戦争と文学―与謝野晶子とその時代― 感想文

戦争と文学(会期 '94/11/26~12/11)

私には、今、の私には、人を殺すことがいいことだなんて、思いもしない。けれど、昔は、そういう普通のことも、教えてはもらえない時代だった。もっともっと私は勉強しようと思いました。
(本学学生 女 20代)

与謝野晶子という人のことは、中学等の国語の教科書に少し出てきたぐらいでしか知らなかった。今日見てみて、戦争等に反対していた人だと知った。こういうことは教えられてはいない。このことを知っている人は世の中に何人いるんだろう。知らないでいる人は何人いるんだろう。このことの意味を考えないでいても生きていける社会とは何だろうと思った。
(他大学生 男 10代)

本当は戦争になどなんの興味のない芸術(文学)を愛する人にまで影響を与える戦争の悪。グロテスク。
(.他大学生 .男 20代)

私は文学にはあまり興味がないのでよくわからないことが多かった。しかし戦争を阻止するために文学には何ができるのかを考えることができた。
(他大学生 .男 10代)

こういう企画はいいと思うが、戦争と文学というわりには、文学にあまり触れることができなかった。
(他大学生 男 20代)

一所懸命戦争に反対した姿、母として女としての彼女を初めて知りました。子どもを生み、育てるということは、すごく大変なことだし、尊いことだと思うから、その命をかんたんにうばってしまう戦争はやはりイヤですね。
(他大学生 女 20代)

悪いんですが、渡された冊子を見れば、一目瞭然というのではさみしいと思う。(とはいえ、載っていなかったものもあったにはあったが)もっと他にも晶子さんにまつわるものが見たかったし、感じたかったが残念だ。
(他大学生 .女 20代)

私も、女性として与謝野晶子の生き方に感激しました。特に、「ひらきぶみ」で、このように、自分に正直に生きられるなら、これ程、幸せなことはないな、と思いました。この特別展は、とってもよかったです。自分の大学がこんな風に展覧会をやっているのは、結構、自慢できます。またなにか特別展を開いたら、来るでしょう。
(本学学生 女 10代)

すばらしいこの特別展「戦争と文学」をみて、平和が文学をとおして語らえ、それがいつまでも力になり大地の下をはうが如くまた、空を舞うが如く連綿と続いていることに共感せり。我は年のみとりしが、この特別展の中で、自己をしっかりと見つめなおしたい。
(一般 男 60代)

晶子が当時全女性に呼びかけた言葉は、そのまま、現在の女性に対しても通じるもので、考えさせられます。彼女の作品を、詳しく読んでみたいと思いました。
(本学学生 .女 .20代)

文学者の中に戦争をたたえるような文や詞を書いた人が多いので驚いた。
(本学学生 男 20代)

文学者、特に与謝野晶子などは、反戦の作家として紹介されがちだが、戦争支持にまわった作品(特に中国の少年について述べた一文は印象的だった)を書いたことは知らなかった。歴史教育の歪曲が叫ばれて久しいが、国語教育も、それに近いものがあるように感じる。
(本学学生 男 20代)

戦争と文学をつなげるものが何かといえば、人間であり、その人が所属する社会である。戦争という残酷な人間の一面と文学(芸術)という人間のすばらしい一面という、あいいれないものが人間には両方備わっていて、社会の圧力によって文学が堕落すると、戦争に協力したり、流されたりしてしまうのだと痛感しました。
(本学学生 .男 20代) 

晶子は単に声高に反戦を唱えていたのでなく、戦争のもっと深い本質のような部分まで見据えた上で、人々が戦いあうのを悲しんでいたのだと感じた。
(本学学生 女 20代)

あの昭和の時代は本当に、思想すらも変えてしまったのだろうか。晶子さんほどの意志の強い女性があのように変わってしまうのは信じ難い。保身のため仕方なくではなく本気で戦争を積極的に考えていたのなら、それは恐ろしいことである。とても面白かったです。
(本学学生 男 20代)

地道な貴館の活動に感動しました。私共の中学校でも「戦争と文学」をテーマに展示をしたいと思うようになりました。
(教育関係者 .男 30代)

立命が企画することの意義、重要性について再度認識とともに内実化の必要性を痛感。
(一般 男 40代)

正しいことを正しいと言えなくなる時代の恐ろしさをまざまざと感じた。人をあおるような、作家達の作品によってどれだけの人が死へと進んだかと思うと言葉にならない。
(他大学生 .男 20代)


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