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滝野 功先生(応用人間科学研究科教授)
 
 
 
オバマ新政権誕生とCIISと
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いよいよオバマ新政権のスタートです。この歴史的一大イベントを目の辺りにでき、立ち会っている感じがもてる者としては、これを語らないわけにはいかないでしょう。
アフリカ系アメリカ人が歴史上初めて合衆国の大統領になるとは、少なくとも昨年の夏までは、ここアメリカでも多くの人は信じていなかったと思います。全国的には無名でしたし、大きなバックがあるわけでも豊富な資金があるわけでもなく、また老練な政治経験があるわけでもない。それが、予備選挙を通して、あれよあれよという間にのし上がって来ました。その支持層も燎原の火のごとき勢いで広範囲に広がって行きましたね。一体これは何なのか? 確かに、オバマは話もうまいが・・・

ここCIISは、授業が多くは少数のワークショップ式で学費は結構高く、扱っていることが、生活・実用・ビジネスに無関係なものばかりですから、学生も教員も圧倒的に白人ですが、双方ともオバマ支持で埋め尽くされています。私がたまたま出ていた文化人類学のクラスでは、「当選を祝おう!」と先生から言っていましたから、勝利を祝いながらこの選挙について話題にしたクラスも結構あったのではないかと思います。
彼が当選する前から、対戦したマッケッインとの討論会なども、CIISの学生集会室などにみんなで集まり大画面で観ていました。そのテレビの見方も、皆がその場にいるかのように参加して、結構面白い。「そうだ!」「いいぞ!」とかの声援があり、またマッケインがなにか変なことを言うものなら、大変なブーイング。こういう「参加」がアメリカの政治を支えています。この雰囲気は私がとっている授業、特にドラマ・セラピー関連の授業では、日常です。他の比較的静かなクラスでも、日本の教室のように一々当てられないとなかなか発言がないというのとまるで違います。日本語にもなっている「エールを送る」は会場から支持・応援の声を掛けるというのが原点なのだと、改めて感じました。

こうした文化的土壌があって初めて可能だったのでしょうが、オバマの運動の仕方は、これまでのやり方と全く違います。当選後にオバマ陣営サンフランシスコ支部のボランティア団体の祝賀会を兼ねた「変革を実現させるための会」に行ってみて、それを改めて痛感しました。(これは選挙戦で盛り上がっている頃、住んでいる地域の祭りに出かけた折、民主党Democratsのブースがあって、そこでいろいろ話し合った後、ちょっと自分のメールを書き入れたところ、その後から次々と興味深いメールが入るようになっていましたが、この会が特に面白そうだったから、ふらりと出掛けたというわけです)。それは「サーヴィス労働国際組合団体」の支部の建物の中でしたが、そこでのやり方が実にすばらしく、感動してしましました。
いろいろな工夫がなされていて、全体会にはもちろんちゃんとしたプログラムがあるのですが、飛び入りもありましたし、発表者が話している最中でも、関係があれば、フロアーから次から次へと発言が飛び出してきます。全国各地からボランティアによる電話作戦も展開されていて、カルフォルニアはその電話回数が1億回以上で全国トップだという報告があると、そこでまた、オッー!イェイー!とかの大歓声があがります。その後は、またファシリテーター付きの6人ずつの小グループのワークショップ形式になっていました。集まった100名強の全員がことごとく発言して、皆がますますやる気にさせるものになっているのです。私は民主党員でも、もちろんアメリカの市民権をもっているわけでもないのですが、そんなことは誰も全く気にもしません。自分の番が回ってきた時には、オバマの原子力政策についての微妙な変更が気になると一言言っておきました。もっとも多くの人は、それよりもなによりも経済問題と医療保険の改革をまず第1に挙げていましたが・・・

