立命館法学  一九九六年一号(二四五号)




自由主義論の現在
−問題整理のための覚え書−


中谷 猛






は  じ  め  に
  近年自由主義、あるいはリベラリズムに関わる文献が数多く刊行されている。また、実際の政治の場面でも「リベラル」というシンボルのもとに政党再編の動きがあり、政治家たちの発言一つとっても、この「リベラル」がキータームになっている場合が多い。学会レベルでは、一九九二年度政治学会の共通論題として「リベラリズムの現在」が取り上げられ、九五年度の政治思想学会では「共同体論の射程」からリベラリズムが論じられた。朝日新聞に思想史家、武田清子の論文「日本人とリベラリズム」が掲載されたのは記憶に新しい(一九九二年九月二五日付)。政界における「リベラル」、あるいは「自由主義」という言葉の氾濫は論外にしても、国内外の政治状況を背景に活発化している自由主義をめぐる論議こそ現代的課題にたいする知的応答の一つといってよい。
  いうまでもなく多岐にわたる議論を誘発した現象とは東欧・ソ連邦の体制であった社会主義体制の崩壊、広く冷戦構造の終焉と深く関連している。そのため現実の政治において自由主義の勝利を声高に叫ぶひとさえいる。だが、実際世界の事態はそれほど単純なものではない。資本主義国では富の偏在と貧困化の進行が見られる一方、実際の社会生活では経済と政治の両システムが社会(生活)を圧迫し、ますますそれを従属化してゆく。この次元での課題はまさに体制全体に関わる。自由主義論の現在の問題は、反転すると、国民国家の揺らぎの問題にほかならない。したがってこの次元から提起されてくる諸問題が今日の自由主義の論議を根本的に見直す契機にもなる。当然、論議自体が複雑化してゆくことは避けられないであろう。新たな現象をも視野に収め自由主義論を整理するためには、われわれはどのような角度から論議を開始すべきか。一体自由主義の名のもとで何が語られているのか。
  周知のように自由主義は、近代ヨーロッパにおいて形成された思想と運動に与えられた総称であり、自由主義国家と呼ばれる場合には市場経済に基礎をもつ資本主義国家にほぼ相当する。国際政治において冷戦構造が崩壊するまで、自由主義はつねに社会主義体制に対立する自由主義陣営のイデオロギーとして極めて論争的性格を帯びていた。一方、社会主義陣営はこのイデオロギーを克服すべき対象として設定し、自らの思想的優位を主張してきた。今日、このような論争を余儀なくするような知的環境はなくなり、自由主義そのものを再検討する条件は熟しているように思われる(1)
  だが、このような論議のための状況が生れたが故に、議論が百出し各論者の問題意識ははっきりしていても、一般には何が問題になっているのか、よく分からないことが多い。この思想状況の一因は、本来この自由主義のもつ多義性にあるが、日本では「リベラリズム」とその訳語である「自由主義」とは必ずしも同一のものとして捉えられていない。ここにも問題がある(2)
  また、自由主義という場合、それは政治理論としての論じるのか、経済・社会思想として、あるいは道徳・哲学として取り上げるのか、広く文化的自由主義について語るのか、実に様々な接近の仕方があろう。本稿では、国内外の自由主義論の主な流れを概括し、政治理論としての自由主義について検討してみたい。その際、私が留意したいことが二つある。第一に、いわゆる古典的自由主義論ではなくて、それと密接に関連しつつ、かつ独自の展開をみせている現代の自由主義論の特徴の明確化である。また、わが国の自由主義論の系譜が当然関連してくるが、ここでは触れない(3)。第二に、ジョン・グレイが『自由主義』の掉尾でのべたような「偉大な自由主義思想家たちの知恵への回帰」という古典依拠重視の立場には疑問を抱く(4)。この立場は、結局人々を省察の領域に導くことは確かだが、政治の世界のもつ荒々しい力には対抗しえない。それに立ち向かうためには、現在の時点からの論理の構築が必要だと思うからである。現在、自由主義論は政府論・体制論から道徳論までの広い対象領域において議論が展開されている。そこで自由主義の道徳論をその論議の射程に収めつつ、主に政治理論の側面から手掛かりを求めて論点を明確にするほうが有益と思われる。以上のような問題関心のもとに差し当たり、近年の自由主義論の特徴を概括的に整理して、議論すべき方向を探ってみたい。
  はじめに多様な自由主義論への論点整理の作業として、一般的な議論の傾向をみておこう。すでに述べたように、近年、自由主義研究あるいはそれに関する論議は、変動する世界情勢を背景にして、そこに生起する様々な問題に触発されている。したがって研究の領域も拡大すると同時に重なり合う部分も多く、またその中身も深まり厳密な論理展開を伴うものから、実際に社会の要請に応える政策次元の提言を含んだものまで実に多様なものとなってきている。こうした研究状況を整理するにはいくつかの指標が必要である。まず、この研究対象にたいする接近方法によって整理できよう。
  それを自由主義への思想史的アプローチと呼ぼう。例えば、自由主義の思想史としてその伝統を明らかにし、思想の継承と発展の跡をたどるものである(佐々木毅編『自由と自由主義』)。また、自由主義の思想と歴史を総合的に捉え歴史的に叙述したものもある(ラスキ『ヨーロッパにおける自由主義の興隆』)。さらに、自由主義への法哲学あるいは政治哲学的アプローチとして、正義論、権利論や共同体論の立場からする自由主義論がある(ロールズ『正義論』、ドゥウォーキン『権利論』、マッキンタイア『美徳なき時代』)。
  一方、自由主義への政治・経済論的アプローチとして国家論(政府論・体制論を含む)・政策論を重視したものもあれば、市場経済論の立場からのものもある(ハイエク『市場・知識・自由』)。
  右に述べた正義論や権利論の立場は、議論の焦点が明確であるので論点整理の方法からする分類にいれてもよい。この分類の仕方では論点の数だけ文献があげられるので煩雑さは免れ得ない。三巻からなる自由主義文献のアンソロジーを編纂したR・J・アーヌソンの場合、自由主義とは何かと問い、その論点として寛容の理念と危害原理の解釈、被治者の同意による政府の規範との関連からみた”中立”国家としての寛容と国家の正当性、自由主義理論の構成要素としての人種・性の平等、自由市場経済、分配的正義、ロック主義にはらまれた拮抗・緊張関係が呈示されている(5)。また、マルクス主義との関連では、その一例としてポスト・マルクス主義とリベラリズムとの交錯の問題「リベラル社会主義」がある(D・ヘルド、Models of Democracy. 1987)。
  そのほかに、自由主義批判の立場からの論点整理も考えられる。例えば、「共同体論」を主張する者、すなわちコミュニタリアンの批判で、M・サンデル(Sandel, Liberalism and the Limits of Justice, 1982)、A・J・P・テイラー(Taylor, Source of the Self)らが代表的論客である。例えば、サンデルは功利主義が制度に適応する人間のみを考えたのに対して、テイラーは個人と社会生活に及ぼす制度の影響に注目して、「善き社会」としての共同体の価値を主張する。もちろん、W・キムリカ(W. Kymlica, Liberalism, Community and Culture, 1989)のような自由主義の立場からする自由主義批判の議論も見逃せないだろう。
  以上のように自由主義の論議は複雑多岐にわたり、その整理自体が大問題である。しかも新たな論議が状況のなかで付け加わるので、当然新しい文脈での論争課題も生みだされてくる。自由主義の問題を単に自由主義という枠に限定して論じることは極めて難しい。自由主義に関する新たな問題とは、いうまでもなくマイノリティの運動が提起してくる様々な課題を含む。また生活の質的向上に結び付く「豊かさ」の基準は自然保護・環境問題や男女の役割問題などを含むので、新しい価値観の創造の課題は避けられない。自由主義の論議はこうした課題にどこまで対応できるのか。いいかえればこの論議の限界の見定めと同時にリベラル・デモクラシーをも射程にいれなければならない。というのも、その思想史の展開のあとをたどってみると、自由主義の正当性を支えていた効率と公正への懐疑がつとに提起されていたからである。後に検討するような正義の問題も、元来自由主義の議論と不即不離のものであったことを想起しておく必要があろう。


(1)  近代の思想史から自由主義を見直す作業はいまに始まったことではないが、著作の表題に再検討を掲げたものに藤原保信『自由主義の再検討』(一九九三年、岩波書店)がある。戦前に同じ表題で河合榮治郎が論じている(『自由主義の擁護』所収、一九五七年、角川書店、六九頁以下)。『現代思想』(一九九四年四月号)に「リベラリズムとは何か」の特集がある。リベラリズムに関する諸テーマを、多面的に論じているので、本稿の作成に当たって参照した。
(2)  武田清子は「近代日本において、リベラリズム(自由主義)が正しく理解されたことは稀であり、常に誤解され、曲解され、批判と揶揄の対象となってきた観がある。近代日本の思想史をたどるとき、リベラリズム、あるいは、自由主義が正当な市民権を与えられなかったのではないかとさえ考えさせられる」と述べてその要因を訳語との関連性において分析している。『日本のリベラリズムの稜線』(一九八七年、岩波書店、三頁以下参照)。
(3)  論点整理は言うまでもなくその国々の問題状況が反映されるから、日本の場合、わが国の独自の論点整理があってもよい。というのは、西欧の近代思想を受容してきたという歴史があり、ヨーロッパの自由主義論と同日には論じられないからである。この点では整理に当たって固有の歴史性が加味されるのは自然なことといえよう。そのため、近年西欧で展開されてきた自由主義論をその史的背景を踏まえて整理することは重要である。彼我の政治をはじめとする問題状況そのものが異なるからで、この点での留意がいる。例えば、日本では戦前の河合榮治郎に見られた「人格主義」に依拠した自由主義論はあっても、政治理論としての自由主義はマルクス主義の思想的影響があってまともに論議されることが少なかった。それだけに、この視点からの論点整理は必要と思われる。松沢弘陽「自由主義論」(『岩波講座  日本通史18〈近代3〉』一九九四年、岩波書店)はこの問題整理に当たって手掛かりとなる。
(4)  John Gray, Liberalism, first edition. 1986. Open University Press. p. 93. (ジョン・グレイ著、藤原・輸島訳『自由主義』一九九一年、昭和堂、一三八頁)原著第二版一九九五年では、この結論は全面改訂され、Conclusion (1994): Postliberalism となっている。
(5)  R. J. Arneson, Liberalism, vo1. III. 1992, Edword Elger Publishing. p. ix. この全三巻にはロック、ルソー、カント、功利主義以降の二〇世紀の諸自由主義とその論争に関わる論文が収録されており、有益である。
