立命館法学  一九九六年六号(二五〇号)一六五三頁(三一三頁)




スイスの住民投票
−直接民主制と間接民主制との共鳴?−


村上 弘






目    次





一、はじめに−住民投票をめぐる論点


  この論文では、スイスの事例を手がかりに、住民投票がどの程度、正統性と政策的妥当性をもちうるかを考える。とくに、日本では直接民主制と議会制とを対立的にとらえて前者の正統性を疑問視するむきもあるが、はたして二つのデモクラシーは本当に対立するのか、両者の間には現実にどのような相互関係が成立するのかという問題を、考察の中心に置きたい。
  一九九六年には、新潟県巻町で原子力発電所建設をめぐり、また沖縄県で米軍基地の整理縮小・日米地位協定の見直しをめぐり、それぞれ住民投票がおこなわれた。いずれも、特定の争点についての住民投票条例にもとづいておこなわれた投票であり、またその結果は法的拘束力はなく、長にその尊重を義務づけるという意味での政治的拘束力をもつものであった。一般的な住民投票制度をもたない日本で、それに準じた住民参加の手法が登場したのだ(1)
  また、地方分権の推進にともなって自治体内部でも「住民参加の充実」(地方分権推進法七条)をはかるべきだという方針が打ち出されていることや、再統一後のドイツ各州で住民投票制度が導入されてきた等の海外の動向(2)も、住民投票賛成派に多少の追い風をもたらしている。
  しかし、直接民主制の強化に対しては、危惧や不信を示す意見も多い。
  日本で、住民投票を否定的に評価する見方のおもな根拠(3)は、第一にそれが議会制民主主義の原則と対立するゆえに正統性をもちえないという批判であり、第二に住民の判断は議会や行政の決定よりも非合理的、利己的になり妥当性に欠けるという批判である。(なお、第一の点に関連して、大統領やクーデタ指導者など強力な政治リーダーが、議会を抑えて権力を握るために国民投票を利用して信任を得るという危険性があるが、ここでは触れない(4)。)
  もちろん、この二点は、直接民主主義がもつ利点の裏返しでもある。利点とは、主権者の意見を直接反映すること、および行政や議会が試みないような大胆な政策転換やイノベーションを生みだす可能性があること、などである。しかしそれにしても、住民投票がその正統性と妥当性についてもちうる欠点の指摘は、軽視できない。指摘がどの程度事実であるのか、実証的に検討してみることが必要だろう。


(1)  この状況については、高寄昇三『市民自治と直接民主制』公人の友社、一九九六年、『ジュリスト』一九九六年一二月一五日号、『都市問題』一九九七年二月号(いずれも住民投票を特集)などがある。
(2)  ドイツについては、木佐茂男『豊かさを生む地方自治ドイツを歩いて考える』日本評論社、一九九六年、稲葉馨「ドイツにおける住民(市民)投票制度の概要」『自治研究』一九九六年五号を参照。各国での動向については、D. Butler, A. Ranney (eds.), Referendums around the World:The Growing Use of Direct Democracy, Macmillan, 1994.
(3)  高寄、前掲書六三−七二頁は、ほぼ同じ種類の住民投票批判に対して反論を述べる。辻村みよ子「「住民投票」の憲法的意義と課題」『ジュリスト』前掲号も、住民投票に向けられている批判を、次の三点にまとめている。代表(間接)民主制と矛盾抵触し、代議制を弱体化させる。政治権力者や独裁者を正当化するプレビシットとして機能する危険。情報の不足や主権者の分析能力の欠如による世論操作・誘導の危険。
(4)  直接民主制が非合理的な決定を生んだり、独裁者に乱用されたりする危険は、国レベルの場合に比べて地域レベルでは小さいだろう。地域での決定は、国レベルの法体系、政党、メディアなどによって制約されているからである。


