立命館法学  一九九九年六号(二六八号)


客観的帰属論の展開とその課題

安達光治






目      次
は じ め に
第一章  目的的行為論以前のドイツにおける議論
 第一節  一九世紀の因果関係と共犯をめぐる議論
  第二節  刑法典制定後の因果理論の対立
  第三節  帰責限定理論の動揺
−一九二〇年代後半の過失犯判例
  第四節  学説の対応
  第五節  小    括 (以上本号)
第二章  目的的行為論から客観的帰属論へ
  第一節  ヴェルツェルの目的的行為論構想
  第二節  目的的行為論の限界(一)  過失犯における義務違反と結果の関係の問題
  第三節  目的的行為論の限界(二)  被害者の自己答責的態度への関与の問題


  第四節  小    括
第三章  客観的帰属論の現代的展開
  第一節  ロクシン等の客観的帰属論とその限界
  第二節  過失犯における限縮的正犯論(一)  最終惹起者を基準とする見解
  第三節  過失犯における限縮的正犯論(二)  社会的役割を基準とする見解
  第四節  過失犯における限縮的正犯論(三)  その他の見解
  第五節  小    括
第四章  わが国の議論の整理と今後の課題
  第一節  相当因果関係説と客観的帰属論をめぐる議論の整理
  第二節  わが国の議論についての検討
  第三節  今後の課題
む  す  び



は  じ  め  に


    本稿は、ドイツ刑法学において客観的帰属論が登場してくるまでの経緯、およびその現代的な展開を概観した上で、現在のわが国における客観的帰属論をめぐる議論について整理、検討を行うものである。
    最近広く認められているように、客観的帰属論は、従来の目的的行為論に代わり、現代のドイツ刑法学において通説的地位を占めるものとの評価を受けるに至っている(1)。現在、ドイツにおいて目的的行為論を主張する論者はごく少数であり、客観的帰属論は、帰属判断の具体的形態およびその規範論的基礎について様々なヴァリエーションがあるにせよ(2)、多くの論者の支持を受けていると言えよう(3)
  他方で、わが国においても客観的帰属論は確実に支持者を増やしてきているように思われる。ドイツにおいて、「規範の保護目的の理論」、「規範の保護範囲の理論」、および「危険増加論」を内容とする客観的帰属論が登場して以来、わが国においてもこれらの理論の具体的内容の解明とその妥当性の検討を主軸として客観的帰属論の研究が進められてきた。そして周知のように、わが国でも斉藤誠二教授、山中敬一教授など一部の有力な論者は早くからこれらの理論に対して基本的に賛意を表明してきた。
  斉藤教授(4)は、危険減少、危険創出、危険増加、規範の保護目的という当時のロクシンによる客観的帰属論の枠組みを素描しながら、そこで問題となる事例群について客観的帰属論からの具体的解決を紹介し、特に、(西)ドイツにおいて客観的帰属論が登場してきた背景の一つに挙げられる過失犯における義務違反と結果の関係の問題について、危険増加論の採用に前向きな姿勢を示された(5)。また後に斉藤教授は、ドイツやオーストリアなどで広く注目を集めている客観的帰属論を自身も採用していることを明言されている(6)
  山中教授(7)は、過失犯における義務違反と結果の関係の問題解決に関するドイツの諸見解を検討した上で(8)、「結局、この問題は、侵害された義務と結果の間の『特別の関係』を基礎にしてその意味を探求することによって解決するほかない」とした上で、このようないわゆる関連説を、(一)仮定的事象を条件公式の適用によって顧慮する見解、(二)義務違反と結果の間にそれ以外の何らかの関係を必要とする見解、に大別された(9)。そうしてロクシンの危険増加原理による解決を、「この問題が有する実質的意義を示唆し、その解明に迫るものであり、その意味で重要な見解であると思われる」(10)として、これを私見の基礎とされたのである(11)。さらに、山中教授はこれを出発点として後に客観的帰属論を全面的に採用し、独自の客観的帰属論の体系を構築されたことは周知のとおりである(12)
  このように、わが国において客観的帰属論を主張する見解は、過失犯における義務違反と結果に関する問題の解決を、当初の出発点としていたように思われる。しかし、先に触れた斉藤教授による紹介や下村康正博士によるシュミットホイザーの客観的帰属論についての検討(13)からすでに明らかなように、ドイツにおける客観的帰属論の射程範囲はもっと広いものであり、条件説、相当因果関係説をはじめとする従来の因果関係概念を機軸とした結果の帰属理論に根本から取って代わるべきものと評価されてきた。過失犯における義務違反と結果の問題の解決を目指したロクシンらによる危険増加論もこの文脈で理解されるべきであり、もちろん先に述べた客観的帰属論に対して早くから賛意を示してきた見解も、因果関係論を超えた結果の帰属理論一部分をなすものとして、このような危険増加論に対して好意的な態度をとったのだと言える(このことは、過失犯における義務違反と結果の問題を「侵害された義務と結果との間の『特別な関係』」を基礎に解決すべきだという山中教授の主張に端的に現れている)。もっとも、客観的帰属論が問題としてきたその他の事例群については、これらの見解も、以下に見るわが国の展開以前は、その独自性を十分に発揮してこなかったように思われる。
    客観的帰属論がわが国において有力視されてきた契機の一つとされているのは、行為後の介在事情が結果発生に決定的な影響を与えた場合をめぐる問題である。
  この問題は、戦前から判例の事案にも現われ、学説においても因果関係に関する問題として議論されてきた。この議論において学説は相当因果関係説を通説としてきたが、判例については当初から、原因説や相当因果関係説を採用するかのような表現を用いることはあるものの、これらの基準を用いて結果に対する因果関係を否定したものは、いわゆる「米兵ひき逃げ事件」の最高裁決定(最決昭和四二年一〇月二四日、刑集二一巻八号一一一六頁)以前は、少なくとも上級審のレベルでは皆無に等しかった(14)。そして、判例があまりに広く因果関係を認めることについて、学説では、実際上判例は条件説を採用しているに等しいとの評価がなされてきたのである。
  これに対して、被害者が後に死亡したにもかかわらず、被害者を自己が運転する自動車ではねた被告人を業務上過失傷害罪にとどまるべきであるとした「米兵ひき逃げ事件」の最高裁決定は、自車の屋根に跳ね上げられた被害者を引き摺り下ろすという同乗者の異常と言える介在行為が被害者の死亡結果に対して決定的な影響を与えたことに着目して、被害者をはねた被告人の行為については発生結果との間の因果関係を否定することを最高裁が認めたという点でエポックメイキングなものであった。それゆえ、学説においても行為後の介在事情の問題が活発に議論されたが、それはいわゆる狭義の相当性判断の問題として相当因果関係説の判断構造の枠組みの中で議論されてきたのであった(15)
    しかしながら、「米兵引き逃げ事件」決定以降は、相当因果関係説を採用して結果に対する因果関係を否定した判例は、少なくとも上級審のレベルでは現れなかったと言える。こうした状況の中で、一九九〇年代に入るころ、通説である相当因果関係説に対して厳しい批判が加えられ始めた。
  これに対する契機となったのは、「大阪南港事件」決定(資材置き場事件、最決平成二年十一月二〇日、刑集四四巻八号八三七頁)、「夜間潜水訓練事件」決定(最決平成四年十二月一七日、刑集四六巻九号六八三頁)など、結果に何らかの影響力を有する介在事情が存在した事案において因果関係を肯定した一連の最高裁判例であった(なお、ここでは事案と判旨の詳細は割愛する。)。
  特に、故意の傷害行為の後に第三者の故意による暴行が介在し、これが被害者の死亡結果に何らかの影響を及ぼしたと見られる「大阪南港事件」について、最高裁判所調査官による判例解説では相当因果関係説に対して厳しい批判がなされた(16)。そこでは、「結果に対する影響力の実体に関する認定が因果関係の判断のための重要なベースとなっている点は否定できない」が、「相当因果関係説においては、予見(予測)可能性が相当性判断の実質的な基準になるとされているが、具体的影響力(寄与度)という観点からの検討が十分されておらず」、「影響力と予見可能性との関係について十分な説明がされてきたとはいいがたい(17)」として、相当因果関係説が、問題となる行為の発生結果に対する因果関係の存否を行為後の事情の予見可能性によって判断することで、本来相当性判断の対象とされるべき当該行為の結果に対する影響力の判断を曖昧なものにしてしまう点に批判が向けられている。例えば、「大阪南港事件」の事案については、被告人の被害者に対する暴行によってすでに決定的な死因が形成されたのであるから、「異常な介入行為について予見可能性があろうとなかろうと、結局は因果関係が肯定されるのであって、相当性を決定付ける要因は、専ら第一暴行による影響力にあ」り、それゆえ、結果に対する影響力の微小な第二行為を相当性判断に取り込むことにつながる「予見可能性を相当性の唯一の判断基準とすることについては、少なくとも道具概念としての有用性という点からみて、問題が残されている」と結論付けられている(18)
  また、「夜間潜水訓練事件」の調査官解説(19)では、因果関係の判断に際して、行為の危険性、介在事情の異常性の程度、すなわち経験法則上の予見可能性の可否、および介在事情が結果発生に及ぼした影響の程度、について検討を行うべきであるとする相当因果関係説の見解について、「行為の危険性が(具体的結果に結びつくという面において)重大である反面、介在事情の結果発生に対する寄与度が低い場合には、介在事情が予見可能であろうとなかろうと因果関係を肯定するというのであれば、少なくとも行為の実質的危険性が重大であると判断された場合には、それでもなお介在事情の予見可能性を改めて検討する実益はない(20)」として、相当因果関係説における行為の介在事情の予見可能性に対して、その判断基準としての有用性に疑問が投げ掛けられている。本件では、被害者および第三者の不適切な行動という最終的に結果につながった事情は、潜水経験の浅い被害者らを見失うという被告人の不注意から「誘発」されたもので、それゆえ被告人の行為の有する危険性が結果にそのまま現実化したという判断が、被告人の行為の発生結果に対する因果関係を肯定する根拠とされ(21)、「経験上、普通、予想しえられる」という「米兵ひき逃げ事件」決定で用いられたような、予見可能性に関する表現は用いてられはいないのである(22)
  実務家によって提起された相当因果関係説に対するこのような批判は、一部の学説においても真摯に受け止められた。
  井田良教授は相当因果関係説に関するこのような状況を、「相当因果関係説の危機」とも呼び得る状況と位置付け、ドイツにおいて通説化している客観的帰属論を土台に相当性判断の構造を再構成することを提唱された(23)
  また、山口厚教授も「客観的帰属論の枠組み自体は十分採用することが可能である」とされ、客観的帰属論による結果の帰属判断の基準を相当因果関係説に盛り込むことを提唱されている(24)
  山中教授は、相当因果関係説の「危機」はこれよりかなり以前、すなわち「米兵ひき逃げ事件」をきっかけにした相当因果関係の「判断基底」ないし「判断資料」と「判断構造」に関する問題提起からすでに始まっていたと評価される(25)。そして、相当性の判断を、@行為の有する結果発生の確率の大小、A介在事情の客観的異常性の程度、B介在事情の結果発生への寄与の度合い、を考慮して行うという前田雅英教授の見解(26)や、単独で結果を発生させる能力のある一般的生活危険が存在する場合には相当因果関係は存在せず、行為者に発する因果作用が別の因果作用によって「凌駕」された場合には相当因果関係は存在しないという林陽一教授の見解(27)など、経験的通常性という従来の相当性概念を越えた実質的基準でもって相当因果関係の判断構造をより具体化、精緻化していこうとする見解に対して以下のように評価される。すなわち、「従来の相当因果関係説の考え方から、どうしてこのような判断が出てくるのか、このような判断は、そもそも『相当因果関係説』の内容に含まれるものなのかどうかが疑問」であって、「もし、このような判断が帰属の実質的な基準であり、『日常生活上通常』かどうかの判断を、最終的に形式を整えるために行うのだとすれば、それはとりもなおさず、すでに実質が形式の枠組みを突き破っていることになる」(28)と。近時の相当因果関係説はすでに経験的通常性という本来の枠組みを踏み越えて、新たな実質的判断をそこに盛り込んでいるという点で、もはや相当因果関係説と呼ぶに値するものとは言えなくなっており、このような行為の有する危険を基礎とした実質的判断は、むしろ客観的帰属論としてなされるべきだというのである。
    もちろん、従来どおり相当因果関係説で十分妥当な問題解決が図れるという見解も、わが国においては依然有力である。大谷實教授は「大阪南港事件」の判例の結論について、「条件説では当然の帰結となるが、相当因果関係説においても、行為の時点において死因となる傷害が形成された以上、行為と結果との間に相当因果関係を認めることができるから、異常な介在事情は犯人の行為にとって重要でない」として、これを相当因果関係説の立場から支持される(29)。また最近では、曽根威彦教授(30)、林陽一教授(31)が、最近のロクシンや山中教授などの客観的帰属論を検討した上で、これらが提示する結果の帰属に関する判断基準の実際的有用性を疑問視し、客観的帰属論による規範的基準を構成要件該当性判断に持ち込む意義はそれほど大きくないとして、実際的側面から客観的帰属論の採用に消極的な態度を打ち出している(32)
    これらの客観的帰属論をめぐるわが国の議論についての整理と具体的検討は、本稿では第四章にて行う予定であるが、ここでは、さしあたりこれに関する筆者自身の見方を一言しておく。
  まず、行為後の介在事情が結果に影響を与える場合の因果関係の存否の問題について、少なくともドイツで主張されている客観的帰属論は、結果に共働する事情の結果への寄与の度合いを判断の基礎とするべきであるとする、実務家を中心に提起された要請に、必ずしも十分に答えるものとは言えないであろう。なぜなら、そこでは結果に対する寄与度とは別の判断が、重要な役割を果たすことがあるからである。
  例えば、ドイツにおける客観的帰属論の主要な論者に数えられるシューネマンは「大阪南港事件」の事案について触れ、被害者に対する第三者の攻撃が第一行為者にとって認識可能であったなら、第三者の攻撃も自己の行為と保護目的連関にあるので、発生結果は帰属可能であるが、そうでない場合には、傷害結果についてのみ帰属可能であるとするのである(33)。ここではシューネマンは、第一行為と第二行為の結果に対する寄与度の関係に言及しながらコメントしているわけではないのではっきりしたことは言えないが、少なくとも第一行為者への発生結果の帰属判断において、第二行為の認識可能性を考慮していることは確かである(34)
  ロクシンは遡及禁止に関する論文(35)で、後に触れる「屋根裏部屋火災事件(36)」について、通常人は、建築法上の許可を受けていない建物であって、火災の危険が高いという理由だけでは決して放火などしないという理由で、可燃性の物が置いてあり、階下へ降りるのに梯子段一本しかない工場倉庫の屋根裏に人を住まわせるという、ひとたび火災が起きれば住人を焼死させてしまう可能性の大きい(その意味で結果に対する寄与度の大きい)態度について、住人の焼死という結果を賃貸人に帰属させることを否定する(37)。逆に、彼がこの論文でこれ以外の事案については、後の犯行が認識可能である限り(彼はこれを「認識可能な犯罪行為への傾向(die erkennbare Tatgeneigtheit)」と表現する)、いかに寄与度の小さい態度についても結果の帰属を認めることからすると、ここでは、客観的帰属論は介在事情の結果への寄与度ではなく、むしろ行為時の介在事情の予見可能性を主軸に発生結果の帰属判断を行っていると評価すべきであるように思われるのである。
    こうして見てくると、客観的帰属論は、当初から意識されていた過失犯における義務違反と結果の関係に関する問題、および介在事情の問題については、特に第三者の答責的な態度が介在する場合に実際的な有用性を発揮するものと言える。
  後者の問題領域では、最近特に、自己答責的な被害者の態度に対する関与の問題が注目を集めている(38)。客観的帰属論はこの問題領域を適切に把握するものであり(39)、「わが国の有力説が(客観的帰属論として・筆者)採用しようとしているのは、被害者の自己責任領域の考慮」のみであるという評価さえ存在する(40)。もっとも、この問題は、第一行為者の注意義務違反による態度と発生結果とのつながりという客観的帰属が従来から提示してきた判断構造では、妥当な解決は図れないという見解がドイツにおいて最近有力化している。この見解は、従来の客観的帰属論が過失犯において統一的な正犯概念を前提としていることに対して、従来の客観的帰属論が、特に自己答責な被害者の態度に過失で関与する者を(いわば正犯的な)自己答責的態度に対する関与にすぎないことを理由として不処罰にするのは、過失犯においてもすでに正犯的態度と共犯的な態度の区別を前提としており、統一的な正犯概念の前提を逸脱していると批判する(41)。そしてこの見解は、過失犯においても限縮的正犯概念を前提として過失共犯が明文上不処罰であることを根拠に不処罰の結論を導く。これはいわゆる遡及禁止論と機を一にする考え方であると言える。そして、このような見解が特に最近のドイツにおける客観的帰属論の展開の主軸であるように見受けられる。本稿では第三章において、この展開について詳細な検討を行う予定である。
    以上述べたこと踏まえ、本稿ではドイツにおいて客観的帰属論が登場してくるまでの経緯を辿り、さらには最近の展開について概観することで、この構想の持つ本来の意義とその課題をできる限り明らかにすることを試みる。
  第一章では、目的的行為論が登場してくるまでのドイツにおける議論について、因果関係論と共犯論をめぐる議論から概観する。そこでは、まず、現行のドイツ刑法典の前身である一八七一年の帝国刑法典の共犯規定が前提としていた遡及禁止概念が登場する経緯を「一九世紀における因果関係と共犯をめぐる議論」として概観した上で、刑法典制定以後の因果関係をめぐる議論において有力化した相当因果関係説、中断論、遡及禁止論などの帰責限定理論と判例によるその否認および学説における解決の試みの概略について検討する。ここでは、目的的行為論が故意犯に対する過失の関与の問題に対する解決策として有力化するまでの経緯が明らかにされる。
  第二章では、目的的行為論とその限界について検討する。ここでは、過失犯における義務違反と結果の問題および自己答責的な被害者の態度に対する関与の問題を契機に目的的行為論が客観的帰属論に取って代わられたことが示される。
  第三章では、先に少し触れたが、過失犯において統一的正犯概念を前提とするロクシン等の客観的帰属論の限界を明らかにした上で、最近の展開について、特に前提とされる遡及禁止の基礎にある概念を主軸に各論者の見解を分類、検討する。ここでは、最近の展開を促した問題として、従来から遡及禁止論に関する問題として議論されてきた過失の関与の問題、特に自己答責な被害者の態度に対する関与の問題をはじめとして、刑事製造物事件に関する判例で顕在化した過失共同正犯の問題、さらには最近のドイツにおける共犯論で活発に議論されているいわゆる「中性的な態度による幇助(Beihilfe durch neutrales Verhalten)」の問題(42)を素材とする予定である。
  第四章では、以上のドイツにおける展開の検討から得られた成果を参考に、わが国における議論を整理し、若干の検討をした上で、客観的帰属論の今後の課題を明らかにしたい。

(1)  例えばドイツにおける客観的帰属論の主唱者の一人とされるシューネマンは、「客観的帰属論は、ここ二〇年間においてドイツ刑法学、さらにはヨーロッパ刑法学の最も広くかつ最も中心的に議論されてきた解釈論上のテーマであるばかりでな」く、「一九七五年以前の数十年における目的主義、刑法上の自然主義の時代における因果性の概念と同様の根本的な意義をも獲得している」として、客観的帰属論を、以前の時代における自然主義や目的的行為論がその時代を特徴付けたのと同様、現代の刑法体系の時代思潮を特徴づけるものと位置づけている。B. Schu¨nemann, U¨ber die objektive Zurechnung, GA. 1999, S. 207. また、目的的行為論の立場から客観的帰属論に批判的な立場をとるヒルシュも、客観的帰属論がドイツの学説において通説的地位を占めるに至っていることは認めている。Vgl. H.J. Hirsch, Zur Lehre von der objektiver Zurechnung, in Festschrift fu¨r Theodor Lenckner, 1998, S. 119.(井田良、金子文子・翻訳「客観的帰属論批判(上)」慶応義塾大学法学研究七一巻七号[一九九八年]八一頁)。
(2)  現代のドイツで客観的帰属論を主張する論者たちの帰属論およびその規範論的基礎については、曽根威彦「客観的帰属論の規範論的考察」早稲田法学七四巻四号(一九九九年)一五七頁以下で詳細な検討がなされている。この論文で曽根教授は、ドイツにおいて客観的帰属論を主張する論者として、ルドルフィー、ヴォルター、フリッシュ、ロクシンの見解を検討されている。