(6)  加藤哲郎「現代マルクス主義とリベラリズム」(『リヴァイアサン』第十三号所収、一九九三年)参照。


一  古典的自由主義の普遍的価値とその理論の問題性
(a)  自由主義の普遍的価値について
  周知のように欧米の自由主義(リベラリズム)と一口にいっても、そこに歴史的背景をもった様々な自由主義論があり、英仏の代表的な自由論の論客であるロックとルソーとを取り上げてみた場合、両者では核心となる自由観に対立的傾向が見られる(1)。だが、一般的にヨーロッパの自由主義として語られる場合、そこにある共通の諸要素が見い出せる。なによりもヨーロッパの自由主義は、この地域における近代初頭の思想と実践から生み出された歴史的産物にほかならない。その共通の特徴としてそれぞれの国の封建制とその伝統に挑戦した思想の革新性が指摘できる。この歴史的な形成過程をたどったがゆえに、そこに明確な市民階級のイデオロギー性を帯びることになった。だが、今日では、この自由主義を一文化圏に生れた市民の政治的経済的要求とその階級利害を擁護するイデオロギーとして切り捨てる論者は極めて少ない。このような論議から離れて虚心に、自由主義に向かい、それを考察してみると、デモクラシー論にも保守主義論にも、あるいは社会主義論にも密接に関連する共通な要素が数多く見出される。したがって、それがもつ普遍性ー普遍的価値への着目が必要となる。そこでは、自由主義のもつ特殊性と普遍性の二重の性格が改めて問われているといってもよい。
  では、普遍的部分とはどのようなものか。なるほどこの二重の性格が深く絡みあっていることは否定しえないが、このイデオロギー性を仮に捨象した場合に普遍的要素が明らかになる。すなわち、個人の自由の尊重、平等な個人の観念、寛容、法の尊重、権力の分立と議会制度、市場経済の承認、などである。古典的自由主義と言う場合、このような諸要素を前提にしつつ、個人主義の哲学・世界観に基づく市場経済社会と政治体制として議会制もつ「夜警国家」、以上が自由主義の全体像の輪郭を形作り、それに基づいて一つの体系的なイメージが出来上がる。
  視点をかえれば、この普遍性とは、自由主義の原理に内在するユートピア性と革新性に他ならない。したがって自由主義に関心を抱く論者のなかに、こうした普遍的価値の部分を取り出し、法と自由という法哲学の分野から議論を起こし、「ユートピアとしての自由主義」の側面を重視して捉える思想研究者がいる。この論者によると、自由主義とは「自由」と「法」の間のパラドックスを論理的に解明しようとする試みであり、歴史上の特定のイデオロギーであるというよりは、自由を出発点に法の生成過程を知的に透明なものにして歴史をやり直そうとする思想である(2)。つまりそれぞれの個人が生きる所与の社会での自由を追求するため、それを至上価値と認め、自由の理念を基軸に政治社会を改造しようとする思想と理解している。この意味においてリベラリズムとは革新の思想となる。だからこの理念が実現され得ないかぎり、この思想には「ユートピア」性が刻印されることになる。この側面を念頭に置く場合には今後リベラリズムと表現しよう。
  第二に自由主義の核心とみなされる個人の自律性の原則をこの思想の全体像のなかでどのように把握しておけばよいのか。個人に対するあらゆる絶対的権威と権力とを拒否する態度こそ自由主義(リベラリズム)の特質である。個人と権力との関係におけるこの消極的な捉え方は、市場経済のシステムの構築の際にも生かされる。すなわち、この態度が競争原理の働く市場の論理と相即不離の関係を保って、それらの原理を生かす一つの政治・経済体制の構築が目指される。
  その場合、政治の中心である権力の場でこの原則が生かされるかどうかが当然、問題となる。そこで代議制というものをこの文脈において考えてみる必要がある。それまでの時代とは異なる権力構成の原理、すなわち民主的要素が導入されているからである。したがって、政治制度としての代議制が十全に機能するならば、個人の自律性の原則はその力を発揮しよう。この自律性に関していえば、それは政治的自由を媒介にして代議制につながり、個人のための制度保障の理論化は完結する。
  一方、市場経済を前提に考えると、そこでの経済的自由・競争が市場の自動調節の機能を果たすかぎり、いわゆる「見えざる手」が働く。したがって、人々がある権力者に直接服従するという事態は生れてこない。つまり市民社会というこの領域における人間の権力支配は存在しない。
  とにかく、伝統的な人による支配の視点から考えれば、古典的自由主義論では政治領域にしろ、経済領域にしろある特定の人間の権力支配から諸個人を解放するという論理は貫徹されている。したがって、この思想の意義はまず個人を人格的権力から解放する理論を明確化した点にある。個人の自律性から出発する政治的自由主義、つまり反権力の自由主義と経済的自動調整の自由主義の二重の関係をP・マナンはこう説明する。「代議制国家と市場はたがいに自由に振る舞い、また呼応し合うものだ。個人は、これら二つの非人格的な権威に自らの信頼を分け与えた場合にのみ、自らの自由を獲得し、個人の権力から解放されるのである。これら二つのものが機能した場合、個人はだれの命令にも従わない。市場の指図はだれかによって望まれたというものではないからだ。それはそれぞれの人とすべての人の活動の結果生じたものである。国家の法とは個々の人間の承諾を必要としない普遍的な法である。しかし、代議制ゆえに、各人と万人はこうした法の作り手でもある。国家があるので、個人は他人による支配を禁じることができ、自由な状態を他人が妨害するのを禁じ得るのである。市場のなかに、個人は自分の活動モチーフを見出し、これからやろうとすることを選択するのだ(3)。」このような説明が如実に示すように、結局古典的自由主義論は、政治と経済の体制概念抜きに語ることができない。また、この思想に含まれる二重性は、マルクスにとっては個人の政治的解放と人間的解放の矛盾として認識されたことはよく知られているが、差し当たり、個人の自由の問題が二重の体制概念のもとで取り扱われていたことを確認しておこう。
(b)  古典的自由主義論への批判とその対応
  ところで、一般に古典的自由主義のもとに一括される議論は一つの仮定から出発する。よく知られているように、それは等質の個人、理性的な判断能力を有する自由で平等な個人という仮定である。この仮定性にたいして歴史の実態に即した批判が展開されてきたことはいうまでもない。ここではそれを論理の前提とする古典的自由主義論に立ち入る必要はない。重要なことは、自由主義それ自体が主張する価値とその価値が生み出す論理のパラドックスの問題にある。すなわち、自由主義(リベラリズム)の特色は人間が生み出す価値の多様性を承認することであるが、そのことは個人の自律性や自由を最高の価値あるものと主張する論理の必然的結果にほかならない。したがって、本来自由主義の信奉者であるリベラルたちは、政治の領域において公権力がある特定の価値を称揚したり、あるいはそれを強制することに強い警戒心をもつ。いいかえれば、自由主義の政治体制では公権力はつねに価値的中立を要求されているのみならず、その中立性を保持しなければ、体制とその思想原理とは絶えず緊張関係におかれることになる。
  いわゆるリベラルが描いてきた「夜警国家」像には、単に「小さな政府」論という規模の問題や市民社会=市場社会での個々人のもつ利害調整の機能論にとどまらず、個人の諸価値の領域に踏み込まないために、公権力の中立性とその制約性・限定性、したがって権力の極小化の論理が内包されていたといえる。だが、現実の歴史過程において、一方では個人の私的領域は産業と技術の発展にともない、個人の欲望への刺激とその肥大化のダイナミズムのもとで、ますます多元的となり、また拡大してゆく。他方、政治の領域では市民社会の展開につれて公権力がその機能を拡大してゆくと同時に、権力を集中し、その領域における権力支配の一元化に拍車をかける。イデオロギーとしての自由主義が声高に「夜警国家」を標榜するのとは裏腹に、実際には公権力の強大化・肥大化が進行する。そしてこの過程で政治における規範性(公平・正義)の要求が必然化してくると、国家自体がある種の一元化・国定の価値の強制への道を準備することになる。そのことが他方でリベラリズムの「ユートピア性」を活性化させる要因ともなるのである。
  ところが、古典的自由主義(リベラリズム)それ自体がはらむこうしたパラドックスは、その理論的系譜のなかで政治的自由主義と経済的自由主義とに二分化されて論議されることになり、そのためこのパラドックスはかならずしも明瞭な課題として浮かび上がってこなかった。むしろそれは歴史過程から提起されてくるデモクラシー論や社会主義論との論戦の中で後景へと追いやられ、また自由主義論自体がそのイデオロギー性を強化したように思われる。
  古典的自由主義論は産業主義を唱えるサン=シモンやマルクスら社会主義・共産主義の唱道者たちからの批判を浴び、またその思想自体にもJ・S・ミルにみられるようにデモクラシー論と結びつくことによって、思想の内容に修正と変化があらわれてくる(4)
  ところでこの変化の様相について検討する際、確認しておかねばならない点がある。この問題こそ一般に「価値のヒエラルヒーの転倒」と呼ばれる。それは、欲求的生を生きる人間にのみ生じるものといってよい。すなわち、快楽の追求と苦痛の回避を基軸に自己保存を最優先する近代の人間像とは、かつてプラトンなどが知恵・勇気・節制の調和のもとに生きるものを正しき人とした人間像とは全く異なっている。古代の哲学者にとって、欲求的部分をすべての中心におきこの三つの要素の調和をこわして生きる人間など不正の人以外のなにものでもなかった(5)
  古代の人間像を基準にすると、所有と労働に価値をおくロック的人間像とはそれまでの人間的な生がもっていた価値のヒエラルヒーの大変化を意味する。よくいわれるように近代の人間像の核心とは欲求の解放=自由にほかならない。したがって、近代以降の思想家たちはこの情念の力におののき、それを制約する自然法の必要を盛んに説くことになる。
  だが、ロックやホップスの主張した自然法が人間社会の外、つまり神の掟に等しいものであったかぎり、それを社会規範と同一視することはできない。人間社会を内側から制御する論理が求められる。この自然法にかわる社会規範の形成に決定的な影響を与えた思想こそ功利主義といえよう。ベンサムの主張した功利の原理、すなわち人間を支配する快楽と苦痛が個人の行動や社会を判断する基準となり、また善悪を判断する道徳的基準となる。かれの場合、人間の幸福とは快楽を増大し、苦痛を減少することであって、社会の成員の利益の総和が「最大多数の最大幸福」として捉えられるのである(6)
