立命館法学  一九九六年五号(二四九号)




現代ドイツにおける
不法行為法理論の動向について

−Bru¨ggemeier の
不法行為法理論を中心に−



増田 栄作






目    次




I.課      題


  本稿の課題は、Bru¨ggemeier の不法行為法理論の紹介・検討を通じた、現代ドイツにおける不法行為法理論の動向の素描、および、そこから現代不法行為法理論がうけ得る示唆についての若干の考察である。
  最近、ドイツ不法行為理論の動向分析に関して、注目すべき指摘があらわれた。Deutsch は、一九九五年に刊行された自著『過失と必要な注意』第二版の序言において、一九五〇年代後半から一九六〇年代前半にかけて激しく戦わされた違法性および過失に関する議論が、およそ三〇年間を経た現在、新たに岐路にあると指摘し、そのことを、「過失と違法性ー二一世紀への入口における総括」と題する第二編を補充した第二版刊行の動機の一つとしている。違法性および過失の理解に関して、判例において一九五七年三月四日のBGH大法廷判決(BGHZ 24, 21)以来言及されなくなった一方で、学説において概念の従来の区別を取り壊す見解が見いだされるという。すなわち、「違法性は、必要な注意の違反である」、「責任は、既に違法な行為に関して生ずるものであって、有責な schuldhaft 行為に関してではない」、「客観的類型的注意は、危険責任の要素である」、「過失の推定は、証明負担転換ではなく、実質的権利の変容と解される」、「責任は、侵害防止措置の経済的期待可能性によって左右される」、「過失は、全てを包含する不法行為構成要件と解される」等の見解である。Deutsch は、ヨーロッパの経済統合にともなう責任法の調和という状況をも考慮に入れながら、上のような諸見解(Deutsch 曰く「簡素化」)に関して、その妥当性を検討する(1)
  現代ドイツにおける不法行為法理論が、果たして、新たに岐路にあるというほど重大な局面にさしかかっているのかどうか、俄に判断することはできない。しかしながら、違法性・過失論から視野を拡げて、近時のドイツ不法行為法理論に関する議論状況を一瞥しても、直ちに幾つかの注目すべき動向が看取されるように思われる。第一には、いわゆる社会生活上の義務 Verkehrspflicht(以下 V. pfl.)に関する議論が重要である。V. pfl. に関する責任を、BGB八二三条一項の絶対権侵害の際にのみ認められるものと考えるか、BGB八二三条二項の保護法規違反に関する責任と同一視し、必ずしも絶対権侵害のない場合においても認められるものと解するか、あるいは、そのいずれとも異なった範疇において把握するか、という問題である。その根本には、現代社会における不法行為法の在り方をいかに理解するか、という重要な論点が横たわっている(2)
  第二には、それぞれに特徴的な分析手法を用いて、従来のBGB不法行為法諸規定の解釈や不法行為法の役割に関する理解等に新たな展開をもたらそうとする、幾つかの試みが存在する。一つは、比較法的手法を用いつつ、不法行為法の機能的考察を試みるものである。たとえば、Stoll は、近著『民法における責任効果』において、旧社会主義圏を含む欧米各国を中心とした法比較に基づきつつ、損害賠償法の意味内容に関する機能的考察をおこなっている(3)。比較法的手法を駆使した不法行為法制度の政策的・機能的側面の考察は、今後も、ヨーロッパ各国間の責任法の調整が進められるなかで、さらに重視されていくように思われる(4)。二つは、経済分析的手法を用いて、効率性の観点から不法行為法諸制度の意義と限界を考察するものである。経済分析的手法を自らの不法行為法教科書において大胆に採り入れる Ko¨tz が、代表的論者として挙げられるが(5)、最近では、一九九一年に制定された環境責任法の立法過程における議論のなかで、環境汚染に対する民事責任特別法の予防効果を論証する際に、経済分析的手法が積極的に用いられたことが注目される(6)。この手法も、政策的・機能的考察の試みとして位置づけられようし、また、アメリカ法研究の産物であることを考えるならば、比較法的手法の一派として扱うこともできよう。三つは、BGB起草過程における議論に光を当てることによって、BGB不法行為法の理解を大きく変更しようとするものである。Bo¨rgers は、特に一九八〇年代以降にあらわれてきた、新たに発掘された立法資料等に基づきつつ一九世紀ドイツ法律学の理解を再検討する試み−パンデクテン法学は決して「概念法学」などではなく、むしろ、裁判官による自由な法形成の余地を十分に認めるものであったという見解−に依拠しながら、従来の学説における、列挙主義に則り硬直的で新たな諸課題への対応力に乏しいBGB不法行為法という理解は誤っており、むしろそれは、本来的にはフランス民法典一三八二条のような一般条項として解すべきであって、実務の法発展を柔軟に包摂し得るものであることを主張する。ドイツ不法行為法研究の新たな視角として、注目に値するように思われる(7)
  そして、第三には、新しい法の一般理論、すなわち、一九八〇年代以降活発に論じられた、いわゆる「法化」論とそれに関連して展開された法の一般モデルに関する議論の影響を受けつつ、そこで展開された一般条項論等を積極的に不法行為法理論に活用しようとするものである。Bru¨ggemeier は、Teubner による法の一般理論(オートポイエーシスシステム論)や一般条項論等を援用しつつ、裁判所による V. pfl. の自由裁量的な設定によって、不法行為法が社会統御のために柔軟に運用されるべきこと(Bru¨ggemeier 曰く「司法的保護政策」)を論じる(8)。新奇な社会理論や法の一般理論を用いて、不法行為法の意味内容や役割について論じる、不法行為法のポストモダンとも称し得る試みは、他にも散見される(9)
  本稿の主要な検討対象である、Bru¨ggemeier の不法行為法理論は、上に示した不法行為法理論の諸動向のうち、第三のものはもとより、他の幾つかとも関わっており、動向全体をある程度集約的に表現するものである。また、Bru¨ggemeier は、大部の不法行為法教科書をはじめとして、不法行為法に関する詳細な検討をおこなっており、基本思想から具体的解釈論にわたって、その理論を体系的に把握する手がかりを多く与えているが、そのことは、不法行為法理論の新たな動向をより立体的に理解する助けともなろう(10)。さらに、他の論者による Bru¨ggemeier 理論への言及も比較的多く見いだされるが、そこで示される評価は、Bru¨ggemeier 理論の一定の集約的性格に応じて、不法行為法理論の新たな動向に対する学界の対応を知るうえで一つの重要な指標となるように思われる(11)
  以下の叙述では、まず、II.において Bru¨ggemeier の不法行為法理論を概観し、次に、III.において、現代ドイツの不法行為法理論に占める Bru¨ggemeier 理論の位置を明らかにしたうえで、IV.において、若干の検討を加えることとする(12)

