立命館法学  一九九八年五号(二六一号)


◇紹  介◇

ヨアヒム・ルシュカ

遡及禁止、教唆概念とその帰結

Joachim Hruschka, Regreβverbot, Anstiftungsbegriff und

die Konsequenzen, ZStW. 110 (1998), S. 581ff.

安達 光治




〔紹介者はしがき〕

  以下に紹介するのは、ドイツ刑法雑誌(Zeitschrift fu¨r die gesamte Strafrechtswissenschaft)に掲載されたルシュカ教授の論文の要約である。ルシュカ教授は主として、刑法、租税刑法、法哲学等を専門領域とされておられるが、我が国ではとりわけ刑法的帰属の構造に関する研究で著名な方である。教授は一九七六年に『帰属の構造(1)』という論文を公刊されたが、そこで展開された帰属論は、刑法的帰属に関する長大な論文を公刊されたコリアート教授の評価によれば、ヴィトゲンシュタイン以来重要性を有しているルール概念(Regelbegriff)を中核とするものである。これは英米の言語哲学の影響を受けたもので、それゆえ、ルシュカ教授は、「英語圏でいわゆる帰属主義(Ascriptivismus)の理論に属する理念をドイツの刑法哲学および刑法解釈論に導入した最初の刑法学者」と評価されている(2)。ここでは、その内容について詳細に取り上げることはできないが、本紹介で取り扱う遡及禁止概念の前提となる行為の帰属について一言しておく(3)。その上で本論文を紹介するにあたりその内容について若干の解説を試みたい。

  まず、「行為の帰属」という概念についてであるが、ここに言う行為概念とは、単なる存在論的な概念ではない。我々がある身体の運動ないしは発話を「行為である」と考える場合、一定の規則(例えば、経験則)を適用して、知覚された運動ないし音声をある主体の「行為である」と判断しているとされる。行為は、このような規則の適用という判断過程を経て、ある主体によるものとしてその存在を明らかにするのである。言いかえると、「行為である」という判断は、判断者によって知覚されたある運動ないし発話をある主体に帰することを意味するのである。これが行為の帰属である。さらに、より一般化して言うなら、帰属とは判断者による規則の適用を意味する。ここで、物理的な規則である因果律と対置される道徳律を適用する際に判断されるのは、行為が主体の自由な意思に基づくということであり、それゆえ、道徳上の帰属とはある事態が主体の自由な意思に基づくものかどうかという判断を意味することになる。ここに言う道徳とは決して法と対置されるものではなく、物理的な因果と対置される、知的、精神的概念である。それゆえ、法的帰属もこのような道徳律の適用の一つであって、ある事態を主体の自由意思に基づく行為であると判断することを意味すると言える。

  「行為の帰属」について簡単にまとめるなら以上のようになるかと思われるが、このような帰属概念は、ここに紹介する論文のテーマである遡及禁止の根幹をなすものと言えるであろう。ある事態が自由原因(causa libera)として主体の自由意思に発するものと判断される(帰属される)場合、主体の自由意思そのものは何物にも規定されることはないので、生じた事態についてはこの主体より遡ってこれを惹起したと判断されるものはありえない。すなわち、ある事態について、自由に行為する主体より遡ってその事態を惹起する原因を想定することはできないのである。これが本論文の冒頭に示される「自由かつ意識的に結果惹起に向けられた条件の先行条件は原因ではない」という有名なフランクの遡及禁止を意味することは明らかであろう。そして、ルシュカ教授はこのようなフランクの遡及禁止を、特定の態度より遡って負責の遡及を禁じるための規範的な視点を問題とするヤコブス教授らの遡及禁止とは区別し、その上で、本論文ではフランクの遡及禁止に限定して論を進めている。遡及禁止はまさに惹起概念を規定するものであって、本来はこれを越えた規範的な意味を有するものではないと考えておられるのであろう。なお、この点についての評価はここでは控えたい。

  ところで、今日、教唆とは、他人(被教唆者)の意思に働きかけて犯罪実行の意思を生じさせることと理解されている。被教唆者が犯罪実行の意思を形成するにあたっては、教唆者の影響を受けてはいるが、その意思決定そのものは自由になされたものと解されている。ここでは、生じた犯罪結果に直接つながる行為を自由意思で実行するのは被教唆者なので、本論文の遡及禁止の立場からするとその犯罪結果はまさに被教唆者の行為が原因となって惹起され、それゆえ、その他の構成要件要素を充足する限りで、彼が当該犯罪の正犯であるとされる。教唆者は、被教唆者の犯罪実行の意思を生じさせたにもかかわらず、被教唆者よりも遡って当該犯罪結果を惹起したと考えることは出来ないので、正犯ではなく、共犯として取り扱われる。ルシュカ教授は、正犯者と共犯としての教唆者はまさにこのような遡及禁止によって区別され、ここから教唆の実行従属性および少なくとも故意犯では通説とされている限縮的正犯概念が帰結すると言う。

  これに対して、「あれなければこれなし」という結果発生の必要条件を有する行為は一様に当該結果を惹起するという条件説ないしは等価説では、右のように正犯と教唆犯を実質的に区別することはできない。なぜなら、教唆者が被教唆者を唆すことがなければ、被教唆者は犯罪実行の意思を形成することもなく、当該犯罪結果は発生しなかったといえるので、「あれなければこれなし」という関係が教唆者にも被教唆者と同様に存在するからである。ルシュカ教授は、このような条件説ないしは等価説の惹起概念を「弱い惹起概念」として、犯罪の正犯者を決定する惹起概念としては退けている。

  教唆者は共犯である、という今日当然のものと思われるテーゼは一九世紀中頃までは決して自明のものではなかった。この時代までは、一般には、共犯としての教唆概念は知られておらず、今日の正犯にあたる「起因者(Urheber、発起者と訳す人もある)」と「幇助者(Gehu¨lfe)」の区別しか存在しなかったのである。例えば、一九世紀前半に活躍したフォイエルバッハはその教科書で、他人を犯罪実行へと決意させる者を「起因者(Urheber)」、すなわち「知的起因者(intellektueller Urheber)」としていた(4)。それが、一九世紀中葉から、自由意思による世界形成を法的意味における人間の行為の本質と見るヘーゲルの影響を受けたいわゆるヘーゲリアナーによって、他人の自由意思に働きかけることにより犯罪を実行させる者は、起因者ではなく共犯としての「教唆者」であるという認識が広まっていった。その背景には、遡及禁止がある。この「教唆者」は他人の自由意思で(すなわち有責に)実行される犯罪に加担するという点で起因者とは区別すべきとされたのである。この過程について詳細は本文に譲るが(第X章参照)、彼らの影響を受けて、一八七一年に制定されたドイツ帝国刑法典では、共犯の成立要件として正犯の有責に実行される犯罪行為を要求する、今日言うところの極端従属形式(ルシュカ教授は「厳格な従属性」と言う)による教唆犯規定が創設されたといってよいであろう。

