立命館法学 一九九六年一号(二四五号)
「契約に関するプロパー・ロー」理論の意義(9973爪)
「契約に関するプロパー・ロー」理論の意義
−一九世紀のイギリスにおける契約準拠法理論の潮流−
9973 爪 誠
第一章 は じ め に
第二章 契約のプロパー・ロー理論の成立とその背景
第一節 序論
第二節 契約のプロパー・ロー理論の成立前史
(一) ストーリー
(二) ストーリーの影響
第三節 契約のプロパー・ロー理論に関する二つの定義
(一) 一九世紀イギリス国際私法
(二) ウエストレイク
(三) ダイシー
第三章 契約のプロパー・ロー理論の意義
第一節 序論
第二節 事例研究
(一) P&O事件
(二) ロイド事件
(三) ヤコブス事件
(四) ミズーリ汽船会社事件
(五) シャテニー事件
(六) ハムリーン事件
第三節 判例理論の整理
(一) 整理の前提
(二) 一方でのみ評価を受けた事案
(三) 両者に重視された事案
(四) 両者から異なる評価を受けた事案
(五) 小 括
第四節 若干の考察
第四章 結びに代えて
第一章 は じ め に
国際私法の本質は、問題となっている渉外的事案と最も密接な関係を有する法(以降、最密接関係国法という)を探究することにあるといわれる。多くの場合、この最密接関係国法は客観的に確定できるものとされてきた。わが法例でも採用されている不動産に関する不動産所在地法や不法行為に関する不法行為地法はその好例である。しかし、他方で、このような明確な基準の確立が困難とされる領域も存在してきた。その代表例が契約の分野である。
その歴史に一瞥を加えれば、まず長い間の契約締結地法主義から、履行地法主義の台頭を経て、当事者の意思を連結点とする「当事者自治の原則(Prinzip der Parteiautonomie)」が登場した。その後は、当事者自治の原則およびそれに対する否定論あるいは制限論という形で議論が進んできた。すなわち、主観主義と客観主義の対立という構図の中でこの問題は論じられてきたのである(1)。
そのようななかで、独特の契約準拠法決定基準として注目されてきたのが、イギリスにおける「契約に関するプロパー・ロー(proper law of the contract)」(以降、契約のプロパー・ローとのみ言う)理論(2)である。その理由は、この理論が主観主義と客観主義をいわば止揚したものとされているからである(3)。しかし、何よりも注目すべきであるのは、この理論によって最密接関係国法という基準が法選択規則のひとつとして用いられるようになった点である。冒頭でも述べたとおり、最密接関係国法の探究が国際私法の大原則であるので、この理論は、いわば国際私法原則を最も端適に表しているものと言えるのである。
したがって、この理論の成立過程を追うことは、契約準拠法決定基準の考察にとどまらず、国際私法の意味を考えることにもなるのである(4)。本稿では、この理論の創始者であるウエストレイク(J. Westlake)を中心に、その前後の学説および判例を基礎に考察を進める。
(1) 当事者自治の原則については、折茂豊『当事者自治の原則』(一九七〇年、創文社)に詳しい。最近の動向については、石黒一憲『金融取引と国際訴訟』(一九八三年、有斐閣)、奥田安弘『国際取引法の理論』(一九九二年、有斐閣)、松岡博『国際取引と国際私法』(一九九三年、晃洋書房)等が手がかりとなる。サ
論文も多数ある。山口弘一「財産的法律行為に基因する債権の準拠法に就いて」国際法外交雑誌六巻八号二二頁、七巻三号二七頁、六号二三頁、八号四二頁、跡部定次郎「法例七条の規定に就いて」京都法学会雑誌五巻一一号、久保岩太郎「債権契約の準拠法を論ず」商学評論一〇巻二号、三号、実方正雄「国際私法上に於ける当事者自治の原則(一)−(四)完」法学一巻九号六九頁、一〇号七五頁、一一号九三頁、一二号一一五頁、江川英文「国際私法上の意思自治の原則に関する一考察」田中(耕)先生還暦記念『商法の基本問題』(一九五二年、有斐閣)四四一頁、田中耕太郎『世界法の理論(二)』(一九三三年、岩波書店)四一〇頁、山田鐐一「契約の準拠法−当事者自治の原則」『契約法大系W 特殊の契約(二)』(一九六三年、有斐閣)二二四頁、山本敬三「国際契約の準拠法」広島大学政経論叢一八巻五=六号三五頁、西賢「当事者自治の原則と比較法的動向」『現代契約法大系九巻』(一九八三、有斐閣)六五頁等を参照。
(2) 契約のプロパー・ロー理論については、鳥居淳子「英国国際私法における契約準拠法− Cheshire, International Contracts, 1948 の紹介」名大法政論集一二巻九九頁、本浪章市「契約のプロパー・ロー決定と英国裁判所への管轄権の規則−アミン・ラシード海運会社対クウェイト保険会社(別名アル・ワハブ号事件と保険証券の解釈準拠法」『英米国際私法判例の研究 国際債権法の動向』(一九九四年、関西大学出版部)三頁等参照。
「プロパー・ロー」には、わが国においても、「本拠法」(岡本善八「英国国際私法に於ける当事者自治の原則」同志社法学一九号二六頁)、あるいは「固有の法」(折茂・前掲書(本章注(1))四〇頁)といった訳語が与えられたが、定着しなかった。本稿においても、原語を用いることにする。このことは、この概念の把握がいかに難しいかということもまた表していると思われる。
(3) 例えば、わが国においても、この理論は「当事者自治の原則を承認するという立つ限り、そこに何らかの制約を認め、一定の限界を見いだしていこうとする試み」のひとつとして、「主観主義を止揚した新たな客観主義」と評されたり(山田鐐一『国際私法』(一九九二年、有斐閣)二八九頁)、あるいは、当事者自治の原則に対峙するものとして「当事者の意思は具体的事情のひとつとしてのみ考慮されるに過ぎず、その他の諸々の事情を考慮して契約のプロパー・ローを決定し、それを適用すべきである」とする理論と紹介されている(溜池良夫『国際私法講義』(一九九三年、有斐閣)三四三頁)。
(4) 二〇世紀前半までのイギリスにおける契約準拠法に関する判例を丹念に追うものとして、岡本・前掲論文(本章注(2))がある。
第二章 契約のプロパー・ロー理論の成立とその背景
第一節 序 論
契約のプロパー・ロー理論の最初の提唱者が、イギリスのウエストレイク(J. Westlake)であることは、わが国においても広く知られている(1)。本稿でも、ウエストレイクの見解を検討することはもちろんであるが、その前提として、ウエストレイクに影響を与えた学説についても検討したい。これによって、契約のプロパー・ロー理論の淵源を探り、その理論的背景を明らかにできると考えるからである。
ところで、ウエストレイクに対して大きな影響力を有したのがサヴィニー(F. K. v. Savigny)であることもまた広く知られている(2)。しかし、同じ英米法に属し、そのサヴィニーに大きな影響を与えたとされるアメリカのストーリー(J. Story)とウエストレイクの理論上の関係は、必ずしも明らかではない。論理的に考えれば、サヴィニーを媒介として、この両者は浅からぬ関連を有しているはずである。次節以降で、この点についてまず扱うことにする。ただ、すでにサヴィニーについては、わが国において詳細な研究がなされており(3)、近時は、契約債務に焦点を合わせた論稿も見られている(4)。したがって、ここでは、それらの研究を踏まえて、ストーリーとウエストレイクの理論の関係およびウエストレイクに続いてイギリス国際私法の発展に努めたダイシー(A. V. Dicey)の理論を中心に検討を進めことにする(5)。
第二節 契約のプロパー・ロー理論成立前史
(一) ストーリー
ストーリーが国際私法に関してその見解を明らかにしたのは、彼の法学全書九部作の第三作にあたる、一八三四年の『法抵触釈義(COMMENTARIES ON THE CONFLICT OF LAWS)』においてであった(6)。本節では、そのうち「第八章渉外契約(foreign contracts)」を検討する。なかでも、能力および現代法上の不法行為にあたる部分を除いた、契約の成立および効力を中心とした部分を中心に見てみることにする。
まず、契約の有効性については、コミティあるいは国際礼譲(comitas inter communitates)に反しない限り(7)、契約締結地において有効な契約は何処においても有効であるというのが普遍的原則である。国際契約の領域ほどこのような普遍性のある原則の遵守が望まれる領域はないのである(8)。しかし、これには三つの例外がある。第一に、法律を回避された地の裁判所は、その法律回避・法律詐欺(evasion or fraud of laws)を認めるべきではない(9)。第二に、公序良俗に反する契約も、契約締結地においてたとえ有効であっても無効とされるべきである(10)。第三に、国家政策や国体に反する契約があり、これらもまた無効である(11)。
これとは別に、行為地法上求められる方式、証明方法等に従うことがいかなる場所においても必須であるという規則もある(12)。これは、契約締結地法所属国の主権の作用として、当事者に同地への服従を求めるものと理解される(13)。英米における詐欺防止法の適用を受ける契約はまさにこの好例である(14)。
一般原則としてのもうひとつの規則は、契約の性質(15)、義務および解釈については契約締結地法が適用されるということである。第一に、契約の性質は、そのような明示の意思あるいは条項がなくとも「当然(properly)」契約締結地法によるのであり(16)、大陸法でも(17)、コモン・ローでも(18)例証されている。第二に、契約の義務とは、契約履行義務のことであり、それは債権的(対人的)あるいは物権的(対物的)に効力を制限され得る(19)。なお、外国の裁判所が契約締結地法の解釈を誤り、その結果、義務を免じられることがあっても、契約締結地において回復できる(20)。
第三に、契約の解釈であり、これは各国において規則が確立されている。契約の解釈の目的は当事者の真の意思を確認することにあり、これは学説彙纂(Digesta)に遡り得るものである。具体的には、当事者の共通の意思があるか、契約締結地の慣習により解釈し得るかが問題となる(21)。結論として、契約締結地法が契約解釈の準拠法であることは広く認められている(22)。ただし、当事者の意思として、ある別の法が予定されている場合はこの限りではない。契約締結地とは異なる地での履行を当事者が黙示に意図している場合、契約の有効性、性質、義務および解釈は履行地法によるというのが一般原則である。これは「自然的正義(natural justice)」の帰結とみなされるもので、ローマ法上採用されているのである(23)。この原則を、オランダ学派(24)およびマンスフィールド卿(Lord 宸villiam Murray Mansfield)も採用しており、英米でも一般に承認されるところとなっている(25)。
しかし、どちらの原則が優越すべきかの判断には、しばしば困難が伴う。一般には履行地法原則があてはまらない場合に、契約締結地法が適用されると解すべきであろうが、これが十分な指針とならない場合も多い(26)。
とりわけ、利息の支払に関する問題がある(27)。契約締結地および履行地において、問題となっている利息が高利にあたるか否かが問題となる(28)。さまざまな形態で利息が問題となり得るが、いずれの場合においても、「契約地法(lex loci contractus)」によって、妥当な利率が決定される(29)。利息が明示されている場合の大陸法の学説は一致している。しかし、利息が明示されていない場合、大陸法の学説は債権者住所地法説と債務者住所地法説に分かれる(30)。しかし、コモン・ローにおいては、理論はより一貫され、あらゆる事案において「契約地法」が利息を規律する。さらに、履行地が契約締結地と異なる場合には、利息は履行地法に従って定められる(31)。
