『型世言』第39回
     「カラス貝はたくみにお守りをねだり、
              ミズチはとうとうおふれによって死す」


  翻訳→2005年度「中国文学基礎講読Aクラス(担当・上野隆三)」受講生一同
        =2005年度立命館大学文学部人文学科中国文学専攻2回生Aクラス27名一同。



  剛直な者はまさにあの世とこの世とを馴らす。
  韓愈がワニを追い出しただけが神意と言うべきではないはずだ。
  龍は羅刹に潜んで君徳を讃え。
  虎は昆陽へと去って令仁を避けたという。
  奏上はくじかれて妖狐はその媚尾をふる。
  剣は飛んで帝子は残鱗を嘆いた。
  真心ひとつを頼りにし。
  新しく死んだ者の魂よ碧くきらめくことなかれ。

 今この世は我々儒者が回しているのだから、鬼神ですら使いこなせないわけがありません。まして妖は徳にかなわず、邪悪は正義にかなわないのは理の常であります。昔、一人の婦人がいて、毎日鬼につきまとわれていました。婦人が拒絶していうことには、
「隣村の羊家の娘はとびきりの美人よ。どうしてあの人のところに行かないの?」
鬼が言うには、
「あの人の心はとても正しい、だから付きまとわないのだ。」
その答えに対して婦人は大変怒り、
「それじゃあ、私の心だけ正しくない、とでもいうの?」
ついにその鬼は去っていき、来なくなったとのことです。このありふれた婦人の思い込みの堅さでさえ、鬼を追い払うことができたのですから、ましてや私のような儒学者は言うまでもありません。

 たとえば、唐の郭元振が秀士になったことのことです。夜に郊外の土地の神を祭る廟に泊まっていると、美しい女がいて、小さな部屋に鎖でつながれて悲しみに打ちひしがれて泣いておりました。そこで理由を尋ねると、女は次のように答えます、「村人がわたしを連れてきて烏将軍のために捧げたので、貪り食われるのが怖くて、だからこうして涙にくれているのです。」しばらくして烏将軍が到着し、従者は「郭相公が中に居られます」と告げました。元振は外へ出てきて烏将軍に挨拶をし、その機に乗じてその腕を切りました。するとそれはブタの前足だったのです。夜が明けてから、ついに捜し出してこれを殺し、その廟を燃やしました。

 また、韓文公が潮州の長官に左遷されました。州にはワニがおり、かつて川辺りにいて、しっぽはかぎ状になっていました。そのかぎで人を引っ掛けては深い水の所まで引きずって行って食べてしまったのです。老婆が食べられて、韓文公に訴えが上り、文公は檄文を作り、ワニを駆逐しようといたしました。次の日、深い水溜りの水が尽く乾くと、ワニはついに海に入って行きました。

 宋の孔道輔は道州の長官でその州内に古い廟があり、神に生贄の人間を捧げなければ激しい風と雨や雹が必ずその一帯をかき乱し、害を与えました。孔道輔は囚人を廟の中に縛りつけておき、見れば神像の後ろから蛇が現れ、その囚人を食べようとしておりました。道輔は笏をふるってこれを殴りました。すると蛇は逃げ出して、柱の中へと入って行ってしまいました。道輔は、火を放って廟を焼き払い、妖怪は焼死したのでありました。

 今の御世の林俊は、按察雲南鶴慶府の職にありました。そこには寺院があり、毎年金塗りの仏面を収めることになっていました。そうしないと風や雹で、田地が荒らされてしまうのでありました。彼は邪悪な僧侶が大衆を惑わしているのだと思い、なんとたきぎを積んで燃やそうとし、仏像を燃やせば風や雹はすぐ止むだろうと言いました。ついに仏像は、彼によって焼かれてしまい、それで風や雹はどうなったのでしょうか。風や雹は消え、毎年の浪費を節約できたばかりでなく、今までの寺につぎ込んだ金が返ってきたのです。そしてこの金を使って、国をたすけたのであります。