(1)  Deutsch, E., Fahrla¨ssigkeit und erforderliche Sorgfalt, 2. Aufl., 1995, S. VII f.  一九六三年に発行された第一版が、当時の違法性・過失論に関する議論に大きく寄与したことは、周知のとおりである。その内容に関しては、さしあたり前田達明『不法行為帰責論』(一九七八年)一五八頁、また、最近の業績としては、潮見佳男『民事不法の帰責構造』(一九九五年)二〇〇頁。
(2)  中村哲也教授は、ドイツにおいて、契約関係にない者の間での過失による純粋財産損害(その典型は情報提供者の責任)に関して、従来、準契約責任的構成が採られていたところ(「準契約説」)、それに対して一九七〇年代後半以降、他人の財産の保護のための社会生活上の義務違反という、不法行為責任による構成を主張する学説(「財産Vp説」−この学説が、V. pfl. に関する責任をBGB八二三条二項に服せしめる構成を採る)が現れてきたことに注目し、それが、「不法行為法を、市民法の一部であるという基本的性格を後退させたうえで、新たな役割をもつものたらしめるという主張に根拠づけられて」おり、「不法行為法を社会・経済政策の実現に広く開かれたものとする」のに適合的な構想であること、また、「財産Vp論」の可否に関する議論は、「不法行為法の体系的地位およびよってたつ原理をめぐる争い」であることを指摘する。中村哲也「純粋財産損害とドイツ不法行為法」法政理論二一巻一号(一九八八年)一頁。
(3)  Stoll, H., Haftungsfolgen im bu¨rgerlichen Recht. Eine Darstellung auf rechtsvergleichender Grundlage, 1993.
(4)  比較法的手法を用いた機能的考察は、Esser や v. Caemmerer の名を挙げるまでもなく、特に、戦後ドイツ民法学の基本的研究手法として定着しているものであるが、しかしながら、あえて最近の特徴としてこのことを指摘するのは、ヨーロッパの経済統合に伴い、各国法制度を比較検討に基づいて平準化する必要性、および、その具体的検討成果が増大していることによる。それは、特に、債務法改正に関する一連の検討作業、そして、製造物責任法や、役務提供法、廃棄物発生者の責任に関する民事責任特別法の制定作業において、顕著に示される。債務法改正作業については、下森定・岡孝編『ドイツ債務法改正委員会草案の研究』(一九九六年)。
(5)  Ko¨tz, H., Deliktsrecht, 6. Aufl., 1994.
(6)  法案理由書が本法のねらいとして市場メカニズムを通じた予防効果を強調することについて、吉村良一「ドイツにおける公害・環境問題と民事責任論の新しい動向」立命館法学二二〇号一九九一年七四六頁。
(7)  Bo¨rgers, M., Von den”Wandlungen zur”Restrukturierung des Deliktsrechts?, 1993.  ドイツ民法典不法行為法諸規定の制定過程に関する最近の議論状況については、福田清明「ドイツ民法典第八二三条及び第八二六条の制定過程」比較法雑誌二二巻三号一九八八年二七頁。近時のドイツにおける「『概念法学』像の揺らぎ」という問題状況に関する包括的検討としては、赤松秀岳『一九世紀ドイツ私法学の実像』(一九九五年)。
(8)  Bru¨ggemeier, G., Judizielle Schutzpolitik de lege lataーZur Restrukturierung des BGB-Deliktsrechts, JZ 1986, S. 969 (Bru¨ggemeier ((1))), Deliktsrecht, 1986 (Bru¨ggemeier ((2))).
(9)  たとえば、Meder は、特に契約締結上の過失責任の理論的整序に関して、社会理論としての「危険社会 Risikogesellschaft」論を意識しつつ、従来の意思過失 Willensschuld にかえて危険 Risiko を基準とした再構成を試みる。Meder, S., Risiko als Kriterium der Schadensverteilung, JZ 1993, S. 539.
(10)  不法行為法に関する Bru¨ggemeier の検討としては、上述のもの以外に、次の文献が存在する。Bru¨ggemeier, Gesellschaftliche Schadensverteilung und Deliktsrecht, AcP 182 (1982) S. 385, Umwelthaftungsrecht−Ein Beitrag zum Recht der 》Risikogesellschaft《 ?, KJ 1989 S. 209, Organisationshaftung−Deliktsrechtliche Aspekte innerorganisatorischer Funktionsdifferenzierung, AcP 191 (1991) S. 33 (Bru¨ggemeier ((3))).
(11)  Bru¨ggemeier の不法行為法教科書について、Stoll による書評が存在する(Stoll, H., Literatur, Gert Bru¨ggemeier:Deliktsrecht, AcP 187 (1987) S. 505.)他、Bru¨ggemeier 理論を学説史上一つの画期として位置づけ、分析を加えるものが相当数見いだされる。後述III.Bru¨ggemeier 理論の検討の箇所参照。
(12)  筆者は以前、現代社会における不法行為法の意義と限界の考察のために、ドイツの民事責任原理・体系論に関して、特に危険責任原理の側面を中心とした検討をおこなったが、本稿は同様の問題意識に基づきつつ、不法行為責任(過失責任)原理の検討にむけ布石を打つことを意図し、前提として現代ドイツにおける不法行為法理論動向を概括的に把握することを目的としている。拙稿「ドイツにおける民事責任体系論の展開ー危険責任論の検討を中心として---(一)−(三・完)」立命館法学二三七号一〇七〇頁、二三九号九七頁、二四〇号四〇五頁(一九九四−一九九五年)。