しかし、判例を検討すると(32)、裁判所が一般に、二つの「契約地」を念頭に置いていることがわかる(33)。明らかに、「契約地」は多義的であり、ひとつは契約が実際に締結された地であり、もうひとつは、「当事者の意思によれば」事実上契約がなされた地という意味での履行地である。この場合、履行地法が優先されると解すべきである(34)。これを原則とした場合、この原則に反するとみられる弱者、貧困者および未成年者の保護をどうするかという問題が起こり得る。この場合は国家間の礼譲により保護されるのではなく、各国法ごとにその有効性を問題とすることになる(35)。
(二) ストーリーの影響
このストーリーの学説の内容自体は、後でウエストレイクとダイシーの理論と合わせて検討し、その意味を考えることにする。ここでは、その前提として、一九世紀の国際私法学におけるストーリーの学説の位置付けを概観してみたい。
周知のとおり、一四世紀のイタリア学派以降、国際私法の主流でありつづけた法規分類学説(法則学説あるいは条例理論とも呼ばれる)にとってかわり、新しい方法論を提唱したのは、一九世紀のドイツのサヴィニーである。しかし、サヴィニーは突然に異説を唱えたのではなく、当時あった法規分類学説に対する潜在的あるいは一部顕在化していた批判を、自らの理論の糧としたのである。わが国においても、法規分類学説に対する鋭い批評によって、サヴィニーの僚友ヴェヒター(C. G. v. Wa¨chter)の名が広く知られており、また、サヴィニー類似の方法論をサヴィニーより以前に明らかにしていたとして、シェフナー(W. Shaeffner)の存在も評価されている(36)。これらのドイツ人研究者とならんで、サヴィニーが明言をもって絶賛してたのがストーリーだったのである(37)。
しかし、両者の国際私法に対する基本的な考え方は、相当異なる。ストーリーは、コモン・ロー上の抵触法理学に何らかの体裁を与えるため、先にも見たように、大陸法の理論にも配慮しながら、判例法をまとめそこから帰納的に自説を展開している。しかし、一八世紀までのコモン・ローにおいて、この分野は十分発展していなかっただけでなく、ストーリーが頼りにした大陸法の国際私法学も論者によって主張が多岐に分かれ、必ずしも明確な理論を確立するには至っていなかった(38)。したがって、ストーリーにとって、当時のコモン・ロー抵触法の「現状」を明らかにすることが、最終目的とならざるを得なかったのである。ストーリーが、一七世紀オランダ学派の「礼譲(comity)」理論をもとに、抵触法の基本を各国家間の任意の互譲に求めたことは、言い換えれば、彼自身が抵触法の機能的限界を認めたと見てもよいであろう(39)。
これに対して、サヴィニーもまた、当時の国際私法が不十分であるという点で、ストーリーと認識を一にしていた。しかし、サヴィニーは、国際私法の将来的展望について楽観的であった点で、ストーリーとは違っていた。すなわち、サヴィニーは文明国(西欧とアメリカ合衆国)にはこの分野を支える土壌がすでに確立されていると考えていたのである(40)。このような認識をもとに、サヴィニーは「国際法的共同体(vo¨lkerrechtlichen Gemeinschaft)」という基本概念を創出し、いわゆる普遍的国際私法の先駆けとなるのである。したがって、法規分類学説からの脱出をはかったストーリーとサヴィニーではあったが、その脱出の方向は一八〇度違ったのである。
また、ストーリーは、私法を公法体系のなかに組み込んだ。この公法・私法の未分離というとらえ方は、現代法にも通じるアメリカ法の特徴である。これに対し、サヴィニーは国際私法の「私法化」をはかった(41)。この作業が、サヴィニーにとって、自説の「国際法的共同体」理論を説くことをより容易にしたのである(42)。この点でも両者は基本的に異なっていたといってよいであろう。
以上の点に限って見れば、ストーリーのサヴィニーへの最大の影響は、ストーリーが英米の判例法をもとに、法規分類学説の体系に代わる体系を打ち立てたことに収斂されそうである(43)。そのような中で、契約準拠法に関しては、両者とも履行地法を重視した点で内容的にも共通している。そして、サ、ヴ、ィ、ニ、ー、の、影、響、を、う、け、た、ウエストレイクが契約のプロパー・ロー理論を提唱し、その同じ用語を用いてダイシーは契約の主観的プロパー・ロー理論すなわち当事者自治の原則の原形を作り出すのである。以降、このように一見複雑な歴史的展開をひもといていくことにする。
第三節 契約のプロパー・ローに関する二つの定義
(一) 一九世紀イギリス国際私法
一九世紀後半になって、イギリス本国においても、抵触法学は大きく発展した。その中心となったのが、ウエストレイクとダイシーの二人であった。一八五九年に発表されたウエストレイクの『国際私法論あるいは抵触法論〔初版〕(PRIVATE INTERNATIONAL LAW OR THE CONFLICT OF LAWS)』と、一八七九年に発表されたダイシーの『住所地法論(THE LAW OF THE DOMICILE)』の二つの書物が、抵触法におけるそれぞれの最初の業績であった(44)。その後、ウエストレイクの『国際私法』は、六度の改訂を経て一九二五年まで出版され続け、またダイシーの『住所地法』も一八九六年に同じくダイシーの『抵触法に関するイギリス法提要〔初版〕(THE LAW OF ENGLAND WITH REFERENCE TO THE CONFLICT OF LAWS)』に引き継がれ、その第一二版(一九九三年)は現在も刊行されている。この二つの教科書がイギリス国際私法理論の源と言ってよい。
残念ながら両者の生存中は、イギリスの古くて硬直的な法制度ゆえに、両書とも権威のあるものとして広範な承認を受けていたわけではなかった(45)。それでも両書とも当時においては屈指の精度を誇る判例法の宝庫であった。事実、ウエストレイクは主にイギリス国内において、そしてダイシーはアメリカにもその影響を次第に及ぼしていったのである(46)。
契約のプロパー・ロー理論は、この二つの著作にその起源をもつ。ここではまず、この二人の著作のなかで契約のプロパー・ローがどのように考えられていたかを検討することにする。ただし、両書の記述を詳細に論ずることはできないので、時代的に先んじたウエウストレイクの著作を中心に考察し、ダイシーの著作については、ウエストレイクとの対比という観点から、また大々的な改訂が二〇世紀中期まではなされなかったという点から、その初版を中心にまとめることにする。
(二) ウエストレイク(47)
ウエストレイクの『国際私法論あるいは抵触法論』において、プロパー・ローという用語自体は初版(一八五九年)においてすでに用いられている。それは、「第七章「フ11」]諸債務に関する国際法(international law of obligations)」に集中する。
具体的に「プロパー・ロー」という表現を明確に使用するのは、「方式(formalities)」に関する項目(48)、「譲渡(transfer)」に関する項目(49)および「消滅(extinction)」に関する項目(50)においてである。
同時にウエストレイクは、「プロパー」という単語自体をよく使用する。とりわけサヴィニーの理論を引用する中で、「プロパー・シート・オブ・オブリゲーション」という表現を用いていることは注目に値する(51)。けだし、ストーリーが「プロパー」という表現をほとんど用いないことと合わせて、その語源を探るうえで大きな手がかりとなろうからである。
最も多くの紙数を割いている「債務の実質的内容(material contents of obligations)」において、ウエストイクは、「プロパー」という言葉を、前出のサヴィニーに関する部分のほか、解釈に関する部分(52)と不法行為地法(主義)の説明についての叙述等(53)数か所で使用するのみである。ここでは「プロパー・ロー」という表現は一度も出てこない(54)。
このように、関連するような表現はいくつも見られるものの、これら初版の記述の中でウエストレイクは、一度も契約のプロパー・ローを定義しておらず、また契約のプロパー・ローという表現を用いた場合にも、特別な概念としてではなく、「契約準拠法」とほぼ同義のかなり一般的な意味しか付与していなかったようである。
したがって一八八〇年の『国際私法論』と表題も改められた第二版以降に、契約のプロパー・ロー理論の起源を求めなければならない。しかし、第二版、第三版においてもウエストレイクは契約のプロパー・ローを明確に定義してはおらず、その根拠はいくつかの文章の解釈に求めることになる。
その中心となるのは「契約の本質的有効性と効果(intrinsic validity and effect of contract)」という項目である(55)。その冒頭においてウエストレイクは、契約準拠法決定基準に関する自らの基本的見解を、次のように述べている。
ウエストレイクは、契約債務の準拠法に関しては、契約締結地法(lex loci contractus celebrati)と履行地法(the law of the place of fulfilment)をめぐって論争があるとする。そしてこの場合の履行地法とは、本来ローマ法の契約成立地裁判所(forum contractus)の管轄下における法を意味するとする。そして、イギリスにおいては契約締結地法の立場が優勢であるようだが、その背景には契約成立地裁判所の概念について大陸法の誤った認識を輸入してしまったことが原因にある、と指摘する。また、イギリスの裁判官は、行為地法(lex loci actus)の原理にもほとんどなじんでいなかったので、方式の問題についても解釈の問題と同じ基準を用いてきたと分析する。その結果として、イギリスの裁判官は契約締結地法を重んじてきたような印象を与えている、と述べている(56)。
しかし、ウエストレイクは、このような契約締結地法優位の中にあって、履行地法に関しても、その予測可能性の点で裁判実務上同様に十分な適用根拠があるともして、イギリスの裁判官たちが契約締結地法のみに依拠せず判決を下してきたことを説明している(57)。
以上のような状況認識を踏まえて、ウエストレイクはセクション二一二(§ 212)において、契約準拠法決定基準に関する指針を、はじめて次のように著した。「このような状況下において、イギリスでは、契約の本質的有効性および効果に適用される法は、契約締結地法ではなく、取引行為と最も現実的な関係(the most real connection)を有する国を探究しながら、実質的な諸考慮に基づいて選択されるであろう(58)」。
さらに、ウエストレイクは、法廷地すなわちイギリスの裁判所と取引行為との関係を論ずる場合には、「疑う余地のない本拠(unqustioned seat)」と法廷地あるいは取引行為との関係を考察することを提唱する(59)。
そして続くセクション二一三(§ 213)において「契約は、そのプロパー・ローによって違法である場合には実行され得ない」という表現を用いる(60)。
この三つの段落から、初版では不透明であった契約のプロパー・ローの意味がはっきりと浮かび上がってきた。すなわち契約のプロパー・ローとは「最も現実的な関係を有する国」の探究の中で選択された「最も真正なる本拠の」あるいは「疑う余地のない本拠の」ある地の法である(61)。
また、ウエストレイクは第二版以降一貫して、傭船契約の準拠法をセクション二一九(§ 219)において別個に扱っていることも、後の判例研究のために留意しておかねばならない。このセクションは、傭船契約の準拠法を船主の属人法である旗国法とするというものである(62)。
このような叙述から、一八八〇年の第二版をもってウエストレイクによる契約のプロパー・ロー理論は確立された、と考えられる(63)。
(三) ダイシー
ウエストレイクの第三版(一八九〇年)と第四版(一九〇五年)の間の一八九六年に、ダイシーの『抵触法に関するイギリス法提要』の初版が発表された。先にも述べたように、ダイシーの教科書はウエストレイクのそれに比してさらに広範な支持を得てきたのであるが、はじめからダイシーは、イギリスのみならずアメリカでの適用を前提としてこの教科書を書いてたのであり、この著作の最大の特徴のひとつもまたそこに存するのである。
