立命館法学  一九九六年五号(二四九号)




過剰入金と財産犯


松宮 孝明






目    次




一  問題の所在

    自分の普通預金口座に過剰な入金があったのに気づきながら、それを銀行の現金自動支払機で引き出して費消してしまった場合、それはどのような犯罪に当たるのであろうか。この問題は、たとえば、その月の給与が会社から重複して振り込まれるというケースが必ずしも稀ではないだけに、薄給のサラリーマンとしては気になるところである。
  ところで、近年、このようなケースについて、自己の普通預金口座に過剰に振り込まれた金額を現金自動支払機から引き出す行為は窃盗罪に当たるとした下級審判例があらわれた。事実の概要はつぎの通りである。すなわち、振込依頼人から送金依頼を受けた合衆国の送金銀行(仕向銀行)が円建てとドル建てとを誤り、本来の送金金額約四四万円の百倍以上の四四万ドル、つまり約五五〇〇万円を被告人の普通預金口座のある銀行(被仕向銀行)に送金し、被仕向銀行がそれを被告人の普通預金口座に入金記帳した後、被告人は過剰入金であることを知りつつこれを現金自動支払機から引き出して、自己の債務の弁済や贅沢品の購入、先物取引への投資に当てたというのである。本件について検察官は窃盗罪の成立を主張し、第一審(1)はこれを認めた。これに対し、弁護人は、被告人には預金の所持が認められるとして横領罪ないし詐欺罪が成立するにすぎず、窃盗罪は成立しないと主張して控訴した。
  これに対して東京高裁は、つぎのように述べて、控訴を棄却した(2)。少し長くなるが、そのさわりを引用しよう。すなわち、「もともと、預金口座の名義人と銀行との関係は、前者に正当な払戻し権限がある場合であっても、債権債務関係が成立しているだけであって、銀行の現金自動支払機内の現金について預金口座の名義人が事実上これを管理するとか、所持するとかいう立場にはなく、右現金は、銀行(現実には当該銀行の支店長)の管理ないしは占有に属すると解するのが相当である。もっとも、横領罪との関係においては、預金口座の名義人に正当な払戻し権限がある場合に、預金債権に対する管理、占有ひいては銀行が事実上占有する金銭に対する預金額の限度での法律上の占有という観念を入れる余地がある。しかし、本件は、送金した銀行側の手違いにより、誤って被告人の預金口座に入金があったに過ぎず、被告人に右預金について正当な払戻し権限のない場合であるから(このことは、受入れ銀行の側に何らの過誤がない場合も同様である。)、自動支払機内部の現金について、所論のいうように、被告人が管理者であるとか、被告人がこれを所持(支配)していたということのできないことはもとより、被告人が法律上の占有を取得することもないと解される。したがって、本件については、横領罪の成立する余地はなく、詐欺罪が問題とならないことも明らかであり、銀行の現金に対する占有を侵害したものとして、窃盗罪が成立するというべきである。」というのである(3)
    本判決の意義と問題点は、自己名義の口座から有効なCDカードを利用して現金を引き出した行為が、(一)口座のある銀行を被害者とする、(二)窃盗罪とされた二点に集約される。従来、窃取した他人名義のCDカードを使って、現金自動支払機から現金を引き出した行為を窃盗罪とした下級審判例はあるが(4)、自己名義の有効なカードで自己の口座から引き出した行為を、口座のある銀行を被害者とする、それも窃盗罪としたものはなかったからである。
  仮に、このような考え方が正しいとすると、少々困った問題が起きることになる。たとえば、サラリーマンが会社から過剰に振り込まれた給与を引き出して現金化してから会社に返そうとすれば、それは銀行に対する窃盗罪を構成することになるからである。また、本判決は銀行に対する預金債権が有効に成立しているか否かの判断を明らかにしなかったが、いずれにしても「正当な払戻し権限」はなかったとしている。しかし、このような判断は、一方で、被仕向銀行が預金債権の元帳に振込金額を記載すれば、原因関係のいかんにかかわらず、被仕向銀行と預金名義人との間には有効な債権債務関係が成立するのではないかという疑問を呼び起こすものであり、他方で、預金債権が有効に成立していて差し押さえ等を受けていない場合でも「正当な払戻し権限」を否定されて刑事責任を問われる余地があるのかという疑問を招く。要するに、被仕向銀行を被害者とする財産犯の成立を認めることは、民事的な債権債務関係と刑事の財産犯の成否との間での「法秩序の統一性」を害するおそれがあるといえよう。
  さらに、本判決は横領罪の成否にも言及していることから、そもそも過剰入金のある銀行預金が、横領罪にいう「自己の占有する他人の物」といえるのかという問題もある。ここでは、債権が「物」に含まれるのか、あるいは、そもそも「債権の占有」がありうるかという問題の検討が必要である。もっとも、先の東京高裁判決では、過剰入金の場合には口座名義人に預金の占有は認められないとしているので、この点は予備的な検討課題であるが。
  最後に、現金自動支払機を正常に作動させて現金を手にすることが「窃取」といえるのかという問題が残される。刑法典に予定されている物の占有の移転には、詐欺罪や恐喝罪の予定する「交付」と窃盗罪の実行行為である「窃取」ないし強盗罪のそれである「強取」がある。この場合に、たとえば詐欺罪の予定する「交付」行為はあるが、別の何らかの理由で詐欺罪が成立しない場合に、物の占有移転が自動的に「窃取」や「強取」となるわけではない。そこで、本件のように現金自動支払機の提供する現金を取り出す行為が「窃取」に当たるかどうかが、独立の検討対象となるのである。
    以下では、この東京高裁の事案に即して、(一)預金債権の「占有」の意味、(二)過剰入金に対する預金債権の成否と引き出し権限、(三)窃取の有無を検討したいと思う。

