立命館法学  一九九七年五号(二五五号)一一八四頁(二九六頁)




民事訴訟における国内法と国際法の相互作用



ディーター・ライポルド
出口 雅久(共訳)
水野 五郎







T.序

  国際民事訴訟という概念は、国境を越えた民事訴訟の視点を取り扱う諸規範を意味する。特に問題となるのが、国際裁判管轄、国際訴訟係属ならびに外国判決の承認・執行に関する規律である。法源という点から見ると、これらの規範は、その大部分が国内法、あるいは、たとえばドイツにおける外国判決の承認を規律するドイツ民事訴訟法三二八条などような、よく使われる表現によれば、独自に解釈する法(autonomes Recht)である。しかし、ますます大きな意味を持ちつつあるもう一つの規範は、二国間以上の条約に基づく国際的な起源を有する規範である。ヨーロッパにおいて、とりわけ重要なのは、裁判管轄および強制執行に関する欧州共同体条約(das Gerichts-stands- und Vollstreckungsu¨bereinkommen der Europa¨ischen Gemeinschaft (EuGVU¨) 以下EC裁判管轄・執行条約と略す)とこれを補充するルガノ条約(Lugano-U¨bereinkommen)である。その限りにおいて、単に「ヨーロッパ民事訴訟法(Europa¨isches Zivilprozeβrecht)」と呼んでいる。このような国際法は、手続面しか規律していないので、最初から国内法との協働を前提としている。本稿では、ここから認識しうる興味深い相互作用について取り上げたい。もちろん、ここでは例示的にしか触れることはできない。国内規範と国際規範の相互作用を検討するため、とりわけ、欧州裁判所(Europa¨ischer Gerichtshof)の最新判例を幾つか取り上げる。
  ヨーロッパは、日本列島から遠く離れているが、日本人の心情には近いものがある。さらに、その際、ヨーロッパ民事訴訟法は国際的なモデルとしての性質を有していなければならない。欧州連合(Europa¨ische Union)は、ユーロ通貨の有無に関わらず、ますます一層一体化し、統一体として世界各国に対置している。その意味で、日本の皆様がヨーロッパ法およびドイツ法にご関心を持って戴ければ幸いである。


U.義務履行地の国際裁判管轄

  すでに欧州裁判所が一九七六年にヨーロッパ民事訴訟法の領域について下した最初の判例において、EC裁判管轄・執行条約五条一号に規定されている義務履行地における国際裁判管轄が問題とされた。しかし、この規定については後々まで様々な点において論争を巻き起こした。この点に関する欧州裁判所の最新判例はほんの数ヵ月前に出されたばかりである。この判例(1)が注目されるべき理由は、欧州裁判所が特にこの裁判でEC裁判管轄・執行条約において使用されている概念の基本的な解釈を問題とした点である。本件においては、履行地の概念をどのように解すべきかが争われた。欧州裁判所は、この概念が国内準拠法を指示するものと解すべきか、あるいは、この概念は条約独自に(autonom)解さなければならないのかは、一般原則によって決まるものではなく、具体的な事案との関係で判断されねばならない、と説示した。もっとも、その後の二〇年間においては、欧州裁判所は、圧倒的多数の事例において条約独自に解釈することが得策であると判断したことが明らかとなっている。後述の訴訟係属の時期に関する判例や、同じく義務履行地に関する判例は、数少ない例外に属する。欧州裁判所は、義務履行地は受訴裁判所の抵触法により争いのある債務につき基準とされている実体準拠法(Sachrecht)にしたがって判断しなければならない、と説示した。ここでは契約関係の内容が問題とされ、各国の実体法(das materielle Recht)はまだ統一されていないために、同裁判所は義務履行地を条約独自に特定することはできないと判断した。
  もっとも、これに対しては異議を唱えることができる。何故ならば、まさに実体法秩序が義務履行地に関して極めて多様な規定を有している場合においてこそ、この(義務履行地という)概念を各国内法に拘束されずに管轄を基礎づける効力を有するものとして評価することは、それだけ一層重要となるからである。さもなければ、各実体準拠法により義務履行地の裁判籍の射程距離はきわめて多様となることに甘んじることになる。それがどの程度の射程距離となりうるのかについては、欧州裁判所が判示した別の事件(2)において明らかにされた。この事件では、法的紛争の基礎となった契約にハーグ統一売買法(das einheitliche Haager Kaufrecht)が適用された。同法五九条によれば、買主は、他に合意がない限り、売主に対しては、売主の住所地、あるいは、住所地が不明な場合には売主の常居所地において代金を支払わなければならない。ウィーン売買条約(CISG)五七条一項aによっても、他に合意がない場合には、売買代金は、売主の住所地において支払わなければならない。この規定を国際裁判管轄規定という意味において義務履行地を決定するものとしても認識した場合には、その意味するところは、売主が原則として自らの裁判籍において提訴することができる、ということに他ならない。もちろん、このような売主の裁判籍は、すべての被告は、通例は自らの住所地国において提訴されうる、というEC裁判管轄・執行条約の基本的立場とほとんど大差はない。にもかかわらず、現在においても欧州裁判所は、義務履行地は実体準拠法によって決せられる、そしてこれはウィーン売買条約の場合でも同様である、というきわめて貧弱な理由付けの判決(3)に留まっている。この事案を契機にして、場合によっては義務履行地の概念のともかく一部条約独自な解釈に至る機会を、欧州裁判所は残念ながら利用しなかった。
  しかし、この間に義務履行地の概念は一定程度の訴訟上の独自性を与えられてきた。ここで問題となるのは、義務履行地の合意と管轄の合意との関係である。EC裁判管轄・執行条約は、一七条において管轄の合意につき詳細な形式要件を課しているために、義務履行地の合意が結局のところ同様に管轄を決定する結果となる場合には、かかる形式要件は義務履行地の合意においても遵守されるべきか否か、という問題が容易に推測された。しかし、欧州裁判所(4)は、ドイツの連邦通常裁判所から提示されたこの問題を否定的に解し、義務履行地の合意は、それが実体準拠法に基づき認められるものであれば、口頭でも成立しうる、と説示した。その当時判示された事件においては、消費貸借(Darlehen)の返済につき口頭により合意された義務履行地が問題とされていたが、かかる合意はこのような方法で管轄を根拠づける効果も有するとされていた。
  しかし、一九九七年には、この判例に重大な制限が課された。フランスの企業がドイツのヴュルツブルクを営業地とする企業からライン川を航行する船舶をチャーターした。連邦通常裁判所は、契約の義務履行地がヴュルツブルクである、という口頭での合意が、ドイツ企業がフランス企業を相手取って提起した船舶の毀損に基づく損害賠償請求の訴えの国際裁判管轄がヴュルツブルクにあるということまで帰結するのか否か、という問題を欧州裁判所に対して改めて提示した。欧州裁判所(5)は、これを否定的に解し、「ここで合意された義務履行地は契約の現実性とは無関係である。このような擬制的な(fiktiv)義務履行地は、もっぱら裁判籍の決定に資するにすぎない。したがって、そのような場合には、EC裁判管轄・執行条約は一七条に基づく裁判管轄に関する合意の要件(とりわけその形式要件)が遵守されなければならない。」と確認した。
  ドイツ連邦通常裁判所が二度にわたってこの問題について欧州裁判所と対立したのは、単なる偶然ではなく、おそらくドイツの裁判所が内国の訴訟法に基づき裁判管轄の合意に関する規定を優先させる解決に慣れ親しんでいることと関係していると思われる。ドイツの立法者が、裁判管轄の合意の許容性をラディカルに制限し、その許容性を本質的に商人間ならびに国境を超えた法的取引(Rechtsverkehr)にしか認めなかった当時において、義務履行地の合意が依然として無制限に管轄を根拠づける効果を有する場合には、義務履行地の合意よってあまりにも容易く上述の制限が潜脱されうることを認識していたのである。そこで、ドイツ民事訴訟法二九条には、義務履行地に関する合意が管轄を根拠づけるのは、契約当事者が裁判管轄の合意も締結できる者である場合に限られる、という第二項が追加された。
  もちろん、このドイツの規定自体はあまりにも広く理解されている。というのは、その文言によれば、この規定は、実際に給付を行うべき場所という意味での義務履行地を決定する合意も含んでいるからである。しかし、このような場合においては、裁判管轄条項の規定の回避は問題とはならず、その結果、管轄を根拠づける効力に対しては何ら疑念も存在しない。したがって、ドイツ民事訴訟法二九条二項は、もっぱら義務履行地に関する擬制的な(あるいは換言すれば、抽象的な)合意と捉えている、というように制限的に解釈されるべきであろう。この見解はすでにこれまでに様々な論者によって主張されてきた(6)。しかし、この見解は、現在では欧州裁判所が純粋な義務履行地の合意と単なる擬制的な義務履行地の合意とを区別していることによって本質的な支持を得ていると思われる。私見によれば、これは国内法と国際法の多様な相互作用の良き一例である。