「第二四章契約−一般規則(contracts-general rules)」の冒頭のルール一四三(rule 143)において、ダイシーは次のように述べる。
「本書において『契約のプロパー・ロー』という用語は、契約当事者が契約に適用されるべきと意図したか、もしくは意図していたと明確に推定されるべき法もしくは諸法を意味する。あるいは(言い換えれば)当事者が自らそれに服しむると意図したか、もしくは意図していたと明確に推定される法もしくは諸法である(64)」。
これは明確な契約のプロパー・ローの定義である。先にも見た通り、この時期のウエストレイクの教科書が契約のプロパー・ローを複雑かつ曖昧に定めていたことと比すると、一五年近く後に出てきたとはいえ、この定義が後世に対する影響力においてウエストレイクに劣ることはなかった。このダイシーの見解によって、契約のプロパー・ローに関する文言上は異なった二つの定義がイギリスにおいて存在することになったのである。
ダイシーは続くルール一四八(rule 148)において、契約の本質的有効性(essential va1idity)は、一定の例外に服することを条件として、契約のプロパー・ローに拠ると説明する(65)。
しかしダイシーは、このルール一四三およびルール一四八においてのみ契約のプロパー・ローの判断基準を定めていたのではなかった。重要な例外と補則(sub-rule)がそれに続いて規定されていたのである。
まずルール一四八の例外において、ダイシーはある契約がそのプロパー・ローによれば適法であろうとも、次の場合にはその契約は無効であるとする。それはイギリスの国家利益、公序及び道徳規則に反するもの、次に契約締結地法上不適法であるもの、更に履行地法上不適法なもの、最後に当該契約が取引行為を形成する場合にその取引行為が生じた国の法において不適法なもの、以上の四つである(66)。
さらにこれらとは別個に、当事者意思に従った契約のプロパー・ローの決定に対する補則として、ダイシーは明示の意思表示の最優先、推定的意思の探求を定めている。その後に、全体的には契約締結地法に、履行に関しては履行地法を優先的に考える推定規則を定めている(67)。
このように、ダイシーはルール一四三での明解な叙述とは相反して、当事者意思を基準とした契約のプロパー・ロー理論に、イギリス法ォュ14(法廷地法)、ォュ14契約締結地法、ォュ13履行地法および取引行為地法を中心に、ォュ13かなりの絞り込みをかけていることがわかる。ダイシーが制限付きで当事者自治を許容していた(68)といわれるゆえんはここに存するのである。
「ノ1.5」
(1) 例えば、第一章注(3)に掲げた諸文献参照。
(2) この点については、西賢「不法行為のプロパー・ロー理論」『国際私法の基礎』(一九八三年、晃洋書房)一九一頁等を参照。
(3) サヴィニーについては、桑田三郎「サヴィニーの国際私法理論に関する研究」『国際私法研究』(一九六六年、文久書林)一頁、山田鐐一「Origo と Domicilium.... Savigny, System des heutigen ro¨nischen Rechts, Bd. Vォュ06Iォュ06Iォュ06I (1849) の一部」『国際私法の研究』(一九六九年、有斐閣)三一三頁、櫻田嘉章「『国際私法の危機』とサヴィニー(一)」国際法外交雑誌七九巻二号一二三頁、同「サヴィニーの国際私法理論−殊にその国際法的共同体の観念について(一)」北大法学論集三三巻三号五八九頁等を参照。
(4) 櫻田嘉章「サヴィニーにおける準拠法決定の在り方について」法学論叢一二六巻四・五・六巻一七九頁。
(5) また、ストーリーとウエストレイクを比較検討することは、ひいてはイギリス抵触法とアメリカ抵触法の異同を明らかにすることにもつながると考える。この点も、本課題設定の大きな動機のひとつである。
(6) ストーリーについては、川上太郎「ストーリーとアメリカ国際私法」神戸法学九巻一・二号三四頁以下等参照。また、ストーリー前後の契約に関するアメリカ抵触法の概略については、拙稿「アメリカにおける契約準拠法の展開に関する一考察−重心理論の比較法的位置付けについて−」立命館法学二四一号一六一ー一六四頁等参照。
(7) J. Story, COMMENTARIES ON THE CONFLICT OF LAWS, FOREIGN AND DOMESTIC, INREGARD TO CONTRACTS, RIGHTS, AND REMEDIES, AND ESPECIALLY IN REGARD TOMARRIAGES, DIVORCES, WILLS, SUCCESSIONS, AND JUDGE−
判面合わせMENTS (1834); §§ 244, 245
(8) Id. at §§ 242, 243. しかし、ストーリーは、コモン・ロー法理学上、残念ながら、健全な道徳が貫かれているとは思えないとし、具体的には、外国歳入法回避の自国における容認等を挙げる。
(9) Id. at § 246-§ 257. この具体例としては、当事者双方の共謀による密輸取引を挙げてる。ただし、その密輸品に関する取引であっても、密輸行為そのものに関連しない場合、無効とはならないとする。その場合、新しい取引行為の主体が違法な行為に関係した人物であっても構わない。しかし、当事者が違法な取引行為の存在を知り、かつ、そこから利益を享受し得る立場にあって無関係な取引行為に従事した場合、その契約は執行され得ないのであり、この点は前項までの基準と明確に区別される。フーベルもこのような区別を前提として立論している。要するに、違法な行為について悪意であるだけならよいが、利益を得るのであれば、その取引行為も認められないことになる、しかし、悪意さえも許さない非常に道徳的な判決がくだされている。その意見はほかの判決においても明らかに従われている。したがって、判例法上、ある人が自国法を破る目的で外国において契約を締結した場合、その者は契約の履行を許されるべきではないということになるようである。自国民が外国でなしたその外国法上違法な契約を自国内において認めてもよいのではないかという主張もあるが、それは契約締結地法の原則に反するのである。これとは少し違うが、内国民が外国歳入法を回避することの当否が問題となる。否定説も根強いが肯定説が実務上確立されている。
(10) Id. at § 258.
(11) Id. at § 259.
(12) Id. at § 250.
(13) Id. at § 261.
(14) Id. at § 262.
(15) ここでいう契約の「性質(nature)」とは、例えば、単独か共同か、人的契約かそうではないか、条件付か無条件か、本人によるものか保証のためのものか、限定的な効力を有するのか普遍的なものかという契約の分類を言うようである(Id. at § 262)。
(16) Ibid.
(17) Id. at § 264.
(18) Id. at § 265.
(19) Id. at § 266-§ 268. 人的効力の認められない例として、金銭消費貸借に関する譲渡抵当権および印影付証書のない相続をあげる。
(20) Id. at § 269.
(21) Id. at § 260-§ 277. 同じ用語が国により別々の意味を持つことが多々ある、したがって、一般原則として、契約の解釈の準拠法は契約締結地の法および慣習である。さらに、あいまいな契約を解釈する場合には、当事者の住所、証書作成地等も考慮されるべきである。契約締結地に一時的に滞在する外国人であっても、原則は同じであり、学説も支持している。この一般原則は各国の判例においても見られているようである。婚姻契約も、同様に、契約締結地法によって解釈されるべきである。商事契約に関しても、同じ原則が普遍的に認められている。
(22) Id. at § 278-§ 279. 契約当事者が外国人か内国人かによって類型化した基準をたてる主張も外国では見受けられるが、コモン・ローにおいては、そのような精密さは放棄されている。
(23) Id. at § 270.
(24) オランダ学派の中心は、フット親子(P. Voet, J. Voet)とフーベル(U. Huber)である。フーベルに関しては、224場準一『ウルリクス・フベルス『法抵触論』註解』(一九九六年、尚学社)がすぐれた分析を示している。
(25) Id. at § 281.
(26) Id. at § 282-§ 290. 以下それを例証する。まず、考えられるのは、異なる国家にある商人間で継続的に取引がなされているような場合である。ここで問屋が介在し、かつ、問屋がすべての取引行為を処理している場合には、その問屋の法による。しかし、取引行為が複数の国で行われる場合、それぞれの取引は「場所の法(lex loci)」に服すと考えられ、したがってその発生地(law of the place, where it originated)に服すると考えるのがよかろう。隔地者間での物品売買契約は申込承諾地、いわゆる無権代理の追認の場合は追認地、隔地者間での手形取引は手形引、受、地、、おなじく隔地的取引で前金が支払われる場合にはその支払地、融資の際に担保が提供される場合も基本的には融資契約地(外国の担保は契約の場所(locality of contract)を変じないのである)、ただし担保が外国で実行され金銭もその外国で支払われる場合にはその地の法による。婚姻継承的財産設定(settlement made upon the marriage)における分与産(portion)について、外国の財産が問題となる場合、その支払は設定地法による。白地手形は振出地法による。役所の義務の忠実な履行のための保証証書は、合衆国政府所在地法による。
(27) Id. at § 291.
(28) Id. at § 292.
(29) Id. at § 293.
(30) Id. at § 294-§ 295.
判面合わせ(31) Id. at § 296.
(32) Id. at § 297.
(33) Id. at § 298.
(34) Id. at § 299-§ 305. 外国の法律家はこの点を区別している。しかし、その実益はどこにあるのか。何人かの論者は、方式の問題を論じる中でこの点を扱っており、利息の支払に関しては言及していない。また、エヴァラードは支払地法を重視し、バルトルスは支払地がどこであれ契約締結地法上有効でなければ認められないことのみを指摘し、ブルグンドウースは履行地法に拠らしめ、ブルーノアは明言していない。以上のように、外国の法律家が確固たる理論を定立していないことは明らかである。フットに至ってはまったく異なる結論を導いている。フットは、契約締結地法上有効であっても支払地法に反する場合は無効であるとしている。これは、支払地法上問題がなければ契約締結地法上無効でもよいという解釈も許容しよう。この考え方が合理的なようであり、判例でも支持されている。
(35) Id. at § 306.
(36) サヴィニーの『現代ローマ法体系第八巻(System der heutigen ro¨mischen Rechts, Der Band Vォュ06Iォュ06Iォュ06I)』が公表されたのは一八四九年に対して、ヴェヒターの「異なる諸国の私法の抵触について(U¨ber die Collision der Privatrechtsgesetze verschiedener Staaten)」は一八四一年から一八四二年にかけての連載であり、またシェフナーの『国際私法の発展(Entwicklung des internationalen Privatrechts)』が完成したのは一八四一年であり、いずれもサヴィニーに先んじている。
なおシェフナーの理論については、櫻田・前掲論文(本章注(4))の他、多喜寛『近代国際私法の形成と展開』(一九七九年、法律文化社)一二ー二二頁にも詳細である。
(37) G. Kegel, Story and Savigny, 37 Am. J. Com. L. p. 46.
(38) Id. at 44-45.