二、スイスの国民・住民投票制度(1)
  一九世紀から発展してきた直接民主制の二つの柱として、議会が可決した憲法・法律・条例等をさらに有権者の投票にかける「レファレンダム」(Referendum, Volksentscheid)と、有権者の発議提案にもとづいて投票をおこなう「イニシアティブ」(Initiative, Volksbegehren)とがある。両者をあわせて、国民・住民投票(Abstimmung または votation)と呼ぶ。
  レファレンダムには義務的な(obligatorisch)ものと、任意的な(fakultativ)ものとがある。義務的とは、法律等が自動的に有権者の投票に付されるものである。任意的とは、有権者が一定数の反対署名を集めた場合などに、法律等が投票にかけられるものである。いずれも、投票で過半数の賛成を得なければならない。
  連邦では、義務的レファレンダムに掛けられるのは、憲法改正、緊急事態に関する法律で憲法にもとづかないもの、集団的安全保障機構や国家間の共同体(EUや国連など)への加盟である。任意的レファレンダムの対象になるのは、連邦の法律および一般的に適用される決定、緊急事態に関する法律で憲法にもとづくもの、国際条約であり、これらは、有権者五万人以上または八つ以上の州の請求があれば国民投票にかけられる(憲法八九条など)。
  州や市町村でも、州憲法改正は義務的に、法律や一定以上の財政支出は義務的あるいは任意的に、レファレンダムの対象とされている。要件は州によって違う。たとえば、チューリヒ州(人口約一一六万)では(2)、州での義務的レファレンダムの対象になるのは、憲法改正、すべての法律、一度に二〇〇〇万フランまたは毎年二〇〇万フラン以上の支出を伴う州議会の議決、原子力関連施設に関する決定などである。任意的レファレンダムの対象になるのは、二〇〇万−二〇〇〇万フランの一時的支出および二〇万−二〇〇万フランの毎年の支出であり、これらは、州議会議員の三分の一以上または有権者五〇〇〇人以上の請求があれば住民投票にかけられる。
  つぎに、イニシアティブとして提案しうるのは、連邦レベルでは憲法改正のみで、法律や決定は対象とならない。実際には、かえって本来法律で定めるべき問題までもが憲法改正の請求として提案されるようになっている(3)。一八か月間に一〇万人以上の署名を集めることができれば、提案は国民投票にかけられるが、国会はその際に否決するよう勧告し、あるいは対案をいっしょに国民投票にかけることができる(憲法一二〇条、一二一条)。
  州や市町村では、州憲法改正だけでなく、法律も、州によってはそれ以外の行政決定事項も、イニシアティブの対象となる。必要な署名数は各州の憲法で規定される。チューリヒ州では、有権者は六か月以内に一万人以上の署名によって、憲法改正、法律の制定・改廃、憲法により住民投票の対象になりうる決定の変更について提案をおこないうる。州議会がこの提案を受けて、提案を認めるべきか否かの勧告を付け、必要ならば自らの対案を付けたあと、住民投票がおこなわれる。
  以上のような投票が、連邦において、また二六の州(Kanton)や約三〇〇〇の市町村ごとに、一年に数回おこなわれる。有権者の便宜をはかって、連邦、州、市町村の国民・住民投票を同時におこない、郵送による投票を幅広く認めるなどの工夫もされるようになっている。
  しかし、投票率はかならずしも高くなく、連邦レベルでの国民投票では、問題の重要性によって違うが三〇%から五五%の間を変動している。この数字は、第二次大戦前には六〇−七〇%程度であったものが、一九六〇年代に平均四〇%前後に下がり今日に至っている(4)。地方レベルでも中くらいの投票率になっている。チューリヒ市の場合、一九九四年におこなわれた五回の投票の参加率は、二月(長期失業者への援助など)四一%、四月(特定の公共事業予算)一八%、六月(特定の公共事業契約など)四五%、九月(駐車料金)四九%、一二月(市職員の賃金抑制、ごみ手数料改定)五二%であった(5)

