立命館法学 1999年3号(265号) 23頁




フランス憲法院による審署後の法律の「事後審査」
- その可能性と限界 -


蛯 原 健 介


 


目    次

は じ め に

一  一九八五年以前の憲法院判例
  1  一九七八年七月二七日判決における事後審査の拒否
  2  一九八五年以前における暗示的な事後審査

二  一九八五年一月二五日判決と事後審査の受理要件
  1  一九八五年判決の概要
  2  事後審査の受理要件
  3  学説の評価

三  一九八五年以後の事後審査事例
  1  一九八九年七月二五日判決
  2  一九九六年七月一六日判決
  3  一九九七年三月二〇日判決
  4  一九九九年三月一五日判決

四  事後審査の可能性と限界
  1  現行制度における事後審査の限界と憲法院改革
  2  裁判所における解決策
  3  政治部門による積極的対応の必要性



は  じ  め  に


  現代立憲主義国家の多くが違憲審査制を導入しているなかで、フランスの違憲審査制はきわめて特異である。一九五八年憲法により設置された憲法院(Conseil constitutionnel)は、当初から法律の合憲性を審査する裁判機関として活動をおこなっていたわけではなく、議会と政府の権限配分を主たる任務とする政治的機関としての役割を担っていたことが知られている(1)。憲法院が、実際に、法律の実体面について違憲審査をおこなうようになったのは、一九七一年の有名な「結社の自由」判決(2)以降のことにすぎない。にもかかわらず、違憲判決の多さでは際だった数字を残している。とりわけ、社会党政権の誕生やコアビタシオンによる激しい政治変動がみられた一九八〇年代には、法律の合憲性審査に関する憲法院判決のうち、実に七〇%以上が違憲判決であったといわれる(3)。わが国の最高裁判所において、法律が違憲とされた判決がわずか四種五件にすぎないことと比較すれば、この数字はまさしく「天文学的な数字(4)」といえよう。
  フランスの違憲審査の特異性を示すもうひとつの特徴は、いわゆる事前審査制にある。憲法六一条二項によれば、「法律は、その審署前に、共和国大統領、首相、国民議会議長、元老院議長、または、六〇人の国民議会議員もしくは六〇人の元老院議員によって、憲法院に付託されることができる」とされる(5)。したがって、法律の違憲審査が可能となるのは、法律が議会で可決された後、大統領がそれに審署する以前に限定されるのであり、ひとたび審署された法律を事後的に審査することはできないと考えられてきた。また、組織法律は、憲法院がかならず審査すべきことになっているものの、これもまた審署前の審査であることに変わりはない(憲法六一条一項)。憲法院の違憲審査がしばしば「法律の予防的コントロール」(contro^le pre´ventif de la loi)といわれるゆえんである。
  しかしながら、憲法院は、一九八五年一月二五日判決(6)において、一定の受理要件を提示しつつ、すでに審署された法律の事後審査を認める態度を明らかにした。この判決で取り扱われた事例では、受理要件が満たされていないとして、結果的に事後審査はおこなわれなかったものの、その後、複数の判決において、事後審査が受理され、実際に、審署後の法律に関する審査がおこなわれた。そしてついに、憲法院は、一九九九年三月一五日判決(7)において、はじめて審署後の法律を明示的に違憲と判断するとともに、審査に付された新たな法律の規定もあわせて違憲と宣言したのである。
  このような憲法院の動向は、一九七〇年代にはじまる憲法院の「活性化」以降、新たな潮流として定着しつつある「法律にたいする人権保障(8)」のさらなる進展とみなすことができる。フランスの学説は、近時の動向にたいして、多かれ少なかれ好意的な評価を示しており、最近では、憲法院による事後審査の問題を取り扱う本格的な研究(9)があらわれているだけでなく、憲法訴訟の概説書の多くが、事後審査を重要な問題として取りあげている(10)。今後も、憲法院が事後審査をおこない、審署後の法律を違憲とすることが大いに予想されるだけに、この問題をめぐって、活発な議論の展開が期待されよう。
  本稿は、フランスにおける「法律にたいする人権保障」の新たな展開として、このような憲法院による審署後の法律の事後審査を取りあげ、実際に事後審査がおこなわれた事例を分析するとともに、その意義と限界を検討するものである。まず、一九八五年判決以前に、憲法院が審署後の法律をどのように扱ってきたのか検証したうえで(一)、事後審査の可能性が示唆された一九八五年判決を分析し、そこで提示された事後審査の受理要件と学説による評価を検討する(二)。つぎに、この受理要件にしたがって、実際に事後審査がおこなわれた数件の事例を分析し(三)、最後に、事後審査の結果にたいする行政裁判所・司法裁判所や政治部門の対応のあり方を含め、現行制度のもとでの事後審査の可能性と限界について考察することにしたい(四)。

一  一九八五年以前の憲法院判例


  憲法院が事後審査の可能性を示唆したといわれる一九八五年一月二五日判決以前に、憲法院は、審署後の法律をどのように扱ってきたのであろうか。ここでは、事後審査が明白に拒否された事例として一九七八年七月二七日判決を概観し、また反対に、暗示的に審署後の法律にたいする判断がおこなわれた事例を取りあげることにしたい。

1  一九七八年七月二七日判決における事後審査の拒否
  憲法院が、審署後の法律に関する事後審査を明白に拒否した事例として、ラジオ・テレビ放送の国家独占に関する一九七八年七月二七日判決(11)があげられる。一九七二年七月三日法(12)二条は、「フランスのラジオ・テレビ全国放送公役務は国家の独占とする」と明記し、また、一九七四年八月七日法(13)二条二項は、「ラジオ・テレビ放送の公役務の任務遂行と独占行使は、本法に定める条件により、産業的・商業的性格を有する国の公施設法人および国営企業にゆだねられる」と規定し、これらによってラジオ・テレビ放送の国家独占原則が確立されていた。しかし、違反者にたいする罰則が規定されていなかったため、無免許で放送をおこなう者が多数あらわれ、その結果、刑事罰を科すことを可能にする法改正がはかられることになったのである(14)
  憲法院に提訴された法律は、放送の国家独占原則を定めた一九七二年法および一九七四年法に違反して、放送をおこなった者にたいし、軽罪をもって罰する犯罪を創設していた。すなわち、その法律は、一九七四年法を改正し、「本法(一九七四年法)に定められた独占に反して、ラジオ・テレビ放送をおこなった者は、一月以上一年以下の懲役かつ一万フラン以上一〇万フラン以下の罰金、またはそのいずれか一方の刑に処する。有罪の場合、裁判所は、施設および機器の没収を命ずる」という規定を挿入するものであった。そこで、提訴者は、放送の国家独占原則に反して放送をおこなった者に刑事罰を科すことが基本的自由の行使の侵害にあたると主張したが、憲法院は、以下のように述べ、その主張を退けた。

「提訴人の批判の唯一の論拠である〔国家によるラジオ・テレビ放送の〕独占は、一九七二年および一九七四年に適法に審署された法律である一九七二年七月三日法二条により創設され、一九七四年八月七日法二条により確認された。
  これらの法律の合憲性は、抗弁の方法によっても、憲法院では審査することができないのであり、憲法院の権限は、憲法六一条により審署前の法律の審査に限定される。したがって、(抗弁の方法によって合憲性が争われることのない法律により確認された)独占の違反につき刑事罰を設定することで、憲法院の審査に付された法律が憲法の規定または憲法的価値を有する原理に反する、という提訴者の主張には根拠がない」。

  憲法院は、以上のように述べ、すでに審署された一九七二年法および一九七四年法の定める放送の国家独占原則の合憲性を審査することなく、提訴された法律を合憲と宣言した(15)。この判決の論理にしたがえば、憲法院が審署後の法律について合憲性を審査することは、明らかに権限の逸脱であり、憲法院は審署前の法律しか審査しえないことになる。しかし、実際には、本件判決のように事後審査を明示的に拒否する判決が存在する一方で、この時期には暗示的ではあるが事後審査をおこなう判決もみられたのである。

2  一九八五年以前における暗示的な事後審査
  一九八五年以前においても、憲法院が、暗示的ではあれ、過去に審署された法律について判断をおこない、あるいは、審署後の法律の合憲性・違憲性が容易に推定される判決を下した事例は少なくない。
  (1)  審署後の法律の合憲性が推定される事例
  たとえば、憲法院は、公務員の給与減額に関する一九七七年七月二〇日判決(16)において、審署後の法律が合憲であることを暗示している。憲法院に提訴された法律は、職務不執行を理由とする給与減額を規定した一九六一年七月二九日法(17)を改正し、職務不執行に該当する場合を明確化するものであった。まず、一九六一年法は、四条において以下のように規定していた。

「第一項  公務員の一般規定に関する一九五九年二月四日の五九ー二四四オルドナンス第二二条(第一項)にしたがい、職務執行後に請求しうる給与は、公会計規則に定める態様にもとづいて支給される。
  第二項  一日の正規の勤務時間のうちの一部につき勤務しなかった場合、前項に定める規則にもとづき、給与月額のうち分割不可能の部分に等しい金額を削減する。
  第三項  前二項の規定は、各行政庁の職員または特別な地位を与えられた役務の職員、および毎月支給される給与を受けるすべての職員に適用される」。

