立命館法学  一九九五年五・六号(二四三・二四四号)




特許製品の並行輸入
−国際的消耗論批判−

大瀬戸 豪志






一  は  じ  め  に
  わが国では、従来、判例および学説により、真正商品(商標商品)の並行輸入は許容されるが(1)、特許製品や著作物については、その並行輸入は許されないものとされてきた(2)。ところが、平成七年三月二三日の東京高裁判決(判時一五二四号三頁)により、はじめて、特許製品についても並行輸入は許容されるという判断が示された。この事件は、現在上告中であるが、上記判決をめぐって激しい論議が展開されている。
  この判決の事案は、自動車の車輪についてドイツと日本で特許権を有するドイツのBBS社(原告、被控訴人)が、ドイツで同社が製造販売したその特許製品である車輪を日本へ並行的に輸入した日本の会社(被告、控訴人)に対し、特許権侵害を理由として、当該車輪の輸入販売の差止と損害賠償を求めて提訴したところ、第一審の東京地裁平成六年七月二二日判決(判時一五〇一号七〇頁)では、BBS社の請求が認容されたので、日本の会社の方から東京高裁に控訴したものである。これに対し、東京高裁判決は、いわゆる「国際的消耗論」(「国際的消尽論」または「国際的用尽論」ともいう)に基づき、外国で適法に拡布された特許製品の並行輸入は内国特許権を侵害するものではないとして、右述のように日本の会社によるBBS社製の車輪の並行輸入を許容したのである。
  この判決をめぐる議論の中心は、国際的消耗論の妥当性に関する。この理論は、これまでも並行輸入法理の中心問題とされてきたものであるが(3)、その適用については、各国ともに慎重な態度を崩しておらず(4)、わが国においても学説の中で取り上げられるのみで(5)、これを適用した判決はこれまで存在しなかった(6)。このようなことから右の東京高裁判決は、わが国だけでなく世界的にも大きな反響を呼び起こしている(7)
  しかし、現時点で、わが国特許法のもとで国際的消耗論を適用して特許製品の並行輸入を認めることには相当に無理があるように思われる。右の東京高裁判決の見解を含めて、現在主張されている国際的消耗論そのものに法理論上決定的な不備があると考えられるからである。そこで、本稿では、まず、前記東京高裁判決の事案との関連で主張されている国際的消耗論の内容を紹介し、そのうえでこれを批判的に検討することにしたい。


二  国際的消耗論の内容
(1)  前提としての国内的消耗論
  周知のように、「国際的」消耗論は、世界的にも広く認められている「国内的」消耗論を基礎にするものである。この国内的消耗論の内容として、内国における特許権は、特許製品の適法な拡布により、当該製品に関する限り、その目的を達して消耗する、ということについては異論をみない(8)
  しかし、問題はそのような消耗をもたらす根拠如何という点にある。右の東京高裁判決は、この点について次のように述べている。すなわち、発明者の利益の保護と産業の発達という社会公共の利益の保護との適切な調和を目的とする特許法の目的からすれば、特許権の効力が適法な拡布の後にまで当該特許にかかる製品について及ぶとすると、当該製品の移転にはその都度特許権者等の同意を要することになり、かかる事態は取引の安全を害することはなはだしく、特許にかかる製品の流通を妨げ、ひいては産業の発達を著しく阻害することは明白である。そしてまた、特許権者には、特許製品を拡布する際に、すでに発明公開の代償を確保する機会が保障されている以上、拡布後の製品の流通過程において、特許権者にさらに二重の利得の機会を認めるべき合理的な根拠は存在しないのであって、この点に特許権の国内的消耗の実質的根拠がある、と。