(1)  以下、この論文でスイスの政治制度に関して参考にするのは、A. Huber, Staatskundelexikon, Verlag Schweizer Lexikon, 4. Aufl., 1994;J. M. Gabriel, Das politische System der Schweiz:Eine Staatsbu¨rgerkunde, Haupt, 1993;Schweizer Brevier 1995, Ku¨mmerly+Frey.  スイスの政治行政については、国枝昌樹『地方分権ひとつの形』大蔵省印刷局、一九九六年も詳しい。
(2)  B. Schneider, Der Kanton Zu¨rich, Lehrmittelverlag des Kantons Zu¨rich, 1996, S. 21-23.
(3)  Gabriel, a. a. O., S. 127.
(4)  Bundesamt fu¨r Statistik (Hrsg.), Statistisches Jahrbuch der Schweiz 1995, S. 379.
(5)  Statistisches Jahrbuch der Stadt Zu¨rich.



三、事例−レマン湖横断道路計画の否決を中心に


(1)  一九九六年六月九日の国民・住民投票

  この日、連邦レベルでの二つの国民投票とともに、各地域レベルでもさまざまな争点での住民投票がいっせいにおこなわれた(表1)。
  国民投票では、農業に環境保護を求めエコロジー型農業に補助金を出すという憲法条項の導入が賛成多数を得た。「農民と消費者−自然型農業のために」というイニシアティブ運動から出された提案に対して、国会が修正対案(Gegenentwurf)を出したものが、国民投票に掛けられたのであった。同様の提案が九五年に五〇・八%の反対で否決されていたが、再度の挑戦はうまくいった。政府機構改革案は、連邦政府に次官(Staatssekreta¨r)を置く等の内容だが、政府を肥大化させるとして反対した経済団体とスイス国民党(SVP)の意見が、投票した有権者の多数の支持を引きつけるに至った(1)
  チューリヒ市では、ごみ手数料の値上げ提案が、市議会で賛成多数により可決されていたが、スイス国民党が反対してレファレンダムを起こしていた。結果は、これで住民投票で三度目の否決を受けたことになる。公共住宅建設については、市政府の執行部を構成する政党(2)の間で意見が分かれ、市議会(Gemeinderat)が二〇〇〇万フランの案を、市政府(Stadtrat)が四〇〇〇万フランの案を提案していた。住民は、小さい方の予算案を選択した。景気低迷の中で、政府はいっそう節約すべきだという市民の気持ちが表れたようだ。外国人の市民権取得規定改正は、市議会では七七対四の大差で可決されていたが、反対票を投じた小政党「スイス民主党」が「市民権を簡単に与えすぎる」としてレファレンダムを起こしたもので、規定の難解さゆえに棄権が多かったこともあり、反対が賛成を上回った(3)
  その他の地方政府では、おおむね議会での意見分布と大きく異ならない結果が、住民投票で示された。
(2)  ジュネーブにおける横断道路計画の否決
  住民投票(votation)の対象になったのは、ジュネーブ市内のモンブラン橋の北側、レマン湖の幅が大きくなった部分に、横断道路を橋またはトンネルで建設する計画である。州政府のプロジェクトで、トンネル案は全長一五〇〇メートル、建設費四億九〇〇〇万スイスフラン(一フラン=約八九円)、橋案は一六四二メートル、四億三〇〇〇万スイスフランとなっている。
  一九八八年に、横断道路の実現を求めるイニシアティブが六八%の賛成で成立したのを受けて、政府が二種類の建設計画を策定したあと、建設着手を求めるイニシアティブを商工会議所や自動車クラブでつくる委員会があらためて起こしていた。
  州政府は案内パンフレット「州政府から市民へのメッセージ(4)」を発行した。これは二四ページにわたって、次のような内容を詳細に掲載している。
  ・州政府(Conseil d’Etat)の主張「横断道路の推進」
  ・イニシアティブ委員会の主張「橋にもトンネルにも賛成を」
  ・反対派の主張「一〇億フランの大規模プロジェクトは破壊的で不必要」
  ・州議会(Grand Conseil)と政府からのお願い「横断道路の建設を認めてください」
  ・トンネル案の計画地図と費用等
  ・橋案の計画地図と費用等
  ・投票の手引き
  ・政党、各種団体(約四〇)による賛否の立場表明の一覧表
  州議会の政党の立場は分かれた。賛成は、与党の自由党(二七議席)、急進党(一五)、キリスト教民主党(一四)、反対は、野党の左翼同盟(二一)、社会党(一五)、緑の党(八)であった(5)。賛成派は、一〇〇議席のうち五六を占めていたことになる。
  ジュネーブの住民投票は、環境に影響の大きい大型公共事業の是非を問うものとして内外で注目された。街には賛否両派のポスターが整然と並び、新聞にも意見広告が連日載せられた。賛成派は雇用創出と都心の渋滞緩和を主張し、反対派のポスターは、レマン湖の白鳥がブルドーザーにおびえている絵や、人々が湖に札束を投げ込んでいる写真などで訴えた。
  結果は、膨大な建設費と景観・自然破壊を批判する反対派の宣伝が効を奏し、圧倒的多数で、橋とトンネルの二案がともに否決された。投票率も六〇%という「例外的な」高さに達した。トンネル案にいっそう反対票が多かったことから考えると、環境・景観の視点からだけでなく、財政面から計画に反対した市民も多かったといえる。
  八年前にプロジェクトの立案を認めた有権者の心変わりということになるが、地元新聞は、「市民が意見を変えたのを批判はできないが、同じく政府がまじめに計画を進めたことも非難できない(6)。」「ジュネーブ人は不安定だろうか?。そのとおりだが、景気変動と同じようにである(7)」と冷静である。州政府の長も、「八八年の投票は政府に計画具体化を委ねた。我々は計画をつくったが人々の気に入らなかった。投票によって横断道路の件は消えた」と述べ、計画が否決された理由として、住民の湖岸への愛着、財政難のなかでの建設経費、経費の一部として自動車税を引き上げるという州政府の方針、半環状高速道路の完成による都心渋滞の緩和、および公共交通優先の要望をあげている。州政府は横断道路中止で浮いた予算の一部で、小型地下鉄等の公共事業を進めることを検討しているともいわれる(8)

