立命館法学  一九九九年六号(二六八号)


ゲリマンダリングと合衆国の投票権法制(上)
 - 代表を選出する機会の平等 -

倉 田  玲





一  は じ め に
  1  ゲリマンダリング
  2  合衆国の投票権法制
二  一九六五年投票権法
  1  合衆国市民の投票権
  2  一九六五年法の成立
  3  適用法域指定方式
三  投票力の希釈
  1  希釈の定義
  2  効果テスト
  3  意図テスト            (以上本号)
四  一九八二年投票権法修正法
  1  一九八二年修正法の成立
  2  結果テスト
  3  マイノリティ多数選挙区

五  お わ り に
すべての選挙区割りはゲリマンダリングである(ディクスン(1))

一  は  じ  め  に


  1  ゲリマンダリング
  国の公職選挙は、国政代表を選出する過程である。日本国憲法典の第四三条第一項は、国会の両議院が「全国民を代表する選挙された議員」(公定英訳では”elected members, representative of all the people)で組織されるべきことを規定しているから、日本の国政代表は、一方で選挙されていなければならず、他方で全国民を代表していなければならない。選挙について、憲法典は、国会の「両議院の議員の定数」(第四三条第二項)、「両議院の議員及びその選挙人の資格」(第四四条)、「選挙区、投票の方法」など(第四七条)を法律で定めるべき立法事項であるとする。したがって、立法機関の構成員は、原則として立法機関が作成した制度のなかで選ばれる。
  憲法典の授権に基づく法律として、公職選挙法(昭和二五年法律第一〇〇号)がある。これまで同法には幾度も修正が加えられてきたが、なかでも一九九四年に「政治改革立法」の内容としておこなわれた改正(平成六年法律第二号、第一〇号)では、本来的に多数代表法をとる小選挙区制と大選挙区制を前提とする比例代表法を「並立」する制度が衆議院議員選挙に導入された(2)。その後、総定数五〇〇のうち三〇〇名の衆議院議員を選出する小選挙区部分について、区割法と呼ばれる一部改正法(平成六年法律第一〇四号)に基づく選挙区編成がなされ(3)、一九九六年一〇月二〇日には改正後はじめての総選挙がおこなわれた(4)。このような経緯に対しては、すでに憲法学界の一部からも厳しい批判が寄せられている(5)。また、小選挙区制については、現行憲法のもとで復活する以前から(6)、多数代表法の本来的な帰結として必然的に大量の死票が生じることなど、さまざまな問題点が指摘されてきている(7)
  憲法規範に依拠した代表法の評価は、これまでのところ、主として「全国民を代表する」ということの意味にかかわる問題とされてきた(8)。第四三条第一項には、近代憲法史のなかで身分制議会が消失して純粋代表が生まれ、やがて普通選挙が確立したという歴史的な展開を投影して、代表者が個別利害から独立して「自由」に行動するという要素(禁止的規範意味)と国民意思を反映することで代表者が「拘束」されるという要素(積極的規範意味)とがともに含まれるとされる(9)。これら二つの要素は、いかに代表すべきかという場面だけでなく、どのような代表として選出されるべきか、どのような選挙制度によって政局の安定や民意の反映が望まれるか、という点でも併存する(10)。禁止的規範意味においては、国民という集合が全体として捉えられ、部分集合である諸種の集団を基礎とした命令委任が忌避されるとともに部分代表が否定されるのに対して、積極的規範意味では、個々の選挙人と代表とを媒介する集団の存在が肯定的に認識され、この媒介の過程で生じる誤差が問題とされる。この点で、命令委任の禁止を本旨としつつ双方の意味を調和させる試みとして、「社会学的代表」や「半代表」という観念が利用されてきた(11)
  多数代表法に対する批判的な見解は、総じて積極的規範意味の側を強調する。たとえば、渡辺良二は、「議員の独立性を議会制度自体の本質的性格とする必要は全くない。議員の独立性を否定したからといって、議会の国民代表としての性格が失われることはない」とする立場から、「近代的な代表観では、多数代表制・小選挙区制が、現代的な代表観では比例代表制が対応する」とし、「両者を歴史的な関係でとらえることで、小選挙区制はすでに歴史的使命をおえた制度と評価することが可能となろう」と述べる(12)。また、和田進は、「現代国民代表原理の下では、議員は自らの政策・見解を支持する人々の代表であり、『国民』内部のさまざまな見解を代表する議員が集合することにより、議会は全国民を代表する」という観点から、「確かに国民代表原理は一義的には特定の選挙区制を導きだすものではないが、国民意思の議会構成への反映を破壊するような選挙区制を排除するという役割を果たす」と主張する(13)
  多様な民意の反映が現代において確立した規範的な要請であるならば、それが歪められる危険こそ排除されなければならない。個々の選挙人と代表とを媒介する集団としては、党派を念頭におくのが通常であろう。しかしながら、選挙区もまた選挙法制によって人為的に画定される選挙人集団の単位である。この人為的な画定の意図が恣意であると認められるような場合には、地理的区分であることの中立性が没却され、ゲリマンダリングの問題が生じよう(14)。ゲリマンダリングは、特定の集団を想定して選挙区画を歪曲する手法として知られているが、選挙権の行使に対する現実的な効果をみれば、死票を系統的にコントロールするテクニックである(15)。つまり、地理的な選挙区割りがおこなわれることを前提として、投票の効果と選挙の結果に構造的な影響を及ぼすものであり、これによって死票を割り当てられた選挙人からは、代表を選出する機会が実質的に失われる。つまり、このような選挙人は、死票を投ずる権利のみを現実に享有することになる。
  この問題は、選挙区の形状が奇異で、これと特定可能な集団との重なり具合が異常である場合に顕在化するが、そうでない場合にも当然ながら重なり具合そのものは、選挙区編成という人為的な作業によって決まる(16)。したがって、ゲリマンダリングは、選挙区の編成権者が中立かつ無謬でないかぎり、つねに民意を歪曲する危険として地理的な選挙区割りに潜在している(17)。小林直樹は、「ゲリマンダーの誘惑は、いつでも選挙区制にともなう自然の病弊だといってもよい」という視座のもと、かつて高柳賢三が憲法調査会で提案した「選挙民権案」を紹介している。これは、国民投票によって選出され、裁判官と同程度の身分保障を受ける委員からなる選挙委員会を設立し、これに選挙の管理だけでなく、選挙関連の立法までも独立してなさしめようとする提唱である。「この案には、立法権や議会制を否定するものだという、強い反対論があり、おそらくその実現は至難と思われるが、選挙の公正化には根本的な検討を要する問題が少なくないから、このような徹底した考案の提唱は、少なからぬ意義を有する」と小林は評価している(18)。もっぱら顕在的なゲリマンダリングのみを問題にして、これを選挙区編成の突発的な病理と考えるのであれば、選挙区割りを審議会に委ねる現行の方式で、ある程度まで防止できるかもしれない。しかしながら、つねに潜在的なゲリマンダリングがあることを考慮に入れるならば、恣意的な操作の対象が生み出される過程に注意が向けられる必要がある(19)。つまり、党派的な選挙制度の選択によって死票が大量に発生する危険性が、それ自体として「根本的な検討を要する問題」になる。ゲリマンダリングは、日本でもなじみがないわけではなく、過去には小選挙区制を導入しようとする政府の提案を背景として、「ハトマンダー」や「カクマンダー」という周知の批判的な造語が生まれた。
  さらに、潜在的な危険を考慮に含めて、ゲリマンダリングを意識するならば、多数代表法の是非は平等選挙の原則からも検討されうる課題である(20)。平等選挙に関しては、公職選挙法第三六条が「一人一票」という原則を定めていることから、現代的には各選挙人の票の相対的な比重が問題とされている(21)。一九七六年四月一四日の最高裁判所大法廷判決(民集三〇巻三号二二三頁)で衆議院の議員定数不均衡が違憲とされた際には、「公務員の選定」を「国民固有の権利」と唱う第一五条第一項、「成年者による普通選挙を保障する」同条第三項、国会議員選挙の選挙権と被選挙権について「人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育又は収入によつて差別してはならない」と定める第四四条但し書きが、「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」という差別禁止事由を列挙しながら法の下の平等を規定した第一四条第一項とともに「通覧」され、そこから「選挙権の内容、すなわち各選挙人の投票の価値の平等」が導き出された(二四三頁(22))。
  最高裁は、憲法典の文言にある差別の禁止にはとどまらないものとして、この「投票の価値の平等」という概念を用意し、普通選挙だけでなく平等選挙もまた憲法の要求するところであるとした。この判決で違憲とされた議員定数不均衡、つまり議員一人あたりの選挙人数に選挙区間で格差が生じているという数量的な問題については、これが排除されるべきこと自体に大きな異論はなく、学説においても論議の焦点は、どの程度の人口格差(人口要素と非人口要素の調整)が、どのような類型の訴訟において、どの時点(合理的是正期間の問題)で違憲となるのか、違憲の場合はどのような方法(事情判決の法理の是非)で排除するのか、といった点に絞られているようである。
  これに対して、投票時ではなく集計時の実質的な票の比重にかかわる「議席までの選挙権平等」は(23)、選挙人の選好を考慮に入れた質的な問題であるが、これについては、数量的な問題とは異なり、司法審査適合性が認められにくい傾向にある。たとえば、樋口陽一は、一九七六年判決が「各投票が選挙の結果に及ぼす影響力においても平等であること」(二四二頁)という表現を用いたことに注意を喚起し、これでは「比例代表制の是非という区制の問題が含まれる可能性がある」ことから、憲法論上の平等概念を拡張して、その本来の役割を相対化することのないよう、「選挙の結果に影響を及ぼす可能性の平等」(傍線原文)というように狭く限定した方が妥当であろうとする(24)。このように限定された表現の含意は、死票が大量に生じる可能性とそれが不均衡かつ恣意的に割り当てられる危険性との結びつきを偶然的とみるか、蓋然的もしくは必然的とみるかによっても、異なったものとなろう(25)。もとより、選挙結果の解釈は、投票行動の複雑多様な動機を総合的に扱うべき「多変量解析」である(26)。したがって、選挙結果そのものは、不平等を測る実効的な指標にはなりにくい。しかし、制度必然的に大量の死票を生む多数代表法は、潜在的にせよ民意の反映の過程を歪め、代表を選出する機会についての実効的な平等を阻害する要因の一つであり、その十分条件とまではいえなくとも、必要条件であることは疑いない。ほかの条件のあり方によっては、十分に差別的であろう。
  2  合衆国の投票権法制
  ゲリマンダリングの母国であり、これを選挙過程における平等の問題として扱ってきたアメリカ合衆国の経験は、代表の選出における平等を再考するにあたって問題提起と示唆に富む(27)。アメリカでは、一九九〇年代になって人種的ゲリマンダリングと呼ばれる問題が熾烈化し、これを違憲とする合衆国最高裁判所の判決が続々とみられる(28)。このような事態は、選挙過程における人種差別の廃絶を目的とした一九六五年投票権法(Voting Rights Act of 1965(29))が、一九八二年投票権法修正法(Voting Rights Act Amendments of 1982)による改正を受けて(30)、アフリカ系アメリカ市民などマイノリティ集団の構成員に代表を選出する機会の平等をより実効的にもたらそうとした結果、同法のもとでの選挙区再編成においてマイノリティが多数となる小選挙区が創設されたことから生じている(31)。人種を意識した(color−conscious)立法によって創り出された選挙区が、最近になって、合衆国憲法典第一四修正第一節の平等保護条項に基づく人種を意識しない(color−blind)憲法判断によって排除されてきているのである。いわば選挙過程における機会の平等の意味を変革してきた壮大な実験としての投票権法制(the voting rights law)が、いまや覆されつつあるといえる。しかし、それでは覆されようとしているものの本質は何か。代表を選出する機会の平等は、いまや閉塞状況に立ち至っているが、これはそもそもいかにして構想された概念であったのか。
  今世紀後半の合衆国の投票権法制は、かつて井出嘉憲が指摘したように、「平等の代表をめぐる原理と実際とのギャップ」にかかわる「二つの『公民権』問題」として、マイノリティの投票権に対する実効的な保護と議員定数不均衡の是正に取り組んできた(32)。このうちの前者については、久保田きぬ子が紹介したように、ゲリマンダリングも含めた一連の差別が是正された(33)。そして、その延長線上で、マイノリティの実効的な代表選出が選挙過程における平等保護の関心事となった(34)。こうした展開の方向性については、奥平康弘が、議員定数不均衡問題をめぐる「アメリカの経験」を参酌するなかで、厳格な数量的均衡を標準におく一人一票原則が定着しようとしつつあるときから、すでに表明されていた「ある種の慎重論」として、「国政代表の選定ということがらについては、個人の頭数の算え方だけを問題にすることが、憲法の要求することなのであろうか。そうではなくて、このことがらには考慮に値する別の価値(個人利益の単純な集積ということによってはかならずしもきまらない価値、たとえば、コミュニティの価値、少数集団その他の集団的な価値)があるのであって、憲法はこうした価値をもカウントに入れることを認めているのではなかろうか、といった議論」を紹介し、「最近のアメリカ憲法学界の一部」にみられる「ある種の反省」として、「個人主義、自由主義を前提として、細胞的に捉えられた個人の利益の確保だけを目的として権利・自由を考え、処理してきたことへの反省をする傾向」を指摘している(35)。ところが、すでに述べたように、現段階では、こうした反省の傾向が選挙区再編成に顕著な影響を及ぼし、潜在的なゲリマンダリングを防止する施策が顕在的なゲリマンダリングをもたらしていることから、さらに逆方向の反省がなされているようにもみえる。そして、このような現状を見据えて、代表や平等の意味、そこにおける司法の役割を分析する試みは、すでに日本の研究者によってもなされてきている(36)
  たしかに、現在のアメリカでは、代表を選出する機会の平等という概念を法制度に定着させようと試みながら、逆説的な現状をもたらしてしまった投票権法制の限界がさまざまに分析されているようである(37)。しかしながら、もっぱら党派的な妥協によって選挙制度が形成されてきた日本の現状からすれば、そもそもゲリマンダリングの潜在的な危険性を敏感に捉え、代表の選出にかかわる機会の平等が複層的に構想されたことにも、参酌されるべき素材がみいだされよう。こうした視座のもと、本稿では、近年のアメリカにおける判例や学説の動向よりも、むしろ見直されようとしている投票権法の成立と展開に重点をおき、ゲリマンダリングがアメリカでどのように意識されてきたのかについて若干の考察をおこなう。