(3)  Hirsch, a. a. O., S. 119 (Fn. 3). では、現在ドイツにおいて客観的帰属論を主張する論者として、ロクシン、ヤコブス、イェシェック/ヴァイゲント、レンクナー、プッペ、ルドルフィー、シュミットホイザー、ヴェッセルス、ヴォルター等多数が、これに批判的な論者としては、アルミン=カウフマン、シュトルエンゼー、ヒルシュ、キュッパー、コリアートが、限定的に承認する論者としては、マイヴァルト、この説の採用に慎重な論者として、ラックナー、キュール、ケーラーが挙げられている(それぞれの文献については、同書の他、井田、金子・前掲八十四頁[注三]参照)。このうち、目的的行為論の論者とされるのは、ヒルシュの他、アルミン=カウフマン、シュトルエンゼー、キュッパー等である。
(4)  斉藤誠二「いわゆる客観的な帰属の理論をめぐってー危険をたかめる法理と規範の保護目的の理論をも含めてー」警察研究四九巻八号(一九七八年)三頁以下。
(5)  斉藤・前掲一四頁。斉藤教授は、この問題について、「いまは、結論だけをいえば、わたくしは、この過失犯で「危険をたかめる法理」という考えをとり入れてよいとおもっている」と述べられている。
(6)  斉藤誠二「いわゆる『相当因果関係説の危機』の管見」法学新報一〇三巻二、三号(一九九七年)七五八頁。
(7)  山中敬一『刑法における因果関係と帰属』(一九八四年)。
(8)  山中「過失犯における義務違反と結果の関係」前掲書一頁以下(初出「過失犯における義務違反と結果の関係について(一)(二)(三)」法学論叢九二巻三号六〇頁以下、九三巻二号五四頁以下、同五号二九頁以下)。
(9)  山中・前掲書五三頁。
(10)  山中・前掲書五四頁。
(11)  山中・前掲書五四頁以下。
(12)  山中敬一『刑法における客観的帰属の理論』(一九九七年)。さらに、一九九九年に出版された教科書『刑法総論T』二三七頁以下では、この論文で詳述された客観的帰属論の概略が展開されている。
(13)  下村康正「ドイツ刑法学に於けるいわゆる客観的帰属の理論ーシュミットホイザーの所説を中心として」法学新報七九巻九号(一九七二年)一頁以下。
(14)  下級審において、相当因果関係説を採用して発生結果に対する因果関係を否定した判例として著名なものに、いわゆる「浜口首相暗殺事件」判決(東京控判昭和八年二月二八日、法律新聞三五四五号五頁)がある。
(15)  これに関する著名な研究としては、井上祐司『行為無価値と過失犯論』(一九七三年)を挙げることができる。
(16)  大谷直人『最高裁判所判例解説』(刑事篇)(平成二年度)二三二頁以下。
(17)  大谷・前掲二四一頁。
(18)  大谷・前掲二四一、二四二頁。
(19)  井上弘通『最高裁判所判例解説』(刑事篇)(平成四年度)二〇五頁以下。
(20)  井上・前掲(注一九)二三九頁。
(21)  井上・前掲(注一九)二三六、二三七頁。
(22)  井上・前掲(注一九)二三三頁。
(23)  井田良「因果関係の『相当性』に関する一試論」法学研究六四巻一一号一頁以下(同『犯罪論の現在と目的的行為論』[一九九五年]七九ページ以下所収)。
(24)  山口厚『問題探求  刑法総論』(一九九八年)二九頁以下。
(25)  山中・前掲(注一二)書四、五頁。
(26)  前田雅英『刑法総論講義』二版(一九九四年)二四二頁。
(27)  林陽一「刑法における相当因果関係(一)ー(四)完」法学協会雑誌一〇三巻七号一頁以下、同九号七二頁以下、同一一号二二頁以下、一〇四巻一号七三頁以下。
(28)  山中・前掲(注一二)書六頁。
(29)  大谷實『刑法講義総論』四版補訂版(一九九六年)一八四頁。
(30)  曽根威彦「客観的帰属論の体系的考察−ロクシンの見解を中心として−」『西原春夫先生古希祝賀論文集』(一巻)(一九九八年)六五頁以下。
(31)  林陽一「わが国における客観的帰属論−最近の展開をめぐって」千葉大学法学論集十三巻一号(一九九八年)二三六頁。
(32)  このような観点による論稿として最近、小林憲太郎「因果関係と客観的帰属(一)」千葉大学法学論集一四巻三号(二〇〇〇年)一頁以下が公表された。この論文の中で小林氏は、「相当因果関係説の危機」について、「私が主として関心を抱いたのは、『因果関係の経験的通常性のみでは妥当な帰責範囲が確保できないのではないか』、『介在事情が死因を変更したか、その与えた寄与度の大小といった要素も考慮すべきではないか』といった疑問から生じた『危機』である。」と述べるところからすると、「大阪南港事件」等を契機に実務家等によって提起された相当因果関係説に対する疑問に答えることを課題とされるようである。小林・前掲二頁参照。サ
  そして小林氏は結論として、「介在事情が死因を変更したか、その与えた寄与度の大小といった要素を考慮して、因果関係の経験的通常性が認められない場合にも帰責を肯定することは、認めるべきではない」とされる(小林・前掲四頁)。後に述べるように、ドイツにおいて通説的に主張される客観的帰属論は必ずしも、結果に至る事象の経過に介在する事情の結果発生に対する寄与度を、結果の帰属基準とするものではなく、寄与度の大きな態度でもその後の結果発生につながる事情の認識可能性が認められない場合には、結果の帰属を阻却するというものである。小林氏の言われる「経験的通常性」の内容は現段階では必ずしも明確ではないが、仮に氏の見解が介在事情の認識可能性ないしは予見可能性を「経験的通常性」判断において考慮するという趣旨であるとするなら、その限りで氏の主張されるように客観的帰属論も相当因果関係論と内容的に大差ないものと言えるのかもしれない。むしろこの問題では、危険実現論として客観的帰属論も相当因果関係説(特にエンギッシュ)の考え方を土台としているので、判断構造および結論において差異がないのが当然であるとも言える。Vgl. C. Roxin, Strafrecht Allgemeiner Teil 3. Aufl., S. 321f.サ
  しかし、小林氏のように「注意規範の保護目的論」までもが、相当因果関係の要件にコミットしている(小林・前掲五頁)と言うことはできないのではないか。もちろん、氏が客観的帰属論としていかなる見解を想定しているのか、現段階では明らかでないのではっきりしたことは言えない。しかしながら、例えばロクシンは、注意規範の保護目的の問題は相当因果関係の問題とは異なるとし、因果経過が完全に相当なつながりにある場合にでも、行為者の違反した注意規範の保護目的が結果の防止にはない場合には結果の帰属を阻却すると言う。このような彼の主張からは、「注意規範の保護目的」とは明らかに因果経過の相当性には包摂し得ないものであるとは言える。Vgl. C. Roxin, a. a.. O., S. 326. それでも、「注意規範の保護目的論」が相当因果関係論に他ならないと言うのなら、そこで言われる相当因果関係論とはあまりに無内容で、それがゆえに種々の要素をそこに盛り込むことができるものとなるであろう。しかし、それでは相当因果関係論とは不明確なものとなりはしないか。サ
  さらに小林氏は、客観的帰属論が相当因果関係の要件を放逐したと評されるが(小林・前掲五頁参照)、先に見たように危険実現の判断では客観的帰属論でも相当性の判断自体は要件とされているのであり、氏が相当因果関係の要件の放逐に大きな役割を果たしたとされる「注意規範の保護目的論」にしても、(危険実現と形を変えてはいるが)相当因果関係の存在を検討した上でそれが認められる場合にもなお結果の帰属を阻却する要件として提示されているのであるから、客観的帰属論が相当因果関係の要件を放逐したとまでは言えないのではないだろうか。
  このように小林氏は、客観的帰属論の判断内容も実質的には相当因果関係論のそれに他ならないことを示そうとされるようである。しかし後で述べるような「被害者の自己答責性」の問題や日常取引による幇助の問題に相当説の立場から明確な解答が示されない限り、相当説は客観的帰属論に対してその実際的な有用性を示すことはできないのではないか。サ
  いずれにせよ、小林氏の問題意識は、客観的帰属論の展開を、実務上提起された問題とその解決を主軸として、できるだけ精確に辿ることで、その実際的有用性と体系化の可能性を探ろうとする本稿の問題意識とは、いささか趣を異にするもののようである。もっとも、氏の見解の分析・検討は、今後の氏の論稿の進展を待たねばならない。
(33)  日本刑法学会第七五回全国大会(一九九七年)においてなされた講演での発言である。本講演の翻訳が、「客観的な帰属をめぐって」(斉藤誠二  翻訳)刑法雑誌三七巻三号三一頁以下である。同四九頁では、「大阪南港のケース」として「大阪南港事件」の事例が簡潔に紹介されているが、本文のようなこの事例の解決に関するシューネマン自身の見解は記されていない。また、シューネマンの前掲(注一)論文はこの講演原稿を加筆修正した上での再録であると思われるが、残念ながら「大阪南港事件」に言及した部分は別の事例に置き換えられていた。Vgl. Schu¨nemann, a. a. O., S. 224. 筆者はシューネマン教授のご好意により講演原稿の全文を参照することができた。ここに記して謝意を示す次第である。なお、小林・前掲五一頁(注四九)にも、本講演でシューネマンが、自己の客観的帰属論を「大阪南港事件」にあてはめたことが記されている。
(34)  斉藤誠二教授も、「大阪南港事件」のような事案では、ロクシンらのドイツにおける通説的な客観的帰属論からは、被害者の死亡結果を第一暴行者に帰属することはできず、第一暴行者は傷害にとどまることを指摘される。その理由として、「ある故意でない行為をする者は、(その行為にもとづいて)ほかの人が故意の犯罪をするようなことはないということを信頼してもよい」という信頼の原則を挙げ、さらに斉藤教授自身、この考え方が妥当であるとしている。斉藤誠二・前掲(注六)七六三、七六四頁参照。ここでは、予見可能性(認識可能性)という表現こそ用いられていないが、この見解からは、被害者に対して後に別の者が暴行を加えるという予兆がある場合には、被害者に対する暴行が行われないことを信頼することは許されないはずであるから、第一暴行者に対する死亡結果の帰属に際しては、当然、第二暴行の予見可能性が斟酌されるはずである。
(35)  C. Roxin, Bemerkungen zum Regreβverbot, in Festschrift fu¨r Herbert Tro¨ndle (1989), S. 177f.
(36)  RGSt. 61, 318. 事案と判決内容については、本稿の第一章第三節を参照されたい。なおライヒ裁判所は、屋根裏部屋を住居として賃貸した工場主は、火災が住人を殺害することを意図した第三者の故意の放火によるものである場合でも過失致死であると判示した。
(37)  Roxin, a. a. O., S. 194.
(38)  この問題領域は、いわゆる「ダートトライアル事件」判決(千葉地判平成七年十二月一三日、判例時報一五六五号一四四頁)をきっかけに、「被害者の自己答責性」問題としてわが国でも実際的問題として議論されるようになった。この問題はすでに、山中・前掲(注一二)論文七〇八頁以下において検討された。その後の文献では、この問題の本質を、これに関するドイツの議論の詳細な検討から浮き彫りにし、結論としては「被害者の自己答責性論」から問題解決をはかるべきであることを主張するものとして、塩谷毅「自殺関与事例における被害者の自己答責性(一)(二・完)」立命館法学二五五号二三七頁以下、二五七号六五頁以下、同「「被害者の自己答責性」について」『転換期の刑事法学  井戸田侃先生古希祝賀論文集』(一九九九年)七八三頁以下(なお、同・八〇一頁[注16]に「ダートトライアル事件」に関する判例評釈の一覧が掲げられている)が特筆に価する。また、共犯処罰根拠の分析を基にこの問題にアプローチするものとして、増田豊「共犯の規範構造と不法の人格性の理論−共犯の処罰根拠と処罰条件をめぐって−」法律論叢七一巻六号(一九九九年)一頁以下がある。
  なお、この問題は、「過失犯における危険引き受け」と呼ばれることもあるが(例えば、曽根威彦「過失犯における危険の引き受け」早稲田法学七三巻二号[一九九七年]三三頁以下参照)、問題の焦点は、被害者が自己の責任でもって自己の法益に対する危険を引き受けたという点にあるのであるから、具体的解決のアプローチも単なる危険引き受けではなく、被害者の答責的な危険の引き受けという観点から引き出されるべきであると思われる。それゆえ、名称についても、「被害者の自己答責性」と呼ぶ方が、問題の焦点をより的確に捉えている点で、よりふさわしいと筆者は考えている。
(39)  塩谷・前掲「『被害者の自己答責性』について」七〇九頁(注二)では、「『被害者の自己答責性論』は、専ら被害者の『意思』のみに着目する『被害者の承諾論』とは異なり、『被害者の意思と態度(行為)の連関』に独自の意義を持たせ、『客観的帰属論』の思考様式のもとで、『正犯・共犯論』の視点を交えながら、『被害者の承諾論』では解決できなかった『生命』侵害・危殆化の問題(自殺関与事例や自己危殆化事例)を解決するための理論であることに注意する必要がある」とされ、「被害者の自己答責性」問題が、すでに「被害者の承諾」の問題を越えたものであって、その解決には客観的帰属論という新たな視点を要することが明確に指摘されている。
(40)  林・前掲(注三〇)二三六頁。もっとも林教授は、「これは、原理においては被害者の自己決定の尊重という、違法論に本籍を有する問題であ」り、「これを構成要件論に含めるために、客観的帰属論という『枠組み』を設ける必要があるかには、疑問がある」としている。
(41)  例えば、J. Renzikowski, Restriktiver Ta¨terbegriff und Fahrla¨ssige Beteiligung, 1997, S. 165f. では、警官が自動車のダッシュボードに忘れていった拳銃で、彼の恋人が自殺を図り死亡したという事案で、原審で過失致死とされたこの警官を無罪とした、BGHの「ピストル事件」判決(BGHSt. 24、S. 342)の解決について以下のように述べて、通説的な客観的帰属論の過失犯における統一的正犯概念の前提を批判している。すなわち、この事件では、「裁判官はまず、可罰的な正犯行為がないということで、従属性が欠如するので、自殺幇助が処罰できないことを確認しなければならない。故意の幇助の不可罰から、自殺の過失による惹起の不可罰が推論される。
  実際、自殺の過失による促進を処罰しながら、故意のそれは処罰しないとしたら、評価矛盾である。しかし、連邦裁判所の論証が注目に値するのは、とりわけ自己答責的な自己侵害に対する共犯と正犯的な自己答責的他者侵害の区別を可能にする故意犯の限縮的正犯概念が過失犯に転用されているという理由からである。これに対して、過失犯では統一的な正犯概念が正しいのならば確かに、ー原審のようにー(被告人である警官・筆者注)Aを過失致死で処罰するのに障害はない。なぜなら、職務用のピストルを注意違反で放置しており、この因果連関は被害者の落ち度によっては中断しないからである。しかし、(被告人の恋人・筆者注)Bは自己答責的に行為しているので、彼女の死はAに帰属できないのなら、Aが第三者の自由答責的な行為による被害者の死亡を過失で促進する場合には事情が異なってくるのは何故かという疑問が出てくる」(下線は筆者によるものである)と。つまり「ピストル事件」では、以下の点が自己矛盾であるというのである。すなわちBGHは、故意による自殺幇助が不可罰とされることからの論証連鎖により、自殺の過失による援助的行為を不処罰としたが、援助的行為といえども統一的正犯の前提からは正犯行為であり、そこには「幇助だから不処罰」という論証連鎖の入り込む余地はなく、もしこのような論証連鎖を用いるのなら、それはすでに統一的正犯の前提に反して、過失犯でも正犯的行為と共犯的行為の区別を認めることになるという点である。さらに、彼女が自殺ではなく、第三者を殺害した場合に、被告人を過失致死とするなら、一貫しない点にも疑問が提示されている。なお、彼の見解については、本稿第三章で詳細に検討する。
  先に触れた、塩谷助教授の「被害者の自己答責性論」による解決も基本的にはこのような問題意識に基づくものであると思われる。
  なお、客観的帰属論による帰属連関の阻却で事案の妥当な解決がはかれることを理由に過失犯における限縮的正犯概念の採用に慎重なものとして、内海朋子「過失犯における正犯・共犯の限界づけとその判断基準についてードイツの学説状況を中心にー」慶応義塾大学法政論集三六号(一九九八年)二五一頁以下がある。もっとも、ここではレンツィコフスキーが指摘する過失犯における統一的正犯論の右のような問題は、必ずしも意識されているとは言えない。
(42)  最近、松生光正教授がこの問題について、松生光正「中立的行為による幇助(一)」姫路法学二七・二八合併号二〇三頁以下においてドイツの議論を参考に検討を加えておられる。
  松生教授によると、この問題は「本来は犯罪者や犯罪行為と無関係な、法的に否認されていない目的の行為という意味で『中立的な』と包括的に表現しうる行為によって犯罪を幇助した場合の処罰の制限に関する解釈論上の根拠について」の問題であるとされる。これは例えば、脱税目的で他人の預金口座に振り込みを行う場合、そのような客の目的を(未必的にであれ)知りながら手続きを行った銀行員について、脱税の幇助の罪責が問われる場合に問題となる。松生教授はこのような行為の処罰を制限すべき理由を、「このようないわば相手を選ばない取引的・業務的行為は、つねに他者の犯罪に役立ちうる可能性を有しているのであるから、故意が偶然につけ加わるだけで幇助犯として処罰されるということになると、処罰の範囲が拡張され、法的安全性が害されるだけでなく、さらに業務に携わる者はつねに自己の行為が犯罪に利用されないよう警戒しなければならず、そのような可能性を認識すれば行為してはならないということになり、社会的な交渉にとって大きな障害となりうる」ことに求めている(松生・前掲二〇六頁)。麻薬特例法や昨年成立した組織犯罪処罰法などにおいて、いわゆる資金洗浄罪が創設されたことなどもあって、特に金融関係の業務が、結果的に特定の犯罪に加担することになる可能性が高まってきているとも言えるわが国の現状からすると、松生教授のこのような指摘は今後重みを増していくものと思われる。そこで、本稿第三章では、中性的態度による幇助の可罰性限定について、客観的帰属論の観点による根拠付けの可能性を検討するのである。松生教援も、客観的帰属論による解決を検討されるようである。
  なお、このような行為類型における可罰性限定が問題とされることについてはすでに、斉藤誠二「共犯の処罰根拠についての管見」(『刑事法学の新動向』下村康正先生古希祝賀  上巻[一九九五年])三三頁、松宮孝明「共犯の因果性」法学教室一九九七年七月号四一頁、同『刑法総論講義』(一九九七年)二六三頁以下において指摘されていた。特に、後者は「日常取引への幇助」すなわち中性的態度による幇助が問題となった実際の例を挙げているという意味で、この問題がわが国でもアクティブなものであることを示すものと言える。中でも、熊本地判平成元年三月一五日、判例時報一五一四号一六九頁は、業者が軽油引取税を納付しておらず、さらにその業者から軽油を買うことが軽油引取税不納付を援助することになるという認識の認められる被告人について、彼の軽油を安く買う行為は、「結局のところ、売買の当事者たる地位を超えるものではない」として、軽油引取税不納付の共同正犯はおろか幇助としても無罪とした。これは、日常取引(中性的態度)による幇助は処罰すべきではないというテーゼを正面から認めたと評価できる判例として注目に値する。


第一章  目的的行為論登場以前のドイツにおける議論


第一節  一九世紀の因果関係と共犯をめぐる議論
一、は じ め に
    自然主義の時代として知られる一八七一年刑法典制定後のドイツの刑法解釈論においては、因果関係論が客観的帰属の理論の中心的役割を果たしていた。この時代当初の因果関係論においては、周知のように、判例の見解である条件説と学説において有力な原因説が激しく対立した。この対立は、主として正犯と教唆、幇助の狭義の共犯(以下では便宜上単に共犯と称する)の区別基準をめぐってのものであった。因果関係論において条件説に立つ論者は、結果に対して「あれなければこれなし」(conditio sine qua non)という条件関係に立つすべての関与者の行為は法的に等価である、というテーゼを前提に、共犯論においては客観的な因果的側面による正犯と共犯の区別を否定し、正犯意思の有無など主観的基準により正犯と共犯の区別を行うべきであるという主観説を主張した。これに対し原因説の論者は、結果に対する各条件の間について一定の客観的基準により、正犯性を根拠付ける原因と、せいぜい共犯としての性格しか根拠付けない条件との区別が可能であり、そうして、このような原因と条件という関与者の態度の客観的な因果的性格の差異よって正犯と共犯を区別すべきであるという客観説を主張する。
