加藤周一さんのご逝去を悼みます

 

立命館大学国際平和ミュージアム名誉館長 安斎 育郎

立命館大学国際平和ミュージアム館長     高杉 巴彦

加藤周一さんが亡くなりました。

「戦後日本を代表する知識人」と評され、フランス留学を含めての豊富な外体験や大学での活動から積み重ねられた、思想や文化についての深い洞察力と分析力によって、「日本」というものを見つめてこられました。その活動は多岐にわた り、文学・美術・政治・社会についての発言・評論は、教養人・知識人の域を超えていわば現代思潮の巨人と言っても過言ではないでしょう。とくに、『日本文学史序説』は、日本文化分析の多角的視点に基づく切り口の鋭さに感動を覚える論説であり、多くの人の目を見開いてくれるものでした。


また被爆直後の広島を医学調査団の一員として訪れて惨状を目の当たりにし、ベトナム戦争批判や核廃絶を訴えられ、自由な立場から新聞・雑誌を通じて発言され、最近では憲法九条を激動する世界に輝かせようという「九条の会」の呼びかけ人になっています。

立命館大学とは1988年から国際関係学部の客員教授に就任され、1992年5月には、世界初の大学立の平和博物館として設立した「立命館大学国際平和ミュージアム」の初代館長に就任していただきました。

立命館大学国際平和ミュージアムは、過去の歴史に学び、未来の平和を願って開設されました。この博物館は、「過去と誠実に向き合う」ために加害と被害の両面にわたって十五年戦争の実態を伝えるとともに、現代の戦争が人類にもたらす悲惨な影響や核軍備競争の現状さらに軍縮のための国際的努力についても学ぶことができる平和創造のための展示として開館しました。そしてこの博物館を通じて立命館大学の教学理念でもある「平和と民主主義」のための研究や教育をいっそう発展させることを目的としたのでした。

加藤周一さんは、1991年当時、大南正瑛総長や雀部晶経営学部教授が就任依頼に東京に伺った時、「引き受けるからには、名前だけでなくきちんと口も出したい」と積極的に位置づけていただいたのでした。加藤さんは「たとえ砲弾の飛び交うことがなくても、何十万の人々が餓死する状況が平和とはいえないでしょう。世界は平和ではありません。平和はまもるだけではなく、つくりださなければならないものです。平和博物館は、日本平和博物館ではなく国際平和博物館でなければならないでしょう。」と開館の辞の中で述べていらっしゃいます。また「戦争と平和は」「それが何であるかを理解するためには、視点を変えて、さまざまな角度から同じ現象を眺め、みずから考える必要があるでしょう。」「大臣や将軍の戦争と兵士の戦争とはちがいます。
戦争とその準備でもうける側から見た戦争と、損をする側から見た戦争もちがうでしょう。戦争の犠牲者である一国民は。同時に相手側に対する加害者でもあります。」「国際平和博物館のもう一つの大きな役割は戦争と平和について考える場所を提供し、さらには平和をつくり出すための研究を進める施設になることです。」と述べておられました。

加藤周一さんは1994年度まで立命館大学国際平和ミュージアムの初代館長を務められ、館の基本理念と趣旨設立に基づく基本姿勢をつくっていく上で大きな役割を果たしていただいたのです。1993年12月には「学徒出陣50年、わだつみ像建立40周年特別展」において「『学徒出陣』50年と日本の現状」と題する講演をされ、その後も例えば1996年5月に日本国際政治学会が立命館大学で行われたとき、平和学者のヨハン・ガルトゥング氏や関寛治立命館大学教授(当時)らが報告したシンポジウム「21世紀の国際関係理論への展望」の司会・コーディネーターとしても活躍していただきました。こうして立命館大学が、この画期的な世界初の大学立「国際平和ミュージアム」をつくりあげるに際して、加藤周一さんには多大な役割を発揮していただきました。

私たちはその志を受け継ぎ2005年には館のリニューアルを行い、飢えや貧困、人権抑圧や環境破壊など人類が共同して解決すべき問題を取りのぞき、人間の可能性が豊かに花開く平和な社会の実現に向けて、平和創造の主体者をはぐくむことにも重点をさいた展示と活動を行っています。

今年2008年10月には2008年10月6日~10日にわたって、立命館大学(3日間)、京都造形芸術大学、広島平和記念資料館を舞台に、「国際平和博物館会議」を成功裏に開催することが出来ました。世界の5大陸二十数カ国・地域から50余の博物館関係者が約70名、国内40余の博物館関係者と合わせて約300名の専門家や関係者が登録参加し、学生・市民を含めて最大時750名、延べ参加者は立命館大学会場で3400名、5日間で5000名近くに及び、過去最高の参加者数でありました。

全体会での記念講演が7本、19の分科会、5つのシンポジウムやパネル討論会と被爆者証言、東京と松江での2つのポスト・コンフェレンス会議、さらには、多様な展示パネルや、京都造形芸大での造形作品の発表、広島での原爆ポスター展などが多彩に展開され、多くの海外参加者に感銘を与えました。

今回の会議は、国際会議として最高の規模と広がりをもつとともに、討議された内容とその成果において歴史的成功を収めました。とくに、この会議のテーマの一つである「ピースリテラシー」(平和についての状況を読み解き、問題解決に取り組むための基本的教養)の涵養と普及について、多面的問題提起と討議が行われました。二つ目は、世界の戦争博物館・反戦博物館が悲惨さの強調から脱却して、「和解と共生」を図る未来志向型の
平和創造博物館へと刷新していくテーマです。全体会でもまた分科会での各種発表でも、これについての問題提起がされ、討議が進展しました。

私たちは、こうして加藤周一さんの志を胸に刻み、今日的に深化させてこのミュージアムの活動を展開していきたいと考えております。加藤さんのご逝去に際し、私たちの決意を新たにするとともに、心から哀悼の意を表するものです。

2008年12月6日