(1)  Robert G. Dixon, Jr., DEMOCRATIC REPRESENTATION:REAPPORTIONMENT IN  LAW AND POLITICS, N.Y.:O.U.P. (1968), at 462.
(2)  「政治改革立法」については、吉田善明『政治改革の憲法問題』(岩波書店、一九九四年)、同「政治改革立法と憲法」『ジュリスト』一〇四五号一〇頁(一九九四年)を参照。それに含まれた公職選挙法の改正の内容については、安田充「公職選挙法の一部改正等について」『ジュリスト』一〇四五号三五頁(一九九四年)を参照。
(3)  安田充「公職選挙法の改正について」『ジュリスト』一〇六三号四五頁(一九九五年)参照。
(4)  小選挙区比例代表並立制については、一九九九年一一月一〇日の最高裁判所大法廷判決(判例集未登載)で合憲判断が示された。ただし、この判決で合憲とされたのは、選挙区間の人口格差(最大二・三倍)、重複立候補制度、政党による小選挙区での選挙運動の三点である。
(5)  たとえば、小林武「新選挙制度の映し出したもの−「小選挙区本位制」下、九六年総選挙の検証−」『法律時報』六九巻一号二頁(一九九六年)は、現行制度を「修正型の小選挙区制というべきもの」(二頁)であると性格づけ、政党別の得票率と議席獲得率がかけ離れていること、膨大な死票が生じたことにかんがみれば、民意が歪曲され、「選挙において平等に処遇されるべき国民の権利の侵害がここに惹起されている」(三頁)として、「制度自体についてその適用違憲を主張しうる余地があるのではないか」(五頁)と述べる。また、いわゆる重複立候補制度、これによる復活当選についても、国民の支持が得られていないと指摘されている(五頁)。ほかに、野中俊彦「小選挙区・比例代表並立選挙の問題点」『ジュリスト』一一〇五号一五頁(一九九七年)を参照。
(6)  大日本帝国憲法のもとでの第一回衆議院議員総選挙(一八九〇年)以降、一九世紀中は原則的に小選挙区制が用いられた。大正時代の後半にも、衆議院議員選挙について、一時的に小選挙区制が復活していた。日本の選挙制度および選挙区編成の変遷に関する公的な史料として、衆議院・参議院(編)『議会制度七十年史(資料編)』(大蔵省印刷局、一九六二年)がある。また、杣正夫『日本選挙制度史』(九州大学出版会、一九八六年)も参照。
(7)  反対の見方として、松井茂記『日本国憲法』(有斐閣、一九九九年)は、「個々の候補者について再選拒否ができないような比例代表制や大選挙区制は、15条1項の趣旨に沿わないように思われる」(一四四頁)と述べている。
(8)  たとえば、只野雅人「選挙制度と憲法−「学問への招待」にかえて−」『一橋論叢』一一九巻四号四四六頁(一九九八年)四五五頁以下によると、選挙区制や代表法の問題は、議員定数不均衡の場合とは異なり、平等論の限界を超え、代表民主制の本質にかかわるとされる。
(9)  高見勝利「代表」樋口陽一(編)『講座・憲法学  第五巻  権力の分立(1)』(日本評論社、一九九四年)所収がまとめるところによると、「代表民主制」における「国民代表」の位相は、ホッブズ流の絶対的「代表」原理とルソー流の治者と被治者の「自同」原理の中間にある(五八頁以下)。そして、代表する者とされる者の関係については、代表者の「自由」を強調する通説的見解と代表者に対する「拘束」を重視する説が対立しており、これら両極の間に多種の折衷説がある(六五頁以下)。ほかに、小林孝輔・芹沢斉(編)『基本法コンメンタール  憲法』(日本評論社、第四版、一九九七年)二二五ー二三〇頁(石村修執筆部分)を参照。また、山本悦夫「日本国憲法第四三条の「全国民の代表」」(一九八九年)同『国民代表論−国民・政党・国民代表の関係において』(尚学社、一九九七年)所収では、「伝統的な国民代表の観念」ではなく、「国民主権の観念」(四頁)から論じられている。See, Hanna Fenichel Pitkin THE CONCEPT OF  REPRESENTATION, Berkeley:U. Calif. P. (1967), ch. 7 passim.「拘束」論と「自由」論の対立が主題となっている。
(10)  佐藤幸治(編)『憲法U  基本的人権』(成文堂、一九八八年)四五七ー四五八頁(釜田泰介執筆部分)では、「理想化された人物の存在を前提とする代表者観」と「国会を各時代に示される国民の意見の多様性を忠実に反映させた現実社会の縮図と見る代表者観」の対立が、絶えず「具体的選挙制度の是非論争の背後」にあり、「選挙制度論争において常にまず考察される小選挙区制と比例代表制をめぐる是非論争にもこの代表者観の対立を見ることができる」と述べられている。
(11)  「社会学的代表」については、芦部信喜「選挙制度」(一九五七年)同『憲法と議会政』(東京大学出版会、一九七一年)所収、有倉遼吉・小林孝輔(編)『基本法コンメンタール  憲法』(日本評論社、第三版、一九八六年)一八三頁以下(芦部執筆部分)を参照。「半代表」については、樋口陽一「違憲審査における積極主義と消極主義」(一九七六年)同『司法の積極性と消極性』(勁草書房、一九七八年)所収、同『比較憲法』(青林書院、全訂第三版、一九九二年)四七五頁を参照。
(12)  渡辺良二「代表と平等・研究」(一九八六ー八七年)同『近代憲法における主権と代表』(法律文化社、一九八八年)所収、二一六頁、二一八頁。
(13)  和田進「国民代表原理と選挙制度」(一九八二年)同『国民代表原理と選挙制度』(法律文化社、一九九五年)所収、一四四頁、一五二頁。
(14)  ゲリマンダリングは、恣意的な選挙区割りを意味する造語である。アメリカの独立期および建国期の政治家であり、マディスン(James Madison)政権では副大統領を務めたゲリー(Elbridge Gerry)が、マサチューセッツ州知事在職中の一八一二年に当時の連邦派(Federalists)を敗北させようと画策して選挙区割りをおこなったときに、同州エセックス(Essex)郡で伝説上の火蜥蜴サラマンダー(salamander)の姿が選挙区の形状にあらわれたと風刺されたことが語源とされる。斎藤眞『アメリカ革命史研究  自由と統合』(東京大学出版会、一九九二年)二七九頁、註(8)参照。また、これより古く、最初の合衆国下院議員選挙に際して、マディスンを彼の後に大統領となったモンロー(James Monroe)に勝たせるため、ヘンリー(Patrick Henry)がヴァジニア州第五区の画定に尽力した現象を指摘する文献もある。See, Douglas J. Amy, REAL CHOICES/NEW VOICES:THE CASE FOR PROPORTIONAL REPRESENTATION ELECTIONS IN THE UNITED STATES, N.Y.:Colum. U.P. (1993), at 42-54, 124-126. See, Kermit L. Hall (ed.), THE OXFORD COMPANION TO THE SUPREME COURT OF THE  UNITED STATES, N.Y.:O.U.P. (1992), at 336-337 [Gerrymandering] (Ward E.Y. Elliott).
(15)  リチャード・ニィミ(森脇俊雅(訳))「アメリカ合衆国定数再配分・選挙区再編成小史」『法と政治』四二巻四号一一五頁(一九九一年)の冒頭に、つぎのような記述がある。「ゲリマンダリングで用いられるテクニックは簡単に述べることができる。そのテクニックとは「分解」(cracking)と「詰め込み」(packing)というやや日常会話的な英語で述べられる。分解とは選挙区の多数を形成しないよう反対派の集中するところを分解することである。これに対して反対派の多数が存在する選挙区の形成が避けがたいとき、反対派の多くを同一選挙区に詰め込むことは、当然にその選挙区での彼らの勝利を確実なものにするが、しかし、他の選挙区に分散すべき反対派の数を減らすことになる」(一一五頁)。
(16)  網中雅機「政治的問題から司法適合性へ−Davis v. Bandemer 事件を中心としてゲリマンダーの司法適合性に関する一考察−」『名城大学創立四十周年記念論文集  法学篇』(法律文化社、一九九〇年)所収は、「地理的選挙区を採用する限り、選挙区の画定は不可避であり、それに付随する党派的ゲリマンダーも不可避である」(五四頁)と述べている。
(17)  森脇俊雅「ゲリマンダリング−アメリカの現状と課題−」(一九九四年)同『小選挙区制と区割り−制度と実態の国際比較−』(芦書房、一九九八年)所収に、「そもそもゲリマンダリングとはなにか、別言すればゲリマンダリングの定義は必ずしも確立しているとはいえない。ゲリマンダリングの認定も実は容易ではないのである」と指摘されている(六七ー六八頁)。
(18)  小林直樹『憲法講義(下)』(東京大学出版会、一九八一年)一二〇頁、一三一ー一三二頁。
(19)  衆議院議員選挙区画定審議会設置法(平成六年法律第三号)が定める選挙区作成の基準と設置された審議会でまとめられた区割り案の作成方針については、「中選挙区での配分原則を踏襲し、区割りの原則を欠き、中立的(学識経験者)な『審議会』を設置しながら、その役割を法律で厳しく制限している」という的確な指摘がある。網中政機「小選挙区における定数不均衡是正の立法的問題−アメリカ各州区割り委員会、是正に対する州最高裁判所の役割および区割り原則と比較して−」『選挙研究』第一二号一二二頁(一九九七年)一二二頁。
(20)  平等選挙原則の射程から代表法の是非を問う研究として、長尾一紘「選挙制度の選択と立法裁量の限界」『比較法雑誌』一一巻二号(一九七八年)、同「平等選挙の原則の性格と構造」『公法研究』四二号八三頁(一九八〇年)、同「小選挙区の合憲性」『法学教室』一六三号一七頁(一九九四年)などを参照。
(21)  林田和博『選挙法』(有斐閣、一九五八年)によれば、「近代選挙原則を支配する個人・人格代表主義の基本原理は、とりわけ法の下の平等、平等選挙主義の理念によって導かれる」(一八頁)が、それには「選挙資格の平等」という「投票の数的平等」のほか、「計算における平等」としての「投票の価値の平等」が含まれる(二二頁)。
(22)  一九七六年判決については、山本浩三「議員定数不均衡と選挙の平等」『憲法判例百選U』三二二頁(第三版、一九九四年)の評釈を参照。また、一九五四年二月五日の最高裁判所大法廷判決(民集一八巻二号二七〇頁)以降、参議院議員選挙区の議員定数不均衡事例ではじめて違憲状態の格差が認定された一九九六年九月一一日の大法廷判決(民集五〇巻八号二二八三頁)に至るまでの判例の流れについては、米沢広一「最高裁と下級審」佐藤幸治・初宿正典・大石眞(編)『憲法五十年の展望U自由と秩序』(有斐閣、一九九八年)所収、一七九ー一八四頁を参照。
(23)  浦部法穂・大久保史郎・森英樹『現代憲法講義〔講義編〕』(法律文化社、第2版、一九九七年)二一七頁(森執筆部分)。
(24)  樋口陽一『憲法T』(青林書院、一九九八年)一七八ー一七九頁。
(25)  樋口『憲法T』(前註)一六八頁では、「選挙区制の憲法適合性を問うことは、多くの場合困難であり、立法府の選択にゆだめられる部分が大きいことはたしかである。しかしながら、あらゆる選挙区制が、選挙権者の意思の議会への繁栄を系統的にゆがめるように機能している場合には、制度そのものあるいは特定状況のもとでのその適用が憲法一四条の平等の要請、ないし四三条一項の『代表』の積極的規範意味・・に違反するとされることがありえよう」(傍線付加)と述べられている。
(26)  三宅一郎『投票行動』(東京大学出版会、一九八九年)一七七頁に、「選挙結果は複雑で多様な動機による投票の全国的集計に他ならない。その解釈は、投票権者集団内の多様な投票動機を計測し、これらを総合してウェイトづけをすることと等しい。つまり多変量解析である。また解釈は結局のところ選挙結果の比較であり、選挙の分類に始まり、分類に終わる」とある。
(27)  See, generally, Samuel Issacharoff & Pamela S. Karlan & Richard H. Pildes, THE LAW OF DEMOCRACY:LEGAL STRUCTURE OF THE POLITICAL PROCESS, Westbury, N. Y.:Found. P. (1998) [casebook], chs. 5-8.
(28)  たとえば、安西文雄「人種に基づいた選挙区割と少数派の人権 Shaw v. Reno」『ジュリスト』一〇六三号一一八頁(一九九五年)、浅香吉幹「最近の判例 Shaw v. Reno」[1995-1]アメリカ法 132、日笠完治「投票権と人種に基づく選挙区割 Bush v. Vera」『ジュリスト』一一二一号一三九頁(一九九七年)、および有澤知子「人種を配慮した下院議員選挙区割の改定と平等保護条項−Miller v. Johnson 判決を中心に−」『大阪学院大学  法学研究』二三巻一号一頁(一九九七年)を参照。
(29)  An Act to enforce the 15th Amendment to the Constitution of the United States, and for other purposes, Pub. L. 89-110, 79 Stat. 437, codified as amended at 42 U.S.C. § 1971 et seq. (1994).
(30)  An Act to amend the Voting Rights Act of 1965 to extend the effect of certain provisions, and for other purposes, Pub. L. 97-205, 96 Stat. 131, codified at 42 U.S.C. § 1973 et seq. (1994).
(31)  一九九〇年代の選挙区割りの事情については、葉山明「アメリカの選挙と区割り問題−ルイジアナ州における黒人多数区増設をめぐって−」『選挙研究』一二号一三四頁(一九九七年)、同「アメリカの選挙と区割り問題−ノースカロライナ州における黒人多数区増設をめぐって−」白鳥令(編)『選挙と投票行動の理論』(東海大学出版会、一九九七年)所収のほか、網中政機「アメリカにおける一九九〇年国勢調査に伴う選挙に関する憲法上の諸問題」『名城法学』四三巻一・二号一〇七頁(一九九三年)を参照。
(32)  井出嘉憲「アメリカにおける投票の権利と平等の代表−代表再配分の問題を中心に−」東京大学社会科学研究所(編)『基本的人権2  歴史T』(東京大学出版会、一九六八年)所収、四〇三頁以下。
(33)  久保田きぬ子「選挙過程における人種差別」[1972-2]アメリカ法 199。
(34)  さしあたり、早川武夫「最近の投票権訴訟」『法学セミナー』四二二号八頁(一九九〇年)を参照。
(35)  奥平康弘『憲法V  憲法が保障する権利』(有斐閣、一九九三年)四一二ー四一四頁。もっとも、同所で、いかなる問題提起として、日本で受けとめるべきかという点で、「たぶんそれは、司法的解決を前提とした憲法論を超えた性格の議論であるだろう」と述べられている。
(36)  木下智史「合衆国における人種的少数者の投票権保障(一)(二)(三)(四)・完」『神戸学院法学』二五巻三号八三頁、二五巻四号九五頁、二七巻一・二号一一一頁、二九巻二号四一頁(一九九五ー九九年)は、一九世紀後半以降の投票権法制史を仔細に検討し、選挙区と代表法にかかわる現在の問題点と理論状況をまとめている。大沢秀介「マイノリティの投票力の希釈と市民的共和主義」同『アメリカの政治と憲法』(芦書房、一九九二年)所収では、「グループ代表(group representation)の観念」(二一七頁)の制度的背景として、投票権法成立以後の法制史が検討されている。また、西村裕三「アメリカにおける選挙区割りと投票価値の平等(一)(二)」『大阪府立大学  経済研究』四一巻一号一三頁、四三巻一号二三頁、(一九九六年ー九七年)、越路正巳「アメリカにおけるマイノリティの選挙権」比較憲法史研究会(編)『憲法の歴史と比較』(日本評論社、一九九八年)所収も参照。このほか、近年のアメリカにおける比例代表法の待望論を積極的に紹介するものとして、柳沢尚武「アメリカにおける比例代表制の胎動−小選挙区制の矛盾と新たな運動の萌芽」(一九九四年)同『二大政党制と小選挙区制−アメリカ、イギリスの制度研究』(新日本出版、一九九六年)所収、志田なや子「アメリカにおける小選挙区の現状と比例代表制導入論」『月刊憲法運動』二七八号三頁(一九九九年)を参照。
(37)  See, generally, Symposium:The Voting Rights Act After Shaw v. Reno?, 28 P.S. 24 (1995);Symposium:Race & Representation, 6 NATIONAL POLITICAL SCIENCE REVIEW 3 (1997);Anthony A. Peacock (ed.), AFFIRMATIVE ACTION AND REPRESENTATION:SHAW V. RENO AND THE FUTURE OF VOTING RIGHTS, Durham:Carolina Academic P. (1997);Symposium:Law and the Political Process, 50 STAN L. REV. 605 (1998).


