立命館法学  一九九九年五号(二六七号)


「韓日新時代」論考−金大中政権の対日政策*

ソ  スン
徐   勝



  二一世紀を目前にして日本では、「平和と民主主義」という戦後体制が大きな音をたてて崩れ去ろうとしている。
  今年の六月二五日、日本では「専守防衛」という枠を離れて米国の戦争遂行に参加する新ガイドライン(日米防衛協力のための指針)関連の周辺事態法が国会を通過した。それに続いて、通信傍受法(盗聴法)、新住民基本台帳法(住民票番号制度)、「日の丸」、「君が代」を国旗・国歌とする法、平和憲法の改悪をねらった「憲法調査会」の設立が矢継ぎ早に国会を通過した。昨年八月末の北朝鮮人工衛星発射を契機として実施へと急旋回したTMD計画への参加、独自軍事諜報衛星の発射決定と併せて、内には住民に対する国家の統制・監視が、外には日の丸を押し立てた国権主義の傾向が大幅に強まったといえよう。靖国神社に対する政府関係者・外賓などの公式参拝を可能にするために、特殊法人(国立軍人墓地化)とする法案の提出までもが取りざたされている。さらに金澤の護国神社には「大東亜戦争聖戦大碑」が立てられるという。
  この一連の事態は、「戦後日本の保守が半世紀間、夢見てきた事を数ヶ月で実現した」とまで言われている。冷戦後、湾岸戦争、「普通の国論」、PKO(国連平和維持機構)法、「自由主義史観」、「戦争論」をへて日本は過去回帰、あるいは再評価の傾向を強め右旋回してきた。ファシズム前夜を思い起こさせるような日本の激変は、東アジアの平和にとっての大きな挑戦であり、朝鮮民族全体への重大な脅威であると言わねばならない。しかし、この変化を阻止ないし批判する輿論は日本では弱く、韓国では極めて鈍く、大方は危機の所在すら意識しているように思えない。
  この日本の激変の背景について、従来、@日本の長期的な経済成長の結果、経済大国になった日本が「普通の国」としての配当を要求し始めたこと、A社会主義圏の崩壊による冷戦後の全般的な保守化と日本の進歩勢力の挫折感・無力感の拡散、B長期経済不況の中で挫折し苛立ちはじめたプティブルジョアの攻撃性の増加と、若者の中での無責任なミーイズム(日本型個人主義)を背景とした草の根ファシズムの蔓延、C冷戦後、米国の新世界(覇権)戦略による日本への新しい役割付与と、それを好機に独自的軍事役割を強めようとする日本の保守・強硬派の台頭などが指摘されてきた。
  ここに新しい要素として、@九八年八月三一日の北朝鮮の人工衛星打ち上げ、A金大中政権発足以後、韓国の対日政策の変化によってもたらされた対日妥協政策と日本の軍事的役割増大の許容があると考えられる。
  まず、昨年の北朝鮮人工衛星発射は、「スプートニク以上のパニック」、「第二の黒船到来」と表現されるように、日本の庶民を平和主義の眠りから荒々しく呼びさますものであり、「現実主義」的な安全保障論に正面から答えられない平和主義者、原理主義的護憲派、非武装中立を主張してきた理想主義者たちの立地を著しく狭めるものであった。そもそも日本の北朝鮮攻撃や敵視政策、北朝鮮をスケープゴートにしようとする粗暴な扇動政治・メディアの暴威は冷戦時代を通じて長い歴史を持っており、特に最近になってからは、韓国に対しては面と向かってものが言いにくくなった日本人は、朝鮮人に対する根強い憎悪・嫌悪のはけ口を北朝鮮に求めてきた。九〇年代に入って北朝鮮核疑惑が叫ばれる中で、崩壊したソ連に取って代わる「悪魔」として、米国により包装され新たに登場してから、日本で北朝鮮バッシングは社会的流行にさえなってきたので、突然、現われた変化とは言い難い。ただその間、あらゆる悪罵と打擲にも反抗できないだろうと高を括っていた無力な北朝鮮が人工衛星を打ち上げたことに、加害者としての自らの影に脅えた日本人は震撼したといえよう。この時期に人工衛星発射を行なった北朝鮮の意図と事情はさておいて、米国と日本の保守政治家は、「テポドン・ショック」を十二分に拡大・利用し、政治的・経済的な利益を得たことは事実である。
