私は立命館慶祥高校の出身で、高校でも野球部に所属していました。高校1年の時に、練習試合の中で審判する機会が何度かあり、その内に審判をする楽しさに目覚め、試合を見ていても審判の動きばかりに目がいってしまうようになりました。さらに審判の動きをよく見ていると、審判にもフォーメーションがあり、ある決まった法則性の元、審判が動いていることに気づいたのです。
例えば、外野にフライが飛んだら、そのボールを追って、審判も外野に走っていくことになります。そうすると、外野に出て行ってしまった審判が見ていた塁が空き、残りの審判でその塁で起こるプレーをジャッジしなければなりません。その様な動きが色々なシチュエーションごとに決まっていると学びました。高校卒業後は、立命館大学硬式野球部のマネージャーになりました。審判が好きなことはあまり他言していませんでしたが、ある時、自分の審判好きが先輩にバレてしまったのです。その後は、練習試合や紅白戦で審判をやらせてもらえるようになりました。しかし、高校野球とは違い、大学野球の球は速く、試合もスピーディーで最初は慣れるまでたいへんでしたね。
私が学生審判委員となる転機を迎えたのは去年行われたハワイチームを招待した国際親善試合。その試合で審判をやってくれと頼まれた私は、関西学生野球連盟の審判委員の方と共に試合を裁きました。すると、その審判委員の方から、正式な審判委員にならないかと誘われたのです。その後、審判講習会に参加するなどして、関西学生野球連盟初の学生審判委員になることができたんですよ。 |