(1)  横浜地川崎支判平成六・二・一八公刊物未登載。
(2)  東京高判平成六・九・一二判時一五四五ー一一三(上告・上告棄却)。
(3)  この判決に対する評釈として、大谷晃大「送金銀行の過誤により自己の普通預金口座に過剰入金された金員を自己のキャッシュカードを用いて現金自動支払機から引き出したことが、横領罪にはあたらず、窃盗罪にあたるとされた事例」研修五七三号(一九九六)二五頁、前田雅英『最新重要判例250刑法』(一九九六)一六〇頁、木村光江「窃盗罪と詐欺罪の限界」東京都立大学法学会雑誌三七巻一号三二三頁がある。
(4)  東京高判昭和五五・三・三刑月一二ー三ー六七。


二  預金債権の「占有」

    銀行預金は名義人が銀行に対して持つ債権である。債権は、本来、人と人との関係であって、物に対する直接の支配権を含まない。たしかに、土地や建物などの不動産の賃借権については、その物権類似の性格や機能から借地借家法で特別の扱いがなされているが、これは金銭債権である銀行預金に応用できるものではない。したがって、預金口座の名義人が銀行に存在する預金相当額の現金に対して占有をもつということは、本来ならありえないはずである。また、実際、銀行の現金の準備高は、銀行預金総額よりはるかに少ない。
  それにもかかわらず、わが国の判例や学説の中には、預金に対する「占有」を認めるかのような態度をとるものがある。古い判例であるが、戦前の大審院には、村長が、自己名義の預金として保管していた村の公金を、勝手に引き出して費消した行為を横領罪としたものがある(1)。そこでは、「物を現実に支配するの事実あれば」足りるとして預金に対する占有が認められた(2)。学説もまた、この判例を引き合いに出して、横領罪にいう占有は「事実的支配に限らず法律的支配を含む(3)」と述べるものが多い。いわば、預金債権に対して「法的な占有」ないし「権利占有」を認めるわけである。
  もっとも、これに対しては、不動産の登記名義の場合は、まだ客体は「物」であるが、預金債権は「物」とはいえないとする批判がある(4)。この点では、「預金口座の名義人と銀行との関係は、前者に正当な払戻し権限がある場合であっても、債権債務関係が成立しているだけ」とする本判決の指摘は、むしろ銀行預金の本来の意味に返った当然の判断だと見るべきであろう。
  ただし、本判決は、「横領罪との関係においては、預金口座の名義人に正当な払戻し権限がある場合に、預金債権に対する管理、占有ひいては銀行が事実上占有する金銭に対する預金額の限度での法律上の占有という観念を入れる余地がある。」とする。これによれば、「法律上の占有」という観念を認めることで、横領罪との関係では占有がありながら、窃盗罪との関係では占有がないという状態を認めることになる。極端な場合には、銀行預金の引き出し行為が、横領罪と窃盗罪を同時に成立させることにもなるのである。
    もっとも、銀行預金に対する占有を認める立場でも、およそ債権一般について占有を認めるものではない。そうでないと、友人に金を貸した者は、その友人のもつ債権相当額の金銭に対して「法律上の占有」をもつことになってしまうからである。これでは、債権と物権の区別自体が危うくなってしまう。つまり、法律上の占有が認められるのは債権の中でも銀行などに対する預金債権だけなのである。そして、とくに預金債権に対して「法律上の占有」を認めて横領罪の客体とする根拠は、銀行の当座預金や普通預金がいつでも自由に引き出したり決済したりすることのできるものである点で、債権者自身が財布に現金をもっているのと同じ状態だと感じられているためである(5)