 これらはみな、正義をもって邪悪を使役する話であり、邪悪は正義には敵わないのであります。それは我々儒者にとっては当然のことであります。さらに、我らが明朝には、夏忠靖公、名は原吉、字は維喆、湘陰県出身の者がおります。彼がまだ挙人の試験に合格していないとき、県の中に紫仙姑を呼び寄せる者がいて、その人は桃の木でできたカゴの中にいて、詩や賦を作ったり、人の生死を決めたり、人に吉凶を示すことができました。なんとも、現代の招仙の人に似合わぬことに、占って欲しい民衆は文章を送り届けては交換しておりました。そうすると、彼は数句のあいまいな詩を書いて返答をするのです。そのためにその人の周辺は市のような人だかりを為していました。夏維喆には、占いなどを信じ易い友人がおり、一緒に行かないかと彼を招き寄せました。行ってみると丁度ひとがそこで、「私を占って下さい。」「こっちもお願いします」と、桃の板に詩を書いたり、賦を書いたりしているところでありました。夏維喆が、ひとたびそこへ至りますと、桃のカゴは静かになり、一気に八九枚の道符が燃えだし、ぴくりとも動かなくなりました。すると夏維喆は、一笑して帰って行きました。夏維喆が去った後、桃のカゴは再び動き出し、その占い師が申すには
「夏公は貴い人です。将来、官階を上りつめるでしょう。」
大衆が申すには、
「彼が来た時にどうして詩賦を書いてさしあげなかったのですか?」
占い師は答えます、
「彼は品行方正な人なので、私は近づく事ができなかったのです。」
これは彼が若いときの話で、彼はその後、郷試に合格したことによって中書になり、次々と戸部主事、員外郎中と出世しました。さらに侍郎となり、永楽帝の御世の頃には戸部尚書にのぼりつめ、呉・浙の地の水利工事を監督するようになりました。

 まだもう一つ珍しいことがございます。浙江省にある湖州府。府の南には道塲山・浮玉山の二山が並んでおります。北には卞山が聳え立っており、また、東西は昇山・莫干に囲まれ、五湖・苕霅が周囲をめぐり、どこを見ても風景が美しく絶好の景勝の地であります。その町の外れに慈雲寺という寺があり、高殿は豪壮にして、華麗です。寺の前には潮音橋という名の橋が架かり、橋はまるで白い虹が天にかかっているかのような、あるいは、蒼龍が水の中から出てきたかのような様であり、橋の下は深い淵でありました。

  深い色をした静かな水面にお日様は映り浮かんでいる。
  水面に広がっていく水紋は微かな風のせい。
  淵は静かで深さは百尺もあろうかと思うほど。 
  此処こそまさにあの鮫人の館。

池の色はかすかに緑がかっており、深さは測ることはできません。その池の真ん中に一つの物が産しました。

  カニのようであるけれども、あしがなく。
  開いたり、閉じたりする。
  月の満ち欠けを映し。
  腹の中には思いもよらないものがある。

 その物の正式な名前は「方諸」と申し、俗には「カラス貝」と申します。それはかたくななまでに無知で、無情なものであります。どう言うわけか、それは深い淵の中にいて、昼間は水底に潜み、夜間は水上で漂って月の光を浴びます。その中に一粒の真珠を産生しました。その大きさは拳のようであり、光が四方に輝き、どれだけの年月が経っているのかわかりません。それは宝となったのです。くもりで、そよ風が吹き、弱い雨となるたびに、カラス貝は片方の貝殻を水に浮かべ、片方の貝殻は帆となり、風に乗ってたちまちのうちに西から東へとあたかも漁火のようにあちこち飛び回り、森の木をすべて光らせるほどに映り輝きました。人々はただこれは、漁船が櫓を速くこぐのだろうと言い、とりわけこれが一粒の真珠だということを知りませんでした。次第に様子が現れてきて、明らかになりました。カラス貝は月の出ている夜に現れるのです。

  【西江月】「ぼんやりとした空には紫電が光り、キラキラする水面に朱霞がかかる。電光はウネウネと波を逐い。スッと流れ星が飛びそそぐ。」「疑うらくはこれ怒り渦巻く地獄の底か。漁師の漁り火が漂う。星の光が燦々と野人の家を照らすのは。月と競い照らすから。」

 各々の船はこの光を目にしました。光は深い淵から現れ、深い淵の中に沈んでゆきます。行き来する様はとても速いのです。また水上へとやって参ります、これは一体何者でしょうか。「鬼火」にも「水光」にも見えますが、ようく見れば、なんとカラス貝ではございませんか。カラス貝の殻の中には一粒の大きな真珠があり、光はみなそれが発して出たもので、眩いほど光輝いて、近寄ってみることが出来ません。そのようなことが伝えられて、みなはそれが夜光の玉であることを知り、それを気にするようになりました。

 湖州人は、水にもぐることに慣れていましたが、ひとつには、池がどこまでも深くて底に届かないこと、ふたつには、そのカラス貝はとても大きくて一人では持ち上げられないのでした。ましてやそのカラス貝は、ふちが鋭い刃物の切っ先のようで、それに触れればすぐにも皮膚が破れて出血するのです、どうしてそんなカラス貝に手出しすることができましょうか。網を用いて取りに行っても、カラス貝が深く潜れないはずがありませんから、ただ少ししか見ることしかできませんでした。もの好きな人が、その場所に建てたあずまやを「玩珠亭」と呼びました。そこは、かつて多くの名高い人が詩を詠じた所であります。

