日本のお正月は、もともとは、祖先に感謝し、先祖の霊を祀るもので、その後、五穀豊穣の神様をお迎えし、その年の豊作を祈るようになったといわれています。6世紀半ばには、すでに存在していたということです。また少なくとも平安時代後期には、「お年賀」の挨拶が始まっていたとされています。現在のように門松やしめ飾り、鏡餅などの正月飾りが庶民の間でも行われるようになったのは江戸時代中期からで、おせち料理が食べられるようになったのもこの頃です。さらに初詣として神社に参拝するようになったのは明治時代以降で、都市部から始まった新しい慣習でした。(イニシオフーズ株式会社『百花』より)
お正月について、名誉総長の末川博先生は次のように述べています。
「一九六五年、昭和も四十年となった。終戦までの二十年と戦後の二十年と、まさに昭和も半々に分けることができるようになったわけである。そして、その前半と後半とのあいだには、日本民族がかつて経験したことのない敗戦による降伏という大きな断層があって、あらゆる面で急激な変転が生じている。まず、新年を迎えてお互いに『おめでとう』といいかわす言葉に変りはないが、その意味は、だいぶん変わってきている。正月にはなぜおめでとうというのか。何とか年を越すことができてよかったとか、生きながらえてお互いに結構だったとかいうような気持を表わすのでもあろうが、戦前のこどもたちにはトシを一つとるというよろこびが大きかった。」(「正月と戦後二十年」1965年1月1日『京都新聞』、末川博『京洛閑話』、『末川博随想全集』第8巻、栗田出版会1972年より)
戦前は一般的に、生まれた日が1歳で正月の度に1歳年をとる「数え年」でした。1950年の「年齢のとなえ方に関する法律」により、従来のならわしが改められ、生まれた日が0歳で、その日を起点に1歳ずつ年をとる「満年齢」となっています。
「ところで各家庭に大切な歳神様をお迎えするお正月なので、昔からお正月にやってはいけないこととして伝えられてきたことがあります。
〇炊事場などの火や水を使ってはいけない(神様の食事される場所であるため)
〇掃き掃除などをしてはいない(神様を掃いてしまうため)
〇風呂に入ってはいけない(福の神様も流してしまうため)
〇包丁など切れるものを使わない(良い縁も切ってしまうため)
〇1万円札など大きなお金は使わない(散財する年になってしまうため)」(イニシオフーズ株式会社『百花』より)
「だからおせち料理は予めつくっておくのか」といまさらながら感心しました。