立命館法学  一九九六年二号(二四六号)




E・ベルントソン
主権から権威と影響力へ
---民主主義理論における権力の系譜学へ向けて---


中谷義和・岡林信一 訳






一、権力と民主主義---ひとつの問題
  政治学者の関心は常に権力にある。事実、権力は、主権・影響力・強制・統制・支配・経済権力・強力・操作・説得・権威ないしヘゲモニーといった多様な形態をとりつつも、政治学の言説全体を貫く位置にある。この言説から権力概念の無数の定義や分析が生まれた。つまり、一つ、二つ、三つ、あるいはn個の相貌をもった権力である。
  本論において、主として、次の二点について論ずることで、このように、誰もが好みとするゲームにおける権力の諸問題に関する私見を提示したいと思う。
  (1)  権力の言説における決定的分岐点は、一九二〇年代と三〇年代に、とりわけ合衆国で起こった。主権の概念に代わって、権力の概念が支配的となった。その後、権力は、当初の本質をとどめつつも、影響力ないし権威のいずれかとして概念化されるに至っている。だが、影響力と権威の両概念は、総合的概念としてではなく、分析的概念として理解されなければならない。両者は権力の諸形態ではなくて、権力の諸過程である。
  また、
  (2)  権力の概念は、常に、権力が行使される政治システムや国家の本質と結び付けられてきた。権力とは、その脈絡と切り離して理解することのできないものである。ひとつの脈絡として、多様な形態にあれ、民主主義が挙げられる。だが、民主主義が、誘導概念という点では、権力分析の起点になり得るとしても、民主的政治システムが多様なだけに、権力は、常に、具体的状況と結び付けて分析されねばならない。
  当然ながら、「真の」権力概念など存在しない。現実理解の有効な概念という点で、程度の差が存在しているにすぎない。つまり、他の諸概念との関連においてのみ、ある概念の意味が理解され得るということである。概念分析に従えば、さまざまな概念相互の論理的関係をつけることが求められる。だから、一組の権力概念を発見し、互いに論理的関係にあるだけでなく、社会研究の有効な枠組みとなり得ることが示されなければならない。

二、抽象的権力ーー諸定義
  西欧の政治用語において、主権概念は重要な位置にある。この概念は、国民国家の出現とともに展開をみ(Merriam, 1944:21;Crick, 1968:77)、あらゆる政治システムにあって、最終決定を下す何らかの絶対的権力が存在し、決定力のみならず、決定を強制し得る権限を有すると認められた個人ないし団体によって行使されねばならないとする政治理論の中心に位置することになった。主権概念には、その生涯にあって、多様な内実が与えられ、これによって西欧の国民国家の発展が規定されてきた。例えば、法主権や議会主権、さらには、人民主権が挙げられる(Benn, 1967)。
  代議制民主政治という新しい政治の展開を迎えるや、二〇世紀の初期に、権力の言説は本質的変化をみた。第一に、主権概念に代わって、徐々に権力概念が登場し、行為主体の目標達成能力と理解されるようになった。現代の古典的定義として、ロバート・A・ダールの次の定義が挙げられる。
「AとBが権力関係にあるということは、この関係になければBが行おうとはしないことを、AがBに行わしめ得る限りにおいてのことである」(Dahl, 1969:80)。
  だが、この定義は、マックス・ウェーバーに辿ることができる。
「総じて、『権力』とは、ある個人ないし多数の人々が、共同の社会活動において、これに参加している他者の抵抗を排しても自己の意志を実現しようとするチャンスと理解される」(Weber, 1967:180)。
  さらに、歴史的には、トマス・ホッブズにまで溯ることができる。
「人間の権力とは、(普遍的理解に立てば)未来において約束されている善を獲得するために、現在において採られる手段のことである」(Hobbes, 1968:150)。
  だが、ホッブズの定義を読み替えることもできる。
「権力とは、意図した効果を生み出すことであると定義してよかろう。そうすると、権力とは量的概念であることになる。同じ欲求をもった二人の人間がいるとして、Aは、Bが達成する欲求の全てにとどまらず、別の欲求をも達成するとすれば、AはBよりも多くの権力をもっていることになる」(Russell, 1983:25)。
  あるいは、
「影響力ある人々とは、獲得して然るべきものを最大限に獲得する人々のことである。獲得可能な価値とは、尊敬・収入・安全に分類され得るものである。これを最大限に獲得する人々がエリートであり、そうでない人々が大衆である」(Lasswell, 1958:13)。
  以上のように、権力には二つの含意が認められる。この点は、現代のアメリカ政治学に、とりわけ多元主義者とエリート主義者との論争における権力の言説にも明らかである。多元主義者は権力を影響力とみなし、政治過程を媒介として経験的に研究することができると判断している。他方、エリート主義者は考察対象を政治過程自体に求めるというよりも、権力の資源と効果を分析の対象としている。この点は、多元主義者のエリート主義者に対する主な批判のひとつともなっている。というのは、「特殊ホッブズ的世界にあっては別としても、コントロールの潜勢力と実質的コントロールとは別ものである」と理解されているからである(Dahl, 1958:465)。
  だが、こうした意見の不一致は、権力の現実概念というよりも、権力の測定と研究の方法と結び付いているように思われる。この点は、権力の多様な相貌をめぐる論争にも認めることができる。ピーター・バクラックとモートン・S・バラーツの論文は、権力の二つの顔をテーマとし、権力研究における「非決定」の役割について論じたものである(Bachrach and Baratz, 1962)。この点で、スティーブン・ルークスは、バクラックとバラーツが多元主義者の無批判的経験主義を批判していることには同調しつつも、彼らの分析を敷延し、権力の三番目の顔として、社会がどのように人民の意識を作り上げているかという点を問題にした(Lukes, 1977)。
  ルークスは権力の形態分類を期したわけであるが、その営為において、この議論に重要な要因を導入することになった。つまり、利益対立が権力行使の本質的条件であると主張したことである。彼にあって、権力の諸形態は、(利益対立が顕在化した場合には)強制と強力という形態を、(利益対立が潜在的である場合には)影響力という形態をとり、後者は権威に依拠した操作と理解されている。
  だが、多元主義者、エリート主義者、バクラックとバラーツ、ルークスのいずれにあっても、権力の本質は同様の理解にある。つまり、既述の諸定義のいずれにあっても、権力とは、ゼロ・サム型ゲームと理解されていることである。ある意味で、権力とは行為主体間の消極的関係とされていると言えよう。事実、権力の言説の多くにあって欠落しているのは、積極的権力の概念である。だが、権力の消極面と積極面との区別が影響力と権威の両概念の不可欠の位置にある。
