第13回メディア資料研究会を開催しました

第13回メディア資料研究会を開催しました

▲資料閲覧の様子 

 

 第13回メディア資料研究会では、『戦時グラフ雑誌の宣伝-十五年戦争下の「日本」イメージ-』、『日清・日露戦争と写真報道』『秘蔵写真200枚でたどるアジア・太平洋戦争:東方社が写した日本と大東亜共栄圏』などの著書のある井上祐子氏に日清・日露戦争期、大正期から満州事変期、十五年戦争期における写真報道について報告していただきました。

  この時期の日本の報道は、戦争や災害を伝える写真の需要の高まりと印刷技術の向上によって写真の利用が広がっていくとともに、検閲や統制が強化されていきました。その様子を、新聞、写真帖、絵葉書、グラフ雑誌などに掲載された写真を交えて紹介しました。
 日清戦争時の新聞は、写真を掲載する技術がなかったため、戦場のエピソードと写真を元にした木版画が掲載されていました。日露戦争時には、新聞に写真が掲載されるようになり、写真帖が発行されたり、写真絵葉書がブームになるなど、写真による戦争の報道が拡大しました。日露戦争の戦場の様子を伝えた写真帖からは、国際社会に向けて捕虜の丁寧な扱いを示すため、英語での説明がつく一方、中国人や朝鮮人の使役や処刑の様子を掲載して差別意識を助長、また、日本軍の死者の写真を隠蔽し、戦争支持の機運を維持しようとしたことが伺われます。その後、第一次大戦では世界的に写真による報道が増加しましたが、日本では写真帖の発行が減り、代わって小さな通信社や新聞社の写真を主とする定期刊行物の発行が盛んになりました。
 満州事変期には、報道写真の登場により写真帖やグラフ雑誌の発行も増えました。そこにはストーリー性のある組み写真が掲載され、日本の権益を正当化する海外向けのグラフ雑誌や、写真ニュースも多数発行されるようになりました。しかし軍事機密保護による規制や軍部・政府による統制が厳しくなり、日本軍の死体の写真など厭戦気分を醸成する写真の掲載は自己規制されるようになりました。さらに、戦場の臨場感を出すための戦闘の再現演出なども増え、写真は戦争への支持や熱狂を作り出す手段とされていきました。

 こうした写真報道の流れが、当館収蔵の『日清戦争実記』、『日露戦争写真画報』、『満州事変写真帖』『アサヒグラフ』、『支那事変画報』、『FRONT』、『写真週報』などから示されました。
 最後に、戦時期の写真を見ることは、戦争を見ることには繋がらないが、写真のもつ具体的な細部の再現によりわかることもあり、文書資料などと突き合わせたり、検閲のため公表されなかった写真と公表されたものを比較することにより、研究が深められることが指摘されました。
 当館には日清戦争以降、十五年戦争期までの多数の戦争関連の写真帖やグラフ雑誌が収蔵されており、今後これらの資料を活用した多様な研究が進むことが期待されます。

 

 

 

第13回メディア資料研究会

「近代日本の戦争と写真報道―写真は何を伝え、何を伝えなかったか―」

日時:2019年6月14日(金)17:00~19:00

会場:立命館大学国際平和ミュージアム 2階F会議室

発表:井上 祐子((公財)政治経済研究所主任研究員)

参加者:8名

 
▲井上祐子 氏
 
▲研究会の様子

 

 




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