  次に、韓国で最近の日本の動向に強い批判が見られない理由としては、@韓国で渇望してやまない三〇億ドルの経済協力が得られたこと、A政府の親日的態度と、野党が政権党になることによる従来の反政府・反日勢力の与党化、B与党批判の先鋒に立つべき野党が元来保守・親日的体質を持っており、「北風(1)」、「銃風(2)」、「税風(3)」事件などで無力化、C韓国の大衆次元で「タテマエ反日」、「ホンネ親日」が、すでに深く進行していることなどを簡単に挙げておく。
  結論から言うなら、金大中大統領が訪日で、もう少し原則的な立場を明らかにしていたなら、日本の今日のような脱線はなかっただろうと思われる。本稿は日本の右傾化を許容、助長する金大中政権の対日政策、特に大統領訪日以後の日本の変化、及び、それが韓日関係や朝鮮半島にあたえる問題を分析し、韓日関係の課題と展望を論じることを目的とする。

一、金大中大統領訪日と日本の反動化


  金大中大統領訪日をめぐる諸問題はすでに他のところで触れた(4)が、次に要約する。
  金大中大統領の訪日は、「過去問題」に終止符を打ち、二一世紀に向けた「韓日新パートナーシップ」を開くものとして日本人の絶賛を浴びた。最近、「自由主義史観」擁護の先鋒として、日本の侵略戦争・植民地支配の正当化キャンペーンに熱を上げてきた『産経新聞』までが、「韓日共同パートナー」、「目立つ日本評価」などといった大見出しを付けて賞賛を送っている。
  金大中大統領は就任以来、天皇訪韓、日本文化の開放、ワールドカップ・サッカー成功を対日三大課題として前面に押し出し対日融和に努めてきた。すなわち、昨年一〇月の訪日では、歴史認識の玉虫色の解決、従軍慰安婦問題の回避(韓国側の「強い希望」でテーマにならなかった〈『産経新聞』九八・一〇・九〉)、金大統領拉致事件、独島(竹島)問題など重要懸案には触れず、天皇の呼称を韓国で公式化(七〇年代以後、「日王」の呼称が一般化していた)し、日本の対韓経済役割評価、戦後日本の平和と民主主義、経済成長、ODAなど対外支援を賞賛するなど、「(日本国会での)演説の特徴の一つは、韓国内で反発を免れないほど日本に配慮」(『毎日新聞』九八・一〇・九)したものであった。
  特に問題になるのは、日本との(対北朝鮮)「軍事同盟」の方向へ踏み出した(5)点と、日本の国連常任理事国入りの意欲を支持する密約(6)を結んだといわれる点だ。
  韓日共同声明に続いて採択された「二一世紀に向けての韓日共同行動計画」では、「韓日安保対話」、「韓日防衛交流」、「対北朝鮮政策に対する韓日協議の強化」、「北朝鮮の核開発抑止のための協力」などの条項を設け、対北朝鮮「軍事同盟」を方向づけた。これは日本の軍事諜報衛星打ち上げ、新ガイドライン関連の周辺事態法の問題とあいまって、朝鮮半島における日本の軍事的役割を認めるものであり、次のような問題を抱えている。
  まず金大統領が絶賛してやまない日本の戦後平和主義、平和憲法との矛盾。次に、金大中大統領の対北朝鮮包容(太陽)政策との矛盾。最後に、朝鮮半島問題、民族内部の問題に日本を引込む問題(7)である。
  韓日共同宣言は、『毎日新聞』論説委員の重村氏が「韓国のIMFショックと日本のテポドン・ショックが両国を緊密に接近させた」(『毎日新聞』九八・一〇・一〇)結果、作り出されたものであるとし、次のように整理している。
      金大中大統領訪日の本当の目的は、経済協力を取り付けることであった。\\当初は大統領も最近の日本の世論と感情について十分に理解していなかったようだ。そのためか、就任直後には新たな謝罪を求める立場を強調した。この大統領の発言には、日本を知る韓国の識者や外交当局から「あれでは、訪日の成功は保証できない」と声が上がった。日本側からも憂慮する声が伝えられた。こうした忠告のポイントは天皇に対する対応であった。