  当然ながら、権威の定義は多様であり得る。権威とは忠誠を強いる権利にすぎないと理解することもできる(Peters, 1976)。この種の用例は、ホッブズに発するが、今や、権威に置換され、イデオロギー的権力と見なされて、とりわけ、マックス・ウェーバーの正統性の概念とならんで、社会諸科学にあって広く使用されるに至っている(Peabody, 1968:474)。だが、なお、権威は、通常、他者の意見を支配する力としても理解されている。また、ルークスの権力形態の分類には、多くの点で、意義深いものが認められるとはいえ、彼にあっても、権威は操作として理解されている。というのも、行為主体間の利益対立が起こった場合でも、どうして権威が積極的に受容され得るのかという点で、明らかに、その理解に欠けるものがあると思われるからである。
  ピーター・ウィンチは、このジレンマにひとつの解決策を提示し、権威とは個別意志間の因果関係ではなくて、内的関係であると論じている。これには説得的なものがある(Winch, 1967:98)。彼の分析は、ウィトゲンシュタインの着想、つまり、コミュニケーションや了解は規則に則るという観念を前提としているということ、これを基礎として、規則に則した活動に参加するということは、ある点で、権威を受容することにほかならないと主張するものである。ここから、「権威とは、本質的に、理念の体系と固く結び付いており、理念の体系には、本質的に、討論と批判の可能性が含まれている」とされる(Winch, 1976:106)。かくして、ウィンチの主張にあって、権威とは、全ての社会過程に内在するものであるとされる。これは、積極的権力概念である。というのも、権力の受容と社会の慣行規則の受容形態とが結び付けられているからである。行為主体間の利益対立が起こり得るにしても、自己利益の追求の処理方法という点で、行為主体間に合意が成立し得ることになる。
  消極的権力概念としての影響力と積極的権力概念としての権威、この両者を区別したからといって、権力が多様なレベルと行為主体を媒介として顕在化する場合に、これをどのように分析するかという別の問題までも解決し得たことにはならない。ひとつの解答はエリート主義者に求められる。別の解答はミシェル・フーコーに求められる。彼は、権力そのものが存在しているのではなくて、偏在しているのであって、社会における複合的戦略状況としてのみ理解され得るものであると主張している(Foucault, 1980:198;Foucault, 1981:93)。彼は、可視的権力諸関係や諸制度は、常に、ミクロ権力のネットワークに依存しており、このミクロ権力こそが、可視的権力よりも重要な位置にあると指摘している。全てを支配しているエリートなど存在せず、社会は多数の重複的な権力体系と権力網から構成されている。歴史的事象(戦争であれ慣例であれ)ないし既存の諸制度(学校であれ監獄であれ)によって、歴史ないし人民に変化が生じるのは、その背後に、規律的で規範的な権力ネットワークの確立があってのことであるとされる(Malecki, 1990)。
  近年、フーコーは、エリート主義者にまさる評価を受けているが、それは、恐らく、権力研究の一般的解決を求めようとはしなかったからであり、具体的研究においても、その関心が「権力の掌握者」よりも、「権力の機能様式」や「権力の諸連鎖の実態」にあったからであろう。権力の多様な言説を研究するなかで、彼は、ある程度、権力の社会化メカニズムを明らかにするとともに(ルークスにおける権力の第三の顔)、一般に政治的なものとは見なされていない諸領域に焦点を据えることによって、政治的なものの本質を再構成した。だが、詳細にみれば、権力とは消極的現象であるという点で、彼は、他の権力分析者と意見を同じくしていたことがわかる。
  以上の検討から私見を要約しておこう。権力とは、それ自体として存在するものではない。「それは資源ではなくて、行為主体による諸資源の動員である」(Wrong, 1988:ix)。この意味で、権力の機能様式やその効果の内実の検討が重要なことになる。権力とは、多数の諸力と対抗諸力や諸関係からなるものであって、これが人々を支配し、現実の行動様式に従わしめ、さまざまな社会的地位に据えることによって、応報の違いも生みだしているのである。権力のさまざまな次元や制度のみならず、その位置とメカニズムや行為主体を特定し、これを研究することが重要であるとしても、こうした過程の一面をもって権力と呼ぶことはできない。権力研究においては、((1))権力の諸資源、((2))権力の制度的基盤、((3))権力の諸技術、((4))権力の諸条件、((5))ミクロ権力のネットワーク、これを区別することが必要とされる。
  権力とは多様な資源の動員であるから、そうした資源が強力の行使や経済的制裁あるいはカリスマのいずれと結合していようと、権力の資源を権力の行使において確認することが重要となる。別の重要な要因として、公式の決定作成体系が挙げられる。組織的な政治的結合体であれば、何らかの制度化された決定作成方法が存在しているものである。だが、諸行為主体がどのように権力を行使し得るかは、権力の諸技術に依存している。個別状況において多様な資源を活用するには、技量と知識が要求される。ある状況において有効であるからといって、別の状況においても当てはまるとはいえない。資源や制度と技術は影響力の研究に属するものである。
  他方、権力の諸条件とは、権力が行使される状況のことである。人々が権力保持者との闘争に終始し、同意よりも死すら求めるなら、権力はその効力の一部を失うことになる(Merriam, 1964:21)。権威が権力の中心条件である。
  最後に、ミクロ権力のネットワークとは、社会が構造化されていて、ある権力過程の背後には、常に、別の権力過程が存在していることを意味している。こうした構造は、言語から、やがて沈殿するに至った社会慣行に及び、人々を社会化することによって、権力の諸条件を構成することにもなる。この点で、権力とは回帰運動である。

三、権力と社会の構造化
  権力は偏在するから、他の社会諸過程との関係を明確にする必要がある。権力は、折にふれ、全ての社会科学の根本概念であるとされてきた。例えば、バートランド・ラッセルは、既に、一九三八年に「エネルギーが物理学の根本概念であるように、社会科学の根本概念は権力である」と述べている(Russell, 1983:9)。だが、ラッセルの主張が大雑把すぎるのは、多様な権力過程相互の、また社会構造の区別をつけていないからである。
  政治と権力とは一体の範疇に属する。政治とは、社会的行為主体(諸個人、諸組織、国家)が、目標という点では他の社会的行為主体の目標との対立状況のなかで、自らの必要や価値と利益(総体として、目標と選好)を満足させようとする過程と理解することができる。政治の基本問題は、多様な人々の共存方法に求められる(次を参照のこと。Merriam, 1964:39-45)。この意味で、政治は全ての社会に認められるといえるが、政治過程は本質的に多様であり得る。この過程は、行為主体の目標や社会的諸条件と社会的メカニズムに左右されるものであって、これが、政治過程を構造化しているのである。