(39) この点については、224場・前掲書(本章注(24))参照。
(40) Id. at 46.
(41) Id. at 59. このような、公法・私法未分離によって生じるアメリカ法の問題を扱った最近の著作として、石黒一憲『国際民事訴訟法』(一九九六年、新世社)一三頁以下等がある。
(42) Ibid.
(43) Id. at 49.
(44) R. H. Graveson, The Special Character of English Private International Law, COMPARATIVE CONFLICT OF LAWS, pp. 6-7.
(45) Ibid.
(46) Ibid.
(47) ウエストレイクの『国際私法論』は、ベントウイッチ(N. Bentwich)の手による二度の改訂(一九二二年と一九二五年)を含めて合計七版が公表された。内容的には第二版(一八八〇年)、第四版(一九〇四年)、第六版(一九二二年)の三つが全面改訂であり、第三版(一八九〇年)、第五版(一九一二年)、第七版(一九二五年)はそれぞれ前版を基本とした小改訂である。とりわけ第二版の改訂が最重要であり、初版とそれ以外の六版とはまったく別の教科書のような構成になっている。この点については、添付した〈資料〉を参照。概略的に言えば、判例、学説及び自らの所見を一体化させて論ずるいわいるストーリー型で構成されている第一版に比べて、第二版以降は各項目をセクション(§)に分けて論じ、それにコメントを付するというウエストレイク独自の構成がとられている。こういったものとしては、原則・例外・説例に分けて論じるダイシーの「ルール(Rule)」型およびそれに類似するアメリカの抵触法第二リステイトメントが有名であるが、それの原形的存在とも言えるであろう。本稿では以上のような認識にたって、初版、第三版、第五版、第七版を中心に紹介することにする。
(48) J. Westlake, A Treatise on Private International Law (1859) at 116.
(49) Id. at 144.
(50) Id. at 119, 121. 主張の内容としては、この部分については、全般的に契約地法の優位を説いている。
(51) Id. at 107.
(52) Id. at 146.
(53) Id. at 149.
(54) Id. at 126.
(55) 先にも断ったように、本稿では内容的には差異のない第三版を使用する。J. Westlake, A Treatise on Private International Law 3rd ed. (1890), p. 254-265.
(56) J. Westlake, op. cit., p. 254-257.
(57) Id. at 257.
(58) Id. at 258.
(59) Ibid.
(60) Ibid. また、ウエストレイクは、セクション二一三の説明において、判例のなかで当事者の意思に法選択の考慮要素としてかなり大きな意義が付与されてきていることを認めながらも、適用された法の根拠にはサヴィニーの説明による契約成立地裁判所の管轄下の法に当たるという解釈を重視している。
(61) 二〇世紀に入ってからの主な改訂について略記する。
第四版(一九〇五年)及び第五版(一九一二年)では、セクション二一二に関して注目すべき改訂がなされている。まず上記とまったく同じセクション二一二を掲げた後に、推定的意思に拠っているような事案であってもその本質はこのセクションから導かれる擬製的意思以外の何物でもないとして、この条項がいまだに主観的方法論に移行していないことを明言している。次に、文章表現上、取引行為の「最も真正なる本拠」と「契約にプロパー・ローを付与する地」が明確に対応するようになった。
最後のシリーズである第六版(一九二二年)及び第七版(一九二五年)では、微妙ではあるものの重要な改訂がベントウイッチ(N. Bentwich)によってなされている。まず従来のセクション二一二に続いて、同じ項の中にこの原則が判例の上では当事者の意思を媒介にして表現されていることに注意を促している。そして従来は別のセクションにあった公序及び実定法違反もセクション二一二の中に併存させた。最後に、セクション二一二の説明からサヴィニーの契約成立地裁判所の説明をはずした。以上の三点である。J. Westlake (1890), op. cit., pp. 262-263.
(62) Id. at 290.
(63) 多くのイギリスの教科書・論文は、ウエストレイクの理論をを引用する場合、第七版を参照する。これは、最終版であるというだけでなく、契約のプロパーローに関する記述の文章の関係が最も明確になっているからでもあろう。
(64) A. V. Dicey, The Conflict of Laws (1896) p. 540.
(65) Id. at 553.
(66) Id. at 558-561.
(67) Id. at 567-575.
(68) この点については、後掲第三章注(1)の諸論文、とりわけ R. H. Graveson, のものを参照。
第三章 契約のプロパー・ロー理論の意義
第一節 序 論
以上のようにプロパー・ロー理論は、ウエストレイクとダイシーによって、一九世紀の後半に二つの定義が付与されていた。それはなぜなのか。このことを解明すべく、次にまず、それぞれの教科書の記述から、両者の見解の展開に少なからぬ影響を与えたと思われる判例をいくつか概観する(1)。
」第二節 事 例 研 究
(一) P&O事件
Peninsular and Oriental Steam Navigation Company v. Shand (1865) 3 Moo PCCNS 277(以降、P&O事件とのみ言う)は、海上旅客運送契約に関するモーリシャス最高裁判所(Supreme Court of Mauritius)から上告事案である(2)。
【事実】
イギリス人Xは、イギリス法人Yの汽船によるサザンプトン(イギリス)からアレキサンドリア(Alexandria. エジプト)までの切符と、スエズ(Suez. エジプト)からインド洋西端部モーリシャスまでの切符を、イギリスにおいて購入した。
Xは、サザンプトンからアレキサンドリアまでの航海はセイロン(Ceylon)号に、スエズからモーリシャスまではノーナ(Norna)号に乗船した。スエズにおいて、ノーナ号は浅瀬のために沖合い少し離れたところに停泊していた。乗客は小さな蒸気船によってノーナ号まで運ばれ、荷物は別の船で運ばれた。Xの荷物が最後に確認されたのはその小舟の上であった。その荷物はモーリシャスには到着しなかった。
モーリシャスの最高裁は、契約には(モーリシャスで一般に普及している)フランス法が適用されるとした。そのフランス法によれば、乗船契中の免責条項にもかかわらず、Yは有責であった。Yが上告した(3)。
【判旨】
枢密院司法委員会(Judicial Committee of the Privy Council)は上告を認容した。その際にターナー(Turner)裁判官は、契約締結地法であるイギリス法の適用を、国家主権と当事者意思の両方から説明した。すなわち、諸々の例外はあるが一般的には契約締結地法が契約の性質・義務・解釈に適用されるのであり、本件では、契約当事者はいずれも締結地の法域の国民あるいは住民であり、契約締結地法の適用に同意していたと解されるべきである、と。その後でターナー裁判官は、明示の合意はないものの、両当事者はイギリス人であり、契約締結地、契約が履行される船の旗国等から、イギリス法によるという当事者の現実的意思は明白であり、したがって例外の一般的な適用可能性は考慮されないとしたのである(4)。
この事案を、ウエストレイクは契約締結地法の適用例として重視するが、ダイシーはまったく言及していない(5)。
(二) ロイド事件
Lloyd v. Guibert and others (1865) LR 1 QB 115(ロイド事件という)は、傭船契約に関する事案である(6)。
【事実】
イギリス人Xは、デンマーク領西インドの港において、フランスを旗国とするフランス人Y所有のオリヴァー(oliver)号を傭船した。その内容は、ハイチのセント・マーク(St. Marc)港から、Xの選択によって、ハーブ(Havre)、ロンドンあるいはリヴァプールのいずれかの港への海上物品運送するというものであった。傭船契約は、訴外Aが船長としての権限において締結したものであり、Y自身が締結したものではなかった。Xはセント・マークにおいて、リヴァプールまでの貨物を積み込んだ。契約には明示の準拠法の合意は存在しなかった。
航海中にオリヴァー号は嵐により被害を受け、修理のためにポルトガルの港ファイアル(Fayal)に入港した。その地において船長は、船・運賃・貨物を担保に、航海が無事終了するまでは賃金の支払を行わないいわゆる冒険貸借証券(bottomry bond)による賃貸借契約を締結した。Aはそれにより船を修繕しリヴァプールまでの航海を完了した。
冒険貸借証券所有者である訴外Bは、海事裁判所(Court of Admirality)に、船・運賃・貨物について訴訟を提起した。船と運賃だけでは証券額に不足があり、訴訟費用を含めてその不足分はXの負担となった。そのために、XはYに対して賠償金を請求した。Yは、船と荷主であるXからの運賃を放棄した。Yにより主張されたフランス法によれば、その行為を以てYはそれ以上の責任が免除されることになった(7)。
【判旨】
財務府会議室裁判所(Exchequer Chamber)は、傭船契約を締結した場合、当事者は自らを旗国法に服しめると考えなければならず、したがって本件において旗国法であるフランス法の適用が主張されるのならば、それが認められるとして請求を棄却した。この判決において、ウィレス(Willes)裁判官は、その理由付けのなかで、このような事案においては、いかなる法が取引行為に適用されるべきであると当事者は意図していたか、より正確に言えば、この問題において当事者がまさにいかなる法に服すると推定されるのかということを検討する必要があると述べた(8)。
この事案を、ウエストレイクは旗国法の適用例として傭船契約に関する別個のセクションで扱うのに対して、ダイシーはルール一四三の例として引用する(9)。
」 (三) ヤコブス事件
Jacobs, Marcus & Co. v. The Cre´dit Lyonnais (1884) 12 QBD 589(以降、ヤコブス事件という)は、アフリカからの植物輸入に関する事案である(10)。
【事実】
ロンドンの貿易商X(買主)と、同じくロンドンの企業Y(売主)は、ロンドンにおいて、アルジェリアから輸入されるアフリカハネガヤ(Esparto: スペイン、北アフリカ産の草)二〇〇〇〇トンの売買契約を締結した。支払は製品の到達時に陸揚港において、その製品の特殊性に見合った価格で、Xによってなされることになっていた。しかしアフリカハネガヤ九〇〇〇トン分の引渡は履行されたものの、アルジェリアの国内情勢が激変し、残りの一一〇〇〇トンは、Xに引き渡されなかった。XはYを契約違反として訴えた。船積地であるアルジェリアにおいて普及しているフランス法上の「不可抗力(force majeure)」の法理により、不履行は正当化されると主張するYと、当該契約はイギリスの契約であり、そのような法理の適用はないとするXの主張が対立した。一審はXが勝訴し、Yが控訴した(11)。
【判旨】
控訴院(Court of Appeal)は控訴を棄却した。このなかでバウエン(Bowen)裁判官は、契約中に何らかの外国法の規定を実質法的に指定するというような合意をなすことは当事者にとって自由であり、契約の全部あるいは一部に適用されるのはいずれの法であるべきかということは、目的物あるいは周囲の状況を斟酌することによって明らかになるのであり、常に契約それ自体の解釈の問題であるとした。そしてこのような場合の一定の推定あるいは規則が諸国の法律により定められ、共通の常識・取引の便宜および国家礼譲を根拠として裁判所に受け入れられているが、それらは契約文言それ自体および取引行為の性質から明らかな当事者の意思が導かれる場合には常に置き換えられ得る一応の推定でしかないとする。このような観点から、本件契約には、その契約文言の解釈によりイギリス法が適用される、とした(12)。