 しかし、貝の出入りする時間が決まっておらず、五六日ずっと姿を現さなくて、偶然に見つけた時には、それはまさしく不思議な縁というべきものでありました。このように珍しいものと言うのは、人はなかなか見られないものでございます。真珠の中には火斉・木難・青泥などがさまざまあり、この赤いカラス貝の珠の光は照乗珠の明るさにとどまらず、まさしく明月の珠と呼ぶにふさわしいほどでございました。これだけ貴重なものとなりますと、ただ人間が真珠を好むだけでなく、生物もまた好むものでございます。生物の中にはミズチがおりますが、ミズチはロウを恐れ、鉄を恐れ、焼きツバメを好み、真珠を狙うものでございます。

 梁の武帝時代に杰公という人がおり、ひとにロウを着させたので、小さいミズチはもちろん近づけませんでした。それで焼きツバメを持たせ、これはミズチの好物で、また空の青い箱も持たせました、これもミズチの好きなものです。そして、太湖のある龍宮に入り珠を求めたところ、夜光の珠・蛇珠・鶴珠などの珠を得ることができたそうです。

 蛟龍は珠を好み、それで珠を集めるのでございます。湖州には太湖・風渚湖・苕渓・霅渓・罨画渓・箬渓・余石渓・前渓が連なっております。ここは水の多い土地であり、まさに蛟龍の集まる場所でありますが、地元の住民としては到底受け入れられることではありません。

 そういうわけで洪武の末、すなわち革除の年に、ミズチは水に乗って、珠を取り来ました。その際、水は別の渓浦より、数尺高くなりました。あるときは風雨に乗じて深い淵にやって来ました。疾風・暴雨は木を引き抜き砂を巻き上げました。濃い煙・黒い霧の中にぼんやりと見えたのは黄龍、あるいは白龍、あるいは黒龍でした。その三匹の龍が、つらなって深い淵の中に入り、暴れて淵は沸騰したかのようになりました。そして再び風雨に乗じて去っていったのでした。

 ある日、黒い風や、激しい雨や、雹が人家の瓦をすべて打ち砕きました。また、たくさんの樹木が倒れました。雲に覆いつくされ、昼は夜の様になりました。翌日になると、その場所の水の上に青龍の爪が一本浮いているのを、人が見つけました。青龍の爪は、カラス貝の中に探り入って、その真珠を取ろうとしたところ、カラス貝の殻の切れ味がよかったので、防ぎとめることが出来なくて、爪は挟みきられてしまったのでありました。龍は傷を負って宙に舞い上がり、そのために木々をなぎ倒し、玉は手に入らずに、ただ爪を剥がして去ったのでありました。しかしこれらの龍たちは、始終カラス貝から珠を奪おうとしました。

 ある日、すでに刻は宵の口を少し過ぎており、ただ外からは陣太鼓のように響いて風が吹いてくるのが聞こえ、どの家屋も動いてしまうほどに揺り動かしました。勇気のある人たちが家の窓の隙間から少し覗いて見ると、雨や風が吹き荒れている中に、雲や霧に覆われて、一人の金の鎧を着た神が、変わった様子の勇猛な兵士たちを後方に一列で従えて東南に向かって戦いにやって参りました。

  イカが旗を高く掲げ、
  ヨウスコウワニの兵隊が太鼓をたたく。
  カメの前衛部隊は様子をうかがうように歩哨を挑発し、
  コイの使者は尻尾を振って軍をせきたてている。
  盾が入り混じり、
  オオスッポンの使者は勇気を奮い起こして鼓舞しながら突撃し。
  まさかりは入り乱れ、
  武装したカニは横歩きで見回って敵陣を破る。
  ドジョウの尾は剣のように舞い、
  タウナギの頭は槍が集まったかのよう。
  妖怪ウナギは投げ縄を飛ばし、
  怪物ワニは熊手を用いる。

 それからもうひとつの陣は、海老や魚類が飛び跳ねてやって参ります。このあたりの水中も霧がもうもうと立ち込め、大波は盛んに流れます。三人の女武将が突進し、そこには一陣の伏兵があったのです。

  シロハマグリを前衛部隊とし、
  キシジミを左に突進させた。
  アゲマキガイは利刀を振るって最初の功を挙げ。
  フナガイは奮い立って素手で白刀にあえて向かっていった。
  カキは身を粉にして主に報い、
  オオガイはひじをまげて弓を引いた。
  タニシはぐんぐんと強力な先方部隊を侵害し、
  中軍のカラスガイを取り囲んだ。