  特許権の国内的消耗の理論的根拠という面から見るときは、この見解には、「二重利得の防止」という観点と「取引の安全」という観点が混在している。前者は、いわゆる「報償説」、すなわち、発明の開示とその実施の努力に対する報償としての独占的な利得の機会の付与という特許制度の目的を考慮するものである(9)。これに対し、後者は、内国において特許権者または実施権者によって特許製品が適法に拡布された後は、取引の安全という公衆の利益の観点から特許権の効力を合理的に制限しなければならないとするものであって、前者とはその基盤を異にする(10)
  国内的消耗を理論的に基礎づけるための考え方としては、これら二つもののほかに、特許権の効力の限界は、理論的な当然の帰結ではなく、優れて政策的な判断によるものであるとの前提の下に、商品が転々流通することは産業発展にとって必須であり、特許権がそれを阻害するような制度であってはならないとの観点から、その消耗を認めようとする見解がある(11)
  目下、このような三つの国内的消耗論を基礎とし、それぞれの発展形態として国際的消耗論が展開されているのがわが国の状況である。以下、これらの諸説についてその妥当性を検討する。

(2)  国際的消耗論の論拠
  (a)  属地性の原則および特許独立の原則と国際的消耗論
  冒頭に述べたように、わが国の判例は、特許権の国際的消耗を否定し、特許製品の並行輸入を許容していなかった。すなわち、昭和四四年六月九日の大阪地裁判決は、日本とオーストラリアの両国で成立している特許権に基づきオーストラリアで製造された製品(ボーリング用自動ピン立て装置)の日本への並行輸入について、いわゆる属地性の原則および特許独立の原則からこれを許されないものとしていた。同判決によれば、特許権には地域上の制限があり、各国の特許権は互いに独立しているから、特許権消耗の理論が適用されるのは、その特許権の付与された国の領域内に限られるのであり、したがって、特許権の国際的消耗という考え方は採り得ない、とされていたのである。
  これに対し、有力学説は、属地性の原則および特許独立の原則は特許権の国際的消耗と直接かかわるものではなく、これらの原則の下でも国際的消耗論を採り得ると主張していた。それによると、属地性の原則とは、ある国の特許法の適用および効力範囲はその国の領域内に限られるということを意味し、また、パリ条約四条の二の特許独立の原則とは、特許権の成立、効力、消滅等はすべて各国ごとに独立であり、他国の特許権の変動は自国の特許権に対してなんらの影響をも与えるものではないということを意味する。したがって、外国における特許製品についての特許権の消耗が、当然にそれと同一の内国の特許権についても消耗をもたらすとの理由で国際的消耗を認めるときは、たしかにこれらの原則に反することになる。しかしながら、属地性の原則および特許独立の原則が右のようなものであるとすれば、ある国の特許法の下で成立した特許権の効力はその国の特許法の解釈問題として処理すればよいことになり、したがって、内国特許権の効力を定めるにあたって外国で生じた事実ないし行為を考慮してこれを定めることは、内国特許法の解釈問題として許されているところであり、なんら両原則に抵触するものではない、というのである(12)
  そうして、内国の特許法の解釈問題として、外国で生じた事実ないし行為をどのように評価し、それにどのような法的効果を付与するかによって、国際的消耗論の法的構成は以下のように分かれる。
  (b)  国際的消耗論の法的構成
    ((1))  二重利得防止説
  この説は、右述のように報償説に由来するものであるが、これによると、特許権者等による発明公開の代償の機会を一回に限り保障し、この点において産業の発展との調和を図るという前述の国内的消耗論の実質的な観点から見る限り、特許製品の拡布が内国であるか外国であるかによって格別の差異はなく、単に国境を越えたとの一事をもって、発明公開の代償を確保する機会を再度付与しなければならないという合理的な根拠を見いだすことことはできない、とされる。前記の東京高裁判決は、この考え方に基づくものである(13)
    ((2))  取引の安全説
