貿易論の環境問題への分析は, 近年多くの論文が様々な角度からなされるようになってきた。以下はこのなかで、所有権と環境問題との関係について述べる。一見両者は関係がないように見えるが、両者は密接につながっている。たとえば空気の所有権は特にあるわけではない。空気は誰のものと決まっていれば、汚れた空気を吸うことは望まない。誰のものではないがゆえに、あるいは管理権がないがゆえに、大気汚染が発生する。公衆トイレが汚れがちなのも、所有が明確でないことも一因である。魚の乱獲は海の魚の所有権がはっきりしていないことから発生する。このため、漁業資源管理が十分なされずに、今のうちに採れるだけとってしまおうということになって、漁業資源の枯渇へとなる。国際間の協定、例えば日韓漁業協定は、主に日本海における漁業資源の管理を目標としたものである。魚の乱獲のような現象は「共有地の悲劇」といわれる。森林などの共有地の木を切らずにそのままおいておいても、共有地であると必ずしも自分のものとはならない。人よりさきに伐採すると確実に自分のものとなるので、大きくならないうちに伐採が進んでしまうのである。
最近話題の京都議定書の批准は、「空気」の所有権を明確にすることになる。世界的に空気特に地球温暖化ガスの、管理を行っていこうというものである。魚の乱獲を行ったのは、つまりいわば温暖化をもたらさない大気資源を枯渇させたのは、先進国である。そこでこの資源を回復させるには、国際間で資源をこれ以上採らないよう取り決めを行う必要がある。すでにコストを負担しないで採ってしまった先進国は、過去の分を含めて途上国よりもコストを支払う必要がある。このように考えると、最大の汚染排出国アメリカが抜けるのは大きな問題であることがわかる。アメリカ自身で独自の政策を行うといっているが、現時点ではそれほど期待できず、アメリカも全体の枠組みに入らなくては意味がないのである。
では京都議定書に批准しないことにどう対処すればよいのか。貿易論的な解決は、地球温暖化ガスが生産部門から主に排出されると仮定すると、アメリカからの輸出財に対しては課税、すなわち貿易相手国は輸入関税をおこなう。またアメリカへの輸出財には補助金、つまり貿易相手国は輸出補助金を課す。このようにして、アメリカの生産量を減らすようにするのである。相手国の報復を考慮するゲーム論的に言うと、アメリカが排出の世界的枠組への不参加が不利益になるように、他の国が一致して行動する必要がある。いまのままでは、アメリカは最大の汚染排出国にもかかわらずその環境への負担相当分のコストを、その政策の緩さゆえに相対的に払わないことになる。そこでこのいわゆる負の外部性の分を負担させることにするのである。コストを払わずにアメリカの財が相対的に安くなり、アメリカの競争力が増しアメリカの財が売れることは、地球環境問題の解決に反するものになる。アメリカへの脅し、あるいはアメリカにとって脅かされるという体験が、国際関係上必要かもしれない。