顧客満足論 第4回
質問への回答
 
 
○「現代の顧客満足」に関して
質問に対するところで、先生はCDの売上が落ち込んでいるのは、携帯代に費やす費用が高くなっているためだとおっしゃいましたが、私はパソコンなどのOS機器の発展によるものだと思います。
 要するに、必需的でない消費支出の部分が、CDから他へ移ったということで、その代表的なものとして携帯電話をあげたわけです。これは、データの裏付けがあります。
 
dissatisfactionを解決したらunsatisfactionという理解でいいのでしょうか?
 dissatisfactionの解決なしに、unsatisfactionの打開に取り組むという話にはならない、と理解してください。
 
スーパーマーケットでの関係性マーケティングの話ですが、本で読むと、上位の20%の顧客を大事にして、大きな特典を与えることによって、上位顧客との関係を作っていくというマーケティングがありました(主に海外のスーパーで)。これは日本人から見たら不平等に感じられて、日本にはなじまないかなと思いますが、どうでしょうか?
 これは、時々議論になる興味深い論点です。アメリカでも議論が分かれます。ただ、ポイントの割引というのは結局そうなっていると思いませんか? ぜひ検討してみてください。
 
○機能充足仮説に関して
本質と表層を商品に例えると、本質はその商品自体の基本的機能であって、表層はそれに付随してくる付加価値というふうにとらえたのですが。
機能充足仮説の例で、ガードマン(セキュリティ)も本質かな?と思ったのですが、ある規準まで本質で、それをこえたら表層かな?とも思いました。
「本質」は中身の部分、「表層」はうわべ、見た目だと勝手に思っていました。
充実度と満足度の違いは何ですか?充実していれば満足にもつながると思うのですが、表層のところで充実度がゼロになっても満足度はゼロ以下にはならないというのは、どういうことですか?
 付加価値というコトバをここで使うと、経済学的に不適切でしょう。その商品を商品として成り立たせている最低限の条件に関する要素が本質で、表層はそれ以外の要素だと考えてください。従って、本質は必要な水準に達していなければ、即その商品が商品として成立しなくなります。いっぽう、本質が必要な水準に達していれば、満足度の水準は何であれ、いちおう商品としては成立しますが、表層の充実度があがらないと、満足度もあがらないということです。
 
機能充足仮説のところで、例えばファーストフード店の場合は「正確に商品の受け渡しをする」ということが「本質」にあたり、「店員の接客が丁寧である」ということが「表層」にあたるということですか?
表層部分が欠けていても満足度はマイナスになると思います。ホテルやデパートでは接客対応が悪いとクレームになることも多いと思います。どちらが欠けていても十分な顧客満足は得られないんですね。
ある事業の本質と表層はどう決めるのですか?事業の本質と表層は顧客により違うことはありますか?
 接客が丁寧かどうかは、ファストフードの場合は表層でしょう。しかし、観光旅館などの場合は「ホスピタリティ」自体を求めていくわけですから、こちらは本質に含まれるでしょう。顧客が何を求めているのか、という視点から考える必要があります。
 
今の時代、本質サービスのみで優位にたつことはできないのか?
戦略的顧客満足を達成するためには、本質的機能よりも表層機能の方が大切ということでしょうか?・ 表層機能サービスは「あればあるにこしたことはない」とあるが、競争していくためには、この表層機能サービスがないと勝ち残っていくことが不可能ではないだろうか?
日産のようにデザインに力を入れて売上を伸ばしている企業がありますが、商品開発で表層に力をいれることが、これからの情報消費社会では重要ということですか?
 本質はいわば前提であるので、あまり事業者間で差がでません。差別化は表層で行われることが多いので、競争の焦点がここになります。どちらが大切、というのはどこに問題の焦点をあてて考えるかによります。
 
本質機能を満たせていない状態がdissatisfactionで表層機能を満たせていない状態がunsatisfactionということでしょうか?
 そう考えて大筋で問題はありません。
 