この事案を、ウエストレイクとダイシーはともに、それぞれの契約のプロパー・ロー理論の根拠判例としている(13)。
(四) ミズーリ汽船会社事件
In re Missouri Steamship Company (1889) 58 L. J. Ch. 721(以降、ミズーリ汽船会社事件という)はアメリカからの家畜の輸入に関する事案である(14)。
【事実】
イギリス船会社は、アメリカにあるその代理店を通じて、ボストン(マサチューセッツ州)において、アメリカ人の所有する家畜を、自社船によってイギリスに輸入する契約を締結した。その船荷証券中には、船員及び船長の過失からの船会社の免責を規定した条項が存在した。このような条項は、イギリス法によれば有効であるが、マサチューセッツ州法によれば公序に反するものとして無効であった。その貨物は、船長及び船員の過失で損傷し、アメリカ人はその損害についてイギリス船会社を訴えた。イギリス船会社はその後任意清算に入った。アメリカ人はその損害を回復する権利を有していると主張し、その当否が争われた(15)。
【判旨】
高等法院・大法官府(Chancery Division)は、当事者がイギリス法に準拠する意思であったことを契約それ自体が示しており、かつ船長及び船員の過失から船主を免責する条項は、不道徳でもなく実定法により禁止されているわけではなく、ただマサチューセッツ州法上公序に反するので無効であるのみであり、イギリスの裁判所においてはこの条項を有効と見うる、とした。このような観点から、アメリカ人の主張を退けた。
契約準拠法確定の指針についてコットン(Cotton)裁判官は、判例法上、契約締結地法に一応の推定が付与されるが、裁判所は事案の状況を検討し、そのなかから適用される法を導くとした。また、フライ(Fry)裁判官も、契約の対象、契約締結地、契約当事者及びなされた行為を見て、本件の契約に適用される法に関する契約当事者の意思は何であったと推定されるべきなのかが問題であるとした(16)。
この事案も、ウエストレイクとダイシーともに、それぞれの契約のプロパー・ロー理論の根拠となる判例として紹介している(17)。
(五) シャテニー事件
Chatenay v. The Brazirian Submarine Telegraph Company, Limited [1891] 1 QB 79(以降、シャテニー事件という)は、株式売買についての委任状の解釈に関する事案である(18)。
【事実】
ブラジル人Xは、ブラジルからロンドンに住む仲買人訴外Aに対して、株式の売買のための委任状をポルトガル語で作成した。AはX所有のY法人の株式を一部売却したが、そのことをXには報告せず、その株式は新しい買主の名前で登録された。Xは、そのAの行為が委任状の権限外の行為であるという理由から、登録の変更をYに要求し、同時に裁判所に訴訟開始召喚の作成を求めた。そのような改訂を求める権限をXが有するのかどうかという問題を解決する前に、予備的な争点として、委任状の解釈はイギリス法によるのかそれともブラジル法によるのかということについて審理がなされた。一審は委任状はイギリス法に従い解釈されるとした。Xが控訴した(19)。
【判旨】
控訴院においてエッシャー(Esher)裁判官は、まず第一に、翻訳家およびもし必要ならばブラジルの法律家を含めて適切な専門家の証明によって、委任状中のXの意図を確定しなければならないとし、その作業から契約締結時において当事者間でいかなる意思が有されていたかを導くとした。そして意思が明確でない限り、本件のように契約締結地と履行地が異なる場合には、履行地法によるという推定が採用されるとしたうえ、さらに本件においては、英訳された委任状には、イギリスにおける履行を予定した文言が存在するので、本件にはイギリス法が適用されるとし、控訴を棄却した(20)。
この事案を、ウエストレイクはセクション二一二に忠実な判例として引用するが、ダイシーは言及していない(21)。
(六) ハムリーン事件
Hamlyn & Co. v. Talisker Distillery and others [1894] A. C. 202(以降、ハムリーン事件という)は、仲裁条項に関する事案である(22)。
【事実】
スコットランド法人Xとイギリス法人Yは、ロンドンにおいて契約を締結したが、その契約書中には、「何らかの紛争が結果的に本契約から生ずる場合には、ロンドン穀物取引所の会員等による、慣用的な方法での仲裁に付し解決するものとする」という一条項が含まれていた。
契約の履行及び損害賠償を求めXによってスコットランドで提起された訴訟において、Yはその訴訟が仲裁条項により排除されるものと訴答した。スコットランド控訴裁判所(Court of Session)は、スコットランドが行為地であるかぎり、その条項にはスコットランド法が適用されるのであり、スコットランド法上仲裁人が指名されていない当該仲裁条項は無効であるとし、Yの主張を退けた。Yは上告した(23)。
【判旨】
貴族院(House of Lords)は、契約準拠法をイギリス法とし、イギリス法によれば仲裁条項は有効であるとした。したがって仲裁の不成立が証明されない限り、当該仲裁条項によってスコットランドの裁判所において事案を審理するための管轄権は排除されるとして、スコットランド控訴裁判所の判決を破棄し、そのように自判した。このなかでハーシェル大法官(Hershell L. C.)は、この事案に関しては、契約締結地法と履行地法のどちらが重要であるかを衡量する必要はないとしたうえで、次のように述べた。多くの他の事案と同じように、この事案においても問題となっている契約全体を検討し、契約から生ずる権利は契約が示す当事者の意図した法によって規律されるべきである、と(24)。
この事案を、ダイシーはヤコブス事件、ミズーリ汽船会社事件とならんで自説の根拠として最も重視するが、ウエストレイクは、契約の解釈の問題と契約の実質的有効性の問題を区別できていないものとして批判している(25)。ウエストレイクは、この事案を契約の解釈に関するものと見ており、要するに、契約のプロパー・ロー理論の対象外と考えているのである。
このような判例の動向を踏まえて、先に紹介した両者の学説を斟酌しつつ、次節で簡単な検討を加えることにする。
」第三節 判例理論の整理
(一) 整理の前提
まず判例法について整理する。右に紹介した判例を含めて、全体的な傾向として四つの点を指摘することができる。第一に、一九世紀末の時点でイギリスでは契約あるいは取引行為となんら関係のない法が適用された事案は報告されていないということである。この点に関連して第二に、当事者の明示の準拠法選択を問題とした事案も存在しないということである。このことは、当時大陸法において契約準拠法決定問題に多大な影響を及ぼしはじめていた当事者自治の原則との対比からも、非常に重要な点である。すなわち、契約のプロパー・ロー理論自体は当事者による準拠法選択の当否とは別次元から生じているのである。第三に、契約締結地法と履行地法間以外で準拠法を争った事案はほとんどないということである。このことは後で述べる契約のプロパー・ロー理論の意義との関連からも十分認識されねばならない事実である。そして最後に、結果的に適用された法はほとんどがイギリス法であったという点である。先の例でもロイド事件のみが旗国法であるフランス法を適用しているのである(26)。
以上の点から、ロイド事件を除いて考えれば、ウエストレイクとダイシーによって契約のプロパー・ロー理論形成に際して斟酌された事案は、類似の状況下で生じたものであったといえる。すなわち、準拠法に関する当事者間の明示の合意が存在せず、契約締結地法と履行地法のどちらを適用するかが問題となっているのである。したがって、契約のプロパー・ロー理論の二つの定義の真の相違点は各判決の理由付けにあり、とりわけ意思の要素の扱い方にあると思われる。以降このような視点から、各事案を簡単に再検討してみることにする。
(二) 一方でのみ評価を受けた事案.
まず、ウエストレイクとダイシーのどちらか一方にしか取り上げられなかった事案を検討する。P&O事件は、契約締結地法の適用を国家礼譲と当事者の意思によって説明した事案である。この二元的なあるいは重畳的な基準は、ストーリーの学説に範を採ったものであると言われている(27)。すなわち、先にも見たように、ストーリーは契約締結地法の適用を契約締結地への当事者の能動的従属意思によると説明した後で、オランダ学派の学説に依拠しながら、当事者の意思(volition)とは無関係に契約締結地の主権の作用を受けると説明し直しているのである(28)。
しかしここでもうひとつ注目すべきことは、枢密院が当事者の意思に言及しているものの、その際に根拠としたのは当事者の国籍、契約締結地および履行地を表すものとしての旗国であったということである(29)。すなわち、オランダ学派およびストーリーの理論をもとにした当事者意思という名においてイギリスの裁判官によって重視されたのは、当該契約と当事者との客観的関連性であったのである。
ダイシーにとってこの事案は、契約のプロパー・ロー理論とはなんら関係のないものであった。しかし、ウエストレイクは契約締結地法と履行地法の対立が混迷を極める中で、契約締結地法をうまく適用したものとして高く評価している(30)。
シャテニー事件は、(代理)委任状の文言解釈について、履行地法を重視した推定を明確に採用している。したがって、この事案はしばしば履行地法を優先した先例とされることがある(31)。しかし、同時に控訴院は、委任状の文書のみから当事者意思を導き出すことの重要性も強調しており、この二つの意見を中心に当該委任状に関する客観的な状況分析を行っている(32)。とりわけ、ポルトガル語の委任状という特殊な事情が関連していたとはいえ、当事者意思の確定を重視することを明言したのは、当時としては新しい傾向であったとみてよかろう。
この判例を、ウエストレイクは最も重要な関係理論に忠実なものと評価している(33)。他方、委任状の厳密な解釈を行うなど、意思の探究を重視する理論からも十分評価されるようであるにもかかわらず、ダイシーはこの事案について言及していない。その理由を推測するに、この事案では、まず最初に履行地法の重要性について触れられているが(34)、ダイシーは何らかの客観的推定が準拠法決定の前提としてされている事案を、意識的に自説の根拠から外しているのではないかということである。
ハムリーン事件は、シャティニー事件と同じく、契約書文言から当事者の意思を導くことに重きを置いた事案である。具体的には仲裁条項から当事者意思を導き準拠法を確定しているのである。したがって、この判例をダイシーは重要視したが、ウエストレイクは批評を加えなかった。
この判旨は、一見当事者による法選択を広範に認めたかのような内容になっている。しかし、厳密には裁判所が認めたのは法廷地(仲裁地)の選択であり、しかもそれは契約締結地と一致していた。事実、裁判所は、履行地法であるスコットランド法が適用された場合、当該仲裁条項は無効であろうと判断している。当事者が仲裁地法とは別の準拠法を念頭に置いていたと考えることは、一般的な商事実務においてはほとんどあり得ないことなので、本件において適用を考慮され得ないと説明しているのである(35)。ここでも当該契約と場所的関連を有する法制度の間の関係に重きを置いた検討がなされているといえよう。
(三) 両者に重視された判例
次に、ウエストレイクとダイシーの両者に重視された判例を見てみる。ヤコブス事件はマンスフィールド卿の古い判決の構成を基本的に踏襲している。すなわち、契約締結地法に準拠法としての一応の推定が働くが、例外規則である履行地法を導く当事者意思が導かれれば、推定が覆り、履行地法によるというのである(36)。したがって、P&O事件と同様の方法論を採用しているといえる。たしかに、契約文言の解釈を重視してはいるが、契約締結地を中心とした客観的な状況分析を第一義としていると解する方が正当であろう。
ウエストレイクがこの事案を重視するのは十分納得のいくところであるが、ダイシーの所見には問題が残る。すなわちダイシーは、関連する要素がこの事案と相違がないと思われるP&O事件、ハームリン事件には言及していないにもかかわらず、この判決を自説の最も重要な根拠のひとつとして引用している。これはなぜか。ここに二つの契約のプロパー・ロー理論の分岐点が存在しそうである。