  政治が成立するには、少なくとも、二人の行為主体が必要である。彼らは、ひとつの政治的結合体を形成し、異なった目標が権力によって解決されていると言えよう(Merriam, 1964:31-39)。未規制の政治的結合体であれば、権力は暴力にのみ依拠し得るとしても(cf.国際政治)、既存の政治的結合体の多くは、別の手段をもって固有の諸矛盾の調整を期している。
  近代国家は、高度に発展した政治団体であり、現代の政治活動の中心舞台ともなっている。この意味で、国家とは公的空間であり、その支配領域において権力を行使しているものと理解し得る。マックス・ウェーバーは、近代国家を「所与の領域において、物理的強制力の正統的行使の独占を(成功裡に)主張し得る人間共同体」であると定義しているが(Weber, 1967:78)、これは、なお、政治研究の有効な出発点の位置にある。近代国家とは、固有の要員と資源を備え、国家の多様な機関を媒介として支配される領土的単位である。だが、この意味からすれば、全ての政治的結合体が国家である必要はなく、その範域の点では、開かれた政治的結合体もあり得るし、多様な組織体、例えば、部族や家族、一党制度などによって支配されることも起り得る。事実、ウェーバーの国家の定義に含意されているのは、程度の差はあれ、民主的国家である。
  だが、政治の研究にあって必要なことは、常に、政治と国家を社会の他の固有な諸過程と関係づけることである。ユルゲン・ハバーマスに従えば(一九六六年)、社会過程を構造化し、いずれの社会にあっても不可欠な位置にある三つの異なった媒体、つまり、労働・象徴的相互行為・政治(ハバーマスの改正版にあっては、言語と支配)を区別することができるとされる。労働なくして社会は存在し得ない。他方で、象徴的相互行為は、コミュニケーション・言語・了解と結び付いている。したがって、先述の意味における政治とは、対立する多様な目標が調停される過程でもあることになる。こうした媒体を活用すると、社会の構造は次の図に示すことができる。
  諸個人は、この図の中央に位置している。というのも、各人の活動は、労働、象徴的相互行為ないし政治を媒介として、常に、経済・社会システムないし政治システムと結び付かざるを得ないからである。個人は、常に、ひとつの統体ではあるが、こうした諸過程が、その思考と行動を構造化している。個人と国家の間には、人々が自己の目標を達成するために形成するさまざまな集団が存在している。個人と集団の行動が社会の私的領域を構成しており、これを市民社会と呼ぶことができる。
  市民社会に対置される位置に国家が存在しており、これを社会の公的領域と定義することもできよう。だが、公と私の概念は相対的概念である。ジョン・デューイが指摘しているように、「公と私の境界線は、コントロールを必要とするほどに重要な諸行為の連鎖の規模と範囲を基礎に設定されるべきものである」(Dewey, 1954, 15)。事実、いずれの社会にあっても、政治とは、公と私の関係をめぐる不断の闘争である。
  政治について言えば、市民社会の政治システムを設定し、このレベルで諸個人や諸集団が私的領域の論理に従って(公的領域に影響を与えようと)行動しているとみなすことができよう。国家は、本来、政治システム一般にあたるが、公と私の重要性を強調しようとすると、市民社会の政治システムと国家とを区別することが重要となる。
  権力は社会諸科学の中心概念である。だが、権力の諸過程は、社会の個別領域や個別の権力状況において多様である。だが、ラッセルに従えば、「人間に対する権力は、諸個人にどのような影響を与えているかという点で、あるいは、どのような組織がかかわっているかという点で分類され得るものである」とされるが(Russell, 1983:25)、これには同意できよう。この解釈に従えば、権力は、常に、権力が行使される政治構造と結び付けて理解される必要があるということになる。こうした政治構造のひとつが民主主義である。

四、民主主義ーー抽象と具象
  権力と民主主義は同じ範疇に属する。民主主義とは人民による支配を意味するとすれば、人民は支配するための権力を保持しなければならないことになる。民主主義概念は、その起源を古代ギリシアに発し、通常、政治システムと国家の特質を指すものとされている。かって、政治哲学が、総じて、さまざまな国制の規定に終始したこともあるが、現代の用法にあって、民主主義という用語は、広く、日常の実践を、つまり、家族、労働ないし自発的結社への参加のいずれであれ、人民が自らの生活にかかわる決定に影響力を行使し得ることをも指すものとされている。この言葉を両方の意味で使うことにするが、文脈から、いずれの用法にあるかが明らかにされるはずである。
  さきに挙げた社会の構造化モデルを使って、さまざまな民主主義理論における権力の意味を分析することができる。政治システムとは、国家に対する市民社会の活動の制度化であるから、市民社会の政治システムの検討が可能となったのは、最近のことにすぎないことになる。事実、このシステムは民主的政治システムと等視されている。民主主義の形成以前にあって、国家と個人との関係は一方的なものであった(他方で、国家は今日ほどに人々の私的生活に介入しようとはしなかった)。
  政治システムとしての民主主義には二つの個別の側面が含まれており、これを区別しておくことが重要である。第一に、民主主義とは、政治的決定作成の制度的取り決めである。これは、民主主義の形態にあたる。他方で、民主主義とは、所与の形態における実践を意味し、人々の価値や態度と活動に依拠している。二つの国に類似の民主主義諸制度が認められるとしても、なお、一方が他方よりも民主的であると考えられ得る。この点は、さまざまな社会における女性の地位からも窺えることである。
  また、民主的理論と民主的イデオロギーとを区別しておくことも重要である。民主主義とは、ひとつの理論、すなわち、民主主義の機能様式の分析があってはじめて理解され得るものである。だが、理論とは、常に、民主主義のイデオロギーに左右されるものであり、民主主義の定義やその目標と正当化論からなる。民主主義のイデオロギーには、常に、民主主義の定義が含まれているから、その否定論、つまり、民主主義ではないものも含まれることになる。さらに、理論は、常に、イデオロギーに依拠しているから、既存の諸民主主義の評価(正当化ないし批判)を免れ得ず、記述的ー説明的論述と規範的論述の両者から構成されていることになる(cf. Held, 1987:7)。ある意味で、民主的理論が存在しているのではなくて、民主的諸理論が存在しているにすぎないことになる(cf. Dahl, 1956:1)。
