立命館法学  一九九七年五号(二五五号)一二〇三頁(三一五頁)




公職選挙法上の公職の候補者等による寄附罪と寄附を受ける者における寄附主体の認識の要否



松宮 孝明






  最高裁平成九年四月七日第二小法廷判決(平成九年(あ)第一〇六号公職選挙法違反被告事件)刑集五一巻四号三六三頁、判時一六〇一号一五五頁
[事実の概要]  市長である被告人は、再選を目指して立候補を予定していた次期市長選挙に関して、市内の初盆を迎えた家庭一六三軒に現金約五〇〇〇円を「初盆参り」の「御仏前」として寄附した。同市では、毎年、市の功労者などの家庭に対して公費で市長が「初盆参り」をする習慣があったが、市長選挙のある年は、一般の家庭にも市長が私費で「初盆参り」の御仏前を渡していた。その際、裁判所での幾人かの証人尋問によれば、受寄附者らは御仏前を市長個人からでなく市から出ているものと認識していたようである(刑集五一巻一号三八六頁以下参照)。
  これについて第一審(福岡地小倉支判平成八・六・五)は、「本件寄附罪にいう寄附は、条文の文理解釈からしても、立法趣旨からしても、当該寄附が公職の候補者等からのものであることを受寄附者において認識し得る形態のものであることを要しないと解すべきである。」とし、控訴審(福岡高判平成八・一二・一六)も、「公職選挙法の右規定の趣旨が、選挙の公正を確保するとともに金のかからない政治を実現しようとすることにあることに照らせば、右規定による寄附罪の成立には、当該寄附行為が、受寄附者において公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態においてなされることを要せず、受寄附者がそのように認識していたことも必要ではないと解すべきである」として、いずれも、弁護人による受寄附者らの認識の有無に関する証拠調べ請求を許さなかった。これに対して弁護人は、必要的共犯である寄附罪の成立には受寄附者において公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態においてなされ、かつ受寄附者に当該認識のあることが必要であるとして、法令解釈の誤りなどを理由に上告した。
  [決定要旨]  弁護人らの上告趣意は、「単なる法令違反、事実誤認の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由には当たらない。
  なお、公職選挙法一九九条の二第一項、二四九条の二第一項の罪が成立するためには、寄附を受ける者において当該寄附が公職の候補者等により行われたことや当該選挙に関して行われたことの認識は必要としないと解すべきであるから、本件につき右の罪の成立を認めた原判断は、正当である。」