      結局は、韓国側が天皇に新しい「おことば」を求めると訪日の成功は望めず、日本からの経済支援も難しくなることを理解した。\\日本側が三〇億ドルの経済支援を含む経済協力を明確にした結果、韓国側も共同宣言に「反省とおわび」を明記することで納得した。
      韓国側は、小渕首相の「おわび」という日本語を「謝過」と翻訳し、日本側が謝罪したと解釈したのだった。いわゆる「韓日の歴史問題」はこれで片がつくのだろうか。
      \\大統領は訪日(経済協力)の成功を絶対に必要としていた。(重村智計「金大中訪日成功の舞台裏」『中央公論』一九九九・一)
  すなわち、今回の獲得物は、韓国としては三〇億ドル、日本としては「歴史認識(天皇制)問題」に決着をつけ、対北朝鮮「軍事同盟」をラインアップさせたという点にあるだろう。上述したように金大中大統領の訪日は、かつて韓国の軍部独裁政権を支持し、自らを死地に追い込んだ日本の保守派に「赦し」を与え大歓迎を受けた。かつての宿敵、金鍾泌とさえ手を結ぶほど政治術に長けた金大中氏であれば、このような変身はさほど大した問題でないのかもしれない。しかし、金大中氏を個人として、自分個人に対する加害者を赦すということは美徳であるとしても、悔いて恥じることの無い軍国日本の賞賛者や韓国の軍事政権に一貫して支持を与えてきた韓国ロビーの面々に寛容を施すことを同じ次元で考えるわけにはいかない。
  いま一つの問題は、かつて韓国の民主化・統一問題に関心を持ち支持し、市民運動などに参加した「良心的日本人」である。戦後日本の暴走を牽制し、進路に制限を加えてきたのは、@米国の対日政策(後述)、Aアジア諸国・諸民族の日本批判、B良心的日本人の政府・保守派批判の三つの要素であった。金大中訪日はそのAとBに少なからぬダメージを与えたといえよう。
  多くの日本人にとって、韓国の民主化の旗手であり、民衆の苦難を一身に背負った象徴的人物である金大中大統領からの「歴史問題は終った」という宣託は、日本の戦争・植民地支配にたいする罪責に終止符を打ち、日本人を免罪するものとして認識され、良心的な日本人をして日本のアジア侵略や加害に対する警鐘を鳴らす任務を解かれたものと誤解せしめるものであった。甚だしくは、金大中大統領の天皇に対する公認や日本の第三世界収奪的な「経済成長」、金権政治や官僚支配によって毒されている「議会制民主主義」への賞賛は、これまでそれらを批判してきた自らが間違っていたのではないかという倒錯した意識すら生み出させるものであり、保守的な方向に大きく舵を切った「進歩的」学者・知識人たちを鼓舞・激励するものであった。
  例えば、かつては進歩的であると言われ、現在も日本の代表的知韓派知識人として韓国で需要のある和田春樹氏は次のように述べている。「一〇月の金大中大統領の訪日、日韓共同宣言の発表は画期的であった。\\日韓共同宣言に植民地支配のもたらした苦痛と損害に対する日本の反省とお詫びが明記され、韓国がわがそれを評価すると確認したことで、日韓条約が修正されたに等しくなった」(「朝鮮有事を防ぐ道」『世界』九九・四)。
  日韓共同宣言は日韓条約に欠落していた(賠償という用語の回避にあらわれた)歴史認識を明確にさせ修正したと評価する和田氏の論に対し、ある在日朝鮮人は次のように批判する。「金大中大統領は歴史的事実を確認、明記するよりも三〇億ドルを選んだ。これは戦後処理をうやむやにしたまま、有償・無償五億ドルの経済援助でけりをつけた『日韓協定』と同じである。(日本人としては)金大中さまさまである」。(卞記子「金大中大統領への不信」『批判精神』一九九九年春)
  また、金大中大統領訪日が日本人に与えた害毒について、評論家、山口泉氏は次のように指摘している。
