立命館法学  一九九七年六号(二五六号)一三二〇頁(一〇八頁)




国際人権法と環境保護
地下核実験に関する自由権規約人権委員会及び欧州人権委員会の判断を手がかりに


コ川 信治






一  は  じ  め  に
二  フランスの核実験再開と人権条約実施機関の審査
  1  事実の概要
  2  人権条約実施機関の審査
    (1)  欧州人権委員会の審査
    (2)  規約人権委員会の審査
三  人権条約と核実験
  1  生命に対する権利と核実験
  2  被害者概念と核実験
四  国際人権法と環境保護




一  は  じ  め  に


  一九九三年五月一四日WHO(1)が、さらに一九九四年一二月一五日国連総会(2)が、国際司法裁判所に対して、核兵器の威嚇又は使用の合法性に関する勧告的意見を要請した。この全世界の注目を浴びた核兵器の合法性の問題は、一九九六年七月八日国際司法裁判所の勧告的意見で、「核兵器の威嚇又は使用が、一般的には武力紛争に適用される国際法の諸規定、とくに国際人道法の原理と規定に反する(3)」と判断されたことにより、核兵器と国際人道法の諸規定との間の法的判断に、一応の決着をみた。
  この時期国連総会では、包括的核実験禁止条約の審議が最終段階を迎え、一九九六年九月一〇日に採択されたが、こうした核実験を包括的に禁止する条約を作成することは、核保有国にとり国際政治上、軍事上、多大な影響を与える。この条約の採択・発効を見越して、核保有国であるフランスは、自国の核戦力の信頼性と安全性確保のために、一九九二年以来中止していた核実験を再開する決定を一九九五年六月一三日発表した。
  この決定は、国際社会から非難を浴び、とくに実験地である南太平洋ムルロア(Mururoa)環礁及びファンガタウファ(Fangataufa)環礁に近いニュージーランドやオーストラリアは、フランスに対して強く抗議した。さらに、ニュージーランドは、一九九五年八月二一日国際司法裁判所にフランスの核実験の差し止めを求めて提訴した(4)。この提訴は、訴訟技術上の問題により却下されたが、九〇年代、このように核兵器に関する国際法上の問題が取り上げられていた。
  ところで、このフランスの核実験再開決定は、国際法の中でも、これまでとは異なる角度から検討され始めた。つまり、従来の国際人道法からのアプローチではなく、核兵器のもつ多大なる地球環境への影響の観点から、すなわち、環境保護の観点から検討の試みが始まったのである。とくに、環境損害から生じる人権侵害の問題を強調して、国際人権法の立場から、環境権という人権の保護から、争われるようになった(5)
  環境権が「生命に対する権利」概念の中に包括されるか否かは、本稿の課題の一つであり、後に詳述していくことになるが、この環境権を想起させる文脈で、国際司法裁判所は、「生命に対する権利」と核兵器の問題に関して次のような勧告的意見を出している。
「裁判所は、市民的及び政治的権利に関する国際規約〔以下、自由権規約又は規約〕の保護が、いくつかの規定が国家の緊急事態においては停止できることを定めた同規約四条を適用する場合を除き、戦争時に停止されないという見解である。しかしながら、生命に対する権利の尊重は、こうした停止できる権利には該当しない。原則として、恣意的に生命を奪われない権利は、戦闘行為時にも適用される。しかしながら、なにが恣意的な生命の剥奪となるかという判断は、適用される特別法(lex specialis)、すなわち戦闘行為を規律することを意図し、かつ武力紛争時に適用される法によって、確定される。したがって、戦争時のある兵器の使用によって生命の喪失を及ぼすことが、同規約六条に違反する恣意的な生命の剥奪に該当するかどうかは、武力紛争に適用される法によって決定されるのであり、規約それ自体の文言から導き出されるものではない(6)。」
  国際司法裁判所は、勧告的意見において「生命に対する権利の尊重が、戦争時にも停止されない権利である」とした上で、「ある兵器の使用による生命の喪失が規約六条に違反する恣意的な生命の剥奪に該当するかどうかは、規約それ自体の文言からではなく、武力紛争に適用される法によって決定される」としている。本稿の課題は、平時における環境権の問題であり、平時の核実験に関して、国際人権法の立場から違法性が指摘されるのであれば、それを指摘する実体規定が何であるかを検討することにある。しかしながら、国際司法裁判所は、この勧告的意見において、武力紛争時に限定して核兵器に関する問題に回答しており、平時における核兵器の問題に直接には触れていない。
  確かに核兵器の使用は、WHOが諮問したように、武力紛争時であることは間違いない。しかし、核兵器の脅威は、平時おいても生じうる。したがって、平時における核兵器の脅威が「生命に対する権利の尊重」を規定した規約六条といかなる関係にあるのか、規約そのものの解釈から、何らかの指針が導き出せるのではないだろうか(7)。とくに、規約の実施機関たる規約人権委員会(Human Rights Committee)は、一般的意見において次のような言及をしていた。
「四  核兵器の設計、実験、製造、保有及び配備が、生命に対する権利にとって、今日人類の直面する最大の脅威であることは明白である。
 六  核兵器の製造、実験、保有、配備及び使用は禁止され、人道に対する罪として認識されるべきである。
 七  したがって、委員会は、人類の利益のため、規約を締結していると否とを問わず、すべての国家に対し、一方的に、また合意により、世界からこの脅威を除去するための措置を直ちに講ずるよう要請する(8)。」
  このように核兵器の脅威は、武力紛争時だけでなく、その影響の大きさから、保有・実験そのものにおいて生じるのである。とすれば、少なくとも自由権規約が適用される平時において、核兵器そのものが規約違反になる可能性があるのではないだろうか。
  こうした核実験が人権侵害ではないかという考えは、国連人権小委員会においても討議の対象となった(9)
  本稿は、フランスの核実験再開にかかる環境保護の問題、すなわち、平時における核兵器の脅威の問題を、国際人権法、とくに自由権規約及び欧州人権条約〔以下、条約〕の個人申立手続きで争われた、Bordes Case (Communication No. 645/1995(10)) 及び Tauira Case (Application No. 28204/95(11)) を素材として検討してみたい。

(1)  Advisory Opinion of ICJ on Legality of the Use by a State of Nuclear Weapons in Armed Conflict;ただし、WHO の場合は、武力紛争時に限定したものであった。see;http://www.law.cornell.edu:80/icj/icj2/opinion.htm
(2)  Advisory Opinion of ICJ on Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, 8 July, 1996, para. 25;see;International Legal Materials (infra ILM), Vol. 35 No. 4, pp. 809-983.
(3)  この勧告的意見は、国連総会の要請に基づくものである。Advisory Opinion of ICJ on Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, 8 July, 1996, para. 105 (2) E, ILM, Vol. 35, No. 4, p. 831.
(4)  この提訴は、一九七四年一二月二〇日に国際司法裁判所が下した核実験事件判決六三項に基づくものであり、一九九五年九月二二日国際司法裁判所は、技術的な問題で却下した。see;http://www.un.org/law/icjsum/9529.htm
(5)  その他、欧州共同体裁判所第一審に、フランスの核実験再開が、欧州原子力共同体条約三四条に抵触するのではないかとの提訴も行われた。Marie-The´re`se Danielsson et al. v. Commission of the European Communities, Case T-219/95R, Reports, 1995-11/12, Section II, pp. 3051-75.
(6)  Advisory Opinion of ICJ on Legality of the Threat or Use of Nuclear Weapons, 8 July, 1996, para. 25, ILM, Vol. 35 No. 4, p. 820.
(7)  同規約が平時に適用されるものであることについては、核兵器使用の合法性判断に関する勧告的意見に際して、同規約の援用を批判する国からも、反対はない。むしろ、規約が平時に適用されることを念頭に置いていることを主張して、本件に適用できないことを主張していた。ibid., para. 24.
(8)  General Comment 14 (23), UN Doc. CCPR/C/21/Rev. 1, p. 16.
(9)  最終的には、採択には至らなかった。参照、波多野里望「核実験禁止と委員の改選」『国際人権』第七号、一九九五年、六四ー六六頁。
(10)  Communication No. 645/1995, Human Rights Law Journal (infra HRLJ), Vol. 18 (1997), No. 1-4, pp. 36-9.
(11)  Application No. 28204/95, Yearbook of the European Convention of Human Rights (infra YBECHR), Vol. 38 (1995), pp. 155-174.