「充実度が高い」というのは、例えば冷蔵庫で観音開きになるとか、透明な氷ができるとかの機能がついている状態で、「満足度」はそれを冷蔵庫として使った場合良いか悪いか、ということですか?
 充実は客観的なもので、満足はそれを主体が評価した結果です。
 
機能充足仮説で、冷蔵庫が開きっぱなしのときに鳴るアラーム機能が例に挙がりましたが、鳴らなくていいときに鳴ってイライラするように、そのようなサービス機能が逆に問題となることはありますか?
銀行や服屋の例で、ガードマン100人や店員をいたるところに配置するという点で、満足度が上がらないのに加えて、不満度があがる場合もあると思ったのですが、その辺はどうですか?
 まさにその例のように、過剰は逆に満足度を下げます。というか、過剰は充実度という点でもマイナスです。単に機能が多ければ充実するわけではないのです。客観的に使い勝手が悪ければ充実度も下がります。
 
ダスキンの元社長は、サービス業は「100−1=0である」と言われた。この「−1」に当てはまるのは、本質サービスなのか、表層サービスなのか?両方とも当てはまると思うが、よりマイナスなのは本質サービスであると思うが。
これは本質をさしているのでしょうね。
 
機能充足仮説のところで、本質機能サービスで一定以上の充実度は満足度の向上につながらないとありますが、スポーツカーのエンジンのパワーは、パワーがあるほどに満足度もあがるように例外もあるのでしょうか?
 通常のユーザーが公道で利用する場合、はたして10トントラックのような馬力が実際に必要でしょうか。イメージ消費としてとらえるなら、場合はエンジンのパワーは表層機能です。
 
機能充足仮説のところの表層機能で、板書の充足度と教科書の充実度は同じことですか?
 同じことです。
 
マーケティング論の中でも中核のなるサービス、実態のしてのサービス、拡大されたサービスの3つを習いました。機能充足仮説では3つはないのですか?
 マーケティング論の枠組みとは考え方の基本が少し違います。
 
○機能代償仮説に関して
愛想はサービス(顧客満足)に入ると思ってました。けれど、愛想のいいヤブ医者は正直「どうかなぁ」と思います。やっぱり本質あってこその「表層」なのだとわかりました。
例えば、ファッションなどで、服の本質は寒さを防ぐことだと思いますが、表層の部分が本質に入れ替わるということもありえると思うのですが、どうなのでしょうか?
 まさに「本質」あってこその「表層」なのです。ファッショナブルな服は、ファッションとして機能することに本質があるので、通常の服ではないと考える必要があります。
 
自社と競合他社との中で、優位に立とうとするとき、最近は表層サービスを充実させて顧客満足度の向上を図ろうとしているところが多いと思うが、それによって本質サービスが損なわれることはないのか?
 そうなることはあるでしょうね。それは結局は失敗を生じます。
 
本質と表層というものが、実際に何であるかはわかりました。例えば、レンタルビデオ屋の場合、種類が多いのが本質で、1つのタイトルについての本数が多かったりするのが表層になるのですか?
旅館かホテルの話で、顧客には分からないサービスを低下させる、とあったが、もっと具体的になぜそのようなことができるのかを知りたい。なぜほかの人たちもしないのでしょうか?
 グループレポートで考えてみませんか。
 
○その他
・ コンサルタント業界では、コンサルタントの人たちはほとんど営業の経験がなく、仕事が入ってくるのを待っている状態で、推進の営業はコンサルティングの苦労がわからないので、付加価値を伝えきれずにいる時もあります。2人一緒に活動するのは基本的に無理で、契約までと支援の両方の顧客満足を考えた時、一つの課題だと最近大変考えるのですが。
 やはり難しくてもコンサルタントの人に現場へ出てもらう必要があるでしょうね。飛び込み営業をやれとまではいえないでしょうし、ノルマを課すと逆効果でしょうが、少なくとも具体的な契約交渉の場に引っ張り出すことは効果を生むと思います。