V.国際訴訟係属と国内手続法

  国内民事訴訟法と国際民事訴訟法との関係がいかに多層的となりうるかは、国際訴訟係属の例においても明示することができる。この問題を規律するEC裁判管轄・執行条約二一条は、複数の異なる締約国の裁判所に同一当事者間の同一請求に基づく訴訟が係属することを前提としている。かかる場合においては、後に訴えが提起された裁判所は、先に訴えが提起された裁判所の管轄が確定するまで、職権で手続を中止(aussetzen)しなければならない(EC裁判管轄・執行条約二一条一項)。その後、この管轄が確定すれば、後に訴えが提起された裁判所は、先に訴えが提起された裁判所のために、管轄違いであることを宣言しなければならない(EC裁判管轄・執行条約二一条二項)。
  欧州裁判所は、すでに若干旧い判例(7)において、EC裁判管轄・執行条約二一条一項の意味における「訴訟係属(Anha¨ngigkeit)」をどのように解すべきかについて判示した。具体的事案においては、ドイツで提訴された訴えは、イタリアで提訴された同一訴訟物の訴えよりも早く裁判所に提出されていた。しかし、被告はイタリアに居住していたので、イタリアでの訴えがドイツでの訴えよりも先に送達されていた。そこで、国際訴訟係属については、訴えが提出された時点か、または訴えが送達された時点のいずれが重要かという問題が発生した。欧州裁判所は、最終的な訴訟係属の要件を最初に備えた裁判所を最初に訴えが提起された受訴裁判所とみなすべきであるが、最終的な訴訟係属の要件は、各関係裁判所ごとに各々の国内法規によって判断しなければならない、と説示した。つまり、国内手続法がすでに訴状提出によって訴訟係属を生ぜしめる場合には、これが国際訴訟係属についても基準時となる。これに対して、他国の国内法が送達の時点に合わせていれば、その国の裁判所においては、国際的な比較においても送達によって初めて訴訟係属が生じることになる。
  この裁判例から様々な観点において国内法に対する反作用が考えられうる。内国の立法者が自国の裁判所による権利保護を特に効果的に形成しようとすれば、あるいは、換言すれば、自国の裁判所での訴訟を国際的に不利な状況に陥らせたくないならば、すでに訴状提出時をもって訴訟係属を発生させる、と考えるかも知れない。これは、ドイツ法に対して提案されたが、そこでは以下の点に留意すべきである。すなわち、ドイツ法によれば、幾つかの裁判籍、とりわけ、行政裁判所の手続においては、すでに今日においても訴状提出を訴訟係属の基準時としているために、このような方法でドイツ国内での統一化も達成されうるのではないかという点である。しかし、ドイツの立法者は、これまでかかる提案を採用しなかった。イングランドにおいては、全く正反対の方向での同化(Angleichung)が行われた。イングランドにおいては、訴状提出および公印の捺印(Siegelung)により訴訟係属が発生するが、もっとも、これによって他の裁判所での第二訴訟の絶対的禁止が帰結されるわけではない、ということが従来までは前提とされていた。上述の欧州裁判所の判決からかなり経過した後、イングランドの控訴院(Court of Appeal(8))は、イギリス法においても訴状送達をもってはじめて訴訟係属を発生させることが適切である、と判示した。したがって、この考え方によれば、あたかも訴状送達をもって訴訟係属を基礎づけることが、むしろ国際的な標準となりうるかのような印象を与える。
  欧州裁判所は、訴訟係属の時点に関してはその判断を国内法に委ねる一方で、どの時点において「同一請求に基づく」二つの訴えと言いうるかという問題に関して、独自の−いずれにしてもドイツ法から見れば−センセーショナルな発想を展開した。欧州裁判所(9)は、この要件は条約独自に解釈しなければならない、すなわち、各締約国の訴訟法に依拠して判断してはならない、と説示した。欧州裁判所は、異なる締約国の裁判所で相互に矛盾し合う判決が下されるのを避ける点に訴訟係属に関する規定の目的を見出したのである。したがって、欧州裁判所は請求の同一性を広く解する見解に賛意を表している。欧州裁判所は、多くの言語の表現(もちろんドイツ語の表現にはないが)に維持されている、請求の原因および対象(Grund (cause) und Gegenstand (object) der Klage)という表現形態と関連づけて、両請求の形式的同一性は問題とする必要がない、と説示した。一方の訴えが契約の履行を請求し、他方の訴えが(当該契約の)無効確認を請求している場合には、欧州裁判所の判例によれば、同一請求権が主張されていることになり、その結果、国際的訴訟係属が競合する。その後の欧州裁判所の判決(10)においても明らかにされたように、まず消極的確認の訴えで給付義務不存在の確認を請求し、その後に給付の訴えが訴訟係属した場合においても、国際的訴訟係属は競合する。
  ドイツの民事訴訟法学者は、周知の通り、訴訟物論については極めて集中的に精力を注いできた。にもかかわらず、この概念に関する論争は完全には終結するには至らなかった。しかしながら、いずれにしても訴えの申立てが訴訟物を画定するという点については、ドイツでは広く見解が一致している。さらに実務は、申し立てられた生活事実関係(Lenbenssachverhalt)という意味での請求原因に焦点を合わせている。いわゆる二984c説訴訟物理論(zweigliedrige Streitgegenstandstheorie)である。しかし、まさに不動であると思われていた構成要素、すなわち、申立てによる画定は今や欧州裁判所の見解によって揺らいでいる。同一の訴訟物に対して消極的確認の訴えおよび給付の訴えのいずれも認容判決を言い渡す場合には、それはまさに、それらの申立てが同一であってはならない、ということを意味する。その他の一連の事例においては、それらの申立てが同一でない場合でも、たとえば、連邦通常裁判所(11)が判示したように、一方で契約無効確認の訴え、他方でこの契約に基づいて行われた給付の返還の訴えが請求された場合でも、欧州裁判所の判断基準によれば、訴訟係属が競合する。一方の訴えにより契約履行の訴えが、他方の訴えにより当該契約の無効に基づく給付の返還が請求される場合にも、恐らく同じことが当てはまるに違いない。重要なことは−連邦通常裁判所(12)は欧州裁判所の見解を以下のように総括している−申立ての形式的同一性ではなく、二つの訴訟物の中心的争点(Kernpunkt)が契約の有効または無効にあるかという点である。
  欧州裁判所の判例は、手続の集中化を間接的に強制する結果となっている。まずはじめに消極的確認の訴えが係属した場合には、給付の訴えは(反訴という形で)同一裁判所においてのみ提起することができる。この解決策に同化させるという意味における国内法への反作用が容易に推測できる。しかも第一訴訟の被告に「手続集中化の負担」を課すことが国際的分野においても妥当であると考えられるならば、その本質において同一の争点が問題とされている場合においては、一国内においては第一訴訟の当事者に他の裁判所で並行訴訟(Parallelprozeβ)を開始することを禁止することを要求しても差し支えないと思われる。
  私の予測では、国内の訴訟係属の理解は国際的な訴訟係属の理解に適応していくものと思われる。もちろん、その際、従来までのドイツの訴訟物理論はどうなるのかが問題となる。すでに欧州裁判所はヨーロッパの訴訟物概念を確立してきている、とする論者も多数ある。私は、このような見解はまだ時期尚早であると考える。訴訟物概念は、とりわけ既判力の限界にとっても重要であるにもかかわらず、欧州裁判所は訴訟係属の要件だけしか議論してこなかった。もっとも、欧州裁判所の考察方法がそこまで及ぶとするならば、恐らくは、たとえば、契約履行に関する裁判によって契約の有効性についても既判力をもって判断されることを認めざるを得ないであろう。これは、周知の通り、常に判決主文に該当する問題にしか既判力は及ばないとし(ドイツ民事訴訟法三二二条一項)、前提問題については明確な中間確認の訴えを提起する可能性を指摘する、ドイツ法の狭い範囲の既判力の解決策に真っ向から反する立場となろう。他の多くの国々の法秩序においては、既判力はより広い範囲で認められており、一度判決が下された紛争は、一寸異なった外観であったとしても、再び訴訟の対象とすることはできない、という点により注意を払っている。その限りにおいて、既判力を−慎重に−拡張する傾向がドイツ法に対しても惹起されるならば、私はこれを全面的に歓迎すべきであると考える。なぜならば、ドイツ民事訴訟は手続の集中化という考え方に従来までほとんど注意を払ってこなかったからである。


