白川静 略年譜 |
上海博物館貴賓室にて小克鼎の解説をされる白川先生..(1998年8月) |
1910(明治43)年 | 4月 | ・福井市に生まれる。 | |
1917(大正6)年 | 4月 | 7歳 | ・順化尋常小学校に入学。 |
1923(大正12)年 | 3月 | 13歳 | ・順化尋常小学校を卒業。秋、姉の住む大阪に出る。 |
1924(大正13)年 | 春 | 14歳 | ・後に民政党の代議士となる広瀬徳蔵の事務所に住み込み夜学に通う。広瀬先生の蔵書のなかから[国訳漢文大成]に親しみ、楚辞や唐詩を暗誦、また[明星][スバル]の文学誌に触れる。また万葉調の歌人として知られる郷里の橘曙覧の影響で、[万葉集]のすばらしさを味読し、中国の[詩経]との比較研究を夢みる。 |
1927(昭和2)年 | 秋 | 17歳 | ・健康を害し一時帰郷、郷里の先輩佐々木文苑先生より朱子の[詩集伝]を借りだし抄写する。 |
1930(昭和5)年 | 3月 | 20歳 | ・大阪府私立京阪商業学校第二本科卒業。 |
1933(昭和8)年 | 4月 | 23歳 | ・立命館大学専門部文学科国漢学科入学。終生の師である国文の小泉苳三先生、漢文の橋本循先生に出会う。この頃、呉大澂の[字説][説文古籀補]を手にし、古代文字学に興味を持つ。 |
1934(昭和9)年 | 12月 | 24歳 | ・検定により文部省中等教育国語科免許を受く。 |
1935(昭和10)年 | 11月 | 25歳 | ・立命館中学教諭となる。すでに読みはじめていた段玉裁[説文解字注]、王念孫[経義述聞]とともに、この頃、刊行された郭沫若[卜辞通纂][両周金文辞大系考釈]を索引を作りつつ読みすすむ。 |
1936(昭和11)年 | 3月 | 26歳 | ・立命館大学専門部文学科国漢学科卒業。 |
1941(昭和16)年 | 4月 | 31歳 | ・立命館大学法文学部漢文学科入学。この頃、[皇清経解]に収録する[詩経][書経]関係の考証文献を読み漁る。 |
1943(昭和18)年 | 9月 10月 |
33歳 | ・立命館大学法文学部漢文学科卒業。 ・立命館大学予科教授となる。 |
1944(昭和19)年 | 4月 | 34歳 | ・立命館大学専門部教授となる。 |
1948(昭和23)年 | 10月 | 38歳 | ・立命館大学文学部助教授となる。処女論文[卜辞の本質]を、続いて[訓詁に於ける思惟の形式について][殷の社会]をそれぞれ[立命館文学]に発表、学界にその足跡の第一歩をしるす。 |
1951(昭和26)年 | 10月 | 41歳 | ・日本甲骨学会の結成に参加する。 |
1952(昭和27)年 | 1月 | 42歳 | ・角田文衛、梅田忠良氏らと古代学協会を設立、機関誌[古代学]を発行する。 |
1954(昭和29)年 | 3月 | 44歳 | ・立命館大学文学部教授となる。この前後より、台湾の専門を同じくする学者屈万里、董作賓、厳一萍、周法高、また中国の楊樹達、胡厚宣、容庚、楊寛氏らと文通、論文・資料の交換をする。 |
1955(昭和30)年 | 3月 4月 10月 |
45歳 | ・3月、[甲骨金文学論叢]初集、立命館文学部研究室より油印、以後十集に及ぶ。 ・大阪大学文学部講師となり(1962年3月に至る)、学部で中国文学史、大学院で甲骨金文学を講ず。併せて、樸社の例会で西周金文の解読と注釈、また[説文]の講義を行う。 ・名古屋大学文学部講師となる(同年後期)。 |
1960(昭和35)年 | 6月 10月 |
50歳 | ・[稿本詩経研究(通論篇・解釈篇)]2冊、立命館大学文学部研究室より油印。 ・「興の研究」([稿本詩経研究]別冊)、おなじく立命館大学文学部研究室より油印。 |
1962(昭和37)年 | 3月 | 52歳 | ・橋本循、吉川幸次郎博士に勧められて、[興の研究]を京都大学に博士論文として提出、文学博士の学位を受く。 ・8月より[金文通釈]を白鶴美術館の館誌に発表しはじめる。以後、1984年まで五十六輯を数える。 |
1967(昭和42)年 | 7月 | 57歳 | ・文化庁重要文化財審査委員、臨時専門委員となる(1975年度に至る)。 |
