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CIIS報告 3

斎藤 由香(2007年度留学)


Mind and States of Consciousness in Buddhist Psychology (2008/4/15 Up)


CIIS報告第三弾として、前回予告していた通り今回はアビダルマ仏教のクラスについてお話したいと思います。 このクラスの先生はRina Sircarというビルマ僧の女性です。CIISファクルティー・メンバーの中でももっとも古くから教えている教師の一人であり、生徒のみならず他の教師やスタッフからも多大な尊敬を集めている先生の一人です。

さて、このクラスは毎回瞑想から始まります。20分から40分間、先生のガイドに従って瞑想をおこないます。もちろんごくまれに無言で呼吸に集中するタイプの瞑想もあるのですが、ほとんどの場合瞑想のあいだ中、先生が仏教における大切な教えをとうとうと話し続けます。留学して間もない頃は、英語を理解することに必死で、この時間に瞑想するまでには至りませんでした。けれども回を重ねるにつれ、先生の言わんとしていること、覚えておかなくてはならないことが、頭で理解するだけでなく、しっかりとこころの中に根づいているのが自覚できるようになりました。なぜならこの授業の目的はたった一つで、毎回言い方は違えども、生徒は同じ事を繰り返し繰り返し聞くことになるからです。私たちがこのクラスから学ばなければいけないこと、それは私たちのこころを正しく養うこと、だけなのです。

個人的なことですが、このクラスに出会えたことは私のCIISでの留学経験のなかでもっとも貴重なものとなりました。それは私が今までどんな風に世界を見、感じ、働きかけてきたのかを自覚させるとともに、これからの人生にとって何が自分を幸せにすることができるのか、何が必要で何が不必要なのかを真剣に問いただすきっかけとなったからです。

このクラスは先に紹介した2つのクラスのどれとも全く系統の違うクラスです。リーディングもほとんどありません。なぜならこの授業では学ぶ主体も客体もすべて自分自身のなかにあるからです。ですからこの授業を1年間受けても、仏教の歴史やアビダルマと他の宗派との違いがよく分かる、というようなものではありません。この授業では、自分のこころを正しく養うとはどういうことなのか、愛や憐れみをもつとはどういうことなのか、静かに瞑想することがなぜ必要なのか、ということを自分自身で探求していく術を学ぶのです。授業自体は手段であってゴールではないのです。

このような授業内容のため、今回は授業紹介には程遠いCIIS報告になってしまいました。けれども、もしこの報告に興味を持ってもらえたならどうか私に会いに来てください。私の在り方で、この授業の学びの成果をお目にかけられると思います。

最後に。
2008年3月に応用人間科学部を旅立っていった私の同期生達へ。 本当におめでとう。 あなた達の未来が笑顔とよろこびに満ちたものでありますように。 そして強く、しなやかで美しいこころを育んでいかれますように。 またきっといつか会いましょう。 それまで元気で。

2008年4月13日
齊藤由香


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立命館大学応用人間科学研究科