  周知のように近代の自由主義(リベラリズム)はこの社会規範を道徳的基礎におくことで、自らを正当化してゆくことになる。一方、マルクスおよびマルクス主義が功利主義の幸福観を共有していたとはいえ、右に述べてきたような古典的自由主義に階級的視点から根本的な批判を行なったことは周知の事実である。その批判の要点を記すとこうなる。すなわち、自由主義論が擁護する自由主義国家と市場社会とは競争が本質であって、その社会に生きる諸個人は、たとえ法律上自由・平等が保障されているにしても、各人自らが自由に選択できるかどうかはまさにかれらの所有する財産の多寡にかかっている。したがって、無産の多数者にとって私有財産に基づく競争と選択の自由とは空論であって、実質の平等がないところに自由もないのである。
  そこで一九世紀の自由主義(リベラリズム)論はこうしたデモクラシー(平等化)論や社会主義論にある強い平等化の要求に対抗する形で、理論枠組みの修正をよぎなくされる。その典型がJ・S・ミルの自由民主主義論にみられる。かれは、マルクスと同様に労働者階級の非人間的な状態に心を痛め、それゆえ自由主義を経済的に不可避なものと受け止め、またそれを道徳的に正当化することに強い疑念を抱いた。そこでかれは人間とその社会にとって望ましいモデルを自由主義と民主主義の接合タイプに求めた。マクファーソンが指摘したようにミルのこの種の議論には「道徳的モデル」の色彩が認められるとはいえ、この議論を政治体制の改造への展望と結び付けていた点は看過すべきではない(7)
  その後J・S・ミルのように自由民主主義の方向で対応してゆく流れ(L・T・ホブハウス、A・D・リンゼイ、アーネスト・バーカー、ジョン・デューイ)にたいして、とりわけ二〇世紀の前半になると、「新自由主義」論(グレイのような論者は「古典的自由主義の復興」として取り扱う)が台頭してくる。その代表はF・A・ハイエクである。かれは、ナチズムの起源が社会主義の思想とその実践にあると主張して、文明の進路を自由人からなる世界の方向に導くためには法の支配のもとでの制限政府の道、かれの表現をもちいると「見捨てられた道」を再び歩む必要を説く(8)
  ハイエクの場合、自由主義とはなによりもロック以来の権力対個人という思考枠組みのなかで権力のあり方に重点をおくことから出発し、民主主義を承認つつも両者に明確な区別をつける必要を説く。その議論の展開は論理的でかつ明快である。かれによると、自由主義とは「すべての政府の強制力を制約することにおもな関心」を向け、その反対物とは全体主義である。民主主義が厳密な意味において多数者支配という統治の方法に関する教説であるとすると、自由主義は「法がどうあるべきかについて」語り、実際その目的は「多数を説いて、ある原則を守らせることにある(9)」。
  かれにとって、自由主義が政治における原則の次元の問題だとすると、民主主義は目的に対する手段として位置づけられるにすぎない。つまり民主主義とは政治上の決定を行なうための手続きなのである。このように、民主主義を手段・手続きとして捉える点ではハイエクはオルテガやシュンペーターと同じ立場に立つ。民主主義と自由主義とを峻別する意見はすでに前世紀に出されており、以後両者の峻別あるいは両者の混同を批判する論法は自由主義論に広く見られる思想傾向となる。
  いずれにしろ、ハイエクを典型とする自由主義論では政治理論と社会理論が関連性をもちながら、その議論の基礎に道徳哲学があり、このような諸分野の体系的論述が歴史的に形成されてきた政治体制・政策論を射程にいれて展開されている。この点で現代の自由主義論では後で述べるようにやや法哲学や政治哲学の分野の問題に議論が偏っていると思われる。例えば、それは「政治哲学の復権(10)」という表現に端的に示されている。


(1)  ジョン・プラムナッツ「自由主義」(田中治男訳『個人主義と自由主義』、一九八七年、平凡社、所収)六五頁以下参照。
(2)  関曠野+長崎浩対談、自由主義のパラドックス(『現代思想』一九九四年四月号所収)六二頁、六五頁参照。
(3)  Pierre Manent, Les libe´raux, I. 1986, Hachette. cit., p. 26.
(4)  C・B・マクファーソン、田口富久治訳『自由民主主義は生き残れるか』(一九七八年、岩波書店)八四頁以下参照。
(5)  ポリス的人間像、例えばプラトンの場合は哲学者の守護者としての優越性から考えれば、その対比は明白である。佐々木毅『プラトンと政治』(一九八四年、東京大学出版会)、第三章『ポリティア』第三節哲人王論以下参照。
(6)  C・B・マクファーソン、田口前掲訳書、四二頁以下参照。ベンサム、山下重一訳『道徳および立法の諸原理序説』(一九七五年、中央公論社、世界の名著38)八一頁以下参照。
(7)  C・B・マクファーソン、田口前掲訳書、七九頁。マクファーソンによると、ミルのモデルが、人類の向上可能性とまだ達成されていない自由で平等な社会についての道徳的ヴィジョンを持っていることである。この指摘は、自由主義の「ユートピア性」を端的に示しているといえよう。またミルとマルクスの体制変革論の性格を論じた四野宮三郎「ミルとマルクスー体制変革論の性格ー」(杉原・山下・小泉責任編集『J・S・ミル研究』、一九九二年、御茶の水書房、所収)三〇二頁以下参照。
(8)  F・A・ハイエーク、一谷藤一郎訳『隷徒への道』(一九五四年、創元社)第一章二二頁以下参照。この著書では、ハイエクは、自由主義の基本原理は一定不変の教義たらしめるようなものは何も含んでいないという。そして、事象の秩序づけに際しての社会の自発的な力の利用と強制に訴えることを最小限に止めることを基本原理と考えている。
(9)  ハイエク、西山・矢島監修『自由の条件』第一部(ハイエク全集5、一九八七年、春秋社)第七章多数決の原則、一〇三ー一〇四頁引用。ハイエクによると、自由主義は、政府の範囲および目的について、そのうち民主主義によって何を選択すべきかを説く教義の一つであるのにたいし、民主主義は、一つの方法であって、政府の目的に関してはなにも語らないのである。同訳書一〇四頁。
(10)  藤原保信『政治哲学の復権』(一九七九年、増補版一九八八年、新評論)もちろん、この捉え方には、「政治哲学」の必要性を説き、新しい規範理論を求める積極的意義があることはいうまでもない。


二  現代自由主義論の展開
(a)  「政治哲学の復権」と功利主義の問題
  すでに述べたように、近代の自由主義を鼓吹した思想家たちは功利主義に着目し、それを社会規範の形成のために不可欠な要素とみなした。以後、功利主義は自由主義と不即不離の状態を保ちつつ、自由主義の道徳・社会哲学の基礎として摂取されてゆく。いわゆる功利主義の立場とは、人間の欲望が満足されるところに最高の価値を認め、それの最大化に人間社会の営為の目標を定める。今日では選好(プレファレンス)と呼ばれる「快苦の原理」(それはいうまでもなくベンサムによって理論化されたものである)によって、人間の欲望が追求され、そうした選好の社会的総和が社会の幸福、すなわち善とみなされる。
  さて、行論に必要な限りで功利主義の哲学に触れる場合、まず二つの区分がいる。概して「功利の原理」は正義についての主張を根拠づける一般的福祉の説明として用いられる。また権利の主張に際しての道徳・義務論の基礎として考えられている。われわれにとって、そのような議論上の区分と同様に、この原理が自由主義思想と密接な関係にすることから生じる諸問題の整理が必要となろう。政治哲学としての自由主義論は、功利主義の推論や倫理性の導入なしには展開しえなかったからである。そこから功利性の原理と正義の関係、すなわち功利性は権利および平等と相容れないかという根本的な問題が提起され、それらをめぐって相対立する見解が闘わされてきたのである(1)
  例えば、J・S・ミルの場合、なるほどかれは「功利の原理」から「自由の原理」を導き出すのに成功したように思われる。だが、他方で一般福祉を促進しようとすると、「自由の原理」は自由の分配の規整を狙う「公平の原理」と衝突することが起こりうる。こうしたミルの自由論のはらむ問題性についてJ・グレイは、的確な指摘を行なっている。
  すなわち「ミルの企てが一般的福祉にたいする功利主義的関心を、自由の優位性およびその平等な分配についての自由主義的関心と調和させる企てであった以上、その企てははじめから失敗を運命づけられていた。というのは、結局功利主義的な危害予防の政策がつねに不自由ということから生じてくる配分における公平の制約を重視することは全くありそうもないものとなるにちがいないからである(2)。」およそ現代の自由主義の論議とは、かつてミルが苦しんだ理論問題に関する新たな角度からの取組みといってよく、いずれにしろこの功利主義哲学の解釈とその批判に一つの特色がある。
  なるほど、功利主義が自由主義思想の哲学的基礎を提供してきたとすると、その基礎理論にたいする批判や反論があるのは当然といえる。幾度か繰り返されてきたこの種の論争が今日、思想領域における新たな基礎理論の構成などの知的作業によって、いわゆる「政治哲学の復権」と呼ばれる現象を引き起こしている。差し当たりその経緯に関しては出版された文献のリストを作成すれば容易に理解できよう(3)。一九七〇年代になって展開された欧米でのリベラリズム論争はその取り上げられたテーマから推し測っても多岐にわたる。また、論者の政治的立場にも当然のこととして差異があり、さらに主張される論理の構成は厳密さと同時に広がりをもっており、そのような論争の要約は誤解のそしりを免れえないであろう。したがってこの論争で何が問題になっているのか、主な議論の整理に限定して話を進めよう。
(b)  ジョン・ロールズの正義論の問題
  欧米の法・政治思想史では正義論は伝統的なテーマの一つであり、ことさら目新しいものでない(4)。にもかかわらず、ロールズが論文「公正としての正義」(一九五八年)の発表以来その思索の跡を集大成した『正義論』(A Theory of Justice, 1971)を公刊するや、この大部の著作は各方面からの反響を呼び起こし、政治哲学の分野では「政治哲学の復権」の契機ともなった。規範倫理学の立場から追究されたこの著作が注目を浴びたのは、ほかでもない功利主義にとって代わるべき社会契約モデルによる正義論の構築が見られたからである。そしてこの批判的な作業がすでに指摘したように従来の自由主義論の根本に触れる問題であっただけに、政治思想分野からの反応も様々なものがあった(5)
  周知のようにロールズの正義論は、自然状態のモデルを設定して公正としての正義概念の理論、その実践的展開としての制度論、そして正義論が社会的価値と共同体の善に関連する諸問題を取り扱う諸目的について体系的に叙述したものである。この道徳哲学の著作の特色とは、現代の社会倫理的な諸問題を念頭においてそれぞれの人が道徳的主体として生きてゆくうえで必要な正義感の問題に言及し、社会の基本枠組みとなる制度構想の原理を明確化したことにある。総じて、本書の目指すものとは究極的には福祉国家の正当性を提示しようとする壮大な理論的試みにほかならない(6)
