立命館法学  一九九七年一号(二五一号)一頁(一頁)




フランス行政賠償責任におけるHIV感染血液訴訟
行政判例に対する影響を中心に


北村 和生







は  じ  め  に


  フランスにおいても、わが国の薬害エイズ事件と同じく、HIV(エイズ・ウィルス)で汚染された血液やそれを原料とする血液製剤による大規模なHIV感染事件が発生した(1)。フランスではこの事件は、感染血液事件(l’affaire du sang contamine´)と呼ばれることが多い。フランスでの被害は、わが国においてよりも広範囲にわたり、血友病患者の約四五パーセントがこの事件のためHIVに感染し、それだけではなく、血友病患者以外の輸血などによる感染者数もエイズ発症者の数から四〇〇〇から五〇〇〇人と見積もられている(2)。このように、フランスではわが国とは異なり血液製剤だけではなく輸血による感染もかなりの数にのぼっているのが特徴の一つである。
  フランスでは、感染血液事件がマスコミ等で大きく取り上げられ、社会問題化した一九九一年前後から、様々な訴訟が提起されてきた。たとえば、行政担当者や当時の首相・厚生大臣を含む政策決定担当者の刑事責任を追及する刑事訴訟、民間の病院・輸血センター等に対して損害賠償を請求する民事訴訟、そして、輸血役務への規制権限の不行使や公立病院などでのHIV感染を理由として国や公共団体に対して損害賠償を請求する行政裁判所での訴訟や、後述する補償基金の給付内容に対する不服の訴訟などがある(3)
  本稿はこの中でも、HIV感染血液事件に関する行政裁判所の判例を考察することにより、フランスの行政裁判所が血液製剤や輸血によるHIV感染者をどのようにして救済しようとしてきたか、そして、それに止まらず、これらの訴訟に対する行政裁判所の判決が行政賠償責任理論の中でどのような位置にあるのか、また、これまで判例によって培われてきた行政賠償責任の理論に対してどのような影響を与えたのかを明らかにすることを目的とする。というのも、このような考察は、HIV感染事件を近年の判例の流れの中に位置づけ、フランスの行政賠償責任判例の最近の傾向を一層明らかにするのに資するものと考えられるからである。もちろん、このような考察が、近時和解の成立によって一応の解決を見たものの、未解決の問題がないわけではない、わが国の薬害エイズ事件についても一定の有益な知見を与えるものではないかと考えられる。
  さて、本稿で扱う行政賠償責任に関する訴訟は大きく以下の二つに分けることができる。
  第一に、血友病患者らが、血液製剤によってHIVに感染したのは、国が輸血役務に対しその監督権限を適切に行使しなかったからであるとして、国の損害賠償責任を追求した事件である。ほぼわが国の薬害エイズ訴訟での国家賠償請求と同じタイプの事例であるといえよう。
  もう一つは、公立輸血センターの輸血用血液によってHIVに感染した被害者が、感染は輸血センターがHIVという瑕疵のある血液を供給したためであるとして損害賠償を請求する訴訟である。このタイプの訴訟の場合、民間の輸血センターの場合であれば司法裁判所が裁判管轄を有するため、類似した事例が司法裁判所判例にも見られるのが第一のケースとの違いである。また、第一のケースと異なり、少なくとも現時点ではわが国ではあまり見られないタイプの訴訟でもある。
  以下ではこれら二つのタイプの訴訟について、行政裁判所の最高裁判所に当たるコンセイユデタの判例を中心に考察してゆくが、その前に、後の記述とも関連があるので、立法によって創設されたHIV感染血液事件の被害者に対する救済制度について簡単に紹介しておくこととしたい(4)
  フランスでは裁判による救済がHIV感染被害者の救済のなかで大きな役割を占めたが、それだけではなく、立法による救済も図られた。現在運用されているのは、一九九一年一二月三一日法(以下では「九一年法」と呼ぶ)によって設立された補償基金(le Fonds d’Indemnisation)による救済制度である。
  九一年法制定以前には、当時の厚生大臣の名前をとって「エヴァン協定(Les Accords Evin)」と一般に呼ばれていた救済制度があった。これは、公権力、輸血施設、保険業者、AFH(フランス血友病協会)との間で交わされた協定などに基づく血友病患者への補償制度である。この補償のために二つの基金が創設された。一つは、私的な基金であり(一九八九年七月一〇日に創設)、AFH、輸血センターとその保険者の協定によって設立された。こちらは、抗体陽性者に一〇万フラン、死亡した場合には二二万五千フランを支払うというもので、抗体陽性者、その感染した配偶者、または死亡した者の権利承継人のみを対象としていた。また、この給付を受けるとHIV感染を理由とするすべての訴訟を起こす権利を放棄することとされていた。もう一つは公的な基金で、一九八九年七月一七日のアレテによって創設された。こちらはエイズを発症した血友病患者または死亡の場合にはその権利承継人に給付を行うというものである。給付額は家族の状況などにより変動し、三万フランから一六万フランと幅があった(5)
  右記の基金に対しては、一〇〇〇件以上の申請が行われたが、一方ではこれを批判し、裁判所で行政の責任を追及する被害者も約四〇〇件にのぼった。そして、後でも触れるように、九一年以降、行政裁判所が国の過失(6)を判決で明言したこと、血友病患者以外のHIV感染被害者をも含んだ統一的な救済制度の必要性が意識されたこと(7)、欧州人権裁判所でフランスでのHIV感染被害者への救済にかかる期間が長いことが問題化したこと(8)などから、感染者の救済制度は改革されることとなった。そこで、九一年法が制定され、被害者はこの法律によって設立された補償基金によって救済されることになった。以下、九一年法の内容をごく簡単に紹介しておく(9)
  九一年法は、以前の制度と異なり、感染している被害者がフランス人であるか外国人であるか、抗体陽性者であるかエイズを発症しているか、血友病患者か輸血によってHIVに感染したかを区別していない。また、感染者本人だけではなく、二次感染した近親者(配偶者、同居人、子供など)、感染していないが感染により損害を受けた近親者も補償を請求する権利を持つ。
  被害者の感染と輸血の因果関係については、推定が認められる。推定が覆されるのは、輸血に使われた血液や血液製剤の供血者に一人もHIV感染者がいないことを補償基金が立証したときであり、供血者中にHIVに感染していたかどうか不明の者が一人でもいた場合には、この推定は覆らないとされる。
  HIV感染者本人が受けた感染独自の損害は、基金によると、「抗体陽性と宣言された病気の発生によって引き起こされた生存条件の障害すべて」と定義され、その補償額は最高二〇〇万フランとされている(10)。なお、補償基金から給付を受けた者は、例えば、行政裁判所で国家賠償請求を行うことができ、過失などの要件を充たすことができれば、賠償請求は認められる。しかし、補償基金からの給付が確定している時などは、補償基金からの給付額は行政裁判所が命じる国家賠償の額から控除されうる。また、補償金は、抗体陽性の期間中にその四分の三が段階的に支払われ、残りの四分の一はエイズを発症した時点で支払われる。
  九一年法以前の救済制度の問題点の一つは、既に述べたように、補償の受給と引き替えに訴訟を提起する権利をすべて放棄するとしていた点である。九一年法の下では、補償基金への申請とは別途に裁判を起こす権利を失われない。一方で、給付の重複を防ぐため、裁判を提起した者は、補償基金に対し係属中の裁判手続を通知することや、裁判官に対し基金への申請を行ったことを通知すべきことが義務づけられている。