二  フランスの核実験再開と人権条約実施機関の審査


1  事実の概要
  一九九五年六月一三日シラク仏大統領は、南太平洋ムルロア環礁及びファンガタウファ環礁における地下核実験の再開を決定した。そこで、フランスの南太平洋の海外領土ポリネシアに居住する申立人は、核実験の再開決定そのものが国際法に明確に違反するとともに、さまざまな人権条約の規定にも違反すると考え、規約人権委員会及び欧州人権委員会に通報した(1)。その後フランスは、一九九五年九月より翌年一月までの間、計六回の核実験を行った。
  まず、欧州人権委員会に対して、核実験の再開決定、及びその後の実験行為(2)が欧州人権条約二条(生命に対する権利)、三条(非人道的な取扱いの禁止)、八条(私生活への恣意的な干渉の禁止)、一三条(効果的な救済を得る権利)、一四条(差別禁止)及び第一追加議定書一条(平和的に財産を享有する権利)の侵害を構成するとの申立てを、一九九五年八月九日付託した(3)
  他方、規約人権委員会に対しては、同年七月二六日自由権規約六条(生命に対する権利)、一七条(私生活への恣意的な干渉の禁止)の侵害の申立てを付託した(4)
  申立人の人権侵害の主張を規定別にすると次のようになる。
@  長期間にわたる癌発生の恐れや、大気、海洋や食物連鎖による拡散といった放射能による影響を考えると、あらゆる必要な予防措置をとらなければならない積極的義務(positive obligation)にフランス政府は違反しており、核実験再開決定は、生命に対する現実の、実質的なそして差し迫った危険をもつため、生命に対する権利を侵害している。(規約六条、条約二条)
A  ポリネシアの住民は、これまでの核実験の結果に対する恐怖、さらには再開決定による今後の核実験により生じうる悲劇に対する不安により、非人道的な取扱いを受けた。(条約三条)
B  今回の決定は、大統領決定であり、法律による私生活への干渉のみを認める規定と両立しない。また私的利益と公の利益との間に公平なバランスをとるための措置がとられていない場合には、違法な干渉を構成する。(規約一七条、条約八条)
C  放射能汚染の実質的な危険性は、その土地で生活ができなくなり、資産価値も下落するため、事実上の収用を意味する。(第一追加議定書一条)
D  本件決定は統治行為であるため、裁判所で争うことができず、効果的な救済が見込めない。(条約一三条)
E  核兵器は、フランス本土で製造されているにもかかわらず、ムルロア環礁での実験は、フランスのなかで少数派である非ヨーロッパ系住民のみを、核実験により生ずる危険にさらすものであり、人種による差別を構成する。(条約一四条)
  他方、当事国であるフランスは、この事件に関する抗弁のなかで大きく分けると次の三点にわたり、本件が受理不能であることを主張した。
  まず第一に、当事国であるフランスは、自由権規約選択議定書及び欧州人権条約の規定ぶりに注目した。選択議定書にはその前文で、「目的並びに、その規定の実施をよりよく達成するためには、\\この規約に定める権利の侵害の被害者であることを主張する個人からの通報を受理し、かつ検討しうるようにすることが適当である\\」とし、同議定書一条において、「規約の締約国であって、この議定書の締約国となるものは、その管轄下にある個人で規約に定めるいずれかの権利が右の締約国によって侵害されたと主張するものからの通報を、委員会が受理し、かつ、検討する権限を有することを認める。」とする。また、欧州人権条約二五条は、「委員会は、この条約に定める権利が締約国の一によって侵害されたと主張する自然人、\\請願を受理することができる。」としている。これから、フランスは、通報者が、個人申立てを行う資格を有するために必要な、条約二五条及び選択議定書一条にいう「被害者」に該当しないことを次のように主張した(5)
「人権条約の規定は、民衆訴訟(actio popularis)を定めておらず、申立人に、個人として、権利の事実上の侵害をもたらす作為又は不作為により、個人的かつ直接に影響を受けていることを証明することを要求しており、作為又は不作為が侵害の恐れに過ぎない場合ではない(6)」。
「核実験の再開決定は、実施されれば、その行為自体により(ipso facto)かつ必然的に条約によって保障される権利の侵害を生じさせる行為とはいえない。違反を構成するのは、この最後となる一連の核実験の行為ではなく、申立人が核実験が有すると述べる結果のみ(例えば、当該地域における人民に被害が生じる環境汚染)である。こうした結果が生じる可能性は、非常に低い。また、これまでの判例によれば、特定行為の結果との関係が希薄である場合には、侵害があるとは言えない。付託者は実験により悪影響が生じていることを証明していないし、また、当局に実験に完全に危険性がないことを証明すべき責任もない。」
  第二に、申立人の主張には「主張の立証」が行われていないという点について次のように述べた(7)
  生命に対する権利違反の主張に関して、欧州人権委員会の判例は、締約国に積極的義務を課しているのは事実であるが、実際のかつ重大な生命に対する脅威がなければならず、それは実質的な程度において存在しなければならない。が、本件の場合には該当しない。
  非人道的取扱いの禁止違反の主張に関しても、必要とされる意図が欠如しているという事実に加えて、訴えるところの当該地域住民の不安や恐怖に関しても、非人道的若しくは品位を傷つける取扱いを構成するに必要な苛酷さの程度も満たしていない。さらに、不安が存在するとしても、それは、実験反対者が指し示す警告を示す情報によるのであり、核実験に固有の危険性によって引き起こされるのではない。
  恣意的な干渉禁止違反に関しても、条約八条は実際の干渉を禁じているのであって、仮定上の干渉の危険性を禁じているのではない。ムルロア環礁は、放射能に汚染されておらず、住民は、核実験によって、いかなる影響を受けておらず、家庭生活を営ませないように強いられてはいない。同様の理由から、追加議定書一条にいう平和的に享有する権利を侵害していない。
  条約一三条及び一四条は、条約の実体規定の範囲内で問題とならない限り、適用はなく、本件には該当しない。
  最後に、フランスは国内救済手続き完了を怠っていることを主張した(8)