  以上のように、民主主義には多様な側面が認められるわけであるが、その区別については、ロバート・A・ダールも止目したところである。彼はポリアーキーという用語を説明するにあたって、(混同される場合もあるが)「”民主主義”という言葉の用法には、目標ないし理想を、恐らく、実現されることはなく、可能であるにせよ、現実には、完全に達成され得ない目的を叙述するために使われる場合と、近代世界において、現実の政治諸システムの諸特徴を明示するために、一般に”民主的”ないし”諸民主主義”と呼ばれている場合とがある」と述べている(Dahl, 1984:229)。だが、ダールにあっては、形態と実践とが(彼にあって、両者は民主的諸過程からなるものとされている)、また理論とイデオロギーとが区別されていない(恐らく、経験的政治学という彼の哲学に負うものであろう)。
  形態・実践・イデオロギー・理論は、一体的総体の位置にある。つまり、現存の民主主義とは、政治実践のみならず、民主的イデオロギーと理論の所産でもある。民主主義の政治とは、一方で、民主主義の諸理論によって説明されるものであるが、他方で、民主主義の形態と実践における諸変化はイデオロギーと理論の変化を来たさざるを得ないことにもなる。
  権力の概念と同様に、民主主義の意味も多様に理解されている。民主主義とは、市民権の保障のいかんを問わず、決定作成における多数支配を、あるいは政治的諸イデオロギーの実現を、ないしは、人民の参加のいかんを問わず、人民の選好を指すものとも理解され得る(Anckar, 1984:15)。さらに、民主的システムの編成も多様であり得る。基本的対立のひとつは、常に、直接民主主義に固執する人々と代議制民主主義に固執する人々とのあいだで起こっている(Held, 1992:12)。また、一九世紀に至って民主主義が積極的意味をもち始めたにすぎないということ、この点も想起しておかなければならない。事実、この概念は、古代ギリシアにあって、アテネ型民主主義の反対者の表現に発するものであったと見なされてよかろう。民主主義が積極的概念となり得たのは、合理性や科学と自由主義の台頭をまってのことである。つまり、民主主義とは近代のイデオロギーなのである。
  単一の民主主義概念など存在しないわけであるから、この概念を多様な構成要素に分解したほうがよいとも言えよう。例えば、古代ギリシア人にあっては、イソノミア(isonomia)、イセゴリア(isegoria)、イソモイリア(isomoiria)という概念が使われている。こうした概念が、その後、民主主義の諸側面を指すものと解釈されている(Resnick, 1991)。だが、この種の区分を、さらに分解することは不可能であるから、別の方法で民主主義の概念を分解しなければならないことになる。
  一般的レベルにあって、民主主義の基本的要素は、普通平等選挙権のみならず、言論の自由や政治的異議申し立ての自由からなるということ、この点の合意をみることは容易であろう。だが、現状に鑑みるに、普選の成立が、恐らく、民主主義の発展の画期をしるす位置にあったと言えよう。普通選挙権は、政治の本質を一変させることになったのである(cf. Poulantzas, 1970:321-322)。普通選挙権は、民主主義の展開という点で、質的に新しい局面の出発点にあたり、その展開はなお続いている。
  以上の分析は次表に要約され得よう。
民主的形態
代議制と直接制
選挙法(包括性、方法)
ルールの設定
  政府の立法・行政・司法部門
言論・政治結社の自由に関する立法
民主的イデオロギー
定      義
目      標
正  当  化
民主的理論
民主主義が自らの前提に
従って機能する様式
民  主  的  実  践
政治文化(民主的信条や民主的形態の機能を含む)
  以上のような民主主義の諸要素の体系は、権力概念の理解にとって決定的位置にある。また、先の社会構造の図に従えば、民主的政治システムが別の二つの社会領域と、つまり、経済と社会の領域と常に結び付いていることにも注目する必要がある。民主的理論の対象となるのは、政治システムの諸問題のみならず、経済システムと社会システムの機能にかかわる諸問題(経済的有効性、平等、公正、全体の福祉、人民の幸福など)でもある。さらに、他の社会諸領域における実践も、社会の政治領域において、民主的実践を枠づけている。政治的実践そのものよりも、こうした実践が民主主義にとってより重要な場合も多いと言えよう。この点は、例えば、次の引用に認められるように、異なった民主主義の概念をもち、ほぼ五〇年も時代を異にするアメリカの二人の政治学者によっても指摘されている。ひとりは代議制民主主義の提唱者たるチャールズ・E・メリアムであり、他は、新しい時代にふさわしい参加型政治を作り上げようとしているベンジャミン・R・バーバーである。両者の指摘を比較してみよう。
「民主的交易、民主的映画、民主的公園と遊園地や海水浴場、服装の民主主義、民主的レクリエーションと文化−これは、全て、民主的社会が持続するための基盤の位置にある。これは、階級支配の、また大衆に対する階級的姿勢の押し付けの防波堤の役割にある。広く主張されている民主主義の諸目標や民主的諸制度や諸手続きとを結び付けて理解してみるに、これは、我々の全生活様式に計り知れない影響を与えている」(Merriam, 1944:71)。
「あなたの目的が民主主義であるとすると、民主的マナー、市民間の相互交流の民主的形態、民主的学校と芸術や信条、公的領域のみならず私的領域における民主主義、これを育てなければならない。そうなれば、自由な選挙と参加型諸制度が生まれることになろう。この点を、また最良の立憲的諸改革や気に入りの伝統的諸制度を無視すると、何も得ることができなくなろうし、悪くすると、見かけだけは新しく装って、古い専制支配を再生させ、見たこともない腐敗と抑圧を招来させることにもなろう」(Barber, 1990:21)。


五、アメリカの民主主義理論
---権力と多元主義

  アメリカ政治学は、次の二つの明確な理由から、権力と民主主義の問題の研究という点では好都合な出発点の位置にある。第一に、合衆国は、最初の近代的民主国家になったと見なされ得るし、民主的遺産が、常に、合衆国の政治文化を形成してきたからでもある。合衆国は、当初から、代議制民主政を形成し、厳密な意味での人民(白人男性)の民主政治の展開をみたのは一八五〇年代に至ってのことにすぎないとはいえ(Gosnell, 1948:30)、他の諸国と比べて進んだ位置にあった。君主は存在せず、連邦議会は人民によって選出され、言論の自由のみならず、自由な選挙や抵抗権も認められていた。
  第二に、合衆国ほど政治権力の研究に熱心に取り組まれた地域はないからである。これは、一部、アメリカ政治学の規模の広さと役割に負うものであり、一部は、民主主義の諸問題やアメリカの政治システムの特殊性に負うものでもある。
