立命館法学 一九九七年五号(二五五号)一〇八三頁(一九五頁) 法律による憲法の具体化と合憲性審査(四・完) フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用 蛯原 健介 |
目 次 は じ め に 第一章 憲法院による法律の合憲性審査 第一節 フランスにおける法律中心主義の伝統と憲法院の活性化 第二節 憲法院の活動にたいする評価 第三節 憲法訴訟機関としての憲法院 (以上二五二号) 第二章 合憲性審査と政治部門の直接的・間接的対応 第一節 憲法院判決後の政治部門の直接的対応 (以上二五三号) 第二節 立法過程における政治部門の間接的対応 第三章 憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論 第一節 ルイ・ファヴォルーの見解 第二節 ドミニク・ルソーの見解 (以上二五四号) 第三節 ギヨーム・ドラゴの見解 第四節 小括 まとめにかえて (以上本号) 第三章 憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論 第三節 ギヨーム・ドラゴの見解 ギヨーム・ドラゴ(Guillaume Drago)の見解については、すでに前章において相互作用の具体的事例を検討するなかで若干触れておいた。かれは、『憲法院判決の実現』(L’exe´cution des de´cisions du Conseil constitutionnel)という著書において、憲法院判決の実現過程における憲法院と政治部門の相互作用を分析し、あるべき相互作用として憲法院と政治部門(議会・政府)の「協働関係」をみちびいている。 ところで、ドラゴは、分析に際して、法律の「製造」(confection)という概念を提示しており、これは「最初の起草からまったく最終的な状態まで、諸公権力、つまり議会、政府、共和国大統領ならびに憲法院の関与を要請する法規範創造過程の総体」と定義されている(1)。かれがこのような概念を援用するのは、議会だけが法律を作成するのではなく、憲法院の合憲性コントロールも法律「製造」過程に組み入れられることを強調し、諸機関の「協働関係」が機能することを明らかにするためでもある。 1 議会による憲法院判決の実現 ドラゴは、憲法院と議会の「真の対話」(ve´ritable dialogue)を通じてこそ憲法に照らしてよりよい法律がつくられると考え、両者の関係を「協働関係」(relations de collaboration)として理解しようとする(2)。そして、憲法院が至高の立法者の意思を拘束するとして憲法院と議会との関係を「衝突関係」(relations conflictuelles)として理解する見解にたいしては、いわば「漫画的な説明」にすぎず、憲法院判例の実態も、憲法院判決の実現メカニズムも考慮していないと批判するのである(3)。 ところで、前章第一節で述べたように、憲法院判決の種類は、@全部違憲判決、A一部違憲判決、B留保条件付判決、そしてC完全合憲判決に大きく分けられる。ドラゴにおいても、このような判決の区分に応じて憲法院と議会の相互作用が分析されている(4)。 すでにみたように、全部違憲判決は、立法者による権限の不遵守、手続上の瑕疵、あるいは憲法の実体的条項および原理の不遵守のいずれかを理由として下される。したがって、議会に求められる対応も各々の違憲理由ごとに分析されることになる。 第一に、立法者による権限の不遵守を理由とする全部違憲判決の場合、違憲理由は法律の実体そのものとは関係なく、議会は、憲法上議会に属する権限の範囲内にその関与がとどまるよう留意して、新たな法案の立法化をはかることができる、とされる(5)。 第二に、手続上の瑕疵を理由とする全部違憲判決は、憲法に適合する立法手続にしたがってあらためて立法化することを要するので、法律の発効を遅らせる結果を招く。しかし、法律の実体については違憲と判断されたわけではないので、このような全部違憲判決は、立法者の意思を大きく妨げることにはならない。それゆえ、この場合、立法者は、憲法や組織法律に定められた手続規定にしたがえば、憲法院が手続上の理由で違憲とした法文を修正することなく新たな法律の形で再提起することができる。にもかかわらず、このような全部違憲判決は、立法者および政府にとって、法律の内容を改善し、法律を「憲法ブロック」によりよく適合させる機会でもある、とされる(6)。 第三に、憲法原理の不遵守を理由とする全部違憲判決の場合は、法律の実体または法律の原理そのものが憲法に反するので、同一の法文を繰り返すことはできない。しかし、憲法院の「絶対的拒否権」(veto abosolu)によって政策の実現が完全に妨げられることにはならない。すなわち、憲法院の「絶対的拒否権」が存在するにしても、法律全体の前提を構成するいくつかの原理にかかわるだけであり、それらの原理を修正しながら法律を再検討し、あらためて立法化をこころみることは可能である、とされる(7)。なお、このような法律の再提起は、しばしば政治的意思にもとづくことが指摘されている(8)。 ドラゴによれば、いかなる違憲理由であれ、全部違憲判決の目的は、立法者の意思を束縛することにあるのではなく、手続および権限の観点から、あるいは基本原理の観点から、議会にたいして憲法の厳格な尊重を迫ることにある(9)。全部違憲判決が下されると、法律の審署は不可能になり、それを立法化するには新たな法案の提出、審議および可決が必要となるが、この過程においてこそ、議会が法律の修正をこころみ、憲法院判例をきわめて忠実に適用することになるのであって、その関係はまさに憲法院と議会の「対話」あるいは「協働関係」と解されているのである。 