2  人権条約実施機関の審査
  条約実施機関において付託された事件は、まずその申立てが手続きにそって行われているかどうか、すなわち申立ての受理可能性の問題(許容性要件)から審査される。この手続きは本案審理に進む前提として、国際人権に関する個人申立手続きに一般に導入されており、条約実施機関が多量の申立てにより機能麻痺に陥らないようにすることが主たる導入理由であり、あわせて関係国の負担を軽減することもねらいとする(9)
  本件について結論から言えば、欧州人権委員会及び規約人権委員会はともに、この受理可能性審査段階で本件を受理不能と判断した。その理由をみる。
  (1)  欧州人権委員会の審査
  欧州人権委員会は、未だフランスの核実験が続行している一九九五年一二月四日に判断を下した。まず委員会は、条約二五条の要件の一つである個人からの申立てであることを確認した上で、次の要件である、「被害者」の問題に入った(10)
  まず委員会は、被害者概念の一般的見解を述べた。
  委員会の判例によれば、「被害者」の概念は、訴訟手続きを行う利益或いは能力等の事項を扱う国内法の概念とは別個に解釈されなければならない。申立人が条約違反の被害者であると主張しうるためには、申立人と、訴える違反の結果として被ったと考える損失との間に、十分に直接的な連関が必要である。すなわち、条約は、民衆訴訟(actio popularis)を定めておらず、締約国に帰する作為若しくは不作為の結果、申立人自らが条約違反の直接或いは間接的な被害者であると主張しうるという条件を個人の訴権の行使に際して科している。このことは、「被害者」及び「違反」という文言から、さらには、条約二六条に定める国内救済手続きを尽くす義務を課していることから導きだされることから、個人の訴権の行使を、条約の仮定的な違反を防止するために利用することはできない。
  にもかかわらず、申立人が将来の違反の危険があることにより、条約違反の被害者であると主張することができる、非常に例外的な状況もある。こうした状況において被害者であることを主張しうるためには、申立人個人に影響を与える侵害が生じる可能性を、合理的かつ確信の持てる程度の証拠で証明しなければならない。このため、単なる疑念や推測では、不十分なのである。
  そのうえで、委員会は、具体的な本件の適用の検討に入った。
  本件の場合、南太平洋で核実験を再開するとの一九九五年六月一三日の大統領決定が、当該決定の結果として生じうる恐れのある結果により、条約に基づいて申立人が享受する権利の侵害を生じさせると、申立人は主張する。さらに、既にこれまで行われた核実験がもつ結果により、継続的な被害者であると主張し、また、今回の核実験が終了した後ですら、放射能の漏出の危険性が残るため、被害者であり続けると主張する。
  将来の条約違反を裏付ける科学報告書や論文が提示されていることに対して、欧州人権委員会は、「当事者によって提出されたさまざまな報告書の科学的有効性に関して判断することは、とくにその報告書に対して紛争当事者間だけでなく、専門家の間でも多くの点で論争があるため、本委員会の任務ではないと考える(11)。」と述べた。
  さらに、欧州人権委員会は、次のように付け加えた。
「委員会は、本件申立てを検討するにあたり、紛争の対象となっているフランスの一連の核実験再開決定の妥当性あるいは必要性を評価することは、本委員会の任務ではないと考える。唯一の任務は、当該再開決定が事実に照らして、本申立人が条約で享受する権利の一つを侵害していると考えられるかどうかを検討することである。
  民生用或いは軍事用に係らず、核を使用することから派生する固有の危険性を援用するだけでは、申立人が条約の違反の被害者であると主張するには不充分である。人間活動の多くは危険性を伴うものなのだからである。申立人は当局が適切な予防措置をとらなかったことにより、損害が生じる可能性の程度が、訴えられている行為と結果とが無関係であるとは言えない場合、侵害とみなされるほどの損害が生じる可能性であると詳細に主張しなければならない。
  本件において、放射能汚染の危険性がフランスが一九七五年に大気圏内核実験を廃止し、地下核実験に限定して行うことを決定して以来、かなり低いレベルになっていることについては争いがない。また、地下核実験から生じた唯一の事故が、一九七九年七月にさかのぼることも争われていない。フランス政府がいつか生じるかもしれない事故を防止するために必要なあらゆる措置をとってはいないという主張を、申立人は立証していない。現在行われている実験の性格上、これまでの数多く行われた実験によりすでにかなりの圧力を受けており、環礁に明らかに亀裂を生じさせているという主張に関しても、この問題は専門家の間においてもかなり論争のあるものものである。そのため、申立人が環礁に亀裂が生じる可能性を根拠に被害者であると主張することはできない。申立人が言及する悲惨な結果をもたらすのが、まさに、一九九五年六月に決定された実験であるとの証拠もない(12)。」
  当該申立人が実験場から一〇〇〇キロ以上も離れて生活していること、実験場近くの汚染された回遊性魚類を食することによって、食物連鎖を通じて放射能に汚染される危険性を申立人自身が単に言及しているにすぎない。ここで繰り返すが、申立人の訴えは、一応(prima facie)、申立人が規約違反の被害者であると主張できると委員会は結論できるほど充分に立証されていない。なぜならば、実験の再開時期を決定することは、申立人個人の状況に直接影響を与える行為であるとはいえないほどの仮定的な結果を持つにすぎないからである。
  以上のことを考慮して、委員会は、申立人が違反の被害者であると主張できないため、条約二条、三条及び八条、並びに第一追加議定書一条における訴えは、条約二七条二項に基づき明白に根拠がないものとして却下されなければならないとした。
  多数により、委員会は受理不能と判断する。
  (2)  規約人権委員会の審査
  一方、規約人権委員会は、欧州人権委員会に引き続いて見解を採択し(13)(14)
  規約人権委員会は、個人申立てを受理する要件として、申立人側に対して「当事国の作為または不作為が、申立人の権利享受に対して既に悪影響を及ぼしているか、あるいはこうした結果が現実に差し迫っていること(15)」を示す義務を課していることに留意した。したがって規約人権委員会は、フランス政府が主要に主張した、「被害者」要件の問題、すなわち、申立人が規約で保護されている権利の侵害を受けている被害者であるかどうか、に焦点を当てた(16)
  本件の場合、フランスによるムルロア環礁での地下核実験の再開決定及びその後の実験の実施が、申立人の生命に対する権利及び家族生活に対する権利を侵害するかどうかが問題となる。
  この点に関して規約人権委員会は、次のように述べた。
「当事者から提出された情報に基づけば、申立人が、一九九五年九月から一九九六年初頭にかけて行われた核実験によって、生命に対する権利及び家族生活に対する権利の侵害を被った被害者であると当然に主張できる立場におくものであるとの主張を充分に立証できなかったという見解である(17)。」
  また、申立人が指摘する、地下核実験の安全性に関する科学的根拠についても、規約人権委員会は、次のように述べている。
「核実験が実行される環礁の地質学の構造を一層悪化させ、大規模な惨事の可能性を増大させるだろうという申立人の主張に関して、規約人権委員会は、この主張が、関係科学者の間においても、非常に論争のある問題であるということに留意する。つまり、規約人権委員会はその有効性及び正確性を確認できない(18)。」
  このように述べて、科学的論争に関する判断を回避した。
  その上で、委員会は、選択議定書一条に基づき受理不能と判断した。