W.差別禁止から見た訴訟費用担保と
外国強制執行の仮差押理由


  ヨーロッパ法は、EC裁判管轄・執行条約という形だけで内国訴訟に影響を与えているわけではない。欧州裁判所は、実に意外な方法で、欧州共同体条約、つまり、今日の表現によれば、欧州連合条約の中から内国民事訴訟法に対する具体的な要請を導き出してきた。まず最初に欧州裁判所は、ドイツ人が逆の場合において担保を提供する必要がない場合であっても、外国人の原告は申立てにより被告に対して訴訟費用の担保を提供しなければならない、とするドイツ民事訴訟法一一〇条に定められた規定に異議を唱えた。原告が欧州連合の加盟国に属している場合には、これは、欧州裁判所の見解によれば、欧州連合条約が規定する国籍を理由とする差別禁止に違反している。なぜならば、ドイツ人の原告には訴訟費用担保の提供義務がないからである。この問題につき最初に下された判決において欧州裁判所(13)は、欧州連合条約五九条および六〇条に規定されているように、職業遂行の自由(Dienstleistungsfreiheit)の形式をとった差別禁止という比較的特殊な表現に未だに依拠している。あるイギリスのソリシターが、遺言執行者の資格でドイツの裁判所に相続財産の引渡を請求した。このソリシターは、ドイツで業務を遂行したからといって−欧州裁判所の見解によれば−同じ状況下でドイツの国籍を有する者よりも不利に扱われてはならない。欧州裁判所は、疑いなく条約に明記された職業遂行の自由に影響を及ぼすと見なしたために、この問題がそもそも欧州連合条約の適用範囲にあるか否かという点についてはそれ以上踏み込まなかった。関連する第二の判例(14)においては、イギリスの企業がスウェーデンの被告を相手取ってスウェーデンの裁判所に提起した商品配達の代金支払を求める訴えが問題となった。スウェーデンの訴訟法によっても、この場合には、原告は被告の申立てにより訴訟費用担保を提供しなければならない。スウェーデン上告裁判所による欧州裁判所への提示に基づいて、欧州裁判所は、共同体法が保障する基本的自由の行使と関連する訴えが問題となる場合には、これは加盟国の国籍を有する者に対する一般的な差別禁止に違反する、と判示した。審査の対象となる内国民事訴訟法規は、欧州裁判所の見解によれば、財貨と職務遂行との共同体内部における交換に間接的に影響を与えるので、まさに欧州連合条約の適用範囲に属するのである。さらに、ザールブリュッケン上級地方裁判所の欧州裁判所への提示に基づいて、欧州裁判所(15)はドイツ民訴法一一〇条についてもこの法的見解を確認した。
  それ故に、ドイツの立法者は、ドイツ民訴法一一〇条の将来の運命を考える契機を与えられた。この規定は、原告としての欧州連合の加盟国の国籍保持者という観点ばかりでなく、法政策的にも疑問がある。なぜならば、この規定は、外国人の原告は、国内に住所と十分な財産を有している場合でも担保提供を免脱されず、他方では、ドイツ人の原告は、国内に財産も住所も有しない場合でも担保を求められないからである。したがって、立法者が欧州裁判所の判例を機により目的にかなった規定を設けることを期待するしかない(16)
  欧州裁判所の判例で訴訟費用担保について見えてきたことは、外国執行での仮差押理由に関する判決において完全に明確になった。すなわち、欧州裁判所は(17)、共同の経済圏のための欧州連合条約の基準を民事訴訟法の形成にまで拡大させることに対して疑念を抱いていない。欧州連合条約二二〇条により相互の承認および執行に関する方式性の簡素化が欧州共同体の目標とされたことは−この条文はEC裁判管轄・執行条約の基礎を構成するものであるが−いずれにしても、国境を超えた執行と少しでも関連する内国法規と条約との関係を築いていくためには、欧州裁判所にとっては十分なものであった。もちろん、EC裁判管轄・執行条約それ自体は、仮処分に関する国際裁判管轄を規定することは放棄しているが(EC裁判管轄・執行条約二四条)、欧州裁判所がこれについてさらに立ち入って取り扱ったことはない。
  同じように注目すべきは、ドイツ民事訴訟法九一七条二項が他のヨーロッパ諸国の国籍保持者の差別禁止条項に違反していると考えられた理由付けである。この規定は、そもそも仮差押の相手方の国籍を問題としているわけではない。仮差押の相手方がドイツ人であっても、国内に財産がないため外国での執行が必要な場合には、ドイツ民事訴訟法九一七条二項が問題となる。しかし、欧州裁判所は、多くの事例においてはドイツ民事訴訟法九一七条二項で問題とされる仮差押の相手方の場合には外国籍を有する者が問題となる、と説示した。すなわち、国籍による差別をドイツ民事訴訟法九一七条二項において想定するためには、外国籍を有する者は、国内財産を持たない者が比較的多いために、ドイツ人以上に問題となっているということで、欧州裁判所にとっては十分であった。
  この判決はその理由に説得力がなく(18)、そしてドイツ民事訴訟法九一七条二項の目的は、欧州共同体内の外国で強制執行が行われなければならない場合でも、現実的に見れば、時代遅れとなってはいない。確かに欧州共同体内の外国での強制執行は他の諸国の場合よりも簡単であるかも知れないが、ドイツにおける強制執行よりも複雑で、とりわけ、手間をとるということについては争う者は誰もいないであろう。
  欧州裁判所がこのような方法で欧州連合条約の基本的自由を用いて加盟国の民事訴訟法をもコントロールしようとしているのかどうかは、時を経れば明らかになろう。