      \\金大中大統領が「韓国の民主化」、「南北平和的統一」の民衆運動の「代表著作権」を持っているかのごとき振る舞いのもと、次々と「過去を清算し」「日韓新時代」の理念を謳い上げようとしているのは、ちょうど、\\かつては”詩を書くことで死刑を宣告された”はずの、そしてそれこそが文学者=人間の「良心」であると宣言したともされた、「大詩人」金芝河が自らの脱政治宣言をもって、彼と連帯していたすべての民衆の脱政治化を画策しているのに酷似している。\\空疎な語学力、特権的な地位にだけ物を言わせ、金大中という「政治」イメージ商品や、金芝河という「文学」イメージ商品のブローカーとして日本の”運動”市場で輸入代理店を経営してきた大学教員や市民運動屋らが、本家本元の腐食に符節を合わせるように、日本軍の性奴隷とされた人々に対しての「民間基金」問題で、いかに早々と醜悪な馬脚を現しているかは周知の通りである。(山口泉「韓日民衆連帯の不可能性について」『批判精神』一九九九年春)
  歴史認識の問題と関連して言うならば、「一九一〇年の日本の朝鮮併合は適法に行われた」という日本政府の公式的立場を黙認した「韓日共同宣言」は、韓日基本条約の修正ではなく、第二の韓日基本条約の性格をもつものであると言えよう。この問題を金大中訪日に続き行われた江沢民訪日の問題との関連で論じてみる。

二、金大中大統領と江沢民主席の訪日

−第二の韓日条約としての「韓日共同宣言」の欺瞞

  金大中大統領に続いて江沢民主席が訪日したが、両首脳に対する日本の官民の対応は全く対照的だった。各紙は金大統領を「未来指向」「大人の態度」などと絶賛し、対日批判を繰り返す江主席には「かたくな」「苦い後味」「高圧的」などと、不快感をあらわにした。
  日中共同宣言作りで、「おわび」を求める中国側に「韓日共同宣言をきっちり読んで下さい」と言い、金大中大統領の国会演説まで渡して読むように促した(『朝日新聞』九八・一一・二七)というに至っては、韓国人として日本の歴史的責任を免罪させた自責感すら感じる。中国の外交官が金大統領の演説を読んでいないはずはないので、これは露骨な嫌みである。
  日本の不快感の原因は歴史認識問題において、金大統領は「おわび」を韓国国内消費用に「謝罪」と訳させ、過去問題の決着を約束したのに対し、江主席は「過去の問題は十分に論議されたという意見には反対」し、「日本軍国主義は対外侵略の誤った道を歩み、中国人民とアジアの人民に大きな災難をもたらした」と非難した。一一月二六日の両国首脳会談で江首席は「日本の軍国主義が中国人民に災難をもたらす侵略戦争を起こした。軍国主義は進歩と平和に逆行するもので、断固として戦わなくてはならない」などとし、日本軍国主義批判を緩めなかったからだ(8)。以後、日本メディアは江主席に極めて冷淡になった。
  日中の歴史認識でこじれたのは「おわび」を共同宣言文に盛りこむかどうかであった。小渕首相は「おわびは絶対認められない」と突っぱね、口頭でだけ「おわび」を述べた(9)
  ここに複雑な日本の小細工が施されている。韓・中との共同宣言に「おわび」と「侵略」というキーワードがあるが(10)、韓国との場合に「おわび」を入れ「侵略」をはずす一方、中国との場合には、「侵略戦争」は認め「おわび」を拒否した。
  登誠一郎内閣外政審議室長は「九月二九、三〇日に「韓日共同宣言」の最終案を携えて訪韓し、林東源・大統領外交安保首席秘書官らと話した。韓国側は『侵略』という言葉を盛り込んで欲しいと言った。こちらは『韓国に対する侵略があったかどうかについては国内に議論がある。植民地支配があったことについては首相が責任を持って国民に説明するが、それ以上になると国内でまた異論が出る』と説明、盛り込まないことを納得してもらった」(「韓日共同宣言の裏舞台」『朝日新聞』九八・一〇・二〇)。つまり「植民地支配の歴史的事実は認めるが、それは侵略ではない」という日本政府公式見解の再確認であり、中国に対して「おわび」を記さないのは、植民地支配をしていないし、重層的(お互いに戦争をして加害と被害が入り交じった)関係が築かれているから(『毎日新聞』九八・一一・一)だという。言葉の誤魔化しで、問題の核心をすり抜けようとするものである。ここで確認しなければならないのは、日本政府が「謝罪」という言葉を拒否し、「おわび」に固執するのは「韓日併合条約合法論」の再確認であり、韓国側が、それを容認、あるいは韓日基本条約の場合と同じように日本の主張を明確に否定しなかったという点である。
