立命館法学  一九九七年五号(二五五号)一〇八三頁(一九五頁)




法律による憲法の具体化と合憲性審査(四・完)
フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用


蛯原 健介






    目    次
は じ め に
第一章  憲法院による法律の合憲性審査
  第一節  フランスにおける法律中心主義の伝統と憲法院の活性化
  第二節  憲法院の活動にたいする評価
  第三節  憲法訴訟機関としての憲法院          (以上二五二号)
第二章  合憲性審査と政治部門の直接的・間接的対応
  第一節  憲法院判決後の政治部門の直接的対応  (以上二五三号)
  第二節  立法過程における政治部門の間接的対応
第三章  憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論
  第一節  ルイ・ファヴォルーの見解
  第二節  ドミニク・ルソーの見解              (以上二五四号)
  第三節  ギヨーム・ドラゴの見解
  第四節  小括
まとめにかえて                                    (以上本号)





第三章  憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論


第三節  ギヨーム・ドラゴの見解
  ギヨーム・ドラゴ(Guillaume Drago)の見解については、すでに前章において相互作用の具体的事例を検討するなかで若干触れておいた。かれは、『憲法院判決の実現』(L’exe´cution des de´cisions du Conseil constitutionnel)という著書において、憲法院判決の実現過程における憲法院と政治部門の相互作用を分析し、あるべき相互作用として憲法院と政治部門(議会・政府)の「協働関係」をみちびいている。
  ところで、ドラゴは、分析に際して、法律の「製造」(confection)という概念を提示しており、これは「最初の起草からまったく最終的な状態まで、諸公権力、つまり議会、政府、共和国大統領ならびに憲法院の関与を要請する法規範創造過程の総体」と定義されている(1)。かれがこのような概念を援用するのは、議会だけが法律を作成するのではなく、憲法院の合憲性コントロールも法律「製造」過程に組み入れられることを強調し、諸機関の「協働関係」が機能することを明らかにするためでもある。
  1  議会による憲法院判決の実現
  ドラゴは、憲法院と議会の「真の対話」(ve´ritable dialogue)を通じてこそ憲法に照らしてよりよい法律がつくられると考え、両者の関係を「協働関係」(relations de collaboration)として理解しようとする(2)。そして、憲法院が至高の立法者の意思を拘束するとして憲法院と議会との関係を「衝突関係」(relations conflictuelles)として理解する見解にたいしては、いわば「漫画的な説明」にすぎず、憲法院判例の実態も、憲法院判決の実現メカニズムも考慮していないと批判するのである(3)
  ところで、前章第一節で述べたように、憲法院判決の種類は、@全部違憲判決、A一部違憲判決、B留保条件付判決、そしてC完全合憲判決に大きく分けられる。ドラゴにおいても、このような判決の区分に応じて憲法院と議会の相互作用が分析されている(4)
  すでにみたように、全部違憲判決は、立法者による権限の不遵守、手続上の瑕疵、あるいは憲法の実体的条項および原理の不遵守のいずれかを理由として下される。したがって、議会に求められる対応も各々の違憲理由ごとに分析されることになる。
  第一に、立法者による権限の不遵守を理由とする全部違憲判決の場合、違憲理由は法律の実体そのものとは関係なく、議会は、憲法上議会に属する権限の範囲内にその関与がとどまるよう留意して、新たな法案の立法化をはかることができる、とされる(5)
  第二に、手続上の瑕疵を理由とする全部違憲判決は、憲法に適合する立法手続にしたがってあらためて立法化することを要するので、法律の発効を遅らせる結果を招く。しかし、法律の実体については違憲と判断されたわけではないので、このような全部違憲判決は、立法者の意思を大きく妨げることにはならない。それゆえ、この場合、立法者は、憲法や組織法律に定められた手続規定にしたがえば、憲法院が手続上の理由で違憲とした法文を修正することなく新たな法律の形で再提起することができる。にもかかわらず、このような全部違憲判決は、立法者および政府にとって、法律の内容を改善し、法律を「憲法ブロック」によりよく適合させる機会でもある、とされる(6)
  第三に、憲法原理の不遵守を理由とする全部違憲判決の場合は、法律の実体または法律の原理そのものが憲法に反するので、同一の法文を繰り返すことはできない。しかし、憲法院の「絶対的拒否権」(veto abosolu)によって政策の実現が完全に妨げられることにはならない。すなわち、憲法院の「絶対的拒否権」が存在するにしても、法律全体の前提を構成するいくつかの原理にかかわるだけであり、それらの原理を修正しながら法律を再検討し、あらためて立法化をこころみることは可能である、とされる(7)。なお、このような法律の再提起は、しばしば政治的意思にもとづくことが指摘されている(8)
  ドラゴによれば、いかなる違憲理由であれ、全部違憲判決の目的は、立法者の意思を束縛することにあるのではなく、手続および権限の観点から、あるいは基本原理の観点から、議会にたいして憲法の厳格な尊重を迫ることにある(9)。全部違憲判決が下されると、法律の審署は不可能になり、それを立法化するには新たな法案の提出、審議および可決が必要となるが、この過程においてこそ、議会が法律の修正をこころみ、憲法院判例をきわめて忠実に適用することになるのであって、その関係はまさに憲法院と議会の「対話」あるいは「協働関係」と解されているのである。
  次に、一部違憲判決は、最終的なサンクションまたは無条件の取消ではなく、憲法院が望む意味で、憲法に照らして法律が修正されるように、議会にたいして出された警告、命令として位置づけられている(10)。そして、ドラゴは、議会による一部違憲判決の実現について、次のように述べている。フランスの予防的な合憲性コントロール制度は、違憲部分を訂正するイニシアティヴを議会に与えている。また、憲法院のサンクションは、議会審議を絶対的に否定するものではなく、憲法規範にしたがうことを立法者に迫るにすぎず、憲法院は「絶対的権力を有する審査人」としてよりも「立法者の指導者」として立ち現れる、とされる(11)。かくして、一部違憲判決の場合も、憲法に照らしてよりよい法律をつくることをめざす、憲法院と議会の「協働関係」がみられるというのである。
  また、合憲判決であっても、憲法院が解釈に留保を付した場合には、付された留保条件をどのように実現するかが問題になる。このような解釈付判決は、合憲・違憲の厳格な二者択一を迫るものではなく、違憲性にいくつかの程度が存在することを意味するものとされる(12)。ドラゴによれば、指令(directive)解釈が付された場合には、条文そのものは合憲であるから、法律の発効は認められるが、立法者は解釈のあいまいさをもたらす法律を補完し、法律に憲法上の明晰さと明快さを取り戻させなければならない。したがって、立法者に向けられた指令は、法律が完全に合憲ではなく、立法者が法律を完全に憲法に適合させるためにその法律を再検討すべきであることを意味するのである(13)。この場合、立法者は、法律をよりよく「憲法ブロック」に適合させるために法律の新たな検討を迫られることになり、解釈付判決は、憲法に照らして最良の目的のために、いわば議会と憲法院との「絶え間ない連結現象」(phe´nome`ne de connexions successives)の発展を促進するものとして位置づけられている(14)。ドラゴが指摘するとおり、解釈付判決の実現においても、法律が憲法の観点からみて完全ではない限り、立法者は、その法律を修正し、より明確にしなければならないのであって、憲法院と議会との「協働関係」が求められることになるといえよう。
  以上のように、憲法院判決の実現過程の分析から、憲法のよりよい具体化をめざす憲法院と議会の「協働関係」の存在が明らかにされる。ところで、この「協働関係」の前提として、二つの要因が考えられる。すなわち第一は、議員が憲法院に法律を提訴することによって、違憲性の発見に協力することである(15)。そして第二は、議員が提訴しなかった部分について憲法院が職権でコントロールすることによって、憲法院が立法者にたいして「教育作用」(fonction pe´dagogique)をおこなうことである。つまり、憲法院は、提訴を受けた法律全体をコントロールして、完全に憲法に適合させるために修正されるべき部分を判決のなかで明らかにするのであり、議会は、このような憲法院の「指導」を受けて、容易に「校正作業」を進めることができるのである。しかし、憲法院が発見しえなかった違憲性については、ひとたび法律が審署されると直接的にコントロールすることはできなくなるのであり、この問題を解決するためには憲法改正による憲法院改革が必要である、とされる(16)
  憲法院と議会の相互作用を「対抗関係」の側面から分析することに消極的なドラゴは、最後に、憲法院判決の実現過程において、議会意思は否定されないという見解を示している。それは、第一に、「合憲性コントロールは、たとえ実際には反対派議員によっておこなわれるにしても、憲法院のコントロールに付すことを受け入れる国会議員のイニシアティヴ、それゆえ立法府によってしばしば開始される」からである。そして第二に、「憲法院によっておこなわれるコントロールの予防的性格は、議会にイニシアティヴを取り戻させるにいたるからであり、憲法院によって宣言された違憲性を訂正するための手段や、しばしば方式を議会に委ねるにいたるからである(17)」。このようにして、ドラゴは、憲法院判決の実現過程を分析することによって、憲法院と議会の関係を「対抗関係」ではなく、憲法の具体化をめざす密接な「協働関係」として描き出すのである。
  2  政府による憲法院判決の実現
  それでは、政府はどのようにして憲法院判決の実現に関与するのであろうか。ドラゴによれば、政府は、法律「製造」の最終段階に関与し、憲法院判決後に、判決の「直接的実現」(exe´cution imme´diate)をおこなうことになる(18)
  第一の「直接的実現」は、法律の発効であるが、これには大統領の審署と首相・関係閣僚の副署が必要である。そして、審署に関しては、内閣官房(Secre´tariat ge´ne´ral du Gouvernement)が大統領と政府を仲介するのであり、このとき大統領と政府の「協働関係」が機能することになる。また、法律の施行に際して解釈の問題が生じた場合、政府は、憲法院判決に応じた通達を出し、問題の解決をはかる、とされる(19)
  もうひとつの「直接的実現」は、法律の実現を望む政府の政治的意思、あるいは法的空白を避けるための実際的な必要性にもとづいて、違憲とされた法文の再検討を政府が議会に求めることである。しかし、そのとき政府が再提出する法文は、憲法院判決によって枠づけられるのであり、憲法院判決によって引き出された諸原理を組み入れなければならない。したがって、憲法院は、政府にたいしても「教育作用」を及ぼすことが明らかになる(20)
  続いて、ドラゴは、判決の種類ごとに政府による憲法院判決の実現を分析している。その結果、いずれの場合も政府が憲法院判決の実現過程において重要な位置を占めていることが明らかにされる。