  これらの因果関係概念の理解と正犯と共犯の区別をめぐる対立は、これに関してフォイエルバッハ以降、一九世紀において展開されてきた議論の延長線上に生じたものと理解することができる。そこでの当初からの論点は、普通法の解釈問題として、カロリナ刑事刑法典一七七条(1)に規定される幇助者(Gehu¨lfe, socius delicti)をどのように定義し、犯罪原因者としての責任を負う起因者(Urheber, auctor delicti、「発起者」と訳す人もあるが本稿では「起因者」と訳すことにする)とはいかなる基準で区別するかということであった。しかしながらこの議論は、論者が各領邦の刑事立法の動き、さらには統一ドイツの刑法典編纂を視野に入れるにつれ、正犯の刑と従犯の刑の軽重関係(従犯の刑は正犯と同等か、減軽すべきか)、教唆の取扱(正犯とするのか、共犯として取り扱うのか)等、あらたな論点を取り込みながら普通法の解釈問題を越え、立法問題へと発展していった。それだけに一八七一年刑法典制定以前の一九世紀における議論においては、各領邦の刑法草案やフランス法等の外国法の影響等が複雑に絡み合い(2)、これらの事情が、各論者の見解を一義的に統一的な視点から理解することを困難にしていると言える。本節では、冒頭で挙げた自然主義時代の因果関係理論の対立を理解する前提として、帝国刑法典制定に至るまでの一九世紀のドイツの学説における正犯と共犯の区別基準および教唆の取扱をめぐる議論について、客観説、主観説および帝国刑法典の共犯規定に大きな影響を与えたヘーゲル学派の見解に分けて概観する(3)。なお、帝国刑法典制定以前の刑事立法や外国法の具体的な動きについては本稿では立ち入ることができないことを予めお断りしておく。
    主観説と客観説の対立は、一九世紀のドイツの学説における正犯、共犯概念の展開過程においてすでに見られるものであったが、このうち、学説の系譜から見て古いものに属するのは、客観説であると言われている。一七世紀の自然法論者であるプーフェンドルフにおいてはすでに、主たる原因(causa principalis)と従たる原因(causa minus principalis)という行為の因果的な性質の差異により正犯と共犯を区別する客観説の立場がとられていた(4)。後に見るようにフォイエルバッハはその教科書で、プーフェンドルフのこのような所説に依拠しつつその構想を立てるのであるが、彼の構想はこれ以後、一九世紀の刑法学説における有力な主張者たちの見解の基礎として君臨することになる。
  これに対して、主観説は一九世紀ドイツの刑法学説に独自のものとされる(5)。同説の論者は当初、客観的な因果的基準による正犯と共犯の区別を否定し、犯罪意図の有無による区別(Dolustheorie、本稿では一応、「意思説」と称する)および犯罪利益の有無による区別(Interessetheorie、本稿では「利益説」と称する)を主張したが、これらは以下に見るようにカロリナ刑事刑法典の包括的な正犯規定に由来するものであり(6)、必ずしも確固とした理論的な基盤を有するものとは言えなかった。これに対し、ケストリン、ベルナーらのいわゆるへーゲル学派に属する論者も同様に主観説の論者であると評価されている(7)が、彼らは、自由意思を法の基盤とするヘーゲル哲学に依拠して、行為概念を責任能力を有する人間の自由意思による因果設定と規定した上で、犯罪行為を行う者すなわち起因者を、「犯罪意図を実現しようとする者」(ベルナー)、「自由意思により犯行を実現する者」(ケストリン)と定義したのであった。それゆえ、同じ主観説とは言っても、ヘーゲル学派の場合にはそれまでの見解とは異なり、行為概念という確固たる理論的基盤を有するものと理解することができる。また、ヘーゲル学派の論者の共犯理論は、主観的基準に基づいて起因者と幇助者を区別するという主観説を主張した(その限りでは普通法の解釈論にとどまる)だけではなく、共犯としての教唆概念、さらには共犯の従属性をその理論的帰結として引き出し、これはプロイセン刑法典、さらには帝国刑法の共犯規定の基礎となった。このようにヘーゲル学派の共犯理論は、従来の主観説より一歩先んじたものと評価することができ、そこで本稿ではこれを主観説とは別に見ていくことにする。
    なお、ここでの議論では、後の自然主義時代の議論に見られるように条件説=主観説、原因説=客観説という図式は成り立たないことに留意する必要がある。例えば後に見るように、正犯と共犯の主観面による区別に反対し、客観説をとるステューベルは、原因説の見解とは逆に正犯、幇助の各関与形式を客観的側面では区別し得ないとして、幇助犯(Gehilfe)については、身分犯など正犯となることができる者が一定の資格を有する者に限られている犯罪に、その資格なくして関与する者にこれを認めたにすぎないのである。また、自然主義時代の条件説を基礎とする主観説の立場からは、教唆犯は独自の共犯ではなく正犯の特別な場合と理解されていたが、同じく主観説を取るヘーゲル学派では教唆犯を独自の共犯として正犯とは区別して取り扱うことが、その体系的帰結として重要視されたのである。
    以上述べたことを踏まえ、以下では一九世紀ドイツにおける正犯と共犯の区別基準をめぐる議論を中心に概観することにする。先に触れたが、ここでは客観説、主観説およびへーゲル学派の見解を取り扱う。その際客観説に属するものとしてフォイエルバッハ、ステューベル、ルーデンの見解を特に取り上げるが、ヘーゲル学派以前の主観説の見解は大まかに概観するにとどめ、ヘーゲル学派の論者としてはベルナー、ケストリンの共犯理論を特に取り上げることにする。
二、客  観  説
    フォイエルバッハは、先に述べたようにプーフェンドルフ流の因果関係を機軸とした正犯と共犯の区別基準を立てた。彼はその教科書において、「すべての違反行為(Uebertretung)は特定の人を作用原因として前提とする」とした上で、起因者を「結果としての犯罪を惹起する十分原因が、その意思及び行為に含まれている人(8)」と定義する。さらに、「あらゆる原因には、主原因の効力が生じるのを容易にすることにより特定の結果の発生に作用する並行原因(Nebenursachen)が存在し得るので、それ自身として考えれば犯罪を惹起するものではないが、起因者の作用を促進することによりその発生に共に寄与する行為によって、他人も起因者の違反行為に加担することがある」とした上で、「意図的にそのような行為もしくは不作為を行う者(9)」は、起因者ではなく幇助者であると定義している。
  フォイエルバッハのこのような定義は、起因者と幇助者という二種類の犯罪関与者を認める当時のドイツの普通法を前提とするものである。しかしながら、彼はこれを一歩進め、起因者についても直接原因と間接原因の区別に基づいて、「犯罪概念を構成する行為を自ら実行する」物理的起因者(physischer Urheber)と「他人の意思を犯罪実行へと意図的に決意させる」心理的起因者(intellectueller Urheber)とに分類した(10)。そして同じ起因者でも、犯罪結果について間接原因を設定するにすぎない心理的な起因者を直接原因者である物理的起因者と区別して取り扱うフォイエルバッハの試みは、後の教唆概念の生成を指導することになる(11)
  正犯と共犯の区別基準としては、このようなフォイエルバッハの構想では、それ自身により犯罪結果をもたらす主たる原因(十分原因)を意思的行為により設定する起因者と、単独では犯罪結果の原因にはならないまでも、起因者の行為に意図的に寄与することで並行原因を設定する幇助者は、結果に対する原因としての性格、すなわち主たる原因か、並行的原因か、を基に区別されている。すなわち、行為の結果に対する因果性の差異が起因者(後の時代で言う正犯)と幇助者(後の時代で言う共犯)の区別の決定的な基準となっているのであって、それゆえここでは、因果関係に関する理論が正犯と共犯の区別においてきわめて重要な役割を果たしていると言える。これは後の原因説の主張と基本的な観点では一致する(12)。しかしながら彼の構想には、起因者(正犯)を基礎付ける原因(主たる原因)と幇助者(共犯)を基礎付ける原因(従たる原因)の差異の特徴付けについては、後の原因説のような統一的な観点からの基準は見られない(13)
    ステューベルの見解(14)も、主観面による正犯と共犯の区別を否定するという点では客観説に属すると言ってよいであろう(15)。だが彼の見解は、共犯形式に客観的な差異は存在しないと主張する点で、フォイエルバッハや次で検討することになるルーデンの見解とは決定的に異なっていた。彼の見解では、犯罪に対するあらゆる共働は等価であり、それらはすべて同等の可罰性を有するとされるのである(16)
  しかしながら、彼は犯罪に対する関与者はすべて正犯であるというテーゼを一般的に承認する、現在で言うところの統一的正犯論(17)を主張するわけではなかった。その実、彼は共犯類型としての幇助者(Gehilfe)の存在を認めていたのである。もっともそれはフォイエルバッハのように犯罪一般についてではなく、一定の特別な類型の犯罪、すなわち犯罪構成要件の充足に特別の人的メルクマールを必要とする犯罪、にそのメルクマールなくして関与する者に限定されていた。これに関して彼は、「幇助者とは、彼自身は有責とされ得ないような他人の犯罪を助ける者である」と述べている。そして彼によればこのような幇助者は、以下の三つの場合にのみ認めることができる。すなわち、目的犯において構成要件上必要とされる意図を持たずしてこの犯罪に加担する場合、身分犯において構成要件に属する特殊な身分ないしは関係を有しないでこの犯罪に関与する場合、特定数の人だけが構成要件に属し、共犯者が加わるとこの数を越えてしまう場合である。前二者についてはそれぞれ目的犯、身分犯に対する関与者は幇助者として処罰する趣旨と理解できる。そして最後の例に属する犯罪としては、自殺、自傷、決闘、強姦が挙げられており、彼はこれらの犯罪についても関与者は、起因者ではなく幇助者として処罰すべきであると言うのである。
  したがってステューベルの見解では、上のような三つの場合に属する犯罪類型以外の犯罪に関与する者については、原則通り起因者としての責任を負い、関与者個人の責任(Schuld)の相違の考慮が裁判官に委ねられるに過ぎないのである(18)
    ルーデンも客観説に立つと評価されている(19)。ルーデンはまず、『犯罪の構成要件について(20)』と題する彼の論文集の第二巻において、起因者と幇助者の区別の問題について論じた。そこで彼は犯罪の原因を、非決定論の立場から行為者の自由な決意に基づく犯罪実行に求め、違法性および故意過失のメルクマールを充足する限り、原則としてこのような犯罪実行者だけが惹起された犯罪について罪責を負うと考える(21)。その上で、他人の犯罪実行を利用することにより犯罪を実現しようとする共犯者の答責性については、「ある者の犯罪にあたる行動が別の者のそれとなるということがそもそもあり得るのか、という疑問が生じる。(途中省略・筆者)これは、後者が前者の決意を借用し、そうして、前者から生じた行動を自らのものとするという以外には考えられない(22)」として、起因者の犯罪に向けられた決意を自らのものとして借用する(aneignen(23))ことにその根拠を求める。逆に共犯者の側にこのような犯罪実行者の決意の借用が見られないならば、そのような共犯者は犯罪者とはされないはずである(24)
  しかし、共犯の答責性に関するこのような借用説(Aneignungstheorie)の立場に対しては、起因者の意思を借用する関与者は、彼が借用した意思により起因者と同様に処罰されることになるはずであるという批判が可能である(25)
  これに対し、ルーデンは以下のような論証でこのような結論を回避する。たしかに主観的な立場から見れば、実行者の決意を借用することにより全共犯者は同等の可罰性を有することになる(26)。しかし客観的な立場(27)からは、全関与者は同程度に答責的なのではなく、「犯罪の客観的存在についての根拠」がその行為にある者、つまり主たる行為(Haupthandlung)を行う起因者は、それ以外の関与者よりも高い程度に答責的なのである。なぜなら、起因者の行動すなわち直接結果を導く行動、あるいは「この行為なくして他の者の行動では結果につながらないことが、法的確信を持って確認される行為」がなければ、そもそも犯罪は起こりえないからである(28)。以上まとめるなら、直接に結果を惹起する主たる行為を行う関与者は、起因者として他の関与者より高い答責性を有するということになる(29)
  起因者以外の関与者の可罰性に関しては以下のように考えられている。
  「他人の未だ開始されない行為を準備したり、助成したりする目的しか有しない」ような、つまり幇助としての性格しか有しないような共犯行為は、犯罪の直接の存在根拠ではないので当然起因者より可罰性は低い(30)
  教唆に関しては、これを犯罪の実存根拠でない(nicht der Existenz des Verbrechens)行為に位置付け、この行為を行う者は主たる正犯者(起因者)ではなく並行的な共犯者であるとする。そして本来的な間接正犯と教唆の関係については、意思自由と犯罪原因すなわち正犯性の根拠に関する自らの見解を一貫させ、教唆を知的起因者ではなく共犯とすることで、両者を厳格に区別するのである(31)
    しかしながらこのような借用説に基づくルーデンの共犯理論は、極めて人為的な、もろい構造をしているとヘアクトは指摘する(32)。ルーデンは彼の『刑法ハンドブック(33)』において、先の論文で構成した共犯理論を可能な限り単純化し、よりしっかりした土台の上に築こうと試みた。
  そのため彼はまず、共犯の答責性を論証するにあたって前提に置いていた借用説を放棄した。それは、他人に犯罪実行の決意を生じさせる教唆犯、彼の言葉では「心理的共犯(intellectuellen Theilnahme)」に関して、被教唆者が犯罪実行に応じない場合や教唆行為がなくても被教唆者は犯罪を実行していた場合のような「失敗未遂(miβlungene Anstiftung)」が教唆の未遂ではなく、既遂であることを論証するためになされた。彼は以前の論文集においては、被教唆者が教唆者の申出を受け入れて犯罪実行を決意することが教唆者の可罰性要件として必要であるというローマ法以来の見解を支持し(34)、その前提として「共犯は他人によってなされた犯罪決意の借用によって生じる」という借用説を採用していた(また、彼はさらに一歩進めて、被教唆者が教唆された犯罪実行に出ることも要するとしていた(35))。しかし、彼は今やこの借用説を「人為的なものとして否認され、ここではもう認められない見解(36)」として退ける。そして今度は、「それ(教唆行為・筆者注)にしたがって他人が起因者として行為するという(教唆・筆者)意思」それ自体が、教唆の可罰性にとって必要な意思であるとし、仮に被教唆者が教唆者の行為により犯罪実行を決意しなかった場合、客観的には起因者は欠如しているが、教唆者の表象の上では、彼の申出にしたがって犯罪が実行されることが表象されるという意味で起因者は存在するのだから、教唆行為は既遂であると主張するのであった(37)。さらにこの「失敗未遂」の可罰性は、実務上も当時最新の立法においても問題なく承認されていると彼は言う(38)
  しかしながら、教唆者に独自の教唆意思により「失敗未遂」の可罰性を認めるとは言っても、教唆を起因者(知的起因者)とする当時の立法者の態度には、先の論文集におけるのと同様、ルーデンは同調しなかった。ここでは彼はこれを、あくまで共犯として取り扱うのである。なぜなら、教唆が起因者であるなら、これらの立法者達が想定するような特別な法律上の規定は必要ではなく、「失敗教唆」の場合には未遂の起因者であるという一般ルールに従えばそれで十分だからである(39)。また、立法者の見解では、「失敗教唆」は教唆された犯罪の未遂の起因者となるが、それでは未遂減軽により、ルーデンの見解のように教唆の既遂とするよりもかえって刑が軽くなることも理由として考えられる。
    このようにルーデンは、教唆行為にもかかわらず被教唆者が犯罪実行について決意しなかった場合に教唆の既遂を認めるため、これまで共犯の可罰性についての前提としていた借用説を退けた。しかしながら彼は、共犯者の行為と犯罪結果との間に物理的な因果連関を認めず、借用説で共犯の可罰性を基礎付けていたので、借用説の否認により、新たな共犯行為、特に幇助の可罰性根拠が必要となった。
  彼は、起因者よりも可罰性の低い幇助者の行為を「他人が犯罪を実行するという意思をもって実行される行為(40)」と定義する。さらにこのような意思は、「他人がその共犯行為の結果として犯罪の実存と因果連関のある犯罪行為を行う」という表象に基づいており、共犯者のこのような表象と犯罪結果との間には、客観的現実的な因果連関は存在しないまでも、主観的心理的な意味での因果連関は存在するのであり、それがゆえにこのような共犯者は主観面においては起因者と同等の可罰性を有するのである(41)
  このようにルーデンは、正犯行為と共犯行為の区別については犯罪結果に対する客観的因果性の有無という客観的な基準を定立しながら、共犯行為の可罰性根拠については正犯行為を通じて犯罪結果を実現する意思という主観的要素に求めたが、ここでは共犯者についても(正犯者を通じてではあるが)犯罪結果を実現する意思が見られるので、主観面では共犯者は正犯者と同等とされている。これは関与者の主観的側面で正犯と共犯を区別する主観説の対極に立つものである。さらに共犯行為においては、教唆は正犯者が実際に犯罪意思を形成しなくても既遂に達するのに対し、幇助は正犯行為の実行を要するとされる点で、重要な区別がなされているが、ここからは彼は教唆犯については、犯罪結果と因果連関を有しないという理由でこれを共犯に位置付けながらも、正犯行為には従属しない独自の犯罪と考えていることが看取される。その意味ではルーデンの客観説も、先に述べたフォイエルバッハ、ステューベルらの客観説と同様、教唆を正犯行為に従属する共犯と位置付ける一八七一年刑法典が前提としていた理解とは隔たりがある。
三、主  観  説
    先に述べたように、主観説は必ずしもヘーゲル学派の論者に特有のものではなく、それ以前の一九世紀のドイツ刑法学においても利益説、意思説など、主観的な正犯と共犯(正確には起因者と幇助者)の区別基準を主張する論者があった(ヘアクトは、後で述べるヘーゲル学派の論者の主観説も含めてこれらの学説を古い主観説と呼んでいる)。しかしこれらの論者の所説は、必ずしも確固とした理論的な根拠をもって展開されているとは評価できない。ヘアクトによれば、主観的共犯論の淵源は結局、カロリナ刑事刑法典の一四八条の謀殺、故殺に関する包括的な正犯規定にあるとされる(42)。同条には以下のように規定されている。
  「ある者どもが、予謀をもってかつ合意して、何びとかを悪意をもって殺害するに相互に助力または援助をなすときは、その犯人どもはすべて、生命を奪われ来れり。されど、ある者どもが、打ち合いないし格闘に偶々居合わせて相互に助力し、かくして何びとかが充分な事由なくして打ち殺されたるときは、その殺害が生ずるにさいし手を下したる真の犯人が知らるる場合、この者は、故殺者として、劔をもって、死へと罰せらるべし。(以下省略)」
  この規定は、他人の犯罪行為(非行)に対して援助を与える者を実際の犯罪の実行者とは異なって処罰しなければならないとする一七七条の原理に矛盾するものである。ヘアクトによれば一四八条のこのような規定は、犯罪組織に対抗するための刑事政策的な措置を規定したものであるとされる(そして規定の対象は謀殺に限定されている)。しかしながら後の時代の解釈論では、謀殺に加担する者は正犯者と同じ刑で処罰されるというだけでなく、まさに正犯者そのものとみなされ、さらにこの考え方は謀殺だけでなく、謀議に基づく犯罪(重罪)の実行一般に拡大されるに至った(謀議論、Komplotttheorie(43))。
  しかし、事前の謀議を証明することは必ずしも容易ではないので、これが証明されない場合には結局これに代わるメルクマールが求められることになる。そして犯罪の謀議に加わり、その謀議に従って犯罪に加担するというのに代わるメルクマールとして、「犯罪結果の発生についての独自の利益」というメルクマールが想定された(利益説、Interessetheorie)。さらにこのような利益説は、謀議に基づく関与者をすべて正犯とする謀議論とは異なり、利益関心により各関与者を区別して取り扱う道を開いた。すなわち、予め金で雇われたり、単なる好意から他人の犯罪実行の援助をなしたりするに過ぎない者は、種々の手段を用いて犯罪結果を惹起することに関心のある者とは、責任の点で区別すべきとされたのである。こうして利益説に基づく主観的共犯論が、従来の謀議論とは切り離されて主張されることになった。そして、「犯罪結果に関する直接の利益をもって犯罪に共働する者は正犯であり、そのような利益なくして犯罪に加わる者は幇助犯である」という利益説のテーゼは、主観的共犯論の主張者すべての基本思想とまで評されたということである(44)
    しかしながら、正犯と共犯の区別基準としての利益説に対しては、重大な問題が提起されることになる。それは、他人の利益のために直接結果につながる行為(主たる行為、Haupthandlung)を行う者は、主たる行為を実行するにもかかわらず、利益説の前提からは幇助となるのか、という問題である。そしてギュンターやヴェストファル等の利益説を徹底させる論者はこれを肯定する(45)。しかし、主たる行為を行う者を幇助者とすることは、「ある非行者が非行を犯すにさいして、知りて、かつ故意に、この者に、何かの助力を与え、または援助を与え、または協力をなしたる」者というカロリナ刑事刑法典一七七条の幇助者の定義とは矛盾することになる。このような利益説の結論に対して、意思説は、起因者と幇助者の区別に関して、利益説のように犯罪結果に対する利益関心という関与者の実質的な意図は考えに入れず、自ら犯罪結果をもたらすのか、それとも他人の犯罪を援助、促進するのに過ぎないのかという、関与者の形式的な意思の違いを専ら問題とすることで、前記の問題に否定の解答をする(46)。主たる行為をそれと知りながら行う者は、いかにそれが他人の利益のためになされたものであろうと、その形式的な意思内容は、主たる行為を行うことに変わりはないからである。