(1)  規約人権委員会及び欧州人権委員会へ付託した時点では、その申立人は同じであった。しかしながら、これは申立手続き上、受理不能を招く虞があるため、申立人は、一部の付託を取り下げて、両委員会での審査を可能にした。
(2)  欧州人権委員会及び規約人権委員会に個人申立てが付託された後、フランスは核実験を行った。そのため、申立ても、再開決定のみならず、その後の実験行為に対して違反も存在すると、主張し直された。
(3)  Noe¨l Narvii Tauira et al. v. France, Application No. 28204/95, YBECHR Vol. 38 (1995), pp. 155-174.
(4)  Bordes et al. v. France, Communication No. 645/1995, para. 3. 2, HRLJ Vol. 18 (1997), No. 1-4, pp. 36-9.
(5)  フランスの主張は、欧州人権委員会において詳細に述べているため、これをもとにまとめた。規約人権委員会でもその点が示されている。Communication No. 645/1995, para. 3. 2, HRLJ, Vol. 18 (1997), No. 1-4, p. 37.
(6)  YBECHR, Vol. 38 (1995), p. 167.
(7)  Ibid., p. 168.
(8)  これは、第二番目の代替の主張であったが、本稿の主要な論点ではないため、順序を変更した。但し、環境保護に関する申立てにおいて、国内救済手続き完了の要件は、非常に問題となる。訴訟に時間がかかることと、効果的な環境保護の確保との関係が問題となるためである。しかしながら、欧州人権委員会及び規約人権委員会も、本件ではこの点について述べていない。本件以前において出された規約人権委員会における環境保護の申立ての場合には、緊急性を理由とした国内救済手続きの免除を認めていない。E. H. P v. Canada, Communication No. 67/1980, CCPR/C/OP/2, p. 20, para. 8 (b);また本件ではフランスの統治行為論の問題が出されていた。see, Emmanuel Decaux,”Commission Europe´enne des Droits de l’Homme;De´cision du 4 De´cembre 1995 sur la Recevabilite´ de la Reque^te pre´sente´e par MM. Tauira et al. contre la France, Revue Generale de Droit International Publique (infra RGDIP), 1993-3, p. 751;Caroline Dommen,”Bordes et Temeharo c/ France, Une tentative de faire prote´ger l’environnement par le Comite´ des droits de l’homme, Revue Juridique de l’Environnement (infra RJE), 1997/2, pp. 163-5.
(9)  佐藤文夫「自由権規約の実施措置」宮崎繁樹編著『解説国際人権規約』日本評論社、一九九六年、二九二頁。
(10)  YBECHR, Vol. 38 (1995), p. 171-4.
(11)  Ibid, p. 172.
(12)  Ibid.
(13)  この採択は、欧州人権委員会のときとは異なり、国際司法裁判所の勧告的意見が出された後であった。
(14)  なお、自由権規約の個人申立手続きは、自由権規約の(第一)選択議定書に定める。よって、手続的問題においては、この選択議定書の規定の問題である。
(15)  Communication No. 645/1995, para. 5. 4, HRLJ, Vol. 18 (1997), No. 1-4, p. 39.
(16)  後に見るように、規約人権委員会は、「被害者」であるかどうかを検討することのみで、この審査を終了している。
(17)  Communication No. 645/1995,para. 5. 5, HRLJ, Vol. 18 (1997), No. 1-4, p. 39;但し、HRLJ 及びインターネット上(http://www.umn.edu/humanrts/undocs/html/DEC64557.htm & http://www.austlii.edu.au/ahric/hrcomm/dec64557.html)においても、「\\立場に置くものでは な、い、 との主張を\\」(…did TnotT place them…)となっているが、安藤仁介委員によると誤植との指摘である。
(18)  Communication No. 645/1995, para. 5. 6, HRLJ Vol. 18 (1997), No. 1-4, p. 39.


三  人権条約と核実験


  以上のように、規約人権委員会も欧州人権委員会も、本件では、「被害者」の証明が不充分であることを理由に、本件申立てが受理不能であると宣言した。それでは、両委員会において受理不能とされた本件申立人の主張の問題点はどこにあったのであろうか。本件において、申立人が核実験に関して人権侵害が発生すると主張するのであれば、環境権侵害としての主張を構成すべきであったが、こうした主張を申立人は行っていない。そでは本件において仮に環境権侵害に関する申立てが主張された場合、人権条約は実態規定及び手続き的問題の二側面から救済を可能となし得るだろうか。本稿は、まず、環境保護に関わって問題となる実体規定、とくに本件で中心的に取り上げられた生命に対する権利との関係を検討し、次に本件に現れた個人申立制度上の手続き的問題、とくに「被害者」概念について検討してみたい。