  もっとも、このような遡及禁止概念も、自由とはいかなる場合に認められるのか、という問題に答えることが出来なければ絵に描いた餅に終わるであろう。これには、ルシュカ教授はアリストテレス以来のヨーロッパの伝統に鑑み、行為が「不自由である」場合を示すことで答えている。その前提には、人の行為は原則として自由であるという観念があるのであろう。教授は、行為が「不自由である」場合を四つの類型に分類して論じているが、これは大別すれば、行為が意思的になされない場合と意思的ではあるが自由意思でなされない場合に分かたれる。この区別は、本文にもあるように、ある出来事の行為としての帰属の段階(行為の帰属、古い表現では imputatio facti)と違法行為についての責任への帰属の段階(責任帰属、古い表現では imputatio iuris)の区別に対応する。そして、教授の帰属論では、これは通常の帰属における第一段階の帰属と第二段階の帰属に対応している。二つの帰属の体系的な関係について、ルシュカ教授の教科書では以下のように説明されている。すなわち、「我々が刑法において独自に取り扱っているのは、最高度に異なる二つのルール(規則)の体系である。すなわち、1.帰属が関係するルール(規則)の体系、これは、一つはある事象もしくはある不活動の、行為の実行もしくは不作為としての帰属であり、もう一つは違法行為の責任への帰属である、そして2.作為ないしは不作為が、違法であるもしくは違法でないと評価されるルール(規則)の体系、である(5)」。これによると、体系の構造は以下のように示される。まず、第一段階の帰属のルールに従ってある事象ないしは不活動が行為の実行ないしは不作為と判断される。次に行為の評価に関するルールによって、その行為は違法もしくは適法と評価される。最後に違法と評価された行為は第二段階の帰属のルールに従って行為者の責任に帰属される。以上は通常の帰属に関するルシュカ教授の体系の外枠であるが、通常の帰属と特別帰属(例外帰属)の関係については、教授は以下のように説明している。すなわち「判断者が帰属を阻却するようないかなる理由も見出さない場合に、その理由で、二つの段階での(違法な)行為の帰属は通常である。これに対して、たしかにそのような阻却事由は存在するが、行為者がまさにこれ(阻却事由が存在すること・紹介者)について答責的とされる場合、帰属は例外的である。(6)」と。本論文は、直接行為者に対して二つの段階で通常の帰属がなされる場合には、背後者はもはや正犯ではなく、他の要件を充足する限りで教唆であるとするが、これは、教唆の成立は非教唆者である直接行為者の有責性まで要求する極端従属形式である。直接行為者が帰属阻却される場合には、二つの段階で帰属阻却されない限りで、背後者は間接正犯であるとされる。

  しかしながら、このような自由概念による遡及禁止を前提とした極端従属形式は、周知のようにM・E・マイヤーの影響の下に一九四三年の刑法改正で、共犯成立要件としては正犯の行為が違法であれば足りるとする制限従属形式に取って代わられることになる。ルシュカ教授は、このような「従属性の制限」は、教唆ではとりわけ、直接行為者が意思的に行為しているが自由意思ではない場合に問題であるとする。例えば、直接行為者がドイツ刑法三五条一項一文(いわゆる免責的緊急避難)により免責される状況で行為する場合である。この場合、直接行為者にはもはや危難を甘受するか、他人の法益を侵害するかのいずれかしか道はなく、意思的であるとはいえてもその意思決定に自由はないので、これに関与する背後者は、事物上は間接正犯であると理解される。ところが、三五条一項一文の文言により直接行為者の行為は違法とされるから、教唆の成立に関して制限従属形式を採るドイツ刑法二六条の規定によれば教唆が成立することになる。ここに、教唆と間接正犯の競合が生じるが、教授は、結果を惹起する正犯とそうではない教唆犯が同時に成立するというのは論理的にありえないからこのような競合状態は、問題だとするのである。なお、この問題について、教授は現行法に鑑み、第二段階の帰属阻却により行為が不自由とされる場合(違法行為の行為者の責任への帰属が阻却される場合)にはもはや背後者の間接正犯は問題にならず、この場合は教唆であるという解決案を提示されている。

  さらに、近年、旧東ドイツの国防評議会のメンバーとその命令を受けて行動した者達に対するいわゆる「壁の射手訴訟」において、BGHが越境者を殺害した兵士だけでなく、これを命じた評議会幹部をも殺人の正犯(間接正犯)で有罪としたが、これは本論文では遡及禁止とは相容れないものとして退けられている。実際に殺害を行った兵士は(命令を受けてのこととはいえ)自らの意思でもって越境者を殺害したのであるから、この兵士が正犯で、これを命じた評議会幹部は教唆犯にすぎないというのである。この解決に対しては、評議会幹部は具体的に誰を殺害するか認識した上でこれを命じたわけでないから、教唆故意に必要な教唆客体の特定性に欠けるという反論や組織の歯車にすぎない兵士を背後で操る幹部を教唆とするのはあまりに組織の実態を無視した解決であるという反論が可能であろう。しかし、一つの犯罪事実が(共同正犯が成立する場合は別論として)二つの立場の人間に対して同時に正犯として帰属されるという予盾を鋭く指摘する点で傾聴に値する解決であると言える。

  最後に、このような遡及禁止を前提とすれば、過失による教唆も概念上可能であるとされる。遡及禁止の結論としては、自由意思で行為する正犯者の背後にはいかなる形でも正犯者は存在し得ず、教唆的形態でなされる態度はあくまで教唆と評価すべきだからである。周知のように、ドイツの現行刑法は故意による教唆にしか可罰性を認めていないので、このような過失による教唆は法律上不可罰となるのである。しかしながら、特に一九二〇年代後半以降、ドイツでは少なからぬ判例が(幇助も含め)共犯的な形態の過失の態度を過失正犯と判示してきている(7)。これを受けて学説でも多数説は正犯概念を故意については遡及禁止を前提として限縮的に、過失については結果の惹起(ないしはこれに加えて危険の創出)を前提として拡張的にというように、二元的に解することで過失による教唆(幇助も)を過失正犯と解し、故意の正犯の背後の過失による正犯の成立を認めている。ルシュカ教授は、このような多数説の見解を、遡及禁止を破壊するものであり、犯罪体系を二分するものであるとして退けている。しかしながら、故意犯の行為に関与する過失行為者をこれだけの理由で一律に不可罰にしてしまうのは、多数説が過失正犯の成立を客観的帰属連関としての危険実現や構成要件の保護射程等で限定することにより一連の問題に比較的妥当な解決を与えていることを考え合わせれば、あまりにも硬直した思考であるといえよう。もっとも、多数説の解決にしても問題がないわけではない。例えば、被害者に自己答責性が認められる事案において、被害者の自己答責的な行為が認められることを手がかりに、これに過失で関与する者を正犯として問題にせず、自己答責的行為に対する関与という理由で不可罰にするのというのでは、もはや拡張的正犯概念の前提を逸脱し、過失犯でも正犯と共犯の区別を概念上前提とすることになる。ともあれ、これらの故意犯に対する過失の共犯の問題についてルシュカ教授は立ち入った考察をしておられないので、これについては今後のルシュカ教授の論稿に期待したいところである。

  以上、ルシュカ教授の帰属概念を簡単に述べた上で、本論文の内容について紹介者なりに解説を試みた。遡及禁止は刑法上の帰属、とりわけ客観的帰属においては基本となる概念であり、近時ドイツでは、教授のように厳格な遡及禁止を前提とした一元的な限縮的正犯概念でもって客観的帰属を論じる見解が増えてきているようである(8)。こうした状況の中で、多数説の見解とルシュカ教授のような見解のいずれが妥当なものとされるか、にわかには決め難いが、遡及禁止概念の本質、この概念が現行刑法典の前身といえる一八七一年刑法典に与えた影響、およびその帰結について本論文は刮目すべき内容を数多く含んでおり、ここにその要約を紹介する次第である。

  注

(1)  Joachim Hruschka, Strukturen der Zurechnung, 1976.

(2)  Heinz Koriath, Grundlagen strafrechtlicher Zurechnung, 1994, S. 131.