  しかし、いかに銀行の当座預金や普通預金が自由に引き出しできるものであったとしても、それが債権であることに変わりはない。とくに、昨今銀行や信用機関の倒産や事実上の倒産が増えていることは、銀行預金が債権にすぎないことを、あらためて我々に認識させた。つまり、銀行預金は債権である点で、有体性のある不特定物とは異なる問題をもっているのである。
    さて、銀行預金に対する占有を認める判例の立場でも、場合によっては占有が否定されることがある。下級審には、自己の預金口座に誤って振り込まれた金銭を窓口で払戻した行為が、詐欺罪にされた裁判例がある。口座の名義人に有効な預金債権があれば、それを払い戻す行為はなんら詐欺罪には当たらないはずであるが、裁判所は、振込人が振り込もうとした口座は別の口座だから、その口座に対する振込みはなかったものと考えるべきで、「単に銀行が預金元帳に数字を書いただけのことであったにすぎず、預金債権は成立する由がない。」というのである(6)。預金債権が成立していない以上は、いかなる意味でも預金の払戻しを正当に受ける権限は生じない。つまり、占有の対象となる金銭の振込みがないから、預金債権の占有もないというのである。
  しかし、この判決に対しては、預金債権の「占有」を認めて占有離脱物横領にすべきだとする批判がある(7)。また、別の下級審判例には、誤って別の業者が自分の口座でなく被告人の口座のコード番号を書いたため、被告人に工事代金が振り込まれたケースで、誤振込みに気づきながらこれを引き出した被告人に占有離脱物横領罪を認めたものがある(8)
  この点、本判決は、預金債権の有無を明確に判断しないまま、「正当な払戻し権限がある場合に」のみ占有を認めるという態度をとった。しかし、いずれにせよ預金債権が有効に成立していなければ、その占有ということも考えられない。したがって、つぎに、この預金債権の成否の分かれ目を検討しよう。

(1)  大判大正一・一〇・八刑録一八ー一二三一。
(2)  もっとも、大判大正九・三・一二刑録二六ー一六七は、引き出し後の費消に横領罪を認める。
(3)  団藤重光『刑法綱要各論第三版』(一九九〇)六三五頁、前田雅英『刑法各論講義[第2版]』(一九九五)二九一頁、大谷  実『刑法講義各論(第四版補訂版)』(一九九五)二七四頁以下。
(4)  西田典之「コンピュータの不正操作と財産犯」ジュリスト八八五号(一九八七)一七頁。しかし、同『刑法各論I』(一九九六)二〇四頁は改説している。もっともそこでは、金銭債権の占有問題が不特定物の占有問題と混同されている疑いがある。
(5)  もっとも、その点では、藤木英雄『刑法講義各論』(一九七五)三三一頁が預金債権の占有を当座預金債権に限っていたことは、注目に値する。
(6)  札幌高判昭和五一・一一・一一判タ三四七ー三〇〇。
(7)  大谷  実「キャッシュ・カードの不正使用と財産罪」判例タイムズ五五〇号(一九八五)八四頁。
(8)  東京地判昭和四七・一〇・一九判例集未登載。これについては、原田國男「誤って振り込まれた預金の払戻しと占有離脱物横領罪の成否」研修三三七号(一九七六)一一〇頁参照。