1  生命に対する権利と核実験
  そもそも環境権に関する規定は、自由権規約及び欧州人権規約のどちらも有しない(1)(2)。環境保護を国際人権法の観点から捉え直そうとする試みは、比較的新しく、一九七二年ストックホルム人間環境宣言に始まるといってよい(3)
  人間環境宣言は、その前文一項第三文において、「人間環境の二つの側面、すなわち自然的側面及び人工的側面は、人の福祉並びに、基本的人権ー生命に対する権利そのものでさえーの享受にとって、不可欠のものである」と述べている。つまり、環境悪化は、基本的人権の享有にとって、とくに生命に対する権利に決定的影響を持つという考えを表明しているのである(4)
  ここでは環境と生命に対する権利との関係が述べられているが、規約六条においても条約二条においても、その「生命に対する権利」の規定は、世界人権宣言三条の「すべての者は、生命、自由及び身体の安全についての権利を有する」から発する。すなわち、国家から恣意的に生命を奪われない権利という市民的権利である。この点について、起草過程を概観してみると、両人権条約に定める権利は、つねに「何人もいかなる状況の下においても生命を奪われるべきではない」として、それは常に国家又は私人による「恣意的な生命の剥奪」からいかにして生命を保護するのかという文脈の下で議論されていた(5)。したがって、起草過程における中心的議題の一つは、死刑制度の存廃問題であり(6)、環境権が一つの概念として、規約六条や条約二条の中に存在していたと起草者が考えていたとは思われない。
  しかし規約六条や条約二条は、「生命に対するすべての者の権利を保障することの重要性(7)」を表している。規約六条一項及び条約二条一項は、そのどちらもが、すべての人が、法により生命に対する権利が保護される、という規定と、何人も恣意的にその生命を奪われない、という規定からなる。これからの規定(とくに「すべての人が法によって生命に対する権利が保護される」という規定)によって、規約六条一項及び条約二条一項は、様々な権利の発生の源として主張されてきた(8)。また規約六条一項は、条約二条にはない「すべての人間は、生命に対する権利を有する」という規定をもつだけに(9)、環境に対する権利(10)や平和に対する権利(11)といった、「第三世代の人権」主張の根拠にも援用されてきた(12)
  さらに「法による生命に対する権利の保障」規定は、規約六条及び条約二条を、恣意的な殺人に対する保障機能といった国家の消極的義務(13)だけでなく、「考えられうる脅威からすべての者の生命を守ること」も含むと解して、国家の積極的な人権保護義務も考えられるようになった(14)
  こうした包括的な権利概念の登場は、日本国憲法一三条の幸福追求権を想起させる。とすれば、憲法一三条に見られる新しい権利としての環境権の発生と同様の議論、権利性が両人権条約でもみることができるのであろうか。
  日本国憲法一三条は、人格的利益を中心とする自由権で構成されており、これには、@人格的価値に対する権利、A個人の生活領域の不可侵、B一般活動の自由、が含まれている(15)。こうした中から、憲法上環境権が設定され直されているが、こうした一三条の新しい考えは、本件における申立人の考え方と一致する。ところで、こうした当初抽象的一般的原理として宣言された規定が社会状況の変化に基づいてでてくる要請を契機として具体的な権利保障の役割−人権条項の実効化−をになうようになることは、人権発展の歴史において多くの例があり(16)、「抽象的な法規の新しい状況における読み直し(17)」として考えられるのは当然である。
  国際法においても条約法条約は、その三一条一項により、「通常の意味」により条約を解釈することを原則としている。それは、「文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして」解釈することであり、目的論的解釈を認めている。そのため、人権条約では、その実施機関は、起草者の意思が明確にならないとき、そのときどきの状況に見合った「発展的解釈」を行ってきた(18)。それによって、生命に対する権利に関しては、「制限的に解釈されるべきものではない」とされ、「締約国が犯罪行為による生命剥奪の防止と処罰のためのみならず、自己自身の治安軍(security forces)による恣意的な殺害の防止のための措置をもとるべきである(19)」として、積極的に措置をとる義務を国家に課すことを承認している。
  しかしながら、具体的な権利として起草された生命に対する権利をはじめとする人権条約の条文は、形式的変更はむろん、実質的にも、そのなかに環境権と呼ばれる中身を設定しようとしても、包括的性格を持つ憲法一三条とは自ずと異ならざるを得ず、保障する範囲を限定させざるをえない。というのも、規約六条及び条約二条上に規定された権利は、「至高の権利」ではあるが、日本国憲法一三条とは根本的に異なる。これらの条文が憲法三一条と同様の法廷手続きの保障規定をともなっており、さらには、規約及び条約は明確に環境権を規定していないばかりか、憲法とは異なり、その体系の中に明確に社会権を除外しているのである(20)
  ただし、規約には、このように言い切るには若干の問題がある。規約の起草過程から見ても理解できるように、規約は、当初、世界人権宣言の法典化、つまり、自由権的権利だけでなく、社会権的権利をも含む、包括的な人権条約として出発しようとしていた(21)。そのため、前文で自由権と社会権の相互依存性を強調しており、そうした経過をもつ規約は、やはり社会権的権利の要素を残している可能性がある(22)
  それでは、この規約の「生命に対する権利」の中身に、環境権は包含され得ないのであろうか。規約人権委員会は、「生命に対する権利」に関して、次のような一般的意見を出している。
「四  核兵器の設計、実験、製造、保有及び配備が、生命に対する権利にとって、今日人類の直面する最大の脅威であることは明白である。\\
 六  核兵器の製造、実験、保有、配備及び使用は禁止され、人道に対する罪として認識されるべきである。
 七  したがって、委員会は、人類の利益のため、規約を締結していると否とを問わず、すべての国家に対し、一方的に、また合意により、世界からこの脅威を除去するための措置を直ちに講ずるよう要請する。 (23)
  この意見は、コンセンサスで採択されたものの、委員の中からは、異論もだされ、また国連第三委員会でも異論が出された(24)。すなわち、パラグラフ六及び七は、現在の国際法において違反とは未だ言い切れない、「核兵器の製造、実験、保有、配備」が、人道に対する罪といわれる核兵器の「使用」と同列に扱われていることにより一般的意見が国際立法的側面を持っていること(25)、さらには、こうした言及が委員会の権限内にあるのかという委員会の存在理由そのもの、を問う問題であった。
  規約人権委員会は、国家報告制度では、条約の解釈にしても柔軟な対応を取るため、必ずしもこの一般的意見の内容そのものが規約六条にいう生命に対する権利の中身であるとは言い難い。が、規約人権委員会が言及した点を否定することはできず、こうした方策は、第三世代の人権と呼ばれる、新しい人権を従来の人権概念の視野の中に入れる方策の一つと考えてよいだろう(26)
  そもそも核兵器の問題が司法審査になじむものとして考えられているのかどうかについては、この一般的意見の採択のなかで明らかにされてはいない(27)。また国家報告制度のなかですら、締約国である核保有国に対し、規約六条違反を認定したことはない。
  以上のように、環境権の中身を間接的に保障する解釈へと、生命に対する権利の読み換え作業が行われてきたが、それはあくまでも既存の人権規定を保障するうえで生じる「間接的」保障であり、そこにはおのずと限界があり、環境権そのものを保障するものではあり得ないのである。それはおのずと核兵器に関わる生命に対する権利の適用可能性の問題を生じさせる(28)。これまでみた限りでは、規約六条及び条約二条において環境保護の中身を保障する作業は、これら条文の積極的義務から、導き出される可能性は否定できない。しかしながら、核実験に内在する危険性だけを理由として、核実験に関する環境保護、すなわち核実験中止を求めることまでは、生命に対する権利は保障していないということができる。