次に、一部違憲判決は、最終的なサンクションまたは無条件の取消ではなく、憲法院が望む意味で、憲法に照らして法律が修正されるように、議会にたいして出された警告、命令として位置づけられている(10)。そして、ドラゴは、議会による一部違憲判決の実現について、次のように述べている。フランスの予防的な合憲性コントロール制度は、違憲部分を訂正するイニシアティヴを議会に与えている。また、憲法院のサンクションは、議会審議を絶対的に否定するものではなく、憲法規範にしたがうことを立法者に迫るにすぎず、憲法院は「絶対的権力を有する審査人」としてよりも「立法者の指導者」として立ち現れる、とされる(11)。かくして、一部違憲判決の場合も、憲法に照らしてよりよい法律をつくることをめざす、憲法院と議会の「協働関係」がみられるというのである。 また、合憲判決であっても、憲法院が解釈に留保を付した場合には、付された留保条件をどのように実現するかが問題になる。このような解釈付判決は、合憲・違憲の厳格な二者択一を迫るものではなく、違憲性にいくつかの程度が存在することを意味するものとされる(12)。ドラゴによれば、指令(directive)解釈が付された場合には、条文そのものは合憲であるから、法律の発効は認められるが、立法者は解釈のあいまいさをもたらす法律を補完し、法律に憲法上の明晰さと明快さを取り戻させなければならない。したがって、立法者に向けられた指令は、法律が完全に合憲ではなく、立法者が法律を完全に憲法に適合させるためにその法律を再検討すべきであることを意味するのである(13)。この場合、立法者は、法律をよりよく「憲法ブロック」に適合させるために法律の新たな検討を迫られることになり、解釈付判決は、憲法に照らして最良の目的のために、いわば議会と憲法院との「絶え間ない連結現象」(phe´nome`ne de connexions successives)の発展を促進するものとして位置づけられている(14)。ドラゴが指摘するとおり、解釈付判決の実現においても、法律が憲法の観点からみて完全ではない限り、立法者は、その法律を修正し、より明確にしなければならないのであって、憲法院と議会との「協働関係」が求められることになるといえよう。 以上のように、憲法院判決の実現過程の分析から、憲法のよりよい具体化をめざす憲法院と議会の「協働関係」の存在が明らかにされる。ところで、この「協働関係」の前提として、二つの要因が考えられる。すなわち第一は、議員が憲法院に法律を提訴することによって、違憲性の発見に協力することである(15)。そして第二は、議員が提訴しなかった部分について憲法院が職権でコントロールすることによって、憲法院が立法者にたいして「教育作用」(fonction pe´dagogique)をおこなうことである。つまり、憲法院は、提訴を受けた法律全体をコントロールして、完全に憲法に適合させるために修正されるべき部分を判決のなかで明らかにするのであり、議会は、このような憲法院の「指導」を受けて、容易に「校正作業」を進めることができるのである。しかし、憲法院が発見しえなかった違憲性については、ひとたび法律が審署されると直接的にコントロールすることはできなくなるのであり、この問題を解決するためには憲法改正による憲法院改革が必要である、とされる(16)。 憲法院と議会の相互作用を「対抗関係」の側面から分析することに消極的なドラゴは、最後に、憲法院判決の実現過程において、議会意思は否定されないという見解を示している。それは、第一に、「合憲性コントロールは、たとえ実際には反対派議員によっておこなわれるにしても、憲法院のコントロールに付すことを受け入れる国会議員のイニシアティヴ、それゆえ立法府によってしばしば開始される」からである。そして第二に、「憲法院によっておこなわれるコントロールの予防的性格は、議会にイニシアティヴを取り戻させるにいたるからであり、憲法院によって宣言された違憲性を訂正するための手段や、しばしば方式を議会に委ねるにいたるからである(17)」。このようにして、ドラゴは、憲法院判決の実現過程を分析することによって、憲法院と議会の関係を「対抗関係」ではなく、憲法の具体化をめざす密接な「協働関係」として描き出すのである。 2 政府による憲法院判決の実現 それでは、政府はどのようにして憲法院判決の実現に関与するのであろうか。ドラゴによれば、政府は、法律「製造」の最終段階に関与し、憲法院判決後に、判決の「直接的実現」(exe´cution imme´diate)をおこなうことになる(18)。 第一の「直接的実現」は、法律の発効であるが、これには大統領の審署と首相・関係閣僚の副署が必要である。そして、審署に関しては、内閣官房(Secre´tariat ge´ne´ral du Gouvernement)が大統領と政府を仲介するのであり、このとき大統領と政府の「協働関係」が機能することになる。また、法律の施行に際して解釈の問題が生じた場合、政府は、憲法院判決に応じた通達を出し、問題の解決をはかる、とされる(19)。 もうひとつの「直接的実現」は、法律の実現を望む政府の政治的意思、あるいは法的空白を避けるための実際的な必要性にもとづいて、違憲とされた法文の再検討を政府が議会に求めることである。しかし、そのとき政府が再提出する法文は、憲法院判決によって枠づけられるのであり、憲法院判決によって引き出された諸原理を組み入れなければならない。したがって、憲法院は、政府にたいしても「教育作用」を及ぼすことが明らかになる(20)。 