研究


    公職選挙法一九九条の二等によって禁止される「候補者等(公職の候補者及び公職の候補者になろうとする者を含む。)による寄附」の罪は、当然のことではあるが、寄附を受ける者(以下、受寄附者と呼ぶ。)による「寄附を受ける行為」を必要とする。ここにいう「寄附」とは、同法一七九条二項によって、「金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は交付、その供与又は交付の約束」で、党費や会費などを除いたものとされている。このような「寄附」を受ける行為が存在するためには、受寄附者において「供与を受ける行為、交付を受ける行為、約束する行為」を必要とする。そして、これらの行為があったというためには、受寄附者の「寄附を受けている」という認識が必要と思われる(尾崎・後掲一八頁)。したがって、寄附を受け取る側が何らかの理由で勘違いをして、寄附金を何かの代金であると誤信した場合には「寄附を受けた」ことにはならず、ゆえに寄附をしようとした者もまた「寄附をした」ことにはならないものと考えられる。問題は、受寄附者の側に、当該寄附が「公職の候補者等により行われたことや当該選挙に関して行われたこと」の認識がなかった場合である。このような場合にまで公職選挙法一九九条の二の「当該選挙に関し寄附をした」に該当するといえるのか。本件ではまさにこの点が問題となった。
    一般に、本件の寄附罪のように、犯罪の成立に相手方の対向する行為を必要とするものは「必要的共犯」、中でも「対向犯」と呼ばれる。この中にはさらに三つの類型がある。第一は、重婚のように、相対向する行為に同じ法定刑が科されている場合であり、第二は、賄賂の収受と供与のように、一方の法定刑が他方のそれよりも重く(または軽く)規定されている場合であり、第三は、わいせつ物の販売と購入のように、一方の行為だけが処罰され他方の行為には処罰規定がない場合である。公職選挙法上の寄附罪は寄附をする行為だけが処罰されているので、ここにいう第三の類型に当たる必要的共犯ということになる。これを「片面的対向犯」と呼ぶこともある。
  もっとも、本件の原判決のように、一部には、一方の行為に処罰規定がない場合を必要的共犯ないし対向犯とはいえないとする見解もあるようである(尾崎・後掲二〇頁)。しかし、用語の問題ではあるが、いわゆる「必要的共犯の理論」が、片面的対向犯の場合に処罰規定のない行為を、処罰される対向行為の共犯として処罰することはできないとする結論を導くものとして議論されてきた歴史的経緯から見れば(贈賄罪のなかった旧刑法の贈賄行為について大判明治三七・五・五刑録一〇輯九五五頁、弁護士法違反事件について最判昭和四三・一二・二四刑集二二巻一三号一六二五頁)、片面的対向犯を必要的共犯ないし対向犯でないとする主張は妥当ではなかろう。もっとも、一方の行為が処罰されないのにこれを必要的「共犯」と呼ぶのはたしかに適切な表現ではなく、たとえば「必要的関与行為」と表現したほうが好ましいとはいえよう。
    さて、本件の一、二審は、寄附罪の成立について、「当該寄附が公職の候補者等からのものであることを受寄附者において認識し得る形態のものであることを要しないと解すべきである。」とか、「当該寄附行為が、受寄附者において公職の候補者等からの寄附であることを認識しうる形態においてなされることを要せず」と判示し、寄附罪の成立には相手方が候補者等による寄附であることの認識可能性も要しないとの見解を示した。これに対して本決定は、寄附主体の認識可能性の要否については明言せず、ただ、「寄附を受ける者において当該寄附が公職の候補者等により行われたことや当該選挙に関して行われたことの認識は必要としない」と述べるにとどまった。
  もっとも、いずれも本件寄附罪については相手方の寄附主体に関する現実の認識を要しないとする点では同じであるから、まず、本罪のような対向犯について、このような解釈が妥当であるか否かが検討されなければならない。ところで、この点については、同じく公職選挙法上の対向犯である「買収および利害誘導罪」について最高裁が、利益等の供与の罪が成立するためには供与の申込みを受けた者が「その供与の趣旨を認識してこれを受領することを要する」としていたことが注目される(最決昭和三〇・一二・二一刑集九巻一四号二九三七頁)。つまり買収罪では票が金銭等で買われるのであるから、買収を受ける相手方も当然、特定の候補者等に対して投票をするとの約束の見返りに利益を受けるものでなければならないというのである。仮に、このような犯罪を「取引犯罪」と呼ぶなら、取引の相手方はその取引の対象を知っていなければならない(もっとも、わいせつ物の売買のように、買い手が取引対象物が「わいせつ物」であるとの意味の認識を欠いていても、売り手にわいせつ物販売罪が成立することはある)
  この点、寄附の場合には、受寄附者はその利益が「寄附される」ものであることを知っていれば、寄附者の地位や身分を知る必要はないともいいうる。その意味で、買収罪が相手方における買収の趣旨の認識を要するとしても、それは、寄附罪について寄附主体が候補者等であることをの認識を要するとする根拠にはならない。