 両方の軍は、それぞれ一族を率いて殺し合いをしております。こちらの三人の女将は六本の刀、あちらの一人の将軍は一本の槍。まるで切っ先が、柳のように乱れ飛び、霜のように光って乱れ回ります。あちらの三人が殺しにかかれば、こちらは右に逃げ左にのがれ、支えきれずに、さてどちらに軍配が挙がったのでしょうか。

  やたらと真珠を手に入れようとして、
  ドンドンとヨウスコウウニの太鼓は雷のよう。
  まさか戦功がこれほど挙げがたいものだとは、
  この敗北は垓下の戦いと同じ災難。

 こちらのシジミ・ハマグリたちが身を躍らせて、砲弾のように一斉に撃ちかかれば、あちらのカメにオオスッポンは首を縮め、ドジョウ・タウナギはクネクネいたします。金の鎧の神様は、みんなを率いて退却いたします。そうして朝がやって参りました。付近の田地の作物を見てみると、風と雹とでこっぴどくやられているではありませんか。それでいて真珠は手に入れられてないのです。ここの百姓たちはみな、龍たちに恨みを抱き、またカラス貝が災いを招くのに、あいつをどうする事もできん、とぼやいているのでした。

 時に永楽元年、浙江は嘉・湖・蘇・松の四つの府に接していて、常に水害があるため、しばしば皇帝の命令である役所に修理するように命じましたが、すべて功績が挙がりませんでした。朝廷の命令で夏維喆を遣わし、戸部尚書として江南にきて、治水を監督して処理することになりました。彼は各所を訪問して、述べていうことには、

    「嘉・湖・蘇・松の四府は、地勢が極めて低く、そのため多くの水が集まります。しかし幸いなことに太湖がございまして、延々五百里に及びますゆえ、杭州・宣歙の各所の川筋はすべてそこへと帰し、また枝分かれして澱山湖へと注ぎ、また三つに分かれて海へと入るわけです。それが今や港や浦は塞がれて、水は溜まるばかりで捌けないのでございます。水が海へと入らなければ、堤防が切れて、被害が出ます。大勢を見ますと、この水患を治めますには、呉淞の岸をさらって通し、各浦を安定させ、太湖の水をそちらへ導き、一路は嘉定県の劉家港から海へ出し、もう一路は常熟県の白茆港から長江へと流すのがよろしいでしょう。上流には太湖がありますから溜めておくことができますし、下流は長江と海へと流れを注ぐことができるようになるわけですから、自然と災害を免れるでしょう。」

 彼は、勅旨を奉ると、浙江にて役夫を募集して、さらいを始めました。夏尚書はいつも四府を巡歴して、水勢を測り、その工程を監督いたしました。ある日、巡歴して湖州までやって参りまして、慈感寺に投宿して、その風俗を尋ねました。すると、その中の一老父が話すことには、
 「この橋の下には真珠を持ったカラス貝がいまして、かつてミズチや龍がそれを奪いにやって来て、疾風暴風を巻き起こし、作物を駄目にしてしまったんです。」

夏尚書は、思い巡らしましたが、打つ手はありませんでした。夜更けとなり、読経の鐘の音も静まり、寺内がしんといたしますと、夏尚書も着物を脱いで床へと就きます。すると一人の婦人が駆け寄ってくるではありませんか。

  雲なすカラスの濡髪と雪か露かの透き通る肌。
  眉根にしわよせどうも悩み事があるようだ。
  黒い衣がしなやかに軽風にひるがえる。
  司空は見るなり腸がちぎれる様な気分。

後ろにひとりの娘を連れておりますが、肌がきれいで光るようでございます。

  燦々と光りひとが映るのではないかと言うほど。
  キンキラ清潔で塵芥とは無縁の様子。
  夜分に投げられたからと言って剣に手をかけてはなりませぬ。
  これはミズチの宮殿で群を抜く一番の美人。

