる(一八六条)。 付帯私訴原告は、予審の不開始、免訴およびその民事の利益に不満のある決定に対して控訴することができる(同)。
 第二段階の予審は、控訴院弾劾部で行われる。控訴院には、少なくとも一つの弾劾部がおかれ、弾劾部は専従の部長と必要な場合には他の部でも勤務し毎年任命される二人の控訴院裁判官で構成される(一九一条)。弾劾部における検察官の職務は控訴院検事長または検事により、書記課の役割は控訴院書記により執行される(一九二条)。
 弾劾部における手続きの特徴は、非公開、書面主義および非対審である(18)。
 弾劾部は、少なくとも毎週一回集会するが、必要な場合には部長の召集または検事長の請求により集会する(一九三条)。
 弾劾部における審理は検事長の請求によって開始される(一九四条)。検事長は、当事者および弁護人に書留郵便で審理の期日を通知するが、郵便発送の日と審理を開く期日の間には原則として五日の猶予期間をおかなければならない(一九七条)。
 控訴院での弁論と決定は合議室で行われ、裁判官の報告の後、検事長および当事者の弁護人は意見を陳述する(一九九条)。弁論が終結したときは、部長と裁判官だけで合議を行う(二〇〇条)。
 弾劾部における予審の結果、事実がいずれの犯罪も構成しないと判断されたときまたは行為者が不明のときは、免訴の言い渡しをする(二一二条)。予審判事による予審の場合と同様、事実が軽罪または違警罪を構成するときは、それぞれ事件を軽罪裁判所または違警罪裁判所に移送することを言い渡す(二一三条)。
 事実が法律上重罪とされている犯罪を構成すると判断されたときは、弾劾部は、重罪院の公判に付する言い渡しをする(二一四条)。重罪公判に付する決定には、事実の概要、法律上の罪名および重罪公訴の対象を記載しなければならなず、これに違反したときはその決定は無効とされる(二一五条)。
 弾劾部の決定には、部長および書記が署名し、判事の氏名、証拠や趣意書の保管、報告書の朗読、検察官の請求および必要な場合には当事者または弁護人の尋問が記載される(二一六条)。
 弾劾部におけるこれらの決定は、書留郵便で、二四時間以内に、被疑者および付帯私訴原告の弁護人に通知されるが、免訴の決定だけは直接被疑者に通知されることになる(二一七条)。

四 重罪院での陪審による裁判
 二段階の予審を経て重罪の嫌疑ありとされた事件は、重罪院で陪審制による公開の裁判を受けることになる。この段階からがいわゆる重罪裁判であって、裁判を受ける者の呼称も従来の被疑者(inculpe´)から被告人(accuse´)に変わる。重罪院における裁判の特徴は、予審段階の特徴と対立的であって、口頭主義、公開主義、対審主義が採用されていることである(19)。
 重罪院は、控訴院弾劾部による起訴決定(arre^t de mise en accusation)により重罪院に送致された者に対する完全な裁判権を有するが、その他のいかなる訴追も裁判することはできない(二三一条)。重罪院の管轄権は制限されているわけである。
 重罪院はパリと各県に設置され、三カ月ごとに開廷される(二三二、二四五条)。重罪院は固有の院と陪審で構成されるが(二四〇条)、固有の院とは裁判長(pre´sident)と二名の陪席裁判官(assesseur)である(二四三、二四八条)。裁判長を務めるのは控訴院の部長(pre´sident de chambre)または控訴院の裁判官(conseiller)であり、三カ月ごとに控訴院長(premier pre´sident)により任命される(二四四、二四五条)。陪席裁判官は、控訴院の裁判官または重罪院が開廷される場所の大審裁判所の所長(pre´sident)、副所長(vice-pre´sident)、判事の中から、三カ月ごとに控訴院長によって任命される(二四九、二五〇条)。
 重罪院において検察官の職務を行使するのは、原則として、検事長または検事正およびそれぞれの代理である(三四、三九、二四一条)。書記の役割は、パリおよび控訴院が設置されている県においては控訴院の筆頭書記(gref■er en chef)、その他の県においては大審裁判所の筆頭書記が務める(二四二条)。
