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「クローン人間」

●産業社会学部 松原洋子教授に聞く

「今、問われる生命への価値観」

 

先日、世界初のクローン人間が2003年1月に誕生すると報道されました。世界で初めて成体の体細胞から発生したほ乳類クローンとして羊のドリーが誕生してから、クローン技術はあたかもSF世界を想像させる画期的な技術として、専門家のみならず、私たちの日常生活にも様々な期待と不安を与えています。クローン技術とは「再生医療」への期待を含め、大きな可能性を持った技術である一方で、「ヒトの価値」を変化させてしまうのではないか。そうした疑問を、科学論、生命倫理について研究されている、産業社会学部の松原洋子教授にお尋ねし、この問題を現代社会でどう捉えるべきかお話いただきました。


 

Q クローン技術とはどのようなものでしょうか?

A クローン技術には、発生初期の胚の核を使うものと、大人になった動物の細胞の核を使うものがあります。クローン技術は、畜産分野において発展し、応用されてきた技術であり、ヒトにとって有用な牛や羊、たとえば牛乳の出がいいとか、肉質がよい、また遺伝子組換えによって医薬品の原料をミルクに分泌できるなどの条件を満たした個体を、効率的に生産するために開発されてきたものです。この技術発展の背景には、「家畜であるから仮に不都合な個体が生まれたとしても処分できる」という意識があります。このような倫理観のもとで発達してきた技術を、いま、ヒトに応用しようとしているのが、「クローン人間」計画です。とても不安定で、未知の要素を含んだ技術であるにも関わらず、一部の医師らは「不妊治療」などの大義名分のもとにこの計画を公言しています。

体細胞クローン技術動物は死産や早死の発生率が高く、医療技術としては動物実験の段階でも安全性が確認されていない危険な技術です。患者を死の淵から救出するために、あえてリスクを冒して実験的技術を使うことはあります。しかし、母胎にも、生まれて来るであろう子供にもどんな影響を与えるかわからない技術を使うことが、果たして医療と言えるのでしょうか。私たちが患者の権利として主張してきたのは、ずさんな医療技術の行使を許さないということだったはずです。

Q 現実的にどのような問題を危惧されていますか?

A 例えば不妊治療という名目で夫の体細胞クローンを作る場合、どうしても子どもは夫の生き写しと見なされますが、それが子どもの養育に与える影響を重くみるべきでしょう。また、クローン技術に限らず、高度な生殖技術によって子どもを作る場合、その技術の安全性、有効性は子どもにおいて発生する「異常」の有無や程度で測られることになります。クローン技術が危険だというのも、そういう意味において、です。しかし、技術の安全性を追求すればするほど、「異常」を持った子供が生まれたとき、それを失敗と受け取り、生まれてきた子供の価値そのものを貶めることにつながる恐れがあります。今後生殖技術の普及にともない、その品質管理も厳しく問われ、ガイドラインや法律で規制されることになりますが、これは人間の価値をリスク管理という発想のもとで医学的な身体観のなかに限定する傾向を強化する可能性を孕んでいます。そこに大きな問題があると感じます。

Q クローンという技術をどう見れば良いのでしょう?

A 現時点では実験段階であり、どのような可能性が広がるのか未知数ですが、再生医療の発展への期待は無視できないものです。

つまり、移植を必要としている患者の核を使って、ヒトクローン胚をつくり、その胚からES細胞(胚性幹細胞)を取って必要な細胞、組織に分化させ、患者に移植するというものです。本人の核を使うわけですから、免疫的に拒絶反応が起こらないと考えられています。その技術は「治療的クローニング」と呼ばれ、「クローン人間の作成」とは区別されます。治療的クローニングにも卵の提供を誰がするのか、胚を医療資源にしていいのか、など多くの問題がありますが、クローン人間騒ぎの陰にかくれて一般の人にはあまり知られていません。

Q この問題について日常生活で意識すべき点は?

A 一般の人々が先端医療技術について関心を持ち情報を得るのは、主にメディアを通してです。

大きな見出しで一面を割いて報道された記事は、それだけで事の重大さを印象づけ、あたかも確実性のあるニュースであると思わせます。まさに「クローン人間」のニュースはそれだと思います。しかし、来年にクローン人間が生まれるという発表の信憑性は定かではありません。そもそもクローン人間が生まれたことをどのように確認するというのでしょうか。

報道は一般的に「科学技術の進歩」を強く印象づける方向でなされます。技術開発者の伝えたい面を強調する傾向もあります。技術の可能性はあるかもしれない、でも現状はどうなのか。少し疑うくらいの気持ちで、丁寧に記事を読み込んでもらいたいと思います。また、多様な情報源をもつことも大切で、インターネットで調べるのは手っ取り早い方法です。ただし、インターネットに声を乗せられない人も多いことを忘れてはなりません。

Q 生命に対して今後どのような倫理観を持つべきなのでしょう?

A 先端医療については、技術の福音を唱え、それが実験的なものであっても障害を突破して実行すべきだというトーンで報道される傾向があります。私たちの「生命倫理のありかた」についての印象は限定的に提供された情報によって、誘導的に形成されがちであることにまず気づくべきです。「持つべき倫理観」は誰かから与えられるべきものではありません。様々な利害や立場をもつ人々の間でせめぎあいながら、発見していくものではないでしょうか。生命倫理は「技術の暴走の歯止め」「技術と社会の調停役」と見なされがちですが、むしろ危険な橋を渡る賭だと思います。

松原 洋子
松原 洋子 教授
専門分野:科学史、科学論、生命倫理
■主な著書・論文
  • ●『優生学と人間社会』(共著)
    (講談社現代新書、2000年)
  • ●『健康とジェンダー』(共著)
    (明石書店、2000年)
  • ●「中絶規制緩和と優生政策強化」
    (『思想』886号、1998年)


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