II.Bru¨ggemeier の不法行為法理論

1.「不法行為法の諸変遷」−現代的不法行為法への展開
  Bru¨ggemeier は、自らの不法行為法理論を展開するにあたり、まず前提として、BGB不法行為法の変遷を追いつつ、現代的不法行為法への展開を三つの要点について整理している。第一には、損害外部化から損害内部化へ、という展開である。すなわち、一九世紀半ばのドイツにおける自由主義的・個人主義的な社会政策類型の下で、BGB起草者が構想した、行為危険を社会的に分配するための手段は、原則的に、被害者への損害外部化(property rule「損害を生じたところに帰せしめよ」)であった。そして、そのような社会政策類型を維持し、あるいは、支配的な社会倫理的要請に応えるために、損害外部化の枠組みの訂正が必要とされる箇所にのみ、例外的に不法行為法による加害者への危険移転が認められた。しかしながら、一九世紀半ば以降のドイツの社会的・経済的発展は、基本的諸制度の見直しを迫り、経済社会の国家からの独立に代わって、組織的相互依存が図られ、それに伴い、BGB不法行為法制度も重大な変化を被ることとなった。今日の「成熟した」産業社会において、「property rule の社会経済的追い越し」・行為者への損害内部化が問題となり、それは、文言上変更のないBGB不法行為法規範の他方で、裁判所による司法的法形成(一般的社会生活保安義務 Verkehrssicherungspflicht(以下 V. sich. pfl.)、一般的営業権、一般的人格権等)、および、立法者による特別法の制定(危険責任特別法)によって追求されることとなったという(1)
  第二には、損害補償から損害予防へ、という展開である。BGB不法行為法は、損害外部化の基本決定に基づいた、自らの例外的・消極的役割に対応して、補償原理を前面に置き、不法行為の個々の要件が全て充足された場合に、はじめて、かつ全ての損害が賠償されるという、オールオアナッシングの処理を予定した。しかしながら、上に述べたような損害内部化への転換とともに、不法行為法は、個人的損害補償に代わって、社会的損害予防を主要な課題とし、損害予防のための社会的制御機構へと展開した。その評価は、一九六〇年代のアメリカにおける、いわゆる「法と経済学」の分析手法によって、十分な定式化をみた。「法と経済学」の評価は、責任法的損害賠償を、社会的損害予防を達成するための直接的国家的規制の代替策として扱いつつ、過失責任と無過失責任の選択に関する責任法の内容形成を、如何にすれば最も効果的・合理的な損害回避がもたらされ得るかということ(一般的抑止)によって決定した。また、アメリカにおいて、不法行為法が、事故法を主要な課題とし、あるいは、社会保障制度の不備、成功報酬制度、懲罰的損害賠償制度等に伴う問題点を有するゆえに、損害予防機能においてその実効性を疑われ、不法行為制度廃止論まで論じられる状況に至っているのに対して、ドイツにおいては、不法行為法の主要な対象は、非事故法の領域に移動しており、また、アメリカの社会補償制度や裁判制度等に関わる各種の問題も共有しておらず、したがって、社会的損害予防機構としての不法行為法の積極的意義は、依然として認められるという(2)
  そして、第三には、司法的保護政策という不法行為法の新たな側面の顕在化、という展開である。今日、情報・医療技術等の発達による、個人に対する他人や企業等の操作的干渉の拡大・多様化、また、基本法の効力や社会文化的・技術的変化の結果としての、伝統的諸状況の変容(婦人の解放、家族計画、遺伝子工学、環境破壊等)によって、不法行為法は、たとえば、医師の説明義務違反、望まざる生活 wrongful life、個人情報の濫用等の際に、人格権保護の拡大を通じて社会的規制を供するといったような、政策的機能を担わなければならない。「不法行為法は、今日、柔軟、臨機応変かつ高度の学習能力を備えた社会において、必要な間接的国家的規制を可能とする発展成果として理解されなければならない(3)」。したがって、現代の不法行為法は、あらゆる者を対象とする一般的法規・行為規範としてではなく、「特定の個別的社会領域に関する不法行為法上の行為義務の裁判官法的形成」として現れ、立法に代わって司法の役割が重視される(司法的保護政策としての社会的規制)。そして、法律学の課題は、「体系的説明、擁護、および、批判によって、この法発展過程を支援し、裁判官法的点描主義、および、不合理主義を克服すること」に置かれると主張される(4)
  以上のような、BGB不法行為法の変遷に関する検討を通じて指摘された、損害内部化・損害予防・司法的保護政策という、現代的不法行為法への発展に関する理解を基礎に据えつつ、Bru¨ggemeier は、より具体的に、BGB不法行為法の変容を、九つの点について整理・分析する。すなわち、((1))契約法と不法行為法の二分法から、準契約責任の発展による二分法の再検討へ。((2))個別的構成要件の体系から、一般条項へ。((3))絶対的主観的権利中心の構成から、社会的保護地位に基づく構成へ。((4))消極的違法性から、積極的義務違反(社会生活違反)へ。((5))過失原理 Culpa-Prinzip から、客観的不法行為責任 objektive Deliktshaftung へ。((6))制限された不法行為法上の使用者責任規定(BGB八三一条)から、組織義務等の設定によるBGB八二三条に基づく使用者責任の拡大へ。((7))裁判官による法形成裁量の制限から、その拡大へ。((8))約款による不法行為責任の広範な免責可能性の保障から、一般取引約款規制法によるその免責可能性の制限へ。((9))被害者の証明法上の不利益処理から、被害者保護のための、証明負担基準および証明程度基準の緩和へ(5)。このような検討によって、「BGB不法行為法の再構成」が試みられ、現代的不法行為法の具体的内容が明らかにされる。以下では、それらのうち、基本的な不法行為構成要件の中心に関わる((2))((3))((4))((5))について、より立ち入って内容を追うこととする。
2.「BGB不法行為法の再構成」−現代的不法行為法の具体的内容
  (1)  個別的構成要件の体系から、一般条項へ
  Bru¨ggemeier は、BGB制定過程における議論を概観しつつ、BGB不法行為法規定が、当初予定されていた一般条項的責任規定から離れて、最終的に、権利(法益)侵害に関するBGB八二三条一項、保護法規違反に関する八二三条二項、良俗違反に関する八二六条の三つの個別的構成要件に帰着したこと、そしてそのうち特に八二三条一項に中心的役割が課されたことを確認する。しかしながら、複雑化する社会において、個人の活動領域・利益領域を確定するためには、特に人格的利益や財産的利益の保護に関して八二三条一項は不十分であり、そこで、BGB不法行為法における、自由主義的な損害外部化(property rule)の優位および不法行為責任の例外的存在という枠組みを、状況に応じた危険分配の社会的機構に発展的に修正することが課題となる。判例は、BGBの個別的構成要件の狭小な体系を補充し、実定法に反して、再び第一草案の一般的不法行為構成要件に回帰し、八二三条一項は、密かに、古典的な権利(法益)侵害禁止構成要件から、現代的な包括的裁判官介入規範になり、「社会生活違反 Verkehrswidrigkeit」に関する責任構成要件として、一般条項的意義を付与され、他の二つの構成要件を「相続」した。すなわち、八二三条二項は、禁止構成要件あるいは義務違反構成要件としての八二三条一項に引き受けられ、また、社会的に「良好と認められた慣習」という平板な基準を与えるにすぎない八二六条も、社会的価値の多元化や社会全体の内的差異化による社会関係の必要な微調整を認めるものではなく、実際上は「社会生活違反」に還元された。Bru¨ggemeier は、一九四〇年のドイツ法アカデミー債務法改正委員会が、既にこの事実を考慮し、以下の一般的不法行為基本構成要件を提案していたことを援用する。すなわち、「故意または過失による他人の違法な侵害は、損害賠償を義務づける」(一条一項(6)
  (2)  絶対的主観的権利から、社会的保護地位へ
  Bru¨ggemeier によれば、八二三条一項において規定される、物的所有権を典型とする絶対的主観的権利は、資本主義経済社会における市場資本家 Marktbu¨rger の社会的地位を私法的に確定するものであった。ここでは、肉体的・精神的労働の産物は、排他的に「製造者」に帰属し、それによって商品交換経済の対象となった。絶対的主観的権利によって個人の権利領域は客観的に確定され、この不法行為法的に保護された地位に基づいて市場資本家は経済活動をおこなった。しかしながら、経済・社会構造の複雑化とともに、個人の社会的地位も、絶対的主観的権利によって規定され尽くされるものではなくなった。このような傾向は、BGB不法行為法の展開において、特に二つの現象として示される。一つは、一般的人格権、および、設立され稼働中の営業に関する権利の承認である。これらの権利は、身体的・非身体的対象に関する排他的割り当て内容を伴った「支配権」ではなく、むしろ、法的保護の不足を、白紙構成要件 Blankett-Tatbesta¨nde を通じて裁判官法的に充填するものであり、行為要求の束の定式化を経て社会的保護地位を構成するものである。二つは、民事法上の所有権概念の憲法上の変容である。連邦憲法裁判所が述べるには、民事法上の動産・不動産所有権もまた、個人的利益と同様に、公共の利益をも考慮しなければならない、憲法上の所有権秩序の一部である(7)。たとえば、所有権の本質的侵害のような、単なる結果は、違法性徴表機能を有するものではなく、違法性判断は、具体的行為規範違反の積極的確認において存在するという(8)
  (3)  消極的違法性から、積極的義務違反(社会生活違反)へ