 重罪院を構成する陪審員の職務を行使できる条件としては、二三歳以上の男女の市民、フランス語の読み書き能力、政治的・市民的・家族的権利(droits politiques, civils et de famille)の享有および刑訴法が定める無能力者でないこと、陪審員との兼職禁止の職に就いていないことが定められている(二五五条)。本当の意味での一般の市民、国民が陪審員になり得るのである。
 陪審員欠格事由は、刑事処罰に関わるもの(例えば重罪、軽罪により重罪刑または一カ月以上の拘禁刑に服した者等)、公務員を罷免された者、破産宣告を受けて未だ復権していない者等である(二五六条)。陪審員との兼職が禁止されている職務は、大臣、国会議員、憲法院の裁判官、司法官高等評議会と経済社会評議会のメンバー、司法裁判所と行政裁判所の裁判官・検察官、現職警察官等(二五七条)、重罪裁判の機能と相容れない職務である。
 年齢七〇歳以上の者は要求により陪審員の職務を免除され(二五八条)、また五年以内にその県で陪審員の職務を果たした者は陪審員名簿から削除される(二五八−一条)。
 重罪院の構成者である陪審は、事件ごとに九名の陪審員で構成される。この九名の市民は「人民主権の現れ」(e´manation da la souverainete´ populaire(20))であるといわれているが、その選任方法は以下の通りかなり煩雑である。
 先ず最初に、毎年、各重罪院の管轄区域ごとに重罪陪審名簿(liste du jury criminel)が作成される(二五九条)。次に、この年度名簿(liste annuelle)をもとにして、各開廷期に陪審員を務めることになる者を登載した開廷期名簿(liste de session)が作成される。
 年度名簿には、パリ以外の重罪院の管轄区では住民一、三〇〇人につき一人の陪審員(パリでは陪審員の数は一、八〇〇人と定められている)が登載される(二六〇条)。年度名簿に登載される陪審員の数は、毎年四月に、県を構成しているコミューン(21)ごとに、県知事の決定により、人口統計に比例して定められるが、その数は二〇〇人を下回ってはならないとされている(同)。
 しかし、この名簿確定の作業は、かなり複雑である。年度名簿を作成するために、各コミューンで年度予備名簿(liste pre´paratoire de la liste annuelle)が作成されるが、その際コミューンの長は、知事の決定で定められた数の三倍の数の者を、選挙人名簿の中から公開の場で抽選する(二六一条)。この場合、次年度に二三歳に達しない者は名簿に採用されない(同)。この予備名簿の原本は二通作成され、一通はコミューン役場に、一通は重罪院が設置される裁判所の書記課に、七月一五日までに提出されなければならない(二六一ー一条)。同時に、コミューンの長は、抽選された者にその旨知らせなければならないし、選ばれた者に対してその職業を正確に長に届け出るよう要求し、且つ免除の特典を請求できることを告知しなければならない(同)。
 年度予備名簿をもとにして、重罪院の所在地において、年度名簿作成委員会が年度名簿を作る。その委員会は、控訴院が置かれている所では控訴院長を、また大審裁判所が置かれているところでは大審裁判所の所長を委員長とする(二六二条)。委員会には、その他に重罪院が設置される裁判所の総会で毎年任命される三名の裁判官、場合によっては検事長または検事正、重罪院が設置される裁判所の弁護士会会長、県議会により毎年任命される五人の県議会議員が含まれる(同)。この委員会は、抽選により陪審員の年度名簿を確定し、それを重罪院が設置される裁判所の書記課に登録する(二六三条)。同時に、補充陪審員の特別名簿(liste spe´ciale de jure´s supple´ants)も作成される(二六四条)。年度名簿および特別名簿は委員長から知事に届けられ、知事はそれを各コミューンの長に届ける(二六五条)。