(3)  本書の内容については、Koriath, a. a. O.S. 131ff. の他、山中敬一・『刑法における客観的帰属の理論』三五六頁以下を参照。

(4)  Vgl. Feuerbach, Lehrbuch des peinlichen Rechts 14. Aufl. S. 80.

(5)  Hruschka, Starafrecht 2. Aufl. 1988 S. 364.

(6)  本論文、六〇一頁原注五九参照。この「特別帰属」において帰属が行われる場合としては、原因において自由な行為の場合や過失犯において注意能力の低下につき行為者の責に帰せられる場合などが考えられる。Vgl. Joachim Renzikovski, Restriktiver Ta¨terbegriff und fahrla¨ssige Beteiligung, Tu¨bingen, 1997, S. 219.

(7)  具体的な事案については、vgl. Roxin, Bemerkungen zum Regreβverbot, in FS−Tro¨ndle. なお、過失による教唆の事案についての判例とされるのは、スイスの BGE 105 IV 330 であり、本論文中でも具体例として設例されている。

(8)  最近のものとしては、Renzikovski・前掲(注6)論文がある。

 

〔本論文内容の要約〕


T.フランクの遡及禁止

  フランクは、その因果関係概念を論じる際に、以下のように遡及禁止を導入する。「原因ではなく、それゆえ正犯の責任を基礎づけないような条件が」存在する。「なぜなら、・・・一定の位置より離れたところにある条件は原因とすることができない、という意味での遡及禁止が妥当するからである。すなわち、自由かつ意識的に(故意かつ有責に)結果惹起に向けられた条件の先行条件(Vorbedingung)は原因ではない」。フランクがこの遡及禁止を適用する事案は、今日遡及禁止を承認する論者がこれを適用する事案と原則的に同じであるが、とりわけ、フランクは、遡及禁止の教唆についての意義を強調する。すなわち、彼は、「遡及禁止は(一八七一年刑法典の)四八条にその実体法的根拠を見出す、さもなくば、教唆者は単に正犯者にすぎないからである。」と指摘するのであるが、これは、今日「教唆」と呼ばれるものが成り立つ条件を遡及禁止が定式化することを指摘している点で重要である。このようなフランクの遡及禁止は、とりわけヤコブスによって提示された、一定の態度よりも遡って特定の条件に負責することを禁止するための規範的な視点を問題とする遡及禁止とは区別すべきである。名称が同じでかつ部分的には同じ事案を問題にするにもかかわらず、二つの遡及禁止は異なる方向性を有している。そこで、本稿では、フランク流の遡及禁止に限定し、その「教唆」カテゴリーについての意義だけを論じる。

  遡及禁止は、「自由」と性格づけられる、結果の惹起に向けられた条件よりも遡って遡及することを禁止する。それゆえ、本稿は、まずU章において自由という立場とこの立場の自然科学の立場に対する関係について取り組むことにする。


U.人間の行為についての二つの有りうべき視点

  遡及禁止は自由と称することのできる行為を前提とするので、まず自由という立場と自然科学という立場の関係を考察せねばならない。すでに、プーフェンドルフがこのテーマに取り組んでいる。彼は物理的な事柄と道徳的な事柄を区別するのだが、そこでは、道徳的な事柄は今日我々が一般に前提としているような意義を有していない。エルンスト=プラトナーによれば、それは「自由と帰属(Freiheit und Zurechnung)」に関係するものであり、またヘーゲルによれば、「精神的なもの、すなわち知的なもの全体」である。この意味で道徳的なものに対置されるのは、「不道徳なもの(Unmoralische)」ではなく、「道徳の外にあるもの(Auβermoralische)」としての物理的なものである。今日的な言い方をすれば、我々が、世界を物理的なものとこれら物理的なもの同士の物理的関係の総体として考える場合、我々は世界を因果のつながり(Kausalnexus)の視点で見ている。これに対して、道徳的ものと道徳的諸関係(Moralische Zusammenha¨nge)について考える場合は、世界を目的的なつながり(nexus finalis)の視点で見ている。例えば、ある机を物理的なものとして考える場合、その机の机としての性格はまだ視野に入っていないのであり、逆にこの机を道徳的なものとして考える場合は、これを机と規定する目的を考えていることになる。このようなプーフェンドルフの区別は、道徳的行為を目的規定的とするカントの「目的的な」行為論につながり、今世紀では、これを基礎にヴェルツェルが「目的的行為論」の原理を定式化している。

  もっとも、目的の視点はある出来事が行為と見なされない限り問題にならないので、プラトナーが言うように、行為は行為者の自由により規定するほうがよい。その場合、自由は自然的必然性(Naturnotwendigkeit)と対置されるが、一八世紀の論者はこれを、真正な人間の行為は「自由行為(actiones liberae)」とされ、「物理的必然的運動(actiones phisice necessariae)」と対置される、というように表現する。自然的必然性とは、作用が「原因」という初期条件の総和に自然法則的に依存していることであるのに対して、自由とは、作用がこれに先行する初期条件の総和とは無関係であることである。当然、行為主体の自由は制限されるのであって、私は常に私が置かれている状況に依存しているが、その中では行為の裁量を有している。

  このような行為概念は少なくとも可能性としての人間の自由を前提とするので、自然科学を信奉する多くの今日の刑法学者は先駆者たちと同様、自然科学やその他の科学に対して恥を掻かないかと心配している。しかし、それはヴェルツェルのような「存在論的な」行為概念だけに当てはまることであって、我々のように存在論を問題にしない者にとってはまずもって問題はない。そうではなくて、物理的なものと道徳的なもの、すなわち自然的必然性と自由の対立は、関係する方法の違い、つまり考察方法の違いなのである。

  私がある出来事を物理的なものとして考える場合、これを包括的な因果連関に埋め込まれたものと見るのに対して、ある行為を道徳的なものとして考える場合は、その行為を自然法則にしたがって引き起こされる原因作用ではなく、原因連鎖の新たな開始点と見ている。私はこの両方の立場を取ることができるのである。

  例えば、腕を挙げるとか犬をたたくという我々自身または他人の行為を考察するにあたって我々は通常両方の立場を取っている。一般的には、その出来事は単なる中間原因、太古の昔から決まっていた出来事の単なる中間原因、ないしは不変の運命などではなく、新たな開始なのである。

  換言すれば、我々の行動およびその相互作用において、我々は自由であるとして設定されているのであって、そこには擬制などはない。とりわけ、そのような自由を認めることは、我々が自分自身に対して要求する合理性の可能条件であるが、典型的にはそれは、我々が真実である、もしくは(論理的に)正しいと考える発話行為に現れる。この言明が自然的に決定されているとするなら、この言明はせいぜい偶然に真実であったか正しかったかである。さらに、決定論の前提では、誤認している者の誤った認識も自然的に決定されているので、そのような(偶然的な)真実性ないしは正当性は原理的に認識できない。そうではなく、言明が真実であるか、またはまさしく、その真実性ないしは正当性を認識することが可能であるとするなら、これらは自然的には決定されていない。

  人間の活動および相互作用である自然科学の可能条件も同様に認められるので、自然科学の立場が優先されるというようなことはない。それどころか、自由が自然科学に対して優位を占めるとすらいえ、それゆえに何者も我々に自由の視点を取ることを禁じることはできない。他のすべての禁止と同様、まさに禁止する者が禁止そのものを設定する際に、すでに自由の視点を取っているので、自由の視点を取ることを禁止することはすでに意味論的に無意味である。