  BGB起草者は、狭小・厳格な、身体的完全性および物的所有権の不法行為保護から出発し、それに対応した不法行為法上の行為義務を「結果不法」の名において定式化したことが確認される。すなわち、他人に対して画然と区別された絶対的権利または身体的法益の客観的領域の侵害は、それ自体で違法となり、したがって、違法性概念自体は、極めて例外的に違法性阻却事由の確定において機能するに過ぎなかった。しかしながら、Bru¨ggemeier は、「成熟した」産業社会の相互依存性および複雑性を背景として、新たな事故類型に柔軟に対応する行為義務の確定が課題となり、違法性判断においても、侵害結果ではなく、積極的行為義務違反としての具体的損害惹起行為の評価が重視されることとなったと述べ、判例が、BGB発効後三年を待たずして、八二三条一項における不法行為法的行為義務として、危険物や、道路、土地、百貨店、病院等の空間的・客観的領域を「社会生活保安的に維持する」一般的注意義務、すなわち、V. sich. pfl. に言及し(RGZ 52, 373.)、それがさらに、各種の職業行為・営業行為に関する保護義務等をも含んで、より機能領域を拡大した一般的 V. pfl. に展開、多様化していることを指摘する。学説においては、特に一九五〇年代以降、目的的行為論の影響の下で、間接的権利(法益)侵害に関する客観的注意義務(外的注意)が、過失要件から取り出され、違法性要件として認識されたが、このような客観的不法行為法的行為義務の確認は、アメリカ法におけるネグリジェンス理論の影響をも被りつつ、この行為義務とBGB二七六条の過失要件における注意義務の同一視に導いた。Bru¨ggemeier は、客観的過失概念を首尾一貫させるならば、過失と義務違反としての違法性は一体化し、過失責任は、単なる客観的不法行為責任、つまり、「社会生活違反」に関する責任と解されなければならないと述べる。この発展は、一九六〇年代末に、「行為不法」の名の下で、不法行為法理論において広範に受容され、それによって、BGB八二三条一項は、また自らの古典的中心においても、結果について判断された行為不法構成要件として解されたという。すなわち、行為義務違反は、評価された結果の付加によって、はじめて客観的不法構成要件を満たし、逆に、権利(法益)侵害は、惹起行為がその都度の状況によって規定される行為規範に適合した場合は、問題ではない。今日なお、通説的理解は、結果・危殆化関連的違法性と、行為・禁止関連的違法性の、二重の違法性概念を固持しているが、しかしながら、社会関係の複雑化(「減少する『社会類型的明白性』」)、侵害結果が直接責任発生に結合するものではないこと、不法行為法的に保護されるべき利益を果たして絶対的権利が代表し得るかどうかが疑わしくなったこと、直接的権利(法益)侵害と間接的それの区別の困難、作為による結果惹起と不作為によるそれの区別の困難等に鑑みるならば、違法性判断は、基本的に侵害行為と積極的・裁判官法的に展開された法秩序の行為規範との一致から出発しなければならず、行為の結果からではない(行為不法一元論)。ここでもまた参照されるのは、先のドイツ法アカデミーによる「リステイトメント」である。「被害者の人格または財産の保護を目的として法秩序によって定められた義務に違反した場合の作為または不作為は、違法である(9)」(一条二項)。
  (4)  過失原理 Culpa-Prinzip から、客観的不法行為責任 objektive Deliktshaftung へ
  BGB損害賠償法における過失原理とは、民刑事両法の統一的責任概念、すなわち、意思自由の道義的に非難可能な濫用としての過責 Verschulden であるが、この統一的責任概念は、民法上の過失責任については、早くから二重の過失概念をもって客観化傾向に対応したという。すなわち、一方における、権利(法益)侵害の際の「必要な注意の無顧慮」(回避可能性・「外的注意」)であり、他方における、回避可能な権利(法益)侵害の予見可能性(「内的注意」)である。外的注意は、客観的基準であって、自らに期待される年齢、性、職業、その他の役割に応じた(BGB二七六条一項二文−「社会生活において必要な」)注意と解される。内的注意は、従来、主観的・個人的基準と解されていたが、今日の通説的見解は、内的注意に関しても、客観的・平均的な知覚能力・認識能力から出発するので、結局、過失は、違法な権利侵害の客観的認識可能性と解される。Bru¨ggemeier は、そのような通説的理解を、以下の点において批判する。第一に、そもそも、BGB不法行為法は、「社会生活違反」に関する一般条項(八二三条一項)に展開しており、それは、責任法の中心的裁判官的介入規範として、不法行為法上の行為義務の定式化を通じ、その都度の利益領域の限界付け、および、社会類型的危険の分配をおこなうものである。第二に、間接的権利(法益)侵害の際と、直接的権利(法益)侵害の際とで、過失の内容を別々に理解することは、説得的でも実用的でもない。まず、二つの不法行為形態の区別自体が疑問であり、さらに、たとえば、医事責任における違法性判断が、直接的侵害のみからではなく、義務違反の確認を経て初めておこなわれることからもわかるように、直接的権利(法益)侵害においてさえ、過失を責任要素 Schuldmoment の唯一の枠として理解することは、もはや維持され得ない。第三に、外的注意と内的注意の分離自体が疑問視される。予見可能性は客観化されると、事実上その機能を喪失する。特定の状況の下で適用される一般的(平均的)行為義務に対する個人的劣後として、すなわち、義務違反の肯定として、行為要求の客観的認識可能性が示される。民事的過失責任は、ある種の保証責任であって、社会的に期待される(「必要な」)平均的能力として定められる。過失責任は、それが責任を、状況・役割に定型的な注意によれば回避可能であったであろう加害行為に根拠づける限りで、過責責任とは異なる。結局、過失概念は、時代遅れの過責概念から解放されなければならず、客観的行為義務違反に還元されなければならない。民事過失は、社会生活違反であり、その都度の法主体に自らの社会的関連において期待された行為基準の違反であるという。「過失は、社会的役割の保証に関する責任である」(Mertens)。そして、ここでも、ドイツ法アカデミーの「リステイトメント」が援用され、その過失の定義は妥当とされる。「自らが活動する生活分野の秩序ある共同生活の諸要求に鑑みて、自らが所属する職業集団、および、年齢集団の構成員の所与の事情の下で、期待されるべき注意を考慮しなかった者は、過失をもって行為するものである。特別の認識は、高められた注意を義務づける(10)(11)」(二条)。
3.現代的不法行為法の理論的特徴
  以上のような、BGB不法行為法の「諸変遷」、および、「再構成」に関する理解をふまえて、Bru¨ggemeier は、あらためて現代的不法行為法の理論的特徴に関して、より包括的な整理をおこなう。その際、Bru¨ggemeier は、まず、現代的不法行為法が依るべき基本的な原則を明らかにし、そのうえで、現代的不法行為法の理論的特徴について考察を加えている。
  現代的不法行為法の原則に関して、Bru¨ggemeier は以下のように認識する。すなわち、BGB不法行為法の規定が、制限された、かつ、厳格な財産保護、および、身体的完全性保護という、自由主義的 property rule の明確な輪郭を持った例外的分野として構想されたものであり、それゆえ産業社会の制御機構という自らの社会的課題を果たし得ないのに対して、現代的不法行為法は、高度に組織化した経済において、そして、分業における国家と経済の複雑な相互依存関係に際して、発達した社会的保護の国家的体系や、私保険による保護と共に、部分的な市場の失敗を補償し、多様な社会的不平等状態を、そのつどの行為危険の柔軟で臨機応変な定義、および、分配によって、是正するために機能するものである。そして、このような基本原則を、現代的不法行為法は、歴史的に条件づけられた立法概念に反して、また、場合によっては法規の条文に反してでも、実現しなければならないとされる(12)
  そのような基本原則についての認識に依りつつ、Bru¨ggemeier は、現代的不法行為法の理論的特徴として、「一般性」、「分化性・可変性」、「手続性」の三点を指摘するが、その内容は、相互に不可分の関連にある以下の三つの視角から展開される。第一には、現代的不法行為法の基本的性格に関する言及である。すなわち、現代的不法行為法は、一方において、BGB不法行為法における八二三条一項、二項、および、八二六条の各規定に比べて、「より大きな一般性」を示すと同時に、他方において、BGB不法行為法や、さらには、より強くコモンローが考慮したような、個別的構成要件の体系に比べて、「より大きな分化性 Differenziertheit」・「高められた可変性 Variabilita¨t」を示す。つまり、現代的不法行為法は、基本構成要件として、V. pfl. 違反に関する責任という包括的一般条項を予定しつつ、その具体的適用に関しては、その都度の利益状況に鑑みた個別的回答をおこなう(13)。第二には、現代的不法行為法の構成要件の形態に関する指摘である。すなわち、Bru¨ggemeier は、法的に保護される利益の社会生活違反的侵害に関する責任という、一般的構成要件を主張する。「損害ではなく、過失 Schuld でもなく、義務違反(『社会生活違反』)が損害賠償義務を根拠づける(14)」。この一般的構成要件は、BGB不法行為法、および、特別法における不法行為構成要件の全てについて例外なく該当し、V. pfl. 違反、保護法規違反、良俗違反、第三者に関する管理義務違反、団体法上の組織管理義務違反、不正競争防止法における不正競争等は、そのような統一的責任構成要件の領域個別的諸類型である(15)(16)。第三には、現代的不法行為法における法形成の担い手に関する考察である。Bru¨ggemeier は、従来の立法者による法形成に代えて、現代的不法行為法においては、その中心的要素たる V. pfl. の定式化、正当化の役割を担う、裁判所による法形成を重視する。そして、このような自由裁量的な司法的保護政策 jurizielle Schutzpolitik、あるいは、司法積極主義 judicial activism に対して必要とされる社会的制御は、「手続化」(Wietho¨lter)、「発見手続実務」(Joerges)、「自省的法」(Teubner)といった概念によって示される、以下のような手続に委ねられる。すなわち、まず司法が損害分配計画を展開し、それは、学問的法律学・社会諸科学、「当該社会生活領域」、政府官僚機構、国家的管理・監督機関等が参加する、制度化された社会的学習手続に入力され、そこにおいて、当該分配決定の制御・訂正がなされる、そのような手続である(「社会的学習手続としての、現行法の司法的法政策(17)」)。結局、現代的不法行為法・債務法にあっては、立法から、啓蒙的な実務、および、学説への重点移動が課題となるという(18)