参加者の多くはここでも白人でしたが、あらゆる年齢層が満遍なくいて(日本の市民運動などとまるで違いますね)「これはいいぞ!」と思ったところです。そこで遭った人のなかに、党大会でオバマ指名になるまでヒラリー・クリントン派の運動員であった女性がいて、「あそこはなんでもtop downだったけど、ここは全く違っていて気持ちがいいわね」と言っていたのが印象的でした。なんとなくオバマがここまで勝ち抜いて来たわけの一つが、わかった気がしました。オバマ陣営の運動は、新しい時代が求めるものを提供しているのです。
しかも、これまでのアメリカの伝統を無視せず、むしろそれらを大切にしながらCHANGEして行こうという主旨ですから、多くの支持も集まるわけです。その意思は就任式には特に示されていました。式典全体を彩ったプロテスタント系キリスト教色、大統領のみならずその家族全体が英雄になるということ、この日のために創作された詩の朗読、式典の後のパレード、そして夜は晩餐会とそれに続くいくつもの舞踏会などなどです。そして、アメリカン・ドリームによってアメリカの再建を全国民に向かって呼びかけるというオバマのスピーチに、一番はっきり表れています。しかし、もちろんそこには新しい味付けが散りばめられているわけで、それらについては多分日本でも識者が既にいろいろ解説してくれたことでしょう。ここでは私がおやっと思ったことをひとつだけ付け加えましょう。スピーチのなかで、信仰の多様性の尊重を、「我々はキリスト教徒・イスラム教徒・ユダヤ教徒・ヒンズー教徒あるいは信仰をもたない者の一つの国である」とこのように、ヒンズー教徒から特にnon-believer まで、はっきりと言及したのは、全く新しい動きだったのではないかと思いました。言及のなかった仏教徒は、まだあまりの少数派ですから無視されて当然ですが、原稿の段階で一瞬は考慮されたかもしれません。CIISには学生にも教員にもBuddhistが意外にいるので、ちょっと気になりました。ちなみに、アメリカではBuddhist ということは、しばしば、一風変わっているがコトを根底から見直す本来の意味でラディカルであることを意味します。

オバマ登場というこの歴史的大出来事は、アメリカが経済的にここまでの追い込まれてしまっている、そしてそれに対して多くの人が相当の危機感を持っているということの表れだということは、もちろん言えるでしょう。そして、今後この重大な危機を大きな変革のための歴史的好機としてどれだけ生かせるかどうか、これを見極めるためには、相当長引くであろう経済問題や外交問題の今後の展開にも待たなければなりません。
しかし、とにもかくにもアメリカ人は自ら変革の主体者になろうとして、これまでのところかなり成功して来ている感じです。それは、この運動がアメリカ建国当初にあった直接民主主義の精神を、より広範囲の草の根民主主義によって蘇らせようしていることと重なって見えます。事実、barackobama.comやら地元のDemocratic Clubなどから次々に届くメールを見ると、「今からこそ本当にどのように変革を実現できるか、一緒にやって行こう!」と、下からのさまざまな取り組みと具体的な提案が次々にあり、そこにはお任せこそもっとも警戒しなくてはならないという大変な気迫が読めるのです。そして「自らどんな小さなことでもいいから出来ることでイニシャチヴを取ろう!」という呼びかけがあると、それには必ずいつも呼応する人が出て来る!個人献金だけでもこれまでになかった100万人を超える人からの大変な金額が集まったようですし、自宅での簡単な集会を催す人もかなりいました。
ネットで呼びかけると、結構いろんな人が集まって、意外にカジュアルな感じでできているようです。
こうしてオバマの勝利は運動の仕方の勝利でもあったわけですが、そこにはそれ以前に、周りで起きるコトに関わろうとする文化、COMMUNITY と政治に対するポジティブな文化の土壌がある気がします。ちなみに、このCOMMUNITYが日本語で言うコミュニティや地域と相当違うことは、日本人にとって考えるべき非常に重要なテーマになるでしょう。*