  他方で、憲法院に提訴された法律は、職務不執行の概念を明確化するために、一九六一年法四条に新たな項を挿入し、@公務員が勤務時間の全部または一部について職務を遂行しない場合、または、A公務員が勤務時間に勤務したとはいえ、法律および命令の範囲内で、その職務にともなう職務上の義務の全部または一部を果たさない場合には、職務不執行となる旨を規定していた(18)
  提訴者である社会党議員は、職務不執行の定義について異議を申し立てるのではなく、職務上の義務の不完全履行にもとづき給与減額という新たなサンクションを科すことが、防禦権の原理に違反し、法律の前の平等原理にも反するなどとして提訴した(19)。これにたいして、憲法院は、つぎのように、すでに審署された一九六一年法の規定について判断を示した。

  「〔一九五九年二月四日オルドナンス二二条および一九六一年七月二九日法四条によれば〕給与減額は、公会計規則に定められ、かつ職務執行の概念に結びつけられる措置の性格を有する。給与減額は、職務上の過失を構成するような行為がなされた場合に、防禦権の尊重が必要となり、その行為を理由としてつねに生じうる懲戒処分ではない」。

  ここで憲法院は、一九六一年法の定める給与減額の性格は公会計規則に属する措置であって、防禦権の尊重が必要となる懲戒処分とは異なると解することによって、一九六一年法が防禦権違反とはならないと推論し、それゆえ違憲ではないことを暗黙に示唆している。そして、憲法院は、一九六一年法が防禦権に違反するものではないという判断から、提訴された法律の合憲性をみちびいたのである。
  同様に、一九八四年予算法に関する一九八三年一二月二九日判決(20)においても、憲法院は、審署後の法律の規定について判断し、それにもとづいて、提訴された法律の規定を合憲と宣言している。憲法院の審査に付された法律は、その一九条において、一般租税法典八八五ーN条、八八五ーO条、八八五ーP条および八八五ーQ条所定の職業財産(biens professionnels)を富裕税(impo^t sur les grandes fortunes)の課税基準から除外する趣旨を規定していた。ところで、すでに審署されていた一般租税法典八八五ーO条(21)は、職業財産の定義として、有限会社代表者の所有する持ち株が会社資本の二五%に相当する場合におけるその持ち株、そして、株主が会社資本の二五%以上を所有し、実際にその会社を経営する場合におけるその株式を規定していた。そこで、提訴者は、法律の前の平等を定めた一七八九年宣言六条、および租税の平等な分担を定めた同宣言一三条違反を理由として、一九条の規定に異議を申し立てたのである。
  これにたいして、憲法院は、提訴された法律だけでなく、すでに審署されていた一般租税法典八八五ーO条の規定についても暗黙に審査し、二五%という限界を定めたことにつき、つぎのように判示した。

「職業を営むのに必要な財産が富裕税の基準に考慮されるべきか否かの判断は、立法者の権限である。
・・・・本件法律一九条に定められた条件で、持ち株または株式が職業財産の性格をもつために会社の資本金の二五%に相当することを最低限としたのは、明らかに誤った評価にもとづくものではない。
  立法者は、富裕税の基準の設定原則を定めるにあたり、その点に関して客観的で合理的な基準にもとづいて判断した。したがって、富裕税は、とくに市民の負担能力をかならず考慮に入れながら、憲法的価値を有する原則および原理に照らして適法に設定されている」。

  このように憲法院は、一般租税法典八八五ーO条に定められた二五%という限界には評価の明白な過誤はないと判断し、その合憲性を暗に認めたうえで、提訴された法律の一九条が憲法に適合するという結論をみちびいたのである。
  このほかにも、憲法院が過去に審署された法律について暗黙に審査し、その合憲性が推定された事例として、一九八〇年七月一七日判決(22)があげられよう。本件においては、高等教育に関する一九六八年一一月一二日法(23)を改正し、大学評議会などにおける学生代表選挙の選挙人定足数(24)を変更する旨を規定した法律が、平等原理に反するなどとして提訴されたのにたいし、憲法院は、学生代表選挙に関する基本原則を定め、選挙人定足数の制度を導入した一九六八年法の合憲性を暗黙に認めたうえで、提訴された法律を合憲と判断したのである。
  また、一九八〇年一二月一九日判決(25)も、審署後の法律の合憲性が推定される事例と考えられる。同性の未成年者にたいする性的犯罪を定める刑法典の規定を改正する法律が、平等原理違反の理由で提訴されたところ、憲法院は、未成年者保護のために、同性間でなされた犯罪と異性間でなされた犯罪を区別しても平等原理に違反しないとして、この法律を合憲と判断した。そして、この事例においては、提訴された法律が、同性の未成年者にたいする犯罪を定める点では、すでに審署された一九七四年七月五日法(26)の規定とほぼ同じであったことから、一九七四年法の合憲性が推定されるのである。
  (2)  審署後の法律の違憲性が推定される事例
  他方で、過去に審署された法律の違憲性を暗黙に推測することのできる判決も存在する。そのような事例として、単独審に関する一九七五年七月二三日判決(27)をあげることができる。
  憲法院の審査に付された法律は、その六条において、刑事訴訟法典を改正し、出版犯罪を除くすべての軽罪事件につき単独審・合議審のいずれかによることの選択を大審裁判所長の権限にゆだねる旨を規定していた(28)。そこで、提訴者は、一七八九年宣言により保障された「人は、自由かつ権利において平等なものとして生まれ、生存する。法律は、保護を与える場合にも、処罰を加える場合にも、すべての者にたいして同一でなければならない」という基本原理に違反することなどを理由として、この規定を批判したのである(29)
  これにたいして、憲法院は、提訴者の主張を認め、つぎのように判示した。

    「・・・・憲法院に提訴された法律の六条は、刑事訴訟法典三九八条の一を改正する点において、とりわけ刑法に関係するにもかかわらず、一七八九年宣言に明言され、憲法前文で厳粛に再確認された法律の前の平等原理に含まれる、裁判の前の平等原理に反するものである。
      実際、この原理の尊重は、類似した条件におかれ、同じ犯罪で訴追される市民が、異なった準則にしたがって構成される裁判所で裁判されることを防ぐ。
      さらに、刑事訴訟に関する準則の決定を法律事項とした憲法三四条により、立法者が、市民の権利および自由の問題のように重要な問題に関して、提訴された法律六条の規定に定められた権限を別の機関にゆだねることはできない」。

  このように、憲法院は、裁判の前の平等原理違反などを理由として、提訴された法律の六条の規定を違憲と宣言したのである。
  ところが、すでに審署されていた一九七二年一二月二九日法(30)には、一部の軽罪だけについてではあるが、単独審・合議審の選択を大審裁判所長の権限にゆだねる趣旨の規定が含まれていた。そこにあげられていた軽罪は、@小切手に関する軽罪、A道路交通法、一九五八年二月二七日の五八ー二〇八法律、刑法三一九条および刑法三二〇条に定める軽罪、B輸送の整備に関する軽罪、C狩猟および漁業に関する農事法に定める軽罪であった。
  そこで、学説においては、本件憲法院判決に照らせば、一部の軽罪だけについてではあれ、単独審・合議審の選択を大審裁判所長の権限にゆだねた一九七二年法の規定は違憲であるとする見解が主張された。たとえば、ルイ・ファヴォルー(Louis Favoreu)らによれば、一九七二年法が憲法にしたがうものではないことは一九七五年判決から明らかであるとされ(31)、また、ジャン・リヴェロ(Jean Rivero)によれば、一九七五年判決で違憲とされた法律は一九七二年法を一般化して繰り返したものにすぎないのであるから、一方が違憲となればその影響は他方にも及ぶ、とされている(32)
  また、さきに言及した一九八四年予算法に関する一九八三年一二月二九日判決(33)では、すでに定められたオルドナンスの違憲性を推測することができる。憲法院の審査に付された法律は、その八九条において、税務官が、直接税および売上税の脱税捜査のため、大審裁判所長または予審判事の命令による許可を条件として、司法警察員の補佐を受けて、一九四五年六月三〇日の四五ー一四八四オルドナンス(34)を適用し、家宅捜索および差押えを含む捜査をおこなうこと認めていた。
  提訴者は、とくに一九四五年六月三〇日オルドナンス一六条二項があらゆる場所への立ち入りを税務官に認めた点を批判するとともに、これを適用する本件法律八九条が脱税捜査を税務官の決定にゆだねていること、脱税の疑いのない場合であっても税務官の裁量で捜査がおこなわれるおそれのあることを理由として、憲法六六条により裁判機関が保障する個人の自由の侵害を主張した(35)。これにたいして、憲法院は、「公の武力の維持および行政の支出のために、共同の租税が不可欠である。共同の租税は、すべての市民の間で、その能力に応じて、平等に分担されなければならない」と規定した一七八九年宣言一三条に言及した後、以下のように述べた。