  まず、全部違憲判決については、とくに違憲理由が憲法原理の不遵守にあるときが問題となり、再度立法化をはかる場合には、政府は、憲法院判決にしたがって法律の諸原理を修正する義務がある。なお、その際、違憲判決と政府の態度との関係が注目される。すなわち、すぐれて政治的な法案が違憲とされたとき、その法案の政治的性格ゆえに政府はなおさらその法案を成功させることを望むかもしれないが、その判決は政府の要求にたいして一定の枠を設定するのであり、政府は憲法の規定にそくしてその法案を調整しなければならないのである。そして、ここでは、憲法院の関与は、政治的な争点をなす論議をもっぱら法的レベルにおきかえることによって、「調整機能」(fonction mode´ratrice(21))をはたらかせることになる。あるいは、憲法院判決は、技術的レベルにおける法律の再検討を政府に求めることによって、憲法論議の「鎮静化機能」(fonction d’apaisement)を果たしている、とされる(22)
  次に、一部違憲判決の実現には、政府および大統領の関与が必要である。この場合、内閣官房が法律の最終版を作成し、必要な署名を集める責任を負い、そして審署にあたっては、よりよい法律をめざす大統領と政府の「協働関係」が求められる。また、大統領の再審議要求についても、首相の副署が必要なことから、政府が関与することになる。さらに、政府は、審署後、必要な場合には補完法律案を準備しなければならない、とされる(23)
  また、憲法院判決に指令解釈が付された場合、政府はその指令解釈にしたがうべき最初の行政機関となる。そして、政府が作成する適用デクレは、憲法院が判決のなかで付した解釈を考慮したものでなければならず、とりわけ一部違憲判決のなかで指令解釈が付された場合には、政府は新たな法案のなかで指令解釈を考慮しなければならない、とされる(24)
  以上のような分析から、政府による憲法院判決の実現は、法律のよりよい適用をめざし、法律に一貫性を与えることをねらったものである、とされる(25)。ここにもまた、憲法院と政府(さらには大統領)との「協働関係」をみることができよう。
  3  あるべき相互作用としての「協働関係」
  すでに明らかなように、議会および政府による憲法院判決の実現を分析するなかで、ドラゴは、憲法院と議会・政府(あるいは大統領)の相互作用を「協働関係」として特徴づけようとしていた。たしかに、憲法院の合憲性コントロールが法律「製造」過程に含まれる以上、憲法院が政治部門にたいして「対抗関係」を維持することが不可欠であるが、かれは、その合憲性コントロールが立法者と決定的に対抗するものとは解していない。結論においては、次のように論じられている。
「国民の代表者、すなわち、正当性がもっとも確保された人びとによってつくられた規範についての合憲性コントロールは、法律を制定する際に、決定的な反対や制限の意味で分析されてはならない。憲法院は、法律の作成に協力する諸機関の間で規範生産の『参加運営』(gestion participative)を組織することによって、むしろ立法者の自由裁量権の『調整者』(mode´rateur)の機能を果たす。法律製造時に政府・議会・憲法院の間に存在する対話は、規範構築活動にともに参加することを示している。違憲宣言は、合憲性確保の観点から法律を再検討すること、すなわち法的規範のヒエラルヒーのなかに法律を正しく配置することに関する命令的な勧告として理解されなければならない。けれども、絶対的拒否権は、憲法訴訟においては存在しない。なぜなら、憲法改正の方法は、たとえ困難な方法であるにしてもつねに開かれているからである\\(26)」。
  ここでは、憲法院は「絶対的拒否権」をもたず、法律「製造」過程のなかで規範生産の「参加運営」を組織し、立法活動を調整するにとどまるものとして描かれている。この結論にしたがえば、憲法院は、議会や政府などとともに法律「製造」過程に参加しながら、それらとの「対話」を確保し、「協働関係」を構築するのであり、このような相互作用を通じて、憲法に照らしてよりよい法律がつくられる、ということになろう。
  最後に、ドラゴの見解は次のように整理することができる。憲法院の現在の活動を考慮した場合、憲法院と政治部門の関係を「衝突関係」として理解することは不可能である。また、憲法院が政治部門の立法を積極的にコントロールすることによって、前者にたいする後者の「対抗関係」が生じる可能性それ自体は存在するが、このような「対抗関係」だけから憲法院のコントロールを分析してはならない。むしろそれは、憲法に照らしてよりよい法律をつくるための「協働関係」のなかに位置づけられる必要がある。そして、法律「製造」過程における憲法院と政治部門の「協働関係」のもとでこそ、憲法的価値が法律のなかに具体化されていくのである。このように、相互作用の分析方法として、政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」という観点を援用せず、両者の「協働関係」という図式を明確に提示し、それによって相互作用のあり方を論ずるところにドラゴの特徴があるといえよう。

第四節  小    括
  本章では、憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論として、ルイ・ファヴォルー、ドミニク・ルソー、そしてギヨーム・ドラゴの見解を取り上げた。かれらは、憲法院と政治部門の相互作用につき、一方では、憲法院が政治部門の立法を厳格かつ積極的にコントロールする必要性を認識しており、そのことによって政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」、もしくは、憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」が生じる可能性を完全に否定してはいない。しかし、他方では、このような「対抗関係」の限界と問題点が認識され、憲法的価値の積極的実現を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」が憲法の具体化のために必要であると解されていた。ここでは、かれらの分析を手がかりとして、憲法院と政治部門の相互作用のあり方について若干の整理をこころみることにしたい。
  1  「対抗関係」の限界と問題点
  憲法院と政治部門の相互作用のあり方として、まずは「対抗関係」が想定される。この「対抗関係」には、@政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」と、A憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」という二つの異なる側面が存在するのであり、これらは明確に区別して論じられなければならない。
  まず、@政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」には、いかなる限界が存在するのか。ファヴォルー、ルソー、ドラゴのいずれも、憲法院が憲法の観点から政治部門の立法を厳格かつ積極的にコントロールし、違憲無効とすることができる以上、この意味における「対抗関係」が存在することは認めている。しかし、かれら自身が示唆していたように、憲法院の積極的コントロール(法律にたいする人権保障)には次にあげるような限界が存在するのであり、憲法院が政治部門の立法にたいして積極的に違憲判決を下し、この意味における「対抗関係」を維持しさえすれば、完全に憲法の具体化が実現される、ということにはならないのである。
  第一に、憲法院判決は、形式的意味でも実質的意味でも「最後のことば」ではない。形式的意味において「最後のことば」ではないというのは、ファヴォルーやドラゴが示唆していたように、憲法院が積極的コントロールをこころみても、政治部門が判決を無視したり、判決に対抗する措置をとる場合があり、そのときは憲法の具体化は実現されないということである。そして、実質的意味において「最後のことば」ではないというのは、憲法院判決からみちびかれる憲法的価値は、政治部門の応諾措置によってはじめて具体化されること、また、憲法院の厳格なコントロールを期待することができず、政治部門の立法政策によってしか憲法的価値が実現されないような領域(たとえば前章第二節でとりあげた生命倫理の領域)が存在することにかかわる。憲法院のコントロールは違憲立法の排除に結びつきはするものの、憲法的価値の積極的実現のためには政治部門の関与を待たなければならないことが少なくないのである。
  第二に、すでに指摘したように、憲法院が審査するのは提訴された一部の法律に限られ、憲法院は審署後の法律については直接的にサンクションすることができない(27)。したがって、政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」によって憲法的価値が具体化される可能性は、現行制度上、はじめから大きく制限されているのである。
  次に、A憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」には、いかなる問題点が存在するのか。政治部門が「最後のことば」をもつ限りにおいて、前章第一節で取り上げた移民規制法判決(一九九三年八月一三日)の事例のように、憲法院の違憲判決を覆すことを目的として、政治部門が憲法改正などの対抗措置に訴えることが考えられる。しかし、こうした対抗措置は、無限界に認められるべきものであろうか。フランスでは、このような対抗措置をともなう、憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」について一定の限界を画定しようとする議論が展開されている。
  たとえば、ファヴォルーは、政治部門による対抗措置の限界として、憲法改正の対象となりえない「超憲法性」(supraconstitutionnalite´)の存在を示唆している。「超憲法性」の概念は多義的であり、慎重な検討が必要であるように思われるが(28)、かれは、それをフランス憲法からみちびかれる「内的超憲法性」(supraconstitutionnalite´ interne)と国際法やEC法などの規範からみちびかれる「外的超憲法性」(supraconstitutionnalite´ externe)に分け、このうち後者の存在を肯定しており、政治部門が国際法やEC法に反する内容の憲法改正をおこなうことはできないと解するのである(29)。この見解にしたがえば、マーストリヒト条約のための憲法改正の内容は、このような「外的超憲法性」に反するものではなく、対抗措置として容認されるといえよう。
  さて、二つの意味における「対抗関係」の分析から次のことが明らかになる。現代立憲政治において、@政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」が維持されなければならないことはいうまでもないが、それだけでは憲法的価値の完全な実現にはいたらず、場合によっては「対抗」の側面だけが強調されることで、政治部門の反発を招き、A憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」によって憲法的価値の後退がもたらされるおそれもある。憲法院が外国人の権利保障の観点から移民規制法を違憲と判断したにもかかわらず、政治部門が対抗措置として憲法改正をおこなったために憲法的価値が後退することになったのはその一例である。