  それでは、具体的には意思説は起因者と幇助者をどのように定義することで区別するのか。例えば、自然主義時代の代表的な主観説論者であるブーリによって、意思説を最も明確な形で定式化したと評価されたコルマンの定式によれば、意思説による幇助者の定義は次のように表現される。すなわち、「幇助者とは、その決意が間接的に犯行に向けられるにすぎず、その努力が他人の(起因者の・筆者注)目的を果たすことだけに向けられている者である。幇助者とは常に、問題の犯行を他人の犯行として援助し、他人の目的である限りでその犯行を意欲する者のみである(47)」と。さらに少し後の時期の論者であるアントン=バウアーは意思説に基づいて、起因者と幇助者の定義につき次のように述べている。
「x2モ」  「起因者と幇助者は一般的には、その共働の様式の違いによってではなく、その意図の違いとこれにより決定されるその作用の方向によって区別される。
  起因者とは犯罪を自ら意図し、その行動を犯罪の発生へと自ら向ける者である。これに対して幇助者は、他人によって意図された犯罪をこの共働によって援助することしか意欲しない(48)。」
    これらの主観説は、冒頭で触れたように、カロリナ刑事刑法典の謀殺罪における包括的な正犯規定を淵源とするものである。ここでは同法百七十七条が幇助減軽を規定している限りでは起因者と幇助者の区別が必要とされ、それは犯罪実行の意思ないしはこれについての独自の利益という関与者の主観に基づいて行われるべきであるとされた。このような考え方は、先にも述べたように、必ずしも確固とした理論的基盤を有するものではないが、犯罪結果に対する条件はすべて客観的には等価であり、その区別は条件を設定した各関与者の主観に応じて行うという意味で、後の時代の等価説に基づく主観説に近いものがあるとは言える(49)
四、ヘーゲル学派
    ヘーゲル学派の論者であるケストリンとベルナーは、起因者と幇助者の区別においては基本的に、主観説、それも意思説に立っていると評価されている(50)
    ケストリンは、「責任とは、そのすべての種類及び段階において、現実の行為、すなわち意思と犯行(Tat)との同一性(Identita¨t)を基礎に有していなければなら」ず、さらに「犯罪における責任は、自由原因(freie Kausalita¨t)にのみあり、それがゆえに主体にのみ帰属される」として、刑事責任の基礎は、犯罪主体の自由意思に基づく犯行の実現、すなわち彼の言うところの行為であると主張する(51)(これは彼のみならずヘーゲル学派全体の主張であると評価し得る)。そうして彼は、行為及びその結果に対する自由な主体の因果的関係が起因者の概念を構成するとし、そのような起因者には、犯罪結果を直接にその意図的行為に帰することのできる故意の起因者と、権利侵害的結果についての間接的原因がその過失行為にある過失の起因者があるとする。さらに起因者の概念には、行為全体が、自由意思を有する主体と直接に因果的関係にある場合だけでなく、行為者が自己の行為に際して他人を自己の行為の目的とし、自らは間接原因にとどまり、この他人を直接的な因果的関係に置く場合も含まれるとされる(52)
  このような起因者概念は、自由意思を有する行為者の行為が犯罪に対して直接的原因となる場合と間接的原因にとどまる場合の双方を含む(53)。それゆえ、このような起因者概念は、自由因だけで定義されるものではなく、間接的原因にとどまる場合、すなわち行為者が他人を介して犯罪を実現する場合には、まさに教唆、幇助としてこれを本来の起因者から区別することが必要になる(54)
  彼は、幇助者と起因者との違いは、犯罪の実現への作用の程度の差異ではなく、自分自身を他人のための手段とするという幇助者の目的にあるとし、また幇助が起因者より有責性が低い根拠もまさにこの点に認めている。それゆえ、犯罪の実現にとって必要不可欠な行為を行う者でも、それを他人の目的のための手段として行う者は、幇助にとどまるとされる(55)。ここでは自己の行為を他人の手段とするという行為の目的が、幇助の本質的メルクマールとされている。それゆえ客観説のように、幇助を、他人の犯罪の助長、すなわち間接的な結果の惹起とする見解に対しては、行為の因果的側面に片寄っており、また実際的にも、事後的な犯罪庇護(Begu¨nstigung)は犯罪との因果性が問題とならないから、このような見解ではその犯罪の幇助とすることはできないと批判する(56)
  教唆については、ある主体が自ら目的を設定し、その際他人の行為をその目的の手段とすることにその本質があるとされる。それゆえ、自由原因に基づき、故意または過失について帰責できる後発主体の犯罪を直接に物理的に実現する行為を、教唆は常に伴うことになる(57)。後発主体の行為を誘発する手段として考えられるのは、助言、依頼、懇願および誘惑である(もっとも、これらの手段が用いられる場合の被教唆者の答責性の問題についてはなお未解決であるされる)。さらに、命令、脅迫や錯誤におとしいれることで被教唆者に直接的行為を行わせる場合が問題となるが、これらの場合、故意または過失による被教唆者の答責性は教唆者の行為の影響力に応じてケースバイケースで決まる(58)
  これに対して、責任無能力、責に帰すことのできない錯誤および強制を受けた状態にある後発の主体に対して、ある主体が教唆を行う場合、たしかに見かけ上この行為は教唆の外観を呈しているが、後発の主体の行いは自己というものを持たない自然現象とまったく同様に考えることができるので、あくまでこれは、見かけの上での教唆に過ぎず、実際には起因者、すなわち物理的起因者とすべき行為である。そしてこれは、先発の主体のそのような行為が故意の場合でも、過失の場合でも同様であるとされる(59)
    ベルナーは、一八四七年に公刊された著書である『犯罪共犯論(60)』において、起因者を、自己のものとして犯罪行為を行おうとする者であると定義する(61)。すなわち、自らが意図した犯罪を自らが実行するという意思こそが、その行為者を起因者として特徴付けるのである(62)。その際、その犯罪が自己のためのものであるのか、他人のためのものであるのかという意味での目的や、例えばその犯罪によって復讐心を満足させるというような副次的な目的は、ここでは問題とされず、起因者の意思は、専らある行為を犯罪であると特徴付ける一般的特性(すなわち犯罪構成要件)に向けられていなければならないとされる(63)
  これに対して、幇助は他人による犯罪意図の実現を援助することが、その本質であるとされる。幇助者は結果に共働はするが、それはあくまで他人の犯罪を援助することで共働するにすぎないのであって、決して犯罪そのものを自分の事件としてしまうことはない。すなわち幇助者は、ルーデンが主張するように他人の意図を借用する者ではなく、起因者の行為の性質により徹頭徹尾そのすべてが決定される付属物(Accessorium)とされる(64)。それゆえ彼は、近親相姦を行う起因者を援助する者は、たとえそのもの達と血縁関係になくても近親相姦の幇助者とされるし、公務員による公務犯罪を援助する非公務員もその公務犯罪の幇助者とされると言う(65)。すなわち非身分者は、起因者としては犯すことが出来ない身分犯についても、他の身分者がそれを起因者として実行するのを援助する場合には、その身分犯の幇助者とされるのである。
  もっとも、このような幇助者の理解からは、尊属殺において、他人の尊属殺を援助する者は尊属殺の幇助者となるのに対して、他人が自己の尊属を殺害するのを援助する場合には普通殺の幇助者となるが、ベルナーもこの結論は容認し難いとして、新たに幇助者と行為客体との人的関係というファクターを導入することで解決を図る。すなわち、自己の尊属を他人が殺害するのを援助する場合でも、被殺者は援助者の尊属であるという、援助者と被殺者の人的関係から援助者はやはり尊属殺の幇助とされると言うのである(66)。これはいわゆる加重的身分の場合であるが、いわゆる減軽的身分の場合でも同様で、例えば嬰児殺をその嬰児の親でない者が援助する場合、被殺者である嬰児と親子関係にない援助者は嬰児殺の幇助者ではなく、普通殺の幇助者であるとされる(67)
  このようにベルナーは、自己の犯罪意図の実現という起因者概念の本質から、その理論的帰結としての幇助の従属的性格を引き出し、さらにそれを基に、非身分者といえども他の身分者の身分犯の実行を援助する場合には、その身分犯に対する幇助として可罰的であるという今日言うところの身分の連帯性を主張した。もっともそれは結論から見ればいわゆる構成的身分に関してだけであって、加減的身分については行為客体との人的関係という外在的なファクターから身分の個別化を図るのであった。この限りでは彼のここでの見解は、構成的身分の連帯と加減的身分の個別化という、共犯と身分の問題に関する今日のわが国の通説の理解と共通するものがある。しかし、行為客体との人的関係に基づかない加減的身分犯に関してはベルナーの言うようなファクターは働き得ないので、その具体的解決についてはなお問題が残るであろう。
    以上見たように、ヘーゲル学派の論者であるケストリン、ベルナーの共犯理論は詳細においては異なるものの、その起因者と共犯の定義からは基本的に意思説に基づくものと理解することができる。
  しかし刑事立法との関係では、これらヘーゲル学派の共犯理論は、関与者の主観的な意思に基づく起因者と幇助者の区別という主観説の基礎以上の帰結をもたらしたと言うべきである。それは、共犯、特に幇助の従属的性格と共犯としての教唆概念の確立である。
  前者について、自己の行為を他人の目的遂行の手段とするというケストリンの幇助者概念からは、幇助犯の成立には目的遂行者としての起因者の行為が前提とされる(起因者は概念上自由意思に基づく結果発生に向けられた行為を前提とする)という意味で幇助の従属的性格が引き出され、ベルナーにおいては幇助の従属的性格から、身分犯に対する幇助について一定の場合に身分の連帯を認めるという帰結が引き出された。
  後者については、フォイエルバッハ以来の心理的起因者の概念を分析し、後発の物理的起因者に犯罪結果について帰責できる場合には、背後者はもはや起因者(心理的起因者)ではなく、教唆にとどまるとしたケストリンの見解が特筆に値する。
  ルシュカによると、物理的起因者を「正犯者」(Ta¨ter)という名称で呼ぶことを提唱したのはフォイエルバッハの教科書編集者として知られるミッテルマイヤーであり(68)、それまでときおり心理的起因者の代わりに用いられるにすぎなかった「教唆者」(Anstifter)という言葉を専門用語として初めに用いたのはアントン=バウアーであるとされる(69)。そしてアントン=バウアーの影響により一八二五年のハノヴァー刑法草案は、故意で他人を犯罪へと決意させた者をすべて教唆であると規定した(六四条)。さらに「教唆者」という表現はドイツの各領9845に取り入れられたが、ハノヴァーの刑法草案の規定からも分かるとおり、それは心理的起因者の同義語として用いられているにすぎなかった。それどころか一八四八年のフォイエルバッハの刑法教科書一四版で、本書を編集したミッテルマイヤーは「物理的起因者」と「正犯者」、「心理的起因者」と「教唆者」を同義語として併置していたのである(70)。ここでの教唆概念は「心理的起因者」と同義のものとして、正犯者のみに直接犯罪結果を帰することができる場合ばかりでなく、背後者の側に犯罪結果を帰すべき場合をも含んでいるので、依然、教唆と間接正犯は未分化であった。
  ところが先に述べたようなケストリンの見解を始めとして、ヘーゲル学派の論者たちを中心に、犯罪結果が帰帰可能な正犯者に対する教唆者を心理的起因者と区別して取り扱うことが試みられた。例えば同じくヘーゲル学派の論者であるヘルシュナーは、「物理的起因者の側に自由行為が要求されるのが当然であるなら、その意思は彼自身にだけ根拠を有するのであって、教唆者の意思には有しない」として、物理的起因者の行為と犯罪結果の間に因果関係を認める限りは、心理的起因者の行為と結果との間には因果関係を認め得ないので、これを「起因者」とすることはできないと主張した(71)。このような教唆者には概念上、犯罪結果について帰責可能な物理的起因者、すなわち正犯者の行為が必要とされた。ここに、教唆犯の成立には、有責な正犯者の犯罪実行を要するという教唆の従属性、すなわち共犯としての教唆概念が確立された。逆に、強制、脅迫、錯誤等の理由で直接行為者、すなわち物理的起因者に犯罪結果を帰すことができない場合には、このような物理的起因者の行為を誘発した背後者、すなわち心理的起因者が当該結果について帰責される。そしてこれらの考え方の背景には、犯罪結果について帰責可能な正犯者の背後にはいかなる形の正犯者も存し得ないという遡及禁止の考え方があるのである(72)。まさにこれこそが、ヘーゲル学派の行為概念を基礎とする共犯理論の眼目と言い得るのである。
    ヘーゲル学派のこれらの構想は、一八五一年のプロイセン刑法典を経て、一八七一年のドイツ帝国刑法典の共犯規定として結実することになる(73)。次節では、刑法典制定後の因果関係理論について概観することにする。
第二節  刑法典制定後の因果理論の対立
一、条件説による因果理論
    一八五一年のプロイセン刑法典、さらには一八七一年のドイツ帝国の刑法典に多大な影響を及ぼしたヘーゲル学派の犯罪論体系も、ドイツ帝国刑法典制定後、一九世紀末葉には、自然主義に基づく犯罪体系に取って代わられることになる。この時期にその有力な主張者として活躍したリストと、その少し後に構成要件の理論を打ち立てこれを集大成したベーリンクの名を取って、リスト=ベーリンク体系と呼ばれるこの体系は、犯罪の客観的要件と主観的要件を峻別し、客観的要件には意思活動と外界変動及びその因果的なつながりを配属し、主観的要件には客観的要件で確認された事実に対する心理的なつながりである故意、過失を配属する。そして、これらの確認は事実に基づいてのみ行われ、規範的な評価は一切含まないとされる。このうち、客観的帰属の部分に該当する客観的な要件の確認を、リストはその教科書では以下のように説明している。
  まず、「不法という概念を確認するためには、不法という効果が法秩序によって結びつけられる構成要件を審理しなければならない」。このような「不法構成要件」は、「人間の意欲(Wollen)とは無関係な事象ではなく、人間の行為」によって構成される(74)。そして、不法を構成する要件たる行為とは「人間の意欲に基づく事実、すなわち、人間に意思に遡ることができる外界の変動である」。つまり、「意思活動でないものは行為ではなく、不法ではなく、それゆえ犯罪ではない(75)」。ここでは、意思活動とそれによる外界変動としての結果が行為の必須の要素とされている。しかし、さらに、これらの要素を全体へと統一する要素が必要である。これが、「結果の意思活動に対するつながり」である。外界変動を意思活動に帰するために必要なつながりを、リストは作為犯における結果の惹起(誘発)と不作為犯における結果の不防止であるとしている。なお、主観的なつながりについては別に検討を要するとしている(76)。本稿では特に作為の因果関係について見ておくことにする。
    まず、作為とは、「意思的な身体活動、すなわち機械的もしくは心理=物理的な強制によらず、表象によって生じかつ運動神経の刺激によって行われる、筋肉の緊張(収縮(77))」である意思活動による結果の惹起である。「意思活動と結果は、通常言われるように、互いに原因と結果の関係、すなわち因果関係(Kausalzusammenhang)になければなら」ず、「身体活動と結果の間の因果関係は、発生結果の発生(すなわち、実際に発生した態様の結果)が欠落する(この場合、刑法上は軽視してよい付随的事情は考慮しない)ことなしには、この身体活動を取り除けて考えることができない場合に存在する(78)」。すなわち、「身体活動と結果の結びつきがこのような必然的なものである場合に、我々は身体活動を結果の原因と呼び、結果を身体活動の作用と呼ぶのである」。ここでは、「同時に、刑法上の考察にとっては、惹起と誘発、原因と条件は重なり合う」、より精確に言うなら、「結果の誘発で十分で、惹起までは必要とされない(79)」。因果関係の確認にとって、原因説の言うような、原因と単なる必要条件の区別は問題ではないことがここに示されている。しかし、「これに対して、身体活動を取り除けても、結果の発生について何らの変更もない場合には、あらゆる因果関係が阻却される(80)」。すなわち、因果関係の確認には、問題とされる身体活動を取り除いて考えたとき、結果が(刑法の考察にとって必要ない付随的事情は無視して)変更を受けることが必要とされているのである。
    ここでは、(身体活動としての)行為と結果の間の客観的なつながり、すなわち客観的帰属について、「あれなければこれなし」という条件関係としての因果関係が内容とされるべきことが明確に表現されている。その際、そのような条件関係に立つ一切の事情は、原因として評価され、(刑法上重要な)原因と(単なる)条件との区別は問題ではないとされる。このような、全条件を等価とする等価説の意味での条件関係が、この時期に台頭した自然主義的な犯罪論体系にとっては、客観的構成要件充足の要となる要件であったと言える。この考え方は、学説の経緯としてはグラーザーの影響の下に、一九世紀後半にライヒ裁判所の判事であったブーリによって有力に主張され、ライヒ裁判所の判例の見解として確立したとされる(81)。これ以後、ライヒ裁判所の判例では一貫して、客観的な犯罪構成要件の確認にとっては結果との間の等価説の意味での条件関係の確認で十分であるという見解がとられることになる。この立場にしたがうと帰責の範囲が無限定になることがしばしば批判されたが、この立場の見解は、故意、過失等の主観的な責任要件で限定が可能なので結論的には不合理はないと反論する。
二、条件説に対する異議−帰責限定理論の登場
    条件説の欠陥は、故意、過失の責任要素で修正可能なものばかりではない。例えば、しばしばなされる批判として、傷害の被害者が病院に運ばれる途中で、彼を乗せた救急車が事故を起こしたため被害者が死亡する場合、結果的加重犯では、故意、過失の責任要素は法文上要求されていないから(ドイツでは現在、結果発生について行為者の過失が制定法上要求されている。ドイツ刑法一八条)、帰責限定の手がかりは一切存在しないまま傷害致死の罪責を負うことになってしまうが、これが不合理な結論であるのは明らかである、というものがある。これは、行為後に行為者にとって予測不可能な事情が介入する場合である。これ以外にも、雷雨事例(Gewittersfall)として周知のものであるが、叔父の財産相続をもくろむ甥が、雷雨の日に叔父の死亡をねらって高い木の植えられている丘に散歩に出かけるように勧め、叔父もその勧めにしたがって散歩に出かけたところ甥のもくろみ通り叔父は落雷にあって死亡するという事案でも、甥の勧めと叔父の死亡との間には条件関係は存在し、甥のもくろみ通りの結果が発生したのであるから故意の存在も否定できないので、条件説から殺人罪の成立が認められることになるが、これも不合理な結論であることは否めないであろうと批判される。条件説による因果関係論は、これらの批判に対してはその立場を貫くことは困難であると多くの学説は考えてきた(82)
  そこで、学説では、帰責の限定を主観的責任要件ではなく、客観的要件で図ろうとする動きが生じた。この中でもとりわけ影響力を持ったのは、因果関係の中断論(中断論)、遡及禁止論、相当因果関係説である。このうち、中断論と遡及禁止論は因果関係概念としては条件関係を維持し、条件関係に対して一定の観点から限定を施すものであるのに対して、相当因果関係説は、生活経験上相当な結果の惹起という形で、因果関係概念についても一定の修正を加えるものである。
    中でも、中断論は条件関係についての帰責限定理論として比較的支持を集めた。もっとも中断論と呼ばれる学説には、二つの系列があると言われる。一つは偶発的な事情が介入する場合に因果関係の中断を認めるフォン=バール流の中断論であり、もう一つは以下で述べるリストの中断論である(83)。リストの教科書には、因果関係の中断について以下のように記されている。「現行法によると、因果関係は責任能力ある者の自由かつ故意の行為によって中断される。この命題は、わが帝国刑法典が結果の間接的な惹起ではなく、むしろ他人の犯罪行為への関与であると把握している教唆という概念から帰結する」。ここでは、「自由な行為」とは強制を受けない行為を、「故意の行為」とは結果を予見した上での行為を意味すると言う(84)
    このようなリストの中断論の理解は、内容的にはフランクの遡及禁止論と類似していると言える。
  フランクは、ベーリンクらの限縮的正犯概念を前提とする立場と同様、構成要件上要求される行動を実行する者が正犯であると規定する。しかしながら、殺人や傷害など結果惹起を構成要件の内容とする犯罪では、そのような構成要件的行為を規定するのは困難であり、ここに正犯と共犯の区別問題が生じるとされる(85)。そこで遡及禁止論が有用となるのである。