三  預金債権の成否

    過剰に入金されたり振込相手を間違って入金されたりした場合に、それに相当する預金債権は有効に成立するだろうか。それも、口座のある被仕向銀行の過誤によってではなく、振込依頼人や仕向銀行の過誤による場合にである。
    先に見たように、刑事の下級審判例には、振込先をまちがえた誤振込みの場合には、単に銀行が数字を書いただけで、預金債権は成立していないとするものがあった(1)。これは、いわば振込依頼人に民法九五条にいう「要素の錯誤」があったケースということであろうか。つまり、このような場合には、被仕向銀行にある口座名義人の預金元帳に振込金額が記載されても、振込依頼人は口座名義人にその金額を送金する意思を持っていないので、このような「原因関係」の不存在を理由に、口座名義人の被仕向銀行に対する振込相当額の預金債権は成立しないとするのである。
  このように、原因関係の不存在を理由に預金債権の成立を否定する考え方は、民事の下級審判例でも採用されていた。それは、口座名義人の破産などを理由に、誤って振り込まれた金額が、債権者などによって差し押さえられまたは相殺される場合に関する民事判例である(2)。そこでは、原因関係を欠く振込みでは預金債権は成立しないとして、振込依頼人による異議申し立てが認められていた。
  しかしながら、銀行実務は以前から、誤振込みがあった場合、口座に入金記帳した時点で預金債権が成立し、以後は、振込みの組戻しには口座名義人の承諾が必要だとする立場をとっている(3)。さらに、最高裁もまた、一九九六年四月に、このような実務の考え方を認め、原因関係の有無とは独立して、口座名義人と被仕向銀行との間の債権債務関係が存在するとする判断を示した(4)。そこでは、振込依頼人が振込先をまちがえた事案について、「振込依頼人から受取人の銀行の普通預金口座に振込みがあったときは、振込依頼人と受取人との間に振込みの原因となる法律関係が存在するか否かにかかわらず、受取人と銀行との間に振込金額相当の普通預金契約が成立し、受取人が銀行に対して右金額相当の普通預金債権を取得するものと解するのが相当である。」と判示されたのである。
  その根拠は、銀行の側では原因関係の有無を知りえないという点などに求められている。そして、その結果、誤振込みによる受取人の利得は、不当利得返還請求によって処理するしかなくなり、また受取人の債権者による差押えの対象ともなるのである。
  このように、銀行実務も判例も、近年では、原因関係のいかんにかかわらず、被仕向銀行と口座名義人との間の債権債務関係の存在は認める傾向にある。このような考え方は、おそらく、本件のように仕向銀行に過誤のあった振込みの場合にも妥当するであろう。なぜなら、被仕向銀行にとっては、仕向銀行の犯した過誤は入金記帳前に知る由もなく、また、入金記帳によって、被仕向銀行は仕向銀行に対して支払委託を原因とする有効な債権を取得するからである。そうであれば、本件のような過剰入金の場合にも、入金額に対する預金債権の存在を否定する理由はない。
    それでは、有効な預金債権が存在しているにもかかわらず、口座名義人にその「正当な」払戻し権限が否定される場合があるであろうか。先に見たように、最高裁の考え方によれば、預金債権の成否は原因関係の有無によらず、被仕向銀行と口座名義人との関係で決まるので、払戻し権限の正当性についても、それは被仕向銀行と口座名義人との間の関係で決まると考えるのが自然であろう。
  たとえば、仕向銀行が過誤に気づいて、被仕向銀行に組戻しの依頼をした場合はどうであろう。先に見たように、銀行実務では、このような場合でも入金記帳後は受取人の承諾をえて組戻しに応じることとされている。言い換えれば、振込金額が入金記帳されて預金債権が成立した後は、債権者である受取人の意思表示がなければ、誤振込金額を組戻すことはできないのである。
