◇2007年という年─中原中也の生没年に想う 立命館中学で思春期の一時期を過ごした詩人の中原中也は、1907年に生まれ、1937年に亡くなりました。今年は、中原中也生誕100周年、没後70年に当たりますが、彼が生まれた1907年は「ハーグ密使事件」の年であり、亡くなった1937年は「盧溝橋事件」を皮切りに日中全面戦争が起こり、いわゆる「南京虐殺事件」が起こった年でもあります。 ◇ハーグ密使事件から100年 「ハーグ密使事件」とはオランダのハーグで開催された第2回平和会議に派遣された大韓帝国の密使の一人であったイ・ジュンが「不審な死」を遂げた事件です。1907年は第3次日韓協約が締結された年でもあり、韓国政府への日本人の採用が取り決められたり、韓国の軍隊が解散させられたりして、反日運動が激化した年でした。3年後には「韓国併合条約」によって韓国が日本の植民地になるのですが、大韓帝国政府は1907年のハーグ平和会議に密使を送り、国際社会に日本の横暴をアピールする計画でしたが、イ・ジュンの不審な死によってその意図を封じられた形になりました。実は、ハーグにはこの事件を記念した「イ・ジュン平和博物館」があり、訪れる人々に当時の日本の横暴ぶりが訴えられています。館長のキーハン・リー氏とは一昨年スペインのゲルニカで開かれた第5回国際平和博物館会議でも会いましたが、今年は「ハーグ密使事件」から100年目ということで、大きなイベントを計画しているようです。実は、1999年、私はイ・ジュン平和博物館の記念式典で基調的講演を頼まれたのですが、私はこの式典で演説をした最初の日本人だったのだそうです。それだけ韓国側としては「ハーグ密使事件」の背後にある日本の関与の可能性を重大視しているということでしょう。その前年の1998年に立命館大学で開催された第3回国際平和博物館会議に参加されたキーハン・リー館長が、ミュージアムの「過去と誠実に向き合う姿勢」に感じるところがあったのでしょう、私たちとの共同関係を積極的に模索するようになりました。 ◇南京事件から70年 一方、中原中也が亡くなった1937年は日中全面戦争が始まった年として、いわゆる十五年戦争の過程でも画期となる年でした。その年に起こった「南京虐殺事件」については、殺害された中国人の数をめぐって論議があることはよく知られています。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」(南京虐殺記念館)の外壁には「300000」という数字が彫り込まれており、ある種の政治的決意さえ感じられます。一方、日本の歴史研究者の中には、南京事件の期間、場所、殺害された中国人の種別(一般人、便衣兵、兵士)などの違いもあって、さまざまな推定値が提起されています。私としては、より正確な犠牲者数の推定については歴史学者の研究成果に委ねつつ、どうすれば南京事件の史実と誠実に向き合いながら、中国の人々とも平和創造のために共同の努力を積み上げることが可能なのかを模索し続けたいと念じています。幸い、私は「南京虐殺記念館」に併設されている「南京国際平和研究所」の名誉所長を拝命しています。所長は「南京虐殺記念館」の朱成山館長が兼務しておりますが、彼も1998年に立命館で開催された第3回国際平和博物館会議への参加等を通じて、「過去と誠実に向き合う」立命館の姿勢に感じるところがあって、友好的な関係を構築する意欲を示された人物です。日本人である私を併設研究所の名誉所長に据えたということは、いつまでも犠牲者数をめぐっていがみ合っているのではなく、中国人と日本人が共同して共通理解を育んでいこうという意思の表れといっていいでしょう。今年は南京事件から70年目ということで、それなりのイベントが企画され、それには立命館の国際平和ミュージアムも何らかの積極的関与が期待されています。実際、立命館大学国際平和ミュージアムと南京虐殺記念館は「学術交流協定」を結んでおり、その実践としてもこうした節目に相互理解を増進する共同事業を発展させることも大切なことでしょう。 ◇新しい平和ミュージアムづくりの推進を! 以上、中原中也の生年と没年を切り口にイ・ジュン平和博物館および南京虐殺記念館との関係を紹介しましたが、国際平和ミュージアムは「過去と誠実に向き合う姿勢」を貫きながら、世界的なスケールで活動を組み立てていきたいと考えています。折から「学園中期計画」において、ミュージアムは単なる社会開放型の平和展示施設として機能するだけでなく、平和教育と平和研究の面でも中核的な役割を果たす施設に脱皮・発展することが期待されています。もとよりミュージアムだけで実現できることではありませんので、立命館の教職員・院生・学生・生徒・児童・父母・校友の積極的な参画や市民のみなさまのご協力によって新しい平和ミュージアムづくりを推進しなければなりません。可能な限り学園関係者の知恵を結集して、世界に誇るべき平和博物館づくりにいっそうの努力を払いたいと考えていますので、どうか宜しくお願い致します。 館長 安斎育郎
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