    ただ、両罪におけるこのような結論の相違を、買収罪が「両面的」対向犯で寄附罪が「片面的」対向犯であることに求めるのは誤りであろう(井口・後掲一三八頁は、「本罪は、これを対向犯と呼ぶかどうかはともかくとして、右の供与罪の場合とは異なり、相手方である寄附を受ける者は処罰されないのであるから、対向犯であるという理由で供与罪の場合と同様に考えることはできない」とするが、これが、一方の行為が処罰されないことを寄附主体の認識を要しないとする結論の論拠とする趣旨なら、それは誤りである。また、法文が「いかなる名義をもってするを問わず」と規定していることを認識および認識可能性不要説の論拠とすることも妥当でない。これは単に脱法行為を禁止するものでしかないからである)。というのも、一方で、重婚罪を考えればわかるように、配偶者のある者が重ねて婚姻をした場合には、婚姻の相手方が重婚であることの事実を知らなくても配偶者のある者に重婚罪の成立があることは疑いなく、他方で、旧刑法のように贈賄罪の処罰規定がない場合にも、賄賂収受罪の成立には贈賄側の賄賂供与の行為に加えて賄賂供与の意思の存在が不可欠だからである。つまり、賄賂の供与と収受のような「取引犯罪」の場合には、処罰される行為が片面的か両面的かにかかわらず、行為の趣旨に関する双方の認識が必要なのである。その意味で、結論的には、認識の要否は、当該罰条の文理と規制の目的に即して決すべきことになる(井口・後掲一三八頁)
    そこで、問題は、本件寄附罪の罰条の文理や規制の目的から見て、寄附主体に関する受寄附者の認識に関する要件をいかに考えるべきかにあることになる。結論からいえば、この点については候補者等が寄附主体であることの認識の可能性まで不要とした本件の一、二審の判断は妥当とは言い難いが、現実の認識までは要しないとする本決定の判断は正当であると思われる。
  その理由は、何よりも、候補者等による寄附を禁止した公職選挙法の立法趣旨から導かれる。同法の第一条は、「この法律は日本国憲法の精神に則り、衆議院議員、参議院議員並びに地方公共団体の議会の議員及び長を公選する選挙制度を確立し、その選挙が選挙人の自由に表明せる意思によって公明且つ適正に行われることを確保し、もって民主政治の健全な発達を期することを目的とする。」と述べている。その意味で、寄附罪の立法趣旨も、まず、「選挙が公明且つ適正に行われること」の確保に求められなければならない。
  この点、本件の一、二審判決は、いずれも、寄附罪の立法趣旨を「選挙の公正を確保するとともに金のかからない政治を実現しようとすること」に求めているが、それは、「金のかからない政治の実現」を独立の立法趣旨と見る点で失当である。というのも、「金のかからない政治の実現」は、結局のところ、貧富の差によって立候補の機会や当選のチャンスに事実上の差別が生じる弊害を少なくすることで「民主政治の健全な発達」に資するという手段的な目標にすぎないからである。さらにいえば、政治資金の規正を直接の対象とする政治資金規正法においても、その目的は「政治団体及び公職の候補者により行われる政治活動が国民の不断の監視と批判の下に行われるようにするため、政治団体の届出、政治団体に係る政治資金の収支の公開並びに政治団体及び公職の候補者に係る政治資金の授受の規正その他の措置を講ずることにより、政治活動の公明と公正を確保し、もって民主政治の健全な発達に寄与すること」であり、「金のかからない政治の実現」自体が規制目的となっているわけではない。
  にもかかわらず、一、二審は「金のかからない政治の実現」を独立の立法趣旨と見ることで、候補者等に寄附を禁止するのは候補者等に金を使わせないためだから、受寄附者が候補者等による寄附であることを認識できなくても寄附罪が成立すると述べているように見える。これでは、公職選挙法上の寄附禁止は、候補者等の寄附行為を刑罰で禁止することで候補者等の財産の減少をパターナリスティックに防止するものであることになってしまう。しかし、いったいどうして、公職選挙法が候補者等の財産の減少を、そうまでして保護しなければならないのであろうか。
  その意味で、寄附主体が候補者等であることを認識する可能性をも不要とした一、二審判決は失当である。しかし、同時に、大量に行われることの多い寄附行為について、受寄附者がすべて、寄附を受けたときに寄附主体を認識する必要があるとまではいえないであろう。というのも、多数の有権者を対象として行われる寄附行為は、投票時までに有権者らに対して寄附者たる候補者に好印象を抱かせて投票行動に有利に作用する可能性がありさえすれば、選挙の公正を害する危険は十分に存在するからである。
  これを本件について見ると、証人となった受寄附者には「立候補予定者たる」市長から御仏前をいただいたという認識まではなかったように見えるが、それでも「現職の市長からいただいた」という認識はあった。また、市長選挙のない年には、一般家庭には当該地域に住む市役所の課長らが市長の代理として「初盆参り」を行っていたが、その際公費で賄われるのは線香ろうそくセットとお茶などの供え物だけであった。控訴審判決によれば、その際、課長らは私費による御仏前の提供を余儀なくされるなどの負担を強いられたこともあったようである(刑集五一巻四号四二一頁)。さらに、被告人は、選挙直前の市議会において、一般家庭に対する御仏前を公費(市長交際費)から支出してもよいのではないかとする市議会議員の質問に答えて、一般家庭に対しては私費で賄ったと明言していた。これらの事実を総合すれば、市長選挙の投票日までに寄附を受けた有権者らにおいて、それが市長の私費で賄われたことを認識する十分な可能性があったといわなければならない。そしてそのことが、この市長選挙において、候補者たる現職市長に有利に作用する可能性は、十分にあったと思われる(それどころか筆者には、そもそも、市の功労者ばかりでなく、市長の地元や一般の家庭にまで市長が「初盆参り」を行うという慣行自体が、「民主政治の健全な発達を期する」ためには有害であるように思われる)。その限りで、このような事案に対して、寄附主体の認識可能性には触れずに現実の認識の不要性のみを明言した本決定は、結論において妥当なものであったといえよう。