  それでは、受取人が組戻しの依頼に応ぜずに振込金額を引き出してしまった場合はどうであろうか。おそらく、その場合も、被仕向銀行はこれに対して異議を申し立てるような法的権限を持たないであろう。なぜなら、最高裁の考え方によれば、受取人の債権者でさえ、この預金を差し押さえて自己の債権の満足に当てることができるからである。被仕向銀行も振込依頼人もこれを阻止することはできず、せいぜい、振込依頼人ないし仕向銀行が不当利得の債権者として、それに応じた支払いを受けることができるにすぎない。そうであれば、口座名義人の債権者でさえ引き出して処分することができる預金を、名義人本人が引き出せないはずがない。
  もちろん、彼は不当利得返還請求の相手方として、それに見合う金額を振込依頼人や仕向銀行に返還する債務は負っている。しかし、それは被仕向銀行との関係で、預金引き出し権限の正当性を疑わせるものではない。仮にそうでなければ、口座名義人が過剰入金額を引き出して現金で返還することすらできなくなってしまうであろう。本判決は、誤送金の事実から即座に、「正当な」払戻し権限を否定するが、それは疑問である。
    このように考えると、本件のような過剰入金のケースでも、被仕向銀行に対する口座名義人の預金債権は有効に成立しており、かつ彼はこれを「正当に」引き出すことができるのであって、引き出し後にこれを仕向銀行などに返還せずに費消してしまっても、せいぜい、不当利得返還の債務不履行にすぎないということになる。
  もっとも、過剰に入金された金額は、たしかに被仕向銀行との関係では、口座名義人に有効な債権を成立させるけれども、過誤を犯した振込依頼人や仕向銀行との関係では、それは委託関係なしに口座名義人の預金に入り込んだ「他人の」金銭であって、横領罪は無理としても、なお、占有離脱物横領罪は成立するのではないかと考える余地はあるかもしれない。また、本判決のように、預金債権に対する「占有」を否定するとすれば、現金自動支払機から引き出された現金は、正当な理由なく口座名義人に占有が移転したものであって、それは窃盗罪に当たるのだと解する余地もあろう。
    しかし、先に述べたように、金銭の債権者は「物の占有者」であるとはいえない。もし「物の占有者」であるというなら、銀行の預金者は銀行倒産の際にも、預金相当額の現金に対する物権的な返還請求権をもつということになろう。そんなことがありえないことは、バブル崩壊後の金融不祥事の中で我々は十分に経験したはずである。したがって、過剰入金の引き出しが横領罪や占有離脱物横領罪に該当することはありえない。
  また、過剰入金の場合でも、預金債権が有効に成立し、かつ口座名義人はそれを正当に引き出せるとすれば、たとえ現金自動支払機内の現金が銀行の所有と占有に属するとしても、その引き出し行為が窃盗罪に当たるいわれはない。
    もっとも、引き出し後の現金に対して、これを勝手に費消した場合には占有離脱物横領罪の成立が認められる余地はあるかもしれない。というのも、民法の学説の中には、「価値の帰属割当を変更する旨の合意に基づかないで事実上価値を失った場合」には、価値帰属者を保護するために、これに物権的な価値返還請求権を認める見解があるからである(5)。これによれば、価値が有体性をもたない限りは横領罪にいう「物」には当たらないが、これが現金化されれば、物権的な価値返還請求権の対象となる「他人の物」が存在することになるので、それを勝手に費消すれば、占有離脱物横領罪に該当することになろう。つまり、受取人は委託によらないで占有した振込依頼人ないし、本件では仕向銀行(6)の所有に属する現金を領得したということになるのである。
  ただし、受取人の債権者による差押えに対して振込依頼人は異議を申し立てられないとする先の最高裁の考え方によれば、このような「物権的」な返還請求権を認めることはできないであろう。