  この理論は、「自由かつ意識的(故意かつ有責に)に結果惹起に向けられた条件の前条件は原因ではない」というものである(86)。これは言いかえると、故意かつ有責な正犯者の背後に位置する者には、原則として正犯としての刑事責任の遡及は許さないというものである。このような遡及禁止論では、故意で、強制のない自由な状態で行為する者が正犯として第一に刑事責任を負い、これに関与するにすぎない背後者は、法律の規定により故意の教唆、幇助にあたる場合を除いて不可罰とされることになる。その因果理論としての根拠付けは、フランクによれば、物理的な因果と心理的な因果の区別に求められる。すなわち、自らの意思に基づいて物理的な因果経過を起動させる者だけが正犯として特徴付けられ、心理的な形で媒介される因果経過を経てこの者の行為に関与するにすぎない者は、教唆もしくは心理的幇助とされるにすぎないというのである。
  このような遡及禁止論は結果惹起を構成要件の内容とする犯罪類型における正犯と共犯の区別基準として有用なだけでなく、特に故意犯に対して過失で関与する者を不可罰とするという解釈論的な作用を有する。それゆえ、例えば弾の装填された銃を不注意にも酒場で放置した猟師は、他人が故意かつ有責に第三者を殺害するのにこの銃を利用した場合には、フランクの見解によれば、不可罰とされるのである(もっとも、銃を使った者が精神病患者であるとか、有責だが過失に過ぎない場合には可罰的となる(88))。
    相当因果関係説は、この当時原因説の一種として扱われていた(89)。例えばザウアーは、「相当因果関係説の下でのみ、本来的な客観的規範的な視点が正犯と共犯の間に限界線を引かせる」のだとし、実行行為と結果との間で相当因果関係を考えることにより、相当因果関係を正犯と共犯の区別基準として機能させた(90)
  もっとも相当因果関係説は、先に述べた二つの帰責限定理論が、特に因果経過に犯罪的な事情が介入する場合にしか帰責限定の効果を持ち得なかったのに対して、行為の経験的通常性を問題にすることで、行為自体に結果発生の危険が欠けている場合にも帰責限定の効果を持ち得た。この構想は周知のように、生理学者であったクリースが確率統計学の研究の結果得た、「客観的蓋然性」という概念を法律学において適用するすることを考案したことに端を発するものである。
  この説は、例えば雷雨事例では、人に散歩するよう勧める行為から人が死亡するという結果が発生することは通常あり得るとは考えられないので、結果に対する相当性が否定されるという理由で、発生した結果と行為との因果関係を否定してしまうのである。もっとも、相当性の判断に、先の例における救急車の事故のような行為後に生じた事情を考慮するか、また相当性の判断はいかなる事情を基礎にして行われるべきか(これついては、周知のように主観説、折衷説、客観説の対立がある)等、解決されるべき問題も抱えていた。しかし、相当因果関係説はドイツでは今世紀初頭から有力説として根付いてきた。
  これらの帰責限定理論は、その内容には差異があるものの、条件説に立つ判例の広すぎる帰責理論に対抗する形で学説において通説とも評し得るほど有力に主張されたのであった。
  第三節  帰責限定理論の動揺−一九二〇年代後半の過失犯判例
一、四つのライヒ裁判所判例
  故意の正犯の背後にはいかなる形の正犯もあり得ない、というのが総則共犯規定を形式的根拠として展開されたフランク流遡及禁止論の重要な解釈論的帰結であった。これは、因果関係の「責任能力ある者の自由かつ故意の行為」による「中断(91)」を問題にするリストによって主張された中断論についても同様であると言える。しかしながら、これらの考え方が学説によって支持されてきたにもかかわらず、以下に見るように、条件説を維持することによりこのような遡及禁止論ないしは中断論を正面から否認する判例が、以下に挙げる四つの判例を始めとして一九二〇年代後半にライヒ裁判所で相次いで出された。すなわちこれらの判例はいずれも、故意の正犯の行為に過失で関与する者を過失正犯であると判示し、冒頭のテーゼを正面から否定したのであった。まずこれらの判例を概観し、次にこれらの判例が及ぼした影響について検討することにする。
@  無許可輸出事件(ライヒ裁判所第二刑事部一九二四年一一月三日判決、RGSt. 58, 366)
  ドイツ国内からポーランドに向けての果物の無許可輸出に関する事件で、刑事部の確認した事実関係は次のようなものである。
  被告人(抗告人)Wは以前から取引関係のあったポーランドのラトヴィッツに住む共同被告人Sに果物を送付することになった。その際、以前までとは異なり、品物を直接送付するのではなく、一旦国境の町であるレオブシュッスの業者であり、本件の共同被告人であるGdに送付させ、Gdに通関、ラトヴィッツまでの配送を委託することとした。指図通り、Wは品物をGdに送付し、Gdが以後の作業を行ったが、その際Gdは輸出手続において他人の名義で得た許可証を使用しており、本件果物の輸出については無許可で行われた。
  この事件でライヒ裁判所は、Wが果物を無許可で輸出するというGdの意図を知りながら彼に品物を送付する場合には無許可輸出に対する故意の共犯であるが、下級審はそのような認識については、条件付きのものすら否定しており、またこの点について法的に異論はないと判断している。それゆえ、Wの行為については故意の禁輸に対する故意の共犯ではなく、暴利禁止令に規定された過失による無許可輸出罪が問題となるが、裁判所は、品物の最終的な到着地を事前に検討するのを怠ったことが、Sから注文を受け、実際その注文通りにしたことと一体として過失行為をなすとする。そして、この過失行為は無許可による品物の輸出という結果と「違法結果が欠落することなしには取り除いて考えられない」という関係にあるから、ライヒ裁判所の判例(RGSt. 56, 343)により、たとえその間にGdやSの故意による答責的な行為が介在したとしても原因連関は中断せず、被告人の過失行為は結果に対する原因と認められるとしている。さらに、従前の関係からすればGdやSが被告人の当該行為を利用して無許可輸出を行うことは予見可能であるし、その義務も認められるとして刑事部は過失による無許可輸出罪の成立を肯定した。
A  屋根裏部屋火災事件(ライヒ裁判所第一刑事部一九二七年六月一四日判決、RGSt. 61, 318)
  事案は、工場の経営者が、工場の倉庫の屋根裏に無許可で住居を建設し、従業員一家八人をそこに住まわせていたところ、出火原因不明の火災で、この一家八人全員が逃げ遅れて死亡したというものである。この工場主は、過失致死で起訴された。この裁判では過失致死の成立について、この屋根裏住居の階下には、可燃性の資材が大量に置かれており、また屋根裏から階下に降りるための階段が梯子段一本しかなかったため、ひとたび火災が起これば、火のまわりが早く、階上に住む一家が逃げ遅れて死亡することは比較的予見可能であったにもかかわらず、何の措置も講ずることなく一家を住まわせ続けた工場主の行為の原因性及び予見可能性が問題となった。そして、刑事部は、大要以下のような理由で被告人の行為の結果に対する原因性を肯定し、さらに過失犯の主観的要件である結果予見可能性も、建物の構造から熟慮していれば結果を予見できたとしてこれを肯定することにより、過失致死を認めたのである。判決理由のうち、上告趣意が特に問題としており、従来の帰責限定理論の動揺を論じる上で重要な、被告人の行為の原因性に関する部分は以下のようなものである。
  「刑事部が認識し得た見解によれば、判決により詳細に記された建物の構造のためにあらゆる救助の可能性が排除されていなければ、発生態様の明らかでない倉庫の火災により家族Mは死亡することはなかったのである。建築警察上の許可を受けておらず、また火災の危険という理由で許可も下りないような屋根裏住居を建造し住まわせるという被告人の態度は、違法結果が欠落することなしには、取り去って考えることはできない。すなわちこのような被告人の態度は、ライヒ裁判所刑事部の判例の意味での結果の原因と考えられる。上告趣意は、責任能力ある第三者が設定した中間原因により結果が発生したのだから、いわゆる因果関係の中断であると主張する。このような中間原因は、危険な住居に住み続けた家族M、及びとりわけ火災を発生させた第三者の行為に認めることができる。しかし、救助の可能性を排除するという被告人によって設定された危険の共働なしには、家族Mの死亡は惹起されなかった。その際、どのような態様で火災が発生したか、偶然によるのか、過失によるのか、あるいは故意によるのかは関係ない。たとえ、火災が故意の放火で発生したとしても、またさらにそれが殺人の故意をもった放火であっても、被告人に端を発する原因経過は中断されない。被告人によって設定された原因が結果の発生に共働しているからである。さらに、被害者自身の過失行為が原因連関の中断に適していないことは、ライヒ裁判所の確定した判例である。」(下線は、筆者によるものである。)
  すなわち、本判決では、火災の際に住人が逃げ遅れて死亡する危険のあるような住居に何の措置も講じることなく住まわせ続けた被告人の態度について、これが、何らかの原因で起こった火災と共働して結果を発生させたという態度の共働条件(単独では結果につながらないが、ある事態とともに作用する場合には結果につながる条件)にすぎなくとも、条件関係を満たす限り、結果に対する原因性が認められるとして、ライヒ裁判所の一貫した判例にしたがっている。さらに、出火原因がたとえ故意の放火であったとしても、このような原因連関は一切中断されないと判示され、これにより過失致死を認めた。ここでは、中断論のみならず、故意正犯の背後にはいかなる形の正犯も認められないという遡及禁止の否認がはっきりと示されている。
B  嬰児殺事件(ライヒ裁判所第二刑事部一九三〇年一〇月二日判決、RGSt. 64, 316)
  二一才になる被告人の娘が、実家で婚外子を出産後すぐに、この子を殺害したという事件について、陪審裁判所はこの娘を刑法二一七条の嬰児殺としただけでなく、娘の出産に気づきながら家畜の世話のために一時間ほど娘のそばを離れていた、娘の母親(殺害された子にとっては祖母)である被告人を刑法二二二条の過失致死であるとした。陪審裁判所は、出産しながらも何ら援助のない自分の娘のそばを離れるという被告人の態度は民法上の監護義務違反であり、彼女の人的能力と知識からすれば、彼女が娘のそばを離れるなら娘が自分の子を殺害してしまうことは予見し得たとし、被告人の態度の違法性及び有責性を認めたのである。
  これに対して被告人は、自分の態度と発生結果との間の原因連関は娘の故意による殺害行為により中断されることを理由として上告した。しかしながらライヒ裁判所は、被告人が娘のそばに留まり必要な援助を与えていたなら、娘が子供を殺害することはなかったという関係が認められることにより、被告人の当該態度と発生結果との間の原因連関を認めることができるとして被告人の主張を退けた。ここで、裁判所は学説による見解として遡及禁止論について触れながらも、ライヒ裁判所の判例(RGSt. 1, 373;6, 249)はこれを認めておらず、複数の互いに関係する条件を刑法上の原因と把握することによる刑事責任の苛酷さは予見可能性により調整できるとして、結局採用しなかった。
  すなわち、ここでもライヒ裁判所は、因果関係の中断論および遡及禁止論を明確に否定して故意の正犯に対する過失の関与者を過失正犯であると判断したのである。
C  愛人毒殺事件(ライヒ裁判所第一刑事部一九三〇年一〇月一七日判決、RGSt. 64, 370)
  ある男性が妻を毒殺した事件で、彼に毒薬を調達し手渡した看護婦である彼の愛人の行為について、故意の幇助ないしは過失致死の成否が問題とされた。陪審裁判所は彼女に無罪を言い渡したが、検察官がライヒ裁判所に上告した。
  ライヒ裁判所は、被告人の態度について、行為当時、この男性が妻を毒殺するという認識は彼女には未必的にも認められないとして故意の幇助は否定したものの、過失致死の成否について十分に審理されていないとして陪審裁判所に差し戻した(ただし、差戻審の結論は不明である)。すなわち、彼女の行為は過失致死にあたる可能性があるというのである。その理由として、被告人は以前からこの男性と、彼の妻が死んだら自分と結婚するなどと話し合っており、さらに被告人に毒薬を手渡す際にもこの毒薬を用いて何かよからぬことをするのではと邪推して、男性に否定されていたことから、行為当時、この男性の毒殺行為について予見可能性が認められる点、被告人の毒薬を手渡すという行為は、被害者に死亡対する共働条件であっても、結果に対する原因連関は認められる点が挙げられている。その際、毒殺という故意行為の介入は彼女の誤って毒薬を手渡す行為と結果との間の原因連関を中断しないことはライヒ裁判所の確定した判例であり、そのことは先述の屋根裏火災事件でも確認されていると判示された。
二、四つの判例の位置付けと批判
    これら四つの判例はいずれも、いわゆる因果関係の中断はライヒ裁判所の判例に反するとしてこれを退け、等価説の意味での条件説を徹底させることにより、条件関係を満たすすべての条件について結果に対する原因性を認め、結果に対する予見可能性を前提に、過失の関与者を過失正犯と判示している。これは因果関係に関する理論として見れば、従来からのライヒ裁判所の判例に沿うものである。それは上で挙げた判例が、被告人の行為の原因連関を認定する際に条件説がライヒ裁判所の判例の見解であることを強調し、具体的な判決を参照するよう指示していることから明らかである。すなわち因果理論の観点からは、判例=条件説、学説=中断論ないしは遡及禁止論などの帰責限定論という図式に根本的な変更はないと言える。
    これまでのライヒ裁判所の判例の中にも、条件説により過失正犯の背後の過失正犯を肯定するものは存在した。そのリーディングケースとされるのが、いわゆる「劇場クローク事件」(RGSt. 34, 91)である。事案は、ある劇場の観客がポケットにピストルを入れたままマントをクロークに預けたところ、たまたまポケットから転がり出たピストルを見つけた劇場の係員が冗談で彼の同僚に銃口を向け、不注意にも発砲し同僚を死亡させた、というものである。この事件でライヒ裁判所は、同僚に対して実際に発砲し死に至らしめた劇場係員だけでなく、ピストルをポケットに入れたままマントをクロークに預けた観客についても自ら所有する武器の管理が不十分であったことを理由に、刑法二二二条の過失致死を認めた。
  レンツィコフスキーによると、武器の濫用により死亡事故が発生した場合に武器の所有者に過失致死を認める、というライヒ裁判所の基本的な見解は、プロイセン上級裁判所の判例を引き継いだものであるということである(92)。この場合、直接に人の死を惹起する他人の過失行為を不注意に誘発、促進する行為が過失致死の正犯行為であると判断されることになるが、これは、過失犯に対する故意の共犯の存在を前提とする限りでは、故意犯であれば教唆、幇助という狭義の共犯に過ぎない行為を過失犯では正犯とする、という矛盾を孕むことになる。とりわけ、教唆、幇助の成立に必要な正犯要件を「同人(被教唆者・筆者注)によって実行される可罰的行為」(四八条)、ないしは「重罪もしくは軽罪の実行」(四九条)としか規定していなかった当時の現行刑法の下ではそのような矛盾を指摘する見解も可能であった。実際、「問題となる挙動と結果との間に因果的な中間部分として、それ自身過失正犯者である他人の行為が存在する場合には常に過失の正犯性も阻却される(93)」という、過失共犯の研究で知られるヴティッヒの見解からは、判例の見解に反して、他人によって濫用された武器の所有者を過失致死とすることはできないであろう。
  もっとも、これは「自由かつ意識的(故意かつ有責に)に結果惹起に向けられた条件の先行条件は原因ではない(94)」というフランクの遡及禁止論に矛盾するものとまでは言えない。過失行為は少なくとも故意で結果惹起に向けられた条件ではないので、この理論は過失行為の背後の先行条件を刑法上の原因すなわち正犯行為と評価することまでも禁じるものではないからである。
    これに対して、先に挙げた四つの判例はいずれも、故意の正犯に対する過失の関与をも過失正犯とすべきことを明言するものであった。ところが、このことは因果関係の中断ないしは遡及禁止などの帰責限定理論の否認という従来からの判例の確認を意味するにとどまるものではなく、これが拠って立つ自然主義の犯罪体系自身に対する決定的な矛盾をも意味するものであった。故意の正犯に故意で関与する者は総則共犯規定(旧四八条、四九条、現二六条、二七条)に把握される限りで、教唆ないしは幇助の狭義の共犯となる。これに対し先に見たように、これらの判例は故意の正犯者に過失で関与する者は過失正犯者であると判示した。これはまさに、その行為を故意で行えば共犯とされる者が過失であれば正犯とされることを意味する。特にCの「愛人毒殺事件」では、「正犯者の実行行為を援助した被告人に幇助の故意が認定できないから、なお過失致死の成立可能性を検討せよ」という形で露骨に現れている。判例の見解によると、過失正犯はその成立範囲として、故意の正犯のみならず、教唆、幇助にあたる態度をも含んでいることになる。しかしながら、この時代に判例及び学説を支配した自然主義の犯罪体系は、故意犯と過失犯は客観面ではその成立範囲は同一であり両者は責任の形式においてのみ区別される、ということを前提していたはずである。すなわち、自然主義の犯罪体系を前提とする限り、客観的に見て狭義の共犯行為とされる行為を行う者は故意であろうと過失であろうと狭義の共犯であって、故意であれば共犯とされる行為を過失で行えば正犯であるとすることは、もはや自然主義の前提を逸脱すると考えられるのである(95)
    このような矛盾を厳しく批判したのは、エクスナーであった。
  エクスナーも、責任なき直接行為者に過失で関与する場合と過失で行為する直接行為者に過失で関与する場合には背後者の正犯性を肯定している。すなわち、前者については、教唆的形態、幇助的形態の如何を問わず背後者の態度に過失の間接正犯を認め、後者については背後者の態度の発生結果に対する危険性を基準に、直接行為者の過失行為がなくても背後者の行為だけで結果が発生する場合には具体的経過の予見可能性を前提に、背後者に過失の直接正犯を認め、直接行為者の過失行為が介在して初めて結果が発生する場合には他人の適切な態度に対する信頼が援用不可能であることを前提に過失の直接正犯を認めるのである(96)
  しかしながらエクスナーは、直接行為者が故意である場合に背後者がこれを過失で誘発、促進する場合については判例の態度に疑問を投げ掛けている(97)。彼は@の「無許可輸出事件」とAの「屋根裏部屋火災事件」を取り上げるのであるが、そこでは因果関係の中断、より良く言うなら心理的に媒介された因果性が問題であり、「原因系列は故意行為の前にある行為に遡ることはできない、すなわちこれは正犯行為に対する共犯であって独自に惹起を行う行為と評価してはならないという限りで」妥当するというフランクの遡及禁止が認められるとする。彼によれば、このような遡及禁止は故意の教唆、幇助については(旧)四八条、四九条により争いがないとされる。
  これを前提に彼は、「泥棒にそれがなくては侵入が実行できないであろう道具を貸してやる者が正犯ではなく、幇助としてしか取り扱われないとする法律の立場とこれがどうして相容れるのか理解されない。この見解では自殺に対する教唆ないしは幇助がどうして不可罰とすべきなのかも理解されない(98)」と判例の採った見解が明らかに当時の現行法の立場と矛盾することを批判している。
第四節  学説における解決の試み
一、は じ め に
  しかしながら、前節で紹介した一九二〇年代後半のライヒ裁判所の判例は、自然主義犯罪体系に対する根本的な矛盾を孕みながらも、具体的事案の結論については、反対はあるにしても、この当時から通説的には比較的妥当なものと考えられてきた(99)。そのため、一九三〇年代の学説においては、故意の正犯に過失で関与する者を過失正犯とする判例の結論を解釈論において合理的に説明しようとする試みがなされた。そのうち注目すべきものは、エンギッシュやメツガー、問題意識は異なるがE・シュミット(100)等によって提示された拡張的正犯概念による解決および、ツィンマール等によって提示されたいわゆる惹起犯の構想である。以下ではこの二つの構想とその限界について見ていくことにする。また、必ずしもこの問題に関するものではないが、ホーニッヒの構想にも触れておく。
二、拡張的正犯概念による解決
    その態度が各則の構成要件的結果との間に因果関係を有する者は、原則として正犯であり、その態度が総則共犯規定にあてはまる場合にだけ刑罰縮小事由としての共犯を認めるという拡張的正犯概念は、とりわけエンギッシュによって、先に述べた判例の事案の解決(但し、@無許可輸出事件は取り上げられていない)に際して好意的に取り扱われた。