  したがって、厳格かつ積極的なコントロールを求めて@政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」を強調するあまり、政治部門の対応の問題を軽視してはならない。この意味での「対抗関係」に限界が存在することを十分認識するとともに、A憲法院にたいする政治部門の「対抗関係」、すなわち政治部門の対抗措置の問題点を認識する必要があろう。そして、実際、本章で検討した最近の議論では、そのような「対抗関係」の限界と問題点が明らかにされ、それを超えた「もうひとつの相互作用」たる「協働関係」に憲法の具体化の可能性がみいだされていたのである。
  なお、ここでわが国における「対抗関係」の問題点にも言及しておこう。すでに指摘されているように、@政治部門にたいする司法の「対抗関係」は十分に確立されてはいない。そのことは、わが国の最高裁判所が下した違憲判決がきわめて少ないことからも明らかである。それにもかかわらず、A司法にたいする政治部門の「対抗関係」は、しばしば極端なかたちで現れることがある。たとえば、一九六六年の全逓東京中郵事件最高裁判決(30)、一九六九年の東京都教組事件最高裁判決(31)において、公務員の労働基本権を尊重する立場がとられたことにたいして、政治部門は激しく反発し、それ以後、最高裁に政府・与党に有利な人物を送り込み、公務員の労働基本権を広く制限する判決へとみちびいたことが想起されよう。また、下級裁判所については十年間の任期が定められているが、司法行政当局としての最高裁判所を介して、政治部門の意向が下級裁判所裁判官の再任や待遇に大きな影響を及ぼすこともありうる(32)。したがって、わが国においても、あるべき相互作用として@政治部門にたいする司法の「対抗関係」だけを取り上げ、A司法にたいする政治部門の「対抗関係」の問題点を十分検討しないのであれば、それは適切であるとはいえず、危険をはらんでいるといわなければならない。
  2  「協働関係」による憲法の具体化−憲法の具体化の二つの意味
  ここでは、本章で検討した議論に共通してみられる「協働関係」が分析の対象となる。三人の論者は、「協働関係」をどのように論じていたのだろうか。
  ファヴォルーは、憲法院の合憲性審査によって政治部門の規範定立活動が制約されることを認めつつも、憲法院のコントロールのもとで議会が果たすべき役割を重視し、政治部門の立法政策によって憲法的価値の積極的実現が可能となることを示唆していた。またルソーは、市民の権利保障のために憲法院の積極的なコントロールを求める一方で、「諸規範の競合的表明体制」という定式を提示し、憲法院と政治部門などのアクターの相互作用を通じて、憲法的価値が具体化され、さらには民主主義が進展する、と考えていた。他方で、ドラゴは、憲法院判決の実現過程を分析しながら、憲法院が立法者の意思を拘束することを理由に憲法院と政治部門の「衝突関係」を強調するのは誤りであり、両者の相互作用を「対抗関係」の側面から分析するのではなく、むしろ憲法の観点からよりよい法律をめざす「協働関係」としてとらえるべきことを提言していた。
  このように、かれらは共通して「協働関係」をあるべき相互作用と解しているが、「対抗関係」と「協働関係」は二者択一のものとしては考えられていない。この「協働関係」は、「対抗関係」を否定したうえで形成されるのではなく、いわば「対抗関係」を通じて、かつそれを超えて展開される相互作用である。そして、「対抗関係」を経て「協働関係」が形成される結果、政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」を前提として展開される「法律にたいする人権保障」のみならず、「協働関係」にもとづき政治部門の合理的な立法政策を通じて実現される「法律による人権保障」の「新たな展開」が可能になるのである。かれらの見解にしたがえば、このような「協働関係」のもとで、政治部門があらためて「法律による人権保障」を通じて憲法の具体化に取り組むことが課題となる、といえよう。
  ところで、「協働関係」のもとで政治部門が取り組むことが要請される憲法の具体化には、二つの意味が存在すると解される。ひとつは「消極的意味における憲法の具体化」である。すなわち、それは、違憲と判断された法律が、「憲法ブロック」あるいは憲法判例に照らして、当然に修正または排除されなければならない、ということを意味する。しかし、この意味での憲法の具体化は、憲法院による「法律にたいする人権保障」の帰結であり、憲法院のコントロール範囲に限定されることになる。したがって、それは、法律が憲法的価値に反することさえなければよいということでもあって、憲法的価値の積極的実現という現代立憲主義の要請を十分満たすことができないばかりか、政治部門の「合憲判決安住主義」を招くことにもなりかねない。前章第二節で分析した受動的・消極的な間接的対応は、この意味での憲法の具体化を志向するものであったといえる。
  これにたいして、「積極的意味における憲法の具体化」は、憲法的価値を積極的に実現する立法政策を意味する。この意味では、政治部門は、違憲立法を排除するだけでなく、人権保障立法によって憲法的価値を具体化することが要請される。前章第二節で分析した能動的・積極的な間接的対応は、憲法院のコントロール範囲に限定されることなく、政治部門が憲法の観点から立法政策について検討しながら「法律による人権保障」の実現をはかるものであり、「積極的意味における憲法の具体化」に資するといえよう。
  現代国家において、憲法の具体化は、消極的意味にとどまるのではなく、積極的意味においても実現されなければならない。「積極的意味における憲法の具体化」の代表的事例としては、すでにみたように、先端科学技術の進展から人権を擁護しようとして立法化されたフランスの「生命倫理法」があげられよう。また、わが国で最近立法化された「アイヌ新法」(アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律(33))も、国や地方自治体が少数民族の人権・文化を積極的に擁護することを目的としており、「積極的意味における憲法の具体化」の一例として位置づけることが可能であろう。ただし、政治部門によって具体化されるべき憲法的価値の内容は多様であり、アプリオリに決定されているわけではない。それは、相互に対立・矛盾する場合もあり、具体化の際に調整することが求められるのである(34)

(1)  Guillaume Drago, L’exe鴦cution des de鴦cisions du Conseil constitutionnel, Economica, 1991, p. 90.  なお、この著書は、一九八九年に提出された博士論文(未見)に修正を施したものとなっている。
(2)  Ibid., pp. 90 et s.
(3)  Ibid., p. 91.
(4)  なお、ドラゴは、@ABに加え、ある法律の条項の廃止を内容とする新たな法律を無効とする「廃止拒否判決」(de´cisions de refus d’abrogation)を第四の類型として分析の対象にしている(ibid., pp. 172 et s.)。しかしこれは、一部違憲判決の効果として生じるものであり、本稿で取り上げるにはおよばないであろう。その具体的事例としては、地方分権に関する一九八二年二月二五日判決、高等教育に関する一九八四年一月二〇日判決などがあげられている。前者の事例については、前章第一節2を参照。後者の事例は、憲法的要請に適合する保障を教師に与えていた一九六八年一二月一二日の指針法を完全に廃止することが違憲と判断されたものである。
(5)  Ibid., p. 96.  立法者による権限の不遵守を理由とする全部違憲判決の具体的事例としては、海外県の分権に関する一九八二年一二月二日判決、議会による社会保障財政の統制に関する一九八八年一月七日判決があげられている。このうち前者は、海外県に、憲法七三条によって認められた「その特別の状況によって必要とされる適応措置」を超えて、海外領土にしか認められない「特別の組織」の設置を規定する法律を全部違憲とするものであった。なお、この事例については、前章第一節1を参照。
(6)  Ibid., pp. 109 et s.  手続上の瑕疵を理由とする全部違憲判決の具体的事例としては、海外領土への刑事訴訟法の適用に関する一九八〇年七月二二日判決、予算法律に関する一九七九年一二月二四日判決、決算法律に関する一九八五年七月二四日判決などがあげられている。なお、一九七九年判決については、野村敬造「フランスの立法手続と憲法評議院」金沢法学二四巻二号四六頁以下を参照。
(7)  Ibid., p. 111.
(8)  Ibid., p. 111.  この具体例としては、違憲判決後、政治部門(政府および議会多数派)が政策の実現を強く求め、判決を尊重しながら法案の修正に取り組んだ国有化法(一九八二年)の事例があげられている。この場合、憲法院が国有化原理それ自体については違憲とはせず、資産評価や補償算定などのいわば技術的な問題だけを違憲としたことに注意すべきである(81-132 DC du 16 janvier 1982)。なお、この事例については、前章第一節1を参照。
(9)  Ibid., p. 116.
(10)  Ibid., p. 133.
(11)  Ibid., p. 143.
(12)  Ibid., p. 148. なお、ドラゴは、解釈的判決について、「指令解釈」(interpre´tation directive)と「無力化解釈」(interpre´tation neutralisante)を区別して論じている。「無力化解釈」とは、解釈により法律の意義や法的効果を取り除くことによって、違憲判決を避け、法律の効力を維持するものである。これは、「解毒」(retrait de venin)技術ともいわれるが、わが国の判例における合憲限定解釈に比較的近いものであると考えられる(voir ibid., pp. 167 et s.)。
(13)  Ibid., pp. 166 et s.
(14)  Ibid., p. 171.  また、ドラゴは、結論においても、憲法院の解釈技術の柔軟さは法律のよりよい目的と「法治国家」の尊重を確保するための公権力間の協働原理である、と述べている(ibid., p. 329)。
(15)  Ibid., pp. 191 et s.
(16)  Ibid., pp. 196 et s.
(17)  Ibid., p. 198.
(18)  Ibid., p. 211.
(19)  Ibid., pp. 213 et s.  たとえば、一九八二年の地方分権法判決(82-137 DC du 25 fe´vrier 1982)の事例をみてみると、無効の範囲がかなり不明確であったため、政府は、憲法院に質問し、判決の正しい解釈を憲法院から得たうえで通達を出している。なお、この事例については、前章
第一節2を参照。
(20)  Ibid., p. 215.
(21)  このような「調整機能」が実際にみられた事例としては、一九八二年の国有化法判決(81-132 DC du 16 janvier 1982)において、政府が、憲法院の判決にしたがって技術的・非政治的に法文の修正をおこなったことがあげられる(Guillaume Drago, op. cit., pp. 216 et s.)。なお、ドラゴが論じている「調整機能」は、ルソーが指摘していた政治論争の「法化」現象とほぼ同じものであると考えられる(Voir Dominique
Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 4e e´dition, Montchrestien, 1995, pp. 382 et s.)。ルソーのいう「法化」現象については、蛯原健介「フランスにおける『法治国家』論と憲法院」立命館法学二四六号一四八頁を参照。
(22)  Guillaume Drago, op. cit., pp. 216 et s.