  このような体系的で緻密な理論でもって展開される『正義論』は、正義原理を導出し正当化するにあたって、まず功利性の原理の批判に向かう。『正義論』によると、古典的功利主義の正義論には次のような問題がある。「功利主義的な正義観の際立った特徴は、間接的な場合を除き、個々人が自分の満足を人生にどう配分するかを問題にしないのと同様、間接的な場合を除き、この満足の総和が、個々人にどのように配分されるかを問題にしないことである(7)。」すなわち人間はそれぞれが固有の人生目標をもち、それゆえそこに多様で独自な生活が展開されるはずである。合理的な欲求の充足を「善」とみなしその最大化を図ろうとする功利主義では、まずこのような個人の多様化・独自性への配慮が欠如している、いいかえると「願望の質」の区分が見られない。また社会での最大満足の実現、つまり「善」の総量を「正」(正義)と捉える目的論的教義の思考方法では、多様な各人の間にどのように「善」が分配されるのかというそれぞれの人にとっては極めて切実なかつ実質的問題が軽視されてしまう。
  結局、このような功利主義の欠陥とは、なによりもまず「善」を「正」から切り離して捉え「善」の最大化なるものとその追究を「正」として規定した点にある。こうした「善」を独立的な位置におく功利主義的正義論は、ロールズの表現によると「目的論的理論」として批判の的になる。また、田中成明が説明しているようにその議論には「個々人の自由・権利の要求と全体的な社会経済的福祉の増進の望ましさ(8)」という二つの問題に原理上の区別がなかった。功利主義における「願望の満足」に関わる次の一文にロールズの考えがよく示されている。「功利主義ではどのような願望の満足も、それ自体、何が正しいかを決めるのに考慮されなければならない、何らかの価値を有する。満足の最大の残高を計算する際には、間接的なものを除き、その願望が何のためであるかを問題にしない。われわれは満足の最大の和を得るように制度を取り決めようとするのであり、それらの満足が全体としての福祉にどのように影響するのかという点を除いては、満足の源泉や質は問われないのである。社会福祉は、直接に、そして専ら、個々人の満足あるいは不満足の水準に依存しているのである(9)。」「願望の満足」も個人と社会一般のレベルでは異なるし、またその他の諸々の願望とともに強さも違う。したがって社会は、われわれの熟慮においてそのような願望に「ウェイト」をつけねばならないであろう。
  ロールズは以上のような批判的な立場に立脚して、「公正としての正義」の理論構築を急ぐ。かれにとって、「善」とは道徳的に中立的なものとして純形式的に規定される。すなわち、「善の定義はまったく形式的なものである。それは単に、ある人の善が最高部類の計画の中から思慮ある合理性をもって選択される合理的な人生計画によって決定される、ということを述べているにすぎない(10)。」したがってまた、各人が抱く「善」についての多様な見方はそれ自体善きものとして承認される。
  だがかれの場合、このような「ある人の合理的な人生計画の首尾よい遂行(11)」という「善」は、「正」との関連性において論じられ、古典的功利主義の場合とは逆に「正」(正義)の諸原理が「善」にたいして優先される。では制度に関する正義の原理とはどのようなものか。それは正義の二原理とよばれ、その間には優先順位がある。まず第一原理は平等な自由原理、すなわち「ある人は、全ての人の同様な提携と両立する平等な基本的自由の全体体系を最大限度までもつ平等な権利を有するべきである(12)。」ロールズにとって、このような平等な自由原理と自由の優先のルールの定立は、全体として社会経済福祉の増進を図り、また理論上とくに少数者の基本的自由を犠牲にすることを正当化しうる功利主義的正義論がもっていた弱点を克服するものであった。
  次に第二原理は格差原理と呼ばれ、富や収入、機会と権力の適正な配分を規整する。すなわち、「社会的、経済的不平等は、それらが次の両者であるように取り決められるべきである。(a)正義に適う貯蓄原理と矛盾せずに、最も恵まれない人の便益を最大化すること。(b)公正な機会の均等という条件の下で、全ての人に解放されている職務や地位に付随していること。」そして公正な機会は格差原理に優先するとして「機会の不平等は、機会のより少ない人々の機会を高めるのでなければならない(13)」という。
  現代では平等概念が文明の進展とともに広く社会に浸透して、それだけに一層重要性をましていることは指摘するまでもない。にもかかわらず、この平等という価値概念について公共政策の次元を射程にいれた哲学論議は限られた分野以外に広がらない状況にあった。ロールズはいわゆる格差原理を導入することによって、社会的、経済的利益の配分問題が鋭く問われている現代的課題に道徳哲学から迫り、国家の存在理由を問うまでにいたる。われわれは、実際にますます高まる実質的平等の要求に直面して、この新たな平等原理の提唱に異を唱えることは難しい。田中成明はこの正義論、とくに格差原理を自由主義原理との関連性において捉えこう評価する。この原理の斬新さとは「人々の出自・才能等々社会的・自然的偶然によって社会経済的利益の配分の決定が左右されるのは道徳的観点からみて恣意的であるとみる立場から、社会の最も不利な状況にある人々の社会経済的利益の最大化のために合理的に必要と考えられる場合には、そのかぎりにおいて社会経済的不平等が正当化されうるという、古典的自由主義原理を超え出てそれに重要な制約を加える独創的な平等原理の新構成が提唱されている(14)」ことにある。
  元来、ホッブズやルソーの社会契約説は国家論と正義論との交錯のうえに成り立っている。この視角から見ると、ロールズが正義論からアプローチしているとはいえ、明らかにかれは西洋の自由主義の伝統を継承し、その延長線上で作業を進めている。現代社会における「善」を制約する新たな「正義」原理の出現は、明らかに本来自由主義の構成要素である自由と平等の価値の超越性を確認することに基づき、そのうえに立って「平等な基本的自由」の合理的な内容を丹念に理論化した成果にほかならない。それは同時に価値の錯綜する現代の社会制度の次元にむけての積極的な問題提起として理解できよう。したがって、かれの正義論から社会的正義の実現にむけての論理を引き出すことはたやすいが、この議論の性格からして直ちにいわゆる福祉国家論への道程を見出すことは難しい。というのはこの正義の理論が提起した諸原理とその考察は、あくまで倫理学や法哲学の思弁的制約を免れることはできないからである(15)
(c)  ノージックの最小国家論の問題
  およそロールズの正義論の特徴が反功利主義と強い平等主義への志向にあるとするなら、これにたいして自由尊重主義(libertarianism)の立場から論争を挑んだのはロバート・ノージックである。もちろんロールズの理論には様々な批判があったが、われわれがノージックの反駁書『アナーキー・国家・ユートピア』(Anarchy, State, and Utopia, 1974)に注目するのは、それが「最小国家」(minimal state)の正当化論を基底に捉えた政治哲学にほかならないからである。この著作では、「暴力・盗み・詐欺からの保護、契約の執行などに限定される最小国家」は正当とされるが、それ以上の「拡張国家」(extensive state)は個人の権利を侵害するものとみなされ、不当とされる(16)。この主張は、分配的正義の実現を目指し福祉国家を志向するロールズの正義論、つまり拡張国家の正当化論とは対極的な位置にある。
  ノージックの理論の出発点はあくまで個人の自由であり、またそれが理論の核心ともなっている。かれによると、「存在するのは別々の命をもった異なった個人たちなのであって、誰をも他の人々のために犠牲にすることはできない。」この根本的理念は「われわれが別々の存在である」という事実の反映にほかならない(17)。したがってこの理念に立脚すれば、ある一人の命が他の人々の命の価値よりも道徳上優越するということはありえず、そこからより大きな全体としての社会的善を引き出すことはなおさら不可能である。
  では、このような論理的起点から展開されるノージックの功利主義批判とはどのようなものか。その批判の特徴を正義論の視点と関連させつつ大雑把にみておこう。かれもロールズと同様、功利主義の目的論的正義観を批判する。正義の核心に個人の権利の尊重を求めるかれにとって、個人を他の人々の、また社会一般のための手段とみなすような功利主義は容認しえない。すなわち「功利主義理論は、他者のどんな犠牲からも他者の失う効用より途方もなく大きな効用上の利得を得るような功利の怪物の可能性によって窮地に立たされる。なぜならこの理論は、全体の効用を増大させるために、我々のすべてがこの怪物の胃の中で犠牲になることを要求するように思われるが、これは受け入れられないからである(18)。」かれは「功利の怪物」という巧みな比喩によって個人の権利が侵害される光景を描き出す。
  視点を変えれば、功利主義とは量的拡大化の論理であり、ある人の幸福追求が大量の殺戮をも容認する論理にさえなる。先の著作から一例を引く。「幸福の総和の最大化は、個々人の正味の効用が正で、この世界に彼らが存在することに起因する他の人々にとっての効用の損失を償うに十分な限り、その人々を加え続けることを要求する。[一方]効用の平均値の最大化は、もし一個人が他のすべての人を殺すことが彼を有頂天にさせ、それゆえ平均値より大きな幸福を彼に与えるのであれば、彼がそうすることを容認する(19)。」概して功利主義の論理では、諸個人の権利実現の総和の最大化にむけて、その集合目標が設定される。その場合、目標達成のために個人それぞれの権利は優先されるどころか、権利侵害(の最小化)が幸福の総和に取って代わることになる。かれはこうした功利主義に内在するパラドックスを「権利功利主義」(utilitarianism of rights)と呼んで批判している(20)
  いずれにしろ「最小国家」の正当性を真正面から取り上げたかれの議論では功利と正義と権利の三者の関係が問題となる。すでに述べてきたことから分かるようにノージックは、ロールズ同様に功利主義を批判の俎上にのせ、他方でロールズの「構成としての正義」論を拡張国家の正当化論、つまり福祉国家の擁護につながる立場として退けるのである。
  では最小国家を擁護するノージックの主張とはどのようなものか。かれはロックの「自然状態」に類似した状態にある諸個人から議論をはじめる。諸個人は、自己の権利の実行や自己の防衛などの保障を求め、そのため自己利益という判断基準を基に合理的な個人として振る舞う。この状態での各人の権利保障については、様々な理由、例えば公共精神とか友人であるとかのために複数の個人によって構成されるグループ「相互保護協会」がいくつも形成され、その結果、こうした相互の保護的協会の働きが個人の権利侵害を阻止していくと説明される。この形成過程においてスミスが考えたような仮説「見えざる手の説明」の導入によって「支配的保護協会」(the dominant protective association)が成立する。自然状態から「超最小国家」(ultraminimal state)とかれが呼ぶこの支配的保護協会の成立を経て、はじめて最小国家への移行が説明される。すなわち「一つの地理的区域内にいるほとんどすべての人は、彼らの競合する[権利]主張について裁定しその権利を執行するような何らかの共通の制度の下にはいることになる。無政府(アナーキー)状態から出発して、自発的なグループ形成・複数の相互保護協会・分業・市場の圧力・規模の利益・合理的な私利などの力によって、一つの最小国家(minimal state)または地理的に区別された最小諸国家による集団が生成することになる(21)。」