(1)  Bru¨ggemeier ((1)), S. 970.
(2)  Bru¨ggemeier ((1)), S. 972.
(3)  Bru¨ggemeier ((1)), S. 972.
(4)  Bru¨ggemeier ((1)), S. 972.
(5)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 69ff.
(6)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 78ff.
(7)  Bru¨ggemeier は、以下の判決を引用する。「いかなる権利が所有者にある時点で具体的に帰属するかは、全ての、この時点において有効な、所有者の地位を定める[私法上、公法上のーBru¨ggemeier 注]法規定の総覧から、明らかになる」(BVerfGE 58, 300 = NJW 1982, 745, 749.)。Bru¨ggemeier ((2)), S. 85.
(8)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 82ff.
(9)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 85ff.
(10)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 92ff.
(11)  その他、Bru¨ggemeier 理論の特徴として、司法による法形成に大きな役割を認めることが挙げられよう(本文中に示した具体的要点((7))裁判官による法形成裁量の制限から、その拡大へ)。その点について若干補足すると、以下のようである。すなわち、BGBの起草者は、判決の計算可能性の保障という自由主義的構想に基づいて、法規による客観的基準の提供を通じた、裁判官の法形成裁量の制限を企図したが、しかしながら、ここにおいてもBGB起草者の構想は大きく覆された。私法領域における立法行為は、大抵判例がその前に形成したところの後追いであり、また、経済法領域における諸法規は、それらが時間と費用のかかる立法作業の後に発効した時には、すでに時代遅れになっていることが指摘される。したがって、立法に代えて、広範な裁量をもつ司法の活動が重視され、また、妥当な解決は、非常に柔軟な、司法、政府官僚機構、経済、「当該社会生活領域」、国家的監督・管理機関等の間の学習・コミュニケーション手続において形成され得ることが主張される。Bru¨ggemeier ((2)), S. 107ff.
(12)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 125.
(13)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 125f.
(14)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 126.
(15)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 126.
(16)  また、現在ドイツの学説において、V. pfl. に関する責任を、BGB不法行為法規定のいずれに根拠づけるかを巡って議論が交わされているが、Bru¨ggemeier によると、V. pfl. は、現代的不法行為法における基本的要素であり、その所属は、BGB不法行為法の「帝王条項」たる八二三条一項に見いだされることになる。Bru¨ggemeier ((2)), S. 127.
(17)  Bru¨ggemeier ((2)), S. 128f.
(18)  Bru¨ggemeier ((1)), S. 979. また、Bru¨ggemeier は、「法化」論や、法の一般理論との関わりにおける、現代的不法行為法考察の位置や、役割についても言及する。すなわち、現代的不法行為法は、一方において、伝統的私法の政策化、および、生活世界領域の法化を示すと同時に、他方において、間接的規制の諸要素、および、準自律的な自治の諸要素といった、非法化に関連するものをも含むとされる。Bru¨ggemeier ((1)), S. 978f.