 次に開廷期名簿の作成である。重罪院が設置される控訴院の院長または大審裁判所の所長は、重罪院の開廷に先立つ三〇日以前に、開廷期名簿を作成するために、年度名簿の中から三五人の陪審員を、また特別名簿の中から一〇人の補充陪審員を公開の法廷で抽選する(二六六条)。それが確定したら、知事は、開廷期が始まる二週間前に、開廷期名簿および補充陪審員名簿の写しを各陪審員に通知する(二六七条)。その通知には、集合すべき日付けと予想開廷期間ならびに指示された日時に出席しなかったときは刑訴法に定められた刑罰が課せられる旨の警告が記載される(同)。
 いよいよ重罪院での裁判がはじまることになるが、被告人が弁護人を選任しないときは、裁判長は職権で弁護人を任命する(二七四条)。弁護人は、弁護士会に登録されている弁護士でなければならないが、裁判長は、例外として、被告人の親族または友人を弁護人として許可することができる(二七五条)。法廷では被告人の弁護人の出席は義務づけられている(三一七条)。
 重罪院での審理に先だって、公開の法廷で判決陪審(jury de jugement)が構成される(二九三条)。知事からの通知によって指示された日時に集まった陪審員は、開廷期名簿および補充陪審員名簿にもとづいて、書記により出席が確認される(二八八条)。欠席している陪審員の事情については重罪院が判定を下すが、欠席についての正当な理由なしとされた陪審員は、重罪院により罰金に処せられる。一回目の欠席に対しては一〇〇フラン、二回目は二〇〇フラン、三回目の者に対しては五〇〇フランの罰金とそれ以後は陪審員の任務を行使できないことが宣せられる(同)。
 筆者が傍聴したオート・ガロンヌ県重罪院の法廷では、開廷期の初日に、出席した陪審員の点呼が終了したら、最初の事件を担当する陪審員を決める前に、裁判長は、陪審員全員に対して、重罪裁判とはどのようなもので、いかなる手続きによってなされるか、そして重罪裁判における陪審員の役割の重要性について非常に解りやすく且つ丁寧な説明を行った。まるで一般の市民に対する刑事訴訟法の講義のように詳しいが平易な解説・説明が、午前中一杯かけて行われた。その中で、裁判長は、「陪審員の職務を務めることは国民の義務である」と何度も繰り返していた。
 事件ごとの判決陪審は九名で構成されるが、陪審員が一つの事件のはじめから判決の宣告まで通して審理に加わることができないような故障が生じたときのために、一人または複数の補充陪審員が予め抽選で選ばれることになっている(二九六条)。
 判決陪審は、公開の法廷で、被告人および検察官の出席の下で構成される。書記の点呼により出席が確認された陪審員の氏名が記入されているカードが投票箱に入れられる(二九五条)。裁判長が、その箱に蓋をしてカードがよく混ざるように振る。それから裁判長が、投票箱からカードを一枚ずつ取り出しその名前を呼び上げる。その際、被告人は五人まで、また検察官は四人まで名前を呼び上げられた陪審員を忌避することがでる(二九八条)が、忌避の理由を説明することはできない(二九七条)。被告人が複数の場合は、忌避のために協議を行うことができ、各別に忌避を行うことができる(二九九条)。筆者の体験によれば、検察官と被告人の弁護人は、陪審員の名前が呼ばれたらチラッとその人を見て即座に「忌避」と言う。忌避されたら「どうして自分を忌避するのか」とやや不満そうな態度をとる者、何となく「ホッとした」ような表情をする者等いろいろであった。このようにして、忌避されなかった九名の陪審員と一または複数の補充陪審員の名前が投票箱から引き出されたときに、判決陪審が構成される(二九七条)。判決陪審が構成される作業は、書記によって記録される(三〇二条)。
 九名の陪審員は事件ごとに決められるから、開廷期の初日に呼び出されて判決陪審の構成からはずれた者は、次の事件の審理が始まる指定された日に法廷に来るように裁判長から要請される。
 陪審員の配置(重罪院配置図参照)は、もし可能ならば重罪院の側に、それが不可能な場合には公衆、付帯私訴原告、証人と離れて且つ被告人に指定されている席に向かい合って、籤で任命された順に着席する(三〇三条)。