(23)  Ibid., pp. 217 et s.  なお、一部違憲判決後に補完法律案が提出された具体例としては、前章第一節2(1)の各事例を参照。
(24)  Ibid., p. 218.
(25)  Ibid., p. 218.
(26)  Ibid., p. 328.
(27)  憲法院による法律の合憲性審査の制度的限界は、市民に提訴権が与えられていないことと事後審査が事実上不可能である点に存する(本稿第一章第三節参照)。このような制度的限界を克服するためにこころみられた憲法改正の挫折については、すでに言及した(同第一章第二節)。
(28)  「超憲法性」については、いくつかの定義が存在する。たとえば、セルジュ・アルネは、「憲法の内容に関する、規範の性格をもつ一定の原則または原理の優位性」と定義している(Serge Arne´, Existe-t-il des normes supra-constitutionnelles? dans RDP, 1993, p. 461.)。また、建石真公子氏によれば、「憲法制定権力をもってしても改正できない超憲法的価値の内容が憲法上存在することを、たとえば、自然法などにもとづいて主張し、また、憲法制定権力そのものも憲法上の権限であり、憲法を破壊する権限までもつものではない」とする理論である(建石真公子「憲法ブロックとマーストリヒト条約」法の科学二一号一八二頁)。しかし、いずれにしても、憲法改正権に一定の限界をおくことを目的とする点において一致する。
(29)  Louis Favoreu, Souverainete´ et supraconstitutionnalite´, dans Pouvoirs, n゜ 67, 1993, pp. 74 et s.  なお、ファヴォルーが一定の超憲法的規範を認めることにたいして、ジョルジュ・ヴデルは次のように批判している。第一に、フランスの実定法には憲法に優位する規範は存在しない。第二に、超憲法的法規範の概念は論理的に構成不可能である。第三に、「超憲法性」は民主主義的法秩序にとって危険である(Georges Vedel, Souverainete´ et supraconstitutionnalite´, dans Pouvoirs, n゜ 67, 1993, pp. 79 et s.)。「超憲法性」に関するファヴォルーおよびヴデルの所説については、山元一「最近のフランスにおける『憲法制定権力』論の復権」新潟大学法政理論二九巻三号一六頁以下および三七頁以下を参照。
(30)  最大判昭和四一年一〇月二六日刑集二〇巻八号九〇一頁。
(31)  最大判昭和四四年四月二日刑集二三巻五号三〇五頁。
(32)  たとえば、熊本地裁宮本裁判官の再任拒否事件(一九七一年)が想起される。なお、この事件については、さしあたり樋口陽一「裁判の独立」樋口陽一編『講座憲法学』(第六巻)日本評論社(一九九五年)四四頁以下を参照。
(33)  「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」については、ジュリスト一一一九号七一頁以下、法律のひろば一九九七年一一月号三六頁以下の立法紹介、さらに、常本照樹「アイヌ新法の意義と先住民族の権利」法律時報六九巻九号などを参照。
(34)  憲法的価値の矛盾・衝突に関するフランスにおける最近の研究として、Virginie Saint-James, La conciliation des droits de l’homme et des liberte´s en droit public franc dais, PUF, 1995 が存在する。ただし、ここでは、矛盾する人権および自由の調整につきペシミスティックな見解が示されている。



まとめにかえて−わが国への示唆−


  本稿で明らかにしたように、フランスにおける相互作用の特徴は、憲法院が政治部門の立法を積極的にコントロールするという「対抗関係」の存在とともに、政治部門が判決に応じて応諾措置を実現させ、また、判決に先行する立法過程においても、受動的・消極的な方法や能動的・積極的な方法を通じて、憲法の具体化に取り組むという「協働関係」の展開にある。したがって、相互作用をめぐるフランスの議論は、わが国で多くみられる見解のように、違憲審査機関の積極的なコントロールを求めるだけにとどまらず、憲法院判決に政治部門がどのように対応し、憲法の具体化を実現していくべきか、という問題にまで関心が払われており、その前提として、憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」の確立が論じられていたのである。
  それでは、フランスにおける相互作用のあり方から、どのような示唆をみちびくことができるのであろうか。本稿第一章第三節で触れたように、わが国の違憲審査制との制度的相違が存在することは否定できないが、違憲審査機関の積極的・消極的コントロールにたいして、政治部門がどのように対応し、憲法の具体化を実現するか、という問題は、フランスでも日本でも共通のものとして考えることができるであろう。このような観点から、最後に、わが国の司法と政治部門の間に確立されるべき「協働関係」と、これを通じて実現される憲法の具体化の可能性について若干検討することにしたい。
  1  最高裁違憲判決にたいする政治部門の対応
  あらためて指摘するまでもなく、最高裁判所が法律を違憲と判断した事例はきわめて少ない。すでに述べたように、@第三者所有物没収違憲判決(一九六二年一一月二八日(1))、A刑法の尊属殺重罰規定違憲判決(一九七三年四月四日(2))、B薬事法の距離制限規定違憲判決(一九七五年四月三〇日(3))、C公職選挙法の衆議院議員定数配分規定違憲判決(一九七六年四月一四日(4))、D公職選挙法の衆議院議員定数配分規定違憲判決(一九八五年七月一七日(5))、E森林法の共有林分割制限規定違憲判決(一九八七年四月二二日(6))の六件だけである。そして、これらの違憲判決にたいする政治部門の対応を分析してみると、(イ)早急に対応がとられたものと  (ロ)対応が不十分なものまたは遅れて対応がとられたものとに大きく分けられる。
  (イ)の早急な対応がとられたものとしては、法令違憲か適用違憲かで議論はあるが、一九六二年の第三者所有物没収違憲判決の事例があげられる。最高裁は、関税法一一八条一項が所有者たる第三者にたいして告知、弁解、防禦の機会を与えるべきことを定めずにその没収を規定していたことにつき、憲法三一条および二九条違反と判断した。この判決に応じて、一九六三年には、「刑事事件における第三者所有物の没収手続に関する応急措置法」が立法化された。その際、国会の衆議院法務委員会においては、「最高裁の違憲判決及び憲法第三十一条、第二十九条の意味、解釈問題、実体法である刑法、特別法並びに手続法の両面にわたり、没収制度のあり方について熱心な質疑がなされ(7)」たといわれる。衆議院法務委員会の上村委員長は、この法案について次のように報告している。「刑事事件における被告人以外の者の所有物の没収に関しましては、昨年十一月二十八日、最高裁判所大法廷は、告知、弁解、防御の機会を与える手続規定のない現行法制のもとで第三者の所有物を没収することは、憲法第三十一条、第二十九条に違反する旨の判決を言い渡しましたことは御承知のとおりであります。よって、現行の没収制度は根本的にこれを改正する必要がありますが、それにはかなりの日時を要しますので、本案はとりあえず右の違憲判決によって生じた障害を除去するための応急措置として、第三者保護の手続規定を設けようとするものであります(8)」。この法案の内容は、所有者たる第三者にたいして、事前参加を認め、意見陳述、立証、上訴などの権利を与えるとともに、没収の裁判が確定したときにはその裁判の取消請求を認めるものであった。違憲判決にたいするまさに「応急措置」であったこの法案は、政党間の対立を引き起こすこともなく、すみやかに可決された。
  また、一九七五年の薬事法の距離制限規定違憲判決の際も、「国会も行政もきわめて迅速に行動し\\ほぼ満点に近い(9)」対応がとられたとされる。最高裁は、「薬局の開設等の許可基準の一つとして地域的制限を定めた薬事法六条二項、四項(これらを準用する同法二六条二項)は、不良医薬品の供給の防止等の目的のために必要かつ合理的な制限を定めたものということができないから、憲法二二条一項に違反し、無効である」と判断した。そこで、国会において、判決後直ちに、「薬事法の一部を改正する法律案」が議員立法として提出され、同年六月六日に成立した。この法案は、違憲とされた条項を全面的に削除することを規定しており、その提出理由は以下の通りであった。「薬事法中薬局の開設等についての地域的制限に関する規定は憲法違反であるとの最高裁判所判決があつたことにかんがみ、これらの規定を削除する必要がある(10)」。この法案は、ほとんど異論なく可決されたが、行政側も、まず判決後に、適正配置条例の適用を中止する旨の文書を都道府県知事宛に発したのに続き、国会における改正案の成立後、その条例の廃止を求める通達を発している(11)。ところで、対応の方法としては、判決が距離制限という手段を違憲とし、立法目的については合憲とする判断を示したことから、必要かつ合理的な他の手段を検討することも可能であったと解される。しかし、政治部門は、そのような検討をおこなうことなく、規定の全面削除という違憲のおそれがない対応をとったのである。
  一九八七年に下された森林法の共有林分割制限規定違憲判決の場合も、国会は、早急に対応を実現している。判決によれば、森林法一八六条の共有林分割制限規定は、「森林の細分化を防止することによって森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もって国民経済の発展に資する」という立法目的との関係において、合理性も必要性も肯定できず、憲法二九条二項に違反し、無効とされた。判決後、直ちに「森林法の一部を改正する法律案」が内閣より提出されたが、その提出理由は、次の通りであった。「森林法中共有林の分割請求の制限に関する規定は憲法違反であるとの最高裁判所判決があつたことにかんがみ、当該規定を削除する必要がある(12)」。この法案は、違憲とされた森林法一八六条を全面削除することを規定していたが、すみやかに可決された。