V.遡及禁止および犯行と犯行についての教唆の区別

  これまで、人間の行為を展望において考察してきたが、同様のことは回顧においても妥当する。とりわけ、具体的な事案において自由が認められることは、行為の帰属可能性の前提であって、正確に言うなら、まさにこのことこそが出来事の帰属なのである。カントは、「我々はあるものを、それが全く自らのものとされる、すなわち自由に発するものと表象される場合に帰属する」と言うのだが、このように「帰属する」とは「ある出来事を自由な行為と見る」ことを意味するのである。このような自由による帰属可能性が認められることが答責性の前提であるのだが、もし、行為が自由ではなく、自然必然的な出来事であるとすれば、帰属の手掛かりは何も存在しないのである。確かに、展望においてのみ自然的必然性を妥当させながら、答責の手掛かりを求める試みが何度もなされているが、これらの試みは、全体条件から特定の個別条件を取り出し、これに負責するための基準設定が恣意に陥りやすく、うまくいっていないと評価すべきである。

  出来事が自由な行為であるとされる場合、我々はそれを惹起されたものとは考えない。すなわち、自由行為(actio libera)とは文字通り、原因ある行為(actio causata)ではないのであって、これは、先行する、行為を決定する条件とは無関係であることを指す。それゆえ、帰属とは、帰属される行為が因果連鎖の一部ではなく、その新たな開始とされることを意味するのである。そして、ある者が自由に行為し、かつ犯罪構成要件を満たす場合、彼は「犯罪(Tat)」の「正犯者(Ta¨ter)」と呼ばれる。そのため、ある犯罪が自由な行為として帰属される正犯者の背後には、自由行為を生じさせるいかなる原因も存在しない。

  再度強調するが、視点を変更し、一定の出来事について決定論的な(自然主義的な)立場を取ることもできる。そこでは、行為は惹起されたものと考えられ、これに異論はないが、それでもこの場合は、自由という視点、すなわち帰属の可能性を視野に置く立場を離れてしまっている。つまり、ある行為が惹起されたと言いながら同時に自由であると言うことは私にはできないのである。

  遡及禁止はこのような確認の上に立っている。フランクが「自由に結果の惹起に向けられた条件の先行条件はこの結果の原因ではない」と記すとき、まさに右のようなことを言っているのである。それ以上遡ってある事態を原因と見なすことができない位置とは、言い換えれば、自由行為(actio libera)とされるあらゆる出来事であって、その自由行為より遡って背後者が、正犯者が惹起した構成要件該当結果を「惹起する」ことはなく、正犯者の構成要件該当行為を「惹起する」こともない。

  このように、遡及禁止は、物理的な出来事を自由行為であると同時に自然必然的行為であると解する場合に生じる自己矛盾に目を向けさせる。確かに立場を変更することはできるが、二つの立場を同時に取ることはできない。私が自由に行為した、もしくは別の誰かが自由に行為したという場合、第三者がその行為を惹起したことを同時に認めることは排除されている。逆に、私がその出来事を惹起したという場合、その出来事が自由行為であってそのため帰属可能であると同時に認めることは排除されている。

  これがまさに「教唆」というものの存在根拠でもある。正犯者に犯行を「決意させる」(現行刑法二六条)者も同様の刑法上の責任を負うという場合、彼は、正犯者が惹起するようには犯罪結果を惹起しておらず、正犯者が充足するようには犯罪構成要件を充足しておらず、それゆえ、「正犯」としての責任は負わない。そのため、どのように呼ばれようとも彼は犯罪の「教唆者」なのである。なお、このように遡及禁止から教唆という概念の前提が導かれるが、それに比して教唆の「可罰性の根拠」についての理論は二次的なものである。

  正犯と教唆の排他的関係も遡及禁止で根拠付けられる。正犯者が構成要件該当結果を惹起し、教唆者はこの結果を惹起したと言えないので正犯ではないなら、教唆と正犯は互いに排斥し合う。なぜなら、ある一つの行為は構成要件該当結果を惹起するかしないかのいずれかであって、惹起しかつ同時に惹起していないなどということはあり得ないからである。根本的に、遡及禁止そのものが、教唆概念と「犯行」カテゴリーとの排斥関係を規定している。


W.因果関係概念、教唆の従属性と「限縮的」正犯概念

  「自由行為より遡る条件はこの行為の原因ではない」という(遡及禁止の)命題において、「原因」という言葉は何を意味するのであろうか?カントは、自然としての世界における「原因」とは、「生起するものの条件」であると言う。ミルにおいては、「原因」(cause)とは「諸条件の総和(the sum total of the conditions)」である。この場合、作用(Wirkung)である出来事の原因は自然科学上の法則に則ってその出来事を惹起する世界の状態であり、あえて表現するなら、作用の「十分条件」(conditio per quam)である。これは、「その原因がある場合には常にその作用がー変わりなくー生じる」という命題が妥当するという意味で作用を決定する。作用は、自然必然的な意味において、その原因に決定されるのであり、これは、その原因がまさに作用を決定することを想定するという理由で、またその限りで、強い原因概念(ein starker Ursachenbegriff)である。

  このような原因概念では、生じた作用に対して、これを決定する条件(カント)ないしは条件の総和(ミル)、すなわち原因は一つだけ存在することになる。もっとも、ミルが行ったように、原因としての条件ないしは条件の総和を個別の要素に解消し、それぞれの要素を「条件」と呼ぶこともできる。そこでは、個別の条件は、「具体的結果(作用)が欠如することなしには」、「取り除いて考えることができない」という「条件説」ないしは「等価説」の周知の公式の意味で同等である。それでも、個別条件はその作用の原因ではないが、それにもかかわらず、当該条件の総和に属する一定の人間の行為は、それが結果発生へと因果経過を起動する最終的なー自由なー人間の行為であるなら、作用の「原因」として把握できる。この行為は、最終的起動要因として、危険状況において侵害危険から現実の危険への移行をもたらす場合に、結果にとっての原因となる。例えば、爆弾が設置された状況下でこれに点火する行為がそうである。これに対して、爆弾の設置はこれが当該条件の総和に属するとしても、なお決定的要因ではない。

  これが、第二の原因概念であるのだが、第一の原因概念の立場から見ると、ここで原因と呼ばれているものは、作用を惹起する人間の最終的な(十分な)行為という、まさに特定の性質の個別条件である。このような人間の行為に合わせられた原因概念は、原因が作用の十分条件であることに着目する限りで、カント、ミルおよび自然科学の原因概念とも調和し、また原因が作用を決定することを認める限りでは、強い原因概念である。

  これに対して、個別条件の等価性を前提とし、これらの個別条件がすべて作用の原因であることを認める、「条件説」ないしは「等価説」の原因概念は弱い原因概念(ein schwacher Ursachenbegriff)である。しかしながら、侵害の起動的要因である行為を除けば、個別条件は「その原因が存在する場合には常に、その作用がー変更不能でー発生する」という命題は当てはまらないのであって、それゆえ作用の十分条件ではない。すなわち、「条件説」の原因は作用を決定しないのである。フォン=ブーリは水車の例を挙げる。水車を回すには一定量の水が必要であるが、第一の流れが必要量の五分の四を供給し、第二の流れが五分の一を供給しているとする。ここでは、水車の運動の原因は自然科学的な意味では二つの流れからのすべての水であり、他の条件と共働して全体として水車を回しているのだが、個々の流れはその運動に寄与をなすに過ぎない。もし、このことを指して惹起すると呼ぶなら、「惹起する」とは「寄与をなす」ことを意味することになる。このように、条件説を基礎として「原因である」ということは「結果の発生に寄与をなす」ということを意味するに過ぎないのである。