III.Bru¨ggemeier 理論の位置

  以上において概観した Bru¨ggemeier の不法行為法理論は、一見して従来の通説的理解からの隔たりが顕著であり、その意味では異説であるといえよう。しかしながら、Bru¨ggemeier 理論は、現代ドイツにおける不法行為法理論の動向と隔絶したものでもない。むしろ、本稿冒頭で触れた、近時のドイツ不法行為法理論に関する議論状況の概観に照らし合わせるならば、Bru¨ggemeier 理論が、それらと関連する部分を多く有することが看取されるように思われる。すなわち、まず、V. pfl. は、Bru¨ggemeier 理論において、中心的構成要素にまで高められているが、このことは、現代ドイツにおける不法行為法理論の最大の焦点の一つである、V. pfl. に関する問題が、Bru¨ggemeier 理論にとっても重大事であることを示している。また、不法行為法研究の新たな分析手法に関しては、特に、法の経済分析の手法が現代的不法行為法への発展の検討において肯定的に援用されていることが注目される(1)。さらに、Bru¨ggemeier は、新たな法の一般理論を用いた不法行為法理論の構想を試みる代表的な論者であって、自らの「現代的不法行為法」理論、すなわち、「司法的保護政策」としての不法行為法の構想や、それに沿った「BGB不法行為法の再構成」を、新たな法の一般理論との関連において考察し、両者の相互媒介的な展開を意図するようでもある。したがって、それらの特徴に鑑みるならば、Bru¨ggemeier 理論は、現代ドイツにおける不法行為法理論の新たな動向と密接に呼応しつつ形成されており、その動向の概要をある程度集約しているといえよう。
  また、より包括的に、Bru¨ggemeier 理論を、ドイツにおける不法行為法理論の現代的展開過程の中で理解し、その先端部に位置づけることもなされている。たとえば、Bru¨ggemeier 自身は、ドイツ不法行為法理論の展開過程を、四段階の理論局面において把握しつつ、自らの理論の位置づけをおこなっている。第一は、「古典的理論、すなわち、因果的行為概念と、結果不法」の段階である。ここでは、法益侵害の惹起は全て潜在的不法行為であり、因果的行為理論(「BGB八二三条一項における行為とは、侵害結果の相当な惹起である」)に基づいた相当性の判断が、責任の根拠付けにとって決定的とされたという。第二は、古典的理論に対する、Nipperdey の目的的行為論、および、v. Caemmerer の「不当利得法的」評価による批判の段階である。相当性の意義は減じられ、代わって、違法性の局面における、侵害行為の社会的相当性の判断が重視されたという。また、目的的行為論に基づく、故意責任と過失責任の区別、そして、過失責任における、「他人の排他的権利(所有権、営業上の保護権)の過失による侵害」と「所有権および八二三条一項のその他の権利の過失による本質的侵害」の間が区別され、前者については、古典的結果不法論、後者については、行為不法論の妥当性が主張された。第三は、今日の通説的理解(Bru¨ggemeier は、Larenz, Stoll, Deutsch の名を挙げる)の形成の段階、すなわち、自然的行為概念と、結果不法・行為不法二元論の段階である。因果的行為、目的的行為の双方に対抗するものとして、自然的行為概念が主張され、その「自然的」侵害行為は、直接的侵害と間接的侵害の区別を受け、前者は結果不法論、後者は行為不法論に即して理解されるという。また、BGB二七六条一項二文における注意概念は、外的注意と内的注意に区別され、特に間接的侵害の際に、外的注意違反・社会的不相当性は違法性を示し、内的注意違反は、過失の過責要素になるとされる。第四は、そのような通説たる結果不法・行為不法二元論を批判する、単一的行為不法論の段階である。Bru¨ggemeier は、E. Schmidt と共に、この段階に自らを位置づける。故意責任と過失責任の区別があらためて言明されたうえで、過失責任の際の違法性は、行為義務・保護義務違反に関して判断される。因果関係において、相当性は放棄され、条件説または等価説が支持される。また、内的注意違反は不要とされる。民事法上の過失責任は、「社会生活上引き受けた自らの役割における、その都度の行為者への、標準的注意要求の遵守に関する保証責任」と解されるからである(2)
  また、Bo¨rgers は、現代不法行為法理論の出発点を、v. Caemmerer の不法行為法理論に求めたうえで、その必然的帰結として、Bru¨ggemeier の不法行為法理論を位置づける(3)。Bo¨rgers は、第一に、v. Caemmerer が「不法行為法の諸変遷」の中で示した、一般的 V. pfl.、および、二つの枠組み権(設立され稼働中の営業権、一般的人格権)の発展に関する理解をとりあげる。v. Caemmerer が、判例による一般的 V. pfl.、営業権、一般的人格権の定着をもって、ドイツ不法行為法に三つの一般条項が挿入され、また、ドイツ不法行為法は、実質的に、「他人に違法および有責に損害を加えた者は賠償義務を負う」という一般的不法行為構成要件に至ったと解し、実務の発展は一般条項に反対し列挙主義を採用したBGBの不法行為法体系を「結局破壊した」と述べたこと(Bo¨rgers 曰く「変遷テーゼ Wandrungsthese」)が指摘される(4)。次に、Bo¨rgers は、以降の学説において、不法行為法理論の「現代的」方向性、すなわち、v. Caemmerer の「変遷テーゼ」を前提としながら、判例による法形成とBGB不法行為法体系の調和を図るために、裁判官による法形成、特に、V. pfl. に関する責任を、BGB八二三条一項ではなく、八二三条二項に整序する試みに注目する。この、一九七〇年代末以降、Hubner、および、v. Bar によって本格的に展開された理論動向(Bo¨rgers 曰く「再理論化 Redogmatisierung」)は、解釈構成としては、BGB八二三条二項の「保護法規」に V. pfl. を含めて理解するものであり、また、理論のねらいは、いわゆる「準契約」責任類型の、他人の財産についての V. pfl. に関する責任を通じた、契約外責任・不法行為責任への「再編入」にあったとされる(5)。そして、v. Caemmerer に始まる不法行為法理論の「現代的」方向性の帰結として位置づけられるのが、Bru¨ggemeier の不法行為法理論である。Bo¨rgers によると、Bru¨ggemeier 理論の特徴は、「法規的」不法行為法と「裁判官的」不法行為法の二律背反を、はじめて正面から認めたうえで、「現代不法行為法」が、「歴史的に生み出された立法的諸概念に反して、場合によっては法規の文言に反して」、「現行不法行為法の原則に反して」適用されなければならないこと、すなわち、「BGB不法行為法の再構成」を主張した点にあるとされる。Bo¨rgers は、Bru¨ggemeier の理論が、V. pfl. を不法行為責任の根本要素に位置づけることを確認したうえで、義務違反の決定基準が法秩序ではなく、社会生活の直観、あるいは、「司法的保護政策」に委ねられることを指摘し、過責原理 Verschuldensprinzip はもとより、不法行為責任 Unrechtshaftung からの離反・その廃止とさえ特徴づける(6)
  以上のことから、Bru¨ggemeier の不法行為法理論は、一見して非常にラディカルな主張であるにもかかわらず、現代ドイツにおける不法行為法理論の新たな動向の先端にあって、その内容をある程度集約的に表現するものであるように思われる。