  この移行の経緯は様々な批判を招くことになる「見えざる手の説明」と保護契約の論理にしたがって説明される(22)。この説明の過程には自律的な個人のもつ権利を制約する道徳的制約、すなわち個々人は目的なのであって単なる手段ではないというカント的原理を反映する「付随制約」(side constrains)の理論も組み込まれている。個人それ自身が目的であると考える場合には、その人の同意なしに、他者の目的達成のために犠牲にされたり利用されたりすることは許されない。とはいえその個人の権利への制約が全く不可能なわけではない。この付随制約は他者の人格の不可侵性を示すもので、ある「制約」侵害を禁じることはできる。つまり「他人に対する攻撃を禁止する、自由尊重主義的な付随制約」の設定である(23)。ともあれ最小国家にいたる理論的道程は、事例説明によるかなり複雑な論理の展開を伴う「物語」的性格を帯びているといってよい。
  そこで差し当たり「最小国家」と「超最小国家」の相違とはいかなるものか、この点に関してのみかれの説明に検討を加えておこう。まず「最小国家」とは、夜警国家のことである。この国家の役割は構成員である市民すべてを暴力・窃盗・詐欺から保護し、また契約の執行などに限定される。他方、この国家はある人々に他の人々に対する保護の費用負担を求める、つまり再配分機能をもつ。そしてこの機能を欠如したものがかれのいう「超最小国家」にほかならない。
  緊急の自己防衛に必要なものを除くすべての実力行使を独占する「超最小国家」は「不正に対する報復や賠償の取立を私人(またはその代理機関)が行なうことを排除するが、保護の執行のサービスを、それの保護・執行[保険]証券を購入した者のみに提供する(24)。」つまり「一領域内の支配的保護機関(25)」としてのこの独占体から保険証券を購入せず、保護契約を交わさない者は保護から除外されるわけだから、これと契約した人々との関係は明白であり、したがって各人はその他の人の権利を侵すこともない代わりに、だれかのために何かをするという義務も生じない。
  一方、このような意味での国家では強制的徴税機能を用いての再配分は、個人の権利侵害の問題を引き起こし、また、道徳的付随制約を侵すことになる。
  この点をやや敷衍して述べると、ノージックが二つの国家を区別し、その指標に「再配分的機能」を設定したのはなぜか、ということが理解できる。この疑問こそ、こうした「超最小国家」のもとで提起される道徳的上の解決すべき問題に深く関連する。すなわちこの国家では、ある個人が自己の隣人の保護のための出費には関与しないから、そのための出費を拒否されても国家にはそれを強制したり、あるいはそのために個人を処罰の対象にすることはできない。超最小国家の支持者にとって、かれの諸権利の侵害からの保護に多大の関心を払うのがこの国家の唯一の正当な機能だからである。
  「最小国家」の場合、確かに何人の権利の侵害もない状態が想定されているが、特定の再配分の必要が生じたとき、そのために力の使用が可能なのである。ノージックによると、力が正義をつくるとの前提には立たないが、力が諸々の禁止に実効性を与えるということに鑑み、その行使にはある権原があるとする。この権原理論(the entitlement theory)とは、所有はいかに可能であるかを説明するもので、所有の正当化と正義の原理とが結び付けられて展開されている点に理論構成の特徴がある。かれの狙いは、ロールズの説くような格差原理による社会的弱者の救済について、それがいずれにしろ配分的正義に基づく以上、国家機能の増大を招くものとして拒否することにある。
  体系的な権原理論の核心とはあくまで個人の選択にある。「各人からは、その者が〔提供〕する気になるものに応じて〔調達し〕、各人へは、その者が自分で(場合によっては契約による他人の助力を得て)手に入れたものと、他人がその者のために〔提供〕する気になるもの〔サービス〕や、以前に他人が(この公準に従って)〔さらに他から〕与えられまだ費消も譲渡もしていないもので、その者に与える気になるもの、に応じて〔与えよ(26)〕。」このような個人の選択=自主的判断を基にする権原理論は「保有物の正義の原理」に依拠して推し進められる。だが、権原理論についてこれ以上綿密な論理の展開の跡を辿る必要はない。この理論の導入によってかれが最小国家には道徳的正当性があると主張したことを確認できればよい。
  ノージックにとって、国家を強化しその機能の範囲を拡大することは、国家自体を一層「値うちある賞品(27)」にすることに他ならない。結局、そのことは国家の腐敗をさらに助長してゆくだけである。もちろん、最小国家論の主張は、単に個人の権利保障のみをめざしているわけではない。国家の賞品化をめぐる争いから国家そのものを救うという意図も読み取れる。「経済的党派が自分達の目的のために不当に国家を利用することの基礎には、他の人々を犠牲にして一部の人々を豊かにすることが出来るような不当な権力が前もって国家に備わっている、という事実がある。…(中略)…最小国家は、権力や経済的利得を求める者によるこのような国家の奪取や操作の機会を最も大きく減少させる(28)。」この一文には現代国家にたいするかれの批判的認識が表明されていて興味深い。
  ともあれロールズの説くような新たな正義の原理に基づく拡張国家論であれノージックのような個人の権利を核として主張される最小国家論であれ、いずれの立場においても国家の道徳的正当性と正義との関連性が重視されていることには変わりはない。その意味では、かれらの知的営為は規範的な現代国家像の形成にむけての論議に大きく貢献している。とはいえ、われわれの問題関心からすると、こうした論述が緻密な論理の展開によるものではあるが、そこからは十分把握しえないような問題が依然として残っているように思われる。その問題の一つに自由主義の想定する政治主体としての個々人の捉え方の問題がある。すなわち現代社会に基盤をもつ社会の中の個人の変容についてである。その社会は、社会学的に表現するとアノミー(倫理的側面)とアパシー(政治的側面)と呼ばれる社会病理の状況を呈している。このような社会認識の視角に立つ議論が必要なことはいうまでもない。先の二つの理論では、個々人の自由や自律性への信頼とその主体への訴えは見られても、かれらの意識の変容は議論の外に置かれているといえないか。この点について、「共同体論」の立場から問題を提起する論者の見解を検討することがわれわれにとって有益であろう。
(d)  共同体論からの問題提起と議論の射程
  一九八〇年代に入ってすでに述べてきたような正義論や個人の権利論を基軸とする現代自由主義に関する論争にいわゆる共同体論者が加わり、その論議は複雑さを増してゆく。一般に「共同体論」(communitarianism「共同体主義」とも訳される)の立場とは、井上達夫によれば「従来の論争をリベラリズムの「内輪揉め」とみなし、リベラリズム全体の共通の前提と考えられた、個人主義的な人間像・社会像そのものを批判し、「共同体の要求」の、法哲学・政治哲学における復権をめざす(29)」ものである。その代表的な論客にはM・サンデル、A・マッキンタイアやC・テイラーらがいる。なるほどかれらの議論の基本をなす個人主義批判と公共的な徳に基づく共通善の政治とは、西欧の政治思想の伝統に照らせば繰り返し論じられてきたテーマといってよい。にもかかわらず、その主張が論議を呼ぶのは様々な選択を迫られる個々人の置かれた状況を踏まえており、また「自我」(self)の観念の分析などにみられるように言語学の成果を取り入れ、さらには、広く社会的背景をも取り込んで、人間のあるべき姿を追究する倫理的態度にある。
  すでにわれわれは、自由尊重主義者(リバータリアン)のみならず、広くリベラリストの理論的特徴を概括した。かれらは国家と個人という理論枠組みのなかで「個人」の再重視に傾斜し、功利主義に依拠した「善」の観念よりも「正義」の観念を議論の全面に押し出していた。つまり現代自由主義の課題は「善から区別された社会構成原理としての正義への問い(30)」にある。したがって、共同体論者(communitarians, コミュニタリアン)らが自らの正義に関する見解を交えて自由尊重主義者らに論戦を挑んだのは当然といえよう。もちろんその議論は広がり自省的主体性論をはじめとして様々なテーゼがかれらに突き付けられる。いま、人間的主体性の問題に限れば、サンデルは、社会的存在としての「自己」という捉え方に疑問を呈し、それを批判的論拠にして反功利主義的自由主義に立ち向かう。サンデルにとって、一切を自己の選択により創造する自我、純粋選択意思主体としての「負荷なき自我」(unencumbered selves)の観念など到底理解できない(31)。こうした自我に対する論難はカント哲学にさかのぼって展開されている。逆に共同体の観念が貧困化したのは、善き生の構想が個々人の自由な選択の対象となり、したがってそれにアイデンティティをもたない限り、この生の観念も相対化され矮小化してゆくからである。
  また、C・テイラーは近代の政治哲学に支配的な人間観を「政治的アトミズム」として捉え、それが義務に対する権利の優先理論の背景にあると指摘する。一方、一般に人間が言語なしに生きることが難しいとするなら、この逃れえない「言語の網の目」と人間との関係こそ重視しなければならない。こう考えたかれは、語る主体としての人間、すなわち「自己解釈的な主体」を理論の中心に据えて、この自己と他者との対話から生れるアイデンティティと自由の価値についての共通理解に基づく共同体像を提示した(32)
  さらに、マッキンタイアの『美徳なき時代』(After virtue, 1981)では、諸個人が活躍する共同体とはいかなるものかがその概念史像の変遷とともに綿密に考察されている。かれの場合、「善」と結びつけられた「徳」の定義は、共同体的な人間生活を前提にしている。しかもそれぞれの人生を一つの全体として、つまり「人生の統一体」と見て諸個人が「人間にとっての善き生」を求めるものとする(33)。こうした生を生きるとは環境によって具体的に変化する点を踏まえて各人は自分の家族や都市、また民族の過去から「負債と遺産、正当な期待と責務をいろいろ相続(34)」し、これらがその人の人生の所与となり、かれの道徳の出発点にもなる。いま述べたような伝統に裏付けられた社会環境から善き生を生きるための諸徳が形成される。
