【注1】『大唐新語』巻九に「江淮間、爲文選學者起自江都曹憲。貞觀初、揚州長史李襲譽薦之、徴爲弘文館學士。憲以年老不起、遣使就拜朝散大夫、賜帛三百疋。憲以仕隋爲秘書。學徒數百人、公卿亦多從之學。撰文選音義十巻。年百餘歳乃卒。其後句容許淹・江夏李善・公孫羅、相繼以文選教授。開元中、中書令蕭嵩以文選是先代舊業、欲注釋之、奏請左補王智明・金吾衛佐李玄成・進士陳居等注文選。先是東宮衛佐馮光震入院校文選、兼復注釋。解蹲鴟云、今之芋子、即是著毛蘿葡。院中學士向挺之・蕭嵩撫掌大笑。智明等學術非深、素無修撰之藝、其後或遷、功竟不就。」と記されている。

【注2】『書目答問』には「文選專家」として銭陸燦・潘耒・何焯・陳景雲・余蕭客・王師韓・嚴長明・孫志祖・葉樹藩・彭兆蓀・張雲・張惠言・陳壽祺・朱・薛傳均の十五家が列擧されている。何焯義門讀書記文選五巻・余蕭客文選音義八巻文選紀聞三十巻・朱文選集釋十四巻・王師韓文選理學權輿八巻等の文選專著がある。

【注3】阮元『揅經室』三巻二には「文言説」・「書梁昭明太子文選序後」、『揅經室續集』巻三には「文韻説」があり、美文こそ孔子以來規範とすべき文章であることを主張している。

【注4】宋緒連「从李善的《文選》注到駱鴻凱《文選學》―昭明文選研究管窺」(『遼寧大學學報』1988年6期・1989年1期)等にはなお『文選學』に對する高い評價が見られる。

【注5】趙福海・陳宏天・陳復興・王春茂・呉窮編『昭明文選研究論文集』(吉林文史出版社1988年6月)、趙福海主編『文選學論集』(時代文藝出版社1992年6月)、中國文選學研究会、鄭州大學古籍整理研究所編『文選學新論』中州古籍出版社1997年10月

【注6】多くの日中の學者が「新しい文選學」(「新文選學」もしくは「新選學」と稱されている)の必要性を主張しているが、就中、許逸民氏は殊に「新選學」の創建を首唱し、第二、三囘の「文選學國際學術研討會」において「再談″選學″研究的新課題」及び「新文選學界説」を發表している。