    エンギッシュは、まず刑法上の構成要件メルクマールとして、因果関係論一般について検討した上で、条件説と相当説の調停を試みる(101)。その上で、因果関係と共犯の問題について三つの問題領域から考察を加える(102)。それは、第一に、共犯行為の構成要件的結果に対する因果性の問題、第二に、因果関係の観点による個別の関与形式の区別の問題、第三に、他人の有責な行為が介在する場合の因果関係の問題であるが(103)、このうち、先の判例に直接関係するのは第三の問題である。ここではまず、等価説は問題解決につながらないとして退けられ、相当因果関係説からの解決が試みられる。その際、彼が相当因果関係説の分析から得た、危険実現の構想(104)が生かされ、条件連関に他人の有責な態度が介在する場合、介在行為者の態度に構成要件的結果発生の危険が存在し、しかも発生結果がこの危険の「実現」と考えられる場合には、第一行為者の答責性はもはや問題にされないとされる(105)。もっとも、構成要件的結果が過失の態度に媒介される場合には、かなりの頻度で結果は相当なものとして第一行為により条件づけられていると言えるが、故意の態度に媒介される場合でも、第一行為と結果との間にそのような相当な関係が存することもあるとして、問題とされる行為と結果の間の経過に故意の態度が介入する場合の答責性について考察を進めている。
  その際彼は、因果関係の中断論と遡及禁止論による問題のアプローチに目を向ける。「被害者ないしは第三者の有責な態度によって、常にもしくは一定の場合に因果連関が『中断』されるという考え方が以前から意義を獲得して」いないというのならば、何も新しいことは言われていない。それはともかく、実際にはドイツの当時の現行刑法(帝国刑法四八条、四九条)は、各則構成要件に関する故意、過失の正犯だけではなく、故意の(一部の学説では過失も含めるが)犯行に対する故意の教唆、故意の幇助も認めることによって、ある態度が、他人の有責な態度と相まって構成要件的結果を発生させるような事例群も評価していると考えられている(106)。このことには、ある原理ないしは考え方を結びつけることができる。それは彼によれば、「法律は『正犯者』の可罰的な態度の誘致や援助という、他人の有責な態度と相まって構成要件的結果へと結びつく一定の行為を、教唆または幇助として切り離して処罰することを認めることにより、同様に(つまり誘致または援助として)、他人(第三者なたは被害者自身)の有責な態度を介して構成要件的結果へとつながる態度を処罰するためには、特別な規定が必要でかつそれで十分である(107)」というものである。これは、被害者または第三者の有責な態度に、誘致または援助という形で先行する態様の態度は、四七条の共同正犯で把握されない限り、教唆、幇助の類型に当てはまる場合にだけ、構成要件的な結果に対する可罰的な先行条件として把握され、そうでなければこれには把握されないというフランクの遡及禁止論の内容を表している(108)
  もっとも、通説は教唆、幇助行為は故意犯に対するものしか認めていないので、遡及禁止も故意犯が介入する場合に限定される。しかし、遡及禁止はこのように故意犯への関与の場合に限定して狭く解してもなお意義があるとする。すなわち、過失の教唆、幇助の不可罰、さらには不可罰の意思的な自己侵害(特に自殺)へのすべての形式の教唆、幇助の不可罰がそこから帰結するという意義である(109)
  これに対して、限縮的な正犯概念を正面から認める見解は、遡及禁止論とは異なった前提に立ちながらも、同様の結論を導くとしている。この見解は、正犯概念をはじめからきわめて狭く解し、遡及禁止論が、刑法四八条、四九条の規定を手がかりに事後的に可罰性を否定する類型は、すべて始めから正犯としては問題にしないと考える(110)。すなわち、各則構成要件ははじめからすべての直接正犯者と、一定の(他の責任なき行為者を利用する)間接正犯に向けられており、他人の有責な態度を誘致または援助する者には向けられていないので原則的に処罰の領域から排除されているとするのである(111)。そのため、後者の、他人の有責な行為を誘致、援助するにすぎない者を処罰するためには、特別な処罰規定が処罰拡張事由として必要である。このような規定がない場合には原則に戻って不可罰となる。過失の教唆、幇助の不可罰、他人の意思的な自己侵害に対する誘致、ないしは援助の不可罰もこのことから導ける。
    ここではエンギッシュは、広すぎる正犯概念を刑法四八条、四九条の共犯規定が修正するもの(拡張的な正犯概念の発想)として遡及禁止論を理解し、限縮的正犯概念と対立させている。つまり、エンギッシュは、遡及禁止論を前提にしても拡張的な正犯概念をとることが可能であると考えていると思われる。そして、他人の故意の有責な態度の誘致または援助は原則として不可罰であるとする、遡及禁止論および限縮的正犯論に共通する考え方を結論的に否定するものとして、前節で述べた判例を取り上げる(112)。その上で、正犯についての実質的客観説や因果関係の中断論が妥当なものでないとするなら、もはや、他人の有責な態度の介入の問題は、因果理論ではなく、「法律が教唆、幇助という形態を、正犯の例外とされる、ないしは正犯を排除する特別な『規範的類型』であると理解している(113)」というような正犯概念と共犯概念の相互関係そのものの理解によって解決されるべきであると主張する。ここからは、故意の教唆、幇助の類型については法律の規定により特別にその正犯性が排除されるという拡張的な正犯概念が採用されていることがうかがえる。さらに、彼は拡張的正犯概念の根拠付けとして、E・シュミットの間接正犯について書かれた論文の中でとられた見解が妥当な方向性を有することを指示している(114)。すなわちここでのエンギッシュの見解は、因果経過に対する第三者の介入をめぐる判例が提示した問題の解決は、最終的には因果理論ではなく、正犯概念、すなわち拡張的正犯概念によって行うべきであるとの主張と理解することができるのである。
    メツガーも因果関係論において基本的には相当因果関係説的な立場に立ちながら、拡張的正犯概念を採用する。
  彼は、行為者の意思活動と結果との間の因果連関が証明されれば行為者のこの結果についての刑法上の答責性がすでに確定され、これが責任要件で限定されるにすぎないという、等価説の考え方に対しては、因果連関の問題と負責連関の問題がここでは誤って同置されていると批判する(115)。そのような考え方は周知のように、とりわけ結果的加重犯の領域で不当に負責拡張的に作用する。等価説の考え方は学説においても多くの主張者を見出すことができるが、彼らの主張の中の正当な視点とは、たしかに条件連関論以外に因果関係理論は存在しないが、刑法上の負責はそのような原因的結合関係とは全く別の事情にも左右されるということである。極端な例として、M・E・マイヤーなどは、因果連関はすべて刑法にとって有意義であるが、それだけで可罰性が肯定されるわけではないとして、刑法における因果関係理論の必要性をそもそも否定するのである(116)。しかし、メツガーはマイヤーのこのような主張に与するわけではなく、因果関係論の刑法上の意義そのものは認める。
  そこで彼は、具体的結果に対するすべての条件が刑法における原因なのではなく、そのような結果を惹起するのに一般的に適した条件だけが刑法における原因であるという、相当因果関係説の考え方を導入する。このような相当説においては、刑法上の因果概念そのものに限定を施し、負責を根拠付ける刑法上重要な因果経過と刑法上重要でない因果経過の区別が問題とされることになる(117)。しかしながら彼は、因果経過の法的重要性が認められない場合に因果連関そのものを否定するという相当説の理解には立っていない(118)。彼はあくまで、具体的結果に対する条件はすべて刑法上の原因でもあることを認めた上で、さらに刑法上の負責を根拠付けるためには、当該条件が具体的結果についての相当な因果連関、すなわち法的に重要な因果経過にあること要求するに過ぎないのである。その意味で彼の相当因果関係説は、刑法上の因果概念自体に変更を迫るものではなく、刑法上の負責を根拠付けるファクターとしての当該条件の具体的結果惹起についての相当性、ないしは因果経過の法的重要性でもって現存する因果連関に対して法的評価を加える構想であると理解することができる。その結果、可罰性の確定には、それまでの因果関係と責任という二段階の判断構造ではなく、因果連関とその法的重要性および責任という三段階の判断構造がとられることになる。
  このような相当性は当然、刑法上の構成要件該当性の本質的な要素であるとされる(119)。もっとも、責任による負責の限定のできない、重傷害や傷害致死などの結果的加重犯について適切な負責を行うには、通常の意味での相当な因果連関の存在では十分ではなく、加重結果の発生を本来的に助長する範囲内にある連関(im Ramen der eigentu¨mlichen Begu¨nstigung von Erfolgen der schwehren Art gelegener Zusammenhang)であることを要するとされる(120)。これにより、例えば傷害行為による軽傷の被害者が病院に搬送される途中で、屋根から落ちてきた瓦に当たったり、もしくは鉄道事故にあったりして死亡するような、加重結果の発生について行為者の責めに帰すべきでない場合、判例の見解とは異なり加重結果を行為者には帰責しないようにすることができる(121)
  しかしながらメツガーは、結果的加重犯で要求したこのような負責限定的要素を、過失犯においては特に必要であるとはしない。そうして中断論および遡及禁止論を退け、例えば血の気の多い人間でごった返している酒場に不注意にも銃を置いたまま目を離した猟師は、たとえ誰かがその銃で故意に人を殺害したとしても過失致死の罪責を負うとして、他人の故意行為により直接犯罪結果が発生したとしても過失行為と結果の相当な因果連関を認めるのである(122)。そしてこの場合には、客観的な違法性(123)ないしは責任(124)によって適切な負責の限定を図ろうとする。
  このようなメツガー考え方の背景には、彼の拡張的な正犯概念がある。彼は、結果と相当因果関係にある行為者を原則的に各則の構成要件を実現する正犯者と解し、総則の共犯規定により教唆、幇助の類型に合致する者だけを例外的に処罰制限事由としてそのように取り扱うという拡張的正犯概念を前提としている(もっとも彼は自手犯だけは例外で、共犯規定を処罰拡張事由と解している(125))。このような前提に立てば、共犯の行為にも原則として結果に対する相当因果関係は存在すると言えるので、結果に対する原因連関を正犯の行為にのみ要求する原因説や中断論、遡及禁止論、さらには先に述べたザウアーなどの相当因果関係説とは異なり、総則の共犯規定に包摂されない故意正犯の背後の過失行為者を、そのような相当因果関係と過失の責任要件の存在を前提に過失正犯とすることができるのである。
    しかしながら、これらの拡張的正犯概念の構想は、学説において批判にさらされ、大勢を占めることはなかった。
  拡張的正犯概念に対する第一の批判は、拡張的正犯概念は各則構成要件の保障機能を著しく害するというものである(126)。特に等価説を前提にする場合には、拡張的正犯概念による限り、例えば、謀殺者の母親でさえ謀殺による死亡結果についての構成要件を満たすことになり、自分の子供による謀殺について過失がある場合には過失致死の罪責を負うことになってしまう。もっとも、相当因果関係説による限り、このような不合理な結論は回避できると言えるので、この批判は拡張的正犯概念にとって致命的なものとは言えないであろう。限縮的正犯概念による場合でも、構成要件の解釈如何ではこのような危険を有しているのである(127)
  むしろ拡張的正犯概念の構想に対する本質的批判と言えるのは、身分犯に対する共犯についての以下の批判である。すなわち、拡張的正犯概念によると、(一定の要件は付されるものの)何らかの形で犯罪結果に関与する者は、すべて正犯として取り扱われる。そうすると身分犯、特に構成的身分犯に身分なくして関与する者は、正犯要件としての身分を欠くためにそもそも可罰性の領域から外れてしまうのである。そのため拡張的正犯概念によると、構成的身分犯に対する身分なき共犯者の処罰が説明できなくなる。さらに拡張的正犯概念に対しては、その考え方を突き詰めると、未遂に終わった教唆、幇助が、正犯の未遂と同様に可罰的となり可罰性の著しい拡大をもたらすという不都合も指摘されている(128)
    以上のような弱点を有する拡張的正犯概念は、学説において広く指示を受けることはなく、当時から、少なくとも故意犯については限縮的正犯概念によるべきであるという見方が支配的であったと言える。それゆえ限縮的正犯概念の立場からは、故意犯においては限縮的正犯概念によりながら、各則において具体的な行為態様の記述を欠く特定の過失犯の構成要件については特別に、正犯概念を統一的に理解する惹起犯の考え方が主張されることになる。
三、惹起犯の構想による解決
    刑法二二二条によると、過失致死の構成要件は「過失による人の死の惹起」である。「惹起」とは結果を発生させることを意味するにすぎないので、同じく人を死なせる罪についての規定である刑法二一一条の「殺す」とは異なり、その具体的な行為態様はそこでは問われないことになる。すなわち、この「人の死の惹起」という文言には、故意の殺人なら正犯とされるような態度ばかりでなく、教唆や幇助にあたる態度も含まれ、それゆえ過失致死の構成要件はこれらの態度をも包含するのである。換言すれば、故意の場合には総則の共犯規定によりなされる可罰性の拡張が、ここでは構成要件そのものによりなされているのである(129)
  以上が、ツィンマール等による惹起犯の考え方のあらましである(130)。特に、ツィンマールによると、刑法典各則の犯罪類型は、限縮的正犯概念、拡張的正犯概念のいずれかの見方で統一的に把握できる構造にはなっておらず、正犯行為だけを把握する構成要件もあれば、共犯的な行為をも含んだ構成要件もある。そして、具体的な構成要件的行為の記述のある構成要件は、正犯行為をのみを包含するものとして限縮的に解することができるが、そのような記述がなく結果の惹起のみを規定する構成要件は、惹起犯の構成要件として拡張的に解釈することができ、またそうすべきとされるのである(131)
  過失致死の構成要件をこのような惹起犯の構成要件として解釈すれば、他人の故意行為に過失で関与する者は、たとえその態度が故意犯であれば教唆や幇助にあたるものであっても、過失犯の構成要件的行為、すなわち正犯行為と解することができるので、その他の要件を充足する限りで過失致死とされることに説明がつく。しかも、行為の記述のある構成要件については、支配的見解と同様限縮的正犯概念によることができるのである。
    しかしこのような考え方には、以下のような批判が向けられている。
  まず、刑法典の起草者が、各則の規定の文言をツィンマール等の言うような差異に基づいて書き分けたと言えるかは非常に疑わしいことが挙げられる(132)。一八七一年の刑法典制定以来犯罪体系の基本に置かれてきた考え方は、故意犯と過失犯は客観的側面では共通で、両者は責任の形式においてのみ区別されるという自然主義の考え方なのである。先にも述べたが、故意犯と過失犯は客観的側面では共通であるという自然主義の前提に立つと故意の正犯の範囲と過失の正犯の範囲は一致することになるか、もしくは、拡張的正犯概念のように関与者は原則としてすべて正犯として取り扱うことになるはずである。もちろん当時の立法者が、このような自然主義の考え方を前提にしていたかどうかは争うことができる。しかし、レンツィコフスキーが指摘するように、行為の記述を有する過失犯の構成要件も多くあることに鑑みると、当時の立法者は故意犯と過失犯の客観的な差異についてそれほど注意を払っていたとは言えないであろう(133)。それゆえ、過失致死をはじめとする一定の過失犯の構成要件が具体的な行為を明示しておらず、結果の惹起のみを記述しているにすぎないからといって、それが具体的な行為の記述を有する故意犯の構成要件と別異に取り扱ってよいという根拠になるとは考えにくいのである。
  さらに禁止規範との関係での批判がある。客観的な不法概念からは、犯罪結果惹起の禁止がより普遍的なものであり、行為の禁止はそれに対して補充的な意義を有することになる。このように結果惹起が第一次的に禁止の対象とされるなら、惹起犯の構想では、過失致死のような行為記述のない結果惹起を禁止する構成要件が原則となり、その他の構成要件が例外とされる、すなわち故意犯の構成要件が過失犯の構成要件に対する例外とされることになる。それゆえ、例えば注意違反による人の死の惹起はすべて、まず過失致死構成要件によって把握され、行為者に故意が認められる場合には例外的にその行為態様に応じて、殺人の正犯、教唆および幇助としての罪責を負うという、不自然な罪責の判断構造を前提としなければならなくなる(134)。しかし刑法が前提としている立場からすると故意犯の処罰が原則であり、過失犯の処罰はその例外にとどまるはずであって、惹起犯の構想ではこの関係が逆転してしまうのである。
    このように惹起犯の構想は、結果惹起のみを記述する一定の構成要件において、故意犯と過失犯の客観的側面での共通性という自然主義の前提を逸脱することになるので、統一的な立場から刑法典全体を把握するという体系的観点からは問題がある。さらに、結果惹起の禁止が第一次的なものとされる限りでは、過失犯が故意犯に対する原則となり故意犯処罰の原則に抵触するという点でも問題がある(これも体系的観点からの問題と言えるだろう)。一定の過失犯については共犯的な形態の態度も正犯とし得るというこの構想の利点を生かすには、自然主義を前提をする限りでは自ずと限界があるのであって、それゆえ、この時期にはすでに自然主義を越えた犯罪体系が必要とされたのである。
四、ホーニッヒの構想
    以上述べたように、先にあげたライヒ裁判所の過失犯に関する判例の結論を説明する試みとして学説において提示された、拡張的正犯概念および惹起犯の構想は、問題点が多く広く支持を受けることはなかった。しかし同時に、これらの構想が有した問題点は、客観的構成要件を因果的にのみ理解する自然主義の犯罪体系の限界を浮き彫りにしたとも言える。
  ホーニッヒは、このような限界状況を「因果関係論の危機」と評している。彼は必ずしも先に挙げた過失犯の判例を意識しているとは言えないが、当時の因果関係論をめぐる学説の対立の深刻さに鑑み、客観的構成要件においては結果に対する因果性を越えた視点が必要であることを力説したという意味で、来るべき犯罪体系のさきがけとも言えるのである。そこで、次章において次の時代の犯罪体系、すなわち目的的行為論とその限界について見ていく前に、彼の構想について検討しておくことにする。
    ホーニッヒは一九三〇年に公刊されたフランク記念論文集の中の「因果関係と客観的帰属」と題する論文(135)の中で、行為と結果のつながりが因果連関に尽きるものではなく、帰属可能性という形での、それ以上の意味でのつながりを要することを明らかにした。先に触れたが彼は、この論文の冒頭で、「現在、刑法における因果連関論は、明白な危機に直面して(136)」おり、E・シュミット(137)らの主張する条件説とザウアー(138)らの主張する相当説の対立は、もはや「因果問題内部での争い」ではなく、「因果概念の支配の限界そのものに関わるものである」ことを強調する(139)。条件説と相当説の対立は、単に因果概念の内容をめぐる争いにとどまらず、因果性のみを本質的な問題とする因果連関論が、行為と結果のつながりに対する把握についての有用性が激しく争われることで、試練に立たされているというのである。
  例えば学説において有力な相当説は、結果を惹起したと言えるかという判断にとどまらず、それを越えた一定の目的論的な考察に踏み込んでいるが、このことは因果性のみを本質的な問題とする因果関係論が、学説において、もはやリアリティーを失っていることを浮き彫りにするものと言える。
  また、実際的な解釈論の問題でも、彼は、先に挙げたライヒ裁判所の四つの判例いずれにも言及していないが、原因において自由な行為の場合には、判例のとるような条件説の立場でも、その自然主義的な因果性に基づいた考察は維持できないことを指摘している(140)。ホーニッヒは、行為と結果のつながりについて、条件説のように因果連関の存在だけでは十分とはせず、相当説の立場に立ちなおかつ、「行為と結果のつながりの、一定の、法秩序の要請に適った特性を明らかにすること(141)」をその構想の基礎に据えることで、因果連関論を越えた帰属連関論を展開しているのである。
    それでは、ホーニッヒはどのような根拠付けでこのような帰属連関論を展開したのであろうか。
  まず、彼は当時の大方の理解と同様、限界事例、特に結果的加重犯において条件説はもはやその基本テーゼである全条件等価の原則に大幅な限定を必要とすることを指摘する。そして、負責限定作用を有する責任という基準を欠く結果的加重犯においては、行為と結果との間の客観的なつながりの刑法上の意味が認識論的な因果仮説では尽くされないことは明らかで、因果関係の判断においても、ほぼ例外なく相当性の基準を考慮せざるを得ないことになる(142)。結果的加重犯だけではなく、単純結果犯、とりわけ過失犯でも同様である。例えば、「勢子を撃って負傷させた猟師は、勢子が収容先の病院の火災で死亡した場合には、過失致死で処罰されるか(143)」という問題については、法律の文言では「過失による惹起」と規定されているので、惹起そのものが別の何らかの評価を担っていない限り、責任(ここでは予見可能性)というメルクマールは出来事の正当な評価を保証しない。条件説の意味での因果連関を客観的な事実の基礎とする限り、過失における予見可能性の対象にも、行為者の態度が結果の条件であるということ以上の具体的な内容を与えることはできないのであって、責任のメルクマールによる負責の修正を主張する条件説も、全条件等価の原則を頑なに維持する限り、適切な負責の限界付けを行うことはできず、結果に作用する諸条件の内部での評価を要することになる。