  次の問題は、「おわび」が韓国では「謝罪」と訳され、中国では「道歉歉 タオチェン」という軽い意味に訳される幻術にある。同じ歴史的事実の評価をめぐって、日本が「謝罪」を明記するのを嫌ったために、同じ言葉が三様に表現されている。ここでは「アジアの共同の歴史認識」などは空念仏である。
  ハーバード大学の入江昭は江主席の訪日が「またも日本が過去の侵略行為について正式な謝罪をしなかった例として歴史に記録される」と指摘し、日本では江主席が歴史問題を持ち出したことを、強硬派・軍部を意識し、経済支援を引き出すための駆け引きなどと見ているが、「それは極めて視野の狭い見方である。\\第二次世界大戦後六〇年もたって依然として過去を曖昧にし、態度を明確にしない国を世界は信頼できるだろうか。\\中国人民に謝罪するのが当然だと、諸外国では受け止められるだろう。日本人が過去の戦争をどう記憶し、どのような認識をし、いかなる償いをしてきたのか、あるいはしようとしているのかは、世界各地で関心が持たれている」(「海外コラムニストの目」九八・一二・一一)と、世界を失望させた日本に警告している。いったい、金大中大統領の訪日では、日本が過去の侵略行為について正式な謝罪をしたと、世界は満足したのであろうか?

三、韓米日関係の中の韓日新時代


  二国間の関係には、国家水準での外交や戦争だけではなく、私企業を中心とする経済関係、民間での人・文化の交流などがあるが、そもそも近代以後の韓日関係には、植民地時期を除いても、外交という名の恐喝・脅迫があっただけで、主権国家間の外交が介在する余地はあまり無かった。
  解放後はじめて、韓日の外交関係が懸案として登場するが、実際、二国間の自主的な外交を展開するには韓日ともに本質的な問題を抱えていた。つまり、韓日ともに米軍の占領下にあったし、旧植民地支配国と被支配民族として過去の清算問題が大きな障害であった。法的に独立した後においても、冷戦の波の中で両国とも自主的な外交を展開できる状況には無かった。その中で朝鮮戦争が米国をして日本の再軍備路線を決定せしめ、米国は李承晩と日本の国交交渉を仲介し、前線である韓国と後方基地である日本の有機的結合を強力に進めようとした。そしてベトナム戦争が韓日基本条約の締結を促進した。すなわち、米国の強力な斡旋により、五億ドルの経済援助=お祝金の供与と「請求権」という取引によって韓日国交樹立がなされた。七〇年代に入って、米国のベトナムからの敗退に危機感を抱いた朴正煕は独自核・ミサイル開発政策を模索したが、彼の無残な末路は、韓国が米国の手から脱け出すことは至難の業であること示すものであった。光州虐殺の下手人である全斗煥に対するワシントンの冊封は、中曽根訪韓と教科書問題を契機とする全斗煥訪日、四〇億ドルの供与、「韓日新時代」の謳歌へと続き、今日の韓日新時代の先例を作った。今日では、韓日関係は北朝鮮の「核・ミサイル危機」を口実に、新ガイドライン・周辺事態法、韓日準軍事同盟の方向で、米国の世界的軍事戦略体制の中に位置付けられているのである。
  このように見るなら、解放後の韓日関係は韓米日関係であり、米国が冷戦思考と東アジア戦略の枠で両国を縛りつけ、日本側の経済援助の供与(これは日本資本の韓国進出の呼び水となるのだが)と、韓国側の歴史問題(植民地遺産)の切り売り、という両国の取り引きの上に成り立っていることが見て取れる。このような関係が、東アジアの「安全保障」に一定の寄与をしてきた点、両国の経済成長(米国主導の世界市場経済の拡大)に貢献した点を認める向きもあるだろう。しかし、このような米国を媒介した韓日関係は、@基本的には米国の国益と世界的覇権追求の道具であり、A朝鮮半島統一に敵対的であり、B日本の過去清算を免除し、Cアジアにおける近代以来の日本中心の地域秩序解体を阻害してきた。つまり東アジア諸民族間の平和な地域秩序構築の障害となってきたと言えよう。