  これにたいして、(ロ)の不十分な対応または遅い対応にとどまったものとしては、一九七三年の刑法の尊属殺重罰規定違憲判決の事例がある。多数意見は、刑法二〇〇条の合憲性について、次のように判断した。「尊属に対する尊重報恩は、社会生活上の基本的道義というべく、このような自然的情愛ないし普遍的倫理の維持は、刑法上の保護に値する」。「そこで、被害者が尊属であることを犯情のひとつとして具体的事件の量刑上重視することは許されるものであるのみならず、さらに進んでこのことを類型化し、法律上、刑の加重要件とする規定を設けても、かかる差別的取扱いをもってただちに合理的な根拠を欠くものと断ずることはでき」ない。しかし、「加重の程度が極端であって、前示のごとき立法目的達成の手段として甚だしく均衡を失し、これを正当化しうべき根拠を見出しえないときは、その差別は著しく不合理なもの」として違憲となる。そして、「刑法二〇〇条は、尊属殺の法定刑を死刑または無期懲役のみに限っている点において、その立法目的達成のため必要な限度を94ceかに超え、普通殺に関する刑法一九九条の法定刑に比し著しく不合理な差別的取扱いをするものと認められ、憲法一四条一項に違反して無効である」。すなわち、多数意見は、刑法二〇〇条の立法目的は合憲であるが、その目的達成手段である刑罰が重すぎて憲法一四条に反するというのである。また、この判決には、刑法二〇〇条の立法目的そのものを違憲と解するいくつかの少数意見が付されていた。
  この違憲判決を受けて、直ちに法制審議会において尊属加重規定の全面削除が提案され、閣議においても検討されたが、与党内部に反対意見が強く、改正案は国会に提出されるにいたらなかった。また、野党がいくつかの改正案を提出したものの、いずれも廃案になっており、一九九五年四月二八日に「刑法の一部を改正する法律」が成立するまで、二二年間にわたって立法的対応は実現されなかったのである(13)。ただし、行政側では迅速な対応がとられ、判決後に出された最高検察庁の指示にもとづき、尊属殺の事案についても普通殺に関する刑法一九九条が適用されるようになった(14)
  ようやく実現された一九九五年の刑法改正においては、刑法二〇〇条の尊属殺重罰規定そのものが削除され、さらに、この判決以後も合憲と判断されていた(15)刑法二〇五条二項の尊属傷害致死罪も削除された。多数意見が、立法目的については合憲と判断していたからには、尊属殺の法定刑の下限を普通殺よりもやや重い四年ないし五年に引き下げることも対応措置のひとつの選択984cとして考えられるであろう。実際、そのような改正で十分であると認識していた与党議員も少なくなかった。
  しかし、改正にあたって、法務省事務当局は、以下のような検討をおこなった。尊属殺の事案については、違憲判決後二二年間にわたって普通殺の規定(死刑、無期もしくは三年以上の懲役)が適用されてきたことを考慮すれば、普通殺よりも重い法定刑を新たに定めることは実質的な刑の引き上げになる。また、尊属殺の事案をみてみると、被告人に酌量すべき事件が少なくなく、普通殺よりも重い法定刑を定めることは適当ではない。そして、尊属殺規定を削除するのであれば、尊属傷害致死などの尊属加重規定をそのまま存置することはバランスを欠くことになる。尊属殺と同様、尊属傷害致死の事案にも被告人に酌量すべき事件が少なくない、というのである(16)
  以上のような検討にもとづいて、尊属加重規定はすべて削除されることになった。違憲判決にたいする対応はあまりにも遅かったが、この点では、国会は、多数意見の内容にしたがい目的達成手段のみを修正するのではなく、より厳格な少数意見にも対応したかたちで、立法目的についても再検討し、対応措置をとったものといえよう(17)
  他方で、いわゆる議員定数不均衡に関する違憲判決については、政治部門は、判決に前後して、決して十分ではないものの、対応措置として公職選挙法の改正をこころみている。一九七六年の衆議院議員定数配分規定違憲判決の際には、四・九九倍の定数較差が違憲と判断されたが、国会は最高裁判決の前年に公職選挙法を改正し、二〇人増による定数是正をこころみており、較差は二・九倍にまで抑えられている。また、一九八五年の衆議院議員定数配分規定違憲判決の際には、四・四〇倍の定数較差が違憲と判断されたが、国会は一九八六年に公職選挙法を改正し、「八増七減」をおこなった結果、同年七月六日の総選挙では、二・九二倍の較差に抑えられている。これらの対応の内容については、おおむね三倍以内の較差であれば合憲とする最高裁判例に照らせば、十分であるとも考えられないではない。しかし、学説の多くが二倍以上の較差を違憲とみなし、さらに一対一を求める見解(18)も有力に主張されていることにかんがみれば、この対応はなお批判の対象となるであろう。その後、政治部門は、一九九四年の「政治改革」法にもとづく小選挙区比例代表並立制の導入にあたって、小選挙区部分の最大較差を二倍以内に抑えようとしたが、実際におこなわれた一九九六年一〇月二〇日の総選挙ではこれを超える較差が生じており、今後の対応が課題となっている。
  なお、形式的には違憲判決ではないが、憲法の間接適用によって実質的な違憲判決が下され、判決後に対応措置がとられた事例として、一九八一年三月二四日の「日産自動車女子若年定年制事件」判決(19)がある。最高裁は、憲法一四条一項を参照しながら、「就業規則中女子の定年年齢を男子より低く定めた部分は、専ら女子であることのみを理由として差別したことに帰着するものであり、性別のみによる不合理な差別を定めたものとして民法九〇条の規定により無効であると解するのが相当である」と判断した。その後、一九八五年になって、男女雇用機会均等法が立法化され、その一一条において男女別定年制の禁止が規定された。ただし、同法の立法化を促した最大の要因は、この判決ではなく、むしろ同年批准された女性差別撤廃条約であると考えられる。
  また、委任立法の限界という憲法問題に関連したものとして、一九九一年七月九日の監獄法施行規則幼年者接見禁止規定判決(20)がある。最高裁は、監獄法施行規則一二〇条および一二四条の各規定は、未決勾留により拘禁された者と一四歳未満の者との接見を許さないとする限度において、監獄法五〇条の委任の範囲を超え、無効であると判断した。この判決にしたがって、平成三年法務省令二二号は、違法とされた監獄法施行規則の条項を削除・修正しており、在監者と幼年者の接見は大幅に自由化されたのである。
  2  下級審違憲判決にたいする政治部門の対応
  わが国の場合、下級裁判所が違憲審査権を有することは認められており、決して多くはないが、政治部門が下級裁判所の違憲判決に応諾し、憲法の具体化がはかられた事例も存在する。
  そのような事例としては、一九五九年五月二八日の「交通事故報告義務訴訟」神戸地裁尼崎支部判決があげられる。この判決では、事故の内容および事故について講じた措置を警察官に報告する義務を定める道路交通取締法施行令六七条二項は、自己の刑事責任に関する不利益な供述を義務づけるものであり、憲法三八条一項に反するとされた。その後、合憲とする判決が現れるようになったが、国会は、一九六〇年、道路交通取締法に代わる道路交通法の立法化に際して、報告すべき事項の具体化をこころみ、交通事故発生の日時・場所、死傷者の数および負傷者の負傷の程度、損壊した物および損壊の程度、事故について講じた措置に限定している。なお、その後一九六二年五月二日に下された最高裁判決は、「『事故の内容』とは、その発生した日時、場所、死傷者の数及び負傷の程度並に物の損壊及びその程度等、交通事故の態様に関する事項を指すものと解すべきである」としており、道路交通法の新たな規定の字句を援用して合憲解釈をおこなったのである(21)
  また、社会保障の領域においても、下級裁判所の違憲判決に対応して、政治部門が何らかの応諾措置をとることがあった。たとえば、国民年金法が定めた老齢福祉年金の夫婦受給制限を争った「牧野訴訟」が想起されよう。東京地裁は、一九六八年、「夫及び妻がともに老齢福祉年金(その額の全部または一部につき支給を停止されているものを除く)を受けることができるときは、その期間、夫及び妻に支給する老齢福祉年金は、それぞれの年金額のうち三〇〇〇円に相当する部分の支給を停止する」という国民年金法七九条の二第五項の規定を違憲と判断した(22)。判決は、この夫婦受給制限規定について、次のように述べている。「老齢者の生活ならびに生活費の実態についての諸統計調査を検討した場合、老齢者夫婦が低所得の扶養義務者の生活を圧迫し、夫婦者の老齢者が単身の老齢者より一層みじめな生活を送っており、老齢福祉年金があまりにも低額であること等が認められる。このような現状の下でさらに三〇〇〇円を減額するのは財政上の都合からあえて実態に目をおおうものであり、差別すべき合理的理由は認められない」。この判決に応じて、翌年、国会は、違憲と判断された夫婦受給制限規定を廃止する法改正をおこなうにいたった。なお、これとともに、老齢福祉年金額は、二万四〇〇円から二万一六〇〇円に引き上げられ、さらに、障害福祉年金額も三万二四〇〇円から三万四八〇〇円に、母子福祉年金額も二万六四〇〇円から二万八八〇〇円に引き上げられている。
  一九七二年の「堀木訴訟」第一審判決(23)においては、国民年金法にもとづく障害福祉年金を含む公的年金給付との併給を禁じる児童扶養手当法四条三項三号の規定が違憲と判断された。そして、国会は、翌年、「児童扶養手当法及び特別児童扶養手当法の一部を改正する法律案」を立法化し、公的年金給付のうち障害福祉年金・老齢福祉年金との併給を可能にさせ、さらに、児童扶養手当額および特別児童扶養額を四三〇〇円から六五〇〇円に引き上げたのである。しかし、この改正について、当局側は、違憲判決との関係を否定していたといわれる(24)。実際に、一九八二年の最高裁判決(25)において、広い立法裁量が認められ、併給禁止規定が合憲と判断された後、国会は、再度法改正をおこない、障害福祉年金との併給を再び禁止するにいたった。したがって、政治部門は立法裁量として併給を認めたにすぎず、第一審の違憲判決に積極的に応諾したわけではなかったといえよう。
  また、一九六〇年の「朝日訴訟」第一審判決(26)は、直接的に違憲判断を示してはいないが、厚生大臣の定める生活扶助基準が生活保護法に照らして不十分であるとした。そして、この判決を契機に、厚生省は、保護の水準・内容を大幅に改善している(27)。ただし、このような対応の背景には、日本の高度経済成長があったことに留意する必要があるだろう。
  その他の事例としては、訴訟提起後、第一審の違憲判決(28)に先行して政治部門の対応がとられた在宅投票制度の一部復活があげられる。また、行政的対応にとどまるが、「津地鎮祭訴訟」控訴審判決後、公官庁の神式地鎮祭が一般的に自粛されるようになったこと、第一審・控訴審において原告勝訴の判決が下された「自衛隊合祀訴訟」を受けて、自衛隊が積極的に合祀申請をすることはなくなったことが指摘されている(29)。さらに、一九九七年四月二日に最高裁においても違憲判決が下された「玉ぐし料訴訟」に関しては、訴訟の提起や下級審での違憲判決(愛媛地裁・仙台高裁)を受けて、多くの自治体は玉ぐし料の公金支出をやめている。