  この説は、前述のように、特許権の国内的消耗は、内国において特許権者等により特許製品が適法に拡布された後は、取引の安全という公衆の利益の観点から特許権の効力を合理的に制限するというものであるから、同一発明に関する並行特許の国際的消耗を認める場合にも、国内的消耗で予定された適法な拡布行為と同視することができる拡布行為が並行特許のある外国で行われたかどうかによるべきである。そして、外国における特許製品の拡布が内国における拡布行為と同視することができるかどうかは、個別的な事例ごとに特許権者等と一般公衆の利益の調和の観点から利益衡量に基づいて決定すべきである、というものである(14)
    ((3))  政  策  説
  これは、特許権を用いた国際市場の分割を阻止し、内外価格差による超過利潤の獲得を防止するという政策判断から、権利者が世界のどこかで一度特許製品の拡布をしたならば権利は消耗するものと解すべきである、というものである(15)

三  国際的消耗論の批判的検討
(1)  二重利得防止説に対する批判
  二重利得防止説に対しては、それぞれの見解の当否はともかく、特許権の国際的消耗を否定する立場(左記((2))((3)))からだけでなく、これを肯定する立場(左記((1)))からも、これまですでに次のような批判がなされている。
  ((1))  二重利得防止説では、外国で価格制限が行われている場合や、外国におけるライセンスによる利得が内国のそれと同程度の利得の機会の保障とはいい難い場合、さらには外国における利得の機会を内国のそれと同視したのでは特許権者の技術開発費の回収が不可能になる場合にも国際的消耗が生じるのかどうか不明確である。このように二重利得防止説における利得の概念そのものに多義性があり、かつ、数量的な要素を含むだけに、その分析が十分なされないままで、利得の機会に着目することには疑問がある。また、各国の特許権は、保護期間、効力および保護範囲を異にしているので、それぞれの国で特許権者に最大限の利得(の機会)が保証されなければならないと考えられてきたのに、この点に関する明確な論及のないまま、主として二重の利得の機会を保障すべきでないことに着目して、取引の国際化の現状から、国際的消耗を根拠づけるのは不十分である(16)
  ((2))  特許権者は、実施権者から実施料を得た後、さらに再実施権者からも実施料を収受することが認められていること、および、出願公開による補償金の取得後においても出願公告後重ねて損害賠償を求めることができるということ(特許法六五条の三第三項)に照らせば、特許製品の並行輸入を禁止することにより、結果として権利者が二重の利得を得るようなことがあるとしても、なんら不合理なものではない(17)
  ((3))  「一般に国内的消尽といわれるのは、特許製品の最初の移転のときだけに、特許権者が実施料を徴収すれば、その後の移転では、その実施料は次々に転化され、特許製品の移転が円滑に行われるという政策的な問題であるにすぎない。」「国際的消耗も国内的消耗と同様に政策的な問題であるところ、現在の特許権には、国境の壁があり、政策的な問題も各国によって検討されることになるから、直ちに、国内的消耗が認められるから、国際的消耗も認められるという結論を出すわけにはいかない。すなわち、各国においては、それぞれ、国内の経済事情が異なり、特許製品の流通一つ取り上げてみても、流通機構が合理化されて中間者が少ないところと、流通機構が複雑で中間者が多いところとでは、経済事情がまったく異なり、この両国からの特許製品の輸入について、平等に国際的消耗を認めるというわけにはいかない(18)。」