1969(昭和44)年 | 7月 | 59歳 | ・[説文新義]15巻、別巻1を樸社の社友であった小野楠雄氏(五典書院)の手で季刊にて刊行開始。1974年完結。 |
1970(昭和45)年 | 4月 | 60歳 | ・還暦にしてはじめて、一般書[漢字](岩波新書)を書き下ろす。この年より以降、[詩経](中公新書)、[金文の世界](平凡社東洋文庫)、[孔子伝](中央公論社)など次々と一般読者のために書き下ろす。 |
1972(昭和47)年 | 1月 | 62歳 | ・台湾の故宮博物院に樸社の諸氏と同行、5日間にわたって調査を行う。孔徳成に再会。 |
1976(昭和51)年 | 3月 4月 |
66歳 | ・定年により立命館大学教授の職を退く。 ・立命館大学文学部特別任用教授となる(1981年度に至る)。 |
1980(昭和55)年 | 8月 | 70歳 | ・台湾中央研究院の第一回国際漢学会議に出席。 |
1981(昭和56)年 | 4月 | 71歳 | ・立命館大学名誉教授の称号を受く。 |
1983(昭和58)年 | 1月 | 73歳 | ・中國藝文研究會の顧問となり、機関誌[學林]を創刊する。 |
1984(昭和59)年 | 8月 11月 |
74歳 | ・[字統]を平凡社より刊行。 ・[字統]により毎日出版文化賞特別賞を受く。これより先、[字統][字訓][字通]の字書三部作を構想。 |
1991(平成3)年 | 12月 | 81歳 | ・[字統][字訓]等の文字研究により菊池寛賞を受く。 |
1996(平成8)年 | 2月 10月 |
86歳 | ・京都府文化特別功労賞。 ・[字通]を平凡社より刊行。 |
1997(平成9)年 | 1月 2月 4月 8月 |
87歳 | ・五十年余にわたる壮大な構想力よりなる中国の古代文化研究及び古文字研究にたいして1996年度朝日賞を受く。 ・2月3日〜6日、朝日新聞夕刊にてインタビュー記事「白川静の世界」が連載される。 ・文字文化研究所所長、理事長となる。 ・中国瀋陽における文字文化共同研討会に出席、基調講演を行う。 |
1998(平成10)年 | 7月 8月 11月 |
88歳 | ・[詩経雅頌](全2冊、東洋文庫)を刊行。90年の[詩経国風]とあわせて[詩経]の全訳注を完成。 ・上海・鄭州・洛陽・南陽行。甲骨・金文の資料を収集。 龍門石窟にて..(1998年8月) (左から嘉瀬達男・芳村弘道・清水凱夫・白川先生・澁澤尚・阪谷昭弘。) ・文化功労者として顕彰される。 文化功労者顕彰祝賀会(於京都ホテル)にて..(1999年1月7日) |
1999(平成11)年 | 3月 11月 |
89歳 | ・文字文化研究所にて文字文化を論題に第一回講演開始。 ・日本経済新聞に[私の履歴書]を一か月連載。 ・同月、『白川静著作集』(全12巻)刊行開始。勲二等瑞宝章受賞。 |
2000(平成12)年 | 4月 12月 |
90歳 | ・鳩寿を記念して[回思九十年](平凡社)を刊行。 ・『白川静著作集』第12巻完結。 |
2001(平成13)年 | 1月 | 91歳 | ・井上靖文化賞受賞。 |
2002(平成14)年 | 1月 | 92歳 | ・『白川静著作集』(別巻)刊行開始。 ・福井県名誉県民賞受賞。 |
2003(平成15)年 | 11月 | 93歳 | ・京都市教育功労者として表彰される。 |
2004(平成16)年 | 11月 | 94歳 | ・文化勲章受章。 |
2005(平成17)年 | 3月 5月 10月 |
95歳 | ・福井市名誉市民。 ・立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所名誉研究所長となる。 ・京都市名誉市民。 |
2006(平成18)年 | 10月 | 96歳 | ・逝去。 |
文化功労者顕彰祝賀会にてつる夫人と..(1999年1月7日) |
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上海博物館貴賓室にて..(1998年8月) |