第一章  行政の監督権限不作為を理由とする国の損害賠償責任


  コンセイユデタが、HIV感染血液事件についてはじめて判断を下したのは、一九九三年四月九日の判決(11)においてである。この判決(以下では、「九三年判決」と呼ぶ)は、感染血液事件に関するコンセイユデタのはじめての判断というだけではなく、それまでの監督権限行使の懈怠を理由とする損害賠償責任に関する判例に新たな判断を加えたという点で注目すべきものと考えられる。本章ではこの判決について考察していくこととする。
  その前に下級審の判決を簡単に紹介しておくこととしたい。既にこれら下級審の判決については別稿で紹介を行っているので(12)、後の記述との関係から必要な点のみを述べることとする。
  (一)  国の損害賠償責任の要件について
  一審判決、二審判決ともに政府委員の論告は、国の監督権限の不作為に基づく損害賠償責任が生じるためには、行政機関が重過失を犯したことを要するとしており、二審判決は重過失を要件とすると判決していた(ただし、一審判決の判決本文は「重過失」という言葉を使っていない)。
  (二)  過失の有無の判断について
  一審判決、二審判決ともに国の規制権限の不作為が過失と判断されるのは、一九八五年三月一二日であるとしている。この日は、パリの供血者から準備されたすべての血液製剤がHIVに汚染されたかもしれないことが認められた日である。
  そして、国の規制権限の過失ある不作為が終了する、つまり、国が適切な規制措置を行ったとされるのは、一審判決によると、八五年一〇月一日である。この日は、非加熱血液製剤の健康保険公庫による償還が停止された日で、事実上非加熱製剤を禁止する措置がとられた日である。しかし、二審判決は、国が通達によって非加熱血液製剤の交付を禁じた八五年一〇月二〇日まで過失ある不作為は継続するとしている。

第一節  九三年判決
  九三年判決の内容を要約して紹介しよう。
  第一に、九三年判決は、輸血の公役務の組織や施設の監督に関する公衆衛生法典などの規定が、国の役務に与えている権限の範囲と、これらの権限が与えられた目的から、国の責任は当該権限の行使におけるあらゆる過失によって生じうるとした。この判示は、後にもう一度触れるが、行政の重過失を損害賠償責任の要件とはしないことを意味している。次に、九三年判決は、監督を行う行政機関と輸血センターなどの間に存在する緊密な協力関係と権限の配分を考慮するならば、国は、当該施設が犯した過失を援用して免責されえないとした。つまり、輸血センターが何らかの過失を犯したとしても、それは被害者との関係で国の責任を縮減するものではなく、被害者に賠償を支払った後に国が輸血センターに対して求償権を行使する可能性を残しているに過ぎないと判示したのである(13)
  さらに、九三年判決は、具体的な事実の検討に入り、八三年一一月以来、輸血などによるHIV感染の危険性が立証されていたこと、八四年一〇月以来、学会内で加熱処理の有効性が認められてきたことを認定した。そして、この当時HIV陽性者の一定数が数年以内にエイズを発症することや、これらの感染はある割合で致命的であることなどが、八四年一一月二二日、DGS(la Direction ge´ne´rale de la Sante´(14))の疾病学者であったブリュネ(Brunet)博士によって輸血諮問委員会(Commission consultative de transfusion sanguine(15))に提出された報告書の中で示されていたとし、「一九八四年一一月二二日に曖昧さなく受血者の感染の深刻な危険と、国際市場で入手し得た加熱血液製剤の使用によってそれを予防する可能性を知らされていた行政機関は、血液製剤のすべてのロットが汚染されていることの確信(certitude)を持つのを待つ必要はなく、危険な製剤の交付を禁止する義務があった」と判示した。そして、行政機関の不作為が過失となるのは、八四年一一月二二日からであり、国の過失ある不作為が終了した時期については、二審判決と同様に、八五年一〇月二〇日であると判示した。
  以上の点から、九三年判決は、血友病患者であった被害者またはその遺族に対して、二〇〇万フランの損害賠償を支払うよう国に命じた。