続いて、ドラゴは、判決の種類ごとに政府による憲法院判決の実現を分析している。その結果、いずれの場合も政府が憲法院判決の実現過程において重要な位置を占めていることが明らかにされる。 まず、全部違憲判決については、とくに違憲理由が憲法原理の不遵守にあるときが問題となり、再度立法化をはかる場合には、政府は、憲法院判決にしたがって法律の諸原理を修正する義務がある。なお、その際、違憲判決と政府の態度との関係が注目される。すなわち、すぐれて政治的な法案が違憲とされたとき、その法案の政治的性格ゆえに政府はなおさらその法案を成功させることを望むかもしれないが、その判決は政府の要求にたいして一定の枠を設定するのであり、政府は憲法の規定にそくしてその法案を調整しなければならないのである。そして、ここでは、憲法院の関与は、政治的な争点をなす論議をもっぱら法的レベルにおきかえることによって、「調整機能」(fonction mode´ratrice(21))をはたらかせることになる。あるいは、憲法院判決は、技術的レベルにおける法律の再検討を政府に求めることによって、憲法論議の「鎮静化機能」(fonction d’apaisement)を果たしている、とされる(22)。 次に、一部違憲判決の実現には、政府および大統領の関与が必要である。この場合、内閣官房が法律の最終版を作成し、必要な署名を集める責任を負い、そして審署にあたっては、よりよい法律をめざす大統領と政府の「協働関係」が求められる。また、大統領の再審議要求についても、首相の副署が必要なことから、政府が関与することになる。さらに、政府は、審署後、必要な場合には補完法律案を準備しなければならない、とされる(23)。 また、憲法院判決に指令解釈が付された場合、政府はその指令解釈にしたがうべき最初の行政機関となる。そして、政府が作成する適用デクレは、憲法院が判決のなかで付した解釈を考慮したものでなければならず、とりわけ一部違憲判決のなかで指令解釈が付された場合には、政府は新たな法案のなかで指令解釈を考慮しなければならない、とされる(24)。 以上のような分析から、政府による憲法院判決の実現は、法律のよりよい適用をめざし、法律に一貫性を与えることをねらったものである、とされる(25)。ここにもまた、憲法院と政府(さらには大統領)との「協働関係」をみることができよう。 3 あるべき相互作用としての「協働関係」 すでに明らかなように、議会および政府による憲法院判決の実現を分析するなかで、ドラゴは、憲法院と議会・政府(あるいは大統領)の相互作用を「協働関係」として特徴づけようとしていた。たしかに、憲法院の合憲性コントロールが法律「製造」過程に含まれる以上、憲法院が政治部門にたいして「対抗関係」を維持することが不可欠であるが、かれは、その合憲性コントロールが立法者と決定的に対抗するものとは解していない。結論においては、次のように論じられている。 「国民の代表者、すなわち、正当性がもっとも確保された人びとによってつくられた規範についての合憲性コントロールは、法律を制定する際に、決定的な反対や制限の意味で分析されてはならない。憲法院は、法律の作成に協力する諸機関の間で規範生産の『参加運営』(gestion participative)を組織することによって、むしろ立法者の自由裁量権の『調整者』(mode´rateur)の機能を果たす。法律製造時に政府・議会・憲法院の間に存在する対話は、規範構築活動にともに参加することを示している。違憲宣言は、合憲性確保の観点から法律を再検討すること、すなわち法的規範のヒエラルヒーのなかに法律を正しく配置することに関する命令的な勧告として理解されなければならない。けれども、絶対的拒否権は、憲法訴訟においては存在しない。なぜなら、憲法改正の方法は、たとえ困難な方法であるにしてもつねに開かれているからである\\(26)」。ここでは、憲法院は「絶対的拒否権」をもたず、法律「製造」過程のなかで規範生産の「参加運営」を組織し、立法活動を調整するにとどまるものとして描かれている。この結論にしたがえば、憲法院は、議会や政府などとともに法律「製造」過程に参加しながら、それらとの「対話」を確保し、「協働関係」を構築するのであり、このような相互作用を通じて、憲法に照らしてよりよい法律がつくられる、ということになろう。 最後に、ドラゴの見解は次のように整理することができる。憲法院の現在の活動を考慮した場合、憲法院と政治部門の関係を「衝突関係」として理解することは不可能である。また、憲法院が政治部門の立法を積極的にコントロールすることによって、前者にたいする後者の「対抗関係」が生じる可能性それ自体は存在するが、このような「対抗関係」だけから憲法院のコントロールを分析してはならない。むしろそれは、憲法に照らしてよりよい法律をつくるための「協働関係」のなかに位置づけられる必要がある。そして、法律「製造」過程における憲法院と政治部門の「協働関係」のもとでこそ、憲法的価値が法律のなかに具体化されていくのである。このように、相互作用の分析方法として、政治部門にたいする憲法院の「対抗関係」という観点を援用せず、両者の「協働関係」という図式を明確に提示し、それによって相互作用のあり方を論ずるところにドラゴの特徴があるといえよう。
