バングラデシュのサイクロン被害の救援に関する館長声明

立命館大学国際平和ミュージアム・館長 安斎育郎

2007年11月15日~16日、極めて強力な熱帯低気圧(サイクロン)「シドル」がバングラデシュ南部の沿岸地帯を襲い、推定死者1万人に達することが懸念される大きな被害をもたらしつつある。

 バングラデシュの気候は熱帯性で、激しいサイクロンや竜巻、大規模な河川の氾濫が毎年のように襲いかかり、国の発展を妨げる原因となっている。1991年にも大規模なサイクロンに襲われ、14万人近い人々の命が奪われた。人口は1億4千万人余で日本の1.1倍だが、面積は日本の40%足らずで、1000人/km2に近い人口密度は、この規模の国としては世界で最も高い水準にある。大部分の国民は土地を持たず、洪水に見舞われやすい劣悪な衛生環境の低湿地帯に住み、たびたび水を媒介とするコレラや赤痢などの伝染病が流行している。加えて、飲料用の井戸水は地層中のヒ素で汚染され、人口の25%以上とも言われる人々をヒ素中毒や発ガンの危険にさらしてきた。

 こうした厳しい自然環境や劣悪な居住条件をもつバングラデシュは、歴史的には、1971年にパキスタンから独立した若い国家である。その後、15年間に及ぶ軍政統治を経て議院内閣制に移行したが、1991年に成立したバングラデシュ民族主義党(BNP)政権のもとでは経済が停滞した。1996年に、独立運動で指導的な役割を果たしたアワミ連盟が政権の座につき、インドとの間で「ガンジス河水配分協定」を、また、自治権を要求するミャンマー国境地帯の少数民族との間で「和平協定」をそれぞれ締結して実績を挙げた。2001年10月の総選挙では、バングラデシュ民族主義党主導の4党連合が議席の70%以上を占めて新政権が発足したものの、武器・弾薬の密輸、イギリス大使に対する爆発事件、野党アワミ連盟集会爆破事件、蔵相殺害事件などに加え、国内イスラム過激派の活動の活発化に伴って爆破事件やテロ事件が相次いで起こるなど、政情が不安定化した。2007年1月に総選挙が行なわれる予定だったが、選挙制度改革をめぐる対立などで政情が悪化、非常事態宣言が発表されるに至った。バングラデシュの国民一人当たりの国内総生産(GDP)は日本の80分の1強に留まり、「最貧国のスポークスマン」を自認する一方、国連平和維持活動には上位3位以内の要員を派遣しているが、これには外貨の獲得という面も否めない。

 こうした状況が示すように、今回のサイクロン被害の拡大は、単に劣悪な自然環境条件によるものではなく、被害の拡大を防ぐ社会的基盤の脆弱さや、有効かつ迅速な救援措置をとることを許さない政治的・経済的力量の貧困さにも起因している。

 今日の平和学では、平和は単に戦争のような「直接的暴力」のない状態のみを意味するのではなく、貧困や社会的格差や劣悪な衛生状態など、人間の可能性の発露を阻害する社会的原因としての「構造的暴力」のない状態をも包含するものと理解されている。私は、バングラデシュを襲った今回のサイクロン被害に対し、私たち一人一人が、それぞれの自発性において応分の緊急支援の手を差し伸べるべきことを訴えるとともに、災害発生時のみならず、バングラデシュの教育・衛生・医療・環境・建築・気象・情報など、災害に対する脆弱性の克復に役立つ広範な社会的基盤の強化に向けて、平常時から官民の隔てなく一層の支援と協力の努力を払うべきことを訴えるものである。

 2007年9月、バングラデシュの首都ダッカにおいて、同国「解放戦争博物館」のイニシャチブで「アジアの史跡にたつ良心の博物館会議」が開催され、当ミュージアムからも兼清順子学芸員が参加し、相互理解と交流を深めた。当ミュージアム館長としては、会議の成功に奮闘された同博物館関係者に改めて謝意を表明するとともに、当ミュージアムの参観者から寄せられた支援金を同博物館を通じて被災者支援に有効に役立てるために、最善の努力を払うことを誓約する。


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