第二節  責任要件の選択−重過失と単純過失−
  九三年判決と下級審判決とりわけ二審判決を比較した場合、最も目に付くのは、九三年判決が、責任要件を重過失から単純過失に変更しているという点である。そのため、九三年判決は国の不作為が過失と認定される時期を下級審判決よりやや早い時期に設定することとなったと考えられる。
  行政が、他の独立した法人などに対して監督権限を有している場合、監督権限の不行使に基づく損害賠償責任が生じるのは、従来のフランスの行政判例の理解では、監督機関が重過失を犯した場合であると考えられていた(16)。例えば、地方公共団体が国から行政後見(tutelle)という監督を受けていた時、もし、この地方公共団体が過失によって住民に損害を与えたとすると、地方公共団体が住民に対して損害賠償責任を負うこととは別に、国も監督権限の不作為による損害賠償責任を負うこととなりうる。このとき国の責任が生じるためには、重過失が要件とされていたのである。それではなぜ九三年判決はそれまでの立場を変え重過失を要求しなかったのか。後見や監督権限の不作為に基づく損害賠償責任に関するリーディングケースとされるコンセイユデタ判例を踏まえて考察する。
  一  一九四六年三月二九日判決
  監督権限の不行使による監督機関の損害賠償責任につき、重過失を要件として確立した著名な判決が一九四六年三月二九日のコンセイユデタ判決(17)(以下では「四六年判決」と呼ぶ)である。
  本件は、詐欺によって公営質屋から金銭を回収できなくなった被害者が、損害は、公営質屋に対する国などの監督権限の不行使や職員の選任監督権限の不行使が原因であるとして国などに対して損害賠償を請求した事件である。コンセイユデタは、政府委員ルファスの論告に従い、このような犯罪行為は知事の犯した重過失や国の諸機関の様々な懈怠によってのみ可能となったとして原告の賠償請求を認容している。
  それでは後見や監督の懈怠による損害賠償責任の要件として重過失が要求される理由はどのように理解されることになるのであろうか。
  一つは、政府委員ルファスが論告中で述べているように、後見や監督を理由とした損害賠償責任を認めるためには一定の厳格さが必要とされるべきだという点である。つまり、もし簡単に賠償責任を認めるとするなら、後見や監督役務の運営を麻痺させる恐れがあるという点である(18)
  もう一つは、四六年判決の評釈者であるマティオが指摘するように、後見や監督という任務は一定の困難さを伴う任務であり、行動の自由、すなわち監督機関に広い裁量が認められているからだということである(19)。行政機関が困難な任務を負っているかどうかという基準は、現在でも重過失が要求されるかどうかを判断する際によく見られる考え方である(20)
  また、マティオが述べているように、行政後見や監督機関に対して幅広い裁量権が与えられている結果、四六年判決まではそもそも行政後見や監督権限の不行使を理由とした損害賠償責任は認められていなかった(21)。その意味では、四六年判決は後見や監督の権限にまで裁判官が審査権を拡大しているものと評価できるのだが、これは、これまで責任が認められていなかった領域に行政賠償責任を認める(言い換えれば、裁判所のコントロールを及ぼすということになろう)ことになるので、コンセイユデタは、まずは重過失という、より厳格な要件で責任を認めていこうとしたのではないかということも指摘できるだろう。
  四六年判決以降の判決においても、コンセイユデタは、行政後見や監督権限の不行使などを理由として損害賠償を請求する訴訟において、重過失を要件として要求する立場をほぼ維持することとなった(22)
  二  重過失から単純過失へ
  それでは、九三年判決はどのようにして、重過失から単純過失に要件を変更することとなったのであろうか。
  まず、第一にに考えられるのが、判決本文でも述べられているように、輸血役務への行政の監督権限の範囲である。重過失が要件として要求される理由は、既に四六年判決について述べたように、行政の行う監督権限は、事態に応じた困難な判断を監督者に要請するため、裁量の余地が広く、また監督者の権限は間接的なものに過ぎないと考えられることから、損害賠償責任が認められる範囲を狭めようという考慮であると考えられる。しかし、九三年判決で問題になっている輸血役務に対する行政の監督については、公衆衛生法典など各種の法律や命令が詳細な規定を置いている。したがって、監督権限行使に認められる裁量の幅やあるいは権限行使に伴う困難さは、他のケースに比べると小さなものとなると考えざるを得ないこととなる。
  具体的に、法律に定められた国の監督権限としては、輸血用血液や血液製剤の準備を許可された施設の認可(公衆衛生法典(23)L六六七条)、血液製剤等を貯蔵する施設の指定と薬局で貯蔵されうる安定した血液製剤のリストの決定(同法典L六六八条)、アレテによる血液、血漿、血液からの生成物の規制(同法典L六六九条)、これらの物質の準備、保管、品質を監督する任に当たる者の指名(同法典L六七〇条)などがある。しかし、国の権限は実際にはそれに止まらず、輸血役務の組織などに対する規制権限も規定されている。
  このような点からすると、評釈者が指摘するように、行政には輸血の役務に対する監督を行う上で、単なる第三者的な監督者というよりも一層「積極的(actif(24))」な役割が法律上期待されているのであり、輸血の役務と行政の関係は間接的な関係ではないと考えられるべきであろうし、国家活動による責任が監督責任であるからといって、重過失を要求する必要はないということになるのである。
  九三年判決が、重過失という要件を排した第二の理由は、判決も述べていることだが、行政に与えられた権限の目的である。この点も評釈者が指摘しているのだが、「公衆衛生の保護は、国家がまったく特別な注意を示さなくてはならないような課題を構成し、それが、重過失のシステムに地位を与えることはあり得ない(25)」のである。つまり、公衆衛生のように国民の重大な権利利益を保護すべき任務が行政に与えられている場合には、重過失という要件で、行政を損害賠償責任の追及から保護すべきではないという理解であり、わが国における規制権限の不作為を理由とした国家賠償責任との比較を考える上でも非常に興味深い理解であると言えよう。とりわけ、既に述べた四六年判決についてのマティオの理解のように、重過失が要求される理由の一つを監督機関に与えられた幅広い裁量権の存在であるとするならば、規制の保護法益が公衆衛生や国民の健康のように重要な場合には行政の裁量権が後退し重過失から単純過失に要件が変更されうるという、わが国の国家賠償法についての解釈でよく見られるような理解も不可能ではないからである。ただし、九三年判決の判示からは、上記の第一の理由がない場合、第二の理由、つまり、権限行使の目的だけから重過失要件が排除されるかは不明であるから、今後の行政賠償責任訴訟において、権限の目的がどのような役割を果たすかという九三年判決の射程は必ずしも定かではない。
  九三年判決が重過失要件を排した理由のうち、判決中で明示されておりかつ理論的に見て重要と考えられるのは以上の二点であるが、その他あと二点ばかり指摘できるであろう。一つは、近年の行政判例に見られる重過失が要求される場合を限定しようという流れである。とりわけ、医療事故関係の判例に関して言えることだが、ここ数年間、行政判例は被害者救済を強化する動きを見せ続けており、その動きの一環として重過失要件が放棄されている。厳密に言うと九三年判決が問題にしているのは医療事故ではなく、行政の監督権限の不作為であるが、このような判例の影響があることは否定できないであろう(26)。もう一つは、そもそも四六年判決以降の判例が必ずしも監督権限の不作為による損害賠償責任について常に重過失を要求していたかどうかという四六年判決の射程に疑問を投げかけるという考えで、政府委員のルガルが述べている(27)。しかし、ルガルが挙げている判例のいくつかは必ずしも行政後見と関係があるわけではないとの指摘も評釈者には見られる。
  以上のように、九三年判決は、従来の判例を覆して国の損害賠償責任が生じる要件を重過失から単純過失にし監督権限を有する国に対して厳格な義務を負わせ被害者救済を図ったのみならず、行政の後見や監督権限での行政裁判所が審査しうる範囲を拡大したと指摘できるであろう。その後のコンセイユデタ判例も同様に単純過失を要件として採用しており(28)、少なくとも輸血役務への監督権限の分野に限定するならば(29)、この点について九三年判例は確立したものと考えられるであろう。