〔参考文献〕
  ・  井口  修「判批」ジュリスト一一一九号(一九九七)一三八頁
  ・  尾崎道明「判批」研修五九〇号(一九九七)一三頁
  ・  松宮孝明・アーティクル一一四号(一九九五)四四頁


〔関連条文〕
・公職選挙法一九九条の二第一項(公職の候補者等の寄附の禁止)
  公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この条において「公職の候補者等」という。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域。以下この条において同じ。)内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない。ただし、政党その他の政治団体若しくはその支部又は当該公職の候補者等の親族に対してする場合及び当該公職の候補者等が専ら政治上の主義又は施策を普及するために行う講習会その他の政治教育のための集会(参加者に対して饗応接待(通常用いられる程度の食事の提供を除く。)が行われるようなもの、当該選挙区外において行われるもの及び第一九九条の五(講演団体に関する寄附等の禁止)第四項各号の区分による当該選挙区ごとに当該各号に定める期間内に行われるものを除く。以下この条において同じ。)に関し必要やむを得ない実費の補償(食事についての実費の補償を除く。以下この条において同じ。)としてする場合は、この限りでない。
・同法一七九条二項(収入、寄附及び支出の定義)
  この法律において「寄附」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の供与又は交付、その供与又は交付の約束で党費、会費その他債務の履行としてなされるもの以外のものをいう。
・同法二四九条の二第一項(公職の候補者等の寄附の制限違反)
  第一九九条の二(公職の候補者等の寄附の禁止)第一項の規定に違反して当該選挙に関し寄附をした者は、一年以下の禁錮又は三〇万円以下の罰金に処する。
・同法二二一条(買収及び利害誘導罪)
  次の各号に掲げる行為をした者は、三年以下の懲役若しくは禁錮又は五〇万円以下の罰金に処する。
   当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもって選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をしたとき。
  二−三  ーー略ーー
   第一号若しくは前号の供与、供応接待を受け若しくは要求し、第一号若しくは前号の申込みを承諾し又は第二号の誘導に応じ若しくはこれを促したとき。