 裁判長は、陪審員に起立させ且つ脱帽させて、次のように述べる。「あなた方は、某に対する証拠を最も細心の注意を払って審査すること、被告人の利益もまたそれを訴えた社会の利益も害しないこと、あなた方の宣告をなすまで誰とも交通しないこと、憎悪または悪意、恐怖または愛情に耳を傾けないこと、あなた方の良心と心の奥に秘めた確信にしたがってまた誠実で自由な人間にふさわしい公平さと毅然さをもって証拠と防御方法により決定すること、あなた方の任務が終了した後も評議の秘密を厳守することを、誓い且つ約束する。」(三〇四条)。その後、陪審員は一人ずつ裁判長に呼ばれて、手をあげて「私は誓います」と答える(同)。こうしてすべての陪審員が宣誓したら、裁判長は陪審が確定的に構成されたことを宣言する(三〇五条)。
 裁判長は、法廷警察権と弁論指揮権をもち(三〇九条)、また自己の名誉と良心において、真実を発見するために有用だと信じるあらゆる手段をとる自由裁量権を付与されている(三一〇条)。
 重罪院での弁論は公開を原則とするが、公開により公序良俗が害されるときは、重罪院の決定により公開の法廷において非公開とすることが宣言される(三〇六条)。弁論は、重罪院の判決が下されるまで、中断されることなく継続されなければならない(三〇七条)。
 法廷においては、被告人の弁護人の出席は義務付けられている(三一七条)。被告人は、身柄を拘束されず、ただ逃亡を防ぐために看守に付き添われて法廷に出頭する(三一八条)。実際には、法廷の入り口(傍聴人から見える)で、手錠と腰縄がはずされていた。
 重罪裁判においては口頭主義が採られている。被告人に尋問をするのは裁判長である(三二八条)が、陪席裁判官および陪審員も、裁判長に対して発言を求めて被告人および証人に質問することができる(三一一条)。検察官、被告人、付帯私訴原告、被告人および付帯私訴原告の弁護人も、弁論の品位を傷つけたり弁論をいたずらに長引かせたりしないことを条件に、裁判長を介して被告人、証人および法廷に召喚されたすべての人に対して質問をすることができる(三一二条)。オート・ガロンヌ重罪院の裁判長は、被告人を「・・・さん」(Monsieur . . .)と呼んでいた。
 証人は、裁判長が定めた順に供述するが、冒頭に裁判長の要求により、氏名、年齢、職業、住所または居所、問題とされている犯罪事実以前に被告人を知っていたかどうか、被告人または付帯私訴原告の親族かどうか、そうであれば何親等かを明らかにしなければならない(三三一条)。証人は、供述を始める前に、「憎悪と恐怖なしに供述すること、すべての真実を話し、真実以外のことは何も話さないこと」を宣誓してから、口頭で供述する(同)。
 公判廷における審理が終了したときは、付帯私訴原告またはその弁護人は陳述することができる(三四六条)。それから、検察官が論告を行い、被告人およびその弁護人が防御を提出する(同)。付帯私訴原告、検察官の再反駁が認められるが、被告人またはその弁護人は常に最終に陳述することができる(同)。このようにして弁論が終わったら、裁判長は弁論の終結を宣告する(三四七条)。その際、裁判長は訴追および防御の方法を要約することはできないとされている(同)。
 弁論の終結が宣言されると、重罪院の評議に先だって、裁判長は、重罪院および陪審が答えるべき質問を朗読する(三四八条)。「被告人は、当該事実を犯したことで有罪であるか」という主質問がなされ、加重事由と減刑事由についてもそれぞれ別個に質問される(三四九条)。重罪院が退廷する前に、裁判長は次の指示を朗読し、その指示は大きな文字で書かれて評議室の最も見やすいところに掲示される(三五三条)。「法律は、裁判官が確信した方法について裁判官に報告を求めず、また裁判官が証拠の完全さと充分さに特に依存しなければならないという原則を命じない。法律は、被告人に対して提出された証拠および防御方法が自分の理性にどのような印象を与えたかを、沈思黙考して自分自身に尋ね且つ良心に忠実に探すことを命じている。法律は、『あなた方の心の奥に秘められた確信を得たか?』というただ一つの質問をするだけであり、それが裁判官の義務の範囲のすべてである。」(同)。それから、裁判長は公判の中断を宣言し、被告人を退廷させ(三五四条)、裁判官と陪審員は評議室に入るが、結論に達するまで彼等はそこから出ることができない(三五五条)。この評議室は衛視に監視されていて、裁判長の許可がなければ誰も入室することはできない(三五四条)。
