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立命館大学COE推進機構の大山喬平教授

教室の様子

大山喬平教授「洛西地域の古代から中世 −松尾社・法輪寺・東寺−」を語る。

 11月24日(金)、衣笠キャンパス アート・リサーチセンターにて、大山喬平教授(立命館大学COE推進機構)による講演「洛西地域の古代から中世 −松尾社・法輪寺・東寺−」(秋期連続講演会 第3回)が行われた。主催は立命館大学 アート・リサーチセンター、文部科学省21世紀COEプログラム「京都アート・エンタテインメント創生研究」。

 大山教授は古代・中世に作られた2つの用水路について説明した。1つめは秦氏の治水工事である。秦氏は大堰川(おおいがわ:亀岡盆地から保津峡渓谷を抜け、桂川に流入する川)の水を制御するため、葛野大堰(かどのおおい)を築き、松尾の神を祭ったという。この用水路は渡月橋付近から南下(松尾社方面)しており、周辺の水田農業において欠かせないものとなった。 もう1つは渡月橋から東(太秦方面)へと流れる西高瀬川についてである。大山氏は「三代実録」「広隆寺来由記」の文献から、この治水工事は大井川の決壊防止のために、僧・道昌によって行われたとの見解を示した。そしてこの広隆寺水路が、現在の西高瀬川の原型になったと言う。

 また大井川は、京都−丹波を結ぶ航路としても重要な役目を果たしていたという。しかし稲作農業が盛んになる時期には、河川の船の出入り口が塞がれるなどし、そのため航路利用者と農業従事者の間で、しばしば紛争・衝突が起こったということを、江戸・明治期の文献を踏まえて説明した。

 嵐山は日本有数の景観地を誇っており、そこには多くの観光客が訪れている。大山氏は「秦氏は自領の地域開発のために大堰を作ったが、その井堰を作ったことが桂川の水位の上昇につながり、それが現在のような美しい景観を作り上げた」と語った。

 アート・リサーチセンターのHPはこちら