元自治大臣の野中広務氏
 
学生と言葉を交わす野中氏
 
 
2004年度法学部 法政特殊講義「全国知事リレー講義」
第12回「今、日本を憂う」
 
 6月29日(火)、法学部法政特殊講義「第2期全国知事リレー講義」が衣笠キャンパスにて行われ、第12回となる今回は元自治大臣の野中広務氏が講義を行った。

 冒頭で野中氏は「政界を引退していなければ、立命館大学で講演なんて出来なかっただろう」とジョークを放ち、受講していた学生の笑いを誘った。そして、自らの生い立ちに沿いながら、政治家としての人生を語った。

 野中氏は「昭和33年に京都府園部町長となり、昭和42年には自民党の京都府議会議員になった」と若い頃の経歴を話し、「当時の自民党は野党であり、11年の間、府政に対立してきた」と当時の状況について語った。さらに「28年に及ぶ蜷川京都府知事の時代が終わり、保守中道の林田知事が誕生した。そのとき、私が副知事になり、大批判だった」と話した。「副知事の時代には、間違った税金の使い方など古き悪き体制をすべて辞めさせた。すると、すぐに任期の4年が過ぎてしまった」と副知事時代に行った荒技を述べた。

 昭和57年に行われた衆議院議員補欠選挙の際に「竹下さんに呼び出されて、選挙に出ろと言われた。57歳だった私は、最初は断ったが『地方の痛み、苦しみを知った人が、中央から減っている。これからの地方自治を守るために出馬してくれ』と推され、出馬し、そして当選した」と中央へ進出した際の裏話を話した。そして「橋本内閣の時、中小企業への緊急融資対策を行う際に、地方にも負担を求める案を作ってきたが、私はすぐに却下した。地方の首長は予算を使えるのは4ヶ月も5ヶ月も先の話であり、来週からでも出来ることを考えろ、と一喝した」と地方自治の経験が中央で役に立ったエピソードについても語った。

 最後に「最近はよく中国に行くが、行っても両国間の課題をぶつけ合っている。日本語の分かる人は、私が喋った後は顔を真っ青にしているほどだ」と引退後の活動について冗談交じりに話し、「これからはEUがアメリカと対峙する存在になる。その中で、やはりアジアが協力していかないと日本の世界戦略は進まない。今、日本に来ている留学生たちは、数十年後には国政を担う者として台頭してくるはずです。是非、親切にいろいろと教えてあげて下さい」と今後の国際戦略の手法について述べ、今回の講義は終了した。会場には、900人を超える受講生で埋め尽くされ、熱心に講義に聞き入る姿が見られた。

 講義を受講した新原泰さん(法学部3回生)は「地方自治を憂い、地方を守るために、野中氏が国会議員となり、自ら自治大臣として進めた地方分権推進は中央を見ながら地方を見るという野中氏だからこそ実現したものと思った。また、大臣や官房長官在任中の苦悩と苦渋の決断を下す経緯を伺い、緊張と多忙極まりない、目まぐるしい動きを見せる政治の一部分を垣間見させて戴きました」と感想を述べた。

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