2006年度
第14回研究会「9・11テロ事件後の建築:イメージ・エコノミーと同時代」2006/05/12
第15回研究会「恐怖を原動力とするアメリカ文化」2006/07/07
第16回研究会「暴力と形而上学を読む −レヴィナスとデリダ−」 2006/10/07
第17回研究会「「悪魔の楽園」への旅―あるいは、プトゥマヨ・スキャンダルにおける「真実」の政治学」 2006/11/10
第18回研究会「贈与と暴力」 2006/11/17
第19回研究会「どこから−どこで−どこへ。テレサ・マルゴレスの作品」 2006/12/22
第20回研究会「ライプニッツにおける三重の自由の問題」2007/02/13
第21回研究会「暴力と音楽:音楽の「暴力性」、音楽が暴力を触発、暴力に触発された音楽、暴力としての音楽」2007/03/10

日時:2006年5月25日

報告の要旨

 テリー・スミス氏の講演は、グローバリゼーションの時代におけるイメージの氾濫をアイコノミーと名づけ、その暴力性を指摘しつつ、9・11以降の建築において権力の象徴であるような建築様式が問題視され、従来のモダニズム、ポストモダニズムではなく、それらに対するオルタナティヴな運動が現れつつあることを指摘するものであった。スミス氏は、それをコンテンポラネイティーと呼び、グローバリゼーションと帝国の崩壊の後、アイコノミーの暴力に拮抗する感性の誕生として、未来への希望を語った。スミス氏によると、コンテンポラネイティーとは、この時代に起こっていることを理解するために、複数の時間性(時代性)を容認し、多様性や他者性に開かれた空間性を準備する点で、全体支配的なグローバリゼーション下の建築様式と異なるものなのである。


 講演終了後、参加者から熱心な質問が寄せられ、質疑応答が行われた。盛況の内に講演会は終了した。

記入者:加國 尚志


日時:2006年7月7日
第15回研究会
「恐怖を原動力とするアメリカ文化」

報告者:ウェルズ 恵子(立命館大学文学部教授)

報告の要旨

 ウェルズ恵子氏の発表は、特定の集団に対する群集の恐怖をあおうことによって国家の統一性を図りながら、それに対する抵抗力として大衆文化を生み出してきたアメリカ文化の特異性をめぐるものであった。
 ウェルズ氏は、アメリカでの恐怖心理に煽られた群衆のパニック的な行動(魔女狩りやリンチなど)歴史を概括され、とりわけ、南北戦争後の黒人達への白人か下層階級の恐怖と文化差別的な対応の過程を丹念に説明された。
 つづいてこのような群集心理の恐怖の力学に抵抗する大衆文化の例として、ジョンソンとオダムによる黒人霊歌集を取り上げられた。これらの黒人霊歌集に現れる宗教的なイメージ、永遠の自由として死と恐怖としての生という転倒したイメージの中で、虐げられた黒人達が心理的な解放感を経験していたことが示され、特定の集団への差別的な対応とそれに対する抵抗が大衆文化を生み出す過程が見事に描き出された。

 報告終了後、イタリア移民の存在に対して、近代国家権力の構造に関して、ネガティブな心理に関して、多くの質問が寄せられ、有意義で実り多い応答がなされた。

記入者:加國 尚志


日時:2006年10月7日

報告の要旨

 合田正人氏の講演はフランス現代哲学を代表する哲学者エマニュエル・レヴィナスとジャック・デリダの批判的な思想の交流を明らかにするものであった。レヴィナスとデリダの生涯とその思想の根本的方向をたどった後、合田氏はデリダがレヴィナスの『全体性と無限』を批判した「暴力と形而上学」の詳細な解説を行った。そこでのデリダの批判の骨子を、レヴィナスにおける暴力と非暴力の分割の振る舞いへの批判として取り出し、レヴィナスの哲学的言説の秘められた暴力性を指摘された。
 合田氏の講演は、暴力と非暴力の二者択一に抵抗して、非暴力の中の暴力に敏感でありながら、暴力のエコノミーの中で最小限の暴力を選択せざるをえない二重拘束的な哲学の言説の状況に自覚的であることによってレヴィナスの倫理を批判的に継承しようとするデリダの姿を描ききるものであった。

 会場には多くのレヴィナス研究者も来場しており、活発な質疑応答がなされた。

記入者:加國 尚志


日時:2006年11月10日

報告の要旨

 崎山氏の研究報告はロジャー・ケイスメント(1864-1916)による、プトゥマヨでの植民地支配についてのレポートをめぐるさまざまな事件に関するものであった。優れた英国外交官であったケイスメントは、ペルー・プトゥマヨでの残虐な原住民虐殺の実態を調査すべく現地入りし、詳細な報告書を作成する。そのなかでケイスメントは、インディオの中で虐待されるインディオへの深い同情を示す一方で、インディオの中でもインディオを支配するべく教育されたインディオ(「若衆」)による残虐行為を糾弾する。また、他方で、インディオを支配する黒人(「バルバドス」)には加虐行為を強いられたもう一つの被害者という側面を見ようとする。ケイスメントの報告は、原住民虐殺を行う現地の支配者を人種主義批判的観点から批判すると同時に、支配者内に道義的なヒエラルヒーを持ち込んでおり、原住民間の関係性についての考察が欠如していることを崎山氏は指摘された。
 崎山氏の報告は、植民地支配の暴力における被支配原住民間の関係性の把握の困難や道徳的な両義性をめぐって、反人種主義的なヒューマニズム観だけでは支配の真相を取り逃がしてしまう危険があることを指摘しつつ、植民地支配の暴力の真相を暴く政治学の問題点を提起するものであった。