    「〔一七八九年宣言一三条という〕憲法としての効力を有する規定にしたがえば、個人の自由と権利の行使は、脱税を容認するものではありえず、合法的な抑圧を妨げるものでもありえない。したがって、原則においては、本件法律八九条の規定は批判されるべきものではない。
      脱税を防ぐ必要性から、税務官が私有地上で捜査することが認められうるにしても、そのような捜査は、あらゆる側面における個人の自由の保護、とりわけ住居の不可侵の保障を裁判機関にゆだねている憲法六六条を尊重するものでなければ認められない。裁判機関は、みずからに帰属する統制権と責任のすべてを引き受けて活動しなければならない」。

  このように述べたうえで、憲法院は、一九八四年予算法八九条について検討し、@脱税捜査の認められる範囲が明確に画定されていない、A税務官の捜査を許可する権限のある裁判官に、許可申請の妥当性を具体的に確認する任務が与えられていない、B許可後、脱税捜査の実施段階における裁判機関の関与およびコントロールについて言及がみられない、等々の理由をあげ、以下のように宣言した。

    「本件法律八九条の規定は、個人の自由および住居の不可侵の要請と同様に、脱税対策の要請にも明示的に応えるために、解釈の余地がなく濫用を禁じる規定を含む明確なものでなければならなかった。したがって、現状では、同条項が憲法に適合すると宣言することはできない」。

  憲法院は一九四五年六月三〇日オルドナンスの合憲性について直接言及しているわけではないが、提訴の内容や立法過程から両者の関係を認めることが可能であると指摘されている(36)。また、学説の一部には、憲法院の定めた原理によれば、一九四五年オルドナンスにより定式化された原則は一九五八年憲法に由来する憲法上の権利と両立しえないとする見解もみられる(37)
  これらの事例のほかに、一九八五年一月二五日判決の直前に下された一九八五年一月一八日判決(38)においても、審署後の法律の違憲性を推定することができる。本件では、公金横領罪(de´lit de malversation)を処罰する旨を定めた法律の規定が、罪刑法定主義を宣言した一七八九年宣言八条に違反するという理由で提訴されたのを受けて、憲法院は、問題の規定が明確な表現で構成要件を定めるものとなっていないとして、これを違憲とした。ところが、この規定は、すでに審署された一九六七年七月一三日法(39)一四六条の規定と同旨であったため、後者の規定の違憲性が推測されるにいたったのである(40)
  以上のように、事後審査を明示的に拒否した一九七八年七月二七日判決を別とすれば、憲法院は、一九八五年判決に先立って、すでにいくつかの判決のなかで、審署後の法律について暗示的に判断し、あるいは、審署後の法律の合憲性・違憲性が容易に推定される判決を下していたのである。

二  一九八五年一月二五日判決と事後審査の受理要件


  ヌーヴェル・カレドニーの緊急事態に関する一九八五年一月二五日判決(41)は、しばしば事後審査のリーディング・ケースといわれている。ここでは、一九八五年判決の概要をみるとともに、その判決で提示され、現在にいたるまで維持されてきた事後審査の受理要件を分析し、あわせてこの判決をめぐる学説の評価も紹介することにしたい。

1  一九八五年判決の概要
  一九八五年一月、政府は、当時独立運動が激化していたヌーヴェル・カレドニーの混乱状態を鎮静化するために、緊急事態に関する一九五五年四月三日法(42)、およびヌーヴェル・カレドニーにおける緊急事態の適用を認める一九八四年九月六日法(43)にもとづいて緊急事態を宣言した。ところが、一九五五年法二条三項は「一二日以上にわたる緊急事態の延長は法律によってのみ認められる」と規定していたため、期間を延長するには新たな法律の制定が必要であった。そこで、政府は、緊急事態の期限切れを目前にして、緊急事態を一九八五年六月三〇日まで延長する法律を可決させたが、この法律は反対派によって憲法院に提訴された。憲法院は、提訴を受けた後わずか半日で判決を下し、本件法律を合憲と判断したのである(44)
  ところで、この判決は、提訴者が一九五五年法および一九八四年法の審査を求めたのにたいし、つぎのように事後審査の可能性を示唆した点できわめて重要である。

    「すでに審署された法律の改正、補完またはその適用領域に影響を及ぼすことを目的とする法律を審査するにあたり、すでに審署された法律の文言を違憲とすることはできるが、そのような法律の単純な適用(simple mise en application)が問題となる場合はそうではない」。

  結局、本件では、提訴された法律の目的は、「すでに審署された法律の改正、補完またはその適用領域に影響を及ぼすこと」にはなく、すでに審署されていた一九五五年四月三日法および一九八四年九月六日法を適用して、緊急事態を延長することが目的であったため、審署後の法律にたいする事後審査はおこなわれなかった。しかし、「すでに審署された法律の改正、補完またはその適用領域に影響を及ぼすことを目的とする法律」が審査に付された場合には、審署後の法律を違憲と判断することが可能とされ、はじめて明示的に事後審査の可能性が述べられたのである。

2  事後審査の受理要件
  憲法院は、一九八五年一月二五日判決において、事後審査が可能な場合とそれが不可能な場合を明確に区別した。前述のとおり、憲法院が提示した受理要件にしたがえば、審署後の法律の審査が可能となるのは、審署された法律を改正する法律、補完する法律、またはその適用領域に影響を及ぼす法律が審査に付された場合であり、これにたいして、事後審査ができないのは、審署後の法律を単純に適用するにすぎない法律が審査に付された場合である。ここでは、ジャック・フェルスタンベール(Jacques Ferstenbert)の分析に依拠しながら、事後審査の受理要件について検討することにしたい。
  まず、事後審査が可能な場合について検討してみよう。第一に、「審署された法律を改正する法律」は、他の二要件と明確に区別される限定的な意味で理解すべきであり、旧来の規定を新たな規定と取り替える(remplacer)こと、または入れ替える(se substituer)ことを意味する。この場合、提訴された新たな法律の規定は、旧来の規定を受け継いだものとされる(45)。この要件に該当するといえる事例としては、高等教育法を改正し、各種評議会における学生代表選挙の選挙人定足数を変更する法律が合憲とされた前掲一九八〇年七月一七日判決(46)、同性の未成年者にたいする性的犯罪を定めた刑法典の規定を改正する法律が合憲とされた前掲一九八〇年一二月一九日判決(47)、そして公金横領罪を処罰する旨を定めた法律の規定が違憲とされた前掲一九八五年一月一八日判決(48)があげられよう。
  第二に、「審署された法律を補完する法律」は、旧来の規定に新たな規定を加え、または、既存の規定に説明を加える法律とされる(49)。この要件に該当すると考えられる事例としては、公務員の給与減額を規定した旧来の法律を改正し、給与減額の対象となる職務不執行の定義を明確化した法律が合憲とされた前掲一九七七年七月二〇日判決(50)、そして、旧来の法律で確立されていた放送の国家独占原則を強化し、その違反者にたいして刑事罰を科すことを定めた法律が合憲とされた前掲一九七八年七月二七日判決(51)があげられよう。
  第三に、「審署された法律の適用領域に影響を及ぼす法律」は、旧来の規定における適用範囲を縮小または拡大し、あるいは新たな領域や新たな状態を付け加えるものとされる(52)。この要件に該当すると解される事例として、税務官に家宅捜索等を認めた法律が違憲とされた前掲一九八三年一二月二九日判決(53)、収用法典に定められた緊急収用手続を鉄道建設にも認めた法律が合憲とされた一九八九年七月二五日判決(後述(54))のほか、国外に本拠をおく法人が国内に所有する不動産にたいする課税制度が問題となった一九八九年一二月二九日判決(55)をあげることができよう。なお、一九八九年一二月二九日判決において、審査に付された法律は、すでに審署された一九八三年予算法(56)によって導入された課税制度を明確化するものであったが、憲法院は、事後審査をおこなわなかった。しかし、フェルスタンベールの指摘によれば、この事例において、審査に付された法律は、旧来の規定の適用範囲に影響を及ぼすものであったことから、事後審査の受理要件を満たしうるものと解されるのである(57)
  このように、一九八五年判決において新たに提示された事後審査の受理要件に照らしてみると、一九八五年以前に、暗示的に事後審査がおこなわれた事例のほとんどが、この受理要件を満たし、事後審査の及びうるものであったことが明らかになるといえる。
  これにたいして、事後審査が不可能とされる場合、すなわち、「審署された法律を単純に適用するにすぎない法律」の概念−いわゆる「適用法律」(loi d’application)の概念−は明確ではないという。たとえば、ミシェル・ド・ヴィリエ(Michel de Villiers)は、現行法によってすでに定められた権限を変更することなく、その行使をある機関に認めるにとどまる法律と定義し(58)、またフランソワ・リュシェール(Francois Luchaire)は、真の規範を含む法律の適用を開始させる条件行為と理解している(59)
  実際に、審査に付された法律が適用法律に該当するために審署後の法律の事後審査が拒否された事例は少なくない。すでにみたように、緊急事態に関する既存の法律を適用し、ヌーヴェル・カレドニーにおける緊急事態を延長する法律が合憲とされた本件一九八五年一月二五日判決では、提訴された法律は適用法律にすぎないとして、結果的に事後審査は回避されることとなった。
  また、一九六六年予算法七二条によってすでに定められていた《consolidation des dettes commerciales des pays e´trangers》と称する外国政府にたいする融資制度を継続し、同様の融資を計上した一九七六年予算法が提訴されたのにたいし、憲法院が、一九七五年一二月三〇日判決(60)において、これを合憲とした事例も同様である。すなわち、提訴された一九七六年予算法の規定は、一九六六年予算法の規定を適用し、既存の融資制度を継続するにとどまるものであったことから、憲法院は、これを適用法律とみなし、事後審査をおこなわなかったものと考えられる。
  さらに、一九七〇年予算法などによって維持されてきた景気対策基金(Fonds d’action conjoncturelle)の原則を適用する法律が提訴され、憲法院が、一九七六年一二月二八日判決(61)において、これを合憲とした事例をみても、提訴された法律の規定は一九七〇年予算法などによって定められた原則を継続する適用法律であったため、事後審査が回避されたものといえよう。
  たしかに、適用法律の概念はそれほど明確ではないとはいえ、フェルスタンベールが指摘するように、適用法律は、法改正の場合とは異なり、ある状態を延長したり、ある措置を継続するにとどまるのであり、審署後の法律を少しも変更するものではない、という点に特徴がみられるのである(62)。もっとも、一九八五年判決からみちびかれるこのような受理要件の妥当性については、学説においても、積極・消極両面から議論が展開されている。そこで、つぎに学説の議論状況をみることにしたい。