  しかし、二重利得防止説の最大の欠陥は、それが依拠する報償説そのものが、そもそも発明に対する独占的な利得の機会を特許権として保障し、それによって産業の発達を図ることを目的とする特許制度を積極的に根拠づけるためのものであるのに、この点を忘れて、逆に、特許権の効力に制限を設けて、報償=利得の機会を減ずるためにこれを利用しようとしているところにある。言い換えれば、報償説の中には、本来、利得の機会に制限を設けるという思想はないのである。それゆえ、報償説をもって特許権の効力の制限の基礎とすること自体に無理がある。報償説に依拠する限り、そこから利得の機会の回数に制限を設けるという考え方は直接的には出てこないものというべきである。極端な言い方をすれば、報償説を前提とする限り、利得の機会は何度あってもよいのである(19)。このようにみるときは、報償説は、すでに特許権の国内的消耗の基礎づけのための理論としても適格性を欠いており、それ故にまた、それをもって国際的消耗の論拠とすることもできないものといわなければならない。ちなみに、特許製品の拡布による代償取得の可能性をもって特許権の消耗を説くのは、付加的なたんなるドグマとしての理由づけにすぎず、そこから、消耗原則の制限や拡張に対するなんらの具体的な法律効果をも引き出すことはできない、というような批判もみうけられる(20)

(2)  取引の安全説に対する批判
  取引の安全という観点から国際的消耗を説く説は、前述のように、外国における特許製品の適法な拡布行為が内国の特許権の消耗をもたらすというものであるが、そのような外国における拡布行為が何故内国の特許権の消耗をもたらすのかという点についての理由づけが不明確である。特許製品が拡布された当該外国市場における取引の安全という利益が、どのような理由で内国市場における取引の安全の利益につながるのであろうか。それ自体としては前述のような問題点を有しているとはいえ、二重利得防止説において、外国市場と内国市場との連結点が両市場における利得の機会という点におかれたように、取引の安全説においても、外国市場における取引の安全という公衆の利益と内国市場におけるそれとを結びつける何らかの媒介項を必要とするであろう。経済取引の国際化、世界経済の一体化をいうのみではその要求を満たすことはできないであろう。
  そればかりでなく、この説によるときは、内国における取引の安全は、外国における拡布の適法性に依存することになり(不適法な拡布の場合には並行輸入は認められない)、これではかえって内国の取引の安全を害することになるであろう。
  取引の安全説は、結局、内国市場か、あるいは、少なくとも、内国市場と同程度の市場の統一性が認められるところでのみ妥当性を有するものであるように思われる。そうだとすれば、取引の国際化が進んでいるとはいえ、いまなおそのような市場の統一性が見られない現在の取引状況の下では、取引における安全という観点のみから特許権の国際的消耗を構成し、内国の特許権の効力に制限を設けて、特許製品の並行輸入を許容することはできないものというべきであろう。

(3)  政策説に対する批判
  政策説は、前述のように、特許権の効力の限界設定の問題について政策判断を優先させる考え方であるが、いうまでもなく、理論的な裏付けを欠く政策判断は、問題解決の決定的な理由とはなりえない。ここにいう政策説と同様に、特許権の消耗を「政策的な問題」としながら、逆にその国際的消耗を否定する説(21)があるということの中にそのような例をみることができよう。
  あらためて指摘するまでもなく、特許権の消耗という問題は、特許法に明文の規定のないところで、解釈により特許権の効力に制限を設けようとするものである。したがって、これを十分な理論的根拠のない政策判断に委ねるときは、特許権の価値を不当に減ずるものとなり、ひいては特許制度の基盤そのものを揺るがしかねない結果を招来するおそれがある。そのような意味で、特許権の消耗という問題は、優れて理論的な問題というべきである。