  もちろん、このような評価は条件説を基礎として行われる。相当因果関係説の主張者であるトレーガーも、このことは説得的に証明している(144)。しかし、ある行為を他の共働条件から取り上げることは、その行為からその結果は発生しなかったであろうという前提と常に結びついており、このような取り上げを行うために、選択理論とでも呼ぶべき様々な試みに別れていく(145)。いわゆる個別化的な原因説である(146)。しかし、この試みは原因性認定のための統一的な原理を提供できないことから、確固たる基盤を提供することはできなかった(147)。相当説は経験を選択原理とするが、「経験が具体的な法発見だけでなく、一般的に妥当する法設定(Rechtssetzung)の基本要因でもある限りで、他の選択理論に対して本質的に進歩している」。しかし、彼は、相当説の論者も結果に作用する諸条件の中でのいかなる評価も、「すでに因果概念の専ら存在論的な意義の外にあるという認識」をあまり自覚してはいないとして、因果連関に対する経験的な考察を主眼とする相当因果関係説も、存在論的な因果概念とは離れた規範的な評価を前提にすることを認めるのである(148)。すなわち、「因果判断に加えて、新たな独自の判断としての客観的帰属(149)についての判断」が行われるべきであるが、彼はこれを「価値論的な問題を吟味すべき」ものであり、「法秩序そのものから与えられた基準に従って、因果連関の法秩序に対する重要性」について検討する判断であると言う(150)
    それでは、このような帰属判断の具体的内容とはいかなるものであろうか。まず彼は、「帰属判断の因果判断に対する特殊な性格を証明する試みにおいては、帰属判断は、結果に関係する点として専ら意思表出(Willensa¨uβerung)としての人間の態度を前提にするということから出発す」べきであるとする(151)。さらに、「結果の意思活動に対する排他的なつながりを客観的帰属の概念で特徴づけることを前提にする」ならば、「帰属判断の内容は人間の意思活動の目的論的な原初性による」が、このような目的論的特性は、彼の見解によれば、「意思活動が、人間が自然の出来事に介入することによって、その意思を実現する手段である」ことに見出される(152)。この場合、行為者である人間が、「一定の態度の作用を予見する能力を有し、さらにこの作用をそれに適した態度によって惹起するか、もしくはこれと逆の作用を持つ態度によって防止する能力を有する、すなわち起因者たる性格を獲得する限りで、彼は、原因と作用の連鎖の開始点であるだけでなく、これを形成する原理でもある(153)」。まさにこの理由で、人間の態度は「客観的に、すなわちその実際に意図していたことを考慮することなく、その意思の目的的な表出であると見なされる」。すなわち、「まさに自然の出来事に対する目的的な介入が人間の態度の本質をなす」ために、「客観的目的性が結果の帰属可能性の基準であり、偶然の結果との限界付けの基準でもある」のである。彼はこれを、「帰属可能なのは、目的的に設定されたと考えることができる態度である」と定式化する(154)。そして、これがホーニッヒの構想の根底にある帰属原理である。
  このような構想は、彼が相当説に好意的であるにもかかわらず、従来から主張されてきた相当説とは実質的内容において異なったものであることを、彼自身明確にしている。まず、従来、相当説においては、結果が行為者、客観的な観察者、最も洞察力のある人のいずれにとって予測可能であるべきかという、結果の予測可能性の標準について争われてきた。しかし、彼の客観的帰属論では、態度の客観的目的性という包括的で、実践的な問題が取り扱われるので、予測可能性の標準のような理論的で、それゆえ様々な立場を許すような問題の余地はないとされる(155)。むしろ、彼の客観的帰属論では、「決定の重点は、−相当説の場合のような−一般化ではなく、事件の一回性に移行している」ことが相当説との根本的な違いとして強調されるべきである。すなわち、一定の因果経過があり得るかということではなく、行為者の意思による因果経過の支配が問題とされるべきである(156)
  具体的な事例を用いてこれを説明している。甥の遺産相続をもくろむAが雷雨の日に甥に高い木の植えられている丘に使いに行かせ、実際に甥が落雷にあって死亡する雷雨事例では(157)、甥の死をAのこのような態度に帰属することができるかどうかは、この結果がAの希望通りのものであるにもかかわらず、純然たる偶然と考えなければならないのか、それとも、Aが雷の自然力を利用したと言うべきなのかにかかっている(158)。例えば、雷がこの季節に丘の上で発生し、そこに落ちることが観察される場合には、古い天気俚諺にしたがい、再び繰り返されることが計算でき、Aが雷の自然力を利用して甥を殺害したと言える。しかし、この結論が相当説によっても導けるかどうかは疑わしいと彼は指摘する(159)。また、過失犯の事例でも同様に、御者のミスで馬が暴走し、通行人がこの馬のに向かって投げ出されてぶつかり、腕を骨折した場合、また路面が凍結している日に自分の家の前に滑り止めを撒くのを怠ったので車道を歩く羽目になった通行人が自動車にひかれる場合に、結果が目的的に設定されたと考えることができるかという問いにより、ここでは結果の帰属可能性を否定するという明確な結論をもたらすことができる(160)。さらに、同様に故意犯で結果の帰属が否定されるべき例として、AはBに、船会社が耐航性のない船を就航させており、それゆえBの乗る船も耐航性がないことを知っているにもかかわらず、船旅を勧める場合を取り上げている。
  これらの場合において相当説でも彼の言うのと同様の結論にしようとするなら、行為者の結果に対するつながりの核心は相当説の言うような「予見可能性」や「予測可能性」のような概念にあるのではなく、因果経過の「支配」の概念にあることが直ちに明らかになる(161)。いずれの場合でも、行為者には結果の予見可能性ないし予測可能性は存在しているといえるので、この観点からは、結果の帰属を否定することはできず、行為者が現実の因果経過を支配していないことにより初めて結果の帰属が否定されることが説明できるからである。このように、従来の相当説の言う「結果の予見可能性ないしは予測可能性」では妥当な結論を導けない事案でも、彼の客観的帰属論の帰属原理である「客観的目的可能性」では妥当な結論を導けることを明らかにすることにより、この理論の有用性が示されるのである。
    それにもかかわらず、このようなホーニッヒの帰属原理の有用性は、大半の場合において故意犯の場合に限定されると思われる。なぜなら、過失犯においては「因果経過の目的的な支配」を認めることは困難なので、過失犯は大半の場合において不可罰となるはずであるが(162)、これは、一定の場合に過失犯を可罰的とする現行法の立場とは相容れないからである。このように、故意犯の帰属原理が必ずしも過失犯には妥当しないことは、とりわけヴェルツェルによる目的的行為論において明確に意識されるが、これについては先にも触れたように次章で検討する。
  もっとも、客観的目的可能性による結果の帰属可能性判断だけでは、行為者の結果に対する心理的なつながりが明らかとはされないので、その態度の結果に対する答責性の問題は解決されない(163)。このような客観的帰属の判断は、結果に対して目的論的に設定されたつながりに対する客観的な評価であって、問題とされる状況にある人にとっての結果の達成可能性もしくは回避可能性についての判断である。行為者の結果についての答責性を確認するためには、客観的帰属の判断に加えて、故意、過失という行為者の結果に対する心理的なつながりの確認を要することになる。すなわち、彼の客観的帰属論の構想は構成要件該当性判断に関するものであり、結果についての答責性判断を完全に把握するものではない。むしろ、このような客観的帰属に基づく、構成要件該当性はそもそも評価の客体及びそれによる負責の基礎を創出するだけで、負責の限定を行うことはないので、負責の限定は犯罪体系の評価的な部分、すなわち違法性および責任で行うことになる。
    このように、ホーニッヒの客観的目的性による客観的帰属の構想は、行為と結果の間のつながりについて、因果連関とは別に法秩序の観点から新たな根拠付けを行うもので、因果連関の限定を主眼とする従来の帰責限定理論とは原理的に異なると言える。すなわち、ホーニッヒの構想は結果の帰属の限定ではなく、その根拠付けを行うものである。この帰属の根拠付けが、因果連関とは別に行われるなら、故意犯に特有の帰属原理を提示することにより、因果連関論では行うことができない、故意行為と過失行為の区別を行うことが可能になるのである。この点で、ホーニッヒは過失の関与の問題をめぐる議論に触れていないにもかかわらず、彼の帰属可能性論はこの問題に有益な帰結をもたらす原動力を有するのである。それにもかかわらず、彼は、客観的目的可能性を故意、過失に共通する帰属原理としたため、故意の正犯概念と過失の正犯概念を区別する契機を失ってしまったものと思われる。さらに、彼の構想は客観的目的性を過失犯についても帰属原理として要求したため、先に述べたように目的性の認めにくい過失犯について、結果の帰属を認めることが困難になるという難点を有すると思われる。
第五節  小      括
  以上見てきたように、一九世紀にヘーゲル学派によって確立され、一八七一年帝国刑法典の共犯規定、および異論はあるもののそれ以後の因果関係と共犯に関する学説の基本的前提とされた遡及禁止という考え方は、過失犯については判例により否定されるに至った。過失の関与者を原則的に過失正犯とする判例によって展開された見解は、一九三〇年代後半には学説でも基本的に受け入れられ、拡張的正犯概念や惹起犯の構想によって、その理論的な根拠付けが試みられた。しかしながら、それらの試みは重大な欠陥を孕んでおり、広く受け入れられることはなかった。もっともこれらの試みには、問題解決のための糸口が含まれていたと言える。それは、過失犯において正犯概念を統一的に理解すること、および過失犯の構成要件を故意犯とは区別して理解することである。
  そのためには、故意犯と過失犯は客観面で差異はないとする自然主義の犯罪体系を越えて、両者を客観面で区別する新たな犯罪体系の確立が必要となる。行為の客観的側面は結果に対する因果性に尽きるものではないという発想は、因果関係論の危機という問題意識の中から生まれ、後にロクシンによって現代的な客観的帰属論の祖として評価されるホーニッヒの客観的目的性の構想にすでに看取することができると言える。しかし、確固とした体系をもってこれに応えたのはヴェルツェルによる目的的行為論の構想である。先にも触れたが、次章では、この構想とその限界について見ていくことにする。

(1)  同条の規定は、「ある者が、ある非行者が非行を犯すにさいして、知りて、かつ故意に、この者に、何かの助力を与え、または援助を与え、または協力をなしたるときは、これらすべてがいかなる名称をもって呼ばるるやを問わず、彼は刑事罰をもって罰せられるべきも、前述のごとく、ある場合にはしからざる場合とは別様に罰せらるべし。(後段略)」というものである。なお、本稿はカロリナ刑事形法典の邦訳をすべて、塙浩・訳『フランス・ドイツ刑事法史』(塙浩著作集西洋法史研究〔一九九二年〕)に倣っている。
(2)  本来はこれらの規定について具体的な検討を要するが、それは共犯論固有のテーマであり、現代に至るまでの客観的帰属論の展開を総括するという本稿の課題を越えると言える。後日このテーマについて論じる機会があれば、取り組んでみたい。
(3)  なお本稿では、フォイエルバッハ以降の正犯、共犯概念の歴史的展開に関する総合的研究として、R. Hergt, Die Lehre von der Teilnahme am Verbrechen, Darstellung und Kritik der Theorien u¨ber die Teilnahme am Verbrechen von Feuerbach bis zur Gegenwart, Heidelberg, 1909(以下では、「Hergt, Teilnahme」という形で引用する)に、また一九世紀における遡及禁止論と教唆概念生成の概略について、J. Hruschka, Regreβverbot, Anstiftungsbegriff und die Konsequenzen, ZStW. 110 (1998) S. 581ff., insb. S. 595ff.(なお筆者は本論文を、立命館法学二六一号二一七頁以下において紹介している)に依拠している。
(4)  Hergt, Teinahme, S. 1. なお、Vgl. Birkmeyer, Teilnahme am Verbrechen, in Vergleichende Darstellung des deutschen und ausla¨ndischen Strafrechts, Allgemeiner Teil II, S. 22f.
(5)  Hergt, Teilnahme, S. 14.
(6)  Hergt, Teilnahme, S. 15.
(7)  Hergt, Teilnahme, S. 20.
(8)  Feuerbach, Lehrbuch des gemeinen in Deutschland gu¨ltigen peinlichen Rechts 14. Aufl., 1847, S. 80.
(9)  Feuerbach, a. a. O., S. 83.
(10)  Feuerbach, a. a. O., S. 80.
(11)  Hruschka, a. a. O., S. 595.
(12)  K. Birkmeyer, Die Lehre von der Teilnahme und Rechtsprechung des Deutschen Reichtsgerichts, 1890. (斉藤金作・翻訳『ビルクマイヤー共犯論』[一九三四年]。本稿では本書の原文を直接参照することが出来なかったので、本書については斉藤博士の翻訳に従うことにするが、引用の際、字体は現代のものに改めた。)においてビルクマイヤーは、「従犯者は犯罪結果の惹起に共同した諸条件のうち単に従たるものを供するに過ぎぬ、之に反して最有効な条件は正犯者或いは多数の共同正犯者が共同して之を置くこと」が、一八七一年の帝国刑法典が示す正犯と従犯(幇助犯)の間の関係であることを主張し、このことはフォイエルバッハの教科書の先に取り上げた部分でも述べられているところであると指摘する。Birkmeyer(斉藤訳)一四三、一四四頁参照。
(13)  もっとも、フォイエルバッハの定義からは、その行為がそれ自身だけで犯罪結果を惹起するか否かという、結果に対する必要条件としての性格により起因者(特に物理的起因者)と幇助者が区別されていることは読み取れる。すなわちここでは、幇助者は犯罪結果の発生に必要不可欠なことは行わず、あくまで従として起因者の犯罪に加担するにすぎないというのである。
(14)  C.C. Stu¨bel, U¨ber den Tatbestand der Verbrechen und die zu einem verdammenden Endurteile erforderliche Gewiβheit des ersten, besonders in Ru¨cksichit der To¨tung nach gemeinen in Deutsch geltenden und Chursa¨chsischen Rechten, Wittenberg, 1805, Nachdruck von Keip Verlag, 1997.
(15)  Hergt, Teilnahme, S. 2 ではステューベルの見解を客観説に分類している。
(16)  Hergt, Teilnahme, S. 6.
(17)  統一的正犯論の一例は、現行オーストリア刑法一二条に見ることができる。同条は、「直接正犯者だけではなく、他人にこれを決意させ、これを援助し、もしくはそれ以外の形でその実行に寄与するすべての者も可罰的行為を実行する」と規定している。もっともこの規定は通常、純粋な意味での統一的正犯概念ではなく、概念的には各関与者の関与形式の区別は可能であるが、法律の規定上関与者すべてを正犯として扱い、各関与者の関与形式の差異は量刑に反映されるといういわゆる機能的統一的正犯概念に基づいていると理解される。Vgl. J. Renzikowski, Restriktiver Ta¨terbegriff und fahrlassige Beteiligung, 1997, S. 299.
(18)  Hergt, Teilnahme, S. 6. ただし具体的にいかなる取り扱いが裁判官に委ねられているのか、必ずしも明らかではない。筆者はこれを、個別の関与形式を各関与者の有責性の程度の問題として量刑において考慮する見解であると見ている。そうであれば彼の見解は、後の時代の機能的統一的正犯概念に近いとも言える。もっとも彼が、一定の場合に幇助を認めていることには留意すべきである。
(19)  Hergt, Teilnahme, S. 11.
(20)  H. Luden, Abhandlungen aus dem gemein teutschen Strafrecht, Go¨ttingen, 1840, Nachdruck von Keip Verlag, 1997. 以下では「Abhandlangen II」という形で引用する。
(21)  Luden, Abhandlungen II, S. 349.
(22)  Luden, Abhandlungen II, S. 348f.
(23)  ここでは「借用する」と訳したが、この語本来の語義は「ある物を不法に占有する」ということである。
(24)  Luden, Abhandlungen II, S. 349. さらに、このような借用が認められるためには当然、共犯者が犯罪実行者の決意に関する認識と意思を有していることが前提であるとされる。
(25)  Hergt, Teilnahme, S. 12.
(26)  Luden, Abhandlungen II, S. 362. 彼はこのような立場をローマ法に見出している。
(27)  彼はこのような客観的な立場こそがゲルマン法の立場であるとしている。Vgl. Luden, Abhandlungen II, S. 364.
(28)  Luden, Abhandlungen II, S. 366.
(29)  もっともルーデンは行為者の犯罪決意借用の態様に応じて、共犯を相互的共犯(wechselseitige Teilnahme)と片面的共犯(einseitige Teilnahme)に分けることで、主たる関与者の範囲を拡張する。ここでの相互的共犯とは、犯罪の実行に際して複数の関与者が相互の了解の下に互いに相手の行動を計算に入れて行動する場合をいうが、この場合彼らは、まとめて主たる共犯者、すなわち起因者(共同起因者)として同等に可罰的であるとされる。Luden, Abhandlungen II, S. 372.
  また、犯罪決意の借用が片面的にしか認められない場合、例えば、Aが彼に知られずにその決意を借用するBと並存する場合、Aは主たる行為を自ら行うときにのみ主たる関与者であるとされる。それゆえ、主たる行為がAの知らないうちにBによって実行される場合には、Aは未遂の責任しか負わないのに対して、Aが単独で主たる行為を行う場合でも、Bが主たる行為の実行に入っているなら、BはAの決意を借用することを要件として、主たる共犯として処罰される。Luden, Abhandlungen II, S. 382.
(30)  Luden, Abhandlungen II, S. 370.
(31)  Luden, Abhandlungen II, SS. 333ff., 393f. Hergt, Teilnahme, S. 13.
(32)  Hergt, Teilnahme, S. 13.
(33)  H. Luden, Handbuch des teutschen und partikularen Strafrechts. Jena, 1842, Nachdruck von Keip Verlag, 1996. 以下では「Handbuch」という形で引用する。
(34)  Luden, Abhandlungen II, S. 354.
(35)  Luden, Handbuch, S. 462, Fn. 2. それゆえ彼は、以前の見解では今日言われる意味での教唆の未遂の可罰性を否定していた。教唆が未遂とされるのは、被教唆者により実行された行為が未遂に終わった場合、すなわち未遂の教唆の場合だけであるとされた。Vgl. Luden, Abhandlungen II, S. 354. ここでは彼は、実行従属性を厳格に維持していたのである。
(36)  Luden, Handbuch, S. 462, Fn. 2.
(37)  Vgl. Luden, Handbuch, S. 461, 462.
(38)  Luden, Handbuch, S. 462, Fn. 2. 具体的なことは分からないが、このようなルーデンの改説の背景には、教唆を独自の構成要件とする独立教唆規定の存在があるのではないかと思われる。
(39)  Luden, Handbuch, S. 463, Fn. 5.
(40)  Luden, Handbuch, S. 437.