3  学説の評価
  (1)  消極的評価
  一九八五年判決で提示された事後審査の受理要件について、これを消極的に評価する評釈者は少なくない。ここで、いくつかの消極的評価を紹介することにしよう。
  パトリック・ワクスマン(Patrick Wachsmann)は、「合憲性の付随的コントロールを可能とする新たな原理における例外」、すなわち、審署後の法律を適用する法律の場合には事後審査はおこなわれないとする例外は、「不適切」(peu judicieuse)であるという。なぜなら、「提訴されたテクストが基礎となる法律を改正する場合には、その法律を審査するというのに、憲法院に提訴されたテクストの性格が適用措置(mesure d’application)であるからといって審査の不受理を正当化することはできない」のであり、「審査に付されたテクストと審署後の法律との関係の性格は、実際には、提訴されたテクストの合憲性を全面的に審査することの重要性と比較すれば、二義的なもの」にすぎない以上、そのような関係の問題を前面に持ち出して、重要な問題を決定することはできないからである。そして、憲法院の受理要件が、「緊急事態に関する法律の付随的審査を回避しうる点で、憲法裁判官にとって好都合なものであったという印象を払拭することはできない」という(63)。このように、ワクスマンは、憲法院が提訴された法律と審署後の法律の関係という二義的な問題によってコントロールの可否を決定しようとする点を批判するとともに、実際に緊急事態に関する法律の事後審査を回避した点を批判するのである。
  また、リュシェールは、つぎのように批判している。「憲法院のおこなった区別を理解することは困難である。どうして、審署後のテクストを適用するものが提訴された場合には、合憲性は審査されず、審署後のテクストを改正し、補完し、またはその適用範囲を拡大するものが提訴された場合には、審査がおこなわれるのであろうか。このような区別を正当化するものは存在しないように思われる。本件では、かかる区別が、緊急事態、さらには戒厳令の提起するもっとも重要な問題に憲法院が応えないことを許してしまった。このような事態は、たしかに例外的ではあるが、憲法六六条に反して、司法的統制もなしに、個人の自由を侵害することができるのであろうか(64)」。このようなリュシェールの批判の特徴は、憲法院が、正当化困難な受理要件を用いて、緊急事態に関する法律の審査を回避した点を批判するだけでなく、とりわけ個人の自由にたいする侵害が生じる可能性を指摘する点にあるといえる。
  ドミニク・ルソー(Dominique Rousseau)も、憲法院の提示した受理要件を批判して、つぎのように述べている。「新たな原則における唯一の例外として、新たな法律が審署後の法律の『単純な適用』にすぎない場合には、審署後の法律の合憲性コントロールはおこなわれない。こうした特殊な取扱いを正当化することは困難である。審査に付された法律と審署後の法律との関係の性格が、コントロール行使に影響を及ぼしうるのであろうか。『単純な適用』ということだけでは、〔審署後の法律の〕合憲性を保障するものとはならない。新たな法律は、違憲の規定を含んだ審署後の法律を完全に適用する可能性がある。審署後の法律が改正されないという事実ゆえに審署後の法律の不審査が正当化されるのは、どうしてなのか(65)」。ここでルソーは、提訴された法律が審署後の法律の「単純な適用」であるとして事後審査を回避するならば、そもそも違憲の内容を含む法律の全面的適用が放置されることになる矛盾を指摘するのである。
  以上のように、消極的評価の論拠には多少の差異がみられるが、さしあたり、@憲法院が受理要件として提示した「すでに審署された法律の改正、補完またはその適用領域に影響を及ぼすことを目的とする法律」と「審署された法律を単純に適用するにすぎない法律」との区別が事後審査の回避をみちびくという矛盾を指摘するもの(ワクスマン、リュシェール、ルソー)、A審査に付された法律と審署後の法律との関係はコントロールの可否を決定するような本質的な問題ではないとするもの(ワクスマン、ルソー)、B憲法院がおこなった区別は、緊急事態における司法的コントロールを不可能にし、個人の自由にたいする侵害を許すものであるという批判(リュシェール)、C憲法院の区別にしたがえば、適用法律の場合には審査がおこなわれないことから、審署後の法律に含まれる違憲の規定が正当化され、そのまま適用される危険を指摘するもの(ルソー)、に分類することができよう(66)
  (2)  積極的評価
  他方で、憲法院の受理要件を積極的に評価する見解もみられる。たとえば、ファヴォルー=フィリップは、「旧来の法律を繰り返し、適用するにすぎない法律の有効性について、旧来の法律が違憲であることを理由に、異議を申し立てることはできない。なぜなら、提訴された法律は『透明』(transparente)だからである。提訴された法律の無効を宣言することは、憲法六一条の定める事前審査の原則に反して、(すでに審署された)旧来の法律の無効を宣言することである」と述べている。かれらは、適用法律の場合に憲法院が事後審査を退けるのは憲法六一条の趣旨にも適合するとして、肯定的に受けとめるとともに、憲法院がそれまで躊躇していた事後審査の可能性を示唆した点では、リーディング・ケース(de´cision de principe)として積極的に評価するのである(67)
  また、フェルスタンベールは、憲法院の示した受理要件が満たされるケースはきわめて例外的であるとする見解を批判し、その後の判決において実際に事後審査がおこなわれた事例をあげるとともに、一九八五年以前の判決においても、そのような受理要件にしたがって、暗示的な審査がおこなわれていたことが確認されるという(68)。そして、「憲法院の唯一または主要な目的がヌーヴェル・カレドニーにおける緊急事態の適用を妨げないことにあったならば(しかし、そのことは確認できないが)、どうして憲法院は、たんに以前の判例に言及するのではなく、言及しなくてもよい一般的区別をわざわざ提示したのであろうか。以前の判例の表現によれば、審署後の法律の憲法適合性は、『抗弁の方法によっても、憲法院では審査することができないのであり、憲法院の権限は、憲法六一条により審署前の法律の審査に限定される』とされていたではなかったか」と述べ、憲法院があえて事後審査の受理要件を提示した事実に注目する(69)。さらに、フェルスタンベールは、ワクスマンなどのように受理要件を批判する評釈者であっても、本件判決につき、憲法規範にたいする立法者の服従の新段階をなし、新たな原則を強化するものとして、一定の意義を認めていることを指摘するのである(70)
  以上のような積極的評価の論拠を整理すれば、@適用法律を区別することは事前審査を原則とする憲法六一条の趣旨と適合的であるとするもの、A一九八五年判決以後、憲法院が実際に事後審査をおこなっている事実を指摘し、憲法院の示した受理要件が満たされるケースは例外的とはいえないとするもの、B憲法院がおこなった区別はすでに一九八五年以前の判決にも認められるのであって、憲法院はその区別にしたがって暗示的に事後審査をおこなっていたとするもの、C憲法院が言及しなくてもよい受理要件をあえて提示した点に着目するもの、D事後審査は立法者にたいするコントロールの強化を意味するとして積極的に評価するもの、などに分類することが可能であろう(@はファヴォルー=フィリップの見解、A−Cはフェルスタンベールの見解、Dはフェルスタンベールや受理要件を批判するワクスマンをはじめ多くの評釈者の見解にみられる)。いずれにしても、受理要件の評価をめぐっては、ここに示したような学説の対立があるものの、憲法院が事後審査の可能性を示唆したこと自体については、まさしく憲法院によるコントロールの進展として、学説において積極的に評価される傾向がみられるといえよう。