第四節 小 括 「婚姻を尊重するという立法目的については何ら異議はないが、その立法目的からみて嫡出子と非嫡出子とが法定相続分において区別されるのを合理的であるとすることは、非嫡出子が婚姻家族に属していないという属性を重視し、そこに区別の根拠を求めるものであって、\\憲法二四条二項が相続において個人の尊厳を立法上の原則とすることを規定する趣旨に相容れない。\\出生について何の責任も負わない非嫡出子をそのことを理由に法律上差別することは、婚姻の尊重・保護という立法目的の枠を超えるものであり、立法目的と手段との実質的関連性は認められず合理的であるということはできないのである」。「\\本件規定は、国民生活や身分関係の基本法である民法典の中の一条項であり、強行法規ではないとはいえ、国家の法として規範性をもち、非嫡出子についての法の基本的観念を表示しているものと理解されるのである。そして本件規定が相続の分野ではあっても、同じ被相続人の子供でありながら、非嫡出子の法定相続分を嫡出子のそれの二分の一と定めていることは、非嫡出子を嫡出子に比べて劣るものとする観念が社会的に受容される余地をつくる重要な一原因となっていると認められるのである。本件規定の立法目的が非嫡出子を保護するものであるというのは、立法当時の社会の状況ならばあるいは格別、少なくとも今日の社会の状況には適合せず、その合理性を欠くといわざるを得ない」。このようにして、反対意見は、民法九〇〇条四号但書が非嫡出子の法定相続分を嫡出子の法定相続分の二分の一と定めていることが憲法一四条一項に違反して無効である、とした。五人もの裁判官がこの規定の違憲性を主張している以上、政治部門は、この規定の削除を早急に検討し、非嫡出子相続分差別の解消に取り組むことが、「協働関係」の観点からも求められるであろう。なお、本判決では、当該規定の合憲性を認める補足意見のなかでも政治部門の対応が要請されているが、これについては後述する。 次に、一九九五年六月八日の衆議院議員定数配分に関する小法廷判決(39)に付された反対意見をみてみよう。多数意見が二・八二倍の最大較差を合憲としたのにたいして、高橋判事と遠藤判事は、次のような反対意見を出している。 許容される較差の限界は、「一対二ないしこれに限りなく近い数値にとどまること」であるが、一対二・一九という較差にとどまった昭和三九年七月の改正の「後の較差は、いずれも一対二をはるかに超えるものであって、到底憲法の要求を満たしているとは考えられない\\」。したがって、一対二・八二という本件最大較差は、「憲法の選挙権の平等の要求に反する状態にあったと判断せざるを得ない。また、このような状態が少なくとも三〇年近くの長きにわたって継続していたのであるから、国会に認められた是正のための合理的期間をはるかに超えていたことは明らかであり、本件定数配分規定は憲法に違反するものであったというべきである」。 五人中二人の裁判官が提示したこの反対意見にしたがえば、政治部門は対応措置としてすみやかに定数是正の実施を求められることになる。この判決に先立つ一九九四年三月四日に小選挙区比例代表並立制の導入を内容とする法案が成立し、政治部門は最大較差が二倍以内に抑えられるような定数配分をこころみたが、すでに指摘したように、一九九六年一〇月二〇日の総選挙においては二倍を超える較差が生じている。 同様に、一九九六年九月一一日の参議院議員定数配分に関する大法廷判決(40)においても、園部判事の意見(41)、大野、高橋、尾崎、河合、遠藤、福田各判事の反対意見が付されている。多数意見は、六・五九倍の最大較差について、「もはや到底看過することができ」ず、「違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態」であるとしながらも、較差是正のための相当期間は経過していないとして、結局、本件定数配分規定を合憲と判断した。これにたいして、六人の裁判官の反対意見は、各選挙区に一律配分された二議席分と、人口に比例して付加配分された議席とを区別して考察し、「遅くとも、議員一人当たりの選挙人数の最大較差が五倍を超え、付加配分区間における定数二人を超える議員一人当たりのそれが三倍を超える状況が定着したとみられる昭和五〇年代半ばころまでには、平等原則に反する違憲状態となっていたものであり、本件選挙当時、国会における是正のための合理的期間をはるかに超えていた」として違憲の結論にいたるものであった。 政治部門は、このような反対意見や、合憲と判断しながらも批判的な「メッセージ」を含む多数意見に直接対応したわけではないが、一九九三年一二月二六日、大阪高裁が六・五九倍の最大較差を違憲と判断した(42)こともひとつの契機となって、この判決に先立って、一九九四年六月二三日の公職選挙法改正により「八増八減」の定数是正をおこなっており、その結果、最大較差は四・八一倍に抑えられている。しかし、遠藤判事の追加反対意見によれば、この改正によってもなお「四人区以上の選挙区間の較差が最大で三倍を超える選挙区が依然として三選挙区も存在するのであるから、右の改訂によりその違憲状態が解消されたとみることは困難である」とされることから、政治部門の対応措置は十分であったとはいえないであろう。 4 「メッセージ」型合憲判決における立法的対応の示唆 これまで述べてきたことから、最高裁の違憲判決はもちろん、下級審の違憲判決や最高裁判決に付された反対意見が提起した問題についても、政治部門が問題解決に向けて何らかの対応を求められる場合があることが明らかにされた。同様のことは、いくつかの合憲判決についても考えられるのではないだろうか。裁判所は、立法の裁量であるとして合憲判決を下す一方で、解決すべき問題が存在することを認識し、判決のなかで政治部門に向けて何らかの立法的対応を示唆することもある。このような裁判所の「メッセージ」については、司法消極主義につながるとして否定的にとらえる見解もみられるが(43)、かならずしも批判されるべきものでもなく、司法と政治部門の相互作用のひとつのあり方として認めていく必要があろう。 