2  被害者概念と核実験
  以上のように環境保護が抽象的に取り上げられた場合、人権条約では救済できない可能性を見てきた。次に本稿は、本件において申立てが受理不能とされた理由である「被害者」概念の証明の不十分性に関して、手続き的側面からの検討を試みたい。
  国内法において環境問題の訴訟では当事者適格が必ず争点となる。この点、国際法においても同じである。人権条約の設立目的は、条約及びその機関が個人を保護することにあるため、個人申立制度の手続き規定は、当該制度が実効的になるように適用されなければならない(29)。しかし、その際に問題となるは、本件のように環境保護という個人の人権の問題に通常矮小化できない問題をいかにして人権と結びつけるかという当事者適格の問題が生じる。
  というのも、規約人権委員会にしろ、欧州人権委員会にしろ、そこで行われる個人申立手続きは、選択議定書一条及び条約二五条により、民衆訴訟(actio popularis)で行われることが認められていない。規約人権委員会は、「個人は法律を抽象的に批判することはできない。なぜなら、選択議定書は、個人が規約の侵害の被害者であると主張する場合に限って事案を委員会に付託する権利を認めているに過ぎないからである(30)。」と述べているし、欧州人権委員会も、「理論上、この条約において締約国が行った約束の遵守を確保するために条約一九条に定められた機関〔欧州人権委員会及び欧州人権裁判所〕は、その侵害が生じれば、その後に生じた違反以外は審査することも、又適用したとしても、違反を認定することもできない(31)。」と述べてその立場を明確にしている。
  このように、個人申立手続きは、条約実施機関への「付託時点において被害者」であることを前提条件としている。すなわち、今後起こるかもしれないという予測可能性(蓋然性)だけでは、申立ての資格を認めていない。このことは、個人申立手続きにおいて、いわゆる規約若しくは条約が保護する権利に関わる「被害者」であることを申立人は証明することが求められ、またこの「被害者」概念は、条約実施機関がその申立ての受理可能性において審査しなければならない主要な要素として現れる。条約実施機関は、本案審理に入る前の手続きのなかでその検討を行う。しかし、この要件は、厳格にすればするほど、実際の本案審理が行われる前に却下される恐れがある。
  それでは、その「程度・基準」とはどのようなものか。これまでの先例によれば、「被害者」であることを完全に立証することを要求するものではなく、「一応」(prima facie)の事件性が存在することを証明することで足り、それは「個人的関係性」と「直接的影響性」を示すことである(32)とされており、損害の発生までは要件とされていない(33)
  ところで、「被害者」であることを証明することで問題となるのが、行政慣行と法律自体との関係である。行政慣行及び法律自体と条約との両立性につき、条約実施機関は、抽象的に判断していない。しかし、監視・盗聴のように秘密裏に行われる行為について通報する場合、情報が入手できないことを証明すれば、自らが実際に直接影響を受けていることを示さなくとも、一応の被害者として認定される(34)。さらに、行政慣行による人権侵害においても、その慣行が自らに影響を与えることを証明することですむ。他方問題なのは、法律そのものを違反として訴える場合である。立法は、直接個々人を対象としない一般的規則である。したがって、本来ならば、立法の実施によって、すなわち国家機関の介在によってはじめて、当該立法の被害者であると申立人は訴えることができる。しかしながら、それには例外がある。非嫡出子など家族法上の地位や、中絶・同性愛行為そのものが犯罪として類型されている場合、実際に適用がなくとも、自らの地位に直接影響があるとみなされる場合には、立法の存在のみで、被害者であるとされることもある(35)
  こうした「被害者」の概念を緩和・拡大する作業は、「影響性」という要素を導き出すことによって行われており(36)、とくに近年では、国外退去、引渡しなど、自国の管轄権下からの追放措置を契機として発生する人権侵害が関わる場合に、その措置の執行前に被害者としての認定が行われてきた(37)
  しかしながら、問題となっている法律との関係で、被害者の範囲は確定されるため、被害者を直接影響を受けている場合に限定した「必要条件がどの程度具体的に考慮されるべきかは程度の問題である(38)」というのは当然であるとしても、それは「具体的に適用されていないにしても、それはともかく、被害者の影響を受ける危険性が理論可能性以上であるように適用されるものでなくてはならない(39)。」とされる。
  このように「被害者」の証明が困難だといわれていた領域に対しても、両機関の先例は、「影響性」概念を導入することにより、被害者の範囲を拡大してきた。しかしながら、欧州人権委員会や規約人権委員会は、受理可能性判断における、「直接的影響性」を考慮すべき事例を「例外的事態である」と判断していた(40)、それでは、本件の場合、なぜ申立人から批判が行われたのであろうか。それは次の申立人の主張に現れている。
「さまざまな人間の健康及び環境への悪影響・汚染の状況を述べた上で、既に行われた核実験は、ある程度蓋然性をもって、フランス領ポリネシアの住民の間に癌発生率を高めている。そのうえで、生態系、海洋環境及び食物連鎖における放射能汚染の程度を明確にすることは、時期尚早であり不可能であるとする。癌ですら、その発見には一〇年から三〇年必要であるとしている(41)。」
  通常の人権侵害では判断できない、これまでの被害者概念では包含できない要素があることを、すなわち本件では長い期間のなかで被害・影響を考えなければならないという時間的問題を主張した。このように申立人は、「直接的影響性」要件のうち、「直接」という文言から生じる、被害を及ぼす行為と被害との時間的近接性が要求されていることを問題とした。これはまさに申立人が主張し、環境問題でよくひきあいにだされる現代の世代と将来の世代との「世代間衡平」の問題を個人申立制度の中にどのようにいかすのかということと密接に関係してくる(42)
  この事件において、申立人がこの長期にわたる侵害に関する主張の根拠として、核兵器の影響に関する様々な科学的証拠を提出したが、両委員会は、申立人及び当事国のどちらの見解も採用しなかった。いわゆる科学的判断については、専門家の間で論争のある限りは、条約違反の判断の証拠としては採用しないことを明確にした。これによって、時間的近接性の問題は正面から問われなかった。しかし世代間衡平の問題について、これまで規約人権委員会は、申立てで提起された問題の重要性に見通しを与えるための表現とみなしてはいるが(43)、それは申立人に直接及ぶ被害の問題を前提としたものであり、それを離れて民衆訴訟に近づくことを示したものではない。
  さらに両委員会は、当該再開決定が事実に照らして、本申立人が条約で享受する権利の一つを侵害していると考えられるかどうかを検討することに限定し、両委員会の任務から紛争の対象となっているフランスの一連の核実験再開決定の妥当性あるいは必要性の評価を除外した。これは、規約人権委員会が述べているように、本手続きの本旨はあくまでも個人の救済であって、「軍縮及び大規模破壊を招く核兵器その他の兵器に関する問題を支持するためといった、公の政策の事項に関する社会的議論を行うためにはない(44)」からである。
  さらに欧州人権委員会は、「人間活動の多くは危険性を伴うもの」と確認したことにより、人間活動が高度な危険性を持つものにまで及んでいること、そしてその要求が今後も高まるなか、それ自体を規制することはできても、違法化することを国際法上行うことはできない、まだそうした法的確信が得られていないことを明らかにした(45)
  以上のように委員会の指摘を見ると、申立人の主張は、理論上の域を出ておらず、事件性に欠しい主張であったことが理解できる(46)
  さらに申立人は、付託する人数が増えれば増えるほど、訴える利益が減少させられる、すなわち民衆訴訟として判断されると主張している(47)。しかし通報者個々人に関する医学的証明等が示されていないなかでは、「被害者」であると主張することは困難である。
  また規約六条及び一七条における通報者の権利に対する脅威に関する評価は、本申立人の主張の本案の評価のなかでのみ行われると主張する(48)。それによって申立人は、主張の立証に関する挙証責任の解除を主張していた。主張の立証においても、その挙証責任の重さに対して、非難していたのである。しかしながら、ムルロア環礁から一〇〇〇キロも離れたタヒチに居住する通報者が、本件において、いかにチェルノブイリ原発事故のような事故が起きる可能性がまったく否定できないとしても、申し立てることができるのであろうか。委員会はこの点に注目しているのである。
  Dommen や Decaux も、両委員会の受理可能性判断が厳しいことを指摘するが(49)、国家主権にかかわる極めて政治色の濃い申立てでは、民衆訴訟と判断されたとしても仕方がないだろう。しかし、欧州人権委員会が、「多数決」でしか、本申立ての受理不能と決定を採決できなかったは、こうした問題が今後受理される可能性・理論的発展の余地を残している(50)