三  一九八五年以後の事後審査事例


  一九八五年判決において事後審査の可能性が示唆された後、憲法院の示した受理要件にしたがい、受理要件が満たされない場合には事後審査が拒否される一方で、受理要件が満たされる場合には審署後の法律に関する事後審査が実際におこなわれ、最近では、違憲判断が示される事例もあらわれるにいたった。ここでは、いくつかの判決を取りあげながら、一九八五年判決以後の事後審査事例を検討することにしたい。

1  一九八九年七月二五日判決
  本件は、公益を理由とする収用法典L一五条の九所定の緊急収用手続を鉄道建設にも認める都市計画・新都市圏関連法九条の規定に関するものである。この規定につき、提訴者は、所有の正当かつ事前の補償を定めた一七八九年宣言一七条、「共和国の諸法律によって承認された基本的原理」である司法権による所有権の保障原理、および市民の平等原理に反するとして、異議を申し立てた。これにたいして、憲法院は、一九八九年七月二五日判決(71)において、すでに一九七〇年一二月二三日法(72)として審署されていた収用法典L一五条の九について審査を受け入れ、以下のように述べた。

    「審署後の法律を改正し、補完し、またはその適用範囲に影響を及ぼす法律が憲法院に提訴された場合に、審署後の法律の文言の憲法適合性について有効に異議を申し立てることができる。
      したがって、収用法典L一五条の九として法典化された一九七〇年一二月二三日の七〇ー一二六三法律の単一条項の文言だけでなく、L一五条の九が参照する法律の効力を有するテクストの文言もまた憲法に違反しないことを確認するのは、憲法院の役割である」。

  憲法院は、このように事後審査の受理を明言し、収用法典L一五条の九の規定を引用したうえで、@一七八九年宣言一七条に違反するか、A「共和国の諸法律によって承認された基本的原理」に違反するか、B平等原理に違反するか、の三点について審査をおこなった。そして、@については、緊急収用手続の適用範囲が厳格であり、関係所有者にたいする保障が定められているので、一七八九年宣言一七条に違反しない。Aについては、補償額の決定に関して司法裁判官の関与は妨げられないのであるから、「共和国の諸法律によって承認された基本的原理」に違反しない。Bについては、公益を理由に収用される財産の所有者が直接的、物質的かつ確定的な損害の全体を補償されるという原則は満たされていることから、平等原理に違反しない、と判断した。
  すでに審署された規定である収用法典L一五条の九について実体的に判断した後で、憲法院は、つぎのように、提訴された法律の規定の合憲性を結論づけている。

    「以上のことから、L一五条の九が憲法的価値を有するいかなる原則や原理にも違反しないことがわかる。目下審査されている法律の九条により、鉄道に限ってその適用範囲を拡大することもまた憲法に違反しない」。

  結局、本件においては、憲法院が一九八五年判決で示した事後審査の受理要件のうち、まさに審署後の法律の適用範囲に影響を及ぼす場合に該当するとして、事後審査がおこなわれた。結果的には合憲の判断が下されたとはいえ、憲法院が実際に事後審査をおこなったことで、本件判決は注目を集めることとなったのである。

2  一九九六年七月一六日判決
  テロ対策法に関する一九九六年七月一六日判決(73)では、現行オルドナンスに関する事後審査がおこなわれた。憲法院の審査に付された法律は、その二五条において、外国人の不法な入国・往来・滞在を直接的・間接的に助けた者を罰する旨を定めた一九四五年一一月二日オルドナンス(74)二一条の規定の適用範囲を限定するものであった。すなわち、@尊属または卑属にあたる場合、A配偶者にあたる場合(別居夫婦を除く)には、外国人の不法滞在を助けても起訴されない、という規定が一九四五年オルドナンス二一条に挿入されることになっていたのである。
  提訴をおこなった元老院議員は、現行法規である一九四五年オルドナンス二一条の規定が、外国人の不法滞在を助ける行為にたいして一般的・絶対的・不明確な処罰を定めており、人間の尊厳原理に反するとともに、一七八九年宣言八条に定められた罪刑法定主義にも反するとして、その規定の違憲性を主張した。
  これにたいして、憲法院は、つぎのように述べ、一九八五年判決で確立された受理要件にあらためて言及したうえで、一九四五年オルドナンスの現行規定に関する審査を受け入れた。

    「・・・・審署後の法律を改正し、補完し、またはその適用範囲に影響を及ぼす法律が憲法院に提訴された場合に、審署後の法律の文言の憲法適合性について有効に異議を申し立てることができる。憲法院の審査に付された法律は、二五条において、とりわけ前述一九四五年一一月二日オルドナンス二一条の適用範囲を限定することを目的とする。したがって、〔一九四五年オルドナンス二一条の〕規定の憲法適合性を審査し、前記の提訴趣意について決定を下すことは憲法院の権限に属する」。

  ここでは、事後審査の受理要件に照らし、審署後の法律の適用範囲に影響を及ぼす場合に該当するとして、事後審査が受理されたのであった。そして憲法院は、一九四五年オルドナンス二一条の規定を実体的に審査し、憲法的原理を尊重しながら犯罪と刑罰に関する規範を制定するのは立法者の権限であること、二一条に定められた犯罪は裁判官の恣意的な判断を許すものではないこと、この規定は人間の尊厳原理と矛盾するものではないことを指摘し、提訴者の主張を退けたのである。
  もっとも、憲法院が事後審査をおこないながらも、結論として一九四五年オルドナンス二一条の規定を合憲と判断したことについては、学説において批判的な見解が示されている。たとえば、ルソーは、一九四五年オルドナンス二一条が一般的かつ不明確であることから、一七八九年宣言七条および八条に明記された罪刑法定主義や刑罰の必要性原理を尊重するものとはいえないと指摘し、憲法院の判断を批判している(75)。たしかに、一九四五年オルドナンス二一条が憲法的要請を完全に満たすものであれば、なぜ適用範囲を限定する必要性があったのか、という疑問も生じる余地がある。

3  一九九七年三月二〇日判決
  年金貯蓄計画(plans d’epargne retraite)に関する一九九七年三月二〇日判決(76)では、すでに審署された社会保障法典の規定が、法律事項を定めた憲法三四条に反するかが問題となった。憲法院の審査に付された法律は、その二七条において、社会保障負担金の算定基礎から雇用者分担金を除外していた社会保障法典L二四二条の一を改正し、年金貯蓄計画についても、雇用者の加入を免除する旨を規定していた。ところで、社会保障法典L二四二条の一は、このような免除の総額および割合の決定を命令にゆだねていたため、提訴者は、その規定が立法者の権限を侵害し、社会保障の基本原則の決定を法律事項とした憲法三四条に違反すると主張したのである。
  これにたいして、憲法院は、以下のように述べ、受理要件にあらためて言及したうえで、すでに審署された社会保障法典の規定の審査を受け入れた。

    「・・・・審署後の法律を改正し、補完し、またはその適用範囲に影響を及ぼす法律の審査に際して、審署後の法律の憲法適合性について有効に異議を申し立てることができる。憲法院の審査に付された法律の二七条は、社会保障法典L二四二条の一第五項の規定を改正するものであることから、憲法院は、後者の規定の合憲性について決定を下すことができる」。

  このように、本件では、審署後の法律が改正される場合に該当するとして、事後審査が受理されたのであった。そして、憲法院は、憲法三四条によれば、社会保障負担金の算定基礎の要素を決定し、免除制度の導入やその範囲を決定することは立法者の権限であるが、法律の目的をゆがめることなく、その免除の総額および割合を決定することは命令事項に属すると述べ、社会保障法典L二四二条の一第五項が免除額の決定をデクレにゆだねても、憲法三四条の定める法律事項を侵害しない、と判断した。そして同様に、憲法院の審査に付された法律の二七条も、憲法三四条に違反しないと宣言したのである。

4  一九九九年三月一五日判決
  ヌーヴェル・カレドニーに関する一九九九年三月一五日判決(77)では、すでに審署された法律である会社の清算・更正に関する一九八五年一月二五日法(78)の規定が審査され、違憲と判断されるとともに、その規定に言及した組織法律の新たな規定も違憲と宣告された。憲法院の審査に付された、ヌーヴェル・カレドニーに関する組織法律は、その一九五条のTの五号において、会社の清算・更正に関する一九八五年一月二五日法一九二条、一九四条および一九五条にもとづき、ヌーヴェル・カレドニーにおける地方議会(congre`s et assemble´es de province)の被選挙権剥奪を宣告することを規定していた。なお、一九八五年法は、かつて憲法院に提訴され、一九八五年一月一八日判決(79)において一部の規定が違憲と宣言されたが、一九二条、一九四条および一九五条の規定についての憲法判断は示されなかった。
  一九八五年一月二五日法一九二条、一九四条および一九五条は、以下のように規定していた。