この判決におけるバウエン裁判官の見解は、当事者意思によって準拠法の選択を扱ったマンスフィールド卿の判決の引用部分と、純粋に客観的な分析から当該事案の準拠法を決定する部分の二つからなっているのである(37)。結論を導くには客観的分析だけで十分であったように思われるが、当事者自治に対してあえて言及がなされているのである。すなわち、方法論自体は伝統的な手法が守られたが、準拠法決定に対する裁判官の意識が大きく変わってきたことをこの判決は示しており、ダイシーはそのような実務の動向をふまえて立論したのではなかろうか。
ミズーリ汽船会社事件は、契約それ自体が示す法としてイギリス法を適用したが、判決の内容はそれまでの判例同様、当該契約の客観的な状況分析に終始している(38)。判決文言上は、当事者が準拠法と期待している法を適用する準備はあると裁判所はしてはいるが、この事案では、契約締結地法と履行地法しか考慮の対象にならないという前提があった。
この判例も、ウエストレイクの理論の根拠となっていることには問題がないであろう。ダイシーについてはヤコブス事件と同様の評価が考えられる(39)。
この事案は、もうひとつ重要な問題を包含している。すなわち、契約締結地の先例において公序違反であると判断されていた免責条項を、この裁判所は有効と認めたのである(40)。イギリスの裁判所によって適用すべきとされた法と、当該契約に重要な関連を有する地の公序との間において、結果的に裁判所の選んだ法が尊重されている。
(四) 両者から異なる評価を受けた事案
最後に、ウエストレイクとダイシーによって、まったく違う評価を与えられた判例を見てみる。ロイド事件は、あきらかに当事者の意思を根拠にして、契約締結地法、賃貸借地法、船積地法および法廷地法よりも旗国法を優先している(41)。判決の構成は契約文言の解釈に重きを置く姿勢で一貫している。ダイシーは言うまでもなくこの判決を自らの契約のプロパー・ロー理論の根拠としている。
しかし、この事案において最も特徴的なのは、裁判所が傭船契約における旗国法に対する強い推定を言明している点である。その点で、この判例を傭船契約固有の先例であるとみなすウエストレイクの見解も正当である。さらにこれに関連して、ウエストレイクは傭船契約に関する基準(セクション二一九)には契約のプロパー・ローという表現を用いていないことにも注意する必要があろう(42)。すなわち、ウエストレイクは傭船契約そのものを契約のプロパー・ロー理論の対象外と見ていたと考えられるのである。
(五) 小 括
以上のように、ウエストレイクとダイシーによって契約のプロパー・ロー理論形成にあたり重視された諸判例は、多くが、契約締結地法と履行地法を、問題となっている契約との客観的な関連性を重視しながら衡量し、その優劣を判断するという内容のものであった。その際に、原則として契約締結地法に優先的推定を与え、当事者意思を媒介として例外規則である履行地法の適用を検討するという形をとっていたのである。このように見れば、ウエストレイクのセクション二一二とダイシーのルール一四三とでは、ウエストレイクの方が判旨にそった規則であるともいえよう。
しかし、微妙ではあるが、これとは違った方法論を採っているような判決も二つ見られる。ロイド事件およびシャテニー事件がそれである。両判決とも、それぞれまず旗国法と履行地法に推定を与え、その正当性を当事者意思によって証明するという構成になっている。ここにおいても、基本的には当該取引行為の周辺事情を客観的に考察するという姿勢には変わりはないのだが、本来は例外規則の媒介でしかないはずの当事者の主観的要素がかなり重視されているとも言い得る判決構成になっている。このような傾向を重視すれば、ダイシーの所見にも納得すべき点があろう。
しかし、全般的に見れば、契約のプロパー・ロー理論に関して明らかに違う原則がたてられるほど、その根拠となった事案に内容的差異は存在しないといえる。また、ダイシーの補則まで斟酌すれば、ウエストレイクとダイシーの認識には、その形式的な違いほどには異同はなかったとも思われるし、そのことはイギリス本国でも一部の学説において認められているところである(43)。
第四節 契約のプロパー・ロー理論成立に関する一考察
以上のことから、一九世紀の契約のプロパー・ロー理論に関しては、つぎのように言い得る。
まず第一に、契約のプロパー・ロー理論とは、基本的には契約締結地法と履行地法のうちで、より「プロパーな」法を探究するための理論である。その判断に際しては、当事者意思に言及することも多々あるが、それは根拠付けにおける推定としてである。逆に言えば、イギリスの裁判官は、渉外的な取引紛争において、当事者意思のみを判断基準としたことはなかった。
第二に、当事者意思の推定といっても、実際に行われていたのは契約締結地および履行地と問題となっている契約との客観的関連の検討であった。いわゆる本当の意味で当事者が「考えていたこと」は、ほとんど斟酌されていなかった。また、契約締結地、履行地以外の要素を網羅的に検討することもなかった。すなわち、あくまでも契約締結地法と履行地法の間における適用妥当性の比較衡量を裁判官たちは行っていたのである。このことは、二〇世紀における契約のプロパー・ロー理論を考察するうえで、とりわけ契約締結地法も履行地法も関係のない法が当事者によって指定された事案を考える場合に、重要性を増すと思われる(48)。
ここまで見るかぎり、契約のプロパー・ロー理論は非常に一義的で、まさに、客観主義以外の何者でもないということになろう。そもそも、一九世紀の契約のプロパー・ロー理論に関する見解の対立は、当時すでに蓄積されていた判例の解釈の問題であった。逆に言えば、ウエストレイクのように解しようと、あるいはダイシーのように解しようと、結論に差異が生じないことは十二分にあり得るのである(49)。しかし、契約のプロパー・ロー理論を客観主義とは言い切れない根拠が二つ存在するのである。
まず、ウエストレイクは、ダイシーの契約のプロパー・ロー理論にとって最も重要な事案である傭船契約(ロイド事件)および仲裁契約(ハムリーン事件)を、契約のプロパー・ローの範囲外のものとして扱っていた。なかでも、仲裁契約には注意を要する。というのも、仲裁契約は、二〇世紀に入ってからも、契約のプロパー・ロー理論の客観主義の論者から、主観主義によることが認められる例外分野として扱われているからである。ある意味では、イギリスにおいて、渉外仲裁契約の準拠法は当事者自治の典型と見得る問題なのである。ウエストレイクは、この問題を留保したことにより、客観主義を維持し、逆に主観主義のダイシーは自説を、これらの判例を根拠に強固にしたのである。
より一層重要な相違点は、ウエストレイクが自説の解説のなかで明らかにしている。ウエストレイクはミズーリ汽船会社事件とヤコブス事件について、両事案の判決ともその結論はサヴィニーの契約成立地裁判所に合致するので、自説と整合性を有するものであるとしつつ、次のように述べる。「しかし、付言せねばならないのは、両判決において、私見とは異なり、法選択の主たる要素として、裁判官が当事者の意思を強調しているということである。これは当事者の意思自体の有効性が問題となっている場合、すなわちミズーリ汽船会社事件のような場合、論理的に破綻するものであると考える」(第三版二五八頁、セクション二一二の解説において)。さらに後に、ハムリーン事件の判決等も踏まえて、裁判実務における意思重視の傾向にかかわらず、右のような理由から「あえて、自らの契約のプロパー・ロー理論を、当事者の意思を考慮せずに、定義する」としている(第五版三〇五頁、セクション二一二の解説において)。
この中で、ウエストレイクにとって最大の懸案となっていたのが、ミズーリ汽船会社事件であったことは明らかである。このミズーリ汽船会社事件の判決を一言で言えば、契約締結地法の強行法規の回避を認めたものということになる。要するに、ウエストレイクは当事者の意思を基準とすることの弊害を、それが強行法規の回避を導くことになる点にもとめていたのである。
ダイシーはこのウエストレイクの批判が、自説のルール一四八に対する重大な批判となることを認めている。すなわち、ひとたび当事者の意思によって契約の有効性まで判断するとした場合、当事者は当然有効な契約を締結する意思であったという推定が働くので、多くの契約の有効性が認められてしまうであろう。しかし、ダイシーは、このような批判が誤解に基づくものであると説く。すなわち、準拠法決定の基準となるのは、当事者の「善意(bona fide)」の意思である。また、裁判所は準拠法を決定するにあたり、事案の状況全体を斟酌すべきであって、契約の解釈については当事者の意思が重要となるが、契約の有効性あるいは適法性については、必ずしもそうではない。ルール一四八で、契約の有効性は「間接的に」契約のプロパー・ローによるとしたのは、当事者が法選択によって直接的に契約の有効性を定め得るものではないということを表しているのである。そして、ダイシーはウエストレイクの考え方と自説とを、「完全にとはいえないがかなり近いものである」と評しているのである(50)。
要するに、ウエストレイクが契約のプロパー・ロー理論の範囲から準拠法指定行為の有効性をはずしているのに対し、ダイシーはその問題も理論の範囲内としているのである。ここにもまた、両者の決定的な相違点が存在するのである。では、いわゆる当事者の意思あるいは当事者の「善意」の意思という概念自体は、どこから導かれるのであろうか。
ここで注目すべきなのが、契約の「解釈」という問題である。現代的国際私法において、契約の「解釈」という用語は、例えば契約中の概念の意味を確定するというような問題を解決するために用いられる。しかし、ウエストレイクやダイシーの用法において、この概念は今少し広い意味で用いられている。言うなれば、当事者の真意の探究という形でである。したがって、契約のプロパー・ロー理論上、当事者の意思は最密接関係国法の探究とは異なる問題から生じているのである。しかし、実務において、このような契約の解釈と契約の有効性の問題は、ウエストレイクも認めるように、しばしば一体化した形で現れてくる。先に見た判例の変遷の中にも、そのことは随所に見てとれる。このような過程で、「主観主義と客観主義を止揚し」た「新たな客観主義」の源流が形成されていったのである(51)。
では、この契約のプロパー・ロー理論とストーリーの理論とはどのように違うのか。ここで重要な問題として扱った契約の解釈の問題と準拠法指定行為の有効性の問題に限って見てみる。契約の解釈については、ストーリーの主張内容はウエストレイクとほぼ相違ないと見てよいであろう。この問題については、英米国際私法に一貫した理論がすでに存在していたのである。他方、準拠法指定行為の有効性にかかわる問題についてであるが、結論的には、履行地法、そして契約締結地法という段階付けを行っているストーリーと、その両者を比較衡量するウエストレイクの理論の間には明確な相違がある。ただ、注目すべきはストーリーがこの分野において履行地法を重視する見解を主張していることである。すなわち、ストーリーは、この問題において、法規分類学説以来の契約締結地法主義を否定せざるを得なかったのである。そして、ウエストレイクは、この問題において、契約のプロパー・ロー理論を提唱する必要性を感じたのである(52)。
したがって、契約のプロパー・ロー理論とは、契約の解釈と準拠法指定行為の有効性という二つの問題において、前者で当事者の意思を尊重し、後者において最密接関係国法を探究するという二つの段階が、実務上融合して完成してきたものであるといえるのである(53)。
(1) もちろん、ウエストレイクとダイシーの教科書の膨大な判例の中から、重要な判例を何の基準もなく選び出すことは不可能である。したがって、本稿では、次の五つの契約のプロパー・ローに関する代表的論稿において、共通して重要視されている判例を研究の対象とした。G. C. Cheshire, CONTRACT CONFLICTS; F. A. Mann (1950) 3 ILQ 60; J. H. C. Morris (1950) 3 ILQ 197, R. H. Graveson, Proper Law of the Contract, Lectures on the Conflict of Laws and International Contracts (以降、Graveson, Proper Law として引用); O. Lando, (1964) 8 Scandinavian Studies in Law 105.
