資格への考え方−就職・面接への心構え−

 

人間というのは、楽しいこと、興味のあること、好奇心をもつことを本能的に行おうとする。この点で、就職のために資格を取るのは、順序が逆である。仕事も食べるため、生きるために仕方なくする面もあるが、豊かな現代社会においては、やはり興味があり、ストレスをそれほど感じない職に就くのがよいのは、当然であろう。このとき、資格も、趣味の延長、あるいは興味の延長で行うほうが、自然である。もちろん、嫌いとか苦手であってもやらざるを得ない場合もあるが、それも最終的には、目標とする楽しみにためであって、基本的には、同じことになる。

 つまり、興味や目標が基本にあるのであって、ただ漫然となんとなく就職するのに有利かもしれないので資格をとるのは、本末転倒になる。旅行関係の資格をとるときでも、その方面に関心があり、取得を通じて、その知識が広がるからとった人と、ただ単に就職に有利だと思ってとった人とでは、旅行会社はどちらをとりたいかは、明らかである。さらに旅行会社以外の面接のときでも、前者の人は、この資格を堂々といえるが、後者では必ずしもいえない。前者のほうが汎用性があるのである。

 実際ある大学で、資格サークルを作り、数十個の資格を取得した学生も、資格は就職のためではなく、自分の視野や知識を広げるための手段だとも言っている。大学においては、資格も、さまざまな知識教養の一部だと考えたほうがよい。大学の就職部では、資格取得を勧めているが、どの職に就くか、あるいは、どのような職種になるかわからないのに、「就職のために」という発想で取得するのは意味のない無駄なことになりかねない。

 もちろん就職してから、必要となる資格はまさしく仕事のためであり、はっきりしている。しかし何につくか、はっきりしない段階で資格、資格と言い出すと、きりがない。就職のときは面接で基本的にはきまる。10分程度の面接で、ある程度、入ってから役に立つかどうか、適応能力などがわかる。このときに資格は、参考材料のひとつに過ぎなく、なかってもよい。あまり資格、資格というと、本人に自信がないから、資格で何とか食い込もうと考えているのかと、思われこともある。あったほうがないよりもよいが、その程度のものである。

 しかも資格も時間とともに変化する。たとえばパソコンの技能資格は、昔のパソコンがなかった時代は、当然存在しなかった。変化の激しい時代、目の前の資格よりも、適応・応用能力などがむしろ重要である。結局、資格を取るな、取るのは無駄だとはいわないが、あくまでも、興味、趣味、教養のひとつにすぎないのである。そのほうが気が楽であり、楽しいであろう。就職に役立つか役立たないは、結果であり、2次的なものである。好奇心、興味、のあることを普段から、用意して、会話のなかにさりげなく入れることができれば、それが個性となり、結果として、就職に有利となる。資格はその一つに過ぎず、興味のあることもなく、話しに魅力がない状態で、資格を漫然と取っているようでは、企業はよい人材とは見てくれないであろう。