(1)  また、近時のBGB起草過程に関する検討成果も、Bru¨ggemeier の文献において、積極的に利用されている。Bru¨ggemeier ((2)), S. 78ff.
(2)  Bru¨ggemeier ((3)), S. 45ff.
(3)  Bo¨rgers, a. a. O., S. 19ff.
(4)  Bo¨rgers, a. a. O., 19ff.  しかしながら、Bo¨rgers は、このような制定法に反する法形成の理解は、解釈方法論上認められないと批判する。BGB不法行為法規定を列挙主義に基づくと解したうえで、三つの一般条項をそれに整合させようとするならば、特別の正当化根拠が必要となるが、v. Caemmerer は結局その説明に成功していないという。このように、v. Caemmerer が、一方で、BGB八二三条一項の、立法者によって明示的に望まれなかった一般的責任構成要件への体系違背的変更を認めながら、他方で、このような制定法に反する法形成を認める論拠を示し得ない点に、Bo¨rgers は、「変遷テーゼ」の「基本矛盾」を認める。Bo¨rgers, a. a. O., S. 22ff.
(5)  Bo¨rgers は、そのような解釈構成、ねらいのそれぞれについて疑問を呈しながら、この「再理論化」の主張が、結局は、BGB八二三条二項を体系違背的一般条項に後退させるものであることを指摘、批判する。Bo¨rgers, a. a. O., S. 24ff.
(6)  Bo¨rgers, a. a. O., S. 36ff. Bo¨rgers によると、Bru¨ggemeier の「再構成テーゼ」は、「制定法に反する法形成」を積極的に容認する点で、v. Caemmerer の「変遷テーゼ」の必然的帰結であり、また、「基本矛盾」を共有する。そして、Bo¨rgers は、そのような「制定法に反する法形成」を否定し、「政策的機能の裁判所への割り当て」に反対する。法規の政策的基本決定・「政策的部分」は厳格な拘束力を有し、その無視は、権力分立原則に明白に反するとされる。ところで、そもそもBGB不法行為法規定における「政策的部分」とは何か。Bo¨rgers は、BGB不法行為法の制定過程における議論を検討しつつ(そしてこれが Bo¨rgers の不法行為法理論の眼目である)、法規的拘束力を有する「政策的部分」として、責任根拠付けに関する「一般[条項]的不法行為法」、責任限定に関する「直接性原理」、および、「過責原理」を挙げる。BGB不法行為法規定は、元来自然法的法典化に基づくものであって、フランス民法典における不法行為法規定と類似の性質を有することが指摘される。そして、v. Caemmerer の「不法行為の諸変遷」において、実質的に課題とされたのは、責任根拠付けにおける、個別的場合での利益考量の一般条項原理、および、責任限定における、純粋財産利益や無体的利益に関する保護の拡大であり、これらは、明らかにされた法規の「政策的部分」と調和的に達成することが可能である(したがって、BGB不法行為法体系の「破壊」や「制定法に反する法形成」などはもとより問題にはならない)と解される。Bo¨rgers, a. a. O., S. 106ff.  もちろん、このような新奇なBGB不法行為法規定の理解については異論が唱えられている。Foerste は、Bo¨ergers の不法行為法理論に関して、司法に大きな裁量を認める近時の V. pfl. 理論や Bru¨ggemeier 理論の問題性に対する認識は共有しつつも、しかしながら、そのBGB不法行為法規定の把握については「驚くべき帰結」として、批判的である。Foerste, U., Literatur, Bo¨rgers, M.:Von den”Wandlungen zur”Restrukturierung des Deliktsrechts?, AcP 194(1994), S. 516ff.