夏尚書が、彼女たちに何者か尋ねようとして、ふと婦人の方を見やりますと、なんとも哀しい顔をして、襟を正して跪いて申します。
 「わたくしは方諸と申します。祖先は月に感応して生まれました。シジミ・ハマグリ・アゲマキガイ・カキ・アカガイなどは、みな一族で、天下に散在しております。私は済水に棲んでおりましたが、宝を蔵して用心しなければ盗賊に遇うと言うもので、シギがこれを奪いにきて、集まって獲ろうといたしました。獲ろうとする者は、それを独り占めしようとし、ついに二匹とも死んでしまったのでした。それで私は水の底深くに隠れることに致しました。その昔、漢の武帝が河のほとりに遊んだ時、藻兼は東方朔のために娘を献じてお酌をさせましたが、それは私の娘の赤光でございました。またここに棲むようになりましてからは、じっと自制して、口を縫って堅く閉ざし、年月を過ごして参りました。娘がひとりおりますが、美を一身に備え、容色清潔、性格もまたまるく、光は四方に煌き、燦々とひとに迫るようでございます。火斉や木難でさえ及ばないでしょう。自分が光り輝くことを恥ずかしく思い、私とともに世間を避けて隠れた暮らしていました。しかし、ただあまり深くなかったからか、思いがけず近所の悪い奴が近づいてきて、その下品でみだらな性質をほしいままにし、その爪や牙のするどさをたよりに、娘の容姿をうかがい、強引に獣に身をゆだねさせようとしたのです。たびたび風と波を起こし、脅かしました。娘は自らを大切にし、他人にもてあそばれたくなかったので、 母の私は、それを拒否したのです。その男はまだ巧みに強奪しようといたします。私は抱えて守り、丈夫でありますが、恐らく支えきれないでしょう。あなた様から一つ書付けを頂戴したいのです。そうすれば近所の悪い奴も恐れ入るし、我々母子も洞窟で生涯を終えることができます。母と娘二人とも心よりお願いいたします。」

長官は申します、
「女に生まれたからには家庭に入ることを望むものだ。もしその男が生涯自分の身を託すことができる人であれば、なぜ拒む必要があったのか。」

婦人が泣いて申しますには、
 「私が腹を痛めて産んだこの娘、ずっと連れ添って参りましたのに、ともに零落するならまだしも、人様の手に渡すだなんて。」

後ろにひかえる娘も、涙ながらに申します、
 「男たちは貪婪で、私たちを際限なく拾い集めても、まだ網は止まないのです。私どうして深い淵に沈んで、いつか網で捕られるのを待っておられましょうや。夜分に明珠を投げつけて、人が剣に手をかけるなんてことがあってはなりません。どうか憐れみを。」

夏尚書は夢現のなかでこれはカラス貝であると悟り、筆をとって詩を一首つくりこれに与えました。

  暇をみてしばらくこの林で休んで行かれよ。
  鈴鐸リンリン苦吟に和す。
  老境に入りサルと相伴する生活。
  真心より接すればカラス貝の打ち明け話あり。
  天はすでに新沢の敷かれるのを目にし。
  薄海すべからく徳音に奉ずべし。
  語を寄すミズチよ獲るなかれ。
  試しに腹をかっさばきその貪婪を笑おうか。

書き終えるや、婦人に与えて申します、
 「これをそなた達母子のお守りになさい。」

婦人と娘は再び礼をして申します、
「私たち親子がこれが手に入りさえすれば、心配することもなく、人と争うこともなくなります。」
婦人たちは落ち着いた様子で去っていきました。夏尚書は目覚めると、単なる夢でありました。ただ明月が窓から見えた。竹の影は揺れ動き、明かりは燃え尽きようとしています。四隅の壁は物寂しい様子です。

夏尚書は笑って申します、
「愚かなものでさえも、私夏尚書を知っている。今からはこの妖怪も、あえて禍を起こさず、この地方に長く風雨の騒ぎを起こさないだろう。すなわちこれはこの地方の幸運である。思うにミズチは鉄を畏れる。鉄の札にこの詩を写して橋の下の淵に投げれば、この地方はしばらく安らかになるであろう。」

 何度も戦いを繰り広げていたのは、龍神ではなく川の中で長い間修養鍛錬したミズチでありました。それは息を吐いて雲を作ったり、息を吸って雨をふらせたりすることができ、水を得て一飛びすれば数里もいくことができます。また幻に変化することもでき、しばしばカラス貝の真珠をとろうとして、とることができませんでした。そのミズチが後ろで聞き耳を立てていると、カラス貝が、夏尚書のところでもらった詩には「ミズチよ獲るなかれ」と書いてあるようでした。
「夏公めが、わたしがもし依然として雲をおこし雨を降らせて、この土地を騒がせ迷惑をかけたら、罪を得ることになってしまうではないか。もし去らなければ今度はカラス貝に笑い草にされちまう。カラス貝が、夏尚書の詩を手に入れたのなら、俺も必ず夏尚書の詩を手に入れなければならない。もし夏尚書のお札があれば、あのカラス貝は抵抗することができず、我が手中に収めることができるっなてもんだ。」