 重罪院および陪審員の評議が終わったら、質問について記入された投票用紙で、質問ごとに投票する(三五六条)。この投票は、先ず主たる事実について、必要があるときは、加重事由について、補足質問について、法律上の減刑事由について順に行われ、最後に被告人の有罪が認められたときは、裁判長は酌量減刑事由についての質問を提起し、これについての投票がなされなければならない。(同)。
 この投票は次の方法でなされる。裁判官と陪審員は一人ずつ、重罪院の印鑑が押され、「私の名誉と良心に従って、私の宣告は・・・」と記入された投票用紙を開いて受け取る(三五七条)。次いで、彼等は、誰も投票用紙への記入を見ることができないように配置された机で秘密に「肯定」(oui)または「否定」(non)と記入し、投票用紙を閉じて裁判長に渡し、裁判長がその用紙を投票箱に入れる(同)。裁判長は、裁判官と陪審員が投票用紙を確認できるように彼等の面前で開票し、投票の結果を直ちに、質問の回答の後ろまたは欄外に記入する(三五八条)。この投票の中で、白票または多数によって無効とされた投票は、被告人に有利なものとして数えられ、投票用紙は開票後直ちに焼却される(同)。被告人に不利な決定は、酌量減刑事由も含めてすべて八票以上の多数でなされる(三五九条)。投票結果が「肯定」のときは、八票以上の多数であること以外を記入してはならない(三六〇条)。八票の意味は多様に解釈できる。三名の裁判官全員が被告人に不利な意見をもっていても、陪審員の過半数がそれに反対ならば、被告人に有利な決定が優先することになる。逆に裁判官全員が被告人に有利な意見をもっていても、陪審員の八名が不利な決定をすればそれが優先することになる。
 被告人の有罪が肯定されたら、重罪院は直ちに刑の適用について評議し、秘密投票が行われる(三六二条)。二度投票を行っても多数により刑が定まらないときは、前回の投票での最も重い刑を除いて第三回目の投票が行われ、三回目の投票でも多数で刑が決まらない場合は、同様に三回目の投票での最も重い刑を除いて四回目の投票が行われる(同)。以下同様にして、多数で刑が決定するまで投票が続けられる(同)。
 被告人に対して取り上げられている事実が、刑罰法規の適用を受けないときもしくは最早その適用を受けなくなったとき、または被告人が有罪でないと宣告されたときは、重罪院は被告人の無罪釈放を言い渡す(三六三条)。
 重罪院の評決は質問用紙に記載され、直ちに裁判長および抽選で指名された最初の陪審員によって署名される(三六四条)。提出された質問に対する重罪院の答えは、最終的なものであり撤回できない(三六五条)。
 裁判官と陪審員による結論が出たら、重罪院は再び法廷に戻る(三六六条)。裁判長は、被告人を出廷させ、質問に対する答えを読み上げ、有罪または無罪の判決を言い渡す(同)。裁判長は、適用した法律の条文を、法廷で読み上げ、朗読をしたことが判決に記載される(同)。適法に無罪の言い渡しを受けた者は、たとえ別の名称によっても、同一の事実を理由として再び逮捕され、訴追されることはない(三六八条)。判決を宣告した後、裁判長は、必要があるときは、被告人に対して破棄院への破棄請求の権利が認められていることおよびその期間を知らせる(三七〇条)。
 以上が重罪院における重罪裁判手続きの概略である。
 付帯私訴についての重罪院の判決は、右とは別の手続きで言い渡される。公訴について言い渡した後で、重罪院は、陪審員の列席なしに、当事者および検察官の意見を聴いた後に、付帯私訴原告から被告人に対するあるいは無罪とされた被告人から付帯私訴原告に対する損害賠償請求について裁判する(三七一条)。

五 あ と が き
 国民からあまりにも遠い所にある(構造的にも、内容的にも)司法を、少しでも国民に近づける制度の一つとして陪審制度を位置づけ、フランスの重罪裁判における現行の陪審制度を中心にみてきた。