  条件説により記述されるべき因果関係の寄与ドクトリン(Kontributionsdoktrin)は、カントやミルが認めるような一般的な原因概念からは演繹されない。タルノウスキーは一九二七年、この寄与ドクトリンの基本テーゼを、「条件説」は「結果が欠如することなしに取り除いて考えることができない結果のすべての条件はこれにとって等価であり、それゆえ、このような個別の必要条件はすべて結果の原因と考えることができる」ことから出発していると表現したが、ハートとオノレは、「それゆえに」、これ(条件説)は、「正しくない結論(non sequiter)を隠すのにほとんど役立たない」という注釈をつけてこの文を引用している。もっとも、「惹起する」という言葉を、「作用の発生に何らかの寄与をなす」という意味しか持たないように定義することが禁じられるわけではない。だが、その場合、「惹起概念」には、強い原因概念だけに帰することができる帰結を帰することはできない。

  遡及禁止は寄与ドクトリンの原因概念ではなく、原因が作用を決定するという強い原因概念を前提とするが、「自由」といえる正犯者の行為に対してはそのような強い原因概念による決定は否定される。すなわち、正犯者の自由な行為は強い原因概念の意味での原因の作用ではなく、そのため、教唆者の行為も非教唆者の犯行を決定せず、この意味で教唆者は正犯者の犯行と犯行結果を「惹起」していない。当然、遡及禁止論者も、教唆者の協力がなければ、犯行は行われず、犯行結果は、その具体的な形態のようには発生しなかっただろうという意味で、教唆者が犯行と結果発生の個別条件を設定していることは否定できない。しかしながら、このような寄与ドクトリンの原因概念は遡及禁止とそこから引き出される結論にとって決定的なものでない。

  そうではなく、遡及禁止からは正犯者の犯行と教唆者のそれとの関係における非等価性(Ungleichwertigkeit)が導かれるが、これは、正犯者の犯行が言葉の厳格な意味において犯行結果を惹起するのに対して、教唆者の犯行(Tat)はこの意味では犯行を惹起しないというようなものでさえある。このような非等価性は通常、教唆の一連の「従属的な」性格で表現される。言いかえれば、教唆の従属性は厳格な原因概念を前提とする遡及禁止の帰結である。正犯者の犯行が正犯行為(Haupttat)であり、教唆はこの犯行に対して付随的であるので、教唆は独立のものではない。それゆえ、教唆者の犯行についての違法判断とその可罰性についての手掛かりは、まさに正犯者が構成要件を充足するという事実である。ここでの、従属性とは正犯者の犯行がなければ、教唆は概念上存在しないという意味での従属性である。

  このことは中世のイタリアの法学者においてはすでに明らかである。ハイムベルガーはバルドゥスを引用するが、その際彼にあっては、mandans すなわち教唆者としての依頼者が問題である。そこでは彼は以下の一節を言葉どおり正確に再録している。(ラテン語文引用は省略。独訳部分を訳出する・紹介者)ー「依頼者は『従属するもの』と呼ばれる。それは、直接行為する行為者と依頼者の違い、すなわち直接行為者の犯罪はそれ自身独立であるのに対して、依頼者の犯罪はそうではないということである。」ボッジウスも被教唆者の犯行は独立であるのに対して、教唆者のそれは独立していないと言う。それ以降のドイツ自然法論、例えばプーフェンドルフにおいては、「従属性」概念は自明のものとして共犯の骨組みをなすに至る。

  また、教唆の従属性からはいわゆる「限縮的」正犯概念が帰結する。すなわち、限縮的正犯概念も遡及禁止が前提とする厳格な原因概念と遡及禁止から導かれるのである。

  これに対して、「条件説」ないしは「等価説」の寄与ドクトリンからは、拡張的正犯概念、また文脈によっては統一的正犯概念とも言われるものが導かれる。拡張的正犯概念によれば、少なくとも純粋結果犯においては、犯行結果の惹起に寄与する者はすべて正犯であるので、教唆者は犯罪の正犯者であろう。それゆえ、寄与ドクトリンの主張者たちが以前、教唆の従属性と「限縮的」正犯概念に対して争ったことは偶然ではなかろうが、今日ではこの争いは沈静化している。しかし、遡及禁止は依然として争われており、「等価説の本質と相容れないもの」として否定する論者もある。等価説が遡及禁止により困難に陥ることは正しいが、等価説は遡及禁止だけによってそうなるのではなく、教唆の従属性、「限縮的」正犯概念によってもそうなるのである。つまり、これらは、遡及禁止が「等価説」と「相容れない」というのと同じ意味で、「等価説」とは相容れない。これは、「等価説」が妥当するとすれば、正犯行為と教唆の区別は成り立たず、逆に遡及禁止が妥当するとするなら、正犯と教唆の区別、教唆の従属性、および「限縮的」正犯概念が決定的であるという択一関係だからである。

  「等価説」による決定的な差異の平準化は日常用語に矛盾する。事実、学生たちに「条件説」ないしは「等価説」を「惹起の理論として」受け入れてもらうためには、通常はひとかたならぬ教化が必要である。このような平準化は法史学上繰り返されていることとはいえ、「条件説」は本稿の研究領域ではかなり以前から基準を提供していないし、ひょっとすると、そもそも基準など提供していなかったのかもしれない。正犯とは区別される教唆が存在し、「限縮的」正犯概念と教唆の従属性が妥当し、しかもこれらすべてが依拠している遡及禁止も妥当するので、そう言えるのである。つまり、遡及禁止は、公的に承認されるか否かにかかわらず、作用しているのである。

  仮に遡及禁止を「廃棄」しなければならないとするなら、それは我々の体系を破壊することなしには行い得ないだろう。フランクは、遡及禁止が存在しないなら、「教唆者は単なる正犯者」であろうから、現行刑法二六条(旧四八条)が現実に存在することを制定法実証主義者に納得させるのは、遡及禁止によるべきであると考えていた。もっとも、遡及禁止が存在しないとするなら、教唆者自身の行為も、全体として見れば惹起されたものであり、結局彼自身の行為についての帰属の手掛かりは何も存在しないので、教唆者は正犯者でもないだろう。

X.一九世紀刑法学における教唆概念の形成と「間接正犯」

  今日周知のように、遡及禁止は歴史的に見ても教唆概念展開の原動力であった。一八世紀には、「犯罪実行者(auctor delicti)」と「犯罪協力者(socius delicti)」が区別されていたにすぎず、一九世紀初頭でも普通は「起因者(Urheber)」と「幇助者(Gehilfe)」の二つの名称しか用いられていなかった。「正犯者」と「教唆者」ーそして今日の「正犯者」、「教唆者」および「幇助者」の区別は一九世紀に生じたものである。もっとも、(一八世紀から一九世紀への)世紀の変わり頃には、フォイルバッハの教科書の初版に記されるように、起因者の内部でも、自らの力によって直接に、行為を実行する「物理的起因者(physischer Urheber)」と「その犯行に関する自分自身の利益から、違法な結果を惹起しようという他人の意思を決定すること」「により、犯行を直接生じさせる」「知的起因者(intellektueller Urheber)」が区別されるようになった。この物理的起因者と知的起因者の区別は以後の新しい展開を指導した。