 それから、夏尚書は各府を巡り、蘇州から松江に着きました。禹王が治水を行った時、三つの河が海へと注ぐようにした故道でございます。その夜、駅舎に泊まり、寝室の外をうかがってみますと、ざわざわと人が歩いているような音が聞こえ、ただ一人の魚の勇士が見えました。その勇士が報告して申しますことには「川の神参上!」夏尚書は衣冠を身につけて、外に出て面会しようと、ふとその神さまを見ますと、

  烈火が身を巡り噴火の光り。
  魚鱗の金鎧が寒々と輝く。
  豹の頭にまんまるの瞳勇猛さかん。
  電の舌雷の声意気さかん。

神さまが、正面に向かって進み一礼して、申しますことには、
「それがしは渓神である。同属は非常に多く、それぞれが川で長となっている。それがしはかたじけなくも要職にあって、かつて近所の女性を礼を尽くして招聘したが、思いがけなくこの女性は非常にずる賢く、意識が朦朧としている夏尚書に、手ずから書いた護符を請い求め、それがしがすぐに親しく出迎えようとすると、これを口実に拒んだのだ。そこで、またこの女性に言い寄れるように、護符を改廃して、かねてからの気持ちを成し遂げたいのです。」

すると夏尚書は申します、
「招聘するところのものは湖州の慈感寺のほとりの女人ではないか?彼女が望んでない以上、強制してはいけない!神の身でありながら、美色をつけねらい強要していいものか。」

金甲神が申します、
「この結婚の話は、わたくしだけが賛成しているのではありません。私はこのカラス貝の娘を必ず手に入れると誓う。もしもあなた夏尚書がその考えに固執するならば、そのカラス貝の娘を守れないだけではなく、恐ろしい災いは池の魚にまで及びますぞ。夏尚書、あんたは川神である銭塘君が怒った話を聞いたことはないか?神尭の時代、怒って九年洪水を起こし、涇水の戦いとなり、また怒って八百里にわたって農作物を駄目にし、大陸は池となり、耕地は青い海になった。私とカラス貝の娘との結婚を邪魔するならば、夏尚書おまえの一族だけではなく、一般の人にも被害が及び、後に残るのは民衆の憂いだけだぞ。」
彼は意味深に脅しつけました。

尚書はただ目を見張って申します、
「天子様は天上にいらっしゃって、百の神が仕えている。お前は、何という邪悪な神であろう、どうして善行がないのか。昔、澹台滅明は漢江にてミズチを斬り、趙昱は嘉陵にて天に変わってミズチを誅罰し、周処は橋の下でミズチを殺したが、お前を干し肉にしてやることも簡単なことなのだ。私は、今お前の犯した湖州の田畑を荒らした罪をただす。当然、天誅をくだすべきであり、天誅をくだせば土地は潤い、この女を養うことができる。速やかに退きやがれい。」
大いにののしると、妖神は憤り去っていきました。

夏尚書は、憤慨したが冷静になると、
「いましがたやって来たのは龍神である。もし龍神がカラス貝の真珠を欲しがれば、結局この場所の田畑は、また乱れてしまう。必ず排除しなければならん。」

その檄文には、こうしたためられております、

    「官を設け吏を置き、職務は上司部下を区別せねばならない。暴力を抑え貪欲を懲らしめ、裁きに不平等があってはならない。これみよがしに国の規範を侵害したり、こっそり天の法を犯したりしたら、当然天誅を受け、一緒くたに殺されても当然であります。悪賢い毒蛇が増え、貪欲をほしいままにしている。うわべだけで改心をする気もなく、みだりに貨殖を欲しがり、みだりに暴力をおこなう。龍が突如風雨を起こすのは、周公の無実を晴らすようなことではなく、迷惑千万な行為なのだ。天気を好き勝手にしたりして穀物をあっという間に駄目にしたら、当然あの涇河の龍神みたいに罰を受けるべきです。霅苕の清き流れは飲むに生臭く、人民はその爪牙を怖れております。予且が網でお化け亀を捕まえ、劉累が龍を飼い馴らしていたことが共に知られています。ただあなた様だけは、東海を鎮守され、平和を好む王を立て、無礼者には必ず咎をお与えになります。その鷹のような雄雄しい忠臣たちはウサギを追うように敵を追い払う。もしも罪を犯しながらまだ赦しを得ていない者がいるのならば、そのような者は逃がさずに天誅を与えてください。毒と穢れはきれいになくさなければいけません。どうぞ風を吹かせ嵐を起こすさまを見せてください、そうしてあなたの力をお示しください。
右檄 東海龍神あて。」