  とはいえ、合衆国における権力の研究は、当初、ヨーロッパの遺産を継承するものであった。政治学は、国家に焦点を据え、これを社会の政治的組織化の形態であり、主権概念を媒介として定義される形態であると見なしていた(e. g., Burgess, 1980:75;Willoughby, 1928:185)。変化が起こったのは戦間期においてのことであり、主権の概念は権力の概念に置き換えられた(e. g., Catlin, 1925;Watkins, 1934;Friedrich, 1937)。
  また、主権の概念は多元主義の概念に置き換えられることにもなった。多元主義の展開は、第一次世界大戦後の多元主義国家論の登場に求められるが、この理論をもって一元的国家論と理解されるものが批判されるに至った(e. g., Ellis, 1920;1923;Coker, 1921)。一元的国家論の関心が国家の主権にあったのに対し、新しい多元主義者たちは、国家とは多様な政治的権威のひとつにすぎず、多様な集団も国家と同様に政治的忠誠を要求することができると主張した。
  多元主義国家論はヨーロッパを舞台としていたとはいえ(ギールケ、デュギ、メイトランド、フィギス、ラスキなど)、政治学に与えた衝撃という点では、合衆国にあって最も顕著なものがあった。それは、主として、当時、この原理がアメリカ以外には殆ど存在してなかったことによる。より重要なことに、この理論には、アメリカの政治状況の描写にすぐれたものがあると思われたからである。この点は、アメリカ政治にしめる圧力集団の研究に関心が深まったことに認められる(e. g., Herring, 1929;Odegard, 1928)。
  だが、アメリカの政治システムが多元主義として理解されるようになったのは、第二次世界大戦後のことにすぎない。第二次世界大戦以降、多元主義はアメリカの民主主義理論において支配的地位を得るに至った。多元主義について、これほど繁く議論されるのは、それが極めてアメリカ的現象であると想定されるからであろう。合衆国ほど、この哲学が適合する国はなく(Graziano, 1993)、政治学の支配的パラダイムとして、極めて広く受け止められている(Manley, 1983:368)。
  だが、多元主義概念が広く受容されると、それだけ、曖昧さも深まったと言えよう。「曖昧すぎるから、まともな議論から引っ込めるべきである」とさえ主張されている(Wolfinger, 1971:1102)。社会諸科学における他の多くの理論や概念と同様に、多元主義も研究者によってさまざまに理解され、適用ないし批判されている。この理論に固執する人々ですら、この理論に固有の諸側面の全てに同意しているわけではない。多元主義の概念は、重複しつつも、理論的一貫性を欠いた諸定義や諸前提によって泥まみれになっている(Miller, 1983:734)。例えば、超多元主義、私化型多元主義、成層型多元主義のような用語は、この概念の今日的用例の一部にすぎない(Waste, 1986)。
  多元主義の特質に焦点を据えようとすると、その方法のひとつは、さまざまな構成要素に分解することである。例えば、ニコラス・R・ミラーは、多元主義を(1)分散型権力、(2)集団政治、(3)分散型選好に区分している(Miller, 1983)。こうした三つの多元主義の形態が相互に独立したものではないとしても、多元主義の多様な諸相を例示するために活用することができる。
  この意味で、分散型権力としての多元主義は、政治権力の研究や多様ではあるが不平等なエリートに、集団政治としての多元主義は政治諸集団の経験的研究に、分散型選好としての多元主義は多様な政治態度と民主的統治の安定性との連関に、それぞれかかわる。だが、研究者のなかには、こうした多元主義の構成要素の全てを受容しつつも、ひとつの領域のみを主たる研究対象としている多元主義者もあり得るわけである。
  好例として、ロバート・A・ダールが挙げられる。彼が有名なのは、多元主義の第一の形態の代表者としてであろう。だが、ダールは、常に、この用語を「国家の次元において・・・相対的に自律的な(自立した)諸組織の多元性の存在」という意味でしか用いていないように思われる(Dahl, 1982:5;Dahl, 1984:234-235)。こうしてみると、ダールは多元主義を集団政治として理解していることにもなる。また、ダールは、常に、多元主義的民主主義が存在するためには「民主的信条」が重要であることを強調しているから(e. g., Dahl, 1961:311-325)、多元主義を分散型選好として強く主張していることにもなる。
  このように、多元主義は多様な形態にあり、本論の意味における影響力と権威へと区分し得ることを示唆するものともなっている。つまり、最初の二つの形態は、その関心を、常に、政治的影響力の研究に求めている。例えば、ダールの『統治するのはだれか(Who Governs?)』は、明らかに、影響力の配分と類型の論述である。他方で、分散型選好としての多元主義は、政治文化と政治システムや国家の安定性との関連性という意味において、権威にかかわるものである。
  G・サルトーリが論じているように、この意味の多元主義は、寛容を漸進的に受容するなかで成立したものであり、相違の承認に依拠している(Sartori, 1987)。サルトーリ自身は、多元主義のルーツを一七世紀以降の宗教戦争の余波に辿り求めているが、この理念は、マキャベリにも認めることができる。というのも、マキャベリは、『史論』のなかで、不和が国家を強化し、国家は道徳的凝集性を必要としないと主張しているからである(Crick, 1970:33)。
  権威としての多元主義とは、権威が相違の承認に依拠していると主張するものであり、この種の変化は、一九二〇年代と三〇年代のアメリカ政治学に明確に読み取ることができる。エドワード・A・パーセル(Jr.)は、この点に止目し、新しい民主主義理論が一九三〇年代の合衆国において展開し始めたと論じている(Purcell, 1973)。これが彼の主張する「民主主義の相対主義理論」である。この理論は、とりわけ、規範的絶対主義の権威主義的諸含意を断罪するものであった。また、民主主義とは不同意の同意の必要性によってのみ擁護され得るものであるという意味で、民主主義の消極的正統化論でもあった。
  新しい民主主義理論の形成という点で、パーセルが最も重要な位置にあった人々として挙げているのは、T・V・スミス、カール・フリードリッヒ、ペンドルトン・ヘリングの三人である。パーセルによれば、T・V・スミスは、恐らく、頑迷な道徳的態度からは政治の混乱と分裂しか生まれないことを誰よりも強く主張した人物であろうとされる。スミスは、常に、アメリカ政治のとりことなり、これを妥協の政治と理解していた(Purcell, 1973:208)。他方、フリードリッヒは、一九三〇年代の後期に至って、人民の統一は基本原理に対する形式的同意によるものではなく、共通の行動様式によると主張し始めた(Purcell, 1973:215)。この点で、ヘリングは、絶対的なものは民主政治になじまないとするスミスの主張を受け入れるとともに、民主主義には共通の文化的基盤が不可欠であるとするフリードリッヒの主張に同意しつつ、この新しい理論に、さらに棄権や受動的政治参加が安定的民主主義の要素であると理解される必要があると付言したのである。このテーゼは、とりわけ、ヘリングの『民主主義の政治−アメリカの諸政党の動態(The Politics of Democracy:American Parties in Action, 1940)』において展開されている(Purcell, 1973:216)。