(1)  Neue Zu¨rcher Zeitung, 10. Juni 1996.
(2)  チューリヒ市の執行部を構成するのは、SPS(市長、警察局長、建築局長)、FDP(下水道局長、産業局長、学校・スポーツ局長)、CVP(保健環境局長)、CSP(財務局長)、緑の党(社会局長)の九人である。Stadtrat von Zu¨rich (Hrsg.), Bei Uns in Zu¨rich, 15 Aufl., 1996.
(3)  Neue Zu¨rcher Zeitung, 4. und 10. Juni 1996;Stadtkanzlei Zu¨rich (Hrsg.), Gemeindeabstimmung 9. Juni 1996.
(4)  De´partment de Inte´rieur, de l’environnement et des affaires re´gionales, Message du Conseil d’Etat aux citoyenne et citoyens du Canton de Gene´ve sur les trois objets soumis a` votation cantonale le 9 juin 1996.
(5)  Ibid., p. 22.  議席数と与野党分類は、A. Huber, a. a. O., S. 167-171による。
(6)  Journal de Gene´ve et Gazette de Lausanne, 10 juin 1996, p. 1.
(7)  Tribune de Gene´ve, 10 juin 1996, p. 3.
(8)  Ibid., p. 21;Journal de Gene´ve et Gazette de Lausanne, 10 Juin 1996, p. 5, 7.