(2) この事案については判例を入手できなかったので、信頼のおけるケース・ブックに拠ることにする.またわが国においてこの判例を紹介しているものはないようである。
(3) J. H. C. Morris, op. sit., p. 176-177.
(4) Id. at 179.
(5) N. Bentwich, J. Westlake’s a Treatise on Private International Law 7th ed. (1925) p. 300.
(6) この判例については、岡本・前掲論文(第一章注(2))二四ー二六頁、折茂・前掲書(第一章注(1))三五ー三六、三八ー三九頁等参照。
(7) Law Reports, Queen’s Bench 1 (1865-1866) P. 131.
(8) Id. at 120-121.
(9) N. Bentwich (1925), op. cit., p. 310, A. V. Dicey, op. cit. p. 540.
(10) この判例については、本浪・前掲論文(第一章注(2))四八頁以下参照。
(11) Law Reports, Queen’s Bench 12 (1883-1884) p. 604.
(12) Id. at 600.
(13) N. Bentwich (1925), op. cit., p. 302, A. V. Dicey, op. cit., p. 553.
(14) この判例が、わが国において紹介されたことはないようである。
(15) Law Reports, Chancery Division Vol. 42 (1889) p. 342.
(16) Id. per Cotton at 337-340, per Fry at 340-341.
(17) N. Bentwich (1925), op. cit., p. 303, A. V. Dicey, op. cit., p. 553.
(18) この判例については、本浪・前掲論文(第一章注(2))八ー九頁等参照。
(19) Law Reports, Queen’s Bench (1891) p. 87.
(20) Id. at 82.
(21) N. Bentwich (1925), op. cit., p. 304.
(22) この判例については、本浪・前掲論文(第一章注(2))四九頁参照。
(23) Law Reports, Appeal Cases (1894) p. 216.
(24) Id. at 207-208.
(25) A. V. Dicey, op. cit., p. 553, 555.
(26) R. H. Graveson, Proper Law, p. 7. この点は、契約のプロパー・ローの定義が複数存在する原因を解明するうえで、最も留意されねばならない点であろう。同所においてグレイブソンは、この点を踏まえれば「ウエストレイクの理論には非のうちどころがない」とさえ言う。
判面合わせ(27) O. Lando, Proper Law, p. 6.
(28) Ibid. この説明は明らかに歯切れの悪いものであり、自らの学説をオランダ学派に近づけたいというジレンマから、ストーリーはこのような叙述をしたようである。
(29) J. H. C. Morris, op. cit., p. 178.
(30) N. Bentwich, op. cit., p. 300. 但しこれは契約準拠法決定基準に関する基本的認識に関する部分なので、契約のプロパー・ロー理論に関する所見であるとは必ずしも言い得ない。
(31) R. H. Graveson, Proper Law, p. 14.
(32) Law Reports, Queen’s Bench (1891) p. 81-87.
(33) 本章注(23)参照。
(34) Law Reports, Queen’s Bench (1891) p. 82.
(35) Law Reports, Appeal Cases (1894), p. 208-209.
(36) Law Reports, Queen’s Bench 12 (1884) p. 600.
(37) Id. at 599 et seq.
但し、この判決におけるバウエン裁判官の所見には先例の引用が少なく、当事者意思への言及の根拠はいまひとつ不鮮明である。
(38) 例えば、二人の裁判官の所見においても、両裁判官は契約の目的物、契約締結地、契約当事者の斟酌を当事者意思確定の要素として列挙している。
(39) この判旨自体が、ロイド事件、ヤコブス事件に大きく依拠しており、なおさらヤコブス事件と同じ評価が妥当しそうである。
(40) Law Reports, Chancery Division Vol. 42 (1889) p. 337 per Lord Halsbury.
(41) Law Reports, Queen’s Bench 1 (1865-1866) p. 120 et. seq.
(42) N. Bentwich, op. cit., p. 310.
(43) R. H. Graveson, Proper Law, p. 6.
(46) O. Lando, Proper Law, p. 118.
(47) わが国においても、履行地法の説明についてサヴィニーのローマ法の契約成立地裁裁判所に関する記述をウエストレイクが根拠にしていることをもとに、ウエストレイクに対するサヴィニーの影響について指摘している論稿が見られる。西賢・前掲論文六九一頁参照。
(48) 他方では、仲裁契約における仲裁地、傭船契約における旗国地が、一九世紀の事案では、契約締結地もしくは履行地と同一であったため、当事者意思への言及の意味が不鮮明になったとも言えよう。
(49) 両者の見解の相違を、法律学に対する姿勢の違いから説明することも不可能ではない。すなわち、先にも見たように、ウエストレイクの念頭には、契約締結地法を採る判例と履行地法の間の判例法上の方法論の混迷という状況を整理するということがあった。他方、ダイシーは、周知のとおり憲法学者としてより一層の名声を獲得していた研究者であり、ベンサム(J. Bentham)以来の個人の功利主義を基本にし、契約法においても契約自由を尊重する立場をとっていた。すなわち、自由放任思想の体言者であったダイシーの個人的な理想像は、私人の行為に対して国家は最低限しか干渉できないという法制度にあった。このことが当事者の意思を要素とした契約準拠法決定基準の確立の要求として結実し、契約のプロパー・ローという形で現れたのだといえる。したがって、ダイシーは究極的にはいわゆる「当事者自治の原則」まで念頭においてルール一四三を定めたと十分想像し得るが、ウエストレイクにはその認識はなかったように思われる。ここに両者の理論の背景にある目的意識の差異を明確に見ることができるのである。この点を指摘するものとして、R. H. Graveson, Proper Law, p. 6. がある。
(50) A. V. Dicey, op. cit., Note 12.
(51) 当事者の意思が準拠法選択の主たる基準となるのは、イギリスにおいても二〇世紀以降においてであり、とりわけ一九三〇年代に注目すべき判例が続いた。ここでは、その概略を紹介する。
R v. International Trustee for the Protection Bondholders AG. [1937] A. C. 500 は、イギリス政府Xと、Xが19一九一七年にアメリカのニューヨークで申し出た借款の際に発行した二〇年期限の公債への転換可能な金約款付き債務証書を、公債に転換して所持しているYの間における、その債務証書の券面額の算定に関する事案である(この事案に関しては、岡本・当事者三九ー四一頁参照)。
一九三七年の時点における金とドルあるいはポンドとの交換レートを主張するYと、一九三三年の金約款禁止に関するアメリカ合衆国の両院決議により、一九一七年の交換レートによると主張するXの間で争われた。一審はX勝訴、二審は一転してYの控訴が認められた。Xが上告した。
貴族院は、契約に関する諸々の事情から、本件契約のプロパー・ローはアメリカ法であり、両院決議が適用されるとして、上告を認容した(Law Reports Appeal Cases (1937), pp. 574-575)。
次に、Mount Albert Borough Council v. Australian Temperance & General Mutual Life Assurance Society, Ltd. [1938] A. C. 224 は、ニュー
判面合わせジーランドの地方自治体Xと、オーストラリア・ビクトリア州法人Yとの間の、金銭貸借契約に関する事案である(この判例に関しては、本浪・アミン四〇九ー四一〇頁参照)。
その契約は、公共事業のため一九二六年に、ビクトリア州を支払地として締結されたものであった。その契約においてXは、X州に所在する不動産を担保に供し、同時に債務証書を作成した。一九三一年のビクトリア州の制定法により、地方自治体による債券の利子が減額されることになった。支払利息をめぐって、支払地であるビクトリア州の制定法の適用を主張するXと、ニュージーランド法の適用を欲するYの間で争われた。
ニュージーランド最高裁(Supreme Court of New Zealand)からの上告において、枢密院は、ニュージランド法が適用されるとして、予定の利子の支払を認め、上告を棄却した(Law Reports Appeal Cases (1938), p. 246)。
これら二つの事案において、貴族院、枢密院それぞれが、意思の要素を重視した見解を表明している。まず最初の判例において、アトキン(Atkin)裁判官は、主権国家が当事者である場合には、その国家の法が契約のプロパー・ローとなるという控訴院の判決を破棄し、次のように述べた。「契約のプロパー・ローの問題に関するイギリスの裁判所を支配すべき法原理は、いまや十分定着している。そのプロパー・ローとは、当事者が適用を意図した法である。当事者の意思は、契約において表示された終局的意思によって確認される。意思が表明されていない場合には、契約文言及び関連した周囲の状況から裁判所によって推定されるであろう」(Law Reports Appeal Cases (1937), p. 529)。そして、契約締結地、履行(予定)地、不動産所在地、旗国等々は一応の指針とはなるが、それらは逆の意思を証明することによって破られ得る一応の推定でしかない、としたのである(Id. at 529)。
また、アトキン裁判官は、当事者の一方が国家であることを根拠としてその国家法を準拠法と定めたいくつかの先例を指摘して、それらは契約の諸状況から導かれる当事者意思を根拠として判決すべきものであったと批判した。そのような見地から、イギリス政府が一方当事者であることに重きをおいた本件原審を再検討した。そこでアトキン裁判官は、本件契約がアメリカで締結されているという事実的関係から、かつイギリスの大蔵省が券面額を引き上げること及び外国法を適用する点には問題がないという証書の文言解釈から、さらに第一次大戦中の当時の状況から、文明国の法を適用することには、イギリスの大蔵省をはじめ何人も異存はなかったという社会情勢の分析を根拠に、イギリス政府自身がアメリカ法の適用を欲していることは明らかであるとの判断に至るのである(Id. at 532)。
これにつづく二つ目の判例において、ライト(Wright)裁判官は、債務証書の文言の詳細な解釈から、ニュージーランド法の適用を欲する当事者の意思を明らかにした後、次のように説明する。契約に関する抵触法上の問題を解決するには、契約のプロパー・ローを確定することがまず第一の作業である。そして、イギリス法においては、この問題は契約締結地法や履行地法といった硬直的な規則によらずに、契約文言、当事者の立場及びあらゆる周辺状況を考慮して、個別事案において確定される当事者意思の問題としてきた、とする。すなわち「裁判所は当事者意思を推定すべきである、あるいは契約締結時に公平かつ合理的な人がこの問題について考えた場合に意図すべきであった、もしくは意図したであろうプロパー・ローが何であるかを裁判所は当事者のために決定しなければならない」と明言したのであった(Law Reports Appeal Cases (1938), p. 240)。