  ではその徳とは何か。マッキンタイアによると、「徳とは、獲得された人間の性質であり、その所有と行使によって、私たちは実践に内的な諸善を達成することができるようになる。またその欠如によって、私たちはそうした諸善の達成から効果的に妨げられるのである(35)。」ここで示された徳とは正義とか勇気とか正直とかいうもの、つまり「本物の卓越性」であり、これらは人々が社会生活を営もうとすれば、身につけねばならないものである。したがってこうした諸徳は「私たちの私的な道徳の立脚点(36)」となる。そしてこの徳が形成され、各人がそれを獲得する場こそ歴史と伝統が共有される共同体にほかならない。
  ところで、この議論の長所とは、それまでの国家と個人という二項対立的な発想から脱却して、三項対立のいわば三角形の図式のなかで個人の位置が検討できることにある。また、ロールズの人格理論の欠点を衝くサンデルの議論からはある個人が他者とのあいだに形成する様々な連関が明確になり、総じて「共同体論」を導入すれば新たな人間関係に立脚した個人像を描ける可能性が生れてくる。なるほど、こうした従来の思考枠組みを乗り越えた議論は、現代自由主義の原理的次元の領域(法あるいは政治哲学)にとって大きな意味をもつ。だがすでに述べたように自由主義は、広く体制概念をも包摂した政治的立場であったことが想起されねばならない。この点を考慮すると、自由主義の政治的空間と政治主体の形成の問題が浮かび上がってくる。そこで「共同体論」における「共同体」像とはどのようなものか、極く簡単に検討しておく必要がある。
  例えば、前掲の著書の掉尾でマッキンタイアは「礼節と知的・道徳的生活を内部で支えられる地域的形態の共同体(37)」の建設を訴えている。この道徳的な共同体は、ほぼ共和主義的な性格をもつ政治的共同体として考えられるが、その中で人々はかれが「諸徳」と呼ぶものを「実践」する。この実践とは複雑な形態をとる人間活動の総体であって、「社会的に確立された協力的な人間活動(38)」と説明されている。
  かれのいう「社会」と人間像をより鮮明なものにしようとすれば、ロールズ批判にその手掛かりがある。かれによれば、ロールズの場合、社会は諸個人からなっていて、各個人は独自の利害関係をもつ。それゆえ「寄り集まって生の共通の諸規則を定式化する必要がある。」その際、分別ある合理性が唯一の制約となる。この説明では個人が第一で、社会は第二となる。また「個人の利害の同定は、諸個人を結ぶ道徳的・社会的絆の構築に先立ち、それとは独立である(39)」。このような非社会的な個人主義に立脚したロールズの正義論とは、まさにその個人の存在にとって不可欠な共有の社会的前提を欠如したものとして論難されるのである。というのはマッキンタイアは、道徳と政治的評価が行なわれる場では合理性や客観性を支える基準それ自体が諸個人の複雑な関連性のもとに形成されてきた伝統や徳などの社会的基盤に依存している、と考えているからにほかならない。
  ここに提示された「共同体論」の社会と人間像には、競争原理によって人間関係が希薄化し、対立化する自由主義の人間像(自律した個人)への批判がこめられている。だが極論を許されるなら、この共同体論は、たえず人間関係を手段化する市場経済の論理にたいして人間性の回復を目指すがゆえに、共同体そのものに過剰な期待をかけている、といえないか。個の論理を優先するのか、あるいは共同体(広く社会)のそれを優位に置くのか。この問題はルソーをまつまでもなく、政治思想における論争的テーマの一つである。また、各人は自らの道徳的同一性を家族、近隣、都市、部族などの諸共同体の一員であることをとおして見出す必要がある、と考える共同体論ではそれぞれがある伝統の担い手として位置づけられる。「私は過去を伴って生れたのだ(40)」という表現に端的に示された社会的過去としての伝統の重視が改めて、「伝統」に関する概念論争を呼び起こしたことは周知のとおりである。
  自由尊重主義者が依拠する「個人」にしろ共同体論者が主張する「伝統」や「共同体」にしろ、いずれも近代以降の政治思想の基礎概念である。それゆえ、自由主義論を整理する作業は、結局、それまで用いられてきた様々な社会科学の概念の再検討につながってゆくことになる。



(1)  功利性原則と正義についての論考は数多くあるが、差し当り、J・S・ミルを中心にした平尾透『功利性原理』(一九九二年、法律文化社)二九〇頁以下参照。
(2)  J. Gray, op. cit., p. 53. 前掲訳書八五頁(訳文は中谷)。ここでいう「危害予防」(harm-prevention)についてはミルの『自由論』に典拠がある。井上達夫によると、法を使って他者に強要することを正統化する、公的に受容可能な論拠の同定を可能にし、それによってかかる法的強制の限界をも画するような原理について、一つの古典的解答を与えた思想家がJ・S・ミルである。その原理が「危険原理(the harm principle)」である。「この原理によれば、法的に授権された強制や、他の重大な社会的圧力行使の、唯一正統な根拠は、他者に危害を加える行為の抑止である。この原理の力はその否定性にある。他者関係的危害行為の抑止以外のいかなる考慮も、法的・社会的強制を正統化できない。これより、道徳主義的およびパターナリスティックな干渉は、一切排除される。」井上達夫「共同体の要求と法の限界」(『千葉大学法学論集』四巻一号(一九八九)、一二二ー一二三頁。
(3)  藤原保信『政治哲学の復権』では、広く政治哲学の復権(J・ロールズ『正義の理論』R・ノズィック『アナーキー・国家・ユートピア』R・ドゥウォーキンの所説・『権理論』など)、目的論の復権(C・ティラー『行動の説明』など)、自然法の復権(シュトラウス『自然権と歴史』など)、実践哲学の復権(M・リーデル『実践哲学の復権』など)と分類されて、この間の研究状況が紹介され、また政治哲学の必要性が語られている。
    外国語文献、とくに近年の英語文献について主要なものを列記しておく。
        Ackerman, B., Social Justice and the Liberal State (Yale Univ. Press, 1980)
        Berlin, I., Four Essays on Liberty (Oxford Univ. Press, 1969)
        Dworkin, R., Taking Rights Seriously (Cambridge, Mass., 1978)
        Gray, J., Liberalism: Essays in Political Philosophy (Routledge, 1989)
        Hayek, F. A., The Constitution of Liberty (London and Chicago, 1960)
        Kymlica, W., Liberalism, Community and Culture (Oxford Univ. Press, 1989)
        MacIntyre, A., After Virtue (Duckworth, 1981)
        Moore, M., Foundations of Liberalism (Clarendon Press, 1993)
        Mulhall, S., & Swift, A., Liberals & Communitarians (Blackwell, 1992)
        Nozick, R., Anarchy, State and Utopia (Blackwell, 1974)
        Sandel, M., Liberalism and Limits of Justice (Cambridge, 1989)
        Rawls, J., A Theory of Justice (Harvard Univ. Press, 1971)
        Raz, J., The Morality of Freedom (Oxford, 1986)
        Rosenblum, N., (ed.) Liberalism and The Moral Life (Harvard Univ. Press, 1989)
        Taylor, C., Sources of the Self (Cambridge Univ. Press, 1990)
        Wolfe, Ch., & Hittinger, J., Liberalism at the Crossroads (Rowman and Littlefield Publishers, 1994)
(4)  藤原保信「政治理論における「正義」の問題」(同著『正義・自由・民主主義』(一九七六年、御茶の水書房、所収)参照。
(5)  近年の論考では飯島昇藏「ロールズー正義と平和ー」(年報政治学「政治思想史における平和の問題」一九九二年、岩波書店、所収)がロールズの「公正としての正義」の内容を紹介し、かれの正義論と平和論との関連性を分析している。一二九頁以下参照。川本隆史「ロールズー《公正としての正義》から《政治的リベラルズム》へ」(藤原・飯島編『西洋政治思想史』II、一九九五年、新評論、所収)はロールズの最新の著作、『政治的自由主義』(一九九三年)を取り上げ、『正義論』との関連を追及している点で興味深く、とくにある政治思想史家のロールズ批判を整理しているので、政治思想研究からの反応が分かる。四一〇頁以下参照。
(6)  J. Rawls, A Theory of Justice (Harvard Univ. Press, 1971) 矢島鈞次監訳『正義論』(一九七九年、紀伊国屋書店)、彼の論文集、ジョン・ロールズ、田中成明訳『公正としての正義』(一九八四年、木鐸社)があり、正義論の理論的生成を知るうえで役立つ。
(7)  矢島監訳『正義論』一九頁。
(8)  田中成明「正義・自由・平等ージョン・ロールズの「公正としての正義」論再説ー」(法哲学年報「正義」一九七四年、有斐閣、所収)七六頁。
(9)  前掲訳書、三二頁。
(10)  前掲訳書、三三一頁。
(11)  前掲訳書、三三八頁。
(12)(13)  前掲訳書、二三二頁。
(14)  田中成明前掲論文、九一ー九二頁。実質的平等の要求を前提にしたロールズの「区別原理」がいわゆる社会における逆差別の方式をとっている点に平等原理の転換が指摘できる。田中はこの論文で「ロールズの「区別原理」は社会的・自然的偶然のおかげで個々人に与えられたりまた個々人が取得した能力・才能・技能等々を一つの社会的な共同資産とみなして、それらを社会のすべての人々、とくに最も不利な状況にある人々の利益のために利用すべしという、従来の平等原理の視座の転換を迫るユニークな平等へのアプローチを提唱している」と評価している(同九三頁)。
(15)  ロールズの正義論について批判的考察を加えた著作として、井上達夫『共生の作法ー会話としての正義ー』(一九八七年、創文社)第三・四章参照。