  一般的に法解釈にあたって政策的考慮は避けられないとしても、政策説における「政策」の意味がそもそも不明確である。国際的消耗論との関わりでは、そこで考えられている政策というのは、通商政策を意味するのであろうが、現在の通商政策上の問題が、実際に特許権の制限に至るほどの明確性と重要性を有しているであろうか。特許権による国際市場の分割が、国家という本来的に分割された市場を越えて、特許権の国際的消耗ということにより一律にその効力に制限を設けて特許製品の並行輸入を許容しなければならないほど行き過ぎたものとなっているであろうか。また、特許権の国際的消耗により並行輸入を認めれば内外価格差は一挙になくなるのであろうか。政策的判断を優先させて特許権の国際的消耗を説く場合には、なによりもまずこれらの諸点を明らかにしなければならないであろう。たんに経済のボーダレス化、市場の国際化を標榜するのみでは、これらの問題に対する回答になり得ないことは多言を要しないであろう。
  仮に、政策説のいうように、国際的消耗の問題が政策判断によるものであるとしても、当該特許製品に限られるものとはいえ、外国での拡布という事実ないし行為により特許権の効力を一律に制限してその並行輸入を許容するという方向での政策判断が、国家という分割された市場の下で、それぞれの分割市場において特許権者に最大限の収益の可能性を保障するという、特許制度における本来的な政策判断(22)よりも優先するということを証明する必要があるであろう。政策説をみる限り、この点の証明が十分になされているとは到底いえない。一方的な仮定に基づく政策判断の観点から、特許権の国際的消耗ということに基づいてそれぞれの分割市場における特許権の効力を一律に制限して並行輸入を許容するのは、政策判断としても正当とは思われない。

四  お  わ  り  に
  冒頭に述べたように、現在、BBS事件の東京高裁判決をきっかけとして、特許製品の並行輸入の許否に関する議論が沸騰しているのであるが、論議の中心である特許権の国際的消耗論に基づく並行輸入の許容論については、右に指摘したように、いずれの考え方も法理論的な観点に立つ限り、決定的な不備があり、したがって、国際的消耗論の適用による特許製品の並行輸入を認めることはできないというのが、ここでの検討結果である。
  並行輸入を許容する側から指摘されているような特許権に基づく不当な国際市場の分割や内外価格差の維持による不合理な利潤の取得のために並行輸入を妨害するような行為がもしあるとすれば、すでに指摘されているように、個別的事案ごとに、独占禁止法に基づく規制や権利濫用の法理によって対処することで足りるであろう(23)。それを越えて、特許権者または実施権者による外国における特許製品の拡布という事実ないし行為だけで、当該特許製品に限られるものとはいえ、内国における特許権の行使を一律に制限することに導く国際的消耗論は、それぞれの保護国における特許制度の下で最大限の利得が保障されることを信頼して発明を公開・実施する発明者ないし特許権者の利益を不当に減ずるものというべきであろう。その意味で、発明者ないし特許権者の利益は、公衆の利益に優先する。
  最後に、並行輸入許容論は、産業の国際化、経済のボーダレス化等を標榜して主張されているものであるだけに、一見国際的な協調を推進するものであるかのようにみえる。しかしながら、すでに、有力な私的国際組織であるAIPPI(国際工業所有権保護協会)の総会決議において、「並行輸入を阻止しえないとすることは、特許およびそれに由来する諸利益の価値を減少せしめるものである」と宣言されており(24)、また、TRIPs協定やWIPOの特許調和条約の交渉過程においても、権利の消耗について国際的な一致が見られなかったこと等が報告されている(25)。このような事情に照らしてみるときは、国際的消耗論の適用による特許製品の並行輸入の許容は、必ずしも国際協調に沿うものではないことが明らかである。かえって、BBS事件の東京高裁判決は、国際特許制度の調和を求めているアメリカの動きに対して悪い影響を与えるであろうという指摘もある(26)