X.相殺と国際裁判管轄

  国内法と国際法の協働のもう一つの事例で、連邦通常裁判所のような一国の最高裁判所でさえもヨーロッパ民事訴訟法の領域において経験する意外な事例でもあるのが、国際民事訴訟法における相殺の取り扱いである。債務者は債権者に対して反対債権を有しているという抗弁を主張できるか、またどのように主張できるのか、という問題に関して各国の法秩序は実に多様な取り扱いをしている。当事者自らがそのような反対債権を清算することができる制度もあれば、他方では、裁判所による清算が予定され、それを生ぜしめるためには被告たる債務者の反訴またはこれに類する訴訟上の方法を要するという制度もある。ドイツ法は、債務者が形成権を行使して相殺を実現することを認めている(ドイツ民法三八七条)。その効果は、両債権が対当額において(遡及的に)消滅する点にある(ドイツ民法三八九条)。日本法は、民法五〇五条以下に同様の制度を規定している。共通点は訴訟法の領域においてもある。相殺の主張は、もっぱら訴求された請求権に対する抗弁であるので、独立した訴えならびに反訴の申立てではない。にもかかわらず、判決では反対債権についても判断が行われるので、ドイツ民事訴訟法三二二条二項は明文で相殺に関する判断にまで既判力を及ぼしている。同じ方策を採っているのは(条文の表現は異なっているが、ここではさほど問題とはならない)日本の旧民事訴訟法一九九条二号(新民事訴訟法法一一四条二項)である。したがって、国際民事訴訟法の領域において相殺をどのように取り扱うべきかということは、私の考え方が正しいとすれば、ドイツ法と同様に、日本法の観点から見ても問題となると考えられる。問題は、訴求債権について国際裁判管轄を有する裁判所において、国際裁判管轄を欠いているために同裁判所におけるその債権の訴求は適法とはされていないような債権を相殺に供することもできるか否かである。
  ドイツのかつての通説は、相殺の性質を単なる抗弁と捉え、反対債権に対して国際裁判管轄を求めることを否定してきた。その理由として、国内法の領域においては土地管轄も反対債権ではなく、訴求債権だけに関連づけられる、ということも指摘されてきた。すなわち、被告は、フライブルク地方裁判所には土地管轄がないために同裁判所ではなく、キール地方裁判所においてのみ訴求しうるような債権をもってフライブルク地方裁判所において相殺することができるのである。もっとも、訴えによって主張された反対債権が他の法的救済手段、たとえば行政裁判所に属する場合には、その実体法の状況に応じて相殺を抗弁とするこの取扱いは、長い間例外が認められてきた。反対債権が争われている場合には、これまでの通説(19)によれば、民事裁判所は手続を停止し(aussetzen)、反対債権をめぐる争いは、それを管轄する裁判所において解明されなければならない。すなわち、このような事案においては、別の法的救済手段からの債権に対して既判力をもって判断する権限は民事裁判所には認められていない(ドイツ民事訴訟法三二二条二項)。
  既判力を根拠にして相殺に供された反対債権に関する判決が反対債権に基づく訴求に関する判決と対等であることが、反対債権に関する国際裁判管轄も当該裁判所に属する場合にのみ相殺が認められるための主たる根拠となっていた。国際裁判管轄の保護目的は、この点に存在するように思われる。他方、原告は、相殺によりどこかの自己に不都合な裁判所で応訴しなければならないわけではなく、いずれにしても自らが訴えのために選択した裁判所で応訴することになる。また、反対債権のための国際裁判管轄を要求する見解も相殺の実体的効力は考慮してはいない。
  関係当事者の利益状況から問題を判断するのは難しい。確かに国際裁判管轄を要求するが、その後の第二段階では反訴のための特別な裁判管轄も類推して相殺の事例にまで及ぼす場合には、反対債権のための国際裁判管轄を要求すると、実体法との関連性を断ち切ることになる、という批判は、その根拠の一部を失うことになる。つまり、ドイツ独自法と同様に、EC裁判管轄・執行条約六条三号によれば、反訴の訴求債権が本訴の訴求債権と関連性を有している場合には、常に反訴の国際裁判管轄が生じているのである。反対債権が本訴請求と関連性を持たず、別の法律関係から生じたものであり、あるいは譲渡によってはじめて被告に移転した場合のみ、国際裁判管轄が遮断効を発揮することになる。これらの場合において、原告の裁判管轄の利益は、確かに本訴債権と相殺債権が関連性をもつ場合よりも重要性を有している。結局のところ、このような衡量から私自身は、上述の連邦通常裁判所の判例の印象からも、国際裁判管轄の必要性に対しても賛意を表してきた(20)