 檄文を書き終わると、役人に命令して、一組の豚羊を準備させ、海のほとりで祭祀を行い、海辺でその檄文を焼きました。その夜、なんと海神はもうその霊験をお示しになり、なんと天の神様が戒めをお降しになりました。海の畔に住んでいる人たちは、まるで軍馬が疾走するかのように、大波が奮い立ち、まるで陣太鼓のように、風と雷がとどろくのを聴いたかと思うと、それはたちまちのうちに去っていったのでした。前渓地方の住民らが申しますには、

   「霹靂交錯し、風雨が集う、ガラガラ雷は鉄馬が馳せるかのよう。ヒューヒュー風吹き太鼓のよう。砂舞い上がり、木は引っこ抜け。睢水の師を目覚めさせてしまったかのよう。瓦を振るわせる雷のとどろき、まるで昆陽の合戦のよう。九層の天までの戦き、九層の地下あですら逃げおおせぬ。するどい牙もこうなっては雄鋒を失い、するどい爪もこうなっては鋭気を失う。まさにウロコが雨に舞い飛び、血が風にそそがれる。貪婪に天誅下り、雷のもとに死す。」

 風雷の音が遠くから近づいてきた。前渓地方では大波がうちつけ、雲霧がたちこめ、戦争のさわがしさのようでありました。しばらくして、突然雷が鳴ったかと思うと騒がしい音はすべて止み、その風雨は海の方に向かって去って行きました。ここの村人が言うには「今回の雷の一撃は、どんなものに当たったのだろうか。」 朝になると、人々は「とても大きな蛇だ!」、「とても大きな龍だ!」、また「昨日天からの雷に打たれて死んだやつだ!」などということばかりを騒がしく申して
おりました。

   「曲がりくねって三十丈、二三畝をおおう。ウロコは奇妙な色をして、燦々と太陽とその色を争う。爪は鋭くカギをなし、サイの角・鋒の先と鋭さを争う。ふたつのツノが屹立し水に臥す。その身はばったり波間に横たわる。その鋭気雲を吐くも、今となっては横死して波に沈む。」

 注意深く見てみると、そのものには角と爪があり、その体は青色で姿かたちは龍であります。しかし実際それは大きなミズチなのでありました。「このミズチは自分がひどく罪な存在であると知らなかったのだ、だから天に打たれたのだ。」と 多くの人が申しました。

ある人が言うには、
「毎年四・五月の間、ミズチはここで洪水を起こし、田の穀類作物は水びたしになり、みなそれによってだめになった。今天は眼を開いて、人民のために害を取り除いた。カラス貝を欲しがったせいだろうか、そのために身を滅ぼした。夏公さまの檄文によって死んだのだ。」

 村役人が県官に報告し、県官がさらに報告し、そうして夏尚書のところへ連絡が届きました。夏尚書が、ミズチの死んだ日のことを調査すると、それは丁度、夏尚書が檄文をしたためた夜の出来事でした。そして夏尚書は、海神が命を惜しまず、一日もせぬうちにミズチを退治してくれたことを喜びました。このミズチはもう少しで龍になれるほど腕前を持っていましたのに、静かにしていればよいものを、どうしてカラス貝の真珠なんかを欲しがったのでしょうか。

夏尚書はため息をつき、
「今の官僚どもは、収賄ばかりに熱心で、侵法の天罰がいずれ下るに違いない。」

またカラス貝の心配事がなくなり、湖民は驚かずにすみ、自身の心は洗練され、鬼神と感じあえるようになったことを喜びました。後に治水のため、また湖州に至り、うとうとしているとこの前の婦人がまたあの時の女の子を連れてやって参りました。今度はもうひとり小さな女の子を連れており、襟を正してかさねてこちらに向かってお辞儀をし、申しますには、 
 「以前に夏公さまからお札をいただいたおかげで、すでに強いお隣さんは舌をひっこめましたが、その後になっても、なおくどくど言うのをやめませんでした。夏公さまは海神に檄文を出して下さり、海神はそのチームを率いて、前渓で大戦し、震沢の神様も助け船をだして下さいました。悪いミズチは孤立無援で、ついに雷斧にかかって死にました。ひとりを罰して衆人の見せしめにしたので、ほかの人はもう決して羨ましがらなくなりました。私たち母娘は、夏公さまが強きを挫き弱きを助けて下さったおかげで、離散するのを免れたのに、夏公さまは見返りをお求めにもなりませんでした。ここにおります年頃の娘は、ピチピチのツヤツヤで、美玉とまでは行かないまでも、この世に稀な娘でございます。どうかあなた様の左右に侍らせて下さいませ。」

すると夏尚書は申します、
 「ミズチは貪欲のために身を滅ぼしました。わたしがあなたの娘を取り上げたら、ミズチの二の舞になってしまう。娘さんは決して受け取れません。」