(1)  大阪地判昭和四五・二・二七無体裁集二巻一号七一頁(パーカー事件)、東京地判昭和五九・一二・七無体裁集一六巻三号七六〇頁(ラコステ事件)、名古屋地判昭和六三・三・二五判時一二七七号一四六頁(BBS事件)等。学説のうち、この問題に関する先駆的業績として桑田三郎「国際商標法の研究−並行輸入論」、最近の全般的な状況を検討したものとして田村善之「並行輸入と登録商標権(1)−(4)」発明九一巻一一号−九二巻二号)。
(2)  特許製品の並行輸入を禁止したものとして大阪地判昭和四四・六・九無体裁集一巻一六〇頁(中古ボーリング用自動ピン立て装置事件)、東
京地判平成六・七・二二判時一五〇一号七〇頁(BBS事件第一審)、著作物の並行輸入を禁止したものとして東京地判平成六・七・一判時一五〇一号七八頁(一〇一匹ワンちゃん事件)。学説のうち、属地性の原則に基づいて特許製品の並行輸入を許容できないものとするのは、土井輝生「中古ボウリング用機械の輸入による内国特許権の侵害」渉外判例研究・ジュリスト四六〇号一四一頁、入山実「消尽理論(並行輸入)」工業所有権法の基礎一五四頁、AIPPIバルセロナ執行委員会における議題一〇一「特許製品の並行輸入」に対する決議・AIPPI三六巻一号二四頁。
(3)  国際的消耗論のほかに、特許製品の並行輸入を許容するという立場から従来主張されている見解には次にようなものがある(これらの見解に対する検討は別稿に譲る)。
    ((1))  独禁法の適用による見解(「特許権に基づく並行輸入の差止行為が、需要調整、市場割当ないし分割などによる市場支配力の形成、維持、強化を図るものであり、あるいは、内外差別な対価ないし差別取扱い、または支配的地位の濫用など公正競争阻害性を有する場合には、独禁法の積極的運用がなされなければならない。」紋谷暢男「知的財産権と独占禁止法をめぐる最近の動向」公正取引五三二号四頁)
    ((2))  権利の濫用理論による見解(「国際的に内外価格差を設けようとする手段として特許権を行使することは権利の濫用にあたる。」具体的には以下のような場合がこれにあたる。「(a)製品の僅少な部分に特許権が存在していることを理由にして、製品全体の輸入、販売に差止を求めること、(b)当該商品がブランド品等である等、製品差別化されて市場の中で大きな地位を占めていると判断できるような場合、特許権を利用して、自身もしくは総代理店以外の者とのブランド内競争を減殺しようと企てること」田村善之「並行輸入と知的財産権」ジュリスト一〇六四号四五頁)
    ((3))  慣習法による見解(昭和四五年に商標品の並行輸入がパーカー事件判決によって認められたことに伴い、特許品の並行輸入も事実上黙認されてきており、そのような安定した状況がすでに四半世紀にもおよんでいるという事実は、その法的状況を慣習法化するに値する=渋谷達紀「特許品の並行輸入について(上)(下)」特許ニュース八九六三号、八九六七号)
(4)  アメリカにおける状況については、日高和明「特許権の消尽と二重利得防止−米国裁判例を素材として」CIPICジャーナル三八号一頁、EC(EU)およびドイツにおける状況については、桑田三郎「工業所有権法における比較法」二〇三頁以下、木棚照一「並行特許に関する一考察−EC裁判所の判決を中心に」立命館法学一九七五年三・四・五・六号三二六頁参照。
(5)  小島庸和「特許権消耗の原則」国際工業所有権法研究(滝野喜寿記念)二八七頁、角田政芳「無体財産権法における属地主義と用尽理論」国士舘法学一八号五九頁、相沢英孝「特許と並行輸入」AIPPI三二巻六号三三三頁等。
(6)  注1に掲記の真正商品の並行輸入を許容した判例も、すべて国際的消耗論を適用せず、「商標機能論」によっている。
(7)  BNA’s PATENT, TRADEMARK & COPYRIGHT JOURNAL Vol. 49 p. 736 4-20-95, Harold C. Wegner, GOTEMBA JAPAN AIPPI CONFERANCE, p. 2.