  ところで、現在、下級裁判所において違憲と判断された規定について、政治部門が改正作業を進めている事例としては、民法九〇〇条四号但書の非嫡出子相続分規定をあげることができる(30)。非嫡出子の相続分を嫡出子の二分の一とするこの規定について、東京高裁は、一九九三年六月二三日、憲法一四条に反するとして、違憲判断を示し(31)、さらに、一九九四年一一月三〇日にも再び違憲判決を下すにいたった(32)。このような判例の動向ともあいまって、法制審議会民法改正部会は、一九九四年七月、嫡出子・非嫡出子の相続分を同等とする方向での改正試案(婚姻制度等に関する民法改正要綱試案)を公表した(33)。そして、最高裁が一九九五年七月五日に合憲判断を示したものの(34)、政治部門は、このような法改正のための準備を少しずつ進めているようである。なお、一九九六年一月一六日に法制審議会民法改正部会が発表した「民法の一部を改正する法律案綱領案」においても、「嫡出でない子の相続分は、嫡出である子の相続分と同等とするものとする」とされ、民法九〇〇条四号但書は、改正の対象になっている(35)
  しかし、その他の多くの下級審違憲判決についていえば、政治部門は、何らかの対応を求められる場合であっても、必要な対応措置を実現しておらず、最高裁判所の終局的な合憲判決が下されるとともにその結果に安住してしまうことがほとんどである。たとえば、松江地裁出雲支部および広島高裁松江支部などにおいて違憲と判断された公職選挙法の戸別訪問禁止規定については、最高裁が合憲判決を繰り返していることもあり、いまだに対応措置が実現されていない。一九六七年一一月の選挙制度審議会第五次答申のなかで戸別訪問を解禁するのが適切であるとされ(36)、一九九一年にも戸別訪問の解禁が検討されたが、法案提出にはいたらなかったという(37)。そして、一九九三年の政権交代後、当時の非自民連立与党によって提出された政治改革関連法案は、戸別訪問の解禁を定めていたが、当時野党であった自民党の反対により法案から削除されてしまった。しかも、その法案の審議は、下級審違憲判決にたいする対応、あるいは戸別訪問禁止規定の違憲性という観点からおこなわれたのではなかった(38)
  さらに、すでに述べたように、政治部門が下級審の違憲判決に対応するどころか、判決を公然と批判したり、裁判官に圧力をかけるなどの対抗措置に及ぶことさえある。たとえば、教科書検定訴訟のいわゆる杉本判決にたいする文部省の対応が想起されよう。
  このように、下級裁判所と政治部門の「協働関係」は、かならずしも十分に機能していない。政治部門は、下級審判決において違憲と判断された条項については、仮にその後、最高裁判所が立法の広い裁量を認めて合憲と判断した場合であっても、あらためて検討し、必要な立法措置をとることが、「協働関係」の一環として求められるのである。
  3  最高裁判決反対意見にたいする政治部門の対応
  最高裁判決において、合憲判断を示す多数意見にたいして違憲判断を示す反対意見が付され、そのなかで政治部門が対応すべき問題が明らかにされることがある。ここでは、反対意見が付された最近の最高裁判決に言及しておきたい。
  一九九五年七月五日の非嫡出子相続分規定大法廷決定において、多数意見は立法府の裁量を認めて合憲判断を下したが、これにたいして反対意見(中島、大野、高橋、尾崎、遠藤各判事)は、次のように民法九〇〇条四号但書を違憲とする見解を述べていた。

「婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的であるとすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、\\憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。\\出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段との実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである」。「\\本件規定は、国民生活や身分関係の基本法である民法典の中の一条項であり、強行法規ではないとはいえ、国家の法として規範性をもち、非嫡出子についての法の基本的観念を表示しているものと理解されるのである。そして本件規定が相続の分野ではあっても、同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本件規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない」。
  このようにして、反対意見は、民法九〇〇条四号但書が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定めていることが憲法一四条一項に違反して無効である、とした。五人もの裁判官がこの規定の違憲性を主張している以上、政治部門は、この規定の削除を早急に検討し、非嫡出子相続分差別の解消に取り組むことが、「協働関係」の観点からも求められるであろう。なお、本判決では、当該規定の合憲性を認める補足意見のなかでも政治部門の対応が要請されているが、これについては後述する。
  次に、一九九五年六月八日の衆議院議員定数配分に関する小法廷判決(39)に付された反対意見をみてみよう。多数意見が二・八二倍の最大較差を合憲としたのにたいして、高橋判事と遠藤判事は、次のような反対意見を出している。
  許容される較差の限界は、「一対二ないしこれに限りなく近い数値にとどまること」であるが、一対二・一九という較差にとどまった昭和三九年七月の改正の「後の較差は、いずれも一対二をはるかに超えるものであって、到底憲法の要求を満たしているとは考えられない\\」。したがって、一対二・八二という本件最大較差は、「憲法の選挙権の平等の要求に反する状態にあったと判断せざるを得ない。また、このような状態が少なくとも三〇年近くの長きにわたって継続していたのであるから、国会に認められた是正のための合理的期間をはるかに超えていたことは明らかであり、本件定数配分規定は憲法に違反するものであったというべきである」。
  五人中二人の裁判官が提示したこの反対意見にしたがえば、政治部門は対応措置としてすみやかに定数是正の実施を求められることになる。この判決に先立つ一九九四年三月四日に小選挙区比例代表並立制の導入を内容とする法案が成立し、政治部門は最大較差が二倍以内に抑えられるような定数配分をこころみたが、すでに指摘したように、一九九六年一〇月二〇日の総選挙においては二倍を超える較差が生じている。
  同様に、一九九六年九月一一日の参議院議員定数配分に関する大法廷判決(40)においても、園部判事の意見(41)、大野、高橋、尾崎、河合、遠藤、福田各判事の反対意見が付されている。多数意見は、六・五九倍の最大較差について、「もはや到底看過することができ」ず、「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態」であるとしながらも、較差是正のための相当期間は経過していないとして、結局、本件定数配分規定を合憲と判断した。これにたいして、六人の裁判官の反対意見は、各選挙区に一律配分された二議席分と、人口に比例して付加配分された議席とを区別して考察し、「遅くとも、議員一人当たりの選挙人数の最大較差が五倍を超え、付加配分区間における定数二人を超える議員一人当たりのそれが三倍を超える状況が定着したとみられる昭和五〇年代半ばころまでには、平等原則に反する違憲状態となっていたものであり、本件選挙当時、国会における是正のための合理的期間をはるかに超えていた」として違憲の結論にいたるものであった。
  政治部門は、このような反対意見や、合憲と判断しながらも批判的な「メッセージ」を含む多数意見に直接対応したわけではないが、一九九三年一二月二六日、大阪高裁が六・五九倍の最大較差を違憲と判断した(42)こともひとつの契機となって、この判決に先立って、一九九四年六月二三日の公職選挙法改正により「八増八減」の定数是正をおこなっており、その結果、最大較差は四・八一倍に抑えられている。しかし、遠藤判事の追加反対意見によれば、この改正によってもなお「四人区以上の選挙区間の較差が最大で三倍を超える選挙区が依然として三選挙区も存在するのであるから、右の改訂によりその違憲状態が解消されたとみることは困難である」とされることから、政治部門の対応措置は十分であったとはいえないであろう。
  4  「メッセージ」型合憲判決における立法的対応の示唆
  これまで述べてきたことから、最高裁の違憲判決はもちろん、下級審の違憲判決や最高裁判決に付された反対意見が提起した問題についても、政治部門が問題解決に向けて何らかの対応を求められる場合があることが明らかにされた。同様のことは、いくつかの合憲判決についても考えられるのではないだろうか。裁判所は、立法の裁量であるとして合憲判決を下す一方で、解決すべき問題が存在することを認識し、判決のなかで政治部門に向けて何らかの立法的対応を示唆することもある。このような裁判所の「メッセージ」については、司法消極主義につながるとして否定的にとらえる見解もみられるが(43)、かならずしも批判されるべきものでもなく、司法と政治部門の相互作用のひとつのあり方として認めていく必要があろう。
  「メッセージ」型合憲判決は、数多く存在し、実際に政治部門によって対応がはかられたこともある。しかし、本稿では、最近の代表的事例を取り上げるにとどめ、裁判所が示した「メッセージ」およびそれにたいする政治部門の対応についての全面的検討は別稿に譲ることにしたい。
  「メッセージ」型合憲判決にたいして実際に立法的対応が実現された最近の事例としては、一九九一年三月二九日の少年審判手続における不処分決定に関する最高裁決定(44)が想起される。この決定では、非行事実が認められないことを理由とする不処分決定は、刑事補償の対象となる「無罪の裁判」(刑事補償法一条一項)には当たらないと解すべきであり、そのように解しても憲法四〇条および一四条には反しない、とされた。しかし、これには、以下のように立法的対応を求める園部判事の意見が付されていた。
「私は、憲法四〇条の規定の趣旨は、形式上の無罪の確定判決を受けたときに限らず、公権力による国民の自由の拘束が根拠のないものであったことが明らかとなり、実質上無罪の確定判決を受けたときと同様に解される場合には、国に補償を求めることができることを定めたものと解する者であって、本件のような非行事実が認められないことを理由とする少年法上の不処分決定について国による補償の制度を設けることはもとより可能であり、また望ましいことであると考える。しかしながら、そのような制度を設けるか否かは、国の立法政策に委ねられた事柄であ」る。