(1)  初期の欧州人権委員会において、資源保護の権利は、欧州人権条約により保護されていないことが明らかとなっていた。
(2)  さらに、人権の制限事由としても挙げられていない。とくにTrindadeは、人権制限事由として積極的に読み換えを主張する。A. A. Cancado Trindade,”Environmental Protection and the Absence of Restrictions on Human Rights, in Katheleen E. Mahoney & Paul Mahoney eds., Human Rights in the Twenty-First Century:A Global Challenge, Martinus Nijhoff, 1993, pp. 561-93; 初川満「”環境問題”と国際人権法」ジュリスト一〇一五号(一九九三年)、五一頁。
(3)  人間環境宣言における環境権については、以下の文献を参照のこと。佐伯富樹「人間環境宣言における個人の『環境権』」慶応大学法学研究五六巻七号四〇ー六六頁。佐藤文夫「国際人権としての環境権についての若干の考察」(以下「考察」)環境法研究一〇号、一九七八年、一六〇ー八頁。また同宣言原則二六は、核兵器その他すべての大量破壊兵器の完全な廃棄を提言していることは注目に値する。
(4)  佐藤、「考察」、一六二頁。Weber は、生命に対する権利が環境保護においてあまり援用されてこなかったが、環境保護にとって最も適切な規定であると述べる。Stefan Weber,”Environmental Information adn the European Convention on Human Rights, HRLJ, Vol. 12 (1991), No. 5, p. 181.
(5)  M. J. Bossuyt, Guide to the Travaux Pre鴦paratoires of the International Covenant on Civil and Political Rights, Martinus Nijhoff, 1987, pp. 115-25;B. G. Ramcharan,”The Drafting History of Article 6 of the International Covenant on Civil and Political Rights, in B. G. Ramcharan, ed., The Right to Life in International Law, Martinus Nijhoff, 1985, pp. 42-56;規約の起草過程の一部ではあるが、芹田健太郎編訳『国際人権規約草案註解』有信堂高文社、一九八一年、七一ー四頁。他方、欧州人権規約に関しては、B. G. Ramcharan,”The Drafting History of Article 2 of the European Convention on Human Rights, in B. G. Ramcharan, ed., op. cit., pp. 57-61.
(6)  UN Doc. A/3764, para. 110;B. G. Ramcharan,”The Drafting History of Article 6 of the International Covenant on Civil and Political Rights, in B. G. Ramcharan, ed., op. cit., p. 50.拙稿「自由権規約六条と死刑問題(一)」立命館法学二三九号、一九九五年、七六ー八八頁。
(7)  UN Doc. A/2929, chapter 6, para. 1;芹田健太郎編訳『前掲書』七一頁。
(8)  例えば、環境保護への適用がある。R. R. Churchill,”Environmental Rights in Existing Human Rights Treaties, in Alan Boyle & Michael R. Anderson eds., Human Rights Approaches to Environmental Protection, Clarendon, 1996, p. 91.
(9)  起草過程において、この規定が原則的な規定であることは認めつつも、宣言的性格を持つため、法的拘束力をもつ文書としてはふさわしくないと主張する国家も少数ながら存在した(UN Doc. A/3769, para. 112)。これらの国が懸念したとおり、その後、宣言的性格を持つこの規定から、社会的権利を含む多くの権利の主張が行われた。
(10)  Alexandre Kiss,”Concept and Possible Implications of the Right to Environment, in Katheleen E. Mahoney & Paul Mahoney eds., op. cit., p. 555.
(11)  本稿に関する核兵器の問題を、Tikhonov は生命に対する権利と平和に対する権利との関係で論じている。A. A. Tikhonov,”The Inter-Relationship between the Right to Life and the Right to Peace;Nuclear Weapons and Other Weapons of Mass-Destruction and the Right to Life, in B. G. Ramcharan, ed., op. cit., pp. 97-113.
(12)  Kissは、環境に対する権利を「第三世代の人権」に分類することを評価しない。Kiss, op. cit., p. 556.
(13)  Y. Dinstein,”The Right to Life, Physical Integrity and Liberty, in L. Henkin, ed., The International Bill of Human Rights, Columbia Univ., 1981, p. 115.
(14)  A. Clapham, Human Rights in the Private Sphere, Clarendon, 1993, pp. 203-6;こうした解釈は、規定からだけではなく、自由権に関する人権条約そのものの遵守義務に関して、「尊重」義務から「確保」義務への解釈の変更が行われてきたこととも関係している。参考、小畑郁「欧州人権条約における国家義務の性質変化(一)(二完)」法学論叢一一九巻二号、一一九巻三号。
(15)  阿部照哉「環境権」芦部信喜編『憲法U人権(1)』有斐閣、一九七八年、一八七頁。
(16)  阿部照哉、前掲論文、一八七頁。
(17)  小林直樹「憲法と環境権」ジュリスト四九二号、一九七一年、二二四頁。
(18)  例えば、自由権規約二六条の解釈や、欧州人権条約一四条の解釈にその傾向を見て取ることができる。拙稿「自由権規約無差別条項の機能(一)(二完)」立命館法学二三〇号・二三四号。小畑郁、前掲論文。
(19)  General Comment 6 (16), para. 5, UN Doc. CCPR/C/21/Rev. 1, p. 5.
(20)  生命に対する権利を中心に本稿は議論したが、本件で申立人が主張した人権規定(非人道的な取扱いの禁止、プライバシー・家庭生活の権利、財産権)と環境権との関係も基本的に本稿で生命に対する権利に関して述べたものと同様であるといえる。これらの権利と環境権に関して詳細に検討したものにつき、以下の論文を参照。初川満「”環境問題”と国際人権法」ジュリスト一〇一五号、一九九三年、五一ー五六頁。Maguelonne De´jeant-Pons,”Le Droit de l’Homme a` l’Environnement, Droit Fondamental au Niveau Europe´en dans le Cadre du Conseil de l’Europe, et la Convention Europe´enne de Sauvegarde des Droit de l’Homme et des Liberte´s Fondamentales, 4 RJE 1994, pp. 373-419;Richard Desgagne,”Integrating Environmental Values into the European Convention on Human Rights, The American Journal of International Law, Vol. 89 (1995), pp. 263-94.
(21)  しかしながら、自由権的権利と生存的権利の実現に関する問題といった、法的な問題と、東西南北の対立という政治的な問題のなかで、規約は、二つの人権条約とされた。
(22)  参照、申惠●「人権条約上の国家の義務(二)」国際法外交雑誌九六巻二号、二九ー三〇頁。
(23)  General Comment 14 (23), UN Doc. CCPR/C/21/Rev. 1, p. 16.
(24)  Manfred Nowak, U. N. Covenant on Civil and Poritical Rights;CCPR Comentary, Engel, 1993, pp. 109-11;Dominic McGoldrick, The Human Rights Committee, Clarendon, 1994, p. 335-6.
(25)  Manfred Nowak, op. cit., p. 109.
(26)  McGoldrickは、こうした動向を、司法判断の問題と条約義務の問題の両面において問題を生じさせると説く。McGoldrick, op. cit., p. 330.
(27)  Kiss は、そもそも、起草過程において、「環境」の意味を限定する必要がなく、その機能は欧州人権条約において人権制限事由として認められている、「民主社会」概念と同じであり、裁判所の先例によって確定していくものであると主張する。すなわち、裁判所による「環境」概念の発展的解釈を期待し、それによって時代とともに解釈が変化する余地を残すことを期待しており、限定することに対する危惧が読みとれる。他方、Boyle は、Kiss の主張を仮定として認めながらも、裁判所において援用できる理由が述べられていないと批判する。この点は、Vierdag が社会権については裁判規範としてはなり得ないと主張しているだけに詳細に検討しなければならない点である。Boyle は、既存の人権条約に存在する手続き的権利規定を拡充することによって、「環境」保護の実質を確保しようとする。これと同じ見解であるものに、Douglas-Scott、Cameron 及び Mackenzie がいる。Alexandre Kiss,”Concept and Possible Implications of the Right to Environment, in Katheleen E. Mahoney & Paul Mahoney eds., op. cit., p. 554;Alan Boyle,”The Role of International Human Rights Law in the Protection of the Environment, in Alan Boyle & Michael R. Anderson eds., Human Rights Approaches to Environmental Protection, Clarendon, 1996, pp. 50-1;S. Douglas-Scott,”Environmental Rights in the European Union-Participatory Democracy or democratic Deficit?, in Alan Boyle & Michael R. Anderson eds., op. cit., pp 109-28;James Cameron & Ruth Mackenzie, Access to Environmental Justice and Procedural Rights in International Institutions, in Alan Boyle & Michael R. Anderson eds., op.cit., pp. 129-52;E. W. Vierdag,”The Legal Nature of the Rights Granted by the International Covenant on Economic, Social and Cultural Rights, 9 Netherland Yearbook of International Law 93.
(28)  McGoldrick, op. cit., p. 347.
(29)  Klass Case, Publications of the European Court of Human Rights (infra ECHR), Series A, Vol. 28, para. 34.
(30)  Communication No. 91/1981, para. 5. 1. CCPR/C/OP/1, p. 30.
(31)  Application No. 28204/95, YBECHR, Vol. 38 (1995), p. 171.
(32)  佐藤文夫「国際人権保護手続きにおける被害者概念」(以下「概念」)一橋論叢第九二巻五号、七八頁。
(33)  個人申立人の苦情提起における負担を軽減するものとして、佐藤氏は肯定的評価を与えている。また、この傾向は、国家の国際責任に関する条約草案においてもみられる。佐藤、「概念」七九頁。
(34)  Klass Case, ECHR, Series A, Vol. 28, para. 34;但し、盗聴されていると考える理由を立証しなければならず、盗聴の通知のあった場合には別の問題が生じる。
(35)  Kersten Rogge,”The”victim requirement in Article 25 of the European Convention on Human Rights, in Franz Matscher and Herbert Petzold eds., Protecting Human Rights:The Eurpoean Dimension;Me´langes en l’honnuer de Ge´rard J. Wiarda, Carl Haymanns, 1988, pp. 540-1.;C. et al. v. Italy A/39/40, annex xv, para. 6. 2.
(36)  M. E. Tardu,”Human Rights Complaint Procedures of the United Nations:Assessment and Prospects, in Des Menschen Recht zwischen Freiheit und Verantwortung:Festschrift fur Karl Josef Partsch, 1989, Duncker & Humblot, p. 294.
(37)  Aumeeruddy-Cziffra et al. v. Mauritius, UN Doc. A/36/40, p. 134;CCPR/C/OP/1, p. 67;Soering 事件、ECHR, Series A, Vol. 161. Beldjoudi 事件、ECHR, Series A, Vol. 234-A.
(38)  Aumeeruddy-Cziffra et al. v. Mauritius, UN Doc. A/36/40, p. 134, para. 9. 2.;CCPR/C/OP/1, p. 67, para. 9. 2.
(39)  Ibid.
(40)  YBECHR, Vol. 38 (1995), p. 172.
(41)  Communication No. 645/1995, para. 4. 3, HRLJ, Vol. 18, No. 1-4, p. 38.
(42)  Caroline Dommen, op. cit., p. 166.
(43)  E. H. P. v. Canada, Communi cation No. 67/1980, UN Doc. CCPR/C/OP/2, p. 20, para.
(44)  UN Doc. A/47/40, No. 429/1990, para. 6. 2.
(45)  原子力やその他の危険な活動については、国家責任法は条約で無過失責任の採用を行っているが、活動そのものを違法化しているわけではない。むしろ、国際法上適法な行為から生ずる国家責任の問題として、処理されており、国際法上行為そのものは合法であるとの認識がある。
(46)  Emmanuel Decaux, op. cit., p.
(47)  YBECHR, Vol. 38, p. 169.
(48)  Communication No. 645/1995, para. 4. 4.
(49)  Dommen, op. cit., p. 166;Decaux, op. cit., p. 752
(50)  Decaux, op. cit., p. 752.