第三節  危険性の認識と監督権限の行使
  監督権限の不作為を理由として国の損害賠償責任を追及するためには、いくつかの要件を充足する必要があるが、感染血液事件のような行政の監督権限の不行使を主要な論点とするケースで重要なのが、監督権限を有する行政機関が損害発生の危険性をどの程度認識していたかという点である。言い換えると、どの程度の危険性を認識すれば行政が監督権限の行使を法的に義務づけられるのかという問題になる。
  この問題について九三年判決は、既に述べたように、下級審判決よりも国が血液や血液製剤のHIV感染の危険性を認識していた時期をやや早く判断している。いかなる理由で、九三年判決は下級審よりも危険性を認識していた時期を早め、これにはどのような意義があるのかが本節の検討課題である。
  一  「危険性の認識」と論告
  判決はフランスの判決の常としてこの点について必ずしも理由を明確に述べていないので、ここでは政府委員ルガルの論告を紹介しておくこととしよう。
  ルガルは、「少なくとも一定数の患者にとって致死的であることが知られているような危険に直面しているなら、科学的確信(certitude scientifique)のみが作為義務を課すと主張するのは明らかに非現実的であろう(30)」と述べ、血液によるHIV感染については遅くとも八三年一一月に、加熱技術によるウィルスの不活性化については八四年一〇月には過失を認めるべき段階に達していたとし、国の監督権限の不作為が過失とされる時期を二審判決より早めて八四年秋にするべきだとしている。ルガルによれば、八四年一一月と八五年三月の間には感染の危険性や加熱製剤の有効性についての知見には見るべき進歩はなく、違いがあったとするとそれは、HIV陽性者がエイズを発症する割合についての知見とフランスの血液ストックの感染状況についての認識の変化である。つまり、八四年一一月には「一定のケースでの死の危険」だったものが八五年三月には「すべてのケースでの死の危険」ということに変化していたということである。したがって、論告によると、八五年三月においては過失の程度は一層重大だが、八四年一一月の時点で過失は既に現実のものとなっていたのだからこの日を始期とすべきということになるのである(31)
  以上のような、ルガルの論告に見られる考え方は次のようにまとめるとことができよう。重大な危険(本件の場合なら輸血や血液製剤の輸注を受ける者のHIV感染とそれに引き続く結果の重大性)に対応するときには、監督権現を有する行政機関は、その危険性に対して科学的な確信を得る前に、一定の対応を行うことが法的に義務づけられる、と。別の箇所で、ルガルは、危険な状況にあるときは、「覆されていない仮説は、一時的にはたとえ正式に証明されていなくても有効なものと考えられるべきである(32)」とも述べている。
  二  九三年判決の意義と射程
  九三年判決は、ルガルの論告を受けて、科学的な知見が必ずしも明白なものではなくても、行政には損害を回避するための法的な作為義務が生じるとしていると考えられる(33)
  このようなコンセイユデタの考え方は環境法の分野などに見られる、差し迫った危険があるときには行動を起こすのに科学的確信を得るのを待つ必要はないという予防原則(principe de pre´caution(34))の影響があるという指摘もあり、本判決の射程を考える上で非常に興味深いものと言える。また、このような原則が、行政の監督権限や規制権限の不作為を理由とする行政賠償責任において広く採用されるなら九三年判決の持つ意味は非常に大きくなるいといわざるを得ない。
  しかし、本判決の射程は必ずしもそうではなく一定の限界があるとされる。次に、比較的最近の論者の説明に基づき、この判決の具体的な射程がどのように考えられるのかを考えてみたい(35)
  まず、第一の問題点は、九三年判決は、八三年には血液製剤によるHIV感染の可能性が明らかにされていたのに、八四年一一月二二日以前はエイズの発症や感染防止のため使用しうる技術について混乱と不確実さがあったことを理由として、国の監督権限の不作為は過失に当たらないとしていることである。つまり、この時期では科学的知識の不確実性が国の免責を可能にしているのであり、右に述べたような点が必ずしも妥当していないことになってしまうのである。この点について、ルガルは、論告中で、八四年一一月二二日以前でも、血友病患者の治療には濃縮製剤は不可欠のものではなく、それ以外の手段、例えば輸血や一人の供血者からつくられた製剤による治療も可能であったが、それ以前に濃縮製剤を禁止しなかったことは過失とは考えられないとしている(36)。したがって、九三年判決の言う、科学的な確信を待つ必要がないという点はかなり限定されたもので、治療方法そのものの変更といった、いわば「ラディカルな措置」まで念頭に置いたものではないということになろう。
  第二は、八四年一一月二二日以降の時期についてだが、九三年判決はこの日以降の不作為が過失と認定される理由として、この時期には国際市場で入手しうることができるようになっていた加熱製剤の使用によって、HIV感染の危険を避けることができたという点を挙げている。しかし、もし仮に加熱製剤が何らかの理由で入手し得なかったとするなら、第一の問題点と同じように考えるとすると、治療方法の転換などについて異なった結論が導かれうる可能性もあることになるであろう(37)
  以上のような点から、どの程度の科学的確信が得られたときに、行政の監督権限行使が義務づけられるのかという点について、九三年判決の射程はかなり限定的なものとして捉える必要があるということになろう。
  結局、九三年判決は、危険性の認識について科学的な確信がなくとも監督権限を行使する義務が行政に課せられるという注目すべき判示を行っており、このため下級審よりも行政にとってより厳しい義務を課す判決となっているが、その射程範囲はかなり限定されたものであり、他の類似した事例、たとえば本件のような薬害のケースだけではなく、環境法の領域などにおいてもどこまでこのような理解が可能かは今後の問題として残されていると考えられる。