二  一九六五年投票権法


2  合衆国市民の投票権
  (1)  連邦制度
  投票権は、合衆国憲法典で保障された権利ではない(1)。投票権者を公証する登録名簿について職権調製主義がとられていない点、投票の前提として立候補制度が採用されていない点などでも日本の選挙権の場合とは異質であるが(2)、投票権の最大の特質は、合衆国の連邦構造に起因している(3)
  選挙制度を定立し、選挙を管理運営するとともに、投票権の内容を法定することは、合衆国を構成する各州の専権事項である。一七七八年に成立した合衆国憲法典は、合衆国議会(Congress)の議員に関しても、各州における手続で選出されるものとし、「各州における選挙人は、その州の議会でもっとも議員数の多い議院の選挙人に必要な資格をもたなくてはならない」(第一編第二節第一項)と定めるにとどめながら(4)、「上院議員および下院議員の選挙をおこなう時、所、方法は、各州において、その議会により規定される」(同第四節第一項)のを原則としている。一八世紀中の憲法典では、これらのほかに共和政体保障条項(第四編第四節)がおかれ、そこで各州の統治は代議制によらなければならないと宣言されていたにとどまる(5)
  南北戦争の戦後処理が展開された再建(Reconstruction, 1867-77)以降、連邦制度の変容にともない、「合衆国市民」(第一四修正第一節第一文、一八六八年成立)の投票権に関する修正条項が数次にわたって憲法典に加えられた(6)。合衆国市民の投票権は、「人種、体色、隷属状況にあったこと」(第一五修正第一節、一八七〇年成立)、「性別」(第一九修正第一節、一九二〇年成立)、および「投票税(poll tax)などの税金を支払っていないこと」(第二四修正第一節、一九六二年成立)を理由として剥奪または制限されてはならないことになり、十八歳以上の市民に対しては、「年齢」(第二六修正第一節、一九七一年成立)を理由とした制約も禁止されるに至っている。しかしながら、これらの修正条項は、投票権の享受を積極的に保障したものというよりは、建国期以来の州権基調を前提として維持しつつ、合衆国市民の投票権が差別を免れ、合衆国によって平等に保護されるということを定めたものである。
  ここに列挙した第一五修正以下の各条項には、いずれも「合衆国議会は、この条項を適切な立法によって実施する権限をもつものとする」という規定(第一五修正第二節、第一九修正第二節、第二四修正第二節、第二六修正第二節)が付随しており、第一四修正の第五節にも、ほぼ同様の文言が並んでいる。こうした規定にしたがって制定されたのが、市民的権利法(Civil Rights Acts)と呼ばれる一連の立法であり、マイノリティの投票権の保護を目的として、一九六五年八月六日に成立した投票権法は、その正式な名称に記されているとおり、第一五修正を実施する市民的権利法である(7)
  第一五修正が成立してから投票権法が制定される一九六〇年代までのおよそ一世紀の間には、南北戦争に敗北して合衆国に再編入された旧南部連合(the Confederate States of America)の諸州を中心に、さまざまな差別慣行がマイノリティに属する市民を投票所から巧妙に遠ざけていた。本選挙の候補者を選定する段階でマイノリティの参加を排除する白人限定予備選挙(white primary)、合衆国や州の憲法典などの読解を投票権行使の要件とすることで相対的な教育水準の格差から差別的な効果を導き出す識字試験(literacy test)、再建期以前に投票資格を有していた者とその子孫に限って識字試験や財産要件などを免除する祖父条項(grandfather clause)、人頭税の納入を投票権者登録の前提条件とする投票税などである(8)。これらは、投票権に言及して「厳密にみれば自然権ではなく、社会により、その意思にしたがって与えられた特権としか考えられないけれども、すべての権利を保全するものであるから、基本的な政治的権利と考えられる」と述べたイック・ウォウ対ホプキンス事件判決(Yick Wo v. Hopkins, 118 U.S. 356 [1886])の後も存続した。
  もっとも早くに消滅した祖父条項でも、合衆国最高裁判所によって第一五修正違反とされたのは、一九一五年のグイン対合衆国事件判決(Guinn v. United States, 238 U.S. 347 [1915])においてである。また、政党の実施する予備選挙といえども私的な任意団体の行為にはとどまらないとして、白人限定予備選挙が第一五修正に違反する人種差別であるとされたのは、スミス対オールライト事件判決(Smith v. Allwright, 321 U.S. 649 [1944])においてであり(9)、著名な合衆国対キャロリーヌ・プロダクツ事件判決(United States v. Carolene Products Co., 304 U.S. 144 [1938])の裁判所意見の脚注4で、特定のマイノリティを名宛人とした立法については合憲性の推定の働く余地が狭いとされ、離散的かつ孤立的(discrete and insular)なマイノリティに対する偏見にはそれ相応に徹底した司法審査が妥当すると述べられた後のことであった(10)。また、アンダースン対マーティン事件判決(Anderson v. Martin, 375 U.S. 399 [1964])では、予備選挙を含む選挙一般について選挙人ではなく候補者の人種を指定するルイジアナ州法が平等保護条項違反とされた。さらに、識字試験が全面的に禁止されたのは、一九六五年投票権法によってである。投票税は、一九六二年に成立した第二四修正で合衆国の公職の選挙から排除された後、ハーパー対ヴァジニア州選挙管理委員会事件判決(Harper v. Virginia State Board of Elections, 383 U.S. 663 [1966])が州内の公職の選挙についても第一四修正第一節第二文の平等保護条項に違反するとしたことで、ようやく廃絶された。
  (2)  人種的ゲリマンダリング
  一九六〇年代になってからは、人種にかかわるゲリマンダリングを違憲とする判決も現れた。ゴミリオン対ライトフット事件判決(Gomillion v. Lightfoot, 364 U.S. 339 [1960])において、合衆国最高裁は、州憲法の修正に基づいて正方形の市の区画から面積の半分以上を切り取って異様な二十八角形を残し、アフリカ系市民をほとんど含まない市に造り変えた州議会の立法を第一五修正に対する明白かつ意図的な違反であるとした(11)。最高裁が選挙区に関する判断を示したのは、このときが最初である。裁判所意見を執筆したフランクファータ(Felix Frankfurter)裁判官は、コウルグロウヴ対グリーン事件判決(Colegrove v. Green, 328 U.S. 549 [1946])の相対多数意見で「政治の茂み(political thicket)」(Colegrove, 328 U.S., at 556)という言葉を用い、合衆国の裁判所は州の選挙過程に介入すべきでないとしていた。このため、ゴミリオン事件判決では、コウルグロウヴ事件判決との区別にかかわって、「明らかに有色人種の市民だけから票を取り上げたこと」(Gomillion, 364 U.S., at 346)が強調されている。また、ゴミリオン事件判決では、むしろ平等保護条項違反とすべきという同意意見も述べられていた。
  ところが、ライト対ロックフェラー事件判決(Wright v. Rockefeller, 376 U.S. 52 [1964])では、ニュー・ヨーク州議会が合衆国下院議院選挙区の再画定にあたって、マイノリティの現職パウエル(Adam Clayton Powell)議員のいる第一八区にアフリカ系とプエルト・リコ系の八六・三パーセントを囲い込み、彼らの人口比率を第一九区で二八・五パーセント、第二〇区で二七・五パーセント、第一七区に至っては五・一パーセントにとどめたことが違憲とはされなかった。ブラック(Hugo Lafayette Black)裁判官による裁判所意見は、本件では人種差別の意図が立証されていないとしつつ、むしろパウエル議員の当選が確保されていることを評価したが、ダグラス(William Orville Douglas)裁判官の反対意見は、第一七区と第一八区の境界線が人種的配慮から歪曲されていると述べていた。
  (3)  定数再配分事件判決群
  一九六〇年代の前半には、ほかにも合衆国市民の投票権に関する判例の大きな変動があった。合衆国の裁判所による議員定数不均衡問題の是正である。まず、ベイカ対カー事件判決(Baker v. Carr, 369 U.S. 186 [1962])によってコウルグロウヴ事件判決の「政治の茂み」が破られ、各州の専管事項である選挙区再編成に関して司法審査適合性(justiciability)が確立された。このとき、ベイカ事件判決で裁判所意見を執筆したブレナン(William Joseph Brennan, Jr.)裁判官は、合衆国の統治機構の権力分立にかかわる問題と連邦制度にかかわる問題を区別し、また共和政体保障条項をめぐる問題と平等保護条項をめぐる問題を区別することで、それぞれ後者の場合には司法審査が排除されないと述べていた。トクヴィル(Alexis de Tocqueville)は、『アメリカの民主政治』のなかで、アメリカの「裁判官は、自らの意志いかんにかかわらず政治面に引き出される」という考察を示し、「・・政治的問題で・・司法的問題として解決されないものはほとんどない」と述べていたが(12)、ブレナン裁判官が述べたところに限定して考えるならば、まさしくそのとおりの展開となった。
  こうした動きに続き、翌年のグレイ対サンダース事件判決(Gray v. Sanders, 372 U.S. 368 [1963])、さらに翌年のウェズベリ対サンダース事件判決(Wesberry v. Sanders, 376 U.S. 1 [1964])、そしていわゆる定数再配分事件判決群(Reapportionment Cases [1964]:Reynolds v. Sims, 377 U.S. 543;WMCA v. Lomenzo, 377 U.S. 633;Maryland Committee for Fair Representation v. Taws, 377 U.S. 656;Davis v. Mann, 377 U.S. 678;Roman v. Sincock, 377 U.S. 695;Lucas v. Forty−Fourth General Assembly of Colorado, 377 U.S. 713)で、「一人一票(one person, one vote)」(Gray, 372 U.S., at 381)原則が打ち出され、人口を基礎とした選挙区規模の均衡によって「議員定数配分の基本目標」である「すべての市民にとって公正かつ効果的な代表(fair and effective representation)」(Reynolds, 377 U.S., at 565-566)の確保が目指された。ウォレン(Earl Warren)首席裁判官が執筆した裁判所意見によると、「自己の選択する候補者に対して自由に投票する権利は民主主義社会の本質に属し、この権利に対するいかなる制約も代表制統治の核心をえぐる。また、投票の権利は、市民の投票の重みを低下させ、あるいは希釈することで、選挙権の自由な行使を全面的に禁止するのと全く同じくらい効果的に剥奪されうる」(Reynolds, 377 U.S., at 555, n. 29)ということが、選挙区間の人口格差の極小化が指向された理由である(13)
  ここで登場した「希釈(dilution)」という概念は、後に新たな意味を付加されることになるが、このときはまだ一般に選挙区間の人口格差による過少代表(under−representation)を生じるものとして理解されていた(14)
  (4)  三つの市民的権利法
  この頃には、三次にわたる市民的権利法の制定によっても、投票権の保護がはかられた。その主眼は、マイノリティに属する市民に普通選挙の実質を提供することにあった。まず、同種の立法としては第一五修正成立直後の一八七〇年実施法(Enforcement Act of 1870(15))および一八七一年実効法(Force Act of 1871(16))以来となった一九五七年法(17)では、市民的権利委員会(Commission on Civil Rights)が設置された(第一〇一条)。この委員会は、大統領による任命と上院による助言と承認で選任される六人の委員(同一の政党からの選任は三名以内。正副委員長は大統領が指名)で構成され、公開(public session)または非公開(executive session)で聴聞をおこない(第一〇二条)、投票権の平等保護に対する違反を調査して、大統領と合衆国議会に適宜の中間報告書を提出し、法の施行から二年以内に最終報告書を提出することを職務としていた(第一〇四条)。
  このほかにも、同法は、現行法典(Revised Statutes)の第二〇〇四条(U.S.C. § 1971)を修正し、第一五修正による差別の禁止が州のいかなる法規にも優越することを確認するとともに、第二四修正にならうかたちで「予備選挙」を対象に組み込み、投票権の行使に対する実力での妨害を禁止し、さらに違反に対しては合衆国の司法長官が恒久的または暫定的なインジャンクションを含む予防的救済を求めて合衆国地裁に提訴できることとした(第一三一条)。
  市民的権利委員会の報告を受けて制定された一九六〇年法(18)は、合衆国の裁判所の命令や判決に基づく正当な権利の行使や義務の履行を妨害する者に対する刑事罰を定める(第一〇一条)とともに、選挙の実施に携わる者は、あらゆる記録を二十二ヶ月間保存すべきこと、これを怠ったときは刑事罰を受けること(第三〇一条)、何人であれ、記録の保存を妨げるときは刑事罰を受けること(第三〇二条)、保存された記録は、合衆国の司法長官が根拠と理由を提示した上で利用できること(第三〇三条)を規定した。また、同法では一九五七年法の第一三一条で修正された現行法典第二〇〇四条がさらに補強された(第六〇一条)。同条によると、合衆国の裁判所は、人種や体色を理由とする投票権の剥奪が認定された場合、司法長官の求めに応じて、さらにそれが「様式または慣行(pattern or practice)」に沿ったものかどうかを判定する。これが認定されると、同じ地域に住む問題となった人種または体色の者は、州法の規定、州の選挙管理者の判断、州の裁判所の判決にかかわらず、正当な投票権者とされる。また、合衆国の裁判所は、管轄区域内の登録投票権者のなかから投票審判員(voting referees)を任命し、投票権の剥奪について調査と報告をさせることができる。
  一九六四年法(19)は、前の二法に較べて包括的な市民的権利法である。その最初の条文では、一九五七年法の第一三一条と一九六〇年法の第六〇一条で用意されていた現行法典第二〇〇四条の救済手段が拡充された。それによると、連邦の選挙に関して、投票権者の資格を判定する際に統一的でない基準や手続などを用いること、および判定にあたって重大ではない記録などの不備を理由に投票権を剥奪することが禁止される。また、すべての者に書面で課される場合を除いて、連邦の選挙にかかわる識字試験は禁止され、これに該当しない場合でも、無能ではないこと、六年次までの公教育を修めたことが、すべての受験者に推定される(第一〇一条)。このほか、同条では、司法長官および被告の双方が合衆国地裁において三名合議法廷による審理を要求できること、その終局判決に対する上訴は合衆国最高裁に対してなされるべきことが定められている。
  これら三つの市民的権利法には、定数再配分事件判決群に至るウォレン・コートの動きと同じ傾向がみてとれる。つまり、どちらも、州権基調の選挙制度のなかで、合衆国による投票権の平等保護を推し進めたものである。また、議員定数不均衡問題では、ふつう農村部の票がマイノリティの多い都市部の票に対して偏重であり、その是正はマイノリティに属する市民の普通選挙権を確保しようとした市民的権利法と同じ方向性をもっていたともいえる。
  しかしながら、数量的側面における平等選挙の徹底に較べると、人種や体色による差別のない普通選挙の実現は、なおも決定的な手法を欠いていた。とくに南部の諸州では、マイノリティに属する市民の投票権者登録率が低く、そのことからも、積み残された課題の大きさは明白であった。そこで制定されたのが、一九六五年投票権法である。
2  一九六五年法の成立
  (1)  制定事情
  アメリカにおける普通選挙の実効的な確保は、いわば政治の局面での人種統合であった。人種の統合には正と負の両面があり、これを目指した投票権法の制定が最初に招いたのは、大規模な混乱であった。
  ウッドワード(C. Vann Woodward)という著名な史家は、「挑戦と反動の時代」の始まりを告げる事実として、つぎのようなことがらを記述している。「投票権法案に大統領が署名した時、公民権運動の楽観的なムードは頂点に達したが、そのたった五日後にアメリカ史上最悪の人種暴動が西海岸で爆発し、国全体を震撼させた。一九六五年八月一一日ロサンジェルスの黒人地区ワッツで暴動が起こり、四日間制止されることなく荒れ狂い、それから三日間散発的な爆発が続いた。暴動が止むまで四六平方マイル以上の地域が軍隊の支配下に置かれた。何千という黒人が群をなして店を略奪し、火を放ち、車を焼き、警官や消防夫に投石したり、発砲したりした」。また、つぎの分析も同じ著書のなかでおこなわれている。「黒人は強制的人種分離に憤慨し、反対すると同時に、人種としての文化的一体感や誇りや結束を保持するに足る、人種的特徴と独立性とを欲する願望を棄てなかった。人種分離の問題で勝利したとしても、この願望はかなえられないであろう。自らの人種的個性を否定したり、白人社会の中でそれを失うことを願う黒人はまずいないからである(20)」。こうしたウッドワードの認識と分析は、まず何よりも選挙に関して機会の平等を考えることの難しさと、これに挑戦した合衆国の投票権法制が早くからディレンマをはらんでいたことを物語っているように思われる(21)。たとえば、ジェニングズは、「政治参加を選挙の場に限定する限り、投票はそれのみでは社会関係を実質的に変えることはできない」という新たな認識に立って、ウッドワードが描いた「いわゆるブラック・パワーの段階は、公民権運動の体制化した指導と、その統合主義志向の論理的拡張とそれへの不可避的反動であった」と総括している(22)。ジェニングズの認識に示されるような脱形式主義的エンパワーメントの思考は、投票権法制をめぐる近年の論争においても有力である(23)。これについては後に触れるとして、ここではウッドワードが述べたような状況をもたらしつつも、マイノリティの投票権の平等保護を大幅に前進させたと評価される投票権法が、どのような立法であったかを概観する。
  市民運動の隆盛を背景に、「乗り越えよう(We Shall Overcome)」という標語で知られるジョンスン(Lyndon Baines Johnson)大統領の議会演説を受けて(24)、投票権法案(H.R. 6400, S. 1564)の審議がはじめられた。合衆国議会では、南部選出の議員を中心とした頑迷な議事妨害(filibuster)にもかかわらず、下院(当時、民主党二百九十五議席、共和党百四十議席)では賛成三百三十三票対反対四十八票、上院(当時、民主党六十八議席、共和党三十二議席)では賛成七十七票対反対十九票という圧倒的な票差で可決された(25)。下院での審議は全体として簡略なものであり、上院では後に合衆国最高裁で決着がつけられた投票権法の画期的な手法をめぐる憲法論議に焦点が集まったが、モンタナ州選出の民主党院内総務マンスフィールド(Mike Mansfield)、ミシガン州選出の民主党議員ハート(Philip Hart)、ニュー・ヨーク州選出の共和党議員ジェイヴィッツ(Jacob Javits)、前政権の司法長官であったニュー・ヨーク州選出の民主党議員ロバート・ケネディ(Robert Kennedy)、マサチューセッツ州選出の民主党議員エドワード・ケネディ(Edward Kennedy)など、北部諸州の議員が主力となり、比較的順調に審議が進められた。
  (2)  条文構成
  一九六五年投票権法は、全部で十九の条規からなるが、各規定は、適用される法域と期間の限定の有無により、二種類に分類することが可能である(26)。まず、全米に妥当する恒久的な規定としては、一九五七年法の第一三一条、一九六〇年法の第六〇一条、一九六四年法の第一〇一条、これら三度にわたり修正を受けた現行法典第二〇〇四条から「連邦(Federal)」の語を削除した第一五条があげられる。これにより、投票権の平等保護は、合衆国の公務員の選挙に限定されないこととなった。
  また、第二条は、第一五修正第一節による禁止を敷衍して、「いかなる投票資格、投票の前提要件または基準、慣行もしくは手続も、州または下位の統治区分(political subdivision)により、人種または体色を理由として、合衆国市民の投票権を剥奪または縮減するために、課されまたは適用されてはならない」と定めた。「下位の統治区分」に関しては、第一四条(c)項(2)号に、投票権者の登録事務をおこなう郡(county or parish)を指すという定義がある。
  第二条の規範内容を手続的な側面から担保するため、第三条は、司法長官が訴訟を提起した場合に、裁判所が中間命令(interlocutory order)または終局判決(final judgment)の一部として、合衆国人事委員会(U.S. Civil Service Commission)による連邦審査官(federal examiner)の任命を承認すること、および差別慣行を認定して適宜停止する(suspend)ことができると定めた。連邦審査官の職務については、後にみる。
  このほか、投票税を禁止するとともに司法的な救済手続を規定した第一〇条(27)、選挙実務に関する各種の違法行為や複数投票の禁止を定めた第一一条、違反に対するインジャンクションなどの救済手段や罰則を盛り込んだ第一二条などが恒久的な規定に分類できる。
  他方の時限的な規定には、三次にわたって制定された市民的権利法にはみられない「適用法域指定方式(coverage formula)」または「狙い撃ち方式(triggering formula)」と呼ばれる新たな手法が取り入れられた。その構成はつぎのようになっている。
  まず、第四条(a)項で、州や下位の統治区分が「テストまたはデヴァイス(tests or devices)」を投票の資格要件として用いることが禁止された。「テストまたはデヴァイス」については、同条(c)項に定義がおかれている。それによると、「投票または登録の前提要件として、(1)何らかの資料を読み、書き、理解し、もしくは解釈する能力を示すこと、(2)何らか特定の学科目についての学業成績もしくは知識を示すこと、(3)善良な人格(good moral character)を有していること、または(4)登録投票権者その他の分類に属する者を保証人として自己の資質を示すこと」を要求する一切のものが、投票権法にいう「テストまたはデヴァイス」である。
  (a)項の禁止は、コロンビア特別区合衆国地方裁判所に合衆国を被告として訴訟を提起し、その宣言的判決(declaratory judgment)によって、当該の「テストまたはデヴァイス」が過去五年間にわたり差別的に用いられなかったと認められた場合にのみ、解除される。この規定に書き込まれた「五年間」という期限は、最初に失効が迫った一九七〇年に「十年間」と修正されることで五年間の延長措置がとられ(28)、これが期限切れを迎える一九七五年には「十七年間」に修正されることで七年間の再延長がなされた(29)。さらに、一九八二年投票権法修正法によって、一九八四年八月五日から二十五年間は有効とされている(30)。こうして、適用法域指定方式は、時限立法の体裁を残しつつ、現在に至っている。
  適用を受ける法域の決定基準は、同条(b)項に定められ、司法長官が一九六四年一一月一日の時点で「テストまたはデヴァイス」が存在したと認定する法域、および同じ時点での投票権者登録率または同年同月に実施された大統領選挙での投票率が投票年齢人口の五〇パーセント未満であった法域が、「適用指定法域(covered jurisdiction)」となる。この規定に含まれる基準時も、三次にわたる投票権法の修正にともなって追加されてきている。
  また、同条熏には、適用指定法域から除外されるための条件が示されている。それによると、人種または体色を理由として投票権を剥奪または縮減する「テストまたはデヴァイス」を用いていないとされるには、(1)僅かにしか用いられたことがなく、しかも州などによって迅速かつ効果的に是正されてきたこと、(2)用いられたことによる効果が残存していないこと、(3)合理的にみて将来的に復活する見込みのないこと、これら三条件が充たされなければならない。
  第五条は、規定に書き込まれた基準時を追加されたほかには現在まで大きな修正を受けていない。成立当初の文言は、つぎのようになっていた。「第四条(a)項に規定された禁止が有効であるとされる州または下位の統治区分が、一九六四年一一月一日の時点で有効であったものとは異なる投票資格、投票の前提要件または基準、慣行もしくは手続を制定するとき、または執行しようとするときは、そのような州または下位の統治区分は、コロンビア特別区合衆国地方裁判所に訴訟を提起して、そのような投票資格、投票の前提要件または基準、慣行もしくは手続が人種または体色を理由として投票権を剥奪または縮減する目的をもたず、またそのような効果をもたないであろうという旨の宣言的判決を得ることができる。同裁判所がそのような判決を下すまでは、何人もそのような資格、前提要件、基準、慣行または手続にしたがわないために投票権を剥奪されない。但し、そのような資格、前提要件、基準、慣行または手続は、そのような州または下位の統治区分の法務の長その他の適当な公務員によって司法長官に提出され、司法長官が提出後六十日以内に異議を留めないときは、そのような訴訟手続を経ることなく執行されることができるが、本条に基づいて司法長官が異議を留めないことも、宣言的判決が下されることも、そのような資格、前提要件、基準、慣行または手続を禁止するための爾後の訴訟を妨げない。本条に基づく訴訟は・・三名合議法廷によって審理され、判決を下されるものとし、上訴は最高裁判所に対してなされるものとする」。つまり、適用指定法域では、選挙制度に変更を加えるという本来的には州に固有の権能を行使するのに、コロンビア特別区合衆国地裁または合衆国司法省による事前承認(preclearance)という要件を充たさなければならないこととされたのである。
  第六条は連邦審査官の任命に関する規定である。連邦審査官は、第三条の手続によるほか、第四条に基づく宣言的判決が下されない場合にも任命されうる。後者の場合について、第六条(b)項は、司法長官が適用指定法域の住民二十名以上から法の名の下に人種または体色を理由として投票権を剥奪された旨の苦情を書面で受け、これを真実と信ずるとき、または第一五修正の趣旨に照らして人種別の投票権者登録率などを勘案した結果、必要と考えるとき、合衆国人事委員会が連邦審査官を任命するものと規定している。