この二つの判例において用いられた方法論は非常に近似しているといえる。特徴として上げられるのは、上述したような明確な意思重視の契約のプロパー・ロー理論を主張している点と、判決の内容的な面において、書面の解釈にかなりの労力を割いている点である。
しかし、両判決とも明示の合意に関する事案ではないので、以上のような所見は判決理由ではない。したがって、この他に裁判官がおこなった内容も重要である。その観点から見れば、最初の判例では契約の生じた地に(Law Reports Appeal Cases (1937), p. 531)、二つ目の判例では担保となった不動産の所在地および支払のための合意・取引行為を維持する要素を有する地にも準拠法決定の根拠を求めているのであり(Law ReportsAppeal Cases (1938), p. 238)、当事者意思の探求に重きを置きながらも、最終的には客観的な基準により判断していると見ることもできる。すなわちウエストレイクとダイシーの方法論は結論的には差異がないことも実証されているのである。この観点から見れば、判決理由付けそのものは一九世紀の契約のプロパー・ロー理論に忠実なものであるといえる。
(52) 〈資料〉からもわかるように、ウエストレイクは、初版と第二版以降とで、その叙述の仕方が大きく異なっているが、何よりも注目されるのが、著作自体の表題の変更である。初版において、イギリス法と同様にアメリカ法も重視していたのに対して、第二版では、ウエストレイクはその主眼をヨーロッパ大陸法に移している。しかし、これは、ウエストレイクがアメリカ法に無関心となったからではない。第二版の「はしがき」によれば、ウエストレイクは、アメリカ法がイギリス法に似「過ぎて」いるからはずしたのであり、自分の著作の読者が主に学生であることに鑑みれば、ヨーロッパ法の方が勉強になると判断したという。すなわち、ウエストレイクは、アメリカ法をイギリス法の前提と考えていたのである。
(53) 注(51)の二つの事案において、判例上、当事者意思を中心とした定義を付与された契約のプロパー・ロー理論は、この直後に、同じく上訴裁判所によるひとつの判例を契機として、さらに明確な定義を与えられることになる。その判決が、有名な一九三九年の Vita Food Products v. Unus Shipping Co. [1939] A. C. 277 である。この事案において、枢密院司法委員会のライト裁判官は、「契約のプロパー・ローとは、当事者が適用されるべきものと意図した法である」(Law Reports Appeal Cases (1939), pp. 289-290)と明確に述べたのである。(この事案に関しては、わが国における紹介もすこぶる多い。主なものとしては、岡本・前掲論文(第一章注(2))二九ー三二頁、折茂・前掲書一一〇ー一一二、一一四ー一一六頁、鳥居・前掲論文(第一章注(2))一〇八ー一一〇頁、西・前掲論文(第一章注(2))六七ー六八頁があげられる)。
「ヴィタ・フード事件」の判決に対するこれら一連の批評の中で、後の学説・判例に最も大きな影響を残したのは、一九四八年に発表されたチェッシャーの『国際契約(Intrernational Contracts)』という小冊子である。チェッシャーの主張は次のとおりであるそこで、チェッシャーは、契約のプロパー・ロー理論をウエストレイクによって創始されたものであるとし、ヤコブス事件等の判決文を引用しながら、その基本的な考え方は二〇世紀になっても依然として継受されているとした。
第四章 結びに代えて
以上のように、契約準拠法決定基準に関して、主観主義と客観主義の交錯した方法論として注目されてきた契約のプロパー・ロー理論の成立過程を簡単ではあるが追ってみた。そのなかで、当事者自治の原則と最密接関係国法の探究がいかに「併存」するようになったか、その原点のひとつを明らかにできたものと考える。
このことは、ひとつ法制史の研究にとどまらない。当事者自治の原則と最密接関係国法という組合せは、今後もこの問題の主流をなす考え方となるからである。この理論の母国イギリスでは、一九九一年よりEUの「契約債務の準拠法に関する条約(Convention on the Law Applicable to Contractual Obligations(1))」が発効している。しかし、その四条の最密接関係国法の探究において(2)、あるいは留保された七条一項の第三国の強行法規の適用の問題において(3)、いまなお契約のプロパー・ロー理論における思考が根強く残っている。また、同条約の公式報告書(4)等に注目すれば、条約作成そのものに対するイギリス法の影響も少なくないのである。さらに、この理論は、アメリカの抵触法理論とも無縁ではない(5)。
今後わが国においても、立法論を中心として(6)、この当事者自治の原則と最密接関係国法の探究(7)という組合せが重要になっていくであろう。しかし、この両基準は、それ自体は何も表さないいわば「基準のための基準」であり、実際上の法の統一をもたらさない危険も十分にある。したがって、本稿のような視点の研究が必須であり、また、一定の指針を提供できたものと考えている。
(1) この条約については、岡本善八「国際契約の準拠法」同志社法学三二巻一号一頁等を参照。
(2) 拙稿「債権契約準拠法決定基準に関する『最も密接な関係国法』について−イギリス国際私法の視座から−」立命館法学二三六号一〇八頁参照。
(3) 拙稿「EUの契約債務準拠法条約上の『強行法規』について−国際海上物品運送契約を中心に−」立命館法学二四二号三一頁参照。
(4) Report on the Convention on the Law Applicable to Contractual Obligations. [1980] O. J. 282/1 これは、条約の各条項の起草に際し、いかなる国のどのような理論・判例が斟酌されたかを紹介し、条文に注解を施すものである。
(5) 樋爪・前掲論文(第二章注(6))参照。
(6) 最近、わが国において、立法論として、この両基準を採用するものとしては、国際私法立法研究会「契約、不法行為当の準拠法に関する立法試案〈資料と紹介〉(一)(二)」(民商一一二巻二号二七六頁、三号四八三頁)が注目される。
(7) いったい、いつのころから「最密接関係国法」の探究が国際私法の性質を表すようになったのか。ここで、わが国における国際私法の意義に関する学説の表現を、教科書レベルで概観してみる。
@ 寺尾亨『国際私法[第五版](東華堂、一八九七年)は、「国際私法とは個人間の法律関係につき国家間に生ずる国法の抵触を決定する規則をいう」(一〇頁)とのみ述べる。山口弘一『日本国際私法論(増訂改版)』(厳松堂書店、一九一六年)は、「国際私法とは渉外的私法関係に対し内外私法中何れを適用すべきやの問題を解決する規則の全体をいう」(五頁)とし、跡部定次郎『国際私法論 上巻』(一九二三年、弘文堂)は、「国際私法は国際交通において生ずる私法関係に適用されるべき国法を選定する法則なり」(三頁)とする。山田三良述『国際私法 完』(一九二六年、文信堂)は、国際私法が「渉外的法律関係に対し外国法域の適用区域を明らかにす、故に国際私法とは内外私法の適用区域を定むる法則の総体をいう」としていた。田中耕太郎・前掲書(第一章注(1))にも最密接関係国法という表現は見当たらない。一瞥するかぎり、第二次大戦前、国際私法の本質をあらわすために、最密接関係国法という用語が使われることはなかったようである。
A 戦後、江川英文『国際私法』(一九五〇年、有斐閣)は、「国際私法はみずから直接的に法律関係を規律することはなく、現存する諸国の
判面合わせ私法のうちいづれか最も当該の法律関係を規律するのに適する私法を選択し、これによってその法律関係を間接的に規律する」(二頁)と述べ、久保岩太郎『国際私法』(一九五〇年、富士出版社)も、「国際私法は内外多数の実質法の上位にたち、問題たる渉外的生活関係を規律せしめるために、その生活関係に最も緊密な関係を有する内国または外国の実質法を指定することをその固有の第一次の使命とする」(三頁)とした。実方正雄『国際私法概論』(一九五二年、有斐閣)は「問題の生活関係が各国法域に対して有する種々の連9152中最も決定的意義を有すると考えられるものを標準と為し、依って以て生活関係とこれに適用されるべき法律秩序とを連結するのである」(五頁)とする。川上太郎『国際私法講義要綱』(一九五二年、有信堂)は、国際私法の存在理由のひとつとして、「今日なおいまだかかる渉外私法関係を規律するに適する世界社会の私法が存在していないため、やむなく、これにかわって私法関係に最も関係の深い国法を選び、これを適用する以外に、適用されるべき法を決定する途がない」(五頁)からであるとした後、国際私法とは「その生活関係が最も密接に関連する国の法を選んで、その生活関係を規律せしめるという間接規律の方法」(六頁)をいうとする。
B 澤木敬郎『国際私法入門』(一九七二年、有斐閣)は、統一法に多くを期待し得ない現状においては、「具体的に生じてくる渉外的法律関係について、それと最も密接な関係に立ち、それに適用されるにふさわしい国家法を選び出し、これを適用することによって法規制を行うため」(四ー五頁)に、国際私法が必要であると説く。池原季雄『国際私法(総論)』(一九七三年、有斐閣)は、法廷地法主義を批判する際に、「法廷地の法は、必ずしも、当該の生活関係と本質的に密接な関連性をもつものではな」(三頁)いとする。
山田鐐一『国際私法』(一九八二年、筑摩書房)は、世界に広く行われている渉外的私法関係の安全を保障するため、「関係諸国の私法のうちから問題となる渉外的私法関係を規律するのに最も適する私法を選択」(三頁)し適用する方法が国際私法であるとし、また、法廷地法主義を批判する際にも「内外法を問わず最も適切な法を適用すべきである」(四頁)とする。また、木棚照一・松岡博・渡辺惺之編『国際私法概論』(一九八四年、有斐閣)は、法廷地法を批判するなかで、今日「ほとんどの諸国で、当該渉外的生活関係を規律するのに最も適切な私法を選択し、これを適用するための法原則が存在しているのである」(三頁)という。
C 三浦正人編『国際私法』(一九八三年、青林双書)は、国際私法の意義として、「最も密接な関係国法」の探究を掲げ、これを法規の類型化により最も適切な法の適用を目的としていた法規分類学説とは異なる、一九世紀以降のいわゆる伝統的国際私法の方法論であるとし、石黒一憲『国際私法』(一九八四年、有斐閣)も、伝統的国際私法規則の代名詞として、「最も密接な関係の原則」という用語を多用する。
D 溜池良夫『国際私法講義』(一九九三年、有斐閣)は、任意的抵触法の理論を批判するなかで、「国際私法は、国際的私法交通の円滑と安全の見地から、各種の法律関係について、これに適用するに最も適切な法律を内外の私法の中から選択指定する法律であるから、公の秩序に関する法律である」(一九頁)とする。櫻田嘉章『国際私法』(一九九四年、有斐閣)は、国際私法の目的を、端的に「国際私法交通の円滑と安全を図り、国際的判決調和を達成するために、内外法の平等を前提として、二つ以上の国と関連性を有する国際的な私法生活関係について、それと最も密接に関連している場所の法を準拠法とする」(一六頁)と述べる。
以上のように、甚だ簡単な分析になるが、次のように言うことができるのではないか。すなわち、最密接関係国法という用語は、わが国においては戦後(@)、国際私法の間接規律性の説明において(A)、法廷地法主義批判の文脈の中で(B)、あるいは一九世紀以降の伝統的国際私法理論を表すものとして(C)、定着してきたものであると(D)。いずれにせよ、今後、より一層研究を試みたい問題である。