  米国の基本政策は世界的なヘゲモニーの貫徹である。冷戦時代には、反共を大義に自由陣営を築き、陣営参加国を統制したが、冷戦後、米国の基本的構想は古典的な「分断して統治する」手法によって、さまざまな地域の国々や民族を対立させ、バランサー(調停子)としてみずからを位置づけ、自国の利益のために、対立をあおったり、抑えたりもし、米国の意志に反するものには、対立するもう一方をカードとして使用し、結局、対立者がそれぞれの安全保障を「国際公共財」としての米国に依存せざるをえない状況を造っていくことである(11)
  つまり米国の対北朝鮮交渉、北朝鮮ソフト・ランディングの意味は、米国が南北朝鮮の死生与奪権を一手に握り、南北朝鮮のそれぞれを場合によってはそれぞれに対してカードとして利用し、米国への依存を強めさせる策略にある。あまり北朝鮮をいじめて、必死の抵抗を呼び起こしたり、戦争が発生した場合には、米国も一定の犠牲を覚悟せざるを得ないし、中国と直接対決する危険が生じるかもしれない。少なくとも東北アジアのこの地域での紛争は、日常的な交易に大きな打撃を与える可能性が強い。もし、北朝鮮が崩壊するなら、難民問題や東北アジア地域の混乱というリスクを負わねばならない。逆に北朝鮮の存在は、米軍の一〇万人前方展開、米国の軍産複合体の維持、日本や韓国へのTMDシステムを含む莫大な武器販売、日米安保体制改悪、思いやり予算の拡大、日本の有事立法制定のために有用に活用することができるのである。北朝鮮が米国の国家安全保障への直接の脅威たりうると考える者は誰もいないであろう。北朝鮮が米国のヘゲモニーをある程度認め、その「危険性」を一定限コントロールできるなら、北朝鮮の生存はかえって米国の利益にかなうとも言えよう。
  このような手法で、米国は日本に対しては北朝鮮、中国カードを、中国に対しては日本、台湾カードを、韓国に対しては北朝鮮カードを使い分けながら、東アジアにおける覇権の追求を図っているのである。
  冷戦後の日本に米国が期待する役割は米国の世界戦略の道具としてさらに機能的に適合して行くことである。日本は基本的に対米追従、「軽武装、経済発展」の路線を踏襲しながらも、冒頭で述べたように、大日本帝国への郷愁・回帰、少なくとも国家主義強化の方向を明らかに示している。しかし、これを独り立ちした日本軍国主義の復活と即断する訳にはいかない。東京都知事、石原慎太郎の当選を日本の右翼民族主義の台頭と見る向きもあるが、最近の日本の軍事化、右傾化には、どこまでも米国の強い統制がある。
      ブレジンスキーは『世界はこう動く』で日本を米国の「属国」「保護国」と規定した。日本にとって「現実の政策課題は、米国との関係をいかに旨く処理して国益を追及して行くのかだけである」。\\またジョセフ・ナイは米軍のプレゼンスが、「東京の隣人たちに、日本が温和なパワーに止まりつづけることを保障する」と言う役割を果たしているというビンのふた論を披瀝し、同僚のホフマン教授は、安保再定義を「日本が引き続き米外交の従順な道具となるもの」と定義づけた。(豊下楢彦『安保条約の論理』柏書房、一九九九)
  松村昌廣はこれと関連して、次のような見方を示している。
      日本を日米同盟の枠に留め、核武装をさせないように、米国は何がなんでも朝鮮半島を自己の軍事的コントロールのもとにおいておく必要がある。\\朝鮮半島シフトの軍事的な標的は北朝鮮であるが、政治的な標的は日本なのである。
      新ガイドラインの目的は明らかに朝鮮有事に備えるためではなく、日米の軍事的役割分担と・その執行方法・手順に関して詳細をつめることであった。\\つまり、米国から見た新ガイドライン策定の主眼は、北朝鮮の脅威を梃子に米国絶対優位の日米間の政治秩序を再定義することにあった。その上、米国は縮少再編した自国軍需産業のために日本にTMDシステムを売り込む目的で「北朝鮮の脅威」を強調する必要があった。(「煽られすぎた北朝鮮の脅威」『論座』一九九九・八)