  一八二〇年、ミッテルマイヤーは「物理的起因者」を、それまで刑法学においてはほとんど用いられることのなかった「正犯者(Ta¨ter)」という名称で呼ぶことを提案した。一九世紀中頃以降、正犯者は直接行為者の名称として落ち着いた。「知的起因者」は、ときおり「教唆者(Anstifter)」とも呼ばれていたが、この言葉を専門用語として用いたのは、アントン=バウアーであり、彼の影響によって、一八二五年のハノヴァー刑法草案がその六四条で、故意に他人を犯罪へと決意させた「すべての者」を「教唆者」としている。ハノヴァーを皮切りに、「教唆者」という言葉はドイツの各邦に取り入れられ、世紀の中頃には学説でも受け入れられた。この時代の人にとって、このような用語上の変更は適切なものと感じられたが、実質的にはさほど大きな意義は認められなかった。事実、「物理的起因者」と「正犯者」、「知的起因者」と「教唆者」は同義語と理解され、しばしば並置されたのである。

  一九世紀中葉になって、実行正犯者の自由という要件から教唆者に対しては次の帰結が引き出されてきた。一八五八年、ヘルシュナーは、「物理的起因者の側に必然的に自由行為が要求されるならば、その意思は自分自身にだけ根拠を有するのであって、教唆者の意思には有しない」として、知的起因者と物理的起因者の活動に「抽象的な因果性」を認めることは知的起因者性(intellektuellen Urheberschaft)概念に矛盾することを指摘した。ヘルシュナーによれば、「知的起因者の活動」とは、「自己決定を促すよう決定付けることのみにある」が、彼は、「このことを明確にし、根拠付けた」功績をケストリンに帰している。

  ランゲンベックも一八六八年の論文で、「通常は、他人の意思を意図的に犯罪実行へと決定する者を知的正犯者ないしは教唆者と呼ぶ。正確を期すならこの定義は適切ではない、なぜなら、原因と作用の間には・・・なお被教唆者の自由な意思決定が介在するので、他人の意思を決定付けるなどと言うことはできないからである」ときわめて明確に定式化している。また、このテキストの脚注では、「比喩的には、決定主体は意思に対して、原因の作用に対するのと同じ関係にあり、第一主体(先発の主体・紹介者)の意思が第二主体(後発の主体・紹介者)の意思に対してまさしく原因としての関係にある場合には、第二主体の意思はもはや意思ではなく、すなわちもはや自由ではない、原因とは効果を必然的に伴うからである。」と記しているが、これらの考察の基礎にあるのが遡及禁止であることは明らかである。

  その際、「見かけ上の教唆(scheinbare Anstiftung)」と呼ばれる一定の場合が教唆概念から排除される。見かけ上の教唆とは、ランゲンベックが記すところによれば、正犯者が「自由に行為する主体とされない」場合であり、「主観的な帰責無能力者」の利用、直接行為者の錯誤の招来ないしはその利用、絶対的強制、知的起因者が実行者(Vordermann)に「抵抗不能な支配力と法的に同視されるような態様で影響する」場合、がこれに属する。これらが教唆でないなら、実定法上どのように位置付けるかという問題があるが、これに対する決定的な解答は、ケストリンが一八四五年に与えている。すなわち、見かけ上の教唆者は、「ここでは本当は他人の行為を自らの手段とはしていない。むしろ、他人の作為は自己というものを持たない(selbstlos)自然原因の作用と全く同じように考えられ、それは第一の者の行為によって活動に移されたに過ぎない限りでは、その作用としか考えられないのである」から、「単独の、それゆえ物理的起因者と考えられる」。二十年以上後にランゲンベックも同じように見ている。

  この問題についてのケストリンとその後継者によって認められた解決は全く一貫している。すなわち、直接行為者の作為は自由な行為ではないので、これには遡及禁止は介入せず、惹起されたものと解さなければならない。その場合、背後者が直接行為者の行為を惹起するのであり、それにより彼は犯行結果を惹起し、犯罪構成要件を充足する。それゆえ、彼は正犯者、それも単独正犯者である。

  このような考察の背景にあるのは、厳格な因果概念であって、因果関係の寄与ドクトリン(条件説ないしは等価説を指す・紹介者注)ではこのような考察は全く成り立たない。当然、「等価説」の因果概念においても、「見かけ上の教唆」の場合に背後者が惹起するのは構成要件該当結果であるのだが、この場合「正犯者」とは教唆者でもあるので、このような形の「惹起」では背後者の正犯性の認定を基礎付けられない。

  一九世紀の議論において背後者が利用する「道具」という表現が台頭してきたが、そこでは上のような決定的な思考過程が再び薄められることになる。すでにプーフェンドルフがこの関連で”velut instrumento uti(道具を使用するかのごとく)”という言葉を用いてきたし、ミッテルマイヤーは一八四七年に「正犯ならば犯罪である行為を他人に決意させる」背後者と「他人を道具として犯罪へと決意させる」背後者の区別によって「教唆」と「見かけ上の教唆」の違いを述べたときこの比喩を用いた。「道具」という表現は、背後者の行為と犯行結果の間の、「犯行仲介者(Tatmittler)」の行為によって媒介される因果連関が特殊な因果連関であることを暗示するが、これは正しくない。すでにケストリンが記したように「見かけ上の教唆」の場合には背後者は「現実の行為」を自らの手段とするわけではないのである。一八八〇年代には定着したと思われる「間接正犯」という表現も同様に問題である。「間接正犯」という表現は「犯行仲介者」が背後者の正犯性の根拠付けにあたって重要であることを暗示するが、「犯行仲介者」は自由に行為してはいないので、ここでも背後者が「現実の」他人の行為を手段とするということは決してなく、むしろ、背後者と犯行結果の間の因果連関は通常のものであり、彼(背後者)は「単独の」それゆえ物理的起因者である(ケストリン)。

  「間接正犯」や「(自由に?)行為する道具」という言葉を背景とするなら、間接正犯が「擬制的正犯」(シュッツェ)と呼ばれ、背後者の行為と構成要件的結果の間の因果連関が「擬制的因果連関」(オルトマン)と呼ばれるのも不思議はない。これらの論者は間接正犯そのものについては争わず、「法の規定によってそのように取り扱われる正犯」(シュッツェ)とするのである。オルトマンは、背後者が他のハンターに獲物がいると誤信させて人を撃つよう仕向ける例について論評する。この場合、人を撃ったハンターが事情によっては過失犯で処罰されることがあることから、彼は「自由に」行為していることが分かるが、それゆえに、ハンターの発砲と被害者の死亡との間の因果連関は架空の(fingiert)ものである。

  しかしながら、シュッツェやオルトマンが引き出した推論を引き出すことはできない。ケストリンらは、帰責無能力や錯誤のある自由などの一連の条件が満たされる場合にはじめて、行為が自由であるかを問題とするが、このような自由行為概念は決定的なものとして前提とされており、問題の事案で遡及禁止が介入しない場合には、背後者の行為と犯行結果の因果連関は他の因果連関と同様のものとして扱われる。むしろ、シュッツェ、オルトマンの前提とする自由概念は、直接行為者が絶対的緊急状態(necessitas absolta)にないことで自由を認めるのに十分とするなど、異なっていることが決定的である。この(自由の)立場からは、背後者の行為と犯行結果の間の因果連関は、実行者の「自由な」行為により媒介される場合、遡及禁止が介入するから、現実のものではない、「擬制的な」因果連関である。実際には、互いに抵触する行為の自由概念の違いは、彼らには十分意識にはされていない。


Y.行為の自由という概念

  自由概念全体の基礎にあるものは何なのか?遡及禁止により原因連鎖において遡ることを許さない自由な行為とされるのはどういう場合か?自由行為という古い問題には、アリストテレスがニコマコス倫理学において「不自由とされるのは、支配力の影響下で、もしくは不知によりもたらされるものである」と消極的な形で解答を与えている。プーフェンドルフ等は vis(=「支配力(Gewalt)」)の代わりに、より包括的な necessitas(=「緊急状態(Notstand)」)を使うが、このようなアリストテレス流の行為の自由概念はヨーロッパの伝統に取り入れられ、今日の我々の観念をなお規定している。