(16)  R. Nozick, Anarchy, State, and Utopia, Basil Blackwell, 1988. 嶋津格訳『アナーキー・国家・ユートピア』上下(一九八五年、木鐸社)p. ix. 同訳書、i頁。
(17)  嶋津前掲訳書上、五二頁。
(18)  前掲訳書上、六五頁。
(19)  前掲訳書上、六六頁。
(20)  前掲訳書上、四四頁。
(21)  前掲訳書上、二五頁。「保護協会」(protective association)とは、井上達夫によると、自然権侵害に対して諸個人がもつ刑罰権・補償請求権や、他者による信頼可能性のない権利実現手続の適用に対する諸個人の差止め請求権などを委託されることにより、諸個人の権利保障を請負うもの。この協会はその顧客たる個人と契約を結ぶ非国家的な企業体である。井上『共生の作法』一六八頁。
(22)  ノージックの場合、国家は契約によって設立されるのではない。最小国家は「見えざる手説明」、すなわち「被国家的企業体たる複数の保護協会の間の競争から市場メカニズムに基づき、意図されざる結果として現出する。」井上、前掲書一八二頁。
(23)  前掲訳書上、五二頁。
(24)  前掲訳書上、四一頁。
(25)  前掲訳書上、八二頁。
(26)  前掲訳書下、二七一頁。
(27)  前掲訳書下、四四四頁。
(28)  前掲訳書下、四四三頁、四四九頁。
(29)  井上達夫「共同体論ーその諸相と射程」(法哲学年報一九八九年、有斐閣、所収)六頁。
(30)  井上『共生の作法』二一六頁。
(31)  M・J・サンデル、菊地理夫訳『自由主義と正義の限界』(一九九二年、三嶺書房)黒ナ参照。
(32)  田中智彦「テイラーー自己の解釈的な主体と自由の社会的条件」(藤原・飯島編『西洋政治思想史』II、一九九五年、新評論、所収)四六三頁以下参照。
(33)  マッキンタイア、篠崎訳『美徳なき時代』、三三頁参照。
(34)  前掲訳書、二七〇頁。
(35)  前掲訳書、二三四頁。
(36)  前掲訳書、二三六頁。
(37)  前掲訳書、三二一頁。
(38)  前掲訳書、二三〇頁。
(39)  前掲訳書、三〇五頁。
(40)  前掲訳書、二七一頁。


三  自由主義論における国家の位置
(a)  自由主義的国家像のずれの問題
  以上見てきたような現代の自由主義に関する議論では、それぞれの論者が想定する国家像あるいは国家観があって、それらが主張される諸論理と微妙に絡む。本来自由主義の教義は、政治的秩序の再編という革新的な性格を帯びており、新たな政治的共同体(コモンウエルス)の創設のために案出されたもの、といえよう。およそこの思想的性格を現代自由主義が継承し、その思考に即した理論枠組みの作用がある以上、議論が広く国家像におよぶのは当然である。もちろん、その国家像については論者によって相違があるし、論争の当事者間でも国家像の捉え方にはずれが見られる。概して自由主義が自由主義国家と市場経済体制とを包括する理論だとすると、自由主義体制とは何か、という問題は避けられず、その議論に伴う狭いイデオロギー的陥穽に落ち込まないような工夫もいる。繰り返すと、この理論が法・政治哲学で盛んに論じられてきたいわゆる自由・権利や正義という原理次元の問題のみならず体制の概念をも射程に収めたものであった点を確認しておけばよい。
  さて自由主義は一般に国家を必要悪とみなしてきたとはいえ、その国家イメージについては論者によって異なる。すでに検討してきたような現代の自由主義論では最小国家と拡張国家という対立的国家像が浮かびあがってくる。例えばノージックの場合、最小国家は正義の歴史原理によって正当化される。すなわち配分が正しいか否かの問題は、その配分がどのような歴史的経緯によって成立したのかに依拠する。正義の歴史原理が「人々の過去の環境や行為が色々な物に対する差異を伴う権原と資格を生み出しうる(1)」ので、この歴史の「権原原理」に基づく最小国家こそ「正当化可能な国家として最も拡張的なものである。それよりも拡張的な国家は、それがどんなものであろうと、人々の権利を侵害する(2)」と主張する。かれのような個人権理論の立場は国家の拡張をおそれ、この最小国家さえ「最も拡張的な国家」(the most extensive state)として理解する。以前にも触れたようにかれにとって最小国家とは「夜警国家」にほかならないのである。
  一般に自由主義的国家が「夜警国家」とか「最小国家」として語られる場合、その言葉は厳密さを欠くことが多い。国家論のレベルで自由主義とは厳密な規律によって政府の活動が制約されることを要求することにほかならず、そのことが「小さな政府」論を生み出す。大雑把な言い方をすれば、「夜警国家」も「最小国家」も「小さな政府」も政府の権限とその機能の拡大を求めない立場では共通しており、その点で自由主義的国家論の部類にはいる。こうした国家の議論は、政治を至上価値とすることへの批判と人間の政治的営みの限界についての認識に支えられている。したがって、この議論は政治思想の文脈からいえば、モンテスキューの唱えたような穏和な政体論、つまり制限政体論の系譜に位置付け考えればよい。
  ところが、自由主義的国家は即最小国家ということにはならない。この種の議論に必要なことは国家の規模、その機能の問題と制限政府の問題との関連性についての整理にある。なるほど厳密な制限政府の立場に立つノージックは、政府の機能は必ず権利の保護と正義の保持に限定されねばならない、と主張した。かれの最小国家の理念の核心こそ厳格な制限政府論にほかならない。だが、この主張は自由主義の思想的伝統では少数意見である。大多数の自由主義者は、権利の保護のみならず、国家による広範なサービス機能の必要を認めているからで、かれらは制限政府の擁護者といえても、最小国家の支持者に数えることはできない。この国家理念のあいまいさについてJ・グレイは、「もっぱら権利を保護する以上に出ない最小国家の理念は、いずれにせよ保護されるべき権利が適切に具体的内容を与えられるまでは不確定な理念にとどまる。この具体的内容においてそのものが自由主義的内容を持たないかぎり、最小国家は社会主義国家でもありうる(3)」と論難する。
  また、元来立憲主義を標榜する自由主義には限定された政府というイメージはあっても、弱い政府は容認されず、むしろ強い国家が志向されていた、と考えられる。例えば、A・ギャンブルはこう指摘する。すなわち、「自由主義的立憲主義者は全て、一定の領域内での強い国家(a strong state)の信奉者であった。実際彼らは、自由が無政府状態に転化するのを防ぐためには、市民社会のエネルギーの解放そのものに、強い効率的な国家が必要であると論じたのである(4)。」いわば個人の権利保障の要求と強い国家のイメージとは、相補関係にあり、それゆえに政府の効率化と行政改革の促進が叫ばれたといえる。
  いずれにしても、自由主義論において国家の位置を明らかにする際、最小国家か拡大国家かという問題の立て方はその理念があいまいなだけに、議論は混乱を招き易い。まず自由主義的な制限政府(liberal limited government)の形体やその課題を問うことが肝心である。
(b)  制限政府の課題と政治的主体の問題
  一般に自由主義的な制限政府とはどのように考えられてきたか。その政府は古典的自由主義者の場合、明らかに立憲政府と同じ意味で捉えられていた。またそれはJ・S・ミルが批判したような無制限な民主主義政府とも異なる。自由主義政府の本領とは政府の権威によっては侵害されえない個人の自由・独立の領域の尊重にある。つまり政府の権威がつねにその活動にあたって法の支配によって厳格に制限されていることにほかならない。この要点を満たせば、政府の形体を規定する国家形態はイギリスのような立憲君主制でもアメリカのような立憲共和制でもよい。J・グレイによると、政府にたいするなんらかの立憲的な制約が欠如している場合、われわれには自由な秩序の存在そのものについて語ることができない、という事実が重要なのである。こうした制約に必要な制度装置の工夫に関連する、二院制や権力の分立などの問題は副次的なものにすぎない(5)
  ところで、すでに述べたように自由主義はその発展過程において民主主義と不即不離の状態にあった。その結果として現代の政治体制の次元で、自由主義が取り上げられるとき、自由主義ー民主主義体制あるいは自由民主主義体制として語られる場合が多い。この体制の特徴は、C・B・マクファーソンの場合、「選択の政治」(the politics of choice)とよばれ、競争する複数の政党の存在を前提に、多数の被治者が統治者を選択するという方法によって統治者にたいするある程度の有効なコントロールを行なう点にある(6)。そして、この体制のもとで展開される政府の活動とは、権威的なものであれ強制的なものであれ、個人の権利侵害に対処し、正義の保護や公的サービスに必要な最低限のものに制限されるべきだとされる。
  C・B・マクファーソンの体制論では統治者の選択とそのコントロールに力点があり、それを確認しておけば、体制ー政府論の次元で差し当たり検討すべき制限政府に関連するの問題は、その政府の役割とは何かという論点にしぼられる。古典的自由主義の時期にさかのぼった場合、A・スミスが社会の自生的秩序を維持するために政府の役割を明確にしようとして、その一般的機能、例えば司法、国防、公共事業や経済政策や文化的機能について論じたことはよく知られている。だが、現在の福祉国家論との関連で考えれば、強制手段をもつ政府の介入を極力排除しようとしたF・A・ハイエクの政府論が参考になる。というのは、かれが市場や私企業では供給できないサービスが政府によって大々的に行なわれる現代社会を念頭において、「法の支配」と経済・財政政策との関連性を詳細に考察したからである(7)
  例えば、かれが行政行為の領域で問題にするのは自由裁量権である。一般にこれは政府固有の機能と認められているが、かれにとってそれはあくまで「限定された裁量」にすぎない。政府の強制力は特定の目的に奉仕するものでない。重要な点はある規則の適用範囲と同時にそこに授けられる権力の限度の問題である。行政上の便宜を根拠にしばしば行使される裁量権についても、それは決して必要条件ではないという。すなわち、「規制が行政当局それ自体によって作成されるとしても、前もって適当に公布され、厳格に施行されるならば、立法行為によって行政機関に授けられる漠然たる自由裁量権よりは、むしろ法の支配に合致するであろう(8)。」
  また、政府の提供するサービスの増大は、それに伴う数多くの法の制定に拍車がかかる。その際、策定された政策は「社会的」目的を判断基準にされる以上、その概念の検討が必要となる。ハイエクは『法と立法の自由』のなかで「社会的」あるいは分配の正義について批判的な議論を展開して、社会立法の問題性を明らかにした。かれの議論では政府の機能が具体的な政策レベルにおいて取り上げられているため、政府論を考える場合にかれの著作は見逃すことができない。