  米国に刺激された最近の日本の軍事化は、米国の予想を越えたもので、米国から警戒論なども現われている。
  韓国の金大中政権の対北朝鮮「太陽(包容)政策」は、金大中大統領の個人的な哲学や良心から発するところもあるだろう。しかし、最も重要なのは、IMF危機を克服するために、まず何よりも朝鮮半島の安定・平和が要求されたこと、対北朝鮮投資、労働・商品市場の開拓などが切実であったこと、米国の対北朝鮮ソフト・ランディング政策との協調が要求されたことなどがその底辺に置かれている。しかし、日本は北朝鮮に大きな経済的利害関係はなく、日本保守政治圏の利益は、朝鮮半島の安定・平和よりは、当分は緊張の持続にあり、日本に対する韓国の対北朝鮮国交正常化勧告や対北朝鮮太陽政策との不整合性が明らかである。
  また、憂慮すべき点は、二一世紀をにらんだ韓日同盟が米国の対中国包囲網としての役割を果たし、東アジア緊張激化の要因となる点である。日本としても、歴史認識問題について、アジア諸国の分断、特に韓国と中国・北朝鮮との分断は有用であるので、この同盟は中国との一定の緊張関係を避けられないだろう。
  以上の点から見て、「韓日新時代」とは、米国の世界戦略の中で、韓米日同盟の失われていた環の連結であると言えよう。この「同盟」は冷戦時代に母型を持つものであり、決して新しいものとは言えないが、天皇、「日の丸」、「君が代」、靖国神社、大東亜共栄圏、大東亜聖戦を肯定する日本が、より堂々と、公然と容認される点において以前との違いを見せている。この同盟は、冷戦無き後、東アジアにおける防衛的安全保障装置としてではなく、覇権的同盟として登場する危険性を持っている。
  すなわち、この同盟が朝鮮民族統一の悲願や「対北朝鮮太陽政策」との衝突を齎すだけではなく、日本のアジアに対する歴史的犯罪に寛容である点で、反人道・反人権的である。また、最近日本で見られるような軍事主義の突出は、市民の生活と権利を制約・統制するので反民主的である。
  韓日関係の課題は、このような同盟の強化ではなく、解体であらねばならない。一九四五年、日本軍国主義の解体の原点に立ち戻り、日本の過去清算・アジアとの和解の前提に立ち、米国の影響力が相対化された中でアジアの諸民族・民衆が主人となる東アジア地域平和秩序の創造が構想されねばならない。そのために、韓日が中心になる発想は問題がある。どこまでも、近現代史の中で抑圧され、奪われた人たちの権利の回復を中心とし、米・日ヘゲモニーをどのように制約して行くのかという観点から構想されねばならない。
  日本保守政治家や草の根ファシズムとの摩擦はあるだろうが、天皇制や日本軍国主義、「悪しき日本」批判は結局、長期的には日本人をも含めたアジア民衆の利益にかなうことであり、歴史的な経緯から見れば、日本に警告を発しつづけるのは、朝鮮民族に与えられた歴史的使命であるとも言えよう。
  人的・文化的交流の拡大を拒否する理由はない。ただ、多国籍資本に主導された世界化の路線に乗せられた盲目的な旅行・商業・文化市場の拡大・融合は相互理解や真の地域社会の統合に益するものではない。特に、ワールドカップ・サッカーのような、巨大資本とスポーツマフィアが操縦する疑似国家主義的競合の場は、作られた友情・共同の場として演出されればされるほど、政治的なカードとして利用され、真実を見つめる目を曇らせるという点において有害である。今後の課題として、反覇権主義的な東アジア民衆の世界の創造を目指し、草の根が主導する人的・文化的交流と共同の運動が進められ、東アジアの平和な共同の地域秩序の創出への努力が切実であろう(12)

 本稿は、一九九九年九月一〇日、韓国ソウルで行われた歴史学大会「韓日関係−展望と課題−」で発表したものに加筆、修正したものである。
(1)  「北風」は一九九七年大統領選挙の過程で、当時、与党候補、李曾昌陳営の謀略により金大中候補に北朝鮮から支援親書を捏造、送付した事件。