四  国際人権法と環境保護


  Soering 事件でも指摘されているように、個人申立手続きでは被害者概念を「直接的影響性」までしか、拡大することができなかった。それは、個人申立手続きが、個人の人権救済を目的としていることそのものに起因する。
  すなわち、国際人権法における個人申立手続きは、そのシステムに外交的保護権行使の要件に類似する条件、国内救済手続き完了原則を定めている。この個人申立手続き制度は、つまり、基本的には外交的保護制度が持つ性格、既に発生した損害に対する事後的な救済を本旨とする性格を受け継いでいる。申立人の求める事前救済型の人権保障のシステムは、これまでの外交的保護権の行使のなかで事実上の人権の確保を図る(1)という伝統的国際法のシステムの限界を越えるものであるといえよう。環境の不可逆的性格から考えると、環境権の救済において、「差し止め」請求、つまり、「防止的な制裁」が不可欠とされる。が、伝統的国際法システムにおいては、手続き上、必然的に「防止的制裁」が排除される。
  このように考えると、これまで欧州人権委員会及び人権裁判所、さらには規約人権委員会が救済してきた「環境権」の範囲が、現行個人申立手続き上限定されることになろう。
  このことは「環境」に与える有害性から、判断することができる。環境に与える有害性は、事後救済の対象となる「環境損害」と、蓋然性・予見可能性に基づく事前防止の対象となる「環境危険」とに大別される(2)。「環境損害」は、環境要因に基づいて発生した有害な効果のうち、国際法上の保護法益を侵害するものをいう。これに対する環境保護は、従来の国際人権法に規定されている権利と抵触する限りで、人権侵害・国家責任を認めるという従来の事後的制度でも救済できるものである。
  他方、「環境危険」は、将来発生する事実の不確実性と有害度の可変性を前提とした蓋然性を基準にするもので、事前防止の対象となるものをいう。したがって、これらの行為の責任を従来の方法で国家に負わせようとするのであれば、「申立人は当局が適切な予防措置を執らなかったことにより、損害が生じる可能性の程度が、つまり訴える行為と結果とが無関係であるとは言えない場合、侵害とみなされるものであると詳細に主張しなければならない(3)。」ことになる。
  核実験による放射能の汚染の一般的な問題はまさにこれに該当するといってよいだろう。
  環境危険を主張する場合、損害を発生させる原因行為そのものに対しては違法性を問うことはできない。したがって環境の影響そのものの科学的評価が不可欠となる。しかし、人間活動で高度な科学技術を必要とすればするほど、その環境への影響に関する科学的評価は不確定になり、予見可能性を導くことは困難となる。
  本件の場合も、損害の予見可能性の具体的基準に照らして、フランス政府が十分な措置を講じたかどうかが問題となる。本件の場合、申立人は、これまでの核実験による「環境損害」が発生していると主張しながらも、その医学的・科学的資料を提出しなかった。彼らは、必要となる科学的評価が確定していないなかで、「環境危険」に関する主張しか行わなかったのである。そのことから、両委員会は、「充分ではない」と判断したのである。
  しかしながら、生命に対する権利の保護の観点からいえば、個人申立手続きでは保護できない環境危険の問題が、最も対象となるべき課題である。そのため、規約人権委員会は、受理可能性の判断において、わざわざ傍論として「核兵器の設計、実験、製造、保有及び配備が、生命に対する権利にとって、今日人類の直面する最大の脅威であることは明白である(4)。」という一般的意見を付け加えていると考えられる。
  規約人権委員会及び欧州人権委員会が、その個人申立審査手続きを「個人からの被害者救済手続き」と捉え、具体的な事件性が必要不可欠であると考えることそれじたいが不当であるとはいえないであろう。このことは、生命に対する権利を規定する条文を遵守する国家の義務のなかに核実験から生じうるような環境破壊を防止する義務が決して国家になくなったことを意味するわけではない。環境権に内在する国家の環境保護義務は、依然として存在しているのである。しかしながら、その請求権は、条約実施機関の前で行われる個人申立手続き上完全には認められていないというに過ぎないのである。

(1)  人権保障のシステムと外交的保護権のシステムを対比する関係上、本文の内容になったが、外交的保護権は、そもそも人権の確保を図るものではない。被害者の救済のための機能ではなく、「自国民が被害を受けたことを通じて生じる国家それ自体に対する損害」に対する請求であるからである。
(2)  山本草二「国際環境協力の法的枠組の特質」ジュリスト一〇一五号、一四七頁。
(3)  YBECHR, Vol. 38 (1995), p. 172.
(4)  General Comment 14 (23), UN Doc. CCPR/C/21/Rev. 1, p. 16.


  本稿は、一九九七年度立命館大学学術研究助成(若手奨励研究)及び一九九七年度(財)世界人権問題研究センター個人研究助成による研究の成果の一部である。