 フランスでは、一七九一年に採用された陪審制度は、その後いくつかの修正を受けながら、二世紀以上にわたって生き続けている。最も大きな修正は、一九四一年になされた(22)。それまでは、裁判官と陪審の役割が分けられていて、陪審は事実問題についてだけ判断し(被告人が有罪か無罪か)、法律問題は専ら裁判官の役割とされていた。しかし、この役割分担はうまくいかなかった。というのは、陪審は「有罪の票決をしたときに、それにもとづいて裁判所が法律をどのように適用して、どんな刑を科すか」を明確に知り得ないから、言い渡される刑の厳しさを配慮して、事実が明白であるにもかかわらず反対の結論を出すことがあった。そこで、一九四一年の改革は、裁判官と陪審の役割を区別しないで、両者が一緒になって事実判断と法律の適用を行う現行の制度に変えたのである。法律が相対刑を規定しているときでさえこのような状態であるから、一七九一年刑法典のように絶対刑が定められていて裁判官に量刑の余地が残されていないところでは、陪審の苦慮はいかばかりであったろうか。
 陪審員は裁判官と一緒になってその職務を遂行するのであるが、その際、法律の素人である陪審員が専門家である裁判官の影響を強く受けることはないだろうかという心配がある。この点では、現行刑訴法は、少なくとも二点の配慮をしている。一つは、既にみたように、弁論の終結に際して裁判長は、訴追および防御の方法を要約してはならないとされていることである。この禁止がなければ、裁判長は要約の中で陪審員の心情に訴えることができ、陪審員の良心と独立を侵害することになるからである。いま一つの配慮は、票決数にみることができる。被告人に不利な決定をするためには最低八票が必要である。裁判官は三名で陪審員は九名であるから、いくら裁判官全員が被告人は有罪だと確信しても、陪審員の過半数にあたる五名の陪審員が同じ確信をもたなければ、被告人の有罪は確定しないことになる。逆の場合にも同じことが言える。
 法律や法的技術の知識が乏しい一般の国民が裁判に参加することに対する懸念が、陪審制度に反対の理由とされることがある。しかし、裁判は、純粋に法技術的に進められるものではなくて、社会に生起している法以外の要素を考慮して進められなくてはならない。法的な現象も社会現象の一つに他ならないからである。この点では、むしろ法律の素人で構成される陪審の方が、裁判官よりも広いものの見方ができることもあるということを考えてみる必要はないか。
 司法の民主化の方法の一つとして陪審を考えてみるとき、そのあり方は多様である。陪審員の選任方法、陪審の役割、票決に必要な人数等多面的な考察がいる。
 また、司法の民主化は、何も陪審制度の採用によってだけ実現されるものではない。わが国には、最高裁判所裁判官の国民審査の制度や検察審査会の制度がある。特に後者については、検察審査会法は、第一条で審査会の目的として「公訴権の実行に関し民意を反映せしめてその適正を図る」ことをあげている。一面では、既にある制度を実質化する努力も大切である。同時に、国家や国家の制度を真に多くの国民のためのものにしていく努力は、それにも増して大切である。
 右のような問題にかかわって、裁判の民主化という観点から陪審について考える素材を提供せんとしたのが本論である。

(1) Jean Vincent, Serge Guichard, et autres ; La justice et ses institutions, 3e e´dition, p. 274
(2) cf. Jean Vincent, Serge Guichard, et autres ; op. cit., p. 278
   cf. Roger Perrot ; Institutions judiciaires, 4e e´dition, p. 309
(3) 東京弁護士会編集 『陪審制度』(ぎょうせい)一二頁
(4) 東京弁護士会編集 前掲書 一三頁
(5) 関西大学法学研究所 研究叢書第六冊「民衆の司法参加の可能性と限界---弁護士意識調査の分析---」 二七頁
(6) 中村「フランス革命初期の重罪陪審裁判」(立命館法学、第二二五・二二六号、三三五頁以下)、および同「ナポレオン刑事訴訟法の重罪陪審裁判」(立命館法学、第二三一・二三二号、六一頁以下)
(7) フランス革命期の陪審制度に関する国民議会での論議とその法制化につき、中村前掲「フランス革命初期の重罪陪審裁判」参照。
(8) この法律の定める陪審制度については、「陪審は一七九一年九月一六日ー二九日法による注目すべき改革であり、陪審は"個人の自由の保護装置"として存在する」という評価もある。(ジャン=ルイ・メストル「裁判の歴史」 小島武司他編『フランスの裁判法制』中央大学出版部 所収 八二頁参照)