 「第一九二条第一項  一八七条から一九〇条までに定められた場合において、裁判所は、自己破産の代わりに、・・・・企業、農業開拓および法人の経営、管理、運営および指導の禁止を宣告することができる。
  第二項  前項の禁止は、・・・・一八五条に記載された者にたいして宣告することもできる。」
  「第一九四条  自己破産または一九二条所定の禁止を宣告する判断を受けた者は、何人も選挙により選出される公職を遂行することはできない。会社の清算を宣告された自然人も同様である。この措置は、担当機関から宣告対象者に通告がなされた時点で、当然のこととして実施される。」
  「第一九五条第一項  裁判所は、自己破産または一九二条所定の〔企業経営などの〕禁止を宣告するとき、五年以上の被選挙権剥奪期間を定める。裁判所は、決定の仮執行を命じることができる・・・・。
  第二項  会社の清算を宣告された者は、何人も五年間は選挙により選出される公職を遂行することができない。(第三項以下省略)」

  憲法院は、本件判決において、以下のように述べ、一九八五年法の審査が可能であることを明言した。

    「・・・・審署後の法律を改正し、補完し、またはその適用範囲に影響を及ぼす法律の審査に際して、審署後の法律の憲法適合性を評価することができる。憲法院の審査に付された法律の一九五条のTの五号は、前述一九八五年一月二五日法一九二条、一九四条および一九五条の規定の対象をヌーヴェル・カレドニーの地方議会選挙に拡大するものである。したがって、この規定が憲法に適合することを確認するのは、憲法院の権限である」。

  本件では、一九八五年判決で提示された受理要件に照らして、審署後の法律の適用範囲に影響を及ぼす場合に該当するとされたのである。そして憲法院は、「法律は、厳格かつ明白に必要な刑罰でなければ定めてはならない。何人も、犯行に先立って設定され、公布され、かつ、適法に適用された法律によらなければ処罰されない」と定める一七八九年宣言八条を引用したうえで、以下のように述べた。

    「刑罰の必要性原理の意味するところによれば、裁判官が事件に固有の状況を考慮に入れて、明白に宣告した場合でなければ、被選挙権を剥奪することはできない。負債が十分に弁済された場合に、関係者の要請に応じて事後的に被選挙権を回復する権限が裁判官に与えられてはいるが、それだけでは、一七八九年宣言八条に明言された刑罰の必要性原理からみちびかれる要請を尊重することにはなりえない。
      したがって、〔一九八五年法〕一九四条は、原則として少なくとも五年以上の期間にわたり、選挙により選出される公職を遂行することはできないとし、この措置を決定する裁判官が明白に被選挙権剥奪を宣告することなく、それが、自己破産、一九八五年一月二五日法一九二条所定の〔企業経営などの〕禁止、または会社の清算を宣告されたすべての自然人に当然に適用されるとしており、刑罰の必要性原理に反するものである。被選挙権剥奪に言及する〔一九八五年法〕一九五条の規定も、これと不可分であるから、憲法に反すると宣言しなければならない。したがって、憲法院の審査に付された組織法律の一九五条のTの五号の規定は、憲法に反するものとみなされなければならない」。

  以上のように、憲法院は、自己破産、企業経営などの禁止、または会社の清算を宣告された者につき被選挙権が自動的に剥奪される旨を規定していた点で、すでに審署された一九八五年法の規定を違憲と判断し、さらに、その判断にもとづいて新たな組織法律の規定が違憲であることを結論づけている。この判決は、憲法院が、一九八五年判決以来の受理要件にしたがって、審署後の法律の事後審査をおこない、違憲判断を示した最初の判決としてきわめて重要なものといえよう。

四  事後審査の可能性と限界


1  現行制度における事後審査の限界と憲法院改革
  これまで取りあげてきた事例から明らかなように、憲法院は、一九八五年判決に示した受理要件にしたがって、審署後の法律の事後審査をおこなっている。一九八五年判決の後一五年ほどの間に、四判決において事後審査がおこなわれ、このうち一判決において違憲判断が示されたことを考えれば、これまで維持されてきた事後審査の受理要件が極端に厳格であるとはいえないであろう。
  しかし、事前審査を原則とする現行制度のもとでは、実際に審査に付された新たな法律との関係が存在しない限り、審署後の法律を審査することは困難である。憲法六一条にもとづいて審査に付された新たな法律と無関係に、憲法院が審署後の法律を審査することは法的に不可能であり、審査の目的も新たな法律の合憲性を判断することに限定される。まさしくフェルスタンベールが指摘するように、「憲法院が今では審署後の法律に関する審査を受け入れていることは明白な進歩であるけれども、このような審査は、提訴された未審署の法律をより完全にコントロールするためにおこなわれるにすぎない(80)」といえよう。
  加えて、一九八五年判決以来の事後審査の受理要件にしたがえば、審署された法律を改正する法律、補完する法律、またはその適用領域に影響を及ぼす法律が審査に付された場合に限って事後審査が可能となるのであり、審署後の法律を単純に適用するにすぎない法律が審査に付された場合には事後審査は退けられることになる。したがって、審署後の法律と審査に付された新たな法律との関係が求められるのと同時に、その関係のあり方が事後審査の受理可能性を決定するのである。
  このような限界ゆえに、フランスの違憲審査制においては事後審査が十分におこなわれない状況にあることは明らかである。一九八九年にミッテラン大統領が提案し、当時の憲法院長ロベール・バダンテール(Robert Badinter)が支持した憲法院改革の企図は、具体的な争訟のなかでの抗弁という方法で、市民にも提訴権を認めるとともに、審署後の法律の事後審査を制度化しようとした点で、きわめて重要なものであった(81)。この改革は、元老院の反対に直面して失敗に終わったものの、憲法院内部や憲法学界には、改革を支持する見解も多くみられる。憲法院判事の職にあったジャック・ロベール(Jacques Robert)も、「憲法院の任務は、おそらく、市民が人権保障のメカニズムの中にはいることができたときに、はじめて全体として完全なものになるといえるでしょう。というのは、結局は、憲法院が存在しているのも、市民のためであり、また、われわれが皆、仕事をしてきましたのも、明らかに、ただただ市民の利益のためであったからなのです」と述べ、改革を実現する必要性を強調している(82)。たしかに憲法院の権限拡大にたいする慎重論もみられるが、「さらにフランスで積極的に違憲審査制を推進しようとする潮流は、もはや止めることはできない」といえよう(83)

2  裁判所における解決策
  現行制度のもとでは事後審査が容易になされえない状況にあることはすでに確認したところであるが、たとえ審署後の法律が審査され、違憲と判断された場合であっても、憲法院がその法律を直接的にサンクションすることはできないという別の問題点も指摘しなければならない。現行制度にあっては、事後審査によって審署後の法律が違憲とされても、法的には、なお有効なものとして、法体系のなかに存在しつづけるのである。かかる場合には、憲法院の判断に応じて、司法裁判所や行政裁判所がそのような法律の適用を拒否するか、議会が違憲とされた審署後の法律を改正することによって、問題解決がはかられることになろう。
  ところで、一般の裁判所における違憲とされた審署後の法律の取扱いについては、学説において見解の相違がみられる。すなわち、憲法院が審署後の法律を違憲と宣言した場合、司法裁判所や行政裁判所はいかに対応すべきかという問題である。それらの裁判所は、憲法院による審署後の法律の違憲判断にしたがって違憲とされた法律の適用を排除すべきなのか、それとも、憲法院の判断を考慮に入れることなく、その法律を合憲とみなして適用すべきなのか。
  この点につき、ファヴォルー=ルヌーは、「違憲と宣言された規定は、審署されることも適用されることもできない」とする憲法六二条一項の規定に照らして、「いささか大胆にすぎるかもしれないが、〔憲法六二条一項の〕文言の一般性のゆえに、憲法院が、ある規範の審査に際して、すでに審署された法律を違憲と宣言した場合、一般の裁判官が後者の法律を適用することはできない(84)」と述べている。
  これにたいして、ジャン・ピエール・カンビー(Jean−Pierre Camby)は、一般の裁判所は違憲と判断された規定であっても適用しなければならないとする立場をとっている。すなわち、合憲性コントロールがもはや憲法院の独占物ではないことを認めなければ、一般の裁判官が違憲と判断された規定の適用を退けることはできない。一般の裁判機関が違憲とされた法律を適用しないとすれば、すべての裁判所に違憲審査権が与えられることになる。そうなると、憲法院と一般の裁判所の権限が競合することになり、一般の裁判所が憲法院の判断にしたがう義務はないので、審署後の法律の合憲性について異なる判断が下されるおそれがある、というのである(85)
  憲法院が審署後の法律を違憲とした判決が出されたばかりの現時点では、この問題に関して、学説における議論は十分に展開されているとはいえない状況である。しかし、別稿で論じたように、近年、憲法院判例の影響力増大を背景として、とりわけ行政裁判所が憲法院判例に積極的に対応する姿勢を確立しつつあることを考慮すれば、今後、実際に、一般の裁判所が違憲とされた審署後の法律の適用を退ける事例もまったく起こりえないわけではない(86)。ヴェルサイユ行政裁判所が、一九八七年一〇月二二日判決(87)において、「行政裁判官は、法律の合憲性について決定を下す権限をもたないとしても、この法律を適用する際、明示的な指示がないのであるから、立法権の行使を統制する憲法的価値を有するすべての原則・原理に照らして法律の規定を解釈しなければならない」と明言したことをみても、また、「違憲と宣言された規定は、審署されることも適用されることもできない。・・・・憲法院判決は、公権力およびすべての行政・裁判機関を拘束する」と規定する憲法六二条の文言に照らしてみても、司法裁判所や行政裁判所が憲法院の判断を完全に無視してまで違憲の法律を適用することは決して容易ではないといえよう(88)