四、スイスでの直接・間接民主制の相互関係


(1)  政党、団体の活動と有権者への情報提供
  有権者の決定が妥当で合理的なものであるためには、十分な情報が提供されなければならない。
  判断のための情報としては、行政が資料を各戸に送付する(1)のに加えて、政党や諸団体が積極的に「投票指針」(Abstimmungsparole)を発表する。国民投票にあたって各政党がどんな「投票指針」を示したかは政府の統計年鑑(Statistisches Jahrbuch der Schweiz)にも記録されるくらいだ。
  ジュネーブの横断橋計画をめぐっては、前に述べたとおり活発な宣伝戦が繰り広げられた。チューリヒでも、社会民主党は、新聞の広告欄に、連邦、州、市町村レベルの各議案についてどう投票すべきか、一覧表を載せていた。保守党(SVP)はゴミ料金値上げ反対の新聞広告を繰り返した。また、有力新聞である「ノイエ・チューリヒ・ツァイトング」は、各政党の賛否表明を一覧表にし、さらに新聞社として各議案への賛否の見解を社説にしていた。
(2)  有権者と議会の意思の一致度
  連邦レベルでの国民投票の結果(一九七一−九四年)は、つぎのとおりである(2)
                   可決   否決   議会の対案を可決
    イニシアティブ        四    五〇       一〇
    レファレンダム(任意的)   三〇    一六
        同  (義務的)   五八    一七
  国民が提起したイニシアティブは、容易には国民投票で可決されず、また議会が出した対案の方が可決されることも多い。一方、政府・議会が提起した議案は、その七割強が国民投票で認められている。
  つぎに、一九九三年六月−九四年六月におこなわれた二一回の国民投票の結果と、投票にあたっての主要政党(後述)の「投票指針」とを照らし合わせてみよう(3)
    主要六政党のうち賛成した政党の数  なし    一党    二党    三党    四党    五党    六党    計
    国民投票で可決                    〇    〇    一    〇    四    六    五  一六
    国民投票で否決                    〇    〇    四    〇    〇    一    〇    五
  国民の判断と議会の判断はおおむね一致しているといえるようだ。主要政党の多くが賛成(反対)する議案は、国民によっても可決(否決)されている。ただし、例外が二つある。アルプスの環境を通過貨物トラックから守るイニシアティブ(Alpen-Initiative)は、賛成が社会民主党と緑の党の二つだけであったにもかかわらず、国民投票で可決された(投票率四一%、賛成五二%)。逆に、スイス国民党以外の五党が賛成したPKO派遣法は、反対運動によって任意的レファレンダムに掛けられ、否決されてしまった(投票率四七%、賛成四三%)。前者は有権者の二一%の賛成票が、後者は有権者の二六%の反対票がそれぞれその意思をつらぬいたことになり、疑問が残らないわけではない。
  なお、このとき(一九九一年の選挙結果)の国民議会の議席数は、進歩民主党(FDP)四四、キリスト教民主党(CVP)三七、社会民主党(SPS)四三、スイス国民党(SVP)二五、緑の党一四、自由民主党(LPS)一〇、その他二七である。連邦政府は首相と六人の大臣から構成され、国民議会と州代表による「全州議会」とによって選出されるが、実際には、主要政党間でポストの配分が協定され、「魔法の方式」(Zauberformel)と呼ばれている(4)。現在適用されている配分形式は、一九五九年以来のもので、FDP二、CVP二、SPS二、SVP一である。これら四党が連立与党であり、その合計議席は国民議会の七五%を占める。
  しかし、こうした大連立または相乗り型の政権であるにもかかわらず、国民投票に際しては、連立与党の間でも意見が分かれることが少なくないことは、注目に値する。
  つぎに、地方政府レベルをみよう。州および市町村の議会は、原則として比例代表制によるため、多党化が進み、無所属議員はきわめて少なくたとえば州議会では二・四%にとどまる。執行部である州首相・大臣、あるいは市長・局長も、いくつかの州を除いては有権者の直接投票で選ばれる。その結果、これらの執行部ポストは主要政党間に配分されることになる。議会で過半数を占めうるような政党連立で執行部ポストを配分する場合もあるが、より多くの政党が執行部ポストを分け合う大連立または「相乗り」の地方政府が多い(5)
  大連立を構成する与党のあいだでも、住民投票に際しての態度表明は異なってもよい(チューリヒ市での住宅予算の例)。はじめは議会で賛成していた政党が、住民投票の運動・論戦のなかで態度を変えてしまうこともある(チューリヒ市での外国人市民権取得規定改定、ヴィンターツァ市やフライブルク州での営業時間規制緩和の例)。
  議会と住民の多数意見は、表1で見たように、一致することが多いようだ。両者が背反しても、レマン湖横断橋の事例のように、議会が小差で決めた決定が住民投票で覆されるならば、違和感は小さいだろう。さらに、チューリヒのゴミ手数料や外国人市民権規定の場合のように、議会の小政党の意見が住民投票で勝つこともあるが、各政党が「投票指針」を示しそれでも市民が従わない場合、議会の権威が無視されたと怒るわけにはいかないようだ。議会多数派の決定がくつがえされたときの有力新聞の論調をみると、「有権者は、ごみ処理の経費を自発的に払う意志がなかった」「市執行部は、外国人市民権取得に関する議案を重視せず、反対派に論争の主導権をやすやすと委ねてしまった」といったものである(6)。住民の理解の悪さだけでなく政府や議会の努力不足をも批判しているのである。