「メッセージ」型合憲判決は、数多く存在し、実際に政治部門によって対応がはかられたこともある。しかし、本稿では、最近の代表的事例を取り上げるにとどめ、裁判所が示した「メッセージ」およびそれにたいする政治部門の対応についての全面的検討は別稿に譲ることにしたい。 「メッセージ」型合憲判決にたいして実際に立法的対応が実現された最近の事例としては、一九九一年三月二九日の少年審判手続における不処分決定に関する最高裁決定(44)が想起される。この決定では、非行事実が認められないことを理由とする不処分決定は、刑事補償の対象となる「無罪の裁判」(刑事補償法一条一項)には当たらないと解すべきであり、そのように解しても憲法四〇条および一四条には反しない、とされた。しかし、これには、以下のように立法的対応を求める園部判事の意見が付されていた。 「私は、憲法四〇条の規定の趣旨は、形式上の無罪の確定判決を受けたときに限らず、公権力による国民の自由の拘束が根拠のないものであったことが明らかとなり、実質上無罪の確定判決を受けたときと同様に解される場合には、国に補償を求めることができることを定めたものと解する者であって、本件のような非行事実が認められないことを理由とする少年法上の不処分決定について国による補償の制度を設けることはもとより可能であり、また望ましいことであると考える。しかしながら、そのような制度を設けるか否かは、国の立法政策に委ねられた事柄であ」る。この意見を契機として、政治部門は、翌年には「少年の保護事件に係る補償に関する法律案」の立法化に踏み切っている。この法案をつくるにいたった背景について、濱政府委員は、衆議院法務委員会において次のように述べた。「昨年三月二十九日の最高裁の第三小法廷の決定がございまして、その最高裁決定の意見の中で、立法論としてこのような少年保護事件手続における補償制度をいうものを設けることが望ましいという意見が付されたわけでございます。そのようなことも踏まえまして、今回、少年の保護事件手続における補償制度というものを立法化したいというふうに考えるようになった次第でございます(45)」。しかし、他方で、「少年補償についてどのような構成をとるかということは専ら立法政策の問題であるというふうに考えているわけでございます。少年補償の目的さらにはそのよって立つ少年審判手続の目的あるいは性格を考慮して決定すべき事柄である(46)」とされ、立法裁量としての対応であることが強調されている。この法案は、ほとんど異論なく可決され(47)、「メッセージ」の内容が忠実に立法化されることとなったのである。 しかしながら、わが国では、「メッセージ」型合憲判決にたいする政治部門の対応は一般的に消極的であり、多くの場合、対応措置が実現されていないのが現状である。そのような事例をいくつか見ておこう。 一九九五年二月二八日の定住外国人選挙権に関する最高裁判決(48)において、一定の立法的対応を示唆する注目すべき「メッセージ」が示された。 「我が国に在留する外国人のうちでも永住者等であってその居住する区域の地方公共団体と特段に緊密な関係を持つに至ったと認められるものについて、その意思を日常生活に密接な関連を有する地方公共団体の公共的事務の処理に反映させるべく、法律をもって、地方公共団体の長、その議会の議員等に対する選挙権を付与する措置を講ずることは、憲法上禁止されているものではないと解するのが相当である」。この判決においては、定住外国人にたいする選挙権付与は「専ら国の立法政策にかかわる事項」とされ、結局違憲判決にはいたらなかった。しかし、判決は、定住外国人にたいして地方参政権を付与することが憲法上可能であることを認め、政治部門に何らかの立法的対応の検討を要請していると解される。したがって、政治部門は、合憲判決の結果に安住するのではなく、このような「メッセージ」の意味を重くとらえて、定住外国人の選挙権について、積極的に立法を検討することが要請されるのである。 また、一九九五年七月五日の非嫡出子相続分規定最高裁決定においても、いくつかの補足意見が付された。まず、大西判事の補足意見(さらに園部判事が同調)は、以下のようなものである。 「非嫡出子の相続分をめぐる諸事情は国内的にも国際的にも大幅に変容して、制定当時有した合理性は次第に失われつつあり、現時点においては、立法府に与えられた合理的な裁量判断の限界を超えているとまではいえないとしても、本件規定のみに着眼して論ずれば、その立法理由との関連における合理性は、かなりの程度に疑わしい状態に立ち至った」。また、千種判事と河合判事の補足意見によれば、「本件規定も制定以来半世紀を経る間、非嫡出子をめぐる諸事情に変容が生じ、子の権利をより重視する観点からその合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである」が、「これに対処するには、立法によって本件規定を改正する方法によることが至当である」。そして、「本件規定は親族・相続制度の一部分を構成するものであるから、これを変更するに当たっては、右制度の全般に目配りして、関連する諸規定への波及と整合性を検討し、もし必要があれば、併せて他の規定を改正ないし新設すべきものである。また、本件規定に基づく相続関係の処理は、過去長年にわたって行われてきたし、現在も行われつつある以上、近い将来を見越しての準備もされていると思われる。したがって、本件規定を変更する場合、その効力発生時期ないし適用範囲の設定も、それらへの影響を考慮して、慎重に検討すべき問題である。これらのことは、すべて、国会における立法作業によって、より適切になし得る事柄であり、その立法の過程を通じて世論の動向を汲み取るとともに、国民に対し、改正の趣旨と必要性を納得させ、周知させることもできる」とされた。 