就任直前の国民支持率は80%を超え、歴代の大統領で最高と報道されました。新大統領と同時に新しい時代の到来に感動して、私も今、この熱気のなかに入ってしまっているところを感じます。しかし、同時にこのように全国民が一挙に熱狂することには、9.11の後の事も思い出されてちょっと怖い感じがしないわけでもない、とも一言付け加えておきましょう。そして、アメリカが今後自らの主張する「世界に真に誇れる民主主義の模範」になれるかは、一元的な価値観で支配されないための文化の多様性について、どこまで寛容になれるか、そればかりかこの多様性の価値をどこまで信じられるかということが、一つのカギとなるということも・・・
ともかく、これまでとは違ったガヴァナンスを目指そうとする人々の願いによって生まれた政権のスタートは、矛盾を抱えながらもアメリカというCOMMUNITYが世界の多様性を自らのなかに実現しようという画期的な試みも見せているわけで、それは、大いなる期待と希望でもあるのです。山積する難題の前にオバマ政権の今後は、決して楽観できないでしょうが・・・

昨年9月から現在までの、サンフランシスコの人々と、特にCIISでの仲間の反応を目の当たりにしながら、これだけ多様な人たちがいるCOMMUNITYにオバマが圧倒的に支持されているということの強みと大きな意味を感じることができました。その熱狂と言える支持を肌で感じながら、その情熱の源にCIISが目指すものと重なっているものを見るのは、難しくありません。CIISは西と東が相互に学び合うことを通して、統合を目指すために創られた時から「文化の多様性の尊重」と、個人COMMUNITYそして世界のTRANSFOMATIONを理念としてもっていますが、今またそれを学園内で具体的に実現するために、「安楽圏からの脱却」「意見の違いはOK」「あれか/これかの二者択一思考でなく、双方ともを」などを原則として掲げて、構成員がCOMMUNITYに十分に関わることができるように努めています。
この歴史に残るに違いない一連の出来事に、CIISとその周りで部外者ばがらも触るように関わりながら、しかし、それだけでも、大きな発見ができました。ここで行われていることが実は外の動きとその必要に呼応し、あるいは現実に働きかけ、決して既成のアカデミーの塔に隠れない、それどころか、ここがこれまでのさまざまな既成の概念を正に変えようとしているー これらが実によくわかった感じがします。これらの一端を触れただけでも、ここで目指されていること行われていることは、アメリカばかりか、世界全体の課題に対する、一つのあり様と方向を示しながら、ある最先端を行っていることは確かだと、改めて感じることができた気がします。

右の写真は、11月7日 CIISが主体になって開催した全米ドラマセラピー学会でのワークショップの最後の一こまです。そのワークショップは選挙の結果が判ったかったばかりの「今入ったばかりだ!ドラマ・セラピーで総選挙を脱構築する!」と題したセッションでした。もちろんそれは数か月から1年も前から準備されていたワークショップで、このタイトルにはむしろオバマ惜敗の予想のもとに計画されていたことが窺われます。それが大勝利だったので、完全な祝杯ワークショップになってしましました。調子に乗って大人げないポーズをしているのではなく、実際のワークショップの延長なのです。前列左にはサイコドラマの大御所のAdam Blatner の姿も見られます。オバマ勝利がRenee Emunah大会長の基調報告にも喜びの言葉とともに意気揚々と語られ、会全体がお祝い気分で包まれていました。

*明治に輸入し翻訳した「社会」という言葉を使って、私たちは今日のさまざまな問題を語っていますが、私たち日本人は多く、属する小さな集団の中の序列と暗黙のルールが支配する「世間」という怪物に保護・束縛されているのではないか?日本で草の根活動というと、世間=村の掟が支配するところに嵌まってしまって、むしろ民主主義とはかけ離れることになることはないか?どんな社会科学でも、この土台こそを問題にしなければならないと主張する人に、「世間学」を提唱した一橋大の阿部勤也がいました。教育であれ治療であれ、グループの大きな力を無視できないことをずっと痛感してきた私は、圧倒的閉鎖的グループの文化をドラマなどのaction methodsで脱構築することを狙っているのですが、それはこうした問題意識に基づいています。

(今回の書き手は、現在サバチカル休暇でCIISに研究に出向いている当研究科の教員、滝野功でした)

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