(1)  チューリヒ州選挙法(Wahlgesetz)三八条は、「住民投票の議案は、投票の一九日前までに発行され、説明文書とともに投票の一九日前に有権者に送付される。説明文書の発行は市町村にとっては任意である。(以下略)」と定める。
(2)  Bundesamt fu¨r Statistik, a. a. O., S. 379.
(3)  Ebd., S. 376-377 から筆者が計算。
(4)  Gabriel, a. a. O., S. 79-82.
(5)  州の議会と政府の政党別構成についてのデータは、A. Huber, a. a. O., S. 167-171.  市町村の議会と執行部の政党別構成についてのデータは、Schweizerischer Sta¨dteverband, Statistik der Schweizerischer Sta¨dte, 1995, S. 76-85.
(6)  Neue Zu¨rcher Zeitung, 10. Juni 1996, S. 29.



五、住民投票の正統性と妥当性


  スイスの国民・住民投票の特徴は次のようにまとめられる。
  ・レファレンダムおよびイニシアティブというかたちで、連邦、州、市町村レベルでひんぱんにおこなわれる。投票率は低いことが多いが、重要な問題については高くなる。
  ・政党や各種団体が積極的に参加し、賛成、反対の意見を述べる。新聞や行政によっても情報が提供される。議会と国民・住民の判断は、一致することが多いが、食い違うこともある。
  ・大胆な政策転換をもたらす場合と、政策推進への障害となる場合とがありうる。レマン湖横断橋計画の否決は、見方によっていずれとも評価することができよう。連邦レベルでの国民投票での決定事例としては、レファレンダムとして国連加盟の否決(一九八六年)、消費税導入の可決(一九九三年、憲法四一条)、PKO参加の否決(一九九四年)、またイニシアティブとして原子力発電所建設の一〇年間停止(一九九〇年、憲法経過規定一九条)、アルプスを通過する貨物輸送の鉄道への移行(一九九四年、憲法三六条)など、注目すべきものが多い(1)
  さて、一、で述べたように、日本での住民投票批判のおもな根拠は、(1)議会制民主主義の原則が重要であること、(2)住民の判断が(議会や行政の決定よりも)非合理的、利己的な傾向をもつことだ。
  こうした論点を体系的に考察しようとしたのが、図1である。