第二章  輸血によるHIV感染を理由とする輸血センターの損害賠償責任


  九三年判決は、前章で述べたようにフランスにおけるHIV感染血液事件に関わる損害賠償につき一定の解決を示した。九三年判決を受けて、補償基金による補償額に不服のある被害者は、行政裁判所で国に損害賠償を請求し、一定の要件を充たせば、賠償額の増額を求めることができるようになった。
  しかし、九三年判決は、血液製剤に関して、国の輸血役務に対する監督権限の不作為に基づく責任についてのものにすぎず、フランスのHIV感染血液事件のすべての局面を解決したわけではない。行政裁判所で問題になったもう一つの事例として、輸血用血液によるHIV感染についての損害賠償責任が未解決のままであった。
  本章では、行政の責任が問題になるもう一つのケースである、輸血用血液によってHIVに感染した被害者の損害賠償責任について、コンセイユデタが下した一九九五年五月二四日の判決(38)(以下では「九五年判決」と呼ぶ)を紹介し、その意義を検討していくこととする。

第一節  九五年判決
  一  九五年判決の事案と下級審判決
  九五年判決の原告は三名おり、うち二名に関する判示が重要である。というのも、後述するように、この二名についての判示でコンセイユデタは新たな行政上の無過失責任の類型を創設したとされるからである。したがって、ここでは無過失責任に関する二名(以下ではA氏とB氏と呼ぶ)の事案を中心に検討していくこととしたい(39)
  まず、あらためて注意しておかなければならないのは、これら三名の被害者は輸血用血液による感染者であるということである。輸血用血液については、凝固因子製剤による血友病患者のHIV感染が問題になった九三年判決と異なり、加熱技術によるウィルスの不活性化は技術的に不可能とされる。したがって、本件での被害を防止する上では、加熱技術導入などに遅滞があったかどうかは、さし当たり意味を持たないのである。
  次に注意しておくべき点は、九五年判決では、HIVに汚染された輸血用血液を供給したのは、それを使用した病院ではなく、輸血センターであるということである。このため、公立病院の医療事故としてではなく、むしろ輸血センターがHIVという瑕疵ある血液を供給したことが問題になっている。九五年判決では、A氏とB氏については公立病院が賠償を請求されているが、これは輸血センターが病院に付属しており、法人格を有していなかったからである。
  以上を踏まえた上で、本件の事案を見ていくこととしよう。A氏とB氏は、パリの公立病院(Assistance Publique)に属する医療施設で外科手術を受けた。これらの施設には法人格を持たない輸血センターが付属しており、彼ら被害者が輸血された血液は、その施設から供給されたものであった。被害者は二名とも輸血を受けた後にHIVに感染していることが判明した。
  まず、A氏が輸血を受けたのは八五年一月だったが、この時期のフランスは、血液のHIVテストがまだ認可されておらず、したがって義務づけられてもいなかった(40)。この時期には、供血者に対する質問によるスクーリニングは行われていたものの、本件では、供血者の一人が自らがハイリスクグループに属していることを申告しなかったことがA氏の感染した理由であった。一方、B氏の感染理由はもう少し複雑で、彼が輸血を受けたのは、八七年九月であり、献血で集められた血液のHIV抗体検査が既に義務づけられていた時期だったが、供血者が採血を受けた時期が、HIV感染の後に血液の検査結果が抗体陽性に変わるまでの短い期間だったため(41)、抗体検査ではそのHIV感染がチェックできなかったことが原因であった。
  原審のパリ行政控訴裁判所は、医療行為に関わる損害賠償責任については(単純)過失が要求されるという従来の判例を確認した上で(42)、まず、A氏に関しては当時血液のHIV感染を検査する方法がなかったことなどを理由に、また、B氏に関しては、供血者が事前にチェックを受けていたことや、血液がHIV陽性となる前の段階に検査を受けた血液を輸血されることの危険性の低さ、血液には濃縮製剤と違って加熱技術が使えないことなどを理由に、過失がないとして請求を棄却した。
  これらに対し、コンセイユデタは、輸血センターが供給した輸血用血液が有する瑕疵による、当該輸血センターが付属している公立病院の責任は、「医療上の給付を与えるものとしての病院の責任を支配する諸原則によってではなく、本件においては、輸血センターの管理者の活動に固有な諸規範に基づいて追求される」とし、「輸血センターは、法律によって輸血センターに与えられた任務と血液製剤の供給が示す危険性に鑑みて、たとえ過失がなくても供給された製剤の瑕疵ある性質による損害につき責任を負う」と判示し、輸血用血液の瑕疵による損害について無過失責任の適用可能性を認めた。
  二  新たな行政上の無過失責任の必要性
  まず、これまでの判例理論に依拠するとすれば、被害者救済の手段としては、過失の推定理論を適用することが考えられる(実際、九五年判決の一審判決はこの論理を使っていた)。しかし、過失の推定を働かせるためには、いつ、どのようにして損害が発生したかという点につき、推定を働かせるための何らかの不明な点がなければならない。ところが本件では被害者がHIVに感染した時期や原因、態様が明らかになっており、過失の推定を働かせる余地がない(43)。また、製造者である輸血センターになんら過失がなくても血液にウィルス感染などの瑕疵が発生することはあり得るので、論理的には過失の推定よりも無過失責任の適用を検討すべきであるという考慮もある。以上から、コンセイユデタは、政府委員論告にしたがって過失の推定の適用を否定している。
  もう一つは、最近フランス行政法に導入された無過失責任の類型に当てはめるというものである(44)。この類型としては、二つのタイプがある。ひとつは八九年のゴメズ判決に基づくものである。この判例によると、新しい治療方法の使用による損害発生については、そのような治療方法を命じる生命に関わるような理由がないことと、例外的で重大な損害の発生という要件が充足されるなら、無過失責任が適用される。しかし、輸血による治療は決して新たに開発された治療方法であるとは言えないから、ゴメズ判例を適用することはできない。
  もう一つは、九三年のビアンキ判決によって創設された無過失責任の類型である。ビアンキ判決を適用するならば、新たな治療方法ではなく、従来から存在する一般的な治療方法による損害であっても無過失責任の制度を適用することができる。しかし、ビアンキ判決は、非常に厳格な次のような四つの要件を定めている。それは、必要な医療行為であること、治療の危険性は例外的だが未知のものではないこと、患者の外部に危険があること、損害が特に重大な性格を示すこと、である(45)。これらの中には被害の発生が例外的なものであることという要件があるが、少なくとも八五年に血液のHIV抗体検査が義務づけられるまでは輸血によるHIV感染は決して例外的なものではなかった。したがって、A氏についてはビアンキ判決を適用することはできない。一方、B氏については、ビアンキ判決を適用するについてこのような問題は生じないが、判決によると、因果関係の問題から結局ビアンキ判決の適用は困難であるとされる。
  以上のように、輸血用血液によるHIV感染について、従来の行政裁判所の判例が創設してきた無過失責任を適用することはできないのであり、被害者救済のためには、なんらかの新たな無過失責任の類型を創設せざるを得ないことになったということができる(46)