  第七条は連邦審査官の職務内容を定めている。同条(a)項で、投票権者登録の「申請者を投票資格に関して審査する」こと、つまり本来的には州の公務員によるべき登録審査事務を代行することが、(b)項では、投票有資格者のリストを少なくとも毎月一度公証し、これを適切な添付書類とともに州などの選挙事務を扱う機関に提出することが、それぞれ連邦審査官の職務とされている。提出を受けた機関は、このリストに氏名のある者を公式の投票権者登録簿に登載しなければならない。また、リストの写しは合衆国および当該州の司法長官に送付されることとなっている。第七条(c)項では、リストに記載された者に対して投票資格の証明書を発行することが、(d)項では、連邦審査官によって無資格とされた者の氏名をリストから削除することが、それぞれ規定されている。
  第八条は監視官(observer)と呼ばれる公職についての規定である。連邦監視官は、合衆国人事委員会が合衆国司法長官の要請を受けて任命するものとされる。その職務は、連邦審査官がおかれている法域で、選挙の際に(1)投票有資格者が投票権の行使を妨げられていないか、(2)すべての投票が正確に集計されているか、この二点について立入調査をおこない、連邦審査官および司法長官に、連邦審査官の任命が第三条の規定に基づく場合には任命を承認した裁判所にも、報告することである。   第九条には連邦審査官が公証したリストに対する審査請求の手続が定められている。これによれば、合衆国人事委員会によって任命され、この委員会に対して責任を負う聴聞官(hearing officer)が、リスト登載者の投票資格について聴聞および裁決をおこなう。審査請求は、登載後十日以内に、事情を知る二名以上の者の宣誓口述書および当該投票有資格者に通知がなされたことの証明書を添えて、聴聞官に対しておこなわれなければならない。裁決は審査請求後五十日以内に下され、これに明白な誤りのあるときは合衆国控訴裁判所で取り消しを求めることができるとされるが、こうした手続の間に投票資格が停止されることはない。
  一九六五年法は、概ね以上のような内容をもつ立法である。事後的かつ消極的ではなく事前的かつ積極的な投票権の平等保護を打ち出し、合衆国の司法省に強大な権限を付与した適用法域指定方式の採用が南部の諸州に与えた影響は、当初から決して小さくなかった。白人限定予備選挙などの差別慣行が排除され、さらに選挙区議員定数不均衡が抜本的に是正されはじめたことで選挙の管理運営に関する固有の権限を狭められていた諸州は、適用法域指定方式によって、ついに合衆国の監督下におかれうることになった。

3  適用法域指定方式
  (1)  南部での影響力
  適用指定法域の初回の決定は、早くも投票権法成立の翌日になされ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナ、ミシシッピ、サウス・キャロライナ、ヴァジニアの各州とノース・キャロライナ州の一部(二十六の郡)などが指定を受けた(31)。全域を指定された六州のうちヴァジニアを除く五州は、一般に「深南部(Deep South)」と呼ばれる。
  適用法域指定方式が南部諸州の選挙過程に与えた影響の度合は、統計にも明確に表れている。たとえば、一九六五署年投票権法の第四条(b)項で適用指定法域を決定する基準の一つとされた大統領選挙の投票率は、同法成立前後の一九六四年と一九六八年の数値を州別に比較してみると、表1に示されるとおり上昇している。また、これを合衆国全体と南部で人種別にみると、表2のようになる。合衆国全体では低下したにもかかわらず、南部の適用指定法域では上昇しており、人種格差は縮小している(32)。このほか、南部諸州ではアフリカ系アメリカ市民の投票権者登録も進み、表3にあるとおり、投票年齢人口に占める登録投票権者の比率は、一九六五年投票権法の成立を受けた一九六七年の数値において最大の伸長を記録している。この期間の伸びをさらに州別でみると、表4のようになる。

  (2)  サウス・キャロライナ事件判決
  一九六五年法は、南部諸州を中心とした適用指定法域の選挙制度を合衆国の監督のもとにおくことで、一方では投票権者の登録を促し、有資格者に占める有権者の比率や選挙における投票率を上昇させたが、他方で適用法域指定方式は州権に対する侵害であるという南部諸州からの反発を招いた。合衆国が州の固有の権限をほぼ全面的に制限する手法であるため、合衆国憲法典との整合性に疑義がもたれたのである(33)
  この問題には、サウス・キャロライナ州対カッツェンバック事件判決(South Carolina v. Katzenbach, 383 U.S.301[1966])で、決着がつけられた。投票権法全体の違憲確認と執行差し止めを求める南部の州を原告とし、合衆国の司法長官を被告とした本件は、合衆国最高裁の史上十五件目の第一審管轄事件である。審理に際しては、すべての州に参加が呼びかけられ、これに応じるかたちで、原告側には適用指定法域になっていたアラバマ、ジョージア、ルイジアナ、ミシシッピ、ヴァジニアの南部五州がつき、被告側にはキャーリフォーニア、マサチューセッツ、イリノイの三州が参加したほか、さらに十八州が支持を表明した。

異例の複数日程で口頭弁論がおこなわれた後、ウォレン・コートは、適用法域指定方式の骨格を構成する第四条(a)項ないし(d)項、第五条、第六条(b)項、第七条、第九条などについてのみ本案審理をおこない、被告側全面勝訴の判決を下した(34)。ウォレン首席裁判官の判示によると、「合衆国議会は、一九六五年投票権法を制定したとき、第一五修正に基づく権限を革新的に行使した。第一に、投票差別に対して同法が定める救済は、事前の判決を何ら必要とせずに発効するものである。明らかに、これはほかの憲法規定のもとで豊富な先例のある問題への正当な対応である。・・合衆国議会は、事件ごとの訴訟では、投票における広範囲かつ永続的な差別に立ち向かうのに不適切だと考えたのである。・・第一五修正に対する組織的な抵抗が一世紀近くも続いた後、合衆国議会が時間と慣性の利益を加害者から被害者に移す判断をしたのは、妥当であろう。・・第二に、同法は、これらの救済を意図的に少数の州および下位の統治区分に限定している。・・これもまた、許容されうる問題解決の方法である。合衆国議会は、相当数の差別が現在この国の一定部分で発生しているということを知っていたのであり、この害悪が将来的に拡散するかどうかを的確に予測する手だてのないことを知っていたのである」(South Carolina, 383 U.S., at 327-328(35))。