  この意見を契機として、政治部門は、翌年には「少年の保護事件に係る補償に関する法律案」の立法化に踏み切っている。この法案をつくるにいたった背景について、濱政府委員は、衆議院法務委員会において次のように述べた。「昨年三月二十九日の最高裁の第三小法廷の決定がございまして、その最高裁決定の意見の中で、立法論としてこのような少年保護事件手続における補償制度をいうものを設けることが望ましいという意見が付されたわけでございます。そのようなことも踏まえまして、今回、少年の保護事件手続における補償制度というものを立法化したいというふうに考えるようになった次第でございます(45)」。しかし、他方で、「少年補償についてどのような構成をとるかということは専ら立法政策の問題であるというふうに考えているわけでございます。少年補償の目的さらにはそのよって立つ少年審判手続の目的あるいは性格を考慮して決定すべき事柄である(46)」とされ、立法裁量としての対応であることが強調されている。この法案は、ほとんど異論なく可決され(47)、「メッセージ」の内容が忠実に立法化されることとなったのである。
  しかしながら、わが国では、「メッセージ」型合憲判決にたいする政治部門の対応は一般的に消極的であり、多くの場合、対応措置が実現されていないのが現状である。そのような事例をいくつか見ておこう。
  一九九五年二月二八日の定住外国人選挙権に関する最高裁判決(48)において、一定の立法的対応を示唆する注目すべき「メッセージ」が示された。
「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である」。
  この判決においては、定住外国人にたいする選挙権付与は「専ら国の立法政策にかかわる事項」とされ、結局違憲判決にはいたらなかった。しかし、判決は、定住外国人にたいして地方参政権を付与することが憲法上可能であることを認め、政治部門に何らかの立法的対応の検討を要請していると解される。したがって、政治部門は、合憲判決の結果に安住するのではなく、このような「メッセージ」の意味を重くとらえて、定住外国人の選挙権について、積極的に立法を検討することが要請されるのである。
  また、一九九五年七月五日の非嫡出子相続分規定最高裁決定においても、いくつかの補足意見が付された。まず、大西判事の補足意見(さらに園部判事が同調)は、以下のようなものである。
「非嫡出子の相続分をめぐる諸事情は国内的にも国際的にも大幅に変容して、制定当時有した合理性は次第に失われつつあり、現時点においては、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているとまではいえないとしても、本件規定のみに着眼して論ずれば、その立法理由との関連における合理性は、かなりの程度に疑わしい状態に立ち至った」。
  また、千種判事と河合判事の補足意見によれば、「本件規定も制定以来半世紀を経る間、非嫡出子をめぐる諸事情に変容が生じ、子の権利をより重視する観点からその合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである」が、「これに対処するには、立法によって本件規定を改正する方法によることが至当である」。そして、「本件規定は親族・相続制度の一部分を構成するものであるから、これを変更するに当たっては、右制度の全般に目配りして、関連する諸規定への波及と整合性を検討し、もし必要があれば、併せて他の規定を改正ないし新設すべきものである。また、本件規定に基づく相続関係の処理は、過去長年にわたって行われてきたし、現在も行われつつある以上、近い将来を見越しての準備もされていると思われる。したがって、本件規定を変更する場合、その効力発生時期ないし適用範囲の設定も、それらへの影響を考慮して、慎重に検討すべき問題である。これらのことは、すべて、国会における立法作業によって、より適切になし得る事柄であり、その立法の過程を通じて世論の動向を汲み取るとともに、国民に対し、改正の趣旨と必要性を納得させ、周知させることもできる」とされた。
  これらの補足意見は、民法九〇〇条四号但書を合憲としながらも、他方では、その規定の合理性は「かなりの程度に疑わしい状態に立ち至った」と論じたり、「合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである」とし、それを十分なものと解しておらず、政治部門にたいして法改正を暗示的に要請している。したがって、政治部門は、このような「メッセージ」を受けて、すみやかに法改正を検討することが求められよう。
  ところで、下級審判決においても、さまざまなかたちで立法的対応が求められている。たとえば、東京地裁は、一九九六年五月二九日、外国人の緊急医療保護に関する判決(49)において、次のように、政治部門の立法政策にたいする提言を示している。
「人の生存自体は人権享有の前提となるのであって、その性質上日本国民のみを対象としているものを除く、人であることによって認められる基本的人権は国籍又は在留資格の有無を問わず尊重されるべきであるから、わが国に在留する資格の有無にかかわらず、生存そのものの危機に瀕している者の救護は法律上の配慮を受けるべきものといえよう。\\生死に関わる緊急の場合の外国人に対する医療扶助については、わが国における生活の自立向上を目的とするものでなくても、本来の生活の本拠へ移動すべき過程にある者の人道的救護として、生活保護と行旅病人救護との中間領域の問題として立法的検討の余地があるといえる」。
  判決は、外国人にたいする生活保護法の不適用を違法とは判断しなかったが、在留資格の有無に関係なく生存の危機に瀕している者の救援が法律上の配慮を受けるべきこと、生死に関わる緊急の場合の外国人にたいする医療扶助の問題について立法的検討の余地があることが判決に明示された以上、政治部門は、このような司法の「メッセージ」に応じて、外国人の緊急医療保護について積極的に立法を検討することが求められるのである。なお、同様の「メッセージ」が付された判決としては、本件控訴審判決である東京高裁一九九七年四月二四日判決のほか、神戸地裁一九九五年六月一九日判決がある。
  わが国では、合憲判決が下された場合、司法消極主義あるいは違憲判断消極主義だとして、その判決、さらには司法の態度が激しく批判されることが少なくない。たしかに、フランスと比較して明らかなように、わが国においては、司法、とくに最高裁が違憲判決を下すことがきわめてまれであることから、そのような批判がなされるのはごく自然なことである。そして、厳格な審査をおこなわずに、政治部門の立法にたいして「合憲の祝福(50)」を与えるようないわば「お墨付き」型合憲判決は、厳しく批判されてしかるべきである。他方で、厳格な審査をおこなった結果として合憲と判断された場合であっても、なお一定の立法的対応が示唆されたときには、政治部門は、合憲の結果に安住するのではなく、少なくとも示唆された内容についての検討をおこなう必要がある。
  ところで、ここで論じたような司法の「メッセージ」とそれにたいする政治部門の対応は、いわば「ボール」のやりとりにたとえることができる。すなわち、合憲判決が下されても、判決において何らかの立法的対応が示唆されたとき、「メッセージ」を含んだ「ボール」が司法から政治部門に投げられることになる。本稿で取り上げた事例にそくしていえば、定住外国人への選挙権付与、非嫡出子の相続分差別規定の廃止、外国人の緊急医療保護などの憲法問題について立法的対応を示唆する「メッセージ」が「ボール」として司法から政治部門に投げられている。したがって、政治部門は、合憲判決の結果に安住し、みずからに向けて投げられた「ボール」を前に目を閉じるのではなく、投げられた「ボール」にたいして、いかに「レシーブ」すべきかを考えながら、すみやかに行動に移さなければならない。「メッセージ」型合憲判決が下された場合には、政治部門が、このような「ボール」を次々と「レシーブ」し、憲法問題の解決に取り組んでいくことが要請されるのである。
  5  まとめと今後の課題
  本稿では、違憲審査機関と政治部門の相互作用につき、「対抗関係」と「協働関係」という二つの側面から分析をこころみた。わが国では、違憲判決そのものが少なかったため、これまでは司法の積極的コントロールを求めて政治部門にたいする「対抗関係」の確立がしばしば主張されてきた。そして、この意味での「対抗関係」にもとづく司法の積極的コントロールこそが憲法具体化の唯一の方法であるかのような幻想すらわが国の憲法学の一部には存在していたように思われる。しかし、繰り返し論じてきたように、現代国家においては、かならずしも政治部門にたいする「対抗関係」だけによって憲法的価値が具体化されるわけではない。本稿において詳細に分析したとおり、フランスでは、憲法院が積極的に政治部門の立法をコントロールし(法律にたいする人権保障)、政治部門にたいする「対抗関係」が確保される一方で、政治部門も、憲法院の積極的・消極的コントロールに直接的・間接的に対応して、合理的な立法政策を通じて憲法の具体化をこころみる(法律による人権保障)という「協働関係」がみられた。さらに、憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論をみてみると、憲法院による積極的コントロールを求め、そこから不可避的に生じる「対抗関係」の存在を認める一方で、それを超えた「協働関係」の確立を通じて、政治部門による憲法の具体化を追求していることに共通の特徴があった。政治部門にたいする司法の「対抗関係」が欠如しているとされるわが国でも、このような「協働関係」が機能する条件を整えたうえで、それを通じて、憲法の具体化をみちびくことも決して不可能ではないと解される。
  以上のことをふまえたうえで、相互作用のあり方についての一定の命題がみちびかれる。第一に、違憲審査機関が積極的なコントロールをおこない、違憲判決を下した場合、政治部門は違憲とされた法律をすみやかに改廃することが求められる。わが国においては、最高裁判所が違憲判決を下した場合だけでなく、下級審で違憲判決が出されたとき、さらには反対意見が付されたときなども、政治部門は、法改正を検討する必要がある。第二に、違憲審査機関が消極的なコントロールにとどまり、合憲判決を下した場合についても、政治部門は対応措置の検討を求められることが少なくない。とりわけ、何らかの立法的対応が示唆された場合には、政治部門は、合憲判決の結果に安住するのではなく、立法的対応の必要性を検討し、問題解決に取り組むことが求められよう。また、合憲と判断されたものの、法文の不明確性のゆえに留保条件や解釈が付されたときには、政治部門は、憲法の観点から法文の明確化に努めなければならず、さらに、立法に際しては、違憲の疑いをできるだけ少なくするよう求められる。このような相互作用のあり方は、フランスのみならず、現代国家に普遍的に要請されるであろう。