  一九九三年にこの問題を取り扱った連邦通常裁判所(21)にとっては、解決策はヨーロッパ民事訴訟法の範囲内においては意外にも全く明白であることが判明した。連邦通常裁判所は、確かにEC裁判管轄・執行条約は相殺を明確には規定していないことを認識していたが、反訴と相殺の類似性から、受訴裁判所は、相殺に供された債権に関しても判断することが許されるのは、その債権に対する国際裁判管轄を有する場合に限られる、という結論を導き出した。それは、具体的な訴訟においては当てはまらず、原告は、その限りにおいて国際裁判管轄違背も責問しなかったので、連邦通常裁判所の見解によれば、相殺は考慮しないままとし、もっぱら訴えについてのみ判断されざるを得なかった。もちろん、これは、相殺の実体法上の効果は全く無視されることを意味している(22)
  欧州裁判所は、これまで相殺の取り扱いについては別の関連においてだけしか意見表明をしてこなかったので(23)、本来は次の段階として、この問題の解明のために欧州裁判所に提示しなければならないであろう。提示義務(Vorlagepflicht)の例外は、合理的な疑問の余地がないほどに共同体法の適用が明白な場合だけである。連邦通常裁判所は、このいわゆる明白法規の原則(acte-clair-Doktrin)をここで適用することができると考えていた。連邦通常裁判所は、相殺と反訴を異なって取り扱うことの内在的正当化は明らかでないという理由から、この法状況は明白である、と説示した。同裁判部は、その他の締約国の裁判所や欧州裁判所にとっても訴訟上の相殺の取り扱いについては同一の確証が存在していることを確信している、と自信をもって付言している。
  もちろん、これはひどい見当違いであることは明らかになった。連邦通常裁判所の判決のほぼ一ヵ月後において、デンマークの裁判所は、欧州裁判所に対してEC裁判管轄・執行条約六条三号、すなわち、反訴の管轄に関する規定は相殺に供されるかも知れない反対債権についても適用されるのか否か、という問題を提起した。欧州裁判所(24)は、訴えに対する単なる防御方法としての相殺と、原告の別個の敗訴判決に向けられた反訴との間の相違点を指摘した上で、EC裁判管轄・執行条約六条三号は、反訴にのみ適用し、相殺には適用すべきでない、と説示した。むしろ、欧州裁判所の見解によれば、主張されうる防御方法とその防御方法が行われるべき要件は、国内法によって決定される。つまり、欧州裁判所は、連邦通常裁判所とは正反対の判断を行ったのである。
  この判決によって、EC裁判管轄・執行条約は相殺に供された債権については国際裁判管轄を要求しないことが確定した。欧州裁判所が国内法を指示するということは、相殺に対して国際裁判管轄を求めるか否かは国内法の問題でもある、と解する論者もいる(25)。私は、この見解は適切であるとは思わない(26)。なぜならば、EC裁判管轄・執行条約は、その適用領域においては最終的に国際裁判管轄を規律し、再びいわば第二の国内レベルにおいて同一の要件を採り入れることを認めていないからである。ドイツ(および日本)法のように相殺を実体法上の形成権の行使であると同時に単なる訴訟上の抗弁とも構成するのか、あるいは裁判所による清算(gerichtliche Verrechnung)を求める反訴を必要とするのか、という問題は依然として国内法に留保されている。国際裁判管轄は第二の事案についてのみEC裁判管轄・執行条約に基づいて与えられねばならない。それは(本訴と反訴の関連において)EC裁判管轄・執行条約六条三号から導かれる。
  この欧州裁判所によって定立された結論がEC裁判管轄・執行条約の適用領域以外の事案についても転用できるかどうかは、今のところ未解決のままである。たとえば、ドイツの裁判所での訴訟において債権が相殺され、本来ならば京都において本訴が提起されなければならなかったために、その債権の個別の主張においては国際裁判管轄が存在しない場合には、ドイツの裁判所は、理論的には連邦通常裁判所が提唱した見解に従って、管轄に関する問題において相殺を反訴と同様に取り扱い続けることができよう。しかし、この場合、実体的な出発点と関係者の利益状況は純粋なヨーロッパの事案と本質的に異ならないので、ここでも、裁判所が反対債権(この反対債権が本訴または反訴として有効な場合に)について国際裁判管轄を有するか否かにかかわらず、相殺を単なる防御方法と評価し、その行使を認めることは容易に推測できる。しかしながら、私としては誤った予測の犠牲になるつもりはないので、さらなる法発展を期待している。