(3)  アレン事件判決
  サーンストロム(Abigail M. Thernstrom)が指摘しているように、「一九六五年投票権法の制定者たちは第四条を中核的な規定とみなし、第五条は単なる補強にすぎないとみていた」という当初の観測にも、やがて変更が迫られることになった(36)。そのきっかけとなったのは、郡理事選挙を小選挙区制から大選挙区制に変更する法律、一部の郡の教育長について公選制から任命制に変更する法律、無所属候補が一般選挙の候補者名簿に登載されるための要件を加重する法律、書き込み投票手続を定める法律、これらの州法が第五条の事前承認要件の対象となるか否かが争われた事案について、ウォレン・コートの最後の開廷期に下されたアレン対州選挙管理委員会事件判決(Allen v. State Board of Elections, 393 U.S. 544 [1969])である。
  そこでは合衆国最高裁の九名の裁判官が五対四に分かれたが、ウォレン首席裁判官による裁判所意見は、サウス・キャロライナ事件判決に依拠して第五条の合憲性を確認し、その事前承認要件が本件の係争法条のすべてに適用されるとした上で、第五条に基づいて提起できる訴訟の類型をつぎのように示した。「第一に、当然のことながら、州は宣言的判決を求めて訴訟を提起できる。第二に、個人は宣言的判決とインジャンクションによる救済を求めて訴訟を提起し、州の定める要件が第五条の適用を受けるにもかかわらず、必要とされる連邦の審査に服していないということを主張することができる。第三に、司法長官は州が第五条に基づく承認を受けていないことを理由として新たな規制の執行を禁止するインジャンクションを求める訴訟を提起することができる。これらすべての訴訟が第五条に『基づいて』提起されたとみなされうる」(Allen, 393 U.S., at 561)。
  また、この裁判所意見では、「投票権は、投票力の希釈によって、投票を完全に禁止されるのと同じ影響を受けうる。人種的マイノリティの一員である投票人は、一つの選挙区ではマジョリティに属しえても、郡全体では決定的なマイノリティに属することになろう。したがって、この種の変更は、彼らが自分たちの選択する候補者を選出する能力を無にすることもできようし、それは彼らの一部に投票を禁止するのとまったく同様である」(Allen, 393 U.S., at 569)とも述べられている。レイノルズ事件判決で用いられた「希釈」概念が本件でも用いられたことは、広義のゲリマンダリングが平等保護の関心事となったことを端的に示していた。
  これ以後、一九六五年法の適用法域指定方式、とくに第五条の事前承認要件は、その射程範囲をめぐって一九七〇年代に曲折を経ながらも、一九九〇年代に人種的ゲリマンダリングの問題が先鋭化するまで、州の選挙制度に対する合衆国の積極的な監視機構として機能することになる。こうした合衆国の権限の大幅な拡充こそが、代表を選出する機会の平等という概念の登場を促したものと思われる。

   (1)  See, generally, Kermit L. Hall (ed.), THE XFORD COMPANION TO THE UPREME COURT OF THE UNITED STATES, N.Y.:O.U.P. (1992), at 899-902 [Vote, Right to] (Abigail M. Thernstrom). 概説に続いて、「アフリカ系市民の普通選挙権」「平等主義のメッセージ」「集団の権利」という三つの小項目が並んでいる。
(2)  高橋和之「アメリカにおける選挙権の観念」芦部信喜先生古稀祝賀論集『現代立憲主義の展開(上)』(有斐閣、一九九三年)所収は、「投票権とは、自己の好む候補者に投票する権利であり、それを正式の立候補者に限定するのは投票権の侵害であるというのが、アメリカにおける常識のようなのである」(四〇九頁)と指摘している。この研究にあるように、アメリカの各州では候補者という選択肢が限定されない認定投票方式を原則としている。厳格な立候補制度を採用している日本の選挙法とは対照的であるが、この点に関し、佐伯胖
『「きめ方」の論理』(東京大学出版会、一九八〇年)は、「国会議員の選出などは、本来は認定方式によるべきだろう」(五二頁)と主張している。
(3)  合衆国の法的構造を特徴づける連邦制度に関しては、近年にも大きな変動がみられた。これに関しては、さしあたり、大沢秀介「連邦と州の関係における合衆国最高裁判所の役割」『法学研究』七一巻九号一頁(一九九八年)を参照。
(4)  下院議員に関する規定であるが、上院議員についても、直接選挙に改められた際に同じ文言の規定がおかれた(第一七修正第一項、一九一三年成立)。
(5)  共和政体保障条項の解釈は、産業革命期のロウド・アイランド州で二つの憲法案が普通選挙の採否をめぐって対立したドアの叛乱(Dorr Rebellion)を背景に、合衆国最高裁判所で争われた。このときのルーサー対ボーデン事件判決(Luther v. Borden, 7 How. [48 U. S.] 1 [1849])で、当時のトーニ(Roger Brooke Taney)首席裁判官は、「州の主権は人民にあり」、共和政体の内容如何は「政治権力により決せられるべき政治問題(political question)である」(Luther, 7 How [48 U. S.], at 47)と述べた。いわゆる政治問題の法理がはじめて登場した判決とされるが、ここでも裁判規範性が否定された背景に州権の尊重があった。田中英夫『アメリカ法の歴史(上)』(東京大学出版会、一九六八年)三一八、三八一頁を参照。
(6)  南北戦争と再建期については、長田豊臣『南北戦争と国家』(東京大学出版会、一九九二年)が、「南部奴隷州の反乱を鎮圧し国家的統一を回復するための戦いであった南北戦争が、その戦争目的の遂行上の必要からも、連邦政府の機能を拡大強化することによって建国以来の合衆国の政治組織(polity)と地方拡散の経済を、組織化もしくは国民化(nationalization)し、政治制度においても国民意識においても、近代国家としてのアメリカ合衆国を創りあげることになった所謂ステート・メーキングの時期そのものであった」(一二頁)という視座から分析している。See, Richard Franklin Bensel, YANKEE LEVIATHAN:THE ORIGINS OF CENTRAL  STATE  AUTHORITY IN AMERICA, 1859-1877, N.Y.:C.U.P. (1990), passim.;William E. Nelson, THE FOURTEENTH AMENDMENT:FROM POLITICAL PRINCIPLE TO JUDICIAL DOCTRINE, Cambridge, Mass.:Harv. U.P. (1988), chs. III-IV. また、進藤久美子「南北戦争と革新主義」三宅一郎・山川雄巳(編)『アメリカのデモクラシー』(有斐閣、一九八二年)所収、君島東彦「アメリカ合衆国憲法第十四修正の意味−『合衆国ー州ー個人』構造と人権保障」『早稲田法学会誌』四三巻一一一頁(一九九三年)も参照。
(7)  一九六五年を含む市民的権利法の成立時の条文や制定過程については、さしあたりつぎの文献を参照。Bernard Schwartz (ed.), 1 & 2 STATUTORY HISTORY OF THE UNITED STATES:CIVIL RIGHTS, N.Y.:Chelsea House (1970).
(8)  白人限定予備選挙、識字試験、祖父条項、投票税の差別的な機能と是正の過程については、久保田きぬ子「選挙過程における人種差別」[1972-2]アメリカ法 199、木下智史「合衆国における人種的少数者の投票権保障(一)」『神戸学院法学』二五巻三号八三頁(一九九五年)九三頁以下を参照。とくに後者は詳しく、下級審の判例などもとりあげられている。See, Armand Derfner, Racial Discrimination and the Rights to Vote, 26 V AND L. REV. 523 (1973) passim.
(9)  Cf., Nixon v. Herndon, 273 U.S. 536 (1927);Nixon v. Condon, 286 U.S. 73 (1932). See, Terry v. Adams, 345 U.S. 461 (1953).
(10)  キャロリーヌ・プロダクツ事件判決の裁判所意見の脚注4については、次の文献を参照。Walter F. Murphy & James E. Fleming & Sotirios A. Barber, AMERICAN CONSTITUTIONAL INTERPRETATION, Westbury, N.Y.:Foundation P. (2nd. ed., 1995) [casebook], at 613-621. See, also, Daniel A. Farber, Philip P. Frickey, Is Carolene Products Dead? Rec45dections on Afc45crmative Action and the Dynamics of Civil Rights Legislation, 79 CALIFL. REV 685 (1991), at 689-699.
(11)  本件に関する研究として、鵜飼信成「黒人解放への一道標−ゴミリオン対ライトフット事件−」(一九六三年)同『司法審査と人権の法理』(有斐閣、一九八四年)所収を参照。See, THE OXFORD COMPANION TO THE SUPREME COURT OF THE UNITED STATES, supra note 1, at 342-343 [Gomillion v. Lightfoot] (J.W. Peltason).
(12)  トクヴィル(井伊玄太郎(訳))『アメリカの民主政治』(講談社、一九八七年)上巻二〇四頁、中巻二〇八頁。
(13)  畑博行「議員定数不均衡の是正と司法部」同『アメリカの政治と連邦最高裁判所』(有信堂高文社、一九九二年)所収、藤倉985b一郎ほか(編)『英米判例百選』(有斐閣、第三版、一九九六年)一〇頁(松井茂記執筆部分)、戸松秀典『平等原則と司法審査−憲法訴訟研究T−』(有斐閣、一九九〇年)一八八ー一九三頁など参照。See, e.g., Robert B. McKay, REAPPORTIONMENT:THE LAW AND POLITICS OF EQUAL REPRESENTATION, N.Y.:The Twentieth Century Fund (1965), passim;THE OXFORD COMPANION TO THE SUPREME COURT OF THE UNITED STATES, supra note 1, at 710-711 [Reapportionment Cases] (J.W. Peltason), 732-734 [Reynolds v. Sims] (Gordon E. Baker).
(14)  「希釈」概念自体は、定数再配分事件判決群の以前にも合衆国最高裁の判例で用いられている。See, e.g., United States v. Mosley, 238 U.S. 383 (1915), at 386;United States v. Classic, 313 U.S. 299 (1941), at 315, 321-22;United States v. Saylor, 322 U.S. 385 (1944), at 389.
(15)  An Act to enforce the right of citizens of the United States to vote in the several states of this union, and for other purposes, 16 Stat. 140.
(16)  An Act to amend an act approved on May 31, 1870, entitled”An Act to enforce the right of citizens of the United States to vote in the several states of this union, and for other purposes, 16 Stat. 433.
(17)  An Act to provide means for further securing and protecting the civil rights of persons for the prompt disposition of disputes within the jurisdiction of the United States, Pub. L. No. 85-315. 71 Stat. 634.. See, 1957 U.S. CONG. AND ADM. NEWS 1966 [Legislative History].
(18)  An Act to enforce constitutional rights, and for other purposes, Pub. L. No. 86-449, 74 Stat. 86. See, 1960 U.S. CONG. AND ADM. NEWS 1925 [Legislative History].
(19)  An Act to enforce the constitutional right to vote, to confer jurisdiction upon the district courts of United States to provide injunctive relief against discrimination in public accommodations, to authorize the Attorney General to institute suits to protect constitutional rights in public facilities and public education, to extend the Commission on Civil Rights, to prevent discrimination in federally assisted programs, to establish a Commission on Equal Employment Opportunity, and for other purposes, Pub. L. No. 88-352, 78 Stat. 241. See, 1964 U.S. CONG AND ADM. NEWS 2355 [Legislative History].
(20)  C・V・ウッドワード、清水博・長田豊臣・有賀貞(訳)『アメリカ人種差別の歴史』(福村出版、新装版、一九九八年)三ー四、二〇一頁。
(21)  さしあたり、ほかに、マーチン・ルーサー・キング(中島和子(訳))『良心のトランペット』(みすず書房、一九六八年)のT「人種関係の行き詰まり」および同(中島和子・古川博巳(訳))『黒人はなぜ待てないか』(みすず書房、一九六五年)の第八章「未来を展望して」を参照。
(22)  ジェイムズ・ジェニングズ(河田潤一(訳))『ブラック・エンパワーメントの政治−アメリカ都市部における黒人行動主義の変容−』(ミネルヴァ書房、一九九八年)三五ー三六頁、一一八頁。
(23)  See, Lani Guinier, THE TYRANNY OF THE MAJORITY:FUNDAMENTAL FAIRNESS IN REPRESENTATIVE DEMOCRACY, N.Y.:Free P. (1994). なお、本書の大部分はすでに邦訳されている。ラニ・グイニア(志田なや子監修、森田成也訳)『多数派の専制  黒人のエンパワーメントと小選挙区制』(新評論、一九九七年)。
(24)  See, Steven F. Lawson, BLACK BALLOTS:VOTING RIGHTS IN THE SOUTH, 1944-1969, N.Y.:Colum. U.P. (1976), ch. 10”We Shall Overcome et passim.
(25)  See, 1965 U.S. CODE CONG. AND ADM. NEWS 2437 [Legislative History].
(26)  See, e.g., Bernard Grofman & Lisa Handley & Richard G. Niemi, MINORITY REPRESENTATION AND THE QUEST FOR VOTING  EQUALITY, N.Y.:Cambridge U.P. (1992), at 16-19.「(投票権)法の核心は、第四条から第九条までに並べられた特別規定(special provisions)であった」(at 16)。
(27)  投票税に関しては、投票権法第一〇条および憲法典の第二四修正第一節によって排除されたものの、問題として完全に消え去ったわけではない。Cf., Morse v. Republican Party of Virginia, 116 S. Ct. 1186 (1996).
(28)  Pub. L. No. 91-285, §§ 2-4, 84 Stat. 314. See, 1970 U.S. CODE CONG AND ADM. NEWS 3277 [Legislative History]. この一九七〇年法では、期限と基準時が更新されたほかに、憲法典の第二六修正第一節に先行して投票年齢が十八歳以上とされ、合衆国の公務員の選挙にかかわる居住要件は三十日未満でなければならないとされた。なお、この後、合衆国最高裁は、ダン対ブラムスティン事件判決(Dunn v. Blumstein, 405 U.S. 330 [1972])で、居住要件を平等保護条項のもとで厳格審査に服するものと判断している。
(29)  Pub. L. No. 94-73, §§ 101, 201-203, 206, 89 Stat. 400-402. 1975 U.S. CODE CONG AND ADM. NEWS 774 [Legislative History]. この一九七五年の修正では、期限と基準時が更新されたほかに、識字試験の禁止が恒久的な規定に含められ、また第四条に瘢が新設されるなど、言語的マイノリティの投票権の平等保護がはかられた。
(30)  Pub. L. No. 97-205, § 2 (a)-(c), 96 Stat. 131-133, codified at 42 U.S.C. § 1973b (a) (1994). See, 1982 U.S. CODE CONG. AND ADM. NEWS [Legislative History].
(31)  ほかに、アラスカ州の全域とアリゾウナ州の一つの郡が当初の適用指定法域であった。30 C.F.R. 9887 (1965). また、アリゾウナ州の二郡、ハワイ州とアイダホウ州の各一郡が三ヶ月あまり後の一一月一九日に追加指定を受けている。30 C.F.R. 14505 (1965).
(32)  なお、投票権法の適用指定法域に含まれた南部諸州につき、人種別の投票権者登録率の推移を示した表が、木下「合衆国における人種的少数者の投票権保障(一)」(前掲註7)一二五頁に紹介されている。
(33)  See, e.g., Warren M. Christopher, The Constitutionality of the Voting Rights Act of 1965, 18 STAN L. REV. 1 (1965), passim.
(34)  本件で審理の対象とされなかった第四条熏に関しては、三ヶ月あまり後、カッツェンバック対モーガン事件判決(Katzenbach v. Morgan, 384 U.S. 641 [1966])で合衆国最高裁の合憲判断が示されている。
(35)  本件では、アラバマ州選出の民主党上院議員を前身とするブラック裁判官のみが、第五条に基づく事前承認要件は州権に対する過度の侵害であるとして、裁判所意見に同調していない。
(36)  Abigail M. Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT:AFFIRMATIVE ACTION AND MINORITY VOTING RIGHTS, Cambridge, Mass.:Harv. U.P. (1987), at 43.