婦人は申します、
「私には二人の娘がいて、一人はここに留め、一人は夏公さまに仕えさせましょう。もしあの日、夏公さまに天誅を下して頂けなかったら、私は殻から追い払われ、自分で自分を守ることができなかったのですから、娘も死んでいたでしょう。本当に夏公さまのおかげで身の全きを得ることができました。だから娘も真心を尽くし、あなたを楽しませることを願っています。」

しかし夏尚書は、
「あなたの言うことによると、あなたは私の親切に感動し、今どうしても娘を汚そうとしているが、それは私を汚すことであり、私の徳に報いることにはなりません。それにあなたの娘を奪うことは不仁に当たります。またミズチを殺して、その報恩を得ることは不義ですよ。」

こんなやりとりを再三繰り返しますと、婦人も夏尚書の意志が堅いのを悟り、ふたりの娘と一緒に再拝して、泣いてお礼を申します、
 「夏公さまは、孟嘗の徳を備えていらっしゃいますのに、わたくしは隋公の珠によってそれに報いることも叶わないなんて、お恥かしいばかりです。」
そして、去りがたい様子で去っていったのでした。

夏尚書は、嘆息して申します、
 「あんな小さな生き物でさえ、恩に報いようとするのに、今の世の愚昧な者達は、畜生にも及ばないのか。」

 浙江省に三年間居り、入念に水利工事をしたところ、上流には水溜めが、下流には水の排出所が整備され、水害は全て去り、田の穀物は大いに実った。やがて仕事が丁度完了しようとしていた頃、京中の工部尚書の郁新が亡くなり、天子のご命令で部事を掌握させようと夏尚書が呼び寄せられ、夏尚書は宿場より走って都に戻った。この時聖上は、校尉を遣わして民間を訪ね官吏の公務執行情況を掘り起こさせており、やがて間もなくこの事が上奏された。夏尚書は踵を返して別殿に向かった。

聖上は、夏公を慰労しまたご下問されます、
「湖州にいる時には、カラス貝を心服させ、呉淞にいる時には、檄文を奏して、ミズチを退治したそうだな。そなたの真心が異類に通じて、そのような結果となったのであろう。」

夏公はおじぎをして申し上げます、
 「天子の威厳は、遠く及ばない所とてなく、あれら諸々の天神たちは、天子の威厳によって動いたのでありまして、私の功績ではございません。」
侍臣は歴史編纂所に書き残させたらいかがでしょうかと奏上いたします。

すると夏尚書は申し上げます、
「この事は真実ではありますが奇怪です。後世の人々には信用出来るものではないので、伝えることはできません。」

皇帝はこれを聞き入れ、酒宴を賜って労をねぎらい、浙直の至るところに祠を建てました。後に夏公は皇帝の命で、亡くなってしまった工部尚書の代理として中央に呼び戻されました。今年皇帝は北へ出向いて北京を巡り、夏公は吏・礼・兵部・都察院を司り、北方の砂漠を制圧して、総理と九卿を司りました。十九年には蒙古征伐を諫めたことで、宦官によって監獄に拘禁されてしまいました。洪煕元年、夏公は、戸部尚書に昇進し、少保になりました。宣徳元年には天子自ら出征することに対して大いに賛同し、漢王を生け捕りにしました。宣徳三年、皇帝は三つの金銀の図書を与えた、それらは『舎弘貞静』、『謙謙斎』、『後天下楽』と申します。誕生日に皇帝は寿星図を描き、詩を与え、亡くなった時には太師の位を与え、忠靖とおくりなしました。夏尚書は品行方正な人だったので、たくさんの幸福を享受できたのでしょう。激しい苦悩の道を歩んできたからこそ屈服せず、心配事や苦しみを経験してきたからこそ驚くこともなかったのでしょう。だから、どんなミズチであろうとも、抵抗し戦うことができるはずがないのです。もし人が妖怪のものを盗めば、それは妖怪の流儀になってしまう。そんなことでは、妖怪変化たちを追い払うことは出来ず、当然徳によって妖怪に勝つことはできないのであります。

雨侯いわく、
 「神がひとから供物を捧げられ、願をかけたところで、かつてさらなる充足を求めて、神龍を手にかけたなどと言う話は聞いたためしがない。忠靖公は本当によくカラス貝を心服させ、ミズチの首を取ることができた。その真心が異類へと通じたからである。この事で史実を汚すことを欲せず、それはトラと黄河を渡るような話であり、劉昆が火事に際してお辞儀をして雨を降らしたのと同じ、ただの偶然であるとした。世間の人々よ、韓愈のワニ退治を讃える歌なんかをそこかしこで作っている場合じゃありませんぞ。」

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