Y.国際的承認の要件と国内法の基準

  ドイツで下された既判力を有する判決が、承認要件を充足しないがために外国で承認されず、執行が認められない場合において、内国の訴訟法にいかなる影響があるのかは、これまでほとんど論じられてこなかった。比較的最近の二つの判決が具体的な説明として役に立つであろう。ハム上級地方裁判所(27)が判示した事例では、ドイツでオランダの依頼者(28)に対する弁護士報酬の確定がそのために設けられた決定手続(ドイツ連邦弁護士法一九条)において行われた。この報酬確定の決定は形式的確定力も有しており、すなわち、取り消すことはできない状況になっていた。これにより、この決定には実質的既判力も発生していた。しかし、この弁護士が、決定の執行をオランダで行おうとしたとき、EC裁判管轄・執行条約二七条二号および四六条二号のために承認および執行ができないことを確認した。これらの規定によれば、承認および執行宣言は、手続を開始する書面が適法かつ適時に被告に送達されたことにより、被告が防御することが可能となることが要件とされている。この要件を欠き、被告が応訴しなかった場合には、判決の承認および執行宣言も行うことはできない。ドイツ法は、上述の手続については申立ての送達について規定を置いていない。むしろ、相手方に審問請求を可能とするためには、相手方に対する無方式な通知でも十分である。そこで、本件の場合も、そのような形で手続が行われた。すなわち、相手方は手続で陳述しなかった。ハム上級地方裁判所の場合では、このような状況に鑑みて、オランダにおいても承認および執行宣言を受けた債務名義を獲得するために、ドイツにおいて再度の確定手続が認められるか否かという問題が生じた。判決や既判力ある決定の実質的既判力によって、それ自体同一訴訟物に関する再度の手続は認められないということになる。しかし、すでに行われた判決では権利保護が不完全にしか与えられていない場合には、この原則の例外とされなければならない。ハム上級地方裁判所もそのように判示した。私もこれを支持したい。
  さらには、EC裁判管轄・執行条約二七条やドイツ民事訴訟法三二八条に見られるように、国際的承認の要件を内国訴訟法の形成のための最低条件とみなすべきか否かが問題となる。これは、手続を開始する書面は常に正式な手続で、しかも、相手方が防御可能なように適時に相手方に送達しなければならない、ということを意味するであろう。この単なる無方式な告知に対して審問請求権の保障を強化することは、後に外国における承認および執行を考慮すべきか否か(これは内国手続の時点ではしばしば予測できないことも多い)とは無関係に、内国の立法者にとっても最低の基準となるべきである。
  欧州裁判所は、EC裁判管轄・執行条約二七条二号の承認障害事由についてすでに何度も取り扱ってきている。一九九六年の判例(29)においては、オランダにおけるドイツの判決の承認および執行が問題とされた。オランダに住む夫婦に対して、ドイツにおいて便箋の納入に対する代金支払を命ずる判決と費用確定の決定が下された。両裁判は、この夫婦に送達されたが、この夫婦はこれらの裁判に対してドイツでは応訴しなかった。しかし、この夫婦は、オランダでの執行文の付与に対して、便箋の注文は同夫婦から授権されていない二人の者が行ったものであり、これらの者(無権代理人)がその夫婦の名前で(代理権を付与されることなく)弁護士にドイツの手続の代理を委任した、と異議を申し立てた。すなわち、本件では、決して欠席判決が問題となっていたのでなく、むしろ、ドイツの裁判所は、被告夫婦は、同夫婦のために出廷した弁護士によって適法に代理されている、と認定した。本件において、執行宣言の申立てに対して、出廷した弁護士がその夫婦から授権されていないので被告に対する訴状の送達を欠いている、という異議を認めるならば、これは、結果として一定の範囲における第一審手続の再審査となる。すなわち、少なくともEC裁判管轄・執行条約二九条よってまさに禁止されているような実質的再審査(re´vision en fond)に近づく。にもかかわらず、欧州裁判所は、代理権不存在の異議申立ては執行宣言に関する手続においても適法である、と説示した。もっとも、被告は、ドイツにおいては、この判決に対して形式的確定力の発生後でも、第一訴訟において規定どおりに代理されていなかったという理由をもって、ドイツ民事訴訟法五七九条一項四号に基づく無効確認の訴えをも提起することができたであろう。その夫婦は、このような方法を採らないままに、判決が当事者に送達されてから一ヵ月という期間(ドイツ民事訴訟法五八六条二項)もすでに徒過してしまった。しかし、これは、欧州裁判所の見解によれば、EC裁判管轄・執行条約二七条二項の承認障害事由には該当しない。同様に、欧州裁判所は、これに対して、かつて欠席判決について、訴えの送達を欠いていることで承認障害を行わさせない、という異議申立てを提起する可能性を判示したことがある。
  本件終局判決は、その形式的確定力にもかかわらず、不完全にしか訴求された権利保護を保障していない、ということが明らかになったので、この事案形成においても新たな訴えがドイツにおいて認められなければならないであろう。しかし、無効確認の訴えを一ヶ月という期間に限定することは法政策的に説得力があるのか否か、あるいは、判決がかかる要件の下において外国においても妥当しない場合には、規定どおりに代理されていない者に、国内においても少なくともより長い期間を伴った再審の訴えを認めるべきではないのか、という点を問題とせざるを得ないであろう。最終的には、欧州裁判所の判決は、訴訟代理は常に職権によって審査されるべきで、その結果、かかる事例はできるだけはじめから起こり得ないのではないのか、と問い直す契機ともなる。現行ドイツ法によれば、弁護士が代理人として出廷した場合には、代理権の瑕疵は相手方の責問に基づいてのみ審査される(ドイツ民事訴訟法八八条二項)。しかし、その場合には、たとえ弁護士が一般的に訴訟代理権をもたずには出廷しないとしても、結果的に、自らが誘発していない訴訟追行から「代理された」当事者を保護することに失敗することは起りうる。