三  投票力の希釈


1  希釈の定義
  (1)  投票の分極化
  トライブ(Laurence H. Tribe)が定義するところによると、「投票権は、投票をおこなうという市民の機会(citizen’s opportunity)、より大きな統治組織に人口に比例して代表されるというコミュニティの成算(community’s chance)、投票力(voting strength)の意図的な希釈を回避するという人種集団の能力(racial group’s ability)、・・これら相異なる事項を包摂している(1)」。トライブは、これら代表選出にかかわる諸利益を総じて平等保護の関心事であるとし、このうち「コミュニティの成算」を「量の次元」の「一人一票」に、「人種集団の能力」を「質の次元」の「公正かつ効果的な代表」に、それぞれ位置づけた(2)。「市民の機会」が一九六五年投票権法の制定に至る過程で確保され、「コミュニティの成算」が定数再配分事件判決群によって道筋をつけられた後、焦点となったのは「人種集団の能力」にかかわる投票力の希釈、つまり「質の次元」の要素である。
  デイヴィドスン(Chandler Davidson)の定義によると、マイノリティの投票権の平等保護に関して問題となる投票力の希釈は、「選挙法制と選挙実務の一方または双方が、ある特定可能な集団内での組織的にまとまった投票(systematic bloc voting)と相まって、少なくとも一つのマイノリティ集団の投票力を圧倒または滅却する過程」である(3)。この定義にしたがえば、マイノリティの投票力の希釈というのは、つまり選挙制度の定立者や管理者が投票傾向の組織的な分極化(polarization)を前提として死票を系統的に割り当てることであるから、地理的に異形の選挙区が創り出されずとも、その効果の点ではゲリマンダリングにほかならない(4)。なぜなら、レヴィンスン(Sanford Levinson)のいう「投票の文脈的な無価値」を招来するものだからである(5)。また、希釈という用語の由来は定数配分の不均衡による過少代表(under−representation)にあるが、その是正が「一人一票」原則に依拠されるようになったのに対し、マイノリティの投票力の希釈は、分極化した組織票という経験的には明らかであっても選挙制度の前提として組み込まれているとまでは単純にいいきれない要素を含んでいる。そして、この点にディレンマを抱えていることから、客観的な数値による評価になじみにくい。このため、マイノリティの投票力の希釈は、実際の判定が困難であるという点でも、むしろ語源に忠実なゲリマンダリングと同様の問題をはらんでいる。
  (2)  多数代表法
  マイノリティの投票力の希釈をもたらす「選挙法制と選挙実務」は、定数配分と選挙区割りがおこなわれることのない全域制選挙(at−large election)などの大選挙区(multi−member district)のもとで、さまざまな形態をとる。完全連記制度(general ticket system)、過半数得票要件(majority−vote rule)、決選投票(run−off elections)制度、集中投票禁止ルール(anti−single−shot voting rule)、番号枠指定要件(numbered post requirement)などが例としてあげられる(6)。これらに共通する特徴は、地理的ならぬ観念的な小選挙区を設定し、そこに大選挙区全体の人口比率をそのまま投影させることで、多数代表法を確実に担保するところにある。もちろん小選挙区はそれ自体として多数代表法を前提とするものであるが、大選挙区が採用され、これが地理的に分割されない場合には、マジョリティの優位が個別の小選挙区において揺らぐこともない。また、逆に大選挙区が小選挙区に分割される場合には、マイノリティ集団の規模と居住区域の密集度によって、その代表の選出が確保されることにもなりうる(7)
  しかしながら、そのような特徴が特定の選挙制度の狙いとするところであるかどうかについては、困難な問題がある。トライブの定義にある「意図的な希釈」が投票権の平等保護と相反するものであることは疑いないにしても、実際の訴訟のなかで差別意図そのものを立証することは必ずしも容易でない。具体的な事例で争われる制度の歴史が長ければ、それが採用された当初の意図は史料からも不鮮明な場合があろう。そこで、マジョリティとマイノリティの分極化を深刻に捉え、これに乗じた希釈を是正しようとする観点からは、差別意図を推認させる客観的な指標が求められることになる。マイノリティの投票力の希釈を判定するのに適した手法は、差別的な意図の立証を必須の要件とする「意図(intent;purpose;motive)テスト」か、それとも、それを差別的な効果から推定する「効果(effects)テスト」か(8)。あるいは、選挙結果から統計的に判定する「結果(results)テスト」なのか。ウォレン・コート期の後半からバーガ・コート期に至る判例は、まさしくこの問題を軸として推移した(9)
  ウォレン・コートの判例では、まずフォートスン対ドーシ事件判決(Fortson v. Dorsey, 379 U.S. 433 [1965])が、ジョージア州の上院議員選挙で大選挙区が採用されたことは、それ自体として平等保護条項に違反するマイノリティの投票力の希釈にはあたらないとした。この事件では、人口が集中する都市部でのみ大選挙区を用いることになる郡全域投票要件(countywide voting requirements)という全域制選挙の合憲性が争われたが、白人市民の集団が提訴したということもあってか、ブレナン裁判官が執筆した裁判所意見では、定数不均衡という意味での希釈は存在しないという判示が要点を占めた。もっとも、この裁判所意見で、大選挙区が政治的または人種的な集団の投票力を「極小化(minimize」」または「滅却(cancel out)」するように機能していることが立証された場合には平等保護条項違反になると述べられた(Fortson, 379 U.S., at 439)ことは、これが傍論部分であったにせよ、マイノリティの投票力の希釈が争われた一九七〇年代の訴訟において小さからぬ意義をもった。証拠のあり方に焦点を絞らせることになったからである。しかし、翌年のバーンズ対リチャードスン事件判決(Burns v. Richardson, 384 U.S. 73 [1966])では、マイノリティの投票力の希釈が違憲とされるには差別的な意図または効果の立証が必要であると述べられるにとどまった(10)。ブレナン裁判官による本件の裁判所意見は、ハワイ州議会の大選挙区について、両院のうち少なくとも一方が小選挙区選出議員のみで構成されることまでも平等保護条項によって要請されているとはいえないと結論している。
  このように、ウォレン・コートの判例では、マイノリティの投票力の希釈について、憲法判断適合性が確立されたといえよう。しかしながら、それを判定するのに、いずれのテストが適しているかという点については、明快な判断は示されなかった。
2  効果テスト
  (1)  ウィットカム事件判決
  マイノリティの投票力の希釈は、一九六九年のアレン事件判決において投票権法第五条の事前承認要件の射程内に収められたものの、この要件の適用を離れて、ウォレン・コートが第一四修正第一節の平等保護条項違反とする憲法判断を示すことは結局なかった。この点で大きな変化が生じるのは、バーガ・コート期のことである(11)
  バーガ・コートに関して、シャピロ(Martin Shapiro)は、一九世紀の個人主義的リベラリズムを二〇世紀の集団的偏向をともなうゲリマンダリングにあてはめようとはしなかったと評価した(12)。また、マヴィーティ(Nancy Maveety)は、ウォレン・コートがもっぱら個人主義的な権利観に立脚して平等保護を推進したのに対し、バーガ・コートの判例には「代表についての集団基底的な分析手法」や「代表を選出する権利についての集団基底的な見方」があらわれたと述べている(13)。こうした評価を検証する意味でも、以後の判例の推移を概観しておきたい。
  まず最初に、第五条の射程範囲に関してアレン事件判決の路線が踏襲された。パーキンス対マチューズ事件判決(Perkins v. Matthews, 400 U.S. 379 [1971])をみると、ブラック裁判官の反対意見が同条を平等保護条項違反とする年来の主張を繰り返しているものの、ブレナン裁判官による裁判所意見は、アレン事件判決で敗訴したミシシッピ州にあるキャントン(Canton)市の市長選挙および市議会議員選挙について投票所の移設や地区の合併(annexation)による選挙区の変形、全域制選挙への移行がなされたことを事前承認要件に服するものだと結論している(14)。また、ジョージア州対合衆国事件判決(Georgia v. United States, 411 U.S. 526 [1973])では、事前承認を求める州の側に、新たな選挙制度がマイノリティの投票力を希釈する意図や効果をともなわないことについての立証責任があると確認された。
  パーキンス事件判決と同年のウィットカム対チェイヴィス事件判決(Whitcomb v. Chavis, 403 U.S. 124 [1971])では、マイノリティの投票力の希釈が大きな争点の一つになった(15)。事件の背景となったのは、インディアナ州の州都インディアナポリスを抱えるマリオン(Marion)郡が、州議会上院について定数八、下院について同十五の大選挙区となっていたことである。アフリカ系市民による提訴を受けた同州南部地区合衆国地裁は、マリオン郡の貧民地区(ghetto)に居住する人種的マイノリティの投票力が希釈されているとして、同郡を小選挙区に分割した(Chavis v. Whitcomb, 307 F. Supp. 1362 [1969](16))。
  しかし、合衆国最高裁は、この判決を破棄した(17)。ホワイト(Byron Raymond White)裁判官が執筆した裁判所意見によると、あくまで「訴える側が、大選挙区が人種的または政治的な分子の投票力を違憲に希釈または滅却していることの立証責任を負う」(Whitcomb, 403 U.S., at 144)のであり、そこにおいて「貧民地区の住民である議員の数が貧民地区の人口に比例していないという事実は、貧民地区の住民は政治過程に参加して自分たちの選択する代表を選出する機会がマリオン郡のほかの住民よりも少ないという証拠と認定がなければ、不合理な差別(invidious discrimination)を証明しない」(Whitcomb, 403 U.S., at 149(18))。また、仮に地裁の認定が正当であるとしても、貧民地区の代表を確保すべく大選挙区を小選挙区に分割する救済方法は不当である、とも述べられている。この結論はともかくとして、ホワイト裁判官の意見では、比例代表法による判断が慎重に回避されつつ、差別的な意図の立証は要求されず、機会の平等を損なう差別的な効果の証明をもって、マイノリティの投票力の希釈を判定する際の分水嶺とする「効果テスト」が提示された。
  こうした裁判所意見に対して、ダグラス裁判官が執筆し、ブレナン裁判官とマーシャル(Thurgood Marshall)裁判官が同調した意見では、マリオン郡の大選挙区はゴミリオン事件判決で違憲とされた人種的なゲリマンダリングであり、そのことこそが本題だとする立場がとられた。ダグラス裁判官は、「大選挙区に関するかぎり、人種的な動機の証明は不要である」(Whitcomb, 403 U.S., at 177 [Douglas, J., dissenting in part and concurring in the result in part])と述べた上で、裁判所意見とは逆に、本件では不合理な効果が生じていることについて十分な立証がなされていると結論している。また、この意見は、第一五修正が投票の分野における人種差別の特別扱いを要請しているとして、「今日、人種的なゲリマンダリングを防止すれば、明日には何らかの意味で特別な利益集団のゲリマンダリングを、それが社会的なものであれ、経済的なものであれ、あるいはイデオロギー的なものであれ、防止しなければならなくなるといわれるが、同意できない」とも主張している(Whitcomb, 403 U.S., at 180 [Douglas, J., dissenting in part and concurring in the result in part])。
  (2)  ホワイト事件判決
  その後、ホワイト対レジェスタ事件判決(White v. Regester, 412 U.S. 755 [1973])では、合衆国最高裁が「効果テスト」を用い、はじめて大選挙区におけるマイノリティの投票力の希釈を認定した。問題となったのは、テクサス州議会下院の定数百五十のうち七十九議席を小選挙区に、残りの七十一議席を十一の大選挙区に割り当てる再配分案である。提訴を受けた同州西部地区合衆国地裁は、この案による一〇パーセント弱の人口格差に正当化事由がないとしたほか、「下院の大選挙区制は、ダラス(Dallas)郡とベクサ(Bexar)郡に関するかぎりで、人種的マイノリティの票を希釈しており、違憲である」と判示した(Graves v. Barnes, 343 F. Supp. 704 [1972], at 735)。本件の直接上告を認めた合衆国最高裁は、人口格差の数値だけでは平等保護条項に違反する定数不均衡は証明されないとしつつも、マイノリティの投票力の希釈に関しては原審の判断を支持した。この判決では、反対意見が書かれていない。
  ホワイト裁判官が執筆した裁判所意見は、原告側の立証責任に関して、ウィットカム事件判決の判示を敷衍し、「候補者指名や当選に結びつく政治過程が当該集団による参加に対して平等に開かれてはいなかったということ、つまりその集団に属する者が政治過程に参加して自分たちの選択する議員を選出する機会が選挙区のほかの住民よりも少ないということの認定を支える証拠を提出すること」であると定義した(White, 412 U.S., at 766)。そして、ダラス郡の大選挙区でアフリカ系市民の投票力が希釈されている証拠として、原審の認定どおり、政治参加に関する公的な差別の歴史と過半数得票要件が人種差別を助長していること、アフリカ系市民の当選者は再建期以降で二名しかおらず、しかも白人が支配する民主党系の組織が候補者に指名したのは同じ二名だけであること、この組織がアフリカ系市民の支持を必要としてこなかったこと、最近でも人種差別的な選挙運動が展開されたこと、これらの事項を認めた。また、ベクサ郡でメキシコ系市民の投票力が希釈されている証拠としては、教育、雇用、経済、衛生、政治などの分野で不合理な差別や待遇が過去から現在に続いていること、郡全体では人口の二九パーセントに過ぎないメキシコ系市民が特定の区域では七八パーセントを超えていること、文化的および言語的な障壁が政治参加を妨げていること、メキシコ系市民の投票権者登録率が低く、一八八〇年以降にベクサ郡から州議会に選出されたメキシコ系議員がわずか五名で、メキシコ系市民が集中している区域からはわずか二名であること、ベクサ郡選出の議員がメキシコ系市民の利益には十分に応えていないこと、これらが列挙され、「状況全般(the totality of circumstances)」(White, 412 U.S., at 769)に基づいて小選挙区への分割を妥当な救済策だとした地裁判決が支持された。
  ブレスト(Paul Brest)は、以上のような判示内容について、「ホワイト裁判官の意見は原告に重い立証責任を配分するものであったが、それは差別意図の証明を求めるものではなかった」と評価している(19)。つまり、差別意図そのものの証明を不要とする「効果テスト」は、ウィットカム事件判決とホワイト事件判決によって定式化されたとみることができる。こう考えると、第五巡回区合衆国控訴裁のツィンマ対マッケイゼン事件判決(Zimmer v. McKeithen, 485 F. 2d. 1297 [1973] [en banc])で証拠に関する最高裁の判断が簡潔にまとめられたことの意義がみえてこよう。
  このツィンマ事件で争われた事実関係は、ルイジアナ州イースト・キャロル(East Carroll)郡の統治機関で他州の郡の理事会に相当する警察陪審(police jury)と教育委員会の構成員の選出が全域制選挙に改められたことである。この変更は同州西部地区合衆国地裁が選挙区間の人口格差を解消するために命じたもので、控訴裁も一旦は支持していた(Zimmer v. McKeithen, 467 F. 2d. 1381 [1972])。ところが、マイノリティの投票力の希釈が争点として浮上し、全裁判官出席法廷で再審理がおこなわれると、今度は違憲判決が下されることになった。
  ツィンマ事件判決の全裁判官出席法廷では、つぎのように述べられていた。ウィットカム事件判決とホワイト事件判決で「合衆国最高裁判所はひと揃いの要因を特定した。その多くが希釈の発生の誘因となるものである。マイノリティの住民の数とマイノリティの代表の数との単なる不均衡を証明しただけでは明らかに不十分である。マイノリティの住民が地域を代表する候補者の公認に参加する機会を与えられていること、公認を受けて選出された代表者がマイノリティのニーズに応えていること、そして大選挙区を用いることが人種差別の維持とは無縁の確固たる州の政策に依拠していること、これらのことが明らかな場合、ウィットカム対チェイヴィス事件判決は希釈が生じていないという判決を要求するであろう。しかしながら、大選挙区制や全域制を選択した州の政策が人種差別に基づく場合、ウィットカム事件判決は拘束力をもたないであろう。反対に、マイノリティが候補者を公認する過程へのアクセスを欠いていること、議員がマイノリティに固有の利益に応えていないこと、大選挙区制や全域制による選挙区の再画定を選択した州の政策が薄弱であること、または過去における差別の存在が選挙制度における効果的な参加を一般的に阻害していること、これらのことをマイノリティが立証できる場合は、それが説得的な主張として認められる。このような立証は、大規模の選挙区、過半数得票要件や集中投票禁止ルールの存在、全域制選挙のもとで候補者が特定の地理的な下位区分から出馬しなければならないとするルールの不存在、これらを証明することによって補強される。希釈の事実は、これらの要因が集合的に存在するという立証に基づいて認定される。しかしながら、ホワイト対レジェスタ事件判決における合衆国最高裁判所の見解は、・・救済を得るために、これらすべての要因を立証する必要はないということを示している」(Zimmer, 485 F. 2d., at 1305 [citations & footnotes omitted])。
  このようにウィットカム事件判決とホワイト事件判決の解釈というかたちでマイノリティの投票力の希釈を認定する際の要件を整理したツィンマ事件判決は、最高裁でも支持され(East Carroll Parish School Board v. Marshall, 424 U.S. 636 [1976])、希釈の認定に関する指導的な先例の座を占めることになった。しかし、「状況全般」から差別意図を推認することによって投票力の希釈を判定するという「効果テスト」は、後にみるように、いわば暫定的に確立したものでしかなかった。
3  意図テスト
  (1)  後退原則