第二節  九五年判決による無過失責任の検討
  九五年判決は、論者により、HIV感染血液事件の「エピローグ」に当たるとか、あるいは「九三年判決で描かれはじめた絵の完成」であると評されている(47)。もちろん、HIV感染血液事件について行政の損害賠償責任を問題にする事例としては、九五年判決により、ほぼ主要な判例が出そろったと言えるわけで、九五年判決がそのような意義を有するのは言うまでもない。しかし、九五年判決は、フランス行政賠償責任の中に、新たな無過失責任の類型を創設したという意味で重要な意義を持っている。ここでは、九五年判決が創設した無過失責任は、主としてどのような根拠に基づいて、そして、どのような背景を有するのかを考察することとする。
  一  九五年判決の無過失責任の根拠
  上記の判決の引用箇所でも触れたように、判決は、無過失責任の根拠として、二点をあげている。第一に、輸血センターが法律よって与えられている任務である。すなわち、輸血センターは、血液の収集や供給、血液製剤の生産などにつき、法律によりその地域内では独占的な地位を与えられているという点である。第二に、輸血用血液の供給が示す危険性である。このような「危険」は、従来の判例によって、無過失責任の根拠として、よく取り上げられてきた考え方である。いわゆる「危険な物(les choses dangereuses)」の利用による無過失責任の類型であり(48)、これまでの判例によると、例えば、軍の弾薬保管所での爆発事故や警察官の使用する火器による第三者の負傷のようなケースを指す(49)
  しかし、判決があげているこれら二つの根拠は学説から次のような批判を受けている。
  まず、第一の根拠である輸血センターの任務の性質は、従来の判例からすれば無過失責任の根拠とは必ずしも考えられないものである。九三年判決がそうであるように、むしろ、このような点は安全性確保の義務を高度のものにするというかたちで過失責任において考慮されるとするのが従来の判例の立場であった(50)
  次に、第二の根拠として判決があげている、「危険な物」による無過失責任だが、これらの判例は被害者が第三者であるケースを対象としており、本件のような病院施設の利用者については無過失責任を認めないのが従来の立場であった。というのは、利用者は自らの利益のために治療を受けようとしているのであり、公権力の行使により一定の公の負担を課せられた、すなわち、損害を受けたとは言いがたいからである。したがって、このような「危険な製造物(les produits dagereux)」(=輸血用血液)の使用による無過失責任という考え方が、九五年判決の根拠付けとして一定の役割を果たしていることは否定できないとの指摘もある(51)が、九五年判決の創設した無過失責任を、従来の判例が認めてきた危険責任の延長上だけで捉えるのはむしろ難しいというべきであろう。(52)(53)
  また、ある評釈者は、感染被害者は輸血をいつか受ける必要があるすべての者の利益のために「公負担」を受けたのだという考え方の可能性があるとするが、評釈者自身も指摘するように、このような制度は原則として、社会連帯による救済制度の一種として立法者によって設置されると考えざるを得ないのである(54)
  結局、コンセイユデタが新たな無過失責任の類型を創設した理由としては、以上のような、行政上の危険責任といった説明だけでは理論的に説明しきれないといわざるをえない。
  そこで、項を改めてコンセイユデタが九五年判決を下すに至った理由としては他にどのような考慮が存したかを考えてみよう。
  二  九五年判決の背景と問題点
  九五年判決が無過失責任を認めた背景となるものとして、重要なのは、司法裁判所の最高裁に当たる破毀院の判例との調和であった(55)。フランスにおいては、輸血センターが国公立の場合はその損害賠償責任の裁判管轄を有するのは行政裁判所であるが、そうでない民間の施設の場合は、仮に輸血の公役務を担当する施設であるとしても、その裁判管轄を有するのは司法裁判所である。実は、司法裁判所の最高裁である破毀院は、九五年判決の直前である一九九五年四月一二日に、民間の輸血センターの損害賠償責任を判断するに当たり、輸血センターに結果債務(obligation de re´sultat)を課すという判決を下している(56)。このような結果債務を課すということは、司法裁判所では契約責任の枠組みで損害賠償が検討されているからであるが、行政賠償責任での無過失責任を認めることにその結論において類似している。このことから、輸血センターが民間のものか公立のものかという性格の違いによって裁判管轄が異なることから、被害者救済に差異が生じるのを防ごうとする意図が九五年判決にあったことを指摘できるであろう。
  以上のように、九五年判決が、輸血用血液によるHIV感染被害者の救済に向けて、新たな無過失責任の類型を採用したため、HIV感染被害者の救済は一層進むものと考えられる。とりわけ過失の立証の難しい(または不可能である)と考えられるウィンドー・ピリオドの被害者救済などについては大きな意味がある。しかし、九五年判決が定式化している無過失責任は、血液あるいは血液製剤によるすべての感染症、例えば、C型肝炎などあらゆる疾患に拡大することが可能であるから、輸血センターは莫大な財政上の負担を負うことになるとか、また、保険によってこれらの負担をカバーすることも難しいことなどが指摘されており、将来的には九五年判例による救済よりも、新たな特別な立法による救済のほうがむしろ合理的ではないかとの批判的な見方もなされている(57)