(2)  「銃風」は、李曾昌陣営が北朝鮮と接触し、大統領選挙直前に38度線付近で銃撃事件を起し、緊張を高めようと工作をしたとされる事件。
(3)  「税風」は、一九九八年初頭に問題になった、旧与党関係者の一連の脱税事件。
(4)  『毎日新聞』新聞時評(一九九八・一〇・二六朝刊)、『歴史批評』「時論」韓国歴史批評社一九九八年冬四五号参照。
(5)  八月五日、初めての韓日合同軍事訓練が行なわれた。\\北朝鮮のミサイル発射が懸念されている中で、韓日が軍事的な関係も強化されつつあるという印象を関係各国に与えた影響は大きい(『産経新聞』「信頼醸成に手応え」九九・八・七)というのは、この訓練に寄せる日本の意図と期待を代弁している。注目すべきは、次の記事である。\\今回の訓練を大きく報じているのは日本のマスコミだけである。韓国の国防記者は、取材すら認められなかった。これについて、韓国政府は「北朝鮮を刺激したくなかった」と説明している。とすると対北朝鮮威力示威を意図していた日本側の判断とは異なる。韓国側には「北朝鮮への韓日の対処」と受け止められることを避けようとする姿勢が見られる。(『毎日新聞』九八・八・七・社説)この訓練は、新ガイドラインの実地訓練として行なわれたもので、韓国でできるだけ広報を控え目にしようとしたのは、対北朝鮮問題よりは、韓国内での批判の噴出を恐れたものであろう。
(6)  登誠一郎内閣外政審議室長「九月二九、三〇日に「韓日共同宣言」の最終案を携えて訪韓し、林東源・大統領外交安保首席秘書官らと話した。\\「常任理事国入りについては、支持が得られれば非常に心強い、とお願いした。しかし、韓国側は『韓国内の世論からいっても大統領が文書で支持したとなると影響が大きい』というので、中間的な表現になった(韓日共同宣言の裏舞台「朝日」一九九八・一一〇・二〇)。
(7)  シンガポール『連合早報』ウォン・ピンファ氏は、\\朝鮮半島については「日本と韓国が共同で北朝鮮に対抗するというニュアンスを含んでいるのなら、北朝鮮の孤立が深まり、逆効果になる恐れがある。朝鮮半島問題は朝鮮民族の問題だと言う視点を忘れてはならない。\\新しい韓日関係が金大統領の存在に頼りすぎているのではないか」と指摘する(『朝日新聞』九八・一〇・八)。
(8)  日本人の歓心を買おうとする韓国と、原則的な立場を維持しようとする中国との違いは、例えば次の記事にも現われている。「江沢民、早稲田大名誉学位拒否」\\小渕首相の母校である早稲田での名誉博士学位の授与を拒否すると言う勝負手を放った。これは外交的には欠礼ではあるが、過去問題処理に対する中国の確固とした立場を伝えるためであった。設立者、大隈重信は一九一五年に、屈辱的な「二一ヶ条」を強要した日本の総理であった(『ハンギョレ新聞』九八/一一/二三)。
(9)  この「おわび」は、中国では江主席を随行している朱邦造中国外務省報道局長によれば、比較的軽い意味で多用される「道歉タオチェン」という中国語に訳された。
(10)  曽慶紅中国共産党中央弁公庁主任は、歴史問題として中国側が共同宣言に盛り込むべきこととして日本側に要求する「五つのキーワード」を挙げた。@侵略戦争Aおわび。B台湾問題での3不Cガイドラインから台湾の除外D日本が中国の立場を「理解し、尊重する」だけでなく、「同意する」と表明すること。
(11)  この点については、拙著、「朝鮮半島と日米安保共同宣言、沖縄」『安保再定義と沖縄』一九九七緑風出版、参照。
(12)  そのような運動として、東アジア国際シンポジュウム運動がある。韓国、台湾、日本、沖縄からの約三〇〇名を集め、一九九七年の台北で「東アジアの冷戦と国家テロリズム」をテーマに、一九九八年は済州で「二一世紀東アジアの平和と人権」をテーマに開催された。今年の一一月には、沖縄で「米・日冷戦政策と東アジアの平和・人権」をテーマに、来年五月には、光州で「光州民主化抗争五〇周年」を記念して開催される予定である。国際シンポジュウム各国事務局発行の報告集、資料集参照。