Z.む  す  び

  上述した事例が示す通り、国内法および国際法は民事訴訟の領域において多様な相互関係にある。経済生活と法の国際化は、ずっと以前から民事訴訟法に対しても影響を与えてきている。民事訴訟法の国際的統一化という(長期的)傾向がすでに見られるかどうかは争いのあるところかも知れない。しかしながら、いずれにしても国際的ディメンションからは多くの考え方の衝突が明らかになっている。したがって、民事訴訟法およびその国際的観点の学術的な分析は、今後も刺激的かつ重要な課題とされるであろう。

(1)  EuGH Urteil vom 6. Oktober 1976, Rs. 12/76, Industrie Tessili Italiana Como gegen Dunlop AG, Slg. 1976, 1473.
(2)  EuGH Urteil vom 29. Juni 1994, Rs. C-288/92, Stawa Metallbau GmbH/Cutom Made Commercial Ltd, Slg. 1994 I 2913 = IPrax 1995, 31.
(3)  この判決に極めて批判的なのは、たとえば、Jayme, Ein Kla¨gergerichtsstand fu¨r den Verka¨ufer - Der EuGH verfehlt den Sinn des EuGVU¨, IPRax 1995, 13.
(4)  EuGH Urteil vom 17. Januar 1980, Rs. 56/79, Siegfried Zelger gegen Sebastiano Salinitri, Slg. 1980, 89.
(5)  EuGH vom 20. Februar 1997, Rs. C-106/95 (MSG Marins-chiffahrts-Genossenschaft eG/Les Gravie´res Rhe´nanes SARL), NJW 1997, 1431 = JZ 1997, 839 (mit Anmerkung Koch)
(6)  Stein-Jonas-Schumann, ZPO, 21. Aufl., § 29 Rdnr. 23a.
(7)  EuGH vom 7. Juni 1984, Rechtssache 129/83, Zelger gegen Salinitri, Slg. 1984, 2397.
(8)  Cour of Appeal, July 1, 2 and 3, 1991, Dresser UK LDT. and Others v. Falcongate Freight Management Ltd. and Others, (1991) 2 Lloyd’s Law Reports, 557;EuZW 1991, 613 (Da.).  これに関して詳細は、Leipold, Vom nationalen zum europa¨ischen Zivilprozeβrecht, Rechtsha¨ngigkeit, Rechtskraft und Urteilskollision, in:Kroeschell/Cordes (Hrsg.), Vom nationalen zum transnationalen Recht, Symposion der rechtswissenschaftlichen Fakulta¨ten der Albert-Ludwigs-Univetrsita¨t Freiburg und der Sta¨dtischen Universita¨t Osaka (1995), 67, 71 f.
(9)  EuGH Urteil vom 8. Dezember 1987, Rechtssache 144/86, Gubisch gegen Palumbo, Slg. 1987, 4861.
(10)  EuGH Urteil vom 6. Dezember 19894, Rechtssache C-406/92, The Tatry gegen The Maciej Rataj, IPRax 1996, 108. Slg. 1994 I 5439 = JZ 1995, 616.  これに関しては、Huber JZ 1995, 603;Lenenbach EWS (Europ isches Wirtschafts- und Steuerrecht) 1995, 361.
(11)  BGH Urteil vom 8. Februar 1995, VIII ZR 14/94, NJW 1995, 1758.
(12)  BGH NJW 1995, 1758, 1759.
(13)  EuGH Urteil vom 1. Juli 1993, Rs C-20/92, Anthony Hubbard gegen Peter Hamburger, NJW 1993, 2431 = RIW 1993, 855 = Slg. I 1993, 3777.  これに関しては、C. Wolf RIW 1993, 797.
(14)  EuGH Urteil vom 26. September 1996, Rs. C - 43/95, Data Delecta Aktiebolag u. Ronny Forsberg gegen MSL Dynamics LTd., ZZPInternational Bd. 2 (1997), (mit Anmerkung Ahrens) = Slg. I 1996, 4661.
(15)  EuGH Urteil vom 20. Ma¨rz 1997, Rs. C-323/95, Hayes gegen Kronenberger, Slg. I 1997, 1711.  最近の EuGH Urteil vom 2. Oktober 1997, Stephen Austin Saldanha u.a. gegen Hiross Holding AG, Rs. C-122/96, NJW 1997, 3299. も同旨。
(16)  Ahrens a. a. O., (Fn. 14), 161, も同旨。同教授は、イギリス法に類似した柔軟な解決策を提唱する。