お  わ  り  に


  以上で、フランスの行政裁判所、とりわけコンセイユデタが、HIV感染血液事件の責任を追及し、その被害者を救済するためにどのような判断を下してきたかについての考察を終えた。これまでの内容を以下に簡単にまとめておこう。
  まず、行政は、輸血役務に対する監督権限の不行使を理由に損害賠償責任を負う。従来はこのような行政の監督権限の不作為責任については、重過失を要求するのが判例の立場であった。しかし、九三年判決は、責任の要件を重過失から単純過失に転換することにより、被害者に対する救済の可能性を高めただけではなく、輸血役務のような、国民の健康に重大な被害が発生するような分野で行政が監督権限を行使する義務が高度なものであることを鮮明にしていると考えられる。判決の時点で、既に九一年法によるHIV感染被害者の救済制度があることから考えても、九三年判決は単に賠償金をある程度補償金に上乗せすることによる被害者救済の充実という意味を持つだけではなく、行政の監督権限不作為の不法性を明らかにするという、いわば行政に対するサンクションとしての機能を有するものであったと考えられる(58)
  次に、行政は、輸血センターが国公立である場合、輸血用血液によるHIV感染に対して、危険責任に基づく無過失責任を負う。このようなケースで、病院の医療行為に伴う損害賠償責任が問題になっているとすれば、損害賠償責任の要件として、過失を要求するのがこれまでの行政判例上の原則であった。しかし、新たな行政判例によると、輸血センターは、その役務の性質と輸血用血液の危険性から、HIVのような瑕疵のない血液を供給しなくてはならないということ、また、司法裁判所判例との調和の必要性から、無過失で責任を負わねばならないこととなる。
  以上のように、フランスのHIV感染血液事件は、行政賠償責任に関する従来の行政判例理論に多くの点で変更を加え、フランスの行政法に多大の影響を与えたということができる。しかし、次のような点に注意しておかなくてはならないであろう。というのは、確かにこれら判例の変更はHIV感染血液事件という、フランスにおいて社会的・政治的にも大きな問題となっていた、ある意味では例外的で特別な大被害を前にして、行政裁判所が被害者救済のため、従来の判例を変更したという側面もないわけではない。しかし、これらの動きが、近時の行政判例の展開と平仄を合わせているという点も見逃してはならない点であると考えられる。
  それは、特に九五年判決について言えることである。すなわち、治療上の危険に対する行政上の無過失責任を拡大するという、ここ最近の医療関係の事件における行政判例との関係である。コンセイユデタは、別稿でも指摘したように、医療事故に関わる行政賠償責任において、かつて採用していた重過失という要件を放棄するにとどまらず、無過失責任の認められるケースを拡大し、行政の責任が認められる余地を広げてきている(59)。九五年判決は、このような近時の行政判例の流れに乗るものであるという点は、指摘されるべきである(60)
  いずれにせよ、これらのHIV感染血液事件を契機とした新たな行政判例が、他のケースでいかなる射程を持つことになるかは、今後のフランス行政賠償責任を考察する上で、重要な課題となると言えるであろう。