  一九七〇年代の後半になると、最高裁の構成変動もあってか、投票権法第五条の事前承認要件に関するところから変化の兆しがみえはじめる。まず、リッチモンド市対合衆国事件判決(City of Richmond v. United States, 422 U.S. 358 [1975])では、地区の合併によって約四二パーセントの人口比率になったアフリカ系市民が、合併後に設定された九つの選挙区のうち四区で多数となり、別の一区でも四〇・九パーセントに達しているという事実関係から、投票力の希釈はないとされた。ホワイト裁判官による本件の裁判所意見では、アフリカ系市民の代表を最大化するように第五条を運用すべきとの主張が退けられている(20)
  また、ステュワート(Potter Stewart)裁判官によるビア対合衆国事件判決(Beer v. United States, 425 U.S. 130 [1976])の裁判所意見は、立法から十年が経過した「第五条の目的は、これまで常に変わることなく、投票手続の変更が普通選挙権の効果的な行使に関する人種的マイノリティの地位の後退に結びつくようにはなされないことを保障することである」(Beer, 425 U.S., at 141)と述べ、一九五四年からおかれているルイジアナ州ニュー・オーリンズ(New Orleans)市の全域制選挙区に関する部分の見直しがなされなかったことについては、差別的な意図に基づく制度でない以上、事前承認要件が及ばないとした(21)。この意見には、適用法域指定方式の期限延長に批判的であったニクスン(Richard Nixon)大統領が指名した四名の裁判官、すなわちバーガ(Warren Earl Burger)首席裁判官、ブラックマン(Harry Andrew Blackmun)裁判官、パウエル(Lewis Franklin Powell, Jr.)裁判官、レンクィスト(William Hubbs Rehnquist)裁判官が同調している(22)
  これに対して、ホワイト裁判官の反対意見は、人種別の組織票という不幸な現実に鑑みれば、マイノリティの投票力の希釈を防止するという観点から第五条を適用すべきだとした。また、ブレナン裁判官の同調を受けたマーシャル裁判官の反対意見も、「後退」の有無を判断してから希釈の違憲性について吟味させるのでは、事前承認にあたる司法長官やコロンビア特別区合衆国地裁の負担が不当に重くなりすぎると述べた。
  アレン事件判決は第五条に基づいてマイノリティの投票力の希釈を争いうるとしたが、デイヴィドスンによると、これには四項目の重大な制限がある(23)。その第一は適用指定法域が限られているということ、第二は投票権法の成立時にはすでに投票希釈の温床となる法制度が本質的な変更を必要としないほどに確立していたこと、第三は変更がなされても合衆国による捕捉のないままに事前承認要件が潜脱される場合のあること、である。そして、これらに加わった新たな制限が、ビア事件判決の裁判所意見で示された「後退」原則である。
  (2)  UJO事件判決
  ビア事件判決の翌年に登場したウィリアムズバーグ統一ユダヤ連合対ケアリ事件判決(United Jewish Organizations of Williamsburgh, Inc. [UJO] v. Carey, 430 U.S. 144 [1977])では、これまでにみてきた諸判決とは異なり、北部のニュー・ヨーク州が舞台になった。また、投票権法第五条の射程範囲を狭めることになったビア事件判決とは異なり、本件では同条の実施を通じてはかられるべき平等保護の内実が難問として提起されることになった。事件の争点となったのは、同州上下両院の選挙区再画定案の合憲性である。ニュー・ヨーク州は、マンハッタン(Manhattan)やブロンクス(Bronx)と並んでキングズ(Kings)郡が投票権法の適用指定法域を脱することができずにいたため、司法長官の事前承認を求めたが、アフリカ系とプエルト・リコ系の住民が約三五パーセントの人口比率を占めるキングズ郡内の選挙区に疑義が残るとして与えられなかった(24)。そこで、ニュー・ヨーク州は、この疑義に応えるため、改訂案を作成して司法長官に再提出した。両案ともに白人以外のマイノリティが多数となる選挙区の数(郡内の各院の定数の約三〇パーセント)に相違はなかったが、改訂案では、こうしたマイノリティ多数選挙区(minority−majority districts)の全部でマイノリティ住民の比率が調整され、上院の三つの選挙区では七〇パーセント以上、下院の四つの選挙区では六五パーセント以上になるように再画定されていた。ところが、これにより、一九七二年案では両院の選挙区で一つにまとまっていた約三万人のハシド系(Hasidic)ユダヤ市民が、改訂案では各々二つのマイノリティ多数選挙区に分断されることになった。彼らの団体が本件の原告および上告人であり、その主張は改訂案でなされた人種別の割り当て(quota)による選挙区の再画定が第一四修正および第一五修正に違反しているというものであった。
  合衆国最高裁の判決は、投票権法第五条に基づく事前承認を得るために作成された改訂案を合憲としたが、この結論に反対したバーガ首席裁判官と審理に参加しなかったマーシャル裁判官を除く七名の間でも判決理由については見解が分かれ、結果的に四つの個別意見が提示されるにとどまった。そのなかで、スティーヴンス(John Paul Stevens)裁判官のみが全面的に同調したホワイト裁判官の相対多数意見は、(1)第五条の要件に適合するため、人種に配慮してマイノリティ多数選挙区を設定することに違憲性はないと述べた上で、(2)たとえ第五条にしたがう必要がなかったとしても、郡全体の人口比率に概ね比例した割合でマイノリティ多数選挙区を設定することは、いずれの人種集団の投票力も希釈しておらず、違憲性はないと判示した。また、(1)の部分についてのみ、ブラックマン裁判官とともにホワイト裁判官の意見に同調したブレナン裁判官は、自身の意見のなかで、人種的配慮に基づく再画定の正当性が投票権法によって裏づけられている以上、(2)の部分の判示は必要でないと主張している。
  これらに対して、単独で反対意見を執筆したバーガ首席裁判官は、ホワイト裁判とは逆の順序で、(2)「州議会の行為は、連邦の投票権法によって引き出された特別な考慮がなかったとすれば、憲法上許されうるか」、(1)「投票権法にしたがうというニュー・ヨーク州の義務は、こうした手段により同州が連邦法上の目標を達成することを許すか」(UJO, 430 U.S., at 180-181 [Burger, C.J., dissenting])というように争点を整理した上で、いずれについても否であると結論している。バーガ首席裁判官によると、まず(2)の点で、人種のみを基準とした選挙区の再画定は、一九六〇年のゴミリオン事件判決で違憲とされた人種に基づくゲリマンダリングである。また、(1)の点では、投票権法にしたがったことが先例に照らして正しいとしても、そこから六五パーセントという数字が必然的にもたらされるわけではなく、しかも「郡内の『白人』と『非白人』が投票という目的からみて同質的な実体を形成しているという仮定には根拠がまったくない」(UJO, 430 U.S., at 185 [Burger, C.J., dissenting])。そして、この反対意見は、最後に「同じ人種、宗教または民族的出自の候補者のみが投票者の利益を代表し、そうした候補者はマイノリティが十分に集中した選挙区からのみ当選させられうる」(UJO, 430 U.S., at 186 [Burger, C.J., dissenting])という観念がアメリカにはあてはまらないと述べた。
  UJO事件判決は、投票権法によって保護されるべきマイノリティの投票力の希釈ではなく、マジョリティに含まれるとされるユダヤ系の白人について投票力の希釈が争われたという点で、特異な様相を呈していた(25)。一九六五年投票権法による平等保護ではなく、同法からの平等保護、つまり同法を執行する合衆国司法省とそれにしたがう州からの平等保護が論点として浮かび上がったという構図に、それまでにない問題が提起されていた。投票権法は合衆国憲法典と完全に整合的であるのか、この問題に対してホワイト裁判官は肯定的な態度で臨み、バーガ首席裁判官は否定的に答えた。そして、こうした対立の背景には、マイノリティやマジョリティという集団を枠組みとして投票権の平等保護や投票力の希釈を考えることについての是非がある(26)
  (3)  モウビル事件判決
  つぎにみるモウビル市対ボルデン事件判決(City of Mobile v. Bolden, 446 U.S. 55 [1980])では、マイノリティの投票力の希釈を認定するか否かで合衆国最高裁が割れ、全部で六つの個別意見が提示されるという事態が生じた。そして、そのなかで相対多数意見となった四裁判官の見解は、「意図テスト」を採用するものであった。
  事実関係から簡単にみておくと、事件当時のアラバマ州モウビル市は、住民のおよそ三五・四パーセントがアフリカ系であったが、一九一一年以来、過半数得票要件をともなう全域制選挙で選出された定数三の理事会が市長を互選するという制度を採用していた。これがマイノリティの投票力を希釈しており、一九六五年投票権法第二条のほか、第一四修正および第一五修正に違反していると訴えるクラス・アクションが同州南部地区合衆国地裁に提起されたのが事件の発端である。同地裁は、ツィンマ事件判決に沿って、候補者を選出する過程がアフリカ系市民には開かれていないこと、当選した理事がアフリカ系市民の利益には応えていないこと、全域制選挙を選択すべき理由が市の政策にみられないこと、過去に人種差別のあったこと、これら四項目を認定し、さらに助長要因として、全域制選挙では選挙区の規模が大きいこと、過半数得票要件が存在していること、集中投票禁止ルールはないものの番号枠指定要件が設けられていること、候補者について居住要件が設けられていないこと、これら四項目を認定した。そして、これに基づいて、アフリカ系市民の投票権行使が妨害されているという事実はなくとも、その投票力は制度的な要因により希釈されているから違憲であるとし、理事会を解体して全域制選挙により直接公選される市長と小選挙区選出の定数九の市評議員からなる統治組織に変更するよう命じた(Bolden v. City of Mobile, 423 F. Supp. 384 [1976])。これについて被告側からの上訴を受けた第五巡回区合衆国控訴裁は、アフリカ系市民に投票権が与えられる以前から全域制選挙が採用されてきたという市側の抗弁を容れず、地裁の命じた救済策は合衆国の裁判所による介入ではあっても、第一〇修正(「合衆国憲法典により、合衆国に対して委任されず、または州に対して禁止されない権限は、それぞれの州、または人民に留保される」)には違反していないと述べて、希釈の認定と救済方法の選択の両面で原審判決を支持した(Bolden v. City of Mobile, 571 F. 2d. 238 [1978])。なお、地裁判決でも控訴裁判決でも、投票権法第二条に基づく判断は示されていない。
  このような経緯を辿った本件について、合衆国最高裁は破棄差し戻しの判断を示したが(27)、UJO事件判決と同様に、裁判所意見を形成するには至らなかった。そこで個別意見のうち、ステュワート裁判官が執筆し、バーガ首席裁判官、パウエル裁判官、レンクィスト裁判官の三名が同調した相対多数意見からみておくと、投票権法第二条は文言の点でも立法経過からみても第一五修正の繰り返しに過ぎないとされ、その第一五修正については、意図的な差別による投票権の剥奪または縮減のみを禁止したもので、「アフリカ系(Negro)の候補者が選出されるという権利までも与えてはいない」(Mobile, 446 U.S., at 65)と述べられ、さらに第一四修正についても「意図的な差別が存在する場合にのみ、平等保護条項の違反が存在しうるという基本原則」(Mobile, 446 U.S., at 66)によって処断されている。つまり、この意見の骨子は、差別意図の立証がないかぎり、マイノリティの投票力の希釈が違法または違憲とされることもないという「意図テスト」にある。また、ステュワート裁判官は、それまで先例をまとめたものと考えられてきた「いわゆるツィンマ事件判決の判断基準(criteria)が・・本件において違憲な差別意図の立証に不十分であることはきわめて確実である」(Mobile, 446 U.S., at 73)とも述べており、この意見によって従来の手法が否定されたことは明白であった。こうした相対多数意見には、そのなかで繰り返し言及されているように、公務員の採用における人種差別を扱ったワシントン対デイヴィス事件判決(Washington v. Davis, 426 U.S. 229 [1976])で、第一四修正のみならず第一五修正についても、違反が成立するには差別意図の立証が必要であるとされたことが影響していた(28)
  しかしながら、モウビル事件判決で「意図テスト」に立脚し、差別意図の立証を要求したのは、以上の四裁判官だけにとどまった。ほかに二名の裁判官が判決に同意したが、いずれも自身の個別意見において、差別意図そのものの立証には拘泥しないという態度をみせている。まず、ブラックマン裁判官の意見は、統治組織の変更を命じた地裁の救済策が司法裁量の適切な行使を逸脱したものだという判断から、破棄差し戻しという結論には同意しているものの、マイノリティの投票力の希釈ということに関しては、後にみるホワイト裁判官の反対意見に対して賛意を表明している。また、スティーヴンス裁判官の意見は、「本件は、あらゆる個人を平等に扱いながらも、人種的に特定可能な集団の政治力に悪影響を与える政治構造を問題としている」(Mobile, 446 U.S., at 84 [Stevens, J., concurring in the judgment])として、本件を外見的な歪曲という意味におけるゲリマンダリングの事例であると性格づける。そして、人種的なゲリマンダリングを違憲とした一九六〇年のゴミリオン事件判決で「第一五修正は個人の投票権を保障するばかりでなく、政治的な境界線を画定する州の権限を限定してもいる」ということが確立されているとし、この先例にしたがった客観的指標に基づく判断が妥当であるとする。つまり、「本件において、モウビル市の理事会という統治形態が異常なものであるか、あるいは過去の遺物にほかならないものであって、ゴミリオン事件判決におけるグロテスクなかたちと同様に正当化事由をもたないならば、確実に違憲である」(Mobile, 446 U.S., at 91 [Stevens, J., concurring in the judgment])というのが、スティーヴンス裁判官の立てた判断の指標であり、これに照らすことで理事会形態は異常とまではいえないという結論が導かれたのである(29)
  つぎに、ホワイト裁判官の反対意見をみる。ホワイト裁判官は、マイノリティの投票力の希釈を違憲としたホワイト事件判決と本件で相対多数意見に影響を与えたとみられるワシントン事件判決の双方で裁判所意見を執筆しているが、本件では、「相対多数意見はホワイト対レジェスタ事件判決と完全に矛盾しており、平等保護条項が意図的な差別のみを禁じているとしたワシントン対デイヴィス事件判決から導き出されたと理解することもできない」(Mobile, 446 U.S., at 94 [White, J., dissenting] [citation omitted])と述べ、「不合理な差別意図は、ホワイト対レジェスタ事件判決で依拠された類の客観的要因から推定され、第一審裁判所はこうした極度に地方的な評価をなすべき特別の地位にある、という原則」(Mobile, 446 U.S., at 95 [White, J., dissenting])を強調した。
  ブレナン裁判官とマーシャル裁判官は、差別意図の立証は本来的に不要であるとの立場を表明したが、その一方で、仮に差別意図が要件であるとしても、それは差別的な効果から十分に推定されるとして、いわば補充的にホワイト裁判官と同様の「効果テスト」をとった。このうちマーシャル裁判官が執筆した長文の反対意見によると、「相対多数意見は、州による意図的な差別の立証がないかぎり、投票権は政治的な弱者にとって無意味な票を投じる権利でしかない、と結論している」(Mobile, 446 U.S., at 104 [Marshall, J., dissenting])が、学説においても認識されてきたマイノリティに対する大選挙区の差別的傾向から、投票力の希釈については差別効果の立証で十分とする先例が確立しており、第一四修正も第一五修正も差別意図の立証を求めているとはいえない。
  また、マーシャル裁判官は、自身の見解に対して相対多数意見が「第一四修正の平等保護条項は、比例代表法を政治機構の至上命題として要求してはいない」(Mobile, 446 U.S., at 75-76)と反駁したことについて、投票力の希釈から保護することと比例代表法によって当選までも保障することとは別であるから、批判は見当違いであるとしつつ、さらに「本件の事実が・・厳然として執拗な人種ごとの組織票は、マイノリティがほかの手段によって政治の世界に効果的に参加できないということと結びついたとき、個々のアフリカ系市民とともにマイノリティのコミュニティを全体として無力にしうるということを証明している」ことで、「スティーヴンス裁判官による個人の権利と集団の政治力の区別は幻想的となる」とも述べた(Mobile, 446 U.S., at 123, n. 22 [Marshall, J., dissenting])。
  以上のように、モウビル事件判決では差別意図の立証の要否について合衆国最高裁が分裂し、ホワイト事件判決に至る先例の推移からは容易に説明のつかない事態となった。裁判所がマイノリティの投票力の希釈を認定する基準は、いかに設定されるべきか。この問題について、モウビル事件の地裁段階から原告=被上告人側の弁論をおこなったブラックシャ(James U. Blacksher)とマネフィ(Larry T. Manefee)は、つぎのように述べている。「全域制を吟味することのできる基準は、一人一票ルールが測定するのと同じ種類の減じられた投票力を検出するのでなければならない。また、その基準は、基本原則を司法審査に提供し、状況や裁判所が異なっても結論の一貫性を提供するのでなければならない。それと同時に、大選挙区の編成をそれ自体として違法とすること、単に比例代表法の保障となること、これらをともに回避しなければならない(30)」。これを言い換えれば、多数代表法の枠組みのなかで、大選挙区制度をマイノリティの投票力の希釈に直結させることなく、代表を選出する機会の平等を保護することが、「一人一票」原則の徹底と同程度に可能でなければならない、ということであろう(31)
  しかし、UJO事件判決が集団の枠組みをめぐる難問を提起したことにも鑑みるならば、比例代表法をとることなく、マジョリティとマイノリティの比に即した代表の選出を明瞭な基準で確保することは、果たして可能であろうか。この課題に答えて代表を選出する機会の平等を確保しようとしたのが、合衆国議会による投票権法第二条の修正であり、末期のバーガ・コートによる同条の積極的な解釈であった。そして、そこでの究極的な対抗軸は、これまでの判例の推移からも察せられるように、集団という契機を投票する個人の属性として法的に承認するか否かであった。これは、トライブのいう「質の次元」での「公正かつ効果的な代表」がマイノリティの投票力の希釈というゲリマンダリングをめぐって問題とされる状況に至った以上、いわば必然的な争点であったと思われる。