  緊急状態または不知は、ある出来事の行為としての帰属の段階、もしくは違法行為の責任についての帰属の段階に関係するがこれを前提にすると以下の四つの事例群で行為の自由が排除される。

  (1)  絶対的緊急状態の場合、すなわち関係者(Betroffene)が出来事について選択肢を有しない場合。これに属するのは、絶対的強制の他、「不可能なもの、緊急なものは何人にも帰属されない」の命題が妥当するような、物理的緊急または物理的不可能にある、あらゆる場合である。

  (2)  事実の不知、すなわち重要な事実についての錯誤をもって行為する場合。事実とは、違法であるか否かにかかわらず、行為者の判断にとって決定的である場合に重要である。ー第一段階の通常帰属(ordentliche Zurechnung、第一段階の通常帰属では、ある事態が行為として帰属される・紹介者)が阻却される(1)と(2)の場合、関係者は「意思的でない」という意味で「不自由に」行為している。なお、特別帰属(auβerordentliche Zurechnung)の可能性は考慮されていない。

  (3)  負荷による緊急状態(necessitas cum adiunctione)の影響下にある場合。これに属するのは、相対的な強制状態(vis compulsiva)すなわち(免責的)緊急避難(三五条)の場合全般であるが、行為者が一定の疾患のために、その不法の弁識にしたがって行為する「能力」がない場合(二〇条第二選択肢)もこれにあてはまる。

  (4)  法律の錯誤、すなわち自らの作為の(法的な)重要性に関する錯誤をもって行為する場合。錯誤が疾患による行為の不法の弁識についての無能力によって生じる場合もこれに属する

  (3)と(4)の場合には、第二段階での通常帰属(違法行為の責任への帰属・紹介者)が阻却される。すなわち、行為者は意思的に行為するにもかかわらず、「自由意思でない」という意味で「不自由に」行為しているのである。以上から、正犯者が、完全な自由をもって、すなわち「意思的に」かつ「自由意思で」行為するのは、その行為が正犯者に帰属の両段階で通常帰属できる場合であるということになる。

  以上の考察から、一九世紀中頃の論者によって主張されてきた遡及禁止の基礎にある自由行為(actio libera)が明らかになったが、ここからは以下のような体系が導かれる。1、犯行を二つの帰属段階において通常帰属できる場合には、犯罪構成要件に該当する違法行為を自ら実行する者は、直接正犯者である。2、犯行を直接行為者に第一もしくは第二の帰属段階で通常帰属できない場合、背後者は間接正犯者である。3、背後者が犯行を二つの帰属段階で通常帰属できる直接正犯者でも間接正犯者でもない場合、彼は正犯者ではなく、他の要件が満たされれば教唆者である。

  第三の教唆の場合については、この見解は「厳格な従属性」論として知られている。これは一八七一年の帝国刑法典(四八条)で導入された。同条は教唆の成立について正犯者の「可罰的な」行為、すなわち犯罪構成要件に該当し、二つの帰属段階において通常帰属の可能な(違法な)行為を要件としている。ライヒ裁判所の判例もこれに基づいて形成された。また、間接正犯はその可罰性が各則構成要件によって確定される正犯であるので、(現行法のように)総則に特別規定は必要なかった。この体系に矛盾がないことと整合的であることは強調されるべきである。正犯者は構成要件該当結果を惹起しており、それゆえ犯罪構成要件を充足するのに対して、教唆者はその両方ともなさないので、直接正犯者とも間接正犯者とも別のものである。以上のような、一九世紀の論者達がした仕事は承認されるべきである。


Z.教唆の従属性の「制限」

  ところが、一九四三年、教唆の「厳格な従属性」は立法者によって廃止された。教唆犯成立の要件として、正犯者の「可罰的行為」(一八七一年刑法典四八条)に代わり、被教唆者によって実行される「刑罰で威嚇された行為」(一九四三年刑法四八条)が採用されたのである。どの程度の従属性を認めるかについて、立法者は「従属性の制限」という一風変わったタイトルで論じられる「裁量」を有していたことが一部で認められているが、この裁量とは極端に「制限された」従属性から、もはや制限を受けない「厳格な」従属性にまで及ぶものである。従属性の「制限」という選択肢は、シェンケや今日の現行刑法二六条が提示している。シェンケは、教唆が可能になるには、正犯者が(違法に)犯罪構成要件を充足することで十分なので、「正犯者が故意で行為しない場合に」でも教唆はあり得るとする。これに対して、現行刑法二六条は故意の(違法な)正犯行為を要求しているが、いずれにせよ正犯行為について正犯者の責任に対しても帰属できることは必要でない。

  ところが、このような従属性の「制限」は、直接行為者が意思的であるが、自由意思で行為していない場合、問題を投げかける。典型的なものは、直接行為者が刑法三五条一項一文により免責される緊急避難状況で行為する場合の、故意の背後者の問題である。この場合、通常背後者は間接正犯と考えられるが、直接行為者の行為は違法なので、法律の条文だけに従うなら背後者は教唆の構成要件も充足している。そのため、背後者について間接正犯と教唆犯の競合が生じる。

  しかし、正犯と教唆の排他的関係(前述V章を見よ)に鑑みれば、ある者が犯罪について正犯であると同時に教唆犯でもあることを認めることは排除されるべきである。これは間接正犯だけではなく直接正犯についてもいえる。これに対して、教唆の従属性の「制限」とは正犯と教唆が排他的関係に立つという想定を廃棄するものだと反論することはできない。この排他的関係は、何人も結果を惹起しながら、同時に惹起しないということはあり得ないことに依拠しており、刑法もそういう自己矛盾からは解き放たれなければならないからである。それゆえ、今日の二六条の規定に従い従属性の「制限」を基礎とするなら、間接正犯の適用領域を第一段階の(意思的な)帰属が問題となる場合に限定することによってのみ矛盾から解放される。すなわち、犯行が直接行為者に第一段階において通常帰属できない場合、背後者は間接正犯であるが、完全に帰属できる場合には、正犯者について第二段階の通常帰属が阻却されるか否かに関係なく、背後者は教唆犯にすぎない。この場合、一九世紀中頃の論者が前提としていた行為の自由概念より広い自由概念を前提とするであろうが、このような構成の論理的可能性については疑いがある。

  しかしながら、このような間接正犯の適用領域の限定については、私の知る限り、今日誰も考えておらず、強要緊急避難をはじめとして、直接行為者について第二段階の通常帰属が阻却される他のすべての場合についても背後者に間接正犯を認めることを断念しようとしない。この前提では不可避である正犯と教唆の交錯には、論者は皆不快感を持っていないようである。しかし、正犯と教唆の間に排他的関係を認めることには決定的な理由が存在するという記憶はそう簡単には消し去れない。そこで、ある論者はこのような矛盾を「間接正犯の形態においても正犯を」共犯に対して「優先」させることで回避しようとする。すなわち、罪数による解決である。クラマーは、正犯と教唆は交錯することがあり、その場合、教唆は間接正犯に対しては通常、補充的なものであるとする。しかし、このような罪数による解決は、問題の事案においてはまさに、背後者は正犯者であり、同時に教唆者でもあるという自己矛盾を前提にしている。