  しかし、本稿の考察においては、いくつかの重要な事項について十分な検討をおこなうことができなかった。今後の課題としては、次の二点をあげておきたい。
  第一に、本稿が分析の対象としたのは、フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用であり、それを素材として「対抗関係」と「協働関係」という相互作用の二つの側面を析出し、後者に憲法の具体化の可能性をみいだしたが、これが現代国家に普遍的に要請される相互作用であることをさらに明確にする必要がある。
  第二に、本稿においては、フランスにおける相互作用の研究に力点がおかれ、わが国の相互作用については十分な検討をおこなうことができなかった。わが国の相互作用を検討するにあたっては、とりわけ合憲判決における「メッセージ」に関する評価が問題になるであろう。「合憲か違憲か、もしくは憲法上の要請か否かを明確に指摘」する、いわゆる「厳格憲法解釈論(51)」からすれば、このような司法の態度はおそらく批判の対象となるかもしれない。ただし、この見解については、違憲・合憲の二者択一を司法に求める結果として、合憲判決の「お墨付き」効果をより強化し、政治部門の「合憲判決安住主義」をもたらすおそれが指摘されよう。また、合憲判決が訴訟外的効果を生じさせることに関する奥平康弘教授の以下のような批判も慎重に検討しなければならない。「日本の憲法訴訟にあっては、\\訴訟外的な効果の持つ比重が意外に大きく、これあるがために司法審査は−あえていえば、辛うじて−その存在意義が認められており、これあるがために存外、裁判所は−いわば、安んじて−司法消極主義に徹し得ているのかもしれない(52)」。しかし、司法が厳格にコントロールすることができず、政治部門の立法政策によって問題解決がはかられるべき領域が存在することは明らかであり、そのような領域については、政治部門に向けられた司法の「メッセージ」を手がかりとして、立法的対応のあり方を明らかにすることが課題となるはずである。この意味では、従来の立法裁量論の批判的検討にも取り組む必要がある。
  したがって、最後に、わが国の判例を再検討することが不可欠である。下級審の違憲判決や最高裁判決に付された反対意見、さらには、合憲判決のなかで立法的対応が示唆された場合を中心に、政治部門に向けられた司法の「メッセージ」を明らかにしなければならない。本稿では、限られた判例にしか触れることができなかったが、これもまた今後の課題として残される。

(1)  最大判昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一五九三頁。
(2)  最大判昭和四八年四月四日刑集二七巻三号二六五頁。
(3)  最大判昭和五〇年四月三〇日民集二九巻四号五七二頁。
(4)  最大判昭和五一年四月一四日民集三〇巻三号二二三頁。
(5)  最大判昭和六〇年七月一七日民集三九巻五号一一〇〇頁。
(6)  最大判昭和六二年四月二二日民集四一巻三号四〇八頁。
(7)  昭和三八年六月一一日衆議院会議録三二号五頁。
(8)  同五頁。
(9)  野中俊彦「判決の効力」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第三巻)有斐閣(一九八七年)一三〇頁。
(10)  昭和五〇年五月二九日衆議院会議録二四号一二頁。
(11)  和田英夫「違憲判決の効力をめぐる論理と技術」法律論叢四八巻四・五・六号二〇頁以下を参照。
(12)  昭和六二年五月二〇日衆議院会議録一九号(二)五二七頁。
(13)  国会における対応が放置された原因として、大林文敏教授は、判決の内容が一義的ではないこと、政党間の意見の一致がないこと、行政部の早急な対応措置により実務上の不都合が生ぜず、かつ国会の放置状態が国政上直ちに重大・緊急な事態を招くことがないことを指摘している。この点につき、大林文敏「憲法判断のインパクト論」芦部信喜編・前掲書二七四頁以下。
(14)  行政側の対応につき、和田英夫・前掲論文一六頁以下を参照。
(15)  たとえば、最一判昭和四九年九月二六日刑集二八巻六号三二九頁。
(16)  亜生光洋・井上宏・三浦透・園部典生「刑法の一部を改正する法律について」ジュリスト一〇六七号二二頁。
(17)  ただし、政府は、尊属加重規定を設けるか否かは立法政策に委ねられた事項であるとしており、少数意見を全面的に受け入れているわけではない。たとえば、参議院本会議における村山首相の答弁を参照(平成七年四月一四日参議院会議録一六号一一頁以下)。これにたいして、参考人や一部の議員は、憲法上の要請として尊属加重規定の削除を求めている。
(18)  たとえば、辻村みよ子『「権利」としての選挙権』勁草書房(一九八九年)三一頁以下。
(19)  最三判昭和五六年三月二四日民集三五巻二号三〇〇頁。
(20)  最三判平成三年七月九日民集四五巻六号一〇四九頁。
(21)  最大判昭和三七年五月二日刑集一六巻五号四九五頁。
(22)  東京地判昭和四三年七月一五日行集一九巻七号一一九六頁。
(23)  神戸地判昭和四七年九月二〇日行集二三巻八・九号七一一頁。
(24)  奥平康弘『憲法裁判の可能性』岩波書店(一九九五年)一四〇頁を参照。
(25)  最大判昭和五七年七月七日民集三六巻七号一二三五頁。
(26)  東京地判昭和三五年一〇月一九日行集一一巻一〇号二九二一頁。
(27)  生活保護の日用品費基準額をみてみると、一九五三年以降四年間も据え置きにされていたが、一九五七年の訴訟提起から少しずつ改訂されるようになり、第一審判決(一九六〇年一〇月)直後の第一七次改訂(一九六一年四月)の際には、月額七〇五円から一〇三五円へと五〇%近い増額がはかられた。また、一九六一年以降、生活必要経費算定方式として、従来のマーケット・バスケット方式に代わってエンゲル方式が採用されるようになった。なお、改善の内容については、新井章『体験的憲法裁判史』現代史出版会(一九七七年)一九五頁、奥平康弘・前掲書
一三八頁を参照。
(28)  札幌地小樽支判昭和四九年一二月九日判例時報七六二号八頁。
(29)  小林武「憲法訴訟と立法権の関係をめぐる若干の問題」南山法学九巻三号七頁、戸松秀典『プレップ憲法』(第二版)弘文堂(一九九四年)一六四頁、同「憲法裁判の効果」法学教室一九五号四〇頁。
(30)  非嫡出子差別の合憲性に関する研究は多数存在するが、ここではさしあたり以下の文献をあげておく。二宮周平「『非嫡出子』の相続分差別撤廃へ向けて(一・二)」立命館法学二二三・二二四号、二二五・二二六号、長尾英彦「非嫡出子差別の一側面」中京法学三〇巻一号一頁以下、君塚正臣『性差別司法審査基準論』信山社(一九九六年)三〇九頁以下。
(31)  東京高決平成五年六月二三日判例時報一四六五号五五頁。
(32)  東京高判平成六年一一月三〇日判例時報一五一二号三頁。
(33)  この改正試案の内容につき、ジュリスト一〇五〇号二一四頁以下を参照。
(34)  最大判平成七年七月五日判例時報一五四〇号三頁。
(35)  この要綱案の内容につき、ジュリスト一〇八四号一二六頁以下を参照。また、ジュリスト一〇八六号六頁も参照。
(36)  戸松秀典『立法裁量論』有斐閣(一九九三年)三一三頁以下。
(37)  藤田達朗「戸別訪問禁止をめぐる国会審議と立法事実」政策科学三巻三号一四九頁。
(38)  この法案の審議内容につき、藤田達朗・前掲論文が詳細な紹介をおこなっている。
(39)  最一判平成七年六月八日判例時報一五三八号一八五頁。
(40)  最大判平成八年九月一一日ジュリスト一一〇一号八八頁、法学教室一九六号二六頁。
(41)  園部判事の意見は、二人区と他の選挙区との間に存する定数不均衡は違憲の問題を生じないが、定数四人以上の選挙区においては一対四の較差を超える場合は違憲になるとし、定数四人以上の選挙区間において一対四・五四の較差をもたらした本件定数配分規定を違憲とするものである。
(42)  大阪高判平成五年一二月一六日判例時報一五〇一号八三頁。
(43)  たとえば、奥平康弘・前掲書一三六頁など。
(44)  最三決平成三年三月二九日刑集四五巻三号一五八頁。
(45)  第一二三回国会衆議院法務委員会会議録一〇号二頁。
(46)  同一〇号三頁。
(47)  しかし、園部判事の意見が示されるまで少年保護手続における補償手続が立法化されなかったことについて、衆議院法務委員会の小森委員は、次のように政府を批判している。
    「最高裁が法律をつくるわけじゃないのでありまして、\\国権の最高機関は国会ということになって、唯一の立法機関ということになっておるが、立法府に関する立法能力については、\\残念ながら我が国は国会が出す議案よりも政府が出す議案が多い。また、国会の審議のあり方も、野党が出したものは余り十分に審議されない、こういうふうな格好になっておるのでありますから、現状とすればあなた方(政府)の責任でしょう。最高裁判所に望ましいと言われるまで、言われたからするというのじゃだめでしょう。早くから、基本的人権の考え方に反することはだめだということを憲法の前文に書いておるわけでしょう」(第一二三回国会衆議院法務委員会会議録一三号八頁以下)。
    これにたいして、濱政府委員は、法務省において、昭和四五年、少年の権利保障の強化と検察官の関与を内容とする少年法改正要綱が発表され、そのなかで非行なし決定を受けた者にたいしても刑事補償をおこなうべきであることが提言されたことを指摘するにとどまっている(同一三号九頁)。
(48)  最三判平成七年二月二八日判例時報一五二三号四九頁。
(49)  東京地判平成八年五月二九日判例時報一五七七号七六頁。
(50)  小林武「最高裁判所判決と議会の関係」ジュリスト一〇三七号九一頁。
(51)  内野正幸『憲法解釈の論理と体系』日本評論社(一九九一年)一八頁。内野教授の「厳格憲法解釈論」は、立法政策的当否、憲法の精神に適合するか否か、憲法上望ましいか否か、などについての言明を排することを目的としており、これによれば、本稿にいう「メッセージ」は、立法政策的当否を論ずるものであるから、仮に憲法の趣旨にもとづくものであっても、憲法解釈論上の命題とは峻別され、法的には無意味なものとみなされるのである。
(52)  奥平康弘・前掲書一三六頁。



本稿は、平成九(一九九七)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。