(1)  この問題については数多くの文献があるが、最近のものとして、鎌田薫「フランスにおけるHIV感染事故の被害者救済と安全対策(上)」ジュリスト一〇九七号(一九九六年)五一頁以下。また、それ以外の文献については、北村和生「フランスにおけるエイズ国家賠償訴訟」法律時報六五巻八号(一九九三年)七二頁注二参照(以下では、北村・エイズと呼ぶ)。
(2)  数字は以下の文献による。J. Sourdille et C. Huriet, La crise du syste`me transfusionnel francais, Rapport de la commission d’enque^te du Se´nat, 1992, pp. 18-21.
(3)  これらの様々な訴訟についてのまとめとして、J. Foyer et L. Khai¨at, Droit et Sida, Comparaison internationale, 1994, pp. 233-245.
(4)  参照、鎌田・前掲五二ー五四頁。
(5)  J. Sourdille et C. Huriet, op. cit., p. 25;Droit et S. I. D. A., guide juridique, AIDES, 1992, 1er e´d., p. 103.
    その他、P. le Tourneau et L. Cadiet, Droit de la responsabilite´, 1996, 4002-4033.
(6)  本稿では、la faute du service public の訳語として、公役務過失または過失という語を使用する。フランス行政賠償責任における「公役務過失」という語は、必ずしもわが国で使用される「過失」という語と同じ意味を含むものではない。また、わが国では、規制権限の不作為が違法か否かというかたちで問題が設定されるため、「違法」の語が適切であるかもしれないが、本稿では用語上の煩雑さを避けるため一般的に使用されている「過失」の語を使用することとする。
(7)  K.シムフ他「ヨーロッパにおけるHIV感染血友病患者の救済と法的問題(下)」ジュリスト一〇六一号(一九九五年)一五七頁。
(8)  M. Paillet, La responsabilite´ administrative, 1996, p. 187.
(9)  以下の文献参照。D. Tabuteau, Risque the´rapeutique et responsabilite´ hospitalie`re, 1995, pp. 51-56;M. Paillet, op. cit., 1996, pp. 187-190.
    その他、鎌田・前掲五二頁以下参照。
(10)  具体的な給付額は公開されていないが、生存被害者に対する給付額は、最高額として一八歳未満の者に対する補償額が二〇〇万フランで、年齢が上がるにしたがって減額され、三〇歳で一六一万四千フラン、四〇歳で一二九万三千フラン、五〇歳で九八万八千フラン、六〇歳で七一万一千フラン、七〇歳で四六万一千フラン、八〇歳で二五万六千フランとされている。これらの数字については、Droit et S. I. D. A., guide juridique, AIDES, 1996, 3e e´d., p. 149;Y. Lambert-Faivre, Principes d’indemnisation des victimes post-transfusionnelles du sida, D. S., 1993, chronique, pp. 67-72.
(11)  C. E., Ass. 9 avril 1993, M. D., M. G. et M. B., D. S., 1993. J. 320, conclusion H. Legal;R. F. D. A., 1993, pp. 583-601, conclusion H. Legal;A. J. D. A., 1993, pp. 381-382, note C. Maugu¨e´ et L. Touvet, pp. 344-349.
    以下では、九三年判決の論告と評釈は政府委員名または評釈者名と頁数で示し、op. cit. 等は用いない。なお、論告の頁数は J. C. P. のものを使用している。
(12)  参照、北村・エイズ六七頁以下。
(13)  下級審判決について、参照、北村・エイズ六八頁。
(14)  DGSとは、厚生省の内部部局で、輸血センターの監督などを実際に行う行政機関のことである。J. Sourdille et C. Huriet, op. cit., p. 35.
(15)  J. Sourdille et C. Huriet, op. cit., p. 36.
(16)  最近のものとして、以下の文献参照。M. Rougevin-Baville, La responsabilite´ administrative, 1992, pp. 65-66;G. Darcy, La responsabilit de l’administration, 1996, p. 91.
    教科書類として、例えば、A. de Laubade`re, J.-C. Venezia, Y. Gaudemet, Traite´ de droit administratif, Tome 1, 13e e´d., 1994, p. 884.
(17)  C. E., Ass. 29 mars 1946, Caisse De´partementale d’assurances sociales de Meurthe-et-Moselle c. Etat, S., 1947. 3. 73, note A. Mathiot;R. D. P., 1946, p. 490, conclusion A. Lefas, note G. Je`ze;M. Long et autres, Les grands arre^ts de la jurisprudence administrative, 10e e´dition, 1993, pp. 364-372.
(18)  A. Lefas, op. cit., p. 496.  このような理解は、重過失が要求される理由としては古典的なものである。北村・重過失(一)六五頁注二〇参照。
(19)  A. Mathiot, op. cit., p. 79.
(20)  北村・重過失(一)六六頁以下。
(21)  A. Mathiot, op. cit., p. 75.
(22)  判決例は多数あるが、例えば共済組合に対する国の監督権限の不作為による損害賠償責任について重過失を要件としたものとして、C. E., 23 de´cembre 1981, Andlauer et autres, R., p. 487.
    その他、判例の動きについて、M. Paillet, La faute du service public en droit administratif francais, 1980, pp. 191-194.
(23)  公衆衛生法典の輸血役務に関する箇所は、HIV感染血液事件を契機に見直しが進められ、一九九三年一月四日法により大幅な改正を受けた。本稿での条文の引用は特に断らない限り改正前のものである。
(24)  C. Maugu¨e´ et L. Touvet, p. 346.
(25)  C. Maugu¨e´ et L. Touvet, p. 346.
(26)  北村和生「フランス行政賠償責任における医療事故と無過失責任」政策科学三巻三号(一九九六年)四〇頁。
(27)  C. E., 7 mai 1971, Sastre, G. P., 1972. I. 172, note Megret.
(28)  一九九四年七月二二日のコンセイユデタ判決などがある。J. Moreau, note sous C. E., Ass. 26 mai 1995, J. C. P., 1995. II. 22468.
(29)  輸血役務は公役務であり、行政の監督はいわゆる行政後見の一環として行われている。したがって、通常の民間企業などに対する行政の規制と必ずしも同じ扱いを受けるわけではない。ここで、問題を輸血役務に限定しているのはこのような理由によるものである。参照、北村・エイズ六七ー六八頁。
(30)  Legal, p. 318.
(31)  Legal, p. 319.
(32)  Legal, p. 319.
(33)  本章第一節の判決の引用箇所参照。また、下級審との比較として、北村・エイズ七〇頁。
(34)  M.-A. Hermitte, Le sang et le droit, 1996, p. 306.
(35)  Ibid., pp. 310-311.
(36)  Legal, p. 320.
(37)  M.-A. Hermitte, op. cit., p. 311.
(38)  C. E., Ass. 26 mai 1995, Consorts N’Guyen, M. Jouan, et Consorts Pavan, R. F. D. A., 1995, pp. 748-765, conclusion S. Dae¨l;R. D. P., 1995, pp. 1609-1640, note A. de Lajartre;J. C. P., 1995. II. 22468, note J. Moreau;A. J. D. A., 1995, pp. 577-579, note J.-H. Stahl et D. Chavaux, pp. 508-B516;Etudes et documents du Conseil d’Etat, no. 47, 1996, pp. 373-374.
    以下では、九五年判決の論告と評釈は、政府委員名または評釈者名と頁数で示し、op. cit. 等は用いない。
(39)  一名については、輸血センターは私法上の社団であったため、輸血センターの責任を追及するとすれば司法裁判所で訴訟を起こす必要がある。
(40)  フランスにおいて、献血で集められた血液に対してHIV抗体検査が義務づけられたのは八五年八月である。J. Sourdille et C. Huriet, op. cit., p. 74.
(41)  わが国でウィンドー・ピリオドと呼ばれる期間の問題である。この期間に検査結果に誤りが出ることにより、輸血を受けた者がHIVに感染する可能性は一〇万分の三とされる。S. Dae¨l, p. 750.
    また、わが国での対応については、「座談会  血液・血液製剤とその安全性・救済対策」ジュリスト一〇九七号(一九九六年)二四頁参照。
(42)  一九九二年四月一九日のコンセイユデタ判決により、重過失から単純過失に責任要件が変更された。北村・前掲(一九九六年)。
(43)  A. de Lajartre, p. 1617.
(44)  北村・前掲(一九九六年)四一頁。
(45)  北村・前掲(一九九六年)四四ー四五頁。
(46)  A. de Lajartre, p. 1627.
(47)  J.-H. Stahl et D. Chavaux, p. 512.
(48)  M. Paillet, op. cit., 1996, p. 128 et s.
(49)  M. Long et autres, op. cit., p. 198 et s.
(50)  J.-H. Stahl et D. Chavaux, p. 512.
(51)  M. Paillet, op. cit., 1996, p. 131.
(52)  J.-H. Stahl et D. Chavaux, p. 513.  また、ジャック・モローは、一定の留保を付しながら「危険な製造物」という新たな無過失責任の項目がつけ加わったとしている。J. Moreau, p. 294.
    また、同じ類型をたてるものとして、G. Darcy, op. cit., p. 104.
(53)  パイエは、ゴメズ判決、ビアンキ判決、九五年判決をこれまでの「危険」では説明できない、別個の類型であるとして説明している。M. Paillet, op. cit., 1996, pp. 152-153.
(54)  J.-H. Stahl et D. Chavaux, p. 513.
(55)  M. Paillet, op. cit., 1996, p. 155;A. de Lajartre, pp. 1627-1632.
(56)  M.-A. Hermitte, op. cit., pp. 276-286.
(57)  J.-H. Stahl et D. Chavaux, p. 516;A. de Lajartre, p. 1635.
(58)  D. Lochak, Re´flexion sur les fonctions sociales de la responssabilite´ administrative, in Le Droit administratif en mutation, 1993, pp. 287-288.
(59)  参照、北村・前掲(一九九六年)四七頁。
(60)  同旨、A. de Lajartre, pp. 1636-1637.


(本論文は平成八年度文部省科学研究費補助金奨励研究Aによるものである)