(8)  中山信弘編著「注解特許法(第二版増補)上巻」六二九頁参照。
(9)  桑田三郎「特許製品の並行輸入問題−東京高裁の是認判決」AIPPI四〇巻六号二頁は、「二重利得の防止」という観点は「報償説」(Belohnungstheorie)の系譜に属するとする。
(10)  木棚照一「特許製品の並行輸入と特許権の国際的消尽について」知財管理四五巻七号一一四七頁は、特許権の消耗の理論的基礎として「取引の安全」を強調する。
(11)  中山信弘「工業所有権法(上)」三三三頁。同「並行特許と特許権侵害」知的財産の潮流二七三頁参照。
(12)  桑田三郎・前注4、木棚照一・前注4各参照。
(13)  東京高裁判決の見解は、実質的に渋谷達紀・前掲注3の論文で言及された二重利得の防止説に依拠するものである。同旨・石黒一憲「知的財産権と並行輸入−BBS事件控訴審逆転判決を契機として(上)(中)(下)」貿易と関税一九九五年六、七、八月号。
(14)  木棚照一・前注10。
(15)  中山信弘・前注11。
(16)  木棚照一・前注10。
(17)  小野昌延「特許と並行輸入」AIPPI四〇巻八号二八頁。
(18)  元木伸「並行輸入をめぐる法の論理・BBS事件判決をめぐる論点整理」NBL五七九号六頁。各国制度が独立に存在していることによる「利益確保機会の独立性」という観点から、特許製品の国際的消耗に否定的な見解として、小泉直樹「並行輸入をめぐる経済と法(下)−ベーベーエス事件控訴審判決(東京高判平七・三・二三)」NBL五六七号三一頁。
(19)  財団法人産業研究所(委託先財団法人知的財産研究所)「国際知的財産問題に関する調査研究」(一六頁)においても、「特許制度の目的につき、ボーリング事件の[大阪地裁昭和四四年六月九日]判決と同一の立場を強調し、取得し得る利益の基礎が一国の特許権にあることを認めながら(発明を公開し、その国の技術の進歩及び産業の発展に貢献したから、特許権を付与されている)、並行特許権者に対し、内外国において二度利益を取得することを認めることが、なぜ、権利者を必要以上に保護することになると解されるのか、その理論に飛躍があるように思われる。」と指摘されている。
(20)  Friedrich-Karl-Beier, Gewerblicher Rechtsschutz und freier Warenverkehr im europa¨ischen Binnennmarkt und im Verkehr mit Drittstaaten, GRUR Int. 1989, 603, 612.(桑田三郎訳「EC域内市場及び第三国との取引における工業所有権と自由な商品流通I、II」AIPPI三五巻八号二頁、九号二頁)
(21)  元木伸・前注18。
(22)  「商標とは異なって、その主たる機能が、『利用に向けられて』(verwertunsgerichtet)いる、すなわち、特定の保護権領域内において権利保有者にその発明または著作物の最大限の経済的利用を保障するというところにある技術的保護権および著作権については、国際的消耗の原則は、原則というよりもむしろ例外である。」(Beier, op. cit., S. 612)という見解の中に、特許制度における本来的な政策判断をみいだすことができるであろう。
(23)  前注3の((1))((2))参照。
(24)  「AIPPIバルセロナ執行委員会報告」AIPPI三六巻一号二二頁、二四頁。
(25)  TRIPs協定六条は、「この協定に係る紛争解決においては、第三条及び第四条の規定を除くほか、この協定のいかなる規定も、知的所有権の消尽に関する問題を取り扱うために用いてはならない。」と規定している。これについては、佐伯英隆「TRIP交渉の現状と特色」日本工業所有権法学会年報一五号八八頁、とくに九六頁以下参照。また、BBS事件第一審判決(前注2)では、「GATT、WIPO等の国際会議においての諸外国の対応についての報告によっても、真正商品の並行輸入が輸入先の国の特許権を侵害しないものとすることについての国際的な認識が一致しているものとは認められず、むしろ特許権の侵害にあたるとの認識も有力である」と指摘されている。なお、日高和明「TRIPs協定国境措置規定の展開」貿易と関税一九九三年八月号五〇頁、とくに五七頁以下参照。
(26)  Harold C. Wegner, op. cit., 22.

  (追記)
      本稿は、一九九五年一一月六日に韓国ソウル市で開催された韓国知的所有権法学会のシンポジウム「並行輸入と知的所有権」において、「並行輸入と知的財産権−特許製品の並行輸入に関する日本における論議」と題して発表したものに最小限の訂正と脚注を加えたものである。なお、本稿は、立命館大学一九九五年度研究助成金(特定研究A)による研究成果の一部である。