(9) 一八〇八年ナポレオン刑訴法の陪審制度については、中村 前掲書「ナポレオン刑事訴訟法の重罪陪審裁判」参照。
(10) cf. Godechot ; Les institutions de la France sous la Re´volution et l'Empire, 2e e´dition, p. 632 et suiv.
   cf. A. Esmein ; Histoire de la proce´dure criminelle en France, p. 524
(11) Roger Perrot ; op. cit., p. 10
(12) 能動市民および選挙人の数については、次のものを参照。
   J. Godechot ; op. cit., p. 76
   Jacques Ellul ; Histoire des institutions, Tome 5, p. 23
   Albert Soboul ; La civilisation et la Re´volution frac■aise, tome II, p. 105
   J. J. Chevallier ; Histoire des institutions et des re´gimes politiques de la France de 1789 a` nos jours, 5e e´dition, p. 55
   Jean Jaure`s ; Histoire socialiste de la Re´volution franc■aise, tome 1, p. 587
(13) Jean Giquel ; Droit constitutionnel et institutions politiques, 11e e´dition, p. 163
(14) Miche`le-Laure Rassat ; Proce´dure pe´nale, p. 90
(15) ibid.
(16) Annuaire statistique de la justice 1989-1990, P. 49
(17) op. cit., p. 113
(18) Miche´le-Laure Rassat ; op. cit., p. 544
(19) Miche´le-Laure Rassat ; op. cit., p. 577
(20) Jean Vincent et autres ; op. cit., p. 276
(21) コミューン(commune)は、一般に「市町村」と訳されているが、それでは正確なイメージがつかめないので、ここではわざと原語のままとした。コミューンの現状からすると、わが国の市にあたるものもあれば、村よりずっと小規模なものもある。コミューンの人口実態は次の通りである(一九九〇年現在)。Annuaire statistique de la France, 1991-1992, p. 20による。
      コミューン総数 三六、五五八(フランス本土のみ)
    コミューンの人口     コミューン数
   二〇万人以上             九
   一〇万人以上二〇万人未満      二六
    五万人以上一〇万人未満      六一
    二万人以上五万人未満      二九三
    一万人以上二万人未満      四二六
    五千人以上一万人未満      八八一
    二千人以上五千人未満    二、六一一
    一千人以上二千人未満    三、九三六
    五百人以上一千人未満    六、六〇四
    二百人以上五百人未満   一〇、八二五
    一百人以上二百人未満    六、七四八
    五〇人以上一百人未満    三、〇二〇
    五〇人未満         一、一一一(内住民ゼロのコミューンが五)
    コミューンで人口が最も多いのはパリで、二、一七五、二〇〇人。
    人口五千人未満のコミューンは、全体の九五・三%。
(22) cf. Roger Perrt ; op. cit., p. 166 et suiv.