  もっとも、間接正犯の形式でも正犯が教唆に「優先する」という説を、罪数の段階で問題を解決すると理解する必要はなく、教唆の従属性の「制限」に関しては法律への服従を拒絶するというように理解することもできる。すなわち、実行者に対する教唆を認めるより、背後者の正犯を認めるのほうが(いかなる理由であれ)受け入れやすいので、背後者は実行者の犯行についての間接正犯であって教唆犯ではないとする。これは、強要緊急避難の場合の他、直接行為者について第二段階での通常帰属が阻却される場合に妥当する。こうして、間接正犯優先説は教唆の「厳格」従属性説に立ち戻るのである。


[.「正犯の背後の正犯」

  教唆の従属性の「制限」から生じる状況は、近時の BGH のように「組織化支配による間接正犯」を認めることで一層先鋭化する。ここでは、実行者が意思的かつ自由意思で、つまりあらゆる点で完全に帰属できる場合でも、背後者が犯罪行為を遂行する権力機構において指導的な役割を果たしているような場合だけは間接正犯、すなわち正犯の背後の正犯、であるとされる。従属性の「制限」により教唆の範囲が間接正犯にまで拡張されるのに対し、ここでは間接正犯が本来なら教唆である範囲にまで拡張される。

  「正犯の背後の正犯」は、犯行結果を少なくとも厳格な惹起概念の意味では惹起しておらず、それゆえ当該犯罪構成要件を惹起していないという重要な点においてこれまで述べてきた「間接正犯」とは異なる。もっとも、「正犯の背後の正犯」が犯罪構成要件を充足するという主張はほとんどなされておらず、その代わりこの点では全く当てにならない「行為支配」や「正犯意思」のようなトポイが持ち出される。

  「正犯の背後の正犯」は教唆犯でしかないが、今やこれを「正犯」と呼ぶなら、それはシュッツェが一二五年もの前に擬制した「法の規定によりそのように取り扱われる正犯」である。この擬制の支持者は、一九世紀以前に遡る伝統に依拠することができる。プーフェンドルフは「Quod quis per alium facit, ejus auctor ipse censetur.(ある者が他人を通じてあることをなすなら、その者自身が起因者とされる)」という法格言をもたらした。しかし、彼は「起因者」と「幇助者」、彼においては「causa principalis actionis(原理者)」と「causa minus principalis(非原理者)」のカテゴリーしか知らなかったので、彼は「正犯の背後の正犯」を原理者(起因者)に位置付けたであろう。また、ALR(プロイセン一般ラント法)U、二〇、六五は「他人を犯罪へと誘致する」「主たる起因者」を規定しているが、これはクラインの「他人を犯罪の実行もしくは共働へと指導し、ないしは犯罪に必要な行為の指導を引き受けた」、「首謀者」と関連する。さらに、現行刑法の施行された一九七五年一月一日以降、「正犯の背後の正犯」の主張者は、「他人を通じて犯罪行為を実行する者は正犯として処罰される」という二五条一項第二選択肢も引き合いに出せる。プーフェンドルフの法格言を想起させるこの公式は「正犯の背後の正犯」もこれに包摂されるという判例の主張を許すには十分広範で曖昧である。

  このような、「原理者」や「主たる起因者」に立ち返ろうとする判例の傾向は、二七一条や一六〇条ですでに以前から見受けられる。ライヒ裁判所は二七一条を、もともと想定されていたような、公文書偽造においては欠如する間接正犯のための特別な構成要件ではなく、文書偽造についての一般的な起因者性の構成要件として取り扱っているし、BGH は一六〇条を同様に、供述犯において欠如する間接正犯の特別規定ではなく、供述犯の一般的な起因者性の構成要件としているのである。これは錯誤の場合に明らかになる。すなわち、背後者は実行者が善意であると思っていたが、実際には悪意であった場合、判例が二七一条や一六〇条の未遂ではなく、既遂を認めるなら、そのことでこれらの規定の適用領域は教唆の領域まで拡張されているといえよう。つまり、この場合、これらの規定は擬制的間接正犯の場合だけでなく、教唆の場合も把握しており、一般に文書偽造や偽証の(知的)起因者を処罰する構成要件となっている。ガラスは、これは正犯と共犯の区別を無意味なものにすると一九六九年に考えていたが、これは全く正当であった。

  しかしながら、教唆者は「正犯と同じように処罰さ」れるので、「正犯の背後の正犯」を認める必要はないであろう。もっとも、かつてのように教唆者が教唆者でなくて「知的起因者」であったなら、これは恐らく適切ではなかっただろうが。たしかに、「組織化支配」の場合に、背後者にその行為を重大なものとして強調する呼称を与えるべきであるという要求は存在し、少なくとも「正犯の背後の正犯」を主張する論者にとっては「教唆者」という言葉では満足できないようである。しかし、原則的に起因者と幇助者という二つのカテゴリーしか持たなかったプーフェンドルフらと違って、我々は今日「正犯者」、「教唆者」および「幇助者」の三つのカテゴリーを持っている。「正犯者」と「教唆者」の区別、突き詰めるなら「教唆者」と「見かけ上の起因者」=「間接正犯者」の区別、においてはひとかたならぬ知的進歩があった。「正犯の背後の正犯」を認めることは、前世紀に形成された概念体系からはみ出す見せかけの間接正犯の新たな場合を、等価な補償なくして作出するという危険を有する。


\.過失正犯としての過失の教唆者?

  最後に、犯行を二つの帰属段階で完全に帰属することができる正犯者の背後者が過失で行為する場合、事態はどのように評価されるのかという問題が残る。例えば次のような場合である。すなわち、ある農夫が料理屋で、自分の隣人を金銭的に助けるためには彼の納屋が火事になるしかない、ともらす。このとき彼は、これを聞いた者が実際に納屋に火をつけるなどとは思いもよらなかったが、実際にはこれを聞いていた者の一人が火をつけた、という場合である。この場合、過失の教唆が考えられることは疑いないが、教唆者に犯罪実行についての「自己の利益」を必要とする者にとっては、過失の教唆は概念的にありえない。しかし、フォイエルバッハなどの論者や、一九世紀の刑法草案ではそのようなものは要求されていないし、一八七一年刑法典、現行刑法でも同様である。

  他方で、現行刑法二六条は明文で故意の教唆だけを処罰するとしているので、この限りで一義的な法律の文言に鑑みると過失の教唆は現行法では可罰的でないことも疑い得ない。もっとも、有力説は非故意で行為する教唆者は、それ以外の要件が充足される場合には、過失の正犯として処罰されることを認める。しかし、これは遡及禁止を破壊するものである。犯罪構成要件は被教唆者によって充足されるのであって、彼に犯行を決意させた者によって充足されるわけではない。また、教唆者が犯罪構成要件該当結果を「惹起する」というのは、少なくとも厳格な惹起概念の意味では正しくない。それゆえ、過失犯規定は、過失の教唆には依然として適用できない。

  しかしながら、一連の論者はこれを受け入れず、たしかに過失の教唆は可罰的でないが、過失の正犯はありうるというのである。ところが、このような過失教唆の過失正犯への転換は、いかなる場合でも過失の教唆は処罰しないという立法者の決定に反するし、また判例によっても自明のことではないという理由で許されない。さらに、このような転換は、故意犯については厳格な惹起概念と限縮的正犯概念が基準となるのに対して、過失犯では「条件説」ないしは「等価説」とこれから帰結する拡張的正犯概念、ないしは統一的正犯概念が妥当するという周知のジレンマにも通じる。しかし、それは刑法の体系を二つに引き裂くものであり、体系は「もはや体系でないもの」と化してしまう。それゆえ、この問題領域ではすぐに「等価説」から離れなければならない。それでも、因果関係の寄与ドクトリンはまだ共同正犯という避難所を残しているが、これはまた別のテーマである。