(17)  EuGH Urteil vom 10. Februar 1994, Rs C-398/92, Firma Mund & Fester gegen Firma Hatrex Internationaal Transport, ZZP Bd. 108 (1995), 109.
(18)  Schack, Rechtsangleichung mit der Brechstange des EuGH - Vom Fluch eines fasch verstandenen Diskrinierungsverbots, ZZP Bd. 108 (1995), 47 ff. による厳しい批判を見よ。
(19)  私見によれば、一九九〇年に改正された裁判所構成法一七条二項一文も、この点については何らの変更ももたらさなかったため、この問題は依然として争われている。詳細は、Stein-BJonas-BLeipold, ZPO, 21. Aufl., § 145 Rdnr. 33.
(20)  Stein-Jonas-Leipold, ZPO 21. Aufl. (1994), § 145 Rdnr. 39 ff.
(21)  BGH Urteil vom 12. Mai 1993, VIII ZR 110/92, ZZP Bd. 107 (1994), 211 (mit kritischer Anmerkung Leipold) = NJW 1993, 2753 = LM EGU¨bk Nr.39 (mit kritischer Anmerkung Wolf).
(22)  これが妥当するのは、連邦通常裁判所が、反対債権について判断されるまでに訴訟の中止を伴うドイツ民事訴訟法三〇二条による留保判決を要求するという考えにも至らなかったがためである。これに関して詳細は、Leipold a. a. O.
(23)  EuGH Urteil vom 9. November 1978, Rs. 23/78, Meeth gegen Glacetal, NJW 1979, 1100 は、管轄の合意が存在するために、反対債権に基づく訴求が他の裁判所でのみ提起されうるような場合であっても、関連債権との相殺を認めた。EuGH Urteil vom 7. Ma¨rz 1985, Rs. 48/84, Spitzley gegen Sommer, NJW 1985, 2893 は、他の裁判所に固定するという裁判管轄の合意に関するものであるが、にもかかわらず、受訴裁判所は、原告が責問権を行使することなく相殺の主張に応訴した場合には、相殺についても判断する管轄を有する、と説示した。EuGH Urteil vom 4. Juli 1985, Rs. 220/84, As Autoteile Service gegen Malhe´, NJW 1985, 2892 は、その反対債権の独立した主張に関して締約国の裁判所の国際裁判管轄が否定された反対債権を、原審に基づく費用確定決定に対する相殺に基づいて執行異議の方法で改めて同一国の裁判所で主張する試みに関するものである。欧州裁判所は、これを権利濫用である、と説示した。同判決について詳細は、BGH ZZP 107 (1994), 215;Leipold ZZP 107 (1994), 221. を見よ。
(24)  EuGH Urteil vom 13. Juli 1995, Rs. C-341/93, Danvaern Production A/S gegen Schuhfabriken Otterbeck GmbH & Co., ZZP Bd. 109 (1996), 373 (mit Anmerkung Mankowski) = NJW 1996, 42.
(25)  たとえば、Jayme/Kohler, IPRax 1995, 343, 349. Coester-Waltjen, Festsch. fu¨r Lu¨ke (1997), 35, 48 も、出発点は同じであるが、反対債権に関する国際裁判管轄の要件を再び放棄することを連邦通常裁判所に提案している。
(26)  Mankowski a. a. O., 394. も同旨。
(27)  OLG Hamm IPRaX 1996, 414.  拒否するのは、Tepper IPRaX 1996, 398.  賛成するのは、Stein-Jonas-Leipold, ZPO, 21. Aufl., § 322 Rdnr. 202a.
(28)  事実関係に関して詳細は、Tepper IPRaX 1996, 398.
(29)  EuGH Urteil vom 10. Oktober 1996, Rs. C-78/95, Bernardus Hendrikman und Maria Feyen gegen Magenta Druck & Verlag GmbH, ZPP International Bd. 2 (1997), 136 (mit zustimmender Anerkennung H. Roth).

  [訳者後記]
  本稿は、一九九七年九月に日本学術振興会外国人招聘研究者(短期)として来日された、ディーター・ライポルド教授(フライブルク大学法学部)の立命館大学大学院集中セミナーで行われた講演原稿の翻訳である。同教授には、本学会誌への翻訳掲載についてご快諾を戴き心よりお礼申し上げたい。国際民事訴訟法は、国際私法学と民事訴訟法学の交錯領域にあり、近時、ドイツにおいても多数の文献・モノグラフィーが発表されている。とりわけ、ヨーロッパ民事訴訟法においては、欧州裁判所の裁判動向は極めて重要な影響をドイツ内国民事訴訟法にも与えている。本稿では、かかる現状に関する的確な分析が展開されており、ドイツ国際民事訴訟法理論を理解する上でも重要な論考であると考える。訳者自身は、国際民事訴訟法については必ずしも専門であるとは言い難いが、今回の大学院集中セミナーを通してライポルト教授から極めて丁寧なご教示を戴き、この分野への関心を深めることができた。同教授に対して改めて感謝の意を表する次第である。尚、本稿のテーマについては、立命館大学および金沢大学でセミナーが開催された。金沢大学法学部の遠藤功教授をはじめ同大学関係者の皆様にはセミナー開催等について大変御世話になった。この場を借りて関係各位の皆様に衷心よりお礼申し上げる次第である。

  *本稿は.平成九年度科学研究費奨励A「課題番号09720034」の交付を受けて行った研究成果の一部である(出口雅久)。