講演する文学部木立雅朗教授
 
                 
陶器製手榴弾についての資料展示
 
 
「陶器製手榴弾」展示会・講演会開催 「戦争の語り部が『人』から『もの』へと変わる」
 
 9月10日(金)、京都市東山区五条坂の「カフェ・ギャラリーふじひら」にて、木立雅朗立命館大学文学部教授と立命館大学文学部4回生の萬野翔子さんによる「戦争とやきもの −京都・信楽・備前の陶器製手榴弾を巡って−」と題された講演会が開かれた。

 「陶器製手榴弾」は海軍の関与により、1944年夏頃に試作が始まり、翌年には瀬戸・信楽・備前で量産され、一部は硫黄島や沖縄など「前線」に配備されたという。また、「本土決戦」のための兵器の一つとして個別に陸軍などからも発注されたと言う所伝もある。当時、この「陶器製手榴弾」の発注を請け負った「藤平陶芸」(京都市東山区六波羅竹村町)は、現在も製造した「陶器製手榴弾」を大量に保管している。今回、59回目の終戦記念日にあわせ、8月13日から1ヶ月間、五条坂の「カフェ・ギャラリーふじひら」において、この保管されていた「陶器製手榴弾」が一般公開された。

 講演において、木立雅朗教授は専門の考古学と戦争との関連について「考古学というと、古代の遺跡を調査するイメージがあると思うが、最近では、戦場などの発掘調査などが行なわれ、戦争考古学という分野も生まれてきている。それに、後10年もたてば、戦争について実体験を語ることができる人々はほとんどいなくなり、戦争の語り部が『人』から遺跡や遺品などの『もの』へと変わる」と述べた。また、「現在も、イラクなどで戦争が続けられ、戦争の遺跡がどんどん増えていくのは残念だ」と付け加えた。

 20分間の休憩を挟んだ後、「陶器製手榴弾」についての聞き取り調査をした文学部4回生萬野翔子さんが調査結果を報告した。そして最後に、「実際に陶器製手榴弾が使用された場所と手榴弾の生産地の両方の面から調査をしていきたい」と今後の目標について語った。

 会場には30名を越える人々が集まり、熱心に講師の話に聞き入っていた。今回の講演にスタッフとして参加した立命館大学文学部4回生の木村茉莉さんは「最初はひっそりと20人ぐらいで開催できればいいと思っていたが、たくさんの人に来ていただいて驚きです」と感想を述べた。