第8回研究会「批判的合理性と文化的諸伝統の問題」2005/04/15
第9回研究会「狂気の起源―統合失調症と近代」2005/06/24
第10回研究会「熱意の呪縛―教育的擬制における暴力―」2005/07/15
第11回研究会「The Second World War as Viewed from Other Worlds/No State of Grace: Violence in the Garden」2005/10/07
第12回研究会「否定的感情からの自由―心身相関セラピーからのアプローチ―」2005/11/25
第13回研究会「金閣焼亡に関する精神病理学的考察」2006/01/13
「批判的合理性と文化的諸伝統の問題」
報告者:李南麟(ソウル大学哲学科助教授)
報告の要旨
現在、世界各国で活躍中のソウル大学の李南麟(Nam-In Lee)氏を招いて、講演会を開くことができた。暴力に対抗するものとして、批判理論の考え方を受け継ぎつつ、合理性の役割を重視するJ・ハーバーマスらの議論を、氏はさらに批判的に検討した。批判的合理性のもつ重要性を認めつつも、氏は、そこに含まれる普遍主義的傾向には、それぞれの文化的伝統がもつ具体性が欠けてしまうことを指摘する。後者を抜きにしては、批判理論は大きな有効性をもたないだろう。
この問題は、西洋的な合理性を導入したが、西洋とは異なった文化伝統をもつ日本についても同様に当てはまる。そのため、講演後も活発な議論がなされた。
「狂気の起源―統合失調症と近代」
報告者:内海 健(帝京大学医学部精神神経科助教授)
報告の要旨
狂気の排除という暴力論のテーマをM・フーコーが展開したことは周知の事実であるが、それを承けて、内海健氏は、統合失調症が近代にはじめて病として記述されるようになった歴史を追い、さらに近年になって、典型的な統合失調症の症状を示す患者が減少しているという事実を示した。そして、統合失調症が、歴史と社会に深く関連していることを示した。その上で、さらに統合失調症のメカニズムについて独自の考察がなされた。
講演は、聴衆に多くの関心を呼び、さまざまな質問が寄せられた。
「熱意の呪縛―教育的擬制における暴力―」
報告者:鳶野 克己(立命館大学文学部教授)
報告の要旨
鳶野氏の報告は、「教育的なもの」と「暴力的なもの」の原理的な区別が教育における人間理解を狭隘化してきたとして、むしろ暴力の問題を教育の本質に関わるものとして着目することを主張するものであった。そこから教育が暴力から目をそらし、あるいは密約を交わしてきた姿があぶり出され、体罰に対する全面的な否定と教育的な見解との二面的な態度が生み出されてきた過程が指摘された。結論として、暴力から目をそらした教育的擬制ではなく、生に自発的で創造的な側面をとりもどすことの必要性が述べられた。
報告に対して、多くの質問が寄せられ、活発な討議が行われた。
テーマ@:The Second World War as Viewed from Other Worlds
テーマA:No State of Grace: Violence in the Garden
報告者:テーマ@…Catherine Gallagher(カリフォルニア大学バークレー校教授)
テーマA…Martin Jay(カリフォルニア大学バークレー校教授)
報告の要旨
ギャラガー教授は「他の世界から見た第二次世界大戦」の演題で、「代替歴史小説」(alternate history novels)が示す「反対の事実」(counterfactuals)の世界を「他の世界」とみなし、そのなかで(同時にそれと対比しつつ)第二次世界大戦を描き出そうとする試みの意味を問題にした。そのうえで、「反対の事実」を作り上げることが、勝者の罪悪感を和らげると同時に、憂鬱も生み出していく ことを議論した。
ジェイ教授は、「恩寵の場にあらず―庭園にある暴力―」の演題で、西洋の幾何学的庭園に限らず、日本の庭園もまた、通常考えられているような神(や自然)から人間に与えられる恩寵の場では決してなく、自然の「力」と道具的「暴力」と人間の「権力」の間のバランスを追求する実験室であり、それゆえそこには暴力が介在せざるをえないことを述べた。
いずれの講演も、人間に運命として不可避的に与えられている「暴力」の問題を考えるうえで、非常に示唆に富んだものであった。
「否定的感情からの自由―心身相関セラピーからのアプローチ―」
報告者:福原 浩之(立命館大学文学部助教授)
報告の要旨
福原氏の報告は、トラウマ性ストレス障害を、人間の生きる理由に根本的なダメージを受けたことによる実存的な問題としてとらえ、そこに治療者としていかに関わっていくか、どのような方法があるのかを綿密に検討するものであった。福原氏の報告の中では、感情の経験についての生理学的説明の理論や、最新の脳科学の知見、攻撃性に関する立場が説かれた。福原氏は、Klopferの症例のようなプラシーボ効果や、Cannonの事例のようなブードゥー教の例のように、心理的な関与が身体的な効果として生じる例に注目していることを述べられた。
報告終了後、活発な質疑応答が行われた。イタリアでもブードゥー教と似たような例がある、という話題や、戦争神経症などのような集団的トラウマの可能性とその社会心理学的な解決の可能性について、またフロイトの「驚愕」体験とトラウマの関係など、議論はさまざまな方向に展開し、きわめて有意義な研究会となった。
「金閣焼亡に関する精神病理学的考察」
報告者:内海 健(帝京大学医学部精神神経科助教授)
報告の要旨
今回の内海健氏の講演では、金閣寺を焼亡させた林養賢について精神病理学的観点から考察が行なわれた。まず林の出生から成長、事件、その後、が詳細に跡づけられた。その後、金閣寺を焼くという暴力的行為の根底に、そして、その行動の無理由・無動機の根底に、統合失調症に関わる事態が読み取られた。
林には(あるいは基本的に統合失調症患者には)、神経症的・精神分析的な意味での転移がなかったが、事件後にひとりの看護婦に対してはじめてそれが生じた。これは、いわば統合失調からの復路であった。自我は、対象との距離、差異、否定性――死――においてのみ、統合された自我でありうる。林の場合には、統合失調症への往路において、その距離がほとんど一挙になくなり、世界と自我が重なってしまった。もともと自我の対象関係をめぐって、転移を支える母親との対象関係が通常のように成立していなかった林は、この病態に陥ったとき、自分が住職になれるかもしれないと考えていた金閣寺という対象を殺さねばならなかった。これを殺したことによってはじめて、すなわち、距離、差異、否定性を得たことによってはじめて、林は看護婦に転移を起こすことができるようになったのである。
この発表から、自我としての統合性をもつわれわれの存立がたえず危ういことが示され、そこに暴力現象の根源が垣間見られたと言えるだろう。
その後、精神病的患者と犯罪に対する刑事罰の問題や倫理の問題、さらに意味というものの成立における原暴力の問題などをめぐって、活発な質問がなされた。きわめて刺激的で、有意義な講演会となった。