3  政治部門による積極的対応の必要性
  憲法院が審署前の法律を違憲とした場合には、その法律の審署・公布が不可能になるため、政治部門は、その法律の立法化を断念するか、もしくは、再度憲法院に提訴されても違憲とされないような法案を準備し、あらためて立法化をはかることを余儀なくされる(89)。したがって、この意味において、事前審査により違憲判決が下された場合の対応はいわば必然的であるといえよう。これにたいして、事後審査の場合には、審署後の法律が違憲と判断されても、憲法院がその法律を直接的にサンクションすることはできないのであり、その法律は、法的に有効なものとして存在しつづけることになる。このような場合、問題の根本的・全面的解決は、政治部門が必要な法改正をおこない、違憲とされた規定を削除または修正することによって達成されるのである。
  かつて、憲法院の提訴権拡大を実現させたジスカール・デスタン大統領は、フランスの違憲審査制においては、憲法院によって違憲とされうる現行規定が存在するという唯一の欠点があり、政府は、すべての法律を憲法院判決の精神と一致させるために、必要な法案を作成すべきである、と力説していた(90)。フランスの論者の多くも、事後的に違憲とされた審署後の法律や、憲法院が違憲とした法律に類似する法律は、改正または廃止されるべきであると明言している(91)
  これまでおこなわれてきた審署・公布前の法律の事前審査に加え、すでに審署された現行法の事後審査もおこなわれるにいたった現在、憲法院判決にたいする政治部門の対応のあり方があらためて問われている。憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係(92)」の観点から、政治部門が、通常の事前審査で違憲とされた法律だけでなく、その法律に類似する現行法、さらには、事後審査によって違憲とされた法律についても、積極的に法改正をこころみ、すべての法律が憲法に適合するものとなるよう努力することを求められよう。この点につき、実際に、政治部門がいかなる対応をとっているかを検討することが必要であるが、これは今後の課題として残される。