(1)  前掲札幌高判昭和五一・一一・一一判タ三四七ー三〇〇。
(2)  名古屋高判昭和五一・一・二八金法七九五ー四四、鹿児島地判平成一・一一・二七金法一二五五ー三二。
(3)  島谷六郎ほか監修『銀行窓口の法務対策二五〇〇講〔上巻〕』(一九九三)七一頁以下参照。
(4)  最判平成八・四・二六民集五〇ー五ー一二六七=判時一五六七ー八九。この判決の紹介として、花本広志「誤振込みに係る普通預金契約の成否【肯定】とその預金債権が差し押さえられた場合における振込依頼人の第三者異議の訴えの可否【否定】」法学セミナー五〇二号(一九九六)八八頁、中田裕康「誤振込による預金債権の成否」法学教室一九四号(一九九六)一三〇頁。
(5)  四宮和夫『事務管理・不当利得・不法行為上巻』(一九八一)七七頁以下、花本・前掲八九頁。
(6)  被仕向銀行ではないことに注意。


四  現金自動支払機からの窃取

    本件の結論は、右に述べたところから明らかなように、過剰入金の引き出しは、被仕向銀行との関係では受取人に有効な預金債権が成立しているので、窃盗罪には当たらないというものである。したがって以下は傍論であるが、仮に、正当な引き出し権限を持たない人物が、有効なCDカードを用いて銀行の現金自動支払機から現金を引き出した場合、それは当然に窃盗罪に当たるのであろうか。たとえば、窃取したCDカードを用いて現金自動支払機から現金を引き出す場合である。最後に、この問題を検討してみよう。
  正当な理由なしに他人の占有下にある財物を自己の占有に移す行為は、すべて「窃取」に当たるであろうか。そうではないであろう。たとえば、相手が任意に交付する場合、あるいは脅迫されたり「動機の錯誤」で交付する場合は「窃取」でない。後者は恐喝罪および詐欺罪の管轄である。つまり、現行法は「窃取」と「交付」を区別しているのである。もし、正当な理由のない財物の移転がすべて「窃取」に当たるのであれば、詐欺罪や恐喝罪は不必要となってしまうであろう。なぜなら、それらの行為は、すべて、同じ法定刑が予定されている窃盗罪で処罰できるはずだからである。
  ところで、他人から窃取した預金通帳と印鑑を用いて銀行の窓口で預金の払戻しを受ける行為は、一般に、詐欺罪に当たるとされている。つまり、このような形での銀行の窓口から自己への現金の移転は「交付」と解されているのである。
    それでは、この窓口業務が機械化されただけの現金自動支払機の場合はどうであろうか。詐欺罪が成立するためには、人つまり「自然人」を欺罔して、たとえば自分がこの銀行預金の口座名義人であると思い込ませる必要がある。したがって、人でない機械が相手の場合には、詐欺罪は成立しない。しかし、詐欺罪が成立しないからといって、自動的に窃盗罪が成立するわけではない。なぜなら、機械に対する詐欺罪が成立しないのは欺罔が自然人を対象とした概念であるからであり(1)、かつ、人の代わりに機械が行った現金の「交付」が、詐欺罪の他の要件が満たされないことを理由に、突然、「窃取」に変わるわけはないからである。
  もっとも、判例は一般に、窃盗罪の成立を当然のことと見ているようである。そこでは、有効なカードを用いて現金自動支払機を正常に作動させた場合でも、それは支払機の管理者の意思に反し、その支配を排除して、支払機内の現金を自己の支配下に移したものだから「窃取」だとされる(2)。しかし、カードと暗証番号を用いて機械を正常に作動させた結果提供された現金は、「窃取」されたとはいえないと思われる。なぜなら、すでに述べたように、自動支払機は窓口係の代わりをするにすぎず、現金は人間の代わりに機械によって提供されたと見られるからである。詐欺でなければ窃盗というのは、詐欺か窃盗かの二者択一的発想の硬直性を示すものであろう。
    これに対しては、機械を正常に作動させる場合でも、たとえば盗み出した鍵を用いて金庫を開け中の現金を持ち出す場合のように、明らかに窃盗に当たる場合はあるという反論が予想される。しかしながら、金庫と現金自動支払機とでは、その機能は異なる。自動支払機は単に現金の入った扉を開けるものではなく、入力された情報に応じて、一定の金額の現金を「提供」するものである。それは、まさに機械による「交付」であって、金庫の場合と同列に論じることはできないといわなければならない。実際、外国には、ドイツの判例のように、「交付か窃取かは、事実的に、その外観で決まる」のであって、支払機を正常に作動させて提供された現金を持ち出す行為は窃盗罪には当たらないとするものがある(3)
  このように考えると、自動支払機の中の現金の占有と所有が銀行にあると見ても、有効なカードと暗証番号による現金引き出しは「窃取」に当たらず、窃盗罪は成立しないことになる。したがって、本判決が銀行預金を銀行と口座名義人との「債権債務関係」とするのは正当であるが、過剰入金の口座名義人に「正当な」預金引き出しの権限がないと見たり、彼に「占有」がなければ直ちに窃盗罪が成立するかのように述べるのは正しくない。もっとも、混乱の原因は、すでに、「債権の占有」という形容矛盾を認めること自体にあるのだが。

