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第6回NHK講座は、「災害報道の現場から~阪神淡路大震災と東日本大震災~」と題し、NHK大阪放送局チーフアナウンサー住田功一さんにお話を伺った。 地震が起こった午後2時46分、NHK総合テレビは「国会中継」を放映中だった。まず、緊急地震速報が伝えられ、その自動音声の終わる約18秒後には国会中継のアナウンサーが地震の際の呼びかけ文をコメントした。約50秒後には国会でも揺れが伝わり始めたのがわかる。約1分28秒後に画面が渋谷のニュースセンターに切り替わり、アナウンサーが地震情報、大津波警報など、次々に入ってくる最新情報を伝えていった。未曾有の大地震で複数の情報が重なる中で、伝える側は何が一番大切なのか、瞬時に取捨選択していかなければならない。 住田さんは、災害報道の初動で一番大切なのは、「命を救うための情報は何なのか」を見極めることだという。そして命を救うために、誰に何を伝えるべきかを、次々に入ってくるデータや映像から読み取って、的確に知らせていくことが大切だと指摘する。結果論だが、東日本大震災では命を救うための最も大切な情報のひとつは「津波から逃げろ!」だった。 しかし、NHKスペシャル『巨大津波 “いのち”をどう守るのか』(5月7日放送)によると、被災地の多くは地震後に停電し、メディアからの情報源はラジオと携帯のワンセグだけという状況だった。住民の多くは「命を救う」情報にアクセスしづらい状況にいたのだ。 住田さんは、「今までは来なかった」という経験や、「ここまでは来なかった」という記憶が避難を妨げてしまった場合もあると指摘する。そして、津波は上空から見えても水平からでは見にくいこと、そして津波の「高さ予想」や「到達予想時刻」、「観測結果」など多くのデータと、深刻な中継映像が重なりながら伝えられて、情報が断片化してしまい、沿岸住民にとって何が重要な情報かが伝わりにくかったことも、逃げ遅れに繋がった可能性が指摘されているという。 住田さんが16年前、被災地に居合わせて思ったことは、被災地の状況がなぜ放送に流れないのかということだった。東京のスタッフに現場の状況が理解してもらえないばかりか、大阪のスタッフですら温度差を感じたそうだ。 住田さんは、メディアは「ゆたかな生活」を送るための指針となるためにあるとし、究極的には生き延びるための情報を伝えるためにあると考えている。次に同じことが起こったときに、一人でも多くの「救えるはずの命」を救うことに繋がるからだ。東日本大震災をNHKがどう伝えたかを住田さんに振り返っていただき、人の命を左右するかもしれない災害報道の難しさ、そして大切さを実感した講座だった。 |
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住田功一(すみだこういち) 1983年入局。1995年1月、自身の出身地である神戸市で阪神淡路大震災の第一報を伝えたほか、同年3月の地下鉄サリン事件霞が関中継、警察庁長官狙撃事件東京医大前中継なども務めた。 2011年4月から「関西ラジオワイド」キャスターを務めている。 |
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松居 宏迪さん |
東日本大震災での関東と関西、そして阪神大震災での関西と関東では、温度差があるというのを、お話を伺って改めて感じた。住田さんも最後にふれていらっしゃったが、コミュニティFMなどローカルでの情報発信の大切さをもう一度考えていいのではと感じた。(被災地での情報発信を)自分も何か手伝えたらいいなぁと凄く思った。 きょうは、放送現場の人たちが膨大な情報量のなかで、それをどう汲み取って放送しているのかを分かりやすくお話していただき、ありがたい話が聞けたと思っている。 |
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