 報告終了後、支配と従属の心理をめぐって、現代における少年兵の問題などをめぐって活発な討論が行われ、充実した研究報告会となった。

記入者:加國 尚志


日時:2006年11月17日
第18回研究会(第8回講演会)
「贈与と暴力」

報告者:ハンス・ライナー・ゼップ(プラハ現象学研究センター)

報告の要旨

 ゼップ博士は、暴力を、「意味」に回収できない(それゆえ「意味づける」ことのできない)現象として、先意味的な次元で捉える可能性を示し、同時に、この次元における「生」の可能性を示した。
 博士は、暴力現象が原初的に発生する場として身体を捉え、さらに身体を「意味身体」「方向づけ身体」、そして「限界身体」へと分析した。この限界身体が、先意味的な次元に関わるのである。暴力は「意味」以前の次元で発生するので、それを「意味」づけるような倫理は「遅すぎる」。しかし、限界身体は、この次元を(いわば間接的に)「指し示して」いる。そして、この次元には、暴力の可能性とともに、生の贈与の可能性が隠されている。この講演は、暴力現象をその最深の次元にまで追って思索しようとするものであった。

 討議においても、多くの議論がなされた。

記入者:谷 徹


日時:2006年12月22日
第19回研究会(第9回講演会)
「どこから―どこで―どこへ。テレサ・マルゴレスの作品」

報告者:カトリン・ニールセン(オイゲン・フィンク・アルヒーフ研究員)

報告の要旨

 ニールセン博士による講演会は、メキシコのテレサ・マルゴレスの作品を解釈しつつ、暴力による犠牲者(死者)に対してわれわれがどのような態度をとるのか、という問題を提起するものだった。立論は、一方でこれまでの哲学的な死の扱われ方をまとめつつ、他方で死の現在的な状況を示し、そのうえで、マルゴレスの作品が示された。そこでは、暴力によって匿名化して誰ともわからなくなった死体に「誰」を返す可能性が暗示された。

 この立論に対して、さまざまな質問が寄せられ、活発な議論がなされたが、この講演の後にも深い印象が残った。

記入者:谷 徹


日時:2007年2月13日
第20回研究会(第10回講演会)
「ライプニッツにおける三重の自由の問題」

報告者:ハンス ポーザー(ベルリン工科大学教授)

報告の要旨

 ポーザー氏の講演は、ライプニッツにおける自由の問題を必然性と偶然性をめぐる様相の問題から分析し、ライプニッツにおける神の最善の選択がいかなる意味で自由を排除することのないものであるかを明らかにするものであった。
 誤謬可能性や共可能性によって制限された人間の自由は、神の絶対的な自由と対立するように見えるが、ライプニッツにおいては諸可能世界における人間の選択と一つの世界における必然的法則との対が設定されることにより「理由の領域」と「原因の領域」が区別され、人間の自由が救い出されるのである。その意味で人間における本能と理性も、単に対立させられるのではなく、本能と行動の直接的な連結に理性が介在することによって、理性的な決定の余地が残されているのであって、ここに形而上学を基礎とした倫理の可能性が開かれているのである。

 講演終了後、ライプニッツ哲学について専門的な質問も出され、ポーザー氏が誠実に応答していた姿が深い感銘と印象を残した。

記入者:加國 尚志


日時:2007年3月10日

報告の要旨

 三井徹氏の講演は、音楽のはらむ暴力性を、神話の時代から現代に至るまで多面的に捉えて分析したものであった。「音楽が暴力を触発」するものとして特に音楽の快楽性が暴力として働く点が取り上げられ、セイレーンの歌から軍歌まで幅広く例が紹介された。
 「暴力に触発された音楽」に関しては、暴力が直接的刺激となって発生した音楽と暴力的な環境に創造を促されて発生した音楽があることが述べられた。「暴力としての音楽」という意外な視点からは、大音量の音楽や異文化(世代間の文化的差異も含む)の音楽が不快である以上に暴力として作用することが指摘された。
 この講演では、音源を再生しながらそれぞれの分析や事例の紹介がなされ、過去約40年間の「暴力と音楽」に関する研究動向についても報告があった。海外と国内の研究を渉猟した報告は、まことに有意義だった。

 当日は、研究会のメンバーを初めポピュラー音楽学会の会員、アメリカ文学・文化の研究者、音楽愛好家なども来場し、多方面から活発な質疑応答があった。

記入者:ウェルズ 恵子