これらの補足意見は、民法九〇〇条四号但書を合憲としながらも、他方では、その規定の合理性は「かなりの程度に疑わしい状態に立ち至った」と論じたり、「合理性を疑問とする立場の生じていることは、理解し得るところである」とし、それを十分なものと解しておらず、政治部門にたいして法改正を暗示的に要請している。したがって、政治部門は、このような「メッセージ」を受けて、すみやかに法改正を検討することが求められよう。 ところで、下級審判決においても、さまざまなかたちで立法的対応が求められている。たとえば、東京地裁は、一九九六年五月二九日、外国人の緊急医療保護に関する判決(49)において、次のように、政治部門の立法政策にたいする提言を示している。 「人の生存自体は人権享有の前提となるのであって、その性質上日本国民のみを対象としているものを除く、人であることによって認められる基本的人権は国籍又は在留資格の有無を問わず尊重されるべきであるから、わが国に在留する資格の有無にかかわらず、生存そのものの危機に瀕している者の救護は法律上の配慮を受けるべきものといえよう。\\生死に関わる緊急の場合の外国人に対する医療扶助については、わが国における生活の自立向上を目的とするものでなくても、本来の生活の本拠へ移動すべき過程にある者の人道的救護として、生活保護と行旅病人救護との中間領域の問題として立法的検討の余地があるといえる」。判決は、外国人にたいする生活保護法の不適用を違法とは判断しなかったが、在留資格の有無に関係なく生存の危機に瀕している者の救援が法律上の配慮を受けるべきこと、生死に関わる緊急の場合の外国人にたいする医療扶助の問題について立法的検討の余地があることが判決に明示された以上、政治部門は、このような司法の「メッセージ」に応じて、外国人の緊急医療保護について積極的に立法を検討することが求められるのである。なお、同様の「メッセージ」が付された判決としては、本件控訴審判決である東京高裁一九九七年四月二四日判決のほか、神戸地裁一九九五年六月一九日判決がある。 わが国では、合憲判決が下された場合、司法消極主義あるいは違憲判断消極主義だとして、その判決、さらには司法の態度が激しく批判されることが少なくない。たしかに、フランスと比較して明らかなように、わが国においては、司法、とくに最高裁が違憲判決を下すことがきわめてまれであることから、そのような批判がなされるのはごく自然なことである。そして、厳格な審査をおこなわずに、政治部門の立法にたいして「合憲の祝福(50)」を与えるようないわば「お墨付き」型合憲判決は、厳しく批判されてしかるべきである。他方で、厳格な審査をおこなった結果として合憲と判断された場合であっても、なお一定の立法的対応が示唆されたときには、政治部門は、合憲の結果に安住するのではなく、少なくとも示唆された内容についての検討をおこなう必要がある。 ところで、ここで論じたような司法の「メッセージ」とそれにたいする政治部門の対応は、いわば「ボール」のやりとりにたとえることができる。すなわち、合憲判決が下されても、判決において何らかの立法的対応が示唆されたとき、「メッセージ」を含んだ「ボール」が司法から政治部門に投げられることになる。本稿で取り上げた事例にそくしていえば、定住外国人への選挙権付与、非嫡出子の相続分差別規定の廃止、外国人の緊急医療保護などの憲法問題について立法的対応を示唆する「メッセージ」が「ボール」として司法から政治部門に投げられている。したがって、政治部門は、合憲判決の結果に安住し、みずからに向けて投げられた「ボール」を前に目を閉じるのではなく、投げられた「ボール」にたいして、いかに「レシーブ」すべきかを考えながら、すみやかに行動に移さなければならない。「メッセージ」型合憲判決が下された場合には、政治部門が、このような「ボール」を次々と「レシーブ」し、憲法問題の解決に取り組んでいくことが要請されるのである。 5 まとめと今後の課題 本稿では、違憲審査機関と政治部門の相互作用につき、「対抗関係」と「協働関係」という二つの側面から分析をこころみた。わが国では、違憲判決そのものが少なかったため、これまでは司法の積極的コントロールを求めて政治部門にたいする「対抗関係」の確立がしばしば主張されてきた。そして、この意味での「対抗関係」にもとづく司法の積極的コントロールこそが憲法具体化の唯一の方法であるかのような幻想すらわが国の憲法学の一部には存在していたように思われる。しかし、繰り返し論じてきたように、現代国家においては、かならずしも政治部門にたいする「対抗関係」だけによって憲法的価値が具体化されるわけではない。本稿において詳細に分析したとおり、フランスでは、憲法院が積極的に政治部門の立法をコントロールし(法律にたいする人権保障)、政治部門にたいする「対抗関係」が確保される一方で、政治部門も、憲法院の積極的・消極的コントロールに直接的・間接的に対応して、合理的な立法政策を通じて憲法の具体化をこころみる(法律による人権保障)という「協働関係」がみられた。さらに、憲法院と政治部門の相互作用をめぐる最近の議論をみてみると、憲法院による積極的コントロールを求め、そこから不可避的に生じる「対抗関係」の存在を認める一方で、それを超えた「協働関係」の確立を通じて、政治部門による憲法の具体化を追求していることに共通の特徴があった。政治部門にたいする司法の「対抗関係」が欠如しているとされるわが国でも、このような「協働関係」が機能する条件を整えたうえで、それを通じて、憲法の具体化をみちびくことも決して不可能ではないと解される。 