(1)  憲法院の初期の活動につき、山下健次「フランス司法権についての一試論」立命館法学三二号、深瀬忠一「フランスの憲法審査院」ジュリスト二四四号などを参照。
(2)  C.C. 71-44 DC du 16 juillet 1971. この判決については、樋口陽一『現代民主主義の憲法思想』創文社(一九七七年)八〇頁以下、野村敬造「第五共和国憲法と結社の自由」金沢法学一八巻一=二号、和田英夫『大陸型違憲審査制』(増補版)有斐閣(一九九四年)一二五頁以下などに紹介がある。また、一九七〇年代以降における憲法院の性格変化を論じる文献は多数存在するが、さしあたり、樋口陽一・前掲書七七頁以下、和田英夫・前掲書六五頁以下、中村睦男「フランス憲法院の憲法裁判機関への進展」北大法学論集二七巻三=四号などを参照。
(3)  辻村みよ子「ミッテラン時代の憲法構想」日仏法学一九号三一頁以下を参照。
(4)  辻村みよ子・前掲論文三二頁。
(5)  フランスの憲法典の翻訳に際して、本稿では、主として、樋口陽一=吉田善明編『世界憲法集』(第三版)三省堂(一九九四年)に収められた辻村みよ子教授の訳文を参照させていただいた。
(6)  C.C. 85-187 DC du 25 janvier 1985. この判決につき、Louis Favoreu et Loi¨c Philip, Les grandes decisions du Conseil constitutionnel(以下、GDCC と略す), 9e e´dition, 1997, Dalloz, pp. 608 et s;Claude Franck, JCP, 1985, II, 20356;Francois Luchaire, D, 1985, jur., pp. 361 et s;
Patrick Wachsmann, AJDA, 1985, pp. 362 et s;Michel de Villiers, RA, 1985, pp. 355 et s. を参照。さらに、大隈義和「フランス憲法院の新動向」北九州大学法政論集一七巻三号もこの判決を取りあげる。なお、最近の憲法院判決(DC型判決)については、インターネット上の憲法院のホームページよりダウンロードすることができる。http://www.conseil−constitutionnel.fr/
(7)  C.C. 99-410 DC du 15 mars 1999. この判決につき、Jean−Eric Schoettl, Mise en oeuvre de l’accord de Noume´a, AJDA, 1999, pp. 324 et s;Jean−Pierre Camby, Une loi promulgue´e, frappe´e d’inconstitutionnalite´?, RDP, 1999, pp. 653 et s. を参照。
(8)  フランスにおける「法律にたいする人権保障」および「法律による人権保障」の概念につき、浦田一郎「議会による立憲主義の展開」一橋論叢一一〇巻一号、同「議会による立憲主義の確立」杉原泰雄教授退官記念論文集『主権と自由の現代的課題』勁草書房(一九九四年)、同「政治による立憲主義」法律時報六八巻一号を参照。
(9)  たとえば、Jacques Ferstenbert, Le contro^le, par le Conseil constitutionnel, de la re´gularite´ constitutionnelle des lois promulgue´es, RDP, 1991, pp. 339 et s;Jean−Pierre Camby, op. cit. など。また、事後審査の問題を取り扱った一九八五年判決以前の研究として、Jean−Yves Cherot, L’exception d’inconstitutionnalite´ devant le Conseil constitutionnel, AJDA, 1982, pp. 59 et s. が注目される。
(10)  たとえば、Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 4e e´dition, Montchrestien, 1995, pp. 187 et s;Francois Luchaire, Le Conseil constitutionnel, tome 1, 2e e´dition, Economica, 1997, pp. 185 et s;Guillaume Drago, Contentieux constitutionnel francois, PUF, 1998, pp. 439 et s. など。
(11)  C.C. 78-96 DC du 27 juillet 1978. この判決につき、Claude Franck, AJDA, 1979, no 10, pp. 27 et s;Le´o Hamon, D, 1980, jur., pp. 169 et s;Loi¨c Philip, La jurisprudence financie`re:les saisines du printemps 1978, RDP, 1979, pp. 499 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 343 et s;Dominique Rousseau, op. cit., p. 188 のほか野村敬造「フランスの放送役務と憲法評議院」金沢法学二三巻一=二号二九頁以下を参照。
(12)  Loi no 72-553 du 3 juillet 1972.
(13)  Loi no 74-696 du 7 aou^t 1974.
(14)  この点につき、野村敬造・前掲論文三〇頁を参照。
(15)  提訴された法律は、判決後、一九七八年七月二八日法(Loi no 78-787 du 28 juillet 1978)として審署・公布された。
(16)  C.C. 77-83 DC du 20 juillet 1977. この判決につき、Louis Favoreu, 1977, anne´e charnie`re:le de´veloppement de la saisine parlementaire et de la jurisprudence relative aux liberte´s et droits fondamentaux, RDP, 1978, pp. 827 et s;Le´o Hamon, D, 1979, jur., pp. 297 et s;Jacques
Ferstenbert, op. cit., pp. 362 et s. 野村敬造「公務員の給与減額に関する憲法評議院判決」金沢法学二二巻一=二号七六頁以下を参照。
(17)  Loi no 61-825 du 29 juillet 1961. 一九六一年法につき、野村敬造・前掲論文七三頁を参照。
(18)  提訴された法律の文言につき、野村敬造・前掲論文七六頁以下を参照。なお、この法律は、判決後、一九七七年七月二二法(Loi no 77-826 du 22 juillet 1977)として審署・公布された。
(19)  社会党議員の提訴理由につき、野村敬造・前掲論文七七頁以下を参照。
(20)  C.C. 83-164 DC du 29 de´cembre 1983. この判決につき、Roland Drago et Andre´ Decocq, JCP, 1984, II, 20160;Claude Franck, JCP, 1985, II, 20325;GDCC, 9e e´dition, pp. 540 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 365 を参照。ただし、後述するように、この判決は、提訴された法律の一部の規定について違憲判断を示している。
(21)  Loi no 81-1160 du 30 de´cembre 1981.
(22)  C.C. 80-120 DC du 17 juillet 1980. この判決につき、Le´o Hamon, D, 1981, informations rapides, pp. 355 et s;Louis Favoreu, La jurisprudence du Conseil constitutionnel en 1980, RDP, 1980, pp. 1645 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 363 et s. を参照。
(23)  Loi no 68-978 du 12 novembre 1968. この法律の詳細につき、吉田正晴「フランス大学改革と学生参加の問題」福井大学教育学部紀要(教育科学)二三号を参照。
(24)  吉田教授は、選挙人定足数の制度につき、つぎのように説明している。「学生代表の評議員は、比例代表制による一回の連記投票により選出される。そのさい被選挙人の代表性を保証するため、選挙人定足数を登録学生数の六〇%と定め、この六〇%を下回ったとき学生への割当議席数は、投票率に応じて削減される」(吉田正晴・前掲論文一九頁)。
(25)  C.C. 80-125 DC du 19 de´cembre 1980. この判決につき、Louis Favoreu, La jurisprudence du Conseil constitutionnel en 1980 (suite et fin), RDP, 1981, pp. 631 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 364 を参照。
(26)  Loi no 74-631 du 5 juillet 1974.
(27)  C.C. 75-56 DC du 23 juillet 1975. この判決につき、Louis Favoreu et Loi¨c Philip, Jurisprudence du Conseil constitutionnel, RDP, 1975, pp. 1313 et s;Le´o Hamon, et Georges Levasseur, D, 1977, jur., pp. 629 et s;Jean Rivero, Le Conseil constitutionnel et les libertes, 2e e´dition,
Economica, 1987, pp. 59 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 365 et s. を参照。
(28)  提訴された法律の規定につき、Louis Favoreu et Loi¨c Philip, op. cit., p. 1357 を参照。
(29)  提訴理由につき、ibid., p. 1344 を参照。
(30)  Loi no 72-1226 du 29 de´cembre 1972.
(31)  Louis Favoreu et Loi¨c Philip, op. cit., p. 1322.
(32)  Jean Rivero, op. cit., p. 67.
(33)  C.C. 83-164 DC du 29 de´cembre 1983.
(34)  Ordonnance no 45-1484 du 30 juin 1945.
(35)  提訴理由につき、Roland Drago et Andre´ Decocq, JCP, 1984, II, 20160 を参照。
(36)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 367.
(37)  Roland Drago et Andre´ Decocq, op. cit.
(38)  C.C. 84-183 DC du 18 janvier 1985. この判決につき、Thierry Renoux, D, 1986, jur., pp. 425 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 367 を参照。
(39)  Loi no 67-563 du 13 juillet 1967.
(40)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 367.
(41)  C.C. 85-187 DC du 25 janvier 1985.
(42)  Loi no 55-385 du 3 avril 1955.
(43)  Loi no 84-821 du 6 septembre 1984. 一九五五年法においては、ヌーヴェル・カレドニーなどの海外領土は緊急事態の対象外であった。そこで、新たにヌーヴェル・カレドニーについても緊急事態が宣言されるように対象を拡大したのが一九八四年法である。
(44)  審査に付された緊急事態延長法律は、判決後、一九八五年一月二五日法(Loi no 85-96 du 25 janvier 1985)として審署・公布された。
(45)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 349.
(46)  C.C. 80-120 DC du 17 juillet 1980.
(47)  C.C. 80-125 DC du 19 de´cembre 1980.
(48)  C.C. 84-183 DC du 18 janvier 1985.
(49)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 349.
(50)  C.C. 77-83 DC du 20 juillet 1977.
(51)  C.C. 78-96 DC du 27 juillet 1978.
(52)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 349.
(53)  C.C. 83-164 DC du 29 de´cembre 1983.
(54)  C.C. 89-256 DC du 25 juillet 1989.
(55)  C.C. 89-268 DC du 29 de´cembre 1989. この判決につき、Bruno Genevois, RFDA, 1990, pp. 143 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 355 et s. を参照。
(56)  Loi no 82-1126 du 29 de´cembre 1982.
(57)  Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 355 et s.
(58)  Michel de Villiers, RA, 1985, p. 358.
(59)  Francois Luchaire, D, 1985, jur., p. 363.
(60)  C.C. 75-60 DC du 30 de´cembre 1975. この判決につき、J. −M. Bolle´, JCP, 1976, II, 18368;Le´o Hamon, D, 1976, jur., pp. 461 et s;Loi¨c Philip, La de´cision du 30 de´cembre 1975 dans l’affaire consolidation des dettes commerciales, RDP, 1976, pp. 995 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 358 et s. を参照。
(61)  C.C. 76-73 DC du 28 de´cembre 1976. この判決につき、Loi¨c Philip, Les de´cisions du 28 de´cembre 1976 relatives aux lois de finances de 1976 et 1977, RDP, 1977, pp. 961 et s;Maurice−Christian Bergere`s, JCP, 1979, II, 19109;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 360 を参照。
(62)  Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 349 et s.
(63)  Patrick Wachsmann, AJDA, 1985, p. 365.
(64)  Francois Luchaire, op. cit., p. 367.
(65)  Dominique Rousseau, op. cit., p. 189.
(66)  この他にも、憲法院の提示した受理要件には憲法上の根拠がない、あるいは憲法に違反するという批判が少なからず示されている。たとえば、Claude Franck, JCP, 1985, II, 20356 など。
(67)  GDCC, 9e e´dition, p. 613. なお、受理要件に関して、一九五五年法の適用範囲を拡大することを目的とした一九八四年法が審署前に提訴された際、その時点で提訴者が一九五五年法の事後審査を求めたのであれば、憲法院は審査をおこないえたであろう、と述べられている(p. 612)。
(68)  Jacques Ferstenbert, op. cit., pp. 353 et s.
(69)  Ibid., pp. 347 et s.
(70)  Ibid., p. 348.
(71)  C.C. 89-256 DC du 25 juillet 1989. この判決につき、Pierre Bon, RFDA, 1989, pp. 1009 et s;Bruno Genevois, La jurisprudence du Conseil constitutionnel en 1989, AIJC, 1989, pp. 473 et s;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 354 のほか、清田雄治「フランスにおける所有権の憲法的保障とその限界」山下健次編『都市の環境管理と財産権』法律文化社(一九九三年)二六三頁を参照。
(72)  Loi no 70-1263 du 23 de´cembre 1970.
(73)  C.C. 96-377 DC du 16 juillet 1996. この判決につき、Dominique Rousseau, Chronique de jurisprudence constitutionnelle 1995-1996, RDP, 1997, pp. 36 et s. を参照。
(74)  Ordonnance no 45-2658 du 2 novembre 1945.
(75)  Dominique Rousseau, op. cit., pp. 36 et s.
(76)  C.C. 97-388 DC du 20 mars 1997. この判決につき、Dominique Rousseau, Chronique de jurisprudence constitutionnelle 1996-1997, RDP, 1998, pp. 59 et s. を参照。
(77)  C.C. 99-410 DC du 15 mars 1999.
(78)  Loi no 85-98 du 25 janvier 1985.
(79)  C.C. 84-183 DC du 18 janvier 1985.
(80)  Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 390.
(81)  憲法院改革の企図とその挫折については、RFDA, no 4, 1990 における特集のほか、Dominique Rousseau, Droit du contentieux constitutionnel, 4e e´dition, pre´c., pp. 64 et s;Henry Roussillon, Le Conseil constitutionnel, 3e e´dition, Dalloz, 1996, pp. 88 et s;Francois Luchaire, Le Conseil constitutionnel, tome 1, 2e e´dition, pre´c., pp. 191 et s;Guillaume Drago, op. cit., pp. 454 et s. さらに、辻村みよ子『人権の普遍性と歴史性』創文社(一九九二年)二〇六頁以下、同「ミッテラン時代の憲法構想」(前掲)三四頁以下、今関源成「挫折した憲法院改革」『高柳古稀・現代憲法の諸相』専修大学出版局(一九九二年)、矢島基美「一九九〇年フランス憲法院提訴権改革法案」徳山大学論叢三七号、同「フランスにおける違憲審査の現在」比較法研究五四号、江藤英樹「フランス憲法院の改革動向」明治大学大学院紀要三一集などに詳しい。
(82)  ジャック・ロベール「フランス憲法院と人権保障」(辻村みよ子訳)法学教室一八五号四四頁。
(83)  辻村みよ子・前掲書二一〇頁。
(84)  Louis Favoreu et Thierry Renoux, Le contentieux constitutionnel des actes administratifs, Sirey, 1992, p. 128.
(85)  Jean−Pierre Camby, op. cit., pp. 657 et s.
(86)  行政裁判所による対応については、蛯原健介「フランス行政裁判における憲法院判例の影響(一−二・完)」立命館法学二六三・二六四号において分析をおこなった。
(87)  T.A. Versailles, 22 octobre 1987, M. Hocine, AJDA, 1988, p. 54. もっとも、このような行政裁判所の姿勢を例外的なものとみなす見解も存在する。たとえば、Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 382 など。
(88)  ただし、憲法六二条の「違憲と宣言された規定は、審署されることも適用されることもできない」という文言の解釈については議論がある。Voir Bruno Genevois, op. cit., p. 475;Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 384.
(89)  このような場合における政治部門の対応については、蛯原健介「法律による憲法の具体化と合憲性審査(一−四・完)」立命館法学二五二号−二五五号において検討した。
(90)  Voir Jacques Ferstenbert, op. cit., p. 379.
(91)  Voir ibid., p. 379.
(92)  憲法の具体化を志向する憲法院と政治部門の「協働関係」の意義につき、蛯原健介・前掲論文のほか、同「憲法院判例における合憲解釈と政治部門の対応(一−二・完)」立命館法学二五九号・二六〇号を参照。

 本稿は、平成一一(一九九九)年度文部省科学研究費補助金(特別研究員奨励費)による研究成果の一部である。