  (1)議会制民主主義のもとでの住民投票の「正統性」批判に対しては、そもそも主権者の意思つまり後者の制度が、前者の間接民主制に優越するべきだという規範論的な反論(2)もありうる。しかし、デモクラシーのためのこれら二つの制度は、はたしてそんなに根本的に対立するものであろうか。
  スイスの状況を見ると、二つが矛盾せずに同調・共鳴しあう可能性も高い。まず、無所属議員が少なく、各政党は国民・住民投票にあたり賛否の立場を市民に訴えかけることになる。同時に、中央でも地方でも大連立(相乗り)与党体制が好まれるとはいえ、与党のなかで国民・住民投票に関して賛否が分かれることが起こる。本格的な野党が存在しない協調型民主主義(Konkordanzdemokratie)ではあるが、政府に参加している政党も「いつも政府に賛成しなければならないという拘束はなく」、「交替に野党としてふるまい」、「争点ごとの野党(themenorientierte Opposition)」として機能するといわれている(3)。相乗りのもとでも政党間の競争が維持され、国民・住民投票が争点設定機能を果たしているといえよう。日本の自治体での相乗りと違うのは、多党制であること、政府ポストの配分が選挙結果で決まることである。なお、議会が市民のイニシアティブに対して修正対案を示し、国民・住民投票に掛けることも多い(4)
  結果として、議会の多数意見と有権者の多数意見とは接近することが多い。
  しかし、国民・住民投票で政党が果たす役割は比較的小さいともいわれ(5)、議会での少数意見が有権者による投票で勝つことも起こる。有権者と議会の意見分布のズレが大きい場合、直接民主制の正統性が増すか減るかは、微妙な問題だ。直接民主制は議会とのズレを調整する手法として正統性を高める反面、議会の判断とぶつかることで正統性がゆらぐおそれもある。
  スイスのある政治学教科書は、協調型(相乗り型)の政府ゆえに直接民主制の役割が重要であると、つぎのように説明している。「わが国では上のほう(oben)で野党が弱いために、下から(von unten)の野党がとくに重要である(6)」。
  このように、直接・間接民主制のズレという問題はスイスではあまり意識されず、住民投票への正統性批判は深刻なものとなっていないようだ。もちろんこれは、議会、政党、行政が市民を説得した側面と、市民に譲歩した面と両方あって、結果として政治エリートと市民の意思決定が接近したものである。どちらの側面が大きいかをここで判断する準備はないが、エリートの市民や団体への譲歩も小さくないことは確かだ。
  そこで、(2)直接民主制をつうじた市民の判断の「妥当性」が問われる。市民はそもそも資質において議員より劣っているかもしれないし、そうでないにしても、政策判断をくだすための十分な情報をもっていないかもしれない。さらに、議会では継続的な議論・対話を通じて決定するのに対して、住民投票は選択肢に対してイエスかノーかを答えるのみだという手続きの違いも大きいかもしれない。
  第一の点を議論するには、有権者と議員の意識・能力についてデータが必要である。今後の研究課題としたい。
  第二の政策情報は、スイスでは、マスメディアとともに行政、政党、諸団体によってかなり供給されているといえよう。
  第三の点については、チューリヒ(公共住宅建設)やジュネーブ(横断道路)でみたように、市民に二つの代替案を示して投票させるという方法、あるいは議会による対案提示が、決定の合理性を高めるだろう。とはいえ、有権者は感情的に決定を下してそこからの結果について熟慮しない可能性もある。ジュネーブの有権者の決定は、公共交通の整備を求めるものと解釈できる。しかし、チューリヒでゴミ手数料値上げが否決された結果、市は清掃部門のいっそうの合理化を迫られることになり、それでも赤字の増大は深刻な問題として残るという。連邦レベルでは政府機構改革案が否決されてしまい、首相は「国民は決定を下したが、問題は解決されていない」と苦しい事情を説明している(7)
  これと関連して気になるのが、投票率の低さだ。レファレンダムで投票率が低くても、賛成多数であれば問題はない。棄権した多くの市民は政府の原案を支持したとみなしうる。しかし、投票率が低いなかで原案が否決された場合は、少数派が拒否権を行使したことになる。チューリヒのゴミ手数料議案は、市民の約二割の反対によって葬られたわけだ。
