アテネオリンピックも目指していたのですが、疲労骨折の手術のためオリンピックの枠取りの大会となる前年の世界選手権に出場できませんでした。手術後に全日本選手権やアジア選手権に出場したのですが、アテネオリンピックの代表には選ばれませんでした。このときに強く感じた“オリンピックに出場したい"という想いが、北京を目指す一番のきっかけ、その後の自分を支える原動力となりました。
それからは北京オリンピックに目標を絞って練習をしてきました。2006・2007年に出場した世界選手権で、日本は国別団体総合10位という結果だったため、日本女子は北京への個人代表枠3つを獲得しました。代表の決定に関しては、今年の日本選手権、昨年の世界選手権、今年のアジア選手権の成績を参考に、日本ウエイトリフティング協会が独自に作っている北京オリンピック各国予想ランキング表と照らし合わせて代表が決まりました。3枠ある代表の中で1枠、2枠には48キロ級の2人が決まり私は3枠目だったのですが、75kg超級の嶋本麻美さん(金沢学院大学)と戦績が均衡していたため、一昨年の結果まで審議対象にされました。
北京オリンピック最終選考会であるアジア選手権では、日本記録は樹立したものの自分の目標としていた記録に届かなかったので、内心北京は難しいかなと思っていたんです。実際試合後に「次のロンドンまでやる!!」と周りに宣言していたぐらいなんですよ。ですから日本代表決定の連絡を頂いたときは、本当に信じられなくてビックリしましたが、すぐに嬉しいという気持ちが上回りました。また、“嬉しい"という気持ちと同時に、北京に行けないメンバーの分も頑張らねばというプレッシャーも感じ、より一層日本代表という重みを知りました。 |