IV.検      討

  以上のとおり、ドイツにおける不法行為法理論の新たな動向を集約するともいえる Bru¨ggemeier の不法行為法理論であるが、問題は、Bru¨ggemeier 理論に代表されるような現代的動向、すなわち、政策的・機能的考察を重視し、従来のドイツ不法行為法理論の到達点・伝統的ドグマーティクを「簡素化」する構想と、そのような構想に対する批判的見解の対抗関係である。そして、その根本には、現代社会における不法行為法の役割をいかに理解し、法体系のなかに位置づけ、運用していくかという基本認識の対立が伏在しているように思われる。本章では、Bru¨ggemeier 理論や現代的理論動向に対する批判として、Stoll、および、Deutsch の見解を概観し、そのような対抗関係、および、基本認識の対立について検討する。
  Stoll は、Bru¨ggemeier の不法行為法教課書の書評において、Bru¨ggemeier の不法行為法理論の出発点、すなわち、ドイツ不法行為法を法的に保護される利益の社会生活違反に関する一般条項(「損害でも過失でもなく、義務違反が責任を根拠づける」)と解することに対して、構想の根本に関わる批判をおこなう。Stoll によると、不法行為法理論の根本的差異は、以下の点に存在する。すなわち、不法行為責任に関して、「違法な」加害が前提され、したがって、裁判官に、加害関係の違法性を不法行為法の外側の諸規定・諸制度から導くことが指示されるか、それとも、裁判官に(たとえば、フランス不法行為法におけるように)標準的行為規範を自律的に形成すること、すなわち、不法行為法の外側の諸規定・諸制度への立ち戻りなくして、ただもっぱら不法行為法の自己展開的評価のみに準拠させることが許容されるか、という点である。Stoll は、後者のような柔軟な一般条項が、構成要件形成の法治国家的要請を疎かにするがゆえに危険であるとし、それに対して、BGB不法行為法は、元来そのような法治国家的要請に基づくものであることを主張する。Stoll は、この観点から、Bru¨ggemeier による、「自律的責任根拠」としての V. pfl. に関する一般条項的責任という理解を批判する。V. pfl. が、その都度の保護範囲から解放され、自律的責任原理として創設されることは、正当化されないという。責任法は、一定の法益、および、利益範囲の保護から出発するものであり、V. pfl. は、この保護目的からのみ正当化されるのであって、たとえ、承認された V. pfl. が、他方また、その都度の保護されるべき諸範囲の具体化に供され、したがってまた、その諸範囲の限定に反作用するにしても、そうであるという。また、Stoll は、裁判官による法形成の一貫性、および、法規への準拠を保証するために Bru¨ggemeier が主張する「発達した手続性」の構想に関しては、以下のように批判する。「いかに学問的合意が法形成の問題において重要であっても、それにも関わらず、裁判官の判決は、簡単には社会的対話の結論に還元され得ない。裁判官は、むしろただ、自らの判決が、法規的評価に準拠し、そして、有効に法体系に調和することに関する責任のみを負う(1)」。
  Stoll の見解は、Bru¨ggemeier の不法行為法理論の柔軟な枠組みを疑問視し、法治国家的要請に基づいて、不法行為法を不法行為法の外側の法規定や法制度に基礎づけ、司法による運用の法的安定性・明確性を保障しようとするものである。法規定の一般条項化をおし進め、司法の臨機応変な・政策的対応を重視する Bru¨ggemeier 理論とは、立法と司法それぞれの役割や両者の関係に関する認識において、明白な対照をなすもののように思われる(2)
  Deutsch は、本稿冒頭でも触れた論考「過失と違法性−二一世紀への入口における総括」において、違法性・過失に関する、かつての論争以後およそ三〇年間の理論動向を総括しているが、そこにうかがわれるのは、本稿で概観したようなドイツ不法行為法理論の新たな動向に対する批判的評価である。それは、たとえば、特に過責原理 Verschuldensprinzip、および、帰属 Zurechinung といった概念の積極的意義が論じられる点においてあらわれる。自らの行為に対する答責性、および、活動自由の保障という考えに依拠する、責任の基本原則としての過責原理は、産業化時代においても、その生命力を示していることが主張される(3)。また、保険による過責原理の交代という「責任から保険へ」の運動も、一九九〇年代では衰えているとの分析がなされ、総じて、過責原理が、二〇世紀後半の激しい議論に耐え、また、予測可能な将来においても、その放棄はあり得ないであろうことが述べられる(4)。帰属の概念に関しては、それが行為と意思との結合、行為能力ある人の意思への結合であることが確認されたうえで、近時の学説における、特に責任根拠付けにおける帰属論の後退(それは責任の脱個人主義化、概念の簡略化傾向、保険による責任の後退、責任の放棄や客観化に関する議論の余波と解される)が指摘され、あらためて帰属概念への注目が説かれる(5)。また、たとえば、過失 Fahrla¨ssigkeit に関する検討においても、最近の諸学説が問題視される。それらは過失を「もはや意思に関する帰属としてではなく、むしろ(外的な)行為義務の違反に関する帰属として理解」するものであると把握されたうえで、そのような「過失の簡素化」が批判される。すなわち、たとえば、「危険」といった要素は、構成要件の基礎づけ、違法性や違法性阻却の確定、注意措置自体(過失)の各平面でそれぞれ検討されるべきであること、新たな見解が帰属に関して考慮を欠いていることが述べられる。また、過失の外的注意と内的注意への区別についても、最近の学説における内的注意の軽視、外的注意への一本化の傾向が指摘され、それに対して、事実の錯誤や法律の錯誤、主観的期待可能性の評価の問題といった具体的局面、あるいは、行為の人間学的、精神的所与性といった基礎的局面から、内的注意要素の積極的意義が主張される(6)
  Deutsch の見解に関して、まず注目すべきは、民事法の基本原則や概念性 Begrifflichkeit、概念の体系的整序の重視である。Deutsch は、最近の学説における「簡素化」を批判しつつ、ドイツの不法行為法理論において従来培われてきた厳密な分析枠組みの維持、展開を図る。概念操作の厳密性、一貫性の確保、法的安定性の保障が構想の基礎に据えられており、その点において、概念や要件を簡略化して司法の柔軟な政策的判断の余地を拡大しようとする Bru¨ggemeier 理論や最近の学説の傾向と対照的である。また、Deutsch の見解において特に印象的であるのは、個人主義的な責任観の強調である。個人の意思に対する帰属という、不法行為責任の本質に関する認識が、過責原理、帰属概念や過失の構造に関する検討において繰り返し示され、それとの対照において、過失責任の客観的保証責任としての理解を示すなどして個人的な答責の契機を希薄化させる Bru¨ggemeier 理論や最近の学説の傾向が批判される。
  以上の両者の批判は、Bru¨gemeier 理論やそれに代表される現代的動向に対して、従来のドイツ不法行為法理論の到達点・伝統的ドグマーティクの積極面を認めつつ批判を加えるものであるといえよう。そして、そのような対抗関係の基礎には、不法行為法に関する基本認識の対立が存在しているように思われる。すなわち、一方で、Bru¨ggemeier 理論等が、司法による一般条項の柔軟な解釈を通じた政策的運用の側面を重視するのに対して、Stoll、および、Deutsch の見解は、立法により定められた法規範の形式性や、法解釈学による概念論理操作を通じた、法的安定性の保障を強調する。また、前者が、社会政策的観点からの現代的問題の解決や社会秩序の形成という問題意識をより直接的に打ち出すのに対して、後者は、あくまで個人の権利保障を出発点に据え、そこから社会秩序の形成につなげていくことに関心をはらうもののように思われる。これらのことは、不法行為法を通じた社会秩序の形成にあたって、社会政策的価値判断と、個人の主体的契機のいずれに重点をおくかという、基本認識の対立を示すもののように思われる。
  さて、以上の論議状況から、現代不法行為法理論はいかなる示唆をうけ得るであろうか。たしかに、不法行為法理論が、政策的価値判断を一つの基礎として展開されるべきことは、疑われ得ないであろう。高度に産業化・複雑化した現代社会に生起する多様な損害事件に関して、適切な被害者救済を社会全体の発展とのバランスのなかで追求することは、現代不法行為法の基本的課題である。もとより、現実問題の迅速・公平な処理を期待される不法行為法学において、諸概念の形式論理操作の有効性や体系化の可能性自体が、疑いの目で見られることは、しばしばである。しかしながら、その実現過程において、個人の主体的契機に発した法規範の文言、概念の形式論理操作、体系的整序という、従来の思考方法は、安易に放擲されてはならないように思われる。いうまでもなく、社会政策的対応と、法的安定性の保障という、場合によっては緊張を孕み得る二つの要請を、いかに調和的に構成するかが、現代不法行為法理論の考察にとって、最も重要な課題の一つであろう。本稿において概観したような、現代ドイツにおける不法行為法理論の議論状況は、個人の主体的契機に基礎づけられた、法規定や概念の形式論理的操作、体系的整序による法的安定性の確保、それによる社会秩序の維持という従来の構想が、一方でなお強固に維持されており、少なくともそのような観点を大きく脱落させた理論展開は、鋭い批判を免れないことを示している。
  そして、このような論議状況は、日本にあって不法行為法学に取り組む場合にも参考となろう。政策的運用を通じた、現代社会に生起する諸問題への具体的対処と、概念や理論構成の整序・体系化による法的安定性の保障という、不法行為法に対する二つの要請の緊張関係を受け止めながら、その接点を探っていくこと、特に、後者の意味内容をあらためて深く認識しつつ、検討を進めることは、従来の近代法的理論枠組みに代わる様々な新しい構想の提唱が盛んな昨今の日本の民法学にあって、不法行為法学に取り組む場合に、採りうる一つの態度であろう。一方で、伝統的ドグマーティクの高い到達点を固持しつつ、他方で、種々の新たな理論に基づいた政策的・機能的考察を展開する、現代ドイツにおける不法行為法理論の議論状況に関して、その二つの流れの帰着点を見定める作業は、現代社会における不法行為法の在り方を考えるうえで、より一般的意味をもって、日本の議論にも示唆を与え得るように思われる。

(1)  Stoll, a. a. O., 505ff.
(2)  Stollの不法行為法理論、特に自律的違法性・他律的違法性の概念については、中村教授の詳細な分析が存在する。教授は、問題点を指摘されつつも、その概念の有用性について高く評価される。中村前掲論文五〇頁以下。
(3)  Deutsch, a. a. O., 420f.  そして、そのような過責原理の理解との対比において、「法と経済学」の責任観が批判される。すなわち、他人の侵害を事業経済費用に還元する過責責任の経済の論述は、ほとんど何の傾聴をも見いださなかった。そのように打算的に行動する者は、条件付きで故意的に行為するのであって、あたかも答責意識ある完全な人間のホムンクルス homunculus に他ならないという。Deutsch, a. a. O., S. 421f.
(4)  Deutsch, a. a. O., S. 420ff.
(5)  Deutsch, a. a. O., S. 428f.
(6)  Deutsch, a. a. O., S. 461ff.