  次に政治的主体の問題に移ろう。政府の権威の正当性が各個人(市民)の自主的に与えた同意にあるとするならば、この政治主体としての個人に議論が集中するのは当然である。すでに述べたように抽象的個人の概念による理論化とそれをめぐる問題が自由尊重論者と共同体論者との間で重要な論点になっていた。つとに大衆社会の到来とともに、このような理性的な個人の観念がその実態からみれば、仮構にすぎないと考えられていたといえ、ロールズにみられるように社会契約の理論枠組みではそれは依然として有効な位置を保持していた。つまり方法としての個人の観念の有効性である。自由主義理論では古典的なものであれ現代的なものであれ、この観念は理論の中心的な位置を占め、広く人間観の問題として論じられてきたが、それぞれの論者の立場による概念構成が複雑であるだけに、議論上の混乱は避けがたい。現代社会では諸個人は様々な社会秩序を重層的に支える基礎単位であり、かれらの活動も機能もかつての社会に比べれば、拡大しまた変容してきている。その変化には情報・通信や交通手段の発達が背景にあることは指摘するまでもない。したがって、S・M・ルークスの言葉を借りれば「政治的個人主義(9)」の視点からだけでは現代社会の個人は認識できないだろう。分化した社会秩序の成立を前提にすれば、個人の観念としては様々なレベルの政治問題に態度を表明し、参政権を行使する公民としての個人に、テイラーのいうような「自己解釈的な主体」を結びつけてゆくことが考えられる。ともあれ現代における政治主体をいかに認識するのかという問題は今後の課題として残されている。
(c)  自由主義と福祉国家論の問題
  自由主義に関する論議を法・政治哲学という原理探究の領域とは異なる実際の政策策定の主体である政府、あるいは国家体制論の側面から考えてみると、福祉国家の問題が一つの焦点になる(10)。すでに述べたようにノージックは、ロールズの正義論を「拡張国家」、つまり福祉国家を擁護する理論として厳しく批判した。ロールズの平等主義に基づき配分的正義を推し進めようとする理論的立場がアメリカの民主党の政策を鼓舞したことは間違いない。一方、ノージックの厳密な論理展開のもとに提示された「最小国家」像が共和党の「ネオ・リベラリズム」の理論的な武器となったことも確かである。だがこうした現実の党派イデオロギー的背景を離れてこれらの論争に渦巻く批判ー例えば不可避な行政国家化への対応問題、公共財の支出による怠惰な人間の再生産という問題や社会主義革命への防御策などーが完全雇用の実現による福祉=「計画化」思想の導入か、あるいは公的扶助をはじめとする社会政策体系(社会保険、社会福祉、医療など)の整備かという基本問題につきまとうため、中心の論点である福祉国家像自体があいまいになってゆくことは否めない。一体福祉国家とは何かということほど厄介な問題はない。
  その点に関してはロールズらが正義論ー平等主義の原則に立って政策の基礎となる原理の次元から問題を提起した意義は極めて大きい。元来、自由主義の立場では古典的な局面において制限政府と自由放任主義(たとえそれがスローガンといわれようとも)に基づき、政府の社会・経済領域への介入を極力抑制してきた経緯がある。その後、産業社会の発展の過程で、国家の経済領域への介入とあいまって「社会一般の福祉」の政策が一層促進され、いわゆる「福祉国家」が形成されてその立場が揺ぐ。今日、先進社会では国家の様々な福祉政策の展開により国家財政が膨張すると、逆に国家の緊縮財政が標榜されて、まず福祉予算が削減が叫ばれる。つまりそのことは「小さな政府」による「福祉国家」の実質面での圧縮や削減を意味している。したがって福祉国家の概念をどのように規定するにせよ、それに関連する議論を正義論の領域に留めておくことは問題があろう。議論はおよそ国家のあり方とその財政の見直しを含む多面的なものとならざるを得ないからである。
  ここで再度ノージックの最小国家論、反転すると福祉国家論批判について検討してみよう。かれの議論が批判としてはもっとも根本的な問題を提起しているからである。「拡張国家」論の視角から展開される福祉国家論批判の核心とはかれの「自己所有権」にある。これは単に物をもつことではなくて、「ある物に関して許容される特定範囲の選択肢の中からどれが現実のものになるかを決める権利」であって、許容される選択肢とは「他人の道徳的境界に踏み込まない(11)」範囲に限定される。この権利概念は、J・ウルフによると「危害を加えられない権利」(あるいは「『干渉』されない権利」)であって、「なんらかの方法で援助を受ける権利」とは明らかに区別される(12)。この権利主体としての人間とは、人間は他の人間の手段であってはならず、自らが目的であるとするカント的人間観に依拠する。この前提に立つ限り、この所有権は消極的なものとならざるを得ないが、すでに述べた「付随制約」、渡辺幹雄の表現を借りると他人の手が自らの不可侵の領域に忍び込むのを「防ぐ壁」で保護されている(13)。いずれにしろ、権利主体としての個人の絶対化を基軸に展開されるノージックの理論では他者に自らの救済を求める権利の主張の余地はない。このような立場が固持されるのは次のような論理的予測が基礎にあるからだ。すなわち、かれは「最小国家」から「拡張国家」への移行を先の自己所有権から「大衆所有システム(14)」への仮説的な論理展開として説明してゆく。かれの描く社会には私的な人間愛や富者の自発的な貧民救助があり、他方で貧困の存在や財とサービスを求める人々がいる。そのため、いわゆるベンサム的功利主義の思考(「権利功利主義」)が社会を動かす力になり、結局「拡張国家」へ向かわざるを得ないとみる。
  かれの議論は概して「極端主義」と特徴づけられているだけに、その論理によって福祉国家の問題性に鋭く迫っている。したがってその議論を突き詰めれば、それは国家の本質に関わる権力(強制)と公共性との関連性をどのような視角から把握するのかという問題に収斂してゆく。とはいえ、こうした議論では個人の権利侵害を念頭においた権利志向の枠組みから抜け出すのは容易でない。福祉国家の問題をその全体性において論じる場合、権利主体の権利から立論するのか、一人ひとりの人間のもつ存在の重みの認識から出発するのかは論者の選択に任されよう。ややもすると、法・政治哲学的な思考のもつ論理の強靭さが存在としての個的生命のイメージを圧縮しはしないだろうか。「政治哲学の復権」が叫ばれる現在、それはとくに社会科学における人間それ自身の復権なしには十分な効果をあげえないであろう(15)
  本稿で検討してきたように、現代の自由主義論が現実の福祉国家の実態を見据えて論議されてきた経緯がある以上、従来の福祉国家論が積み上げてきた成果と課題とを洗い直す作業がわれわれに課せられているように思われる。


(1)  ノージック、前掲訳書下、二六三頁。
(2)  前掲訳書下、二五三頁。

(3)  J. Gray, op. cit., p. 70. 藤原・輪島訳書、一〇九ー一一〇頁〔訳文は中谷〕。
(4)  A. Gamble, An Introduction to Modern Social and Political thought, 1981, The Macmillan Press. p. 79. 初瀬・萬田訳『現代政治思想の原点』(一九九二年、三嶺書房)九八頁。
(5)  J. Gray, op. cit., p. 71. 前掲訳書、一一一頁。
(6)  C. B. Macpherson, The Real World of Democracy (Oxford Univ. Press, 1975), p. 39. 栗田賢三訳『現代世界の民主主義』(一九六七年、岩波書店)九二ー九三頁参照。
(7)  古賀勝次郎『ハイエクと新自由主義』(一九八四年、行人社)三六六頁以下参照。
(8)  気賀・古賀訳『ハイエク全集6  自由の条件II』(一九八七年、春秋社)一三二ー一三三頁。
(9)  S・M・ルークス、間宏訳『個人主義』(一九八一年、御茶の水書房)一一八頁参照。
(10)  差し当たり田端博邦「福祉国家論の現在」(東京大学社会科学研究所編『転換期の福祉国家』(上)、一九八八年、東京大学出版会、所収)が問題整理に役立つ。この論文では「福祉国家」論を一九六〇年代のプラスシンボルから、今日でのネガティブな福祉国家論への転換という現実的背景を踏まえ、福祉国家批判論の対象した「福祉国家」とは何かが詳述されている。同書三頁以下参照。田端によると、戦後の福祉国家体制とは次のように要約される。「戦後福祉国家体制は、政治的な、コンセンサス・ポリティクスと、経済的な、ケインズ主義的”混合経済”とを二つの柱とする体制として成立したのだとまずいうことができる。そして、これらの一内容または前提をなす労働組合の公認(およびそれとの協調)と大衆民主主義とをつけ加えれば、戦後福祉国家の基本的な政治経済体制の枠組を示すことができるであろう。そして、それはまた、”国家的社会主義”(ナチズムとソビエト体制)と対抗する資本主義と自由主義の体制の自己修正の姿でもあったのである。保守主義の”本流”がこれを受容した根本的な根拠はここにある。「復古的な右翼」や「老朽化した伝統的自由主義」は、もはや魅力をもちえないものになっていた。」同書二四頁。
(11)  ノージック、前掲訳書下、四五六頁。
(12)  ジョナサン・ウルフ、森村進+森村たまき訳『ノージックー所有・正義・最小国家』(一九九四年、勁草書房)三〇ー三一頁参照。ノージックが生命、自由、財産への不可侵の権利を主張する際、消極的権利と積極的権利との二種類の権利がある。「私が何かに対して積極的権利をもつということは、ある人物、場合によってはあらゆる人々が、私にその物を提供する、あるいはそれを保証するために必要なことを何でもする、という対応する義務をもっているということを意味する。」生命に対する消極的権利とは「不干渉への権利」、「私の生命を危険に陥れるような行為を慎む義務を誰もがもつということを意味する。」同訳書三〇ー三一頁。
(13)  渡辺幹雄「ノズィックー自由の帝国」(藤原・飯島編『西洋政治思想史』II、所収)四三一頁参照。「付随制約」(side constraints)は「側面制約」とも訳されている。
(14)  ノージック、前掲訳書下、四七二頁参照。
(15)  この点で、藤原保信はすでに制度と人間の生き方の相関性を重視して、こう指摘していた。「仮に自由主義的な価値選択の自由を認めたとしても、そこに生きる個人は決して無色透明ななかから自由にみずからの価値を選びとっていくわけではありません。仮に選択があったとしても、それはその社会によって彩られ限られたもののなかからの選択のはずです。ー中略ー少なくともわたくしは、今日自由主義のかかえている根本的な問題は、究極的な価値の選択を各人に委ねながら、富や権力や地位という社会的価値の実現に公正さを期するという形では解決できないほど、もっと人間の根本的な生き方にかかわり精神構造そのものに根ざしているように思えるのです。」藤原保信『政治哲学の復権』三六頁。