(41)  Luden, Handbuch, S. 437. とはいってもルーデンは、カロリナ刑事刑法典一七七条による幇助減軽は認めるのであり、その根拠は幇助が直接には犯罪結果をもたらさないという客観的な立場に求めている。Vgl. Luden, Handbuch, S. 437.
(42)  Hergt, Teilnahme, S. 15. 彼は主観説、特に利益説は一九世紀ドイツの刑法の文献に独自の所有物であって、諸外国の文献にはこのような考え方は見出せないとしている。そしてその理由は、主観説がカロリナ刑事刑法典という最高度の独自性を有するドイツの法源に帰せられることにあるとしている。
(43)  Hergt, Teilnahme, S. 15.
(44)  Hergt, Teilnahme, S. 16.
(45)  Hergt, Teilnahme, S. 15. 本文でも触れたが、N.J. ギュンター(一七六〇年)、ヴェストファル(一七八五年)の二人は利益説を徹底させ、直接結果につながる行為を他人の利益において行う者(例えば金で雇われた殺し屋など)が起因者として処罰されないことを認めるとされる。
(46)  Hergt, Teilnahme, S. 19, 20.
(47)  C.C. Collmann, Lehre von Strafrecht, 1824, S. 123.
(48)  A. Bauer, Lehrbuch des Strafrechts 2. Aufl., 1833, S. 115. もっとも、これらの定式によって意思説の内容が明確に表現されているとは必ずしも言えないとヘアクトは言う。「起因者とは自ら犯罪を意図し、その行動を犯罪の発生へと向ける者」であると定義する場合、起因者とは、単に犯罪結果が惹起されるという意図を持つだけでよいのか、それとも犯罪を自らの手でもって既遂にする意思までも要するのか明らかでないからである。なお、アントン=バウアーはこの問題について前者を正当と解しているとされる。Hergt, Teilnahme, S. 20. Vgl. A. Bauer, Abhandlungen aus dem Strafrechte und dem Strafprozesse Bb. I, 1840, S. 455.
(49)  もっともこのような古いタイプの主観説は、正犯と共犯はそれぞれ独自のものとして存立し、両者はただ故意の点でのみ異なるにすぎないという意味では、後の拡張的正犯概念の発想に近いものがあると言える。この説のように各関与者がそれぞれ独自の犯罪を実現することを前提にするなら、例えば身分犯においては各関与者がそれぞれで、当該犯罪における身分を有していることが、その可罰性の前提となる。これに対してブーリのように等価説を前提とする主観説では、各関与者は、すべて単一の犯罪結果についての条件として原因を与えているので、実現された最も重い形式の犯罪について責任を負うことになる。すなわちこの説では、非身分者といえども身分犯に関与した限りはその身分犯の正犯ないしは共犯とされるのである。したがってこの点では、両者の見解には基本的な発想の違いがある。佐伯千仭
「共犯と身分」法学論叢三三巻二号二三一頁、『共犯理論の源流』(昭和六二年)一二四頁、一二五頁参照。
(50)  Hergt, Teilnahme, S. 20.
(51)  C.R. Ko¨stlin, Neue Revision der Grundbegriffe des Criminalrechts. Tu¨bingen, 1845, Nachdruck von Keip Verlag, 1997. S. 447.
(52)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 448.
(53)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 449.
(54)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 464f.
(55)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 465.
(56)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 479. もっとも後の刑事立法のように、犯罪庇護を独立の各則構成要件とする根拠はまさにここにあるとも言えるので、その限りでは彼のこの批判は必ずしも的を得たものとは言えないであろう。
(57)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 509, 514.
(58)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 514.
(59)  Ko¨stlin, a. a. O., S. 510.
(60)  A.F. Berner, Die Lehre von der Theilnahme am Verbrechen und die neueren Controversen u¨ber Dolus und Culpa, Berlin, 1847, Nachdruck von Keip Verlag 1996.
(61)  Berner, a. a. O., S. 170.
(62)  それゆえ彼は、自己の行為によって犯罪結果を直接引き起こした者が直接的起因者であると規定するプロイセン刑法草案六三条について、この規定では、起因者を特徴付ける主要なメルクマールである行為者の犯罪意図が欠如しており、特に犯罪結果を欠く未遂犯においては専ら行為者の犯罪意図の有無だけが問題となるので適切ではないと批判する。Berner, a. a. O., S. 172.
(63)  彼はこの点で、犯罪を自己のものとして実現するのか、自己の行為を他人の目的実現のための単なる手段とするのかを、起因者と幇助者の区別基準とするケストリンの見解を批判している。Vgl. Berner, a. a. O., S. 170.
(64)  Berner, a. a. O., S. 207.
(65)  Berner, a. a. O., S. 208.
(66)  Berner, a. a. O., S. 208f.
(67)  Berner, a. a. O., S. 210. しかしながら、ベルナーはここでは嬰児殺を援助しているという幇助の従属的性格も考慮して、刑は普通殺と嬰児殺の中間のものとすべきであるとしている。もっとも、その根拠については必ずしも明らかではない。
(68)  Mittermaier, Neues Archiv des Criminalrechts, 3. Bd., 1820, S. 125. 同所で彼は物理的起因者を「正犯」と呼び、心理的起因者を含めた犯罪の間接原因者を「共犯」と呼ぶように提案しているが、「教唆」という名称はここでは用いられていない。
(69)  Hruschka, a. a. O., S. 595f. 拙稿・立命館法学二六一号二三二頁以下も参照。
(70)  Feuerbach, a. a. O., S. 80f. Note I. von Mittermaier. ルシュカによると一八四〇年の十三版ではこのような表現は見られなかったということである。Vgl. Hruschka, a. a. O., S. 596.
(71)  Ha¨lschner, System des Preuβischen Strafrechtes I, 1858, S. 345. Hruschka, a. a. O., S. 596.
(72)  Hruschka, a. a. O., S. 597.
(73)  ただし構成的身分の連帯作用については帝国刑法典には規定されず、五〇条で一身的事情の個別化が規定されるにとどまった。
(74)  Franz von Liszt, Lehrbuch des deutschen Strafrechts 8. Aufl., 1897, S. 116.
(75)  Liszt, a. a. O., S. 116f.
(76)  Liszt, a. a. O., S. 117f.
(77)  Liszt, a. a. O., S. 120f.
(78)  Liszt, a. a. O., S. 121f.
(79)  Liszt, a. a. O., S. 122f.
(80)  Liszt, a. a. O., S. 122f.
(81)  本章の冒頭で述べたように、条件説が主として判例の見解として定着していったのに対して、学説では当初、客観的帰属の理論として原因説が有力に主張された。そこでの主たる論点とは、例えば、Birkmeyer(斉藤訳)一三頁以下に見られるように、条件説からの帰結である主観的共犯論と、原因説からの帰結である客観的共犯論による、正犯と共犯の区別基準としての両者の是非をめぐる問題であった。Birkmeyer(斉藤訳)二五頁以下でビルクマイヤーは、一八七一年の帝国刑法典の共犯規定が前提とする犯罪への関与者の諸類型の区別が、主観説では不可能であることを理由に客観説の立場から主観説を退けている。
  確かに、このように、条件説と原因説の論争は、実際にはそこから帰結される共犯理論の論争を主戦場としていたので、新帝国刑法典の共犯規定の単なる解釈問題にすぎず、結果の帰属理論の問題ではないとも言えるかもしれない。しかし、原因説が結果の単なる条件に過ぎない行為は正犯とすることはできないと主張し、逆に条件説が客観的側面としてはこれを認めるという意味では、両者は正犯としての客観的な結果の帰属をめぐる争いであると評価し得るであろう。すなわち、この論争も客観的帰属に関するものと言えるのである。
(82)  最近では、小林憲太郎「因果関係と客観的帰属(一)」千葉大学法学論集一四巻三号(二〇〇〇年)八頁以下で条件説の責任による問題処理に対する批判が展開されている。ここでは小林氏は、いわゆる因果関係不要説も、それが条件説を前提に責任で限定を行うという理由で、批判の対象とされている。
  もっとも小野清一郎博士が指摘されたように、因果関係不要説が言うところの「責任」とは、Schuld を意味するのか、Haftung を意味するのか、について必ずしも一致が見られるわけではない。小野清一郎『犯罪構成要件の理論』(一九五三年)七六頁参照。もし、後者の意味であるとするなら、「責任」による限定といえども、故意、過失にとどまらず行為と結果の間の客観的なつながりにおける帰責の限定を意味することになる。実際、小野博士は、そのような論者として、相当性思想を採用し、「重要性説」をとるメツガーを挙げておられる。
(83)  中山研一「因果関係」刑法講座2巻(昭和三十八年)七〇頁、七七頁参照。
(84)  Liszt, a. a. O., S. 123.
(85)  R. Frank, Das Strafgesetzbuch fu¨r das deutsche Reich 18. Aufl., 1931, S. 103.
(86)  Frank, a. a. O., S. 14.
(87)  Frank, a. a. O., S. 104.
(88)  Frank, a. a. O., S. 14.
(89)  Frank, a. a. O., S. 12.
(90)  W. Sauer, Grundlage des Strafrechts, 1921, S. 472.
(91)  Liszt, a. a. O., S. 123.
(92)  Renzikowski, a. a. O., S. 160.
(93)  E. Wuttig, Fahrla¨ssige Teilnahme am Verbrechen (Strafrechtliche Abhandlungen Heft 40), S. 119. 同所では具体的に判例を挙げてこれを批判しているわけではないが、彼は自らの見解と実際上の結論が通説・判例とは異なるものであることは認めている。なお、彼は介在者の行為がそれ自身過失正犯行為であると言えない場合、各関与者の過失による共同正犯の成立可能性を肯定する。Vgl. Wuttig, a. a. O., S. 120.
(94)  Frank, a. a. O., S. 14. もっとも、フランクが遡及禁止を故意の正犯行為に限定する実定法上の根拠はここでは必ずしも明らかでない。
(95)  このような問題が特に故意の正犯行為に対する過失の関与について特に顕在化した背景には、狭義の共犯の成立にとって必要な正犯行為を故意行為に限定するという「故意への従属」という考え方があるように思われる。故意への従属を否定し、過失の正犯行為に対しても狭義の共犯を認めるならば、先に述べたように過失犯に対する過失の関与を過失正犯とする場合にも同様の問題が生じるからである。
(96)  F. Exner, Fahrla¨ssige Zusammenwirken, in Festgabe fu¨r Reinhard von Frank, 1930, S. 570ff.
(97)  Exner, a. a. O. S., 591ff.
(98)  Exner, a. a. O. S., 593.
(99)  後の時代でも例えば、Roxin, Bemerkungen zum Regreβverbot, in Festschrift fu¨r Herbert Tro¨ndle, 1989, S. 177ff. でロクシンは、Aの「屋根裏部屋火災事件」を除いて、その結論を支持する。ただし、Bの「嬰児殺事件」は取り上げられていない。
(100)  シュミットは拡張的正犯概念の構想を間接正犯の根拠付けのために展開したと一般に評価されている。そのためここでは立ち入った検討は割愛する。
(101)  K. Engisch, Die Kausalita¨t als strafrechtlichen Tatbesta¨nde, 1930.
(102)  Engisch, a. a. O., S. 74ff.
(103)  Engisch, a. a. O., S. 74f.
(104)  Engisch, a. a. O., S. 61ff.
(105)  Engisch, a. a. O., S. 80.
(106)  Engisch, a. a. O., S. 81.
(107)  Engisch, a. a. O., S. 81.
(108)  Engisch, a. a. O., S. 82. フランクの遡及禁止概念については、vgl. Frank , a. a. O., S. 14.
(109)  Engisch, a. a. O., S. 82. しかしエンギッシュは、遡及禁止論は、故意犯に対する故意以外の関与者は、仮に有責な正犯者が介在するとしても正犯とされるという拡張的な正犯概念も主張可能であるとして、現行法規定を根拠とする遡及禁止論が必ずしも限縮的な正犯概念結びつくものではないことを指摘する。
(110)  Engisch, a. a. O., S. 83. この見解は、特にベーリンクによって顕著に主張されていると言う。
(111)  Engisch, a. a. O., S. 83.
(112)  Engisch, a. a. O., S. 85. 前述の、A「屋根裏火災事件」、B「嬰児殺事件」、C「愛人毒殺事件」である。エンギッシュはこれらの判例の解決の説明がつかないため、限縮的な正犯概念を維持することはできないと考えていると言えよう。
(113)  Engisch, a. a. O., S. 86.
(114)  Engisch, a. a. O., S. 86. E・シュミットは、因果概念の規範的考察を標榜する当時の有力な見解に反して、刑法における因果関係は、構成要件、違法、有責という刑法上の評価の対象となる事実的基礎として、自然的に考察されなければならないという前提から出発する。正犯と共犯の結果に対する因果性は、自然的に考察する場合には差異を積極的に見出すことはできず、等価である。それゆえ、評価の対象と対象に対する評価を峻別する正しい自然的な考察を前提にすれば、因果の側面で両者を区別することはナンセンスで、共に原則として正犯とされることになるとされる。Vgl. E. Schmidt, Die mittelbare Ta¨terschaft, in Festgabe fu¨r Reinhard von Frank, 1930, S. 106ff.サ
  このように、シュミットは等価説を前提にして拡張的正犯概念を説明するが、因果関係論において相当因果関係説を支持するエンギッシュは、このような等価説に対しては、批判的な立場をとっている。
(115)  E. Mezger, Strafrecht, 1931, S. 116f.
(116)  Mezger, a. a. O., S. 117.
(117)  Mezger, a. a. O., S. 117.
(118)  Vgl. Mezger, a. a. O., S. 121.
(119)  Mezger, a. a. O., S. 124.
(120)  Mezger, a. a. O., S. 124.
(121)  Mezger, a. a. O., S. 125.
(111)  Mezger, a. a. O., S. 126f.
(123)  例えば、どこにでも生えているような毒イチゴを森で栽培する者は、イチゴ狩りをしていた子供がそれを食べて死んだ場合でも、そのような行為の客観的違法性が欠如するので、過失致死の罪責を負うことはないとする。Vgl. Mezger, a. a. O., S. 126f.
(124)  例えば、雷雨事例のような場合には、雷雨の日に散歩に出かけることを勧めた者は、たとえ相手が落雷で死ぬと思っていたとしてもそれは願望にすぎず、故意に必要な結果の意欲は見られないとして、故意を否定する。Vgl. Mezger, a. a. O., S. 127.
(125)  Mezger, a. a. O., S. 415f. 正犯概念をこのように犯罪類型によって変えなければならないところに彼の構想の弱みがあると言える。もっとも、これは拡張的正犯概念のみならず、次で述べる惹起犯の構想にも言えることである。
(126)  L. Zimmerl, Grundsa¨tzliches zur Teilnahmelehre, ZStW. 49 (1929), S. 41. 佐伯千仭「二つの正犯概念」法学論叢三十二巻四号四四頁、『共犯理論の源流』八九頁も参照。佐伯博士は、拡張的正犯概念に対する批判としてこれ以外に、拡張的正犯概念により過失の幇助が正犯として処罰されるのは減軽規定を有する故意の幇助と刑の不均衡を生じさせること(これは過失の幇助だけでなく、違警罪や不作為による幇助にもあてはまる)、処罰の点でも同一である教唆に関する規定が不要となること、「実行行為」の定義にあたって限縮的正犯概念に基づいて作り上げられた概念をそのまま用いていること、を挙げている。
(127)  Renzikowski, a. a. O., S. 15.
(128)  Renzikowski, a. a. O., S. 14.
(129)  Zimmerl, Von Sinne der Teilnahmeschriften, ZStW. 51 (1931), S. 170.
(130)  この時代にこのような惹起犯の考え方を主張した者としては、Gru¨nhut, JW. 1932 S. 367;H. Schro¨der, ZStW. 57 (1937), S. 463, 474;H. Bruns, Kritik der Lehre vom Tatbestand, 1931, S. 68f. が挙げられる。
(131)  Zimmerl, a. a. O., S. 169.
(132)  Renzikowski, a. a. O., S. 173.
(133)  Renzikowski, a. a. O., S. 173f.
(134)  Renzikowski, a. a. O., S. 174.
(135)  R. Honig, Kausalita¨t und objektive Zurechnung, in Festgabe fu¨r Reinhard von Frank, 1930, S. 174ff.
(136)  Honig, a. a. O., S. 174.
(137)  Liszt−Schmidt, Lehrbuch des deutschen Strafrechts, 25. Aufl., 1927, S. 160.
(138)  Sauer, a. a. O., S. 443.
(139)  Honig, a. a.O., S. 174.
(140)  Honig, a. a. O., S. 175. ホーニッヒは同頁の脚注で、居眠り運転によって子供を次々とはねたという事案については、RGの判例もそれ以外のいかなる頑固な条件説の主張者も、自然的な意味で結果の原因となった車が子供をはねたことではなく、運転者の居眠りに負責の根拠を認めるであろうとして、自然主義的な条件説の論者は、必ずしも自然的な意味で因果関係にある態度に負責の根拠を見出しているわけではなく、自らの態度を一貫させていないと批判する。Vgl. RGSt. 60 , 29.
(141)  Honig, a. a. O., S. 175. この点では、ホーニッヒは相当因果関係説に好意的であるが、予見可能性ないし予測可能性に基づく相当説の判断方法は、様々な立場を許すため、方法論としては妥当でないとして退ける。これについては後述する。
(142)  Honig, a. a. O., S. 176.
(143)  Honig, a. a. O., S. 177.
(144)  Vgl. L. Traeger, Der Kausalbegriff im Straf−und Zivilrecht, 1904, S. 38ff.
(145)  Honig, a. a. O., S. 178.
(146)  もっとも、ホーニッヒは原因説を正犯と共犯の区別基準としては論じていない。
(147)  ここでは、個別化的な原因説は、原因概念が科学的に基礎付けられておらず、感覚的直感と援用される前提から直接に結論を導き出す誤りを犯していると指摘している。
(148)  Honig, a. a. O., S. 178.
(149)  客観的帰属という概念は、一九世紀のドイツ刑法学において主観的帰属の対義語として用いられてきたものである。ホーニッヒのこの論文の少し前に、ラレンツが「ヘーゲルの帰属論と客観的帰属の概念」という論文の中で、客観的帰属の概念について、哲学的な考察を試みている。しかし、ラレンツが、ヘーゲル哲学の自由や人格及びその無条件性の概念を客観的帰属論の基礎として、その目的論的性格を説明するのに対して、ホーニッヒは「客観的帰属の概念を、あらゆる哲学的態度とは無関係に、一般法学の一般的に承認された諸原則から演繹」することを試みる。これにより、「相当惹起の理論が因果理論では解決できず、帰属理論でのみ解決できる問題を取り扱っているというラレンツと同様の認識に至る」ことができ、このような「独自の、因果判断とは全く無関係な帰属判断」が因果判断につけ加わることが必然となる。そして、この必然性を認識することで、結果の客観的な帰属可能性について決定する原理も明らかにすることができると、彼は主張する。
(150)  Honig, a. a. O., S. 179. コリアートは、ホーニッヒは、価値論的なものとされていた帰属判断をその論証の過程で、(事実的な)意思に結びつく帰属判断に転換させてしまっていると指摘する。「(結果に対して)答責的であるか」という価値論的な帰属判断は、その行為が意思をもってなされたかという事実に関する判断とは、アプリオリには結びつかないはずのに、それがいかにして転換されているのかをホーニッヒは説明していないというのである。換言すれば、法秩序が何故意思的な帰属を行うとしたのが論証されていないというのである。H. Koriath, Grundlagen strafrechtlicher Zarechnung, 1994, S. 528.
(151)  Honig, a. a. O., S. 182.
(152)  Honig, a. a. O., S. 183.
(153)  Larenz, a. a. O., S. 67.
(154)  Honig, a. a. O., S. 184.
(155)  Honig, a. a. O., S. 185.
(156)  Honig, a. a. O., S. 187.
(157)  Traeger, a. a. O., S. 8.
(158)  Honig, a. a. O., S. 186.
(159)  Honig, a. a. O., S. 186.
(160)  Honig, a. a. O., S. 186.
(161)  Honig, a. a. O., S. 187.
(162)  コリアートは、過失犯においては、意思という帰属基準は自明のものでも通常あるものでもないと指摘する。もっともこれは、意思という帰属基準は、意思が人間の原初的な特性に基づくという自明性に基づいたホーニッヒの帰属原理の根拠付けに対する批判としてである。Vgl. Koriath, a. a. O., S. 529.
(163)  Vgl. Honig, a. a. O., S. 188.