  スイスでの研究を整理したルトハルトによれば、直接民主制度はスイスの政治システムにつぎのような特徴を与えている。((1))利益集団がレファレンダムないしはその脅し(Referendumsdrohung)によって力を得る。((2))小政党や少数派に、政治的決定過程への参加機会が開かれる。そして、直接民主制に好意的な論者は、それがスイス人の意識に深く根付き、スイスでいちばん評判のいい制度であり、民主主義を守り、政治システムの高い統合力、低い紛争レベル、高い正統性、政府の安定性をもたらしている、と論じている。逆に、批判的な論者は、直接民主制の欠点として、投票率が低いこと、にもかかわらず政治的に必要な決定を遅らせてしまうこと、合意のためのコストが高くなることを指摘し、さらにスイスの経済競争力の低下の原因をこの制度に見いだそうとさえするという(8)。この論文でも見てきたように、国民・住民投票制度の定着は、政治システムを混乱させることはなく、システム全体を参加型・合意型に変容させてきたのであり、その意味では間接民主制との正統性をめぐる対立は表面化しないのだろう。しかし、全面的な市民参加が公共政策にどのような長所と短所を与えているのかは、別に検討すべきテーマだといえる。
  日本で住民投票が制度化されたとしても、間接民主制との対立は危惧されているほどにはならないだろう。議会を構成する各政党は、それぞれの立場を住民に説得しようと努力し、あるいは住民の意向に耳を傾けながらそれぞれの立場を鮮明にし、結果として議会と住民の距離は縮まることになるだろう。
  図1が成り立つとすれば、市民の参加とともに、政党・団体の参加や行政の支援が積極的であればあるほど、住民投票の正統性と妥当性が高まることになる。そして、住民投票制度の導入が、既存システムのそうした積極性を促すと期待しうるのではないか。
  もっとも、スイスと違って、日本の相乗り自治体は、保守・保守系無所属の多い議会と直接公選の首長の統合力という構造を背景にもっている(9)ために、やはり議会は首長と行政のもとに大型公共事業の推進等に向けて結束し、反対する住民多数の意思とのズレは埋まらないという事態が生じるかもしれない。しかしそれでも、そのズレをはっきりさせる可能性を制度化することは、議会と住民の対話への第一歩と言えなくもない。あるいは、スイスでの見方にならって日本でも、相乗り体制が構造的に定着して地方政府の政治的安定性を保障しているのだから、他方で政策論争を活性化させる住民投票制度を導入することによってバランスを取るのが望ましい、と論じることもできよう。
  ただし、スイスのようにあらゆる問題が住民投票に持ち込まれるようになると、かえって投票率も低下し、決定の正統性・妥当性を損なうおそれがある。このことは、住民投票の制度設計の問題、つまり投票の対象としえない事項の設定、争点設定を住民の関心の高いものに限定する方法(たとえば必要署名数)、投票に先立つ情報提供と議論の手続き、決定に必要な投票率のレベル設定などの問題が重要であることを、教えている。

(1)  Bundeskanzlei (Hrsg.), Bundesverfassung der Schweizerischen Eidgenossenschaft, 1995.
(2)  たとえば、高寄、前掲書、一一−一六頁。
(3)  W. Luthardt, Direkte Demokratie:Ein Vergleich in Westeuropa, Nomos, 1994, S. 49.
(4)  Ebd., S. 46; Gabriel, a. a. O., S. 127.
(5)  Luthardt, a. a. O., S. 48.
(6)  Gabriel, a. a. O., S. 151.
(7)  Neue Zu¨rcher Zeitung, 10. Juni 1996, S. 17.
(8)  Luthardt, a. a. O., S. 46-55.
(9)  村上弘「相乗り型無所属首長の形成要因と意味−国際比較を手掛かりに」日本行政学会編『年報行政研究』三〇号、一九九五年、同「ドイツと日本の市町村議会−選挙制度、政党化、社会的代表性」『立命館法学』一九九六年一号を参照。