以上のことをふまえたうえで、相互作用のあり方についての一定の命題がみちびかれる。第一に、違憲審査機関が積極的なコントロールをおこない、違憲判決を下した場合、政治部門は違憲とされた法律をすみやかに改廃することが求められる。わが国においては、最高裁判所が違憲判決を下した場合だけでなく、下級審で違憲判決が出されたとき、さらには反対意見が付されたときなども、政治部門は、法改正を検討する必要がある。第二に、違憲審査機関が消極的なコントロールにとどまり、合憲判決を下した場合についても、政治部門は対応措置の検討を求められることが少なくない。とりわけ、何らかの立法的対応が示唆された場合には、政治部門は、合憲判決の結果に安住するのではなく、立法的対応の必要性を検討し、問題解決に取り組むことが求められよう。また、合憲と判断されたものの、法文の不明確性のゆえに留保条件や解釈が付されたときには、政治部門は、憲法の観点から法文の明確化に努めなければならず、さらに、立法に際しては、違憲の疑いをできるだけ少なくするよう求められる。このような相互作用のあり方は、フランスのみならず、現代国家に普遍的に要請されるであろう。 しかし、本稿の考察においては、いくつかの重要な事項について十分な検討をおこなうことができなかった。今後の課題としては、次の二点をあげておきたい。 第一に、本稿が分析の対象としたのは、フランスにおける憲法院と政治部門の相互作用であり、それを素材として「対抗関係」と「協働関係」という相互作用の二つの側面を析出し、後者に憲法の具体化の可能性をみいだしたが、これが現代国家に普遍的に要請される相互作用であることをさらに明確にする必要がある。 第二に、本稿においては、フランスにおける相互作用の研究に力点がおかれ、わが国の相互作用については十分な検討をおこなうことができなかった。わが国の相互作用を検討するにあたっては、とりわけ合憲判決における「メッセージ」に関する評価が問題になるであろう。「合憲か違憲か、もしくは憲法上の要請か否かを明確に指摘」する、いわゆる「厳格憲法解釈論(51)」からすれば、このような司法の態度はおそらく批判の対象となるかもしれない。ただし、この見解については、違憲・合憲の二者択一を司法に求める結果として、合憲判決の「お墨付き」効果をより強化し、政治部門の「合憲判決安住主義」をもたらすおそれが指摘されよう。また、合憲判決が訴訟外的効果を生じさせることに関する奥平康弘教授の以下のような批判も慎重に検討しなければならない。「日本の憲法訴訟にあっては、\\訴訟外的な効果の持つ比重が意外に大きく、これあるがために司法審査は−あえていえば、辛うじて−その存在意義が認められており、これあるがために存外、裁判所は−いわば、安んじて−司法消極主義に徹し得ているのかもしれない(52)」。しかし、司法が厳格にコントロールすることができず、政治部門の立法政策によって問題解決がはかられるべき領域が存在することは明らかであり、そのような領域については、政治部門に向けられた司法の「メッセージ」を手がかりとして、立法的対応のあり方を明らかにすることが課題となるはずである。この意味では、従来の立法裁量論の批判的検討にも取り組む必要がある。 したがって、最後に、わが国の判例を再検討することが不可欠である。下級審の違憲判決や最高裁判決に付された反対意見、さらには、合憲判決のなかで立法的対応が示唆された場合を中心に、政治部門に向けられた司法の「メッセージ」を明らかにしなければならない。本稿では、限られた判例にしか触れることができなかったが、これもまた今後の課題として残される。 (1) 最大判昭和三七年一一月二八日刑集一六巻一一号一五九三頁。 (2) 最大判昭和四八年四月四日刑集二七巻三号二六五頁。 (3) 最大判昭和五〇年四月三〇日民集二九巻四号五七二頁。 (4) 最大判昭和五一年四月一四日民集三〇巻三号二二三頁。 (5) 最大判昭和六〇年七月一七日民集三九巻五号一一〇〇頁。 (6) 最大判昭和六二年四月二二日民集四一巻三号四〇八頁。 (7) 昭和三八年六月一一日衆議院会議録三二号五頁。 (8) 同五頁。 (9) 野中俊彦「判決の効力」芦部信喜編『講座憲法訴訟』(第三巻)有斐閣(一九八七年)一三〇頁。 (10) 昭和五〇年五月二九日衆議院会議録二四号一二頁。 (11) 和田英夫「違憲判決の効力をめぐる論理と技術」法律論叢四八巻四・五・六号二〇頁以下を参照。 (12) 昭和六二年五月二〇日衆議院会議録一九号(二)五二七頁。 (13) 国会における対応が放置された原因として、大林文敏教授は、判決の内容が一義的ではないこと、政党間の意見の一致がないこと、行政部の早急な対応措置により実務上の不都合が生ぜず、かつ国会の放置状態が国政上直ちに重大・緊急な事態を招くことがないことを指摘している。この点につき、大林文敏「憲法判断のインパクト論」芦部信喜編・前掲書二七四頁以下。 (14) 行政側の対応につき、和田英夫・前掲論文一六頁以下を参照。 (15) たとえば、最一判昭和四九年九月二六日刑集二八巻六号三二九頁。 (16) 亜生光洋・井上宏・三浦透・園部典生「刑法の一部を改正する法律について」ジュリスト一〇六七号二二頁。 (17) ただし、政府は、尊属加重規定を設けるか否かは立法政策に委ねられた事項であるとしており、少数意見を全面的に受け入れているわけではない。たとえば、参議院本会議における村山首相の答弁を参照(平成七年四月一四日参議院会議録一六号一一頁以下)。これにたいして、参考人や一部の議員は、憲法上の要請として尊属加重規定の削除を求めている。 (18) たとえば、辻村みよ子『「権利」としての選挙権』勁草書房(一九八九年)三一頁以下。 (19) 最三判昭和五六年三月二四日民集三五巻二号三〇〇頁。 (20) 最三判平成三年七月九日民集四五巻六号一〇四九頁。 (21) 最大判昭和三七年五月二日刑集一六巻五号四九五頁。 (22) 東京地判昭和四三年七月一五日行集一九巻七号一一九六頁。 (23) 神戸地判昭和四七年九月二〇日行集二三巻八・九号七一一頁。 (24) 奥平康弘『憲法裁判の可能性』岩波書店(一九九五年)一四〇頁を参照。 (25) 最大判昭和五七年七月七日民集三六巻七号一二三五頁。 (26) 東京地判昭和三五年一〇月一九日行集一一巻一〇号二九二一頁。 (27) 生活保護の日用品費基準額をみてみると、一九五三年以降四年間も据え置きにされていたが、一九五七年の訴訟提起から少しずつ改訂されるようになり、第一審判決(一九六〇年一〇月)直後の第一七次改訂(一九六一年四月)の際には、月額七〇五円から一〇三五円へと五〇%近い増額がはかられた。また、一九六一年以降、生活必要経費算定方式として、従来のマーケット・バスケット方式に代わってエンゲル方式が採用されるようになった。なお、改善の内容については、新井章『体験的憲法裁判史』現代史出版会(一九七七年)一九五頁、奥平康弘・前掲書 一三八頁を参照。 (28) 札幌地小樽支判昭和四九年一二月九日判例時報七六二号八頁。 (29) 小林武「憲法訴訟と立法権の関係をめぐる若干の問題」南山法学九巻三号七頁、戸松秀典『プレップ憲法』(第二版)弘文堂(一九九四年)一六四頁、同「憲法裁判の効果」法学教室一九五号四〇頁。 (30) 非嫡出子差別の合憲性に関する研究は多数存在するが、ここではさしあたり以下の文献をあげておく。二宮周平「『非嫡出子』の相続分差別撤廃へ向けて(一・二)」立命館法学二二三・二二四号、二二五・二二六号、長尾英彦「非嫡出子差別の一側面」中京法学三〇巻一号一頁以下、君塚正臣『性差別司法審査基準論』信山社(一九九六年)三〇九頁以下。 (31) 東京高決平成五年六月二三日判例時報一四六五号五五頁。 (32) 東京高判平成六年一一月三〇日判例時報一五一二号三頁。 (33) この改正試案の内容につき、ジュリスト一〇五〇号二一四頁以下を参照。 (34) 最大判平成七年七月五日判例時報一五四〇号三頁。 (35) この要綱案の内容につき、ジュリスト一〇八四号一二六頁以下を参照。また、ジュリスト一〇八六号六頁も参照。 (36) 戸松秀典『立法裁量論』有斐閣(一九九三年)三一三頁以下。 (37) 藤田達朗「戸別訪問禁止をめぐる国会審議と立法事実」政策科学三巻三号一四九頁。 (38) この法案の審議内容につき、藤田達朗・前掲論文が詳細な紹介をおこなっている。 (39) 最一判平成七年六月八日判例時報一五三八号一八五頁。 (40) 最大判平成八年九月一一日ジュリスト一一〇一号八八頁、法学教室一九六号二六頁。 (41) 園部判事の意見は、二人区と他の選挙区との間に存する定数不均衡は違憲の問題を生じないが、定数四人以上の選挙区においては一対四の較差を超える場合は違憲になるとし、定数四人以上の選挙区間において一対四・五四の較差をもたらした本件定数配分規定を違憲とするものである。 (42) 大阪高判平成五年一二月一六日判例時報一五〇一号八三頁。 (43) たとえば、奥平康弘・前掲書一三六頁など。 (44) 最三決平成三年三月二九日刑集四五巻三号一五八頁。 (45) 第一二三回国会衆議院法務委員会会議録一〇号二頁。 (46) 同一〇号三頁。 (47) しかし、園部判事の意見が示されるまで少年保護手続における補償手続が立法化されなかったことについて、衆議院法務委員会の小森委員は、次のように政府を批判している。 「最高裁が法律をつくるわけじゃないのでありまして、\\国権の最高機関は国会ということになって、唯一の立法機関ということになっておるが、立法府に関する立法能力については、\\残念ながら我が国は国会が出す議案よりも政府が出す議案が多い。また、国会の審議のあり方も、野党が出したものは余り十分に審議されない、こういうふうな格好になっておるのでありますから、現状とすればあなた方(政府)の責任でしょう。最高裁判所に望ましいと言われるまで、言われたからするというのじゃだめでしょう。早くから、基本的人権の考え方に反することはだめだということを憲法の前文に書いておるわけでしょう」(第一二三回国会衆議院法務委員会会議録一三号八頁以下)。 これにたいして、濱政府委員は、法務省において、昭和四五年、少年の権利保障の強化と検察官の関与を内容とする少年法改正要綱が発表され、そのなかで非行なし決定を受けた者にたいしても刑事補償をおこなうべきであることが提言されたことを指摘するにとどまっている(同一三号九頁)。 (48) 最三判平成七年二月二八日判例時報一五二三号四九頁。 (49) 東京地判平成八年五月二九日判例時報一五七七号七六頁。 (50) 小林武「最高裁判所判決と議会の関係」ジュリスト一〇三七号九一頁。 (51) 内野正幸『憲法解釈の論理と体系』日本評論社(一九九一年)一八頁。内野教授の「厳格憲法解釈論」は、立法政策的当否、憲法の精神に適合するか否か、憲法上望ましいか否か、などについての言明を排することを目的としており、これによれば、本稿にいう「メッセージ」は、立法政策的当否を論ずるものであるから、仮に憲法の趣旨にもとづくものであっても、憲法解釈論上の命題とは峻別され、法的には無意味なものとみなされるのである。 (52) 奥平康弘・前掲書一三六頁。 本稿は、平成九(一九九七)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。 |