  デビッド・リシーは、同様の分析をもって、「新しい民主主義理論」が一九三〇年代に展開されだしたと主張している。彼の論述は、ジョン・デューイとフランシス・G・ウィルソンやヘリングに及んでいる。ウィルソンは、ヘリングに先立って、既に、一九三〇年に、投票とは治者を点検する機能であると理解されるだけでなく、投票率の低さは、必ずしも、民主主義の統治原理と矛盾するものではないと主張している(Ricci, 1984:109)。だが、この主張は、広く共有されていたと思われるし、既に、一九二〇年代に、別の政治学者たちの著作にも確認することができる(eg., Corwin, 1929:577)。
  リシーの分析は、多くの点で、パーセルの分析を想起させるものであるが、リシーは、さらに、民主主義とは方法であると理解されるに至ったと付言している。リシーに従えば、民主主義とは統治の一様式であり、公職者を選択する実践にすぎないという見解はデューイに起因するとされる(Ricci, 1984:104)。だが、新しい民主主義理論の構成要素のひとつとして民主主義が方法と理解されるに至ったということ、この事実については、リシーの主張は正しいとしても、デューイの攻撃には行き過ぎが認められると思われるし、デューイを注意深く読んでいないことも明らかである。というのも、デューイは、社会理念としての民主主義と統治システムとしての政治的民主主義とを区別しているからである(Berndtson, 1992:6-7)。歴史的パースペクティブからすれば、「基盤の殆どは、総じて、アメリカの普通の政治学者によって設定された」(Lowi, 1985: xiv)としても、民主主義を制度的編成と定義したのは、ジョセフ・シュンペーターにほかならないと指摘してよかろう。
  この文脈でシュンペーターに言及するとなると、とりわけ、パーセルの著作に欠落している方向、すなわち、新しい民主主義理論に内在するエリート主義という構成要素を持ち出さないわけにはゆかない。興味深いことに、新しい理論にあっては民主主義の基本ルールを受容することが重視され、あるいは多様性が称賛されたにしても、同時に、責任あるエリートも切望されたのである。
  とりわけ、このパースペクティブから権力理論を構成しようとしたのがチャールズ・E・メリアムである。事実、彼の『政治権力(Political Power, 1964)』は、国家の理論である。国家権力の基盤は社会化過程に求められている。すなわち、「現実の政治権力は、一定の共通な衝動パターンに・・・慣習や人間生活に深く織り込まれた文化パターンの創造に宿る」と(Merriam, 1964:21)。だが、権力とは、人間社会において、必要かつ積極的構成要素である(正当に行使されるなら)。この点で、メリアムも、権力を消極的現象としか見ない人々を繁く批判している。その好例は、バートランド・ラッセルの『権力(Power)』に対する次のメリアムの批判に認められる。
「ラッセルの権力分析の最大の弱点は、権力を本質的に消極的なものと見なす抜き難いまでの伝統的態度に求められる。個人的経験によって補強された古い紋切り型の伝統的思想に性懲りもなく依拠して、彼は、権力とは、とりわけ恐るべきものと−他人の生活と楽しみを減殺するものと−彼の用語に従えば、”手なずけ”られるべきものと見なしている。これは古い分析であり、今日では古色蒼然たるものであって−、無政府主義をはじめ、レッセ・フェールの原理や一九世紀の自由主義者の一部の恐怖の所産にすぎない。今後、人々の現実生活の場たる社会の漸次的再編という点で、すべての人々が、小さくても貴重な役割を果たすことになるものと−人間性と文化の維持のみならず、より高次の到達点を目指して一層の前進を期すものと信じて然るべきである。こうした共同の営為にあって、権力と権威は、抑圧的なものではなくて、創造的なものとなる。指導者とは、破壊と損傷の主体ではなくて、治癒と援助の主体である。人類に対する最大の寄与が最高の価値をもつことになる」(Merriam, 1939:102)。

  こうしてみると、権威としての多元主義は諸規則の合意を民主主義の基礎であると見なしていることになるが、政治文化が余りにも同質的なものであってはならないことにもなる。人々の選好や活動は多様であるし、そうでなければならないとされる(例えば、ある程度の政治的受動性が安定的社会にとって必要である)。政治における妥協の賛美や絶対的価値の排除もこの理論の構成要素をなしている。エリートの役割も存在している。エリートの任務は、より優れた将来へと社会を導くことに求められている。
  興味深いことは、以上の要因の全てが実践としての民主主義を構成していることである。その最も代表的理論にあっては、アメリカの立憲体制の基本的諸特徴が受容され、想定され得る不同意も、主として、形態と実践との関係として扱われている。この点は影響力の研究にも認められることであり、この手法をもって、アメリカ民主主義の実践的側面、集団間の闘争としての政治に焦点が据えられてきたのである。影響力と権威の起源は、いずれもアメリカ政治に発している。

六、アメリカ多元主義の政治的脈絡
  多元主義は、多様な形態にあるとはいえ、アメリカの政治思想と政治学を貫いている。これは、恐らく、アメリカ国家と政治システムの本質に依拠し、連邦政府の権力は常に弱く、諸州や諸都市が人々の生活にあって、より重要な役割を担ってきたことによるものであろう。アメリカ社会の中心性の欠如も、諸集団や社会諸運動にとって、他の諸国の政治とは異なる機能を果たし得る基盤の位置にある。さらに、政党の本質は、例えば、ヨーロッパの政党と比べて異なったものとなっている。こうした状況に壮大なイデオロギーを欠いたアメリカ政治の現実的特質を加味してみると、多元主義が常にアメリカの政治と民主主義の基本的構成要素をなしてきたのも不思議なことではない。したがって、統合的イデオロギーを欠き、多様な集団(と文化)が存在していることから、民主主義を権威の基礎として、これに焦点を据えざるを得なかったのである。だから、また、明白な(自明か?)、だが殆ど強調されることのない事実に、つまり、アメリカ多元主義がアメリカ政治の諸傾向と同一の歩みを辿っただけでなく、同様に、社会科学も自らの外在的脈絡を再現することができるという事実に連なったのである。