(1)  Laurence H. Tribe, AMERICAN CONSTITUTIONAL LAW, Westbury, N.Y.:Found. P. (2nd. ed.., 1988) [casebook], § 13-1. ほかに「投票用紙に記載されるという候補者の能力(candidate’s capacity)」と「選択した候補者に寄付するという選挙人の成算(constituent’s chance)」が列挙されている。また、これら選挙関連の諸権利は、一般的なルールが自己に適用される際の参加を保障する手続的デュー・プロセスと、もっとも一般的なコミュニケイション・プロセスへの参加を保障する第一修正との中間に位置づけられている。
(2)  Tribe, AMERICAN CONSTITUTIONAL LAW, id., §§ 13-3, 13-7. See, also, Pamela S. Karlan, Maps and Misreadings:The Role of Geographic Compactness in Racial Vote Dilution Litigation, 24 HARV C.R.−C.L.L. REV. 173 (1989), at 176.
(3)  Chandler Davidson, The Voting Rights Act:A Brief History, in Bernard Grofman & Chandler Davidson (eds.), CONTROVERSIES IN MINORITY VOTE DILUTION:THE VOTING RIGHTS ACT IN PERSPECTIVE, D.C.:Brookings Inst. (1992), at 24.
(4)  たとえば、「ゲリマンダリングは、人種に基づく投票権の剥奪や希釈とも歴史的に結びついている」という指摘がある。Nancy Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, Ann Arbor:U. Mich. P. (1991), at 101.
(5)  Sanford Levinson, Gerrymandering and the Brooding Omnipresence of Proportional Representation:Why Won’t It Go Away?, 33 U.C.L.A. L. REV. 260 (1985), at 265.
(6)  See, Abigail M. Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT:AFFIRMATIVE ACTION AND MINORITY VOTING RIGHTS, Cambridge, Mass.:Harv. U.P. (1987), at 303-305 [Glossary]. 同書によると、全域制選挙は、「市や郡や学区の全体を一つの選挙区とする投票方法。したがって、すべての投票者が統治組織の定数全部について選択をおこなう」と説明される。このように、アメリカでは選挙区の規模選択にかかわらず、定数分の投票が当然の前提とされている。大選挙区については、「二人以上の議員が選出される選挙区。たとえば、大選挙区で三名の州議会議員を選出する場合、この選挙区内に居住するすべての投票者が三名の候補者に対して投票できる」と説明される。また、過半数得票要件は、文字通り投票の過半数を候補者指名(予備選挙)または当選(本選挙)に必要とする絶対多数決の要件で、決選投票はこれを担保するために実施される。集中投票は、「一人の候補者を支援するために定数未満の候補者に投票すること。たとえば、十三人の候補者が五議席を争うなかで黒人候補者が一人いる場合、黒人が一人の黒人候補者に集中投票すれば、白人候補者たちの潜在的な票を奪うことで、黒人候補者を支援することができる」と説明される。つまり、集中投票禁止ルールは、完全連記(full slate)を求める要件であり、「すべての投票者は選出される公職と同数の候補者に投票しなければならない。たとえば、郡理事会や市議会の議員選挙で定数が五議席であれば、投票者は五議席すべてについて選択を示さなければならず、四人未満の候補者に対する投票は集計に加えられない」ということを意味する。番号枠指定要件は、「全域制または大選挙区に出馬する候補者が特定の議席(「枠」または「場」)に届け出なければならない要件」である。「したがって、各々の公職または場は別々に選挙されるが、しかし、その選挙区または法域のすべての投票者によって選挙される」ということになる。
(7)  See, Pamela S. Karlan, Maps and Misreadings, supra note 2, at 177.
(8)  もちろん、差別的な意図の立証が困難であるのは、投票権の分野に限ったことではない。「市民的権利に関する法と政治のあらゆる分野において、中心的な問題は、行為が差別とみなされるのは不合理な意図から生じている場合のみか、あるいは行為が人種の別に応じて十分に不利な効果を与えている場合は差別が存在するとみなされるべきななのか、ということである。ほかの分野でもそうであるように、投票権を定義するということになった場合、この問題が中心的な役割を占めるであろう」。Samuel Issacharoff & Pamela S. Karlan & Richard H. Pildes, THE LAW OF DEMOCRACY:LEGAL STRUCTURE OF THE POLITICAL PROCESS, Westbury, N.Y.:Found. P. (1998) [casebook], at 387. See, also, John Hart Ely, Legislative and Administrative Motivation in Constitutional Law, 79 YALE L.J. 1205 (1970);Paul Brest, Palmer v. Thompson:An Approach to the Problem of Unconstitutional Legislative Motive, 1971 SUP CT. REV. 95;Comment, Proof of Racially Discriminatory Purpose under Equal Protection Clause:Washington v. Davis, Arlington Heights, Mt. Healthy, and Williamsburgh, 12 HARV.R.−C.L.L. REV. 725 (1977). Cf., e.g., Note, Discriminatory Purpose and Mens Rea:The Tortured Argument of Invidious Intent, 93 YALE L.J. 111 (1983).
(9)  See, generally, Abraham L. Davis & Barbara Luck Graham, THE SUPREME COURT, RACE, AND CIVIL RIGHTS, Thousand Oaks, Calif.:Sage Publications (1995) [casebook], at 136-137, Table 3. 2, 230-231, Table 4.2.
(10)  「最高裁の判決は、フォートスン事件判決の傍論を繰り返した。宣告された原則、つまり大選挙区の潜在的な差別的影響が、ほかのかたちの選挙にも及ぼされたということは明白である」という評価がある。Thernstrom, WHOSE VOTES COUNT, supra note 6, at 67 (footnote omitted).
(11)  「バーガー・コートが司法審査権行使(違憲判断)に積極的か否かで、バーガー・コートの特徴を明らかにすることはできない」という指摘がある。大久保史郎「アメリカ司法審査制の現段階−現状分析の基礎視角をめぐって」『法律時報』五七巻六号四七頁(一九八五年)四九頁。
(12)  Martin Shapiro, Gerrymandering, Unfairness and the Supreme Court, 33 U.C.L.A.L. REV. 227 (1985), at 232.
(13)  Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, supra note 4, at 20.
(14)  地区の合併と投票権法の適用法域指定方式による事前承認との関係は、法域の自治にかかわって長らく議論されてきた問題である。See, e.g., Daren White, Annexation and the Voting Rights Act, 28 HOW L. REV. 567 (1985), passim.
(15)  邦語による評釈として、中川剛「最近の判例 Whitcomb v. Chavis」[1971-1]アメリカ法 97 がある。
(16)  貧民地区の意味については、都市全体と較べて人口密度と標準以下の住宅の割合が高く、法的、社会的、経済的な制約や慣行のために社会経済的地位が平均以下のマイノリティ集団が主に居住する地域であると説明されている(Chavis, 305 F. Supp., at 1373)。
(17)  本件では、ほかにも、地裁が人口格差の是正を理由として州議会の定数(上院五十、下院百)をすべて小選挙区に分割したことも争点になった。この点では、過半数の裁判官の一致による裁判所意見が示されることはなかったが、地裁の権限を支持したホワイト裁判官の意見が三名の裁判官の同調を受けて相対多数意見になっているほか、ダグラス裁判官の一部反対意見に集まった三名も同様の立場を表明している。また、退任直前のハーラン(John Marshall Harlan II)裁判官による個別意見は、そもそも一九六〇年代に多数決主義的民主主義の「政治の茂み」に突入したこと自体が誤りであったという持論を展開している。
(18)  投票力の希釈を含むゲリマンダリングとマイノリティを含む集団に関して、バーガ・コートで重要な位置を占めたのはホワイト裁判官の司法哲学だといえる。See, Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, supra note 4, at 124-139.
(19)  Paul Brest, The Supreme Court 1975 Term−Forward:In Defense of the Antidiscrimination Principle, 90 HARV.L. REV. 1 (1976), at 44.
(20)  See, Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, supra note 4, at 116.
(21)  本件は、ロックハート市(テクサス州)対合衆国事件判決(City of Lockhart v. United States, 460 U.S. 125 [1983])において、先例として引証されている(at 134)。
(22)  一九七〇年の投票権法の修正に際して、ニクスン政権が適用法域指定方式を失効するままにしようとしたことは、当時のミッチェル(John Mitchell)司法長官の意見陳述からしても明白である。See, Amendments to the Voting Rights Act of 1965:Hearings on S. 818, S. 2456, S. 2507, & Title IV of S. 2029 Before the Subcomm. On Constitutional Rights of the Senate Comm. on the Judiciary, 91st. Cong., 1st. & 2d. Sess. (1969-70), at 185-191;Voting Rights Act Extension:Hearings on H.R. 4279, H.R. 5538, & Similar Proposals Before Subcomm. No. 5 of the House Comm. on the Judiciary, 91st. Cong., 1st. Sess. (1969), at 218-227.
(23)  Chandler Davidson, The Recent Evolution of Voting Rights Law Affecting Racial and Language Minorities, in Chandler Davidson & Bernard Grofman (eds.), QUIET REVOLUTION IN THE SOUTH:THE IMPACT OF THE VOTING RIGHTS ACT, 1965-1990, Princeton:Princeton U.P. (1994), at 33.
(24)  ちなみに、第五条の事前承認要件を回避するために第四条(a)項の手続で適用指定法域から「保釈(bailout)」されることはできないとするローマ市(ジョージア州)対合衆国事件判決(City of Rome v. United States, 466 U.S. 156 [1980])が後に登場している。
(25)  Maveety, REPRESENTATION RIGHTS AND THE BURGER YEARS, supra note 4, at 128.
(26)  UJO事件判決をもって、投票権の集団的側面がはじめて判例で認められたとする向きもある。See, Note, United Jewish Organizations v. Carey and the Need to Recognize Aggregate Voting Rights, 87 YALE L. J. 571 (1978), at 584-585. また、アファーマティヴ・アクションは平等保護条項に基づく機会の平等と整合するという観点から、「補償的正義ということでみれば人種を道徳的に意味のある特徴として枠づけたのが人種差別主義者(racist)であるという命題は、すでに合衆国最高裁判所の統一ユダヤ連合対ケアリ事件判決で憲法上の支持を得ている」とする評価もある。Michel Rosenfeld, AFFIRMATIVE ACTION AND JUSTICE:A PHILOSOPHICAL AND CONSTITUTIONAL INQUIRY, New Haven:Yale. U.P. (1991), at 303.
(27)  差し戻しを受けた合衆国地裁では、一九八二年投票権法修正法が成立したのと前後して、再び差別意図を認定する判決を下している。Bolden v. City of Mobile, 542 F. Supp. 1050 (1982).
(28)  See, Kermit L. Hall (ed.), THE OXFORD COMPANION TO THE SUPREME COURT OF THE UNITED STATES, N.Y.:O.U.P. (1992), at 918-919 [Washington v. Davis] (Gerald N. Rosenberg). もっとも、一九六四年市民的権利法第七編(codified at 42 U.S.C. §§ 2000e et sec. [1994])による雇用差別の禁止については、最高裁もグリッグス対デューク・パワー事件判決(Griggs v. Duke Power Co., 401 U.S. 424 [1971])などで差別意図の立証は不要とする判断を示してきている。
(29)  スティーヴンス裁判官は、本件で述べたゲリマンダリングに対する司法審査についての考え方を、党派的なゲリマンダリングの違憲性が争点となったカーチャ対ダジェット事件判決(Karcher v. Dagget, 462 U.S. 725 [1983])における個別意見のなかで詳しく展開している。なお、この判決は最大〇・六九八四パーセントの人口格差を違憲としたことで知られるが、その意義については、田中英夫「定数配分不平等に対する司法的救済」(一九八五年)同『法形成過程』(東京大学出版会、一九八七年)所収、二一一頁を参照。
(30)  James U. Blacksher & Larry T. Manefee, From Reynolds v. Sims to City of Mobile v. Bolden:Have the White Suburbs Commandeered the Fifteenth Amendment?, 34 HAST.L.J. 1 (1982), at 51. なお、同所では試論として投票力の希釈を判定する独自のテストが提唱されている。これはバーガ・コート末期の判例に顕著な影響を与えることになった。
(31)  Cf., John R. Low−Beer, The Constitutional Imperative of Proportional Representation, 94 YALE.L.J. 163 (1984).「合衆国最高裁判所の投票における憲法上の権利についての論議の根底には、二つの基本的な価値、つまり多数決(majority)ルールとマイノリティの代表(minority representation)がある。この論議は、勝者総取りの小選挙区という伝統的な制度を所与のものとしてきた」が、これら二つの価値を両立させ、「等しく重みのある投票」という個人の権利と「等しく意味のある投票」という集団の権利を同時に保障できるのは、比例代表法のみであると述べられている(at 172-173, 182)。See, also, Douglas J. Amy, REAL CHOICES/NEW VOICES:THE CASE FOR PROPORTIONAL REPRESENTATION ELECTIONS IN THE UNITED STATES, N.Y.:Colum. U.P. (1993) passim. ただし、すでに本文中で述べたところからも明らかなように、比例代表法を制度に反映させることに対しては根強い抵抗感がある。See, e.g., Richard L. Engstrom, Racial Vote Dilution:The Concept and the Court, in Lorn Foster (ed.), THE VOTING RIGHTS ACT:CONSEQUENCES AND IMPLICATIONS, N.Y.:Praeger (1985), at 36-37.