社会人になってからの仕事で最も思い出深いものは、やはり青年海外協力隊としての仕事となります。社会人となって経験3年半働いた後、子供の頃からいつか参加したいと考えていた青年海外協力隊へ参加し、東欧ブルガリアのバラの谷「カザンラク」で2年間ボランティア活動を行いました。村落開発普及員という村々をまわり地域開発に関する仕事を行う職種での参加で、私は任地であるカザンラク地域における (a)観光による地域開発、(b)BHN(ベーシック・ヒューマン・ニーズ)の向上、(c)日本文化紹介・友好促進にかかわる仕事に主に従事しました。
赴任当初はブルガリア語をうまく話せず自分の思いや考えを伝えるのに苦労しましたが、学生時代に中国へ留学した経験があるためかその苦労も楽しむことができました。先任がおらず決まった仕事があるわけではなかったため、まずは周辺地域の村々を回り、村長さん達や村の人々とコミュニケーションをとり、どのようなニーズがあるかを探るところからのスタートでした。仕事を通じて徐々に現地の人々から信頼されるようになり、最後の1年は次々と仕事が舞い込むようになり忙しくも嬉しい毎日でした。
ブルガリアでは実に様々な仕事をしました。観光客や若い人々にブルガリアの伝統文化を知ってもらうために村に古くから残る農具や生活用品を収集し展示した民俗文化展示室の整備、失業女性グループでの観光客向けのお土産品開発、カザンラク地域の観光パンフレットの翻訳、障害児教室の活動支援、日本語教室の開催、ロマ人学校や老人ホームでの折り紙教室の開催、博物館での日本人形展の開催…。
カザンラクでの仕事それぞれに思い出がありますが、中でもエニナ村のヤナ幼稚園で実施した旧園舎の建物改修工事は思い出深いものがあります。ヤナ幼稚園は赴任当初に最初に私を受け入れてくださり活動を始めたところで、ここの園長先生や子供たちには本当に感謝しています。この幼稚園はもともと20人ほどしか園児のいない規模の小さな幼稚園だったのですが、中核都市に近く自然もあり環境の良い村ということで、人口が増加の一途をたどり、2年ほどで園児が80人を超える規模となりました。そのため教室が不足し、子供たちが十分に衛生的な環境で教育を受ける場所を確保する必要が出てきました。
この旧園舎改修工事には日本の外務省の「草の根・人間の安全保障無償資金協力」プロジェクトを活用しました。駐ブルガリア日本大使館には当時年間400件ほど申請があるのですが、採用されるのはわずか数件というかなりの難関。幼稚園の園長先生と地元の人々との協力で、見事採用され、長年使用されずボロボロになっていた幼稚園の旧園舎を改修し、子供たちの新たな教室を確保しました。オープニングセレモニーにはブルガリアの副大統領にも参加していただき盛大なセレモニーとなりました。懐かしいですね。
国際関係学部時代に体験した異文化交流や学際的な思考が、ブルガリアでの活動に活きたのではないかと思います。将来晩年を迎え仕事をリタイアしたら、今度はシニア海外ボランティアとして国際協力の現場に戻りたいですね。
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