  アメリカ社会科学者たちにあって、このような科学と社会との関係の解明の試みも認められる。レイモンド・セイデルマンは、アメリカ政治学の展開を「第三の伝統」の台頭と理解すべきであると主張している。政治学者たちの代表的立場は、アメリカ政治の二つの主潮流の中道を発見しようとする知的位置に求められるとしている。第一の伝統は制度主義の伝統であり、フェデラリストと憲法の理念に発する。第二の伝統は急進的民主主義者の伝統であり、その起源はアンティ・フェデラリストの著作に発し、多様なポピュリズムの潮流に一貫しているとされる。
  他方で、ドロシー・ロスの主張は、新自由主義の諸思想が、革新主義期の社会科学者たちによって、アメリカ社会の研究に導入され、アメリカのイデオロギーの例外主義的遺産を慎重に修正しようと試みられたとするものである。資本主義市場と政治的民主主義の双方において、自由に行動する個人の意思がアメリカ社会を理解するための鍵である(Ross, 1991:153)。社会が、政治的意思の行使というよりも、過程として理解されるなかで、古くからの自由主義的共和主義者の権力不信感が忘れ去られたのである(Ross, 1991:248-249)。
  しかし、セイデルマンとロスの指摘は、いずれも、部分的誤りをおかしていると言えよう。多元主義は、セイデルマンにあって第三の伝統の位置にある(また、ロスの新自由主義の中心的構成要素の位置にある)。だが、多元主義の起源は既にマディソンに見いだすことができる(e. g., Waste, 1986:121)。この意味で、制度主義と第三の伝統は共通の基盤にある。他方で、メリアムをはじめとする人々は、古くからの自由主義的共和主義者の権力不信感を権威の積極的信頼感に転換することを求めたとはいえ、アメリカの政治的遺産に占める古典的共和主義の理念に無自覚的であったわけではない。さらに、権力の不信感は集団政治の研究や影響力の研究に生き残ったのである。恐らく、能動的市民の理念や公共善を自由の保塁とすべしとする信念、これが古典的共和主義の特徴であったとしても、権力と腐敗を最少限にとどめるためには混合政府が必要であるとする古典的共和主義の考えが忘れ去られたわけではない(Pocock, 1989:106-107)。
  アメリカの社会科学は、制度主義者と急進的民主主義者、あるいは、いずれかに対する反動として説明のつくものではないし、古い自由主義的共和主義の理念を新しい自由主義の理念に置換しようとする自覚的努力にすぎないものと理解することもできないものであって、アメリカの立憲体制の枠内において、新しい政治諸問題の解決を求めようとする試みとして理解しなければならないものである。制度主義者や急進的民主主義者の理念がアメリカ政治学のマトリックスの枠内にあることは当然としても、極めて多様な挑戦を受け、また、多様な形態の受容ないし結合関係にあるので、統一的な第三の伝統を形成することは不可能である。生粋の制度主義者ないし生粋の急進的民主主義者と呼ばれ得る政治学者たちも常に存在している。セイデルマンのテーゼの最も明示的例としてロバート・A・ダールの『民主主義理論序説(A Preface to Democratic Theory)』(セイデルマンは分析すらしていない)が挙げられるが、これは、第三の伝統に属するものであろうか、あるいは何か別のものであろうか。セイデルマンとロスに対する最も重要な批判は、民主主義の形態と実践とが区別されていないということである。つまり、形態を受容しつつも、権威の根拠を実践に求めようとする試みも存在し得るのである。
  当然ながら、アメリカ政治の多様な局面は、それぞれに、アメリカ政治学の発展にイムパクトを与えている。多元主義が民主主義の指導的理論として台頭するに至った理由のひとつとして、ニューディール政治の実践を挙げて然るべきであろう。その基礎は妥協の追求にあった。多くの人々は、この妥協の追求がニューディールの中心に位置するとみなし、その具体的表現のひとつとして一九三五年の「社会保障法」の成立を挙げている(Woodiwiss, 1993:15)。他方で、ローズヴェルトは、多くの人々から責任ある指導者と見なされ、彼自身も上からの改革を支持したことは明らかである(Hofstadter, 1974:421)。また、想起しなければならないことは、『民主主義の政治(The Politics of Democracy)』において、アメリカの政治体制を讃えたのはペンドルトン・ヘリングであったということであり、この著作は「同僚の政治学者から多元主義的立場の古典的論述と見なされるようになった」し、彼も「一九三〇年代のニューディール立法を既存の体制の成果として、つまり、実効性の証明であると指摘した」のである(Epstein, 1986:27)。
  本論で扱った多元主義的民主主義理論が一九二〇年代に展開し始め、一九六〇年代半ばにアメリカ政治学の指導的位置を占めるに至ったわけであるから、確かに、特殊「ニューディール型多元主義」について論ずべき根拠が存在することになる。この理論は、アメリカ史の時期区分からすれば、「民主的ニューディール期」と呼ばれ得る時代(一九三二ー六八年)とほぼ一致している(Phillips, 1990:33-34)。
  多元主義とニューディール政治とを結び付けるべき別の理由もある。アメリカの政治学者の大多数は、一九五〇年代と一九六〇年代にあって、自らを民主党支持者であると考えていた(これは、無党派が増え続けているとしても、今日も妥当する)。また、アメリカ政治学者がいつも好みとする大統領はフランクリン・デラノ・ローズヴェルトである(Lynn, 1983:110)。
  他方で、政治の「ニューディール理論」に対する批判が一九六八年以降の「市民反乱型共和党期」に台頭してきた(Phillips, 1990)。ニューディール型多元主義は、右翼と左翼の両方から攻撃されるようになった。また、依法型民主主義と参加型民主主義理論が古い多元主義の挑戦者として登場した。古い多元主義が新多元主義に転化したと主張しようとする人々すらも多くなった(Held, 1987;Manley, 1983)。というのも古い多元主義の代表者に属しながら、今日も指導的地位にある人々にあって、新多元主義の理論をもって、これまでになく公然とアメリカ社会を批判し、富の非民主的構造を指摘するとともに、経済的民主主義の方途を追求するものも登場したからである(Dahl, 1985)。しかし、多元主義と新多元主義とを区別するための論理的根拠は存在しないように思われる(Dahl, 1983;Lindblom, 1983)。これは多元主義の柔軟性を示すにすぎないものであろう。
  一九七〇年代と八〇年代は、依法型民主主義理論の潜在的成長期にあたっている。だが、一九九〇年代は参加型民主主義諸理論の潜在的成長期となり得るであろう。というのも、直接民主主義の諸制度(イニシアティブ・レフェレンダム・リコール)の人気がこの二〇年間に強まっているからである(Cronin, 1989)。議員を務め得る任期数を制限しようとする運動も強力である。また、第三の指標として、地方レベルにあって、広く市民の参加を活用しようとする動向も強まっている。こうした参加型民主主義の諸形態は、近隣型団体の場合もあろうし(Portney, Berry and Thomson, 1990)、あるいは「テレデモクラシー(teledemocracy)」の実験の場合もあり得よう(Arterton, 1987)。