(1)  人を錯誤に陥らせる行為が欺罔である。大判明治三六・三・二六刑録九ー四五四、大判大正六・一二・二四刑録二三ー一六二一。
(2)  東京高判昭和五五・三・三刑月一二ー三ー六七。窃取したキャッシュカードによる引き出しは、「カードを利用して、同支払機の管理者の意思に反し、同人不知の間に、その支配を排除して、同支払機の現金を自己の支配下に移したもの」であるから窃盗罪に当たるとする。
(3)  一九八七年一二月一六日の連邦裁判所決定(BGHSt 35, 152)。もっとも、銀行側には窃取したCDカードを用いた者に現金の所有権まで移転する意思はないとして(占有離脱物)横領罪の成立は認められた。そこでは、所有権譲渡は法律行為であるが交付は事実行為であって、権利者の意思ではなく行為の外観で決まるとされている。なお、さらに一九九一年一一月二二日の連邦裁判所判決(BGHSt 38, 120)は、偽造カードに正しいデータを複写しそれを入力して自動支払機を作動させ現金を取得した場合でも、コンピュータ詐欺であって窃盗ではないとする。なお、ドイツでは、払戻し後の現金に対する横領は認められるが、横領罪の客体は「動産」に限られているため、預金債権に対する「占有」は認められず横領罪は成立しない。


五  法秩序の統一性

    すでに見たように、銀行実務は、過剰入金や誤振込みがあっても、いったんその金額を受取人の預金に入金し記帳した後は、組戻しのためには受取人(口座名義人)の同意が必要であるとしている。また、一九九六年四月の最高裁判決によれば、受取人の債権者は、誤振込みによって成立した預金債権を有効に差し押さえ、自己の債権の満足に当てることができるとされる。それは、振込みが原因関係のないものであることが判明した後でも、当然可能なのである。このような中で、ひとり受取人のみが、誤振込みの事実を知った後でこれを引き出せば、窓口であれば詐欺罪が、自動支払機を利用すれば窃盗罪が成立するというのは、明らかに法的評価の矛盾である。これでは、民事的には預金債権は有効に成立し、債権者によって差し押さえることもできるが、刑事的には預金債権は成立しないかまたは正当に引き出すことができないとして、特殊「刑法上の債権債務関係」の不存在というカテゴリーを認めることになってしまう。
  たしかに、所有権については、特殊「刑法的な所有権」というものを認めるべきだとする主張がこれまでなくはなかった。それ自体が、すでに財産法秩序の統一性を破るもので、民法的には自己の所有権の行使として許される処分行為が刑法的には犯罪になるという法的評価の矛盾をもたらすものであるが(1)、しかし、右のような考え方は、所有権秩序に加えて債権債務関係にもまた、特殊刑法的なものを認めることにより、矛盾をいっそう拡大するものである。そのような考え方は、法秩序の統一性の要請に明らかに矛盾する(2)
    これに対しては、金銭の所有権をその占有と常に一致させる民法の考え方(3)は刑法に応用できないので、二つの法分野で評価が分かれるのは当然だとする反論が予想される。しかし、民法の世界でもまた、右の考え方は例外のないものではない。たとえば、泥棒に盗まれた現金に対しては、被害者は所有権に基づく返還請求をなしうるはずであって、単なる不当利得返還請求権しかないわけではない。所有と占有を一致させる考え方は、あくまで、金銭交付者に交付の意思がある場合に限られるとする見方も可能なのである。また、実際、ドイツの判例によれば、窃取されたCDカードによる現金の引き出しは、所有権移転の効果を伴わない交付と解されている。したがって、金銭の所有と占有を一致させる民事判例の射程もまた、誇張されてはならないのである。その意味で、最高裁の一九九六年四月判決もまた、刑事判例との矛盾を小さくするために修正を余儀なくされるかもしれない。
  しかしいずれにせよ、民事・刑事の両法分野は、財産法秩序に関して互いに矛盾のないように解釈されなければならないことに疑いはなかろう。そして、実務が視野狭窄に陥るおそれがあるときは、それを指摘して広い視野から解釈論を構築することが、解釈論者の使命でもあるように思われる。

(1)  そのようなものとして、「他人の」建造物損壊に関する最決昭和六一・七・一八刑集四〇ー五ー四三八。
(2)  林  幹人「可罰的違法性と法秩序の統一性」同『刑法の基礎理論』(一九九五)五七頁、松宮「法秩序の統一性と違法阻却」立命館法学二三八号(一九九五)八四頁以下参照。
(3)  たとえば、最判昭和三九・一・二四判時三六五ー二六。
〔追記〕
  本稿脱稿後に、最高裁一九九六年四月二六日判決に対する前田達明教授の判例批評に接した(前田達明「判批」判例時報一五八号(判例評論四五六号)一九二頁)。