  以上のように、イニシアティブの人気が強まっているわけであるから、直接民主主義や参加型民主主義が消え去ることはないと言えよう。こうした傾向がさらに展開すると、合衆国の民主主義形態にかなりの影響を与えることになろう。また、直接民主主義は政治に占める集団過程の重要性を掘り崩し、エリートの地位を弱めることにもなるから、実践の変化もきたすことになろう。将来、「テレデモクラシー」が発展すると、政治諸集団の役割はさらに弱まることになろう。
  アメリカの政治学者たちは、こうした変化に止目してきたし、また、多くのニューディール型多元主義者の危惧はこの点に求められる。ロバート・A・ダールは、新しい政治秩序が、合衆国にあって、既に、この三〇年間に育まれたと主張するに及んでいる(Dahl, 1993)。利益集団の対立と自立化がこれまで以上に強くなっている一方で、政府諸機関も幾つかの点で脆弱化している。だから、大統領と連邦議会がそれなりに一貫した政策を採用することもできなくなっているのである。また、システムの断片化によって、だれに所与の政策の責任があるかを決定することも困難となっている。これは、アメリカ政治が、代表と審議の点で改善をはかることなく、人民投票型特質を強めたことに起因するものでもある。政治システムの機能を理解することがさらに困難なものとなっているだけでなく、このシステムの機能不全化も、多くの人々によって、個々の政治家の失政と見なされている。
  ダールの分析が正確としても、政治学の可能性はここにとどまるものではない。恐らく、最良のオルターナティブは、新しい民主主義理論をつくり上げ、台頭期にある政治の諸潮流を考慮したものとすることである。多文化型情報社会にあって、影響力の分析にはより困難なものがあるとはいえ、これまで以上に強力な権威の基盤を発見することが必要とされている。

七、権力と民主主義の文化的・政治的条件
  政治理論は、常に、自らの文脈の所産である。だから、民主主義理論ないし権力理論そのものについて議論することができないのであって、アメリカの民主主義理論ないしインドの民主主義理論、フランスの権力理論ないしナイジェリアの権力理論などについて議論すべきことになる。もちろん、こうした多様な理論には多くの共通点が認められるし、相互に影響しあってもいる。だが、あらゆる理論が固有の国民的基盤を引きずっているのは、権力と民主主義が具体的状況においてのみ理解し得るものにすぎないからである。
  だからといって、アメリカ政治学において展開をみた権力と民主主義の概念が他の諸国に応用することなどできないということにはならない。アメリカの政治学や社会科学の所産には膨大なものがあるから、これに学ぶことも可能である(批判的に学ぶのであれば)。ある国の政治が合衆国の政治と類似している限り、アメリカの言説の諸概念を当該国に適用することも可能である。
  だが、幾つかの問題も残る。ヘゲモニー的位置にある諸国は、世界において、(権力の多様な諸過程を含みつつも)経済的・社会的・政治的言説を方向づける傾向にあり、したがって、他の諸国の文化的脈絡の誤解をきたすことも起こり得る。とはいえ、権力・民主主義・人民・諸価値などは、異なった社会にあって個別の方法で概念化されていると言えよう。
  アメリカ社会は極めて個人主義的社会である。これは、例えば、権力が、主として、諸権利を有する個人のパースペクティブから理解されていることを意味している。ところが、他の多くの諸国では、むしろ共同体や人民相互の義務の重要性が強調されている(Parekh, 1992:170)。アメリカの社会と政治的システムの本質のゆえに、権力と民主主義の理論的関心は、主として、民主主義の実践に傾き、権力行使に占める民主的形態の役割が概念化されることはなかった。資源あるいは諸制度に、さらには、技術や条件ないしミクロ権力のネットワークのいずれに焦点が据えられるかによって、権力の概念には異なった概念が措定されるということ、この点は明らかである。
  だから、社会がどのように構成されているかによって、異なった権力概念があり得ることになる。本論の先の図は、社会が異なれば違いも起こり得ることを示すものである。諸個人はこの図の中央に位置しているとしても、だからといって、このモデルを個人主義的パースペクティブから解釈する必要はない。諸個人は集団や国家の構成員でもある。所与の社会における権力を理解するためには、その社会の社会的構成を、つまり、政治的諸価値と個人の諸目標の特質のみならず、経済的・社会的・政治的システムの特質や、こうしたシステム間の諸関係を、さらには国家の課題と機能などを理解することが重要となる。
  結論として想起されたいことは、本論はアメリカの民主主義理論ないし権力理論の論理的構造ないし経験的妥当性を評価したものではないということである。こうした理論は固有の文脈においてのみ理解し得るにすぎないことを指摘したまでのことである。だが、同時に、本論では、権力と民主主義の点で、一九二〇年代と三〇年代のアメリカの政治学者によって重大な修正をみたことを論じたつもりである。例えば、興味深いことに、現代ヨーロッパの社会科学者のなかには、新たなポストモダン型政治状況とは「民主主義の必要性を、また、類似の、ないし異なった形態の言語ゲームの主唱者たちが固別の生活形態を公然かつ継続的に表明し得ることを保証する制度的諸編成の必要性を意味する」と主張するものも登場し始めている(Keane, 1987:13)。転換期の社会が権威を必要としているとしても、それは、一方では民主主義過程の共通ルールを受容するものとなるのみならず、他方では多様性の承認を基礎としたものとなることは明らかである。

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〈付記〉  本稿は、次の論稿の訳出である。Erkki Berndtson,”From Sovereignty to Authority and Influence:Toward a Genealogy of Power in Democratic Theory.
  本稿は、一九九四年八月の「国際政治学会(IPSA)」の第一六回世界大会(於ベルリン)の報告として準備され、訳者のひとりたる中谷に郵送されたものである。訳者は、本稿がひとつの「権力論」の系譜論として、また、アメリカ政治学における「権力」論を「民主主義理論」史に即して展開したという点でも、示唆的論述にあると判断し、著者の許可を得て訳出した。
  著者の研究は、主として、アメリカ政治学史にあり、現在、「ヘルシンキ大学」(フィンランド)の政治学部助教授で、「フィンランド政治学会」の会長も務めている。
  本誌への訳出転載を認められたベルントソン助教授の好意に感謝の意を表する。
ー訳者ー